暑いのをガマンして歩き続ける。 こんなのロンドンを歩く時に比べればまったく大した距離ではないんだけど、ウルトラマンが地球で3分しか持たないように、前回述べた理由で急激に体力が失われて歩くのが大層ツライ! もうヘロヘロなのよ~。 でも、「ココだけは見ておこう」と思って歯を食いしばって歩き続けた。 向かったのは「戦争証跡博物館」。 40,000ドンの入場料を払って中に入る…エ、40,000?高い! イヤ、安い。 200円もしないわ。 まだ全然ベトナムドンに慣れない。
イギリスに行った時なんかもそうなんだけど、海外へ行った時、戦争に関する博物館があればなるべく見学するようにしている。 もちろん戦争が好きでそんなことをやっているワケではない。 戦争の悲惨さと人間の愚かさ、そして人間が人間にどういうヒドイことをしたのかを勉強するために訪れるのだ。 フランクフルトでは「ゲットー博物館」なんていうのも観たよ。 マァ、数多く訪れているワケではないんだけど、この戦争に関する博物館ってのは戦勝国と戦敗国で内容の取扱いがエラク異なるんだよね。 イギリスなんかはもう戦争を賛美してる感じだもんね。そこには「正義」しかなく、「戦争の悲惨さ」をくみ取ることはムズカシイ。 もっとも昔のイギリスの貴族の間においては、「戦争は紳士のスポーツ」扱いされていたらしいからね。 翻ってこのホーチミンの博物館…悲惨だったよ。
博物館の前庭には大型の兵器が陳列されている。 陳列されているのはもちろん戦争マニアや武器マニアのためでは断じてない。 これらの兵器はすべてアメリカのモノで、「こういうモノを使っていかにアメリカがベトナムを苦しめたか」…ということを示唆しているのだ。 どんなモノがあるかというと… M.41 Tank。 1965年にベトナムの戦場に現れた。 以前にも書いたけど、機会があれば戦車に触ってごらん。 金のニオイがプンプンするよ。 「戦車」を1両作るのに、それこそ「千社」が絡んでくるらしい。 そんなシロモノをバンバン作っていたら笑いが止まらないヤツがジャンジャン出てくるわな。 もっともそれが戦争の一番の目的だからね。
コチラはM.48 A3 Tank。 アメリカ軍はこのタイプの戦車を1969年の7月までに370両投入したそうだ。
CH-47 Chinook。 「Chinook(チヌック)」というのはいちアメリカ先住民部族の名前。 このボーイング製のヘリコプターのベトナムにおける最大の任務は、いかなる手段を持ってしても入り込むことができない危険な山岳地帯に砲台を築き、そこに弾薬を運搬することだった。 チヌックは飛行したまま他の航空機に燃料を供給することができた。
U-17 Plane。 偵察と観察に活躍したセスナ社製飛行機。 UH-1H HUEY 双発ヘリコプター。 移動、救急、輸送、偵察、並びに攻撃機の支援を任務とした。 どんな複雑な地形でも滑走路なしで離着陸できるジャングルの多いベトナムには最適のヘリコプターだった。 1969年の4月には2,202機がベトナム戦争に従事していたそうだ。
HUEYには6銃身の7.62砲が2機搭載されていた。 こんなん映画ではチョクチョク見かけるけど、実際にホンモノを目にするとコワいもんだよ。
A-1 Skyraider、「空の侵略者」。 戦闘と爆撃に使われたダグラス社製の飛行機。
M132 A1 Flame Thrower。 「Flame Thrower」というのは自走火炎放射器のこと。 最高で32秒間点火し続けることが可能で、200m先まで炎を放射したという。
105mm Howitzer。 「Howitzer」は日本語で「榴弾砲」というらしい。 コレでガス弾から照明弾までありとあらゆる砲弾をブッ放した。
こんなモノも展示されている。 爆弾ね。 手前のドデカイやつは「BLU-2 Seismic Bomb(地震爆弾)」という。 通称「Daisy Cutter(デイジー・カッター)」。 コレは軍事スラングで、地上の構造物を吹き飛ばす爆弾のことを指すらしい。 ベトナム戦争では、ヘリコプターが着地する場所を確保するためにこの爆弾を落とし、ジャングルの木々を一瞬にして吹き飛ばしたという。 2008年からは使用されていない。 ナゼなら、アメリカ軍はその後もっと強力で優秀な爆弾の開発に成功したからだ。
