楽器フェア2014
楽器フェアに行って来た。
例のMarshallの本の締切に追われていてゼンゼンゆっくりできなかったが、初日の開場したばかりの時間帯、平日の金曜日にもかかわらず来場者が多く、早くも熱気があふれていた。
前回の横浜での最後の時ハッキリ言ってかなり寂しかったからな~。
今回は3年ぶり、会場へのアクセスも利便性がグンと増して、開場時に早くも大成功の予感が漂っていた。
チケット交換の列に並んでいたら、昔大変お世話になった方に遭遇した。現在はNAMMの役員をしていらっしゃる。NAMMでお会いしているのでメッチャ久しぶりというワケではなないのだが、うれしいものだ。
そこへ「シッゲさ~ん!!」と大声で呼びかける人がいる。
NAMMの会長のLarry-san。
彼とは「Larry-san」、「Shige-san」と呼び合っている仲。いつか、Shige Blogで紹介した超絶アイリッシュ・ダンス・チームのTrinityに属しているLaurenちゃんのパパだ。
実は、先日来大騒ぎしている「Marshallの本」の原書はLarry-sanが社長を務めるHal Leonardから刊行されていて、私が監修の任を受けた時、「Shige-sanが監修してくれるのなら安心!」と大層よろこんでくれたが、果たしてそれはどうかな?、フフフ。
ちなみにHal Leonardは北米でのThe BeatlesとDisneyの出版権を管理する全米第2位の音楽出版社だ。
私が撮影した写真を使った日本語版の表紙のサンプルをちょうど持っていたので、それを見せたところ、なお喜んでくれた。写真撮っておけばヨカッタな…。
往訪の目的はもちろんコレ。
ディストリビューターのヤマハミュージックジャパンさんがゴージャスにディスプレイしてくれた。
こうしてズラっと並ぶだけで、音楽がジェネレイトしてくるようだ。他のギター・アンプではこうはいかない。絶対にムリ。
DSLとMGもバッチリ展示。
それにしてもこのMGもスッカリ息が長くなったな~。
HandwiredシリーズにTatooシリーズ。
それにしてもね、Handwiredシリーズが導入された時の衝撃は忘れられない。特に1974X。
フランクフルトでプロトタイプを見せてもらって最初の音を出した瞬間、トロけた。
昔はみんなコレで弾いてたんだもんね。デジタル・テクノロジーなんか皆無でも、今より断然豊かで贅沢な時代だった。
こちらはやや近未来的なルックスでこれまたカッコいい!何とも言えない武骨な雰囲気がタマらない。
音はもっとスゴイ。
先週もある若手人気バンドがWT-800とD410XSTを使ってコンサートをしたんだけど、全くバンドの音像が変わってしまったのには驚いた。ベース・アンプひとつでだよ!
でも、一番ビックリしてたのは間違いなく弾き手だった。
スッカリEDENもMarshallのファミリーに溶け込んでいい感じになってきた!
先述の通り時間がなくて、本当にブースを拝見させて頂くに留まったが、土曜日&日曜日には三宅庸介、Kelly SIMONZ、さらにノンちゃん(島紀史)ら、マーブロ・ファミリーがMarshallのデモンストレーションで激演を繰り広げ、好評を博したと聞いた。うれしい限りである。見たかった!
ヤマハミュージックジャパンさん、ありがとうございました!
そして、会場を数歩進むたびに出くわすたくさんの友人たち。みんなが声をかけてくれる…「毎日見てますよ!」、「全部チェックしてますよ!」とまるで仮出所中の保護観察を受けているかのような気分(←実際の経験はありませんよ)。もちろんこのMarshall Blogのことである。
皆さんいつもどうもありがとうございます!
さて、楽器フェアに邪魔したのにはもうひとつ目的があった。
それは、もっとも付き合いが長く、親しいアメリカの親友に会って情報交換をするためだった。
彼は30年以上アメリカの楽器業界にいて、数々のメーカーへの勤務を経験し、有名なギターのデザインを手掛けてきた人。
私より年上だが、お互い子供の歳は同じ、ギタリスト、大のジャズ・ファンということもあって気がとても合い、家に泊まりに来たこともある。
1960年代のFrank Zappaはもとより、Ed Sullivan Showのナマ、Duanne Allman、昔のGreatful Deadなんて当たり前に見ていて、そういう話しをするのをいつもとても楽しみにしている。
そんなだから、会うといつも「今のロックはなんだ?」という話題で2人とも燃え上ってしまう!
