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2020年11月

2020年11月27日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 60 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.3>

 
今日、11月27日はジミ・ヘンドリックスの誕生日だそうで…。
 
ところで今日国内盤が発売された1970年7月30日のハワイのマウイでの演奏を収録した『Live in Maui』聴いた?
ジミ・ヘンドリックス研究家でもあるギタリストの三宅庸介さんにススメられて早速聴いてみたけど…スゴイね。
なんといってもギターがスゴイ!
もう何回か聴いたんだけど、やっぱりジミの音楽はMarshall抜きには実現しなかったね。
この映画用の録音だけあってクォリティの高い音源を聴いて改めてそう思ったわ。
生前、他のギター・アンプを使って結局Marshallに戻って来たということがこのことを証明していると思うし、何よりこの音源を聴けば、そのことに何の疑いも持つことができないでしょう。
♪バシーン、ビシーン!
「1959というのはこうやって弾くもんですよ!」、「ロック・ギターのサウンドはこういうモノですよ」と、ジミの奏でる音のひとつひとつがそう説いているようだ。
若いミュージシャンの皆さんにまずは聴いてもらいたいもんです。
 
そして、話題は常夏の島から寒くて暗いイギリスに飛ぶよ!Lim ココはロンドンの中心中の中心、「Mayfair(メイフェア)地区」。
緑色のロゴ看板は「Fenwick」。
1882年に開業したニューキャッスルに本社を構える老舗デパート。
コレ、「Fenwick」と綴って「フェニック」と読むので要注意。
写真の通りは「Brook Street(ブルック・ストリート)」。

10この道を写真の奥方向にもう少し行くと左側に見えてくるのがこのブロック。20ブルー・プラークのついた棟続きの建物。40一時期、外装の工事をしていたけど、工事の後もあまり大差がないようだ。

30コレは大分前の写真。
1階のテナントが今とは異なっていた。50v音楽とシャボン玉をまき散らし、自らウグイス嬢を務める「HANDYMAN」という業者。
「♪I could be handy, mending a fuse when your lights have gone」の「handy」。
要するに便利屋さんですな。
「Handyman UK」で調べてみると、ゴロゴロ検索結果が出て来る。
35向かって右側の建物の壁にかかっているプラークは…
70v「ジョージ・フレデリック・ヘンデル」。
「ヘンデル」はあの学校の音楽の授業で習う「ヘンデル」ね。
ハンデルはドイツ人なので本当は「ゲオルグ・フリードリッヒ・へンデル」。
でも英語圏では「ハンデル」と発音する。
1723年からココに住んで、終の棲家となった。60vそうそうそうそう、「名前の発音」で思い出した!
いきなりの脱線で申し訳ないんだけど…「ヤン・アッカーマン」の話。
Marshall Blogで、英語圏の人は「Jan」を「ヤン」ではなく「ジャン」と発音する…と何回も書いてきたんだけど、先日Marshall Recordsの親分と「Sylvia」の話をしていたら、ナント彼は「ヤ・ナッカーマン」と発音するんですよ!
コレは「絶対に放っておけない!」と思い、「ジャンって読むんでしょ?ジャ・ナッカーマンじゃないの?」と問いただすと、「ヤンはヤンだよ。ジャンなんて読まないよ!」と来た。
ホントにヤンなっちゃう。
真偽のほどはわからなくなってしまったけど、私は「ジャン」でいきます。
しかし、この人も「粗製乱造」と言ったら失礼だけど、も~、ソロ作品の「玉石混交」ぶりたるや尋常じゃない。
「プロデュース」という役割の大切さをよ~く教えてくれる。
私も好きでずいぶん買って泣いた結果、結局はこの2枚だな。
『Live』とヨアヒム・キューンとのライブ盤。
いかし、速弾きだ、タッピングだと技術的なことを騒いでいても、ギタリストとしてのスゴさとか偉大さ決定づけるのは、ナンダカンダ言って、そのギタリストが奏でるメロディの創造性の高さだということだということをジャン・アッカーマンが上手に教えてくれる。
ジミはいわずもがな、ヴァン・ヘイレンだってそうでしょ?
マイルスだって、コルトレーンだって、エヴァンスだって、ショーターだって結局そうじゃん?
いかにカッコいいフレーズを作ったか…ということだもん。
今の音楽界って「売れれば勝ち」ばっかりで、ジャンルを問わずそうした創造性を完全に失ってしまったように見える。
ミュージシャンであろうが、リスナーであろうが、若い人たちはとにかく「売れている音楽」ではなくて、「いい音楽」を聴く努力をしないとダメだよ。
Ja3

Ja4 そのお隣の白い壁の方は「ジミ・ヘンドリックス」。
わずかな期間だったけどココに住んでいた。80v「イエイ」とか言いながらこのドアを通って出入りしていたのかと思うと結構興奮するぜ、イエイ。

85vその脇の路地に入る。90コレは路地からブルック・ストリートを振り返って見たところ。100vドワ!
こんなのができちゃった!
「Victoria's Secret Pink」…アメリカのファッション・ブランドだってか。120その真向いがコレ。

135かつてはこんなだった。
「Handel House Museum」…つまり、ジミ・ヘンドリックスのフラットに関するモノは一切公開していなかったの。105それが2年ぐらい前にヘンデルとヘンドリックスの2大「ヘン」をくっつけた博物館にしちゃったというワケ。

130さっそく中に入る…今回で3回目となるこのシリーズ、いよいよ本丸ですよ~!140エントランスに飾ってあるポートレート。
2人の間には250年近い時の隔たりがありますよ~。

150入館料は£10。
今の為替レートで1,400円とチョット。

160ヘア・スタイルは双方ロック・テイストか。170入館時にこんな案内のリーフレットを渡してくれる。

180館内の案内と…

200チョットした解説が記してある。

190リフト(=エレベーター)で4階に上がる。
元は普通のアパートの一室なので狭い。210廊下の壁にはジミ・ヘンドリックスに関するデータや業績、エピソードを説明するボードが掲げられている。
 
下はジミの生涯を簡潔に説明したボード。
「Chitlin' Circuit(チットリン・サーキット)」なんてのをコレで初めて知った。
勉強不足でお恥ずかしい…。
前回取り上げた通り、ジミとキャシー・エッチンガムは、チャス・チャンドラーのカップルとリンゴ・スターが又貸ししたモンタギュー・プレイスのフラットに住んでいたが、1968年の7月にこのブルック・ストリートに引っ越して来た。
そして、2人は1969年の初頭までをココで過ごした。
だからココに住んだのはホンの数か月のことなのね。
 
最後の段落の文章がイカしてる。
彼の3枚目のスタジオ・アルバム『Electric Lady Land』は1968年の暮れに発表され、'次は一体何が起こるんだ?’という質問を聞き手に抱かせた。
ファンは望むべきその答え(Experienceはもっと良くなるか、今のままでいるか)を知っていた。それは断じてヘンドリックスを消し去るということではなかった
 
キャシーによると、このフラットを探して来たのは彼女自身だったが、ココに決めるまで何軒かに入居を断られたそうだ。
ジミはすでに世間で名前を知られていて、当時は「ロック・スターはお断り」という風潮が強かったのだ。
もうこの頃には郊外の大きな一軒家に住む経済力はあったが、ジミがこうした街中に住むことを望んだそうだ。
260コレはディスコグラフィ。
1966年12月16日発売のシングル『Hey Joe/Stone Free』から1970年6月にリリースされた『Woodstock』のサントラ盤までジミが存命中に英米で発売されたすべての正規な音源がリストアップされている。(アメリカでは1970年8月26日に『Historic Performance Recorded at the Monterey Internattional Pop Festival』まで)

220vジミの訃報。
ジミが亡くなったのは4年前に初めてロンドンに来た日の4日前だった。
このシリーズの「Vol.1」に書いたように、この4年前、イギリスでこのアーティストを知る人はひとりもいなかったんだからスゴイ。
わかっちゃいるけど、たった4年!230v1969年、アメリカをツアー中のジミはキャシーをニューヨークに呼び寄せる。
アメリカに行ってキャシーが見たものはコカインに溺れるジミの姿で周囲に犯罪のニオイを嗅ぎ取ったらしい。
すぐにロンドンに戻って来たキャシーは2度とフラットに戻らなかったという。(註:下のレストランの経営者によると、キャシーは1970年の6月までココに住んでいたとか)
240vこの展示は、トリクシー・サリヴァンという人を代理人として、すべての自分の持ち物をブルック・ストリートのフラットから持ち去るということをキャシーに通告した手紙のコピー。
手紙を書いたのは当時のジミのマネージャーのマイケル・ジェフリー。

コレはトリクシー・サリバンさんに23 Brook Street, London, W.1の私のフラットにある所有物を、彼女の判断で移動または処分することを委任した証である    ジミ・ヘンドリックス
 
このジェフリーと言う人はチャス時代からいた人だけど、相当ヤバイ系の人だったらしいね。
何冊かの本を読んでみると、やっぱりジミにはチャスしかいなかったんじゃないかね?
ジミを見つけたのも、作ったのもチャス以外にあり得ない…と思った。250ブルック・ストリートでのジミの行動を紹介するコーナー。270ドイツ語、イタリア語、中国語、フランス語、ポルトガル語に翻訳された案内書。
こういうのを見ると悲しくなるね。
中国語はあっても日本語はないんだよ。
次には韓国語がコレに加わるんじゃないの?
275vフラットの近所のジミの行動範囲を示した地図。
こういうのは恰好の「名所めぐりネタ」だ。
表示されているポイントは…
●Scotch of St. James:コレは前回紹介した。
●Speakeasy:後にやります。
他に…
280●Marquee Club
もうコレはマーブロの常連だからしてもう説明はしないけど、ウチにあるMarqueeの本によると、ジミは2回しか出ていないことがわかり、前回紹介した。
ピーター・バラカンさんはそのウチの1回に行っているそうだ。
レコードコレクター誌の増刊のインタビューによると、テレビ番組の『Ready Steady Go』で「Hey Joe」と「Stone Free」を演奏するのを見てブッ飛んで、レコードを買いに行き、マーキーでライブがあることを知って押しかけたのだそう。
まだジミは新人だったので大したことないだろうと思ってノンビリとウォードー・ストリートのマーキーに出かけると、500人のキャパにも関わらずもう1,400人ぐらい並んでいたんだって!
冬でみんなコートを着ていたが、場内がパンパンで脱ぐことも全くできず死ぬほど暑かったとか。
演奏はスゴかったって。
そりゃそんな狭いところでMarshall直で、230Vで、弾き手は「ジミ・ヘンドリックス」だぜ!
うらやましいナァ。
こういう不公平というのはどこでキメられるんだろうネェ…やっぱり前世の行いなんだろうナァ。
バラカンさんは前回紹介したサヴィル・シアターのジミ(Marshallスポンサーのヤツね)もご覧になったそうだ。290●One Stop Records
ジミのフラットのすぐ近くのレコード屋。
しょっちゅうココに来ては新しいレコードを漁っていたとか。
ヘンデルの「水上の音楽」と「メサイヤ」は前々回紹介したOne Stop Recordsで買ったそうだ。

300●HMV
オックスフォード・ストリートのHMVにもよくレコードを買いに行った。
ココ、以前は「Foot Locker」というアメリカ資本の靴屋になっていたんだよね。

310柱についているプラークには…
 
1921年7月から2000年4月、ココにオリジナルのHMVのお店がありました。

1921年7月のオープニング・セレモニーにはエドワード・エルガーが参列した。
1962年にはココのスタジオでビートルズが78回転のデモ・ディスクを制作し、コレがキッカケでビートルズはEMIとの契約にこぎつけた。
このプラークは2000年4月26日、ジョージ・マーチンが除幕した。

という説明がされている。
320これが去年行ってみると、またHMVになっていたのですわ。
しかも、昔の風合いのデザインで!

330プラークもキレイになってた。

Hmv ●Lord John
ココは毎度おなじみモッズのふるさと、カーナビー・ストリート。

340その真ん中あたりに「Lord John」というブティックがあった。
「ジョン・ロード」じゃないよ。
ジミはココの常連だった。

350vジミ以外にもモッズらしく、The Small FacesやThe Whoのメンバーやブライアン・ジョーンズもこの店の常連だった。360●Mr. Fish
コレもMichael Fishという人のブティック。
ココはスゴイ。
こないだ亡くなったショーン・コネリーが『Dr. No』で着ていたシャツを作った。
他に、サミー・デイヴィスJr.、ロック・ハドソン、デューク・エリントン、ママ・キャス、ヴァネッサ・レッドグレーヴ他、たくさんの芸能人がMr. Fishの服を好んで着たそうだ。

370vストーンズの1969年のハイド・パークでミック・ジャガーが来ていた白い衣装もMr. Fishのデザインだそう。
コレってKing Crimsonが前座をやったヤツだっけ?Mj 『The Man Who Sold the World』のジャケットでデヴィッド・ボウイが着ているワンピースもMr. Fish。
Dbこのブランドは「PECULIAR」というのがキャッチフレーズなのかしらん?
「PECULIAR TO Mr. Fish」というタグ。
「peculiar」というのは「風変わりな」という意味で「to」をつけて「peculiar to ~」にすると「~独特の」という意味になる。380ん?
チョット待てよ…。
ボウイの「Space Oddity」に「♪I'm floating in a most peculiar way」という一節が出て来るでしょ?
もしかして、ボウイはMr. Fishにスペシャル・サンクスの意味を込めて「peculiar」という単語を選んだのではないか?
ココは「strange」でも「eccentric」でもいいワケじゃん?…というのは私の妄想だな。So ジミとキャシーが移り住む1年前に開店した「Mr. Love」という階下のレストラン。
経営者の弟はジミの大ファンで、ジミが上に住んでいてこの店に来ることを知って大層よろこんだ。
ビージーズの連中なんかも常連だった。390ヘンデルのプラークはジミがココへやって来た1968年以前にとりつけられていた。
410このプラークが大いに刺激になってジミはヘンデルの音楽に興味を持ち、上のHMVにレコードを買いに行ったという。

400ヘンデルはこの人ね。
最初の方に書いた通り、以前ココは「ヘンデルの住んでいた家」としてだけ公開されていた。5年前に見学したんだけど、アレはボランティアなんだろうね、親切この上ないおジイさんがつきっきりで説明してくれましてね。
私もクラシック音楽は好きだけど、ヘンデルは全く聴いていなかったので質問のひとつもできずに申し訳ないことをしたよ。
405v
その「ヘンデル・ハウス」にはこんなコスプレ・コーナーもあったんよ。
コレがまたどれもすごくサイズが小ぶりなのよ。
今にして思うと子供向けだったのかも。
406vジミは飛ぶ鳥を落とす勢いのJimi Hendrix Experienceのリーダーとして、ファッション面でもスタイルを確立しようと努め、オーダーメイドの服を身にまとった。
コレは1967年に「Dandie Fashion(ダンディ・ファッション)」というブランドで作ったジャケット。

430vジミ曰く…「なぜヘンテコな服を着るのかって?軍隊じゃないんだからサ。
グループにいる時はみんなに合わせなきゃならなかった。
オレはアイズレー・ブラザーズにいた頃、白のモヘアのスーツ、決まった革靴に髪型…カジュアルな格好は許されなかった。
もし靴ヒモが左右違ってみな、5ドルの罰金だよ。
もうそういうのにはウンザリなワケよ
だったそうです。

440v<つづく> 

200

2020年11月25日 (水)

ごちゃまぜでハッピネス~『ホッチポッチミュージックフェスティバル』の田川ヒロアキ

 

今日はまた横浜。
横浜スタジアムがある「横浜公園」。10ココで過日開催されたのが『ホッチポッチミュージックフェスティバル』。
音楽のスタイル、国籍、世代、性別、障害の有無等の垣根を取っ払い、とにかくみんなで音楽を楽しむための「音楽のお祭り」。
このイベントに田川ヒロアキが出演した。20「ホッチポッチ(Hotchpotchi)」は「ゴチャマゼ」という意味ね。
この言葉を聴いて真っ先に『Hodge Podge』というアルバムを思い出すのはジャズを聴き込んでいる人。
コレはデューク・エリントン楽団のリード・アルトを長年務めたJohnny Hodges(ジョニー・ホッジス)のリーダー作。
かなり古いジャズね。
その名前をもじって「Hodge Podge(ホッジ・ポッジ)」というタイトルが付けられているが、コレは「ホッチポッチ」と同じで「ゴチャマゼ」という意味。30cdデューク・エリントン楽団のメンバーのことは「Ellingtonian(エリント二アン)」と呼ばれ、アメリカのショウビジネス界では誰からも尊敬された。
そのエリントニアン中のエリントニアンがジョニー・ホッジスだった。
何しろ1956年のライブ・アルバム『Ellington at New Port』で、ジョニー・ホッジスを紹介する時にエリントンはこう言っている。
 
If you heard of the saxophone, you heard of Johnny Hodges.
 
「もしアナタがサキソフォンというモノを聴いたとするならば、それはジョニー・ホッジスの演奏を聴いたということだ」…カッコいいな~。
 
If you heard of the Marshall. you heard of Tagawa.
ヒロアキくんはそんな演奏をこの日も聴かせてくれたんよ。

40cdさて、ホッチポッチ…失礼ながら、今回のこの機会まで存じ上げなかったが、ナント今回が12回目!
10月18日、新しくなった横浜市役所と11月8日のこの横浜公園の2回の開催となった。
もちろん双方参加無料。
60こんな露店も出ていてお祭り気分も満点。
50お店の種類もホッチポッチ!