ところで、ナンだってベトナム戦争が起こったか知ってる? 私が小さい時は「ベトナム=戦争」というイメージがあった。 でも、子供だったので戦争の理由など気にするワケはなかったし、大人になってからも気にかけることはなかった。 でも、今にして思うとそんな状況が当のアメリカ国内にもあったことが『ウッドストック』を観るとわかる。
『ウッドストック』についてはさんざん書いてきたので内容が重複してしまうのが申し訳ないが、せっかくベトナムに行って来たのだからまた書かせて頂く。 ご存知のようにウッドストックが開催されたのは1969年の8月。 ベトナム戦争が泥沼中の泥沼と化していた頃で、「反戦」がこのロック・フェスティバルのテーマになっていることは皆さんもご存知の通り。 そこへ登場するのがカントリー・ジョー・マクドナルド。 カントリー・ジョーがギター1本で歌う「I'm-Fixin'-to-Die Rag」に合わせて50万人が歌うシーンはこの映画のハイライトのひとつだ。 歌詞はこう歌っている。 「俺たち一体何のために戦っているんだ? 文句は言いっこなしだ お次はベトナムだ 真珠の門(Pearly Gates=天国の門)を開けろ 考えてるヒマはないぜ みんなおっ死んじまうだ」 ね…「戦争なんて意味がない」ということもあるんだろうけど、ナンだってアメリカがベトナムで戦争をしているのか知らないヤツがいたハズなんよ。 そして、間奏でカントリー・ジョーは観客にこう呼び掛けている。 「聞いてくれ!ココにいる中の一体何のヤツが戦争が終わることを期待しているかはわからない。うまく歌えなくてもいい。やらないよりはマシだ。30万のクソ野郎が集まってるんだろ!歌い始めてもらいたいんだよ!」 ウッドストックがベトナム戦争を終結させたワケではないが、そのキッカケになったと言われているのも事実のようだ。 そして、アメリカ軍がベトナムから撤退した時と同じくして徴兵制度が廃止された。 そのカントリー・ジョーの感動のシーンはコチラ。
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あ、それと映画には出て来ないけど、サントラ盤に収録されているジョーン・バエズとジェフリー・シャートレフという人ガ歌う「Drug Store Truck Drivin' Man」という曲もスゴイよ。 当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンを「KKK」呼ばわりしてメッタ斬りにしている。 昔の向こうのミュージシャンはやることがいちいちスゴイ。 ではココで歴史のお勉強。 なんでベトナム戦争が起こってアメリカが入り込んでいたのか…。 ベトナムという国は第二次大戦の前はフランスの植民地だった。 歴史的に中国とフランスという2大グルメ国の支配を受けていたので、ベトナムの食べ物がおいしいのだという説もあるらしい。 で、第二次世界大戦が勃発してドイツがブイブイ言わせるようになり、パリが陥落してフランスが降伏。 それにスライドして日本軍がベトナムに入り込んだ。 しかし、日本もボロンチョンに負けてしまい、1945年9月、終戦の翌月ですな、ベトナムの北部に例のホー・チ・ミンが「ベトナム民主共和国」を樹立して独立を宣言する。 「オイ、チョット待てよ、ホーおじさんよぅ。戦争は終わったんだからよ、勝手にはさせねーぜ」とフランスはゴ・ディン・ディエムをいうオッサンを大統領に仕立てて、南部に「コーシチナ共和国」という国を勝手に作っちゃった。 そもそも人の国なのに…。 「傀儡(かいらい)政権」ってヤツね。ようするにフランスの舎弟みたいなモノ。 コレが北のホーおじさんのベトナム民主共和国とドンパチおっぱじめた。 1946年から1954年まで8年間続いたこの戦争を「第一次インドシナ戦争」という。 結果はフランスの負け~。 