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2019年9月19日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.41 ~ V&A『Theatre & Performance』の最新展示

こんなTシャツの展示も以前にはなかったゾ。
…と、写真だけ撮ってシレッと通り過ぎようとした瞬間に目に入って来たのが「ZAPPA」の5文字!

3001978年のネブワースのイベントTシャツ。
フランク・ザッパはヘッドライナーだったのかな?
「ZAPPA」とだけあるのがチョイと解せん。
1978年というと、ヴィニー・カリウタ以下あのスゴ腕メンバーが結集していて、「あのバンドはやろうと思えば出来ないことは何ひとつなかった」ぐらいのことをザッパに言わせしめたスーパー・テクニシャン集団の時期。
調べてみると、レパートリーは『Shiek Yerbouti』以降のヒットパレードといったところ。
観たかったナァ。
観客は45,000人ほどだったらしい。

0r4a0010私、17年前にネブワースに行ったことがあるんですよ。
後ろはネブワース城。
写真は撮らなかったけど、現地の人に「ココでレッド・ツェッペリンや10ccが演奏したんだよ」なんて聞かされて大興奮した。
この辺り、緑一色でものすごくキレイだった。もうね、到底この世のモノとは思えない。
移動の車の中から「ホントに美しい!ゴルフ場みたいですね!」とその連れて行ってくれた人に言うと、「ああ、そこゴルフ場だからね」だって。
ゴルフ場でなくても、日本のゴルフ場より自然で美しい。
イギリスの郊外は本当にキレイだ。

8_nw そして、The Tubesだもんね~。
更にピーター・ガブリエル。
Chrismaから最初のソロ・アルバムをリリースした翌年だったんだね。
この時のセットリストを見ると、「Moribund The Burgermeister」、「Here Comes The Flood」、「Waiting for the Big One」、「Solsbury Hill」等々そのファースト・アルバムの曲をバンバン演ったようだ。
私、あのアルバムが大好きだった。
2枚目が出てすぐに買って聴いたけど、まったくオモシロくなくて…以降ピーター・ガブリエルは一切聴いていない。
だから世間で「ゲイブリエル」と呼ばれていることもズット後になって知った。
私は「ガブリエル」でいい。
ファースト・アルバムの思い出を大切にしまっておきたいのだ。
それと、この時、ガブリエルはProcol Harumの「Whiter Shade Of Pale」やGenesisの「The Lamb Lies Down on Broadway」を演ってる。
やっぱり観たかったな~。

310フランス語って難しいよナァ。
全く素養のないアタシなんぞ下の「Champs・Eleysees」が読めませんでしたよ。
「チャンプス・エリシーズ」ってなんだ?みたいな。
コレ、「シャンゼリゼ」と読む。
読まないなら最後の「s」を付けるな!
「Theatre Des Champs・Elysees」だから「シャンゼリゼ劇場」ですな。
下を見ると「BALLETS RUSSES」とある。<前編>に登場したセルゲイ・ディアギレフの「バレエ・リュス」だ。
コレは1913年の告知ポスターで、ストラヴィンスキーの『春の祭典』が初演され、上へ下への大騒ぎとなった年。
『春の祭典』はシャンゼリゼ劇場の杮落し公演だった。
ポスターのデザインはジャン・コクトー。
モデルはニジンスキー。
出し物はミハイル・フォーキンという有名なバレエ・ダンサーの振り付けによる『薔薇の精(Le Spectre de la Rose)』という作品。
フォーキンは他に『シェヘラザード』、『火の鳥』、『ペトルーシュカ』等のバレエ・リュス作品の振り付けを出がけた。
「薔薇の精」の音楽は、ウェーバーの元曲をヘクトール・ベルリオーズが管弦曲にアレンジした。
ニジンスキーが「薔薇の精」を演じ、バレエ・リュスの人気演目となったそうだ。

320vすっごいツマらない脱線をしてもいい?
私にとってはとても興味深い話だったもんで…。
これまでMarshall BlogやShige Blogで今回ヒザを痛めた話をしたでしょ?
あんな状態だったものだから、日本に帰って来てからというもの、日課のウォーキングができなんでいたのね。
だってあの激痛は二度とゴメンだからサ。
そしたらアッという間にプーランクが上がってしまい、困っていたのです。
「プーランク」というのは、尾篭な話ですが、オナラの回数のランクね。ニオイのランクに対しては使われない言葉。
運動不足で腸の働きが不完全になるのか、オナラがジャンジャン出てしまい、回数が上位にランクするようになった。
それが、ここのところヒザの調子もよくなったのでサポーターをして以前のように1日1万歩を目安に歩くようになった。
すると、アラ不思議!
プーランクが極端に下がり、オナラの回数は限りなくゼロになった。
すごいモンですな、運動の効果ってものは。
 
