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2020年10月

2020年10月23日 (金)

ファースト・アルバムをアナログ録音でリリース!~HELL FREEZES OVERにエールを!


昨年の11月、『Marshall GALA2』で爆発的な演奏を聴かせてくれたHELL FREEZES OVER。

10そのHELL FREEZES OVER(以下、「HFO」)が満を持して8月末にファースト・フル・アルバムをリリースした。
その名も『Hellraiser』。
同名のホラー映画もあったが、英語としては「いつまでもうるさくしてる人」とか「やんちゃっ子」という意味。
まさにHFOのことじゃん!
ま、いつもうるさいのは私も同じだけど。
それと、HFOの世界ではファンのことを「Hellraisers」と呼んでいる。
Grateful Deadなら「Deadhead」、リヒャルト・ワーグナーなら「ワグネリアン」。
デューク・エリントンなら「エリントニアン」…コレはウソ。
「エリントニアン」というのは、デューク・エリントンの楽団員だけに与えられるアメリカ音楽界最高の称号だ。
 
どこを切っても胸のすくようなメタル・サウンド。
もちろんMarshallテイスト全面炸裂。
バラードなしの全10曲。
「おおっと!コレは!」とオールド・ファンがドキッとさせられる場面(2曲目ね)もあるが、そんなのカンケーねぇ。
誰?コレ「ギター」って囁いてるの…いいね~。
とにかくどの曲も聴いていて気持ちがいいのよ!
「Burn Your Life」、「Hawkeye」、「Overwhelm」等、前作『SPEED METAL ASSAULT』収録曲の再演もうれしい。
ジャケットもいいじゃない!
前作ではMarshallを吹っ飛ばしたけど、こんどはスカイ・ツリーをやっちまった!

20cd前作に収録された曲を再演した理由は今作の録音方法によるところだろう。
裏ジャケに入っている「AAD」の3文字。
なるほどHFOらしい。
アナログ録音だ。
私は完全に「AAA」世代だからうれしいね。
「AAD」は、アナログのテープに音源を録音して、アナログ・テープで編集して、デジタルで媒体に記録しました…ということ。
だからレコードからCD化された昔のアルバムのたいていは「ADD」になることが多い。

S0r4a0002他にも完全デジタルの「DDD」ってのがあるけど、もうコレが当たり前になって来たせいか、あるいは誰も気にしなくなってしまったからなのか、以前はCDの裏ジャケットで見かけたコレらの3つのアルファベットもあんまり見かけなくなってきたね。
結構探しちゃったよ。
一番上の「AAD」はフランク・ザッパの『Roxy and Elsewhere』から。
1974年の作品だからアナログしかない時代。
アナログ・テープで録音して、それを編集して、デジタルでCDにしたから「AAD」。
下の2枚はスウェーデンのジャズのレーベル「Steeplechase」からのDave Strykerというギタリストの2枚。

S0r4a0010_2 最近、世界的にレコードの人気が復活して、今年はCDの売り上げを抜かしそうだとか…。
それってCDの売れ行きがますます悪くなっているだけのような気がしますがね。
いつも書いていることだけど、CDが現れた時の世間の騒ぎようね…コレを忘れちゃイカン。
みんな「音がいいし、小さくて場所を取らないし、軽いし」と涙を流して喜んだ。
各地でLPとCDの聴き比べなんてイベントが催されて、みんなこぞってレコードを攻撃したことをよもや忘れたとは言わせないよ。
それを今になって「レコードの音が良い」だなんて。
私はレコードで育ったけど、転勤族時代の度重なる引っ越しで、CDにはずいぶん助けられた。
なので両方の味方だし、「音の良し悪しよりも、音楽の良し悪しにこだわる」派だ。
でもね…。 
先日、このMarshall Blogにも書いたばかりなんだけど、ジム・マーシャルのツテでフランク・ザッパのイギリスのオリジナル盤を12枚ほど手に入れた。
カッティング技術に長けているイギリスのオリジナル・プレス盤。
何しろ音が太くて前にガンガン出て来る感じ。悪く言えば荒々しい。
CDの音はいかにもか細くて、薄いガラス板のようだ。よく言えば繊細だ。別に悪くはない。
ウチではいまだにデジタルを一切介さずにレコードを再生することができるんだけど、その程度のオーディオ装置で聴いている分にはCDを否定することはできないと思う。
本当にレコードの音のスゴさを知るには数百万円かけたオーディオ機器じゃなきゃわからないって!
「やっぱアナログですよ、ヴァイナルですよ!」とか言って、レコード・プレイヤーをパソコン等のデジタル機器につないで悦に浸っている若い人を見かけるけど、それ…デジタルですから!残念!
でもね、やっぱりアナログは大切だよ。
そして音楽はアナログで作って楽しむものですよ。
だって人間はデジタルでできていないんだもん。
120HFOが今度のアルバムのブックレットでこう呼びかけている。
(このアルバムは)アナログ・テープで録音しました。
ベーシック・トラックは一発録りです。
コンピューターによる編集は一切施していません。
 
この便利な世の中、本当に大切なモノとは何だと思いますか?
一言で言えば、単純性?容易性?
考えてみてください。
このアルバムはそんな世の中へのアンチテーゼであり、この世界の基本的なことについて質問を投げかけるためのモノなのです
ってとこかな?
 
丁寧な文体で書いたけど、Gainerくんが実際にコレを言うとしたら、そうだな…
オマエら、コレはアナログ録音だ!
ほとんど一発録りだぞ!
パソコンでヘタに手を加えたりしてねーんだよ!
 
オマエら、本当に大切なモノってナンだと思う?
Marshallか?おお、アレはメチャクチャ大切だ!
考えみてろ…シンプルってことか?簡単にできるってことか?
オレたちはこういうことを考えてもらうためにこのアルバムを作った。
この音で本当のロックを楽しんでくれ!イエ~!

たのもしい!
ひとつ残念なのは記録媒体がCDということか?
コレは味の素を盛大に入れた醤油で「海のダイアモンド」と言われる天然のクロマグロの刺身を食べるようなものなんだ。
でもコレは仕方がない。そういう時代の作品だから。
でもね、ウチのアナログ・オーディオセットで聴くと、やっぱり元の音が太い分、そこらのデジタル録音の音源より格段にガッツのある音がしてる。
アナログで意地を張った甲斐はバッチリあります。
そのあたりにも注目して『Hellraiser』を楽しんで頂きたい。Ss41a0537さて、しばらく以前に「コロナ禍における東京都の文化芸術応援」というで『アートにエールを!』という企画があって田川ヒロアキさんが登場しているレポートをお送りした。
40その企画にHELL FREEZES OVERも参加するというので、そのビデオ撮影現場にお邪魔してきた。

30まさにHFOにピッタリの雰囲気!

50もちろんドッカ~ンと一発どり。
イヤ~、爆音から遠ざかっていたのでスゴイわ!

70TREBLE "GAINER" AIDYSHO80vRYOTO

90vHIROTOMO

100vTAKUYA

110vTOM LEAPER

120vこの数日前、事務所にCDをワザワザ持ってきてくれた時にRYOTOくんとTAKUYAくんには会っているんだけど、他の皆さんはほぼ10か月ぶり!
みんな元気でヨカッタ。
撮影はお客さんのいないミニ・ライブ形式とでも言おうか、6曲を用意して演奏した。

130オープニングはアルバムのオープナーにしてタイトル曲の「Hellraiser」。

140vもちろんギターの2人は1959。

160vMarshallがなければ成り立たないピュアなロック!

170v続いてアルバム通りに「Roadkill」。180上にも書いた通り、耳なじみのいいドライヴィング・ナンバー。

190まぁ、皆さんスゴい気合です。

2003曲目は「End the Breath of the Night」。210コレはMarshall GALA2でも演奏してくれた。

220v一回区切って「Grant You Metal」。

230ん、リッケンじゃないTAKUYAくんって初めて見た。240続けて「The Last Frontier」。
150この日は違ったけど、TOMくん、NATALのウェブサイトのアーティストのページに登場して頂いています!⇒日本語版NATAL公式ウェブサイト
250vやっぱりいいね、真空管アンプで鳴らすギターの音ってものは!
タップリ楽しませて頂きました。

260さらにキラー・チューン「Overwhelm」でプログラムを締めくくった。
270…ということで、『アートにエールを!』のHELL FREEZES OVERをご覧あれ!

もうね、頼みますよ!
HFOは平均年齢26歳。
みんなでこういうバンドを応援してあげないとヘビメタが本当に絶滅しちゃう!
HELL FREEZES OVERにエールを!60最後に…昨年11月9日に開催された『Marshall GALA2』の演奏をどうぞ。

Smarshall_gala_2_logo なんでまたコレを引っ張り出してきたかというと、ひとりでも多くの人に観てもらいたいから。
そりゃ、当たり前か…。
イヤ、この時『Hellraiser』からの曲ばっかりだんですよ。
だからライブが自由にできない昨今、このGALA2のビデオをライブに行ったつもりで楽しんでもらいたいと思ったのです!
チャンネル登録もよろしく!
HELL FREEZES OVERのファースト・フル・アルバム『Hellraiser』をよろしく!
ア、コレは違った!280sコレが『Hellraiser』の正しいジャケットです。
HFOはギリシャのレーベルとの契約に成功し、この『Hellraiser』が世界で発売されるそうだ。
おめでとうHELL FREEZES OVER!
この調子で地獄を凍らせろ!
 
HELL FREEZES OVERの詳しい情報はコチラ⇒Official web site

290cd

200_2 
(一部敬称略)

2020年10月22日 (木)

FATE GEARのニューアルバム『The Sky Prison』~メイキング・オブ・「The Sky Pirates」」

 
スッカリ日も短くなって朝晩が寒くなりましたな~。
私は冬生まれのせいか、暑いより寒い方がゼンゼンいいんだけどね。
今日のスタートはひと月前のまだ暑い頃の某田舎エリアから。
暑いことには違いないんだけど、東京のソレとは明らかに違って気持ちがヨカッタ。
空気のせいなんだろうネェ。
タマには田舎もいいもんですな。10向かったのは採石場。
なつかしいナァ。
というのは、昔務めていた会社で関係会社の管理を担当していたことがあったんだけど、その中に砂利屋が2社あった。
「砂利屋」というのがナニをやっているのかというと、まさに砂利や砂を採掘して、サイズに分けて、あるいは特定のサイズにあてはまるように砕いてそれらを販売する仕事。
「骨材屋」なんて呼ばれたりもする。
主な売り先は生コン屋か道路工事屋だね。
20皆さんの生活の中で「砂利屋」なんて職業について考えたことは一度だってないでしょう?
それが当たり前だと思う。
私だって仕事で関わるまで知らなかった。
でも、岡林信康の「山谷ブルース」ではないが、砂利屋がないとビルも道路も作ることができない。
この曲を中学2年生で初めて聴いた時にはかなりショックを受けた。

Sb もっと大きなショックだった曲が同じ岡林信康の「チューリップのアップリケ」。
ビートルズよりゼンゼン衝撃的だったもんね。
こんなにも悲しく悲惨な歌が世の中にあることが信じられなかった。
これらの曲に出会ったことは、私の45年に及ぶ音楽人生の中でも最も大きな出来事のひとつだったと思う。 

Ta さてこの業種、原材料がタダみたいなものだから、潤沢に原石が取れされすれば大変に分のいい商売だ。
ところが、この原石を確保するのがなかなかに大変なケースがありましてね。
私が担当していた会社のひとつは山奥にあって、「川砂利/川砂」と呼ばれる川に集まる砂利や砂を原材料にしていた。
しかし、それらが少なくなってしまうと県から採掘ストップの命が下ってしまい、商売ができなくなってしまう。
あんまり川の石や砂を取ると水害が起きやすくなっちゃうのね。
だからいつも「人災のない台風」を待ち望んでいたな…上流から大量の土砂が流れ出てくるから。
もうひとつの会社は平地にある砂利屋だった。
こっちは「岡堀り」といって、地面に埋まっている砂利を採集する。
地主と契約を交わしてお金を払い、地面を掘って、砂利を採って、また元通りに埋め戻して地主にお返しする。
生コンの品質の良し悪しはこの砂利や砂によるところが大きく、良質なそれらの原材料を確保するのが難しくなって久しいはず。
特に私が関わっていた2社は砂の確保に苦心していた。
「砂なんて海に行けばいくらでもあるじゃないか」と思うでしょう?
残念ながら海の砂はそのまま使うことができない。
海の砂は塩分を含んでいるので、生コンにして打設すると鉄骨を腐食させてしまうからだ。
塩分を取り除くために洗浄するコストがかかってしまう。
30訊くと、訪れた骨材屋さんは砂が主な商品で、その辺りの山には良質な砂が豊富に埋蔵されているのだとか…。
うらやましい。
それじゃココの砂を、砂のないところへ持っていけばいいじゃん?となるんだけど、そうはいかない。
セメントとか骨材というのは「自己輸送負担能力」とかナントカいって、値段の割には輸送コストがベラボーにかかる商品なので、「採れた場所で使う」という商売の鉄則がある。
「地産地消」のチャンピオンみたいな商品なのです。
はい、ココで今日のマーブロの脱線の第1部が終了。40ココから脱線の第2部。
ナニせ今日は記事の主役の方から「脱線」の許可を頂戴しておりますから。
もちろんいつも許可を取って「脱線」しているワケではないんだけど、今日は「脱線」のネタを半ばご指定頂いているのだ…こういうのはうれしいね!
その脱線のお題は「海賊」。
 
私の「海賊」はEmerson Lake & Palmeの『Works, vol.1』。
中3か高1の時にこの3年ぶりのELPの新作が出るといって期待して買ったけど、ガッカリだった。
感動したのはリード・チューンに据えたアーロン・コープランドの「Fanfare for the Common Man」ぐらいだったかな。
コレは今聴いてもいいアイデアだったと思うんだけど、このクラシックからの素材拝借の手法もこのあたりが限界だったのではなかろうか?
後期にプロコフィエフとかも演ってたけど、クリエイティビティがゼンゼン感じられなくなってたもんね。
そんなことをするもんだから、この頃はハード・ロックもプログレッシブ・ロックも一般大衆から飽きられてしまってヘロヘロになっていたんだね。
一方、ヴァン・ヘイレンの登場によりロック・ギターのテクニックが一気に頂点に上り詰めてしまい、凡百のフォロワーが登場し、完全に速弾きの金太郎飴になってニッチもサッチもいかなくなり、やはり一般大衆から飽きられてしまった。
そこへパンクだのニューウェイブだのが入ってきて、みんなそれらが「新鮮」と思い込んでしまったところに今のロックの不幸のひとつがあると私は思っている。
そんな時代のアルバムだった。
ほとんど聴かなかったアルバムだけど、後年、最後に入っている曲がメッチャかっこいいことに気が付いた。
その曲のタイトルが「Pirates(海賊)」だ。60_elpいつも「音楽変態」とか「へそ曲がり」とか「アマノジャク」と自分で言っている私でもELPを盛んに聴いた頃があったのよ。
何しろ数寄屋橋のハンターで、14歳の時に生まれて初めて買った中古レコードは『Tarkus』だったからね。
そのELPを10年前にロンドンで観ることができたことは私のロック人生の中の自慢のひとつなのだ。
その後、3人のメンバーのうち、2人が亡くなってしまったので、もう永久に再結成はあり得ないから。

70さて、その「海賊」。
日本では「ヴァイキング」と完全にゴッチャになっている感じがするけど、それは違う。
「海賊(pirate)」は、文字通り絶海で悪事をする「賊」のこと。
一方、「ヴァイキング(Viking)」は、海賊等の武闘行為もしたが、スカンジナビア半島付近に住んでいた農民や漁師たちの種族の名前。
いわゆる「海賊」をテーマにしている類の話とはそもそも時代が違う。
ヴァイキングは10世紀あたり。
海賊は16世紀ごろ。
600年も時代が違う。
だからビッケはタイトルの通りヴァイキングだね。

75よくホテルの朝食なんかで「バイキング」っていうのを見かけるでしょ?
アレは日本語だから海外で使っても通じませんからね。
そもそも何であのスタイルを「バイキング」というか…。
その昔、帝国ホテルの支配人がデンマークに行った時に「スモーガスボード(smörgåsbord)」と呼ばれる食べ放題の食事形式を目にした。
「コイツぁイケる!」と踏んだ支配人が日本に持ち帰って、さっそく帝国ホテルでやってみることになったが、どうも名前がよくない。
「朝食スモーガスボード」じゃ言いにくいし、なんか爆発しちゃいそうな名前だもんね。
そこで社内で名称を公募したところ、デンマークといえば北欧⇒北欧といえばバイキング…コレで決まったのだそうだ。
当時、リチャード・フライシャーの『ヴァイキング』という映画がすぐ近くの日比谷映画でかかっていたことも命名の後押しになったらしい。
しからば「バイキング」は英語でどう表現するかというと…そう「ビュッフェ」ですね。
でも、「ビュッフェ」と発音したらなかなか通じにくいかも知れない。
「バフェ」と「フェ」にストレスを置いて発音しましょう。
下はインターネットで拾ったどこかのホテルの掲示板だけど、海外の宿泊者向けに「MORNING VIKING」というアルファベット表記を加えたのであろう。
「『朝のヴァイキング族』って一体何のことだ?」と海外の人には何の意味もなさないハズ。
感覚としては「Two Man Live」のように間違えた英語表現をわざわざアルファベット表記する知性の無さを強く感じさせる光景だ?
もうひとつ言うと、「¥1.000」となっているけど正しくは「¥1,000」と千のくらいには「.(ピリオド)」ではなく「,(カンマ)」を使ってね。
ところがこのホテルの主人がドイツ系の人だとコレは一気に正しくなる。
ドイツは「€12.345,60」と「.」と「,」を反対に使うんだよね。
チョットしたことなんだけど慣れないとすごく気持ち悪い。76イケね、海賊、海賊。
「海賊」といえば、この骸骨の下に大腿骨が交わっているフラッグ。
実にカッコいいデザインだと思う。
欧米ではこの旗のことを「Jolly Roger(ジョリー・ロジャー)」と呼ぶ。

80_skull骸骨がらみのデザイン…ということであればGratful Deadの「Skull and Roses」と…
95cd『Steal Your Face』もカッコいい。
私はDeadの音楽はどうしても苦手だったけど、ジャケットは比較的どれもヨカッタ。

Gd いかにも不吉なシャレコウベのデザインは何のためかというと、もちろん海賊であることを示すためのモノ。
「このジョリー・ロジャーが目に入らぬか!」と相手をビビらせるためのモノなんだね。
ジョリー・ロジャーではなく、無印の黒旗を掲げている海賊船もあった。
当時、「暗黙の海のエチケット」みたいなものがあって、この黒い無印の旗はその主が海賊であることを示すだけではなくて、「抵抗せずにおとなしく降参すれば積み荷の1/4は見逃してあげるよ!」というサインだった…っていうんだよね。

