もうひとつテンション上がったのはGenesis。 仕事柄、私もずいぶんたくさんのイギリス人と付き合っているけど、インタビューにもあるように、「Genesisがスキ」というイギリス人に会ったのはもしかしたらスティーヴが初めてかも知れない。 「Afterglow」のチェスター・トンプソンのフィル(ザッパの「More Trouble Everyday」)の話で盛り上がっちゃったりして! 私が観た1978年の『And Then There Were Three』ツアーの東京公演のプログラムを見せるとスティーヴは大興奮。 その時に撮影したのが下の写真。 納豆以外は何でも大丈夫だそうで、家内の手料理をとても美味しそうに食べてくれた。 ホント、楽しかったナ~。
そして、The Tubesだもんね~。 更にピーター・ガブリエル。 Chrismaから最初のソロ・アルバムをリリースした翌年だったんだね。 この時のセットリストを見ると、「Moribund The Burgermeister」、「Here Comes The Flood」、「Waiting for the Big One」、「Solsbury Hill」等々そのファースト・アルバムの曲をバンバン演ったようだ。 私、あのアルバムが大好きだった。 2枚目が出てすぐに買って聴いたけど、まったくオモシロくなくて…以降ピーター・ガブリエルは一切聴いていない。 だから世間で「ゲイブリエル」と呼ばれていることもズット後になって知った。 私は「ガブリエル」でいい。 ファースト・アルバムの思い出を大切にしまっておきたいのだ。 それと、この時、ガブリエルはProcol Harumの「Whiter Shade Of Pale」やGenesisの「The Lamb Lies Down on Broadway」を演ってる。 やっぱり観たかったな~。
フランス語って難しいよナァ。 全く素養のないアタシなんぞ下の「Champs・Eleysees」が読めませんでしたよ。 「チャンプス・エリシーズ」ってなんだ?みたいな。 コレ、「シャンゼリゼ」と読む。 読まないなら最後の「s」を付けるな! 「Theatre Des Champs・Elysees」だから「シャンゼリゼ劇場」ですな。 下を見ると「BALLETS RUSSES」とある。<前編>に登場したセルゲイ・ディアギレフの「バレエ・リュス」だ。 コレは1913年の告知ポスターで、ストラヴィンスキーの『春の祭典』が初演され、上へ下への大騒ぎとなった年。 『春の祭典』はシャンゼリゼ劇場の杮落し公演だった。 ポスターのデザインはジャン・コクトー。 モデルはニジンスキー。 出し物はミハイル・フォーキンという有名なバレエ・ダンサーの振り付けによる『薔薇の精(Le Spectre de la Rose)』という作品。 フォーキンは他に『シェヘラザード』、『火の鳥』、『ペトルーシュカ』等のバレエ・リュス作品の振り付けを出がけた。 「薔薇の精」の音楽は、ウェーバーの元曲をヘクトール・ベルリオーズが管弦曲にアレンジした。 ニジンスキーが「薔薇の精」を演じ、バレエ・リュスの人気演目となったそうだ。
まずはロバート・ジンマーマン。 ボブ・ディランね。 オーストリアのマーチン・シャープというポップ・アーティストが、1968年に『Oz』というアングラ誌のために制作したイメージ・ポスター。 同心円がディランの顔の周りをビッシリ囲っている。 コレは万華鏡のイメージで、当時のサイケデリック・アーチストが好んで使ったモチーフだった。 かけているサングラスの右レンズに入ってる文言は「Blowing in the Wind」。 幻覚剤で向こうの世界へ行っちゃってるイメージを視覚化しているのだそうです。
