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2019年6月26日 (水)

三宅庸介 MEETS STUDIOシリーズ <後編>


前回に引き続いての三宅庸介によるSTUDIOシリーズの試奏レポート。
今日はMarshallの代名詞とでも言うべき伝統のモデル、1959をダウンサイズしたSTUDIO VINTAGEのシリーズ。
イヤ~、おもしろかったね~。

Group_sv 

<SV20HとSV212>
まずはSTUDIO CLASSICの時と同じく、ヘッドと2x12"キャビネットのコンビネーションから。

0r4a0104三宅庸介(以下「Y」):あ~~、シゲさん…コレはもうダメです、ダメ
Marshall (以下「M」):ハハハ、ナニナニ…「ダメ」って一体ナンですか?いつも冷静な三宅さんにしては珍しく興奮されていますね!どうですコッチは?
Y:「どうです」って訊かれても、ひと言で…「ダメです」。

(SVによって破壊されてしまった三宅さん恍惚の図 ↓ ↓ ↓ )

0r4a0335(そして、弾きまくり! ↓ ↓ ↓ )

0r4a0336 M:そう来ると思っていましたよ!
Y:ボクにこういうのを弾かせたら絶対にダメです!
欲しい!ホントに欲しい!
(長い間)
で、ナニを言えばいいんですか?
M:へ?インタビューですから…コレについてナニか語って頂かないと…。
Y:………。
M:言うことなし?
(ショックのあまり三宅さんがナニもしゃべろうといないので私からアノ手コノ手で水を向けた)
ところで、折角ご持参頂いたのにさっきからペダル類を全くお使いになる素振りさえお見せになりませんね。
Y:ハイ。例えいつも使っているようなオーバードライブのようなモノをつないだとしても、ナンノ違和感もなくマッチするのはわかりきっていますから。ワザワザつなぐ必要なんてありません。

0r4a0343 M:三宅さんは以前1959もお使いだったワケで…で、このSTUDIO VINTAGEは1959のダウンサイズ版を標榜していますでしょ?
音が似ているとかそういうことではなしに、Marshallのアイコニックなモデルのひとつである1959の魂を受け継いでいるところはどういう点だとお思いになりますか?
Y:手元を下げた時のゲインの上がり下がりだったり、それでトーンが変わって来るサマがそのままだったり…。
今、HIGHの1にインプットしてLOUDNESS1をフルにしています。
リンクはしていませんが、干渉するのでワザとLOUDNESS2もフルにしました。
そうすると少しだけ低域が膨らむ感じになるんです。

0r4a0381 M:1959の場合、使っていない方のチャンネルのボリュームは第2のEQになるとか言われていましたからね。
Y:で、こういうことをホンモノの1959でやったら普通手に負えませんよね?
特に新しい1959なんかですと、パーツも新しいので、元気がありますからピュアに100Wの音が出て来るワケです。
そんな状態で色々なことをコントロールしようとなると、ステージでもレコーディング・スタジオでも…ムリですよね。
人の多いところではまずそんなことできません。
M:ホント…現場によっては大音量に気をつけなければマズイですよね。
Y:でも、コレだとそういうことができてしまうワケです。
ま、音量をこうして上げると、アンプと近距離で弾いているので、弾いていない時には当然ノイズが出て来ますが、ゼンゼン問題にならない。
ホントにコントロールしやすいし、トーンがすごくいい雰囲気で効いてくるんです。
M:「いい雰囲気」?
Y:はい。その辺も割とうまいこと当時のまま…というか…昔のMarshallって、「コレ、ホントにトーンが効いているのか?」なんてことがよくあって、結局EQを全部フルにするのが一番よかったりして。
このSCもそんな感じで、さっきのSCとは違って「トーンで音を作ってください」とかいうほどではない。
イヤ、もちろんEQをイジれば音は変わってきますよ。でも、どこをどうやってもいい音がしています。

0r4a0348 M:なるほど…(しめしめ、大分落ち着いてき来て、だんだん語り出して来たぞ)。
Y:コレはちょっと…ボクのイメージなんですが、音が周波数ごとにミルフィーユみたいになっていて、隙間を感じるんですよね。

Mf M:わかんね~わ!
Y:(笑)層になっているその間に空気感があるというか…そこに色んなモノ、例えば倍音だとかが詰まっている感じなんです。
M:じゃSCの方は?広島風お好み焼きみたいな?コッテコテ?
Y:SCの方はもっと密度が濃いんです。ギッチリ詰まっている感じ。

5_ M:そういう風に言われるとわかるような…わかんないような…。
やっぱりわかりませんな。
Y:SVの方は弾いていても、ピッキングした時にホントにチョット親指に力を入れるだけでミルフィーユの層の中に違う倍音が入ったりとか…そういうことをものすごく認識しながら弾けるから、も~~~メッチャたまらないです!
M:フィードバックする時もいかにも1959ですよね?
Y:そう!音が裏返ってキレイに何度、何度と音程が変わっていく。その裏返る時の感じがもう完全に1959なんです。
M:もともと1959のようなアンプがあったからフィードバックなんて方法が出て来たワケですもんね。
Y:そうなんです。JCM800のフィードバックとはまた違うんです。
M:よくわかります。
Y:も~~~!コレはアカンですよ!(←コレばっかり)

0r4a0377_2 M:スタンバイ・スイッチをLOWにするとどうですか?
(スタンバイ・スイッチをLOWにして弾く)

0r4a0124 Y:あんまり変わらないですね。
M:音の張りが変わって来る。
Y:ウン、そうですね。LOWにした時の方が弾きやすいですよ。
(弾き続ける)
あ~~~!コレはアカンですよ!(←あ!また!)


<SV20HとSV112>
今度はヘッドはそのままに1x12"キャビネットのSV112につないで弾いて頂いた。

0r4a0077 Y:SCの時ほどの違いはない感じで、2x12”から移っても違和感が全くないですね。
アンプのコントロールをイジる必要なない。

0r4a0368 でも、アンプの前で弾いている分には2x12”の方が気持ちいいですね。
でもさっきのSCと同じでレコーディングの時は1x12”の方がマイキングはしやすそうですね。

<SV20C>
そして、最後にコンボのSV20C。

0r4a0001Y:当たり前ですけど、コレはスタックとの違いが出ますね。
さっきSCの時にアンプの形式よりもスピーカーの数の違いを意識すると言いましたが、こっちはキャビネットにスピーカーだけが入っているモノとアンプのシャシとスピーカーが一緒に入っているモノとの違いを割りとハッキリ意識させられます。
このSVのコンボは明らかに「コンボ感」が出ています。
M:確かに…。
Y:そういえば、1959のコンボって馴染みがありませんよね。
M:2159。2159って日本には入って来なかったのか、ホントに少数しか輸入されなかったのか…。確かMarshallの本社のミュージアムで見たことがあったと思いますが、日本では見たことはありません。。
Y:1987のコンボはありましたよね?
M:はい、2187ね。大分前に私がMarshallに提案して日本限定50台で作ってもらいました。
「19-」アタマがヘッド、「21-」アタマがコンボの型番だったんです。

0r4a0397 Y:なるほど。で、最初は何となく聴き馴染みのないサウンドという感じがしました。
でも、弾いているうちにキャビネットの一番共振するポイントに合わせてベースを下げたり、プレゼンスやトレブルを上げて調節することで違和感はなくなりましたね。
そもそも、「いい音」って大抵そうなんですけど、弾いているウチに自分の方が慣れないとダメなことが多いんですよね。
M:自分を慣らす?
Y:誰でもこういうことはあると思うんですけど、パッとギターをプラグインして音を出してみて、気に入らないとか、抵抗があったりする…こういうのは「気に入らない」というより、そのアンプを鳴らせていないということだと思うんです。
だから自分の方が変わるべき…ということがあるのではないでしょうか?
M:なるほどね~。そういうギタリストばかりだとラクだな。でも、昔はそういう感じでしたよね。
Y:で、SV20Cはコンボ独特のスクエアに低域が全部出きってしまっているイメージがあります。
スタックだと低域の角がチョット丸かったりするんですね。ボクはそっちの方がコントロールしやすい感じがします。
コンボの音ってチョット「台形」っぽくて…。

5__2 M:今度は算数ですか!
Y:(笑)コンボはローが「面」で鳴っている感じなんです。
それとまずはやっぱり床に置いて鳴らすべきですよね。
鳴らしていないキャビの上なんかに置くとダメです。それも共振して鳴ってしまう。音を出しているのならともかく、鳴っていないのはマズイ。
M:大地にシッカリ足を付けておけ!ということですな?
Y:人と一緒ですよ!
M:ゴメンなさい!

0r4a0395 Y:コレもやっぱりレコーディングの時は、実際に鳴っている音をマイクで拾った音との共通点を探しやすいと思いますよ。
M:やっぱり。
三宅さんはASTORIAの時、最後までスタンダードな黒いMarshall伝統のデザインにこだわった方のウチのお1人ですが、このシリーズのルックスについてはいかがですか?
ま、おっしゃりたいことはないと思いますが…?
Y:ないですよ。
M:出て来る音や細かいデザインは別にして、Marshallってサイズそのものがすごくいいと思いませんか?
何と言うか、それぞれ大きすぎることもなく、小さすぎることもなく…。
Y:すべてが絶妙ですよね。
M:偶然ですけどね。
Y:マジックには偶然が必要ですからね。
M:でも偶然が起きるでろうことをそれまで積み重ねているんですって。
Y:必然なんですね。
そうそう!ひとつ「オオ!」と思ったのは、SV212のハンドルはメタルなんですね?
M:そうそう。さすが!

0r4a0157 Y:しかし、シゲさん…コレはダメですよ!(←最後もコレ!)

0r4a0440こうして新商品が発表されるたびに三宅さんに試奏して頂くようになってからどれぐらい経つかナァ?
Vintage Modernの時ぐらいからか?
Marshall弾きとして、長い間に色々なご経験を積んで来られた方だけあって、良い点についても、劣る点についても、都度色々と適切なご意見を聞かせてくれるのがとても面白いし、勉強になる。
従来型のMarshallに与する伝統支持派で、どちらかといえば辛口なわけ。
しかし、今回はいつもと様子が違ったね。
こんなにトロけてしまった三宅さんを見たのは初めてのことだった。ASTORIAの時も結構トロけさせたつもりだったけど、アレは三宅さんに対してはルックスがマイナスした。
今回は、何と言うか…何度挑戦しても絶対に勝てない相手との対局で「負けました」と言わせたような…。
実際には将棋を指す趣味が私にはないので、この例えはふさわしくないかもしれないが、タイトルをもぎ取った時の棋士の気持ちはこんな感じなのではなかろうか?
ま、別に三宅さんと「Marshall勝負」をしているワケではないんだけどね。
やっぱり自分の音で自分だけの音楽を作っているようなアーティストから「欲しい!」なんて言われればそりゃうれしいもんです。
また、文中で太字でフォントを大きくした演出で三宅さんの興奮具合が少しでも伝わるといいんだけどナ。
とにかくこういう時は、この仕事をしていて本当にヨカッタ!と思える瞬間のひとつなのだ。
実は、今日のSTUDIO VINTAGEはゼ~ッタイに三宅さんがハマるという自信があったの。
だからワザとさきにJCM800系のSTUDIO CLASSICを先に試してもらった…というチョットした作戦があったのです。
さて、今回の2編をお読み頂いてSTUDIOシリーズにご興味を持った方は是非楽器店に足を運んでお試しになってみてください。
もし、ミルフィーユや広島風お好み焼きのお味がお気に召さない場合のご意見は三宅さんにお願いします!

50 

200 
(一部敬称略 2019年4月都内某スタジオにて撮影)

2019年6月25日 (火)

三宅庸介 MEETS STUDIOシリーズ <前編>


今年の1月のNAMMショウで発表したSTUDIOシリーズ。
おかげさまで世界的大ヒットになったようです。

50…というのも、先週のアタマまでMarshallの工場に行っていたんだけど、工場のラインで流れているのはSTUDIOシリーズばっか!

0r4a0044_2コレは最終工程のベルトコンベア。
真ん中は違うけど、向かって左のキャビネットと右側から流れ出て来るのは全部STUDIOシリーズ。

0r4a0046_2出て来る、出て来る…うれしいなったら、うれしいな!
ナニがそんなにうれしいのかというと、世の中まだそんなに捨てたもんじゃないと思ってサ。
時代が時代ゆえ、デジタル・テクノロジーを駆使したターミネーターのような「機械」も仕方ないけど、チャンと真空管を使ってギターの音を美しく増幅させる「楽器」としてのアンプがまだまだ愛でられていることがうれしいのです。

0r4a0045_2ということで、Marshall BlogはまだまだSTUDIOシリーズの魅力を皆さんにお伝えしようと思っているのです。
そこで今日はMarshall Blogでは相当おなじみ、Strange, Beautiful and Loudの三宅庸介にSTUDIOシリーズからまずはSTUDIO CLASSIC各種をお試し頂いたレポートをお届けする。
今日の<前編>はCLASSIC、次回の<後編>はVINTAGEで構成するよ。
しかし…この動画全盛の時代に写真と文章だけで商品の魅力をお伝えしようなんて、いい度胸してるでしょ?
ダメよ、人間少しぐらい字を読まないとバカになっちゃうぞ!…といいつつ、ビデオも●●●●してますのでよろしく。
とにかく今日と次回のところは、Marshallとストラトキャスターを食んで生きているようなギタリストの含蓄に富んだコメントを楽しんで頂きたい。

Group_sc_2ではまずコレから…
 
<SC20HとSC212>

0r4a0249_2Marshall(以下「M」):三宅さん、いかがでしたか?
三宅(以下:「Y」):ビックリしました。メッチャいいですね~…ホンマに。
新品って何でもそうですけど、「こなれていない」っていうのがありますよね。ギター・アンプで言えばスピーカーのコーン紙が硬いとか…。
コレはそういうことを感じさせませんね。
同じJCM800でも80年代後半の「ハイ・ゲイン戦争」時代のJCM800ではなくて、Marshall本来のクリアな部分が残っているJCM800という感じ。
ものすごく状態の良いJCM800を「今やっと弾けた!」というイメージです。

0r4a0218_2 M:現在手に入る材料でオリジナルのJCM800を作ってしまったみたいな…?
Y:そうです、そうです。ラインナップを見てもう少しモダンな感じだと思っていたんですけど、違いましたね…コレはうれしいですよ!
JCM800ってこういう音だったですもんね。

0r4a0270_2M:よくわかります。ボリュームを下げた時のクリーンの美しさがまたすごくいい。
Y:4とか7とかフルとか、自分でアンプを試す時のプリアンプのゲインの設定があるんですが、6~8の間にサウンドが激変するゾーンがあるんですね。
その辺りの境目で気に入ったサウンドを見つけるのがいいと思いました。
0r4a0240_2M:ギターのボリュームとの兼ね合いは?
Y:手元のボリュームを下げただけでホントに…多分ヨダレが出ていたと思うんですけど…。
M:いえ、でも三宅さん、弾いてて思わずバッと立ち上がっちゃいましたもんね!
マスター・ボリュームの設定も色々とお試しになられていましたが、やっぱりフルだと粗すぎますね。
Y:はい。音量が変わるだけでなく、そうなると音質が変わってしまいますからね。ボクは4ぐらいがすごくいいと思いました。
M:4でも音量的には十分ですよね?
Y:ゼンゼン大丈夫ですね。バンドの中で使っても、dBという観点からすれば全く問題ない鳴り方をしていると思います。
ゲイン感とか、身が詰まったコンプがかった強い歪が欲しい…ということであればマスターを6ぐらいにするといいかも知れません。
M:なるほど…。

0r4a0210Y:今日ボクはコントロールをすべて「0」にしてから始めました。いいアンプって、アンプにインプットして、音が決まるまでの時間って早いんですよ。
さっきからズッとシゲさんは見てくれていましたけど、今日は音を決める時間がメッチャ短かったでしょ?
M:現場で音を作る時、三宅さんはいつもそんなに時間をかけていない印象がありますけど、確かに今日は早かった。
Y:大体のところをキメてしまうと、後はチョコチョコ触ってもそんなに印象は変わらない。
M:それでも何かEQでの音作りに関して何かありませんか?
Y:いつもの自分のデフォルトのカーブのままですイケましたね。ベースが4で、ミドルが7、トレブルが2.5~3の間。
M:プレゼンスが2ぐらい?
Y:ボクにしては珍しくプレゼンスを上げています。ちょっと上げてやった方が、手元を下げた時の「ベル感」みたいなモノがチャンと残るし、ピッキングの音の一番早いところが先に出て来る感じがするんですね。
もう少し上げても大丈夫だと思います。
0r4a0262_2M:パワー・スイッチをLOWにした時はいかがでした?
Y:「LOW」という言葉があんまり好きじゃないんです…ボクは要らないかな?でもそんなに変化なかったですよね?

0r4a0258_2M:ガクンと音が小さくなるのではなく、サウンドが小ぢんまりする感じでしたね。
Y:そう。家でレコーディングする時にマイクを立てた場合にどうか…っていう感じですよね。
M:三宅さんがコレを宅録で使うとなるとどういう手法を採ります?
Y:ボクは近代的な手法のレコーディングをほとんどやらないし、否定派でいたいんですね。例えやったにしても結果があまり好きでないんですね。
だからアンプの設定を「LOW」にして、最良の音質のまま家で出せる限界の音量にセットして、あとはマイクの音量を調節して、実際に聴こえている音と同じ音で録音できるように注意深く設定する…ということになりますね。
M:完全に従来方式ですね?
Y:そうです。
ま、家で録音する時には2x12”である必要はありませんけどね。
M:そうそう、SC212はいかがでした?Aキャビネットをタテに半分にした格好ですよね。

0r4a0253_3Y:ボクの場合はアングルが付いているとかストレートであるとかよりも、ズッとスタックを使って来たので、そういう意味では何の違和感は何もなかったです。
やっぱりひとつの筐体にシャシとスピーカーと入れたモノとセパレートしているモノとではゼンゼン違いますからね。
その点、ひとつのスタックとしてとても気持ちよく弾けました。
 

<SC20HとSC112>
ヘッドのSC20HはそのままにキャビネットをSC112につないで弾いて頂いた。

0r4a0217_2Y:ボクはキャビネットの大きさ云々より、搭載されているスピーカーの数の方が弾いていて大きな違いを感じるんですね。
レコーディングの時も、一番いいポイント、すなわち聴いている音と同じ音がマイクで拾えるところを狙うということが重要で、その場合スピーカーが1発の方がやりやすいんですね。
だから制作の面から考えるとスピーカー1発の方が向いているかも知れませんね。
2発の方はそれぞれのスピーカーのコーンの動きが完全に一致しないハズなので、チョットしたそのズレが弾いて気持ちのいい部分であったりするワケです。
それが2発入りとか4発入りとかの特長だと思うんです。

0r4a0281_2M:いつか1936の内部スピーカー・ケーブルの長さを変えているという話を思い出します。
Y:そうです。あの効果ですね。
1発の場合は当然そういうことがないのでストレートに鳴っている感覚が強いですよね。
それで、コンボと違ってスピーカーだけが筐体に入っているワケですから、ボクなんかはレコーディングの時などとても音作りがしやすいと思います。
ちゃんとローも出てますし、SC112のトーンのバランスは最高だと思いました。
 

<SC20C

最初、撮影時のルックスを考慮してコンボをSC112に上に乗せていたが、三宅さんはホンノ少し弾いて「コレではダメです」と言って、SC20Cを床に降ろした。
0r4a0179_2M:今度はコンボ…。
Y:思ったより違和感がないですね。セッティングは少しベースを下げて、ハコの振動を抑えるといいんじゃないかな…。
スタックと違って、割と床の材質とかの影響を受けやすいので、ボクがコンボを使う場合はジュータンを用意してアンプの下に敷きます。
そうするとスタジオでもライブ会場でも同じ状態で使うことができる感じがします。
でも…こうして弾いてみると、ナンカあんまりさっきのスタックと変わらない感じがしますよ。

0r4a0294_2M:ウン…何かね~。おかしいな、もっとコンボ感があったつもりだったんですけど…。三宅さんが弾くとそうでもないな…というか、三宅さんの音になっちゃった。
Y:このシリーズが発表になって、海外のデモの動画を色々とチェックしたんですが、それを見る限り、ワッテージも小さいし、コンボが一番トーンのバランスがいいな…と思っていたんですけど…

0r4a0301_3M:けど…ナニ?
Y:…けど、スタックを先に弾かせて頂いて、もう最高だったし、コンボもそのままの流れですね。
さっき言いましたように、ボクの場合はスタックかコンボか…というより、「スピーカーの数」なんですね。SC212のようにスピーカーが2台入っているものはお互いに持ちつ持たれつ、「夫婦」のように鳴っているワケです。
その点、キャビネットにしてもコンボにしてもスピーカーが1台の場合は全部ひとつでこなさなければいけない。

0r4a0313_2M:スピーカーの単身赴任ですね?
Y:(笑)そう。だから負担が大きい。その分鳴り方がハデになると思うので、出過ぎないようにトーンを抑えてやる必要があると思うんです。少しだけベースを下げたりとか…。
ゲイン感とかボリューム感は同じセッティングならばあまり変わらない。聴いている耳の位置や距離の違いぐらいですね。
M:それとインプットの「LOW」の話を…。

0r4a0321_2Y:LOWにつなぐと、すごくクリーンな感じですよね。
ボクは普段「LOW」のインプットにケーブルをさすことはまずないんですが…コレ、いいですね。
たとえば…レコーディングの時にHIGHのインプットで完璧に音を作っておいて、クリーンっぽいサウンドが必要な時に、そのままLOWにインプットしてやるなんていう使い方もいいかも知れない。
いわゆるトランジスタのライン的なクリーンではなくて、真空管を通して作った、まさに「Marshallのクリーン」ですよ。
近代的なアンプの「クリーン・チャンネルです」というのとは全く違うクリーン・サウンド。
M:コレにスタンバイ・スイッチの方をLOWにするとどうなります。
Y:(弾く)…あんまり。やっぱり変わりませんね。
でもすごく太くていいですよ。ゲインを下げるとエレアコまでイケるんじゃないですか?
何だかLOWインプットに新しい可能性を見出した感じですよ!

0r4a0328_2本当に気持ちよさそうに弾く三宅さんなのであった!

<後編>につづく

200 
(一部敬称略 2019年4月都内某スタジオにて撮影)

2019年4月19日 (金)

Marshallの造形美を愉しむ~STUDIOレンジ写真集

 

おかげさまでサウンドもルックスも大好評のSTUDIOシリーズ。
今日はですね、事務所で写真を撮ってみたので、そのSTUDIOシリーズからVINTAGEとCLASSICを取り上げてMarshallの造形美をジックリ味わってみようかという企画。
要するにSTUDIOシリーズ写真集。
「写真集」なんて初めてじゃない?
イヤ、毎回ヘタな文章を組み合わせた写真集みたいなものか?
今日は「写真集」なので、機能がどうだとか、音がどうとか…ということは書かないつもり。
あ、ひとつ…今日のタイトルのこと。
我々は何かの一連のカタマリをよく「シリーズ」って呼ぶでしょ?もちろん間違えではないんだけど、英語圏の人って同じ意味ではこの言葉をあんまり使わない気がするんだよね。
見ていると、我々が言う「シリーズ」のことを英語圏の人は「range(レンジ)」って呼んでる。
「連なり(series)」より「幅(range)」ということなのかしらん?
今日はこの言葉で統一してみるね。

10まずはVINTAGEレンジから。
1×12"コンボのSV20C。

20スモール・ゴールド・ロゴと美しいソルト&ペッパー・フレットを味わう。

30ゴールドのパイピングとビーディング、レヴァント・カバリングはビンテージの証。

40このプレキシ・グラス仕様のコントロール・パネルのツラ構えがまたいい。

50SVシリーズは4インプットということもあって1959の20Wバージョンという風に理解している人も多いようだけど、それは違う。
何回も書いている通り、1959というモデルは「100W、4インプット、マスターボリュームなし」…というのが厳然たる定義。
出力が20Wとなった途端、それは1959ではなくなる。
だから「1959タイプ」っていうことね。

60下から見上げたリア・パネル。

80次はSVレンジの1×12"エクステンション・キャビネットのSV112。
まず、フルフェイスのソルト&ペッパー・フレットが目を惹くよね~。
Marshallのフルフェイス・キャビネットって間違いなくカッコいい。

90エクステンション・キャビネットの天端はハンドルのみののっぺらぼう。
でもこの2本のゴールド・ビーディングがデザインを引き締めているね。

0r4a0061リアの様子。

100スピーカーはレンジ共通のCelestion製12"、70W…Celestion V。

110SV20CをSV112の上に乗せてみるとこういう感じになる。
この場合、アンプもキャビネットもインピーダンスが16Ωなので、2x16Ωというスピーカー・アウトプットに結線してやれば上下両方とも鳴らすことができる。
120v次に2×12"キャビネットのSV212。

130vリアの様子。

140vインプット・ジャックはもちろんビンテージ・タイプ。

150タテ長キャビ、いいよね。

160v_2 SV212にはメタル・ハンドルが採用されている。

170vキャビネットをひっくり返すとホラ…。

180別売りのキャスターを取り付けることができるようになっているのだ。

190SV20CをSV212に乗せる。
この場合、インピーダンス・マッチングが取れないので3つのスピーカーを全部同時に鳴らすことは不可能。
SV20CでSV212を鳴らすということになる。

245v続いてヘッドのSV20H。

200_2パッと見ると大きさからして2061Xみたいじゃんね。

225ところがドッコイ、同じ20Wでもこっちは4インプット。「1959タイプ」だから。
LOUDNESSという表示もうれしいね。

220ピン・スイッチとスクエア・パイロットランプもうれしい。

219ゴールド・メッシュをあしらったリア全体の様子は1959ゆずりだが、パネルは黒でその使い勝手も近代風。
1959が誕生した1965年には「センド&リターン」も「DI OUT」もなかったからね。230SV20HをSV212の上に乗っけてみる。

240v同じくSV112の上に乗せるとこういう雰囲気。

250v…と、ココまで来るとやってみたくなるのは三段積み。
SV20HとSV112とSV212を積み上げるとこうなった。
でも、これもインピーダンス・マッチングが取れないのでどちらかのキャビネット1台しか鳴らすことはできないのであしからず。

260v続いてCLASSIC。
同じようにコンボから。
コチラは1x12"のSC20C。

2701981年に発表されたJCM800レンジには2204のコンボ・バージョンの4010や2205の4210等の1×12"コンボがラインナップされていたが、やっぱり雰囲気はゼンゼン違うね。

280JCM800だからロッカー・スイッチ。
今のパーツは表面が曲線になっているけど、昔はカクッとしていた。

290この忠実に再現されたフォントがいいんだよね。

300リアのようす。
昨日はSVレンジと同じ。

310SCの1x12"エクステンション・キャビネットはSC112。

330コチラはエレファント・グレインのカバリング。

340リアの様子。

350インプット・ジャックは円錐形のタイプ。

360スピーカーはSVと同じCelestion製12"、70W…Celestion V。

370またSC20CとSC112を組み合わせてみると、こんな感じ。

380vSCの2x12"スピーカー・キャビネットはSC212。

390_2リアはこんな感じ。

400_2こちらのハンドルは1960と同じプラスティック製だ。
もちろんSV212同様に別売りのキャスターを取り付けることができる。

410vまたSC20CをSC212の上に乗せてみる。
何か上下で「他人同士」っていう感じがしないでもないな。
この場合もSCの時と同じく、インピーダンス・マッチングが取れないので3つのスピーカーを全部同時に鳴らすことは不可能。
SC20CでSC212を鳴らす、ということになる。

D_0r4a3100ヘッドはSC20H。
2203タイプ。
同じように言っておくと、2203の定義は「100W、2インプット、マスター・ボリューム付き」ね。
だからこれは「2203タイプ」ということになる。

4202203に見慣れていると、チョット窮屈な感じがしないでもないけど、この雰囲気はやっぱりステキ。

425パイピングを太い白にしたのも大正解だった。

4301981年にJCM800レンジが発表された時、この両側にまで延びたフロント・パネルのデザインは大きな反響を呼んだらしい。
大学生だった1981年当時、私は70年代製のJMPの1959と1960AXを持っていたけど、世間がそうなっていたことは知らなかったな。
私には「100Wか50W」、「三段積みか二段積」の別しかなかった。
それは今ではこんなことをしているんだから人生どうなるかわからない。

440リアの様子。

450SVと同じね。

460SV20HをSV212に乗せる。

470vSV112に乗せるとこう。
どうなの?
私の印象というか、好みというか、ヘッドと1x12"の組み合わせはSCの方がスキッとしていて、2x12"の場合はSVの方がビシっとキマっているような感じがするな。
きっとフレット・クロスの色の影響なんでしょう。
それと112キャビネットの縁の厚みだ!

D_0r4a3093こっちも三段にしてみると、こんな感じ。
この場合もSV同様、インピーダンス・マッチングが取れないのでどちらかのキャビネット1台しか鳴らすことはできないのであしからず。

0r4a0288いかがでしたでしょうか、黒と白と金のMarshallの世界。
やっぱり最高にカッコいいね。
いまだにストラトキャスターやレスポールが揺るぎないギターの王者の地位を確保している一方、ボタンひとつでどんなことでもできて、メンテもラクラク、そしてどんな音も出してしまうデジタル機材の登場でギター・アンプの世界はずいぶん様子が変わってしまった。
音の良し悪しについては、百歩譲って好みと用途で意見が分かれるところだと思うけど、機材のルックスのカッコよさが忘れられようとしているのではないか?大きな危惧があるんだよね。
今ではホンモノのMarshall三段積みを見たことがない若いミュージシャンがいるんだから。
でもね、デジタル・アンプに音のモノマネはできたとしても、そしてどんなに便利で手軽であろうとも、Marshallのようなルックスのカッコよさだけはマネできないでしょう。
え?外側だけ貸してくれって?ダメよ、ダメダメ!
どうしてこの黒と白と金で出来た箱がこれほどまでにカッコいいのか…。
コレは音楽を作り出した箱なのだ。
だからカッコいいのだ。
目覚めよ真のギタリストたち!
STUDIOレンジ好評発売中。
それにしても、Marshallをキチっと撮影するのは実にムズカシイ。

500

200_3

2019年2月 2日 (土)

レコードだ!CDだ!やっぱりモノだよ、モノ!


今日のタイトルにある「モノ」はステレオとかモノラルとかの「モノ」ではなくて、「物」ということね。
昨秋に導入したSpotifyが「便利」だの、「ラク」だの言ってきたけど、その感想に変わりはない。
でも、やっぱりダメだね。
最初はヨカッタんだけど、私のような古い人間には「音楽」を聴いているような感じが段々しなくなってきて、ナント言うか…ウ~ン、一種の「事務機器」に接しているみたいな感じ?
「アレを聴いてみようか?」とか、「コレはどうなんだろう?」と未知の音源に興味を持ってアクセスしていたのは初めのウチだけで、今現在、音楽的な活用法といえば何のことはない、昔から愛聴しているレコードやCDを引っ張り出すのが面倒だからSpotifyを使って聴いている…みたいな?
イヤ、「引っ張り出す」より「片づけなくていい」の方がありがたいかな。
未経験のアルバムを聴いた時にしても、チョット聴いて波長が合わないと「あ、ダメだコリャ…」ともう1分も経たないうちに打ち切っちゃう。
昔はサ、大枚2,500円も払って買ったレコードでコレは絶対にできなかったよね。
ウチのレコード棚には1回しか聴いたことのないアイテムが山ほどあるけど、1分聴いて止めた…なんてのはさすがに1枚もない。
中学生の頃は、不幸にして好みではなさそうなレコードにブチ当たった時でも好きになるまで意地で聴いたもんだったし。
とにかくタダ同然の音楽って頭に入って来てくれないんだよね。
何かインターネットで調べごとをする時に似ている。
ウェブサイトで何か調べるのはものすごく便利なんだけど、すぐ忘れちゃう。
反対に本を読んで、付箋を貼って得た知識の方がはるかに頭に残る。
ま、この年なので1回でナニかを覚えることが若い頃に比べで難しくなってしまったけど、本からの知識の方がどこか有機的で価値のあるように感じる…そりゃ本を買っているからね。
やっぱり音楽と同じだ。
でもコレも年寄りの古い感覚なんだろうね。
では、若い人はどうか…。
実際に尋ねてみた。
CD等の音楽商品を買ったり集めたりすることに魅力を感じない世代の子だ。
「ストリーミングやってるでしょ?」
「はい、音楽はストリーミングで聴いています」
「フフフン、オジさんも最近そうしているんだよ。でもさ、もし自分の聴きたいヤツがストリーミングで見つからなかったどうするの?お金を出してCDを買うの?」
「いいえ、CDは買いません。もしストリーミングで聴けなかったら、もう聴きません」
「え…」
このことである。
素人&年寄り考えで、タダ聴けちゃうそういうシステムにどうして手塩にかけた自分の大切な音楽をタダ同然で公開しちゃうのか不思議に思っていたけど、こういうことなのね。
そういう媒体に顔を出しておかないと、一生誰の耳にも止まらない可能性が高いんですよ。
とどのつまりはほぼ音楽でお金で取れない…ということじゃんね。
「オッサン、今頃ナニ言ってんだ?」と呆れられそうだけど、コレも実際にSpotifyを導入しなかったら最後まで理解できないことだったよ。
だって音楽ってそういうもんじゃないもん。
でもひとつ…Spotifyのカタを持つワケではないけど、こんな仕事をしていると「チョコっと聴いて調べたい音源」が必要な時なんかには途轍もなく便利だね。
コレには助かっています。
あ、更にもうひとつ。
数か月前に知り合った若いバンドさん。
ビデオの撮影でMarshallやEDENを使ってもらったんだけど、彼らビデオを作ってもCDを作らないのよ。
「それで大丈夫なの?ミュージシャンなのにCDなくていいの?」と訊くと、こういう答えが返ってきた。
「あ、いいんス。あの、いきなりCDを作っても1枚も売れないんッスよ。それよりビデオを作ってまずYouTubeにアップするんスよ。
それに引っ掛かってきて、ライブの動員が増えてくればCDを作るかも知れないス」
…だそうです。
世の中、そういうことになっています。
皮肉なもんでしてね、ロックが一般的になればなるほど、ロックで喰うのが難しくなる…という。
 
もうだいぶ前のことだけど、アメリカ人と話をしていて、「Physical Products」という言葉を初めて耳にした時はかなりショックだった。
寝ても覚めてもレコードだった青春時代を過ごした私には、その言葉が「悪魔の呪文」もしくは「この世の終わり」みたいに聞こえたもんだよ。
「やがてレコードやCDがこの世からなくなってしまうのか?」…けどマァ、なるようにしかならないね。
芸術よりも経済活動が優先だから…。
で、なるようにしてなったのが、レコードのリバイバルだっていうんだからこれまたフシギ極まりない。
さらに自分でもフシギに思っているのは、私がコレをあんまり快く思わないんだな。
だってそうでしょ?
1984年、CDが一般化し出した時、みんなどう言ったよ。
「最高の音質」って泣いて喜んで、座りションベンしたでしょうが…失敬。
「あ、そのアルバム持ってるよ。レコードじゃなくて、エヘン!CDで持ってるよ」なんてことを言ってたヤツがたくさんいたハズだ。
そんなヤツをうらやましく思うことなどなく、もちろん私は「レコードの貞操」を守っていたよ。
CDを凍らせるともっと音が良くなるなんて話もあった。
ところが、以前に何度か書いたように当時は転勤族でね、度重なる引っ越しの労苦に耐えかねて3,000枚以上のレコードを売ってCDに買い替えてしまったんだね。
音質に関してはどっちでもヨカッタ。
それから25年ぐらいは経ったか?
今度はレコード・ブームだってよ。ざけんなよ!…となるワケ。
もうね、Spotifyも経験したことだし…何でもいいわ。
とにかく死ぬまでに少しでも多くのいい音楽を聴きたいわ。
 
ハイ、結論!
とにかく、「音楽はモノで持っとけ」ということ。 
例の仏壇屋のキャチコピーこですよ。
「形は心をすすめ、心は形をもとめる」
ついでに言うと「性格は顔に出る。生活は身体に出る」…コレは関係ないか。とあるお寺の掲示板に書いてあった。
今日の話題はその「モノ」。
Marshall RECORDSのモノがしばらく前に届きましてね。
ようやくイジくる時間ができたので紹介させて頂く。

10まずは、BAD TOUCH。
現在Marshall RECORDSと契約しているアーティストはレコードとCDの両方をリリースしている。
収録曲数はレコードもCDも同じ。
あ、あの日本人が「ヴァイナル」っていう呼ぶのはイヤだな~。「レコード」って呼んで欲しいな~。
20コレがレコード・ジャケット。
いいね、デザインが!
コレをデザインしたのはこのバンドのギタリスト、Daniel 'Seeks' Seekings。ヤケに「求める」人だな~。

30裏はこんな感じ。

40そ~ら、「Marshall RECORDS」のロゴ。
70ダスト・ジャケットも付いてる。

60レコードのレーベルはこう。
ああ、いいニオイ。
輸入盤のニオイだよ。
こうして久しぶりに新しいレコードを手にしてみると…やっぱりレコードはいいな~。
考えて見ると、最後にレコードで新譜を買ったのはいつのことだろう?
Frank Zappaであることは間違いない。
そもそもレコードもCDもZappa以外は新品なんてまず買わなかったからね。

80こっちはCD。
デジパック仕様…悪いけど、小さくて頼りない感じがするナァ。
でも中身はいいよ~。
私がいつも言っている、古き良き伝統のハードロックを踏襲しつつ、今の世代のエキスが詰め込まれている感じ。
どうして日本の若いバンドってこういうのが出て来ないんだろう…それはロックのルーツが違うからなんだね。
イギリスの連中はブルース、もしくはブルース/ロック。
我々の国のロックのルーツはグループ・サウンズなんだよ。要するに歌謡曲だ。

90続いてはマーレコでは古株のコーンウェル出身、KING CREATUREの『VOLUME ONE』。
レコードはコレ。
ああ、コレもいいニオイ。
かつてウチの居間はディスクユニオンと同じニオイがするのが自慢だったんだよ。
だから便通がいいのなんのって!

