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2020年9月

2020年9月18日 (金)

もう一度始めよう!~D_DriveのBegin Again

 

ジョン・レノンに「(Just Like )Starting Over」という曲があるでしょう?
「start over」で「やり直す」と言う意味ね。
この曲は、1980年の『アウト・オブ・タウナーズ』というニール・サイモン脚本の『おかしな夫婦(The Out-of-Towners)』のリメイク版の冒頭に使われていて、すごくいい雰囲気を出していた。
ゴールディ・ホーンが最高にお茶目で楽しい1本。おススメです。Oot 何だってこんな話から始めたのかというと、本日世界配信リリースされたD_Driveの新曲のタイトルが「Begin Again(もう一度始めよう)」だから。
「start」と「begin」をどう使い分けるか…。
時々悩むんだよね。
ちょうどいい機会なので調べておくとするか。
ナニナニ…。
「begin」は動作をするのが自分であることを暗示させるのに対し、「start」は第三者的なのだそうだ。
だから自分でナニかをおっぱじめる時は「begin」を使う。
そういえば、『飛び出せ青春!』の河野先生のアダ名は「ビギン」だった。
ちなみにあのドラマで柴田を演じたのは黒澤明の『赤ひげ』の「チョー坊」や『どですかでん』の「六ちゃん」ですからね。
 
下が「Begin Again」のイメージ。
作は「下町のひとりヒプノシス」こと梅村昇史さん。
 
作曲はYukiちゃん。
曲に関するコメントを海外のプレス向けにYukiちゃんが発表しているのでその内紹介することができるだろう。
今はまだ秘密。12thumbnail_begin_again_text_2「Begin Again」は2019年11月9日の『Marshall GALA2』でも演奏していた。
ハードでドラマチックな曲rと演奏が大きな喝采を浴びた!100もう入手できます。
ナニはともあれ聴いてみてくだされ!

サブスクはコチラ⇒fanlink

12bafl先日リリースした「Thumbs Up」も大好評!
併せてよろしくお願いします!12thumbnail_thumbs_up_textしかし!
クッソ~、コロナのバカ野郎!
来月はこの「Begin Again」と「Thumbs Up」を引っ提げて上海でひと暴れしようと思っていたのによ…。
しかも今年は野外のステージに上がる予定だったんだぜ!
行かれね~!
でも、航空会社に聞いて驚いたよ。
今、日本から上海に飛んでいる飛行機は各航空会社あたり週1便だけなんだって!
…と思ったら、コレ、上海の話じゃなくて、ナント、中国全土で週1便しか飛べないのだそうだ。
コレじゃ行かれないよね。
110オイ、コロナ、ついでに言わせてもらうけど、来年1月のNAMMだってキマってたんだぞ!
せっかく軌道に乗って来たっていうのによ~! 

0r4a0939でもまた世の中が落ち着いたら「Begin Again」すればいいじゃないか!
ねぇ、D_Driveぅ?
 
それまで、まずはコレ。

1214 ★今晩 18日【オンライン 裏D_Drive】
★明日 19日【オンライン Night Drive】
★明後日20日【オンライン Day Drive】
本八幡「Route Fourteen」からの配信ライブでお楽しみあれ!
  
詳しい情報はコチラ⇒D_Drive OFFICIAL WEB SITE

200_3

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.53~変わりゆくロンドン <その5>デンマーク・ストリート(中編)

   
前回、Marshallの1959や1960等のモデル・ナンバーがどのように生まれたのかを書いた。
過去、日本においてそんな記述が一度だってあったであろうか!…と、Marshallファンから快哉の声が寄せられるかと思っていたら……アラ?
見事にナンの反応もなかったワイ!
皆さん、こういうことに興味がおありでないということがよくわかった。
イヤ、こういうのも最早ビデオでやらないとダメなのか?
「ハイ、どうもMarashallのシゲどぅぇぇぇす!」とか言って。
 
イヤね、「何年製の1959はスイッチがどうした」とか「トランスがどっち向いてる」とかいうことを追いかけているよりよっぽどオモシロイし、大切なことだと思うんだけどな~。
そうした昔のマイナーな仕様の変更は、「パーツの在庫を切れていたからあり合わせのモノをくっ付けただけ」なんてことがほとんどなんよ。
Marshall社は中小企業だからして、そうしたマイナーな仕様の変更は避けられなかっただけの話。
 
そもそもこの『名所めぐり』自体が人気ないからな…でも、私は記事を作っていてコレが一番オモシロいし、時間をかけて広範囲にわたって色んなことを調べるので、とても自分自身の勉強になる。
「読んだ音楽ファンが得をするMarshall Blog」だぞ!…ナンチャッテ。
いつか、ロンドンで『Shigeさんとめぐるロンドン・ロック名所ツアー』のガイドをやりたいと思っているんだ。
この年じゃもう無理か…。
でもやっぱりミュージシャンの方はコレを読んで頂いている方が多くいらっしゃって、「いつかみんなでロンドンとMarshallの工場に行こう!」なんて話を時折しています。
  
さて、前回紹介した、1966年から1981年までMarshallの総販売元を務めたローズ・モーリスの隣のビルの壁についているプラーク。
赤い矢印のところね。11_tpapかかっているのはこんなプラーク。
 
この通りは『ティン・パン・アレイ』 1911-1992でした。
イギリス音楽出版社や作曲家の本拠地で、それらの関係者が集った『The Giaconda』はココにありました
Tpa_2ココで言う「ティン・パン・アレイ」は細野さんのバンドじゃありませんからね。
1890年代の後半から1950年代の半ばまで栄えた、ニューヨークはマンハッタンの西28丁目にあった音楽出版社が立ち並んでいた通りが「ティン・パン・アレイ」。
それのイギリス版がデンマーク・ストリートでした…ということを表している。
かつてはこの通りにドバ~っと音楽出版社が並んでいたというワケ。
104そして、このプラークがかかっている建物には「The Giaconda Cafe」というカフェがあった。
デヴィッド・ボウイがDavy Jonesの名で最初のバック・バンド、The Lower Thirdsのメンバーを集めたり、スモール・フェイセズのオリジナル・メンバーが会した場所だという。
Al Lee、すなわち今のAlbert Leeがこの店で働いていたという。
 
「David Robert Jones」というのはボウイの本名ね。
メッチャ平凡じゃね?

Lt話は一旦ニューヨークの「ティン・パン・アレイ」に飛ぶ。
 
昔は音楽を再生する装置が普及していなかったので、自分たちで演奏して音楽を楽しむのが普通だった。
お父さんの弾くピアノを囲んで、ブロードウェイのミュージカルの曲を家族みんなで歌って楽しんだんだネェ。
いわゆる日本にはない「シート・ミュージック」の文化ってヤツ。
音楽出版社が立ち並びティン・パン・アレイは、そうした曲をサンプルとしてピアノの生演奏で聴かせたり、自分の曲を売り込んだりと、まさにキンクスが「Denmark Street」で歌っているように一日中音楽に溢れかえっていた通りだったワケ。
当時のティン・パン・アレイでは、ジョージ・ガーシュインやら、コール・ポーターやら、オスカー・ハマースタインやら、ハロルド・アーレンやら、挙げだしたらキリがないほどたくさんのモノスゴイ作曲家たちがいて、腕によりをかけて作った多くの名曲がティン・パン・アレイからリリースされていった。
下のジョージ・ガーシュインの伝記映画『アメリカ交響楽(Rhapsody in Blue)』にはそうしたティン・パン・アレイの様子がよく描かれている。
スゴイよ。
まだまだ新しい音楽がドンドン出てきている時代なので、すべてをやり尽くしてしまった終末感漂う今の音楽業界とは活気が違う。
この作品、残念ながら「映画」としては大してオモシロくない。
この手の映画では何と言っても『グレン・ミラー物語』がナンバーワンだ。
でも、アル・ジョルソンや実際にガーシュインの親友だったというピアニスト、オスカー・レヴァント(『巴里のアメリカ人』のピアニストね)が実名で出演しているのがうれしい。
また、セルゲイ・ラフマニノフやヤッシャ・ハイフェッツ、モーリス・ラヴェルなんかも出て来る。
作曲の勉強をしようとガーシュインがパリのラヴェルを訪ねると、「二流のラヴェルになるよりも、一流のガーシュインでいた方がいい」とか言われて体よく弟子入りを断られた有名な話もチャンと出て来る。
ラストシーンのオスカー・レヴァントの大俯瞰にも注目。
野外のコンサート会場で「Rhapsody in Blue」を弾くレヴァントの手のクローズアップから、ドンドンカメラが引いて行き、ピアノ、オーケストラを見下ろし、果ては会場全体を俯瞰してしまう。
もちろんワンカット。
今から75年前の映画だからね。
当然ドローンなんかない時代。
専門家に言わせると、どこかでスチールに入れ替わっているんだとか…でもいくら見てもそのつなぎ目がわからないらしい。
結局、このシーンはでもどうやって撮ったのかが正確にはわかっていないのだそうだ…と言われていたのがかなり前の話なので、今では明らかになっているかも知れない。Ggチョットここで脱線。
以前にも書いたことがあったと思うが、ラヴェルとガーシュインの関係。
下は私が持っているジャン・ジャック・カントロフが弾くラヴェルの「ヴァイオリン・ソナタ」のCD。
24か25歳の時だから、もう30年以上前に梅田の新阪急ビルの地下のクラシック専門のレコード屋で買った。
コレの第2楽章の「Blues」を聴いた時の話。
「二流のラヴェル」云々の話は元から知っていたもんだから、「あ~あ~、やっちゃったよ、ラヴェル!」と結構ブったまげた。
ナゼなら、それがガーシュインの「Summertime(サマータイム)」にソックリだったのだ!
…と思ったら、ラヴェルは1927年、「Summertime」が挿入されているオペラ『Porgy abd Bess(ポーギーとベス)』は1935年。
ラヴェルの方が一流だった!
イエイエ、パクリかどうかはわかりませんけどね。
コレもロマン、ロマン。
とにかく、この「ヴァイオリン・ソナタ」はカッコいいです。

11_voucher5_0001

もうひとつ、ティン・パン・アレイの作曲家の伝記映画を…コール・ポーターの『夜も昼も(Night and Day)』。
まぁ、いくらなんでもホンモノのコール・ポーターはケーリー・グラントほどはカッコよくなかったろう。
でも、コール・ポーターの曲はどれもトコトン素晴らしい。
このあたりの作曲家はみんなクラシックくずれだからね。
クラシックじゃ食えないからブロードウェイ・ミュージカルの音楽を作っていた。
クルト・ワイルだとか、ちょっと後のバーンスタインなんかもそう。
だから曲のクォリティがベラボーに高い。
みんなユダヤの方。
だからこれらの音楽を題材にしたジャズは「黒人とユダヤ人が作った音楽」と説く人もいる。
私もそう思う。
なんたって「音楽」は「曲」だから。

そして、ポール・マッカートニーとか、レイ・デイヴィスとか、その辺りの人たちは間違いなくティン・パン・アレイの曲を勉強していると思う。
イヤ、きっと親が聴いていて、自然に耳に入って来たんだろうね。
ポールが15歳の時に造ったという「When I'm Sixty-Four」なんていい例でしょう。
Wings時代の「You gave me the Answer」とか。
The Kinksだって「Alcohol」とか、ロックンロールの曲でもチョット他とは違う感じがする…だからオモシロい。
ま、コレは私見だけど、ポピュラー音楽というものは、ティン・パン・アレイの時代にすべて完結していると思うんだよね。
後は異種配合と順列組み合わせとテクノロジーの進歩でココまで来たと考えている。
ま、エンターテイメントはそういうモノか?
 