有名な『Isle of Wight Festival(ワイト島のフェスティバル)』のポスター。 なんかミュシャっぽくてよろしいな。 ちなみに外人に「ミュシャ」と言っても通じない。「ムーカ」だ。 「ゴッホ」は「ゴッ」ね。 ワイト島はMarshallを海外に輸出する時に使う港、サウザンプトンの南にある島。 ビートルズの「When I'm Sixty Four」で「そんなにお金がかからなかったら、毎年夏にワイト島にコテージを借りよう」って歌うヤツね。 「isle」と「island」の違いは、一般的に「island」は「島」を表すのに対し、「isle」は小さい島を指す。 で、このフェスは1968年が第1回目の開催。元々は『Great South Coast Bank Holiday Pop Festival』と呼ばれていた。 「Bank Holiday」というのは1871年に導入されたイギリス独特の国民の休日で、読んで字のごとく、銀行が営業を休んじゃう。 国民が働きすぎるので、銀行を休みにしちゃえば国民すべてが休まざるを得ない…ということで導入された国民の休日。 今年のバンク・ホリディは5月6日の「Early May Bank Holiday」、5月27日の「Spring Bank Holiday」、そして8月26日の「Summer Bank Holiday」。 全部月曜日なんだけど、あまりにも日本に関係ないせいか、いつがバンク・ホリディなのかがサッパリ覚えられん。 すると、Marshallにメールを打って返事が来ないとすぐに「なんだ、またバンク・ホリディか?」なんて勘ぐってしまうのだが、実は年に3日しかないの。 しかし『メリー・ポピンズ』じゃないけど、やっぱり銀行のステイタスが日本とはゼンゼン違うことを思い知るね。 だから、このワイト島のフェスも「バンクホリディを有効に使いましょう!」的な動きがあったのかも知れない。 あと「ボクシング・ディ」とかね。 で、このフェス、1968年から始まって3年ほど開催して終わっちゃった。 どんな人たちが出ていたのかは、羨ましすぎて悲しくなるので書かない。 そして、2002年に復活。 見た目はレトロ調だが、このポスターは2011年のモノ。 マルコ・ピローニ(Marco Pirroni)を従えた新しいバンド・メンバーで催行した1980年のAdam Antのコンサート告知ポスター。 「High Wycombe(ハイ・ウィカム)」というのはロンドンの北西、オックスフォードとのちょうど中間ぐらいにある郊外の都市。 「Town Hall(タウンホール)」というのは市庁舎。 イギリスの郊外にある町の市庁舎なんてところは間違いなく歴史があってステキな建物なんだけど、調べてみるとやっぱりここもスゴイ建物だった。 アダム・アントが出て来た頃って、私は大学生で、プロ・ミュージシャンになりたくて夢中になってバンドをやってた時分だった。 なんか「ジャングル・ビート」みたいな触れ込みで注目されていたように記憶しているが、私はどこがオモシロいのサッパリわからなかった。 今になって考えてみると、実はそうではなくて、彼らの音楽がわからないかったのではなくて、パンク/ニューウエイブに席巻されまくっていた当時のロックに与することができない「自分」がわかっていなかったのだと思う。 この辺りから急激にロックに対する情熱が失せ、そしてロックから離れて行った…自分にそんな変化をもたらしたミュージシャン、ということでアダム・アントって思い出深いんだよね。 みんな「なつかしの80年代」ってやってるけど、私は「80年代のロック」と今のロックは何も変わっていないと思っている。 しかしですね~、後でまた出て来るけど、このアダム・アントってのはイギリスではケタ違いに人気があったんですな~。
リチャード・バートンもヘンリー八世を演ってるんだよ。 『1000日のアン(Ann of the Thousand Days)』という映画。 「アン」とはもちろんヘンリー八世の2番目のお妃、アン・ブーリンのこと。 この役を演じたジュヌビエーヴ・ビジョルドがすごく可愛くて、気が強くて、いかにもアン・ブーリンっぽくてとてもヨカッタ(実際にアンに会ったことはありません。首を落とされた場所には行きました)。 バートンのヘンリー八世は大変クールでした。
下はコヴェント・ガーデンに今でもある「Theatre Royal Drury Lane(シアター・ロイヤル・ドルゥリー・レーン)」の座席の価格表掲示板。 コレはナゼか6年前にも展示してあって、今でもこうして残っている。 なので、以前書いた文章を転用させて頂く。 ---------------------------------------------------------------