70もちろん、場内にはいくつもステージがセットされていて…

80あちこちで絶えず音楽が鳴り響いている。

Img_3953 そんな会場からチョット離れた場所にある「彼我庭園」と名付けられた日本庭園。
こんなのあったのね?
ウチは母と家内が横浜の出身ということもあり、関内、伊勢佐木町、中華街、山下公園、元町等々、この辺りには幼い時分から馴染んでいるんだけど、考えてみれば、横浜公園の中を見て歩いたことなんかなかったからな。

90
フーム…明治9年(1876)に開園した横浜公園は日本最古の洋式公園とされているのか…。
日比谷公園が最古かと思っていたけど、なるほど、日比谷は1903年か。
ん?上野公園が1873年となっているぞ!
上野恩賜公園は「洋式」じゃないということか?
ま、いいか、両親の出身地である上野と横浜を競わせる必要もあるまい。
で、この横浜公園は、外国人=「彼(ひ)」と日本人=「我(が)」の双方が利用できたことから「彼我公園」と呼ばれていた。
平成29年というから、つい最近この日本庭園部分を「彼我庭園」と定めたのだそうだ。
110「友好と平和の灯篭」は昭和29年頃に当時の横浜市長が友好の証に米オレゴンのポートランドに寄贈した雪見灯篭のレプリカ。

100この公園のある場所は、かつて横浜に居留する外国人のために開設した「港埼(みよさき)」という遊郭だった。
時は幕末、資金がない幕府はこの大事業を民間に委託する。
そこで名乗りを上げたのが品川宿で飯盛旅籠(めしもりはたご)を営んでいた岩槻屋佐吉。
飯盛旅籠というのは女郎がいる宿屋のことね。
宿場での女郎は「飯盛女」と呼ばれた。
大変な事業で、共同事業主がひとり、またひとりと減る中で佐吉は資材を投げうち、最後までやり遂げた。
何でも吉原のつくりをマネて、大門から堀から衣紋坂のコピーまであったらしい。
当然、佐吉もこの新しい遊郭で「岩亀楼(がんきろう)」という名前の見世を出す。
「岩亀」というのは自分の屋号の「岩槻」に引っ掛けてある。
この岩亀楼がとんでもなく絢爛豪華だった。
そこにあった灯篭がコレ。120v…なんだけど、この灯篭は明治初期に作られたもので、オリジナルの岩亀楼に置いてあったものではないのだそうだ。
吉原もそうなんだけど、江戸時代の遊郭のアイテムってホントに何も残っていないんだよね。

150さて、この岩亀楼に「喜遊(きゆう)」という女郎がいた。
あ、ひとつ言っておきますが、「女郎」というは蔑称ではありませんからね。
喜遊は安政年間に深川の医者に家に生まれたが、幼い頃に両親を失い、新吉原の江戸町二丁目の「甲子屋(きのえねや)」という妓楼に禿(かむろ)に出された。
「禿」は「ハゲ」ではありませんからね。
当時は貧しい農家や家の娘がこうした苦界(くがい)に身を沈めるのが一般的なパターンであったが、喜遊のように肉親を失い、行き場が無くなった娘を親戚が引き取り、遊郭に売り飛ばしてしまうということも往々にしてあったらしい。
禿というのは五歳ぐらいで吉原に入り、ミッチリ教育をされる女郎の見習いのこと。
読み書きはもちろん、お茶、お花、書道、和歌、俳句、囲碁、将棋に至るまで、ありとあらゆる教養を身につけさせられた。
一流の妓楼の花魁は並みの武家の娘よりはるかに教養があったらしい。
ところが、家の中のことは幼いころからまったく関わらないので、炊事、洗濯、針仕事はからっきしダメ。
遊郭から外に出たことがないので、お金の使い方も知らなかったという。
その喜遊が流れ流れて岩亀楼に来ることになる。
あのね、吉原って野球でいえば大リーグ、サッカーでいえばプレミア・リーグ、アメフトでいえばNFLみたいなもので、イヤ、多分それ以上だと思うんだけど、とにかく女郎屋界の最高峰中の最高峰なワケ。
その吉原の花魁が、新しくできた横浜くんだりの廓に転籍してくるなんてこはまずあり得ない。
この辺りは色々な事情や廓の仕組みがあるので詳しくは書かないが、とにかく横綱から序の口まで格下げになっちゃう。
当時、外人を相手にしていた女郎屋があったのは長崎ぐらいのものだった。
横浜はそのためにできた遊郭だからして、必然的に外人の相手をする女郎が必要だ。
今と違って、当時、外人はもうどうしようもなくコワいワケ。
誰も好き好んで外人の相手をしたがる女郎はいないから、どうしても格下の女郎がお相手をすることになる。
そういう女郎を「羅紗緬(らしゃめん)」と呼んだ。
そして、喜遊はあるアメリカ人に見初められて身請けをされることになるんだな。
これから先は書かない。
興味のある人は有吉佐和子の「喜遊の死」という短編を読んでみてください。
有吉の短編集『三婆(新潮文庫)』に収録されている36ページの短い作品なのですぐに読める。
港埼遊郭が出来るいきさつまで記してある。
ただ、「廓用語」っていうのかな?
遊郭の仕組みを知らないとチョットわかりにくいかも知れない。
この作品は昭和37年に発表されているんだけど、その頃はまだ女郎屋のことが普通に理解される世の中だったことがこういうことでわかる。
落語もそう。
例えば「明烏」とか「お直し」等の廓話を私なんかは何の気なしに聞いて笑っているけど、若い人には噺の中で使われている単語自体がわからないだろうね。
私も若い頃はよくわからなかったわ。130vbそして、この「喜遊の死」はお園という喜遊の親友が語ることによって物語が進行するが、後に有吉自身の手によって『ふるあめりかに袖はぬらさじ』という戯曲に改作されている。
初演では杉村春子がお園の役を演じた。
となれば、観てみたかったナァ。
2007年には玉三郎で歌舞伎化。その2012年バージョンでは壇れいちゃんが喜遊役を演った。
と来れば、観てみたかったナァ。
最近では去年、大地真央がお園を演じたようだ。
 
140vb「露をだに いとふやまとの女郎花 ふるあめりかに袖はぬらさじ」
 
コレはネタバレになってしまうが、大橋訥庵という儒学者が読んだ歌。
この人は「安政の大獄」で処刑され、ほったらかしになっていた頼三樹三郎の亡骸を棺に収めに小塚原まで行ったというバリッバリの尊王攘夷派。
確か悪名高い水戸藩の「天狗党」の決起にも関係したんじゃなかったっけか?
もう私の頭の中の「幕末コーナー」は完全にホッチポッチです。
 
この歌がナゼ、戯曲のタイトルになっているかは「喜遊の死」を読んでのお楽しみ。
本は紙で読みましょうね。
紙でできているモノを「本」と呼びます。160vさて、ヒロアキくんが出演する「ブラントン・ステージ」というところ。
このステージにはパントマイマーやミュージシャン等、8組のパフォーマーが登場した。

180vヒロアキくんの前にステージに上がったのが「サファリパークDuo」という姉弟デュオ。
コレがすごかったんよ。
弟の弾くピアノをバックにお姉さんがフリューゲルホーンを吹くジャズ・デュエット。
「ジャズ」ったって、若い人がそこらへんでカッコをつけて「ジャズ」と銘打って演っている演奏とはワケが違う。
弟くんが左手でベースラインを弾いて右手でコンピング、時にカズーでメロディも奏でちゃう。
お姉さんも流麗なアドリブソロをバンバン繰り出してくる完全にストレートアヘッドなジャズ。
また、曲が「It's Alright with me」だの、「On a Slow Boat to China」だのちゃんとしてるの。
デンジル・ベストの「Move」が出て来た時には驚いた~!
盛り上がってきたぞ~!190そして、田川ヒロアキ登場!200お供はMarshall JVM210Hと1936。
ヒロアキくん愛用のコンビネーション。

210vまずはギター・ソロで小手調べ。

220v♪ギュイーン、ギュイーンと横浜の空にTagger& Marshallサウンドが鳴り響く!

230続けて「My Eternal Dream」。
ヒロアキくん、ブラントンさん、Marshallの共演だ!

240ブラントンさんとは後ろの胸像の人。
横浜公園を設計した人だ。
安心してください、イギリス人です。
やっぱり日本の近代文化の師匠はイギリスなんだネェ。
地下鉄はアルゼンチンだけど。250vスピード感あふれる田川ヒロアキのテーマ・ソング。

265v野外の開放的な雰囲気につられてハードにソロをブっ込んでくる~!

280ハイ、いっちょ上がり!

290v「みなさんこんにちは!
ホッチポッチミュージックフェスティバルに初めて参加させて頂きます!
ステキなイベントですよね。
全国的にも珍しいイベントだと思っています。
個人的には点字の地図…触れる地図には感激しました。
点字の地図って作るのにすごくお金がかかるんですよ。
そういう1つ1つのことがホッチポッチミュージックフェスティバルのよさだと思うんですよね」300vコレがヒロアキくんが感激したという「触る地図」。

305ヒロアキくんのギターの音を聞きつけて続々と人が集まってくる。
その音、Marshallが出してま~す。310_kn続いては「MAZDAファン・フェスタ」のCMソング「キミを乗せて」でノドを披露。

320vギター・ソロもガッツリとキメ込んだ。

330最近よくやるアクションを取り入れての大熱演!
380コレはすごくウケてたね!

340v「横浜を中心にマツダのロードスターにヤキイモを焼く機械を載せて売っている人がいるんですけど、『ロド芋兄ちゃん』と言います。
そのお兄ちゃんのテーマ・ソングを作りました」

350こういう方だそうです。

S1ハハハ!
すごいな…チョット間違えばとなりにドクを乗せて過去にも未来にも行けそうだ!
コレらの写真はヒロアキくんファンの横浜在住の家内の友人が、どうしてもロド芋を食べてみたくて情報をキャッチしてロド芋兄ちゃんに会いに行った時に撮影したモノです。

S2「キミを乗せて」のマツダのイベントの関係者の方から「ロド芋兄ちゃん」のことを聞き、かつテーマソング作曲の依頼を受けてこの曲が誕生した。
楽しい曲だ!
でも私としてはタイトルは「イモを乗せて」にして欲しかったナァ。360_riとにかく色んなことをする人ですわ。370「ロド芋くださ~い!!!」

400_rkds毎度あり!
コレがその「ロド焼き芋」。
ヤキイモのお味はバツグンだそうです。S3

「今日は本当にありがとうございました。
オリンピック/パラリンピックの応援ソングとして作りました」

410v_skと紹介したのはおなじみ「Sky」。420vコレもお客さんがジ~っと聞き入ってくれた。430美しいMarahallのトーンで心を込めて弾いたギター・ソロに観客は耳をそばだてていた。

440v「どうもありがとうございました!
また会いましょう!」
「I heard of Tagawa, I heard of Marshall」だった!

470v拍手喝采!
 
ホッチポッチミュージックフェスティバルの詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト

460先日Marshall Blogで紹介した東京都の『アートにエールを!』の参加作品「ニジノート」のCDが出来した!
ヒロアキくんが一人百役ぐらいやっているヤツね。
これもいい曲だからね。
ゼヒ、お買い逃しなく!
 
田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano480_nn 

200_2 
(一部敬称略 2020年11月8日 横浜公園にて撮影)

2020年11月24日 (火)

SHOW-YA 35th Anniversary Live『The Turning』<下巻>


『The Turning』もいよいよクライマックス! 
「You Turn Me Over」から続けて飛び出てきたのは「Riff Raff」。
コレも1989年のツアー時に演っていたかしらん?460v_rrAC/DCの代表曲のひとつ。

470「♪リーフラーフ」…「Riff Raff」とは「最低クラスの人」とか「クズ野郎」みたいな意味。

480vそして、ナント言っても「Riff Raff」といえばこの人…リチャード・オブライエン。
この人が『ロッキー・ホラー・ショウ』を作った。Srr キーボーズが唸る!
キャプテンのソロってカッコいいんだよね。
ハードロック・キーボーズの教科書みたいなプレイ。
今、こういうキーボーズのソロが出て来る若いバンドって皆無なんじゃないかしら?490vドラム台に乗るsun-goさん。
この通りmittanとの息もバッチリ!
しかし、コレはSHOW-YAに持ってこいの曲だな。
そういえば、AC/DCはニューアルバムをリリースしたね。
「世界最高のロックバンド」とあのイギリス人ですら認めているAC/DC。
ま、今はオーストラリアでもヤング兄弟の出身はグラスゴー、ということもあるんだろうけど…。
都合のいい時は全部「イギリス」にしてしまうのがイギリス流。
そのAC/DCのコンサートが売れ残る唯一の国が日本らしい。
世界の標準からすると、日本は「ロックの後進国」なのだそうだ。
若い人はSHOW-YAを聴いて「ロックが何たるや」を勉強して欲しいものですな。

510「今日はみんな、どうもありがとう!
最後の曲です」
シーン………
コレは仕方ない。
お客さんは声を出すことができないんだもん。
その気持ちをポーズで示そうということで…
「最後の曲です、ポーズ!」S41a0135 <エエ~!(心の声)>
コレがそのポーズ。
お客さんは「マスク+フェイス・シールド」の完全防備体制。
ご協力ありがとうございました!Img_0073 最後の曲は「Fairy」!

520_fr2020年、35年目のSHOW-YAの寺田恵子。

530v_2五十嵐sun-go☆美貴540v中村"captain"美紀

500v_2仙波さとみ
560v_2角田"mittan"美喜

550vああ、今年初めて実物を目にする「Fairy」ポーズ。580_2やっぱりいいわ、ナマは!

590_2そして、三役そろい踏みで盛り上がって…

600サオ回~し!

610もちろん…

620鮮やかに…

630キマった~!

640こうして本編は終了。

660そして、アンコール。
「35年間応援してくれて本当にありがとうございます…(泣)…泣きながら告知していいですか?」と告知コーナー。
コレは後ほど。670曲のコーナー。
35年前に戻って…ファースト・アルバムの『MASQUERADW SHOW』から「AU REVOIR」。

680_arいいナァ~、こういうサウンドは。
恵子さんがさっきの告知で「温故知新」という言葉を使っていたけど、ホントにそう。
音楽の未来は過去にしかないよ。
過去に立ち返り、今や誰も知らない音楽を見つけて今の間隔を交えてアレンジするしかない。
レッド・ツェッペリンだってディープ・パープルだって、みんなそうやって自分たちの音楽を作ったんだもん。
しかも、過去に戻るのにタイムマシーンなんか必要ない。
ストリーミングひとつあればいい…って言っているんだけど、残念ながら若いミュージシャンには一向にコレが通用しない。690v一旦、ステージから姿を消した恵子さんがバラを手にして戻って来た。
「今日はありがとう。
バラの花束をみんなに渡してあげたいんだけど、できないから…。
今日は感謝の気持ちを込めてメンバーに渡したいと思います」

700「mittan、ありがとう!」
730「キャプテン、ありがとう!」
720「さとちゃん、ありがとう!」710「sunちゃん、ありが…」
水の入ったペットボトルを差し出すsun-goさん。
「ここへ入れるの?」

740Marshallの上にバラ一輪…美しい。

750v「みんなに投げたつもりで感謝の気持ちを込めて真ん中に置きます。
Present for you!
SHOW-YAの魂を持って帰ってくれ!」

760ステージど真ん中に恵子さんがそっと置いたバラ一輪…素晴らしい。

770恵子さん、またホロリ…で曲は「What do you say?」。

750ステージに腰を下ろして…

780_wdy客席の全員と…

790vブラウン管の前のひとりひとりに歌を届ける。
 
ハイハイ、「ブラウン管」は古いっていうんでしょ?
てやんデェ!こちとら真空管が中に入っている時代からテレビを見てるんデェ!800あ~あ~。
安心してください、歌ってます!

81035回、みんなでキメてプロクラムは終了。820ナゼかEXILE。

830コレは1989年の時にやってないでしょ?

840配信はココまで。
しかし、ライブ会場ではもう1曲!
sun-goさんのリフが鳴り響く…

0r4a0540 「私は嵐」だ!

850_arsイキイキと暴れまくる5人!

S41a0220

870

880v

X

910ギター・ソロから…

890さとさん!S41a0652 イケイケ~!
900そして「嵐ポーズ」!
今回は真正面から。920エンディングのパンチ一発!!

930「今日は本当にありがとう。
来年コロナが終息したらSHOW-YAの35周年をもう1回お祝いしてください!」
今回はメンバー全員で…「みんな、愛してるよ~!」940こうしてSHOW-YAの35周年を記念したコンサート『The Turning』は終了した。

950今日もsun-goさんのお供はMarshall。
700vJVM410Hと…

1401960BDMでした!

150さて、本編の最後の方で恵子さんが告知した内容は次の通り。

SHOW-YA 35th Anniversary Live『組曲』
12月13日(日)@SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

名曲のメドレーでたどるSHOW-YAの35年の歴史!
コレね、もうメチャクチャ楽しみにしてるんだ。
何しろこのメドレーのアレンジが笹路正徳さんだし!