100ク~「SIDE A」!タマらんね。
その下にMarshall RECORDSロゴ。

110コチラはCD。
コレもデジパック仕様。
KING CREATUREはシュレッド・ギターもふんだんに盛り込まれたマーレコの中では最もメタル寄りのバンド。
私あたりでも何の抵抗もなく聴ける。
先日のNAMMで演奏して来たようだ。

120コレはロンドンやベルファストをベースに活動を展開しているギター女子とドラム女子のデュオ・チーム、REWSの『PYRO』。
コレはCD。
REWSもNAMMで演奏して大きな反響を呼んだようだ。今度はニューヨークへお呼ばれだとか…。
いかにも「海外の女子ロック」という感じ。
不思議なんだよナァ。
イギリスは日本ほどガール・バンドが盛んではないんだけど、「英語で歌っている」とかいうことではなしに、女子でもチャンとこうして「イギリス風女子ロック・サウンド」になる。
やっぱり聴いている音楽が日本人と違うということなんだろうね。
そんな典型的な「海外の女子ロック」なんだけど、チョイとヒネった曲作りがとても魅力的だ。

140こっちがLP。
キャ~!カラー・レコード!
うれしいなったら、うれしいなッと!
1曲目のタイトルが「Let it Roll」っていうんだよ。
もちろん我々世代のアレとは違いますのであしからず。

130 REIGNING DAYSもマーレコでは古株だ。
ヘヴィだよ。
典型的な今の人のハード・ロックとでもいいましょうかね。
でも3曲目の「Chemical」という静かめの曲なんかおもしろいな。
短調の曲が多く日本の若いバンドなんかとはやっぱりゼンゼン雰囲気が違うね…Rockだ。

150今の西洋のロックと日本のロックの一番大きな音楽的な違いって、メロディのワザとらしさの違いだと思うんだよね。
こういうところにルーツの違いが出るね。
私なんかには、日本の若いバンドさんは無理してメロディを作り込んでいるように聞こえるんだよね。
そういうのは「歌謡曲」がやっていたことで、少なくとも「ロック」のやることではない。
でもね、奇妙なことにこの傾向が一番顕著に表れているのは、メロディのキャッチーさよりもパワーで押し切るはずのヘヴィメタル・バンドさんたちなんだよね。
あのサビ…一体誰があんな風にしちゃったの?
正直マーレコの中で一番印象が薄い感じだったんだけど、このバンド、一度見てみたいナァ。

1601989年に結成した北アイルランドのオルタネイティブ・ロックバンドのTherapy?のモノ。
アルバムは『CLEAVE』。
何となくHipgnosisを連想させるジャケット?
このアルバムがリリースされて初めて聴いた時、私にとってはちょっとパンキッシュで苦手な印象があったんだけど、聴き直してみると…いいね。

165「cleave」というのは「突き進む」とか「切り裂く」とかいう意味…まさにそんな感じ。
このバンドはドラムスがカッコいいな。

166最後のモノはコレ。
コレもまずジャケットがすこぶるよい。
Press to MECOの『Here's to the Fatigue』。
「fatigue」か…「出る単」に出てくるよね。「疲労」という意味。
このジャケットの絵はバンドのお友達かなんかが描いたらしいんだけど、Zappaの『Grand Wazoo』あたりのCal Schenkelの影響を受けているんじゃないかしら…なんて思ってしまう。
『Chunga's Revenge』の内ジャケにもイメージが似ている感じがする。

180若バンドなので「若い音」がするのは当然なんだけど、このチームはひと味違うな…と、大分前に初めて聴いた時に思った。
日本の若いバンドには絶対に出せないサウンド。
ハードだのヘヴィだの、とかいうことではなくて、メッチャ若い割には音楽が熟しているという感じがする。
そのカギはコーラスの多用と高度な演奏技術。
やっぱりそれなりの音楽を聴いていないとこうはならないワケで…Marshall RECORDSのプロデューサーに訊いてみたら大当たり。
3人ともFrank Zappaの大ファンなのだそうだ。
やっぱりね…「コーラスと高度な演奏技術」はZappaの影響を受けているに違いない。
それにCal Schenkelだって符合する。
でも音楽は『Freak Out』でもなければ『One Size Fits All』でも『Shiel Yerbouti』でも『Jazz from Hell』でもない。
Press to MECOの音楽なのだ。
コチラはCD。

190ガーンと見開くとThe Carpentersの『Now & Then』みたいになってるよ。
コレ、レコードでやればヨカッタのに!

200以上が現在のところのMarshall RECORDSのモノたち。
よろしくね!

今、音楽商材の和洋の売れ行きの比率はもう、9:1なんだって。
まぁ仕方ないよ、時代だから。
聞いた話によると、今の若い人にとっての「ロック」って「恋」の人なんだって?
松山千春じゃないよ!
まぁ仕方ないよ、時代に合わせて言葉の意味が変わることもある。
でも、このまんまの「ありがとロック」や「草食ロック」でいいのかね?
「仕方ない」じゃ済まされないんじゃないの~?
このまま放っておくと、日本のロックってこの後どうなって行くんだろう?
私が生きている間に顕著な変化が見られるかしら?チョット覗いてみたい気もするナ。
今日紹介したバンドは自分のところのバンドとあって正直ヒイキ目な聴き方をしちゃうんだけど、どのチームも、やっぱり「ロックのルーツ感」というものをシッカリ感じるんだよね。
ナント言ってもビートルズの国だからネェ。
そして、コレらのバンドには日本の「草食ロック」にはない、そしてロックには不可欠な強烈な「肉食」を感じるワケです。
そういえば、どなただったか忘れちゃったけど、Marshall Blogで以前から唱えていた、若い人のロックを指す「草食ロック」という言葉をごく自然に使っていた人がいらしてビックリしたよ。
私だけじゃなくて、やっぱり70年代あたりのロックを経験しているとそういう表現がごく自然に浮かぶんですな?
Marshall RECORDSのように我々も少しでいいから「肉食ロック」を取り戻して次の世代に「ロックはかくあるべき」を伝承したいものです。
え、「肉食ロックってどういうの?」かって?
Marshallをガツンとならす音楽のことよ。

10_2 

200

2019年1月 7日 (月)

明けましておめでとうございます

Marshall Blogの読者の皆様におかれましては幸多き新春をお迎えになられましたこととお慶び申し上げます。

Marshall、NATAL、EDEN、並びにMarshall Blogを本年も相変わらずご支援を賜り度くよろしくお願い申し上げます。

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9marshallblognega_3 さて、昨年も何度書いたかわからないけど、やっぱり時の経つのが早すぎますな。
チョット前にMarshall Blogが1,000回目の更新を迎え、常日頃からご登場頂いているアーティストの皆様からの祝辞を交えて記念記事を掲載したばかりだと思っていたんだけどね~。
そうなんです。
今日のこの投稿が1,500本目の記事なのです。
早い~!
実はこの2019年最初の記事がちょうど1,500回目になるように、年末に記事の投稿頻度をチョット調節したんだけどね。
相も変わらず同じようなことを書いて、脱線しまくりのMarshall Blogですが、これからもお引き立てのほど何卒よろしくお願い申し上げます。
 
新年のご挨拶はおわり…。
今日はこの後、エッセイ風に文章だけでお送りします。
ロクなことが書いてありません。
時間の無駄になるので絶対に読まない方がいいでしょう。
 
ココで2018年を、自分の周辺のことでチョット振り返ってみたいと思うのです。
こんなこと旧年中にやるべきことなんだけど、年末はあの紙芝居動画の制作に夢中になってしまって書けなかったのです。
 
ナニからやろうかな?
まず触れるべきは…Spotifyでしょうな?
Marshall Blogで数え切れないほど何度もガミガミ書いて反対して来た音楽配信の類。
Spotifyってのを9月の末にとうとう始めてしまったよ。
「『ダウンロード』と『ストリーミング』は違うゼよ、オッサン」と言われるかも知れないけど、んなことはどうでもよい。
40年以上にわたってレコードやらCDやらに少ない財産と時間をつぎ込んで来たオッサンにとっては「目クソ」と「鼻クソ」ほどの違いもない。
Spotifyを導入したのは、Marshall RECORDSでの仕事でやがて必要になるであろうということがひとつ。
そして、もうひとつは田川ヒロアキ。
彼が出演する9月のチャリティ・イベントにお邪魔した時に「イヤ~、もう時代はストリーミングですよ!」と諭すように口にした彼の言葉が私の背中を強く押した。
日頃はこっちがダマしているので、タマにはヒロアキくんにダマされたと思ってSpotifyに加入してみた。
それでも最初は「チッ、ナンだいこんなの…結局は若者がハヤリの曲を追いかけるだけのツールじゃないの。モノによってはオレのコレクションの方がよっぽどマッシブじゃねーか」などとケチをつけてもみたが、Bluetoothのレシーバーという装置が存在することを知り、早速買って来てステレオに接続して試した瞬間にプカプカと「黒船」がやって来たよ。
ま、それでナニをやっているかというと、CD棚から聴きたいアルバムを探して引っ張り出すのが面倒なので、代わりにSpotifyで聴いている程度のことだったりもするんだけどね。
でもひとつ、私の生活に大きな変化をもたらしたことがあった。
それは「CDを買わなくなったこと」だ。
「CDが欲しくなくなった」と言い換えても差し支えない。
私はジャズのアルバムを中心に、長年にわたって月に20~40枚の中古CDを買う生活を続けて来た。
ところが、行きつけのお店が月1回のバーゲンを止めてしまい、去年の前半からCDをほとんど買わなくなっていたこともあったのだが、Spotifyが完全にそれにトドメを刺したのだ。
もう音楽のジャンルを問わず、楽しみとして聴くCDを欲することがなくなってしまった。
例えばこういうことだ…。
昨日の晩、テレビでラヴェルの「ピアノ協奏曲」を放送していた。
イヤ、コレがまたちょっとジャズがかっていてエラくカッコいい。
以前だったら翌日は中古レコード屋に足を運んでいるところ。
しかし今は違う。
マルタ・アルゲリッチの録音がSpotifyにあったので、それを聴きながらこの原稿を書いているとこと。
CDは要らない。ジャケットもなくても何の不自由もない。
元々そういうモノだもんね、コレは。
だって、Spotifyがあればいつでも聴けるじゃん。もうウォークマンもほとんど使わなくなったし。
私は事務所で仕事をしている間にしか自発的に音楽を聴かないので、ステレオからある程度の音質で聴ければもうコレで十分。
『ホワイト・アルバム』もSpotifyで聴いたよ。
レニーの『Candide』なんかはこの3か月で100回近くは聴いた。
それでもCDは欲しくならなかった。
その結果、2018年に買ったCDの数は、ダントツで「五代目古今亭志ん生」が一番だったわ。
志ん生の音源はSpotifyで検索しても出て来ないから。
私ですらこうだもん…そりゃCDなんか売れなくなるにキマってるわ。
それとね、Spotifyのおかげで「音の調べごと」がすごくラクになった。
Marshall Blogの記事を書いていると、色々と音源を確認しなければならないケースが多いのね。
そういう時に圧倒的に便利なの。
欲を言えば、アルバムの情報が付随していないので、こうなりゃWikipediaにリンクしちゃえばどうかね?どうせタダ同然同士なんだから。
『隠し砦の三悪人』の田所兵衛(たどころひょうえ)ではないが、「裏切りゴメン!」と攘夷はもう諦めるが、それでもミュージシャンの本来の仕事は「音楽を作って、CD(あるいは音の出る何がしかの物体)を発売する」ことだと信ずる佐幕派ではいるつもり。
しかし、我々だって生まれた時からこういうのがあったら「音楽ってタダで聴けるもの」って思うにキマってるわな。
クワバラ、クワバラ。
 
次…「レコード大賞」。
今回は「怖いもの見たさ」でトライしようとしたんだけど、撮影の仕事と重なって結局観ることができなかった。 
大賞が「シンクロニシティ」…おお~Policeか!ま、私は頭脳警察はバッチリだけど、Policeは全く知りませんが。
え?違う?
もうチョット受賞結果を見てみましょう。
最優秀新人賞は「辰巳ゆうと」。どちらさま?…演歌の方だそうです。
優秀作品賞として、「アンビバレント」、「いごっそ魂」、「Wake Me Up」、「サザンカ」、「勝負の花道」、「Teacher Teacher」、「Be Myself」、「Bedtime Story」、「U.S.A.」…。
やっぱり予想通りだったね~!
ウソコケ!
「U.S.A.」を除いてはどの曲も1小節もわからんわ。
「Bedtime Story」なんてHerbie Hancockかと思うわ。
元より私は世の中の流行からかなり距離を置いた人生を送って来ているので、ほとんどコレについて言う資格はないんだけれど、かつてはこんな私でもレコード大賞受賞曲ぐらいは口ずさめるのが普通だったわ。
今、あまりにも普遍性の高い曲、つまり「流行歌」がなさすぎるでしょう?
私が言う「流行歌」というのは、「幼稚園生からオッサンオバサンまでが歌える曲」のことね。
私が子供の頃はそういう曲がいくらでもあった。
だいたい「♪森(とんかつ)、泉(にんにく)、囲(んにゃく)まれ(天丼)」なんて、二次使用作品まで流行したからね。
それじゃいつから世の中の歌がわからなくなったのか?
ウィキペディアで大賞受賞曲をさかのぼってみる。
私が生まれる前、1959年の第1回目の水原弘の「黒い花びら」から始まって、「こんにちは赤ちゃん」から「天使の誘惑」から「また逢う日まで」。
「勝手にしやがれ」から「北の宿から」を経て「ルビーの指環」、「長良川艶歌」、「パラダイス銀河」、「おどるポンポコリン」、「愛は勝つ」、「キミがいるだけで」…今1992年ね。
完璧に歌えないまでも、ココまでは全曲わかった。
次の「無言坂」ってのは知らないな…演歌か?
そして、1994年からアルファベットのタイトルの曲が出始める。
「innocent world」…この辺りから全くわからない。
「Overnight Sensation」…お!「Camarillo Brillo」に「Montana」か?まさかね…。
「Don't Wanna Cry」、「CAN YOU CELBRATE?」、「wanna Be A Dreammaker」、「Winter ,again」、「TSYNAMI(コレは知ってる)」、「Dearest」、「Voyage」、「No way to say」…ココまでで2003年。
ココはどこだ?!公用語は英語か?
イヤチガウ!
先進国で英語力最貧国のウチのひとつがやっていることとは到底思えない。
まぁいい。
ハイ、じゃそこのオジサン、「wanna Be A Dreammaker」歌ってみようか~?
真理ちゃん自転車がなつかしい。
  
次、そのウィキペディア。
Marshall Blogを書く時に多くの場面でお世話になっているのがウィキペディア。
でも日本の事柄を調べる時以外は、まず日本語のウィキペディアをチェックしない。
つまり、海外のことを調べる時にはすべて英語版に当たっている。
だって情報の量が雲泥の差なんだもん。
アレどうして全部翻訳しないんだろう?
まぁ、「作り」の情報も多いといわれているWikipediaだけど、音楽に関することなんかは、ロマンがあっていいんじゃないの?…と私は思っている。
そしてもうひとつ、いつも思っていることがある。
それはね、中国語版のウィキペディアなの。
少しマイナーな海外の事柄や人物に関する記事には日本語版がないことが多いでしょ。
だから結果的に英語版を読まざるを得ないんだけど、そんな記事でもたいてい用意されているのが中国語版なんですよ。
どんなマイナーな記事でもかなり高い確率で「中文」っていう表記が出てる。
端的な見方ではあるけど、「一事が万事」…つまり、中国語を話す人たちに供給されている情報の量は何事も日本人へのそれより圧倒的に多いのではないか?ということ。
こういう所にも国の力の勢いの差を感じて怖くなっちゃうんだよね。
 
次、ガールパワー。
ウチの社長が「日本はゴーバンズが盛んだろ?」って言うので一体何のことかと思ったら「Girl Bands」のことだった。
Marshallの連中も日本のガール・バンドの隆盛には驚きを隠せないようでしてね。
他の国の連中に訊いてみると、コレはどうも日本特有の現象のようだ。
そしたら今、エレキ・ギターを中心としたロック楽器のお客さんというのは9割が女の子だっていうじゃんね。
amazon等の通販の普及により、コワくて行かれなかった楽器屋さんに行かずしてギターをゲットできるようになったことが大きな理由のひとつらしい。
顧客の年齢層が圧倒的に高校生で、学校の軽音楽部のおかげらしい。
Marshallも楽器メーカー…ビジネス的にはとても喜ばしいことなんだけど、「エレキ禁止令」が出た時代を知っている、70年代のロックで育った私なんかにはとても複雑な心境だ。
彼女たちは高校を卒業して、つまり、軽音楽部から離れるともうギターなんかほったらかしになっちゃうらしい。
そんなの当たり前じゃん。
ナゼかというと、「音楽」が先に来ていないからなんだよ。
若いバンドが簡単に解散しちゃうのも同じ。
昔は音楽が好きで、ロックがカッコよくて、どうしようもなくてギターを手にしたもんですよ。
「音楽」はファッションじゃない。
ギターは洋服ではなくて、人を感動させる美しい音楽だったり、時には人に涙を流させる音楽を奏でて楽しむための「道具」だから。
とにかくジャンルを問わず若い人たちに色々な音楽を聴かせてあげるべきだと思うんだけどな~。
Spotifyのようなツールが出て来た割には、聴かれている音楽の幅が昔と比べて極端に狭くなっているように見えるのがとても不思議だ。
 
次、それにちなんでQueen。
どういう風の吹き回しか、「ボヘラ」ブームがスゴイね。
若い人たちも盛んに映画を観に行っているようで、このブームを機に「ロックの先祖返り」を期待している音楽関係者もいるようだけど、残念ながら無理でしょう。
若い人が「感動しました。それにQueenの音楽があんなに素晴らしいものだって知りませんでした」なんて感想を漏らしているテレビのワイドショウのインタビューを見かけるけど、それで終わりでしょう。
あの後に「あの時代の音楽…70年代って言うんですか?その時代のロックをもっともっと聴いてみたいと思います」という発言を期待したいところだけど、そんな若い子は私がテレビを見た限りではひとりもいなかった。
そりゃそうですよ。時代が違うんだもん。
Deep PurpleやLed Zeppelinに夢中になっていた若者とポケモンだのニコニコだのスマホに夢中になっている若者は食べ物も違えば言葉も違う。
もっと言うと気候も違う…コレ、外国人と同じだから。
相容れ合うワケがない。
「イヤ、今の若い人は知らないだけでPuepleやZeppelinを聴かせてあげると必ず『カッコいい!』って言うんだよ」という話を時折耳にするけど、その場ではそう言うし、実際にカッコいいとも思うんだろうけど、家に帰れば全く忘れちゃう。
自分の時代に流布している音楽がいいにキマってる。
私だってプレスリーよりDeep Purpleの方がヨカッタもん。
で、そうしたトラディショナルなロックの将来を考えた時に、ひとつ思い当たった。
若い人たちが60年代や70年代のロックに興味を示さず、この先聴き手(演り手ではない)が全くいなくなってしまったら、その時代のロックはかつての「琵琶語り」や「ドドンパ」のように絶滅するのではないかと考えていたが、そうはならないね。
クラシックやジャズのように、トラディショナルなロックは「古典芸能」として子々孫々細々と生き永らえていくのではないだろうか…ということだ。
そして、そういう歴的な遺産から良質なエキスをうまいこと抽出して時代時代の感性とミックスして、自分たちだけの音楽を作る若いバンドがだけが最後は生き残っていくのではなかろうか…イヤ、それを期待している。
今はまだその前の段階であり、次のジャンプに備えてしゃがんでいるところだと思いたい。
あまりしゃがみ続けて、足がシビれてジャンプできないような気もするが…。

ハイ、ひとりごとは以上で終わり。
あ~、書いた書いた。気が済んだ。
ココまでご高覧頂きまして誠にありがとうございます。
1,501回目からは、以前の通り写真と脱線を交えた内容でお送りします。
まだ詳細は発表できませんが、今年は秋に2回目のMarshall GALAを予定しています。
ゼヒご期待ください。
 
それでは今年もよろしくお願い申し上げます。
 

200 
(一部敬称略)

2018年12月28日 (金)

Marshallの2018年

 
世の中は今日が仕事納めなのかな?
私はまだ明日と明後日、六本木でかなり気合いを入れて臨むお仕事が入っておりましてな、気力満々、張り切っているのでござる。
ところで2018年もアッという間だったけど色んなことがありましたな~。 
さて、Marshall…創業から56年目の年が終わろうしている…って、私も同じ歴史があるんだった。
今年のMarshallはまず「MARSHALL.COM」の元年となって、ウェブサイトのドメイン名も変わり、今までバラバラだったNATALやEDENが「MARSHALL.COM」の名の元に統一された。
豊臣秀吉の心境が今わかったような気がする。 
そして、NAMMで発表したORIGINシリーズがリリースされて、夏ごろになって上陸して来た日本でもおかげさまで大好評だった。
それにビールがありましたな。まだ正式には日本に入って来ていないんだけど…早く飲ませろ!
ORIGINの他にもDSLやMGのリニューアルがあり、Marshallが「LIFESTYLE」と呼んでいるBluetoothスピーカー等もますます好調だった。
そして、本国イギリスではいよいよNATALの認知度も高まり、EDENもTerra Novaシリーズが順調でとても賑やかさが増している。
そんな56年目を振り返ってMarshallがこの1年を振り返り、『Best of 2018』と題したクロニクル・ビデオを制作したのでゼヒご覧くだされ。

今ご覧になって頂いたBGMはMarshall RECORDSアーティストのPress to MECO。
いつかMarshall Blogでも紹介した若いトリオね。LPとCDが届いたので聴いてみたんだけどすごくいい。
さすが若いのに「Frank Zappaが好き!」というだけのことがあるサウンドだ。
今、日本で好きなミュージシャンを訊かれ、Frank Zappaの名前を口にする若いミュージシャンって果たしているのだろうか?やっぱり「ロックの国」の「Rock」だ。
このジャケットもすごくいいよね。

90r4a0691なんでもバンドの友人が制作したとのこと。
イカしたコラージュ具合は、何となくFrank Zappaのジャケット・デザインを担当していたCal Schenkelの作風を思わせる。

90r4a0694そして左上のMarshall RECORDSのロゴ。
そうだ!
Press to MECOだけでなく、REWSやBad Touch、King Creatureらが活動し出してMarshall RECORDSが本格的に軌道に乗り出したのも2018年のMarshallの大きな成果だわ。
いつか日本のバンドもMarshall RECORDSから作品を発表することを期待している。
でも人と同じことをやっていたらいつまで経ってもムリだよ。
連中はそういうところはすごくキビしいから。

90r4a0697そしてMarshallはこんな言葉で2018年を締めくくっている。
 
We've had a busy year in 2018, but we're only just getting started... Stay tuned for more Marshall in 2019.
 
来月のNAMMでは新商品を発表するであろうし、6月1日にはMarshallの地元のMarshall ARENAで『Marshall LIVE』が開催されるし、日本でも来年はMarshall GALAを開催することが決まった。
また2019年もMarshallの2019年は色々とにぎやかになりそうだ。
とにかく早くビール送ってこい!

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2018年7月13日 (金)

私のフランクフルト <vol.2:2007年>

 
2007年。
2003年から毎年通ったFrankfurt Musik Messeもコレで5回目。
その間、パッと見では会場全体に何の変化もなし。
それにしても向こうの人たちの気温に対する感覚ってどうなってるんだろう?見て!…大抵の人はジャケットを着ているけど、半袖のアンちゃんもいるでしょう?
開催は例年通り3月の末だったが、ブルブル震えるような寒さではないものの、さすがに半袖はないと思いますよ。
シベリアあたりから来た人たちなのかな?あ、言っておくけど、「シベリア」は英語では「サイベリア」ですからね。
南の国から来た私は、多分厚手のジャケットを着こんでいたハズ。
ホント向こうの人って面白いよね、人それぞれで。
だからこのMesseでもNAMMでも、あるいはニューヨークでもロンドンでも、行き交う人たちを眺めていても飽きることがない。

10_2前回も触れたが、Frankfurt Musik Messeは、当時世界最大の楽器の展示会だった。
「ロックやジャズ等の軽音楽用楽器の展示会」ということになれば俄然NAMMが強い。
しかし、全体の規模では圧倒的にMesseなのだ。
そのココロは…まず、クラシック用の楽器が展示がスゴイ。
ピアノからヴァイオリンなどの弦楽器、管楽器、クラシック・ギター等々の品揃えがハンパない…じゃない、中途半端ではない。

20_2それにアコーディオンやリコーダー等のヨーロッパでの需要が大きな楽器。
リコーダーなんて日本では小学校の時に「フエ」として接するだけじゃん?
こっちはありとあらゆる大きさのリコーダーがウジャウジャ展示されていて、「まる子ちゃん」じゃあるまいし、そこら中でピーヒャラピーヒャラやってる。
それよりスゴイのがアコーディオン。
コレはいつかも書いたけど、アコーディオンはドイツの国民楽器なのね。
最近は見なくなったけど、飲み屋にいくと大抵壁に貼ってあった、ハイジみたいな恰好をした女の子が大きなジョッキをいくつも手にして微笑んでるポスターね。
ああいうシチュエーションでは必ず、アコーディオンに合わせてみんなで大合唱をするらしい。
そういえば、アコーディオンを使っているかどうかまでは覚えていないが、『シンドラーのリスト』にもそんなシーンがあった。
ドイツ人は合唱が好きなのかもしれない。
同じビール好きでもイギリス人にはこういうイメージが全くないもんね。
下の写真、コレ、つき当りまで全部アコーディオンのブースだよ。
コレだけじゃなくて、こういうのが何列も並んでる。
でもね、どんなに沢山集まっていてもアコーディオンやリコーダーの音ならおとなしくていいよ。
この建物の1階はいつも阿鼻叫喚の騒音地獄だからね。
ナニかというと、ドラムスを中心とした打楽器の展示スペースだ。

30vそれと、NAMMにないMesseの大きな特徴は楽譜の展示だ。
ヨーロッパとアメリカ中からありとあらゆる楽譜屋がやって来る。
もちろんクラシック中心。
楽譜なんてどれも一緒だと思うけど、その品揃えたるや尋常ではない。
ある時、Universal Editionという楽譜屋のブースに入ってみた。
ウィーンの会社なので「ウニヴェルザール・エディティョーン」みたいに読むようだ。
私はコンテンポラリーなクラシック音楽、いわゆる「現代音楽」がすごく好きで、そうした分野の作曲家たちの写真集がないか?とダメ元で訪ねてみたのだ。
こっちはMarshallのTシャツに汚いジーンズ…おおよそクラシックからは程遠く見えるオッサンにも大変ていねいな応対をしてくれた。
「写真集のようなものはありませんネェ…」という答えだったのだが、少し考えて…「ああ!チョット待って!」と控室に姿を消し、下の写真の冊子を手にして戻って来た。
「こんなモノでよろしければ…」とその冊子を渡してくれた。

40_2中を見ると、出てる出てる、バルトーク、ヤナーチェク、コダーイ、レスピーギ、ベリオ、リゲティ、ブーレーズ…。
写真集ではないし、中身はドイツ語でサッパリ読めないけど、どうにも欲しくなった。
「いくらですか?!」とその対応してくれた方に尋ねると、「ハハハ、お金なんて要りませんよ。どうぞご遠慮なくお持ち帰りください」
私も知っている限りの丁寧な英語でお礼を述べて謹んで頂いて日本に持って帰って来た。

50_2このUniversal Editionというのは1901年創業の老舗楽譜屋で、マーラー、シェーンベルク、ヴェ―ベルン、ワイル等々の版権を持っていた。
バルトーク、ヤナーチェク、ベリオ、リゲティも同様で、要するにこの冊子は、この会社が持っている版権に関するただのカタログなのね。
でも、私の宝物のひとつなのだ。
 
この会社のウェブサイトで見つけたカッコいい言葉をふたつ紹介しておきましょう。
まずはグスタフ・マーラー…「もし作曲家が何かを言葉で言い表わさなければならないとしたら、その作曲家が音楽で悩むことなどないでしょう
ん~、言ってみたい。
こちとら口先三寸で勝負だからね。
もうひとつはピエール・ブーレーズ…「始まりも終わりもなく、発見へと導く新しい道にあふれ、永遠に謎の解けない迷宮こそが音楽である
ロックも1975年ぐらいまではこのブーレーズの言葉がピタリと当てはまっていたように思いますな。その後、商売が絡んでロックの迷宮がスッ飛んじゃった。

60_2この年のMarshallのブースは大幅に様変わりをした。
まず、入り口でジムがお客さんを出迎えた。

70_2そして、アーティストを前面に押し出すようにした。

90_2ディスプレイの様式も以前のような平面的なセットではなく、立体的なデザインに変更。
そして、それぞれの商品の島ごとにイメージ・キャラクターの写真が取り付けられた。

110v_2イングヴェイはヴィンテージ・シリーズだったな。

120v_2ケリー・キングのディスプレイも立派だった。

130v_2以前のMarshallのブースのサイン会といえば、ほとんどジム・マーシャル一辺倒だったが、この頃からミュージシャンがカウンターの中に入るようになった。
ケリー・キングのサイン会はいつも長蛇の列だった。
このお客さんを整列させるのがサイン会の時の私の任務。

140実は、ジムがこの前年に心臓疾患で倒れてしまい、Messeに参加することができなかったのだ。
それでミュージシャンたちのサイン会を組み入れたというワケ。
ジムが来れないということもあってブースの入り口にジムの大きなポートレイトが取り付けられたのだ。

150v「早くよくなってね!」

160_2カウンターにはジムへ送るメッセージを記すノートが用意され、たくさんの人がMarshallの創始者への思いを綴った。
私はこのノートで「Get well soon」という表現を覚えた。

2_rimg0219この人なんか、自分が「get well soon」なのに…。

2_rimg0217 珍しくこんな写真。
これが初ケリーだったかな?
この時より以前、日本のテレビ番組にケリーが出演しているのを偶然見た。
番組のインタビューで「立派なタトゥーですね。身体の中でどのタトゥーが一番気に入っていらっしゃるんですか?」と訊かれると、ケリーは「ムゥゥゥ…そうだな…何だな…頭の後の女神だろうな…ムゥゥゥ、でもオレは一度も見たことがねーんだけどな…ムゥゥゥ」と答えていた。
コレが私にはすごくおもしろくて、こんなルックスだけど、案外ケリーってお茶目な人なんだなと思った。
そこで、控室でケリーと2人きりになった時に本人にこの話をしてみた。
「かくかくしかじか…あの話はとても面白かったですよ!」とケリーに伝えると、「ムゥゥゥ…そうか」…以上何も語らず。
お茶目かもしれないが、コワいルックスも手伝ってチョット取っつきにくいかな?
ケリーを良く知る人にこのことを話したところ知ったのは、ケリーってすごくシャイなんだって。
そうは見えないけどな~。
(※「ムゥゥゥ」はあくまでイメージです)

170_2デモ・ルームも一新。

180_2ココでニコ・マクブレインと2人でドラム・キットを組み立てたのは楽しい思い出だ。
こんなんだってヘタすりゃ下北沢の小ぶりなライブハウスぐらいのキャパはあるからね。

190_2ハイ、2007年のMesseも終了。
これから地獄の撤収作業~!
この人たちはイギリスから来てる大工さん。実際、Marshallの連中も「carpenter」って呼んでた。
大工さんったってみんなカッコいいんだよ、英語もベラベラだし。
さすがに毎年顔を合わせていると、大工さんたちともスッカリ仲良くなっちゃってね。みんなどうしてるのかな~。イギリスで大工さんやってるんだろうナァ。

200コレ、今やっているのはツライ撤収作業を始める前のルーティンなの。
日本とは反対で、作業の前にカンパイしちゃうの。
ま、「乾杯」というよりは「景気づけ」だろうね。
いつもはウィスキーを一杯グイっとやるんだけど、この年はケリーが愛飲しているというスウェーデンかどこかのやたらとアルコール度の高い強い酒だった。
妖しい緑色をしたビンの中身はどう考えても毒薬が入っているようにしか見えなかったが、飲んでみると、グェッ!…マズイ。
みんなも「何じゃ、こりゃ?」と顔をしかめつつ紙コップを傾ていた。

210前回紹介した地元の通訳のステファニー。
あれ以降、Marshallの指名により毎年Marshallのブースに就くことになったのだ。
いつもは撤収の時には帰っていなくなってしまうのだが、この年は名残惜しかったのかココまで付き合ってくれた。
この人はいつ会っても本当に快活で、感じがよくて、素敵な人だった。
チョコっとしたドイツ語をずいぶん教わったけど全部忘れちゃった。

220作業終了。
残っているMarshallは予めドイツ・マーケット用にイギリスから持って来たモノだから片付ける必要なし。コレが多いとゴキゲンなのさ!
壁に掛かっているMarshallはヘタに取り扱うと危険なのですべて大工さんが担当する。

230_2この年は帰りの飛行機の時間まで余裕があったのかな?
意を決して昼間に市中を見て歩くことにした。

370_2まずはフランクフルト中央駅。
「中央」といっても街の真ん中にあるワケではないそうだ。
ドイツ語で「Frankfurt Hauprbhanhof」ということは前回書いたが、「Haupt-」というのは「主要な」という意味。
ドイツのは115もの中央駅があるんだって!どれだけ中央なのよ~?

380駅前のサッカーのオブジェ。というか宣伝塔か?
今回のワールドカップのドイツは散々だったね。

385ヨーロッパのターミナル駅ってステキなんだよね~…と言ってもロンドンしか知らないけど。
ドイツ国内で最も乗降客数の多い駅であるだけでなく、ヨーロッパ最大級のターミナル駅なんだって。
1日の乗降客数は35万人。
それがどれぐらいかと思って調べてみると…お!新宿が36万人だって。次いで池袋で27万人。関西で言うと梅田が24万人。
エエ~!新宿や梅田より全然ユッタリしてるぞ~!一体なんなんだよこの違いは!
ちなみに下の写真は朝撮ったもので、ラッシュアワーの直前ぐらいかな?
ココもやっぱり改札がない。

390_2構内には軽食屋の他、色んなお店が並んでいる。
やっぱこうして見るとかなり大きいね。

400_2何回かお世話になった構内のマクドナルド。
この頃はまだ食べてた。
こんな箱に入って出て来る。
今は全くこういうモノを食べなくなった。もう何年食べてないかな~?
止めて最初の頃は時々食べたくなったけど、今はゼンゼンへっちゃら。

410_2ドイツのカップヌードル。
「カップ・ヌードルン」…でもコレはおかしい。ドイツ語で「cup」は「Tasse」のハズ。
麺類だけに英語とドイツ語のチャンポンになってる?
ドイツ人の友達が言っていたけど、ドイツ人でも若い人たちは英語の表記に憧れるんだって。同じアルファベットなのにね~。
そんなことやめなさい。自分の国の言葉を大切にしなさい。

420_2みんなと一緒に夕飯に行ったりするのが面倒な時は自室でディナー。
中央駅の地下にある店で惣菜を買って来る。
ハンバーグ、シュニッツェル、ウィンナー。これをビールで流し込めばディナー完了。
ところがコレがスゴイのだ!
何がスゴイって殺人的にしょっぱいのだ!
イヤイヤ、冗談じゃなくて、舌がシビれてくるぐらいしょっぱい。
私は辛いモノは大スキだけど、しょっぱいのはダメ。ウィンナーはまだいいんだけど、他の2つはとてもじゃないけど半分も食べられなかった。

430_2話を戻して…中央駅を背に駅前のメインストリート、「カイザー通り」を進む。
ドイツ語で「通り」は「Strasse」という。
そう、こんな時に口ずさむのはThe Sensational Alex Harvey Bandの「Action Strasse」ね。
そして「カイザー(Kaiser)」は「皇帝」という意味。「カイザー=カエサル」…ジュリアス・シーザーから来た言葉。

440後を振り返るとこんな感じ。右の奥の方にメッセ・タワーが見える。
やっぱ遠いな。

450ドイツ最大の駅でもこうしたホームレスの姿を見かける。
前回書いたようにジョンの「フランクフルトは危険な街だ」という言葉を思い出す。
駅前で下半身丸出しで歩いているオッサンを見たこともある。そのオッサンの目がコワかった。もう焦点がゼンゼン定まっていなかった。

445駅前で堂々と営業している巨大なポルノ・ショップ。
向こうの人はゼンゼン平気だから。女性もドンドン入って行っちゃう。
その代わりコンビニで自由にエロ本を見たりするなんてことはできない。
いつかドイツ人の友達が私にこう訊いたことがあった。
コレは以前に書いたかな?
「シゲ、日本には満員電車の中で女性の身体を触ったりするヤツがいるんだって?」
「ああ、molesterのこと?」
「痴漢」は英語で一応「molester」という。
「ナンダ、それ?molesterってナニ?」
彼は、会議の時にまた戦争でもおっ始まるのではないか?と思うぐらいの激しい舌戦をアメリカのディストリビューターと繰り広げるほどの英語の使い手なのよ。
「ナニ、ドイツにはmolesterがいないの?」と訊くと、彼はキッパリ「そんなヤツは1人もいない」と答えたよ。
「そういうヤツ」がいないので「molester」という単語を知らなかったのだ。
そして彼はこう付け加えた「日本の男性はそっちの方の欲求のハケ口がないって聞いたよ。だからそんなことをするヤツが出て来るんじゃないの?ドバ―っと開けっ広げにした方がいいんだよ」って。

460なるほど、このポルノ・ショップの大きさと主張は彼が指摘することのひとつの表れかも知らんな。
480店名の「Dr. Muller」ね。
「Muller」というのは超典型的なドイツの名字だとか?アメリカでもドイツ系移民の名前の代表は「Mullerさん」らしい。
私の母方の叔母が嫁いだ先のアメリカ人の家が「Muller」さんなのよ!
フランクフルトでこのことを口に出したことはない。

470お、変なポスター。
ドイツ語で「地下鉄」は「Andergraund」じゃないですからね~。

490vドイツ語で「地下鉄」のことは「U-Bahn(ウーバーン)」という。
「Bahn」は「鉄道」ということ。
「U」は何か?
「Untergrund」…つまり「地下」のこと。
なるほど。
だから同じく潜水艦のことをU-Boot(ウーボート)」というのか…と思うのはチト早い。
潜水艦の方の「U」は「海の下」を意味する「Untersee」の「U」。
元は「氷の下を進む船」ということらしい。
私は潜水艦が浮上したり潜航したりする動きが横から見ると「U」の字に似ているからかと思ってた。
アメリカ人だったら絶対コレが「U-Boat」の語源にしてるよ。

Ugjpちなみに、この本面白いよ。
また吉村昭。
戦争中に日本海軍が潜水艦でドイツまでレーダーを取りに行く話。

Ss さらに進んで中央駅の方を振り返る。
やっぱいいよね、ヨーロッパの街並みって…他にロンドンしか知らないけど。

500_2フランクフルトはヨーロッパ経済の中心地で「欧州中央銀行」の本店があるところ。

510_2しかし、EUもどうなっていくんだろうネェ。
米中間の貿易戦争が始まったけど、ホンモノの戦争が起こりやしないかと気が気じゃない。洋の東西を問わず、政治家や大企業家の頭の中では「経済」と「戦争」は「金」という等号で直結してるからね。

520_2カイザー通りを歩くのは初めてではないけれど、こんなところまで足を延ばしたのは初めて。

530_2こんなんなってるのか。

540_2イヤでも目に入って来るバカでかい建物は「聖バルトロメウス大聖堂」。
英語読みをすると「バーソロミュー」。

560v歴史は7世紀にまでさかのぼるらしい。
神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式はココで行われたのだそうだ。
しかし、現在の建物は1950年代に再建されたものなので、ウチよりもよっぽど新しい。

570v「レーマー広場」と呼ばれる旧市街地。

580聖バルトロメウス大聖堂からすぐのところ。

590vこういうギザギザになっている屋根を「切妻屋根」という。
ユダヤ人の音楽は「クレツマー」だ。
この写真の真ん中の他よりチョット背の高い建物が旧市庁舎で「レーマー」といったことからここがレーマー広場と呼ばれるのだそうだ。

600広場に足を踏み入れると「おお~!」となるんだけど、それだけ。
どっかで見た景色だな…と思ったら長野の白馬の土産物屋。
なんだかペナントとか木刀とか熊の彫り物でも売ってそうじゃない?

