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2019年1月 7日 (月)

明けましておめでとうございます

Marshall Blogの読者の皆様におかれましては幸多き新春をお迎えになられましたこととお慶び申し上げます。

Marshall、NATAL、EDEN、並びにMarshall Blogを本年も相変わらずご支援を賜り度くよろしくお願い申し上げます。

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M_natal_square

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9marshallblognega_3 さて、昨年も何度書いたかわからないけど、やっぱり時の経つのが早すぎますな。
チョット前にMarshall Blogが1,000回目の更新を迎え、常日頃からご登場頂いているアーティストの皆様からの祝辞を交えて記念記事を掲載したばかりだと思っていたんだけどね~。
そうなんです。
今日のこの投稿が1,500本目の記事なのです。
早い~!
実はこの2019年最初の記事がちょうど1,500回目になるように、年末に記事の投稿頻度をチョット調節したんだけどね。
相も変わらず同じようなことを書いて、脱線しまくりのMarshall Blogですが、これからもお引き立てのほど何卒よろしくお願い申し上げます。
 
新年のご挨拶はおわり…。
今日はこの後、エッセイ風に文章だけでお送りします。
ロクなことが書いてありません。
時間の無駄になるので絶対に読まない方がいいでしょう。
 
ココで2018年を、自分の周辺のことでチョット振り返ってみたいと思うのです。
こんなこと旧年中にやるべきことなんだけど、年末はあの紙芝居動画の制作に夢中になってしまって書けなかったのです。
 
ナニからやろうかな?
まず触れるべきは…Spotifyでしょうな?
Marshall Blogで数え切れないほど何度もガミガミ書いて反対して来た音楽配信の類。
Spotifyってのを9月の末にとうとう始めてしまったよ。
「『ダウンロード』と『ストリーミング』は違うゼよ、オッサン」と言われるかも知れないけど、んなことはどうでもよい。
40年以上にわたってレコードやらCDやらに少ない財産と時間をつぎ込んで来たオッサンにとっては「目クソ」と「鼻クソ」ほどの違いもない。
Spotifyを導入したのは、Marshall RECORDSでの仕事でやがて必要になるであろうということがひとつ。
そして、もうひとつは田川ヒロアキ。
彼が出演する9月のチャリティ・イベントにお邪魔した時に「イヤ~、もう時代はストリーミングですよ!」と諭すように口にした彼の言葉が私の背中を強く押した。
日頃はこっちがダマしているので、タマにはヒロアキくんにダマされたと思ってSpotifyに加入してみた。
それでも最初は「チッ、ナンだいこんなの…結局は若者がハヤリの曲を追いかけるだけのツールじゃないの。モノによってはオレのコレクションの方がよっぽどマッシブじゃねーか」などとケチをつけてもみたが、Bluetoothのレシーバーという装置が存在することを知り、早速買って来てステレオに接続して試した瞬間にプカプカと「黒船」がやって来たよ。
ま、それでナニをやっているかというと、CD棚から聴きたいアルバムを探して引っ張り出すのが面倒なので、代わりにSpotifyで聴いている程度のことだったりもするんだけどね。
でもひとつ、私の生活に大きな変化をもたらしたことがあった。
それは「CDを買わなくなったこと」だ。
「CDが欲しくなくなった」と言い換えても差し支えない。
私はジャズのアルバムを中心に、長年にわたって月に20~40枚の中古CDを買う生活を続けて来た。
ところが、行きつけのお店が月1回のバーゲンを止めてしまい、去年の前半からCDをほとんど買わなくなっていたこともあったのだが、Spotifyが完全にそれにトドメを刺したのだ。
もう音楽のジャンルを問わず、楽しみとして聴くCDを欲することがなくなってしまった。
例えばこういうことだ…。
昨日の晩、テレビでラヴェルの「ピアノ協奏曲」を放送していた。
イヤ、コレがまたちょっとジャズがかっていてエラくカッコいい。
以前だったら翌日は中古レコード屋に足を運んでいるところ。
しかし今は違う。
マルタ・アルゲリッチの録音がSpotifyにあったので、それを聴きながらこの原稿を書いているとこと。
CDは要らない。ジャケットもなくても何の不自由もない。
元々そういうモノだもんね、コレは。
だって、Spotifyがあればいつでも聴けるじゃん。もうウォークマンもほとんど使わなくなったし。
私は事務所で仕事をしている間にしか自発的に音楽を聴かないので、ステレオからある程度の音質で聴ければもうコレで十分。
『ホワイト・アルバム』もSpotifyで聴いたよ。
レニーの『Candide』なんかはこの3か月で100回近くは聴いた。
それでもCDは欲しくならなかった。
その結果、2018年に買ったCDの数は、ダントツで「五代目古今亭志ん生」が一番だったわ。
志ん生の音源はSpotifyで検索しても出て来ないから。
私ですらこうだもん…そりゃCDなんか売れなくなるにキマってるわ。
それとね、Spotifyのおかげで「音の調べごと」がすごくラクになった。
Marshall Blogの記事を書いていると、色々と音源を確認しなければならないケースが多いのね。
そういう時に圧倒的に便利なの。
欲を言えば、アルバムの情報が付随していないので、こうなりゃWikipediaにリンクしちゃえばどうかね?どうせタダ同然同士なんだから。
『隠し砦の三悪人』の田所兵衛(たどころひょうえ)ではないが、「裏切りゴメン!」と攘夷はもう諦めるが、それでもミュージシャンの本来の仕事は「音楽を作って、CD(あるいは音の出る何がしかの物体)を発売する」ことだと信ずる佐幕派ではいるつもり。
しかし、我々だって生まれた時からこういうのがあったら「音楽ってタダで聴けるもの」って思うにキマってるわな。
クワバラ、クワバラ。
 