当日は①15:00~②18:00~開演の2回公演。
 
SHOW-YA 35th Anniversary Live 『HARD WAY TOUR 1991 in武道館 AGAIN』
2021年1月30日(土)  @メルパルクホール(東京郵便貯金ホール)
 
第1期SHOW-YAのラスト・ツアーとなった『HARD WAY TOUR 1991』の武道館公演を再現するショウを開催!
コレも楽しみだね~。
 
SHOW-YAの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YA Official Site

Showya

200 
(一部敬称略 2020年11月24日 六本木EXシアターにて撮影)

2020年11月21日 (土)

SHOW-YA 35th Anniversary Live『The Turning』<中巻>

 
sun-go☆さん、お誕生日おめでとうございます!
私たちの生誕35周年はつい最近済ませてしまいましたが、無理せず、無茶せず、我慢せず、お互い
健康で長生きしましょう! 
                      from shi-ge★


S2bc sun-goさんのお誕生日は絶対に忘れない…私が生まれた翌日のことだからね。
バイデン次期大統領と1日違い。私は同日。
誰だ?「年齢もほぼ同じ」なんて言ってるのは?!
珍しく記事の投稿日とsun-goさんのお誕生日がかち合ったので、冒頭にBirthday Wishを贈らせて頂きました。

さて、『The Turning』。
早くも前半の演奏曲目が無事終了。
ココからがまた楽しい。
 
「あ~、半分終わった。
ココでメンバーの声を聞きたいですか?」
お楽しみのいつものメンバーご挨拶コーナー。
「今日のお題は…『31年前の思い出』。まずはmittan!」

500v「皆さん、お元気ですか~?
配信の皆さま…飲んでますか~?
私事ですが、あのツアーで使っていたドラム・キットは、その頃乗っていたジープと同じ色にしてもらったんだけど、積んでいた4トントラックが高速道路で横転してツブれちゃったの。
なので、今日はそれを使うことができなかったのです。
運転手さんは軽傷だったからヨカッタ!」
ツアー中の事故の話は時々耳にするけど、SHOW-YAさんもそんなことがあったのか…。510v「35年もやっていたら色んなことが起こります。
こうして35年やってこれたのはメンバーや応援してくれる皆さんのおかげです!
本当にありがとうございます!」

Ss41a0278さとみさん。
「あのツアーの時、ゲームボーイが発売されたんですよね。
バカみたいに『テトリス』をやってた。
SHOW-YAはゲームなんかはやらないんだけど、レコーディングの時に卓球をやったよね」530v「mittanと私はあまりうまくなくて音で威圧するタイプ。
恵子とsun-goはすごくうまいの。
キャプテンは審判担当。
楽しいことだけじゃなくて涙を流したこともありましたが、35年間音楽をやってこれたのは皆さんのおかげです。これからも楽しいことを伝えられるようにガンバります」
ギャハハ!mittanとさとさんが音で威圧するところを見てみたかったナ。
足でやるヤツでしょ?すごい迫力なんじゃん?
540キャプテンは…「1989年のスケジュール帳が出て来たんだけど、とんでもなくハード・スケジュールで、全くお休みがないの。
PITの前にもレコーディングで、8月にはモスクワに行ったの。
『夜のヒットスタジオ』に出て…(恵子さんが『モスクワから帰ってきた日に出たんだよ!』)」

550「1年間メチャクチャ忙しくて、12月に事務所からごほうびでアメリカ旅行をプレゼントしてもらったんだよね。
グランド・キャニオンとかラスベガスに行って…忙しかったけどすごく充実してた。
みんなの前でこうやってできるってウソみたい。
感謝しかありません。
楽しくまだまだやっていきたいです!」
ご褒美で頂戴した海外旅行で更に疲れちゃったりして…若かったんですね~。
今、ホントに時差ボケがしんどくてね~。
私は帰国すると1週間はほぼダメ。
でもね、時差ボケも気合次第だよ。
私ごとですが、今年の1月、NAMMへ行って帰ってきた翌日に家の中で大変なことが起こってしまったのです。
もう私にとっては人生を左右するような、イヤ人生終わってしまうと言っても過言ではない出来事だったので、もう懸命に対処したの。
結果…時差ボケ完全ゼロ!
前日まで海外にいたことすら忘れていたわ。
人間の「精神」とか「心」というモノはホントにすごいモノです。
560vsun-goさん
「声は聞こえないけど、観てくれている人、ありがとう。
『寺田恵子パンツ事件』があった」
ここから先を書いていいのかどうか迷ったけど、すでに配信されているのでヨシとして一応記録させて頂きます。
「着替えて出て来ることになっていたのにゼンゼン出てこない。
ノーパンの時があって、衣装が白だったから出られなかったんだよね!」
sun-goさんはそのラスベガスから帰って来た夜に熱を出して成田からそのまま病院へ直行。
それが人生で初めての入院だとか。
クリスマスも病院で、仕事をしたかったんだけど、翌年のLAの公演があったので大事を取り、年末までずっと病院で過ごした。
やっぱり相当疲れていたんでしょうな~。570「うれしいと思うのはメンバーが皆いる…ということ。
メンバーを亡くしたバンドもいますからね。
デビューの時と同じメンバーがいるのは幸せです。
70になっても演りたいと思います」580「自分たちがアラ還になっていていて、この先どうなるかなんて誰にもわからないよね。
皆が応援してくれて、皆がいること、それだけで幸せです。
sunちゃんが変なこというから次の曲歌えないじゃないか~!
sun-goさんの言葉にグッと来てしまった恵子さん。

「人生には色んなことがあります。
それでも人は前へ前へと進まなきゃいけません」590そんな感動のシーンにふさわしく「限りなくはるかな自由へ」。10_3SHOW-YAのステージに1曲はきっとある魅惑のバラード。
いい曲だな~。20vsun-goさんのギターがむせび泣く!

30vガラっと変わってヘヴィに「フィクサー」。
CDでコーラスの「♪フィクサー」が「♪お菊さ~ん」に聞こえるのは私だけだろうか?
40_2ココはタップリと、そしてハードにsun-goさんのソロを楽しむ。

50_2ギター・ソロの後中間部のキメがカッコいいんだわ~。60v_2暴走機関車のようなドライビング・ナンバーもいいけれど、この手のミディアム・テンポのヘヴィ・チューンもSHOW-YAの真骨頂のひとつだ。

70「ありがとう!」
ヘヴィにキメた後、またココで場面が変わる。

80キャプテンのキーボーズ・ソロだ!

90ちょっとリック・ウェイクマン風のフレーズが飛び出したりしてとてもスリリング!
110vそして、いつも通りシンフォニック!

100幽玄な照明に演出されてスケールの大きなソロを聴かせてくれた!

130_2つづいてmittanのソロ。
今回はドラでスタート。140v一発ずつパワーを込めて打つ!

150_2エンジン音にまみれて暴れる!

160_2アオる!
<聞こえな~い>

170v<声出しちゃダメ~>
どうすればいいのっ?!180v最後もドラで締めくくるいつもながらのダイナミックなソロだった。190v『Glamour』から離れて1986年の『WAYS』から「S・T・O・P」。 

0r4a0499 「♪ストップ バラキャン、バラキャン」
恵子さんの叩くカウベルが鳴り響くゴキゲンなポップ・ロック・チューン。
200_stop鮮やかにソロをキメて見せるsun-goさん!

230こういう曲はいいね。
ホント、みんな楽しそうだ。

220v_2 「ここでSHOW-YAのメンバーを紹介します!」

240_msho「オン・ドラムス…mittan!」

250v大きな手拍子に答える!260v_2「オン・ベース…さとみ!」

270vさとみさんはステージ狭しと飛び回る!

280_2「キーボーズ…キャプテン!」

290vガッツリ「Highway Star」風!カッコいい~!

300_2「ギター、sun-go!」
330vsun-goさんはソロから…
310_2恵子さんと近寄り…350_2「Move Over」だ!

360vsun-goさんが「オン・ボーカルズ、ケイ!」
 
「SHOW-YAで歌ってます!」
「SHOW-YAで歌ってます!」
「SHOW-YAで歌ってます!」
と3回連呼!
「ボーカルは私じゃ~!」

370v「SHOW-YAにはまだステキなメンバーがいます…紹介します。
アンド…
ア~ンド…
ア~ンド…ユ~!
We Are Show-YA!」

380v「35年、ずーっと、ずーっと色んなことがあったけど…全部私のせいですけど…まだまだSHOW-YAは走っていきたいと思います!
ついて来れるかな~?
ついて来れるか~ッ?!」

385v そして、フォーメーション!
ハイ、下!

390_2ここハイライトですから!

400ハイ、上!

420キーボーズ・ソロを背景に…
S41a0656フロントの3人がフォーメーションをキメ続ける。430曲はそのまま「You Turn me Over」へ。

450SHOW-YAの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YA Official Site

0r4a0540<下巻>につづく
 

200 
(一部敬称略 2020年11月24日 六本木EXシアターにて撮影)

2020年11月20日 (金)

SHOW-YA 35th Anniversary Live『The Turning』<上巻>


2020年はSHOW-YAのデビュー35周年に当たる年だ。
それがコロナのせいで『NAONのYAON』はスキップせざるを得ず、積極的なライブ活動が展開できなかったのが悔しい限り。
しかし、この年末にきてようやくコンサートの開催にこぎつけることができた。
ヨカッタよ~。10_2コンサートはSHOW-YAのターニングポイントといえる1989年、『限界LOVERS』をリリースした後のツアー『Rollin’ World Tour』の再現。
1989年4月16日、場所は「汐留PIT II」での公演だ。
…って、「PIT」というのは昔からあったの?
ジャズのPIT INNはよく知ってるけど…。
今も豊洲にPITっていうのがあるでしょ?
アレと関係あるのかしらん?
SHOW-YAも登場したもんね…アレから5年も経つのかよ!
ということは、あの時は30周年だったのね。
 
その時の様子はコチラ…久しぶりにみんなで見てみよう!
SHOW-YA ~Glamorous ShowⅡ Release Tour FINAL~ <前編>
SHOW-YA ~Glamorous ShowⅡ Release Tour FINAL~ <後編>

 
で、私がその「汐留PIT II」というのを知らないのもムリはなくて、1989年の4月というと大阪の箕面に住んでいたのね。
それじゃ、SHOW-YAがデビューした35年前の1985年はどうしていたのかというと…20大学を出て、就職した会社の命を受けて富山に赴任していた。
なつかしいナァ。
はじめ、「富山」ってどこにあるのか正確にはわからなかった。
人生、最初で最後のひとり暮らしでね。
私は東京しか知らないでしょ?
夜、ひとりで富山駅に着くと「とま~、とま~」と「や」にアクセントをつけた何とも暗い声の駅のアナウンスが聞こえてね。
遠くで「ボ~~、ボ~~」と汽笛が鳴っていて、それまでの人生で味わったことのないケタ違いの寂寥感に襲われたものだった。
あの時の不安な気持ちは一生忘れないわ。
今、富山駅もずいぶんキレイになったようだけど、その頃は下の写真のような感じだった。
一方、会社では「何十年ぶりかに新入社員が配属された!」と、とても可愛がって頂いた。
夏は岩瀬浜に海水浴、冬は立山にスキーと、とても楽しかったんだけど、とにかくフェーン現象が頻発する夏の暑さには閉口したな。
まだ雪が多い時代だったけど、雪は好きな私には冬より夏の方がツラかった。
六畳一間の下宿の部屋にはクーラーなんてなかったからね。
それと今ぐらいの季節の雨の多さったら!
おかげで水のおいしさは格別だった。
さらに立山連峰の美しさたるや何をか言わんがやちゃ。
北は能登半島の突端まで、南は飛騨の高山、東は糸魚川、西は敦賀・舞鶴とずいぶん色んなところを飛び回り、とてもいい経験をさせてもらった。
イヤ、富山のSHOW-YAファンの方ももコレを読んでいらっしゃるだろうと思ってサ…タマにはこんなのもいいでしょう。
「箕面」編はまたいつか別の機会に…。
40さて、いつも通りにショウはスタート!50寺田恵子

60v五十嵐☆sun-go☆美貴

70v中村"captain"美紀

80v仙波さとみ

90v角田"mittan"美喜
 
ああ、久しぶりに5人の皆さんの名前をタイプさせて頂いた!
シックリ来るわ~。

100v1曲目は「限界LOVERS」。
このシングルは1989年の2月にリリースされているので、ツアーでは派手にオープニングに持って来ていたのね?110sun-goさんのソロ!

120sun-goさんのギターも昨年11月の『Marshall GALA2』以来だ!130もちろんMarshall。
愛用のJVM410Hと…1401960BDM。
今日もsun-goサウンド全開!

150久しぶりのSHOW-YAのステージとだけあって恵子さんもとても楽しそう!160<みんな元気だったかな?>
0r4a0157「ありがとう!
こんばんは!…あ、みんな’こんばんは’って言えないんだね!
声は出せないと思うけど、手を叩いたり、体を揺らしたり、いっしょにコミュニケーションを取ろう!」

170ココに来れないみんなにも魂を送るからね。
一生懸命やりますので楽しんでください!」
このライブの趣旨を説明して…
「今年35周年。
もっと色々やりたかったけどこんな時代になったので出来ない…'出来ない'んじゃなくて、'出来る'ことをみんなとやろう!
ということでみんなとつながっていたいと思います。
31年前のライブです!」180キャプテンのキーボーズから始まるのはアルバム『Glamour』のオープナー「I gotta your love」。

190v_igylどストレートなドライビング・チューン!

200「これぞハード・ロック!」といわんばかりの恵子さんの叫び!

210ソロはキャプテンから…

220sun-goさんへ!
もうノッケからギンギンよ!0r4a0206 続いては同じく『Glamour』から「COME ON!」。
sun-goさんが弾くイントロ・リフだけでさらに盛り上がっちゃう。230_coSladeを連想したくなっちゃうような明るいドライビング・ナンバー。
楽しいね~!0r4a0274 ココでもハードなソロをお見舞いするsun-goさん。

260v続いてはmittanのドラムス・スタート!
でもう1曲『Glamour』から。
270_rtリズム隊の2人の共作は「Rock Train」。

280タンバリンを手にしてはじけるように歌う恵子さん。
コレもとても楽しい曲だ!290ココでもsun-goさんと…300キャプテンのソロがフィーチュアされる。

310「♪Wake up!, wake up!」

0r4a0239ルールを守って曲が終わってもお客さんは大声を出したりしない。エライ!
「ロック・コンサートだけど'静か~'な感じ?
コロナが終息したら声が枯れるまで叫びまくってください。
こんな時代が来るなんて思いもしなかったよね。
少しでも前へ進まなきゃいけない。
だから私たちももっとガンバろう!と思うワケさ。
そうすると皆もガンバろう!と思うでしょ?
人生もちつもたれつ…『人』という字は…ってチガウか!」
S41a0778「昔の衣装全部NGです。
入らないのです!
似たような感じにして思い出してくれたらいいナァと思っています」
「まさか31年前のライブを演るなんて思っていなかったけど、出来るところまでやってみる!
あの時は最初と最後に'限界LOVERS'を2回演ったんだよね。
そして、SHOW-YAの代表曲になりました。
いつもは最後に演るけど、今日は一発目にやらかしてやりましたよ!」 S41a0784このツアーの3年前のアルバム『WAYS』にさかのぼって「One Way Heart」。

340_owhこの曲は今でも時々取り上げられているから私にもおなじみ。350「♪One way heart」のところは一緒に歌いたいよね?360今回はメンバーのコーラスに合わせてみんな心の中で歌ってくれた。

0r4a0252 ギター・ソロもバッチリとキマった!

0r4a0162 恵子さんも腰をかがめての力唱だ!390これまたハードなギター・リフから始まる「Get Down」。

400v_gd大阪にいたので31年前の「PIT II」の様子はわからないけど、恐らく今日とまったく同じだったんじゃないかしら?
衣装のサイズなんて気にしない、気にしない!
今でもとってもパワフルでみずみずしい!
熟女ナメんなよ!420vコレは詞も曲もsun-goさんなのね?
「Get Down」ってソウル系の曲の題材によく見かけるけど、こういう動詞と副詞の組み合わせというのが英語学習者の大きな悩みのひとつなんだよね。
こんな簡単な単語なのに、イザそれらがくっ付くと途端に色んな意味を作ってしまう。
でもコレが連中が日常で使っている英語なんだな。
今度sun-goさんにこの「get down」の意味を訊いてみよう!440v続けて…。
さとみさんの地を這うようなベースが…0r4a0306 mittanのドラムスとガッチリ嚙み合ったところに…460vダークにかぶさるキャプテンのオルガン。
カッコいいな~。

S41a0660 曲は「Keep me in Your Heart」。
この曲、歌詞が英語ということとは関係なしに洋楽感がものすごく強いね。
SHOW-YAの皆さんや私がロックに夢中になりだした時代って、洋楽と邦楽の比率って「洋」を多めに見積もって半々ぐらいだったらしい。
それが10年?20年?…それぐらいの間に「洋」が2割、「邦」が8割になって、この傾向は進むばかりだという。
今、多分「5:95」ぐらい?
もっとも「ロック」という音楽を趣味にしている若者自体が激減したからね。
洋楽で育った私なんかには、こういうタイプの曲はとてもうれしいのです。470vこんな曲にはやっぱりハードでヘヴィなsun-goさんのギターとMarshallサウンドがピッタリとマッチするのだ!480SHOW-YAの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YA Official Site

0r4a0070 <中巻>につづく
 

200 
(一部敬称略 2020年11月24日 六本木EXシアターにて撮影)

2020年11月18日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 59 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.2>

 
さて、天下のジミ・ヘンドリックスとはいえ、渡英当初は当然全くの無名。
チャスも「Hey Joe」を引っ提げて売り込みに奔走した。
その先のひとつが「DECCA RECORDS(デッカ・レコーズ)」。
でも断っちゃった。
前回もチラリと書いたように、ジミの4年前にビートルズを断っているのに…。
またやっちゃった!
どうしてもジミの才能を見抜けなかったのかナァ。
そこへ行くと、チャス・チャンドラーの慧眼たるや見上げたものである。
Ssimg_1864チャスはこのままじゃイカンと考え、プレスを集めてジミのショウ・ケース・ライブをすることにした。
そのために自分のベースを売り払って資金を工面したそうだ。
会場はカーナビー・ストリートの1本裏手の通りのクラブにある…Ssimg_0370「The Bag O'Nails(バッグ・オ・ネイルズ)」。
1966年にGeorgie Fame(ジョージー・フェイム)のマネージャーのJohn Gunnell(ジョン・ガネル)が開いた店。
60年代の後半の人気ミュージシャンのたまり場だった。

Ssimg_0368ジミのショウ・ケース・ライブはランチ・タイムの短いステージだったが、ジョンもポールも観に来てくれた。
このあたりはスコッチ・オブ・セント・ジェイムスのつながりだったのだろうか?
Ssimg_0363入り口にかかっている2つのプラーク。
「Jimi Hendrix Experience」として演奏するのはこの時が初めてだった。
 
また、ポールが別の日にGeorgie Fame and the Blue Flames(ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムス)を観に来た時にリンダを連れてきたのもチャスだったという。
ちなみに、Fleetwood MacのJohn McVeeがChiristian Perfectにプロポーズしたのもこの場所だったとか。

S 失礼…チョット中を拝見。
 
演奏後、ジミは自分のパフォーマンスが果たして聴衆に受け入れられたのかとても心配だったらしい。
すると、楽屋にジョンとポールが訪ねて来て「よかったよ~!」と絶賛してくれて胸をなでおろしたそうな。
Ssimg_0372この店にはTom JonesやThe Who、The Animalsも頻繁に出演していた。Ssimg_0364そして、去年行ってみると…なくなってた。
今は「The Court」というクラブになっちゃった。
写真の中の記念撮影している人たちはココが何たるかは知らないし、何の興味もないんだろうね。
それはそれでシアワセなことだ。
「知らない」ということは恐ろしいことだけど、最後まで知らなければそれは「幸福」と化すのだ。
Simg_9731「Bag O'Nails」という名前のクラブはもうないけれど、入り口のプラークはそのままなので、カーナビー・ストリートへ行くロック・ファンは要チェック!Simg_9735 さて、場所は変わってシャーロック・ホームズが住んでいたことで知られるベイカー・ストリート。
あ、シャーロック・ホームズもワトソンくんも空想の人物ですからね。
このベイカー・ストリートには思い出がありましてね。
地下鉄で財布をスラれて、東京にいる家内に国際電話をしてクレジットカードを止めてもらうため、ココにあるインターネット喫茶にすっ飛んで来たのだ。
よく家電量販店でクレジット機能付きのメンバーカードの勧誘をしているでしょう?
アレには要注意ですぜ。
イヤ、いつも使っていて請求のやり取りをしていたり、カードを紛失したりしなければ何ら問題はないんだけど、もし失くしてしまった場合、どこの信販会社がそのクレジット機能の面倒を見ているかを知っておかないと止めることができないのだ。
私の場合、まったくそのカードを使っていなかったので、家内が夜中に片っ端から関係のありそうな審判会社に電話をして突き止めてくれて事なきを得た。
あれからは絶対にああいうカードは作らないようにしている。
Img_0523シャーロック・ホームズの街だけあって駅の壁もこんな具合。