610特に見るところもなさそうで、これなら名古屋の有松とか千葉の佐原の方がゼンゼン見ごたえがあるな…というのが正直なところ。
ゴメンな、レーマー。

620市内をユッタリと流れるマイン川。

630時折こんな建物に出くわすのは面白いけど、概して見るところがない。
「ゴエテとはオレのことかとゲーテ言い」でおなじみのヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの生家なんてのもある。「♪でもねボクにゃ詞なんてわからない」(←コレ知ってる人、チャンと日本のロックを聴いてる人)

640vコレが町の教会かな?
アラ、向こうに大聖堂のアタマが見えてるね。

550他にも「ゲットー博物館」というのがあって、入ってみたけど、コレはマァ見応えがあったな。
興味のある事物に関する博物館の類は、なるべく観ておくようにしている。

650コレだけ何でも手に入る東京にいて、どうしても自由に手入れることが不可能なのは、海外の芸術とエンターテインメントだと考えるているから。
やっぱり日本語で聴くグリザベラやエポニーヌの歌はどうかと思うから。

660<つづく>
 

※Instagramのフォローもよろしくね!Marshall Blogに未掲載の写真もチラホラ!⇒marshallamps_shige 

200

(一部敬称略 2007年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年7月 7日 (土)

私のフランクフルト <vol.1:2003~2006年>

 
一応説明しておきますと…このブログで使っている「私の〇〇」というフレーズは下の写真の本から借用です。
1973年から雑誌『暮らしの手帖(暮らしの手帖社刊)』に連載されていた、女優・沢村貞子のエッセイ『私の浅草』の単行本のタイトル。
沢村貞子は黒澤明の『七人の侍』の「七郎次」や『用心棒』の「新田の亥之吉」を演じた加東大介のお姉さんね。
長門裕之や津川雅彦の叔母さんに当たる人で、生年は1908年(明治41年)。
歌舞伎系の家柄ゆえ、浅草は観音裏の猿若町に生まれている。
猿若町は「江戸三座」と呼ばれる芝居小屋があった江戸後期屈指の繁華街。
それこそ『私のディープ浅草』で解説しているのでゼヒご覧頂きたい⇒コチラ
で、この『私の浅草』には、アメリカ文化に毒される前の、日本人がまだチャンとしていた頃の暮らし向きがごく自然に記してある名エッセイなのね。
若い頃はチョコっと読んでほっぽり出してしまったけど、こうして歳を取って読んでみると、興味深いことが実にたくさん書いてある良著なのだ。
従前よりMarshall Blogでは、国内外を問わずどこかへ出張した際の紀行文やエッセイを掲載してきた。
自分で言うのもナンだけどコレが存外に好評でしてね。
それに気を良くして、とても沢村さんには及ばないものの、『私の浅草』に倣って自分のエッセイのタイトルに「私の〇〇」と勝手につけさせて頂いている次第。
それで今日から何回かにわたって、『私のフランクフルト』と題して『Frankfurut Musik Messe』、要するに「ヨーロッパのNAMMショウ」の思い出をつづらせて頂く。
ナンだって「いきなりフランクフルト?」ということになるが、先日掲載したドイツ大使館のレポートを書いていたらすごく懐かしくなっちゃってサ。
…と言うのも、9回ほど訪れたフランクフルトは、私の今のポジションの原点のひとつでもありましてね。
楽しい思い出があるばかりでなく、Marshallや海外の文化に関する沢山のことをフランクフルトで学んだのです。

108_0r4a7635初めてフランクフルトの地に降りたのは2003年の春のことだから、さほど昔のことではない。
フランクフルトって、もちろんソーセージでおなじみのドイツの地名だけど、正式には「フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)」っていうんだよね。
だから機内のアナウンスなんかでは「当機はあと1時間でフランクフルト・マイン空港に到着します」とか言ってるね。
「マイン」というのは川の名前。
だからイギリスでいう「ニューキャッスル・アポン・タイン(タイン川沿いのニューキャッスル)」とか「ストラッドフォード・アポン・エイヴォン(エイヴォン川沿いのストラッドフォード)」とかと同じなんでしょうな。
世界4大文明も示すように、人間が川のそばで文明を築いてきたことのひとつの証ですよ。

10フランクフルト空港は世界最大級のハブ空港で、ルフトハンザ航空のホームだ。
ヒースローに初めて行った時もそうだったんだけど、初めてこの空港に来て、飛行機の発着の掲示板を見た時はブッたまげたよ。
知らない地名や、パッと見ではピンと来ないような地名がズラズラと並んでる。
成田では考えられない。
アフリカとか東ヨーロッパとか、成田から直行便が飛んでいないような国々の名前だね。
こういうのを見ると我々が住んでいる国のロケーションが「Far East」と呼ばれている理由を理解した気になる。
アッチからみると日本という国のロケーションは中途半端ではなく、「東のハズレ」なのよ。20入国審査のスタンプ。
飛行機のイラストが入ってるの。
ココの入国審査は、かつては信じられないぐらいユルかった。
もう一切何も訊かないで、次から次へとスイスイだった。ヒースローとはエライ違いなの。
ところが、テロの予告だか、ヨソでテロが起こったかなんかの時に丁度出くわしたことがあった。
すると箱根の「入り鉄砲に出女」よろしく、一変して「蟻の子一匹通させん!」みたいな雰囲気。
当然、不必要なまでに厳重な審査はいいように長い行列を作ってしまう。
「オマエら!今までのスイスイは一体何だったんだよ?!」と大声で文句を…言わなかった。
いいこと教えてあげようか?
この時、日本に戻る前にMarshallに寄ったんだけど、ヒースローに到着する前にトイレで何となく小声で英語の挨拶の練習をしていたら、トイレについているスピーカーから男性の声で「アナタ、一体そこでナニをやってるんですか?ナニをひとりでしゃべってるんですか?」と訊かれたのよ!
つまり、飛行機のトイレって盗聴されているんだよ。
もしかしたらカメラも付いているかもしれない…イヤ、間違いなく設置されてるんだろうな。

30初めて行った時、ドイツに住む家内の友人の家族がお出迎えに来てくれた。
到着して早々、おいしいドイツ・ビールをしこたまごちそうになってしまって顔が真っ赤だわ。
ご主人のクラウスは音楽が好きで、以前日本に住んでいた時、Marshallのイベントを観に来てくれたことがあった。
音楽の話をすると面白いよ。やっぱりドイツ人なワケ。
ドイツの人は重厚な伝統を守り抜く精神とそれをガンガンぶっ壊す精神が同居していると聞く。
だからベートーベンやワーグナーを崇め奉る一方ではフリージャズが大人気だったりする。
クラウスは伝統破壊派で、彼の口から出てくるバンドの名前となると、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンとか、アシュ・ラ・テンペルとかそんなんばっかり。
どんなことがあっても「スコーピオンズ」なんて名前が出て来ることはない。
ちなみに他のドイツの知り合いたちの口からも「スコーピオンズ」という名前が出て来るのを聞いたことがない。
私が「スコーピオンズ」の名前を口にした時、そのウチの1人は「ふ、古すぎる!」とビックリしていた感じだった。
私はジャーマン・プログレが苦手なので、クラウスとの音楽の話はいつもすぐに終わっちゃうんだけどね。
下は15年前のその時の写真。
クラウスが捕まえている小さな女の子はお嬢ちゃんのYukoちゃん。

_2cmコレがクラウスの現在の日本の住まいで、去年に撮った写真。
一番左が家内の親友で、その隣が上の写真のYukoちゃん。
15年経つとこんなに大きくなる。
Yukoちゃんの後に少し見えてるオジちゃん…ビジネス界ではスゲエ有名なお方。
それなのに、この時飲み過ぎて完全に正体を失っちゃって、みんなで担いで駅まで運んだ。
それが尋常ではない重さ!
ドイツ人って男性も女性もすごく大きいんだよね。骨格の頑丈さが日本人とケタ違いなのだ。
クラウスも大きくなってる?イヤ、私が縮んでるのか?2_2img_6829さて、フランクフルト。
私が知っている唯一のドイツ。
下はこないだのドイツ大使館の時にもチョット触れた「frankfurt Hauptbahnhof」、つまり「フランクフルト中央駅」の正面玄関。
空港から地下鉄ですぐ着いちゃう。
こっちの地下鉄って改札がないのよ。さりとて昇降している乗客を監視している駅員も見当たらない。
つまり、切符を買わずにいくらでもタダで乗れちゃう。
でも、「不正乗車を見つけたら、テメェ、タダじゃおかねーからな!」というお触れが駅や車内に掲げてある。
「タダよりコワいモノはない」とばかりに、コレにビビって不正な乗車をしている輩がいないようだ。
コレを日本でやったらどうなるかね~?
でも結局地下鉄で空港から市内に入ったのは1回だけだったな。いつもタクシーかホテルの送迎バスを利用した。
このタクシーがね~…コレはまた別の回で。

40フランクフルト中央駅前のようす。
「ヨーロッパ~!」って印象が強かったな。
ロンドンとは街並みがゼンゼン違う。

50初めて行った時に泊まったホテル。
Marshallの連中は「Park Hotel」と呼んでいたけど、正式な名称は「ル・メリディアン・パーク・ホテル(Le Meridien Frankfurt)」。
Marshallの定宿だった。
その後、何度も泊まっているウチにパキスタン風のボーイさんとも顔見知りになった。
1階に(ヨーロッパ風に言えばG階)に「カサブランカ」というバーがあって、「King of Casablanca」というピアノの弾き語りのおジイさんがいてね。
よくジムはその人のピアノに合わせてジャズのスタンダードを歌っていた。
最近、その「King of Casablanca」の近況を耳にする機会があったのだが、もう引退したかと思ったら、何かが当たって今ではテレビに出てるっていうんだよね。
大したもんだわ。

605つ星ホテルなんだけど、部屋はお世辞にも広いとは言えない。
寝るだけなので何ら問題ないんだけど。

65v_2部屋からの眺めもこんな感じで面白くも何ともない。
ま、寝るだけだからね。

65駅前の惣菜屋で買ったドイツ式ホットドッグ。
「カイザー」という丸いパンに長いウインナ・ソーセージを挟んで食べる。
「カイザー」は「皇帝」という意味。
ニューヨークのホットドッグのようなコッペパンは使わない。
正式な食べ方をドイツの友人に尋ねたが、特に決まりはなく、大抵ははみ出しているウインナの部分をかじってから、パンの部分を残ったウインナと一緒にカジっているようだ。
ま、当然か…。
味はというと、ウインナが極端にしょっぱいんだよね~。
ホットドッグはマンハッタンの$1のヤツが世界一おいしい。
総菜屋で売っているモノは、ハンバーグでも、シュニッツェル(ドイツ式トンカツ)でもウインナーでも、信じられないぐらい塩っ辛い。
血圧の高い人はおそらくハンバーグをひとかじりしただけで1日の許容塩分摂取量を超えるぜ。
ガマンして食べようものなら舌がビリビリしてくる。
何しろドイツにしばらく滞在してからイタリアに行った人なんかに言わせると、イタリアの食事は味がないように感じたっていうんだから。66『Frankfurt Musik MESSE』の会場へはホテルから歩いて20分ぐらい。
コレは途中にある古いビル。
夜になると若い人がウジャウジャ集まってくる。
1階がディスコになってるの。

70市内を走る路面電車のレール。
葉っぱかなんか生やしちゃって…こんな大都市なのにノンビリした感じでしょ?

80こんなヤツが走ってる。
かなりスリムな3両編成。

2_car MESSEの会場はもうすぐ。

90コレが国際展示場のシンボルのオブジェ。
「チューリップのアップリケ」というタイトルかどうかは知らない。

100vコレが入り口。

110vパスはこの名刺みたいなヤツ。
「O」とか「A」とかのアルファベットで「業者」や「ビジター」等の所属を表す。
ランヤードは無料。
で、このパス。
私が最後にMESSEに行ったのは2011年なんだけど、その時までこのパスで上の写真の路面電車に乗れることを知らなかった。
Marshallの連中もそれを知らなくて、路面電車に乗らずにホテルから会場まで、毎年毎日エッチラオッチラ歩いて通ったんよ。
私も人から聞いて知ったんだけど、Marshallの連中に教えてやったところ、みんな遠慮なく路面電車を使うようになった。

95会場に入る。
「Musik Messe」が開催されるのはいつも3月末から4月の上旬の間で、そう寒くもなく、暑くもなく、日本の同時期と同じ気候。

120vやっぱり目に付くのはこのメッセ・タワー。
1997年までヨーロッパで一番高い建造物で、今でも2番目なんだって。63階建。

130vこの教会のような建物はホールになっていて、Musik Messeの期間中、数々のイベントが開催される。
一度だけドラムのイベントを観るために中に入ったけど、中がもんのスゴく広いの。

140v会場の中庭のようす。
四方を囲んでいる建物がすべて楽器の展示場として使用される。

150よくみんな「メッセ、メッセ」と言っているけど、「Messe」というのはドイツ語で「Fair」の意味ね。
日本の楽器業界で「メッセ」と言うと、自動的にこの「Musik Messe」を指すけど、ココでいろんな「メッセ」があるワケ。
コレは楽器の展示会だから「Musik Messe」ね。「Musik」はドイツ語で「音楽」という意味。
でもMarshallの連中は「Messe」なんてひとことも言わず、みんな「Frankfurt」と呼んでいた。
175v会場はクラシック関連の楽器と軽音楽関連の楽器で展示棟が分かれていて、その他にも照明だけの展示の棟、PA機器だけを展示している棟など、はるか向こうまでMusik Messeの会場になってる。

170みなさん「ナム、ナム」と仏壇屋のコマーシャルみたいなことを言ってるけど、この「Frankfurt Musik Messe」こそ世界最大の楽器の展示会だ…ったんですよ。
「だった」というのは、グローバル化が進む中、楽器ビジネスの中心が中国にシフトして、多くの楽器メーカーが「上海メッセ」に重点を置くようになり、フランクフルトは急速に縮小しちゃったのです。
私が行っていた時は、毎回「過去最高の展示社数」を更新していて、最もにぎやかだった時代を体験させてもらった。 
NAMMなんかでもやってるけど、中庭には大きなテントが張られて一日中にぎやかな音楽が会場に鳴り響いていた。

160一応NAMMは「Traders Only」ということになっているけど、Musik Messeは初めから一般に開放している。
 
この左側の4階立てのビルが我がギター関連のブランドの展示場。
初めに行った頃、4階の展示スペースなんかは結構ガラガラだったけど、2011年になると、その4階の展示場も結構パンパンになっていた。
それが今や…トホホらしい。

180ああ~、なつかしい~!2003年のMarshallのブース。
開始前日の様子。
ギターもしくはロック関係の楽器の展示が建屋に入ってすぐの所にあったMarshallのブース。
となりは「Fダー」さん。
その2つがロック関係の展示で最大のブースだった。
どれぐらいの費用がかかるのかMarshallの仲良しに尋ねたことがあったが、「かるく家が1軒買えるほど」だとか…。
イギリスの家換算だから相当な額だよ。

190展示してあるアイテムにダミーは一切なし。
全てホンモノなので重いのなんの。
1個や2個だけ運んでハイ終わり…というワケにはとてもいかないので、腰にはとにかく要注意。
ま、Marshallの展示の設営が大変なのは百も承知。
ところが思わぬ伏兵が潜んでいてね…それがコレ。
ポスターやタログを入れるためのビニールのバッグ。
はじめから中にはイギリスの工場で人海戦術で詰めたカタログとステッカーが入っている。
コレが案外手ごわい。440vブース内の倉庫のようす。
下の写真の段ボール箱の中に入っているのは全部このバッグ。
いくつあったんだか知らないけど、デフォルト時にはこの段ボール箱でこのスペースがイッパイになっちゃう。
箱ひとつが結構な重量で、運び入れるのが地獄の苦しみだった。
そして、右下のポスターの束。
コレが無慈悲な重量なのだ。

450vコレは控室。
冷蔵庫や水道が完備されていて、お昼の前になるとMarshallの女子社員がサンドイッチを作ってみんなに配る。
先日来日した社長夫人のエリーもよく作っていたっけ。
驚いたことに、当時は会場内は喫煙OKどころかタバコ売りの婆さんが「シガレッテン~」とか言いながら展示場の中を日がな一日歩いて回っていた。
そんなだから、この控室も喫煙OK。
というのも、ジムが葉巻を吸っていたからね。
葉巻の灰を落としやすいとかで、いつもクッキーの空き缶の浅いフタを灰皿代わりに使っていた。
当時は私も吸っていましたが2006年にキッパリと止めました、ハイ。
何でもない写真だけど、撮っておくもんだね~。こんな景色なんかスッカリ忘れてた。
奥の戸の向こうがデモ・ルームになっていた。

415この時MODE FOURを発表したんだよね。200v皆さんもなつかしいでしょう?…AVT。
ザックが50Wのコンボを愛用していたように、とてもいいアンプだったよね。

230この年の前年の2002年はMarshallの創立40周年記念だった。
だからこんなクロニクルっぽいディスプレイが取り付けられた。
F_2ff1JCM800 2203も40周年を記念して前年に復刻されてリバイバル・ヒットとなった。

240vで、私はココで何をしていたのかというと、搬入と撤収の手伝いに始って、ポスターを巻き巻きしたり、カタログの補充、サイン会の列の整理、ブースに立ってお客さんを案内をしたり…要するにMarshallのスタッフと丸っきり同じことをさせてもらった。
お客さんはMarshallのブースにスタッフとして東洋人が突っ立っているもんだから、少しギョッとしてたけど、ほとんどは何も気にしないで平気で私に声をかけて来てた。
でも、ドイツ語なのよ。
よくドイツ人は英語がウマいと言うでしょ?
もちろん日本人とは比べ物にならないぐらい上手な人が多いんだけど、できないヤツもかなり多いよ。
そういう時どうするか…。
「English please!」…コレだけでいい。
コレを言うと英語ができないヤツは「おお、ダンケ」とか言って立ち去って行く。
こっちはホッとする。
だけど、中には「English please!」と言った途端、急にベラベラとヘタな英語で喋り出すヤツもいるんだよね。
まぁ、毎回いい経験になりましたよ。
私の体験で言うと、同じゲルマン語系民族ということもあって、オランダ人が一番英語がウマい気がするな。
で、毎年行ってると、うれしいことに顔見知りのお客さんができるんだよね。
今でも顔を覚えているけど、何かがキッカケである若いお客さんとイングヴェイの話になってね。
どうも彼は私が大の「イングヴェイ・マルムスティーン・ファン」だと思い込んじゃったらしい。
ま、多分私も調子に乗って「会ったことがある」ぐらいのことを言ったのだろう。
それ以来、その彼は毎年Marshallのブースに来て私を見つけては「ヘイヘイ!イングヴェイ聴いてる?」とか「イングヴェイどうしてるかな?」とか言って近寄って来るワケ。
「あのね、私は特段イングヴェイ・ファンじゃないのよ!」とも言えなくて逃げて歩いていた。

F_2ff3多くはなかったけど、ブースを訪ねて来るヨーロッパのミュージシャンに合うのも楽しみだった。
写真がもう色トビしちゃってるけど、コレはジョン・ポール・ジョーンズ。
ジムに挨拶に来たの。
実は、私はコレの前年に彼に東京で会っていたので、「私のこと覚えていらっしゃいますか?」と尋ねると「もちろん!扇子の彼だろ!」と即座に答えてくれた。

F_2jpj1その前年、JPJから要請を受けて、彼が出演するイベントにDSL100を貸し出した。
こっちもね、Led Zeppelinとお近づきになれるチャンスなんてそう滅多にあるもんじゃないので、挨拶に行った。
私は実際に4人のメンバーの中ではJPJが一番好きなのだ。大きさも手頃だし。
その時に手土産に持って行ったのが当時の販促品の「Marshall扇子」。
コレをプレゼントしたら大層よろこんでくれてね~。
それで私が「扇子の彼」なワケ。
この写真真っ暗だけど、昔の赤坂ブリッツ。まだ丘の上にあった頃。
そういえば、ココにタクシーでArch Enemyに4100を配達したこともあったっけな~。

F_2jpj2Focusのタイスなんかも来てたな。
下の女性はミュージシャンでもなんでもない。
ステファニーといって、現地で雇う通訳さん。
とても感じのいいステキな人でね。
ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、そして少しだけイタリア語ができるって言っていた。
そして、こんなことを言っていた。
「私はこうして色んな会社に雇われて、この展示会で通訳をしてきたの。今回初めてMarshallにお世話になるけど、今までこれほど家庭的な会社はなかったわ。
どこの会社も大抵すごく威張っている人がいて、みんなその人のご機嫌を窺って働いていたけど、ここはそういう人もいなくて、みんなすごく仲がいいわ!一緒に仕事をしていてとても楽しいの!」って。
ま、この頃はまだ「ジム・マーシャル」って大ボスがいたんですけどネェ。

_rimg0107右側はデモ・ルーム。
基本的には防音の環境が整ってないところで音を出してはいけないルールになっている。
昔、「爆音を出した、出さない」で主催者とモメたことがあったらしい。
Marshallが「じゃ、いいや。もう来年から出展しないわ」と切り出した途端、「チョチョチョチョチョチョ、それは困ります」ということで一気に主催者側が折れて解決した…という話を聞いたことがある。
Marshallはそれほど重要な出展者だった。

410中はこんな感じ。
この頃は現プロコル・ハルムのジェフ・ホワイトホーンとMarshall専属のプレイヤーがデモを担当していた。
で、ある時、ベース&ボーカルズのジャズ・ロウクリーがノドを潰してしまって声が全く出なくなってしまった。
そこでどうしたかというと、社員にものスゴク歌のウマいヤツがいて、その彼が代理で歌ったんだけど、ナント、上で紹介したステファニーもメッチャ歌が上手で、「Smoke on the Water」を歌ってた。
「誰、誰、誰が歌ってんの?」
「ステファニーだよ!」
スタッフ全員でステファニーを応援して、みんな家族みたいで本当に楽しかった。
「このままMarshallの社員になれたらいいのにな~」と思ったよ。

420朝はジムを囲んで…イヤ、特に囲んでいるワケではいないんだけど、Marshallのスタッフ全員でホテルのレストランで食事をするのがルールだった。
夜は夜で予定のない人が集まってみんなで街に食事に出かける。
コレがまたとても楽しかった。2_img_6908よく行ったのがマイン川を渡ったザクセンハウゼンというエリアにある「アドルフ・ヴァグナー」というドイツ料理店。260ザクセンはうぜんではかなり有名なお店。

270店内はこんな感じ。
とにかくいつでもギュウギュウに混んでる。

2_resこのレストラン、ドイツなのにビールを全く置いてないの。
ナニを飲むとかというと「Apfelwine」…ザクセンハウゼン名物のリンゴのお酒。
コレばっかり。
家庭で作った梅酒みたいに、手作り感が中途半端ではない。
写真にあるピッチャーに入っているアプフェルヴァインをコップに入れて、好みに応じてスパークリング・ウォーターで薄める。
炭酸水で薄めるのは、グイグイいっちゃって知らぬ間にベロンベロンになっちゃうのを防ぐためだとか。
でもアルコール度数がゼンゼン高くないので、そんな心配は無用。
それより酸っぱくて、酸っぱくて!でもおいしい。

280料理は完全にドイツ料理のオンパレード。
下は日本でもおなじみにシュニッツェルね。猛烈においしい。
こういうところの料理はそれほど塩っ辛くないので大丈夫。
でも日本の料理に比べると圧倒的に塩分は多めだ。

290後はとにかく肉、肉、肉。
ステーキのような牛肉ものもあるけど、豚肉料理が多く、実際その肉の味が実によろしい。
ただし味付けはトコトン濃くて油っこい。
だからあの酸っぱくてサッパリしたアプフェルヴァインが合うのかもね。
サラダのドレッシングなんかも、「罰ゲーム」かと思うぐらい酢がキツい。
酢が苦手な私はとてもじゃないけど食べることができなかった。

300中庭もあって、夜空の下でワイワイやることもできる。

2_awo 下はその時のようす。
つまり、私が初めてドイツに行った時のこと。
ほとんどの人の顔にモザイクがかかってるでしょう?
そういう人たちはもうMarshallにいないということ。
モザイクがかかっていないのはIT関係の仕事をしている役員のゲイリーと私だけ。
ワタシ、Marshallの中でもうスッカリ古株なんですわ。
で、この時、この中の誰かが私にこう訊いた。
「シゲ、このレストランの名前になっている『アドルフ』っていうドイツの名前を知ってるかい?」
私は「もちろん!コレでよく知られているからね!」と、まっすぐ伸ばした右手を斜め前に上げた。「ハイル・ヒトラー」のポーズだ。
すると、その私の仕草を見て、それまでワイワイ楽しそうにやっていた全員の表情が瞬時にして凍りつき、「Nooooo!!!!!!, Shigeeeee!!!!Don't do tha~t!!!!!!!!」と一斉に私に飛びかかって来た!
まぁ、ビックリしたよ。
私は何が起こったのか、何がそんなにみんなを驚かせたのかがわからなかった。
ドイツでこのジェスチャーを公衆の面前ですることは法律で厳に禁じられているということを知らなかったのだ。
私の読書の中心にはまず吉村昭がいて、太平洋戦争、幕末、戦国(コレは時々)を主題にした著作ばかり読んでいるんだけど、イギリスの歴史ものとホロコースト関係の書籍もなるべく読むように努めている。
だからホロコーストのことについても少しは勉強をしているつもりだったんだけど、まさか法律で定めてあるとは知らなんだ。
ある会社のドイツの駐在員が、日本からやって来たお母さんを空港で出迎えた時、ゲートから出て来た彼女にむかって「こっち!こっち!」と右手を斜めに上げて手招きした。こんなの誰でもするでしょ?
ところが、コレだけで周りの人から猛烈な抗議を受けたという話も後に聞いた。
恥ずかしいね。
日本はこういう世界的な標準や常識を教えることをしない世界の田舎国なんですよ。
私だけ知らないでいたのだったらゴメンなさい。
このことは、連中にとっても驚きだったようで、翌年、ほぼ同じメンバーでこのレストランに来た時、その中の誰かが真っ先に「シゲ、去年キミがココでナニをやったか覚えてる?」と言われたよ。
それほど衝撃的だったというワケ。
F_2ff6ある日、みんなと会食に行かずに、夕方ひとりで地下鉄に乗って街に出てみた。
ともすれば、フランクフルトで見た景色がMarshallのブースとホテルの天井だけになりそうだったらね。
なんか殺風景なんだよ、街が。
何となくサメザメ~としてる感じがするの。シラけているというか…ロンドンなんかとは全く雰囲気が違う。
ココも大戦中、連合軍の空襲によって市街地の70%が破壊されたというからね。
新しい建物が多い。

310ドイツ人の友達が言っていた。
「シゲ、ドイツはとても美しい国なんだ。フランクフルトを見て、コレがドイツだなんて間違えても思わないでくれよ!」って。
その彼のお父さんは東ドイツのスパイで、西側に拘束された時の拷問が原因で発狂してしまった…とか言っていた。
そんな話をごく普通の友人から聞いてごらんよ。スゴいショックだよ。
我々、今の日本で暮らしていている限り、そんなこと考えたり、想像したりすることなんて絶対ないからね。

320vよって、好きな古い建物がもなくてツマらん!
デヘヘ、ウソ。
ココがツマらない理由は中古レコードが見つからなかったからだよ。
私にとっての「いい街」は「いい中古レコード屋」がある街なのさ。
翌朝、ブースで「昨日、シゲは1人で何をしてたの?」なんて訊かれて、「地下鉄に乗ってひとりで街を見に行ってきた」と伝えると、それを横で聞いていたジムの運転手を務めるジョンが怒り出した。
「シゲ!夕方に1人で街になんか出かけては絶対にダメだ!ココは世界で一番たくさんの人種が集まっているところで危険極まりない街なんだ!Marshallの連中も外では3人以上で活動するルールになっているんだぞ!」
私をからかっているのかと思ったら、ジョンは真剣に怒ってた。
でもそれを聞いてマジでビビったわ。

330最後のザッパのバンドのサポート・ギタリスト、マイク・ケネリーと1枚。
ベースのブライアン・ベラーと2人きりで「Inca Roads」とか「What's New in Baltimore」を演奏していて大感動。まさに超絶!
「Carolina Hardcore Ecstacy」の弾き方を教わっちゃったしてうれしかった。
マイクとはホテルが一緒で、朝食の時にマネージャーとザッパ談義をしたのがすごく楽しかった。
ふたりとも一番のお気に入りのアルバムが『One Size Fits All』ということで朝から盛り上がった。

_2mk_2翌2004年にはMarshallからご指名を受けた。
うれしかった。
一生懸命やったからね。見てくれている人は見ているもんです。
ブースの設営や解体はもちろん、ポスター巻き、会場の整理、お客さんへの応対等、「オレが、オレが」と何でもすすんでやった。
ナゼならそれがメチャクチャ楽しかったし、面白かったから。
でも一番彼らが感心していたのは…ゴミ拾いだったのではなかろうか?
朝、ブースに行くと、前日の来訪者のゴミが落ちているワケ。
掃除の業者が入ってそれらを片付けるんだけど、こっちはそんなこと知らないから、ゴミを拾って歩いたんだよね。
その私の姿を見て驚かれちゃったワケ。
「おい見ろよ、シゲがゴミを拾って歩いてるぞ」という声も聞こえてきた。
こないだのサッカーの日本チームの控室じゃないけど、我々ってそういうの何かイヤじゃない?
自分のゴミでなくてもつい片付けたくなっちゃう。
向こうの連中は格差社会の影響があるのか、そういうことをするのが信じられないみたいなんだよね。
それと、もうひとつみんなが感心して面白がってくれたのが英語の学習。
英語に浸かって過ごすなんて、こっちにしてみると生のイギリス英語を勉強する千載一遇のチャンスじゃない?
そんなチャンスを逃すまいと一計を案じたのは、小さなメモ帳をいつも首からブラ提げておいて、知らない英語表現に出くわすたびに「今の英語ナニ?教えて!教えて!」と頼んで、都度そのメモ帳に記していった。
これが連中にも面白かったらしくて、しばらくすると、「シゲ、コレ知ってる?」と向こうから教えて来てくれるようになった。
今でも同じようなことをやってるんだけどね。しかし一向にウマくならん(I don't get any better)
 
替わって2005年。
どういうワケか、2004年の写真が出てこなかった。
Marshallのブースの模様替えは2年に1回。つまり、2回連続でブースが全く同じ造作になる。だから2003年と同じデザインだった2004年は写真を撮らなかったのかも知れない。

340ズラリと並んだ歴代のスタックのディスプレイ。

3502005年は100Wモデルの生誕40周年を記念してMarshall初の100WモデルJTM45/100が復刻された。
この8x12"のキャビネット、本当にスピーカーが入っていて、オッソロシク重かったの。
いくら屈強な白人でも、コイツを取り扱う時だけは、「おーい!」と仲間を呼んで数名で動かしていた。
そんなんだもん、ピート・タウンゼンドも諦めざるを得なかったワケよ。
このキャビネットは現在でも工場のミュージアムに飾ってある。

400コレはこの復刻モデルの取扱説明書。
「Go over big with Marshall」というのは当時使っていたキャッチ・コピー。
「go over big」というのは「成功する」という意味。
ま、「Marshallでひと山当てよう!」ってところ。
8x12"にしてしまうと、上に書いたようにデカいわ、重いわでニッチもサッチもいかなくなってしまうので初めから4x12"を2台重ねて8x12"に見える仕様にした。
日本に6台入れて、そのウチの1台は誰もがご存知の大人気ミュージシャンが即決で買ってくれた。

2_2jtm100 何回も書いてるけど、また自慢しちゃお。
このモデルを復刻するにあたって、1ヶ所回路に不明な点が見つかった。
実機を観れば一目瞭然なのだが、その時はリファレンス機が工場になかった。
それで、Marshallは実機が日本にあることを突き止め、オーナーに頼んでその不明な部分を写真に撮って送るように頼んでくれ…と言って来た。
そのオーナーこそ現Marshall Museum Japanの館長の竹谷和彦さんで、当時はまだ面識がなかったが、連絡を取ってこの作業をお願いした。
竹谷さんは快諾してくれて、すぐに対応してくださり、このモデルが完成したというワケ。
それで、Marshallはこの取扱説明書のスペシャル・サンクスに竹谷さんのお名前を掲載し謝意を示した。
ケン・ブラン、マイク・ドイル(マーシャル本の著者)、ジョン・エントウィッスル、ピート・タウンゼンドらの名前に並んで私の名前も入れてくれちゃったのだ。

2_2jtm100r MGとギターを組み合わせた「Rock Kit」という初心者向けの商品を発売したのもこの頃だった。
この商品には教則DVDが入っていて、日がな一日、ブースのディスプレイでそのDVDを流していた。
そのDVDのオープニングに使われていた音楽が「♪ビヨ~ン、ビヨ~ン」とかなりミョウチクリンなモノで、4日間、朝から晩までズ~っとそれを聞いていたもんだから耳にこびり付いてしまって、日本に帰ってからもそれがアタマから抜けるまで不快な思いをした。
それでもこのコーナーは若い子で大賑わいだった。

360MGシリーズはStatic Xのウェイン・スタティックがMGのイメージ・キャラクターだったんだよね。
この人も亡くなってしまった。
渋谷のO-EASTで生前の彼の演奏を観たんだけど、本当にMG100を使っていて、それまで聴いたことのないような、他に類を見ない独特のサウンドだった。
ホントに向こうの人は「人と違ってナンボ」が第一だからね。
そして、アンプが自分のサウンドを作る重要な楽器であることをよく認識していると感じた。
アンプに対する感覚や意識が根本的に日本人とは異なっているような気がする。

370ラック…なつかしいな。

380vAVTの島がこんなに小さくなっちゃった。
こういうの日本語で「島」って言うじゃない?コレ、英語でも「island」って言うんだよ。
ついでに…上の写真なんかで、アンプをラックに固定するために横に飛び出してる黒い部分があるでしょ?
我々はこういうの「耳」っていうよね?コレ、英語でなんて言うか知ってる?
「ear」っていうんよ。簡単じゃんね。

390グッズの販売コーナーは年々拡大して行った。

430セット完了。
開場前のようす。
左下に写っているのはジム・マーシャル。
ジムの仕事は何といってもサイン会。
毎回、呆れるほどの長い行列ができた。
ジムはサイン会の時以外でも、コマゴマと色々な作業をしていたナァ。

500Messeの期間中、大抵2日目ぐらいの夜にMarshallの関係者が集まるパーティが催された。
いわゆる「Marshall Party」。
世界中から集まったディストリビューター、関係業者、ミュージシャン、ジムの友人等々、参加者が200人を優に超える大パーティだった。
興が乗ってくるとジムの出番となる。
よく「S'wonderful」とか「Somebody Loves Me」とかジャズのスタンダードをア・カペラで歌ったりしていた。
この時はまだジムもピンピンしていて、ドラムスを叩いたんだね。
左手の甲に黒いバンドしてるでしょう。
神経痛だったんだろうね、私にも「左手が痛くてネェ」なんてよくコボしていた。

510演奏しているのはもちろんジャズ。
ジーン・クルーパがジムのヒーローだから。
若い頃のジムのドラミングなんて見てみたかったナァ。

520最終日。
恐怖の撤収作業。
この作業は「空き箱との勝負」となる。
期間中、ココから少し離れたところにある倉庫に空き箱が保管してあって、まずそれを取りに行って来ないと作業が進まない。
これだけの量だから空き箱も中途半端な量ではないんよ。
それらをいかに早く取って来るかで明暗が分かれる。
いつか、5時かなんかにシヨウが終わって、空き箱が到着したのが9時ぐらいだったことがあったからね。
それから大急ぎで作業をしてアッと言う間に終わらせて帰ったんだけど、お隣のFダーさんは我々が現場を離れる時になってもまだ空き箱が到着していなかった。
皆さん、さぞかし怒り心頭かと思うと、車座になってみんなでギターを手にして(ギター屋さんだから)楽しそうに歌を歌ってんだよ。さすがアメリカ人!
もうひとつこの作業で厄介なのは、商品と空き箱に付いているシリアル・ナンバーを合致させて箱に入れなきゃならないこと。
誰かが空き箱のシリアル・ナンバーを読み上げるんだけど、当然ブッ速い英語でしょ?
コレを聴き取るのが結構大変なのよ。
ま、今なら何でもなく聞き取れると思うけど、今度は体力が追いつかん。
だって、この頃は今より最大15歳も若かったんだから!

