田川ヒロアキにエールを!
若いウチは何でも「知ってる、知ってる」と言いたがるモノよ。
例え知らないことでもサ。
それでも、人間、歳を取って来ると「アラ~、知らなかったわ~」と、意地を張らず、自分に正直になることがとても気持ちよく感じられるようになるモノでしてな。
コレも身をキレイにしてあの世に旅立つ準備のひとつなのかしらん?
イヤイヤ、さすがに「ロックンロールにゃ老だけど死ぬにはチョイと若すぎる」わね。
今日はギタリストとしてだけでなく、作曲家として超多忙な毎日を送っている田川ヒロアキの話題。
『ロックンロールにゃ老だけど死ぬにはチョイと若すぎる(Too Old to Rock'n'Roll : Too Young to Die)』はJethro Tullの1976年のアルバムね。
「too…to~」構文は中学2年ぐらいで習うんだっけ?
「トゥー・トゥー」で「…すぎて~できない」ってヤツね。
テストの最中にヨコの席のヤツに「どっちのトゥーが前だか教えろ!」なんて小声で訊いているヤツがいたっけ。
「ロックンロールにゃ老だけど死ぬにはチョイと若すぎる」なんて言ってるけど、それじゃこのアルバムを出した時、Jethro Tullのフロント・マン、イアン・アンダーソンは一体いくつだったのか…。
調べたところ…まだ29歳だった!
昔のロック界は29歳でもう「老」だったんだね。
実際、私が高校生の頃は確かにそうだった。
70年代の終わりごろね。
「30過ぎてバンドなんかやっているヤツはバカだ」って言われていた。
コレ本当の話。
「ロック」という音楽自体の年齢がまだ低かったから。
今では30歳台ってヘタをすりゃまだ若手だもんね。
さて、まだ本線にも入っていないが、ココから本格的な脱線。
このJethro Tull、バンド自体は社交ダンスの世界選手権が開催される有名なイギリスのリゾート地、ブラックプールの出身。
リバプールの近くね。
でも、イアン・アンダーソンはスコティッシュなのね。
「Dunfermline(ダンファームリン)」という町の出で、「鉄鋼王」で知られるアンドリュー・カーネギーもこの町の出だそうだ。
「カーネギー・ホール」の「カーネギー」ね。
イギリス人だったのね?
で、このダンファームリンという町がどこにあるのか調べているウチに興味深いことを発見した。
ダンファームリンは、「Firth of Forth(フォース湾)」を挟んだエジンバラの北方にある町。
ピーター・ガブリエル在籍時代の最後のGenesisのアルバム『Selling England by the Pound(月影の騎士)』に収録されている名曲「Firth of Fifth」はその「フォース湾」のもじりであることは既に何回か書いている。
ちなみにこのアルバムはイギリスの『Classic Rock Magazine』の姉妹誌『Prog Rock Magazine』のアルバム選で第1位を獲得している。
で、そのフォース湾にかかっている1890年に竣工した鉄道橋が「Forth Bridge(フォース橋)」。
世界遺産。
8年前にエジンバラに行った時に見てくればよかったんだけど、見逃した。
死ぬまでに実物をこの目で見てみたいと思っている。
いつか行くぞ! 特にどこにも書いていないんだけど、この「Forth Bridge」は絶対に映画『The Bridge over River Kwai(戦場にかける橋)』の橋のモデルになっていると思うんだよね。
下がその映画のワンシーン。
映画はタイとミャンマーを結ぶ泰緬鉄道の建設現場が舞台となっている。
1944年の「インパール作戦」に備え、突貫工事が行われ、多くの犠牲者を出し、「死の鉄道」と呼ばれた軍用鉄道。
「史上最悪の作戦」と言われるインパール作戦は、イギリス軍が駐屯するインド北東部のインパール攻略を企てた無謀な作戦。
牟田口廉也中将指揮の元、参戦した兵士のほとんどが犠牲となった。
しかも、戦死ではなく飢えと病気で絶命した。
作戦は中止となったが、その退路は、連なるは日本兵の死骸から「白骨街道」と呼ばれた。
この牟田口っていうの、自分は最前線から何百キロも離れた安全なところにいて、こんなことを側近に漏らしたという。
「そうさナァ、5,000も殺せばインパールは取れるだろう」
側近が「イギリス兵を5,000人倒せばですか?」と訊くと、「バカ、わが軍が5,000人も死ねば何とかなるだろう…と言っとるんだ!」
まったくヒドい話よ。
もっと他にもあるんだけどココでは今は書かないでおく。