ところで、この映画…正直言うと何度も挑戦したのだが最後まで観たことがない。
ナゼか?…ツマらないからだ!
でも、この作品の存在によって、アメリカ人にとってコール・ポーターが大切な音楽家であることが理解できる。
Nd
ハイ、話題は次にイギリスのテレビの話に移りますよ~。
2002年に私が初めてロンドンを訪れた時のこと。
オルドゲート・イーストというタワーブリッジの近くのインド人街の真ん中にあったホテルの部屋に入って、まずテレビのスイッチを入れた。
その瞬間に流れて来たのは10ccの「Life is a Minestrone」。
時間は7時ぐらい。
放送局はBBC。
他の記事にも書いている通り、私は大の10ccファンゆえとてもうれしかったし、初めて訪れたヨソの国での不安を一気に吹っ飛ばしてくれた。
もちろん、昔のビデオ・クリップを流しているだけなんだけど、そんなゴールデンタイムに国営放送が27年も前のロックのヒット曲をゴールデン・タイムに放映していることに驚き、そして感動した。
「コリャ、いいところへ来たワイ」って。
その10ccのビデオの元ネタはBBCの「The Old Whistle Grey Test」ではなかったか?(調べてみると、どうも違うようだが、ココではそういうことにして強引に話を進めることにする)

Lim「The Old Whistle Grey Test」は1971年から1988年までBBC2で放映された深夜枠の音楽番組。
今、YouTubeにそのビデオがウジャウジャ上がっているので、コアな音楽ファンであれば『THE OLD GREY WHISTLE TEST』というサインをバックに演奏しているロックの黄金時代に活躍したバンドの姿を見たことがあるだろう。
まぁ、その時代に活躍したバンドで出ていないバンドはないぐらいたくさんのバンドが出演している。
国営放送だもんね~。
『モンティ・パイソン』や『Mr.ビーン』の放送局だもんね~。
スゴイなぁ。
「BBCをぶっ壊す!」という人がイギリスにいないのも当然だ。
で、この『THE OLD GREY WHISTLE TEST』という番組名ね。
コレ、どういう意味か…。
「whisle」は「口笛」。
「test」は普通に「テスト」。
「old grey」というのは、灰色っぽい服を身にまとった警備員なんかをやっていそうな初老の人のこと。
ティン・パン・アレイに来たその初老の紳士に曲を聴かせる。
そして、その紳士がその曲のメロディを口笛で吹くことができれば、その曲はヒットの可能性大…というテスト。
要するにキャッチー度の調査をするワケですな。
もしかして、本場のティン・パン・アレイとゴッチャになっているかも知れないんだけど、コレは初老の紳士に限らず、ティン・パン・アレイのメッセンジャー・ボーイ、すなわち「使いっ走り」を対象にした、という記述をどこかで読んだ気がする。
それと、私よりズット年上の昔の仕事仲間で、ケントの「Gravesend(グレイヴスエンド)」というところに住むロンという人がいた。
スゲエ早口のイギリス英語で、聞き取るのにいつも四苦八苦したものだった。
そんな彼がティン・パン・アレイにいたのかどうかは知らないが、やはり子供の頃から音楽の業界にいてミュージシャンの使い走りの仕事をしていたそうだ。
よくミック・ジャガーなんかのお使いをした…なんて話をしていた。
そんな話からすると、口笛のテストを受けさせられたのは「old grey」は初老の紳士だけではなかったのではないかと想像するワケ。
11_ogwt
この番組には有名なホストがいた。
2代目として登板したBob Harris(ボブ・ハリス)という人。
ボブはホンニャラした優しい語り口が特徴で「Whispering Bob(ささやきのボブ)」とアダ名されていた。
でもね、物事を正直に言いすぎてしまい、時には若い人たちからヒンシュクを買うこともあったのだそうだ。
例えばRoxy Music。
初めて番組に出演した時に「Style over substance(中身より格好だけ)」と酷評してしまったらしい。
また、New York Dolesには「Mock rock(ロックもどき)」と…。
私はRoxy Musicが好きなので弁護すると、個性がそれだけ強烈でボブの感性が追いつかなかったのでは?なんて思いたい。
気に食わないなら出さなきゃいいと思うけど、それにしてもですよ、国の公共電波を使って平気で出演するバンドの批評をしてしまうなんてスゴイと思わない?
こんなこと日本のテレビじゃ絶対に考えられないでしょう。
もうどんなバンドでも「アーティスト、アーティスト」と崇め奉るだけだもんね…最もそうすることが正しいとも思うんだけど。
それでも、こういう話を聞くと、やはりエンターテイメントに対する民度が日本とはケタ違いに高いということを感じてしまう。
そんなボブが朝のワイドショーに出演している動画があったので貼り付けておいた。
ボブの優しい口調に注目。


番組はBBC Oneで朝6時から毎日放送している『Breakfast』。
玉川さんは出ないにしろ、私、この番組が大好きでイギリスにいる間は毎朝必ず見ている。
だって思いもよらない人がボッコリ出てきたりするんだもん。
 
例えばこの動物福祉活動家のメイさん。
「メイちゃ~ん」って、この人Queenだよ。
Queenのギタリスト。

11_img_0029グレン・ヒューズも!

11_img_0047コレ、この日は2012年の50周年コンサートの前日だったの。
「明日、Marshallの50周年記念のコンサートが開かれます!」というシーン。
ジムはBBCのラジオなんかにも出演しているし、この数年後にはBBCでMarshallのドキュメンタリーを制作したからね。
11_img_0045ウチの社長も当然出演。
8年前ともなると若いね。
BREAKFASTさん、ジョンの綴りが違ってますよ!
本名は「Jonathan」なので、正しいディミニュティヴは「Jon」です。

11_img_0080サラリと工場も紹介された。

11_img_0079そして、その工場に来てくれたのは…ボブ・ハリス!12bob1何年か前の話だけど、奥様後同伴でミルトン・キーンズを訪ねて来てくれた。
向かって右はMarshall Recordsのヘッド、スティーブ・タネット。
タネさんも業界では古い人なので、ボブが来たのはその関係だったのだろう。
数え切れないぐらいMarshallは「Old Grey Whistle Test」で活躍したからね。

12bob2ことの起こりは1911年にローレンス・ライトという人がデンマーク・ストリートに音楽出版社を開いたことだった。
このローレンス・ライトという人は1926年に「メロディ・メイカー」誌を発刊した人。
その後、デンマーク・ストリートにウジャウジャと音楽出版社が集まり出し、1950年代の終わりごろまでイギリスの「音楽のメッカ」として隆盛を極めた。
 
ハハハ、「私がナゼBSTを辞めたか」…デヴィッド・クレイトン・トーマスのインタビューなんて出ている。
「Sabbath、Floydのツアー日程」か…。
「フランクのホット・ギグ」…この1971年のイギリスのツアーはあのモントルーの火事の後だったので特別「hot」なワケ。
「Smoke on the Water」のアレね。
そして、このツアーのロンドン公演、レインボー・シアターでファンにステージから突き落とされて大ケガを負ってしまう。
1971年ザッパ受難の年のMelody Maker誌。

11_mm_2 その「Rainbow Theatre(レインボー・シアター)」。
これは去年撮った写真なんだけど、ココはいつ来てもゼンゼン変わらんな~。
今でも新興宗教団体の施設。

11_img_9625NME(New Music Express)も1952年にこの地で生まれている。

11_nmeさて、そんなデンマーク・ストリートの音楽出版社たちも1960年代に入ると急速に没落して行ってしまう。
ビートルズをはじめ、自分たちで作曲をするミュージシャンが時代の表舞台に立ち始めたのだ。
一方で、デンマーク・ストリートの音楽関係者は従来の感覚にしがみつき、そうした新しい才能を認めようとしなかった。
当時、ロンドンで創作活動をしていたポール・サイモンは「The Sound of Silence」や「Homeward Bound」すら「こんなもんは売れやしない」と認めてもらえなかったという。
エルトンジョンの最初のシングルにして、「名曲」としてロック史上にその名を残す「Your Song(僕の歌は君の歌)」がデンマーク・ストリートで生まれたことはよく知られている。
エルトン・ジョンは1963年当時、デンマーク・ストリートの音楽出版社に勤めていた。
ある朝、その出版社の屋上でエルトンが来るのを待っていたバーニー・トウピンが書いた詩が「Your Song」なのだそうだ。
「♪ I sat on the roof and kicked off the moss(屋上に座ってコケを蹴飛ばす)」というのがまさにそのパート。

Ysそして、1974年の『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy』。
エルトン・ジョンとバーニー・トウピンのこのアルバムってビルボード200史上、「初登場で1位」を獲得した初めてのアルバムなんだって?
エルトンとバーニーの下積み時代を綴ったコンセプト・アルバム。
その中の「Bitter Fingers」という曲。
アルバムの中で私はこの曲が一番好き。
それにこういう歌詞が出て来る。
「bitter finger(苦い指)」というのがわからなかったんだけど、そのまま当てはめれば…
♪It's hard to write a song with bitter fingers(苦い指で曲を書くのは大変だ)
So much to prove, so few to tell you why(証明するのはたやすいけれど、説明するのは厄介だ)
Those old die-hards in Denmark street start laughing(奴ら、デンマーク・ストリートのガンコオヤジが笑いすことだろう」…みたいな?
やっぱりそうだったんだね。
 
