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2015年8月 4日 (火)

【訃報】 小川銀次さんのこと

小川銀次さんが天に召された…。
昨日の朝、銀次さんに近しい方がfacebookで報じていて仰天。どうしても信じられなくて、その方に電話をして確認したほどだった。
残念ながらその方の投稿の内容に誤りはないようであった。
58歳…。
天才ギタリストとのお別れの時があまりにも早く来てしまった。

10v_2ご多分に漏れず、私も銀次さんのことを知ったのはRCサクセションでの活動からだった。
高校2年生の時だから1979年かな?
渋谷の屋根裏にRCサクセションを観に行った。
当時、入手できるRCの音源は『シングル・マン』だけで、確かコレも一般には流通しておらず、青山のパイドパイパー・ハウスで限定的に入手できたのではなかったか?
どう考えても当時パイドパイパー・ハウスに行った記憶がないのだが、とにかく『シングル・マン』は持っていた。誰かに頼んでついてに買って来てもらったのかもしれない。
実を言うと、このアルバムを聴き込んだ覚えがなく、後に有名になった「スロー・バラード」ぐらいしかなじみがない。
それでも屋根裏にRCを観に行ったのは、銀次さんを見たかったからだったのかも知れない。
しかし、RC以前に銀次さんを知るルートは無かったようにも思えるし、この辺りの記憶はあいまいだ。
多分、どこかでRCを観て、それから屋根裏に行ったんだろうね。


RCサクセションはブレイクする直前で、当時、屋根裏で最も動員力が強かったのがPANTA&HALとRCサクセションと言われていた。店員さんが話していたのだから間違いない。
屋根裏は通常イス席で、大きなテーブルが据え置かれていたが、RCの時にはイスもテーブルも全部取っ払い、客席後方にひな壇が設置された。
私はそのひな壇の最上段から小川銀次が上手に立つRCサクセションのステージを観た。
当時にしては規格外の長さだったが、最初から最後まですさまじい熱演でアッという間だった。
コンサートに騒ぎに来るだけの感がある今とはまるで様相が異なり、お客さんも一生懸命音楽を聴いていた。
もちろん期待していた銀次さんのプレイは最高だった。
コーラスをギンギンにかけた独特のトーンが実にカッコよかった。あの後、CE-1を買ったのは100%銀次さんの影響だ。
あの手の音楽のバンドにケタ違いのテクニカル・プレイヤーを参加させたアイデアも素晴らしかったよね。

20時期はほぼ同じだったと思うが、有楽町にあった日立のオーディオのショウルームLo-DプラザにBAD SCENEと銀次さんが出演するというので喜んで観に行った。
Lo-DプラザのことはコチラのBAD SCENE関連の記事に詳述したのでここでは詳しく触れないが、幸運にもBAD SCENEと銀次さんの共演を高音質で記録しておくことができた。
下がその時のカセットテープ…私の宝物だ。
この中でBAD SCENEは銀次さんへ捧げた「銀次」というオリジナル曲を演奏している。
銀次さんは最後の3曲に参加しており、超絶技巧を披露。
BAD SCENEの代表曲でもあるこの時の「ライジング・ドリーム」は銀次さんのソロもコピーして高校の仲間と人前で演奏したこともあった。

25それから大幅に時代は下り、2001年。
二度目の『マーシャル祭り』に銀次さんに出演して頂いた。
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私は上に書いた通りだったので、銀次さんに接するのがうれしくうれしくて…。
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打ち合わせと称して何回かイッパイご一緒させて頂いた。
銀次さんは大のFrank Zappa好きで、ジャズにも造詣が深く、いつも話がハズんだ。
何かの雑誌で知ったのだが、銀次さんはZappaが1976年に来日した際に、浅草国際劇場でのリハーサルをご覧になったという。
「どうやって入ったんですか?」と尋ねると、「ン?あのね、円谷監督の息子だって言ったんだよ。ホラ、ザッパは怪獣映画好きじゃん?」…スゴい。銀次さんによるとそのリハーサルもスゴかったらしい。
また、銀次さんは独自のギターの練習法を編み出したという話しをされていた。スケール練習の類なのだが、何でも順列組み合わせで120万通りのパターンがあるとのことで、世の中に発表したくても内容量が多すぎて取り扱えないのが悩みだ…とも。
レコード2万枚、創刊号からのギターマガジンのコレクション、数々のマニアックなバンドやギタリストの話し…銀次さんのお話しをうかがうのが毎回とても楽しかった。何かの話しを振ると、内容を何倍にも濃くして返してくれるのだ。