こんな話をしたのは、本人には大変失敬な話なんだけど、フランスの作曲家フランシス・プーランクの話をしたかったから。
以前は「プーランク」と「クープラン」の区別も怪しかったが今は違う…クープランも17世紀のフランスの作曲家ね。
ナゼ、プーランクの存在がそんな前面に押し出されてきたかというと、そのオナラのせい…じゃなくて、とにかくカッコいい曲がたくさんあるのよ!
「ピアノ協奏曲」とか「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲」とか…。
それで調べてみると、プーランクもバレエ・リュスに関係していて、ストラヴィンスキーの『春の祭典』に心酔しきっていたそう。
そんな関係で、なんとストラヴィンスキーの「結婚」の初演でピアノを弾くことになっていたっていうのよ!
スゴクね?
残念ながら実現はしなかったが、実に興味深い話ではあるまいか!
Shige Blogに書いたように「結婚」って曲がメッチャ好きなんです、私。
記事はコチラ⇒【Shige Blog】ついに『結婚』!  
変な脱線しちゃってゴメンね~。でもバレエ・リュスつながり…ということで。
 
さて、V&Aはの『Theatre & Performance』の展示はこういうポスター群も見どころ満載。
アンナ・パヴロワか…まるで時代の空気を運んできてくれるようだ。
ま、ネタとしてはかなり取り扱いがラクな方だろう。
そのせいかどうかは知らないが、以前来た時とは総入れ替えになっていた。
ロックっぽいヤツを少々拾ってみると…

330まずはロバート・ジンマーマン。
ボブ・ディランね。
オーストリアのマーチン・シャープというポップ・アーティストが、1968年に『Oz』というアングラ誌のために制作したイメージ・ポスター。
同心円がディランの顔の周りをビッシリ囲っている。
コレは万華鏡のイメージで、当時のサイケデリック・アーチストが好んで使ったモチーフだった。
かけているサングラスの右レンズに入ってる文言は「Blowing in the Wind」。
幻覚剤で向こうの世界へ行っちゃってるイメージを視覚化しているのだそうです。

340v有名な『Isle of Wight Festival(ワイト島のフェスティバル)』のポスター。
なんかミュシャっぽくてよろしいな。
ちなみに外人に「ミュシャ」と言っても通じない。「ムーカ」だ。
「ゴッホ」は「ゴッ」ね。
ワイト島はMarshallを海外に輸出する時に使う港、サウザンプトンの南にある島。
ビートルズの「When I'm Sixty Four」で「そんなにお金がかからなかったら、毎年夏にワイト島にコテージを借りよう」って歌うヤツね。
「isle」と「island」の違いは、一般的に「island」は「島」を表すのに対し、「isle」は小さい島を指す。
で、このフェスは1968年が第1回目の開催。元々は『Great South Coast Bank Holiday Pop Festival』と呼ばれていた。
「Bank Holiday」というのは1871年に導入されたイギリス独特の国民の休日で、読んで字のごとく、銀行が営業を休んじゃう。
国民が働きすぎるので、銀行を休みにしちゃえば国民すべてが休まざるを得ない…ということで導入された国民の休日。
今年のバンク・ホリディは5月6日の「Early May Bank Holiday」、5月27日の「Spring Bank Holiday」、そして8月26日の「Summer Bank Holiday」。
全部月曜日なんだけど、あまりにも日本に関係ないせいか、いつがバンク・ホリディなのかがサッパリ覚えられん。
すると、Marshallにメールを打って返事が来ないとすぐに「なんだ、またバンク・ホリディか?」なんて勘ぐってしまうのだが、実は年に3日しかないの。
しかし『メリー・ポピンズ』じゃないけど、やっぱり銀行のステイタスが日本とはゼンゼン違うことを思い知るね。
だから、このワイト島のフェスも「バンクホリディを有効に使いましょう!」的な動きがあったのかも知れない。
あと「ボクシング・ディ」とかね。
で、このフェス、1968年から始まって3年ほど開催して終わっちゃった。
どんな人たちが出ていたのかは、羨ましすぎて悲しくなるので書かない。
そして、2002年に復活。
見た目はレトロ調だが、このポスターは2011年のモノ。
350vマルコ・ピローニ(Marco Pirroni)を従えた新しいバンド・メンバーで催行した1980年のAdam Antのコンサート告知ポスター。
「High Wycombe(ハイ・ウィカム)」というのはロンドンの北西、オックスフォードとのちょうど中間ぐらいにある郊外の都市。
「Town Hall(タウンホール)」というのは市庁舎。
イギリスの郊外にある町の市庁舎なんてところは間違いなく歴史があってステキな建物なんだけど、調べてみるとやっぱりここもスゴイ建物だった。
アダム・アントが出て来た頃って、私は大学生で、プロ・ミュージシャンになりたくて夢中になってバンドをやってた時分だった。
なんか「ジャングル・ビート」みたいな触れ込みで注目されていたように記憶しているが、私はどこがオモシロいのサッパリわからなかった。
今になって考えてみると、実はそうではなくて、彼らの音楽がわからないかったのではなくて、パンク/ニューウエイブに席巻されまくっていた当時のロックに与することができない「自分」がわかっていなかったのだと思う。
この辺りから急激にロックに対する情熱が失せ、そしてロックから離れて行った…自分にそんな変化をもたらしたミュージシャン、ということでアダム・アントって思い出深いんだよね。
みんな「なつかしの80年代」ってやってるけど、私は「80年代のロック」と今のロックは何も変わっていないと思っている。
しかしですね~、後でまた出て来るけど、このアダム・アントってのはイギリスではケタ違いに人気があったんですな~。