次…「レコード大賞」。
今回は「怖いもの見たさ」でトライしようとしたんだけど、撮影の仕事と重なって結局観ることができなかった。 
大賞が「シンクロニシティ」…おお~Policeか!ま、私は頭脳警察はバッチリだけど、Policeは全く知りませんが。
え?違う?
もうチョット受賞結果を見てみましょう。
最優秀新人賞は「辰巳ゆうと」。どちらさま?…演歌の方だそうです。
優秀作品賞として、「アンビバレント」、「いごっそ魂」、「Wake Me Up」、「サザンカ」、「勝負の花道」、「Teacher Teacher」、「Be Myself」、「Bedtime Story」、「U.S.A.」…。
やっぱり予想通りだったね~!
ウソコケ!
「U.S.A.」を除いてはどの曲も1小節もわからんわ。
「Bedtime Story」なんてHerbie Hancockかと思うわ。
元より私は世の中の流行からかなり距離を置いた人生を送って来ているので、ほとんどコレについて言う資格はないんだけれど、かつてはこんな私でもレコード大賞受賞曲ぐらいは口ずさめるのが普通だったわ。
今、あまりにも普遍性の高い曲、つまり「流行歌」がなさすぎるでしょう?
私が言う「流行歌」というのは、「幼稚園生からオッサンオバサンまでが歌える曲」のことね。
私が子供の頃はそういう曲がいくらでもあった。
だいたい「♪森(とんかつ)、泉(にんにく)、囲(んにゃく)まれ(天丼)」なんて、二次使用作品まで流行したからね。
それじゃいつから世の中の歌がわからなくなったのか?
ウィキペディアで大賞受賞曲をさかのぼってみる。
私が生まれる前、1959年の第1回目の水原弘の「黒い花びら」から始まって、「こんにちは赤ちゃん」から「天使の誘惑」から「また逢う日まで」。
「勝手にしやがれ」から「北の宿から」を経て「ルビーの指環」、「長良川艶歌」、「パラダイス銀河」、「おどるポンポコリン」、「愛は勝つ」、「キミがいるだけで」…今1992年ね。
完璧に歌えないまでも、ココまでは全曲わかった。
次の「無言坂」ってのは知らないな…演歌か?
そして、1994年からアルファベットのタイトルの曲が出始める。
「innocent world」…この辺りから全くわからない。
「Overnight Sensation」…お!「Camarillo Brillo」に「Montana」か?まさかね…。
「Don't Wanna Cry」、「CAN YOU CELBRATE?」、「wanna Be A Dreammaker」、「Winter ,again」、「TSYNAMI(コレは知ってる)」、「Dearest」、「Voyage」、「No way to say」…ココまでで2003年。
ココはどこだ?!公用語は英語か?
イヤチガウ!
先進国で英語力最貧国のウチのひとつがやっていることとは到底思えない。
まぁいい。
ハイ、じゃそこのオジサン、「wanna Be A Dreammaker」歌ってみようか~?
真理ちゃん自転車がなつかしい。
  
次、そのウィキペディア。
Marshall Blogを書く時に多くの場面でお世話になっているのがウィキペディア。
でも日本の事柄を調べる時以外は、まず日本語のウィキペディアをチェックしない。
つまり、海外のことを調べる時にはすべて英語版に当たっている。
だって情報の量が雲泥の差なんだもん。
アレどうして全部翻訳しないんだろう?
まぁ、「作り」の情報も多いといわれているWikipediaだけど、音楽に関することなんかは、ロマンがあっていいんじゃないの?…と私は思っている。
そしてもうひとつ、いつも思っていることがある。
それはね、中国語版のウィキペディアなの。
少しマイナーな海外の事柄や人物に関する記事には日本語版がないことが多いでしょ。
だから結果的に英語版を読まざるを得ないんだけど、そんな記事でもたいてい用意されているのが中国語版なんですよ。
どんなマイナーな記事でもかなり高い確率で「中文」っていう表記が出てる。
端的な見方ではあるけど、「一事が万事」…つまり、中国語を話す人たちに供給されている情報の量は何事も日本人へのそれより圧倒的に多いのではないか?ということ。
こういう所にも国の力の勢いの差を感じて怖くなっちゃうんだよね。
 