このジャケットってクレジットはされていないけど、ヒプノシスが噛んでいるんですってネェ。

12cf音楽出版社の衰退をヨソにデンマーク・ストリートにはスタジオができ始めた。
有名な「Regent Sounds Studio」のオープンは1961年。
はじめは音楽出版社が権利を持つ曲をレコーディングして納めるためのモノだった。

11_img_0230The Rolling Stonesの1964年のファースト・アルバムとセカンド・アルバムの大半はRegent Sound Studioでレコーディングされた。
ストーンズのマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムのお気に入りで、頻繁にこのスタジオを使っていた縁だった。Rs_2 ローリング・ストーンズのファースト・アルバムの成功により「Regent Sounds Studio」はその名を知られることになり、大繁盛!
レコーディングだけでなく、リハーサルやデモ音源制作の場として、ジミ・ヘンドリックスやエルトン・ジョン、デヴィッド・ボウイ等々、多くの人気アーティストに利用された。

230 Black Sabbathの最初の2枚もRegentで録音している。

Pn_2

Pn_1他にも、The Bee Gees、The Troggs、Slade、Tom Jones、The Yardbirds、Herman's Hermits、Brian Poole and the Tremolos、Mott The Hoople等々がこのスタジオでシングル盤をレコーディングした。
あ、The Who の『Quick One』の一部もココで録音されたらしい。

Qo Regent Studioは規模を拡大し、トッテナム・コートロードに最も大きなスタジオを建造。
一時はアビーロードやオリンピックやトライデントをしのぐ勢いだったらしい。
この頃はどこのスタジオも大繁盛だった。
オモシロいのは「Fixing a Hole」の一部はそのトッテナム・コートロードのRegentで録音したんだって。
ナゼかと言うと、アビィロード・スタジオがイッパイでどうしても予約できなかったらしい。
天下のビートルズでもかよッ?!
Fahジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズはスタジオ・ミュージシャンとして毎日いくつものレコーディングを掛け持ちして当時大忙しだったんだって。
キンクスの1966年のアルバム『Face to Face』にそんなセッション・ミュージシャンのことを歌った曲がある。
その名も「Session Man」。
「♪彼の考えには一銭も払われない、ただ弾くだけ
彼はセッションマン
コード進行家
トップ・ミュージシャン
毎日違うスタジオで演奏だ
と、多忙を極めた当時のスタジオ・ミュージシャンをからかって歌っている。
いい曲です。

11_ftfそんな強力なスタジオも80年代に入るとパタリと勢いが失せてスタジオを廃業してしまった。
Regent Sound Studioも今は楽器屋さん。

240地下が「Alley Cat」というバーになっている。

250変わりゆきますな~。
 
こんな自転車最近見ないね。
お巡りさんでもこんなの乗ってないでしょ?
昔は座布団を巻いた真ん中の横棒に乗せてもらってお父さんと2人乗りをしたよね。
しばらくして身体が大きくなってもサドルが高くて座れないもんだから、真ん中の三角ところに片足を入れて向こう側のペダルを踏んだものだ。
「三角乗り」と言ってね。235<後編>につづく
 

200

 

2020年9月17日 (木)

【BREAK the CODE】vol.10~BIGMAMA 柿沼広也

早いモノで『BREAK the CODE』シリーズももう第10弾!
今回はBIGMAMAの柿沼広也さんにご登場頂いた。


BIGMAMAの詳しい情報はコチラ⇒BIGMAMA Official Website

 
 
BIGMAMAはヴァイオリニストがメンバーにいらっしゃるんだよね。
PFM、Curved Air、Wolf、East of Eden、Arti e Mestieri、Quella Vecchia Locanda、Caravan(はヴィオラか?)、Zao、Kansas、Mahavishunuもいれておくか…私はヴァイオリンの入ったバンドが大好きでしてね。
しかし、いつものこととはいえ、どれも古いナァ。
 
それと「BIGMAMA」と聞いて思いだしてしまったのが、この映画。
知ってる?
『ビッグ・バッド・ママ』というアクション映画。
1974年の公開か…。
私は中学生だったけど、このスゴいコピーにビビって観に行かなかった!
といえばウソになるけど、子供ながらに「さすがにコレは…」感があったのを覚えている。
主演のアンジー・ディッキンソンは他に出演していた映画を特に観ていたワケではないのにナゼかすごく親近感があった。
アンジーが主役を演じた『女刑事ペパー』というTVドラマを観ていたのかナァ?
今回チョット調べてみて驚いたのは、このアンジー・ディッキンソン、1965年から1980年までバート・バカラックの奥さんだったんだって!
知らなかった!

Bbmバート・バカラック、いいよね~。
こういう本当に才能が溢れる人にジャンジャン出現してもらって、いい曲をドシドシ世の中に送り込んでくれたらいい。
名曲が数え切れないほどあるけど私は「I'll Never Fall in Love Again」が一番かな?
多分人生で最初のバカラックは「Rain Drops Keep Fallin' on my Head」かな?
イヤ、「Casino Royale」かも知れないな。
もちろんその頃は「マリアッチ」なんて音楽は知らなかったけど、ハーブ・アルパートが吹くトランペットのメロディがすごく好きだった。
演奏でブッたまげたのは『SUPERSHOW THE LAST GREAT SIXTIES MUSICAL EVENT』とかいうビデオで見たローランド・カークの「I Say a Little Prayer」。
初期のツェッペリンがお目当ての方が多いでしょうけど、私はラサーン。
すさまじい演奏だった。
Ss もうひとつ「BIG〇〇MAMA」といえば、得意のThe Kinks。
1966年のヒット曲「Sunny Afternoon」ね。
歌詞に「♪I gotta big fat mama trying to break me(ボクには、すべてを奪おうとするデブっちょの母さんがいる)」というのが出て来る。
「Big Bad Mama」とか「Big Fat Mama」とか、なんだろう?
語呂がいいのかな?

Saj この曲はThe Kinksの代表曲のひとつ。
数年前にロンドンで上演していたキンクスのヒット曲を集めて構成したキンクスのミュージカルのタイトルにもなっている。

11_samそして、何よりもこの曲を我々に馴染み深くさせているのはコレ。
「Sunny Afternoon」は「およげたいやきくん」の原曲だと言われているんだね。
だから名曲です。
 
しかし…結局どれも古いナァ。

Ot  

200

NATALのウェブサイトにて国内のドラマーさんをご紹介!

 
今日はNATALの話題。

Natal_v1_letter

 NATAL Drumsのディストリビューター、ヤマハミュージックジャパンさんが日本語版ウェブサイトに我がNATALドラマーさんたちを紹介するページを作ってくれました!
こんな感じ。

11_natalナニ?モザイクがかかってる?
しからば、コチラをご覧くだされ!
  ↓   ↓   ↓

NATAL Drums日本語版公式ウェブサイト

 

200

2020年9月15日 (火)

【BREAK the CODE】vol.9~JEKYLL★RONOVE N★OTO

  
CODEの魅力をアーティストがお届けするシリーズ『BREAK the CODE』の第9弾を公開します!
今回デモンストレーターを務めてくれたのはJEKYLL★RONOVE(ジキル・ロノウェ)のN★OTO(なおと)。

10ステージやレコーディング・スタジオでは2555Xと1960BVを愛用してくれているN★OTOくん。

20N★OTOくんはCODE25にもすっかりホレ込んでくれて、6つのサウンドを披露してくれた。

40動画の撮影に駆けつけてくれたジキロノのフロント・レディ、JEKYLL。
お越し頂いた以上、もちろん特別出演して頂いた。
30そして、もうひとり撮影に駆けつけてくれたのは、今年6月にバンドに加入したドラムスのMayo。
MayoちゃんはNATALドラマー。

50MayoちゃんにはN★OTOくんのCODEのセッティングの解説をナレーションして頂いた。
何のリクエストもしていないのに、100%期待していた通りに原稿を読み上げてくれた。

60終始メチャクチャ楽しい撮影だった!

70N★OTOくんのCODEサウンドとともに、そんな愉快な撮影の雰囲気が伝わればうれしいな。
ゼヒ最後までご覧あそばせ!

JEKYLL★RONOVEの詳しい情報はコチラ⇒JEKYLL★RONOVE official site

Btc 

200(一部敬称略)

2020年9月14日 (月)

田川ヒロアキにエールを!

 
若いウチは何でも「知ってる、知ってる」と言いたがるモノよ。
例え知らないことでもサ。
それでも、人間、歳を取って来ると「アラ~、知らなかったわ~」と、意地を張らず、自分に正直になることがとても気持ちよく感じられるようになるモノでしてな。
コレも身をキレイにしてあの世に旅立つ準備のひとつなのかしらん?
イヤイヤ、さすがに「ロックンロールにゃ老だけど死ぬにはチョイと若すぎる」わね。
 
今日はギタリストとしてだけでなく、作曲家として超多忙な毎日を送っている田川ヒロアキの話題。

11_0r4a0093『ロックンロールにゃ老だけど死ぬにはチョイと若すぎる(Too Old to Rock'n'Roll : Too Young to Die)』はJethro Tullの1976年のアルバムね。
「too…to~」構文は中学2年ぐらいで習うんだっけ?
「トゥー・トゥー」で「…すぎて~できない」ってヤツね。
テストの最中にヨコの席のヤツに「どっちのトゥーが前だか教えろ!」なんて小声で訊いているヤツがいたっけ。
「ロックンロールにゃ老だけど死ぬにはチョイと若すぎる」なんて言ってるけど、それじゃこのアルバムを出した時、Jethro Tullのフロント・マン、イアン・アンダーソンは一体いくつだったのか…。
調べたところ…まだ29歳だった!
昔のロック界は29歳でもう「老」だったんだね。
実際、私が高校生の頃は確かにそうだった。
70年代の終わりごろね。
「30過ぎてバンドなんかやっているヤツはバカだ」って言われていた。
コレ本当の話。
「ロック」という音楽自体の年齢がまだ低かったから。
今では30歳台ってヘタをすりゃまだ若手だもんね。
Jtさて、まだ本線にも入っていないが、ココから本格的な脱線。
このJethro Tull、バンド自体は社交ダンスの世界選手権が開催される有名なイギリスのリゾート地、ブラックプールの出身。
リバプールの近くね。
でも、イアン・アンダーソンはスコティッシュなのね。
「Dunfermline(ダンファームリン)」という町の出で、「鉄鋼王」で知られるアンドリュー・カーネギーもこの町の出だそうだ。
「カーネギー・ホール」の「カーネギー」ね。
イギリス人だったのね?
で、このダンファームリンという町がどこにあるのか調べているウチに興味深いことを発見した。
 