スゴイ。 真ん中の「PRIVATE BOXES」というサインの下に「£1-17-0 to £7-0-0」とあるでしょ? コレ「1 ポンド17シリング0ペンス」から「7ポンド0シリング0ペンス」と読む。 同様にその下の「16'6」だとか「3'3」なども「16シリング6ペンス」、「3シリング3ペンス」を意味している。
2008年のアルバム『Viva la Vida』のイメージに合わせて作ったColdplayのクリス・マーティンの衣装。 デザインはポールとリンダ(またリンダ!)の間の次女、ステラ・マッカートニー(また「ステラ」!)とサラ・ジョウェットという人。
ウ~ム、コレがその『Viva la Vida』か…いいジャケットだな。 絵はドラクロワの「Liberty Leading the People(民衆を導く自由の女神)」。1830年。 衣装はこのフランス革命のフランス軍の軍服をモチーフにしているのだそうだ。 しかし、こういう絵に出て来るヒロインっぽい人たちってなんで乳だしてんだろうな? 「なりふり構わず!」ということなのだろうか? ジャケに惹かれて音を聴いてみる…なかなかいいモンだね、2回は聴かないけど。 コチラさんはものスゴイ人気なんでしょ? やっぱり日本のそういう人気のバンドさんとは全然趣きが違いますな~。大人だわ。 2番目に収録されている「Cemestries of London」という曲に「朝日のあたる家」のメロディの一部が出て来てドキっとしたわ。
1937年、映画『踊らん哉(Shall We Dance?)』のフレッド・アステアの衣装。 この映画の挿入歌「誰も奪えぬこの思い(They Can't Take That Away From Me)」はアカデミー主題歌賞を獲得し、後にジャズの大スタンダード曲になった。 アステアはサヴィル・ロウにあった「Anderson & Shepperd」という仕立て屋の熱心なファンでもちろんこの衣装も100%ビスポーク。 ダンスの時に自由に動ける服に仕上がるようにテイラーさんたちの仕事を注意深く監督したという。 そして服が出来上がると、その衣装の縫い目を確認するために、全身が映る鏡の前で実際に踊ってテストをするのが好きだったという。 こういう話は大好きだ。 また、色は黒に見えるが、実際は濃紺なのだそうだ。 それは、モノクロで撮影する時、黒よりも濃紺の方がキレイに撮れるから。
すると、ソイツは「だって、モンティ・パイソンは『オカマの恐竜』じゃん」と答えた。 理由はそれだけだった。 こっちはあまりにも内容のない理由にビックリしてしまって「あ、そう…。それだけ…?」以外に反応のしようがなかった。 そう、それだけみんな見てたのが「モンティ・パイソン」。 ナニ曜日だったかな?東京12チャンネルで夜10時から放映していた。 あんなにクダらないことをやっているのがイギリスの一流大学を出た人たちで、制作・放送しているのが国営テレビ局だって知ってビックリしたね。 まだ13、14歳の時だからね。 そでがサ、まさかエリック・アイドルの地元を訪ねることができるなんてあの時は夢にも思わなかったりなんかしちゃったりして!(もちろん広川太一郎風に) まったくAlways look on the bright side of lifeなのです。
『We Will Rock You』の5周年を記念して2000部限定で発行されたプログラム。 しかし、Queenはこないだの『ボヘラ』といい実にウマいことやったよな。 やはり残した作品のクォリティがベラボウに高かったことと、それを平気で商売に使ってしまう大胆さや厚かましさのバランスが取れていたんだろうな。 別に放っておけばいいんだけど、やっぱりリアル・タイムでQueenを経験している私の周囲の人たちは、「アレはおかしい」と言う人が多いね。 私はQueenファンであったことは一度もないのでどうでもいいのだが、反対に映画の面白さとしては全くピンと来なかった。 それより私はこのミュージカルの方がヨカッタな。 Queenの曲が使われているけどQueenとは関係ない筋立て。