Bkackj
「冗談じゃねーぜ!」とばかりに逃げたり、交戦の意思を見せると今度は海賊船に赤い旗が上がる。
コレは「あ、そう?いいのね?容赦なくイジめちゃうからね!」というサインだった。
海賊にしてみると、黒旗を上げている間におとなしく降参してもらった方が手間が省けて助かるということと、反抗すると「ホラ、こんなヒドイ目に遭っちゃうんだからね」という他への見せしめのために、赤い旗を上げた際には相当むごたらしいことをしたらしい。

Red_2あの、読者の中にはどこかで『パイレーツ・オブ・カリビアン』が出て来るだろうと想像している方もいらっしゃるかも知れませんが、私、まったく観たことがないのでこの先も出て来ることはありませんのであしからず。
 
コレね、海賊のことも調べ出したらオモシロそうな話がゾロゾロ出て来ちゃって、それを取り上げ出したらまったくキリがないことがわかった。
ひとつ、我がイギリスがらみで「ハハン」と思った話があったのでそれを脱線の第2部の最後に記しておく。
それは「私掠船(しりゃくせん)」という制度。
 
話はいきなりロンドンへ飛ぶ。
写真はマザー・グースの「♪ロンドン橋落ちる、落ちる」でおなじみの「ロンドン橋」。
こういう子供向けの言葉遊びの歌を「nursery rhyme(ナーザリー・ライム=子供部屋の韻)」という。
「ずいずいずっころばし」みたいな日本で言う「わらべ歌」ですな。
Simg_0296コレをモジったのが「プログレッシブ・ロックの名盤」の誉れ高い、Genesisの1971年の『Nursery Crime(ナーザリー・ライム)』ね。
日本語ではできない、英語の「音のシャレ」。
意味は「わらべ歌」から一転して「子供部屋の犯罪」となる。
オモシロイね~。
関係ないか…イヤ、昔のGenesisが大好きなもんだから…つい。

Nc ロンドン橋を渡ってチョット行くと「Borough Market(バラ・マーケット)」という1,000年以上続く市場がある。

Simg_0257その裏手にあるテムズ川に面したパブ。
夕方になるとこうして仕事帰りのサラリーマンでゴッタ返すのはココの店も同じ。
コレは5年前の写真ね。
数日前の規制強化でロンドンっ子もこんなことができないのが現状だけど、彼らからパブを取り上げるのは酷だと思うよ。
規制強化に反対してデモをする気持ちもわからなくはないが、しょうがねーじゃねーか!
そしてグレーター・マンチェスター(マンチェスター周辺の大都市圏。ロンドンは「グレーター・ロンドン」という)が国が定めた規制に反対声明を出したもんね。
スゴイなぁイギリスは。
 
この写真の奥の方に注目。
船が見えるでしょ?
Simg_0297「Golden Hinde」というガレオン船のレプリカ。
エリザベス1世の時代にこの船で、サー・フランシス・ドレイクという人がイギリス人で初めて世界一周を成し遂げた。
なんて言うとドレイクがただの冒険家のように聞こえるが、実は海賊だった。
今も昔も海事には大変金がかかることに変わりなく、その当時は国が「私掠船免状(Letter of Marque)」というものを海賊に発行して海軍として国が使役していたというんだな。
1588年、有名な「アルマダの海戦」でドレークは指揮を執り、スペインの無敵艦隊を破った。
そして、当時三流国家だったイギリスは世界最強のスペイン海軍を撃破したことにより世界の第一等国に躍り出たワケだ。
そこからはやりたい放題なのね。
ちなみにこの「無敵艦隊(Spanish invincible Armada)」という名前はスペインではなく、イギリスが付けた名前だったという話を聞いたことがある。
「invincible」というのは「征服できない、無敵の」という意味。
自分たちが勝っちゃったもんだから、その偉業をグレードアップするために、相手の地位を上げちゃおうというセコい手法。
ホントかどうかは知りませんけど。
Simg_1749「Marylebone(マリルボン)」にあるフィッシュ&チップス屋さん。
この店、名前を「The Golden Hind」という。

Simg_4913 ココはフィッシュとチップスのオーダーを別にするスタイル。
コレは「Haddock」だったかな?小型のタラ。
油っこそうでしょう?
でも食べると全くしつこくない。
パブなんかで食べる冷凍を揚げるフィッシュ&チップスはひたすらコロモがバカでかくて、とても最後まで食べられたものではないけど、ココのは見るからに薄いでしょ。
ペロっとイケちゃう。
Marshall Recordsのヘッドのスティーブ・タネットも偶然この店の常連だった。
ロンドン生まれ&ロンドン育ちのタネさんが好んで行く店だからして間違いない。
ロンドンへ行ってフィッシュ&チップスを食べる機会があればおススメです。Simg_4917 この映画にしきりに海賊が登場するのはこういう背景があったということ…を今回知りましたとさ。Sege さて、本題。 
2020年に2度目のヨーロッパ・ツアーを成功させたFATE GEARが12月23日に4枚目のフルアルバムをリリースする。
付けられたタイトルは『The Sky Prison』。
実在した女海賊、アン・ボニーとメアリー・リードを題材に「空の牢獄」と名付けられた。
今回もジャケットがいい。130cdそして、今日の記事のコアがコレ。
アルバム・リードチューンの「The Sky Pirates」のMV撮影にお邪魔してきたのだ!
その撮影現場が冒頭でゴチャゴチャ言ってたヤツ。150Mina隊長

160vErika
350Yuri

190vHaruka

200ゲスト・シンガーとしてこの撮影航海に搭乗したのはTHEO NOVAのNANA。

210そして同じくゲストで登場したヴァイオリニストは、Unlucky MorpheusのJill。
「Seven Years」に続いてのMV登場だ。220vこれまでビデオの撮影にはMarshall/NATAL/EDENを登場させてくれてきたFATE GEARだが、今回は撮影場所の環境が環境だけにNATALだけを設置。
バーチの3タム仕様。
フィニッシュはタバコ・フェイド。

230NATALドラマーのHarukaちゃん、NATALのウェブサイトにご登場頂いております。
 ↓   ↓   ↓
NATAL日本版公式ウェブサイト

240vさて、脱線の第3部。
もうひとつ「海賊旗」を。
こういうのを観たことがあるでしょ?
ガイコツは同じだけど、大腿骨の代わりにカットラスと呼ばれる刀剣を交えた図案。
剣の部分だけ見る祖開成中学みたいだけど、ドクロが付くと話は別だ。
これは「ジョン・ラカム(John Rackham)」というジョン・ラカムという18世紀にカリブ海で活動していたイギリスの海賊のオリジナル・ロゴ
ホネのバッテンよりこっちの方が「海賊」っぽい。Jr下がそのジョン・ラカム。
当時イギリスで人気のあった薄手のインド綿「キャラコ」で作った帽子や衣服をいつも身にまとっていたことより「キャラコ・ジャック」の名前で知られていた。
要するにものすごいオシャレだったということ。
そして、「他人を傷つけたことはない」と公言する海賊としてはとても良心的なキャラだった。
当時はまだ空はないから、海の安全を確保することが国の安泰を確保することであり、どこの国も私掠戦を雇って海賊の取り締まりに力を入れていた。
ラカムは零細な海賊だったため、そうした状況では海賊の商売にウマ味が見出せないとして足を洗う決心をする。
その頃、「海賊を辞めてマジメに働きます」という誓書を入れると、それまでの悪事が不問に付される海賊に対する「恩赦」のシステムが時折発令された。
莫大な金をかけて海賊を取り締まるより、こっちの方が安全で安上がりだっただろうからね。
ラカムはバハマでこのシステムに応じ、堅気の人になった。
エラい、エラい。
こうしてバハマでおとなしく暮らしていたラカムだったが…。
運命の女性に出会ってしまうんだな~。
その女性が今回のFATE GEARの『The Sky Prison』の題材になっている女海賊のひとり、アン・ボニー(Anne Bonny)。
悪事で「ボニー」なんて名前を聞くと「ボニーとクライド」の「ボニー・パーカー」を思い浮かべちゃうね。

90v アンはアイルランド生まれの私生児で、経済的には困らない環境に育ったが、気性が荒く、癇癪を起して使用人をナイフ刺殺したことあった。
アンには海賊出身の旦那がいたが、バハマでラカムに出会い、駆け落ち。
そして、ラカムはせっかく恩赦を受けて堅気に戻ったのにまた海賊になっちゃった。
アンは男としてラカムの海賊船に乗り込み活躍する。

Ab_2 その後、ラカムが襲った客船に乗っていたのがロンドン出身のメアリー・リード。
メアリーの母親は夫と幼い息子を亡くしたが、元夫の母親に養育費を出させるために、元夫とは別の男との間に生まれた娘のメアリーを少年として育てた。
みんなたくましい。
そしてメアリーはそのまま男として成長し、軍艦に乗り込むようになるが、除隊して女性として結婚するが夫を亡くし、失意のうちに再び男となりオランダの兵士となる(どんな女なんだ!)。
それもうまくいかず、アメリカを目指して客船に乗った。
その客船をラカムが襲撃したワケ。Mr_2 そのラカムの船で出会ったアンとメアリーは男同士なのに恋仲になってしまうんだな。
本当は女同士なのに…一体コレはどういう話なんだ!
アンが「自分が女性であること」を打ち明けるとメアリーは「イヤ、実は自分も」と2人はビックリ仰天。
「へ?じゃ、ダメじゃん!」ということになるんだけど、2人は大の親友になり、どんな時でも一緒に勇敢に戦った。
メッチャ強かったらしい。
ラカムたちは1720年、ジャマイカの港に酒盛りをしている最中にジャマイカの総督から命を受けた私掠船に踏み込まれてしまう。
ヘベレケになっている男たちが逃げ惑うばかりの中、アンとメアリーの2人は最後まで勇猛に戦ったが、結局はお縄と相成った。
ラカムは死刑。
アンとメアリーも死刑を宣告されたが妊娠していたので当時の取り決めにより出産が終わるまで猶予が認められた。
妊婦を殺すと罪もないお腹の子の命まで奪うことになるからだ。
最後の最後までギンギンに戦った海賊が女性だったことに当局はヒックリ返って驚いたらしい。
またスゴイのが、アンはラカムの死刑が執行される時にこう言ったという。
「あの時アンタらがちゃんと男らしく戦っていたら、犬のように吊るされずに済んだんだよ!」
まだ怒ってたのね。
メアリーは出産する前に獄中死。
アンは監獄で出産した後、幼児の母親を死刑にするのは哀れだということで刑の執行を何度か延期しているうちに姿を消してしまったとさ。

270_2…と、Mina隊長はこんなストーリーの女性2人を今回のアルバムの題材に選んだ。
アンとメアリーの話は紙幅の都合もあって大分端折ってますからね。
興味のある人は各自調べてみてください。
 
…ということで乗組員はみな海賊の装束というワケ。

250vこの日、撮影の間はカンカン照りを免れて、ほぼ曇天だったのは助かったんだけど、それはそれで雨が心配でね~。
何回かポツリポツリと来たものの、ナントカ最後までもった。
その代わり蒸し暑いのなんのって!50_2そんな環境の中、6人の女海賊たちはアンとメアリーに負けない熱演を見せてくれた。280隊長は崖の上まで登っての演奏。
その姿は縦横無尽に飛行するドローンによって捉えられた。290撮影した曲は「The Sky Pirates」。

310v「我ら、空の海賊」と歌い出す歌詞は海外マーケットを意識して前半は英語、後半は日本語という構成。
330いいんだわ~、Jillちゃんのヴァイオリンが!
私はヴァイオリンの入ったロックはすべてウェルカムなのです。

320コンパクトにまとめた隊長のギター・ソロもバッチリ!

360vこの曲を聴いた人が「洋楽かと思いました」と言っていたようだが、そうなの。
その方は前半の英語の歌詞のパートを耳にしてそうおっしゃったのかも知れないのだが、私が思うには、日本の若いメタル・バンドの曲のサビにありがちな過度にキャッチーでおおよそロックらしからぬ幼稚なメロディが出て来ないことがこの曲を邦楽らしからぬモノに仕上げているのではないか。

300どこまでもダークでヘヴィな仕上がりがストレートで聴いていてとても気持ちが良い。
260vということで、『The Sky Prison』のリードチューン「The Sky Pirates」をご覧あれ!


今回もビデオ撮影のスチール写真だけでなく、各女海賊の皆さんのアーティスト写真も撮らせて頂いたので、お気に召して頂いていればどこかでご覧頂けるだろう。370

380v

390v

400v

410v

420vアルバムにはNANAちゃんとJillちゃんの他に大山まき(vo)、RAMI (vo)も参加している。
そして翌月、1月27日にはシングル「Scars in my Life -English edition-」をリリースすることが決定している。
2か月連続リリースね。
ノリにノッてるFATE GEARなのだ!
 
あ、下の「♪Bon voyage」のアイデアはベリー・ナイス!
こうやって使ったのね?

尚、『The Sky Prison』にはお楽しみの特典も用意されているそうなのでFATE GEARのウェブサイトをチェック!⇒FATE GEAR official site

430最後にオマケの「プリズン」脱線。
「geol」という英単語がある。
なんて読むと思う?
コレ、「ジェイル」と発音して「監獄」を意味するイギリス英語。
要するに「jail」と同じ。
さて、アルバムのタイトルは「The Sky Prison」。
「prison」はご存知「刑務所」という意味。
そして「The Sky Pirates」の歌詞の中には「jail」という言葉も出て来る。
この「prison」と「jail」どう違うか?
「prison」は長期にわたって収監されるところ。
そして、「jail」は拘置所のように短期間に収監する施設のことを指す。
海外で被告人として裁判に出廷する時はこの違いに注意しよう!
 
それと吉村先生の「巣鴨プリズン」を題材にした『プリズンの満月』。
「巣鴨プリズン」は今のサンシャイン60の場所にあった太平洋線の戦犯たちを収容するための刑務所。
もう最後の方はダラダラになって囚人たちは家から刑務所に通っていたとか…。Sp 

200_2 
(一部敬称略)

2020年10月20日 (火)

【BREAK the CODE】vol.14~CONCERTO MOON 島紀史

 
Marshall CODEの魅力をプロ・ギタリストが解剖する動画シリーズ『BREAK the CODE』。

10その第14弾はCONCERTO MOONの島紀史。

20このシリーズ、ビデオの中に取り込んで頂きたいトピックスだけをあらかじめ出演するギタリストの皆さんに提示しておいて、残りのデモンストレーションのパートはお好きなように構成して頂いている。
実は、島さん(以下、「ノンちゃん」)の場合、このデモの部分がチト心配だった。

30v もちろんプレイのことではない。
はたまたトークの部分でもない。
それは、CODEの一番の特長である「限りない音色」を果たしてデモをしながらPRしてくれるのか?…という心配だった。
普段からCONCERTO MOONの音楽を作るのに使用しているギターの音色は「島トーン」とも言うべき美しいMarshallディストーション一辺倒でしょう?
ところが!
まさか「ピッチ・シフターは使わないだろうな」とは思っていたけど、なんと4種類ものサウンドを用意してきてくれた。

40それともうひとつ…。
「デジタルやモデリングとは無縁」のイメージが大きい人だ。
果たしてGATEWAYを操作してくれるのだろうか?…という心配。
ヘタをすればまだガラケーを使っているのではなかろうか?
さすがにコレは事前に確認させて頂いた。
これには「いいえ、スホ使ってますよ」と「マ」にストレスを置いて即答してくれた。

50撮影当日。
ノンちゃんはもうスッカリGATEWAYを自家薬籠中に入れていて、撮影中にチョット音質を変える必要が出てきた時、「ホイホイ」とスマホを手に取って「アレはこうして、コレはああして…」とかナントカ言って、お茶の子さいさいにGATEWAYを使いこなしていた!
見て!
この楽しそうな顔!
70プレイはスゴかった。
デジタルだの、サンプリングだの、モデリングだの言ったところで出て来るサウンドは結局「島の音」…なんていうと奄美か宮古か辺りの民謡のタイトルみたいだけど正真正銘の「島トーン」。
結局は指なんだよな~。
でも、それをちゃんと再現しているCODEも偉い!60vその「島の指」なんて言うと三宅か式根あたりの民謡のタイトルみたい…じゃないな。
そのノンちゃんの美しい指さばきをジックリ見て頂こうと前回の田川ヒロアキさんの時と同様、マルチカム(というほどではないが…)で撮影に臨んだ。
現場はノンちゃんと私の2人きり。
私は1人でカメラ2台の操作と録音、それにスチール・カメラのひとり4役をこなしたってワケ。
かつてこういう仕事のプロが「ワンオペはキツイですよ!」と言っていたけど、ホントだったわ。
でも、そうまでしてカメラを2台用意したのは、どうしてもノンちゃんの右手のテクニックをフィーチュアしたかったからなのだ!
「ギターは右手」だからね。Cuトークは全然心配なし。
他に記事に幾度となく書いている通り、昔は『Marshall Roadshow』と称してノンちゃんとMarshallのクリニックを何回もやった。
JMDの時は故ジーノ・ロートが見に来てくれたりしてね。
そこでノンちゃんのトークのうまさを知り尽くしているから、もうしゃべりの方は100%お任せしていた。
この撮影に先立ってノンちゃんは「1時間もあれば十分です」と豪語していたが、その言葉通り、撮影自体は1時間もかからずに終了。
トークはすべてワンテイク。
ギターは録音の状態を改善させるためにホンの2回か3回取り直した箇所があったが、「ほぼワンテイク」と言っていいだろう。
それでいて尺はこのシリーズ最長の27分27秒。
「島好き」なんて言うと父や母の小笠原あたりの民謡のタイトルのようだが…ノンちゃんファン、CONCERTO MOONファン、ヘヴィメタル・ファン、そしてギター・ファンにはあっという間の27分半だと思う。80それでは島紀史の『BREAk the CODE』をお楽しみあれ!
CODEの魅力も見逃さないでよ!
コレCODEの宣伝ビデオなんだから。


12月9日にニュー・アルバム『RAIN FIRE』のリリースも決定。
そして、コロナが終息して、発売記念ツアーと…この先がとても楽しみなCONCERTO MOONなのだ。
 

島紀史の詳しい情報はコチラ⇒CONCERTO MOON Official Site

90v『BREAK the CODE』はYouTube『Marshall Japan』チャンネルからどうぞ!⇒Marshal Japan

100s<『BREAk the CODE』まだ続きます>

200
(一部敬称略 2020年9月某日 Marshige Studioにて撮影)

2020年10月16日 (金)

【BREAK the CODE】vol.13~ dustbox SUGA

田川ヒロアキに続いて早くも『BREAK the CODE』の第13弾!
デモンストレーターはdustboxのSUGA。
dustboxは前のMarshall Blogに出て頂いたことがあった。
久しぶりのご登場がこの『BREAk the CODE』!