そして、1954年7月にジュネーブ協定で、北緯17度を境にしてベトナムが分断されることになった。 ココでわからないのは、フランスが負けたのなら南ベトナムをホーおじさんに返してやりゃいいじゃん…と思うワケ。 でも、そうはならずに南ベトナムには引き続きゴ・ディン・ディエムを大統領にして「ベトナム共和国」が樹立される。 ココに入り込んでくるのがアメリカだ。つまり、「ベトナム共和国」はアメリカを後ろ盾にしたんだね。 ところが、このベトナム共和国は汚職まみれのヒドイ政府で大多数を農民が占める国民から支持を得ることができなかった。 「しからば武力でベトナムを統一したれ!」とホ―おじさんが「南ベトナム解放民族戦線」という組織を立ち上げて内戦が始まった。 また戦争だよ。 このホーおじさんの組織は「ベトナム・コンサン」と呼ばれた。「コンサン」というのは「共産」ということ。 コレがよく映画に出て来る「ベトコン」というヤツね。 さて、今度はそうなるとダマっていられないのは「ベトナム共和国」をバックアップしていたアメリカ。 何しろベトコンにはソ連が後についてるじゃんか? もし、ホーおじさんの方がこの内戦に勝利してベトナムが共産主義国として統一されてしまうと、「ドミノ効果」で東南アジア全域の国々が共産主義化してしまう。 「OMG!」 と焦ったのがJFK。 1961年、この状況を目の当たりにしたケネディ大統領は4,000人の特殊部隊をベトナムに送り込んだ。 でも、この頃はまだ小手調べ程度だったのだが、1964年に「トンキン湾事件」が起きる。 コレは北ベトナムの警備艇がアメリカの軍艦を攻撃した…という事件。 「イヤイヤ、ウチらそんなことしてないけんね!」 「ザケンなよ!オメェらが先に手を出してきたんだからなコラァ!」 …とアメリカは自分たちがやられたのだから…とか言っちゃって翌年南アメリカに軍隊をドバっと派遣して北ベトナムに大規模な爆撃を行った。 要するにとにかくアメリカは戦争がしたくてしょうがないもんだから、こういう事件をデッチ上げた…と言われているそうだ。 どこかで聞いた話ですな。 そう、まるで柳条湖事件と東京大空襲をくっつけたような話。 「北爆」と呼ばれるこの空襲がまたヒドイ。 255万トンもの爆弾を落としたっていうんだよね。太平洋戦争で日本が落とされた爆弾の量は13万トンだから気合いが入りすぎてる。 こんなにヒドイことをされても北ベトナムは必死に踏ん張った。 ジャングルに入り込んでゲリラ戦を展開したりしたんだね。 一方アメリカ軍は、そのジャングルが邪魔だというのでダイオキシンを盛大に散布してジャングルの木々を枯らしてしまった。 アメリカ人の合理主義がモロに悪い方に出たような話。 もちろん、政府と軍と製薬会社が手を組んでその枯葉剤の実地試験がしたかったこともあったのだろう。 今、海外では使用が禁止されているMSGという化学調味料を日本人が好んで口にしているのと全く同じ構図。 結果は北ベトナムの粘り勝ち。 アメリカ軍はジャングル内への兵站が十分にできず、思ったような戦闘ができなかったことや、上のウッドストックのようにアメリカ国内で反戦の機運が高まり、最大時には54万人も投入したもベトナムから軍を引き揚げ、1975年4月、ベトコンが南ベトナムの大統領官邸を占領してベトナム戦争は終結した。 ま、にわか勉強で見方が間違っている部分もあるかもしれないけど、アメリカの関わり方はこういうことだった。 そして、もうひとつ知ったのはホー・チ・ミンというのは第一次インドシナ戦争に勝利して独立を成し遂げる際の立役者であって、アメリカが入り込んでのベトナム戦争で勇躍したワケではないということ。
それにしても、広島の原爆記念館同様、アメリカ人はこの博物館をイヤがるだろうナァ。 「戦争戦争証跡博物館」という名前の通り、名指しでアメリカ人がベトナムにしでかしたヒドイことの証拠を並べた博物館なんだから。 この枯葉剤で丸裸になったジャングルとそこに佇む裸の男児の写真は有名だよね。 コレがバカでかいパネルになって展示されている。 書いてはいないけど「アメリカはこういうことをやりました」と訴えているようなものだ。