いくらやっても使えやしない英語なんかを子供たちに教えるより、こうした「過去、日本人がいかにバカなことをしたか」を学校で教えるべきだと思うんですけどネェ。 脱線の方向が変わって来たので軌道修正していくと…
上の写真に写っているのはデヴィッド・ニーブンと早川雪舟。
いつかどこかに書いたけど、早川雪舟はアメリカで史上最も人気の高かった日本人俳優ね。
ビバリーヒルズの自宅で毎晩酒池肉林の宴を開くほどの大スターだった。
業界用語で何かをカマせて丈を稼ぐことを「セッシュウする」と言うが、語源はこの早川雪舟。
でも、実際の雪舟の身長は170cmほどで、そんなに小柄ではなかったらしい。
何せハンフリー・ボガートと共演した唯一の日本人だからね。
さて、そのフォース橋の建設現場。
そこに日本人の現場監督がいたと知って驚いた。
グラスゴー大学で土木工学を修めた「日本土木の父」と呼ばれる渡辺嘉一という人。
スゴイね~、驚きついでに…この渡辺さんという人、ナント、大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務め、「ブルックナーの名手」として知られる日本を代表する指揮者、朝比奈隆の実のお父さんだっていうんだよね~。
もうビックリ続きよ。
フォース橋とクワイ川の橋はともに「カンチレバー」という構造が同じなだけで、実際には映画のモデル云々ということではないのかも知れない。
いいの、いいの、こういうのはロマンだから。
下の写真はそのカンチレバー構造を説明している写真。
真ん中のオジちゃんがその渡辺嘉一さん。
ココでもう1回驚きたいんだけど、この写真、スコットランドの20ポンド札に使われていたんだよ。
イギリスの紙幣に登場した唯一の日本人がその渡辺さんというワケ。
ちなみにスコットランドは自治政府もあるぐらいで、イングランドとは別の貨幣が流通している。
スコットランドから帰って来た時、イングランドでその紙幣が使えるかエラく心配だったのをよく覚えている。
もちろん問題なく使えます。「脱線」ファンの皆さま、お楽しみ頂けましたでしょうか?
さてさて、今日の本題。
コロナで活動を自粛せざるを得ないアーティストが制作したビデオ作品をウェブサイトに掲載して活動を支援するイベント、『アートにエールを!』がインターネット上で開催されている。。
主催は東京都。
少額ではありますが、私が納める都民税が少しでもアートに役立ってうれしいなったら、うれしいな。
ココから第2脱線。
この「エール」って言葉ね。
今日の記事の一番最初の部分はココにつながっているのね。
そこに書いた通り白状すると、結構最近までこの「エール」が「大声を上げる」という意味の「yell」のことだとは知らなんだ。
大好きなビールの「ale」じゃないことはわかっていたし、もちろん大作曲家コール・ポーターの母校である「エール大学」の「Yale」とも違うことは知っていたけど…。
そして、我々世代で「エール」といえばチョコレートだろう。
「♪大きいことはいいことだ!」ってね。
あの頃は重厚長大の景気がいい活力に満ちた時代だったハズ…というのは、エール・チョコレートが発売されたのは昭和42年(1967年)だというから、私はまだ5歳だった。
景気がヨカッタかどうかまではわからない。
1967年といえば、ビートルズの『サージェント・ペッパーズ』が発表された年。
「『サージェント・ペッパーズ』ですべてが変わってしまった」とは岡井大二さんのご発言。
この時代を「お年頃」で体験してみたかったナァ。
一方、ジャズ界においては、マイルスは『Miles Smiles』と『Sorcerer』をリリース。
コルトレーンは「♪クルセ…………ママ」を出した年だ。
歌謡曲では「ブルー・シャトー」や「帰って来たヨッパライ」がヒットした年。
「赤影」に「キャプテン・ウルトラ」。
あのCMは1968年から放映されたようだ。
それにしても、6歳で見たにしては、あまりにも記憶がハッキリしてる。
かなりのロングランだったのかな?
いい時代だった…今ではナンでもカンでも小さくなりやがってよ…。
デジタル、デジタルと便利になった気になってるけど、実は失ったモノがたくさんあるということを知っておくべきだと思うんだよね。
モノがなくなると言葉がなくなるのね。
そして、新しく生まれて来るのはキマって英語とも日本ともつかない奇形の和製英語ばかり。
日本政府はフランスや北欧の国々のように「母国語の保護」に乗り出すべきと思う…やるワケないけどね。
ところで、この「エールを送る」の「エール」も和製英語で、残念ながらネイティブさんには通用しないので注意が必要だ。
じゃ、どういう単語を使えばいいかと考えてみるに…「cheer」かな?