ダンファームリンは、「Firth of Forth(フォース湾)」を挟んだエジンバラの北方にある町。
ピーター・ガブリエル在籍時代の最後のGenesisのアルバム『Selling England by the Pound(月影の騎士)』に収録されている名曲「Firth of Fifth」はその「フォース湾」のもじりであることは既に何回か書いている。
ちなみにこのアルバムはイギリスの『Classic Rock Magazine』の姉妹誌『Prog Rock Magazine』のアルバム選で第1位を獲得している。
11_sebpで、そのフォース湾にかかっている1890年に竣工した鉄道橋が「Forth Bridge(フォース橋)」。
世界遺産。
8年前にエジンバラに行った時に見てくればよかったんだけど、見逃した。
死ぬまでに実物をこの目で見てみたいと思っている。
いつか行くぞ!Fb_2 特にどこにも書いていないんだけど、この「Forth Bridge」は絶対に映画『The Bridge over River Kwai(戦場にかける橋)』の橋のモデルになっていると思うんだよね。
下がその映画のワンシーン。
映画はタイとミャンマーを結ぶ泰緬鉄道の建設現場が舞台となっている。
1944年の「インパール作戦」に備え、突貫工事が行われ、多くの犠牲者を出し、「死の鉄道」と呼ばれた軍用鉄道。
「史上最悪の作戦」と言われるインパール作戦は、イギリス軍が駐屯するインド北東部のインパール攻略を企てた無謀な作戦。
牟田口廉也中将指揮の元、参戦した兵士のほとんどが犠牲となった。
しかも、戦死ではなく飢えと病気で絶命した。
作戦は中止となったが、その退路は、連なるは日本兵の死骸から「白骨街道」と呼ばれた。
この牟田口っていうの、自分は最前線から何百キロも離れた安全なところにいて、こんなことを側近に漏らしたという。
「そうさナァ、5,000も殺せばインパールは取れるだろう」
側近が「イギリス兵を5,000人倒せばですか?」と訊くと、「バカ、わが軍が5,000人も死ねば何とかなるだろう…と言っとるんだ!」
まったくヒドい話よ。
もっと他にもあるんだけどココでは今は書かないでおく。
  
いくらやっても使えやしない英語なんかを子供たちに教えるより、こうした「過去、日本人がいかにバカなことをしたか」を学校で教えるべきだと思うんですけどネェ。Rq 脱線の方向が変わって来たので軌道修正していくと…
上の写真に写っているのはデヴィッド・ニーブンと早川雪舟。
いつかどこかに書いたけど、早川雪舟はアメリカで史上最も人気の高かった日本人俳優ね。
ビバリーヒルズの自宅で毎晩酒池肉林の宴を開くほどの大スターだった。
業界用語で何かをカマせて丈を稼ぐことを「セッシュウする」と言うが、語源はこの早川雪舟。
でも、実際の雪舟の身長は170cmほどで、そんなに小柄ではなかったらしい。
何せハンフリー・ボガートと共演した唯一の日本人だからね。
 
さて、そのフォース橋の建設現場。
そこに日本人の現場監督がいたと知って驚いた。
グラスゴー大学で土木工学を修めた「日本土木の父」と呼ばれる渡辺嘉一という人。
スゴイね~、驚きついでに…この渡辺さんという人、ナント、大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務め、「ブルックナーの名手」として知られる日本を代表する指揮者、朝比奈隆の実のお父さんだっていうんだよね~。
もうビックリ続きよ。
 
フォース橋とクワイ川の橋はともに「カンチレバー」という構造が同じなだけで、実際には映画のモデル云々ということではないのかも知れない。
いいの、いいの、こういうのはロマンだから。
下の写真はそのカンチレバー構造を説明している写真。
真ん中のオジちゃんがその渡辺嘉一さん。
ココでもう1回驚きたいんだけど、この写真、スコットランドの20ポンド札に使われていたんだよ。
イギリスの紙幣に登場した唯一の日本人がその渡辺さんというワケ。
ちなみにスコットランドは自治政府もあるぐらいで、イングランドとは別の貨幣が流通している。
スコットランドから帰って来た時、イングランドでその紙幣が使えるかエラく心配だったのをよく覚えている。
もちろん問題なく使えます。Photo「脱線」ファンの皆さま、お楽しみ頂けましたでしょうか?

さてさて、今日の本題。
コロナで活動を自粛せざるを得ないアーティストが制作したビデオ作品をウェブサイトに掲載して活動を支援するイベント、『アートにエールを!』がインターネット上で開催されている。。
主催は東京都。
少額ではありますが、私が納める都民税が少しでもアートに役立ってうれしいなったら、うれしいな。

Ya_2 ココから第2脱線。
 
この「エール」って言葉ね。
今日の記事の一番最初の部分はココにつながっているのね。
そこに書いた通り白状すると、結構最近までこの「エール」が「大声を上げる」という意味の「yell」のことだとは知らなんだ。
大好きなビールの「ale」じゃないことはわかっていたし、もちろん大作曲家コール・ポーターの母校である「エール大学」の「Yale」とも違うことは知っていたけど…。
そして、我々世代で「エール」といえばチョコレートだろう。
「♪大きいことはいいことだ!」ってね。
あの頃は重厚長大の景気がいい活力に満ちた時代だったハズ…というのは、エール・チョコレートが発売されたのは昭和42年(1967年)だというから、私はまだ5歳だった。
景気がヨカッタかどうかまではわからない。
 
1967年といえば、ビートルズの『サージェント・ペッパーズ』が発表された年。
「『サージェント・ペッパーズ』ですべてが変わってしまった」とは岡井大二さんのご発言。
この時代を「お年頃」で体験してみたかったナァ。
一方、ジャズ界においては、マイルスは『Miles Smiles』と『Sorcerer』をリリース。
コルトレーンは「♪クルセ…………ママ」を出した年だ。
歌謡曲では「ブルー・シャトー」や「帰って来たヨッパライ」がヒットした年。
「赤影」に「キャプテン・ウルトラ」。
 
あのCMは1968年から放映されたようだ。
それにしても、6歳で見たにしては、あまりにも記憶がハッキリしてる。
かなりのロングランだったのかな?  
いい時代だった…今ではナンでもカンでも小さくなりやがってよ…。
デジタル、デジタルと便利になった気になってるけど、実は失ったモノがたくさんあるということを知っておくべきだと思うんだよね。
モノがなくなると言葉がなくなるのね。
そして、新しく生まれて来るのはキマって英語とも日本ともつかない奇形の和製英語ばかり。
日本政府はフランスや北欧の国々のように「母国語の保護」に乗り出すべきと思う…やるワケないけどね。

Yell_2 
ところで、この「エールを送る」の「エール」も和製英語で、残念ながらネイティブさんには通用しないので注意が必要だ。
じゃ、どういう単語を使えばいいかと考えてみるに…「cheer」かな?
チア・ガールの「チア」ね。
「元気づける」という意味。
で、調べてみたらそれでいいみたい。
動詞も名詞もあるので使いやすい単語でしょう。
と、思ったら『アートにエールを!』の公式ウエブサイトのURLも「cheer for art」になってた。
 
今、NHKの朝のドラマで『エール!』というのをやってるんだって?
それにちなんでるのかな?
自慢じゃないけど、私、これまで生きてきて「NHKの朝ドラ」とかいうのをただの1回も見たことがないんです。
別に主義主張があるワケでは決してないんですよ。
ただ単にそれを見ない家庭に育った…というだけの話。
父が職人で朝がかなり早かったからね。
大工が朝の8時に家にいるようじゃ仕事にはならないもんね。
 
はい、第2脱線が終わってココからが本当の本題。
田川ヒロアキの作品がその『アートにエールを!』の審査を通過して公開されている。
「ニジノート」という、もちろんオリジナルの曲。
その中でバッチリMarshallをフィーチャしてくれている。11_tagawa_1曲は「♪ドレミファソラシ」の7つの音列をそのまま大胆に導入したヒロアキくんらしいやさしく可愛いミディアム・スロー・ナンバー。
「♪ドレミファソラシド」をそのまま引用した曲というと、私はすぐにソニー・ロリンズの『No Problem』というアルバムの最終曲「Joyous Lake」がアタマに浮かぶ。
このアルバムに参加しているボビー・ブルームというギタリストが滅法カッコよくてね、大学時代によく聴いた。
ロリンズももう90歳だからね。

11_sr
そういう曲がマーラーの交響曲にもあったような気がして、最近買ったクラウス・テンシュテットの16枚組の交響曲全集をドバ~っと聴いてみたけどわからなかった。
ナゼかと言うと、聴いてて途中で寝ちゃうからなんだね。
でも今、グスタフ・マーラーの音楽が聴いていて一番オモシロい。

11_ktm_2ビデオの中でヒロアキくんが1人で何種類もの楽器を演奏するマルチっぷりをフィーチュアしているのも楽しい。
 
日本ではあまりなじみがないけど、英語で「音」のことを「note」というでしょ?
「ニジノート」というタイトルはそれを使ったシャレになっている…ハズ。
本人に確かめたワケじゃないけど、ひとつはその「Niji Note」。
もうひとつは「ニジノオト」、すなわち「虹の音」…ということだろう。
そして、虹は7色。
ヒロアキくんの「ニジノート」も「ド」から「シ」までの7つの音しか使っていない。
その「ドレミファソラシ」のバッキングのコードがタマらん!
で、「シ」で終わるでしょ?
この曲のキーはCで、そのメジャー・スケールの第7音のシのダイアトニックセブンス・コードは「Bm7-5」。
機能は「ドミナント」だから半音上昇したがって、「ナニが起こるんだろう?」と期待させる不安定な感じがいいんだな。
なんて知った風なことを書いていますが、私は音楽理論に詳しいワケではありません。
それより、ヒロアキくんが自身のブログで「ニジノート」に作曲に関する思いのたけを記しているのでご覧あれ。
そっちの方が全然オモシロイ。
 
コチラです⇒田川ヒロアキブログ

11_htそれでは田川ヒロアキの『アートにエールを!』への参加作品、「ニジノート」をお楽しみあれ!