『We Will Rock You』は2002年5月、トッテナムコートロードのドミニオン劇場で初演された。2005年8月には、それまでドミニオン劇場で上演されたミュージカルの中で最ロングランを誇った『Greese』を抜いて歴代1位になった…って、どれも短かかったんだな~。 この劇場のキャパは2,163席。 ウエスト・エンドでもかなり大きな劇場の1つなので、この記録は立派なモノらしい。 何年か前まではフレディのこの景色が当たり前だったんだけどね。 2014年5月に4600回に及ぶロングランで幕を閉じた。
「水金地火木土天海冥」なんて覚えたけどね。「ドッテンカイメー」と、土星のところで撥音便変化するのが気持ちヨカッタ。 英語では「My Very Educated Mother Just Served Us Nine Pizzas(学のある私のお母さんはピザを正確に9等分した)」ってやるわね。「Educated」が「Earnest」になっているのを見たこともある。 ま、我々は太陽系(英語で「ソーラー・システム」という)の惑星の名前や順番を覚えるよりこの英文自体覚える方が大変だったりするからね。 でも、コレ今は違う。 2006年に冥王星が太陽系をクビになっちゃったから。 正確に言うと「惑星」から「準惑星」に格落ちしてしまったので、「太陽系惑星」のウチに数えられなくなってしまった。 だから今は「スイキンチカモクドッテンカイ」だよ。 ちょっと関西弁みたいだ。 「オイ水金、地火木、取ってんかい!」みたいな。 一方、英語の方はどうなるか…「My very educated mother just served us noodles」なんて案があるらしい。 また、冥王星が格落ちしたことにより、「pluto」を他動詞で使って「降格させる」とか「~の価値を低く評価する」という意味が出来たらしい。 アメリカのスラングだからよい子の皆さんは覚えないでね! 英語はイギリスの言葉です。イギリス英語を進んで学びましょう。
入り口のドアの横には「Campaign for Real Ale(キャンペーン・フォー・リアル・エール)」のプラークが掲げられている。 「1960年12月、The Kinksの創始者であるレイとデイヴ・デイヴィスが初めて公衆の場で演奏をした場所。The Kinksは最も影響力の強いイギリスのロック・バンドのひとつで、バンドが解散するまで各々のメンバーはその後に世に現れた音楽ジャンルの父とみなされた」
いつか書いたようにイギリスのパブは大抵どこかの大手ビール会社が運営していて、自社の商品を卸すのが当たり前の図式になっている。 この「Campaign for Real Ale」というのは、そんな事情を憂いインディーズで経営している伝統的なパブを大手ビール会社への系列化から守る運動をしている団体。 いい人たちだ。 1971年から活動していて、その会員数は19万3千人にも上る。 私も入っちゃおうかな~。 様々なビールのフェスティバルなども企画しているっていうし。 で、気になるのはこのプラーク。 他にどんなパブに付いているのか調べてみたのだが、その範囲は音楽関係にとどまらず、歴史的な場所から、食べ物に関する場所…たとえば「スティルトン・チーズ発祥の地」なんてのもあった。 イギリスはかなりのチーズ文化国で、日本に来たイギリス人に言わせると、日本の食べ物は何でもおいしいけどチーズだけはダメだそうである。 私は特にチーズが好きなワケではないのでこんなことを言われてもゼンゼン平気。 このスティルトン・チーズというのは世界三大ブルー・チーズの一角なのだそうだ。 そして、有名なチーズ専門店がこのマズウェル・ヒルにもあることは前回書いた。
まずはソファに座ってひと休み。 結構歩いたからね、ノドが乾いた。 しかし、「Real ale云々」なんてことはナニも言ってなかったな。 ま、こっちはハンド・パンプで注がれるエールなら何でもいいんだけどね。このテーブル! 「K」だらK! 「God Save the Kinks」か…、
「God Save the Kinks」は伝記本のタイトルにもなっている。