Simg_1888『宇宙戦争(The War of the Worlds)』や『透明人間(The Invisible Man)』で知られる「SF小説の父」、H.G.ウェルズはこの駅舎のビルに住んでいた。

Simg_1891駅の並びには有名なマダム・タッソーの蝋人形館。Simg_0474もうだいぶ前の話だけど、このあたりを歩いていたらこのお嬢さん方に声をかけられた。
私が首から下げていた大きなカメラが目に入ったのだ。
「このカメラの使い方を教えて頂けませんか?」と自分のカメラを私に差し出して来た。
見るとそれは私が以前使っていた一眼レフと同型で、マニュアル・セッティングにしているのはいいが、設定がメチャクチャだった。
多分、「マニュアル」も「絞り優先」も「シャッター速度優先」もわかっていないだろうから、フルオートにしてあげた。
それで数枚撮って見せてあげると、「直った、直った」と大喜び。
すると私が首から提げているカメラを指して「それで私たちを撮ってくれませんか?」というのよ。、減るものといえばバッテリーぐらいなものだし、美人だし、こうして何枚か撮ってあげた。
スゴイのよ。
撮られ慣れているのか、コチラが何も言わなくてもこうしてスッスといくつものポーズを決めるワケ。
その間、ずっと歯を見せて笑顔を絶やさない。
向こうの人はホントに写真を撮られるのが上手だよ。Simg_1909撮った写真を見せるともう「キャーキャー」大騒ぎ!
「プロフェッショナルの方なんですか?」とかおだてられて、「後でゼヒ送ってください!」とメール・アドレスを渡されたので日本に帰ってから送ってあげた。
美人は得だね。
UAEから来たお嬢さんで、すぐにキチっとしたお礼の返信があった。
アリャ絶対金持ちだよ。
私ももっと若ければオイルマネーの逆玉に乗れたかも?
んなこたァないか。
ロンドンは楽しい。Simg_1913ハイ、脱線終わり。
そのベイカー・ストリート駅の近くのこのビル。
Simg_1926「REED」という職業紹介所が 入っている何の変哲もないビル。Simg_1901ココはかつて「Apple Boutique(アップル・ブティック)」というビートルズのお店だった。
ポール曰く、「美しい人々が美しいものを買うことができる美しい場所」。
美しく万引きが横行。
「Love and peace」の時代にあってその万引きをとがめることもせず、結果、8か月で倒産。
決して美くはない結末となった。
最後は在庫品を無料で開放した。
何を売っていたのか知らないが、コレは美しい。Sbeatlesそれでも、1967年12月のオープニングにはジョン、ジョージ、クラプトン、ジャック・ブルース、シーラ・ブラックらが参席してりんごジュースをすすって大いに盛り上がったという。
そのりんごジュースのせいかどうかはわからないが、今ではナゼかジョンだけの名前を記したプラークが取り付けられている。Simg_1897さて、ジミ。
ジミとキャシーはハイド・パーク・タワーズ・ホテルから、ベイカー・ストリートに移動する。
この辺りは結構高級なエリアなんだろうナァ。
「Montagu Place(モンタギュ・プレイス)というところ。
ジミがココの番地標識と撮った有名な写真があるので、コアなファンにはおなじみの名前かも知れない。
地区名で言うと「Marylebone」。
コレ、「メリルボーン」とか日本語で表記されるけど、向こうのお方の発音はハッキリと「マリルボン」でした。Img_0518チャスと一緒にジミとキャシーはこのフラットに移ってきた。
2人は地下に居を構えたらしい。
プラークが付いてるしょ?12img_0513「1968年、ジョン・レノンがココに住んでいました」…なんだけど、このフラットを借りていたのはリンゴ・スターだった。
キャシーがリンゴに頼んで又貸ししてもらったのだそうだ。12img_0510天下のビートルズのメンバーが借りているフラットだけあって、中はとてもゴージャスでジミとキャシーは大変よろこんだそうだ。
ウン、私もロンドンの真ん中に住めるならマリルボン周辺がいいナァ。12img_0512ちなみにあのジョンとヨーコの『Two Virgins』のジャケットはこのフラットで撮影したそうです。
あのマッパのヤツね。
しかし、このあたりのアルバムを聴いている人って世界にいるのかな?
いるんだろうネェ。2v さて、先日ジミのことを語るジム・マーシャルのインタビューをお届けした。
コレね。


ミッチがジムのお店にMarshallを買いに行った…というクダリね。
まぁ、誰かの車で行ったんだろうけど、電車で行ったことを想像するとまた楽しいんだよね。
パディントン駅からヒースロー方面に行く電車にのって「Hanwell(ハンウェル)」駅で降りて歩いて20分ぐらいかな?Simg_8048ココをジミが歩いていたのかと思うとオモシロイ。
写真の黄色い車はロンドンの救急車ね。Simg_8080 ジムの店はがあった通りは「Uxbridge Road(アクスブリッジ・ロード)」。
ピカデリー線のターミナルに「Uxbridge」という駅があるけど、そこからはとても歩いては行けないので、いつか行ってみようというコアはMarshallファンの方は要注意。Simg_0465アクスブリッジ・ロード沿いのこの青い看板のところがMarshallの第2号店があったところ。
ココにジミとミッチがMarshallを買いに来た。
ま、ジムは一切触れないけど、その時チャスもいたのであろうか?
この時、JTM45/100のフルスタックを3セット買った…というんだけど、あんなにデカいモノを3つもどこで保管していたんだろうか?
宅急便なんてない時代、運ぶにもトラックが必要だったろうに。
などと、どうでもいいことを考えるのが楽しい。Simg_8094コレはその時のモノかどうかはわからないけど、正真正銘ジミが使っていたJTM45/100。
もうだいぶ前だけど、ある時工場で「シゲ、シゲ!来てみな!オモシロイものが入って来たぞ!」と当時の副社長のグラハムがワザワザ別のところにいた私を呼びに来てくれて見せてくれた。
私がマニアだと思っているらしくて、この時だけではなくて、私が工場にいる間にレアなアイテムが修理に持ち込まれると都度教えてくれるんだよね。Srimg0181コレは確かスウェーデンのコレクターの持ち物と聞いた。

Srimg0182「J.H. EXP」のステンシルがタマらんね。Srimg0183側面のカバリングが剥がれ落ちて下地が見えている。
ちゃんとこの頃から下地を黒く塗っていたんだね。Srimg0186リアパネルのようす。

Srimg0184製造元は「JIM MARSHALL ORODUCTS LTD」。

Srimg0185ジミはアメリカからやって来て、イギリスの英語に大層驚いたそうだ。
というのは、こんなに小さい島なのに、驚くべき数の英語のバリエーションがあるからだ。
また、スラングの移り変わりが早いのも驚異の的だったらしい。
何しろ標準的な英語であるはずのBBCで使われている英語に全く聞きなじみのない表現が含まれていることがあって、それを楽しんでいたというのだ。
私の乏しい経験から言ってもコレはとてもよくわかる。
「イギリスでは村がひとつ違えば言葉が違う」というぐらい色んな発音があるんだよね~。
だから『マイ・フェア・レディ』のヒギンズ教授みたいなことが成り立つ。
それと表現の多彩さね。
アメリカ人に米語の独特な表現を教わって、それをイギリス人に試すと通じないことはまずほとんどない。
アメリカのスラングの本を手に実際に試したことがあったんだけど、使わないけど、意味はわかると言っていた。
映画の影響なんかも大きいんだろうね。
コレの反対をやると、アメリカ人はイギリス英語に全く歯が立たない。
 
それで、ジミはイギリスの英語をオモシロがり、色々な英語を身に着けようと、まずは身近なチャスのジョーディ訛りをマネして楽しんだらしい。
「ジョーディ(Geordie)」というのは「ニューキャッスル出身者」のこと。
StingもBryan Ferry もBrian Johnsonもみんなジョーディだ。
ちなみにリバプール出身の人のことを「Scouser(スコウサー)」、マンチェスター出身者は「Mancunian(マンキュニアン)」という。
あ、前にもコレを書いたことは覚えていますのでご心配なく…まだそこまでボケてませんから。
結局ね、Marshall Blogを毎回読んでいる人なんてかなり少ないので、同じことを何回書いても大丈夫だということに気がついたのだ!
毎回熱心に読んでくださっている方にはゴメンなさい。
 
ちょっとロンドンから離れます。
Simg_6373ニューキャッスルは正式名称を「Newcastle upon Tyne(タイン川沿いのニューキャッスル)」という。
ココはすごくオモシロかったな。
Simg_6827もちろジミはニューキャッスルでも演奏している。
例えば「Newcastle City Hall」。
1927年開業の伝統のコンサート・ホール。
キャパは2,100。

Simg_6833_2Emerson Lake and Palmerの『Pictures at an Exhibition』は1971年の3月にココで録音された。
「Promenade」でキース・エマーソンが弾いているオルガンはこのホールのモノだそうだ。

ElpWishbone Ashの『Live Dates』の一部の音源もココで収録。Wa 中学生の時、Roxy Musicが好きでコレが出てすぐ買って、一時期よ~く聴いた。
1973年はグラスゴー、74年の音源はニューキャッスル・シティ・ホール、75年がウェンブリーのエンパイア・プール(現在のウェンブリー・アリーナ)で録音している。
75年の国内ツアーの時の前座はサディスティック・ミカ・バンド。Svv_2 Sladeの『Slade on Stage』は1981年12月の録音。 SosMotorheadのコレ、タイトルは『No Sleep 'till Hammersmith』なのにハマースミス・オデオン関係なし。
一部がニューキャッスルで録音された。Smhチャスはかなりドサを回らせたようで、おそらくニューキャッスルの後にそのまま回ったのであろう、イングランドさいはての港町「South Shields(サウス・シールズ)」でも演奏している。
 
こんなサビれた町よ。
コレ夕方の4時ぐらいだったかな?
とにかく町で人を見かけない。

Simg_6934でもサウス・シールズの名誉のために言っておくけど、この町はかつて炭鉱、造船、鉄鋼で栄華を極めていた。
しかし、サッチャーが現れ、その強硬な政策によりそれらの産業が根こそぎ壊滅状態になってしまった。
だから今でも現地の年配の人はサッチャーのことを憎んでいるようだ。
ウィンストン・チャーチルのことを悪く言う人はいるけど、憎んでいる感じはしない。
でも、ことマーガレット・サッチャーになると憎悪をむき出しにする人がいるんだよね。
ジミが来た頃はサッチャーが首相に就任する13年も前の話なので、この町もまだ相当にぎやかだったに違いない。
 
さっきの英語の話。
私がこの時宿泊したB&Bのお姉さんがすさまじいジョーディ訛りだったらしく、現地の友達が「オイオイ、そんなにジョーディ弁でまくしたてたらシゲが何を言っているのかわからないよ!」なんて助け舟を出してくれたんだけど、私はそれほどでもなかったな。
チンプンカンプンということはなかった。
ま、通り一遍の施設の説明だったからだろう。
ただ、信じられないぐらい早口だったことは確か。
発音的にはバーミンガムとかノッティンガムとかの英語の方がシンドイと思う。Simg_6994この町の博物館。
コレがなかなかオモシロかったんよ。Ssmやっぱり最も目を惹いたのはこの展示。
「ロックのスーパースター、ジミ・ヘンドリックスはサウス・シールズで演奏しました」

Simg_7073コレをペラっと裏返すと…
「1967年2月9日、ジミ・ヘンドリックスは一度だけシールズの『Cellar Club(セラー・クラブ)』で演奏しました。チャートの5位まで上った'Hey Joe'と共に一度だけ北部を回り演奏したのです。
 
観客は忘れることのできない経験をしました。みんなの人気者が歯でギターを弾き、会場中にトレードマークのサウンドが響き渡ったのです」
そのサウンド、Marshallが出していますから!

Simg_7074コレがその「Cellar Club」が入っていた建物。
繁華街でも何でもないところにボコっと立っている。
ココにジミ・ヘンドリックが来たとはね~。Simg_6982元々はチョット離れた町の中心の建物にあった地下のジャズのクラブが「Cellar Club」だった。

Simg_7175それが移転してNew「Cellar Club」になった。
そこにジミがやって来たのだ。
ジミだけじゃない…Paul Jones、Long John Baldry、Soft Machine、Alexis Korner、Cream、Family、The Niceもココで演奏した。
天下のCreamもドサ回りをしていたんだネェ。
写真を見ると3人も乗ればイッパイになってしまうような小さなステージで場末感タップリ!
チケットのバンド名を見ると「The Cream」とか「The Soft Machine」とか、「The Family」とか、どこかの百円均一みたいになんでも「the」を付けちゃう。
田舎では「the」が付けるとカッコよく見えたのかな?
Simg_6989また脱線。
サウス・シールズにある「イギリスで一番おいしい」という「Colman's」なるフィッシュ&チップス屋。
イギリスには「UKで一番おいしい」というフィッシュ&チップス屋がゴマンとあるらしい。Simg_7130一番かどうかはわからないが、確かにメチャクチャおいしかった!
こんな脂っこいモノ…と思うでしょうけど、店内はお年寄りでイッパイ。
そんなお年寄りでもペロっと平らげてしまうほど軽いのよ。
サラダはドレッシングが目にしみるほど酸っぱすぎて私はNGだった。Simg_7135サウス・シ―ルズに滞在したのは土曜日で、友人が生演奏をやっているパブに連れて行ってくれた。
イヤ、この時は女王陛下の在位60周年記念が当たってしまい、ロンドンに帰る電車代がベラボーに高くなっちゃって、ひと晩だけじゃなくサウス・シールズに何日か滞在せざるを得なくなっちゃったんだけどね。
Simg_7043金曜日と土曜日はこうして生バンドが入る。
いい年のオジさんとオバさんでイッパイよ!
Simg_7036「♪ランブロ~ン」とみんなで歌う。
Led Zeppelinの「Rumble on」よ。
The Who の「The Seeker」とかみんなで合唱しちゃう。
どれもこれもみんなこの人たちの国の歌だからね。
使っているギター・アンプは当然Marshall!
ああ、イギリスっていいナァ~。Simg_7034それでも土曜日なので少しは町に人が出ていたな。Simg_7054私が写真を撮っているのを見つけて親切にお尻を出してくれる若者も…。
ありがとう!Simg_7050ハイ、ロンドンに帰って来ました。
ニューキャッスル方面からの電車はキングスクロス駅に到着する。S0r4a0011となりはいつものコレ…セント・パンクラス駅。

S0r4a0003そんなイングランドさいはての町にまで出かけているぐらいだから、当然ジミはロンドン中のホールやライブハウスに出演している。
こう言っちゃナンだけど、ロンドンに行くと「ココでジミヘンが演奏したんだよ」というのは結構「あ、そう」で済む出来事なんだよね。
その点、ジミとプレスリーは日本に来なかったからね~。
そして、チャスの猛烈なプロモーションぶりを知る思いがする。

例えばコレ。
今は「ODEON Covent Garden(オデオン・コヴェント・ガーデン)」という名前になっているが、かつては「Saville Theatre(サヴィル・シアター)」といった。
コヴェント・ガーデンというよりもデンマーク・ストリートの奥というか、チャリング・クロスを過ぎてシャフツベリーを左にチョット入ったところ…なんだけど、ナゼか名前が「サヴィル」。
あの「サヴィル・ロウ」からは大分離れているよ。

Img_1853元々は1931年にオープンした映画館で、自身も学生時代に演劇を学んでいたビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインが1965年に施設を借り受け、芝居とコンサートができるホールとした。
70年代にはまた映画館になって現在に至っている。
コンサート・ホール時代は、The Move、The Bee Gees、The Who、Pink Floyd、Fats Domino、 Gerry and the Pacemakers、Chuck Berry、Elton John、Procol harum、Cream、Fairport Convention、Incredible String Bandといった連中がゴロゴロ出演していた。
Img_1845外壁はオープン当時からあったレリーフがそのまま残されている。
コレはイギリスの彫刻家、ギルバート・ベイエスの「Drama Through the Ages」という作品。Img_1849ベイエスの彫刻は「V&A(ヴィクトリア&アルバート博物館)」の外装にも採用されているそうだ。
どこか上の方らしくて、それっぽいのは直下から確認することができない。
そういえば、ココにはピート・タウンゼンドが壊したレスポールは展示してあっても、ジミのアイテムって見た記憶がないな。Simg_8120ジミは何回かサヴィル・シアターに出演しているようだが、そのウチの1回が1967年6月4日。
オープニングに持って来た曲はビートルズの「Sgt. Peppers Lonly Hearts Club Band」。
9日前に発表されたこの曲がいきなり飛び出して、客席にいたポールはビックリ仰天したとか。
ポールはジミのことが大好きだったらしいよ。
1,200の客席は満員。
コンサートは大いに盛り上がった。
Img_1852この時の映像が残っているんだね~。
うれしいじゃないか!
ナニがって、ステージにくっついているオレンジ色の垂れ幕。
「The sound of success - MARSHALL」ですよ。
なるほどドラムスをはさんでフル・スタックがズラリ。
ボーカルズ用のコラム・スピーカーまで並んでいる。
この時の話を聞きたいナァ…もうMarshallにはそんな古い人が残っていないからネェ。
 
ステージにはモニターもPAもなし。
会場の人たちはMarshallが出す生のジミ・ヘンドリックスの音を聴いたんだよ。
なんて贅沢なことだろう!
今のデジタルまみれの優等生の音ではなく、ノイズ乗りまくりの「楽器」のナマの音だもん!
かつてウリが私に教えてくれたんだけど、彼は2度ジミの演奏を見ていて、「とにかく音がクリーンだった」と言っていた。
「クリーン」が「歪んでいない」ということか、「澄んでいる」ということなのかは正確にはわからないが、おそらくその両方だろう。
音楽がドンドン変わってしまい、パチーン、ビシーン!…こういう音でMarshallを鳴らす人がいなくなっちゃったもんナァ。
Marshallの元来のスゴさはこの辺りのサウンドにあると思うんだよね。
やっぱり1959だと思う。
1959が飛ぶように売れる時代がまた来るといいんだけど、今のシーンを見ているとそれは儚いジジイの夢にすぎないことを思い知らされる。
ジミはこの後アメリカに戻り、約2週間後にモンタレーに出演した。
 
「モンタレー」のフィルムも何回か観たけど、40年以上前、各所で催されていたフィルム・コンサートに行くと大抵上映されたのがこの「Hello Goodbye」だった。
この映像はここサヴィル・シアターで撮影したのです。
リンゴのドラム・キット、ちっちゃえナァ~!
バスドラムは16"か?