『アートにエールを!』の詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト

11_tagawa2もうひとつ。
今度は「結人祭」。
「けつじんまつり」じゃないよ。
「きゅっとさい」と読むそうだ。
 副題を「学生と地域の人々を繋ぐお祭り」としている山口県山口市のお祭り。
今年で9回目を迎えるそうなのだが、今年は残念ながらオンラインでの開催。
昨日無事に終えたようだ。
そのテーマ曲「きゅっと」をヒロアキくんが作曲。
先般ウチのスタジオでそのビデオを撮影していった。
それがこのビデオ。
ヒロアキくんの登場は31:47あたりから。

 
結人祭の詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト

「♪キュッと、キュッと」はいいけど、コリャまた、ずいぶん小っちゃくなっちゃったな~!
ビデオはチラリとしか見えないけど、撮影時の実際のセットはこんな感じだったんよ!

11_0r4a0077…ということで近々田川ヒロアキが『BREAK the CODE』に登場します。
あ、「ニジノート」も「きゅっと」もギターの録音にはCODE25を使用しています。
 
田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano

Btc

200_2

(一部敬称略)

2020年9月13日 (日)

【BREAK the CODE】vol.8~ヤバイTシャツ屋さん こやまたくや

 
齢が重なってくると、着るモノが変わるのは避けられませんな。
「年相応の格好」というモノがある。
ダメね、年を取るとTシャツ姿が似合わない…というより、圧倒的にカッコ悪い。
もちろんお似合いの方もたくさんいらっしゃる。
でも、私はダメだわ…もうエリのあるシャツじゃないと。
やっぱりタキシードが一番似合うかな?
肩幅があるから…。
 
さて、プロ・ギタリストがCODEの魅力をお届けするビデオ・シリーズ、『BREAK the CODE 』。
第8弾は大人気のヤバイTシャツ屋さんの'こやまたくや'。
もう2年も前になるけど、一度ライブにお邪魔したことがありましてね。
メチャクチャおもしろかった。
我々世代が知っているロックとは世界が全く違うけど、曲もよくてね、若い人にウケるのは至極当然と思った。
私みたいな音楽変態のロックの化石ジジイでも存分に楽しめた。
バッチリMarshallだしね!
 
その時の記事はコチラ⇒ヤバイTシャツ屋さん "Galaxy of the Tank-top” TOUR 2018

 
その'たくや'さんが『BREAK the CODE』に参加してくれた。
ゼヒご覧ください!

※冒頭の「肩幅が広い」というのはヤバイTシャツ屋さんに「肩have a good day」という曲から。
「♪肩幅が広い人の方が 肩幅の狭い人より 発言に説得力が増す」と歌っている。
やっぱそう?

200  
(一部敬称略)

2020年9月 8日 (火)

Fury of Fear 西村守 Plays STUDIO VINTAGE <私的YouTube考をチョイと交えて 2>

 
しかし、ナンだね。
増えないもんだね…このYouTubeのチャンネル登録者数ってのは。
「Marshall」だぜ~?
オフィシャルだぜ~?
「Marshall」の名前がついてりゃチョロいもんだと思っていたけどトンデモナイわコリャ!
内容が悪いのか、やり方が悪いのか?
ハハハ、テコでも増えネェ。
なんだか全ての皆さんに申し訳ないような気になってくるわ。
 
ま、コレで一攫千金を狙っているワケではないので、チャンネル登録者数や視聴回数に拘泥せず、一時的な盛り上がりを重視することなく、将来にわたってロック好き、Marshall好きの皆さんに愛でて頂けるようなモノを自分なりに作っていきたいと思うことにしたの。
将来的には、「Marshall Japan」のチャンネルで、もっとMarshallのことを取り上げていきたいし、せっかくブリティッシュ・ロックの本場と付き合っているんだから、その辺りのことも取り扱いたいし、たとえ名前は知られてはいなくても、オリジナリティあふれるカッコいい音楽をMarshallで作っているチームを紹介していきたいなんて思うんですわ。
考えてみりゃ、コレってMarshall Blogの動画版じゃんね?
進歩がないけど、コレしかない。
YouTubeの「Marshall Japan」チャンネル、Marshall Blogともども今後ともよろしくお願い申し上げます。
まずはチャンネル登録お願いします!ってか?

コチラからどうぞ!⇒YouTube

コレ ↑ ↑ ↑ ってFrank Zappaの「Register to vote(投票権の登録をお願いします)」みたいでカッコよくね?
Marshall Japanチャンネルの出張登録所…。
アメリカは選挙ができる年齢に達しても、日本のように自動的に選挙権が付与されるワケではなく、意志のある人は「選挙人登録」をしないと投票することができない。
アメリカ人の友達にこのことを尋ねると、登録自体はごくごく簡単にできると言っていた。
そこで、ザッパは「もっと政治に関心を持って、アメリカをよくしよう!」という思想のもと、自分のコンサート会場に出張登録所を設けることを常としていた。
このことを言ってるワケ。
 
ロックへの「納得」と「共感」を得るために、また、若者とベテラン・リスナーの「分断から協調へ」を目指し、本当のロックの「自助・共助・公助」を実現するために清き1クリックをお願いします!
  
ということで、Fury of FearのまもちゃんのSTUDIOシリーズの<VINTAGE編>を公開しました!
コレも以前にMarshallブログで一度お見せしたモノだけど、今一度、チャンネルをご登録のうえお楽しみください!

Fury of Fearの詳しい情報はコチラ⇒official website

 

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2020年9月 3日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.52~変わりゆくロンドン <その4>デンマーク・ストリート(前編)

 
前回紹介したトッテナム・コート・ロードの工事現場の迂回路にかけられていた標識。
「London's Legendary Music Street TIN PAN ALLEY(ロンドンの伝説の音楽通り ティン・パン・アレイ)」と銘打っているのは「Denmark Street(デンマーク・ストリート)」。
も~、この『名所めぐり』で一体何回やれば気が済むんだ?…という感じだけど、またやる。
ココも変化が激しくてね。
新しく仕入れた知識を交えて、今一度この「ロンドンの音楽の通り」を案内させて頂きたい。
 
この標識は5年前に撮ったモノ。
ココで注目して頂きたいのは赤い文字で書かれた「JUST AROUND THE CORNER」と左下のギターアンプのイラスト。
このアンプ、Marshallではない。11_img_0242前の記事で「トッテナム・コート・ロードとソーホーという名前は覚えておいて!」って書いたでしょ?
というのは、コレ。
こんなことを歌った曲がある。
 
Down the way from the Tottenham Court Road
Just round the corner from old Soho
There's a place where the publishers go
If you don't know which way to go
Just open your ears and follow your nose
Cos the street is shakin' from the tapping of toes
You can hear that music play anytime on any day
Every rhythm, every way

トッテナム・コート・ロードのすぐ近く
いつものソーホーから行ってチョット曲がったところ
出版社が並んでいるところ
どう行ったらいいのか分からなければ
耳を澄ませて 鼻をきかせてごらん
つま先を鳴らす音で通りが揺れているから
いつでも、いつの日も音楽を演っているところ
あらゆるリズムで、あらゆるスタイルで…
 
この「いつでも音楽に満ち溢れている通り」がデンマーク・ストリート。
曲はThe Kinksで、その名もズバリの「Denmark Street」。
ね、「トッテナム・コート・ロード」に「ソーホー」に「Just around the corner」。
この最初の4小節は、Ray Daviesが「トッテナム・コート・ロード」という固有名詞を使いたいがために作ったメロディなのではないか?と思いたくなるほどバッチリとマッチしている。
口にしてとても気持ちがいい。
それに「Just around the corner」だなんて、この標識を作った人は絶対にThe Kinksを知っているハズだ。
そして、この曲を知っている通行人は標識を見てニヤリ。
いいな~、ロンドン。
下は1971年にフランスでリリースされたThe Kinksのシングル。
A面の「Animals in the Zoo」よりナゼかカップリングされた「Denmark Street」の方がゼンゼンいいと思うんですけど…。11_2imagesアルバムでは1970年のThe Kinksの8枚目のスタジオ・アルバム『Laura Versus Powerman and the Moneygoround, Part One(ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第一回戦)』に収録されている。
大ヒット曲、「Laura」が収録されているアルバムね。
そういえば「Laura」でも「old Soho」という歌詞が出て来る。
前々回に「ソーホー」をまた取り上げたけど、ロンドンっ子にとってはソーホーがいいんだろうな~。
こうしてThe Kinksはロンドンの固有名詞を歌詞に取り込んでいる曲がいくつもあって、コレが実にうれしくも楽しい!
ロンドン好きにはどうにもタマらんのだ!
ナニせ曲がどれも最高にいいからね。
そんなキンクスの曲を集めた「ロンドンのガイド」を編む準備をしている。
楽しいけど、コレがまた大変!

11_rp…ということで、チョイとそこまで…デンマーク・ストリートまで!
コレはトッテナム・コート・ロードの交差点からチャリング・クロス・ロードをチョット行ったところ。
70_2歌詞にあるように、この真ん中のオレンジ色の看板のお店を左に曲がれば…

75その「いつでも音楽に溢れた」ところ。
え…コレが?
このサビれた何の変哲もない180mほどのチッポケな通りがイギリスのティン・パン・アレイ?
そうなの。
コレがデンマーク・ストリートなの。

60通りの名前は17世紀の終わり頃、「George of Denmark(ジョージ・オブ・デンマーク)」にちなんで名づけられた。
ジョージはデンマーク国王フレゼリク3世の次男坊。
アン女王の王配。
「王配」とは平たく言うと、「女王様のダンナ」のこと。
もうイギリスの歴史ってのは「アン」だの「メアリー」だのがいつの時代もゾロゾロ出て来てサッパリ覚えられん!
そもそもヘンリー八世の6人の奥さんだって、ウチ2人が「アン」、他の2人が「キャサリン」だからね。
ココのアン女王は、在位が1702~1707年で、最後のイングランド(ウェールズ含む)とスコットランドの女王にして、最初のグレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)の女王…言葉で説明するとこういうになるけど、ココは旗で説明した方がわかりやすい。
 
この赤いイングランドの国旗と…

11_england_j_2
こっちの青いスコットランドの国旗を合体させて…

11_scotland_j
こういう風になった時代の一番偉い人がアン女王、

11_union_j つまり、このアンが女王の時にイングランドとスコットランドがひっついて今のイギリスの基盤になったんだね。
その後、北アイルランドが併合されて今の国旗になったというワケ。11_uj コレは全く知らなかったんだけど、1930年代には日本人が経営する本屋やレストラン、美容室やホテルが出来て、デンマーク・ストリートは「リトル・トーキョー」の異名を取ったのだそうだ。

90_2コレは私が撮った一番古いデンマーク・ストリートの写真。
2002年、初めてロンドンを訪れた時のこと。
イギリス・ナンバーワンの楽器屋街。
日本で言えば御茶ノ水。
さっき通ったチャリングクロスは日本の神保町。
楽器屋街と古本屋街がくっついているなんて、日本とまったく同じじゃん?
 