まだまだ続く『BREAK the CODE』…来週もお楽しみに!
 

200  

(一部敬称略)

2020年10月15日 (木)

ジム・マーシャル⇒フランクフルト⇒フランク・ザッパ⇒ニューヨーク

 

調べてみたら去年は『Music China』で昨日まで上海だった。
楽しかったナァ。
『Music China』は今年も今月の28~31日で開催されるようだ…「ようだ」というのはチェックしてみても「中止」という情報がウェブサイトに上がって来ないから。
今年もD_Driveが呼ばれていて、またひと花咲かせようとしていたけど…断念。
だって中国への飛行機は、全日空の場合週にたった1便、上海にしか飛んでいないっていうんだもん。
行けるワケもないし、例え行けたとしても帰って来れなくなっちゃう。
昨日の新聞に出ていたけど、全日空さん、もちろん冬のボーナスはなし、給料は5%減、社会保険自己負担料は50%に引き上げだそうだ。
さっき別の用件で電話した時に係の人を思いっきり励ましておいた。
だってツブれちゃったらせっかく貯めてきたマイレージがオジャンになっちゃうからね。
しかし上海メッセ、ホントにやるのかな?
海外からの出展もお客さんも皆無だろうに…ま、人口が14億人もいればなんとかなるのか?390 10月3 & 4日に開催する予定だった『楽器フェア』は中止。
SNSで誰も話題にしていないようだけど、『楽器フェア』は替わって11月11~13日の間にオンラインで開催するそう。
1月の『NAMM』も中止。こちらもオンラインで開催するらしい。
もうひとつ…フランクフルトの『Music Messe』。
コチラは2020年の4月に開催する予定だったのを、来年に10月に「延期」という形を採ったようだ。
コレ、「中止した」と素直に言った方がよいような気もするけど…。
今日はそのフランクフルトから。10毎年フランクフルトに通っていた頃は私の人生の中でも最も楽しい期間だった。
そのあたりは『私のフランクフルト』と題してすでに詳しく、6回にわたってしつこく思い出を書かせてもらった。
 ↓  ↓  ↓
【Marshall Blog】私のフランクフルト <vol.1 : 2003~2006年>20そういえば2009年には「Zappa Plays Zappa」もフランクフルトに来ていたんだっけ…。
今日はそんなフランクフルトからフランク・ザッパに至る話。
自慢めいたエッセイです。
ツマらんジジイのロマンです。
読んで頂いたところで得るモノは何もありませんのであしからず。

25v話のマクラにチョコっとフランクフルトのことを書こうと思って写真をヒックリ返して見ていたらまたまた懐かしくなっちゃって…。

30ココでずいぶん色んなことを教わったからナァ。40一番の思い出は、やっぱりブースでMarshallの連中と一緒に仕事をしたこと。50私が通っていた当時はこの『Musik MESSE』まだ世界一大きな楽器の展示会で、それはそれは大変な盛り上がりを見せていた。60展示のセットや片づけはもちろんのこと、ジム・マーシャルやゲスト・アーティストのサイン会の行列の整理をしたりポスターを巻いたり、販促品の補充をしたり…。
タマに英語で商品の説明をしたり。
同じゲルマン語族のドイツ人でも英語が下手なヤツもたくさんいてね。
若いイングヴェイ・ファンに話を合わせながら商品の説明をしていたら、私がイングヴェイの熱心なファンであるとスッカリ勘違いしてしまって、毎年来るたびに私を見つけては、イングヴェイの話をしてくるのには閉口したな。
あの子どうしてるかな?70コレはポールのデモだな。

90サイン会やデモで参加するアーティストとお近づきになるのも大きな楽しみのひとつだった。

Srimg0212 まだジムも全然元気でね~。
毎年、イギリス⇒フランス⇒ベルギーを通過してドイツまで車で来ていた。
そして、毎回必ずフランクフルトに来てジムと行動を共にするご夫妻がいらっしゃった。
見ていると、ご主人が時折ジムのサイン会の手伝いをする程度で、どう考えてもMarshallの人ではないし、Marshallの関連する企業の方…という風でもない。
で、ある時、Marshallの人にその方々がジムとどういう関係なのかを尋ねてみた。
答えはこうだった。
「Jim's friends」
ただのトモダチ?S2rimg0087話は変わって…。
2か月ぐらい前に心当たりのない人から突然facebookにメッセージが届いた。
そのメッセージが言うには…
「シゲ、あなたフランク・ザッパが大好きなのよね?
私が彼のコンサートに行ったことがあると言ったらすごく羨ましがっていたわ!」
エ~、誰よ、ダレダレ?アナタは誰?
私はベテランのロック好きの欧米人と話をすると、手当たり次第に「フランク・ザッパを観たことがありますか?」って訊いちゃうもんだから、最初はこのメッセージの送り手の見当が皆目つかなかった。
「フランクフルトでそんな話をしたわよね!」というメッセージの続きを読んで、とりあえずどっち方面の方かがわかった。
その方がおっしゃるには…
「今度ウチの娘がザッパのヴァイナル(レコード)のコレクションを譲り受けたの。
ウチの娘は興味がないんだけど、アナタ、興味ある?」
あるある!そりゃありますよ!
しかし、それでもメッセージの主が誰であるのかがハッキリとわからない。
そこで「もちろん興味あります!」と返事をする前に、当時はジムの秘書をしていた今の社長の奥さんに確認を乞うた。
やっぱり毎年フランクフルトに来ていたからね。
背景を説明すると、間髪入れずその方が誰かを察してくれた。
答えはこうだった。
「Jim's friend」
コレでわかった!
社長夫人曰く、何でも私はフランクフルトでかなり熱く「ザッパ愛」をその方に語っていたらしい。
恥ずかし~。
でも、そのおかげで私のことを覚えていて頂いたというワケ。100それ以降は、ザッパのコレクションを譲り受けたお嬢さん本人とのやり取りとなった。
コレがまたアータ、その方のお住まいがストックポートだっていうワケよ。110ストックポートといえば10ccの出身地。
因縁を感じるね~。
ストックポートと10ccについては、しばらく前に詳しく、しつこく書いておいたので興味のある方はコチラをどうぞ。
 ↓ ↓ ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】
vol.43 ~ 10ccに会いに行く <前編>

vol.44 ~ 10ccに会いに行く <後編>~ストロベリー・スタジオ物語

420さて、そのお嬢さんからレコードのリストを頂いて、コレだけ買わせていただいた。
〆て12枚。
向こうの人はジャケットを丁寧に扱わないのが普通だけど、前のオーナーがすべてのレコードを厚手の硬質なビニールに入れて保管してくれていたので、古いモノで50年近く経っていてもジャケットが超キレイ!
盤質も文句なし。
どういう基準で選んだのかというと、すべてUKオリジナル・プレス。
私はオリジナル盤がどうとか、マトリックスがどうだとか、そういうレコード・コレクター的な集め方にはまったく興味がないのね。
「プレスした工場が違うと音が違う」と、全国の「赤いきつね」や「緑のたぬき」の食べ比べのようなことをやっている時間が私にはもうないのだ。
そもそもその音の違いがわからないし…。
私も死期が近いのかどうか知らないが、最近マジで「人生で残された時間」というのを気にするようになってきましてね。
とにかく少しでも多くのいい音楽を楽しんでから棺桶に入りたいと思っているのだ。
でも、今回はチト違った。
ナゼならリストの中に『Zappa in New York』が入っていたからだ。
コレのUKオリジナル盤にはどうしてもこだわる必要があるのだ。120私は高校の時に『Zappa in New York』がリリースされてすぐに左下のヤツを買ってね~、正直、最初はチョット???だったけど、すぐに入り込んでしまった。
ナンダカンダでこのアルバム関係でレコード×3とCD×4で今のところ7種類集めてある。
140もうひとつ持ってる。
コレだけの演奏でしょ、どうしたってこの時の全演奏が聴きたくなるのが人情でしょう?
今ではリリース40周年を記念して全公演を収録した缶入り5枚組CDなんてのが出ちゃったけど、どうしても未発表の音源を聴きたければ、昔は海賊盤に手を出すしかなかった。
で、買った。
インタビュー・ディスクが付いた7枚組ボックスセット。
この頃、ザッパの昔のCDをピンク色の収納ケースに入れてまとめて販売しちゃうのが流行っていたんじゃいかな?
それをマネしてなのか、この海賊盤にもそんな箱が付いているんだけど、そこら辺の既製品のCDケースなのかサイズが全然マッチせず。
他に缶バッチだの、ハンコだの、ブロマイドだのが入っていて、値段は忘れちゃったけど、スゲエ高かったのを覚えている。
オマケなんていらないからもっと安くして欲しいわ。
「オマケ」といえば、最近のハロウィンの未発表音源のマスクは頼むから止めてもらって、もっと安くして欲しいわ。
また1981年のハロウィン・コンサートの音源が出るでしょ?
もうあのヘンなマスク要らないのよ!絶対に使わないんだから。
場所も取るし。
ああいう「全公演記録」みたいなヤツが雨後のタケノコのごとく出て来るけど、たいてい買った時に1回聴いて終わりだね。
アレは「音楽作品」というより「資料」だもんね。
ジャズ評論家の故中山康樹さんが、よく未発表曲を追加したマイルス・デイヴィスのアルバムのことをクソミソに入っていたけど、同感。
土台、後から作り直したモノはダメね。
このアルバムにしても、オリジナルのライブ音源に入念にダビングを施し、アーティストの意向を完璧に反映させた「作品」になっているんだから、それが一番輝いているにキマってる。
それでも1度は聴いてみたくなるのも否めないけどね…どっちじゃい!
 
さて、この海賊盤、CDはCD-R。
音質はオーディエンス録音で最悪…と思っていたけど、今回1枚聴いてみたらそれほどでもなかったな。
The Kinksの『Kelvin Hall』より2回りぐらい悪いぐらい?…というと相当悪いことになるけど、昔の海賊盤なんてそんなもんだ。
音質はあきらめて、客の反応を聴いているとすごくオモシロイ。
若い人なんだろうけど、ステージのようすに興奮して反応するのが興味深いの。
コレで『Zappa in New York』関連アイテムは8つ。
150_2そして、今回手に入れたオリジナルUKプレス。
コレはね~、そうだな~、40年近く待ったかな~。
要するに、1978年に国内盤が出て、それに「Punky's Whips」が収録されていないことを知って、どうしても聴きたくなった…というところから始まっているワケ。
当時はまだ『Baby Snakes』も出ていなかったのでこの曲を聴く術がなかった。
ま、「40年近く探した」といっても、来る日も来る日もレコード屋を回っていたワケではありませんよ。
でも、イギリスに行くようになって20年、彼の地で中古レコード屋を見つけるたびにチェックだけは怠らなかった。
イギリスに行くとよく広場を利用した市に出くわす。
デヴィッド・ボウイの「Five Years」に出て来る「Market squre」ってヤツね。
いわゆる不用品を集めて売っている「フリー・マーケット」とは違って、ちゃんとしたビジネスでやっている露店の「市」ね。
中古レコードを扱う店もチラホラ出展していて、そういうところなら何となく期待できそうじゃない?
でも、絶対に見かけなかった。
お店のオジサンに訊くと「ああ、アレは出てこないよ」といつも言われた。

160このアルバムをリリースした頃はザッパとワーナーの関係が悪かった。
イギリスでは初回プレスとして、元々の「Punky's Whips」が収録されたバージョンを発売。
一方、アメリカのワーナーは「Angelから訴えられたらヤバイ」という理由でこの曲を削り、「Big Leg Emma」と差し替えた。
「ヤベッ!」とばかりにイギリスでは当該の初回プレス盤を回収したが間に合わず。
その後、「Punky's Whips」がクレジットされた初回プレス・バージョンのジャケットに同曲が入っていないアメリカ仕様の盤を入れて販売したが、当然ごとくクレームに。
つまり、ジャケットには「Punky's Whips」と書いてあっても、音源が収録されていない商品があるらしいんですよ。
そこで、下の写真の私のUKオリジナル盤(写真右)を見てみると…。
A面にチャンと「Punky's Whips」と入ってる。
ちなみにこのオリジナル盤の方では「Big Leg Emma」は、B面の「Black Page#1」と「#2」の間に挟み込まれている。
後のCDの仕様と同じ。
さて、果たして私の盤には本当に「Punky's Whips」は収録されているのかな…。
聴いてみると…ヨカッタ!入ってた!
 
しかし、音がいいな。
私は元転勤族だったので、引っ越しの時の作業量軽減と利便性についてはCDに感謝しているし、今になって「アナログ、アナログ」と騒いでいる人たちのように音にやかましくもない。
何回も書くけど、1984年ぐらいか?…CDが出てきた時に「音が良い」と泣いて拝んだのはどこのどちらさまよ?
音質機器比べの試聴会とかやっちゃってサ。
CDを神様扱いしてたじゃん?
私の場合はドップリとレコードで育ったけど、CDを使っている…という感じ。
両方OKなんだけど、ダウンロードとかはムリ。
「音ウンヌン」ではなくて、アレはすべてにおいて音楽を聴く態勢ではないもん。
今までただの1回もやったことがない。
 
最近、ギタリストの三宅庸介さんの影響を受けて、43年前に買った30cmウーファーの入ったダイアトーンの大きな3ウェイ・スピーカーと、44年使ってきたヤマハのレコード・プレイヤーを事務所に持ち込みましてね。
アンプは20数年前に転職を記念して買ったデンオンの汎用品なんだけど、アナログなので音は完全にアナログ仕様。
デジタル一切なし。
それで柄にもなく、聴き比べをやってみた。
ナニせカッティング技術に長けたUKオリジナル盤だから。
 
結論…「太い」に尽きますな。
CDは音がとてもキレイなんだけどひ弱な感じ。
レコードの音のなんとたくましいことよ!
CDだけ聞いていればわからないんだけど、レコードを聴いちゃうとダメ。
音の押し出しが全く違ってまさに「遠くまで届く音」というイメージ。
待てよ…コレってギター・アンプと全く同じじゃん!
近い将来、ギター・アンプでもオーディオと同じことが起こるような自信が湧いてきた…つまり、「ギター・アンプは真空管に限る」と多くのギタリストがアナログに戻って来るということね。170…と、念願のアイテムが長い長い時を経てウチにやって来た!という一席でした。
ジムの友人の女性に荷物が届いた報告とお礼をすると…
「レコードの話があった時、真っ先にフランクフルトでのアナタのことを思い出したのよ!そのレコードが収まるべき所に収まって本当にうれしいわ!」と言ってくれた。
彼女は15歳の時にThe Mothers of Inventionをハマースミス・オデオンでご覧になったそうだ。
そんな話を聞いたらザッパ・ファンなら誰でも興奮しちゃいますよね~。
その頃に他に行ったコンサートとしてEdgar Broughton Bandの名前が出てきたにはビックリしたよ。
 
フランクフルトに行っていなかったらコレが実現しなかった…と思うと壮大なロマンを感じるね。
私にこんなロマンを仕掛けてくれたジムに心をからお礼言いたい。
そもそもザッパも1959を愛用してくれていたし、このライブ・アルバムの公演でもMarshallを使っているハズだ。
ザッパの家にはとても程度の良いビンテージのMarshallが保管してあったらしい。180 

200

2020年10月13日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.55~変わりゆくロンドン <その7:最終回>絶滅に瀕するロック名所

 
デンマーク・ストリートのことをイザ本格的に調べ始めたらやたらとオモシロくなっちゃって、予想をはるかに上回る長編になってしまった。
「ロンドンもドンドン変わっていくな~」と約20年にわたる定点観測の結果をテーマに据えたが内容がボケてしまった感もあるけど、ま、それも仕方がない。
わかる人、あるいは興味のある人には結構お楽しみ頂けたことと信じている。
そして、今日は「変わりゆくロンドン」の最終回。
 
昨年ロンドンに行った時、長きにわたってMarshall Blogで案内してきたチョットした「ロック名所」も次々と姿を消して行きそうなヤバイ雰囲気を感じましてね。
最終回はそんな絶滅の危機に瀕しているかもしれない「名所」をチェックしてみたいと思う。
同時に「名所」に限らず、一般的な街の変化についても感じたことを書き記しておきたい。
 
例えばこの風景。
コレは5年前にタワー・ブリッジの上の渡り廊下から撮った写真。
右下のお城みたいな建物は有名な「Tower of London(ロンドン塔)」。
ゴメンなさいね…「ロンドン塔」はリック・ウェイクマンの『ヘンリー八世と六人の妻』で詳しくやろうと思っていたんだけど、なかなか筆が進まん!
そのウチに再開するつもり。
で、この風景。
東京に比べれば笑っちゃうぐらい高層ビルが少ないけど、私が初めてロンドンに来た時にはこんな建物はほとんどなかった。
10撮影した場所は違うけど、去年のようすがコレ。
ジャンジャン高層ビルが増えて景観を壊し続けている。
東京みたいになるな!
でも、ロンドンは何百年経っても東京ほど殺風景には決してならないでしょう。
それは街中の緑の量が圧倒的に違うから。
220ロンドンの「忠犬ハチ公」、ピカデリー・サーカスの「エロスの像」。
ここは変わっていない感じがするけど、昔はこの像の後ろ側は車が走っていたような気がする。
イードゥンのベーシスト、おひとり様写っています。

20「ハチ公」といえば…Marshall?!
「V犬ハチ公」だって。
田川ヒロアキさんが送ってくれた写真。
渋谷の109に飾ってあるそうな。
S8kさっきの反対側から見たようす。
「TDK」に「SANYO」…私の中ではコレがピカデリー・サーカスのデフォルトの光景。

30SANYOは1984年、TDKは1990年からこの場所に広告を出し始めた。
かつては、パナソニック、富士フィルム、キャノンなんかも掲出していたとか。
ところがSANYOは2011年に、そしてTDKは2015年にそれぞれ撤退してしまった。
ま、SANYOは会社モロともなくなっちゃったんだから仕方ない。
TDKはカセット・テープの需要がなくなり、もはや一般大衆に向けて看板を掲出する意味がなくなったので撤退を決めたのだとか。Srimg0214TDKはカセット・テープ以外にフロッピー・ディスクも作っていたけど、最近フロッピーなんて見たことないもんね。
昔はワープロひとつ立ち上げるのに何枚もパソコンに突っ込んで読み込ませていたものだったけどね~。
そういえば、今は「ワープロ」なんて言葉も聞かなくなった。
「モノ」がなくなったから「言葉」がなくなったんだよ。
英語圏の人たちは日常の生活で20,000語を使っているといわれている。
多分、この数はドンドン増えているでしょう。
一方、日本人は50,000語使っているといわれていたが、コレはかなり減っていると思う。
そもそもこの5万語の中には擬態語とか擬音語も含まれているので、そうした表現が豊富な日本はどうしても語彙数が増えてしまう。
スゴイと思わない?…お年寄りのことを「ヨボヨボ」と表現するなんて…英語で言えないよ。
歩く表現ひとつ取っても「テクテク」、「スタスタ」、「ぴょこぴょこ」、「トコトコ」、きっとまだあるでしょう。
雨や雪や風の表現とかね。
本当に日本語は素晴らしい言葉なんだよ。
でも、そうした言葉は日常的に使われているので無くなる心配はない。
圧倒的にヤバイのは名詞。
例えば生地や和装のスタイルの名前。
色の名前なんか悲惨だよ。
落語を聞いていると、登場人物が身に着けている服装をすごく詳しく描写するでしょ?
もちろんアレは情景を描くためなんだけど、それだけではなくて、着ているものを詳しく描写することによって、着ている人の身分や家柄や性格を説明しているんだね。
素晴らしい芸当だと思う。
だからコレがわからないと本当に噺をわかったことにはならない。
 