_rimg01082006年。
ね、2005年とほぼ造作は同じ。

540違いといえばこんなのが登場したぐらいか?

108_rimg0002この年もとても楽しかったな~。
もちろん一生懸命働いた。

560<不定期につづく>

※Instagramのフォローもよろしくね!Marshall Blogに未掲載の写真もチラホラ!⇒marshall_shige 

200

(一部敬称略 2003~2006年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年5月22日 (火)

ベトナムに行ってきた!~私のホーチミン vol.8 <最終回>

  
日本もだんだん暑くなってきたね~。
イヤだな~、夏。
でも今年は何となく気がラクなんだよね。
ナンとならば、まだ日本が寒い時期にすでにベトナムで激ヘビーな真夏を味わったからサ。
どんなに暑くなっても「あのベトナムに比べれば…」と思いさえすれば、日本の夏なんて乗り切れそうな気がするのだ。
それほど暑かったベトナムの旅もいよいよ最後。
ベトナムから日本へのフライトは夜の11時半発。最終日もタップリ1日現地をすごすことができる。
ありがたいような、迷惑のような…。
ま、ココまで来ればジタバタしても仕方ない。買い漏れているお土産をゲットするためにまた街へと繰り出した。
 
こんなおしゃれなレストランのディスプレイを発見。

05スーツやアオザイの1日仕上げなんてのも人気のお土産らしい。

15vこれ、前回登場した居眠りばあさんが扱っていたグリーティング・カード。
なかなかよくできていて、見つけた時は必ずお土産に買って帰ろう…と思ったが、どこでも売っていることが判明して止めた。

10「サイゴン・スクエア」というマーケット。
アメ横のガード下の店を数限りなくかき集めた感じ。
洋服やバッグ等、コピー商品を取り扱っている小さな店がギッチギチに詰まっている。

40そんな中で見つけたのがこの小さなお店。
「ナンだろう?」と思って立ち寄ると、若い店員さんが英語で声をかけてきた。
コレ、石鹸屋さんなの。
とても感じのよい2人の応対がうれしい。
最近、時々家内が天然成分だけを使った石鹸作りを楽しんでいることもあって少しお土産に買ってみた。

45マンゴー、レモングラス、はちみつ、ココナッツ、それにベトナムのオリジナル・フルーツ味ってのをを買ってみた。
「味」ったって石鹸だから食べられるワケではないんだけれど、すごくよくできてる。いい香り。
でも、それほど安くはない。

46実は旅の中盤からお腹がユルくなっちゃってね~。
前半は胃、後半は腸だ。
痛くはないんだけど、水より薄いやつがサラサラ~っとね。尻を緩めた途端、オットットット…みたいな。
そういう感じだから外に出るのもチョット怖かったの。
そんな時に大助かりだったのが、サイゴン・スクエアの向かいにあるこの高島屋。
「サイゴン・センター」という最新のビルに入っている。

70入り口には、おお~!ローズちゃん!
ベトナムに来ているとは思えないホーム感。
実はローズちゃん、Marshall Blogに登場するのコレで3回目なんだよね。
初登場はコレ⇒Music Jacket Gallery 2016
2回目はコレ⇒Marshall HEADPHONES~音のあるくらし

80v でも、男の子がいるのは知らなかった。
ローズ郎くんかなんかいうのかな?

90店内はスゴイよ。
最上階までズドーンと吹き抜けになっていて、新しい分少なくとも日本橋の髙島屋よりキレイ。

100そして、何よりもキレイだったのがココのおトイレね。
ウォシュレットこそ付いていないまでも、日本でもそうは見かけない清潔感漂う空間。
「ク~、これならいくらでもできる~!早くまたもよおさないかなッ!」なんてね。

110やっぱり入っているお店もシャレている。
ココは地下の食料品売り場。
家内に頼まれたチョコレート屋さん。

120こんなオシャレなパッケージなのよ。以前も書いたと思うけど、ベトナムはカカオがとれるのでチョコレートの生産が盛んなんだと。
で、この「Pheva」というお店が人気で、以前はハノイにしかなかったのだが、高島屋のオープンとともにホーチミンにも開店した。
いくらか買ったけど、チョコレートに色々と混ぜ込んだタイプのヤツが多くて、私の口にはチョットばかし合わなかった。
でも、家内に言わせると大変おいしいそうです。
そうそう、この売り場、支払いのシステムが変わっていて各店舗にはレジがないの。
どうなっているのかというと、フロアに何カ所か集中レジみたいのが設置されていて、どの店でも買い物をすると請求書みたいなモノを手渡される。
で、ソイツをその集中レジに持って行って支払いを済ますというシステム。
私が行った時は空いていたけど、このシステムだとお客さんが集中した時なんかは相当な待ち時間になるハズだ。

130さぁて、困ったのが子供たちへのお土産。
あまりお土産を買って帰ることはないんだけど、今回は「Tシャツ」というリクエストがバッチリ提示されていたので、数枚買って行くことにした。
なるべく変なTシャツがいい…という。
街を歩いていると怪しげなTシャツ屋がゾロゾロ並んでいるが、そういうところで買うのもどうかと思い、意を決してあのマーケットで買ってみることにした。
ホーチミン最大と言われるベンタイン市場だ。

140コレまでも冷やかしで幾度となく入ってはいるものの、「買い物をするぞ!」と決心して足を踏み入れたのはコレが初めてのこと。
ちなみに「冷やかし」は吉原から出た言葉。語源を知りたい人はコチラをどうぞ。
150入り口に設置してある注意書き。
コレがわからん。
「持ち物に注意」はわかるのだが、いくら考えても左右のピクドグラムが何を言おうとしているのかがわからない。
男性が両手を降ろしている緑の方はOKで、ナゼ後ろ手に組んでいる赤い方はNGなのか?
「両手をフリーにしておきなさい」ということなのか?
もしそうだとしたらもうチョット何か描きようがありそうなもんだけど…。
皆さん、コレどう思います?教えて~!

145どうせ奥へ入っても置いてあるものは同じなので、入ってすぐの店で買うことにした…というより、このオバちゃんの勧誘に負けた。
いつもなら完全シカトと決め込むところだけど、今日は買うつもりだからね。オバちゃんの言いなりになってみた。
オバちゃんと言っても私より大分若いな。
それがスゴくてさ。
私が会社をやったら恐らくは営業として採用するわ。
さて、こういうところは当然商品に値札を付けていない。最初は吹っ掛けてくることも知ってる。
となれば当然値段を訊くでしょ?
すると「どっち?」とすかさず日本語で訊き返して来る。
「どっちってナニが?」と尋ねると「円か~?ドンか~?」と来る。
こっちは残りのドンを限りなくすべて使うつもりだったので、ドンのほうが都合が良いと思い、ドンで頼むと、やっぱりわからないのよ。
オバちゃんはそんなマゴマゴしている私の様子を見て取ると、「あ、それ?100,000ドン!500円!!」とか「ハイ、それは400,000ドン、2,000円!!」とかズバズバ押し込んでる。
やっぱり値切ってみると当たり前のように値段が下がってくる。
「OK。じゃ6枚買うから〇〇円にしてよ」とか言ったら「さっき、その値段でいいって言ったジャン!」と注意されてしまった。
「チョット、写真撮らせて」と頼んだら、しっかり商品を宣伝してやんの。
でもオバちゃんゴメン!半目になっちゃった!

160例のドンコーイ通りのラッキープラザに出かけていくらか食料品を買い増した。
お腹が危なくなったら髙島屋へ駈け込めばいいから安心。

170_2家内のリクエスト通り、ココナッツ・オイル、ハス茶、ドライ・フルーツ、コショウ等々、ベトナムの特産品を買い込んだ。
やっぱり安いわ~。

196ことのほか「ライム塩胡椒」とかいう調味料が出色だった。
ライムとは言うものの、レモン風味の塩コショウ。
何にでもマッチしてすごくいい感じ。
1本60円。
でも、やっぱり好事魔多し…というほどではないけど、まず封を開けてないヤツを見て。
ナゼか中身が2/3ぐらいまでしか入っていない。
容器が大きいのか、内容が少ないのか…何か理由があるのだろうか?
次、黄色いキャップを開けると普通は付いているはずの穴の開いた内部キャップがない。
ドバっといっちゃう危険性大。
この穴の大きさと内容量からすると、ひと振りで全部なくなっちゃうかも?

S33173121_1495775433865555_77305943 ココナッツ・オイルは日本に比べて格安だというので2ビンほど買って行ったが、後にコイツがスーツケースの重量制限の大敵となった。
ココナッツやドライフルーツがお好みなら…と試しに買ってみたのが下のヤツ。
いかソーメンではない。
それこそココナッツのドライフルーツってヤツ。
これがかなり高レベルのズイマ。
ただ甘いだけなんだけど、変にココナッツの風味があって、噛むとジャリジャリと砂を噛んでいるようなイメージ。
ウチはもう食べないので、Marshallの事務所に来る若いミュージシャンたちに強引に食べさせちゃおう。

1_img_6582それとコーヒー。
以前、ウチの下のセガレがインドネシアの「コピ・ルアク」というジャコウネコのウンコから採取したコーヒー豆を私の誕生日にプレゼントしてくれた。
ジャコウネコが食べたコーヒー豆が消化されずに熟成され、ウンコと共に排泄される頃には豆のコクが著しく増しているというモノ。
一体誰がそんなモノを最初に試したかが気になるところだが、ジャコウネコだってそうそうウンコばっかりしてもいられないので、おのずから生産量が限られ、値段にハネ帰って来る。
要するに超高級品なワケ。
で、ラッキー・プラザのコーヒー売り場には「WEASEL」というラベルの付いたコーヒーがたくさん並んでいる。
「weasel」とはイタチのことね。
ベトナムでは「コピ・ルアク」と同じことをイタチを使ってやっていて、タヌキ・コーヒーなんてのもあるらしい。
お店の売り場にある日本語の説明書きにはすべて「ジャコウネコ」と記してあったが「weasel」は「イタチ」だ。
例のお店の女の子が「高級品です」というのでひとつ買ってみた。
200gで600円。
他のコーヒーに比べると2~3倍の値段だ。
さすが「イタチ野郎」!

197つまりこういうこと。
コレがやりたくてココまで引っ張った…というワケではなくて、このイタチ・コーヒー、一緒にベトナムに行った元同僚が後に調べてくれたんだけど、どうもそこらで売っているイタチ・コーヒーはすべてマガイものらしい…と言うのだ。
そこで私も合羽橋の老舗コーヒー問屋「ユニオン」に豆を買いに行くついでにそのあたりのことを教わって来た。
実はベトナムで獲れるコーヒー豆は「ロブスタ種」といって我々が普段飲んでいる「アラビカ種」というものと種類が異なるのだそうだ。
「アラビカ種」の方が品質が上らしいので、単純な比較はできないが、その店では例の「コピ・ルアク」50gを2,000円程度で販売していて、それでもかなりお買い得なのだそうだ。
つまり、上の200g入りに換算すればその値段は8,000円。
繰り返すが、私は上の商品を600円で買った。
やっぱりどうもクサイ思ったよ、ウンコだけに!
美味しかったかって?ウ~ン、次のチャンスがあっても買わないでしょうな。マズくはないんだけど、取り立てておいしいワケでもなかった。

198ナンダカンダで飛行機のチェックインの時間が近づき空港へ移動した。
受付の女性はすべてアオザイ姿。
すべて現地人スタッフ。
イヤ~、今回は久しぶりにスーツケースの重量の調整に苦労したよ。
こんなの23年前に初めてニューヨークへ行った時以来。あの時は本をいっぱい買っちゃったんだよね。
今回もそんなことになる予定はなかったんだけど、どうにも預け荷物の上限である23kgをクリアできない。
カメラとPCの重量でどうにもならないのだ。
ナゼかその元の同僚が秤を持っていてくれてね、大分助けられた。
とにかく少しでも重量のあるものをスーツケースから出さなければならない。
まずはカメラとPCだわね。機内持ち込みのバッグに突っ込む。
他にも携帯ウォシュレットも取り出してバッグに突っ込む。
すぐにバッグが満杯になってしまった。
いくらもしないのを知っているので、例のベンタイン市場にスポーツバッグを買いに外に出た。
「グェェェェ!あ、暑い!」
しばらくホテルの中にいたので外が酷暑であることをスッカリ忘れていたのだ。
これじゃ飛行機に乗る前に汗でビチョビチョになっちゃう!…ってんで、すぐに引き返した。
するとその元同僚が「これでよければ」…と、自分のパソコンを取り出して、空になったその取手の付いたケースを貸してくれた。
「ありがとう…」
それにも詰め込むだけ詰め込んで、何とか23kgをクリア!
そうして意気揚々と空港に向かったというワケよ。
おかげで機内持ち込みのバッグには、つまり私の背中にはカメラやらPCやらが移って来てこの世のモノとは思えないほどの重さになっちゃったけどね。
でもヨカッタよ~、見ていたらやっぱりカウンターで荷物を整理させられている人がいたもん。

200手荷物検査でチョット引っ掛かっちゃった。
X線検査の担当者から「何か『マシーン』が入っているのか?」と訊かれて、最初なんのことかと思ったが、すぐに携帯ウォシュレットのことだとわかった。
何て答えたのかは覚えていないが、「トイレで使うヤツ」ぐらいのことを言ったのかな?
その彼は「オ~、イエス!」とすぐに理解した。
今度は「見たい?」とこちらから訊くと「No thank you!」だって。
彼が携帯ウォシュレットを知っているところを見ると、多くの日本人が携行していることが容易に想像できる。
アレは確かによい。
別に紙でもいいんだけど、海外に行くとどうしても生活のリズムが崩れしまい、硬くなるか、柔らかくなるか…いずれにしても携帯ウォシュレットがあると大変便利なのだ。
おススメ。
 
空港のコンコースに並ぶ売店。
コレらの売店で流通している標準の通貨はナゼかドルなんだよね。
値段の表示にベトナム・ドンが見当たらないのだ。
最後の最後に持っているドンをすべて使ってお土産を買った。
それでもいくらか残ったけどね。
「全部使ってくれ」と店員さんに残ったドン札を差し出したところ、「ココで買えるモノはありません!」だって!

210出立を待つ搭乗客。11:00過ぎだよ。
ナイト・フライトってのはあんまりいいもんじゃないな。
乗るまでに疲れちゃって…かと言って飛行機の中でガンガン寝られるワケでもなし…

230…ということで、以前から観たいと思っていた『ラ・ラ・ランド』が飛行機のビデオの中にあったので、観てみた。
ジャズ・ピアニストと女優の卵のラブ・ストーリー・ミュージカル。
あまりにもスタンダードな物語の設定。
「ミュージカル作品」としては古いミュージカル映画を観慣れている私なんかにはどうも素直に入って来ないナァ。
挿入歌については、気持ちはよくわかる。
冒頭のフリーウェイを舞台にしたモノすごい長回しのダンス・シーケンスや夜中の山の上シーンのような撮影技術には圧倒されちゃうけど、アイリスやワイプをチョコチョコ使うところなんかは、古いモノを新しいテイストで強引に作り直した感じがあまりにも強いと思った。
でもね、ジャズ・ファンならニヤリとさせらるシーンが結構あって楽しい。
彼女が部屋に入ってきて何の気なしにイスに座ると「そこに座るな!それはホーギー・カーマイケルが座ったイスなんだぞ!」なんてシーン。
コルトレーン、エヴァンス、シドニー・ベシェ、チック・ウェッブ、カウント・ベイシーなんて名前がジャンジャン出てくる。
チャーリー・パーカーのアダ名がナゼ「Bird」か、なんてシーンもあったな。
主人公のセブが登場するライブのシーンも結構凝って作ってあって好感が持てる。
特にジャズ・コンボのシーン。
昔、『グレン・ミラー物語』で、トロンボーンを吹くことができなジェイムス・スチュアートが本人の役を演じた時、必死に練習してスライドのポジションを覚えたとか…1か所だけ間違えてしまったらしい。
セブがキーボーズを弾くシーンにはそんな丁寧さが感じ取れる。
そもそもチック・コリアとハービー・ハンコックを足してマッコイ・タイナーで割ったようなフレーズが信じられないぐらいカッコいいんだよね。
後で調べてみたら、あのピアノはセブを演じたライアン・ゴズリング本人が弾いているとか。
元々はピアニストじゃないのよ。
向こうの役者はホントにスゴイ。
途中で気が付いたのは『La La Land』というタイトルについて。
コレって、フランス語の定冠詞「La」とLos Angelsの「LA」、それに「Land」を組み合わせているんだな?
つまり、映画やジャズを題材にロサンゼルスという街の魅力を伝えようとしているのだろう。
ま、でもジャズはやっぱりニューヨークだからね~。
まばゆい陽光の下でコルトレーンやパーカーの名前が出てもどうもピンと来ない。
「La」は女性名詞に付ける定冠詞だから、ロサンゼルスは女性ということになろうか?
 
まったく上げてるんだか、下げているんだかわからない感想文になっちゃってるけど、この映画に関してどうしても書きたいことがある。
ひとつ胸に突き刺さるような印象的なシーンがあったからだ。
それはいつも私が考えていることに対する回答でもあり、賛同でもあり、反対に悩みを増長するものでもあり…。
それはセブが彼女に向かって悔しそうにこう言うくシーン。
「みんなは『ジャズは死にかけている』って言うんだ。そんなことない!でも彼らは『ジャズはもう十分に生きたじゃないか。だからもう死なせてやれ!』って。そうはさせない。ボクはジャズ・クラブを作ってまたジャズを盛り上げるんだ」
正確ではないが、ま、こんな感じ。
「もう死なせてやれ!」というところでヤラれた。

Lll私にはセブのセリフの「ジャズ」という言葉が「ロック」という言葉に聞こえたからだ。
「ロックはもう十分に生きた。ロックはもう死なせてやれ」って…そう聞こえたんだよね。
ジャズは進化に進化を重ね、最後は「何でもあり」のフリー・ジャズに行きついたところでやることがなくなりニッチも(ジャズだけに)サッチも行かなくなってしまった。
ところが、ウィントン・マルサリスあたりのスターを得て、「新主流派」というしかつめらしい名称のもと、見事先祖がえりを果たして生きながらえている…どころか若い優秀なミュージシャンが続々と現れている。
小規模ながら演る側、作る側、聴く側のすべてが若返り、バランス良く機能しているとも言えよう。
そこへ行くと、あれほど流行ったフュージョンはどうなったか?美人ジャズ・ボーカルズはどうなったか?
熱心なファンも多いことだろうから結果はご想像にお任せするが、やっぱり流行りものは必ず終わりがl来るということだ。
ちなみに落語もジャズ同様のことが起こっているらしい。両方とも何回死んでるかわからないからね。
少しぐらいじゃヘコたれない。
さて、今のロックはどうだろう?
ずいぶんとルーツから遠いところまで来てしまって…果たして「ロックは元気に生きている」と言えるのだろうか?
 
もう少し『ラ・ラ・ランド』から引用させていただく。
これもセブが友人からの意見。
「ケニー・クラークやセロニアス・モンクを相手にするな。伝統を守ってばかりじゃ革命はできない。若いヤツを相手にしなきゃダメだ」
ケニー・クラークは1940年代のビ・バップ・ムーブメントの時にジャズ・ドラミングのスタイルを進化させ、現在の奏法を確立したとされる大イノベーター。
セロニアス・モンクも、同時期にオリジナリティあふれる曲を数多く世に送り出し、また、独特な奏法でモダン・ジャズの創生に大きな足跡を残したピアニスト。
しかし、セブはケニーもモンクも手放すことができない…我々で言うとツェッペリンやパープルだ。
そして、やっぱり若い連中を視野に入れないと、芸能事はいずれ滅びるということをこの映画は言っているのだと思った。
さらに私がいつも言っている通り、伝統的なロックに今の若者にしかない感性を注いで新しいモノを作るしかロックには残された道はない…ということを再認したわ。
つまりロックの未来は過去にしかない。
だれか「未来は過去からやって来る」なんてこと言ってたな。同感である。
そして、この映画こそがそれを実践している…ということに気が付いた。
 
今、『スパイナル・タップ』の劇場での日本初公開に備えて、配給会社の方とチョコっと仕事をご一緒させて頂いているのだが、昨年の映画の興行収入はこの『ラ・ラ・ランド』のおかげで上々だったそうだ。
とてもいいことだ。
私には主人公の2人がフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの焼き直しに見えても、若い人たちの目にはさぞかし新鮮に映ったことだろう。
コレを機に、オリジナルのミュージカル映画やジャズに興味を持ってくれるとうれしいね。
そこにはLAどころか、アメリカの一番いい時代が詰め込まれている。
ネタバレになるので映画の結末については触れない、私には甘々のラブ・ミュージカルがロックを題材にした激辛の社会派ドラマに感じた。
おかげで飛行機の中ではゼンゼン眠れなかった!

Lllああ~、帰って来た~。
実際には早朝に成田に着いたんだけど…。
やっぱり日本が一番いい。

245vアレほど使い切ってしまおう!と決心したベトナムドンであったが、結果的には下の写真のように21,500ドンも残ってしまった!
あ~、損した!…と思って円に換算してみると、アラ?
104円だって!
ホーおじさん、オレの勝ちだな?

240さて、お土産後日譚。
上にも書いたように、私が滅多にお土産を買って来ないものだから子供たちは例のベンタイン市場で買い込んで来たTシャツに大喜び。
下の竜の刺繍のヤツ以外は大ウケ。

190どうせ買うならと思いっきりフザけたヤツにしようと思い、お世話になったフォー・ネタのモノを中心に選んでみた。
3枚ずつ渡して「さっそく着てみよう」ということになった。
すると、それぞれの部屋から叫び声が聞こえてきた。
180「ウワ~、ナンダこれ!」とか、「着れね~!」とか「脱げね~!」と叫んでいる。
どういうことかと思ったら、このTシャツ、紙のように全く伸び縮みがしないのだ!
素材がおかしいのかというと、綿100%で問題はない。
どうも生地自体の編み方が普通ではないようなのだ。
伸び縮みがするということは、面積が広がる分だけ糸を使っているワケで、このTシャツはその辺りを思いっきり節約しちゃってるのね。
だから本当に紙と同じなのよ。
サイズが小さかったらまず着ることはできないし、着れたとしてもそれがパンパンな状態だったら上半身を動かすことは不可能だ。
私も着てみたが、コレはヒドイよ。
そういえば、アソコで買った時、商品には一切触らなかったのを思い出した。
アレがホントの「やばいTシャツ屋さん」だったのね。

170『私のホーチミン』はこれにて終了!
ヨカッタですね~、皆さん。
長い間お付き合いくださいましてありがとうございました。
レポートをご覧頂いた皆様は、私がベトナムに対してあまり良い印象を持っていないとお思いかもしれない。
確かに2日目ぐらいはあまりの暑さに耐えかねて東京に帰りたくて仕方なかったけど、日本に帰っても4ヶ月もすればベトナムのことも言えなくなるし、街の様子にも比較的すぐに慣れたしで、今にしてみると満更でもないかと…イヤ、やっぱり東京がいいわ。
でもね、あのエネルギッシュなバイクタクシーのオッサンや必要以上に親切なホテルのスタッフ、ガッツリ居眠りしていたモノ売りのオバサン、そして、ヤバいTシャツ屋さん…今頃みんなどうしてるかな?なんて思っちゃうんだよね。
あの人たちは昨日も今日も、明日も10年後も同じことをしているんだろう。
本当に色んなことを見て、聞いて、考えて、学んだ1週間の旅だった。
しかし…私はまたベトナム工場に行くことがあるのだろうか…。
さらばホーチミン・シティ、その時まで!

250 

200 

(2018年3月12~18日 べトナム、ホーチミン市にて撮影)

2018年5月 9日 (水)

ベトナムに行ってきた!~私のホーチミン vol.7

 
…ということで、ナゼゆえ私がベトナムへ行ってきたのかは、前回の記事でよくおわかり頂けたと思う。
ネ、遊びに行ってきたワケではないの。
そして日本へ帰って来てまたチョット考えさせられててしまった…というのはコレ。
私はライブに取材に行く時、頂いたバックステージ・パスを下のようにして首からブラ提げている。
別に格好をつけているワケでも、さりとてMarshallの宣伝をしているワケでもない。
こういう風にしているのには理由がある。
だいぶ前の話になるが、かつてはパスを太ももに貼っていた。
ある夏、貼ってあったはずのパスを失くしてしまい往生したことがあったのだ。
知らない間に汗で剥がれてしまったんだね。
それ以来、下のようなパス・ホルダーを使用している。

1_2img_6377 ところが、タマにこのパス・ホルダーを忘れてしまうことがありましてね…。
先週、渋谷のライブハウスに行った時もそうだった。
そんな時は観念してパスをペロリと身体のどこかに貼り付けてしまうことが多いのだが、この時は違った。
長い間使っていたビニールのケースもボロボロになってしまっていたので、新しく作ることを思い立った。
東急ハンズへ行ってビニールのケースをゲット。
「コレで安心!」と東急ハンズを後にしたところで気が付いた。
あ!ランヤードを買い忘れた!
「ランヤード」とは首から吊るすヒモのことね。
そう思った瞬間、ハンズの斜め向かいのビルの地下にある100円ショップが目に入り、そこでランヤードを買い込んで下のようなパス・ホルダーを急ごしらえした。
こんなの東京に住んでいれば何でもないこと。
でも、「何でもない」ことについては普段考えたりしないのが当たり前。
そして、この時フト考えてしまったのです。
「もし、コレがホーチミンだったらどうなるんだろう?」って。
もちろん土地勘がないこともあるが、CFカードくんだりを探し求めて街をさまよい歩いたぐらいなのだ。
必要なモノが、必要な時にたちまち手に入るこの東京の利便性はあまりにもスゴい。
便利であることに文句をつける気はないんだけど、「果たしてこんなに便利でいいんかな?どこかで大きなしっぺ返しをくらんじゃないか?」と、少し怖い気すらしてしまったのだ。
その代表は「水」。
蛇口をヒネって出て来る水がそのまま飲める国が世界で15しかないとは…。
こんなことベトナムに言っていなければ絶対に考えないこと。
こんなジジイでもそういう発見があるんから、感受性が豊かな若いうちに何事も経験を積んでおくのが良いのだ。
イヤ、私もまだまだ若いということか…若いと思いたくなったのは年を取った証拠か?
ま、何でもいいや!

2img_6379まずは、また街で見かけたモノから…。
何かの食べ物の屋台、ガタガタの歩道、そしてその向こうには道路を埋め尽くすバイクの大群。
私のベトナムの印象を1枚の写真にまとめてみた…ウソ、偶然です。

10コレも商店ですからね。
またこのイス!
街中にあふれかえってる。
ものスゴイ売り上げに違いない。

20歩道でムキ出しになっている変圧器。
子供がよじ登ってイタズラできる高さになっている。

30v下は別の場所にあった変圧器に付いていた警告板。
ホラ!ガイコツもマイってるぐらいアブナイんだよ。
ま、おおよその検討はつくけど、「CAM SO!」ってのを調べてみた。
ギャハハハ!
この「cam」っての単語、発音によって10個も意味があるぞ!
しかも名詞はオレンジから、糠、罠、顎、楽器と何の脈絡もない!
動詞は、感じる、怨む、固定する、唖然とする…とこれまた余りにも意味がバラバラでコッチが唖然とするわ。
恐るべしクォック・グー。
その中に「禁じる」という意味があった。
「so」にも7つほど意味があるようだが、その中に「触る」というのがあった。
要するに「CAM SO!」は「触るな!」ということなんだな?
Img_6063
レトロ感漂うカッコいい消火栓。

Img_6056さて、この日は会議も終えた帰国の前日。いよいよ人生初の東南アジアへの旅も最後に近づいた。
旅の最後といえば…お土産。
億劫なんだよね~、お土産買うのって。
でも今回はこと細かく家内から指示をもらっていたのでラ~クラク。
指定のアイテムを手に入れに、汗をふきふき、またノコノコと街へ出かけた。

40何やら大きなイベントを控えているらしく、例の市庁舎の前には舞台のようなものが設営されていた。

50目指すはドンコーイ通り。
暑さにはもうスッカリ覚悟が出来ていたのでドンとコーイ!

55市庁舎の前のグエン・フエ通りをまた歩く。

70改めて見回してみると、なかなかいいもんですな。
この丸みを帯びたコーナーが終戦直後の東京の「カフェ建築」を連想させる。

0r4a6557 しかし、歩いていてフト思い出したんだけど、この国って社会主義国なんだよね。
そう、何回か前の記事に書いたように、なぜベトナム戦争が起こったかを考えれば当然のことだ。
今、「社会主義国」と呼ばれる国は世界で5つしかないんだってね。
中国、北朝鮮、キューバ、ラオス、そしてこのベトナム。
日本にいて「社会主義国」なんて聞くと、北朝鮮のような国情が真っ先に思い浮かぶけど、普通にしている限り、ホーチミン・シティが社会主義国の首都であるなんてことを感じさせられる局面は全くない。
しかし、調べてみると、刑法の第79条に「国家転覆罪」が謳ってあって、その縛りはかなりキツく、観光客とて公の場で政府を批判したりするとこの法律が適用されるのだそうだ。
街が「汚い」とか「臭い」とか言ってゴメンね!
また、政情は共産党の一党独裁で、個人資産に制限が課され、法律も簡単に変わってしまうらしい。
加えて警察の権限が大変強いとのことで、数日前に見た駐車違反者に向かって信じられないぐらいの剣幕で怒鳴っていた警官の行為もうなずける。

80ドンコーイ通りに来た。
まだあるのかどうか知らないけど、茅場町に「ドンコーイ」というエスニック料理店があったが、コレが元なのね。
それにしては、木曜日の夜のベリーダンスが呼び物になっていたのはナゼか?
アレはトルコかなんかでしょ?

90日本で言えば銀座の中央通り、ニューヨークなら五番街、ロンドンならオックスフォード・ストリートかリージェント・ストリートってとこか?

100通りには商店がビッシリと立ち並んでいて、歩道には物売り、マッサージの勧誘がひしめきあっている。

120こういうのもフレンチ・コロニアル様式の建物なのかしらん?

1402階部分が道路側にせり出していて、歩道の屋根の役割を果たしている。
コレ、いいアイデアじゃん?
イギリスのヨークなんかにも2階や3階部分がせり出している建物がたくさんあったが、アレは肉を干すためのスペースだと聞いた。

160なかなか小ジャレたお店が並んでいて観光客もワンサカ。
そういえば靴磨きがスゴかったナァ。
スニーカーだろうがナンだろうが、少しでも汚れているとしつこく観光客に声をかけて来る。
放っておくとひざまづいて勝手に磨きそうな勢いだ。
必要でなければ絶対に目を合わせないことだ。
それか、ビーチサンダルを履いておく。まさかビーサンを磨くことはあるまい。

210大きな建物はやはりコーナーが丸く作られている感じ。

130ハイ、ここ。
「ラッキー・プラザ」といって、1~2階が土産物店で3階がスーパー・マーケットになっている。
イヤ、3階も土産物屋か?

170観光客も多く、店内には日本語がバンバン飛び交ってた。
みんな「エ~っと、1万ドンが50円だから~」ってやってる。
家内からのオーダーは、調味料、ナッツ、ドライフルーツ、ココナッツ・オイルとかそういうヤツ。
どこに何があるのかサッパリわからないので、若い女性店員さんに助けを乞うた。
英語で話しかけると、「ニホンゴデオネガイシマス」と来たもんだ。
おとなしくて、とても感じの良いお嬢さんで、似たような商品を選ぶ時など、遠慮なくダメな商品はダメと言ってくれて、2人でケタケタ笑いながら楽しい買い物をした。

180ちなみに、今回の写真はすべて携帯電話での撮影。
もう一眼レフを持って歩くのがツラくなっちゃって…。

190v爆睡。
暑いからね~。疲れてついウトウトしちゃうよね~。
しかし、オバちゃん、それじゃまったく店番にならないじゃん!

205フォー屋。
笑っちゃったのは、こんなのにも「コンボ」のメニューがあるの。
「コンボ1」はフォーに飲み物がついて59,000ドンだから300円弱。
やっぱコンボは得だ~!?

206vこんなクラッシーなホテルもある。

220コレはドンコーイ通りを抜けたところにあるホテル。
320v思いっきり逆光でどうやってもうまく撮れないけど、周囲はこんな感じ。

240あ!大魔神!…なワケないんだけど、真ん中に写っている銅像。
近くへ寄って確かめることにした。
ところが、目の前の道路の交通量があまりにも激しくて、待てと暮らせどわたるチャンスがやって来ない。
それでも辛抱強く待ってみた。
でもダメ。
本当に車やバイクが切れないのよ。

250少し離れたところに押しボタン式の信号があることに気がつき、面倒だったがこのままでは一生道路が渡れなさそうだったので移動してボタンを押すことにした。
コレがそのボタン。
このホースは何だったんだろうナァ?

Img_6034 この銅像は大魔神ではなく、陳興道という大越の皇族にして武将。
「大越」とは昔のベトナムの国号。
ベトナム名をTran Hung Dao(チャン・フン・ダオ)という。
1257年にモンゴル軍が侵攻して来た時に完膚なきまでにやっつけた英雄だそうだ。
また、1282年に元が攻め込んで来た時、時の皇帝がビビって降伏しようと言ったが、「戦わずして降伏するぐらいなら私の首を差し出せ」と言って徹底抗戦の構いを見せた…男だね~。

260チャン・フン・ダオが指さしているのはサイゴン川。
こっちから元が攻めて来たのかね?

270ココはサイゴン川の水上バスの発着場なんだけど、風が強く吹いていてナント気持ちのいいことよ!
しばらく涼んでいったよ。

280もう一度ドンコーイ通りに戻ってさっきとは逆の向きで進む。
330なるほど、ココもなかなかに味わい深い建物が並んでるわ。

290

300v

310v高級ナイトクラブって感じ?
関係ないや…と思って通り過ぎようとした時、ハッと気が付いた。

340v目に入ったのはステージの写真。
ん、もしや…。

350心霊写真みたいだけど…赤い枠のところ。
おお~、Marshallじゃないの~!
コレなんだろうAVT100かなんかかな?
スゲエな…Marshall。
ドンコーイ通りも制覇している。
その強さ、チャン・フン・ダオ級!

1_nc 次回は涙の<最終回>。
 

200  
(2018年3月12~18日 べトナム、ホーチミン市にて撮影)

2018年5月 6日 (日)

ベトナムに行ってきた! vol.6 ~ MAV見学 <後編>

 
Marshallベトナム工場見学の<後編>。
エレクトロニクスのエリアから木工の工程を経て、カバリングを貼る前の段階ですること。

10それは、ケーシングへの黒塗料の塗布。
コレもイギリスの工場でやっている工程だ。

Bp この機械の内側の壁には水が流れているのね。
何のためかと思ったら、機械を汚さないようにするためだって!

20vイギリス式。

1_img_0069 長年やってると、この通り「まっくろくろすけ」になっちゃう。

1_img_8306 さて、カバリング貼りの工程に入る。
すべての作業の中でももっとも技術を要するとされている工程。
まずはカバリングの材料を切り出す。

40_2ケーシングには予め特殊な接着剤が塗布してあって、カバリングを材料をスッポリとかぶせる。50_2後は余分な素材を切り落として…

60_2キレイに切り落とすよ~。
女性は手先が細かいからこういう作業には有利だろう。

70_2スゴイ!人海戦術。
生産量が多いからね。
それでも機械化せず飽くまで手作りで対応している。
考えてみれば、多少のデザインの変更は避けられないが、初めからカバリングを貼り付けた化粧板を作っておいて、それを切って組み立てた方がはるかに作業効率がいい。
でもそれをやらないのが「Marshall Quality」…すなわち「伝統」だ。
56年前からこのやり方でやっているのだ。

80_2この工程、イギリスの工場では男性だけが従事しているが、どうだろう、MAVでは女性の数の方が多いのかな?