この時は特に「さびれている」というイメージはなかったな。
仲良しだったMarshallのスティーブが連れて来てくれた。
スティーブはMarshallを退職した後、不幸にしてこの世を去ってしまったが、この時に私に紹介してくれた美しいガールフレンドとはfacebookで今でもつながっている。
3人でピザを食べに行ってね。
ココには出さないけど今でもその時に撮った写真を大切に保管している。96aこの頃はHANK'Sがこんな感じだった。
写真の右上に写っている青い看板の建物を見ておいてね。

96cこの頃はデンマーク・ストリートの外、つまりチャリング・クロス・ロードにもいくつかの楽器店が盛んに営業していた。
上に出て来たスティーブはその昔、この「Macari's」でアルバイトをしていたと言っていた。
スティーブがココへ連れて来てくれたのは、たまたまJohn Entwistleがなくなった翌日のことで、店内はその話で持ち切りだった。

96eこのturnkeyという店は1階がデジタル楽器売り場で2階が従来楽器の売り場で結構Marshallが並んでいたが、今はもうない。
ツブれた。
下の写真はツブれた後に撮った写真。
「TO LET」とは「貸室あり」という意味。
「トイレ」じゃないからね。96dまたデンマーク・ストリートに戻る。
チャリング・クロス・ロードから通りに入ってすぐの右側。
「Rose Morris(ローズ・モーリス)」というお店。
私が最初に来た時は確か1店舗だけしかなかった。

120今ではもう1店舗増えていて、お店によって取扱い商品を分けている。
このローズ・モーリス、コアなMarshallファンの方にはおなじみの名前だろう。
昔はチャリング・クロスにあった老舗の楽器店で、1964年にリッケンバッカーの輸入販売代理店となり、その他にも色々なブラントの楽器を取り扱っていた。
そして、1966年からMarshallの販売総代理店となった。
かつてジムは何かのインタビューで(BBCラジオだったかな?)、ジムは当時ピート・タウンゼンドがブッ壊したMarshallだけでなく、リッケンバッカーのギターも修理していたと言っていた。
なるほど、こういう関係があったのね?
 
「販売総代理店」…「総」だからね。
国内外を問わず、Marshallの作った商品はすべてこのローズ・モーリスを通して販売された。
その際、ローズ・モーリスは法外なマージンを乗せていた。
それでもバンバン売れたワケだから、Marshallのギター・アンプはメチャクチャ求心力のある商品だったのだ。
何せ時の音楽を変えた楽器だからね。
それなのに、Marshallの儲けはチョビっとだったの。
昔はMarshallの値段って高かったからね~。
でも日本の場合は、ローズ・モーリスの暴利だけが原因ではなく、円vs.ポンドの為替レートが不利であったことに加え、関税がガッツリかけられていたこともあったようだ。
自分が作った商品をMarshallが勝手に誰かに販売するなんてことはもっての他。
仕方ない、そういう契約をしちゃったんだから。
だから、「コレはMarshallじゃないけんね」と、「Park」や「NARB」や「KITCHEN-Marshall」というMarshallによる類似ブランドが誕生した。
今だからこそ「ナンだってジムはそんな契約をしてしまったんだ?」と思うけど、やはり当時は1920年創業の老舗だけに、ローズ・モーリスに強靭な営業力があったように見えたのではなかろうか?
Marshallは時代の音楽の変化に合わせて1959や1960等、JTM45に続くモデルを何としても世界的に販売したかったんでしょう。
そこでローズ・モーリスの力を借りたのではなかろうか?
ジャパネットより何十年も先に「良いモノをより安く」自分の商品を販売したかったジム・マーシャルはこのローズ・モーリスとの契約に大層後悔したそうだ。
100_2生前、ジムはよく「『スタック』という言葉を最初に使ったのは私なんだよ、フォッフォッフォッ」と言っていた。
ところが、ローズ・モーリスはこの「スタック」という表現を使いたがらず、アンプ・ヘッドとスピーカー・キャビネットが別々になっている仕様を「セットアップ」と呼んだ。
下は当時のローズ・モーリス制作のMarshallのカタログ。
「ウインター・コレクション」だなんて、まるでファッションだな。
コレ、「LEAD」という呼び方もローズ・モーリスによるものだったのかナァ?
「LEAD」というのは「ギター」のことね。
PAやオルガン用のアンプも当時は重要な商品群だった。
1959だの、2203だの4ケタのモデル・ナンバーもローズ・モーリスの仕事。
「UNIT〇〇」も同様だ。
Marshallはこのあたりに関与していない…というか、「ボク、売る人。キミ、作る人」という具合にMarshalは販売政策に全く関与できなかったのかも知れない。

12mae_roseところで、このMarshallのモデル・ナンバーね。
1959、1960、1974…一体この4桁の数字はどこから来たんだ?どうやって決めているんだ?…と不思議に思う人はきっと少なくないでしょう?
「19」始まりの番号なので、一瞬「そのモデルが発表された年」と思うのもムリはない。
ブ~!
違います。
1959や1962が発売になったのは1965年のこと。
発売年とモデル・ナンバーには一切関連性がない…ま、このことをご存知の人は多いハズ。
 
よくMarshall Blogでやるのは、例えば1959の定義は「100W、マスター・ボリュームなし、4インプット」で、そういう仕様のモデルは赤かろうが、三角だろうが、すべて「1959」と呼ぶことになっている…というヤツ。
同じように「100W、マスター・ボリュームつき、2インプット」仕様のモデルは「2203」ね。
コレはMarshall一番のベテラン社員から教わったので間違いではないだろう…というか、後追いでそう定義づけたのだろう。
 
しからば、ローズ・モーリスは1959等の4ケタの数字をどこから持ってきたか…。
 
ココで話はリッケンバッカーに飛ぶ。
私はビートルズは大好きなんだけど、リッケンバッカーというギターに興味を持ったことが一度もない人生だった。
実際、一度も触ったことがない。
キラっているワケでは全くないんですよ。
本当にそういう機会がなかっただけ。
なので、この年になるまでモデル・ナンバーなんて全く知らなかった。
リッケンバッカーは母国アメリカでは3ケタの数字を使ってモデルにナンバーを振っていたが、前述のようにイギリスで輸入代理店を務めていたローズ・モーリスは、特注でボディに「fホール」を付けて、独自に4ケタのモデル・ナンバーを割り振っていた。
今風に言えば「ローズ・モーリスのオリジナル・モデル」ね。
例えばコレ。
12弦のピート・タウンゼント・モデル。
本国アメリカでは「360」という型番なのかな?
しかし、ローズ・モーリスはこのモデルに「1993」というモデル・ナンバーを与えた。
「1993」、「いちきゅうきゅうさん」…なんかMarshallチームの皆さんには馴染みやすい数字じゃない?

1993じゃコレは?
下は何年か前に出たMotorheadのLemmyモデルなんだけど、元は「Super Bass」という名前でおなじみの100Wのベース・アンプでモデル・ナンバーは「1992」。
どうですか?
Marshallの「1992」、リッケンバッカーの「1993」。
もうピンと来たでしょ?
そう、ローズ・モーリスはブランドに関係なく、取り扱う商品に片っ端から順番に番号を割り振っていたのです。
だから、1959の周りと言えば…
1958:2x10"コンボ
1959:100Wヘッド
1960:4x12"キャビネット
1961:4x10"コンボ
1962:2x12"コンボ
…となんの脈略もないスペックのモデルが連番になっている。
で、私がザッと調べたところでは、1963、1964、1965というモデルがMarshallには見当たらない。
何か別のブランドの商品にそれらの番号が割り振られたのかもしれない。1992lemそして、1966はMarshall製品。
200WのMAJORシリーズがこの辺りの番号をもらっている。
1966はPA用のヘッド。

11_1966pa そして、その次の1967は「Pig」の名で知られるギター用のアンプヘッド。
このモデルは例外的に型番と発売年が同じで1967。
オモシロでしょう?
え、オモシロくない?
コレ、興味のない人にとっては最低の1本だな。
若い人はまず喜ぶまい。

11_21967恥ずかしながら、今回リッケンバッカーのイギリスでのモデル・ナンバーことを知って、このシステムに気づいた次第。
ま、この推測に確信はあったけれど、もし間違えていたら大変だと思い誰かに確認したくなった。
もうMarshallにはこの辺りのことを知っている古い人がいないので、さて一体誰に訊いたらよいのやら…。
そこで思い出したのがこの本。11_book1_2そして、この本。