チア・ガールの「チア」ね。
「元気づける」という意味。
で、調べてみたらそれでいいみたい。
動詞も名詞もあるので使いやすい単語でしょう。
と、思ったら『アートにエールを!』の公式ウエブサイトのURLも「cheer for art」になってた。
今、NHKの朝のドラマで『エール!』というのをやってるんだって?
それにちなんでるのかな?
自慢じゃないけど、私、これまで生きてきて「NHKの朝ドラ」とかいうのをただの1回も見たことがないんです。
別に主義主張があるワケでは決してないんですよ。
ただ単にそれを見ない家庭に育った…というだけの話。
父が職人で朝がかなり早かったからね。
大工が朝の8時に家にいるようじゃ仕事にはならないもんね。
はい、第2脱線が終わってココからが本当の本題。
田川ヒロアキの作品がその『アートにエールを!』の審査を通過して公開されている。
「ニジノート」という、もちろんオリジナルの曲。
その中でバッチリMarshallをフィーチャしてくれている。曲は「♪ドレミファソラシ」の7つの音列をそのまま大胆に導入したヒロアキくんらしいやさしく可愛いミディアム・スロー・ナンバー。
「♪ドレミファソラシド」をそのまま引用した曲というと、私はすぐにソニー・ロリンズの『No Problem』というアルバムの最終曲「Joyous Lake」がアタマに浮かぶ。
このアルバムに参加しているボビー・ブルームというギタリストが滅法カッコよくてね、大学時代によく聴いた。
ロリンズももう90歳だからね。
そういう曲がマーラーの交響曲にもあったような気がして、最近買ったクラウス・テンシュテットの16枚組の交響曲全集をドバ~っと聴いてみたけどわからなかった。
ナゼかと言うと、聴いてて途中で寝ちゃうからなんだね。
でも今、グスタフ・マーラーの音楽が聴いていて一番オモシロい。
ビデオの中でヒロアキくんが1人で何種類もの楽器を演奏するマルチっぷりをフィーチュアしているのも楽しい。
日本ではあまりなじみがないけど、英語で「音」のことを「note」というでしょ?
「ニジノート」というタイトルはそれを使ったシャレになっている…ハズ。
本人に確かめたワケじゃないけど、ひとつはその「Niji Note」。
もうひとつは「ニジノオト」、すなわち「虹の音」…ということだろう。
そして、虹は7色。
ヒロアキくんの「ニジノート」も「ド」から「シ」までの7つの音しか使っていない。
その「ドレミファソラシ」のバッキングのコードがタマらん!
で、「シ」で終わるでしょ?
この曲のキーはCで、そのメジャー・スケールの第7音のシのダイアトニックセブンス・コードは「Bm7-5」。
機能は「ドミナント」だから半音上昇したがって、「ナニが起こるんだろう?」と期待させる不安定な感じがいいんだな。
なんて知った風なことを書いていますが、私は音楽理論に詳しいワケではありません。
それより、ヒロアキくんが自身のブログで「ニジノート」に作曲に関する思いのたけを記しているのでご覧あれ。
そっちの方が全然オモシロイ。
コチラです⇒田川ヒロアキブログ
それでは田川ヒロアキの『アートにエールを!』への参加作品、「ニジノート」をお楽しみあれ!
『アートにエールを!』の詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト
もうひとつ。
今度は「結人祭」。
「けつじんまつり」じゃないよ。
「きゅっとさい」と読むそうだ。
副題を「学生と地域の人々を繋ぐお祭り」としている山口県山口市のお祭り。
今年で9回目を迎えるそうなのだが、今年は残念ながらオンラインでの開催。
昨日無事に終えたようだ。
そのテーマ曲「きゅっと」をヒロアキくんが作曲。
先般ウチのスタジオでそのビデオを撮影していった。
それがこのビデオ。
ヒロアキくんの登場は31:47あたりから。
結人祭の詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト
「♪キュッと、キュッと」はいいけど、コリャまた、ずいぶん小っちゃくなっちゃったな~!
ビデオはチラリとしか見えないけど、撮影時の実際のセットはこんな感じだったんよ!
…ということで近々田川ヒロアキが『BREAK the CODE』に登場します。
あ、「ニジノート」も「きゅっと」もギターの録音にはCODE25を使用しています。
田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano
(一部敬称略)