館内には色々なモノが展示されている。 コレは1945年のホーおじさんの独立宣言の文書。
その中にこういう文章があるらしい。 チョット訳出してみると…「ベトナムには自由と独立を楽しむ権利があり、そして本当に自由と独立の国になった。すべてのベトナムの民衆はその自由と独立を堅守するために、肉体的、精神的に強靭となり、生活や財産をも犠牲にすることをいとわない決心をした」 この後フランスがまたチョッカイを出しておかしくなっちゃうんだけどね。 ホント可哀そうなんだよ。
実際に使用された小銃や砲弾の展示。 全部アメリカ製。 コレはベトナム戦争にいかに多くの国々や軍隊が関わっていたかを示す地図。 もうシッチャカメッチャカ。
こうして館内にはベトナム戦争に関わるデータが色々と展示されているが、圧倒的に力を入れているのが、戦争の惨状を報道した写真の数々だ。
日本人の報道カメラマンの活躍ぶりもタップリ紹介されているのだが、「Canon」だの「Nikon」だののロゴが写真の説明文にくっついててサ、日本人としてチョット恥ずかしい。 ナニもこんなところで宣伝しなくても…と思わざるを得ないすさまじい写真ばかりなのだ。 特にスゴかったのは枯葉剤、すなわちダイオキシンの猛毒の被害を受けて生まれて来た子供の写真がゴマンと展示されているのだ。 シャム双生児や無頭児、ありとあらゆる先天性奇形児の写真がドバ~っと並んでいる。 目を逸らしたい気持ちを抑えて私は全部見て来たよ。 アレを見たら「戦争さえなければこの子たちだって…」と誰しもが戦争の愚かさを思い知るだろう。 他にもアメリカ兵の苦闘を捉えた写真もあるが、圧倒的にベトナムの被害や被害者の写真が多い。 たとえば下の写真…空爆を受けて破壊された家の壁に書いてあるのは…「ニクソンよ、我々から奪った血を返せ」。
こうして歴史を知ってみるとですよ、さんざん見て来たアメリカ製のベトナム戦争に関する映画も見方が変わって来るね。 そう思って、ベトナムから帰って真っ先に観たのがマイケル・チミノの『ディア・ハンター』。 中学生の時にロードショウ公開でテアトル東京で観たのが最初だった。 その後も何度か観ているけど、今回はエラク印象が違ったな~。 ホーチミン市だけとはいえ、実際にベトナムに行き、この博物館を訪れた後にこの映画を観た時、単なる「マイケルとニックの友情物語」として鑑賞することはムズカシイ。 まずアメリカのポジション。 あの「マオ!」という叫び声が印象的な、ジャングルでのロシアン・ルーレットのシーン。 「かわいそうにナァ」、「ベトナム人ってヒデェことするナァ」なんてかつては思ったけど、アメリカが勝手に戦争に入り込んだんじゃん!というアタマで観ると大分感覚が変わって来る。 インディアンに頭の皮を剥ぐことを教えたのが白人であったように、あのロシアン・ルーレットだってきっと白人がベトナム人に教えたに違いない。 ま、あのシーンが事実かどうかは知らないけど。 でも、ベトナムに行く直前まで鹿狩りに行って友人と楽しい時間を過ごしていた若者があんなにヒドイところに送り込まれて悲惨な目に遭っているのを見るのもまたツライ。 ナゼなら今はベトナムのあの暑さを知ってるから! 戦争なんてするもんじゃありませんよ。 ホンの一部の悪どい連中の儲けのためにベトナムの若者もアメリカの若者もこんな悲惨な目に遭わなければならないのか!とづくづく感じさせられたわ。
だからオリバー・ストーンってのは実にいい仕事をしてると思うね。 『ルーツ』じゃないけれど、アメリカ人ってのは自分でこういうことをするからまた面白い。 この『天と地』という作品もとてもヨカッタ。 今ではすっかり宇宙人になってしまったトミー・リー・ジョーンズの演技がすこぶる充実していた。
『フルメタル・ジャケット』もスゴかった。 あれ後半の舞台がベトナム中部のフエなのかな? でも実は、キューブリックはあのシーンをロンドンで撮影したんだよ。
街中にはこんな看板も。 1968年はナンだったんだろう? アルファベット表記なのにベトナムの言葉だから読めんのじゃ! 一瞬マッチング・モールかと思ったぞ!