次、ガールパワー。
ウチの社長が「日本はゴーバンズが盛んだろ?」って言うので一体何のことかと思ったら「Girl Bands」のことだった。
Marshallの連中も日本のガール・バンドの隆盛には驚きを隠せないようでしてね。
他の国の連中に訊いてみると、コレはどうも日本特有の現象のようだ。
そしたら今、エレキ・ギターを中心としたロック楽器のお客さんというのは9割が女の子だっていうじゃんね。
amazon等の通販の普及により、コワくて行かれなかった楽器屋さんに行かずしてギターをゲットできるようになったことが大きな理由のひとつらしい。
顧客の年齢層が圧倒的に高校生で、学校の軽音楽部のおかげらしい。
Marshallも楽器メーカー…ビジネス的にはとても喜ばしいことなんだけど、「エレキ禁止令」が出た時代を知っている、70年代のロックで育った私なんかにはとても複雑な心境だ。
彼女たちは高校を卒業して、つまり、軽音楽部から離れるともうギターなんかほったらかしになっちゃうらしい。
そんなの当たり前じゃん。
ナゼかというと、「音楽」が先に来ていないからなんだよ。
若いバンドが簡単に解散しちゃうのも同じ。
昔は音楽が好きで、ロックがカッコよくて、どうしようもなくてギターを手にしたもんですよ。
「音楽」はファッションじゃない。
ギターは洋服ではなくて、人を感動させる美しい音楽だったり、時には人に涙を流させる音楽を奏でて楽しむための「道具」だから。
とにかくジャンルを問わず若い人たちに色々な音楽を聴かせてあげるべきだと思うんだけどな~。
Spotifyのようなツールが出て来た割には、聴かれている音楽の幅が昔と比べて極端に狭くなっているように見えるのがとても不思議だ。
 
次、それにちなんでQueen。
どういう風の吹き回しか、「ボヘラ」ブームがスゴイね。
若い人たちも盛んに映画を観に行っているようで、このブームを機に「ロックの先祖返り」を期待している音楽関係者もいるようだけど、残念ながら無理でしょう。
若い人が「感動しました。それにQueenの音楽があんなに素晴らしいものだって知りませんでした」なんて感想を漏らしているテレビのワイドショウのインタビューを見かけるけど、それで終わりでしょう。
あの後に「あの時代の音楽…70年代って言うんですか?その時代のロックをもっともっと聴いてみたいと思います」という発言を期待したいところだけど、そんな若い子は私がテレビを見た限りではひとりもいなかった。
そりゃそうですよ。時代が違うんだもん。
Deep PurpleやLed Zeppelinに夢中になっていた若者とポケモンだのニコニコだのスマホに夢中になっている若者は食べ物も違えば言葉も違う。
もっと言うと気候も違う…コレ、外国人と同じだから。
相容れ合うワケがない。
「イヤ、今の若い人は知らないだけでPuepleやZeppelinを聴かせてあげると必ず『カッコいい!』って言うんだよ」という話を時折耳にするけど、その場ではそう言うし、実際にカッコいいとも思うんだろうけど、家に帰れば全く忘れちゃう。
自分の時代に流布している音楽がいいにキマってる。
私だってプレスリーよりDeep Purpleの方がヨカッタもん。
で、そうしたトラディショナルなロックの将来を考えた時に、ひとつ思い当たった。
若い人たちが60年代や70年代のロックに興味を示さず、この先聴き手(演り手ではない)が全くいなくなってしまったら、その時代のロックはかつての「琵琶語り」や「ドドンパ」のように絶滅するのではないかと考えていたが、そうはならないね。
クラシックやジャズのように、トラディショナルなロックは「古典芸能」として子々孫々細々と生き永らえていくのではないだろうか…ということだ。
そして、そういう歴的な遺産から良質なエキスをうまいこと抽出して時代時代の感性とミックスして、自分たちだけの音楽を作る若いバンドがだけが最後は生き残っていくのではなかろうか…イヤ、それを期待している。
今はまだその前の段階であり、次のジャンプに備えてしゃがんでいるところだと思いたい。
あまりしゃがみ続けて、足がシビれてジャンプできないような気もするが…。

ハイ、ひとりごとは以上で終わり。
あ~、書いた書いた。気が済んだ。
ココまでご高覧頂きまして誠にありがとうございます。
1,501回目からは、以前の通り写真と脱線を交えた内容でお送りします。
まだ詳細は発表できませんが、今年は秋に2回目のMarshall GALAを予定しています。
ゼヒご期待ください。
 
それでは今年もよろしくお願い申し上げます。
 

200 
(一部敬称略)