日本人は衣食住からたくさんの「和」のアイテムを切り捨ててしまったため、膨大な数の語彙を失っていることに気付くべきだ。
着物の色を表現するのに、信じられないぐらいたくさんの言葉があるのね。
それらがゴッソリなくなってしまった。

40コレは2012年の同じ場所の夜景。Simg_7974夜でもこうした大道芸人が出て来てたくさんの人だかりができる。
コレ、渋谷のスクランブル交差点か、浅草の雷門の前みたいなもんだからね。
こんなの日本じゃ絶対に許されない。Simg_7967そして、例の広告はSANYOが撤退してTDKだけになった。
SANYOが広告を出していた場所に韓国の「HYUNDAI」が入り込んだ。
 
写真の右半分を見て。
街並みがすごく暗いでしょう?
コレってまだ宵の口ですからね。
Simg_7847コレは2015年。
とうとうTDKも撤退してしまった後。
「HYUNDAI」だけでなく、左には「SAMSUNG」のロゴも登場し出した。50そして、2019年のようす。
HYUNDAIがコカ・コーラを押しのけて最上階に移動して、横のSAMSUNGのスペースが大きくなった。

数年前にファンキー末吉さんがご自身のブログに記していたことを思いだす。
ご存じのようにファンキーさんはドラムスの普及活動で長きにわたって日本と中国との間を行き来している…というより、もう中国人にお成りになられたと言っても過言ではないぐらい中国に入り込んでいらっしゃる。
今はカンボジアに滞在してクメール語を熱心に学んでいらっしゃるようだ。
相変わらずのスゴいチャレンジ精神だ。
英語圏の人たちが日本語を学ぶように、アルファベットも漢字も使用しない言語をゼロから習得するのは並大抵のことではないであろう。
さて、ファンキーさんがブログでおっしゃっていたのは「かつては中国のどこへ行っても『日本人、日本人』と親切にしてくれたが、最近は全くそういう傾向が見られなくなった。その原因は『経済』である。かつて繁栄を極めた日本の経済が斜陽化し、国際経済力が鈍った途端、誰も日本人に興味を示さなくなり、態度が冷たくなった」
正確ではないが、大意に誤謬はないであろう。
私はこういうことこそ、つまりファンキーさんが肌や空気でお感じになったことこそが日本の「景気」や「世界の中の日本の地位」を正確に示しているのではないかと考えるのだ。
もちろんピカデリー・サーカスから日本企業の広告が消え失せたからといって現地の人にイジめられるなどということは全くないが、これらの韓国企業の広告を見るたびにこのファンキーさんのブログを思い出すのだ。60このリージェント・ストリートに沿って思いっきり湾曲しているビルね、何ていう名前だか知らないけど、初めて見たときは感動したナァ。
「ヨーロッパに来た~!」って感じ。

70夕方になるとこんな感じ。
何やらゴージャスな雰囲気でしょ?

Simg_7972もっと暗くなるとこんな感じ。
照明が当たっている部分は明るいけど、街全体が暗いと思わない?

Simg_7849_2チョット脱線。
ロンドンの街って街灯が少なくて、夜間の明かりといえば建物に当てた照明がメイン。

Img_7807ココはレスター・スクエア。

Img_7848銀座4丁目とか、新宿歌舞伎町とかいう一番の繁華街でコレだからね。
ネオンサインがないの。

Img_7812どこでも明るい東京の夜とは大違い。
マンハッタンだってあんなにネオンがギランギランなのはせいぜいタイムズ・スクエアぐらいなものだ。
東京は異常だよ。
アレで電力不足がどうのなんて…狂っているとしか言いようがない。

Img_7822さて、コチラはかなり前の写真。
1階のウインドウを見て…黄色い看板が出てるでしょう?
コレ、TOWER RECORDSの看板なの。
こんな街のど真ん中にまだレコード屋があったんですよ。

80『上流社会』、『回転木馬』、『アニーよ銃をとれ』…見たことがなかった廉価版のCDがあったのでこのTOWER RECORDSで買ってみた。
この頃はまだオックスフォードストリートにVirgin Mega StoreやHMVがあった。
当時日本では売っていなかった『This is Spinal Tap』をVirginで手に入れてうれしかったのを覚えている。
バーウィック・ストリートに行けば今でもまだ少し小さいレコード屋が残っているけど、大きい店は絶滅した。
変わりゆくな~。
90ちょっとコロナがらみで変わってしまったことを…。
もう1回ピカデリー・サーカスに戻りますよ。
 
SANYOとTDKの看板のビルと向かいのロンドン・パヴィリオンの間を走る道が「シャフツベリー・アヴェニュー」。
「street」、「road」、「avenue」、「boulevard」、「lane」、「alley」、「path」、「crescent」…全部「道路」関係のtン後。
も~、ホントにややこしいよね。
イギリスでは「avenue」ってのを見ないナァ。
パッと思いつくのはこの「Shuftesbury avenue」ぐらいか?
Simg_0225ロンドンで「boulevard」ってのは見たことがない。
でも、Marshallの本社があるミルトン・キーンズの駅前にいくつかあるのを知ってる。Simg_0615このまっすぐに伸びた広い通りの名前を「Midsummer Boulevard(ミッドサマー・ブールヴァード)」という。
青春映画のタイトルみたいでしょう?
やっぱりブールヴァードはロサンゼルスだよね。
ミルトン・キーンズは1960年代に人工的に作られたイギリスで一番新しい町(city)なのでアメリカのマネをしたのだろうか?(元々は「ミルトン・キーンズ村」だった)
そういうことは厳に慎んで頂きたいものである。Simg_0614 イギリスの「ブロードウェイ」、シャフツベリー・アヴェニュー。
たくさんの劇場が立ち並び、演劇やミュージカルで夜毎華やかな賑わいを見せるエリア。
この標識にあるように「Theatreland(シアターランド)」というニックネームが付けられている。
そんな世界に冠たる劇場街もブロードウェイ同様、年末までの公演をすべてキャンセルした。
100Marshall Recordsのヘッドで生粋のロンドンっ子のタネさんがロックダウンの時、電話で「シャフツベリーに誰もいない!」とショックを受けていたのがすごく印象に残っている。
こんな感じだったのであろうか?
コレはただ朝早いから(…といっても9時半ぐらい)人がいないだけなんだけどね。
イギリスでは約3割のミュージシャンが、もうこんな状況に凝りて職業を変えようとしているとか…。
ロンドンはロック・コンサートだけでなく、ミュージカル、芝居、バレエ、オペラを含むクラシック音楽等々…東京なんか足元にも及ばない程ショウビジネスが盛んで、それだけそうした現場で働くミュージシャンを抱えているワケ。
何せそうしたエンターテイメントがほぼ365日、ほぼ毎日上演されているんだからスゴイ。
今、それがいとも簡単にスッポ~ンとなくなっちゃったんだから大ゴトなワケよ。
コワいよね。
グレードを選びさえしなければそれだけチャンスがある反面、こうしたことが起こった時の競争も世界一なんだから。
 
…と思っていたら、2、3日前にブロードウェイは来年の5月末まで閉鎖するというニュースを目にした。
本当に大変なことになった。
尚、悪い状況が続くイギリスだからして、ウエスト・エンドも同じようなことになる可能性が非常に高いだろう。

110コヴェント・ガーデンにほど近い「St. Martin's Theatre(セント・マーティンズ劇場)」。

190ココではアガサ・クリスティ原作の『The Mousetrap(ねずみとり)』という芝居がかかっていた。
1952年から!
私は観たことないんだけど、オフブロードウェイの『Fantastics!』も有名だよね。
あっちは1960年に始まって2002年まで続いた。
確か定休日以外に上演を休んだのは、ケネディ大統領が暗殺された時と、ニューヨークの大停電の時、それと多分、同時多発テロの時だけ…みたいなタフなミュージカルだった。
でも『Mousetrap』は期間で言えば『Fantastics!』を寄せ付けない実績があった。
何せ68年間だからね。
200ところが!
その公演も今年止まってしまった。
コレもコロナにより大きな変化と言えるのはなかろうか?

210それと、チャーチル。
こっちはコロナではなくて、アメリカから端を発した人種差別排斥運動。
この国会議事堂のそばに立っている象がブッ壊されてしまうかもしれないからナニかで覆って保護しよう…という動きがあった。
結局、対応したのかどうかは知らないけど、マァ、ナント短絡的なことよ。
リバプールの「ペニー・レーン」の話もそう。
今更ナンダ?と
私はイギリスが大好きだけど、過去にナニをしでかしたかの勉強をなるべくするようにしている。
要するに大英帝国の悪事を。
産業革命が後押しした大西洋の「奴隷」とアジアの「麻薬」を主商品とした2つの三角貿易、中東の三枚舌外交、原子爆弾の開発、最近ではBREXIT、現在も続いている世界の紛争のほとんどの火種がイギリス・スタートだもんね。
それでいてアータ、イギリスへ行った人ならわかると思うけど、世界中荒らし回ったクセに自分の国の中は緑だらけであんなに美しくしちゃって…。
色々な問題はあるにしても、今のイギリスの人たちはその恩恵を受けて豊かな生活をしているワケでしょう。
奴隷貿易によって得た富が「美田」とはとても言い難いけど、ブリストルのエドワード・コルストンという17世紀の奴隷商人の銅像を破壊したりするような手の平を返したような態度もやりすぎではないか…と思うワケ。
でも、コレが連中の正義の表し方なんだろうな…日本人だったらどうしていただろう。

230vチャーチルついでに…。
コレはウインストン・チャーチルの生家、オックスフォード郊外のウッドストックというところにある「ブレナム宮殿」。
実家が「宮殿」で「世界遺産」ってどんなよ。
広大な庭園ではロック・フェスティバルが開催されるという。
でもね、駅からかなり遠いよ。
オックスフォード駅までバスで小一時間。
近くにコンビニもありません。
トイレの水が詰まってもすぐにはクラシアンが来てくれないようなところ。
もっとも公道からトイレまで歩けば何十分もかかるし。
不便なところだ。240そのブレナム宮殿で2015年に開催された『Grand Prix Ball』というイベントに出展したMarshall。
デッカ~!
仲良しのスティーヴ・ヒルが製作した。Gpb イヤイヤ、書きたかったのはデカいMarshallのことではない。
チャーチルのこと。
ご存じの通り、サー・ウインストン・チャーチルは「Never give in!(負けるもんか!)」のスローガンの下、名演説でイギリス国民を結束し、頭脳的な戦略と情報戦で第二次世界大戦で連合軍を勝利に導いた名宰相のひとりでしょう?
例のブレッチリーの暗号解読もチャーチルがいなかったら間違いなく実現しなかった。
もし、そうだったとしたら第二次世界大戦はまだ2年は続いていたであろう…と言われている。
他にもロンドンのはずれのコックフォスターズというところに「トレイシー」という極秘設備を作って話術で捕虜に自白させる技術の研究をしていたんだよ。
 
イギリス人と話をしていると、あたかも現役の総理大臣であるかのようにマーガレット・サッチャーの悪口を聞くことが今でもできるけど、サッチャーより時代が古いせいもあってか、今のところチャーチルの悪口は聞いたことがない。
そのチャーチルは大戦終結直前に首相の座をクレメント・アトレーに譲っている。
1945年7月に行われた総選挙でチャーチル率いる保守党が、福祉の充実を訴えるアトレーの労働党に敗れたのだ。
コレ、スゴいと思わない?
イギリスを戦争に勝たせた英雄をいとも簡単に退かせたんだから。
もっとヒドいのは一説によると、保守党の時代がしばらく続いたため、国民がそれに飽きてしまっただけ…っていうんだよね。
チャーチルの評判が悪くなったというワケではゼンゼンなかった。
ま、戦争も2か月ほど前に終わったことだし、国民が求めた変化の矛先が「これからは福祉」ということなんだろうけど、イギリス人のチャメっ気を象徴するような話だと思う。
こんなこと日本だったら絶対にあり得ないでしょう。
こういうところでイギリスの民主主義の成熟を感じるんだよね。
大人と子供だよ。
ま、歴史が違うということもあるけど、国民の政治への関心度合いが比べ物にならないぐらい違う。
日本の今の内閣の支持率はどうなったかな?
 
はい、マーブロには政治の話は持ち込まないようにしているのでチャーチルの話しは終わり。
ロンドンに行く機会があれば、ウェストミンスターにある『チャーチル博物館・内閣戦時執務室(Churchill Museum and Cabinet War Rooms)』に行くことをおススメします。
もうやってないかも知れないけど、入り口で案内をしているおジイさんの古式ゆかしい呼び込みの英語をお聞き逃しなく!
「Roll up, roll up!」とか「Say, say, say!」とかいう類のヤツね。
250シャフツベリー・アヴェニューからチョット入ったところが「Gerrard Street(ジェラード・ストリート)」。
いわゆる「チャイナタウン」。
ココはあんまり変わっている感じがしない。

Simg_0242ゲートをくぐってすぐ左のパン屋(だったかな?)もずっと同じ。
何しろココの地下でレッド・ツェッペリンの4人が初めてリハーサルをしたっていうんだからね。
「ホンマかいな?」感が拭えないのは周囲の中華環境ゆえか?

270v先回、楽器屋街の「デンマーク・ストリート」をご案内したでしょ?
Andy'sという楽器店の親分がこういうことを提案したことがあったそうだ。
「シャフツベリー・アヴェニューの劇場街が『Theatreland』、ジェラード・ストリートの中華街が『China Town』。
それなら楽器屋がズラリと並ぶ我がデンマーク・ストリートに『Music Land』というアダ名を付けて定着させようじゃないか!」
見事失敗。
誰かがデンマーク・ストリートのことを「ミュージックランド」と読んでいるのを聞いたことはただの一度もない。
日本の楽器屋さんならおなじみの名前だけど…。
 
ジェラード通りをずっと行くと…

Simg_0243「Gerrard Place(ジェラード・プレイス)」。S0r4a0163ちょっとした広場になっていて、ココにもローリング・ストーンズが初めてリハーサルをしたパブってのがあった…というか、今でもあるんだろうけど、お店が変わってしまってどこがそれかわからなくなってしまった。
かつては「Ku」というお店だったんだけど…。
やっぱり、街って変わっちゃうとわからないんだよね。
自慢じゃないけど、高校から大学の頃にあんなに通った新宿ロフトの場所が正確にわからなかったんだから。260ピカデリー・サーカス近くの「Savile Row(サヴィル・ロウ)」。
ビスポークの紳士服店がズラリと並ぶ「背広」の語源となった通り。
コレはまた数回後の「The Kinks特集」の時にやるので今日は軽く…。280サヴィル・ロウにあるビートルズの元Apple本社。
コレは2015年のようす。
今は洋服屋になってる。

290vこっちは2019年。
変わったでしょう?
「一体ナニ変わったの?」って感じ?

300vそう、プラークが付けられたのだ!
「1969年1月30日にビートルズがこの建物の屋上で最後の演奏をしました」
いわゆる「ルーフトップ・コンサート」ね。
50年前のロンドンの1月末…映画を観ていると、それほどでもないように見えるけど、寒かったろうナァ~。310v_3場所は替わってソーホーの「Old Compton Street(オールド・コンプトン・ストリート)」。

320vあ、店の看板に「BOULEVARD」って書いてある!
ココ「ブールヴァード・バー&ダイニング・ルーム」っていう名前だったのか!
今、気がついたわ。
でも、ココがどんな場所だったかは知ってる。330その昔、「2i's Coffee Bar」というバーというか、日本風に言えば「ライブハウス」で、ロンドンの、すなわちイギリスのスキッフルやロックロール・ブームのメッカだった。
言い換えれば「ブリティッシュ・ロック発祥の地」みたいなモノ。
この店で発掘されたアーティストがゴマンといるんだから…クリフ・リチャード、ハンク・マーヴィン、スクリーミング・ロード・サッチ、トニー・シェリダン、アルヴィン・リー、リッチー・ブラックモア、ミッキー・モスト、ビッグ・ジム・サリヴァン等々がそれとされている。
レッド・ツエッペリンのマネージャーとして知られるピーター・グラントは、それ以前にこの店で警備員をしていたという。340vそれが今コレ…去年のようす。
Poppies'sというフィッシュ&チップスのチェーン店になっちゃった。
2016年からだって。
前々回ロンドンに行ったのは2015年だったから知る由もなし。
プラークはそのままだけど…ナンカね~。
列に並んでいる若い人たちは上に挙げたアーティストの名前なんてひとりも知らないだろう。
イギリス人なら「クリフ・リチャード」ぐらいは知ってるか?
でもハンク・マーヴィンはムリだろうナァ。350カムデンで出くわしたPoppiesの宣伝カー。
この時はコレがフィッシュ&チップス屋だとは知らなかった。

S0r4a0016ソーホーに移動しました。
「Soho Sqare(ソーホー・スクエア)」という公園のとなり。
写真右の白い建物は「Dolby(ドルビー)」のイギリス支社。
ドルビーはアメリカ人のレイ・ドルビーがノイズ・リダクションの研究所をロンドンに設立したことから始まった。
だからかどうかは知らないが、世界で最初のドルビー技術を採用して撮られた映画がスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』なんだよ。
関係ないけど、この映画に何度も出てくるロッシーニの「どろぼうかささぎ 序曲」っていい曲だな。
最近、コレのパクリというのか、変奏曲とでもいうのか、ソックリな曲をTVCMかなんかで耳にした。
で、その手前の茶色っぽいビル。
360v「mpl」という看板が付いている。
370_2「mpl」は「McCartney Productions Ltd.」の略。
つまり、ポール・マッカートニーの会社。
1階は何にもないけど、外から2階を覗くとゴールドディスクの額が壁に並べて飾ってあるのが見えて、ポールがいやしないかと何度も行ってみたけど人の姿は一切見たことがない。
「mpl」は1969年に設立され、ビートルズ脱退後のポール自身の作品やバディ・ホリー、カール・パーキンス、フランク・レッサー、ハロルド・アーレンなどの作品の出版権を保有しており、また、数多くの同業者を傘下に収めていることで世界最大の非公開の音楽出版社とされていた。
「Mull of Kintyre」だけで一体いくら稼いだのかね?
この曲ってビートルズの「She Loves You」を抜いてイギリスでのシングル盤の売り上げ最多記録を打ち立てたとかいうんだよね。

380_2他にもアル・ジョルスンが取り上げてヒットした「Rock-a-Bye Your Baby (with a Dixie Melody)」の出版権もmplが持っているというのだから驚きだ。
私はサミー・デイヴィスJr.のレーザー・ディスクでこの名曲を知ったんだけど、ナンだってイギリスの会社が出版権を持ってるんだ?という感じ。
ま、フランク・レッサーやハロルド・アーレンの曲も同じことだけど。
「Blue Suede Shoes」や「That'll Be the Day」もそうなんだって。

Sdj上に「されていた」と書いたのは、もうココ何年かの間、いつ行ってもこうしてカーテンが閉められていて、どうも営業をしている雰囲気ではないのだ。
引っ越したのかな?
それとも廃業したのかな?
変わりゆくな~。385vmplをはさんでドルビーの反対側は『時計じかけのオレンジ』を制作したワーナーのライバル、20世紀フォックス社のロンドン事務所がある。Simg_0687 ところ変わってかつてのモッズのメッカ、カーナビ―・ストリート。
マリー・クアントもココからね。385ココは変わらないな…。

390と思ったらペットショップになっちゃった?!…ナンチャッテ。

400壁に取り付けられたプラーク。

インプレサリオ(興行師)/ドン・アーデンとモッド・バンド "Small Faces(スティーヴ・マリオット、ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガン、そしてジミー・ウィンストン)"らがココで働いていた。
1965-1967年
 
ココにSmall Facesの事務所があったんだね。
モッズの代表的存在なのでプラークが付けられたんでしょう。
410ドン・アーデンのアダ名は「Mr. Big」。
このプラークを見るたびにいつもFreeの曲と関係があるのかどうかが気になるんだけど、どうなんだろう…と、億劫がらずに歌詞を読んでみる。

「降っても晴れても仕事に精を出してんだ。

俺の女をどうこう言うんじゃネェ。
彼女はオレに首ったけ。
だからミスター・ビッグ、気をつけな。
デッカイ落とし穴掘っちゃうぞ。
アンタが誰だか知らねえし、聞きたくもネェ。
トットと消え失せて戻ってくるな。
アンタからは何も欲しくねぇし、何もやらネェ。
オレがキレる前に消え失せろ」

みたいな内容。
クレジットが4人になっているので誰の作詞か、また、浅学にしてアーデンとFreeの間に何がしかの関係があったのかどうかは知らないけど、アーデンがメンバーの彼女にチョッカイ出して起こっている歌だったのかしらん?
 