ジミはこんなところでも演奏している。
「Forrest Gate(フォレスト・ゲイト)」というロンドンの中心から北西に行ったところ。
チョット遠いので行ったことはないんだけど、オリンピックのスタジアムがある「Stratford(ストラトフォード)」の近く。
ストラトフォードまでは行ったことがある。
その時泊まったホテルがアホだった。
「ストラトフォーズ・カーズがホテルまで迎えに行く」という伝言が「朝7時にストラトフォードまで来てくれ」という伝言になっていて、それを鵜呑みにした私は朝早く、大きな荷物を持って満員電車に乗ってストラトフォードに向かった。
ストラトフォードはロンドンのベッドタウンらしく、朝のラッシュアワー時の駅前はすさまじい混雑ぶり。
待てど暮らせど迎えの車が来ないのでさすがにおかしいと思い、ストラトフォーズ・カーズに公衆電話から連絡してみた。
その頃はまだ携帯電話なんてなかったので公衆電話を使うにも大騒ぎよ。
電話がかかると、「シゲ、ゴメンなさい!」と問答無用でいきなりお詫び。
かくかくしかじか言い訳を聞いて、結局その大きな荷物を携えて自力でロンドン・ユーストン駅まで行って、電車でMarshallへ行った。
すると工場で、「シゲ、何で今朝ストラトフォードにいたんだ?」と事情を知るはずのない何人かの人が私に尋ねて来た。
朝のワイドナショーかなんかで私がテレビ映っていたっていうのよ。
特段うれしくはなかった。

ということで、写真はインターネットから拝借。
郊外にありがちな普通の街並みですな。Succ2駅から近いこの路地の奥にかつて「Upper Cut Club」というライブハウスがあった。
ビリー・ウォーカーというヘヴィ級のボクサーが始めた店なんだって。
だから「アッパー・カット」なんていう力石徹みたいな名前が付いている。
ココもスゴくてね~、The Who(いい加減The Whoも色んな所に出てるわ)、The Small Faces、Jeff beck、The Animals等の本国勢に加えて、ココにはナゼかアメリカのR&Bの連中が多数出演していた。
たとえばOtis Redding、Booker T and the MG's、Sam and Dave、Stevie Wonder、Nina Simone等々。
スゴイね。

S2uccジミが出演したのは1966年の12月26日のボクシングデー。
いくら店主がボクサーだからといって、ボクシングをやる日ではないよ。
12月26日はクリスマスの翌日でしょ?
中世の時代、屋敷の使用人たちはクリスマスの間も当然ご主人様のために働かねばならない。
そして、休ませてもらえるのはクリスマスの後の平日。
その時に使用人たちは屋敷の主人から 「クリスマス・ボックス」というお金や贈り物が入った箱をもらって、家族が待つ家に帰った。
そこから「ボクシングデー」となったという説。
か…
教会が寄付で集めた貧しい人たちへのクリスマス・プレゼントの「箱(box)」を開ける日だった…という説があるらしい。
とにかく「休み」なワケ。
日曜日に当たると振り替えになるぐらい重要度の高い休日なんだけど、連中は12月20日すぎるとクリスマスの準備でみんな休んじゃうんだよね。
だから関係ないんじゃないかねェ?
そして、1月2日から普通に仕事をする。
私は日英の両方に合わせて年末は大晦日でも仕事があれば仕事をして、2日から仕事を始めます。
だってイギリスからメールが来ちゃうんだもん。
この期に及んでまた脱線でゴメンなさい。
今、クリスマスが近いでしょう?
連中は本気で心配してるんだよ。
コロナで自由にふるまえないでしょ?
戦争の時だってクリスマスは何らかの形で盛大に祝っていたハズで、こんなクリスマスは初めてなワケ。
商売も絡んでいるけど、それほど連中に撮ってクリスマスが重要なイベントだということがわかる。
 
そんな重要な日の翌日のジミは昼の部に出演。
夜の部はThe Pretty Thingsだった。
熱心なジミのファンにはアッパー・カット・クラブはハズせない存在だ。
ナゼなら、ジミはココの楽屋で「Purple Haze」のリフを作ったとされているからだ。
現地へ行くとそんなプラークがかかっている…らしい。

ある人が指摘していたけど、確かに「Purple Haze」のリフって「Taxman」に似ているな。
『Revolver』のリリースが66年の8月5日。
ジミのアッパー・カットはその約5か月後。
#9もメロディの具合も、頃合いもちょうどいい。

Php_2「Purple Haze」という曲自体はこの『Night of Light』というアメリカのSF小説にヒントを得ているんですってねェ。
中に「Kiss the sky」なんて場面があるのかな?Nol1966年末にはトッテナム・コート・ロードの「UFO」クラブに出てSoft Machineとジャム・セッション。
なんて言うと、ジャズ・ロックでギンギンに演ったのか?なんて期待する人もいるかも知れないけど、Soft Machineはまだアルバム・デビューもリリースしていないサイケの時代の話よ。Simg_0250ジミはロニー・スコッツや「Speakeasy(スピークイージー)」が大のお気に入りだったそうだ。
1967年、ジミはココでRahsaan Roland Kirk(ラサーン・ローランド・カーク)と出会う。

Simg_97611967年というとラサーンはアトランティック時代の代表作『The Inflated Tears』をリリースした年だね。
私は大学の時に数寄屋橋のハンターで800円でコレを買って当時よく聴いた。
ラサーンはまた別の回で登場するのでお楽しみに。Itしからば、「Marquee(マーキー)」はどうだったんだろう?
ウチにあるマーキーの本で出演記録をたどってみると、意外に少なくて、たったの2回。
初回は1967年1月24日。
前座なのか、ダブル・ヘッドライナーなのか、はたまた昔の屋根裏みたいに昼と夜の回が分かれていたのか知らないが、共演は「The Syn」というバンド。
コレはYesのクリス・スクワイアがいたチーム。
音源を聴いてみるとフォーキーだけど、なかなかよろしいな。
このマーキーの出演記録を見ていると、「Jimmy James and the Vagabonds」というバンドが毎月出ていることに気づく。
音源を聴いてみると、モロにソウル…ディスコっていうのかな?
「Jimmy James」って渡英前のアメリカでのジミの芸名だよね?
特にどこの記述にもみかけなかったけど、もしかして、この人と名前がダブっちゃうから本名の「Hendrics」を「Hendrix」に、同じく「James」を「Jimmy」⇒「Jimi」にしたのかね?
 
2回目の出演は1967年10月24日のThe Niceとの共演。
この時、キース・エマーソンとセッションをしてすさまじい演奏を繰り広げたそうだ。
チャスは録音をすすめられたが「『Axis:Bold as Love』の制作で忙しいから」と何もしなかった。
何でやねん!
聴きたかった!
ナニを演ったんだろうね?S0r4a0147<つづく>

200

2020年11月16日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 58 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.1>

 
今から45年前、ビートルズを卒業して、いよいよロックに夢中なり始めた頃、世の中はThe Bay City Rollers、Queen、KISSの嵐が吹き荒れていた。
いつもマーブロに書いているようにアマノジャクの私はそういう人気グループには目もくれなかった。
私の場合、ビートルズに次に好きになったのはトッドだった。
特にベイシティは女の子だけのアイドルで、男子のロック好きの間では相手にされていなかった。
でも、そうした偏見が消え失せた今聴いてみると、実にいいんだよね。
コレが齢を重ねる…ということか。
当時は私も「男はダマってディープ・パープル」のクチだった。
ツェッペリンの『The Song Remains the Same(永遠の詩)』が封切りになって、『ウッドストック』を観に何度も映画館に足を運んで…も~寝ても覚めてもロック、ロック!
新しい音楽との出会いが楽しくて楽しくて仕方なかった。
当然ジミ・ヘンドリックスも聴いた。
「ロック・ギターのすべてを変えた」とか何とか、ロックの歴史に関係する本を読むと必ずそんなことが書いてあったからね。
『ウッドストック』のジミ・ヘンドリックスはそりゃカッコよかったけど、本当に彼の音楽やギターが好きになれたかと言うと、どうしてもシックリ来なかった。
ま、簡単に言えば、良さがわからなかったんだね。
それが、付きつ離れつ、時が経つにつれて段々その魅力がわかったような気がして、最終的には自家薬籠中のモノになった。
その後、Marshallの仕事をするようになり、またイギリスに頻繁に行くようになって、さらにジミ・ヘンドリックスに興味を持つようになったというワケ。
かつてあんなにツマらないと思っていた『Electric Lady Land』も今では存分に楽しむことができるのだ!
さて、私が初めてロンドンに行ってからかれこれ20年近くが経つんだけど、初めて「ジミ・ヘンドリックスが住んでいたフラット」を訪れた時にはそれはそれは感動したものだった。
「ハハ~、ココにジミヘンがネェ…」

11_img_7617でも当時は青いプラークが付いたその建物を外から見るだけで、中に入ることはできなかった。

Img_9931_2それがロンドンの観光ポイントを増やそうという当局の動きなのか、2年前から中を公開するようになった。
そうと来れば、行きたいにキマってますわナァ。
で、チャンス到来、去年早速行ってみた…というワケ。
今回はそのジミ・ヘンドリックスがかつて住んでいたフラットのレポートを中心に、長年の間に撮りためたロンドンの写真からジミにまつわる場所をかき集めて記事を編んでみた。
記事を書くに当たり、ジミ・ヘンドリックスに関する本数冊からロンドン時代のページを拾い読みをしてみたが、多くは下のWilliam Saundersという人が書いた本の力を借りた。
タイトルもそのものズバリ『JIMI HENDRIX LONDON (ROARING FORTIES PRESS社刊)』。
ロンドン時代のジミ・ヘンドリックスに的を絞って綴ってある一冊。
コレが、インターネットの通販サイトでチェックしてみると、見るも無残なレビューが寄せられているんだけど、コチラの英語読解能力の問題もあるし、斜めに読む分には全く問題なし。
ウソかホントかは知らないけど、新たな知識を得ることができてロンドン好きの私には結構オモシロかった。
ジミヘンとなると詳しい人や研究している人も多いだろうから知ったかぶりはゼロ。
いつも通りのロンドンの観光ガイドとしてご覧頂きたい。S0r4a1361_2ということで、オドロキなさんなよ…ヒースロー空港からスタートするよ。
つまりジミ・ヘンドリックスがイギリスに着いた日ね。
 
ジミがヒースロー空港に降り立ったのは1966年9月24日のこと。
ココは元々は「London Airport(ロンドン空港)」という名前だったが、この同じ年に「Heathrow Airport(ヒースロー空港)」に改名された。
リッチー・ブラックモアもココで働いていたことがあるんだよね。
よく知られている通り、The Animals(ジ・アニマルズ)のベーシスト、チャス・チャンドラーがジミをニューヨークから連れて来た。
チャスはこの6週間前にグリニッジ・ビレッジの「Cafe Wha?」というクラブでジミを発見した。
そして、ビックリ仰天したのはジミがどこのレコード会社とも契約をしていないことだった。
「話がうまくいきすぎる」とビビったらしい。
チャスはミュージシャンからプロデューサーに転身を図っていたので、さぞかしシメシメと思ったことだろう。
チャス28歳、ジミ23歳。

Simg_01681966年当時、イギリスの人口は半分が30歳以下。
新しいモノがジャンジャン誕生していた。
マリー・クァントによって生み出されたミニ・スカート、パンティストッキングもこの時代にイギリスから出て来た商品だ。
やっぱり新しい文化の原動力は若者なんだネェ。 
その頃、イギリスはブルースが流行っていたので、ロンドンはブルース・ギタリストだったジミー・ジェイムスが活躍するには恰好の場所だった。
「ジミー・ジェイムス」とはもちろんジミ・ヘンドリックスのこと。
「Jimi」という綴りは飛行機の中で考えた。
英語圏の人にとってはこの「J-i-m-i」という綴りがすごくエキゾチックに映るんだって。

09_img_0001ヒースローに着いた時、ジミがはいていたブーツは底が抜けていたそうな。
そのブーツにはイザという時とお守りの代わりに1ドル札が仕込まれていた。
ジミは世界最高のギャラを取るスターになった3年後もこの習慣を止めず、いつも帽子に1ドル札を忍び込ませていたそうだ。
過去のMarshall Blogに何回か書いているけど、ココの入国審査はモ~本当にウンザリするほど時間がかかる…イヤ、かかったモノだった。
それが、去年行ってみると、反対にこっちが心配になるぐらい簡単でスピーディだったので驚いてしまった。
1966年の時の様子はわからないけれど、ジミもやられてしまった。
通関まで3時間もかかったのだそうだ。

Simg_8836ジミの渡英に関する手続きをしていたのはチャスだったが、ワーキングビザを取得する時間がなかった。
何せジミを初めて見た時からたった6週間後の渡英だからね。
仕方なく観光ビザで入国しようとしたところ、ジミの膨大な荷物が税関係員の目に留まり不審者扱いとなってしまった。(註:着替えとギターしか持っていなかったという説もあり)
金がないので一旦アメリカに戻って出直すなんでことは到底できない。
困ったチャスはアニマルズの事務所に相談して一策を講じた。
当時はどこの国も外貨への両替の規制が厳しかった。
そこで、ジミをアメリカのソウル・シンガーということにして、イギリスで発生したポンド立てのギャラを現地で消費しに来た…という筋書きにした。
その頃はこういうことが本当に起こっていたらしい。
ちなみにこの時のジミの所持金は40ドルだったという。(註:コレも誰かから借りた40ドルだったという説あり)

Simg_8837無事に入国したチャス一行はヒースローからタクシーでハマースミスへで移動。
ハマースミスはあの「Hammersmith Odeon(ハマースミス・オデオン)」があるところね。
私は一時期ハマースミスにあるホテルを定宿にしていたので何度も滞在した。
ハマースミスのことは別のところで思い入れタップリに書いているので興味のある方はご覧あれ。
 

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.32~ハマースミスが好きだった <前編>
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.33~ハマースミスが好きだった <後編>
 
さて、下の写真はその定宿から見て西の方角の景色。
わかりにくいけど、左側に見えるのはテムズ川。
国会議事堂からチョット上流にさかのぼっただけでこんなに細い川になっちゃう。
で、チャス一行が向かったのはこの写真の方角の反対側の「Gunterstone Road(ギュンターストーン・ロード)」というところ。
そこにZoot Money(ズート・マニー)の家があったからだ。
チャスは少しでも早くジミの顔をイギリスの音楽シーンで広めようと、ロンドンに到着し次第ズートの家に連れて行ったのだ。
ズートは60年代のイギリスでソウル、R&B系のスタイルで人気を博したシンガー/キーボード・プレイヤー。
この日、ズートのバンド、Big Roll Bandはライブの予定が入っていて、メンバーが勢ぞろいしていた。
ジミが訪ねるとさっそくバンドのみんなとジャム・セッションと相成った。
スキだね~。

Simg_1988そっち方面の音楽を聴かない私の場合「Zoot」というと、Zoot SimsかFrank Zappaの『Zoot Allures』にすぐつながっちゃうんだけどね。

Zs

Zaそこで早速Zoot Moneyを聴いてみる。
この『Zoot!』というタイトルのライブ盤はつとに有名だけど、コレが実にカッコいいではあ~りませんか!Zmこのライブ盤を収録したのは「West Hampstead(ウエスト・ハムステッド)」駅からすぐのところにある「Klooks Kleek(クルックス・クリーク)」というジャズ系のライブハウス。
ココはすごいよ。
The Nice、The Sensational Alex Harvey Band、Stevie Wonder、Jethro Tull、Led Zeppelin、Georgie Fameから、新しいところではPretenders、U2、Cure、Joy Divisionまで大物がゾロゾロと出演していた。

Simg_1871数件先には昔、Deccaのスタジオがあった。
今はバレエ団のスタジオになっているが、ココはビートルズがオーディションを受けに来て失格となった場所としてよく知られている。
ビートルズに勝ったのはBrian Poole & The Tremeloes。
このあたりのことはコチラをどうぞ。
  ↓  ↓  ↓
【Marshall Blog】 ビートルズに勝った男

Simg_1860さて、今回ズートのことを調べていて驚いた。
ジミ・ヘンドリックスの研究家でもあるギタリストの三宅さんと話をしていると「ジミってロンドンに着いた日にアンディ・サマーズとセッションしているんですよね」とおっしゃる。
私は知らなかったんだけど、なるほどなるほど、The Policeのアンディ・サマーズはズートのこのBig Roll Bandのメンバーだったのね。
要するにチャスとジミがズートの家に行った時、後のPoliceのギタリストがそこにいた…というワケ。
イヤ、それよりも驚いたのは、このBig Roll Bandのベーシストだよ!
なんとポール・ウィリアムスだったっていうんだよね。
あの『ファントム・オブ・パラダイス』の「スワン」とか「An Old Fashioned Love Song」の方じゃないよ。Pop 後にアラン・ホールズワースと組んだTempestとか、Juicy Lucyのシンガーの方ね。
やっぱりあの声だからね、R&B系の音楽がルーツであったとしても何の不思議もない。
どちらかというとアランと一緒に演っていた方が不思議だわ。