これが中国共産党のプロパガンダ・ポスターをパロッたマッチング・モールの『Little Red Record』。 名盤です。
博物館の中も結構暑くてサ。 それでもまだ歩く。 歩いていると「ナゼ?」という店に結構出くわす。 コレは金庫屋。 ナゼか金庫屋が多い。
コレらは徽章屋っていうのかな? 看板だとか、トロフィとか、盾とかを扱っている店がどういうワケか連なっている。
で、ここまで来てある失敗をしでかしたことに気がついた。 NAMMの時のように、Marshall Blogに現地からの速報レポートを掲載しようと思ってPCを持って行ったんだけど、CFカード用のカード・リーダーを日本から持ってくるのを忘れてしまったのだ。 このままでは写真のデータをPCにを撮り込むことができないので記事を書くことも不可能だ。 …ということでカメラ屋、もしくはパソコン屋を探すことにした。 マァ、これだけ多くの人がスマホをイジくってるんだからパソコン屋のひとつやふたつはすぐに見つかるだろう…と思ったが、もうダメ。 暑くて歩けない。 ひとまずホテルに帰ってシャワーを浴びて、服を着替えて、少し休んで、コンシェルジュにカメラ屋の場所を調べてもらって出直すことにした。 もう下着まで汗でビチョビチョだ~! ヘロヘロになりながら何とかホテルまで歩いて帰って予定通りの行動を取った。
ホテルのコンシェルジュから教えてもらったエリアに向かう。 その前にお腹が空いたのでナニかを食べることにした。 ま、ココは無難にフォーだな。 ということで「PHO HUNG」というチェーン店に入ってみた(写真は実際に入った店ではない)。 牛肉のフォーを頼んでみる。 おお~っと!ココで忘れてはいけないのは「ノー・コリアンダー・プリーズ!」ね。 私、パクチーが全くダメなんです。 で、出て来たのはコレ。 実にウマい! ただ、ぬるいんだよね~。 予め茹でた冷たい麺にスープをかけるだけなので、どうしても温度が下がってしまう。 もっともこんなに暑いところでギンギンに熱い汁モノなんか食べられないんだろうね。 以前から書いているように、海外に行くと一番恋しくなるのがダシ系の食べ物。 ロンドンなんかでも、そういう時は迷わずホクストン辺りのベトナム料理店へ行ってフォーを食べる。 フォーのスープが美味しいのは、牛骨でダシを取ってるからなんだよね。 コクがあるワリにはアッサリしている。ドロドロの豚骨ラーメンよりフォーの方がゼンゼン好き。 でも、ど~こ~か~にパクチーがいるんだよ。 ラーメン・スープのダシを取る時にネギを入れるように、おそらくフォーもダシとしてパクチーを入れてるんじゃないかね? でも大満足の350円。 ロンドンで食べたら軽くこの3~4倍。 でね、もっとうれしいのは、ベトナムはチップの習慣がないこと。 そうそう、テーブルの上には薬味として使う数種類のハーブを乗せたラップのかかった皿が置いてあるんだけど、アレが結構ヤバいという話を後で聞いた。 どういう水で洗っているかわからないので、慣れない人は敬遠した方が安全だというのだ。 私はハナから使う気はなかったけど。 何じゃコリャ?! まるでピカデリー・サーカスじゃん!
当然ココも単車天国。
面白いように次から次へと大量のオートバイが走り過ぎて行く。 しかし、ナント空気の悪いことよ!
あ~!スゴイの発見!
コレ。 オイオイもうチョット何とかしろよ~。 ダラしね~な~。 こんなのどう配線されているのかわかるのかね?