何しろアーデンは別のアダ名を「Yiddish Godfather(ユダヤのゴッドファザー)」とか「Meyer Lansky of Pop(ポップス界のメイヤー・ランスキー)」って呼ばれていたというんだから物騒な話だ。
ランスキーはかのラッキー・ルチアーノと親交が深かったニューヨークのユダヤ系のギャング。
アーデンのお嬢さんのシャロンは、皆さんもよくご存じの通り、オジー・オズボーンの奥さんだった人。
ジェリー・リー・ルイスもリトル・リチャードも、The MoveもBlack SabbathもELOもそんなコワいオッサンと仕事をしていたんだからスゴイ。
普通のことをしていてはスターになれないってことよ。
ドン・アーデンはバーミンガムの出身だからThe MoveやBlack Sabbathなんだね。FawThe Small Facesといえば『Ogden's Nut Gone Flake』。
そう来りゃ「Lazy Sunday Afternoon」。
スティーヴ・マリオットが思いっきりコックニー訛りで歌っちゃう。
あの「♪アフタヌーン、ナッ」の「ナッ」がタマらん!
歌や音楽を通じてアメリカの英語こそが「英語」だと思っている人が聞いたら「なんじゃコレ?」となること間違いなしの美しい(?)ロンドン英語。
コレが絶対にマネできない。
で、私、この曲で英単語をひとつ覚えました。
「lanbago」というのがそれ。
スティーヴがこう歌う。
 
Go blimey hello Mrs. Jones
How's old Bert's lumago?
(He musun't grumble)
 
いいね~。
「blimey」は「ブライミー」と読んで「ウワ!」とか「スゲエ!」みたいな意味。
ウチの社長が驚いた時、必ずコレを口にする。
ココでは挨拶のリズムみたいなもので多分意味はないでしょう。

 
「おやおや、こんにちはジョーンズさん
バートじいさんの腰の調子はいかが?
(彼は文句ばっかりよ)」
 
ぐらいの意味かな?
この「lumbago」、「ランベイゴウ」と読む。
「ルンベオゴウ」の方が近いかな?
医学用語はラテン語が元になっているモノが多くてすごく難しいよね。
意味は「腰痛」。
私は椎間板ヘルニア持ちなので、一発で覚えた。
ま、普通は「backache」で十分通じるけどね。
コレでイギリスで腰が痛くなっても安心、安心。
でも、どうか海外でこの単語を使うことがありませんように…。
あああああ、ロンドン行きたいな~!
 
名盤の誉れ高い『Ogden's Nut Gone Flake』、正直この「Lazy Sunday Afternoon」ぐらいしか聞かないんだけど、どうしてもこの缶カラの入れ物が欲しくて大分年か前にCDを買い直した。S0r4a0080また脱線。
facebookを眺めていたけど、レッド・ツェッペリンは「天国への階段」の裁判で勝訴したんですってね。
Spiritファンのお気持ちはいかがなモノか?
一方、「胸いっぱいの愛を」で知られる「Whole Lotta Love」。
こっちは負けていたんだね?
なんでココで出てくるのかというと、もちろんThe Small Faces。
デビュー・アルバムに収録されている「You Need Loving」。
もうロバート・プラントがマリオットのモノマネがいかに上手だったかがよくわかる…ほとんど完コピ!
実際によくThe Small Facesをよく観に行っていたとか…。
でもこの曲の元はブルースのヒットメイカー、ウィリー・ディクソンの「You Need Love」。
そしたら最近は「Whole Lotta Love」のクレジットに「Willie Dixon」の名前が入ってるのね!
不勉強ですみません。
 
この3つを聴き比べてみるに…。
①ディクソン⇒The Small Faces ②The Small Faces⇒Led Zeppelin
①の料理の仕方はもちろん最高なんだけど、②の方がスゴイのではないか?なんて思っちゃうのは私が現代っ子だから?
不思議なのは、②みたいなことができるんだったら、パクリではなくてゼロからスゴイものを作ることができそうなもんだけどネェ。
コレをしなかったからアタマがヨカッタんだよね。
人間って、丸っきり新しいモノを受け入れるのがスゴく苦手で、「どこか聞いたことがある」というパクリ・トリックを入れておかないとウケないもんね。

Sf あまり人の口には上らないけど、The Small FacesはThe Whoと並ぶ揺籃期のMarshallを発展させた功労者なんですよ。
下はノッティンガムの「The Dungeon Club」の時のようす。
スティーヴの向こうにAキャビが2つ積み上げられている。
右のロニー・レーンの後ろに見えるのは1965年当時出来立ての100Wモデル、JTM100か?
何しろThe Small FacesとThe Whoは、当時ジム・マーシャルが新しく作ったアンプの取り合いをしていたという。
だから、製品に付いているシリアル・ナンバーが交互に行ったり来たりしていたんだって。
そういう記録がハッキリ残っていればオモシロかったのにね。
それにしても1960年代中頃の出来立ての100WのMarshallと若かりしスティーヴ・マリオットの声のステージってどんなんだったろうか?
  
ちなみにノッティンガムというのはロビン・フッドの故郷。
ココの英語もかなりキツい。
「エイアプミ、ドック!」なんて言われてもモチロン全然わからなかった。
コレは「Ay up mi, duck!」と言っていて、意味は「こんにちは私のアヒルさん」。
要するにただの挨拶。
「duck」というのは親しい相手に愛情を込めて使う表現なのだそうだ。
そもそもコレを聞いた時、「dog」かと思ったからね。
「何でオレは犬なのよ?」と思ったよ。
だからイギリス英語はオモシロい!…苦労続きだけどよ。

Ssf1_2

Ss2f3_2
カーナビー・ストリートの一本裏の通りの「Kingly Street(キングリー・ストリート)」にあったのがコレ。
有名な「Bag O'Nails」というクラブ。4201. ポール・マッカートニーとリンダが出会った店。
2. 1966年11月25日にJimi Hendrix Experienceとして初めて演奏した場所。
そんなスゲエところ。
430v_2コレは2015年のようす。

440vそして、コレは去年に寄った時のようす。
イギリスは藤の花をよく飾るんだよね。

450イヤイヤ、藤なんてどうでもいい。
「Bag O'Nails」なくなっちゃったんだよ!

460この人たち「What a beautiful wisteria!」かなんか言ってるんだろうな…ナニも知らずによ。
藤が見たけりゃ亀戸天神にでも行ってくれ!

470去年のロンドンで一番ショックで悲しかったのがコレ。
そして、「ロック名所」絶滅の危機を一番感じさせられたのもコレ。
2009年はこんな状態だった。
12img_01952014年にはこんなにおめかしをしていた。Simg_02072015年はコレ。

480宿の窓から見えていたのによ~。

Simg_0007 そして、2019年はコレ。
「Earl's Court Exhibition Centre(アールズ・コート・エキシビジョン・センター)」が更地になっちゃった。
初めて見た時はあんなに感動したっていうのによ~!
変わりすぎだろ~。

490アールズ・コート駅からの眺め。

500v今はコレ。
おいおい、丸っきり景色が変わっちまったじゃないの~!
ドンドン変わりゆくな~、ロンドン。

510v変わらないモノもある。
この街中に常備されているレンタル自転車。
向こうの人は「Bris Bike(ボリス・バイク)」って呼んでいる。
この「ボリス」は「ボリス・ジョンソン」のこと。
ボリスがロンドン市長時代に設置した自転車。
そのボリスが今では総理大臣に!
やっぱり変わりゆくわ~。Simg_0329コレは変わらない。
イギリスの朝ごはん。
そろそろ食べたくなってきたゾ。95それと変わらないのはウチの紅茶。
Sainsbury'sのレッド・ラベル。
要するに庶民が飲むスーパーの紅茶。
コレで十分。
おいしいのに信じられないぐらい安い。
なくなるとMarshallの友達にお願いして240個入りのヤツをいくつか送ってもらう。
イギリスの水で飲むと尚一層おいしいんだけどね。 

St_2

さて、いよいよ「変わりゆく」シリーズも終わりに近づいてきた。
ヨカッタね~。
最後はヒースロー空港の第2ターミナル。5152014年に大改装をしてこうなった。

520昔は、最初のセキュリティ・ゲイトでやたらと待たされてイライラすることがよくあったけれど、新しくなって2回、まったく行列がなかった。
コレはありがたい。
しかし、20年近く前はまだ若かったんだね。
日本に帰る便はたいてい夜の7時ぐらいだから、早めに空港に行って、一時預かり所にお金を払って荷物を預けて、またロンドンの中心に戻って、5時頃また空港に戻って来る…なんてことをしていた。
いつもそれほどロンドンが名残り惜しかった。
今も楽にそれができればやってもいいんだけど、もはや空港の様子がスッカリ変わってしまって、荷物の預かり所すらわからなくなっちゃった。
このWH Smithで超大好きなWalkersのポテチを買うのをルーティンとしていたけど、今年に入ってポテチを止めた。
ポテチだけでなく、イモ類の類は全部食べないようにしているの。
ナゼ?
イモ類を食べていると絶対に痩せないんだって。

530いつのまにかWH Smithも自動レジになっちゃった。

540コレは昔のヒースロー空港の待合スペース。
慣れていたせいもあるけど、やっぱりこっちの方がヨカッタな~。
スーザンというハロッズの店員さんを顔見知りになってね。
毎回会うのを楽しみにしていた。

545「ブリティッシュ・エールが飲める最終ポイント!」といううたい文句に誘われて1パイント頂くのも常だった。
実は今もそういう店があるんだけど、Fuller'sの直営店になってしまった。
しかも、Fuller'sはアサヒビールになっちゃったから。
今、一体どうなってるんだろう?
「イングランドで飲む最後のスーパードライ」なんて勘弁してくれよ!550空港にあった自動販売機。
コレも変わらないね~…「はらぺこあおむしくん」。
ナゼか今回の旅で2回お目にかかった。
もう1回はストックポートの図書館だった。

560v最後の最後…実はコレをやりたくてこの最終回を編んだのです。
 
新しくなった待合室へのアプローチ。

570ムービング・ウォークを歩いて行くと右側の壁にこの国の歳時記としていろんな写真が飾ってある。
 
1950年代。
フランク・シナトラ…ナゼかいきなりアメリカ人。
初めてロンドンに来た時かなんかの写真であろうか。
ロックが出てくる前、大衆音楽の王者はジャズだったからね。
シナトラやビング・クロスビーがアイドルだった。
580
調べてみると、やっぱりシナトラが初めてロンドンでコンサートを開いたのは今から70年前の1950年のこと。
会場はウエスト・エンドの「London Palladium(ロンドン・パラディウム)」。
ロンドン・パラディウムはロンドンでも最も重要とされている劇場。
下は2009年の写真。
ウーピーの『Sister Act』のミュージカルがかかっていた。
『天使にラブソングを』なんて題名は恥ずかしいね。
Simg_05061960年になるとスウィンギン・ロンドンに…590ブリティッシュ・インヴェイジョン。
当然ビートルズということになる。
「アメリカ制覇して来ます!」みたいな。

60070年代はデヴィッド・ボウイ。
ね~、デヴィッド・ボウイのイギリスでの威光はスゴイのよ。
日本にいる我々にはコレがわからない。
上っ面しか楽しめないのは仕方のないこと。
61080年代は「Live Aid」だって。
これはボブ・ゲルドフって人だっけ?620チャールズとダイアナが結婚して…

630チョット飛んで2000年代は景色。

6402010年代はオリンピックと…

6502012年のエリザベス女王の在位60周年を祝ったダイアモンド・ジュビリー。
 
ね、時代のシンボリックな出来事としてもう「音楽」は出てこないんだよ。
考えすぎかもしれないけど、世界中で音楽が斜陽化している気がしてならないんですよね。
アッという間に音楽は他の娯楽に駆逐されてしまった。
コレらの壁の写真を見て寂しく思ったね~。
やっぱり音楽をタダ同然にしたのはマズかった。
コロナ禍の今だって、CDやLPが売れていれば、音楽家たちはセッセと曲を作って録音して、そうした商品を販売していればライブハウスが営業できなくてもミュージシャンの生活はビクともしなかったかも知れない。
「イヤイヤ、音楽がタダになったおかげで色んなバンドが出てこれるようになった」…という指摘もあるかも知れない。
でもね、そんな簡単に出て来れるようなバンドが音楽をツマらなくしてしまったのではありませんか?
とにかく「売れているモノが良いモノ」という考えを捨てた上でリスナーがチト勉強しない限り音楽は斜陽の一途をたどるだろう…というのが45年間にわたって結構な時間とお金を費やしてきた私の音楽ビジネスに対する考え。
660しかし、スッカリ様変わりしちゃったな~。
ガラガラだわ。
あ、コレ、去年の写真ですから。
コロナは関係ありません。

670When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford. ー Samuel Johnson
(ロンドンに飽きた時は人生に飽きた時だ。ロンドンには人生が与えるすべてのモノがある ー サミュエルジョンソン=イギリスの文学者)


どんなに変わりゆこうと、まだまだ行きたいロンドン。
またまた感染が広がってしまったもんね。
ボリスの支持率もガクンと下がってしまった。
ココ2、3日のニュースではウエスト・エンドのショウ・ビジネスの復活も先送りせざるを得ないとか。
たまたま上に出てきたノッティンガムの夜の様子がテレビで放映されているのを見たけど、若い連中がワイワイガヤガヤ、マスクもせずに肩を組んで…バカ者!
マスクぐらいしろ!
オマエらがちゃんとしないと、いつまでたってもイギリスに行けないじゃないか!
 
次回からはジミヘン特集。

680<おしまい> 

200



 

2020年10月12日 (月)

【BREAK the CODE】vol.12~田川ヒロアキ

 
『BREAk the CODE』の新作だよ~!

Code_family_2今回は田川ヒロアキの登場!

S0r4a0081ま、ヒロアキくんとは付き合いも長いので、お互いにやりたい放題、言いたい放題の撮影でとても楽しかった。
このシリーズ、誰と撮影に臨んでも最高に楽しいのよ!

S0r4a0012ヒロアキくんはチョット傾向を変えて、音作りというより、自分で作ったお気に入りのサウンドにいろいろな効果を付け足してCODEの機能を紹介しちゃおう!という趣向。

S0r4a0023実際にレコーディングでバンバン使っている実線派ならではのコンテンツ。

S0r4a0053『BREAk the CODE』だけのデモ演奏もお楽しみあれ!

S0r4a0093田川ヒロアキの『BREAK the CODE』はコチラ…
必ず最後まで観てね!


BREAK the CODEシリーズはコチラ⇒Marshall Blog【BREAK the CODE】

Btcさて!
もうひとつ田川ヒロアキの話題。
 
今晩10月12日、20:00~20:30のETV『ハートネットTV B面談義』に出演するよ!

Etv今回は3回目になるのかな?
一番最初の撮影の時にはMarshall Blogで取材をさせて頂いた。
国会議員、都知事、県知事、オリンピック選手、美しい男性陣と共演してもヘッチャラのモノオジしないヒロアキくんのこと、天下のNHKの撮影でも緊張の表情ひとつせずサラリとやってのけた…猛烈カットされたけど、それは尺の問題。
できれば全部放映してもらいたかったぐらい!
 
その時の様子はコチラね⇒田川ヒロアキのB面をチェックしよう!

100もうひとつ…この時、いつもと変わらないことがあった。
それは世間の様子。
番組の収録は今年の3月の20日だったんだけど、世間はほとんどいつもと同じだった。
コロナでもう大騒ぎになってはいたけど、せいぜい入り口で手指を消毒して、一部の人がマスクをつけて…そんな程度だった。
昼時にNHKの食堂に行くと、チョンマゲを結った侍や落ち武者、天使や悪魔…ほぼ満員満席だった。
「密」なんてことは誰も気にしていなかった。
ライブが次々と中止になり、「配信」っていうヤツの機材を買いそろえないとマズイかな?ぐらいのスタンスだったんだよね。
あれから半年チョット。
信じられないぐらい世の中が変わってしまったことに驚きを隠せない反面、その状況にスッカリ慣れてしまったことに驚いてしまう。
こんな状況なので、今回のヒロアキくんも録画出演となった。

121385756_10221096859485266_90012_2 20:00~20:30のETV『ハートネットTV B面談義』
楽しみだ!
 