11_0r4a0151さらにこの本。

11_0r4a0158上の日本語版を監修したのがワタシ。

11_0r4a0154このナンバリングの疑問を解いてくれるのは、これらの本を書いたマイケル・ドイルしかいない!と思いたち、すぐにアメリカにメールをしてみた。
下は今年のNAMMの時の写真。
向かって右はMarshall GALAでおなじみのジョナサン・エラリーMarshall社社長。
一番左は、昔一緒に仕事をしていたJC。
ウチに遊びに来てくれたこともある仲良し。
今ではそのJCとマイケルの職場が偶然同じで(誰もが知っているアメリカ最大の楽器屋さん)、「アナタの書いた本の日本語版を監修した日本人が私の友人で、Marshallのブースにいるよ」と、私に引き合わせるために、JCがマイケルを連れて来てくれた。
当然エラリー社長はマイケルのことをよく知っているので4人で記念撮影と相成った。
マイケルは丁寧に私の仕事にお礼を述べてくれた。
こんなことがあったので、マイケルに今回質問を投げかけることができた。11_img_2739マイケルにその質問を認めてメールを送ると、直ちに返信があった。
彼の答えは「まったくShigeの指摘通りです。ローズ・モーリスは自分たちが取り扱うオリジナル商品に片っ端から連続で番号を振っていたんです。
このことは生前のケン・ブランから直接聞いているので間違いありません。
以前、どこかに書いたことがあったんだけど…忘れちゃった!」という返事。
推測通りだった。
だから、ローズ・モーリスの事務所の中で…
「オイ、こないだのMarshallのベーアンって何番にしたっけ?」
「あの100Wのヤツか?アレは1992だったぞ」
「了解!それじゃ今度のピートのリッケンの12弦は1993でいいな?」
「いいんじゃん?」
…という会話があったのかも知れない。
ロックの歴史の一部を作った1959とか、1987とか、金科玉条に取り扱っているモデル・ナンバーがこんな風にして採番されていたなんて…正直チョット興ざめするナァ。
ちなみにJTM45はローズ・モーリスがMarshallを取り扱う以前のモデルだし、1912や1922のようなモデルはローズ・モーリスから離れた後にリリースした商品なのでMarshallがモデル名を付けている。
ただ、いくつかの疑問が残っていて…
①Marshallがローズ・モーリスと契約したのは1966年であるにもかかわらず、1959や1960等の1965年に発売されたモデルにローズ・モーリスがモデル・ナンバーを与えているのはナゼか?
②1959が発売された5年後の1967年にリリースされた20WのPA用ヘッド(通称「PA20」)に1917という1959より若い番号が振られていること。
欠番になっていたのを後から補ったのだろうか?
こうした順番の入り繰りは他にも例があるようだが…。
③ローズ・モーリス時代、2203のような2000番台のモデルの他、3000番台、最大で4000番台のモデル(JCM900とは当然無関係)が存在していた。
4000まで番号が連なっていたのだろうか?
多分、それはないでしょう。
とすると、ローズ・モーリスはどうやって1000の位の数字をカテゴライズしていたのだろうか?
 
ま、どうでもいいか。
チョット今名前が出たので…。
下は2012年に開催された『ジム・マーシャルの生涯を祝う会』でご一緒させて頂いた故ケン・ブラン氏と。
一度でいいからお会いしたかったのでこの時はとてもうれしかった。170 下はローズ・モーリスが発行していたフリー・ペーパー。
過去に一度、Marshall Blogでゾロゾロと紹介したことがあったが、今回、まだ表に出したことがないモノがいくつか出て来た。
それが結構オモシロくて…近々それをネタに1本編もうかと思っている。
ね、Jethro TullはMarshallなんだよ。

12img_7729
さて、ジムが後悔したローズ・モーリスとの15年契約。
Marshallは一計を案じた。
60年代の後半から70年代の前半にかけて、Marshallが生み出すパワフルなギター・サウンドがロックに大革命が起こす。
Led ZeppelinやDeep Purpleに代表されるハード・ロック時代=歪み天国の時代である。
Marshallはマスター・ボリュームというテクノロジーを導入し、従来のアンプよりより小さい音量でより歪むモデルを1975年に発表する。
100W、マスター・ボリュームつき、2インプット仕様の「2203」だ。
日本では2203のことを「はっぴゃく、はっぴゃく」と呼んでいるが、JCM800シリーズが登場する前から2203はあったのよ。
アレ、日本では不思議と「はっぴゃく」は2203、「きゅうひゃく」は4100、「にせん」はDSLが同義語になっているんだよね。時々…
「Marshallを使ってます!」
「ああ、どうもありがとう!で、どのモデルを使っているの?」
「『にせん』です!」
「DSL?TSL?」
「はあ?ナニ言ってんだかわかんない。『にせん』を使っているんですけど…」
「……(絶句)。やっぱマーシャルだよね~!」
なんてことがあるんですよ。

Jmp2_2そして、1981年、ローズ・モーリスとの契約が終了したのと同時にMarshallは2203を中心にした新しいラインナップ「JCM800」シリーズを発表する。
James Charles Marshall…ん~、思いっきりジムの名前をフィーチュアしちゃって!
ローズ・モーリスにはズッ~っと隠していたワケ。
フロント・パネルにジムのサインをあしらったのは「Marshallはオレの会社じゃけんね!」とアッピールしたかったかのように見える。
この端から端までガバチョと開いたフロント・パネルを擁するルックスは、当時のギタリストにとってインパクトが生半可じゃなかったらしい。
でも、ブラック、ゴールド、ホワイトの配色はキッチリ踏襲した。
この完璧なカラー・コーディネーションはジム・マーシャルの偉大な発明だよ。
悪いんだけど、コピーのメーカーさん、マネしないでくれますか?
あ、コレをマネしているからコピーなんだ。
 
1981年といえばマイルスが来日した年だな?
この時の新宿のコンサートは行っておけばヨカッタ…。
私は大学生だったけど、JCM800のことはゼンゼン知らなかった。
当時私はJMP時代の1959と1960AXを使っていた。

800_1アメリカでもこんな広告を作ってMarshallの新しい門出を祝った。
恐らくデンマーク・ストリートも「JCM800シリーズ」で大いに盛り上がったことだろう。Adそして、JCM800シリーズは世界中で大ヒットし、Marshallは莫大な外貨を獲得し、1984年にエリザベス女王から勲章を授かった。(写真のフル・スタックはJCM900だけどね)

11_0r4a0477チョット、もう疲れちゃったのでココでおしまい。
でも、デンマーク・ストリートのお話はまだ続く。
スゴい話を見つけちゃったのです。
お楽しみに。
コリャまだまだHipgnosisにたどり着けそうにないな。
 
<つづく> 

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2020年9月 2日 (水)

JEKYLL★RONOVE~Go To A Dream within a Dream

 
久しぶりにバンドの生演奏の場にお邪魔した。
無観客の配信ライブの現場だ。
会場は何度も訪れている新宿のWild Side Tokyoさん。
客席はこの通り。
床に貼ってあるのはソーシャル・ディスタンス・ポイント。10それぞれが動物の足跡になってるの。
私は寅年なのでTigerにしよう。20午年の人はコレね。30蛙年の人はココだよ。

40そういえば先日、カラッカラに晴れた日、事務所の前の道路にこんなヤツがいたんよ。
車に轢かれてペッチャンコになってしまってはかわいそうだし、Tシャツに貼り付かれてももう「ド根性」が出せる年齢ではないので、傘で追い立てて道路の端に避難させた。
結構大きかったけど、ナンていう種類なんだろう。
カエルオタクの人、教えて!
ちなみにカエルは「無事に帰る」に通じることから「交通安全」のお守りになっているんですよ。
「お宅に帰る」ってか。

Photo 開演の時間というのか、放送の時間っていうのか…とにかく準備が着々と進む。
先日D_DriveのYukiちゃんが単独で出演した配信番組というのをMarshall Blogでレポートさせて頂いたが、冒頭に書いた通り、こうしたバンド形態での配信は初めての経験。
もう長年見慣れたこのセッティングの風景。
この後開場の時間になって、この日のライブを楽しみにしていたファンが堰を切ったように場内になだれ込んでくる。
そして、開演。
1曲目が終わって大きな歓声が沸き上がる。
「オマエら最後まで行けんのカァァァァッ!」
途中で帰るぐらいなら、そもそも会場に来たりはしないってば…お金払ってんだから。
…なんて段取りが今日はない。
ものスゴく不思議な気持ちでこの今回はこの光景を眺めていた。50今日はJEKYLL★RONOVEの『Go To A Dream within a Dream』と銘打った配信ライブ。
以前、NATALドラマーのMayoちゃんのフェスティバルでレポートした通り、昨年末にリズム隊の2人がジキロノを離れることになり、今年になって当のMayoちゃんの正式加入が決定したのだ~!
そして、今回はMayoちゃんが参加してから初めての本格的なステージだったというワケ。

60昨年の12月に旧メンバーでリリースした2枚目のフル・アルバム『A Dream within a Dream』。
今日のショウのタイトルはこのアルバムにちなんでのモノ。70cd開演時間になってステージに上がって円陣を組む4人。
わかっちゃいるけど、やっぱりお客さんがいない!
長い間こういう仕事をしていると、コロナ前でもごく稀にコレに似た光景に出くわすことが正直あったけどね~…やっぱり寂しいナァ。

80いよいよショウがスタート!

90Jekyll

100vN★OTO(なおと)110vN★OTOのMarshall。
今日も大愛用の2555X Silver Jubileeと1960BVで暴れまくる。120v新加入のベーシストはYOU。

130vそして、Mayo。

140vお気に入りのバーチ。
コンフィギュレーションは12"、13"、16"、22"。

1501曲目はその最近作から「Seize the Day」。
アルバムのオープナーだ

160_stdMarshallの粘り気の強いサウンドがブラッシングをクールに演出する。

170久しぶりのJEKYLLの歌声!
190ベースのピックアップ・ソロから…

180_2Marshallとレスポールのコンビネーションの素晴らしさをアッピールするかのようなギター・ソロ!

210vバッチリですな…
Mayoちゃんとジキロノ。
そして、NATALとジキロノ。
もちろんコレはMayoちゃんが叩いているから!200vやっぱりJEKYLLの歌はカッコいい!
昨年の11月にMayoちゃんがやっているAZAZELで客演した時の歌もスゴかった。
出て来ていきなり「オメェら、ボケっとしてたらブッ飛ばすぞ、コノヤロ~!おいそこの!耳の穴、よくかっぽじって最後まで楽しんでいきやがれ~!」…なんて乱暴はことはもちろん一切言わないんだけど、歌がそういう雰囲気を醸し出してる。
それがロックの歌だよ。
「ありがとう、ゴメンなさい」がロックであることを許してはならない。
だからこうしてマーブロやってんだ、コノヤロー!…あ、失礼、ついJEKYLLにつられてしまった!220vお客さんの有無なんて全く意に介さない火の玉のようなパフォーマンス!
ま、こうなるとは思ってナンの心配もしていなかったけど…。

230_bs続いてはアルバムの曲順通りに「Biblical Sense」。

250「4つ打ち」もヘヴィにキメて見せるMayoちゃん。
この「♪チッターチッター」というビートをナゼ「4つ打ち」と呼ぶのだ?
誰がそう呼び始めたんだろう?
いつも気になる。

280v印象的なキメのフレーズを挟み込んだソロが鮮やか!