それで、この『マーシャル祭り2』。

81750002 このイベントは、基本的によく知られている曲を出演者に演奏して頂くことを主旨としていた。
「Zappaに世間一般によく知らられた曲があるのか?」と問われればそれまでだが、銀次さんにはFrank Zappaの曲を選んで頂くことを期待していた。
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ところが「オレは他人の曲は演らない」とキッパリおっしゃって「その代り…」と自作の「ザッパがおしえてくれた事」というスローテンポの曲を選ばれた。
他に「いたちごっこ」という曲を矢堀孝一さんと演奏した。
銀次さんはこの時、JCM2000 DSL50をステレオで鳴らしたい…とリクエストされ、ご希望に答えたのだが、それがあまりにもすさまじい音だった。

81750031 このイベントでは、櫻井哲夫さんにベースをお願いしたのだが、お忙しくて曲をさらっている時間がないため、私がほとんどすべてのベースの譜面を書き起こし櫻井さんにお渡しした。
で、この銀次さんの曲は2コードぐらいを延々と繰り返し、銀次さんがすさまじいインプロヴィゼーションを乗せるというZappaでいえば「Black Napkins」的な曲。
それだけなら問題はないのだが、エンディングに4小節ぐらいのキメがあって、この部分の音を取るのに徹夜を強いられてしまった。
何せ銀次さんがどう弾いているのがわからくて何百回と聴き返した。こっちも意地だ。徹夜してナントカ譜面に収めた。

81750028 このことを後日銀次さんに白状すると「お~、そうか、そりゃそうだよ。あの部分だけでギターを10回以上重ねたんだもん!」なんて、平然といつもの笑顔でおっしゃっていた。
銀次さんはいつも笑顔だった。
それと、とてもおしゃれでカラフルなスニーカーをはいて、いつも清潔にしていらっしゃった。

コレはその時に銀次さんが取り組んでいた12枚組シリーズの『Private Diary』のサンプル盤。本当は本体が欲しかったんだけど…。
銀次さんが直に私に手渡ししてくれたもの。今でも大切にしている。
「12枚同時リリースでギネス狙ってるんだよ」ともおっしゃっていたっけ。

50この2001年の『マーシャル祭り2』では終演後、とんでもないことを起こしてしまった。
このイベントは、何から何までほぼ私ひとりで段取りを組んでいたのだが、さすがに当日になると色んな所にアラが出てしまい、銀次さんに失礼なことをしてしまったのだ、
もちろん、あこがれの銀次さんに面と向かって失礼なことを言ったワケでもしたワケでもないのだが、結果的に気分を害することをしてしまったのだ。
はじめは冗談かと思っていたら、本気で怒っていらして、いくら謝っても許してもらえず地獄の思いだった。
ところが一晩明けるとケロっとされていて、いつもの「銀次スマイル」で「おう、悪いけど荷物運ぶの手伝ってくれる~?」なんて昨晩のことなどナニひとつ覚えていらっしゃらないようだった。
あれほどホッとしたことも珍しいわ。

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『マーシャル祭り』の後はあまりお会いする機会がなかった。久ぶりにお会いしたのは2005年の5月、渋谷公会堂のJethro Tullのコンサートの時だった。
会場の前で関係者受付が開くのを待っていると、「オ~イ、うしざ~く~ん!」と遠くからお声をかけて頂いた。
こういうことって覚えているもんだナァ。
すごくうれしかったのだろう、銀次さんがワザワザお声をかけてくださるなんて…。
だって、屋根裏で見た時にはニオイすらかぐことができない存在だったのだから。