田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano

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2020年10月 7日 (水)

【追悼】エドワード・ヴァン・ヘイレンのこと

 
我々はよく「三大XXXX」というヤツをよくやるでしょ?
「三大秘湯」とか「三大珍味」とか。
そして、「三大ギタリスト」というと、必ず「クラプトン、ベック、ペイジ」。
誰が言い出したのかは知らないが、その昔「イヤイヤ、どうも本場のイギリスではクリス・スぺディングを入れるらしいゼ」…なんてことを聞いたことがある。
確かにクリス・スぺディングはオッソロしく腕の立つギタリストなので私は異論を唱えないが、少なくともイギリス人がそんなことを言っていたとは信じがたい。
ナゼならあの「三大」は日本人独特のモノで、海外で「Three biggest XXXX」なんてやっているのを聞いたことがないし、ココ20年以上の間にMarshallに勤めているイギリス人が「The three biggest British guitarists are…」なんてことを口にしている現場に立ち会った記憶がない。
ところが、普通の「三大」だけでは飽き足らず、ギター関連の「三大」にはまだネタあって、それは「三大ギター・イノベーター」というヤツ。
「ギター演奏を革新した3人の偉大なギタリストは誰か?」という意味。
もちろん日本人の誰かが考えたんだろうけど、模範解答はこういうことになっていた。
「ザッパ、ホールズワース、ヴァン・ヘイレン」…ホンマかいな?
  
今朝、エドワード・ヴァン・ヘイレンがガンで亡くなったと聞いて驚いた。
一時期、健康を害ていたものの、数年前に復活を成し遂げていたという認識だったので尚更のこと。
65歳はあまりにも若い。
 
Van Halenが出てきた時のことはとてもよく覚えている。
中学校3年の時で、その前年ぐらいからギターを始めていた私は「誰かすごいギタリストはいないかな?」と手当たり次第にロックを聴いていた時分だった。
私だって80年代に入る前は、乾ききったスポンジが猛烈に水を吸収するようにロックを聴き漁っていた。
も~、来る日も来る日も、起きている間中、ロックのことしか考えていない時期がワタシにだってあったのですよ。
そんなある日、石丸電気のレコード・センターの2階のロック売り場が「Van Halen」一色になった(下の写真は現在の姿。石丸電気3号館レコード・センターは2010年に閉店…どころか、石丸電気は2012年にエディオンに吸収されて商標は消滅した)。

Id 「ヴァン・ヘイレン、ヴァン・ヘイレン」……「ココアみたいだな?」とは思ったけど、とてもいい響きだと思った。
その時、東南アジア系の色の浅黒い、自分よりおそらくは3歳ぐらいは幼い男の子が、レジで壁にかかっているVan Halenのデビュー・アルバムを指さして注文をし、ポケットに手を突っ込んで千円札を取り出してカウンターに置いた。
その何枚かの千円札は、伊藤博文か、高杉晋作か、久坂玄端かの見分けがつかないぐらいクシャクシャだった。
イメージとしては『真夜中のカウボーイ』でラッツォ(ダスティン・ホフマン)がタバコの吸い殻と一緒に小銭をポケットから取り出すシーンだ。
どう見ても自分よりはお小遣いをもらっていなさそうだった。
その様子を見て瞬間的にこう思った。
「こんな子が好きな駄菓子を買うのをガマンして貯めたお小遣いで買うレコードなんだから、バンヘーレンというのは相当スゴイに違いない」

でも、私はその後も含めてvan Halenのアルバムを買うことはなかった。
ナゼか?
人気が出たから。 
エドワード・ヴァン・ヘイレンがかけ幕も畏き新しギター・ヒーローとして崇め奉られるまではとにかくアッという間だった印象がある。
その人気者を避ける私のアマノジャク精神とは別にプログレッシブ・ロックへの興味の方が大きかったこともあったかな。
 
でも、1978年の初来日公演には行った。10まだアルバムが1枚しかリリースされておらず、上演時間が短いことから、その頃でもう珍しくなっていた前座が付くことになった。
私が行った東京公演では「レッドショック」というバンドが登場した。
日本もこの「前座制度」を復活させればいいのにナァ。
Marshall Blogに出ているような、ホントにちゃんとしたロックを演っているバンドを出して知らない人たちに紹介してやればいいんだよ。
最もいまや日本のリスナーに対する外タレの影響力がドン底にまで落ちてしまったので、やるとすると日本の人気バンドの前座を欧米のバンドが務めるスタイルの方が自然か…。

201978年…まだ「ロック」が従来の「ロック」の体をなしていたいい時代だった。

30プログラム内に出ている別公演の広告。

Little Featは行った。
人生で印象に残るコンサートのひとつだった。
 
The Bay City Rollersも人気があったネェ。
あんな時代がウソみたいだ…Queen、KISS、The Bay City Rollersが毎日テレビに出ていたんだから。
もちろん私は全く興味がなかったけど。
先日イアン・ミッチェルという元メンバーが亡くなったね。
 
スージー・クアトロは去年、NAMMでのイベントでご一緒させて頂いた。
まさかこのプログラムに出ていた人と同じ現場で仕事をさせてもらえるとは!
まさにWild One!!

50私が行ったのは初日か2日目の新宿厚生年金会館大ホール。
厚生年金もなくなっちゃった。
行かなかったけど、2回目の来日公演は日本武道館だった。
40もう時効だと思うし、門外不出のモノなので書いちゃうけど、当日の公演を録音した。(以前にも書いたか?)
このレーベル。
スコッチのカセットテープの販促品だな。60演奏曲目まで記録してる。
バカが…「Atomic」の「o」が抜けてら!
12曲、しかもVan Halenの曲は短いし、特にインプロヴィゼーションのコーナーもなかったので、相当短い上演時間だった。
「Eruption」で今でいう「ライトハンド」…いや、今は「タッピング」っていうのか。
とにかくあのピロピロのパートで大きな歓声が上がって感動したのをよく覚えている。
おおよそロックなんかに興味のないハズの一緒に行った不良の飯塚くんもそのシーンでは「アレってやり方がが違うんでしょ?やり方が違うんでしょ?」と知性のカケラも感じられない騒ぎ方をしていた。
「やり方」と言ったのをハッキリ覚えている。
そんなことよりナゼ飯塚くんが一緒にコンサートに行ったのかが不思議でならない。
70落語の音源をデジタル化するために買ったラジカセを引っ張り出してきて聴いてみた。
ちょっとヒヤヒヤだったけど何の問題もなく聴くことができた。
どうだったか…まず、メッチャ演奏がうまい!
楽器の演奏は何をかいわんや。
デヴィッド・リー・ロスの歌も完璧だし、マイケル・アンソニーのコーラスは一体どこからあんな声を出してるんだ?
そしてエディ。
もうね、こんな音源でもギターの音が素晴らしいのがよくわかる。
真空管アンプだけが出すことができる音色だ。
パッと聴くと、高崎さんが弾くMarshallの音に共通点があるようなイメージかな?
とにかくカッコいい音。
ちゃんとした真空管のアンプが出すこんなギターの音を聴くことができる時代に生まれたことに感謝する。

80そういえば、大分前の話になるけど、Marshallの世界のディストリビューターが集う会議にまだオランダが出席していた時のこと。
休憩時間にそのオランダの担当者が意気揚々と、そして自慢げに「Eruption」を弾いていた。
その姿を見て、オランダの人にとってエディは国民的なヒーローなんだろうな…と思った。
ジャン・アッカーマンとエドワード・ヴァン・ヘイレンはオランダのギタリストたちにとっては美空ひばりと春日八郎以上の存在に違いない。
それとあのトレード・マークのガラもスゴかったね…白黒のと赤いのと。
「あの白いストラト・モデルに付いている黒い模様はビニール・テープなんだってよ!」と当時のギター小僧の間では話題になったし、ヘッドの「Gibson」のロゴも衝撃だった。
でも、べっ甲アメみたいな仕上げの大きなシグネチャー・モデルは評判が悪かったナァ。
 
こうしてみると、上に書いたように私は他の人が騒いでいるモノに同調することが苦手なので、Van Halenの音楽はファースト・アルバムだけの思い出しかないが、バンド周辺の思い出が残っているのはその影響力によるところだろう。
 
最初に出てきた「三大ギター・イノベーター」ね。
スタイルは異なれど、確固たる共通点がある。
それは音を聞いただけで瞬時にしてその人とわかる独自のギター・トーンを持っているということ。
例えば、ザッパ。
後半はそうでもなかったけど『Hot Rats』だとか『Chunga's Revenge』の頃って誰にもマネできない弾き方で、誰にもマネできないサウンドをクリエイトした。
その結果誰にもマネできない音楽を作った。
「Tarasylvania Boogie」なんてとてもいい例ではなかろうか?

Cr ホールズワースのギター・サウンドについては何も言うことないでしょう。
私も高校の頃、まだ有名になる前は参加している作品を探して、買い漁ってよく聴いた。
時々、このJohn Stevensのアルバムを引っ張り出して聴くんだけど、コレって国内盤が出ていたのね?
私のレコードはオリジナル盤なんだけどね…全く大した自慢ではないが。
やっぱりホールズワースはジャズのフォーマットの方がいいな。
最近気づいたんだけど、例えばこのアルバムのホールズワースのソロを切り取って、ロック系のアルバム、『Bundles』でも『Expresso II』でもなんでもいい…何なら『Tempest』でもいいや、そのソロをボコっとそれらに被せてみたらどうだろう。
まったく何の変化もなく音楽が機能するのではないか?
同じことをインパルス時代のコルトレーンのアルバムでやってもオモシロイだろう。
つまり、この人のギターはロックでもジャズでもなく「100%純粋なホールズワースの音楽」をたまたまギターという楽器を使って表現していたということに他ならない。
恐らくオーネット・コールマンあたりの音楽に注ぎ込んでもオモシロいのではないか?
日本には最後までこういう人は出てこなかったネェ。
Js そして、エドワード・ヴァン・ヘイレン。
まずは稀代の名作に『炎の導火線』などというマヌケな邦題がつけられたことをとても気の毒に思う。
「悪魔のハイウェイ」?「暗闇の爆撃」?「叶わぬ賭け」?
なんじゃらホイ?
レコード会社の担当の方もラジオのこと等、何がしかのバックグラウンドがあって仕方なくそんな曲名を付けたんだろうけど、アンマリではなかろうか。
 
高校1年の時、いくつか年上の人が早速コピーバンドをやっていたけど、その人、このアルバムが出て初めて聴いた時、あまりの衝撃にB面に行く前にA面だけを連続して5回聴いたっていうんだよね。
もうあまりに良すぎてB面に進むことができなかったんだって…そんなバカな。
でもうらやましい。
 
「イノベーターとしてのエドワード・ヴァン・ヘイレン」…当時の様子を実際に体験して思うことは、「エディの前にエディなし。そして、エディの後にエディなし」。
ホントにギターの世界を変えてしまったことは論を俟たないでしょう。
結局、何をしたのかというと永六輔でしょう。
ギターの「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」やって見せてくれたのではなかろうか?
それを実現する極めてクォリティの高い曲があったということも忘れてならない。
コレを考えた時、今のロックって「どうでもいいことを難しく、難しいことを浅く、浅いことをツマらなく」やっているように思えてならない。
ゴメンね、悪口ばかり言って…でも作る方も聴く方もそれに気づいて欲しいんだもん。
 
エドワード・ヴァン・ヘイレンに功罪の「罪」があるとすれば、ロック・ギターの可能性を頂点まで極めたことにより、ロック・ギターが将来的にやるべきことを一気にやり尽くしてしまったことぐらいか?
チャーリー・パーカーやビートルズのようなもんだね。
そのあまりにも魅力的なプレイが凡庸なフォロワーを激増させてしまった結果、ギター・ソロが「金太郎アメ」状態となり、最終的に飽きられてしまい、一般的なロックからギター・ソロを抹殺してしまったことか?
コレは結果論であって、もちろんエディのせいではないんだけどね。
でも、あの「カッコよさをマネするな」という方が無理だろう。
Vhこの3人、みんなMarshallを使っていたんだよね。
改造していようがいまいがそんなことは関係ない。
Marshallという楽器が彼ら「創造へのインスピレーション」を与えていたことが重要なのだ。
そして、みんないなくなっちゃった…。
エディの音楽とMarshallは生き続けます。
 
偉大なるギター・イノベーターのご逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます

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2020年10月 2日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.54~変わりゆくロンドン <その6>デンマーク・ストリート(後編)

 
いよいよ「デンマーク・ストリート」の最終回。
今日は歴史とアートとグロの盛りだくさんでいきまっせ~!
95前回「『名所めぐり』の人気が低い」と書いたところ、「いつも楽しみにしている」と励ましのお便りを頂いた。
うれしいね。
他にも、まず家内でしょ、〇〇さんでしょ、▽△さんでしょ、◇◇さんでしょ…と、サッと数えてみても最低10人ぐらいの方々がいつもご覧頂いていることはわかっているので、その方々にお喜び頂けるだけでも素晴らしいことではないか!
なんて書くとイヤらしいね、ゴメン。
完全に自分のワガママでやっていることにご支援を賜るなんて本当に幸せなことだと思っています。
 
さて、そのお便りを頂い方はFreeの音楽を追求していらっしゃる大のポール・コゾフ・ファン。
だからMarshallの愛好家でいらっしゃる。
FreeとMarshallは近しい関係で、創立40周年の記念パーティの時にはジム宛にポール・ロジャースから祝辞が届いていたし、50周年記念コンサートではアンディ・フレイザーも出演した。
私は知らなかったんだが、アンディの甥っ子がMarshallの工場に勤めているそうだ。
さて、その方からポール・コゾフがかつて「Selmer's」という楽器店に勤めていた…という情報を頂戴して私の好奇心が爆発してしまった!
 
元々「Selmer's」というお店があったことは知っていた。
下のジム・マーシャルの伝記本に登場するのね。
この本は何回も読んだ。
海外の本を原文で複数回読破したのは、卒論のテーマに選んで泣く泣く読んだJ.D.サリンジャーの『The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)』と、この『Jim Marshall:THE FATHER OF LOUD』、そしてあのMichael Doyle著の『The History of Marshall』ぐらいのモノよ。
一時期、Marshallに行くたびにジムがサインを入れてお土産に持たせてくれたもんだからウチにはこの本が4、5冊あるの。
ということで、Selmer'sがこの本にどんな具合に出て来るかを先にやっておくと…。
Fol場所はデンマーク・ストリートから遠く離れた地下鉄ピカデリー線のターミナル駅「Uxbridge(アクスブリッジ)」。
ココからは歩いていける距離ではないんだけど…

11_img_0463モンティ・パイソンにも出て来る「アクスブリッジ・ロード」の「76」番というところにジム・マーシャルの最初の楽器店があった。
下の写真の床屋のところね。
まだアンプを作る以前のこと、ロンドンの楽器店と異なる家庭的な雰囲気を持っていたジムの店は大層繁盛していて、「Selmer's」はギターやアンプの仕入れ先のひとつだった。
ある日、ジムは当時の金額で12,000ポンドほどのオーダーをSelmer'sにした。
1960年頃の12,000ポンドというと、それがどれぐらいの額かサッパリわからないんだけど、強引に割り出してみると…1967年までは固定相場制で1ポンドが1,008円だった。
だから12,000ポンドは当時の金額で約1200万円。
現在のイギリスの消費者物価指数はこの頃に比べて4~5倍になっているので、当時の「12,000ポンド」は5,000万円ほどになる。
この計算ではいくらなんでも高額すぎるような感じはするけど、尋常ではない額に店の番頭さんはビビってしまい、「チョ、チョット社長を呼んで来ます」なんてことになった。
やはり、Selmer'sの社長ベン・デイヴィスもこの額に驚き、ジムのことが信用できなかった。
そこで、「わかった、わかった。ところでマーシャルくん…こんなにたくさん仕入れたところで、オタクのお店に商品を陳列するスペースなんかあるのですかい?」とデイヴィスに訊かれ、ジムはこう答えた。
「フォッフォッフォッ、もうそのほとんどが売約済なんじゃよ」
それでもジムのことが信用できなかったデイヴィス社長は、分割で毎月1,000ポンド分の取引をすることを提案して手を打った。
ところが、ジムは翌月に額面11,000ポンドの小切手を振り出して一気に支払ってしまった。
デイヴィス社長は大層驚き、ヒックリ返ってジムにこう尋ねた。
「一体ナニをやったらそんなに楽器が売れるんですか?」
ジムの答えはこうだった。
「新しいタイプの音楽じゃよ…フォッフォッフォッ、『ロックンロール』というモノじゃ」
カッコいい~!
ま、この頃のはジムはまだ30歳台だったので「…じゃよ」とかは言わなかったろうけど、「フォッフォッフォッ」はよくやってた。

11_img_8108場面は変わってロンドン、ウエストエンド。
<前編>でチョット触れた今は無きこの「turnkey」というお店。
かつては防音室が2階にあってMarshallが比較的ズラリとそこに展示されていた。
ロケーションとしてはデンマーク・ストリートではなくて、チャリング・クロス・ロード沿いなので前回はチラっとしか触れなかった。
11_img_0343現在は「CHIPOTLE(チポトレ)」というメキシコ料理のチェーン店になっちゃった。
かつて「Selmer's」はココにあった。

11_ch「Selmer(セルマー)」といえば、サキソフォン。
1885年にフランスのアンリ・セルマーがクラリネットのリードとマウスピースを作り始めたのが事の起こり。
その後、クラリネット本体の製造を始め、弟のアレクサンドラが兄が作った楽器をアメリカで紹介すると大当たり。
その後サキソフォンの製造に乗り出し大成功を収めた。
サックスのギブソンかフェンダーだわね。
ギター・アンプで言えばMarshallだ。
「60年代のアメリカン・セルマー」が59年のレスポールみたいなモノらしい。
木で出来ているギターと異なり、サキソフォンは金属でできいるのでいくらでもその時代と同等の楽器が作れそうなモノだけど、現在のいかなるテクノロジーをもってしても再現は不可能なのだそうだ。
サキソフォンはご存知の通り真鍮で出来ているんだけど、今と昔とでは、その原材料となる銅とか亜鉛のクォリティ自体が違うんだろうね。
それと、その時代にあった空気かな?
音楽と同じよ。
昔のロックがカッコいいのは、ロックがカッコよかった時代の空気が閉じ込められているからなんだよ。

Ss 

セルマー社はサキソフォンやクラリネットだけでなく、マリオ・マキャフェリがデザインしたギターをジャンゴ・ラインハルトが使用したことにより、その方面でも大きな名声を得た。