開口一番、「もうアメリカの音楽はダメだよ…」。そう来なくちゃ!
どういう状況かというと、実は日本とまったく同じ。結果、楽器をやりたいと思わせる音楽なんかありゃしない!…ということ。
アメリカの若者も全く70年代のロックなど聴く耳を持たず、「れっど・ぜっぺりん?ヤッダ~、変な名前~!」ってなことになっちゃってるそうだ。
とにかくギターのカッコよさをアッピールする音楽が皆無だという。
ギターの音もデジタル加工のペランペランの音で面白くもなんともない。
今一番ウケているのは「Miku」だそうだよ。コンピュータが歌い、演奏する音楽に合わせてホログラムのパフォーマーに観客は嬌声を上げているのだそうだ。
彼はおもしろいことを言っていた。
アメリカのケーブルテレビで、『Who Killed the Music?』とかいう番組があるのだそうだ。アメリカにも良識派はいるということか?
その中で、実は「音楽は過去にもう何度も殺されている」と言っていたそうだ。
たとえば、蓄音機の出現。
1920年代以前(ぐらいかな?)、音楽の再生装置がなかった時代、人々はどうやって音楽を楽しんでいたかというと、「楽譜」で楽しんでいた。つまり、一家に一台ピアノがあって、George GershwinやIrving Berlin らティン・パン・アレイの作曲家や作詞家が作った曲の楽譜をお父さんやお母さんが買って来ては、夕べにピアノを弾きながら歌って音楽を楽しんでいた。
つまり、みんな当たり前に楽器をたしなんで、自分たちで音楽を奏でていたのだ。
1945年のガーシュインの伝記映画『アメリカ交響楽』を見れば、いかにこのビジネスが盛んであったかがわかる。
そこへ黒船のごとく現れたのが蓄音機で、「こりゃ自分で弾くより聴いちゃった方が楽だわい」ということで、一網打尽にピアノの弾き語りなんて面倒なことが駆逐された。
ここで「すでに音楽は死んでいる」…とかなんとか番組は説いているそうだが、コレ、今と全く同じじゃない?
デジタル・テクノロジーが発達して人間が歌ったり、楽器を弾いたりしなくても、そのテクノロジーの能力内でできる音楽を楽しめればそれでいいということだから。
チョット話を聞いたところでは…だから、何も音楽の衰退は今に始まったことではない…という結論らしい。
蓄音機の時代と今時代との決定的な違いは、昔は音楽でやることが山ほどあったが、今は何もないペンペン草も生えない状況ということだ。お茶でいえば、まだ急須に入れる前の摘みたての新茶と、色も香りもまったくない、後は掃除の時にしか使い道がない出がらしとの違いだ。(昔はよく出がらしを畳の上にまいて箒をかけていなかった?)
やっぱり、昔からの音楽の愛好家はアメリカでも音楽配信に相当な危機感と嫌悪感を持っている人が多いようで、音楽の質の低下は言うに及ばず、アルバムとして音楽を聴かないことと、ジャケットの消滅が大きなダメージと考えているようだ…ナンダこれ、いつもマーブロで大騒ぎしてることジャン。
「ビートルズ」、「テケテケ」等、楽器が爆発的に売れたのは音楽あっての話し。これは「楽器のブーム」では決してなくて、「音楽のブーム」だったことを素直に見つめ直すと何か新しい局面が見えて来るかもしれない。
「イカ天」は「バンドのブーム」であって「音楽のブーム」ではないから、ちょいと毛色が違う。
やはり、いいソフトがなければゲームが楽しめないように、楽器には絶対に「いい音楽」が必要なのだ。ファミコンの機会をいくつ持っていても「マリオ」がなければ意味がないでしょう?
「いい音楽」なくして楽器のブームを作ろうとするのは、巨大な相手に足を使わず手だけで強引に「体落とし」をかけようとしているように見える。
いつも書いているけど、その「いい音楽」のネタは今は過去にしかないと思う。
(一部敬称略 2014年11月21日 東京ビッグサイトにて撮影 ※協力:株式会社ヤマハミュージックジャパン)