私はこっちを読んでみた…『ひねくれ者たちの肖像(原題:The Kinks The sound and the Fury)』というもうひとつの伝記本。 ハードカバーで500ページを超す大著なんだけど、読み切るのにかなりの忍耐を要した。 何度途中で放り出そうと思ったことか…。 レイとデイヴの不仲話を中心に、メンバー間の不調やイジメが延々と書いてあるだけという印象。 何かこう、もう少しレイの天才的な作曲能力の秘密に迫るような内容が含まれていたらヨカッタんだけどな~。
チョットしたライブ写真まで色々。 コレも「Waterloo Sunset」。 やっぱりロック史に残る必殺の名曲だからね。 ホントにこの曲好き。 ローリング・ストーン誌が選ぶ「500 Greatest Songs of All Time」というリストの42位にランクインしている。 もっと上でもいいんじゃないのか?もっとも日本ならランク外だろう。 ちなみにこのリストの上位を見てみると… 10位がレイ・チャールズの「Waht's I say」。 9位がNirvanaの「Smells Like Teen Spirit」…知らんがな。 8位以上は「Hey Jude」、「Johnny B. Goode」、「Good Vibrations」、「Respected」、「What's Going On」と続く。 で、3位が「Imagine」。 2位が「(I Can't Get no)Satisfaction」。 そして栄えある第1位は「Like a Rolling Stone」だってサ。 英語圏と日本のロックの鑑賞の仕方の違いが如実に表れていると思う。 ところで、やっぱAreaの「Luglio, Agosto, Settembre (nero)」は入ってねーな。
キンクスの名曲で構成したショウ『Sunny Afternoon』の告知ポスター。 4年前、ロンドンに来た時に演っていたんだけど観にいかなかった! エラく後悔している。 代わりにこのショウの音源を聴いたんだけど、その臍を噛む思いはチョット晴れたね。 コレはまたもうチョット後で。 コレはファンが作ってくれたのかネェ? キンクスのゆかりのある建物の紙細工。 時計回りにいくと、左上は上の写真にあったデイヴィス兄弟の生家。 その隣はこのクリソールド・アームズ。 右の下はココのほぼ向かいにあった「The Alexandra」という、レイとデイヴが若い頃に入り浸っていたというお店らしい。パブか?今はもう無くなっていた。 最後は1981年のアルバム『Give the People What They Want』のジャケット撮影現場。
熱心なファンを装っていても、『Preservation』以前の旧作ばかりを聴いているウワベだけのファンなんですよ、私は。 Aristaに移籍したあたりから、パンク/ニューウェイブの煽りを受けて「何とかバンドのサウンドを変えないと!」とレイが焦っているような感じがして聴くのがツライ。 ムリして80年代の商業ロックの仲間入りなんかすることなかったのに! でもこのパブリシティ・フォトにある1982年の『State of Confusion』は好き。 ナント言っても「Come Dancing」とか「Don't Forget to Dance」といった名曲が入ってるからね。
でもジャケが! この時期の2枚は一体どうしちゃっただろうね。 色目は変えてあるけど、写真の撮影現場も上の紙細工のところで一緒だもんね。 一種の連作になってるのかな? 「民衆が望むモノを与えよ(Give the People What They Want)」…でも与えられないから「混乱状態(State of Confusion)」になってる?
同じ壁の奥。
コレは楽譜だね。
「DAVRAY MUSIC LIMITED」というのはレイがやっていた音楽出版社。 今もあるのかも知れません。 「DAVRAY」は「Davies」と「Ray」をくっつけたモノだろう。
住所を見ると「17, Savile Row」とある。 調べてみると、ビートルのアップル本社が入っていたビル、言い換えると「Roof Top Concert」と呼ばれている、1969年1月にビートルズが屋上で開いたビルから100mぐらい行ったところ。 この「Poole & Co.」というテイラーの隣。 クソ!コレを先に知っていたらドンズバで写真を撮ってきたのに!