11_mcf1928年、上のジムのところに出て来たベン・デイヴィスがアンリ・セルマーに商談を持ちかけ、イギリスで「Selmer Company」を設立した。
それが「Selmer's」。
1928年と言えば昭和3年だからね、古い話ヨ。
Selmer'sはアメリカからアンプを輸入し、イギリスで初めてアンプの類の商品を販売する会社となったが、1935年になると「Selmer」のブランドを冠して自分でアンプを製造し始めた。
そして、Selmer'sは第二次世界大戦の頃にはイギリスで最も大きな楽器商となった。
だからジムがベンと商売をしていた1960年代の初頭、まだSelmer'sは相当力を持っていたんだろうね。
下はSelmer'sの2代目店。
さっきのメキシコ料理店にも残っているように、入り口の2本の柱が目印だった。
Slココはスゴイよ。
ビートルズ、シャドウズ、The Who、The Tremeloes、ボブ・ディラン&The Band、グラハム・ボンド、Procol Harum、Pink FloydにThe Kinks…他に当時活躍していたミュージシャンがワンサカこの店に通っていた。
そりゃそうだ、他にはほとんど店がなかったんだもん。
Pink Floydなんかココへ寄って買い物をしてからチョット先のトッテナム・コート・ロードの「UFO Club」に出ていた…なんてことを想像すると楽しい。
下は、その「UFO Club(ユーフォ―・クラブ)」があったところ。
この辺りは「Fitzrovia(フィッツロヴィア)」という行政区になる。
ココもすごくいいエリアだ。
「UFO Club」は、かつてはPink Floydのホームで、彼らがビッグになってココを卒業して、後を引き継いだのがSoft Machineだった。
東京でいうと吉祥寺のシルバー・エレファントみたいな感じか。11_img_9555ジミー・ペイジとアルバート・リーってのは仲良しだったんだってね。
しょっちゅう2人でチャリング・クロスの楽器屋回りをしていたらしい。
ペイジはSelmer'sで初めてのレスポールとダンエレクトロを買ったんだって。
そして、レスポールとSuproの組み合わせはアルバート・リーのマネッコだったとか。
この2人、時期は違えどNeil Christian&The Crusadersというバンドにいたそうで…どんなもんかと思って聴いてみたら、アータ、The Kinksの「Dedicated Follower of Fashion」を取り上げているじゃないの!
かなり驚いたワイ。
レスポール・カスタムにSelmerアンプとジミー・ペイジ。
コレお店で撮影したのかしらん?
「買っちゃいました~!」みたいな。

11_js エリック・クラプトンはアクスブリッジのジムの店によく来ていたことが知られているけど、もちろん、チャリング・クロスのチェックも怠らなかった。
特にSelmer'sには頻繁に訪れていたらしい。
1965年、『Beano』アルバムで使ったレスポールはSelmer'sで買ったそうです。
アンプはご存知の通りMarshall 1962。
ローズ・モーリスがつけた「1962」というモデルナンバーに「Bluesbreaker」というアダ名がつけられたのはココから。
クラプトンは当時Selmer'sの店員だったジェリー・ドナヒューからES-335も買っているそうだ。
その時から1~2週間後にCreamのさよならコンサートを観にロイヤル・アルバート・ホールに行ったジェリーは、自分が売ったギターがそこで使われているのを目撃した。
うれしかっただろうな。
Benoちなみにジェリー・ドナヒューはスゴイよ。
私はカントリーがニガテで、Fairport ConventionとかPentangleとかのようなブリティッシュ・トラッド・フォークもどうしても受け付けることができない。
でも、教則ビデオの仕事をしていたのでジェリーのことは知っていた。
こういうヤツね。
なつかしいな、ロジャー・ハッチンソン。11_jd それで、2004年にウェンブリーで『London Guitar Show』が開催された時のこと。
名前は出さないけど、なかなかに貧相なブースでカントリー系のものスゴいギターを弾いている人がいた。
2弦をウネウネとベンドしまくって、もうナニをやっているのかサッパリわからなかった。
ところが、その人が誰だかわからなくて、「ただ今デモ中」の看板を見てビックリ。
ジェリー・ドナヒューだった。
まぁ、このベンド・テクニック…正真正銘の「超絶」。
楽器というモノはナニも速弾きだけが「超絶技巧」ではない。
この人、イギリス人かと思っていたらニューヨークの生まれなんだってね~。
しかも、ジェリー・マッギーにギターを教わっていたことがあるとか…。
カントリー・ギターのテクニックを引っ提げて、ニューヨークからロンドンに渡って来てSelmer'sでアルバイトしていたんだネェ。
それで、クラプトンにギターを売って…。
一時、身体がかなりヤバイと報じられていたけど、最近は大丈夫なのかしらん?

11_0r4a0020_2 ジェフ・ベックも1966年に最初のレスポールをSelmer'sで買った。
クラプトンの『Beano』アルバムの影響とか…。
また、ジミー・ペイジのカスタムの音を聴いて、自分のバンドにも分厚いギターの音を持ち込みたいと思ったんだって。
ジェフの記憶によれば'59年製で175ポンドだったそうだ。
1959年製のレスポールが175ポンド?…いくらよ。
また例の為替の固定相場を適用すると、当時の値段で176,400円。
今と変わらないじゃん!
消費者物価が5倍になっているとすれば、今買えば882,000円。
高いな。
イヤ、この値段ならどんなムリをしてでも買うか?
だって'59年製のレスポール・スタンダードの相場って今いくらよ?
この辺りはヘタなことを書くとマニアの皆さんから怒られそうなので、インターネットに実際に出ていた値段だけで言えば…2,000万円台。
ジェフはこのSelmer'sで買ったレスポールで『Truth』を録音したのかな?
あ、コレもアンプはMarshallだわ。
悪いね、Seilmerアンプさん。
音楽のトレンドが変わるタイミングだったのよ。
コレをもってしてもギターの音はアンプが作っていることが窺われる。

11_tt 次、スティーヴ・ハウいってみよう!
あのトレードマークのES-175Dも1964年にSelmer'sが販売した。
スティーヴによれば、Selmer'sはギブソンの在庫が豊富で、何でも気軽に弾かせてくれたそうだ。
やっぱりよくアルバート・リーが来ていて、スティーヴのことを「Face」って呼んだらしい。
ナンで、「顔」?
私はロンドンの野外フェスの楽屋で一度だけスティーヴ・ハウに会ったことがあるんだけど、「一体どこの痩せたおジイさんだろう?」という感じだった。
確かにいつも写真で見ている通り、お顔のインパクトはなかなかのモノだった。
175はこういうヤツね。
私も持っているけど、ギブソンのフルアコ・ラインの廉価版。175ミック・テイラー、ピーター・グリーンもSelmer'sでレスポールを買っている。
 
従業員もスゴかった。
ポール・コゾフ、ジョン・マクラフリン、ジェリー・ドナヒュー等々。
楽器屋の店員がジョン・マクラフリンってスゴすぎない?
「ナニかお探しですか?」と訊かれたら思わず「ひ、ひ、ひ、『火の鳥』一羽ください」とか言っちゃうそうだ。
ちなみにジム・マーシャルはギターやアンプの他にPremierのドラムスを大量にSelmer'sから仕入れていた。
ジムはPremierドラムスの第1号エンドーサーで、ドラム教室の生徒さんにガンガンPremierドラムスを販売しちゃったんだね。

11_jim さて、イギリスのギター・アンプ・マーケットは、1960年代に入るまで、すなわち1962年にMarshallが出現するまでほぼSelmerとVOXの寡占状態だった。
もちろんみんなFenderが欲しかったんだけど、舶来品で高くて買えなかった。
他の記事にも書いたけど、イギリスは戦勝国でありながら、終戦から9年も経った1954年まで配給制度が続いた国だからね。
庶民の暮らしはかなりつつましかった。
最近知ったんだけど、「イギリスの食事がズイマ」というのは、産業革命のせいだけでなく、ドイツ軍のカール・デーニッツのせいもあったらしい。
この話はまた別の機会に…。
 
もう1軒、チャリング・クロスで寄り道ね。
Selmer'sのあった場所から少し通りを下った「100 Charing Cross Road」という住所にかつて「Jennings(ジェニングス)」という楽器屋があった。
その向かいにあるのが元Marqueeの第3号店だった「The Montagu Pyke」。
11_0r4a0177第二次世界大戦の後、トマス・ウォルター・ジェニングスがケントのダートフォードにオルガンを製造する会社を設立した。
ダートフォードはミックジャガーとキースリチャーズが出会い、The Rolling Stones発祥の地とされているところね。
UNIVOXはジェニングスのブランド。
そして、1956年にディック・デニーというエンジニアがギター・アンプのプロトタイプをジェニングスに見せた。
それから2年後にそのプロトタイプを商品化したのがVOXのAC15だ。
そのジェニングスのロンドンの楽器店が下の写真のお店。
つまりVOXのロンドンの本拠地だね。
Jn下はSelmer'sの数軒先の「Macari's(マカーリズ)」。
「VOX Main Dealers」なんて金看板を掲げている。
創設者のラリー・マカーリはかつてJenningsのお店に勤めていて、多分一種の「のれん分け」みたいな恰好だったんでしょうね。
「Macari's」をそのままVOXのショウルーム的店舗にした。
この時代、デンマーク・ストリートには例の音楽出版社とリハーサルスタジオがあるだけで、まだ楽器店はチャリング・クロス・ロードに集中していた。
 
こうしてみると、ナゼMarshallがローズ・モーリスと契約を交わして、販売の全権を渡したのかがわかるような気がするな。
Selmer、VOXより後発のMarshallは、ギター・アンプのマーケットに食い込むために、ロンドンで幅を利かせている販売会社と組む必要があったに違いない。
Mcナンダカンダで何回もMarshall Blogに登場しているMacari'sはTone Benderを開発したSola Soundという会社の兄弟会社。
だから店内には「Colorsound」のペダルがゾロリと並んでいた。

11_img_0344何度も使っているこの写真、チャリング・クロスの94番地にあった頃のようす。

11_img_0345_2このMacari'sがいつの頃からか、デンマーク・ストリートの真ん中あたりに引っ越していた。11_img_0232最近知ってチョットしたショックを受けたんだけど、この1958年からここウエストエンド地区で営業して来た老舗が最近店をたたんだというのだ。
正確に言うと、ロンドンの中心地から撤退してエセックス(ロンドンの北東)に移ったっていうんだよね。
何度も書くけど、Macari'sはかつてMarshallに勤めていた親友が若い頃にアルバイトをしていたということもあって、勝手に身近に感じていた。
そんなお店だけに、この話を聞いた時はナントも複雑な気分になってしまった。
変わりゆくな~…しかも、寂しい方に。
96fvナンカも~、順番がバラバラでスミマセン。
またデンマーク・ストリートの入り口に戻ってもらいます。
下は去年の光景。
11_0r4a0184コレは10年近く前かな?
何かパット見ても昔の方が賑やかな感じがするでしょ?
ナニ?大して変わらない?
じゃ、ズットさびれてるということか。
104また去年の様子に戻って…。
通りの入り口のこの角ッコのお店。
1980年代、ココには「Job Centre」と呼ばれる公共の職業安定所があった。
ココに勤めていた男がスコットランド出身のデニス・ニルセン。
愛称は「Des」。
「デニス・ニルセン」…この名前に聞き覚えがありますか?
普通はないよね。
同じことをイギリスのMarshall Recordsの若い2人に尋ねてみた。
2人とも「デニス…?」、「ニルセン…?」と全くピンと来ていなかったので、こう問い直してみた。
「じゃ『Muswell Hill Murderer』は知ってる?」
2人とも「ああ~、知ってる~!」
若いシャーロットは「知ってるも何も、事件が起こったのはウチのすぐ近くだったのよ!」なんて言っていた。
通称「Muswell Hill Murderer(マズウェルヒルの殺人鬼)」、それが「デニス・ニルセン」。

11_0r4a0189アリス・クーパーに「I Love the Dead」って曲があるでしょ?
「♪冷たくなる前の死体が大好きなのさ  青ざめていく肌にそそられる」ってヤツ。
デニス・ニルセンがコレだった。
いわゆる「ネクロフィリア(necrophilia)=死体愛好」。
あるいは精神医学的に言うと「死姦症」というらしい。Bdbニルセンは同性愛者で、盛り場で知り合った若い男性を家に連れ込んでは首を絞めて殺し、死体と一緒にテレビを見たり、添い寝をしてハッピーな時間を過ごした。
被害者の数は5年の間に15、16人にのぼったとされているが、今もって正確な数はわかっていないらしい。
5年もの間よく捕まらなかったと不思議に思ってしまうが、ホームレスに近いような連中や明日の行方も知れないバンクパッカーなどを狙ったため、捜索願いが出されず足がつきにくかった。
中には標的となった日本人もいたが、犠牲には至らなかったという。
昔、死体を硫酸で溶かして下水に流しちゃう…なんて実際にあった犯罪を描いたロミー・シュナイダーの『地獄の貴婦人』というフランス映画があった。
ちなみにこの映画の音楽は皆さんお好きのエンニオ・モリコーネだよ。

11_jk_2 このニルセンのソレは『地獄の貴婦人』に勝るとも劣らない。
肉屋に勤めてあったこともあって、死体をさばくテクを身に付けていて、腐乱してどうにもならなくなった死体を粉々にして庭で焼いて処分した。
死体を処分できる庭があるから殺人を繰り返してしまう…ということで、庭のない家に引っ越した。
そもそも、この思考からしておかしい。
その引っ越した先がThe Kinksの地元、マズウェル・ヒル。
Marshall Blogでも特集した閑静な住宅街だ。
ニルセンはそこでもやはり同じことをしてしまう。
今度は死体を燃やすスペースがないので、どうしたかというと死体を切り刻み、鍋で煮て肉を柔らかくしてそぎ落とし、下水に流したっていうんだよ。
頭蓋骨を煮た鍋を上の勤め先に持って来たこともあったとか…。
私の英文の読み違いがなければ、その頭蓋骨はクリスマスのプレゼント用だったっていうんだけど、どうするつもりだったんだろう?
そんなことをしているもんだから、いい加減下水が詰まってしまい、悪臭もヒドかったため近所の人がガマンしきれず下水道の業者を呼んだ。
業者が下水の中を調査したところ、あまりの悪臭に気を失いそうになってしまったという。
その原因を調べたらアータ、人肉が下水道の中にベッタリくっついていたそうな。
小さな骨も転がっていたらしい。
「な~んだ、人肉のせいで流れが悪かったのか~。こりゃクサイわけだわ」と、収まるワケはなく、ニルセンはコレで御用。
そして、マズウェル・ヒルで捕まったので、通称が「マズウェルヒルの殺人鬼」となった。
 
私はそうしたグロ系の趣味を持ち合わせていないので、ココにはこれ以上書かないが、ニルセンが何をしたのかをもっと詳しく記したサイトがいくらでもあるので、変わった趣味をお持ちの方は調べてみるといい。
この記事を書くために一応私もいくつか目を通したが、気分が悪くなったワイ。
特に死体を愛でるシーンね。
…という英国史上最悪の連続殺人事件が「マズウェルヒルの殺人鬼(Muswell Hill Murderer)」。
 
私もこんな事件は以前から知っていたワケではなくて、今回デンマーク・ストリートのことを調べていて初めて知った。
そもそも知っていたら去年マズウェルヒルに行った時、この事件現場を見にいってるわ。
 
そして、この話はココで終わるハズだったのよ。
ところが!
驚いたぜ~。
このデニス・ニルセンの事件がテレビ・ドラマ化されて、先月放映されたっていうんだよ~!
この記事を書き始めてからひと月近くかかっているからね。
タイトルはドンズバの『DES』。
制作はBBCと並んでドラマ作りに定評があるITV。

Des主演したのはシェイクスピア俳優のデヴィッド・テナントという人。
ニルセンと同じスコットランド出身…どころじゃない!
もうホンモノにソックリじゃん?
早速Marshallの仲良しにドラマを観たかどうか尋ねてみた。
そしたら答えは「Yes」。
重厚ですごくヨカッタって。
11_tennant私は日本のテレビドラマって、子供の頃から「絶対」と言ってもいいぐらい観ることはないんだけど、海外のは別。
イヤ、『池中玄太』の最初の頃と『ナースのお仕事』は観たか…。
海外のTVドラマといえば…例のThe Allman Brothers Bandの地元、アラバマはメイコンで起こった「タスキギー梅毒実験事件」を題材にした『Miss Ever's Boys』というのもなかなかヨカッタ。
Amazon Primeで観たんだけど、吹替え版なのが「タマに大キズ」だった。Meb それにしても観たいな~、『DES』。
YouTubeに予告編が上がっていたのでご参考に…。
コレを見たらよけいに作品を観たくなった。
やっぱりドラマは「ハンザワ」より「ハンザイ」だな。

しからば、本は?
ブライアン・マスターズという人が書いた『死体と暮らすひとりの部屋』というのがそれ。
ドラマの原作にもなっている。
またしてもどうしようもなくセンスのない邦題をつけるナァ…コレじゃ地方から東京に出て来て一人暮らしをする学生さんのための住まいのガイドブックみたいじゃないか。
原題は『Killing for Company: The Case of Dennis Nilsen』という。
Amazonで買って読もうかと思ったけど、高いし、400ページもあるのでヤメた。
とにかくテレビ・ドラマが観れるようになるのを待つことにする。
しかし、日本でもつい最近ドラマではない同じようなことがあったもんね。
座間で8人の若い女の子と1人の男性が殺された事件。
数日前から公判が始まったけど、犯人は反省の色がまったくなく、後悔していることといえば、自分のミスで足がついてしまったことだけ、だとか。
ヒデエ話しだよ。Photo チャリング・クロスから入ってチョット行った右側にある「music room」というお店。
コレは鍵盤とアクセサリーのお店。

110コレは通りの左側、デニスが勤めていた元職安の隣の隣にあるもうひとつの「music room」。
こっちは楽譜屋さん。
ナニかFrank Zappaのいい楽譜がないかと何回か入ったことがあるけど、買い物をしたことは残念ながら一度もない。
「music room」の下の赤い「ARGEN〇S」サインに注目。
〇の部分を埋めると「ARGENT'S」となる。
そう、この楽譜屋さん、Rod Argent(ロッド・アージェント)のお店なのだ。130ロッド・アージェントは「The Zombies」のオリジナル・メンバー。
「Time of the Season(ふたりのシーズン)」はおなじみでしょう。
他にサンタナで有名な「She's not There」もアージェントの作品。
カーナビーツの「♪好きさ、好きさ、オマエのすべ~て~」もThe Zombiesの曲。
1968年の『Odessey and Oracle』はロック史に残る名盤とされているけど、私はあんまりピンと来なかったナァ…という印象だった。
でも、聴き直してみると…いいね。
The Zombiesといえばコリン・ブランストーンなんかも有名だよね。
私は断然ロッド・アージェント。
ちなみにロッドはリック・ウェイクマンが抜けた後のYesに誘われたことがあったらしい。
歌もキーボードもうまいし、作曲能力に優れているからね…かどうかは知らない。
でも、The Zombies時代の「The Way I Feel Inside」なんて殺人的にいい曲だもんね~。
やっぱり「人の心を揺さぶるのはクロマチックである」という持論は間違いではないと思っている。
Or私はロッドがThe Zombiesの後に結成した、その名もズバリのArgentが好きなのね。
というか、高校生の時にRuss Ballardをよく聴いていたのだ。
2010年にArgentをロンドンで観る機会があってね、ラス・バラードがJMP期の1959を使っているのを目にしてうれしかった。
もちろんこの『All Together Now』収録の大ヒット曲「Hold Your Head Up」は大ウケだった。
Id_2Rainbowで知られる「Since You've Been Gone」も「I Surrender」もラス・バラードの作品だからね。
Three Dong Nightの「Liar」もラスの作曲でArgentでも演ってる。
で、その2010年のロンドンのライブの時、ある曲で会場にいたオジサン&オバサンがひとり残らず大合唱したのには驚いた。
それは下のArgentの『In Deep』に入っている「God Gave Rock'n'Roll to You」。
KISSがカバーして有名になったらしいんだけど、コレもラスの作曲だ。
この『In Deep』、ジャケットのデザインはヒプノシス。

Id_1ヒプノシスが出たところで…。
 
コレは去年の6月のようす。
通りの中間部あたりの右側で盛んに外装の工事をしていた。
なんか、デンマーク・ストリートがどういう所であるかを無視しているかのような遠慮のない養生シートの巨大な壁よ。

145その下で懸命に営業してるのよ、楽器屋さんたちが!