260「♪ジキルとハイドのように 肌を通して煮えたぎる愛はエクスタシー 愛のふたつの顔をみせてあげる」
このサビの「♪Love is ecstacy」の2小節が実によく耳に残るんだよね~。
『ジキル博士とハイド氏(The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde)』を書いたスティーブンソンはスコットランドはエジンバラの出身。

270vエジンバラの博物館に行くと、グラハム・ベルからショーン・コネリー、ベイ・シティ・ローラーズまでいかに多くの偉人をスコットランドから輩出しているかの展示がしてあって、それが「イングランドに負けてたまるか!」と対抗心を燃やしているようでオモシロい。
オッソロシク美しい街だけど、2日半滞在して雨が降っていない瞬間はホボなかった。
 
興味のある方はコチラをどうぞ⇒【Shige Blog】イギリス紀行2012 その7~エジンバラ

6a0163044657d3970d017742e14cd897_2 おお、そういえばモード・ジャズの先駆けとなった名盤の誉れ高いMiles Davisの1958年のアルバム、『Milestones』の1曲目は「Dr. Jekyll」という曲だよ。カッコいいよ。

Photo_2アタマ2曲、ド迫力のプレイで滑り出した!
290_nlgMCも当然普通のライブ通りに挟み込まれるんだけど、コレはさすがにやりにくいよね。
昔持っていた古今亭志ん生の無観客のスタジオ録音の高座のテープを思い出しちゃった。
やっぱり、客席から反応がないので、さすがの志ん生師匠も大変やりにくそうだったな。
JEKYLLはそれにもめげず、ごく普通にこなしていたのはサスガ。
290v次に繰り出したのはまだ音源になっていない新曲の「Never Let me Go」。

296vジキロノらしさ満点のドライビング・チューン!

297MCを挟んでバラードの「Always~The Answer is Blowin' in the Wind」。

310フジテレビのドラマ『ROAD TO EDEN』の挿入歌。
赤坂BLITZでお披露目のイベントが開催されたのはもう3年も前かのことか!
そのBLITZも今月で閉館だもんね~。
まだ山の上にあった頃、イングヴェイを観に行ったり、タクシーでArch EnemyにJCM900を配達したりしたのもいい思い出だ。
もちろんそんな感情は一切抜きにJEKYLLはこのバラードを切々と歌い上げた。

320v『A Dream~』から「Change of Mind」。330_chこれまたいかにもジキロノらしいミディアム・テンポのヘヴィ・ナンバー。
YOUさんのベースと…
350vMayoちゃんのドラムスがガッチリと組み合ってその「ヘヴィ感」を強調する。340vそこへ切り込むギター・ソロ。
コンパクトで中身の濃いソロだ。360この曲はJEKYLLの声の魅力が実にうまく活かされていると思う。
やっぱり「音楽」は「歌」だネェ。
そして「歌」は「声」だネェ。
今、こういう正統な「ロックの声」で歌うロック・シンガー人は男女を問わずかなり少ないよね。
若いバンドさんの中には全く見かけることができない。
もっともこんなカッコいい声で「ありがとう、ゴメンね」と歌われても困るけどね。

370v今度はメンバーを交えてのMC。
「さて、残すはあと3曲になりました!」
「シーン!」
ま、仕方ない。

380しばらく舞台から遠ざかっている間に、衣装がスッカリ縮んでしまったというMayoちゃん。
衣装が縮んだのではなくて、着ている方が大きくなったことは本人に言われなくてもみんな気が付いている。

400v緊張するんだそうです…この手のライブは。
ナゼかというと、PA卓の音がそのまま送り出されてしまうからだという。
つまりミスをするとそれがあからさまにわかってしまうっていうんだな。
ん?ということは、普段はミスしてもヘッチャラということか…。410「When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again(音楽を聴いていて、それが終ると音は空気の中に消えてしまう。そして、それをつかむことは二度と出来ない)」
…とは天才アルトサックス奏者、エリック・ドルフィーの『Lat Date』に出て来る有名なセリフを思い出す。
今、ジャケットはコレじゃないんだけど、私は若い頃コレで親しんだので敢えてこのデザインを挙げておいた。
11_ld そして、ショウは最終コーナーに入る。
最後までブッ飛ばしていくぞ~!420_gooまずは、2018年にリリースした3枚目シングル『Oneness』から「Go Hand in Hand」。

430v開演前は「緊張するぅ~!」の連発だったMayoちゃんだけど、一旦ステージに上がっちゃえば大丈夫。
思いっ切りNATALを鳴らしまくってくれた!

450_kc2男子チームの息もピッタリだ。

460残る2曲はジキロノのキラー・チューン。

470v「Guilt or Innocence」をブチかます!480vYOUさんもノリノリだ!
500vそして、最後は「Helter Skelter」で締めくくった。

4901時間という時間でタップリとジキロノの魅力を爆発させたステージだった。510vMCはさすがにやりづらそうだったけど、演奏に関してはお客さんの有無はあんまり関係ない感じの白熱っぷりだったよ。520こういうのお客さんはナニで見ているのかしらん?
パソコン?スマホ?
パソコンをテレビにつないでいるとか?
とにかく、向こう側のお客さんにバイバ~イ。

530JEKYLL★RONOVEの詳しい情報はコチラ⇒JEKYLL★RONOVE official site

540さて、今さかんに展開しているのはプロ・ギタリストがCODEのサウンドメイキングを伝授するシリーズ『BREAk the CODE』。
Btcコレに近々ジキロノが登場するのでお楽しみに!
 
BREAK the CODEはコチラ⇒Marshall Blog
550   

200_3 

(一部敬称略 2020年8月22日 新宿Wild Side Tokyoにて撮影)

2020年9月 1日 (火)

【BREAK the CODE】vol.7~SHO from MY FIRST STORY

プロ・ギタリストがMarshall CODEの魅力をお伝えする『BREAK the CODE』の第7弾はMY FIRST STORYのSHO!

MY FIRST STORYの詳しい情報はコチラ⇒OFFICIAL SITE

 

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Fury of Fear 西村守 Plays STUDIO CLASSIC <私的YouTube考をチョイと交えて>

 
YouTubeってのは2005年、今から15年前に設立されたそうで…。
その後、いつ日本に広まったのかは知らないが、昔は「ウワ~、ジミヘンのこんな映像があったんだ~」なんて、ビデオがなかった時代に育った我々には、そうした存在すら知らなかった動画を無料で見れることが大きな驚きだったのを覚えている。
それでも、私には「エンターテイメントは無料ではない」という確固たる信念と、いいモノが見たければお金を出してパッケージを所有すべしという思いがあって、YouTubeの視聴に夢中になったことは一度もない。
何でも見れちゃうから飽きちゃうんだよね。
「見て楽しむ」ということより、「次のモノを探すのがツラい」…みたいな。
しかし、珍妙な音源がアップロードされているのは正直助かりますな。
残念ながらお金を払っているSpotifyなんかは有名なアイテムばかりで、ゼンゼン頼りない。
私のような音楽変態が調べものをする時には、キテレツなアイテムを驚くほど収容しているYouTubeの方がゼンゼン有用だったりする。
でもその「レアなビデオや音源に接するモノ」と思い込んでいたYouTubeの在り方が今では大きく変化して、最近では「憧れの職業はユーチューバー」なんてことを言う若者が増えているじゃない?
公序良俗に反しない限りYouTubeの使い方に規定があるワケではないだろうし、閲覧だけでなく自由にビデオを投稿できるのが大きな魅力なのでしょうから、今の状態に至ったのは当然のことなんでしょう。
テレビもオモシロくないしね。
ところが、この動画の視聴回数への拘泥し具合が尋常ではないように思うんだよね。
視聴回数を増やすためなら何でもする…という風潮が実際に犯罪を誘発しているワケだし。
でも何よりも気がかりなのは、「視聴回数が多いモノは良いモノだ」とか「人気の動画は正しい」と勘違いしている視聴者の姿勢だと思うのです。
「良いモノ」だから人気が出るのは当然という面はあるんだけど、それは受け取り手に良いモノを判断する能力があっての話。
今、そんなんじゃないでしょう?
音楽のヒットチャートを覗いてみれば一目瞭然なように4つか5つのバンドやミュージシャンの名前が独占しているでしょう?
こんなの異常だと思わない?
ビートルズの時代だったら話はわかるよ。
情報が氾濫し過ぎていて、消費者がどうしていいのかわからず、とにかく流行りのモノに乗っておこうという危険な発想の賜物でしょう。
「この動画は視聴回数も高評価かも少ないからダメだ」と決めるのは愚の骨頂。
その動画に良いかどうかの判断を下すのは視聴者本人の感性でしょう。
私はYouTubeのようなモノがもっと日本人のエンターテイメントに対する間口を広げ、芸術面での民度やを少しでも上げるためのツールに使われることを切に願う。
日がな一日YouTubeを見ていて、「こんなカッコ音楽を演っているバンドを見つけた!」とか「こんないい音楽がこの世にあったのか!」と未知の世界を広げて欲しいワケ。
それにしてもビデオ、ビデオ…すべての面において「音楽はSNSに殺された」としか言いようがない。
現時点においては、SNSはライブ配信で活躍して、少しでも音楽に罪滅ぼしをしてもらいたいと思うわ。
  
と、つべこべ言ってみたころで時代の趨勢には抗えないので、Marshall Blogもビデオをゴチャゴチャやるようになったけど、「視聴回数」や「チャンネル登録」の数というのはテコでも伸びないもんですな~。
ま、ビデオの内容やサムネイルの良し悪しはさておいて、「Marshall」の名前(オフィシャルですよ!)がついていてもゼンゼンだわ。
チャンネル登録者を多く抱えていて、視聴回数を稼ぐミュージシャンのアカウントから動画をアップしてもらうという手もあるらしく、実際にそういう手法で商品の宣伝をしているブランドもある…なんて話も聞いた。
「PRの仕事」という観点から見れば、それも確かにひとつの手なんだけど、Marshallはそんなことは絶対にしたくない。
MarshallはMarshallでやる。
コアなヤツをやっていく。
でもさ、コレ存外に制作するのがオモシロくてさ…結構夢中になっちゃうんだよね。
撮影するのも素材を集めるのもかなり苦労するんだけど、編集作業が実に楽しいのです。
反面、ブログの存在価値がドンドン薄れてしまっているのが気になるが、Marshall Blogはブログでしかできないことを続けて行こうと思っています。
だから「Marshall Japan」のチャンネル登録をよろしくお願いします。
 
ということで、今回は約1年前にMarshall Blog上で公開したFury of Fearの西村守が弾くSTUDIO CLASSICのデモ動画を1本にまとめてYouTubeにアップロードしました。
動画自体の内容は以前と同じですけど、チョット見てみて!

 

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