Io_2

Io_1ジョン・メイオールの関係なんだろうけど、この人、Aynsley Dunberのところにいたんだよね。
ご存じの通り、エインズレーはザッパとかJourneyとかジェフ・ベックのところで叩いていたイギリスを代表する名ドラマー。
下のアルバムでザッパの「Willie the Pimp」を演ってるの。
声を変えているので歌っているのがポールかどうかはわからないんだけど、まったく聴きどころのない演奏を14分半の間聴いているのはかなりの苦行で、買った時以来ウチのCD棚から出たことが一度もないアルバム。
そういうのがゴマンとあるんですけどね。Bw_2ちなみにJimi Hendrix Experienceのドラムスの座は、オーディションをした時にMitch Mitchel(ミッチ・ミッチェル)にしようか、もうひとりのドラマーにしようか甲乙付けがたく、コイン・トスの結果でミッチに決まったというのは有名な話。
そのもう1人のドラマーがエインズレー・ダンバーだった。
正解だったのではないでしょうか?
それよりも、投げたコインはどの硬貨だったんだろう?
下はチョット前のデザインのイギリスの硬貨なんだけど、上段左から右に…1ポンド、50ペンス、20ペンス、10ペンス、下段左から5ペンス、2ペンス、1ペニー、Marshallのプレクトラム。
他に2ポンド硬貨ってのもあるんだけど、重いのでどうしても現地で使っちゃうので家には1枚もなかった。
「ペンス」は「ペニー」の複数形ね。
イギリスではピックのことを時として「Plectrum(プレクトラム)」と言うのよ。
と、見ての通りコインの大きさがすごくまちまちなの。
投げるには5ペンスコインは小さすぎるし。
1ポンドコインなんかは厚みがあるので、立っちゃったりしてね。
66年当時だと、シリング硬貨というのもあったし。
1ポンドは20シリング、1シリングは12ペンス…ヤダね~。
でもコレはあまりにもややこしいので1971年に廃止された。
一体どれを投げたのか非常に興味があるワケです。
今度イギリスではコイン・トスをする時に普通どの硬貨を使うのか現地の人に訊いてみよう。S0r4a1356コレは紅茶で有名な「Fortnum and Mason(フォートナム&メイスン)」の階段。
外観の写真が見つからなかった。
近くを歩いていてトイレに困った時、おススメです。
男子は6階。Simg_0415_3一方、コレは「St. James Palace(セント・ジェイムス宮殿)」。
ロンドンにある最も古い宮殿のひとつで、アン王女の住まい。
かつてはチャールズ皇太子やウィリアム王子、ヘンリー王子もココに住んでいた。Simg_7486_2アン王女はエリザベス女王の長女ね。
かつてMarshallの工場に来てくれたことがあった。Hrh_hrh_the_princess_royal_vist__20 そのフォートナム&メイスンとセント・ジェイムス宮殿のちょうど真ん中ぐらいの「Mason's Yard(メイソンズ・ヤード)」というところに「White Cube」という美術館がある。
実は行ったことはなくて、このあたりはインターネットからの借りものなんだけど…S2ss_2この横にあるクラブがスゴイ。
外装の工事をしているところね。
ココは「Scotch of St.James(スコッチ・オブ・セント・ジェイムス)」というラブができる高級クラブで、60年代のトップ・ミュージシャンが集う社交場だった。
オープンは1965年の7月。
オープニングに当たってはビートルズのメンバーが3人、ストーンズからはチャーリー・ワッツが列席した。
他にもThe Who、The Kinks、The Animals、The Holliesのメンバーがいたという。
ポールがスティーヴィー・ワンダーに初めて会ったのもこの店…「Ebony and Ivory」の17年前のこと。
隣の白い壁のお店は「Indica Gallery(インディカ・ギャラリー)」。
ここにアート作品を出展していた日本人は、おじい様が元日本興業銀行総裁、お母様が安田財閥の祖の孫、というスーパー良家のお嬢さんで、後に「ジョン・レノン夫人」となる小野洋子だった。
フランク・ザッパとも共演してるからナァ。
そういうえば、「サディスティック・ミカ・バンド」というバンド名は「プラスティック・オノ・バンド」のパロディだということをつい最近知った。
ちなみにミカ・バンドはRoxy Musicの前座でイギリスをツアーした時、ロンドンの会場はウェンブリー・アリーナ(当時は「ウェンブリー・エンパイア・プール」)だったんだゼ…ノーギャラだったらしいけど。
で、そのインディカ・ギャラリーに展示を見に来たジョンが、アフター・パーティを開いたこのスコッチ・オブ・セント・ジェイムスでヨーコさんと知り合ったっていうんだよ。Ss2sg_2Sonny and Cher(ソニー&シェール)が「I Got You Babe」という曲のビデオをココで撮影した…とある。
シェールは70年代にグレッグ・オールマンの奥さんだった人ね。
結婚後、わずか9日で離婚訴訟を起こしたとか…。
理由はグレッグが薬物とアルコールの依存症だったからというんだけど、オイオイ、そんなの結婚する前に知っとけよ!という話ではあるまいか?
結局4年間その婚姻生活は続いた。
「シェールとグレッグ・オールマンが離婚!」という記事を当時の音楽雑誌で読んだ記憶がある。

さて、わざわざアメリカから来て撮影するぐらいなんからよっぽどこのクラブが有名だったんだろう。
ブリティッシュ・インヴェイジョンの効果か?
と、早速YouTubeで検索すると、出てきたのがコレ。
アップが多くて周りの様子がわかりにくいが、とても「高級クラブ」には見えないナァ。
それともこのビデオじゃないのかな?
他にもThe Whoはココで「Tommy」を初披露。
トム・ジョーンズも、ロッド・スチュアートもエルトン・ジョンも常連さんだった。
 
で、ジミ。
ヒースローからズートのところを経て、ジミはココで初めてロンドンの人前で演奏した。
何しろ、チャスが「Track Records(トラック・レコーズ)」と交わした契約書はこのスコッチ・オブ・セント・ジェイムスの紙ナプキンだったという。
ノンビリしてたんだネェ。
1980年に閉店し、2012年に再開して現在に至っているが、このお店の60年代の威光を知る人はもう少ないらしい。Ssosj ジミはスコッチ・オブ・セント・ジェイムスで知り合ったキャシー・エッチンガムといい仲になり、ハイド・パークの北側の「Bayswater」というところにある「Hyde Park Towers Hotel」というところに滞在する。
今は「Hyde Park Inn」という名前のホテルになっている。
ロンドンにはこの手のホテルがウジャウジャあってどれも格式が高そうでいい感じなの。
中はきれいにリノベーションされているんだけど、たいていは19世紀に建てられたモノだけあってオンボロはオンボロだわね。
このハイド・パーク・タワーズ・ホテルも例外ではなく、19世紀の初めの建物でキャシーによると、ベットの上で飛び跳ねようものならベッドの足が床を突き破りそうだった…という。
ま、コレは54年も前の話だからして、今はもうそんなことないでしょう。

Img_7316ジミはココで「Stone Free」と「Love or Confusion」を作曲したという。

Img_7312場所は変わってマーブロにやたらとよく出て来る「Saville Row(サヴィル・ロウ)」。
『名所めぐり』をご愛読頂いている方には「またかよ!」ということになるかもしれないけど、この後にやるThe Kinks特集にも出て来るから!
この通りに入って少し行った右側にあるのが…

Simg_0408ビートルズのAppleの本社だったビルがある。
ルーフトップ・コンサートをやったところね。

Simg_4796それをもう少し行くと同じ右側に『Poole & Co.』という洋服の仕立て屋さんがある。
ご存じの通り、「Saville Row」は「背広」の語源にもなった通り、「Bespoke tailors(ビスポーク・テーラーズ)」、すなわちオーダーメイドの洋服屋さんが並んでいる通り。
紳士の国だからして、世界でも第一級のテーラーが揃っている。
その中で、この「Poole & Co.」というのはサヴィル・ロウで最も歴史のあるテーラーなのだそうだ。

Simg_4799こんな本も出ているぐらい。
てっきり通りの入り口にある有名な「Boosey and Hawks(ブージー&ホークス)」が一番古いのかと思っていたらさにあらず。
しかも、今日期せずして2人目の「Mr. Poole」!Hpbで、このお店の隣にかつてThe Animalsの音楽出版社で「Clarins('クレアリンズ'っていうのかな?)」という会社があった。
ジミたちはその事務所を借りてデビューに向けてリハをしていたのだそうだ。
課題曲の1つはWilson Picketの「In the Midnight Hour」。
ミッチはドラムスの先生であるジム・マーシャルの影響か、ジャズの影響を受けていて、Elvin Jones(エルヴィン・ジョーンズ)風に演奏したがったという。
ジミは「やってみよう」と積極的だったが、チャスはそのプレイを快く思わなかったらしい。
もう1曲はチャスが予めExperienceの最初のシングルにしようともくろんでいた「Hey Joe」だった。
 
オモシロイ話があって、当然リハーサルは爆音でしょう。
この辺りはそんな洋服屋が集まっているところなので、とても静かなエリアだ。
ある日、その爆音に耐えかねて、「もっと静かにしてくれませんか?」とクレームを申し入れに来た人がいた。
後でわかったことらしいんだけど、ナント、この人ヘンリー・マンシーニだったんだって!
ホンマかいな?
 
下はPoole Co.の作業室の様子。
この辺りのテーラーは皆、半地下に作業場を設けていて、こうして中が丸見えになっている。
皆さん、とても忙しそうにしていた。

Simg_4800そして、デンマーク・ストリートのリージェント・サウンズ・スタジオで「Hey Joe」のデモ音源を制作した。

Simg_1130Jimi Hendrix Experienceの最初のシングル盤「Hey Joe」。
「Little Wing」とセットでジミのバラード曲のように思っている人が多いようだけど、コレはジミの曲ではありませんからね~。
基本的には1962年に著作権登録をしたBilly Roberts(ビリー・ロバーツ)というカリフォルニアのミュージシャンの作品ということになっているが、 このあたりのことは相当ゴタゴタしているようだ。
オリジナルを聴いてみると、ジミのバージョンがおっそろしくデッド・コピーだったということに驚かざるを得ない。
チャスのオーダーだったんだろうね。
そしてひとつ気がついたんだけど、間奏でE7#9が出て来る。
コレ、「ジミヘン・コード」とか呼ぶ向きもあるらしいんだけど、ジミは「Purple Haze」のイントロ
はこのビリー・ロバーツのアレンジにヒントを得たのではないだろうか?
「イエイ、このコードをガツンと使ってGからAに持っていってやれ、イエイ」みたいな。
そういえばGもAも#9で弾いているバージョンもあるよね。
それとこのイントロのピックアップの2拍って、Yesの「Sinerian Khatru('サイベリアン・カートゥル'。’シベリアン’は誤り)」とまんま同じだと思っているのは私だけでろうか。
 
調べてみると、「Hey Joe」ってものすごくたくさんの人にカバーされているのね。
失礼ながら、どこがそんなにいいんだろう?
「おいジョーよ、銃なんか持って、オマエさん一体どこへ行きなさるつもりデェ?」
という幡随院長兵衛風の歌詞がいいのかしらん?
「お若ェの、チョットお待ちなさい」というのは遊女に惚れ込んで、吉原行きたさに130人も辻斬りした平井権八に長兵衛がかけたとされるセリフ。
ジョーの方も「オレの女をブッ殺しに行くところだぜ!あのアマ、浮気してやがったんデェ!」と穏やかではない。
コレを4小節のメロディを延々と繰り返す「歌謡一部形式」の権化のようなスタイルで歌い込む。
スゴイね、昔の曲は。
今の「ありがとう」、「がんばって」とはとても地続きだと思えない。
B面の「Stone Free」は上に書いた通り、渡英直後に「Hyde Park Towers Hotel」で書いた曲。

Hj録音は「De Lane Lea Studio(デ・レーン・レア・スタジオ)」。
場所はピカデリー線ホルボーン駅の向かいぐらい。
ごめんなさい…写真はないの。
前回この近くに数日滞在してこの辺りを何回も歩いたんだけど気がつかなかった。
というのは、移転してしまって影も形もないし、そもそも頭の中になかったわい。
吉原の記事みたいに「チョット行って撮ってくらぁ!」というワケにはいかないし…と言うよりイギリスに行くことすらできなくなっちゃった!
他にも写真を撮っていなくて臍を噛む場面がいくつも出て来ます。
いつかまとめて写真を撮ってきます!

2holbかわりに、DeLane Leaスタジオを出て左に行った角を曲がったところにある「Princess Louise(プリンセス・ルイーズ)」というパブを紹介しておこう。
オープンした1891年当時の内装がそのまま残っている素晴らしいお店。
ロンドンでパブ・クロウリングをするなら絶対にココは落とせない。
でも、今は閉まってんだろうナァ。
興味のある人はコチラをどうぞ。
 ↓  ↓  ↓
【Shige Blog】イギリス紀行2019 その5 ~ パブがスキ!<後編>
 
今真っ只中のイギリスの2回目のロックダウンは12月2日まで!

Simg_8023チョット短いけど、今回はコレでおしまい。
 
<つづく>
 

200

2020年11月 7日 (土)

Break Through~大山まき ワンマン・ライブ <後編>

 
大山まきのワンマン・コンサート、『Break Through』東京公演の中盤。
もう1曲、カバー曲を…。

10_bib_2AC/DCの「Back in Black」!

20v空前の人気曲をヘヴィに律動させるリズム隊は…
寺沢リョータと…

50v_2森はるか

60vはるかちゃんはNATALのCafe Racer。

70ロック史上最も売れたアルバムのタイトル曲とだけあって盛り上がるね…イヤイヤ、まきちゃんの歌がスゴイからだわ!
このままAC/DCに入れちゃいそう!

90vそう、私はAC/DCに入ったんですわ…バックステージだけど。
Marshall Blogの取材でお邪魔したところ、ツアー・マネージャーが「特別に見せてあげる」と舞台装置をくまなく見せてくれた。
この写真はそのツアマネに撮ってもらったモノ。
 
詳しいことはコチラ⇒【訃報】 マルコム・ヤングのこと

T_img_7572まきちゃんのステージもMarshall。
JVM410Hが2台と1960A、1960BV。
キャビネットはAC/DCみたいに両方鳴らしている。

40弾き手は斉田"KAZZ"和典。

30v_2まきちゃんがアコースティック・ギターを手にしたのは『Monster』から「Blue Cat」。100_2CDとは異なるシンプルなアレンジでジックリと聴かせるヤツ。

110v_2そこへKAZZが泣きのソロでドラマチックな彩りを添えた。180v_2「ライブから遠のいていてどういうことをしていたのか忘れちゃうね!」
イヤ、ホントそうなの。
こんな私でもカメラ周りの機材を何か忘れていやしないか、久々の撮影ですごくコワかったもんね。
多い時は年に150回ぐらい撮影していたっていうのによ!
撮影機材には問題なかったんだけど、やっぱり脚立をライブハウスに忘れてきてしまった!0r4a0138 ツアーの時の思い出話しも飛び出した。
宿泊所が二段ベッドだった話と…。
そうそう、はるかちゃん、当日頭をブツけておでこがぽっこりーずだったのです!
ちなみに「二段ベッド」は英語で「bunk bed」と言います。
「bunk」とは「寝台」のこと。
S41a0189お?
まきちゃんが拡声器を手にしてサイレンを鳴らしだしたぞ!120vコレも新しい曲で「LION」。

130vダークな演出だが、メロディはアメリカン・ロックのようにポップだ。140Kazzのトリッキーなアルペジオ・フレーズもカッコいい!

150_2新曲をもうイッチョ!
スゴイね~。
怒涛の新曲ラッシュ!

160_jk曲は「joker」。
カラを破ろうとするかのようなまさに『Break Through』な世界!
どこまでもヘヴィに過激にロックする「大山まき」の世界だ。
「ジョーカー」といえば、アレなんで「ババ抜き」って言うか知ってる?
元々は「Q」、つまり「クイーン=12」が「ジョーカー」だったんだって。
同じように、それは「K」になると「ジジ抜き」だ。

170v_2新曲のギターはすべて「ドロップD」。
気が付かなかったな…。
それもそのハズ、やたらめったら低音を強調するために6弦のチューニングを全音下げているワケではなく、あくまでもハーモニーを優先しての選択だったのだそうだ。
ナットク!S41a0062はるかちゃんのドラム・ソロ!190vコレも盛り上がったな~。
いつもだったらスゴイ歓声を受けていただろうに!
声出しNGだからね。
200この顔!
もう気合もパワーも満点のソロ!
やぱりNATALの音は素晴らしい!210vココでブッ放す「Pain Letter」!

220_pl「♪追いかけても 突き止めても」
コレもまきミュージックを代表するヘヴィ・ナンバー。
もうこのドライブ感に乗った絶叫がタマらなくカッコいい!

230v_2リョータくんの低音が火の玉のようなドライブ感に油を注ぐ!
250vそしてタッピングを交えた炎のギター・ソロ!
ひとまず盛り上がりの頂点へ!S41a0017 最後のMC。
「存在証明するためにやって来た」なんて言ってたけど、存在感ありすぎでしょ!
近い将来に向けての抱負を語って最後のセクションにつなげた。260_mc残るは3曲。
まずは…また新曲!
「FLOOR」という4ビート・ナンバー。

270_flアコメタルの時に「Lullaby of Birdland」なんか歌っていたからね、まきちゃんは4ビートもイケるのだ。280v_2リョータくんのウォーキング・ベースもバッチリ!
つなげて『Monster』からのスイング・ナンバー、その名も「Swing Out」を演奏した。290v_2最後!
やっぱりコレでしょ?
アルバム『Monster』のタイトル・チューン「Monster」。
このサビよ、サビ。
時々口ずさんじゃうんだよね~。3004人が怪物のように暴れまくる素晴らしいパフォーマンスだった!

310v_2

320v

330v_2

340v_2さて、まきちゃん、11月13日は大阪でワンマンだよ。
いいナァ、観たいナァ。
関西エリアの人はお見逃しなく!
解消は梅田の「Shangri-la」。
お、いいね、The Kinksですな?
 
大山まきの詳しい情報はコチラ⇒大山まき official website

350_2「大山詣り」完了!
おケガなくてヨカッタ!

360

★オマケ★
『Marshall GALA2』にTHE CORAL CANDIESの一員として出演してくれたまきちゃんの雄姿はもうご覧頂けましたかな?
まだの方はゼヒ!



 

200  

(一部敬称略 2020年10月19日 渋谷TAKE OFF7にて撮影 ※記事制作協力:斉田和典)

2020年11月 6日 (金)

Break Through~大山まき ワンマン・ライブ <前編>

 
大山まきちゃんが不滅のSHOW-YAナンバーを熱唱してくれた『Marshall GALA2』からもう1年!
毎度のことながら早いナァ~。
まさかあの時は今年がこんなことになるなんて一体誰が予想していたであろうか…いないわね、そんな人。540そんなまきちゃんのワンマン・コンサート。
5月に開催する予定だったのだが、延期を余儀なくされ、10月に入りようやく開催の運びとなった。
ショウのタイトルは『Break Through』。10v「Break Through」と聞くとどうしても思い出してしまうのが名盤の誉れ高いThe Doorsのデビュー・アルバムの1曲目「Break on Through to the Other Side」。
ナゼかというと、コレ、私のテーマ曲なんだよね。
だって、曲の真ん中あたりでジム・モリソンが叫ぶでしょ?…「シゲ、シゲ」って!
そんだけ。20cd 会場に寄せられた祝い花。
「大山七味会」さんより。30v「ファン一同」さんより。

40v場内は都のガイドラインに従ってソーシャル・ディスタンスを配慮したイス席。
昔のライブハウスみたいで私はコレが好きなの。
イスに座っていい音楽を迫力の生演奏でジックリと味わう…本当はこうあって欲しい。
興に乗ったところで立ち上がればいい。
ロックだって「音楽」なんだから、いいロックはチャンと鑑賞しないとモッタイない!
どうでもいいロックはどうでもいいけどね。
音楽に合わせて暴れたければディスコか盆踊りに行けばいい。

50vいきなり新曲でスタート!
ヤル気満々なのだ!