170コレは法律で定められているんだろうか?
現場の作業員さんたちはひとり残らず黄色い上着を着ている。
いや、考えてみると、お巡りさんもこういうのを着ているな。
調べてみると、コレは「Safty Waistcoat」というモノらしい。
いいね、「waistcoat」なんざ…イギリス英語ですな。
アメリカ英語でいうところの「vest」。
「waistcoat」の方が風情があって断然理知的に聞こえる。
ま、私もたぶんイザとなると「vest」って言っちゃうだろうけど。

180その工事現場の向かい。190壁に付いているプラークは「Augustus Siebe(オーギュスタス・シーべ)」という19世紀に潜水の機材の開発をした人。

200このヘルメットをかぶるタイプの潜水服はシーべが開発した。
下は10ccの『Deceptive Bends』。
このタイトルの解説はいつかどこかでしたことがある。
ジャケットのデザインは「Hipgnosis(ヒプノシス)」。
この「名所めぐり」をやっていて、「そういえばヒプノシスってロンドンのどこにあったんだろう?」と思うことが過去に何度かあった。

Dbそのヒプノシスの事務所が入っていたのがそのビルなのだ!
言い換えると、このビルにかつてヒプノシスの事務所があったのだ!

210今は誰でも「ヒプノシス」の名前を口にするけど、昔はシッカリと自力でロックを探求している人以外にはなじみのない名前だった。
1978年、高校1年年の時にナニかで下の本が上梓されたことを知って、ワザワザ取り扱っている青山の輸入書籍店まで買いに出かけた。
ウドー音楽事務所さんの昔の事務所ののチョット先だったような気がする。
 
ストーム・ソーガソンやオウブリー・パウエルのことを知っているというMarshall Recordsのヘッドにヒプノシスの事務所のことを訊いてみても「何か所かあったハズだ」ぐらいの返事で確固たる情報がなかった。
そして昨年、渡英する前にダメ元でこの本を開いてみたところ…「6 Denmark Street」という住所の表記を発見したのだ。

11_hp私がビルの写真を撮っていると、Safty Waistcoatを身にまとった工事の人たちが何人か寄って来た。
「おおい、一体ナニを撮ってるんだい」
「この向かいのビルだよ」
「なんだってこんなビルを撮っているんだい?」
「かつてヒプノシスの事務所がココにあったんだ」
「ヒプノシス~?」
「そう。ロックのレコードのジャケットのデザイナーだよ。ピンク・フロイドのプリズムのヤツとか知らない?『The Dark Side of the Moon』…」
「おおおおお!もちろん知ってるさ!へ~、ココにね~」
ってな会話をするとサッサと持ち場に帰って行った。
知ってはいるけど、興味なし…ってとこか?
でも、日本の工事現場よりは間違いなく「知っている人率」は高いだろう。2201992年には最後の大手の音楽出版社「Peer Music」がデンマーク・ストリートを離れ、この通りは完全に楽器屋街となった。
11_img_0339それではデンマーク・ストリートに最初に開いた楽器店はどこか?
調べてみると諸説あるようだが、「Musical Exchange」というギター・ショップが最初らしい。
場所は上に出て来た工事中のところ。144オープンは1965年の初頭。
チャリング・クロスにあった楽器店の開店は古いけど、デンマーク・ストリートのお店は、実はそうでもないのだ。
例のラリーとジョーのマカーリ兄弟が開いた。
この店の裏でセッセと「Tone Bender」を作っていたそうだ。
アクスブリッジのジムのお店と同じ。
みんな同じことをしていたんだね。11_0r4a0210そして、2番目に古い店はどこかいな?
 
それは1969年オープンの「Top Gear」という店らしい。
こっちを「デンマーク・ストリート初の楽器店」としている記述も見かけたが、マァどっちでもいいわ。
このTop Gearは中古品を扱っていた。
当時はビンテージ・ギターのコレクターなんて存在しておらず、買い取ったギターを右から左へと売りさばいて、かなり分のいい商売を展開していた。
そうだよね、多分、「ビンテージ、ビンテージ」と騒ぐようになったのは1970年代の中頃ぐらいからじゃないかしら?
当時は「オールド」という呼び名で、中学生だった私は「なんでそんな古くて汚いギターがもてはやされるんだろう?」と不思議に思ったモノである。
 
下がTop Gearがあった場所の現在のようす。
入り口のところにある「WUNJO」がココにもある。
私が最初にココに来た時には、この楽器屋はなかった。
多分、違う名前で営業していたのであろう。
というのは、ココでの商売にはチョットしたカラクリがあるようでね。
それはもうチョット後でお話しします。
 
で、Top Gearも当時の他の楽器店同様、当時のギタリストたちのたまり場になっていたようで、常連さんの名前を見てみると、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、ピート・タウンゼンド、バーニー・マースデン、ミック・ラルフス、The Spooky Toothのルーサー・グロヴナー等々…しょっちゅう来ていたらしい。
ハンク・マーヴィンも常連のひとりだったが、ナニひとつ買い物をしたことがなかったそうだ。
 
ジミー・ペイジとクリス・スぺディングはレスポール・カスタム、Procol Harumの『Grand Hotel』の頃のギターのミック・グラハムは'59年のレスポ―ル・スタンダードを、マーク・ボランはレスポール・カスタム、フライングV、白のストラトを、キース・リチャーズはレゾネイターやリッケンバッカーやレスポール・カスタムをTop Gearで手に入れた。
225下のライブ盤のジャケットに写っているボブ・マーリーのレスポール・スペシャルもTop Gearが販売したそうだよ。
私はレゲエってカラっきしダメなんだけど、ロンドンを歩いているとボブ・マーリーの影響力が当時いかに凄まじかったかを感じるんだよね。
間違いなくひとつの音楽文化を確立させたワケでしょ?

Bmレゲエを全く聴かない私でもさすがにこのライブ盤は聴いてるのよ。
コレってウォータールー・ブリッジのこっちにある「Leyceum Theatre(レイセウム劇場)」で録音してるんだよね。
Led Zeppelin、Queen、Pink Floyd、The Who、ELP…み~んなココで演奏している。
Geneisは『Duke』の時にココでビデオを撮っていて、今はYouTubeで観ることができる。
 
そんなTop Gearだったが、1978年に廃業してしまった。

11_img_0476そろそろデンマーク・ストリートも終点に近くなって来た!
皆さん、もうチョットの辛抱ですよ!
 
チャリング・クロスの方から入ってズット行った左側に「Hank's」という店がある。
この「Hank」はハンク・ウィリアムスだろうね。
アコギの店だから。11_0r4a0660 風情があっていかにも昔からある感じでしょう?
エアコンがなくてね、夏になると汗ダクになってお客さんがギターを試している。
下はHank'sで掘り出し物を探すD_Driveの3人。

11_0r4a0654 私が初めて来た時には違う場所にあった。
ね、同じ「Hank's」でも全然違うでしょ?
コレ、おかしいと思わない?
同じ店が何軒もアッチへ行ったりコッチへ来たり…その理由は後でわかる。

96c 写真の左側、看板の「27」の下。
空き段ボールが置いてあって、お店の通用口みたいだけど、裏道に抜けられるようになっている。
以前は通り抜けができたんよ。
通り抜けると貸しリハーサル・スタジオがあった。
一度、開けっぱなしになっていたことがあって、中を覗いてみたら日本のスタジオと違って薄暗くて、マァお世辞にもキレイとは言えない代物だった。
今はもうなくなってる。260裏道はこんな感じだった。
ココは「デンマーク・プレイス」といって、昔はミュージシャン用の安ホテルが並んでいたが、1980年代には闇営業のナイトクラブがウジャウジャしていたらしい。
いかにもでしょ?
そのナイトクラブの中に1階が「Rodo's」という南米からの移民が集まるサルサ・クラブ、その2階にアイリッシュとジャマイカンがやって来る「The Spanish Rooms」というクラブが入っている建物があった。
1980年の8月16日のこと、ジョン・トンプソンという男がその2階のバーで勘定のことでイサコザを起こして店を追い出されてしまった。
ほどなくしてトンプソンは店に戻って来た。
そして手にしていたガソリンを1階にブチ撒け火を放った。
写真の通り、クラブは奥まったロケーションだったため、消防車が近づくことができず、速やかに鎮火することができなかった。
その結果、ナント、37人もの人が亡くなったそうだ。
中にいる女性を助けようと炎の中に飛び込み亡くなった勇敢な男性もいたとか。
コレは第二次世界大戦後にイギリスで起こった最悪の放火殺人事件となった。
殺人の廉で投獄されたトンプソンは2008年に獄中死したそうだ。
コレも似たような事件が京都であったもんね~。
Desの件といい、海の向こうの出来事を「コワい」なんて言っていられない。
日本も本当に物騒になったもんだよ。

11_2dplHamk'sの隣りはかつて「Jubilee Hair」という美容室だった。

280現在は「Sixty Sixty Sounds」という楽器屋になっている。
ココまでがデンマーク・ストリート。
短い通りだけど記事は長かったね。

270そろそろ締めくくりに取り掛かりたいんだけど、最後にクリフ・クーパーという人に登場して頂く。
クーパーは元々ソーホーで楽器店をやっていたが、その店を1978年に閉めると、今度は「22」というから…かつて「Music Exchane」があった所に新たに「Rhodes Music」という楽器店を開く。
その頃、まだこの周辺はほとんどすべてが音楽出版社だった。
それからクーパーは1989年にその隣に「Sutekina Shop」という店を開く。
店名は日本語の「素敵な」よ。
90年代に入るとクーパーはあたりの店を手当たり次第に手中に収めてしまう。
何でも、クーパーはデンマーク・ストリート全体を買い上げて「水平の楽器のデパート」を作ろうとしていたんだそうです。
11_0r4a0210デンマーク・ストリートに行ったことがある人ならわかると思うんだけど、ココってMarshallの展示が極端に少ないと思わない?
こんなに楽器屋が集中しているのにMarshallっぽい雰囲気が一切ない。
私は最初に来た時、すぐにコレに気がついた。
やや潤沢にMarshallを展示しているのはローズ・モーリスぐらい?
20年ぐらい前にはオックスフォード・ストリートのVirgin Mega Storeの地下に「Sound Control」という大きな楽器屋があって、そこはもうMarshallが壁になっていた。
でも、デンマーク・ストリートのお店は寂しい限り。
え?
Marshallの人気がないからだって?
トンデモナイよ!
Marshallのコピーが飛び交っているのは日本ぐらいなもんよ。
海外の人はみんなホンモノを好むからね。
じゃ、ナゼか?
営業力がないから?
イヤイヤ、確かにデンマーク・ストリートでの営業仕事は大変だ…と聞いたことがある。
でも違う。

11_img_1128 答えは下の写真にある。
このシリーズの一番最初に掲載した写真…もはや懐かしいね。
左下に描かれているギター・アンプのイラストね。
Orangeさんなの。

11_img_0242イギリスの楽器業界に詳しい人はコレでピンと来たと思うんだけど、さっき書いたデンマーク・ストリート中の楽器店を買い漁ったクリフ・クーパーという人はOrangeアンプの「Orange Music Electronic Company」 の創設者なの。
そうとなりゃ、自分の息のかかった店にMarshallなんか置きたくないわナァ。
コレがわかるとやたらとオレンジ色の四角い箱が目に付くんだわ~。
何しろ、下の写真の右側の楽器店…11_img_1421 下では左。
チャリング・クロスから見て左側ね。
こっちサイドにある店はほとんどクーパー傘下だったらしい。
そりゃデンマーク・ストリート全部を買っちゃおうとしていたんだから、それも不思議ではない。
左側のお店の売上げ金は毎日すべて入り口近くにあるさっきのArgentの「music room」に集める。
3つのバッグを用意しておいて、その中のひとつに売上金を入れる。
他の2つのバッグはダミーね。
その3つのバッグを持って近くの銀行に入金しに行くシステムだったのだそうだ。
当時はロックが盛んだったし、現金商売が当たり前だったので毎日モノスゴイ売上金だったらしい。
 
思い出して見ると、<中編>に出て来たロンが2003年か2004年にフランクフルトで一緒に食事をしていた時、「シゲ、デンマーク・ストリートの楽器屋はね、ほとんど1人の人が経営しているんだよ」と教えてくれたことがあった。
「ナニ言ってんだ?」とその時は思ったけど、こういうことだったのだ。
クーパーは2006年に持っていた店舗をすべて売りに出してしまった。
全部ではないが、ほとんどの物件を引き継いだ人がいて、現在に至っている。
だから、店の引っ越しも「部屋の模様替え」ぐらいに過ぎないワケよ。
同じ人がやってるんだから。
11_img_2825このデンマーク・ストリート、これからどうなっていくんだろう?…と思っていたら興味深いモノを見つけた。
2014年の12月、ピート・タウンゼンドが当時ロンドン市長だったボリス・ジョンソンに新聞紙上で送った公開書簡だ。
こんな内容。

「私は発展と変化の必要性について理解を示します。'Crossrail(デンマーク・ストリートのの近くを通ることになる鉄道路線)'がロンドンの繁栄にとても重要で、その工事がロンドン、特にソーホー地区にもたらす混乱も仕方がないと思っています。
ゆくゆくは人々がその鉄道を利用することにより、車の渋滞が減ることにもなるでしょう。
しかし、鉄道の敷設はソーホー地区の風情や魅力を悪い方向に変えてしまうのを隠すための口実にすぎないのではないでしょうか?
開発者はこう言います…デンマーク・ストリートを壊すのではなく、再開発するのだ…と。
しかし、店舗面積は極端に小さくなる半面、賃貸料は値上がりする。
再開発のために『ロンドンのティン・パン・アレイ』であるデンマーク・ストリートが無くなってしまうなんて考えただけで胸クソが悪くなります。
他に類を見ないこの『音楽の路』を高く評価し、その存在をCrossrailの目覚めから除外できればいいのに…。
60年代、私はデンマーク・ストリートのMacari'sでファズボックスや弦を買ったものです。1964年にはRegent Sound Studioでシェル・タルミーと一緒にバッキング・コーラスの録音をしたこともありました。
ソーホーのウォード―・ストリート(The Whoがレギュラー出演していたMarqueeの第2号店があった通り)の近くに住んでいた時には『Drum Shop』でよく買い物をしました。
ボリス・ジョンソン、そしてカムデン評議会(デンマーク・ストリートのエリアが属する地方自治体)の皆さん、どうかデンマーク・ストリートを保存地区に指定してください。
そうでもしないことには、膨大なロックの歴史を永遠に失いことになってしまうでしょう。
進化は大切です…しかし、我々の偉大な街に根差すそうしたランドマークも同様に大切なのです。
 
ピート・タウンゼンド」
 
みんなロンドンが大好きなんだよ。 
ボリスはこの手紙を読んでどう思っただろうか?
ボリスがロンドン市長だった時代とはいえ、2年後のBREXITでロックどころではなかったであろう。
返事が来ていなければ、ピートは「チッ、あの蜘蛛野郎!」と思ったに違いない。
アレはジョン・エントウィッスルの曲…ジミ・ヘンドリックスのお気に入りだったんだってね。
お、そういえば<中編>で出て来たようにこの「Boris the Spider」は入っている『A Quick One』はRegent Sound Studioで録音しているんだっけ!

Qo 私はどう思っているかって?
様々な保存運動をしているようだけど、この通りは近い将来、今の「楽器屋街」の風情がきれいサッパリなくなってしまうと私は見ている。
短い間とはいえ、20年の間定点観測をして来てヤッパリこの斜陽具合を痛烈に感じないワケにはいかないし、何よりも「音楽」そのものに力がなくなってしまったもん。
だから、この類まれなる「音楽の路」を見ておくなら今のウチだと思う。
ヤッパリ『『Shigeさんとめぐるロンドン・ロック名所ツアー』やるか?

11_0r4a0185 しかし、長くなっちゃったな~。
デンマーク・ストリートの探訪はいかがでしたでしょう?
このシリーズ、本当は冒頭のThe Kinksの「Denmark Street」のところをやりたいがタメの企画だったのよ。
それがMarshallのモデルナンバーから、他社の歴史から、変態から放火犯まで範囲が広がっちゃって!
どれだけ英文の資料に目を通したことか…。
エラい苦労したわ~。
でも、いつも通り書いていてとても楽しかった。
 
この『変わりゆくロンドン』のシリーズも次で最終回。
その後は、満を持して『ロンドンのジミ・ヘンドリックス』特集をやろうかと思っています。
その次はまた『キンクスのロンドン』特集。
好きな人だけ読んで頂ければうれしいです。
好きは人は乞うご期待!
 

200_2 
(Kさん、ポール・コゾフの情報をありがとうございました。そして、いつもMarshallをご愛用賜り御礼申し上げます)





【BREAK the CODE】vol.11~キュウソネコカミ オカザワカズマ

 
『BREAK the CODE』の第11弾!
早いな~、もう11本目。
今回はキュウソネコカミのオカザワカズマさん。
 
以前はキュウソさんも何回かMarshall Blogにご登場頂いていたのよ。
…と思っていつの頃かと調べてみると…
 
例えば『METROCK 2014』

150 例えばリキッドルームでのワンマン
なつかしいな…2014年のことだったのね。

130 すごく楽しかった。
 
そして、今回はCODE。
カズマさんよろしくお願いします!

<つづく>

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