外人が東京へ来て驚くモノのひとつに電線がある。 こんなに近代的な大都市なのに、町を歩いていて見上げると電線だらけだから。 ロンドンやニューヨークなんかはCABで電線の類はすべて地下に埋まっているもんね。 ナゼいつまでたっても東京のCAB化が進まないのかというと、地震が多いから。 地面に埋めてしまうと「もしも」の時に復興するのが大変らしい。 それと、自分の家の前をほじくり返してもらいたくないという利己主義が強く、簡単に埋設の許諾が取れないらしい。 …というので…こんなんなってる。 コレは四谷で遭遇した電線のカタマリ。 発見した時は結構ビックリしたけど、ナンノナンノ。ホーチミンに比べれば実にキチっとしているではないか!
こっちはコレだかんね。
ギャハハ! 街からちょっとハズれたところではこんなのも見つけたよ。
さて、ホテルのコンシェルジュから聞いたエリアに行ってもカメラ屋らしきものが1軒もない。 ダラダラ歩いていると、それこそすぐに汗がダラダラ流れて来るので、作戦を変更して勘を頼りに自力で探すことにした。
しかし、スゲエ単車の数だナァ。 最初、昔の上野の昭和通りみたいにオートバイ屋がいくつも並んでいるのかと思ったのよ。
そうではなくて、コレ全部駐車してるの。 よくもこんなにキレイにお揃いの単車が並ぶよね?
それでひとつ気が付くのは店先にいる青い服を来たオッサン。
店先に出したイスに座って日がな一日スマホをイジってるか、ボーっとしてる。
こうしてガッツリ眠り込んでいるオッサンも多い。 この人たち、格好からもわかるように警備員なの。 チャンと行政から認可をもらって各店に貼り付いているらしい。 最初、店に不審者が入らないように門番をしているのかと思ったら、それだけではなくてお客さんの単車が盗まれないように見張ってるんだって。 小さい飲食店の前なんかでは私服の男が店先に停まっている単車に跨っているのをよく見かける。 ある時、ジッとその様子を見ていたら、なるほど、お店から出て来た客からお金を受け取っている。「白ガードマン」とでも言おうか、プライベートの単車見張り人だったようだ。
ダメだ! カメラ屋なんてゼンゼン見つからない!
それどころか、街の様子がある通りを境にガラリと変わって、猛烈にローカル色が濃くなってきた!
もうナニをやるにも単車。 それは軽トラかなんかで運べってば!
こんな珍種も! トロッコのように手でコキコキやって動かす三輪自転車。
タイビン市場というマーケット。 チョット覗いてみたけど、薄暗くてとても入る勇気はなかった。 入ったが最後ナニも買わずに出て来れそうな雰囲気なし。 ウェブサイトの観光案内で調べてみると、「こんな人におすすめ」という欄に「バックパッカー街を訪れる人、ローカル体験をしたい人」とあった。 よかったゼ、入らなくて。
そのすぐ横にある生鮮食品の市場。 確かにローカル感強し!
結局カメラ屋は発見できず。 また下着まで汗でビチョビチョになっちゃったので諦めて一旦ホテルへ帰ることにする。 最後の手段。 ホテルの部屋でダメ元で「ホーチミンのカメラ屋」をキーワードにインターネットで調べてみた。 すると、あるんですよ、ナント、「カメラ屋街」ってのが! 「Huymh Thuc Khang通り」というところがそれに当たるらしい。 どうも「フィン・トゥック・カン」と読むようだが、地図で調べたところ存外に近いので、しばらく休んでから行ってみることにした。 外に出ると、もう日は大分傾いていて、間断なく吹き付ける風が実に心地よい。
またココもチョット雰囲気が違っていて大都市の風情だ。
単車に轢かれないように工事現場の壁沿いにユックリと歩く。 この街の路上での急な動作は自殺行為だ。 段々コレがわかってきた。 すると、自動的にガソリンスタンドの敷地内に入った。 見てよ、こんなんよ。
コイツらここで給油したワケじゃないのよ。 人の敷地を遠慮なくブンブン通り抜けてんだよ。 アブね~っての!