60大山まき

70v斉田KAZZ和典

80vKAZZはJVM。
スピーカー・キャビネットは1960Aと1960BVの両方を鳴らした。
やっぱりこの「BV」ってキャビはスゴイね。
音が太くて、押し出し感がメッチャ強いけど、耳に優しい…みたいな。90足元のようす。
KAZZは普段からJVMを使っているのでフットコントローラーの使い方もバッチリだ。100寺沢リョータ

100v森はるか110vはるかちゃんはNATAL。
いつものCafe Racerの10"、12"、16"、22"のキット。120この新曲のタイトルは「element」。
仮称だそう。130_eleまきちゃんの力強さと勢いをフィーチュアしたようなナンバー。
いきなりの「まき節」でうれしいね!

140v忍者がバラまくのは「まきびし」ね。
踏んだら痛いヤツ。

Mb そして、KAZZのソロ炸裂。
まきちゃんの音楽には欠かすことのできないギター・サウンド。
ほとんどの曲でギター・ソロがフィーチュアされる。
Marshallの音で奏でるゴキゲンなソロだ。1502曲目はアルバム『Monster』から「Satisfaction」。
ロック版ジョビンの「One Note Samba」?
音程が変わらないAメロがまずはド迫力だ!

160_sfたたみかけるようなリズム。

170v若きパワーが猛然と降りかかってくる!

180vそして、KAZZのソロ。
実にカッコいい曲だ。0r4a0158 3曲目は「dinosaur」。

190_dsコレも新しい曲。
サビの後半に「ガオガオ」という擬音を取り入れているところが今風だ。200vもちろんこの曲でもKAZZのソロが曲をハードに盛り上げるのだ。

210もう1曲続けていっちゃうよ。
これまた新しい曲で「TRUE」。

220_tr4曲のうち3曲が未音源化曲という、まきちゃんの心意気がストレートに伝わってくるような濃い内容のオープニング。
このポジティブな気持ちはまさに「真実」と言わんばかりの「True, true」というサビのスキャット。
でも、コレ「true」とうたっているワケではないそうです。230v最初のMC。
「私の欲しいモノがここにある!皆さん、マスクをしていても喜んでくださっているのがわかりますよ!」…と、久しぶりのステージへの感動をあらわにした。

250MCの後に演奏したのは「looking for」。

260_lf_svアルバム『Monster』に収録しなかった1曲。
コレもまきちゃんのパワフルな歌声が冴えわたる会心の一発!

270vもちろんそれに呼応するかのような鋭いギター・ソロが楽しめる。

280vリズム隊の二人はひたすらバック・ビートを強調。

290vはるかちゃんのNATALの音色がまたいいんだわ!
あ、今回もスタッフさんからNATALにおホメの言葉を頂戴しました!
叩き手がいいんですよ!

300v「カバーを演ります」
いつかのステージで「私のルーツ」と紹介した数曲をまた演奏してくれた。310vまずはジャニスの「Move Over」。320_moもうコレはハマり役だからね。
何の文句のつけようもない。
せいぜい言えるのは、今度は「Half Moon」も歌って!って感じ?
「Piece of my Heart」もすごくいいかも…ジャニスの曲ではないけど。

330vKAZZとのイキも超ピッタリなのだ!

S41a0287 ここでリョータくんのベース・ソロ。
このバンドがすごく楽しそうなリョータくん。
そんな気持ちが素直に爆発したかのようなプレイだった!350リョータくんにはココのところ連チャンでマーブロにご登場頂いております。
お世話になっております。360v続いてDeep Purple MK IIの「Space Truckin'」。
パープルのコピーというとたいていMK IIIでしょ?
その筋に人に理由を尋ねたところ、日本にはian Gillanの歌を歌える人がほとんどいないんだそうです。
「Highway Star」とか「Smoke on the Water」みたいなロックの愛唱歌みたいなのは別よ。
誰か「『Who Do We Think We Are』全曲演奏」なんて演ってくれないか?
まきちゃんが歌う「Smooth Dancer」なんて絶対カッコいいにキマってる。

370v_st間奏。
コレはギターとベースのバトルのシーンなんだけど、どっちが先に弾くかをジャンケンでキメているところ。380ハイ、まずは下手、リョータくんから!
♪ベンベンベロベロ!

400v対するは上手、KAZZ!
♪ピロピロピロピロ~!S41a0459 ココは前半のハイライトのひとつだった。
390そして、「♪加門、家紋」で大盛り上がり!420<後編>につづく

★オマケ★
『Marshall GALA2』にTHE CORAL CANDIESの一員として出演してくれたまきちゃんの雄姿はもうご覧頂けましたかな?
まだの方はゼヒ!


<後編>につづく
 

200  

(一部敬称略 2020年10月19日 渋谷TAKE OFF7にて撮影 ※記事制作協力:斉田和典)

2020年11月 4日 (水)

史上最大のMarshallの壁 & ジム・マーシャル・インタビュー

 
イヤ~、あるもんだね~。
初めて見た時は「こんなもんが残っていたのか!」と相当ビックリした。
何の話と言うと…コレ。80ジム・マーシャルの伝記本『Father of Loud』の表紙にもなっている巨大な1960Bの壁。60私の事務所のシンボルにもなっている。

70v_2この1960Bの壁は、1992年、Marshallの創業30周年を記念して「ハマースミス・オデオン」の舞台に作られた。
今は「イヴェンティム・アポロ」というカッコ悪い名前になっているハマースミス・オデオンね。
まだCGなんてない時代の撮影だからして、ダミーとはいえ、175個の1960Bを本当に積み上げて撮影した。
ビデオではその設営から解体、撤収までが記録されている。

75まずは一度そのビデオをご覧あれ。
ビデオにはその壁とは全く関係のないジム・マーシャルのインタビューの音声が重ねられてる。
無関係な動画と字幕をいっぺんに見ることはかなり難しいと思われるため、まずは壁が作られていく様をココでご覧頂きたい。
ジムが実にうれしそうにしている姿をお見逃しなく!
本音を言うと、もっともっと長尺で見てみたかった。
ね~、ホントに積んじゃった。
さて、今度はビデオ映像に重ねられているジムのインタビュー。
上にも書いた通り、インタビューの内容はハマースミス・オデオンの映像とは全く無関係だ。25インタビューは2004年、『BBC THREE COUNTIES RADIO』というBBCのローカル・ネットワークでオンエアされた。10このローカル局は、Marshallの本拠地であるミルトン・キーンズは当然のこと、ニューポート・パグネル(Aston Martinの工場があるところ)、ルートン(空港があるところ)、レッチワース(Enigma暗号を解読したThe Bombeのパーツを作っていたところ。ロックフェスでおなじみのネブワースの近く)、ヒッチン(レッチワースのとなり)、ダンスタブル(Gary Cooperの生誕地)等々、イングランド中部をカバーしている。
実は、上に挙げた地名は全部自分が行ったことがあるところを選っているのですわ。
ちゃんと言うと、Bedfordshire(ベドフォードシャー)、Hertfordshire(ハートフォードシャー)、そしてMarshallの本社があるBuckinghamshire(バッキンガムシャー)の3郡にネットワークするラジオ局だから「Three Counties」なワケ。
イギリスには「州(state)」とか「県(prefecture)」とか「郡(county)」という行政区画がない。
代わりにあるのが「シャー(-shire)」という行政区画。20
イギリスの「三大大聖堂」の一角、「ヨーク大聖堂(York Minster)」があるヨークね。
「大聖堂」のクセにここだけは「Minster」っていうんだよな。
生前のジムも言っていたけど、この町は問答無用で美しい(ヨーク訪問記はコチラ⇒Shige Blog)。
ココがあるのは「ヨーク」の「シャー」だから「ヨークシャー」。

Simg_6145 「ヨークシャー」というブタの種類があるでしょ?
あれは「Yorkshire(ヨークシャー)」が原産だから「ヨークシャー」という。
浅草でよくブタちゃんを散歩させている人がいたけど最近見かけないな…食べちゃったのかな?Pig_2 犬の「ヨークシャー・テリア」も出身は当然ヨークシャーだ。

Dogスタフォードシャー・ブルテリア」は「Staffordshire」の出身。
コレ、ずいぶんコワい顔をした犬なのね。SbHertfordshireというのは『My Fair Lady』のRoyal Ascot(ロイヤル・アスコット)のシーンでイライザが「Hertford, Hereford and Hampshire hurricanes hardly ever happen」とやる、あのハートフォードね。
ちなみにこの映画の衣装を担当してオスカーをゲットしたのはイギリスの有名なフォトグラファー、「Sir. Cecil Beaton, CBE(セシル・ビートン)」。
ロンドンでビートンの写真展を観に行ったことがあるんだけど、メッチャ素晴らしかった。
 
イカン、イカン、「シャー」ぐらいでこんなに脱線してたらシャーないな。
Hhhインタビュアーは同局の「Big George(ビッグ・ジョージ)」ことGeorge Webley(ジョージ・ウェブリー)。
インタビューの中では大変元気にふるまっているが、2011年に53歳で亡くなってしまったそうだ。30久しぶりに聞くジムの声。
よろこんでインタビューに字幕を入れて皆さんに楽しんで頂こうと勇んで英語の聞き取りに取り掛かった。
 
死んだわ~。
イヤ、マジで大変だったわ。
 
ジムの英語が聞き取りにくいのは先刻承知だったんだけど、このBig Georgeの英語がまたツラかった。
苦労の末、2人の会話を一言一句、すべて文字に書き起こした。
予備知識が豊富なので、話している内容は正確にわかるんだけど、どうしても聞き取れない、あるいはわからない箇所がいくつもあった。
私はこういうのは徹底的にやらないと気が済まない性質なので、またまたイギリスのマーケティング・チームのフィリッパ女史に助け舟を出してもらった。
下の写真のように聞き取れない箇所はアンダーラインにして、そこを埋めてもらい、かつ誤謬を正してもらったのだ。
フィリッパは私の原稿を見て、「スゴイ!よくここまでやったわね!大したものね!」とすごくホメてくれた。
恐らく彼女は私が「ホメられると伸びるタイプ」ということを知っているのだろう…イヤイヤ、人間は全員そうだよね?
「怒られて伸びる」ヤツなんてほとんどいないって!
でもフィリッパの賛辞はまんざらウソでもなく、2人のつぶやく(mumble)ようにしてブッ速くしゃべる英語には彼女にも聞き取るのが難しい箇所があったし、知らないことも含まれていてGoogleの助けを借りたそうだ。
しかし…イギリス英語ってはいいね。
そうして、聞き取ることができたのはいいんだけど、それを日本語字幕に当てはめるのにまたエラく苦労した。
英語の達人が字幕を見たら「オイオイ」という箇所もあるかも知れないけど、ま、ジムと一緒に仕事をした人間として彼の気持ちを意訳した…ということで許してくだされ。
コレで言い訳も完了。
50で、このインタビューには少々唐突に感じる箇所がいくつかある。
それもそのハズ、元は38分半にもわたる長尺な内容で、それを切りに切って6分弱に縮めたモノなのだ。
その元のインタビューは、2004年に行われ、後に下の写真のようなCDにして関係者に配布された。
いつこのCDを頂いたのかはチョット覚えていないんだけど、大事に保管してあったのを思い出し、全編聞いてみた。
おかげさまで2人の英語に慣れていたせいか、比較的にラクに聞き通すことができた。
コレをアソコまで編集した人…エラい!
 
元のインタビューには、ジムの幼少の頃の話やアンプ製作に至るまでの話、真空管の話、今は亡き私の友達やかつての運転手の名前まで出てきて聞いていてグッと来てしまった。
そして、話がMarshallアンプ誕生のクダリになると何度も名前が出て来るのが、Pete Townshend、Big Jim Sullivan…そしてRitchie Blackmoreの3人の名前。
Big GeorgeがDeep Purpleの名前を出すと、「ああ、リッチーは私のドラムの教え子の学校のバンドでギターを弾いてたよ」ぐらいの扱いでオモシロい。
 
コレは他の機会にも書いているけど、ナゼ、若者がわざわざロンドンの外れにあるジムの楽器店に足を伸ばしたか…。
このインタビューでジムは「みんなロンドンの楽器店がstupid(バカ)だからと言ってうちに来たんだ」と言っている。
「stupid」というのは同じ「バカ」でも「fool」や「idiot」と違い、相手を怒らすような「バカ」を指すらしい。
その心は「ロンドンの楽器屋はクラシックやジャズのお客さんを大切にしてロックンロールを認めようとしない」というワケ。
 
ところが、先日『名所めぐり』で「Denmark Street」をやったでしょ?
調べてみて、この時代のCharing CrossやDenmark Streetの楽器店がロックをバカにしていたような雰囲気は一切感じられなかった。
どういうことかと言うと、多分ですよ…コレはものすごい短期間に「ロック」という音楽が爆発的に普及したということを示しているのではなかろうか?
だから、ジムにはそうとう先見の明があったのと、やっぱりMarshallというブランドにとってジミ・ヘンドリックスの存在は計り知れないほど大きかったのではなかろうか。
ああ、イギリスはたまらなくオモシロい!
内容的にはどれもこれも知っている話だけど、こうしてあらためてジムの声と口調で話を聞くと大変感慨深い。
ますますMarshallが好きになる。
 
Denmark Streetの記事はコチラ⇒【Marshall Blog】変わりゆくロンドン

40はい、もう1回ビデオを見て頂きましょう。
今度はジムの声を聞きながら字幕を読んで頂きたいんだけど、インタビューをもっと楽しむために若干の解説を付け加えさせて頂いた。
興味のある人はどうぞ。
 
0:29 The Darknessのポスター
当時ジムはこのポスターのことをよく言っていた。
恐らく、当時の総理大臣であったトニー・ブレアが、お気に入りのバンドとして「The Darkness」を挙げていたため、ジムはこのバンドに親近感を持っていたのではあるまいか?
ジムはブレア首相のことを「トニー」と呼んでいたからね。
それとは別に、ジムがよく使っていたイタリアン・レストランのシェフの名前がトニーだった。
どこかの会食の席で「トニー、トニー」というのでてっきりそのシェフのことを言っているのかと思っていたら、イギリスの総理大臣のことだった…なんてことがあった。
ジムが言っているポスターのことはよく覚えている。
何せフランクフルトで何千枚もクルクル巻いて輪ゴムで止めたからね。
皆さんにお見せしようとインターネットで探したんだけど出てこなかった。
私もThe Darknessが好きで、サマーソニックで来日した時に写真を撮らせてもらった時はうれしかった。

Simg_0360

Simg_0064 ちなみにMarshall RecordsのRewsは去年、The Darknessのツアーの前座で一緒に全英を回ったが、最後までできたのかな?Rews 

0:53 ジミ・ヘンドリックスのこと
ジミが初めてMarshallを弾いたというソーホーの「Ronnie Scott's」。
コレは去年のようす。Simg_9757 コレはもうずいぶん前の写真だけど、店の中はこんな感じ。
ジミは人生の最後に演奏した場所もココだった。
詳しいことはそのウチにやる『ジミ・ヘンドリックス特集』で!
Simg_0042 ここではジムはジミのことを「tall and lanky(長身で痩せこけた)」と形容しているが、ジミはものすごく礼儀正しかった…と生前のジムは私に教えてくれたことがあった。
下の写真はジミが訪れたハンウェルのジムの2号店があった場所。
この時の写真があればヨカッタのにね~。
でもそれはムリ。
まだジミがブレイクする前の話だからね。
インタビューで言っている通り、「しめしめ、スタックが売れたぞ!」ぐらいにしか思わなかったんだろうな。
コレ、ミッチじゃなくて、チャス・チャンドラーがお店に連れて行っていいれば話はまた違ったかも知れないね。
The Animalsはすでにその時世界的なバンドだったから。Simg_8094 
2:46 王立空軍バンド
字幕はこうしておいたが、ジムは「Squadronaires(スクワッドロネアーズ)」と言っている。
コレはフィリッパも初めて耳にした言葉で、グーグルで調べてくれた。
第二次世界大戦中から戦後まで続いた空軍のオーケストラで、正式な名称は「The Royal Air Force Dance Orchestra」。
なるほど、サキソフォンのパートにCliff Townshend(クリフ・タウンゼンド)、すなわちThe Whoのピートのお父さんの名前がクレジットされている。
 
2:48 英語
「キリコンスタークマッド」と聞こえる。
コレがまったくわからなかった。バンドの名前か?
闇に葬っちゃおうかと思ったんだけど、後でもう1回出てきたもんだから、フィリッパに教えてもらった。
ジムが言っているのは「The kid had gone stark raving mad」。
「stark raving mad」で「常道を逸する」という意味なのだそうだ。
80~90年代によく使われた表現だそうで、今ではほとんど耳にしないのだとか…だからわからなかったのか~(ウソ)。
 
2:59 リッケンバッカー
上で紹介した「Denmark Street」の記事を読んでいらっしゃる方には、ジムとリッケンバッカーの関係がおわかりだと思います…ね~。
 
3:25 ショウほど素敵な商売はない
ジムが「There was no」まで言ったところでGeorgeがそれを遮ってしまうが、ジムは「There was no business like show bisuness」と言おうとしたのではなかろうか?
元の時制は現在だけど、もちろんコレは「ショウほど素敵な商売はない」のこと。
ジムが亡くなる前年に家を訪ねた時、車イスに座って私にはわからない古~いモノクロのハリウッド映画をひとりでおとなしく観ていたのがとても印象的だった。

Tnb2

Agyg  
4:13 1日10時間働く
かつてはMarshallの本社に行くと、執務室で熱心に帳簿に目を通しているジムの姿をみかけたものだ。
NAMMやフランクフルト、また楽器フェアでも積極的にサイン会に臨んでいたジム。
サイン会にはジムなりの流儀があって、フランクフルトの時なんかは、なんとなく周囲の人が「触らぬ神にたたりなし」みたいな雰囲気だったな。
それだけ真剣に、また熱心に取り組んでいた。
日本では、人間は生まれてから死ぬまで3万回自分の名前を書くと言われているが、ジムは一体何回サインしたかね~。

5:12 ウォーター・ラッツ
「ウォーター・ラッツ」というのは、正式名称を「Grand Order of Water Rats」といって、イギリスのショウ・ビジネスの関係者で構成する慈善団体。
1889年にロンドンで設立された。
ある時、私はジムがいつも同じペンダントを首から下げていることに気づき、そのペンダントについて尋ねた。
するとジムは「ん?コレかい?コレはね、ウォーター・ラッツの会員が身に着けるものなんだよ」とすごくうれしそうに説明してくれた。
下の写真で襟に付けている金色のバッジがウォーター・ラッツの会員の証。
そうしたウォーター・ラッツのトレードマークが写り込んでいる写真が世に出ると、いくらかの寄付をしなければならない…とかなんとか、そんなような説明をしてくれた。
ナゼか私に「ボブ・ホープは会長だったんだよ」と教えてくれたんだけど、私がボブ・ホープを知っていると思ったのかな?
もちろん「Road to(=珍道中)シリーズ」は好きですけどね。
なるほど、コレの会員がスゴイんだわ。
チョット書くと故人では…チャップリン、ピーター・ローレ、ピーター・セラーズ、ダニー・ケイ、ローレル&ハーディ、ハワード・キール、バート・ウィードン…等々。
バートはジムのお友達のギタリストで、私は奥さんともどもフランクフルトで何度もご一緒させて頂いた。
今のミュージシャンのメンバーとしては、リック・ウェイクマン、ブライアン・メイ、ロイ・ウッドなどの名前が挙げられる。
ジムが亡くなった時、Marshallを使わないブライアン・メイから弔辞が来ていたのはウォーター・ラッツの関係だった。
「シゲ、月曜にリック・ウェイクマンが工場に来るけど会っていくか?」なんてこともあった。
1日前に日本に帰らなくてはならなかったので断念!Sjmwr 
5:25 アクスブリッジ
ココでGeorgeは「Battle of Britain Club in Uxbridge」と言っているんだけど、コレはわからなかった。
「Battle of Britain」は有名な第二次世界大戦中のドイツ空軍との戦い。
「Uxbridge」はMarshallアンプ発祥の地。
フィリッパによると、恐らく「Battle of Britain」に関係した人達が集まるクラブがUxbridgeにあるのではないか…とのこと。
確かにそういう向きはあるようなのだが、どうしてGeorgeがこのことをジムに言うのか、その関係がわからなかった。Simg_0463 ま、ココまでやるもんだから、もう時間がかかっちゃって、かかっちゃって…。
面倒な仕事だったけど、ジムの声を聞いていたら懐かしくなっちゃって、思い出を交えながら解説を加えさせて頂いた次第。
ということで、今度は字幕を読みながらジムのインタビューをお楽しみください。

Marshallってホントにいいもんですね…サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

65_2(協力:Philippa Neath  Thank you very much for your great support, Philippa!! I couldn't make it without your help!)