こっちの壁には主にスクラップが飾ってある。スゴイね、コレ。 ブリティッシュ・インヴェイジョンがまだ盛んなりし頃のアメリカのコンサート告知ポスター。 Herman's HermitsにThe Dave Clark 5、The KinksとMoody Bluesはコレが初めてのアメリカ公演だった。 キンクスはこの前に、カーディフのステージ上でデイヴとドラマーのミック・エイヴォリーが殺人事件寸前のヒドイ乱闘騒ぎを起こし、物騒なバンドとしてアメリカへの入国が禁止されていた。 以上はすべてニューヨークの「The Academy of Music」という会場。 The Academy of Musicはユニオン・スクエアにほど近い場所にあるオペラ・ハウスで今は「Palladium」という名前になっている。 言っておきますけど、こういう劇場の名前なんかはみんな元はロンドンですからね。 「London Palladium」というのはウエストエンドでも最も有名な劇場。 そして、さすがビートルズ! コンサート会場はあのシェイ・スタジアムですよ。 その下に出ている「The First New York Folk Festival」もオモシロい。 出演はフィル・オクス、チャック・ベリー、ジョニー・キャッシュにバフィ・セイント・マリーだって。
そして今、GRAND SLAM。 時空を超えてそのデビュー・アルバムがMarshall Recordsからリリースされる! タイトルは『Hit the Ground』。 収録曲は全部で10曲。 1. Gone Are The Days 2. 19 3. Hit The Ground 4. Military Man 5. Crazy 6. Dedication 7. Long Road 8. Sisters Of Mercy 9. Crime Rate 10. Grand Slam
それに先立ってアルバㇺ・オープナーの「Gone Are the Days」が9月6日に先行配信された。 「Gone are the days」…思いっきり倒置が起こっていますな。 でも、コレは文法の理屈を勉強するより決まり文句として覚えた方がよさそう。 「Gone are the days when~」と「when節」をともなって「~は遠い昔になってしまった」という昔日を振り返る時にピッタリの表現。 「Gone are the days when the prog rock was going around」ってか? コレに続けたくなるのはデューク・エリントンの超名曲「Things Ain't What They Used to Be」。 「物事は元のままにあらず」という意味から「昔はヨカッタね」という訳が当てられる。 けだし名訳!
そして、GRAND SLAM。 この「Gone Are the Days」を聴いてみる。 イヤイヤ、昔のままじゃないか! もしフィル・リノットが歌っていたらThin Lizyyと言っても何の違和感もない。 この曲が『Bad Reputation』あたりに入っていても何らおかしくない。 そりゃ本人がいたバンドなんだから当然なんだけど。 とにかく、遠い昔になってしまったアレは、元のままだった!
私は1977年の『Bad Reputation』からThin Lizzyをリアルタイムで聴いたんだけど、ものスゴく好きだったな~。 今でこそ、リノットだ、ライノットだってやってるけど、その頃、私の周りではThin Lizzyを聴いているヤツなんて1人もいなかったよ。 ピンク・レディとかキャンディーズばっかりだった。 ロックと歌謡曲が分かれていて、共にクォリティが滅法高い音楽をクリエイトしていた時代。 これこそ私の「Gone are the Days」。
もちろん「In a Daze」は完璧な演奏で(コチラ側にはわからない!)、バッチリとウケていました。
西村さんのギター・ソロをはさんで…
「Edge of the World」。 「定番メニューをやってる」ってMCで言っていたけど「詩人シャロー」は今日は演りそうにないな。 あの「♪難解すぎてわからない」という文句が好きなの。 この曲で忘れていた瀧口修三のことを思い出したからね。 すると、ますます瀧口の詩が読みたくなっちゃって、詩集を買おうとしたんだけど、絶版になって久しいのか高くて買えない! ココでも岡垣さんと西村さんのツーショット。 客席から大きな歓声が上がった!
「Good Golly Miss Molly」、「Tutti Frutti」、「Lucille」なんてリトル・リチャード・ナンバーのタイトルが出て来るのが楽しいね。 紫の皆さん、チャンとロックンロールを勉強されてる…と言ってもコレらの曲は1955~1958年ぐらいのヒット曲。イアン・ギランあたりが12、13歳の時分だからね、きっと夢中になって聴いたんだろう。 日本で「ロックンロール」というとチャック・ベリーばかりにスポットが当てられるけど、リトル・リチャードがロックに与えた影響ってスゴイものがある。「Long Tall Sally」もそうだもんね。 あとバディ・ホリー。 海外に行くと日本のロック界がいかにローカルかがわかる。日本はプログレはスゴイけどね。 「The house of blue light」というのは古いブギウギ・ナンバーのタイトル。 そうか…「Tutti Frutti」というのは「すべて果物」という意味か…「tutti(トゥッティ)」だもんね。お菓子の名前だって。