それでもひっきりなしに給油をする単車がスタンドに入って来る。 単車だからみんな3リッターぐらいしか入れて行かない。
どれどれ、ベトナムのガソリンの値段はどうかな? 1リッターあたり18,340ドンか…90円弱。 今、東京で138円とかそんなもんでしょ? コレ、結構高めなんじゃない? あのフォーの値段が東京の半分だとすると、70円弱が妥当なところではないか?
アレ?駅がある?…と思ったらバス停。
なんかココだけヤケに都会的だな。 ところが、ホーチミンの路上を走る乗り物って、大きければ大きいほど融通がきかないの。 道を渡ろうとしても、バスって絶対に止まってくれないんだよ。 まるで歩行者に恨みでもあるかのように、あるいは怒り狂った巨像のように容赦なく突っ込んでくる。 日本では考えられない。 結構コワイよ。
フィン・トゥック・カン通りに入って進んで行く。 コレは路上の時計修理屋。 こんなホコリっぽいところで精密機械の修理をやってる。
コチラは中古家電販売店。 こんなの買う人いるのかナァ?
ナニかの食堂街だと思うでしょ? ナントこれこそがそのカメラ屋街! 数軒当たってみた。 まず、みんなゼンゼン英語ダメ。 SDカード用はあるんだけど、CFカードが入るカードリーダーなんてありゃしない。 困っていたら何軒目かで出くわした親切なオバサンが「アソコにならあるかも」と教えてくれた。
その店がこの「HUY Camera」。 ま~店員のアンちゃんが不愛想なこと! それでも確かに扱っていて、値段を尋ねると「Two fifty」という。 コレがわからない。 「Two fiftyだから250か…。250ということは250,000ドンだろ?10,000ドンが約50円だから…」なんてプロセスを経ないと値段がわからない。 結果、1,200円ぐらい。 吹っ掛けられたような気がしないでもないけど、値切ったところでわずかの金額だ。 そのまま売ってもらった。 最後まで愛想が悪かった、あのガキ。
面白いのでフィン・トゥック・カン通りを少し見て回る。 どうやらこのエリアは秋葉原のようなところらしい。 結構シッカリしたオーディオ機器なんかが展示されていたけど、一体誰が買うのか? しかし、遠目だとどうしてもオートバイ屋にしか見えん。 ついでにもう少し歩いて見るとまた商店街が…。
ココは食料品のマーケットらしい。 アチコチから妙なニオイが漂ってくる。
こんなところにもバイクがガンガン入って来るんよ。 アブねーな! ココもローカル感満点!
どう見てもこのマーケットと不釣り合いな高層ビルが背後に突っ立っている。
ココは地元の人が買い物をするところなのかな? 客引きがゼンゼンいないのでメンドくさくない。
モノスゴイ騒ぎ! 何かと思ったら小学校だわ。 制服を着ているところを見ると私立なのかな?色がスゴイね。 でも、どこの国でも子供は可愛いわ。
断りを入れて八百屋で写真を撮らせてもらった。
見たことがあるのも、ないのも色々だ。 アーティチョークなんてどうやって使うんだろう? さすがにグルメの国ってこと?
肉屋。 こんなに暑いのにそのまま軒先に吊るしておいて大丈夫なのかしら? そういえば、ホーチミンにいる間、犬と猫を1回も見かけなかったナ。 コレだけ暑いので、毛の生えてる連中は耐えられないのかな?…なんて思ったりもしたが、後で聞いたら、ベトナムには犬料理も猫料理もあるのだそうだ。 これ以上は書きません。
さっきマーケットの背後に見えていたのはコレ。 「ビテクスコ・フィナンシャル・タワー」といって現在のところベトナムで最も高いビルなんだとよ。
さて、約半日苦労してフィン・トゥック・カン通りのカメラ屋でついに手に入れた中国製のカード・リーダーがコレ。 おお~「多功能二代」だぜ! 結局、クタクタに疲れちゃって夜はバタンキュー。 全くコイツを使わなかったとさ…。
<まだまだネタあり>
(2018年3月12~18日 べトナム、ホーチミン市にて撮影)