90_2イギリスのようすを見てみようか?
こちらもケーシングにカバリングをスッポリとかぶせて…

1_img_0396切ったり、貼ったりする。
まったく同じ。

1_img_1845手にする道具はカッター・ナイフとハサミとこの人が右手に持っている白い棒。
私はコレが気になって、気になって…何という道具がを尋ねてみた。

1_img_0053「あ~コレかい?オレたちは『ボーン(Bone)』って呼んでるゼ」
なるほど。
このボーン、狭い角っこなど指が入らない箇所に当ててしごき、カバリングをケーシングに完全に密着させるスグレモノ…ってほどのモンでもないか?

1_img_8307 ベトナムに戻って…とにかくみんなモクモクと作業をしている。
これだけ若い人が集まっていればたいてい笑い声のひとつも出そうなモノだけど、聞こえてくるのは「シャッシャッ」というカバリング素材を切る音か、「カツカツ」という素材を貼り付ける音だけ。

100_2みるみるうちにカバリングをまとった美しいケーシングが作り出されていく。

110_2完成品は厳重に保管され最終工程に送られるのを待つ。

120_2

130_2こちらはバッフル板にフレット・クロスを打ち付ける工程。

140_2ココも女性ばっかり。150_2「バチンバチンバチンバチン」というステイプラーの音が小気味よい。

160_2イギリスではやはりオジちゃんが担当している。

1_img_0088 場内は飲食も携帯も厳禁!
イヤイヤ、みなさん真剣でとてもそんなことできる雰囲気ではありません。

170_2さぁ、いよいよ仕上げ工程。

180_2コーナー・ガードを取り付けて…と。

190_2この辺りもイギリスの工場とまったく同じだ。

200_2クドイようだけど、こちらはイギリス工場のようす。

1_img_0082 コーナー・ガードを付けたり…

1_img_8265リアパネルを取り付けたり…。
イギリスで生産しているモデルは大きくて重いので、このセクションは男性でないとまず務まらない。

1_img_0044同様にこの工程はベトナム工場でも男性が多いが、女性がいないでもない。
シャシを取り付ける。
ベトナム工場の製品はトランスが小さいモデルだからね。女性でもOK。

210イギリスの工場で聞いたことだが、実はこうした最終段階に近い工程が一番大変なのだそうだ。

220理由はふたつ。
上で触れたように、最終段階に近づけば近づくほど、搭載された部品の数が増えて重量が増す…ということがひとつ。

230_2スピーカーなんかが取り付けられると格段に重量が増すからね。

260_2コレはリアパネルを作っているところ。

240_2前の工程でカバリングが貼られた部材にメッシュを取り付ける。250_2そして、今ひとつの理由は、取り扱っているモノに絶対にキズを付けないように細心の注意を払わなければならないということだ。
リアパネルをはめ込んで慎重にビスを埋めていく。
この段階でツルッなんて、電動ドライバーでカバリングを破いちゃったら台無しだからね。
コレが大変なんだって。

270出来上がったアンプが送られる先は…

280_2最終チェックの工程。

290回路的にはOKでも、イザ商品になって音が出ないなんて言ったらコトだからね。

300vそして、最後の製造部のセクションに到達。
検品済のステッカーを貼って…

310_2ビニール袋をかぶせて…
330_2オリャ~、段ボール箱への詰め込みだ~!

320_2ココも大変な作業だよ。
落としたりして商品にキズを付けたりしたら大変だからね。

325腰に気をつけれ~!
ココまでが製造の工程。

340_2一方、出来上がった商品を保管しておく倉庫はどうなってるのかな?

350_2世界中に送り出される直前のMarshallがパンパンに詰まってる。

360_2コレ、何の脈略もなく、雑然と積まれているように見えるでしょう?

370さすがにそんなことはなくて、列ごとに行き先がキマっていて、順番がくるとガバ~っと積みだして倉庫は毎日スッカラカンになる。
世界中に出荷しているからね。

380vちょうど外では20ftコンテナーが積み込みをしていた。

390_2南シナ海を横切ってこのコンテナーはどこへ行くんだろうね~。

400…ということで「ジョナサンの扉」を通って工場見学は終わり。

405v従業員の皆さんはお昼。
ホント、日当たりが強くてアツイ!
でも、女性の皆さんがさしているのは日傘ではなくて雨傘です。

410_2コレが従業員の食堂。
工場の周囲には食べ物屋さんなんて全くないからね。
天然のエアコンつき。

420_2従業員全員と一緒に記念撮影をしようということになった。
ベトナムの皆さん、とても小柄で私でもノッポの部類に入っちゃう。
みんなニコニコしてとても感じがいいんだよね。
以前、日本の企業がベトナムに進出し出した時、よくこんな話を聞いた。
「ベトナムの人は気立てがおとなしくマジメ。そして勤勉でとてもよく働く。まるで昔の日本人のようだ」って。
そんなこと聞くと今の日本人は「騒々しいばっかりで、まったく働かない」…みたいになってしまうけど、言わんとしていることはよくわかる。
終戦後、丸裸になってみんなで必死にナニかを作っていた時代があった。
今では世界的に産業の構造がスッカリ変わってしまい、日本における「モノづくり」の大切さが忘れられてしまった。
日本人が一番得意な分野なのに…。
工場の皆さんが脇目を振らず、一心不乱にモノづくりに取り組んでいる姿を見ていたらそんなことを考えてしまった。

430_2工場の女性事務員さんたち。
向かって左端の女性はイギリス本社から来ていたヘレン。

440_2心のこもったホスピタリティでとても充実した工場見学となった。
会議は大変だったけどね…いつものことなんだけど。
コレまでにも英語で知恵熱を何回出したことか。
450_2ご丁寧にこんなお土産まで頂戴した。
ベトナムの「こけし」ってところかな?
すごく気に入って事務所に飾っている。

590vさて、はじめてのベトナム工場。
<前編>の冒頭に書いた通り、私はイギリスの工場を何度も訪れているが、初めて見たベトナム工場の製造の光景はイギリスのそれと寸分たがわぬモノであった。
ジョンがビデオの中で述べているように、両工場の責任者の密接度が窺えるというものだ。
マァ、双方の工場で異なる点と言えば、ベトナムは女性従業員の比率が高いことぐらいかしら?
もうひとつ、コレもジョンが触れていたが、設計やエンジニアリングはすべてイギリスの本社工場で行っているということ…例えて言うなら、頭がイギリス工場。

1_img_5980身体がベトナム工場ってこと。
その管理体制は相当厳重なモノであることがヒシヒシと伝わって来た。
つまり、Marshallにはイギリスもベトナムもない…両方がMarshallなのだ。

1_0r4a6454そんな意識でもう一度ビデオをご覧くだされ!

ハイ、帰るよ~。
あ、そうだ!外はこの景色だったんだ。
長時間工場の中にいて忘れてた。

470_2ナニをやってるんだろうネェ?
ココでもあのイスが大活躍している。

480_2道路の間の空き地には何頭かの牛が草を食んでいた。

490_2出た~!
大スキ、この電線!

500_2またあの高速道路を通ってホーチミンへ帰ろう!

510_2一部にはバイク専用のレーンがあって。帰宅する人たちがワンサカだった。

530_2市街に入ってきた。

540_2グリーンベルトで見かけたオッサン。
鶏は後で食べる用。
チョット変なこと書いていい?
よくテレビで「ゲテモノを食べる罰ゲーム」なんかがあるでしょう?
アレ…肉系のモノって最初イヤがっていても、意を決して食べた時にキマって言うのが、「おいしい~!これイケますよ。ウン、鶏肉みたい」。
どんなにキテレツなモノの肉を食べてもみんな「鶏肉みたい」って言う。
決して「あ、牛肉の味ですね」とか「豚にソックリな味です」とは言わない。
ということは、逆に考えてみると我々が普段テッキリ鶏肉だと思って食べている肉が鶏肉ではない…ということがあるのかも知れないね…んなことないか。
もうひとつ、この手のゲテモノ食いの定番のリアクションに「おいしい~。すごく濃厚でクリーミー!まるで白子みたい!」というヤツ。
白子もよく出て来る…私は白子を食べないので関係ないけど。

550_2ギャハハ!
郊外へ向かう反対の方向はかなりの交通量だ。

560_2ドワ~!
まるで飛来するイナゴの大群のよう。
コレがホントのイナゴ・ライダー!

570_2帰って来た~、私のホーチミン!
ラッシュアワーだけあって市内はさすがに混み混みだわ。

580_2この後、みんなでバスに乗って市街から30分ほど離れたエリアに会食に出かけた。
ビックリしたよ、
そのエリアはベトナムでも最も富裕層が集まる高級住宅街で、暗くてよくは見えなかったんだけど「ナニこれ?寺か?」みたいなアホほどデカい邸宅が立ち並んでいたからだ。
そこには東京でもお目にかかることができないような豪奢なレストランがひしめき合っていて、ズルズルとフォーをたぐるのが当たり前のエリアと地続きだととてもは思えない。
我々の会食の会場はその中の1軒だった。
「THE DECK」というお店。

1_img_5892名前の通り、デッキになっている。
雰囲気満点で、さすが高級レストラン、生ガキを出していたよ。

1_img_5893傍らを流れるサイゴン川。
時折巨大な藻が流れて来てギョッとしちゃう。
何しろデッキなので空調設備は付いていないが、夜になると噴き出す風がとても心地よい。
デパートの屋上で汗をダラダラとかきながら大ジョッキと皮だらけの鳥の唐揚げを交互に口に運ぶのとはワケが違う。
東京の真夏はこうはいかない。
エアコンよりこっちの方がはるかに気持ちいい。

1_img_5894デザートのチョコレート・アイスクリーム。
ベトナムはカカオの生産が盛んでチョコレートがおいしい。
このアイスクリームもメッチャおいしかった!
でも早く食べちゃわないと、アッという間に溶けちゃうぞ!

1_img_5898会議は延べ3日にわたって催された。
600_21日目は工場の会議室。
2日目以降は『私のホーチミン』で紹介したホテルの会議室で行われた。
ホテルの会議室は冷房が効いていて今度は寒かったよ。こんなこともあろうかと、念のために長袖を持って行ってヨカッタ。

610_2 
★★★オマケ★★★
よく外人は日本人のマネをして半ばフザけて「〇〇サン」と「さんづけ」で我々のことを呼ぶんだよね。
ディストリビューターの中にダニエルという名前の人がいてね。
私のことを「シゲさん、シゲさん」と呼ぶワケ。
そうなるとこっちも「ダニエルさん」と「さんづけ」呼ばないと失礼じゃない?
で、「ダニエルさ~ん」と呼んでいたら彼も私もある時フト気が付いて、大笑いしながら相手のことを指さして同時にこう叫んだ!
「キャラリキー!!!!」
どうもどこかで聞いたことがあるな~…とお互いに思っていたんだな。
そう、『ベスト・キッド』のラルフ・マッチョの役名が「ダニエル」なんだよね!
もうコレがおかしくておかしくて!
『ベスト・キッド』の原題は『Karate kid』。アメリカ式に発音すると「キャラリキー」となる。
もちろん、私はダニエルにこう言ったよ。
「No no Daniel-san, I'm not Shige-san…Miyagi-san 」
そうしてダニエルさんと2人でケタケタ笑っていたら他の連中も集まって来て、「お~、ダニエルさん!」とか「ミヤギさん!」と言って喜んでいた。
この映画、そんなヒット作だったのか!
ン、チョット待てよ…もしかして外人が「〇〇さん」とやりたがるのは、まさかこの映画の影響なのかな?
今度誰かに訊いておくね。

1_bk
<つづく>
次回から『私のホーチミン』に戻ります。
でももうすぐこの『ベトナムに行ってきた!』シリーズもおしまいだよ…寂しいナァ。
  

200  
(2018年3月12~18日 べトナム、ホーチミン市にて撮影)

2018年5月 5日 (土)

ベトナムに行ってきた! vol.5 ~ MAV見学 <前編>

 
3月の末から『ベトナムに行ってきた!』と題して、ホーチミン市での滞在記を連載してきた。
初めて訪れた東南アジアの都市で見聞きしたことはどれもが大変刺激的で、良きにつけ悪しきにつけ、興味をそそられるモノばかりであった。
まだ記事2回分ほどの素材が残っているので、このままもう少し続けてベトナムを離れるところまでお届けしたいと思っている。
色々オモシロおかしくレポートを書いていはいるつもりなんだけど、決して遊びに行ったワケではありませんからね。
ベトナムには仕事で行ったんです。
そして、『ベトナムに行ってきた!』の第5弾にして、ようやくシリーズの本題である「仕事」の部分に移ることができる。
「仕事」というのは、Marshall社が所有するベトナム工場の見学と新商品に関する会議に出席することだ。
そして、今回から2回にわたってそのベトナムの工場見学のレポートをお送りさせて頂く。
記事の準備はできていたんだけど、ナンだってこのタイミングまで投稿を送らせたのかというと下のビデオの公開を待っていたから。
そこで、まずは皆さんにはそのビデオをご覧頂きたい。

Marshall Blogでもおなじみのジョナサン・エラリー社長がビデオの中で述べているのは以下の通り。
  
まずはじめに、平素よりご支援を頂いている世界中のマーシャル・ファンの方々に厚く御礼申し上げます。
今回このMarshallの内部を捉えたビデオをココにご紹介することをうれしく思います。とりわけイギリスとベトナムの両工場で我々の製品を製造してくれている高いスキルを持ったスタッフたちをご紹介できるのは喜ばしいことです。

ENGINEERING
 
ELECTRONICS
 
WOOD MILL
 
イギリスとベトナムにある工場は両方ともMarshall社が所有し、運営していることを強調して申し上げるのは重要なことです。
このことが意味しているのは、長年にわたって信頼を得続けている高い水準を確かなものにするためのすべての工程は我々が完全に監督しているということです。
 
両工場の責任者たちは毎日連絡を取り合います。そして、すべての製品はイギリスで発案、設計し、そしてテストされた後、生産の段階に至ります。
 
COVERING
 
FINISHING
 
QUALITY ASSURANCE
 
これからも両方の工場から新しくエキサイティングな製品が飛び立っていくことを楽しみにしています。

1_2je   
1週間の工場通勤を含めて、私はイギリスの工場に30回ほど行っていて、工場内のオートロックのドアの暗証番号まで知っているんだけど、この製造現場をフィーチュアしたビデオはとてもよくできていると思った。
まさにMarshall、つまりジョンが述べていることを的確に表現していると感じた。
  
Marshallを内部から見続けて20年…。
時代とともに色々なことが大きく変わった。
つい最近、世界に冠たるギター・メーカーの破産が喧伝されているけれど、ギターは大変だと思うよね。
オリジナルのアイデアを携えた新興のブランドをマーケットに食い込ませるのも本当に苦労するけど、皮肉なことに伝統を持っているブランドの方が苦労しているように見えるナァ。
そして、「伝統」にがんじがらめになってしまうことの恐ろしさを感じる。
その点、Marshallはエレクトロニクス技術の変遷のおかげで、常に商品に変化を加えて行く必要が出て来るところがかえってビジネスの強みになっている。
そりゃ、新規に何かを開発するのは大ごとだし、伝統も頑なに守っているけどどね。
このビデオでイギリスの工場をベトナムの工場のイメージを交錯させることで、Marshallというブランドの強みを上手に表現したと思う。
  
それでは、いよいよMarshallのベトナム工場へ皆さんをお連れするよ!
外は暑いから気をつけれ~。
ササ、まずは冷房の効いたバスに乗り込んで…と。

10vもちろんバスはMarshall号!
工場までの所要時間は1時間弱。

20ホーチミン市街から少し離れただけで景色がウソのように変わってしまう。

30スゴイよ、このマンションの新築ラッシュは!
ハジッコとはいえアジア大陸の一部だからね、ベトナムには地震がないのかと思っていたら、そうでもないんだってね。
50年に1回ぐらいはM6~7クラスのデカいのがあるらしい。ここ100年の間にM6クラスのヤツが32回もあったんだって。
こんなに高いビル建てちゃって大丈夫なのか?
ちなみに、上のジョンは、生まれてから現在までただの一度も地震を経験したことがないそうだ。
だからイギリスはああやって古い建築物が今でも使われているんよ。
もちろん古いモノをみんなで大切にするという国民性によるところも大きい。
しかし、あの市街の地元の皆さんの様子からして、一体どういう人がこういうところに住むのだろうか?

40こんなところに待ち時間の表示までついている立派な信号機が…。
そしてみんなキチンと信号の色に従っている。
ナンダ、ナンダ、やればできるんじゃないか!

45いかにも「最近できました!」という感じのキレイな道路。
その通りで、ジョンによると、道路がなかった去年は工場に行くまで2時間以上かかったのだそうだ。

50ETCまで完備。
道路の建設には日本の資本が入っている。

60郊外へ出ると道の両側は『地獄の黙示録』に出て来るような密林!

70渋滞はなし。
約1時間で着いたのは海が近いエリアだ。

80なんか、ベトナムの原風景みたいなところって感じ?

90…かと思うとこんなにキレイに整備された道路も。
どうもこの辺りは海外の企業を誘致した一種の工業団地になっているようだ。

95着いた~!
門柱にはおなじみのMarshallのスクリプト・ロゴ!
コレだけでかなりのホーム感だぜ!

100ド~ン!

120コレがMarshallのベトナム工場、Marshall Amplification Vietnam…略して「MAV」ね。

110ユニオン・ジャックがはためく~。

130コレが事務所棟。
え?暑くないのかって?
アツイ、アツイ!
安定の暑さですわ。日本の真夏ぐらい。

140なかなかに広々としている。
かなりの規模ですよ…Marshall社の商品だけ作っている工場だからね。

150我々はMarshallの社員と欧米のディストリビューターの一行だったんだけど、ナント、工場従業員たちの歓迎つき!
160ひとりひとりに花束が手渡されて…照れるわ~。
170早速事務所棟に入る。
2階にあるホール。
ココで新商品の試作機のデモが行われた…のはいいんだけど、エアコンがついてなくて玉の汗をかいてしまった。

155館内にはそこかしこにこの工場で生産されているモデルがズラリと展示されている。

157しかし、こうして見るとMGシリーズもずいぶんと歴史を重ねてきたな~。
私がMarshallに関わり始めた時はまた「Park by Marshall」だったからね。

1561階にある「ジョナサンの扉」。

180ジョナサンとはもちろんこの人。

190「ジョナサンの扉」を開けて工場の中に潜入~!

200まずは資材置場。

210vココで作っている製品のありとあらゆる材料が保管されている。
イギリスの工場と同じ。

230トランスや配線材類…

240段ボール…

250スピーカー類…

270vその他色々、必要なモノがすぐに取り出せるように、また材料の不足により製造が滞ったりすることがないようよう徹底した管理が施されている。

280製造ラインの部屋に移動。
どこもかしこもピッカピカ!

290v「パーツ部」…基板を製造する工程。

300ドヒャ~!スゲエ人数!
360向かい合った作業台の真ん中にベルトコンベアが設置してあって、ユ~ックリと流れている。

320ベルトコンベアで流れて来る基板に自分が担当するパーツを取り付ける作業。

330作業に誤りがないように、工程を詳しく記した作業指示票が各セクションに貼られている。

370vとにかく皆さん、ヨソ見やおしゃべりなど一切せず、モクモクと自分の仕事をこなしている。
我々見学者が気にならない、と言えばウソになろうが、それでもこの集中度合の高さは立派なものだ。

350コレがイギリスの工場だと家族の写真やグラビアの切り抜きが壁に貼ってあったりするんだけどね。
そんなモノは皆無。
とにかくマジメ!
そして、全員女性。

340コレはイギリス工場の同じ工程のようす。
やはり女性比率が高い。

1_img_0009コレはMS-2を組み立てているところ。

380ケースにパーツを取り付けて…

390ジャンジャン出来上がって来る。
MS-2は従前よりイギリスの工場では作っていなかったので、私は初めてこのシリーズを作っているところを見たことになる。

410こっちはCODE。

420CODEはやっぱり世界的に大ヒットしていて、製造に大あらわなのだそうだ。

430デジタル部が正常に作動するかのチェック。

440もちろんCODEだけでなく、各モデルとも厳重なチェックを受ける。

450

460検査を通過して完成した基板がズラリ。
コレはなんだ?
Originかな?

470コレらの基板はこの次のセクション、すなわち組み込みの工程に送られる。

480ココはイギリスの工場にない工程。

490何をやっているのかというと、トランスを作ってるの。

500コレは銅線を巻く機械。
軸に刺したトランスのコアが高速で回転して、銅線を巻いた回数がインジケーターに表示される。

510ココはワニスの含浸の工程。

550組み立ての終わったトランスをワニスの入った槽に漬け込む。
560ワニスを含浸させることにより、トランスの絶縁機能が強化され、機械的強度が増し、湿気やホコリの侵入を防ぐようになる。
トランスの製造をしていないイギリスの工場では見ることができない光景だ。

570最終的な仕上げをして…

530あとは基板に載せられるのを待つだけ。

540コチラはイギリスの工場でもおなじみの木工工程。

580材料を切り出して…
600必要なサイズに裁断していく。

590側板、天板や底板に使われるモノから補強材に至るまでサイズは様々だ。

605天板等の主材に補強材を貼り付けていく工程。

610チーズ・フォンデュをしているところ…なワケない!
材料を熱した接着剤に浸す。

620そして接着。
こうすることに寄って接着剤が固化する速度が飛躍的に上がるのだ。

630その部材を組み込んでいく工程。

640コレはCODEのケーシングだな?

645v組み込んだ部材の表面を滑らかにする。
角にRを付けたりするのもイギリスの工場とまったく同じ工程だ。

650コレはイギリス工場ね。
1_img_0107やっていることは全く同じ。
違うのはハラの出具合ぐらいか…。
おいしいエールを毎晩パブで飲んでるからね~。

1_img_0102 ズラリと並んだケーシング。

660次はカバリングを貼り付ける工程だ。

670<後編>につづく

200  
(2018年3月12~18日 べトナム、ホーチミン市にて撮影)

2018年4月20日 (金)

ベトナムへ行ってきた!~私のホーチミン vol.4

  
今日は種々雑多に…。
コレはホテルの電気のコンセント。
フランスの植民地だったのにナゼかイギリス式が威張っている。
イギリスと同じ220Vだからかな?
日本もコレにすればいいのにナァ。
向かって右の上の丸2穴はフランス式。
その下には日本式の2ピンのプラグも差し込めるアメリカ式アース付き3ピンが付いている。
プラグを差し込むことができても電圧が高いので、変圧器がついていない日本製の電化製品はイチコロだ。
ベトナムの一般の家はどうなっているのだろう?

10_2 街には多くの日本人が歩いていて、そこら中から日本語が聞こえて来る。
同時にヨーロッパあたりから来ている白人もメッチャ多い。
「海の家のラーメン効果」などと言っては大変失礼だが、暑さでピンク色に火照った白人女性の美しいことよ。
でも、みんな通りを渡るのに四苦八苦してる。
下の人たちはマァ慣れている方なのだろう。
比較的ズズイズズイと通りを渡っている。

20_2下の写真。
赤い線で囲った白人のカップル。
面白いのでしばらく観察してみた。
恐らくホーチミン初日かなんかだったのではなかろうか?
もう、長いこと同じ場所に立ったままだ。
私と目が合って苦笑いしていたから…。

1_wk1意を決してスタート!
急な動きは自殺行為だからね。
ユックリ行きなさい!
ソロリソロリと道路の中央まで歩み出た。

1_wk2ココで急いじゃうと命取り。
もうホントに数センチというところをバイクが通過していくからね。
最後までユックリユックリ動くことが肝要だ。
我々は交通量の多い交差点に差しかかると、習慣で自然とそこで立ち止まる。
つまり比較的大きな交差点には信号があるのが当たり前で、放っておいても歩行者用の信号はやがて青に変わり、安全に道路を渡ることができる…ということが身体に染み込んじゃってる。
ところがココではそうはいかない。
まず大きな交差点でも信号がないところが多い。
ま、あったところでバイクは信号なんて守りゃしないんだけど…。
初めのウチはありもしない信号機の色が変わるのを待って、ボーっと交差点で突っ立ってる…なんてことを繰り返してしまった。
ハッと「あれ?信号ないじゃんか!」と気が付いて恥ずかしくなる。
そこからが勝負。
何がどうあっても歩行者のために車やバイクが止まってくれることはない。
となると、バイクとバイクの間隙を縫って、自分で自分の道を切り開かなければ永久に道路を渡ることもできない。

1_wk3街を歩いていると興味をひかれる食べ物屋がたくさんあったんだけどね。
ヤメておきました。

60ブライダル・サロンだってあるよ。
このキンキラがベトナムの花嫁さんの憧れの衣装なのだろうか?

70_2お!駐輪場なんてあった!
あれだけ表に野放図に駐車している大量のバイクをのを目にすると、一体どういう人がココへ入れているのかが謎に思えて来る。

80_2建物はホントにナンの脈絡もなく色々な形状のモノが立ち並んでいるんだけど、時々面白いのに出くわすね。

90v何やら測定している。
騒音と空気の状態なんだろうけど、ムダムダ!
そんなの大層な測定機なんかを使うことない。
結果は「うるさいし、空気も悪い」だ。

100


さて、少し夜の部いってみましょう。
コレは既に何回か出て来ているホーチミン最大のマーケット、ペンタイン市場。

103そのすぐ横の通り。

105反対側から見るとこんな感じ。
コレが夜になると…

110_2こんな感じに早変わり。
さっきまで露店なんて1軒もなかったのに、ドバ~っと夜店が並んでワイワイやってる。
あんまり昼間と様変わりしているのでココがどこか即座にはわからなかった。
こんな時間なので、店じまいをしているのかと思ったら…どうもそうではなさそうだ。
どの店でもまだナニもない展示台の上に商品を忙しそうに並べているのだ。
130_4地元の人に尋ねたところ、夕方の6時に店を出して夜中12時まで営業している「ナイト・マーケット」なんだって。
地元の人のためのものかと思ったら、これまた違っていて、観光客を目当てにしているのだそうだ。
確かにね、ココは日が落ちだすと風が盛大に吹いて、あんなに蒸し暑かったのが丸でウソにように快適になる。
東京はこんなことないもんね。
これだけの風が吹くなら、部屋の窓を開けてエアコンなしで眠れるかも…。
140_2も~、こんな人ごみの中にもおかまいなしにバイクが入って来るんだゼ!

120気温が下がるせいか悪臭も控えめになる。
ウン、この街は夜の方がいいかも知れない。
…となると、例の市庁舎とかのライトアップを見に行っとけばヨカッタな。

150_3この通りなんか日本みたいだもんね。…ウソウソ!
コレ浅草です。

1_img_6075ネオンもこじんまりしている。
良く言えばロンドン風。ロンドンの繁華街なんかゼンゼン暗いからね。
ネオンサインがなくて、灯りといえば、街灯と建物を照らすわずかな照明だけ。
何回か前に書いた通り、もっとも白人は我々より暗いところでも目が見えるらしいからね。
それにしたって、震災直後の節電ムードはどこへ行ったのやら、東京の夜の繁華街は異常だと思うよ。

160_2お腹が空いたのでナニか食べることに…。
「フード・マーケット」か…チョット覗いてみることにした。

170コレもスゴかった。
何しろ、どこもかしこも殺人的にいいニオイなのよ!
観光客向けの屋台村なワケ。
滞在中に「道の屋台で売っているカエルの揚げ物には気をつけてください」とご親切な忠告を送信してくださった方がいらっしゃったが、私は「食のアドベンチャー」はしないことにしているのでまず大丈夫。
でも、この屋台はいいでしょう。
中は白人が多く、見るからに観光客しかいない。

180vいいニオイがしすぎてガマンできない!
どれを食べようか迷ってしまう。
ところが、漂ってくるいいニオイが混ざってしまって、お目当てのいいニオイがどこから漂っているのかサッパリわからない!

190v_2ココはかなりいいニオイだぞ!
アタシャ犬か?!
ポークリブっていうのかな?

200_2こっちのエビがまた新鮮でおいしそうなんだ!
でも、お姉ちゃんの愛想が悪いことこの上ない。
他にも食べてみたいモノがたくさんあったんだけど、エエイ、コレに決めた!

210_2…とこんだけ頼んでみた。
焼いた豚肉をごはんの上に乗せたヤツとエビ2尾、それにタイガー・ビール。
これで1,000円チョットぐらいかな?
マァ、ベトナム通の人に言わせれば「メチャクチャ高い!」ということになるんでしょうな。
いいの、いいの。
豚肉は風味が強くて柔らかくて実においしい。
米もタイ米のような長粒米ではなくて、日本で食べるジャポニカ米っていうの?
だから臭みもなくておいしい。
エビはごく普通だった。

220_2よほどおいしそうに食べているように見えたのか、ハス前に座っていた東洋人の女性から「ナニ、それ、そんなにおいしいんですか?」と訊かれてしまった。
「メッチャおいしいかったですよ!アナタのは?」と焼きそばのようなモノを食べていた彼女は「ま、期待通りかな…」とやや消極的に答えた。
アレ、あんまりウマそうじゃなかった。
帰りがけにさっきのお店のお姉ちゃんに「おいしかったよ~!」と声をかけると、ニコ~!と笑って「ありがとう!」と返してくれた。
どうせやらなければならない仕事はニコニコ気持ちよくやりましょう!

230弾き語りのライブなんかもあったりしてものスゴイ賑わいを見せていた。

240_2コンビニは結構そこら中にあるよ。

250_2これだけ買って63,000ドン。
え、300円ぐらい?
一番安い真ん中のビールが11,000ドンだから50円ぐらい。
鉄火巻きとかっぱ巻きのイラストが不気味ではあったが、「のり塩味」ということなのでポテチを買ってみた。23,000ドンだから100円チョット。
「Poca」という銘柄のポテチ。
パッケージのデザインがアメリカのLay'sやイギリスのWalkersと同じではないか!
ナゼだ…。
どうしてポテトチップス(イギリスではクリスプス)のパッケージ・デザインはこれほどまでに国際的に酷似しているのか…。
コレはただのパクリなのか…。

260_2私はポテトチップが大スキでしてね。
「棺桶に入れてもらう食べ物は?」と訊かれたら「ポテトチップ」と答えるかもしれない。
そこで、この酷似ブランドのことがとても気になったので、脱線してポテチ・ブランドについて調べてみた。
でもね、最近は昔ほど頻繁にポテチを食べないようにしている。
で、イザ食べる時はジャガイモと塩だけで作ったヤツを取り寄せてそれを口にしている。
つまり、アレほど好きだったそこらへんで売っている国産のポテチはきれいサッパリと止めた。
さて、この各種のポテチ・ブランド、元はアメリカのLay's。
製造元はフリトレー。

Fritolay_logo


フリトレーはペプシ・コーラの「ペプシコ」社のブランドのひとつ。
我々は「フリトレー」と何の気なしに一気にこのブランド名を口にするが、上のロゴを見ると「F」と「L」が大文字なっているでしょう?
つまり、Frito(フリト)とH.W.Lay(H.W.レイ)という会社が合併してできた会社なの。
多分、ネイティブの人たちは「フリトオレイ」と発音するんだと思う。
フリト社の看板商品は「フリトス」というらしいのだが、コレは日本では見たことないかな?
少なくとも私は食べたことはない。

Fritos_2そして、Lay's社の看板商品は、もうおわかりですな?…。
はい、ご明解。
「レイズ」ポテトチップス。
ドンキなんかに行くとフリトレーの日本法人「ジャパンフリトレー」名義で販売しているLay'sのポテチがあるけど、アメリカ製のモノとは明らかに味が違う。

Laysこの商品をワールド・ワイドに展開して、それぞれの国でオリジナルの商品名をつけているというのがこの「ポテチ・パッケージ酷似事件」の真相だった。
イギリスに行けば「ウォーカーズ」。

Iwalkersイギリス人はフライド・ポテトを「チップス」、そしてポテチのことを「クリスプス」と呼んでとてもよく食べる。
ジャガイモが美味しいせいかナァ?
実際にイギリスのジャガイモはホントにおいしい。
そんなだから、スーパーに行ってもこの通り。
この両サイドに展示されている商品はほとんどポテチと言ってもさほど過言ではない。
私はLay'sよりWALKERSの方が好き。
ジャガイモの風味がすごく濃いの。
ただ、塩味が強すぎるんだよね。つまりチトしょっぱい。
何しろイギリスでポテチは昼食の「おかず」だから。
スーパーでサンドイッチと飲み物とWALKERSの小袋を買って来てサラっと食べて終わり。
自分が知っているイギリス人の「食」についてはまたいつか別のところで書きたいと思っているんだけど、とにかく簡素だ。

1_img_0729 袋を手にしているのは家内。こんなサイズでも売られている。
小柄な家内がポテチの袋にスッポリ収まってしまいそうだ。

1_img_0505エ~、「ラム&ミント」味なんてあるの?
見たことないな~。
たとえ見つけても絶対に手を出さないけど…。
でも、「肉の中ではラムが一番おいしい」とするイギリス人もいるらしい。
何でも子羊の肉汁が一番味がいいんだって。
この話もまたいつか「イギリスの食」のお話の時に…。1_l_m さて、真相がわかったところで、世界のLay'sを見てみようか?
Lay'sがオーストラリアに行くと…Smith's。

Smiths2_2コレは右から読むのかナァ?
何かを調べようと思っても、アルファベットを使わない言語って、結局インターネットでも調べようがないんだよね。
エジプトのLay'sだとすると、Chipsyというらしい。

1_chipsy コレは…「南米かッ?」
コロンビアの美女が食べてるヤツ。イヤ、カロリーが高いからポテチなんて食べないか?
「Pollo」はスペイン語で「鶏肉」という意味。
だからフライドチキンの写真がパッケージに載ってる。

Margarita Sabritasはメキシコ。
「ドン・タコス」にはならない。

Sabritas2 コレはヘブライ語か…。カケラも読めんな。
イスラエルのLay'sでTapuchipsというそうだ。

Tapuchips コレは中国でしょうな。
フレイバーは「法国脆香鶏翅味」。
「法国」はフランスのこと。
「フランス風手羽先うす味テイスト」ってところかね?
漢字ならなんとかなる。

Cl_2そしてベトナムのPoca。
そう、上に出て来た巻き物のポテチはLay'sのニセモノなどではなく、親戚だったのだ。
ところが、最後の日までどうにも食べるタイミングがなくてホテルに置いて来てしまった。
アレ、どんな味だったんだろうな~。
ポテチ終わり。

Poca_3こういうのは地元の人が入る食べ物屋さん。
安くて美味しいんだろうね~。
比較的キレイなのでフラっと入ってみたくもなるが、やめておいた。

270コレもそう。
興味はあるんだけどね~。

280_2その食べ物屋にかかっていた掲示板。
パッと見て中盛りとか大盛りとかの一覧表かと思ったんよ、食べ物屋の店先だからね。
「でもどうも違うな」ということだけはわかる…で、調べてみた。
答えは携帯電話関連の広告。
「Mobi」はMobifone、「Vina」は「Vinaphone」、そして「Vittel」…コレらはベトナムの3大携帯キャリアの名前だった。
数字はプリペイドカードかなんかの値段だろうか?
「KHUYEN」というのは「助言する」という意味のようなので、ま、「ご不明な点はお尋ねください」ってなところだろうかしら。
最後のMAIの「A」にチョコンとナニか付いてるでしょ?
このチョコン、ゴミでも汚れでもなくて、ベトナムの人はコレがないとエライことになる(のではなかろうか?)。
実際にこの「MAI」という単語をチョコッと調べてみた。
290v_2そもそも、カンボジアとかタイとかラオスとか、この近辺の国はみんなオリジナルの文字を使っているでしょ?
អក្ខរក្រមខេមរភាសみたいのやら、ไม้ทัณฑฆาตみたいのやらຣ ຣົຖ/ຣະຄັງみたいのやら、まったく読めないヤツ。
そこへいくとベトナムがアルファベットを使っているのがすごく不思議じゃない?
え、思わない?
私は思うのよ。
だからまずこのことから調べてみた。
ベトナムという国は長い間中国に支配されていたので、古来より漢字を使っていた。
その後、「チュノム」なる日本でいうひらがなみたいに漢字と混用するオリジナルの文字を導入したが、第二次世界大戦の終結でベトナム民主共和国が成立して漢字もろとも使われなくなった。
代わりに「クオック・グー」と呼ばれる17世紀にフランスの宣教師が考案した、アルファベットを用いてベトナムの言葉を表記する方式に移行したんだと。
下の押しボタン式信号についている注意書きなんか、一瞬アルファベットだから読めそうな感じだけど、まったく歯が立たない。
「HOUND DOG」かと思った。
アルファベットにやたらと色んな記号が付いてるでしょ?
ベトナムの言葉は6通りの発音のバリエーションがあって、コレらの記号が発音を表しているのだそうだ。
日本語も同音異義語が多い言葉で、「は」と「し」という二文字に異なる発音を当てて「橋」、「端」、「箸」と3つの意味を表すじゃない?
我々は漢字を使ってどの「はし」かを表せばよい。漢字さえ知っていれば簡潔だし、表意文字だけあって視認性が抜群に高い。
一方、ベトナム語は漢字を使わなくなった代わりにアルファベットにチョンだの、ピョロンだの、ピロッだのの記号をつけて発音を区別して意味を明確にしている…ようだ。
だから、上の「MAI」も発音の記号によって「研ぐ」、「屋根」、「明日」とか意味がガラっと変わってしまう…ようだ。
こういうのを「声調文字」という…ようだ。

Img_6034 クリーニング屋さん。
コレで9時ぐらいだったかな?ゼンゼン普通に営業してる。

300v_2ね、こうして建物に照明を当てているのはロンドンも同じ。
日本の繁華街みたいにギッタギタのネオンサインを飾ったりしない。

310v_2そして、朝…また暑くなりそうだ。

320_2ある日の朝食。
海外のホテルは卵をその場で好みのスタイルに調理してくれるところが多い。
私はいつも「Sunny side up」。
片面だけ焼いた半熟の目玉焼きね。
両面を焼くのは「Over easy」。
海外の卵ってどうしてこんなに風味が豊かなんだろう。
すごくおいしい。
日本の卵は過酷な環境で卵を産まされているせいか、ひどく味が薄いように思う。
ま、このベトナムの卵だってどういう状況で産卵させているのかわからないけど、味が濃い。
卵は「平飼い卵」といって、鶏にストレスを与えないように放し飼いにして自然に任せて生ませるのが一番いいらしい。
ウチはそれを取り寄せて食べてるんだけど、確かに美味しいし安心。
ただし、産卵の状況は完全に鶏任せなので、卵を産まなくなると供給されなくなっちゃう。
でも、それが「自然」というモノでしょう。

340_2ある日、オーストラリアの友達と朝食を同席した。
早速、トーストに「江戸むらさき」のようなモノを塗って食べていた。
そう、恐怖のマーマイト!彼の場合はオーストラリア人だからベジマイト。
やっぱり大スキなんだって。
私はとてもムリです。

370滞在したホテルは日本人客が多いせいか、白米やのり、かまぼこ、みそ汁なんてのも用意されていて助かったよ~。
だから今回はNAMMの時のように朝食ゲンナリすることはなかった…むしろ楽しみだった。

330_3フォーもその場で作ってくれる。
でも、コレはサッパリおいしくなったナァ。

350_2ナンダカンダで結局毎朝同じか…。
でも米があれば何とかなるんよ。

360うれしかったのはデザート!
ナニを食べてもおいしい!
ベトナムはカカオが獲れるせいか、チョコレート系のモノが特においしい感じがする。
果物もバッチリ。
左の「クルミのタルト」ってのもすごくおいしかった。
そう、ベトナムは木の実、特にカシューナッツが得意なんだって。
「ミックス・ナッツ」っていう色々なナッツが入ってるおつまみあるでしょ?アレに入ってるカシューナッツってベトナム産かインド産が多いんだよ。

380左の紫のヤツはベトナム特有の果物(名前は忘れた)を使ったパイ。
コレはムニュムニュしていて私にはNG。
一方、このヨーグルト!ヤケクソに美味しかった!
毎日2個ずつ食べた。

390酸っぱくなく、さりとて甘くもなく、ヨーグルトの風味が豊かで、下に潜んでいるイチゴやアンズのネタがまたいいお味ときてる。
加えて舌触りがとてもいい。
あまりにも美味しかったので、ウェイトレスさんに「コレ、美味しいね~!」と伝えたら、訊いてもいないのにどこで売っているか懇切丁寧に教えてくれた。
ゴメンね、せっかくだけど持って帰れないの。
ベトナムの人もみんな大好きなんだって!