もちろんCrosswindも好きだった。
実際の演奏を観る機会がなかったのが悔やまれる。
今にして思うのは、Crosswindというバンド名はBilly Cobhamからのインスピレーションなのかな?
もうこんなグループは出て来ないだろうナァ。

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CDに入っているライナー・ノーツ。あまりに字が小さいのでたまたまお会いした銀次さんにこのこと尋ねると…「いいんだよ。字が大きかったら読めちゃうじゃん?」とおっしゃっていた。

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このライブ盤の自筆ライナーではそのことに触れていらっしゃって笑える。
ちなみにこのライブ・アルバムもLo-Dプラザで録音されていて、ドラムはそうる透だ。

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今はなき六本木のピットインに銀次さんのバンドを観に行った時、一部の演奏が終わると銀次さんは客席でものすごく大きな声で、「あ~!弾けてネェ!全然弾けてネェ!」と自分に怒りをブツけていた。会場にいたお客さんはみんな飛び上がってビックリしていた。

55v最後に銀次さんとご一緒させてもらったのももうずいぶん前のことだ。
2008年に『北野ロック教習所』というビートたけし関連のテレビ番組に中野重夫が出演した時、銀次さんも出演されていて同時に取材させて頂いた。
銀次さんの向こうに見えているMarshallはシゲさんのSuper100JHだ。

100

銀次さんは「The Orchestra」と称したひとりバンドで登場された。機材を駆使し、アコースティック・ギターを歪ませたりして、今までついぞ聞いたことのないようなギター・サウンドをクリエイトしていた。

90vこの時、珍しく一曲歌われたんだよね。銀次さんの歌はこの時初めて聴いた。

130v

銀次さんは特に目の覚めるような速弾きをするとかいうことではなかったが、十分にテクニカルなギターを弾いた。
ギターと相談して、誰もやらないような弾き方で、自分だけの言葉を自分だけの声で歌っていたのだ。

110v時にハードに、そして時にメランコリックに…ギターに入り込んでいるのか、ギターが銀次さんに乗り移っているのか…とにかくギターと一心同体で「音楽」を作っていた。
コレだけは間違いない。

115銀次さんのオリジナル曲はタイトルのほとんどが日本語だった。
「ナントカ of カントカ」なんてタイトルは見たことがない。
ココにもこだわりがあったのだろう。
銀次さんは英語もご堪能だったから、辞書で調べた英単語を並べてカッコだけつけているようなタイトルを自分の子供に付けるのをイヤがったのではないであろうか?
イッパイやりながらホンノ少しだけ英語の話しをしたこともあった。もう題材は覚えていないが、何かを英語で表現するとどうなるか…みたいな話だったんだけど、銀次さんがものすごくセンスのいい訳をされていた。
それでも「俺が世界に出た時はオマエを通訳で雇うからな…」なんて言ってくれた。もちろんイッパイやってる時だよ。

120銀次さんの名刺も持ってる。
名刺の右上には「12.10.7.」と頂いた日付が記してある。2012年かと思ったけど、コレ、平成12年だ。すなわち2000年。
肩書が”The Guitar"となっている。
ホント、その通りだと思う。ひとつしかないから「The」がついているのだ。
銀次さんにだけしか弾けないギター。
ギターを弾くために生まれて来た男。
銀次さん自身がギターだったのだ。
日本のギター界は計り知れない音楽的財産を失ったことに気づき、大いに困るべきだ。

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銀次さんが少なくない音源を残してくれたおかげで、我々は未来永劫銀次さんの音楽を楽しむことができる。
しかし、音や映像は残せたとしても人となりを知るためのエピソードや言葉はなかなか残すことがムズカシイ。
しばらくの間はハッキリと覚えていても、時間が経つにつれてどうしても記憶が薄らいでいってしまうものだ。
そこで、短期間とはいえ、銀次さんと一緒に過ごすことができた私なりの思い出をココに残して銀次債に哀悼の気持ち捧げた次第である。
140v
銀次さん、お疲れさまでした。
素晴らしい音楽と唯一無二のギターをありがとうございました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。


さようなら…小川"The Guitar"銀次!

81750039 (一部敬称略 ※写真協力:55 Station入谷店)