 

200

2020年11月 3日 (火)

【まさかの2本立て】Heatrsを救え!~一度限りのTORNADO-GRENADE再結成配信ライブ<後編>

  
『守護心 -Save The Hearts- TORNADO-GRENADE無観客配信ライブ』も中盤にさしかかった。
2017年のミニ・アルバム『Mighty Flugel』から「Adam Kiss」。 

10_ak塚本"Joe"旭20v_2松浦カズマ

30v真壁雄太

40v_2寺沢リョータ

50vドラゴンシャドウ村田

60v解散から3年、こうして見ると「キラ星のごとし」のメンバーと言えなくもないような気がしなくもない。
この曲では典型的な「I-VI-II-V」進行でTORNADO-GRENADEのポップな側面をフィーチュアした。

ちなみに「キラ星のごとし」は「キラ星」と読むのではなく、「キラ、星のごとく」ですからね。70そしてまた激しく「Mighty Flugel」!

120v_2これまた5人が一丸となったド迫力のパフォーマンス。

130v_2そして聴かせどころのギター・パート!
90_2もちろん2人ともMarshall。250_2カズマくんはJCM2000 DSL100と1960AX。
270v_2やっぱりこういう音楽は音も見た目もMarshallじゃないとサマにならないもんね。

260雄太くんの2555X Silver Jubileeのハーフスタック。280vこの曲はカッコいいね。

0r4a0189 ショウを通じてひとつのハイライトだったのではなかろうか。135「オレたちTORNADO-GRENADEは3年前に解散しました。
今歌った『Mighty Flugel』は解散がキマってから書いた歌詞です。
曲の中の"Last song for you"という部分が聴いてくれるみんなとメンバーに届くように書き上げました…

140…でも、ラスト・ソングではなくなった。
今日の日のために、特別な日のために(新しく)書いた曲を聴いてくれ!」
ロマンチックな展開!

150_2そして、JoeくんのMC通り、Heartsを救うために作った新曲「Find the Answer」を披露した。
330_2メンバーが肩を寄せ合っての感動的な演奏!

170_2今回のイベントは、この曲を新たに販売してHeartsを救おう…という企画だったのだ。

180_2続いてJoeくんがアコースティック・ギターを握ったのはバラード「Your Shadow」。

190v_ysカズマくんのギターが加わり…

200v後半の激しいパートを従えて曲は終わる。

210vTORNADO-GRENADEのキラー・チューンのひとつ「Love Never Die」。

220_lndリョータくんのベースをフィーチュア。

240_2こんな弾き方、お父さんソックリだナァ。

230_2ココでも暴れまくるギター・チーム。

X何度も言うけど、ロックはこうでなきゃイカン!

80_mfそのままシャドウのドラムスに乗って…
290v_sib雄太くんがリフを重ねるのは…S41a0036 「Storm is Blowin'」!

300_2中間部のメロディアスなギター・アンサンブルが印象的な曲。

320vJoeくんの絶叫もすさまじい!

310_2そして、ココでもう1回肩車!

340_2今度は雄太くん、逆さ吊りだ!
コレね、Joeくんの向こう側にいるリョータくんが雄太くんの両足を脇の下に挟み込んで真っ逆さまにズリ落ちないように、
何たるチーム・ワーク!
でも解散しちゃった。

350vその間、まったく指を止めないのが雄太くん。
チョーキングしてロング・トーンで逃げるなんてことは絶対しない。
ずっとシュレッディング。
コレは大したもんです。360_2「サンキュー!
TORNADO-GRENADEの一夜限りの復活ライブを観てくれてありがとう!
コレが実現できたのも、5人全員がコロナで大変な西川口Heartsを少しでも助けたい、力になりたい、という思いになったからです。
今までライブの時に物販について話したことがなかったんだけど…。
今日はマジでHeartsを救えるのは、みんなが新曲を買ってくれることなんだ。
『最後の最後で金の話かよ!』ってことなんだけど…(会場のスタッフ爆笑!)、今までライブで物販のことを話したことがなかったボクたちが『買ってください!』と頼んでいるのだ!
よろしくお願いします!」
Joeくんが言っているのは、さっき演奏したHearts救済のための新曲「Find the Answer」のこと。
コレや他のグッズを視聴している皆さんにご購入頂き、その収益金でHeartsを義援します…ということを言っている。

370v_2キチっとお役目を果たしたところで最後の曲。
もちろん「Sex, Spice, Rock 'n Roll」。380_ssr久しぶりだな~。

390vそうだ、そうだ、こんなことやってったな~。
たった3年でコロっと忘れちゃうもんだ。410_2EXILEが流行ってたんだね~。420_2EXILEからのギター・ソロ。

440_2「みんなが今、どこでコレを観ているのかは知らないけど、やるよ~!
やっちゃうよ~!
お前たちの声を聞かせてくれ~!」
そうだ、こんなのもあった…「みんなで歌おう!」のコーナーだ。
Ss41a0091_2 各メンバーからのアオリ。
コレもスッカリ忘れてた。
この頃はまだ「あおり運転」は社会問題化されていなかった。
まずはシャドウ。

450_2続いてリョータくん。

460_2雄太くんはウソ泣きつき。
470ヘンなキメつき。
「オマエだけ長い」と怒られちゃった。

480v_2「シンプルにいくぜ!」とカズマくん。

490カズマくんのソロ。
いい音だ。
ね?やっぱりロック・ギターにはMarshallが一番でしょ?

500_2そしてエンディング…ココからが長いのは覚えてる。
520「サングラスの儀」。
3年経っても目ェちっちゃ~!

530雄太くんがサングラスをかけて…

550キメのポーズ!

Ss41a0654 まだまだ続くエンディングのルーティン。
ココでもメンバーひとりずつフィーチュア。
リョータくんは体を伸び縮みさせてデクレッシェンド&クレッシェンド。

S41a0657シャドウはスティックを投げるだけで取らない芸。
しかし、細くなった。

S41a0663カズマくんは野球。
カッキーンとひとスイング。

S41a0667雄太くんはまたサングラス。

580ココのあたりはほとんど事前に決めていないらしく、「ナニやんの?ナニやんの?」とメンバーがお互いに探り合うところがほほえましい。

590初めてで、恐らくは最後になるであろうTORNADO-GRENADEの配信ライブ。
そのクライマックス!

510最後のジャ~ンプ!

600「ありがとうございました!」

640アンコール。
「こんなにたくさんのコメントありがとうございます!」
遠慮気味に新曲と物販のPRをした。

610アンコールではもう1回先ほど演奏した新曲「Find the Answer」を披露した。

620_enしかし、ナンだね、コレは言うべきではないんだろうけど…モッタイないな。
解散はやっぱりモッタイなかった。
今の日本においては伝統的なヘヴィメタルやハードロックが絶滅の危機に瀕していることに異を唱える人はおそらくいないだろう。
落語と偉い違いだ。
寄席へ通う若者が少なくないという。
それは若い噺家が出ているかららしい。
そして、同時に観るベテランの芸や名前が若者の間に浸透していくのだそうだ。
そりゃベテランの方が芸がシッカリしているからね、聞いたらそっちの方が感銘を受けるにキマってる。
ナントカしてコレと同じことが日本のロック界にも起こらないかと期待しているんだけど、ウマくいかんね。
そういう意味ではTORNADO-GRENADEの解散は痛かった。
欧米はナンダカンダ言ってこういう伝統的なロックを演る若いバンドが出て来るからね。
そして、日本との決定的な違いはリスナーのレベルなんだよね。
今、日本は「一億総『鬼滅の刃」でしょ?
何かチョット流行ると、それ以外のモノが通用しなくなっちゃう。
それが「流行」というモノなんだろうけど、この傾向が年々ヒドくなっているように思う。
すごくコワいよね。
 
このバンドのいいところはメンバーひとりひとりのキャラクターが確立されていて、ハードロックの伝統をキチっと踏まえ、いかにも「今の若者が演りました」というところだったと思う。
古クサい音楽を演っているのに、ゼンゼン古クサい印象をまき散らすことがなかった。
加えて「徹底的にお客さんを楽しませようじゃないか!」という姿勢も立派だった。
「悪だ!」も「サングラス」も飽きられてしまっただろうが、変化を与えることは容易であったろうし、彼らなら新しいネタを繰り出してくることも問題なくできたであろう。
もしアイデアがなくなれば誰か乞えばいい。それだけのことだ。
肝心なのはコピーではなく、自分たちしかやらないことをやることだ。
ほとんど最初から最後までこんなことを考えながらこの日はシャッターを切った。

630「Heavy Metal strikes back!」

650 
★お知らせ★
今回のTORNADE-GRENADEの復活公演は、無料で配信する傍らオリジナル・アイテムを通販することによって利潤を得、Heartsを救援するというスタイルを採りました。
グッズは完全受注生産で、11月15日までお申し込みを受け付けております。
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200_3 
(一部敬称略 2020年10月3日 西川口Heartsにて撮影)

2020年11月 2日 (月)

【まさかの2本立て】Heatrsを救え!~一度限りのTORNADO-GRENADE再結成配信ライブ<前編>


それほど遠くないのにどうしても行かない、あるいは訪れる機会がない場所というモノが誰にでもあるのではないか。
私の場合、「西川口」はそんな場所のひとつだった。
それが手の平を返したように頻繁に訪れるようになった。
理由ははそこに「Hearts」あるから。

Ent席亭の原畠さんに仲良くして頂いていることもHeartsを訪れる大きな理由のひとつだ。

20v不幸にしてHeartsもコロナ禍に巻き込まれ、超厳重な管制下での営業を余儀なくされ、苦しい状況を強いられていることは例外ではない。
そんなHeartsを救うべく立ち上がった5人の男たちがいた…。
 
それは3年前に解散したTORNADO-GRENADE。
1日だけ再結成し、配信ライブを開催したのだ!
名付けて『守護心 -Save The Hearts-』。

40vそして、無理をお願いしてMarshall Blogでその配信ライブの取材をさせて頂いた。
45コレはコロナに敢然と立ち向かう5人のロックバカの記録であ~る。
 
レポートは2本立て。
だって我ながらお気に入りの写真がたくさん撮れちゃったんだもん。
載せたい写真が目白押しで、取捨選択するのが大変だったぜ!50ショウは定時にスタート。
60Sex, Spice, Rock'n' Roll、塚本”JOE”旭。70vMr.Little Heart、松浦カズマ。

80vカズマくんのMarshall。
JCM2000 DSL100と1960AXの組み合わせ。90vハイテンションエクスタシー、真壁雄太。100v雄太くんの愛器、2555X Silver Jubileeのハーフ・スタック。110vカーニバルフィンガー、寺沢リョータ。

120vジャパメタ界のキューティーハニー、ドラゴンシャドウ村田…って、すっかりスマートになってしまったではないか!
しばらく前にリョータくんとやっているWHY SO NERVOUSで会った時にもその痩せっぷりに驚いたけど、今回はさらにスキニーになっていて、最初ダレだかわからなかった! 130v3年ぶりのステージの1曲目は「What's up Crazy Girl」。160_wucgク~、コレコレ!
この疾走感!

170カズマくんのソロと…

180雄太くんのソロが…

185華麗に交錯する!

200キマった~!
コレが「ロック」っていうもんじゃねーのッ?

205続けての2曲目は「Rise up to the Win」。

210_rtwコレは5年前、この曲のレコーディングの時のようす。
なつかしいナァ。
215ハードさとポップさがウマい具合にミックスされた曲。
ココでも2人のギター・ソロが冴えわたる。
カズマくんから…220v雄太くんへソロがリレーされると…230おお~、そうだった、そうだった!
忘れてた…。

240コレだ~!

2503年ぶりの肩車。
案外忘れちゃうもんだな。

260vどんな体制でもソロが弾けるのは雄太くんの特技だ。
『Marshall GALA2』の時もソロを弾きながら平然と階段を上って行ったのには驚いた。

270v「オレたちは悪だ!」
「悪だ!」
ああ~、コレも懐かしい!

280「お前らよく聞け~。
TORNADO-GRENADEは3年前に解散したにもかかわらず、今夜再結成してやったぜ!」
「再結成」はいいけど、Joeくん、しばらく見ない間にずいぶんムチムチになったナァ。

2905年前と比べてみよう!
150ココで各メンバーがいつもの「悪っぷり」を披露。
まずはリョータくん。
「オマエら、十六茶って知ってるか?…ハトムギ、大麦、ハブ茶、発芽大麦、とうもろこし、玄米、たんぽぽの根、びわの葉、カワラケツメイ、ごぼう、あわ、きび、小豆、エゴマの葉、ナツメ、ゆずの皮…」とミスター梅介みたいに成分をまくしたてた。
少し噛んだけど。
「オレはもっといいモノを足して二十四茶にして飲んでやったぜ!」
「悪だ~!」300続いてシャドウ。
車がパンクしてJAFが来るまでの間にコンビニに行った。
「アイスコーヒーを頼んで、オレが見つけちまったのは『さけるチーズ』だ。
さけるチーズを裂かないでそのまま食ってやったゼ~」
「悪だ~!」
なつかしいネタだ。
イヤイヤ、裂けちゃったのはシャドウじゃないの~?ってぐらい細くなったナァ。
310初めて会った時はこんな感じだったからナァ。
27kgも体重を落としたんだって!140v「悪」披露の次は「Ride on Fire」。
320_rof2015年のミニ・アルバム『Explosion』のオープナー。
シャドウの激ダイエットのせいでチョット霞みがちだけど、カズマくんも痩せた~!
10kgも落としたんだって!
よくガンバった!
見違えるようにカッコよくなった。
私も今ダイエット中なんだけど、なかなか痩せんわ。
若い頃は一発だったんだけどな~。
S41a0086ストレートにドライブするハードロック・ナンバー。
大サビの前のキメが実にクール!330vこの曲をレコーディングした時って、彼らは22歳ぐらいだったのか。

S41a0100 「ヘビィメタル」を標榜していた彼らだったが、私はこういう70年代ハードロック・テイストをとても気に入っていたのです。340そのままシャドウのドラム・ソロに突入。

S41a0181

身体は軽くなったけど、音はますます重くなった!

360シンプルに徹するドラムイングに…

370vリョータくんのベースがからむ。380これまた気合の入ったソロだ!

Ss41a0226 そして猛エキサイト!410足を宙に浮かせて大暴れ!

420そしてひと言…自分で「オンベース、寺沢リョータ!」
曲はそのまま「Love Blizzard」へとつなげた。430「さっきも言ったが、オレたちは悪だ!
おいカズマ、オマエも確か悪だったよな」

440「オレか?広島が生んだ悪だ」
ココでカズマくん、なぞかけを披露。
「『配信ライブ』とかけて『西川口Hearts』と解きます」
「その心は?」
「どっちもヤバイ」
 
シ~~~~ン。
 
「コレがホントの『配信の陣』…」
あ、こっちの方がウマい!450最後にハイテンションエクスタシー。
「西川口が生んだ真の悪だ。
この3年間メンタリズムを学んだ。
視聴者の皆様のメタル・ソルジャーとしての頭の中を読んでやる…オマエらが何を考えているかわかるんだ。」
そして、それが書いてある用意してきたメモを開いて見せた。
そこには…「うれしい」と書いてあった。
ゴメン、写真撮れなかった。460「悪」コーナーも全員無事にこなし、次の曲へと進む。
ココから2017年のミニ・アルバム『Mighty Flugel』のコーナー。

470_wosまずは5人総がかりで「Wings of Steel」をブッ放す!

S41a0279

S41a0444

S41a0544

S41a0466

S41a0258<後編>につづく

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今回のTORNADE-GRENADEの復活公演は、無料で配信する傍らオリジナル・アイテムを通販することによって利潤を得、Heartsを救援するというスタイルを採りました。
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200_2 
(一部敬称略 2020年10月3日 西川口Heartsにて撮影)