400<イヤかも知れないけど、まだ続く!…次回はいよいよ本題!>

200 
(2018年3月12~18日 べトナム、ホーチミン市にて撮影)

2018年4月13日 (金)

ベトナムへ行ってきた!~私のホーチミン vol.3

 
暑いのをガマンして歩き続ける。
こんなのロンドンを歩く時に比べればまったく大した距離ではないんだけど、ウルトラマンが地球で3分しか持たないように、前回述べた理由で急激に体力が失われて歩くのが大層ツライ!
もうヘロヘロなのよ~。
でも、「ココだけは見ておこう」と思って歯を食いしばって歩き続けた。
向かったのは「戦争証跡博物館」。
40,000ドンの入場料を払って中に入る…エ、40,000?高い!
イヤ、安い。
200円もしないわ。
まだ全然ベトナムドンに慣れない。

60_3
イギリスに行った時なんかもそうなんだけど、海外へ行った時、戦争に関する博物館があればなるべく見学するようにしている。
もちろん戦争が好きでそんなことをやっているワケではない。
戦争の悲惨さと人間の愚かさ、そして人間が人間にどういうヒドイことをしたのかを勉強するために訪れるのだ。
フランクフルトでは「ゲットー博物館」なんていうのも観たよ。
マァ、数多く訪れているワケではないんだけど、この戦争に関する博物館ってのは戦勝国と戦敗国で内容の取扱いがエラク異なるんだよね。
イギリスなんかはもう戦争を賛美してる感じだもんね。そこには「正義」しかなく、「戦争の悲惨さ」をくみ取ることはムズカシイ。
もっとも昔のイギリスの貴族の間においては、「戦争は紳士のスポーツ」扱いされていたらしいからね。
翻ってこのホーチミンの博物館…悲惨だったよ。

70_3博物館の前庭には大型の兵器が陳列されている。
陳列されているのはもちろん戦争マニアや武器マニアのためでは断じてない。
これらの兵器はすべてアメリカのモノで、「こういうモノを使っていかにアメリカがベトナムを苦しめたか」…ということを示唆しているのだ。
どんなモノがあるかというと…
  
M.41 Tank。
1965年にベトナムの戦場に現れた。
以前にも書いたけど、機会があれば戦車に触ってごらん。
金のニオイがプンプンするよ。
「戦車」を1両作るのに、それこそ「千社」が絡んでくるらしい。
そんなシロモノをバンバン作っていたら笑いが止まらないヤツがジャンジャン出てくるわな。
もっともそれが戦争の一番の目的だからね。

1_0r4a6067 コチラはM.48 A3 Tank。
アメリカ軍はこのタイプの戦車を1969年の7月までに370両投入したそうだ。

80_3CH-47 Chinook。
「Chinook(チヌック)」というのはいちアメリカ先住民部族の名前。
このボーイング製のヘリコプターのベトナムにおける最大の任務は、いかなる手段を持ってしても入り込むことができない危険な山岳地帯に砲台を築き、そこに弾薬を運搬することだった。
チヌックは飛行したまま他の航空機に燃料を供給することができた。

90_2U-17 Plane。
偵察と観察に活躍したセスナ社製飛行機。100_3UH-1H HUEY 双発ヘリコプター。
移動、救急、輸送、偵察、並びに攻撃機の支援を任務とした。
どんな複雑な地形でも滑走路なしで離着陸できるジャングルの多いベトナムには最適のヘリコプターだった。
1969年の4月には2,202機がベトナム戦争に従事していたそうだ。

120_2HUEYには6銃身の7.62砲が2機搭載されていた。
こんなん映画ではチョクチョク見かけるけど、実際にホンモノを目にするとコワいもんだよ。

130vA-1 Skyraider、「空の侵略者」。
戦闘と爆撃に使われたダグラス社製の飛行機。

140_3M132 A1 Flame Thrower。
「Flame Thrower」というのは自走火炎放射器のこと。
最高で32秒間点火し続けることが可能で、200m先まで炎を放射したという。

150_3105mm Howitzer。
「Howitzer」は日本語で「榴弾砲」というらしい。
コレでガス弾から照明弾までありとあらゆる砲弾をブッ放した。

160_3こんなモノも展示されている。
爆弾ね。
手前のドデカイやつは「BLU-2 Seismic Bomb(地震爆弾)」という。
通称「Daisy Cutter(デイジー・カッター)」。
コレは軍事スラングで、地上の構造物を吹き飛ばす爆弾のことを指すらしい。
ベトナム戦争では、ヘリコプターが着地する場所を確保するためにこの爆弾を落とし、ジャングルの木々を一瞬にして吹き飛ばしたという。
2008年からは使用されていない。
ナゼなら、アメリカ軍はその後もっと強力で優秀な爆弾の開発に成功したからだ。

190_2ところで、ナンだってベトナム戦争が起こったか知ってる?
私が小さい時は「ベトナム=戦争」というイメージがあった。
でも、子供だったので戦争の理由など気にするワケはなかったし、大人になってからも気にかけることはなかった。
でも、今にして思うとそんな状況が当のアメリカ国内にもあったことが『ウッドストック』を観るとわかる。

1_1_2woodstock『ウッドストック』についてはさんざん書いてきたので内容が重複してしまうのが申し訳ないが、せっかくベトナムに行って来たのだからまた書かせて頂く。
ご存知のようにウッドストックが開催されたのは1969年の8月。
ベトナム戦争が泥沼中の泥沼と化していた頃で、「反戦」がこのロック・フェスティバルのテーマになっていることは皆さんもご存知の通り。
そこへ登場するのがカントリー・ジョー・マクドナルド。
カントリー・ジョーがギター1本で歌う「I'm-Fixin'-to-Die Rag」に合わせて50万人が歌うシーンはこの映画のハイライトのひとつだ。
歌詞はこう歌っている。
「俺たち一体何のために戦っているんだ?
文句は言いっこなしだ
お次はベトナムだ
真珠の門(Pearly Gates=天国の門)を開けろ
考えてるヒマはないぜ
みんなおっ死んじまうだ」
ね…「戦争なんて意味がない」ということもあるんだろうけど、ナンだってアメリカがベトナムで戦争をしているのか知らないヤツがいたハズなんよ。
そして、間奏でカントリー・ジョーは観客にこう呼び掛けている。
「聞いてくれ!ココにいる中の一体何のヤツが戦争が終わることを期待しているかはわからない。うまく歌えなくてもいい。やらないよりはマシだ。30万のクソ野郎が集まってるんだろ!歌い始めてもらいたいんだよ!」
ウッドストックがベトナム戦争を終結させたワケではないが、そのキッカケになったと言われているのも事実のようだ。
そして、アメリカ軍がベトナムから撤退した時と同じくして徴兵制度が廃止された。
そのカントリー・ジョーの感動のシーンはコチラ。

あ、それと映画には出て来ないけど、サントラ盤に収録されているジョーン・バエズとジェフリー・シャートレフという人ガ歌う「Drug Store Truck Drivin' Man」という曲もスゴイよ。
当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンを「KKK」呼ばわりしてメッタ斬りにしている。
昔の向こうのミュージシャンはやることがいちいちスゴイ。
  
ではココで歴史のお勉強。
なんでベトナム戦争が起こってアメリカが入り込んでいたのか…。
ベトナムという国は第二次大戦の前はフランスの植民地だった。
歴史的に中国とフランスという2大グルメ国の支配を受けていたので、ベトナムの食べ物がおいしいのだという説もあるらしい。
で、第二次世界大戦が勃発してドイツがブイブイ言わせるようになり、パリが陥落してフランスが降伏。
それにスライドして日本軍がベトナムに入り込んだ。
しかし、日本もボロンチョンに負けてしまい、1945年9月、終戦の翌月ですな、ベトナムの北部に例のホー・チ・ミンが「ベトナム民主共和国」を樹立して独立を宣言する。
「オイ、チョット待てよ、ホーおじさんよぅ。戦争は終わったんだからよ、勝手にはさせねーぜ」とフランスはゴ・ディン・ディエムをいうオッサンを大統領に仕立てて、南部に「コーシチナ共和国」という国を勝手に作っちゃった。
そもそも人の国なのに…。
「傀儡(かいらい)政権」ってヤツね。ようするにフランスの舎弟みたいなモノ。
コレが北のホーおじさんのベトナム民主共和国とドンパチおっぱじめた。
1946年から1954年まで8年間続いたこの戦争を「第一次インドシナ戦争」という。
結果はフランスの負け~。
そして、1954年7月にジュネーブ協定で、北緯17度を境にしてベトナムが分断されることになった。
ココでわからないのは、フランスが負けたのなら南ベトナムをホーおじさんに返してやりゃいいじゃん…と思うワケ。
でも、そうはならずに南ベトナムには引き続きゴ・ディン・ディエムを大統領にして「ベトナム共和国」が樹立される。
ココに入り込んでくるのがアメリカだ。つまり、「ベトナム共和国」はアメリカを後ろ盾にしたんだね。
ところが、このベトナム共和国は汚職まみれのヒドイ政府で大多数を農民が占める国民から支持を得ることができなかった。
「しからば武力でベトナムを統一したれ!」とホ―おじさんが「南ベトナム解放民族戦線」という組織を立ち上げて内戦が始まった。
また戦争だよ。
このホーおじさんの組織は「ベトナム・コンサン」と呼ばれた。「コンサン」というのは「共産」ということ。
コレがよく映画に出て来る「ベトコン」というヤツね。
さて、今度はそうなるとダマっていられないのは「ベトナム共和国」をバックアップしていたアメリカ。
何しろベトコンにはソ連が後についてるじゃんか?
もし、ホーおじさんの方がこの内戦に勝利してベトナムが共産主義国として統一されてしまうと、「ドミノ効果」で東南アジア全域の国々が共産主義化してしまう。
「OMG!」
と焦ったのがJFK。
1961年、この状況を目の当たりにしたケネディ大統領は4,000人の特殊部隊をベトナムに送り込んだ。
でも、この頃はまだ小手調べ程度だったのだが、1964年に「トンキン湾事件」が起きる。
コレは北ベトナムの警備艇がアメリカの軍艦を攻撃した…という事件。
「イヤイヤ、ウチらそんなことしてないけんね!」
「ザケンなよ!オメェらが先に手を出してきたんだからなコラァ!」
…とアメリカは自分たちがやられたのだから…とか言っちゃって翌年南アメリカに軍隊をドバっと派遣して北ベトナムに大規模な爆撃を行った。
要するにとにかくアメリカは戦争がしたくてしょうがないもんだから、こういう事件をデッチ上げた…と言われているそうだ。
どこかで聞いた話ですな。
そう、まるで柳条湖事件と東京大空襲をくっつけたような話。
「北爆」と呼ばれるこの空襲がまたヒドイ。
255万トンもの爆弾を落としたっていうんだよね。太平洋戦争で日本が落とされた爆弾の量は13万トンだから気合いが入りすぎてる。
こんなにヒドイことをされても北ベトナムは必死に踏ん張った。
ジャングルに入り込んでゲリラ戦を展開したりしたんだね。
一方アメリカ軍は、そのジャングルが邪魔だというのでダイオキシンを盛大に散布してジャングルの木々を枯らしてしまった。
アメリカ人の合理主義がモロに悪い方に出たような話。
もちろん、政府と軍と製薬会社が手を組んでその枯葉剤の実地試験がしたかったこともあったのだろう。
今、海外では使用が禁止されているMSGという化学調味料を日本人が好んで口にしているのと全く同じ構図。
結果は北ベトナムの粘り勝ち。
アメリカ軍はジャングル内への兵站が十分にできず、思ったような戦闘ができなかったことや、上のウッドストックのようにアメリカ国内で反戦の機運が高まり、最大時には54万人も投入したもベトナムから軍を引き揚げ、1975年4月、ベトコンが南ベトナムの大統領官邸を占領してベトナム戦争は終結した。
ま、にわか勉強で見方が間違っている部分もあるかもしれないけど、アメリカの関わり方はこういうことだった。
そして、もうひとつ知ったのはホー・チ・ミンというのは第一次インドシナ戦争に勝利して独立を成し遂げる際の立役者であって、アメリカが入り込んでのベトナム戦争で勇躍したワケではないということ。 

1_0r4a5910 それにしても、広島の原爆記念館同様、アメリカ人はこの博物館をイヤがるだろうナァ。
「戦争戦争証跡博物館」という名前の通り、名指しでアメリカ人がベトナムにしでかしたヒドイことの証拠を並べた博物館なんだから。
この枯葉剤で丸裸になったジャングルとそこに佇む裸の男児の写真は有名だよね。
コレがバカでかいパネルになって展示されている。
書いてはいないけど「アメリカはこういうことをやりました」と訴えているようなものだ。

180_3館内には色々なモノが展示されている。
コレは1945年のホーおじさんの独立宣言の文書。

210_2その中にこういう文章があるらしい。
チョット訳出してみると…「ベトナムには自由と独立を楽しむ権利があり、そして本当に自由と独立の国になった。すべてのベトナムの民衆はその自由と独立を堅守するために、肉体的、精神的に強靭となり、生活や財産をも犠牲にすることをいとわない決心をした」
この後フランスがまたチョッカイを出しておかしくなっちゃうんだけどね。
ホント可哀そうなんだよ。

200_3実際に使用された小銃や砲弾の展示。
全部アメリカ製。
1_0r4a6089コレはベトナム戦争にいかに多くの国々や軍隊が関わっていたかを示す地図。
もうシッチャカメッチャカ。

220v_2こうして館内にはベトナム戦争に関わるデータが色々と展示されているが、圧倒的に力を入れているのが、戦争の惨状を報道した写真の数々だ。

1_0r4a6097_2 日本人の報道カメラマンの活躍ぶりもタップリ紹介されているのだが、「Canon」だの「Nikon」だののロゴが写真の説明文にくっついててサ、日本人としてチョット恥ずかしい。
ナニもこんなところで宣伝しなくても…と思わざるを得ないすさまじい写真ばかりなのだ。
特にスゴかったのは枯葉剤、すなわちダイオキシンの猛毒の被害を受けて生まれて来た子供の写真がゴマンと展示されているのだ。
シャム双生児や無頭児、ありとあらゆる先天性奇形児の写真がドバ~っと並んでいる。
目を逸らしたい気持ちを抑えて私は全部見て来たよ。
アレを見たら「戦争さえなければこの子たちだって…」と誰しもが戦争の愚かさを思い知るだろう。
他にもアメリカ兵の苦闘を捉えた写真もあるが、圧倒的にベトナムの被害や被害者の写真が多い。
たとえば下の写真…空爆を受けて破壊された家の壁に書いてあるのは…「ニクソンよ、我々から奪った血を返せ」。

230_2こうして歴史を知ってみるとですよ、さんざん見て来たアメリカ製のベトナム戦争に関する映画も見方が変わって来るね。
そう思って、ベトナムから帰って真っ先に観たのがマイケル・チミノの『ディア・ハンター』。
中学生の時にロードショウ公開でテアトル東京で観たのが最初だった。
その後も何度か観ているけど、今回はエラク印象が違ったな~。
ホーチミン市だけとはいえ、実際にベトナムに行き、この博物館を訪れた後にこの映画を観た時、単なる「マイケルとニックの友情物語」として鑑賞することはムズカシイ。
まずアメリカのポジション。
あの「マオ!」という叫び声が印象的な、ジャングルでのロシアン・ルーレットのシーン。
「かわいそうにナァ」、「ベトナム人ってヒデェことするナァ」なんてかつては思ったけど、アメリカが勝手に戦争に入り込んだんじゃん!というアタマで観ると大分感覚が変わって来る。
インディアンに頭の皮を剥ぐことを教えたのが白人であったように、あのロシアン・ルーレットだってきっと白人がベトナム人に教えたに違いない。
ま、あのシーンが事実かどうかは知らないけど。
でも、ベトナムに行く直前まで鹿狩りに行って友人と楽しい時間を過ごしていた若者があんなにヒドイところに送り込まれて悲惨な目に遭っているのを見るのもまたツライ。
ナゼなら今はベトナムのあの暑さを知ってるから!
戦争なんてするもんじゃありませんよ。
ホンの一部の悪どい連中の儲けのためにベトナムの若者もアメリカの若者もこんな悲惨な目に遭わなければならないのか!とづくづく感じさせられたわ。

320だからオリバー・ストーンってのは実にいい仕事をしてると思うね。
『ルーツ』じゃないけれど、アメリカ人ってのは自分でこういうことをするからまた面白い。
この『天と地』という作品もとてもヨカッタ。
今ではすっかり宇宙人になってしまったトミー・リー・ジョーンズの演技がすこぶる充実していた。

51om0sy3csl_sy445_『フルメタル・ジャケット』もスゴかった。
あれ後半の舞台がベトナム中部のフエなのかな?
でも実は、キューブリックはあのシーンをロンドンで撮影したんだよ。

Fmj街中にはこんな看板も。
1968年はナンだったんだろう?
アルファベット表記なのにベトナムの言葉だから読めんのじゃ!
一瞬マッチング・モールかと思ったぞ!

240_2これが中国共産党のプロパガンダ・ポスターをパロッたマッチング・モールの『Little Red Record』。
名盤です。

1_mm 博物館の中も結構暑くてサ。
それでもまだ歩く。
歩いていると「ナゼ?」という店に結構出くわす。
コレは金庫屋。
ナゼか金庫屋が多い。

260_3コレらは徽章屋っていうのかな?
看板だとか、トロフィとか、盾とかを扱っている店がどういうワケか連なっている。

270_3で、ここまで来てある失敗をしでかしたことに気がついた。
NAMMの時のように、Marshall Blogに現地からの速報レポートを掲載しようと思ってPCを持って行ったんだけど、CFカード用のカード・リーダーを日本から持ってくるのを忘れてしまったのだ。
このままでは写真のデータをPCにを撮り込むことができないので記事を書くことも不可能だ。
…ということでカメラ屋、もしくはパソコン屋を探すことにした。
マァ、これだけ多くの人がスマホをイジくってるんだからパソコン屋のひとつやふたつはすぐに見つかるだろう…と思ったが、もうダメ。
暑くて歩けない。
ひとまずホテルに帰ってシャワーを浴びて、服を着替えて、少し休んで、コンシェルジュにカメラ屋の場所を調べてもらって出直すことにした。
もう下着まで汗でビチョビチョだ~!
ヘロヘロになりながら何とかホテルまで歩いて帰って予定通りの行動を取った。

1_0r4a6102 ホテルのコンシェルジュから教えてもらったエリアに向かう。
その前にお腹が空いたのでナニかを食べることにした。
ま、ココは無難にフォーだな。
ということで「PHO HUNG」というチェーン店に入ってみた(写真は実際に入った店ではない)。

470_3牛肉のフォーを頼んでみる。
おお~っと!ココで忘れてはいけないのは「ノー・コリアンダー・プリーズ!」ね。
私、パクチーが全くダメなんです。
で、出て来たのはコレ。
実にウマい!
ただ、ぬるいんだよね~。
予め茹でた冷たい麺にスープをかけるだけなので、どうしても温度が下がってしまう。
もっともこんなに暑いところでギンギンに熱い汁モノなんか食べられないんだろうね。
以前から書いているように、海外に行くと一番恋しくなるのがダシ系の食べ物。
ロンドンなんかでも、そういう時は迷わずホクストン辺りのベトナム料理店へ行ってフォーを食べる。
フォーのスープが美味しいのは、牛骨でダシを取ってるからなんだよね。
コクがあるワリにはアッサリしている。ドロドロの豚骨ラーメンよりフォーの方がゼンゼン好き。
でも、ど~こ~か~にパクチーがいるんだよ。
ラーメン・スープのダシを取る時にネギを入れるように、おそらくフォーもダシとしてパクチーを入れてるんじゃないかね?
でも大満足の350円。
ロンドンで食べたら軽くこの3~4倍。
でね、もっとうれしいのは、ベトナムはチップの習慣がないこと。
そうそう、テーブルの上には薬味として使う数種類のハーブを乗せたラップのかかった皿が置いてあるんだけど、アレが結構ヤバいという話を後で聞いた。
どういう水で洗っているかわからないので、慣れない人は敬遠した方が安全だというのだ。
私はハナから使う気はなかったけど。

480_3何じゃコリャ?!
まるでピカデリー・サーカスじゃん!

280_3当然ココも単車天国。

290_3面白いように次から次へと大量のオートバイが走り過ぎて行く。
しかし、ナント空気の悪いことよ!

300_3あ~!スゴイの発見!

310_3コレ。
オイオイもうチョット何とかしろよ~。
ダラしね~な~。
こんなのどう配線されているのかわかるのかね?

320v_2外人が東京へ来て驚くモノのひとつに電線がある。
こんなに近代的な大都市なのに、町を歩いていて見上げると電線だらけだから。
ロンドンやニューヨークなんかはCABで電線の類はすべて地下に埋まっているもんね。
ナゼいつまでたっても東京のCAB化が進まないのかというと、地震が多いから。
地面に埋めてしまうと「もしも」の時に復興するのが大変らしい。
それと、自分の家の前をほじくり返してもらいたくないという利己主義が強く、簡単に埋設の許諾が取れないらしい。
…というので…こんなんなってる。
コレは四谷で遭遇した電線のカタマリ。
発見した時は結構ビックリしたけど、ナンノナンノ。ホーチミンに比べれば実にキチっとしているではないか!

1_ydこっちはコレだかんね。

320v_2ギャハハ!
街からちょっとハズれたところではこんなのも見つけたよ。

1_0r4a6488_2 さて、ホテルのコンシェルジュから聞いたエリアに行ってもカメラ屋らしきものが1軒もない。
ダラダラ歩いていると、それこそすぐに汗がダラダラ流れて来るので、作戦を変更して勘を頼りに自力で探すことにした。

330_3しかし、スゲエ単車の数だナァ。
最初、昔の上野の昭和通りみたいにオートバイ屋がいくつも並んでいるのかと思ったのよ。

350_3そうではなくて、コレ全部駐車してるの。
よくもこんなにキレイにお揃いの単車が並ぶよね?

370_3それでひとつ気が付くのは店先にいる青い服を来たオッサン。

380_3店先に出したイスに座って日がな一日スマホをイジってるか、ボーっとしてる。

390_3こうしてガッツリ眠り込んでいるオッサンも多い。
この人たち、格好からもわかるように警備員なの。
チャンと行政から認可をもらって各店に貼り付いているらしい。
最初、店に不審者が入らないように門番をしているのかと思ったら、それだけではなくてお客さんの単車が盗まれないように見張ってるんだって。
小さい飲食店の前なんかでは私服の男が店先に停まっている単車に跨っているのをよく見かける。
ある時、ジッとその様子を見ていたら、なるほど、お店から出て来た客からお金を受け取っている。「白ガードマン」とでも言おうか、プライベートの単車見張り人だったようだ。

400_3ダメだ!
カメラ屋なんてゼンゼン見つからない!

410_3それどころか、街の様子がある通りを境にガラリと変わって、猛烈にローカル色が濃くなってきた!

420_3もうナニをやるにも単車。
それは軽トラかなんかで運べってば!

430_3こんな珍種も!
トロッコのように手でコキコキやって動かす三輪自転車。

450_2タイビン市場というマーケット。
チョット覗いてみたけど、薄暗くてとても入る勇気はなかった。
入ったが最後ナニも買わずに出て来れそうな雰囲気なし。
ウェブサイトの観光案内で調べてみると、「こんな人におすすめ」という欄に「バックパッカー街を訪れる人、ローカル体験をしたい人」とあった。
よかったゼ、入らなくて。

440_2そのすぐ横にある生鮮食品の市場。
確かにローカル感強し!

460_3結局カメラ屋は発見できず。
また下着まで汗でビチョビチョになっちゃったので諦めて一旦ホテルへ帰ることにする。
最後の手段。
ホテルの部屋でダメ元で「ホーチミンのカメラ屋」をキーワードにインターネットで調べてみた。
すると、あるんですよ、ナント、「カメラ屋街」ってのが!
「Huymh Thuc Khang通り」というところがそれに当たるらしい。
どうも「フィン・トゥック・カン」と読むようだが、地図で調べたところ存外に近いので、しばらく休んでから行ってみることにした。
外に出ると、もう日は大分傾いていて、間断なく吹き付ける風が実に心地よい。

490_2またココもチョット雰囲気が違っていて大都市の風情だ。

500_2単車に轢かれないように工事現場の壁沿いにユックリと歩く。
この街の路上での急な動作は自殺行為だ。
段々コレがわかってきた。
すると、自動的にガソリンスタンドの敷地内に入った。
見てよ、こんなんよ。

510_3コイツらここで給油したワケじゃないのよ。
人の敷地を遠慮なくブンブン通り抜けてんだよ。
アブね~っての!

520_3それでもひっきりなしに給油をする単車がスタンドに入って来る。
単車だからみんな3リッターぐらいしか入れて行かない。

530_3どれどれ、ベトナムのガソリンの値段はどうかな?
1リッターあたり18,340ドンか…90円弱。
今、東京で138円とかそんなもんでしょ?
コレ、結構高めなんじゃない?
あのフォーの値段が東京の半分だとすると、70円弱が妥当なところではないか?

1_0r4a6198 アレ?駅がある?…と思ったらバス停。

540_2なんかココだけヤケに都会的だな。
ところが、ホーチミンの路上を走る乗り物って、大きければ大きいほど融通がきかないの。
道を渡ろうとしても、バスって絶対に止まってくれないんだよ。
まるで歩行者に恨みでもあるかのように、あるいは怒り狂った巨像のように容赦なく突っ込んでくる。
日本では考えられない。
結構コワイよ。

550_3フィン・トゥック・カン通りに入って進んで行く。
コレは路上の時計修理屋。
こんなホコリっぽいところで精密機械の修理をやってる。

560_3コチラは中古家電販売店。
こんなの買う人いるのかナァ?

570_2ナニかの食堂街だと思うでしょ?
ナントこれこそがそのカメラ屋街!
数軒当たってみた。
まず、みんなゼンゼン英語ダメ。
SDカード用はあるんだけど、CFカードが入るカードリーダーなんてありゃしない。
困っていたら何軒目かで出くわした親切なオバサンが「アソコにならあるかも」と教えてくれた。

580_2その店がこの「HUY Camera」。
ま~店員のアンちゃんが不愛想なこと!
それでも確かに扱っていて、値段を尋ねると「Two fifty」という。
コレがわからない。
「Two fiftyだから250か…。250ということは250,000ドンだろ?10,000ドンが約50円だから…」なんてプロセスを経ないと値段がわからない。
結果、1,200円ぐらい。
吹っ掛けられたような気がしないでもないけど、値切ったところでわずかの金額だ。
そのまま売ってもらった。
最後まで愛想が悪かった、あのガキ。

620面白いのでフィン・トゥック・カン通りを少し見て回る。
どうやらこのエリアは秋葉原のようなところらしい。
590_2結構シッカリしたオーディオ機器なんかが展示されていたけど、一体誰が買うのか?
しかし、遠目だとどうしてもオートバイ屋にしか見えん。
600_2ついでにもう少し歩いて見るとまた商店街が…。

640ココは食料品のマーケットらしい。
アチコチから妙なニオイが漂ってくる。

650こんなところにもバイクがガンガン入って来るんよ。
アブねーな!
740ココもローカル感満点!

660どう見てもこのマーケットと不釣り合いな高層ビルが背後に突っ立っている。

670vココは地元の人が買い物をするところなのかな?
客引きがゼンゼンいないのでメンドくさくない。

690モノスゴイ騒ぎ!
何かと思ったら小学校だわ。
制服を着ているところを見ると私立なのかな?色がスゴイね。
でも、どこの国でも子供は可愛いわ。

700断りを入れて八百屋で写真を撮らせてもらった。

710見たことがあるのも、ないのも色々だ。
アーティチョークなんてどうやって使うんだろう?
さすがにグルメの国ってこと?

720肉屋。
こんなに暑いのにそのまま軒先に吊るしておいて大丈夫なのかしら?
そういえば、ホーチミンにいる間、犬と猫を1回も見かけなかったナ。
コレだけ暑いので、毛の生えてる連中は耐えられないのかな?…なんて思ったりもしたが、後で聞いたら、ベトナムには犬料理も猫料理もあるのだそうだ。
これ以上は書きません。

730さっきマーケットの背後に見えていたのはコレ。
「ビテクスコ・フィナンシャル・タワー」といって現在のところベトナムで最も高いビルなんだとよ。

750さて、約半日苦労してフィン・トゥック・カン通りのカメラ屋でついに手に入れた中国製のカード・リーダーがコレ。
おお~「多功能二代」だぜ!
結局、クタクタに疲れちゃって夜はバタンキュー。
全くコイツを使わなかったとさ…。

630v<まだまだネタあり>

200 
(2018年3月12~18日 べトナム、ホーチミン市にて撮影)

2018年4月 6日 (金)

べトナムへ行ってきた!~私のホーチミン vol.2

  
一体どれだけのオジサンに声をかけられてココまでたどり着いたことやら。
「オジサン」というのは例のバイク相乗りのオジサンね。
コレは後で気づいたことだが、あのオジサンたちの売り込みは朝のウチの方が積極的だったように思う。
もちろん、一日中彼らは観光客を見つけては手当たり次第に声をかけているのだが、夕方になってくるとかなり押しが弱くなってくるようだ。
暑さで疲れちゃうのかね?それとも諦めちゃうのかね?
それにしても、なかなかああいう風にはできないよ~。
ナニせ通りの向こうから「おお~!ハイハイハイハイ!」とか「オッハヨ~!ドコイクノ~?!」とか実に勇猛果敢に声をかけて来るワケ。
あまりにも馴れ馴れしいので、こっちは知り合いが自分のことを見つけたのかと思って、つい振り向いちゃうワケ。
で、その声の主の方を見ると、不自然にニコニコした色の黒い見ず知らずのオッサンなのよ。
もうだんだんウンザリして来ちゃってね。

10_2この洋風の立派な建物は、「ホーチミン人民委員会庁舎」。通称「ホーチミン市庁舎」。
1902年から1908年にかけて「サイゴン市庁舎」として建設された。

20_1美しいフレンチ・コロニアル様式で建設されているが、残念ながら中を見ることはゼンゼンできない。
ライト・アップされた夜の姿が美しいらしいが、見て来なかった。

30_2「ウィッス!」と親し気に右手を上げているオジちゃんは植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した建国の父、ホー・チ・ミン。

40_21990年にホー・チ・ミンの誕生100周年を祝して設置されたブロンズ像が2015年に現在の「ウィッス!」に置き換わったのだそうだ。
だからまだゼンゼン新しい。
「ホーチミンって人の名前なの?」なんて言ってた人がいたけど、我々が子供の頃、ベトナム戦争のことがテレビのニュースで流れる時、この街は「サイゴン」と呼ばれていた。
ビリー・ジョエルにも「グッドナイト・サイゴン」って曲があるでしょ?
この頃のビリー・ジョエルはスゴイよね。
どの曲も人知を超えた高いクォリティを示していた…んだけど、ことベトナム戦争に関してアメリカが何かを言う資格などあるのだろうか?…という気になるのは、ベトナム戦争をテーマにした映画がアメリカのしたことを美化していると理解するようになったから。
ベトナム戦争についてはまた別項で触れようと思う。
今は「ホーおじさん」。
1973年にアメリカ軍が全面的にベトナムから撤退し、最終的に南ベトナム軍vs.北ベトナム軍の戦いとなったベトナム戦争は、1975年4月にサイゴンが陥落して終結した。
ホー・チ・ミンは1969年9月(『ウッドストック』の約2週間後)に没しているので、このことを知らない。
その後、「ベトナム民主共和国」が主導して南北統一が実現し、1976年、「ベトナム社会主義共和国」が成立した。
そして、南ベトナムの首都だったサイゴンは、革命の父、ホー・チ・ミンにちなんで「ホーチミン市」と名前が変わったんだね。
実際にホー・チ・ミン氏は多くの国民から「ホーおじさん」と慕われていたらしい。
でもこの人、30年も祖国を離れていて、結構謎の多い人物だったという評伝もある。

90vところで、ホー・チ・ミン氏、国際的には「グエン・アイ・クオック」という名前でもよく知られているそうだ。
この「グエン」という名前。
ベトナムも日本と同じく名前は「姓→名」の順番で表す。
だから「グエン」は名字なのね。
で、にわか勉強でベトナムに関する本を読んでみると、やたらメッタラとこの「グエン」という名前の人が出て来るんですよ。
グエンは「Nguyen」と表記するんだけど、通りの名前にもガンガン出て来る。
「Nguyen Dinh Chieu」とか「Nguyen Thi Minh Khai」とか「Nguyen Hue」とか…。
これが読めないのよ~。アルファベット表記なのにもかかわらず、サッパリ読めん。
ベトナムの言葉についてもまた別のところで触れましょう。
この「グエン」さん。
驚いたことにベトナムの国民の40%弱が「グエンさん」なんだって!
日本は「佐藤」、「鈴木」、「高橋」さんをすべて足してもたったの4%。
日本のは名字が29万通りもあるのに対し、ベトナムはナント、250ぐらいしかないんだってさ!
ちなみに2位はグッと減って11%の「チャンさん」、3位が9.5%の「レ」さんだそうです。
韓国も名字のバリエーションが少ないことがよく知られているけど、一番多い「金(キム)さん」で22%だって。
続いて、「李(イ)さん」で15%、「朴(パク)さん」で9%。この3つを足しても46%。
恐るべしグエンさん!
100_2この市庁舎がある通りがそのグエン・フエ通り。

50_2かなり立派な通りなの。
0r4a6553花の名前はサッパリわからないが、とてもいい感じで通りに彩を加えている。

60_2日本にいると街に咲いている花に気を配るなんてことは全くしないけど、外国へ来ると結構気になるものなんだよね。

80_2コレはわかる。
ハスはベトナムの国花だ。
なぜハスかと言うと、国民の8割近くを占める仏教徒たちが愛する花だからだそうだ。
お釈迦さまが座っている台座はハスだもんね。
ハスは泥水の中で育ち、泥が濃ければ濃いほど大きな花を咲かせるんだって。
その花は泥の中から出てきて、しかも泥に染まらず美しく大きな花を咲かす。
泥水は煩悩や苦しみの世界を表し、美しい花を悟りの世界に見立てているのだそう。
また、普通の植物は花が咲き終わってから実を付けるけど、ハスはつぼみの時から、花弁の下の台に実を付けていて、コレを仏教では、「誰もが生まれながらにして、仏に成る性分をそなえている」ことを象徴しているということだ。
コレを華果同時(けかどうじ)と言って仏教で尊ばれているのです。

70_2前回触れた工事現場がここまで伸長していた。

110ココは清水と前建のJVの工区。

120コレ、ナニを作っているのかと思ったら鉄道だった。
シールドマシンが登場しているところを見ると地下工区があるんだね。
地下水が多そうだな…。

130あ、駐車場だ!
この時もバイクのオッサンがしつこくてね~。
「イチジカン、イチジカン」と執拗に食い下がって来るもんだから、見ろ!
スッカリ露出の設定がおかしくなっちゃったじゃねーか!
しかし、この駐車場、トンネルみたいだな。

140_2コレは市庁舎のすぐ近くにあるホーチミン市民劇場。通称「オペラハウス」。

150_2フランス植民地時代のフレンチ・コロニアル様式の建築物の1つ。
フランスの人建築家が「オペラ・ド・サイゴン劇場」として1897年に建築した。
ベトナムの観光案内を読むとやたら「フレンチ・コロニアル様式の建築物が美しい」って書いてあるんだけど…そうかぁ?…と訝しんでいるのは見た目のことではない。
たしかに市庁舎にしても、このオペラハウスにしても、古い建造物が好きな私なんかにはとても魅力的なんだけど、「それ」と思われる建物の数が滅法少ないのだ。
やっぱりベトナム戦争でなくなっちゃったのかしたん?
「コロニアル様式」っていうのは、17~18世紀のイギリス、スペイン、オランダ等の欧州列強の植民地に見られる建築様式。
植民地のことを英語で「colony(コロニー)」って言うでしょ…アレ。
正面にポーチがついていて、大きな窓やベランダがあるのが特徴なのだそう。

160_2建物のすぐ前に飾ってあったのがコレ。
魚を取るカゴ。
おとなしくコレを見ていたらまたアレだよ…バイクのオッサン!
もう、うっとうしいな~。
「オニーサーン、ニホンジンデショ?ドコ?トーキョー?オーサカ?」
「東京だよ」
「オー、トーキョー!スゴイネ、スゴイネ!アクシュ、アクシュ」
私が手を出さないでいると…
「アクシュグライ、イイジャナイノ~!アクシュシヨウヨ~」
渋々出した私の手をガッチリ握るとこのオッサン、手を離さないのよ!
「コンナノミテテモツマラナイヨ!イイトコイコウ!ウミイコウ、ウミ!サアサア、ウシロニノッテ!」
思いっきり手を振りほどいてシカトしても全然ヘッチャラ!
「イコウヨ、イコウヨ~!」って騒いでる。
ホントにイライラして来たわ!
絶対に目を合わさないようにしていたら諦めてどこかへ行っちゃった。
あの強靭な営業力は評価してあげたいところだけど、あんなオッサンと2人で海へ行ってどうすんのよ?
まさか、ベトナム名産のココナッツ・オイルの塗りっこか?
ジョーダンじゃね~よ!

200_2ココは脱線のコーナー。
ウチにこんなCDがあるの。
ベーブ・ルースじゃないよ。
ちなみにイギリスの「ベーブ・ルース」というバンドにはかつてバーニー・マースデンが在籍していた。ナゼかフランク・ザッパの「King Kong」なんかを演っていたんだよね。
このCDはナポリ出身のエンリコ・カルーソーというオペラ史上もっとも有名と言われる歌手のベスト盤。
1873年に生まれ、1921年、すなわち関東大震災の2年前、またジム・マーシャルが生まれる2年前に亡くなっているので相当に古い歌手だ。
しかし、カルーソーはレコードへの録音を盛んに行った最初の歌手と言われていて、彼のレコードを聴きたいということで蓄音機が大いに普及したらしい。
それほどの大歌手なのだ。
ナンでこんなの聴いているのかと言うと…普段からMarshall Blogで「最後はオペラを楽しむようになりたい」と書いているから…ではない。
私が「エンリコ・カルーソー」の名前を知ったのはかなり前のことで、『フィッツカラルド』という映画を観た時のことだ。

1_eccd『フィッツカラルド(Fitzcarraldo)』は1982年の西ドイツ映画。
私はドイツの映画なんてどこをどうやっても観ることなんかないハズなんだけど、ナゼかこの作品を観る機会があった。どうしてそういうことになったのかサッパリ記憶に残っていないんだけど。
しかも、2時間半を超す長大編。
19世紀の末、当時隆盛を極めていたゴムでひと山当てようと、ペルーのイキトスという所に入り込んでいたアイルランド出身の「ブライアン・スウィーニー・フィッツジェラルド」という男の話。
原住民は「フィッツジェラルド」という発音ができず、「フィッツカラルド」と呼んでいた。
このフィッツカラルドがエンリコ・カルーソーの歌を聴きたいがために、地元のジャングルにオペラハウスを作ろうとするストーリーなのね。
一番の見どころとされているのは、ジャングルの奥地に向かうため川を遡上する際、近道をしようとしたんだっけかな?危険な原住民が生息するエリアを避けるためだったかな?…船を人力で山越えさせて、隣の川に移動させるというシーン。
当時はCGなんてなかったので、40度の勾配の山の斜面に実際に320tの蒸気船を乗せて引っ張り上げて撮影した。
主役のフィッツカラルドを演じたのは…なぜゆえ父娘でこうもルックスが違うのか…ナスターシャ・キンスキーのお父さんのクラウス・キンスキー。
当初は名優ジェイソン・ロバーツが演じる予定であったが、赤痢に罹りドクター・ストップ。
ジャック・ニコルソンも打診されたが実現はしなかった。
何しろ撮影は過酷を極め、ミック・ジャガーも出演することになっていたが、予定が狂いまくって撮影に参加できなかったのだそうだ。

1_fcで、ナニが言いたかったのかというと、まずはオペラハウスね。
ニューヨークのメトロポリタン、ロンドンはコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウス、フランクフルトのオペラハウス…なんてのは行ったことがあるんだけど(入ったことはない)、シドニーをはじめとして、世界中にオペラ・ハウスっていうのがあるでしょ?
コレはナニかね?
日頃よりMarshall Blogでは「音楽芸術の最高はオペラらしい」ということを書いているが、そんなにみんな好きなのかネェ?
日本でも初台に「オペラ・シティ」という設備があるけど、ヨーロッパのものとは精神性が全く違う感じなんだな。
やっぱり日本は能楽堂とか歌舞伎座とかがシックリくる。
入植したフランスの連中も遠い故郷から離れて、ベトナムくんだりまで来て、自分たちの娯楽を求めるために作ったのがこのオペラ・ハウスなワケでしょう。
まさかベトナムの現地人にオペラを紹介するためにこんなものを作る道理がないんだから。
そんなことを考えていたら『フィッツカラルド』のことを思い出してしまったというワケ。

170_2この「aah!」、「ooh!」、「wow!」って席のグレードが面白いね。
値段は下から3,100円、5,000円、7,300円ってとこか…。

180_23月18日の公演だって。
ナニを演るのかな?
ハイ、出た、ショスタコーヴィチ。
曲は「祝典序曲」…コレ、メッチャいい曲だよ。
それからブルッフの「ヴァイオリン協奏曲」。昔、よく聴いた。これもいい曲。
サン=サーンスの「チェロ協奏曲第1番」にチャイコの「ロメオとジュリエット」。
デコボコと面白いセトリだナァ。
私は観たい!
しかし、このホーチミンにあって147万ドンを出してどういう人が観に来るのかね?

190vしかし、暑い。
あまりの暑さにいい加減歩くのがシンドくなってきた。
気温といい、湿度といい、完全に8月の日本の一番暑い時と同じ。
つまり我々が知っているおなじみの「暑さ」。
だから当然こういう時の最良の過ごし方を我々は知っている。
それは、「外に出ないこと」だ。
ところが、カンカン照りの太陽の下、ヘロヘロになって歩きまわっている…と言ってせいぜいまだ1時間かそこらなんだけどね。
でも、もうパンツまで汗でビチョビチョだ~!
オペラハウスから少し歩いて次の観光名所に移動。
220「サイゴン・ノートルダム大聖堂」。
「ノートルダム(Norte-Dame)」というのは「Our Lady」という意味で、聖母マリア様を指すことを以前テントウムシのところで書いた
250_2だからこうしてマリア様の像が建てられている。
1959 年にローマからサイゴンへ贈与されたものだそうだ。

240vハスのところで書いたようにベトナムは8割が仏教徒だそう。
残りの2割はキリスト教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒が占める。
だからキリスト教はマイノリティだ。
もちろんこの大聖堂はベトナムがフランスの植民地だった時代、1863~1880年にかけて建設された。

1_0r4a5953 正面と側面についているバラ窓は、昔はステンドグラスでできていてそれは美しいモノだったらしいが、戦争で破壊され、現在は普通のガラスがハメられているそう。

1_0r4a5995 裏側はこんな感じ。
エライ立派だよね。

255_2コレは後日訪れた時のようす。

260_2ここの神父さんだったのだろうか?
何やら追悼のセレモニーが執り行われていた。

270_2こうして見るとなかなかにステキだよね…でも実際は灼熱地獄なのだ!

280_2ノートルダム教会のすぐ隣に移動。
上の写真の右端にも写っている黄色い建物は「サイゴン中央郵便局」。
1886年に建設を開始して5年後に完成した。
パリのオルセー美術館をモデルにしているそうで、鉄骨の設計を担当したのがエッフェル塔を作ったギュスターヴ・エッフェルなんだって。
あ、英語圏でエッフェル塔のことを「エッフェル・タワー」と言ってもまず通じませんからね。
どういう風に言うかというと「アイフル・タワー」と「ア」にアクセントを置いて発音する。
この郵便局、今でも現役で通常の郵便や通信業務をやってるのよ。
0r4a5988建物が黄色いのは、フランス人にとって「黄色」は「南方」を意味するんだって。
行ったことがないのでわからないけど、フランスは南に行くと黄色い壁の建築が多いそうで…。
でも、この建物は以前はピンク色だったらしい。
どういうことだ?

290_2柱の飾りつけにはフランスの偉い人の名前が刻まれている。
現地の観光ガイドの説明を盗み聞きしていたんだけど誰の名前って言ってたか忘れちゃった!
大統領って言ってたかナァ?

0r4a6616コレもフランス人たちが祖国への通信手段のためにと造られたのだそうだ。
マァ、そうだろうね。

0r4a6619中はこんな感じ。
ステキ!なんだけど、エアコンが効いていなくて、もう「青菜に塩」状態!
暑いよ~、暑いよ~。

330_2名物の電話ボックス。

300_2エントランスの左右の壁には1936年当時の南ベトナムとカンボジアの電信網の地図と…

310_21892年当時のサイゴンの地図がかかっている。
大変に保存状態がよく、オリジナルのままらしい。

320床のタイルが見事。

340天井も実に優雅で美しい。350_2正面にはお約束の「ホーおじさん」。

3_0r4a5972特に「スゴイ!」とか「キレイ!」とかいうことはないんだけど、日本ではお目にかかれない独特なッ風情がある。

360_2ナゼかお土産に力を入れているの。

370_2入り口の両サイドにも立派なお土産屋さん。
見てみようと思ったけど、暑くて、暑くて…「もうイイや!」って気になっちゃってパス。

0r4a5985で、外に出ると…アレ?こんなところに大戸屋!

380_2泣きたくなるぐらい暑いのをガマンしてまだまだ歩く。
もっとも身体中の水分が汗になって流れてしまって一滴の涙も出ないけどね。
街中を歩いていてとにかく目につくのは「ホーおじさん」。
そこら中にホー・チ・ミンの肖像が飾ってある。
420_2「FOOTBALL CLUB」って…こんな暑いところでサッカーやってんの?
ま、日本の夏も同じか…。
430_2それと、目についたのはコレ…「HAPPY NEW YEAR 2018」の飾りつけ。
ベトナムに行ったのは3月の中旬だったんだけど、瞬時にして旧正月を祝っているということはわかる。
しからばベトナムの旧正月っていつなんだろう?

390_2ベトナムの旧正月は「テト」といって中国と同じく新暦の2月の中旬ぐらいに当たるらしい。
「ぐらい」というのは、旧暦は盈虧(えいき)、すなわち月の満ち欠けを基準にした太陽暦に基づいているため毎年変わるからで、今年は2月16日だったんだって。
いずれにしても、1か月経ってもまだこの飾りつけ。
ノンビリしてるな~…というより、新年が明けてもしばらく飾り付けておく習慣なのだろうか?
ところで、この「旧正月」というのは、もちろん中国の慣習に倣っているワケだけど、新暦の正月、つまり1月1日だけをお祝いするのはアジアの国々で日本だけらしいよ。
日本でも「新盆」だの「旧盆」だのはよく耳にするけど、「旧正月」ってのはゼンゼン出て来ない。
それでも大正の終わりぐらいまでは旧正月を祝ったらしい。

400_2ブルーの大きな建物は「ロッテ・プラザ」。
かつての錦糸町みたいだな。
今は「ロッテ・シティ・ホテル」というのが錦糸町駅の横に建ってるけど、アレは昔「ロッテ会館」といってボーリング場が入っていたんよ。
チョット探し物をしていたので、ロッテ・プラザに入ってみた。
完全に近代的なデパートで、特段見るべきモノは何もないんだけど、寒い!
冷房効かせすぎ!

410_2もうクタクタよ。
ロンドンだったら一日中歩いていても、まだ歩き回りたいところ。
ところが、今日はホテルを出てまだ2時間も経っていないというのにこの極度の疲労具合で戦意喪失!
原因は色々ある。
1. 暑さと湿気…コレは日本の夏と同じ。この気温と湿度の中これだけ歩き回ったらそりゃクタクタになるわ。
2.ニオイ…繁華街の悪臭にウンザリ。
3.バイク・タクシーの客引き…もう何しろしつこいし、そこら中にウヨウヨしているしで、本当にイライラする。
4.ノイズ…バイクや車のクラクションのけたたましいこと!コレも癪に触ってくる。
5.道路の横断…バイクの大群の往来でとにかく道を渡ることができないストレスと危険性。
それともうひとつはコレ。

460_2とにかく歩道の状態があまりにもヒドくてやたらと歩きにくい。
歩道のすべてというワケではないが、日本では考えられない。
女性がハイヒールを履いてあるくことは不可能と言っていいだろう。
十分に足元を注意しながら歩かなければならないストレス。
コレ結構ツライ。
加えて凸凹を乗り切るために足首の角度が目まぐるしく変わるでしょ?
コレもかなりシンドイ。

470_2いい加減、私もバイクで移動したくなって来たよ。
チョット待てよ…まさか、みんな歩道が歩きにくいからバイクに乗ってんじゃねーだろーなー。

480_2歩きやすいハズのILB(インター・ロッキング・ブロック)の歩道もこの通り。

490vILBは、平地に並べて隙間を砂で埋めるだけの構造だ。つまりブロックが固定されていないので、重量物が乗るとガタガタになってしまう。
それを、平気でバイクが勢いを付けて通過するもんだからブロックがズレてハガれちゃう。
そのブロックがハガれた部分に生コンを流しこんでいるんだろう。
コレは特段歩きにくいワケではないが、整然とした見た目が魅力のILB歩道にあっては大変に醜悪な光景だ。

500v「MURAYAMA」という文字が目に入った。
「村山」?
ザトペック投法の村山実か?

510_2…と思ったら元総理大臣の村山富市だった。
「JVPF」というのは「Japan Vietnam Peace and Friendship Promotion Council」の頭文字だって。

520_2ベトナムでの日本語の修学熱が高まっている環境下、日本への留学や就学がスムーズにいくように、事前学習ができる施設を目指して2007年に開校したんだって。
で、村山さんがこのJVPFの会長をやっているのだそうだ。

530_2工事現場、学校と日本とベトナムがこれほど密接な関係にあったとはゼンゼン知らなんだよ。
加えて、さっきの「大戸屋」をはじめ、日本の食品や外食企業がずいぶん進出していて驚いたわ。
和菓子屋さんじゃん?

540しゃぶしゃぶ食べ放題の「モーモーパラダイス」じゃん?

550_2「丸亀製麺」じゃん?

560_2名前は知らないけど、居酒屋や…

570すし屋もバッチリ。
チョット前まで東南アジアで生魚が食べられるのはシンガポールだけだと聞いていたけど、もうそうでもないようだ。
Marshallの会食の席で生ガキを食ってた猛者もいるけんね。

580日本の鉛筆ブランドも。

590それにしたって、ココまで来て浅草はないだろう~!

600<ガンガンつづく>

200 
(2018年3月12~18日 べトナム、ホーチミン市にて撮影)

2018年3月30日 (金)

ベトナムへ行ってきた!~私のホーチミン vol.1

  
仕事でベトナムに行ってきた。
アメリカ、イギリス、ドイツ以外の海外の国を訪れるのはコレが初めてのこと。
感想は?と訊かれたなら、何よりも真っ先に口から出て来るのは…
「暑い!」
Marshall Blogは夏になるといつも「暑い、暑い!」と大騒ぎしてるでしょ?
まさにあの「暑さ」を先取り!
見るモノ、接するモノ、初めてのモノばかりで、大いに「カルチャー・ショック」を受けて来た。
しかも巨大なショック…別の言い方をすれば「特大のマーブロ・ネタ」だ。
何しろ街に出ると、そこは「驚き」の宝庫で、見聞きしたことを後で忘れてはイケない、と小さなノートを持って歩いて、気になったことを可能な限りそのノートに書き綴った。
大切なマーブロのネタだからね。
今、そのメモを見直してこの記事を書こうとしているのだが、せっかく記したそのメモにほとんど意味を見い出すことができなかった。
ナゼなら、見聞きしたモノの印象がどれもこれもあまりにも強烈すぎて、頭の中にコビリ付いてしまいメモを読み返す必要がなかったからだ。
私が好奇心の強い方だからかも知れないが、こんな年寄りでもまだまだ感動できることに驚いたよ。
よくインドを代表に挙げて、アジア諸国への旅行に合う人と合わない人がいる…という話しを聞く。
コレ、ホントにそうだね。
ニューヨークに行っても、ロンドンに行っても、そんなこと考えたことがなかったけど、まさにソレだよ。
エ、ベトナムは私に向いていたかって?
フフフ、それはこれから連載するベトナム・レポート「私のホーチミン」をご覧になって推測してくだされ。
あ、もう一度言っておきますが、コレは仕事で行った空き時間に体験したことを記したものですからね。
遊びではござんせん。
途中でMarshallが出て来る予定です。
では…Chao mung quy khach den Viet Nam!(ベトナムへようこそ!…取りあえず読めん)

Vfさて、渡航に際してまず最初に悩んだのがビザのこと。
今回は仕事で行ったワケなんだけど、「ビジネスでの渡航となるとベトナムはビザが必要」って聞いたんだよね。
ビザが必要だということを知らず、36時間かけてブラジルまで行って入国できずに帰って来た人を知ってるもんだから、イヤがオウにも確実を期したいところ。
ところが、どうにも情報が錯綜している。「必要」、「不必要」に意見が分かれたのだ。
…ってんで、代々木のべトナム大使館に電話で確認してみた。
何といってもコレが一番確実でしょう?場所は代々木でも、大使館の中はヴェトナム国なんだから。
ところがね、ココが見事に電話に出ないんだよ。
夜討ち朝駆け、とにかくいくら電話しても自動音声が応対するだけで、テコでも人間が出て来ない。
さすがにコイツはおかしい…と思ってインターネットで調べてみると、なるほど、どうやらココは電話に出たタメシがないことで有名らしい。
しからば…と、大阪の領事館にかけてみたがココもつながらない。
すると、福岡の総領事館ならイケる…ということがわかって早速電話をしてみた。
とても親切にしてくれたんだけど、何しろ日本語が怪しい。
「エエッ?仕事で行くんですかッ?あ~、ビザ要ります、要ります」って言うのよ。
「エ~、マジかよ!」と思ったけど、「15日以内であれば、観光であろうと、ビジネスであろうとビザは無用」という情報が優勢だったので、もうメンドくさくなって「エエイ、ママよ!」と、放っておくことにした。
 
次に困ったのがお金。
「物価が信じられないぐらい安い」ということは耳にしていても、一体どれぐらい両替しておけばいいのか全く見当がつかない。
最後の最後まで悩んで、空港の両替屋で30,000円分ほどべトナム・ドンに両替してもらった。
おお~!ド~ンと来たね~。
増えも増えたり、30,000円が5,300,000ドンに!
チョットうれしい。
札のデザインは全部ホー・チ・ミン。
しかし、コレ、計算が大変なんよ。
位取りが感覚的にスッとできないのね…1ドンは0.005円弱なんて考えたらまずムリ。
「10,000ドンは50円弱」
もうコレだけ覚えておいて、後はケタをズラす作戦しかない。
簡単な計算なんだけど、現場では結構あわてちゃって恥ずかしい場面もあったな。
この話はまた後で…。

1_bills成田で出くわしたポスター。
「龍のアゴの鱗」よろしく、ラクダは後ろ足を触られるのがすごくイヤなの。
触るとメッチャ怒るから街でラクダに出くわしても絶対に触らないように…ということは以前にもMarshall Blogに書いた。

15v飛行機はコレ。
ボーイング767。
古いわ…コレは古いぞ。
調べてみると初めて運行したのが1982年というクラシック・モデル。
Marshallで言えばオリジナルのJCM800の時代だぞ。
やっぱり新しい機体はアメリカだのヨーロッパだのに回すんだってサ。
おかげで、久しぶりにタテに使うんだかヨコに使うんだか、にわかにはわからないコードが付いたリモコンを使って飛びっきり小さな画面で映画を観たわ。
昔はコレでもうれしかったもんだけどね~。
かかっている映画もアメリカ便なんかに比べると極端に本数が少なく、古めのタイトルが多い。
また、座席の前後の間隔も新しい機体に比べると明らかにセマイんだよね。
それに今の飛行機は背もたれを倒す時、座面が前にズレて、背もたれが後ろに倒れないような設計になっているんだけど、この頃の座席はグワン!と容赦なく後ろに倒れちゃう。
だから前の人にそれをヤラれるとエライ迷惑なんだよね。
コレ、航空運賃がアメリカやヨーロッパ行の便と変わらないのにおかしいね…考えてみると。

10最近は飛行機に乗っても観たい映画がなくて困りものなんだけど、久しぶりにこんなヤツを観てみた。
ま、悪くは言うまい。

Oe 私は中学生の時に日比谷映画でこっちの『オリエント急行殺人事件』を観たの。
アルバート・フィニー、リチャード・ウィドマーク、ジョン・ギールグッド、ショーン・コネリー、アンソニー・パーキンスにヴァネッサ・レッドグレーヴ…西部の大悪役、シェイクスピア役者、ジェイムス・ボンド、精神異常者とスゴイ顔ぶれ!
対して新しい方は、ケネス・ブラナー、ジョニー・デップ、ペネロペ・クルス、ミシェル・ファイファー、ジュディ・デンチ…と人気役者を揃えているんだけど、皆さん大変個性を隠していらっしゃる。それでもジョニー・デップとジュディ・デンチがヨカッタかな?
コレ、ケネス・ブラナーが監督もやってるのか。
ナンでコレを題材にしたんだろう?
というのは、この話ってトリックがすごく陰惨であまり好きになれないんだよね。
同じクリスティなら、いつも言ってるビリー・ワイルダーの『情婦』の方がゼンゼンいい。

Oe_2で、こういう時は、もう寅さんに頼るしかない。
ヒロインが「いしだあゆみ」の1982年の作品。コレは見たことがなかった。
宮津とか伊根が出て来てなつかしかったナ。
やっぱりいいわ、寅さんは。
黒澤、寅さん、若大将は日本映画の宝だから。

1_3ot なんてやってるウチに着いた。
いつもヒースローだのLAだのだから、6時間半がエラク早く感じるわ。
日本との時差は2時間。
これもラク~。
でも、アレが気になってるんだよね…そう、入国審査。
果たしてビザは要るのか、要らないのか!

20入国審査のスペースはガラガラに近くてありがたいんだけど、何やら列の進み具合が際立って遅い。
ひとりひとりの審査にやたらと時間がかかっているのだ。
それに前の人たちの様子を見ていると、何やら書類を出して審査官に見せているではないの。
「やっぱりビザの審査をしているんだ~」
…と小心者の私は少々ビビったりもしたが、ここまで来たらジタバタしても始まらない。
私の番が来て、毅然とした態度で若い女性の審査官が待つカウンターへ歩み寄る。
パスポートを出す。
すると、その審査官はナント、私の顔をロクに見もせず、携帯電話をズッとイジくっているではないの!
パスポートを機械に入れて何やら処理をしているのだが、エラク時間がかかっている。
すると、その若い審査官は、相変わらず携帯をイジりながら小声でボソッと何かをつぶやいた。
とても聞き取れるような声の大きさではないので「Sorry?」と訊き返すと、携帯をイジりながらさもメンドくさそうに「Return ticket!」って言いやがんの。
失礼なッ!
「Would you mind if I asked you for showing your return ticket?」ぐらい言え!…なんてことよりも、「ナ~ンダ!ビザ要らないんじゃん、やっぱり!」とうれしくなって、審査官が不愛想につき返してきた自分のパスポートを受け取りながら、「さんきゅ~!」とお礼を言ってその場を離れたのであった。
他の人たちが審査官に見せていたのは、ビザ関連の書類ではなく、ただの帰りの航空券だったのだ!
さて、チョットお香のニオイが漂うカルーセルで荷物を受け取って、外に出ようとすると、「サー、サー」と呼び止められて、荷物を「X線検査機に通せ」と言う。
イヤ、別に構わないけど、ココで検査してどうすんのよ?
  
それにしても、どこの空港でもあの入国審査官ってどうしてあんなに愛想が悪いんだろうね?
「入国してくる外国人には徹底的に失礼な態度を取るべし」…と、マニュアルに書いてあるとか、ないとか。
あんな態度で仕事をしていてもツライばっかりだと思うけどね。
私のセマい知見を通して言わせて頂くなら、ロンドン・ヒースローの審査官が一番いいような感じがするな。
世界で一番うるさいとか言われているイギリスの入国審査だけど、色々細かく質問して来た時にチャンと答えると実にキチっと応対してくれるし、冗談を言おうものなら、ケタケタ笑ってもくれる。
要するに積極的に自分の仕事をしているという感じがするのだ。

30ターミナル・ビルの外へ出る。
グワァァァァァ~…ナ、ナンダ、この暑さは!
どても長袖なんか着ていられない。
あのね、家を出る時は薄いダウン・ジャケットを着ていたんですよ!
暑いだけではなく、重い!
強力な湿気のせいで暑さに重みを感じるのだ。
でも、コレは我々も知っている暑さなの。いわゆる「まとわりつくような」蒸し暑さ。
まさに梅雨明け直前で、真夏に差しかかろうとする時のアレね。
もちろんうれしくはありません。
  
このベトナムの首都、ホーチミン市にある空港は、正式には「タンソンニャット国際空港」という。
「タンソンニャット」なんてマンガかナンカに出て来そうな名前だね。
日本政府の援助を得てこのターミナルビルが作られた…ということが書いてあるプラークが建物を出たところに飾ってある。
それにしても、アツいな~!…と思いながら、プラークから目を離し、前方を見てまた驚いた!

40ナンダ、この人出は?!
ビートルズでも来るのかッ?!
コレで夜の10時ぐらいだったかな?
何しろモノスゴイ人なのよ!
ものスゴい数の人の話し声で構内がワンワン響いっちゃってる。

50ズラリと並んだホテルのお出迎え。
あんまり多くて自分が泊まるホテルの出迎えを見落としちゃったよ。

60それにしてもすさまじい人出!
この時間帯は到着便が多いんだって。
あの入国審査のようすではそうは見えないんだけどナァ。
ホテルのお出迎えだけでなく、一般の人のがたくさん来てる。
ナゼか?
迎えに行くとお駄賃で何かもらえる…という発想があるらしい。

70次に驚いたのはコレ。
オートバイというかスクーターというか…。
空港のロータリーには数え切れないほどのタクシー・バイクが待機していて、道路も単車で埋め尽くされている。
思わず笑ってしまったよ!
でも、オートバイについて驚くのはまだ早かった!
 
ホテルの迎えの人は英語がバッチリだったんだけど、運転手さんはサッパリだめ。
私が「Hot~!」を連発していたら「hot」はわかるらしく、ギンギンに車の冷房を効かせてくれた。
今度はそれが寒いのナンノって!
10時を過ぎているにもかかわらず、道路がエラくエキサイティングで、15分も乗ったところでホテルに到着。
降りた途端「ギャ~、暑い~!」。

80ホテルはやや古めながら、べトナムにあっては、ひと目で超一流とわかるシロモノ。
少々不思議なチェックインのシステムを経てエレベーターに乗る。
カードキーを差し込まないと動かない仕組みで、コレが実に面倒。
日本語で操作方法が記してあるところを見ると、よほど日本人のお客さんが多いと見える。
そのせいか、ホテルには日本人の従業員が常駐していた。

Img_5977イヤ~、今日は後半からビックリ続きでございましてな~。
部屋の洗面台の表示を見てまたビックリ。
水が飲めない…。
イヤイヤ、水が飲めないこと自体で驚いているワケではなくて、こんなに大きくて立派なナリをしているホテルなのに水道水が飲めないことに驚いたのね。
でも実際、水道水が飲めない国への旅行ってコレが初めてのことなのよ。

90洗面台には2本のミネラル・ウォーターが常備されている。
ナンで洗面台に置いてあるんだろう?
マァ、いくら蛇口をヒネッて出て来る水が飲めなくても、部屋には電気ポットがあるんだから、それでグツグツと煮沸して殺菌すれば大丈夫だろう?…思ったが、旅の初日でハラを下してもナンなので、ホテルの日本人スタッフのところまで出向いて確認した。
「ダメです、ダメです!絶対に止めた方がいいです!私も家では完全にミネラルウォーターを飲んでいます。洗面台のペットボトルの水はいくらでも補充しますのでお好きなだけ使ってください」と言う。
アブねぇ、アブねぇ。
調べてみると、水道水が問題なく飲めるのは世界で15か国ほどしかないんだって!
アジアから中近東にかけては日本とUAEの水道だけだそうだ。
ついでにヴェトナムの水についてインターネットで調べてみた。
果たして歯磨きに使って大丈夫かどうか…。
すると、「大きなホテルの水道から出て来る水ならまず大丈夫。ただし、絶対に飲むべきではない」とあった。
それなら…ということで、水道水で口をゆすいで、最後にペットボトルの水で口の中を洗う方策を採ることにした。
だって、ペットボトルの水で歯を磨くなんてナンカ申し訳ないような気になっちゃうじゃん?
この貧乏性がイケなかった…かどうかは、今でも不明なのだが後でやや困ったことに…。
100水は飲めなくてもWi-Fi環境は完璧。
日本よりよっぽど充実している。
そんなこんなのビックリ続きでスッカリ疲れてしまって、部屋の冷蔵庫のビールを飲んで早々に寝てしまった。

140滞在2日目の朝。
この日は「リラックス・デイ」とMarshallが称した自由行動日。

150いつもMarshall Blogに書いている通り、海外へ出てまずウンザリしてしまうのが朝食。
期待せずにホテルのレストランに行ってみると…

160トンデモナイ!
ありとあらゆるモノが取り揃えてあって、楽しいやら、おいしいやら!

170果物の種類も豊富。
この黒いブツブツのドラゴン・フルーツとかいうのを初めて食べてみたけど、特段おいしくはないね。
マンゴーがすごくおいしかった。

180ホテルの展望テラスからホーチミンの市街を望む。

190こうして見ると東京とまったく変わらないね。
文京区あたりみたいな?

200ホテルにはプールもあるの…入らなかったけど。
だって口に水が入ったらどうすんの?
その分塩素がスゴイのかな?
ちなみに、アフリカ諸国を漫遊した私の勇敢な友人は、耳に入った水に細菌が含まれていて、感染症に罹り大変な目に遭ったということだった。
水道の注意を見た時、真っ先にこの友人のことを思い出した。そして、彼女の勇気に敬服した。

210これが滞在したホテル「NEW WORLD」。
残念ながらエントランスを改装していたが、写真を見ると一流ホテルらしく、以前もゴージャスなモノだったようだ。

220vこんなに立派なのに水が飲めないとはネェ…まったく信じられない。
さっそく朝9時過ぎに街に出てみる。

230暑い~!
そしてスゴイ湿気!
外に出た瞬間からジト~っと汗が出て来る。
 
ホテルの前を無数のバイクが通り過ぎて行く。

240昨日の夜も見た通り、すごい数のバイクが道を走っている。
でも、こんなのゼンゼン序の口だったよ。

250バイクの切れ目を狙って通りを渡る。
こちとら東京生まれの東京育ち…コレぐらいの交通量で道が渡れなかったら生きて行かれんって!…と思ったのは大間違いだった!
ホテルの前は公園になっていて、朝からダンスを楽しんでいる人たちがいた。
ユッタリとした踊りではあったが、こんな暑さの中で身体を動かすなんて信じられん。

255ホラね。
平日の朝にもかかわらず何もしていない人たち。
朝からこの暑さじゃこうなっちゃうよ。
みんなスマホをイジっている。

256下の写真の真ん中よりチョット左に見えている白い建物がホテル。
まだ100mも離れていない。
それなのに、一体何人のオートバイの男に声をかけられたことか!
要するにバイクの後ろに観光客を乗せて街を案内する商売。
コレがまたスゴイのよ、積極的で!
しかもみんな日本語がうまい。
ひとりやたらとしつこい奴がいてね~。
「ドンさん」っていったっけかな?
私が日本人であることを確認すると、シートをガバっと開けてアルバムを取り出し、日本人と一緒に写っている写真を見せるワケ。
そうかと思うと同じところから輪ゴムで留めた分厚い名刺の束を取り出して見せてくる。
見ると、全部日本人の名刺。
それがもらってから軽く50年は経っていようかというシロモノで、もうドロッドロのボロッボロなの。
要するに、「私は日本人と親しいので安心してください」という自己アッピールなの。
そんなの知ったこっちゃない!
カワイコちゃんにしがみついて単車に乗るならまだしも、誰が小汚い見ず知らずのオッサンのバイクの後に乗るってんだよ?
疑ってかかっちゃ悪いけど、アレで単車の後に乗って、仲間が待つ人気のない場所に連れて行かれて身ぐるみでもハガされたらどうすんのかね?
ま、そんな気配があった時点で後ろからガツンとやっちゃうけどサ。
でもコワいよ。
アレに乗る観光客なんているのかしら?

260キタキタキタキタキタ~!
とめどもなく走り来るバイクの軍団。
でも、驚くのはまだ早い。

270コンシェルジュに尋ねたところ、ホテルのロケーションはホーチミン市の中でもど真ん中の繁華街なのだそう。
東京で言えば銀座四丁目みたいな場所。
そのど真ん中から100mも歩くとこんな感じ。280お世辞にもキレイとは言えない、

310さっきも書いた通り、まだ朝の10時前なんだけど、もう暑いのナンのって!
その暑さのせいもあって、そこら中に異臭が漂ってるの。
そのニオイのバラエティの豊かさったらない!

320vコレはナニかの食べ物屋さん。

330コレは楽器屋さん。
こうして楽器屋には出くわしたけど、CD屋はなかったな。
DVD屋はマーケットの中に1軒あって、全部コピー商品のようだった。

340v「三井住友建設か」…と思って写真を撮っていたら…「二ホンのカイシャ、二ホンのカイシャ、イチジカン#$%&&」と声をかけてくる。
そんなことわかっとるワイ!と思って振り向くと…さっきのドンさんよ。
もう~、シツっこいな~。

290こうして国の中心地のそのまた中心で日本の建設会社がこんなにドデカイ工事を請け負ってる。
さっきの空港のターミナル・ビルもそうだけど、日本ってこんなにヴェトナムに近かったのね?
まったく知らなかった。

300その工事現場の向かいがホーチミン最大の市場、ベンタイン市場。

360こうした店がこの中に1,500も入ってるんだって!
冷房が効いてないのよ。
もう暑くてどうにもならん!
見ると、現地の人は平気な顔をしているけど、観光客はみんな汗ダラダラよ。
380コレがまたスゴイ。
メイン通路の各店先には下の写真のような赤いビニールのイスが出ていて、そこに座っている店員が一心不乱にスマホをイジっている。
そして、ひとたびカメラを提げた観光客(私のこと)が目に入った途端、奥の方の店先にいる店員までもが手を挙げて「オニーサーン、オニーサーン」と絶叫するのだ!
「君子危うきに近寄らず」…コリャ中に入ったら面倒なことになるな…と思って小さい通路に避難。

370細い通路はこんな感じ。
こうなると珍しくも何ともない。
子供の頃から目にしているアメ横の風景と丸っきり同じだもん。

390何しろゴチャゴチャと色んなモノがあるのよ。
でもメインは有名ブランドのコピー品だね。
服でも靴でもバッグでも何でもあるんだけど、面白いのは「見るからに高級品」というアイテムを見かけないんだよね。

400こういう民族カラーが濃厚なのはいいね。

410ベンタイン市場の横の通り。

350ここが夜になるとガラリと様相を変える。
その様子はまた別の機会に。

420同じくベンタイン市場に併設している屋外のマーケット。

430にぎやかな通りへ出ると、やはり道を覆い尽くすバイクの軍団!

440あんまりスゴイ数なのでつい面白くて何度もシャッターを切っちゃうの。

450街はこんな雰囲気。

460建物の大きさやデザインがおっそろしくバラバラなんだよね。

470べトナムはフランスの植民地だったので、コレがその名残りか?なんてシャレた建物も時々見かける。

480しかし、こうして見ると結構エアコンが付いてるね。
こんな表通りに面した建物なのに、平気で室外機がムキ出しになってる。
でも、多分普通の民家はほとんど持っていないんじゃないかしら?
ところが…気がついた?…電線がないんだよ。
ところどころCABシステムになってるの。

490街の中にいる現地の人の80%は物売りなんじゃないかしら?
手前のオジサンは靴直し。
奥のオバサンふたりはモヤシの芽を取っていた。
でもね、私が子供の頃は、靴直し、傘直し、鍋直し、なんて職業のオジサンがごく普通に街中にいたし、行商のオバサンなんてのが千葉からたくさん来てたよね。

500でも、さすがに天秤棒を担いだ人を見た記憶はないな。

510コレはナニを運んでいるんだろう?

520このオバサンの天秤棒は片方がキッチン、片方がショップになっている。
揚げパンというか、ベビー・カステラというか、そういう類の揚げ物のお菓子なんだけど、油の状態が気になるナァ。
いつ取り替えたんだろう?みたいな。

530似ているけど、こっちのオバサンは違うお菓子を製造販売している。
向かって左のタライには炭で熱したギザギザの鉄板が入っていて、そこに溶いた小麦粉のようなモノを流し込む。
要するにベルギー・ワッフルみたいなヤツなんだけど、向こうが透けて見えるぐらいに薄い。
大して売れているようには見えないんだけど、オバサン、ジャンジャン作っては右側のタライに在庫を積み増していく。
ハイハイ、植え込みの向こう側。
ヤラれてますな。

535駐車違反だね。
カーキ色の制服を着ているのがお巡りさん。
そういえば、確かに路上駐車している車って見かけなかったな。
アレだけのバイクの交通量だからして、道に車を止めて車線でも塞ごうものなら大パニックになっちゃうもんね。
でもね、街中に駐車場ってないんだよ。
大きなビルの地下の駐車場なんかは別にして、日本によくある「三井のリパーク」とか「Times」みたいなヤツが全くない。

Img_6009 コレは別の現場。
お巡りさんがメッチャ恐い。
「オンドリャー!」みたいに、アタマから湯気を出して真っ赤になって本気で怒鳴ってんだぜ!
湯気が出ていたのはやたらと暑いせいかも知れないけど、あんなに怒鳴ってるお巡りさんなんて日本では見たことがないよ。

Img_5981コレも何かの食べ物屋さん。
日本にいた時はこういう屋台系の食べ物にトライしてみようかと思っていたんだけど、多くの人に止められて手を出さないことにしたので写真だけ。

536こういう人がイッパイ歩いてるのよ。
サングラス屋さん。
扱い商品はサングラスだけでなく、扇子をいつも持ち歩いていて、通りすがりにタイミングよく「パサッ」とその扇子を開いて「買って」みたいに声をかけて来る。
それがね~、この写真はオバサンだけど、ナゼか、ハッとするようなカワイコちゃんがコレをやってるのを何度も見かけるのよ。

537vこのオジサンのお店はかなり小規模だ。
買う人いるのかナァ…と思っていると、見てると白人の観光客が結構買ってるんだよね。
きっと持って来るのを忘れたのだろう。
白人ってチョット日が出ただけでもすぐにサングラスをかけるでしょう?
アレはカッコをつけているワケではなくて、東洋人の黒い眼玉に比べると、光彩が薄い分、光を通しやすく、我々より光をまぶしく感じるからだ。
欧米のホテルなんかもそうなんだけど、外人の家に行くとやたらと暗いんだよね。
アレ、イライラしてくるんだけど、外人はああいう状態が丁度いいらしい。

538vウワ~、こんな細い道路もバイクであふれかえってる。
この交差点は珍しく信号があるな。
ハイ、よーい…

550ド~ン!
べトナムではナント、国民の85%の世帯にバイクがあるんだって!
なんとその台数、4,500万台!
日本は原付から大型まで全部合わせても1,100万台らしい。
そして、べトナムの街を走るバイクのほとんがHONDA製。
べナムではバイクのことを「ホンダ」と呼ぶという説もあるようだ。
それがね、とにかくクラクションを鳴らすんですよ。
これだけ走ってりゃ、当然車間も縮まって接触事故も多くなるわね。
それを防ぐために、とにかくクラクションを鳴らしまくる。
車でも単車でも、多分日本人が生涯で鳴らすクラクションの数をべトナムでは5分で稼いじゃうんじゃないかしら?
まず鳴らす…だもん。
鳴らしておいて避ける…みたいな。
しばらく街中を歩いていると、クラクションの音でイライラして来て、「ウルせ~!鳴らすんじゃねーよ!」と大声で叫びたくなる。

560<メッチャつづく>
 

200 
(2018年3月12~18日 ヴェトナム、ホーチミン市にて撮影)

2017年12月 2日 (土)

レガシーは生きている

  

時は1965年、場所はロンドン。
 
伝説のパーカッショニスト、アラン・シャープは理想の楽器を編み出すことに没頭していた。
 
そして、ついにそれを手に入れた。
  
 
やがてその楽器は多くの人の知れるところとなり、
 
レッド・ツェッペリン
 
ディープ・パープル
 
ザ・ローリング・ストーンズ
 
ブラック・サバス
 
UB40
 
ボブ・マーレー
 
…らに重用された。
 
 
アランは「*ロー・プロファイル・フープ」の開発者。
 
彼はいつもナニかを作り出そうとしていた。
 
そして今、我々がそれを引き継いだ。
  
アラン・シャープのレガシーは生きている。

*ロー・プロファイル・フープ(Low Profile Hoop)とは写真のようなパーカッションに用いられる手に優しいカーブがついた金属製のフープのこと。
世界で初めてアラン・シャープがこのパーツをパーカッションに採用した。
演奏性を高めることを目的に、今では多数のパーカッションがこの方式を採用している。

20020154_01_m

2017年11月 2日 (木)

【結果報告】 50人のロックンロール

   
数日前、Marshall Blogがようやく5周年を迎えたことをお知らせしたが、Marshall Amplificationが位置するミルトン・キーンズは街の生誕から50年を数え色々なイベントが開催されてきたことを種々レポートしてきた。

10_2一番最近では、その50周年を祝ってMarshallの工場に50人のギター・プレイヤーを集めるイベントを紹介した。
 
記事はコチラ⇒50人のロックンロール

 
そして、イベントは予定通り9月27日に無事開催された。
今日のMarshall Blogはその模様をレポートする。
…ったって、私は参加していないので、写真につけたキャプションは私の想像になってしまうことをお許し願いたい。
でも、何やらとても楽しそうなのだ!

20v_2場所は工場内の「シアター」。
「Theater」じゃなくて「Theatre」ね。
ナゼ、イギリスとアメリカの「-er」、あるいは「-re」の綴りが異なるのかはいつかどこかに書いた。
その理由は覚えているが、どこに書いたかは覚えていない。

30Theatreの中はいつでもMarshallやNATALやEDENを爆音で試奏できる状態になっている。

40時間通りに全員集合!
コレはオリエンテーションをやっているのかな?
背中を見せているのはスティーヴかな?

50彼はMarshallのデモンストレーターなのです。
200vみんなでナニを演奏するのかというと、コレ。
「♪ひ~さしぶりだぜロケンロー」
Led Zeppelinの「Rock and Roll」だ。
この選曲について、前回もシレって書いたけど、皆さんはどう思う?
イギリスだから当然ブリティッシュ・ロックの名曲になるわね。
加えてMarshallのバンドでなければならない。
そういう意味ではLed Zeppelinは妥当なんだけど、「Marshall」という会社としてはDeep Purpleの方がズッと近しいじゃない?
何しろ一時はMarshallが機材丸抱えでデモ・バンドを務めていたぐらいなんだから。
そこを「Rock and Roll」にしたのは3コードで演りやすい…ということか。

190ep_2ギターは参加者が持参する。
いくらマーシャル・アンプの製造拠点だからといって、参加者全員に1959のフルスタックを貸し与えたらミル警(ミルトン・キーンズ警察)がスッ飛んできちゃうからね。
MS-2が人数分用意された。
でも、このMS-2、アイボリーで特製だよ。
参加者には記念品として全員に配布されたに違いない。

60このMS-2をベルトに引っ掛けて…と。

70コレで準備はバッチリ。

80お父さんも…

90vこの通り。
「お父さん」なんて言っても私より若いだろうナ。

100みんなかわいいな~。

110この人はベルトをしていないのでズボンに引っ掛けてる。
あ、イギリスだからズボンじゃなくてトラウザーズか。
考えてみると「ズボン」ってヘンな言葉だよね…ズボン。
語源はフランス語のペチコートを表す「jupon」だって。
例によってポルトガル語かなんかかと思っていた。
「ジュポン」のままだと変だね。
「ちょっとジュポン履き替えて来るわ!」みたいの。
ちなみにスペイン語で「ズボン」は「パンタロン」だ。

120Edward Van Halenは参加していません。
MS-2を腰に装着した人はギター・リード(日本でいう「シールド」のこと)の取り回しには苦労したんじゃないかな?
130彼は床置き派。

140vこの彼も。
白いSGか…ギッチョならOllieだったね。

150vオジちゃんはイスに座ってユッタリと。
この人は生ツェッペリンをシッカリ観てるんだろうな~、アールズ・コートかなんかで。
うらやましいナァ~。
しかし、スゲエ年齢幅だな。

160「キミ、ギター持って来なかったのかい?ボクのを貸してあげるよ」
「ありがとう。でもボク、'54年のストラトか'59年のレスポールじゃないと調子が出ないんだ」…というシーンではないだろう。

175_sq「ハイハイ、始めるよ~!」
ステージに上がっているのはMarshall RECORDSアーティストのKing Creature。
彼らに合わせて演奏するワケですな?

170みんな真剣な面持ち!
あ、左の方Davey Johnstone?…かと思ったら女性だった。

180アレ、真ん中と左。
ピーターとジョナサンもいるわ。
彼らはR&Dのスタッフなのです。

210アラま、ダニーも来てるわ!
ダニーは元R&Dのスタッフ。
JCM800の頃からいる古株だけど、何年か前に辞めちゃった。
ダニーは、まだお母さんのドロレスがご存命の時にカリフォルニアのランディ・ローズの家に行って、実際に使っていた1959を精査して、1959RRの監修を担当したんだよ。

220vハイ、「♪ロンリ、ロンリ」!
エライ真剣だな~。
おそろいのMS-2がカワイイな。
みんなでこうやって何かを一緒にやるのってのは楽しいよね。
私もまた少し根を詰めてギターの練習をしようかな…。

230最後は参加者全員で記念撮影。
みなさんLed Zeppelinの国の方々です。
ブリティッシュ・ロックは彼らの音楽なのだ。
ま、私には古今亭志ん生と広沢虎造がいるから!

240(写真提供:Marshall Amplification plc)

2017年10月26日 (木)

Marshall Blog 5周年!

   
昨日で今のMarshall Blogをスタートして丸5年が経ち、今日から6年目に入りました。
巷間では30周年、40周年を迎えるバンドが林立し、本体のMarshall社は創立55周年。
その中にあっては「たったの5年」のヒヨっこですが、ま、我ながらよく続いたな…と思っております。
コレもひとえに制作にご協力頂いているアーティストの方やライブハウス、その他のご関係の皆様のおかげです。
そして、何よりもMarshall Blogをご覧頂いている読者の方々のおかげです。
この場をお借りしまして心から御礼申し上げます。
  
この5年の間のMarshall Blogの更新回数は1,241回。
マァ、自分でも飽きずによくやってんな~と思いますわ。
土日を除いて月に休まず20回は更新しているとして年間240回、5年で1,200回とすると、多少のズルはあっても毎日更新は達成しているかな?と。
ずいぶん文章を書いた。
おかげで重度の腱鞘炎になっちまった。
写真もよく撮った。
この5年間で一体どれぐらいの回数シャッターを切ったのだろう。
そうだ、アップロードした写真の枚数がわかるんだ!
どれどれ…57,833枚だって!
今日この後も写真をイッパイ載せるのでもっと行くな。
この枚数を記事の本数で割ると、46.6枚。
1本の記事に平均で47枚弱の写真が使われていることになる。
実際に切ったシャッター回数はコレの20倍ぐらいかな?。
20倍とすると、この5年間にシャッターを切った回数たるや推計115万回!
そりゃ腱鞘炎にもなるわナァ。
イヤ、誰かに「毎日更新しろ」なんて言われたことは一度もないんだけど、最初のMarshall Blogから数えて10年もこのペースでやっていると、もう身体がそうなっちゃってるのね。
そうなると、もう起きている間中はズッと「Marshall Blog」のことを考えている…なんてことになってる。
でも、コレは表現上そう言っているだけで、これはすなわち、いつもMarshall、NATAL、EDENのことを考えているということ。
それがMarshall社から私に託された仕事だから。
…ということで、いい機会なので5年前のことを思い出してみよう。
どうしてMarshall Blogが始まったかを…。
ポケタ、ポケタ、ポケタ…
  
アレは忘れもしない…どうしてだっけかな~?忘れとるやないけ!
2012年の4月5日にJim Marshallが亡くなって、今の社長のジョナサン・エラリーからボコッとメールが来たんだ。
「知っての通り、ジムが亡くなってそのお別れの会を開催するのだが、シゲも参加するかい?」という内容だった。
ジョンは以前から「ジムに『もしも』のことがあって何がしかの催しが開かれた場合、その時にはシゲにも必ず来てもらう」と言ってくれていて、彼は律儀にその約束を果たしてくれたのだ。

6a0163044657d3970d0163068e205c97_4 その時は前の会社を辞めていたので社用で渡英することはできない。
当然、費用は自腹。
いくつかお仕事の口をかけて頂いてはいたが、浪人の身にその旅費はかなり大きな出費となる。
しかし、答えを出すのにそう時間はかからなかった。
どうしようかと思案している私に家内がこう言ってくれたのだ。
「アホンダラ!行かないでどうするの!ジムにお世話になったんでしょ!お礼を言ってきなさい!お金なんてどうにでもなるわよ!」
ま、家内は「アホンダラ」なんて乱暴なクチは決してきくことはないんだけど、それぐらいのスゴイ押しだった。
男はダメだね。こういう時はツマらないことをグダグダ考えちゃって、なかなかキメられない。
でも、その押しで気持ちはキマッタ。
「よし、行って来よう!」
さて、費用はどうする?
「エエイままよ!」とばかりに、その時持っていたギターのほとんどを売り払って費用を捻出した。
ま、大したコレクションじゃなかったけどね。
  
そんなことがあって、そのことでジョンと連絡を取り合っているうちに、彼が5月の初めにアジア方面に出張することを知った。
その時私は山口県柳井市にあったMarshall MUSEUM JAPANのお手伝いをさせて頂いていた。
うまい具合にミュージアムのオープンが5月の3日だったで、ダメもとでアジア出張にからめて日本に寄るようにジョンを誘ってみた。
すると「お、じゃあ行こうかな」という答えが返って来、図らずともジムのお別れの会の前にジョンと顔を合わせることになった。
Img_0553_2ジョンはオープンのセレモニーに来賓として出席し、ひとこと挨拶もさせて頂いた。通訳は私。
マジメな人でね、私が通訳に困らないように事前にその挨拶原稿を送って来てくれた。
私も登壇しているので写真はない。

Img_4794 チョットなつかしいので久しぶりにミュージアムの写真を掲載しておこう。

Img_0304私は展示の作業自体には関わっていないのだが、その前段階で深く関わらせて頂いた。
整理をするのがもう大変だった。
コレクションが膨大すぎて、そもそもナニがあるのかがわからなかった。
それで泊まり込みで1台ずつ型番や仕様を精査して、写真を撮って、記録にまとめた。
それが『Marshall Chronicle』という本になったのはうれしかった(後述)。

Img_0307この博物館はもう閉鎖されている。
Marshall MUSEUM JAPANはオーナーの竹谷さんのお住まいで形を変えて現在も営業している。

Img_0334 で、2、3日の間ジョンと一緒にいる間に色々とMarshallの話をしてね~。
私のMarshallの仕事に対する考え方や、それまでに取り組んで来たこと、やりたかったこと…ジョンは熱心にそのすべてに耳を傾けてくれた。
そういえば、柳井のホテルの朝食に出た厚切りのトーストを見て大笑いしてたな。
イギリスでは私が知る限り、食パンを厚く切って食べる習慣がない。
メッチャうすい。
それがウマい。
コレも何度も書いたけど、イギリスには「イギリスパン」というモノはありません。
それで、ジョンを成田で見送る時、「シゲのことについてはチョット考えてみる。3週間後にUKで会おう!」と言ってくれた。
そして、渡英する時が来た。
ジムにお別れをしに行くのだ!

6a0163044657d3970d01676781d2c997_4 この時はとても楽しかった。
日本人どころか、200人ほどの出席者の中でモンゴロイドは私ひとり。
でも、たくさんの友達に囲まれ、シアワセな雰囲気の中でジムに別れを告げた。

6a0163044657d3970d01676781dade97_4 ケン・ブランやデイム・クレオ・レーンやニコにも会えたし。

6a0163044657d3970d0163068e255f97_4 ジムへの弔辞で登壇した人たちの写真を撮ってよろこんでもらった。
チョットは芸が身を助けたかな?
ニコとも久しぶりに会った。
6a0163044657d3970d01761577614597_4 そして、金がない割には、せっかくの機会だからということで、大好きなイギリスに2週間ほど滞在した。
貧乏旅行である。
最近の日本みたいで2週間の間、ほとんど雨でやがんの。5月なのに寒くて、寒くて。
その間、伊藤広規さんがロンドンにお越しになって合流した。
広規さんといえば長年Marshallのベースアンプを愛用してくださっていることで有名だ。
もちろんMarshallの工場へご案内する段取りをしていた。

6a0163044657d3970d017743e5d5a397_2 すると事前にジョンから連絡が入り、「ベーシスト(広規さんのこと)と工場に来る時に少し時間を作って欲しい。話したいことがあるんだ」と言うではないの。
そして、ミルトン・キーンズで3週間ぶりにジョンに会い、広規さんたちが工場見学をしている間に面談をした。
ジョンはいつも話が早い。
「シゲ、コレを持ってMarshallの仕事をしないか?」
と言って私に見せたのがコレだった。

_nc2 Marshallの名刺。
ビジネスマンとして(ウソこけ!)、コレを夢見ていたのだ!
人生最大の「ヨッシャ~!」だった。
ジョンは「Marshallのために、またあのブログをやったらいいじゃないか」と言ってくれた。
普段だったらガッツポーズで「ハイハイハイハイハイ、待ってました!」とやるところだけど、この時はその気持ちをグッと抑えて、「チョット考えさせてください」ぐらいのことを言ってその面談を終わらせた。
その方がカッコいいじゃん。
ジョンは「そうしてくれ。ワイフにも相談しなさい」と言ってくれた。
うれしかったね~。
がんばってきた甲斐があったと思ったよ。
それと、焦って他の会社の誘いをお受けしなくて本当にヨカッタ。
だからMarshallやジョン、ジムには本当に感謝している。
こうしてMarshall Blogは再開した。
それゆえ石にかじりついてでもMarshall Blogは更新し続けなければならないのだ。
毎日更新するぐらいナンダってんだよね!
    
さて、David Bowieじゃないけど、この5年間、色んなことがあった。
例えば、デジタル・テクノロジーの進化で音楽界の様子が大分変っちゃった。
私の分野で言えば、何といってもデジタル・アンプの躍進でしょうな~。
ま、コレについては四の五のココで書かないけど、もうひとつ、「小型化」っていうのも大きな変化のひとつだと思う。
『ミクロの決死圏』みたいに何でも小さくなっちゃう。
今は『スモール・ライト』っていうのかな?
「♪大きいことはいいことだ」の重厚長大は完全に過去のモノとなり、軽薄短小がトレンドになった。
当然音楽もそう。
やっぱり今の若い人はヘヴィ・メタルのような重厚長大な音楽は受け入れてくれないよ。
ハードロックやヘビメタで育った世代とは食べ物も言葉も気候もまったく違うんだもん。
これだけ環境が違ったらもう「外人」ですよ。
このことは若いバンドのコンサートへ行けば皮膚感覚で痛いほどわかる。
そういう意味では、トラディショナルなロックが絶滅する日が本当に来ると憂いている。
チョット、この写真を見てみて。

_2img_4303 今では珍しい町のレコード屋さん。
昔はこういうレコード屋さんがどこの町にもあったんだけどね。
ココは演歌専門の有名なお店だけあって、店頭にはビッシリと演歌歌手のポスターが貼ってある。
大御所ではサブちゃん、山川豊、大月みやこ、長山洋子、川中美幸等々。
不動の人気なんでしょうな。
で、このポスターたちをしばらくの間見ていてフト思った。
「一体、今、誰がこういう音楽を聴いているのだろう…」
私は今年で55歳になるが、私はもちろんのこと、「山川豊の音源をコンプリートしている」という人は友達の中にはいない。
私より年下の友達の中にもそういう人がいるとは思えない。
すると、こうした音楽を聴いている方々は私と同じ世代並びに年下の人たちにはごくマレで、恐らくは私より年上の人たちということになろう。
マァ、60歳、70歳?
大変失敬な話だが、あと数十年して、そうした方々が天に召された後はこの手の音楽どうなるのだろうか?
その時、「演歌」という音楽を好んで聴く人間が地球上に残っているのだろうか?
グッチャグチャのフリー・ジャズは聴けても、私はどうしても演歌は楽しめない。
そりゃ、リヴァイバル・ブームみたいなものもあるかも知れない。
しかし、根本的に演歌を好んで聴く層がなくなれば、気の毒だが絶滅することは必定だと思う。
芸術とかエンターテインメントは作る方がいくらガンバっても、それを鑑賞したり、楽しんだりする側がいなくなれば何の意味もなくなってしまう。完全に買い手市場なんだよね。
ポスターを眺めていたのは、上に書いたのと同じ理由で60年代や70年代、イヤ80年代もか…そうした時代のトラディショナルなロックも同じ運命にあると何ともやりきれない気持ちに思ったからだ。
  
私のところへ何人も20代のミュージシャンが遊びに来てくれるが、実際に70年のロックの話をすると、誰もカスリもしないよ。
何にも知らない。無理もない、必要としていないから。
だからいいモノを色々と教えてあげる。
するとすごく喜んでくれるけど、やっぱり彼らは彼らの成長期に聴いた音楽が一番で、それから抜け出すことはあり得ない。
土台PuepleやZeppelinを受け入れることはできないのだ。
私は、仕事として比較的横断的に今のロックの世界を俯瞰しているつもりなのだが、ベテラン層と若手の「溝」というモノは広くて、深くて、暗くて、そして誰も、ナニを持ってしても埋めることはできないものだともはや確信している。コレは演る方も楽しむ方も同じ。
つまり、今のところ「伝承」はムリだということ。
それにいち早く気がついたのはアメリカの大手のギター・メーカーだよ。サスガですよ。
私はMarshallの社員なので、Marshallの方針に従って、できるだけ時代に合った仕事をしていかなければならないという覚悟を決めた。
コレが5周年の豊富かな?
  
さて、この5年間でずいぶんいろんなことがあったけど、最も印象に残っている仕事は何だろう?
やっぱりMarshall GALAかな?
アレはやっててホントに楽しかった。
まだ具体的なことは何も決まっていないけど、必ずまた開催しようと思っている。
すぐではないよ。
2022年にはMarshallが創立60周年を迎えるので、それをニラみながら計画を進めていくことになると思う。

430 Marshallに関する本を上梓したのもうれしかった。
『Marshall Chronicle』と…

Mc『アンプ大名鑑 [Marshall編]』。
双方、エラく大変だったけど、名誉ある仕事を楽しんだ。

Ad 事務所を開設できたのもうれしかった。
「Room 1959」とか「Office 2203」とかいう名前を付けようかと思ったけど、恥ずかしいのでやめた。

Img_0014 大勢のミュージシャンの方々が遊びに来てくれたのもありがたい。
ココをそんなMarshallファミリーのメンバーが気軽に集まれるスペースにしたかったから。
開設以来10ヶ月の間に来てくれた人を順不同で並べてみようか?
 
大二さん
Img_0223松川さん

Img_0123三宅さん

200v金光さん

220vAmber Lumberの2人、征史さん。
これでStrange, Beautiful and Loudコンプリート!

_img_0193Akiraさん

_img_0004_2FEEl SO BADからはだりあさんと冬樹さん!

Img_0500ヒロアキくん

Img_0390KRUBERABLINKAの和重さん。
ワザワザMarshallのTシャツをお召し頂いてる!

S41a0082アメリカで活躍しているドラマー、misaiちゃん。

2_img_4042 SilexのMashaくん。

Img_0005今、新しいバンドに燃えてる英太郎さん。
Img_0248_2真壁六郎太
コレ、スゴイの。
本当に偶然ジムのジャンパーとおそろいだったの!

Img_0254SUPER BLOODの亮さん。

Img_0129まよちゃん、けんちゃん、はやてくん他私の子供たち。

5img_0188 現在矢島舞依ちゃんのサポートをしているカズマくん。

Img_0247タジちゃんはRon Ron Necordsのギタリスト。
みんなは「Tazzy」って呼んでるけど私は「タジちゃん」…田島さんだから。
彼がいなかったらあのMarshall GALAはできなかった。

_img_0374 ARESZの皆さん。
なんかダチョウ倶楽部みたいだな。
真夏だったのに瑠海狐さん、まっ白!

Img_0236Fury of Fearの守くん。Img_0147NAKED MACHINEの達也くん。

Img_0248D_Driveの皆さん。
Seijiさん

Img_0658Yukiちゃん

Img_0681Shimaちゃん
Img_0716Chiikoちゃん

Img_0701そして、トリは我がボス!
「いいね~、ココ!」と大変よろこんでくれた。
このジムの1959ハーフ・スタックはジョンからの開所祝いなのだ。
それにしてもデカい!
そしてシャツはいつもIn!

Img_0017  
最後にさっきの「伝承」の話ね。
私だって70年代のロックで育った身です。
「70年代」って、私はゼンゼンそうは思わないんだけど、世の中ではモノスゴイ古い時代として扱われている感じがするんだよね。
そんな古いかね~。
でも60~70年代のロックが大好きで、あのカッコよさを何とか次の世代にパスしたいとは思っています。
特に80年代以降のロックを聴かない私としては心底そう願っている。
で、最近、「トリビュート・バンド」と称したハード・ロックやプログレッシブ・ロック盛んなりし70年代音楽のコピー・バンドのライブが盛んだ。
そうしたコンサートのお客さんは出演者と同じ世代の方々が圧倒的に多いでしょ?
そりゃ若い時に夢中になった音楽だもん、ホンモノでなくてもナマで聴きたい気持ちはとてもよくわかるし、演奏する方も楽しいにキマってる。
で、そうしたライブでトラディショナルなロックを次世代に「伝承」をしているかのように見えるかもしれないけど、「伝承」というのは新しい世代に何かをタテに受け渡すことで、同じ世代の人間にヨコに受け渡しても残念ながら全く伝承ということにはならない。
理由は上にさんざん書いた。
こうしたライブが10代、20代の若者で埋まればどんなに素晴らしいだろう?
最高の伝承ライブになるんだけど、それができないから苦労しちゃう。
その手のライブを全部観ているワケではないので、例外があったらゴメンナサイ。
そこでご提案。
  
1. フェスティバル進出大作戦

05_2 ヘビメタもひっくるめて、そういうロックを便宜上「トラッド・ロック」という風にここでは呼ぶことにするよ。
ベテラン層の間で「若い人はそうしたトラッド・ロックを知らないだけで、聴けば絶対カッコいいと思うって!」ってよく言うでしょ。
すでに記した通り、ハッキリ言って望みは薄いでしょう。
でも、少ないかもしれないけど引っ掛かりは出て来ると思う。
引っ掛かりが引っ掛かりを呼んで、火がつき出すなんてこともあるかもしれない。
そこでまずは、コピーバンドも含めそうしたテイストのバンドをかき集めて「日本トラッド・ロック協会」みたいなものを作る。
そして、レコード会社もヒレ伏す泣く子もダマる大御所に顧問になって頂く。
「トラッド・ロックの伝承」ということであれば、大物の方々もきっと賛同してくれますよ。
だって自分たちが苦労して切り開いてきた足跡が消えようとしてるんだから。
そして若者が集まるフェスティバルにそうしたトラッド・テイストのバンドを出してもらうように主催者に交渉する。
バンド個々に交渉しても歯が立たないからね。
5分でも10分でもいいから、転換の間、メインステージの前でも横でもでもいいからとにかく音を聴いてもらう。
もちろんコピー・バンドが予てからフェスティバル会場の片隅で演奏しているのは知っている。Marshallでサポートしたこともある。
でも、そうではなくて、メイン・ステージで演らせてもらうことが肝要なのだ。
今の若者は何しろ「フェス至上主義」で最早ライブハウスにも行かなくなってきてるんだってよ!
だから、フェスティバルに出さえすれば彼らのアンテナに容易に引っ掛かるかも知れない。
 
2. 大岡越前大作戦

Images コレは大変な仕事かもしれないけど、ヤリガイはあると思うよ。
「トラッド・ロック伝承」の志士、「憂国の志士」ね…を集めて、若者対象にフリー・コンサートを定期的に開催する。
コレはコピー・バンドがいいでしょう。
土日に無料で貸してくれるハコでノーギャラでコピーバンドに出演して頂く。
お客さんは25歳未満に限ってはチャージなし。要するにロハ。ドリンク代だけ。
そして、出演バンドが演奏している本家のCDを販売しているレコード会社さんに会場に来てもらい、音源の即売をしてもらう。
楽器メーカーも同様。
例えばマイケル・シェンカーのコピー・バンドが出れば、近隣の楽器屋さんがミニ・マーシャルを展示して即売するとか。
関連雑誌社にも協力を仰いで、ウェブサイトでよいので後パブを組んでもらって次につなげる。
コレを定期的に開催する。
みんな費用が掛かりますよね。
まずは全員費用の持ち出しが発生しますよね。
だから意味はチョット違うんだけど、「全員が少しずつ損をする」ということで、「大岡裁きの三方一両損」というワケ。(「三方一両損」の正しい意味は各自で調べてください)
細かい問題が山ほど出て来るだろうけど、うまく行って長い目で見れば「三方千両得」になるかもしれない。
最終的にはそういうトラッド・ロックに影響を受けた若いバンドが育って、由緒正しいロックが延命できればいいでしょう。
そうして育った若いバンドは次に世代のもっと若い連中に同じことをしてやる。
こうすればホンモノのトラッド・ロックは絶滅しないでしょう。
でもレコード会社にしてみれば『Machine Head』を10枚売るヤツより、AKBを10,000枚売るヤツの方が評価が断然高いだろうからナァ。
ムリか…。

2mb ということで、とにかく色々と考えています。
これからも一生懸命面白い記事作りに努力する所存ですので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
  
最後に…Marshall Blogの文章は100%私が書いていますが、それは家内がライブ会場でショウの内容を記録したメモに頼っています。
撮影に集中していてとてもライブの内容を正確に覚えていることはできないからです。
つまりMarshall Blogの半分は家内の助けで成り立っているといえましょう。
毎日、真っ先に読んでくれて、「アソコは笑った」とか「ココは意味が通じにくい」とかいつも適切なアドバイスをしてくれる、よき「マーブロ評論家」でもあります。
ノーギャラなのに熱心に取り組んでくれて本当にありがとう!
私事ですが、この場をお借りして家内に感謝の意を表したいと思います。
これからもよろしく!
  
言ってるそばからナンですが、明日は「5周年記念休暇」ということで更新をお休みします。
また来週の更新をお楽しみに!



2017年10月17日 (火)

NAKED CULMINATION~OZ RAM INDIO

   
今日は初登場の若いチーム、OZ RAM INDIO。
ドラマーだけはNATALプレイヤーとして既に紹介済みだ。
彼らの3枚目のミニ・アルバム『NAKED』のリリースを記念した『NAKED GENERATION』と題した、ツアーのファイナル公演。
この日だけ『NAKED CULMINATION』という企画名が付された。
「culmination」という言葉は、普通定冠詞のtheをともなって「最高点」という意味を成すが、努力をした「結果」という意味合いで用いられることも多いようだ。
努力に努力を重ねて来たスポーツ選手が試合で見せる内容のような…つまり、「集大成」ということ。
この日のライブはチャージは無料。
最近時折見かける「投げ銭ライブ」というヤツ。
OZ RAM INDIONのこの日に賭ける猛烈な「思い」を感じさせるではあるまいか。

10OZ RAM INDIOは男女2人ずつの4人編成。

20ボーカルズのMeg。

30vギターはKaeDe。

40vKaeDeくんはMarshallプレイヤー。

50v足元は今時にしてはエラくシンプル。
DSLの純正フットスイッチを使ってくれているのがナニやらうれしい。

60ベースはrhythm。

70vそして、ドラムスはRin。

80vRinくんはNATAL。
アッシュのブラック・スワール。

90ペダル類もNATALだ。

100新しいミニ・アルバムの内容通りにスタートしたライブ。

110コレが今年5月に発表した9曲入りのミニ・アルバム『NAKED』。
コレがいいのよ!
やっぱり若い人が演っている音楽なので、正直世代が大きく異なる私には、1回聴いてすぐに「気に入った!」というワケにはいかないんだけど、何回か聴いているウチにビビビときた。
だから、この日のライブをとても楽しみにしていた。

120cd「結果は?」と言えば、期待通り素晴らしいものだった。
Megちゃんのパワフルな歌声。

130KaeDeくんのクールなリフとメロディアスなソロ。

140rhythmちゃんのヘヴィな低音とアグレッシブなキャラクター。

150そして、Rinくんのテクニカルでクリスピーなドラミング。

160vそして、みなぎる若さ…。
Megちゃんはまだ19歳だってーからね。
ところで、最近CDではすごくいいのに、ナマの演奏を聴くと「アララ?」なんてことがよくある。
演奏がマズイということではないよ。
コレ、昔は反対だったんだよ。
おっかなビックリ、バカっていねいに録音したスタジオのバージョンより、はじけ飛んだパワフルなライブ・バージョンの方が聴きごたえがあってカッコいいことが多かった。
ところが、デジタル技術が発達してからというもの、CDの音が昔のライブ録音並みの迫力になっちゃったでしょ。
楽器のクォリティの進化もあるよね。
それに加えて、スタジオで色々と凝ったことをするのはいいんだけれど、それをライブで緻密に再現できないケースが多いように私には感じられる。
もちろん、スタジオで作ったものと実際の生演奏が違うのも魅力のひとつであることは百も二百も承知している。
しかし、最近の若いバンドさんたちは、CDとライブの演奏の差があまりにも激しいのよ。
仕事柄、ライブで聴いた曲を、家に帰ってCDのスタジオ・バージョンで確認することが多いのだが、「ハラ?コレ同じ曲?」なんてこともそう珍しくない。
大抵「なんだ、こんなにカッコいい曲だったの?」となる。
このあたりのことが巷間で指摘されているのを見かけないところを見ると、それが当たり前の時代なのか、私の耳や感性が狂っているのか…ま、多分後者なのだろう。
で、このOZ RAM INDIO…ホメすぎかもしれないが、CDはCDなりに、ライブ演奏はライブなりに、双方がそれなりの魅力を持っているように感じた。

170Rinくんはドラム・ソロを披露。

180NATALアッシュのサウンドのナント気持ちのいいことよ!

190v中盤ではMegちゃんとKaeDeくんのアコースティック・セットもはさみ込まれた。

200熱唱するMegちゃん。
何やらコピー曲を演ったというんだけど…若いバンドさんが演るコピー曲は元がほとんどわからないのよ、ゴメンね。
調べてみるに…ワンオクだったのね。
アコースティック・セットのもうひとつは「Among You and Me」という曲。
アレ?ナンで「among」にしちゃったんだろう?
「among」は2つ以上のモノに囲まれた状態に使う前置詞。
2つの時は「between」を使うのが英文法の鉄則。
歌詞がわからないんだけど、きっと何かロマンチックな意味が設定されているのでしょう。
歌の文句だからいいけど、もし試験だったら「×」になるので一応書いておきました。
ちなみにイギリスでは「among」を「amongst」と言います

210v後半は衣装をチェンジしての登場。

220Megちゃんは熱唱ぶりも十分に魅力的なのだが、何しろ、身のこなしがカッコいいのよ。
ダンスをやっているということなので、それも当然なのかもしれないが、ポーズがビシっとキマる。
ただ手を上げ下げしているだけでもゼンゼン違うんだよね。
また、そのしぐさが大ゲサでなく、とても自然で曲によくマッチしているのだ。

230v曲はKaeDeくんのペンによるものが多いようだが、聴きごたえのあるものばかりだ。
聞けば、KaeDeくんのアイドルはナント、ラリー・カールトンだという…道理で。
ギター・ソロも決してシュレッドしまくらない、曲のためのギターソロを展開していたのが印象的だった。
ところで、今の若い人たちって、ものすごく「和」のテイストを持ってるんだよね。
ファー・イースト・ファミリー・バンドのようなタイプを除けば、我々の世代のロックには決して見られなかった要素だ。
別の言い方をすれば、「ブルースから遠い音楽」ということ。
しかし、kaeDeくんの曲はどこかトラディショナルなロックの香りがするんだな。
その若い感性の部分と伝統的な部分の混ぜ具合がこのバンドの曲の魅力なんだと思う。

240vドラムスとベースのインタープレイなんかも見せてくれた。

260v何しろサービス精神も満点なのよ!

Img_0411 最後まで全くゆるみのない歌声を聴かせるMegちゃん。

270v本編20曲、猛然とダッシュで走り抜けた!
コレがOz Ram Indioの「Culmination」!

280アンコールに応える4人。
でも、この姿も12月21日の渋谷eggmanまでのことだそうだ。
この日はまだ発表されなかったが、年内でOZ RAm INDIOは解散する。

290せっかくいいバンドを見つけたと思ったんだけどね~。
モッタイナイ。
若い人たちのバンドはみんな短命だ。
才能あるメンバー皆さんの今後の活動に期待している。
300vOZ RAM INDIOの詳しい情報はコチラ⇒OFFICIAL WEBSITE

310(一部敬称略 2017年9月10日 渋谷GARRETにて撮影)