360ルー・リードも亡くなってしまったネェ。
1973年、代表作『Berlin』のレコ発ライブ。
会場はグラスゴーのアポロ・センター。
この時のコンサートはオールド・ファンの間では「悲劇」として認識されているそうだ。
今では『Berlin』はルー・リードの代表作とされているが、発売当時は大変な悪評をかった。
それでヘソを曲げたのか、ルーはこの時、スタッフに運ばれて来てステージに立ち…イヤ立たなかった!
ステージに仰向けになったまま全曲演奏し切ったのだ!
そして、演奏が終わるとまたスタッフが抱えてステージから降りた。
チョット見たかった気もするナァ。
でも私、ルー・リードとかヴェルベッツも苦手なのよ。

3701983年、15か国、96公演をこなしたデヴィッド・ボウイの『Let's Dance』のレコ発ツアーのポスター。
キャリア中最も長く規模の大きなツアーではあったが、それまでの「Ziggy Stardust」や「Diamond Dogs」等のツアーの時とは正反対に、セットはシンプル、衣裳替えもなしといった内容だった。
ナニ、デヴィッド・ボウイってこの『Let's Dance』が一番売れたんだってね~。
イラストの意匠はフレッド・アステアかな?

380v本家イギリスの博物館ゆえビートルズ関連の展示品ががたくさんあると思うでしょ?
そうでもないんだよね。
前回と展示が入れ替わっていて今回はこんなアイテムがディスプレイしてあった。
1964年のフィギュア。
もう「ビートルマニア」の皆さん垂涎のお品でございます。
メンバーひとりひとり別売りで、箱の中に取説が入っていた。
「簡単なパーツをくみ上げてチョット色を加えるだけでジョン(ポール/ジョージ/リンゴ)があなただけのモノに!」
誰のフィギュアが一番売れたんだろう?
リンゴか?
今と何ら変わらないんだろうけど、フィギュアのネタが人間っていうだけまだ時代が正常だったんじゃないかね?
そういえば昔、ドラムスのプラモデルってあったよね?
子供の頃は一体誰がこんなの買うんだろう?と思っていたけど、当時はドラムスなんてそう簡単に始めることができない高価で珍しいモノだったんろうね。

410もうイッチョ、ビートルズネタ。
イギリスのビートルズのファンクラブ、『The Beatles Offcial Fan Club』の1964年発行の会報。
こういうの「ファンジン」っていうの?
「Freda Kelly(フリーダ・ケリー)」という人が代表を務めたこのファンクラブはイギリス最大の規模を誇り、会員数は国内だけで5万人を優に超えていたという。

560ココでチョット映画ネタ。
この辺もアイテムも見たことがなくてかなり興奮した。
ヴィヴィアン・リーが1951年の『欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)』の撮影でかぶったカツラ。
ヴィヴィアンは役柄によって変化をつけるために頻繁にカツラを着用したそうだ。
そしてこの作品でブランチ・デュボアを演じる時、スタンリー・ホールという(偶然「スタリー」!)彼女のカツラ製作者に「グラマラスに見えないように!」とキツく指示を出したのだそうだ。
そこでホールはカツラの髪のボリュームを減らし、特に色もつけず、ブランチをみすぼらしく見せ、神経質で疲れ切ったそのキャラクターを作る手伝いをした。

430私はこのテネシー・ウィリアムズの戯曲にチョットした思い入れがありましてね。
大学の米文学の授業でこの作品をやったからなんだと思う。
といってもほとんど覚えていないけどね…ただひとつ、ブランチが妹のステラに向かって「あなたの名前はラテン語で『星』という意味だけど、私のブランチという名前は『蛾』という意味なのよ!」というセリフを吐くシーンがとても印象的だった。
イヤ、おそらく教授がココをドラマチックに説明したのだろう。
そもそも授業なんて聞いていないんだから。よっぽど受講者の耳目を惹いた説明だったに違いない。
下はV&Aとは関係がないんだけど、この映画の公開当時の宣伝ポスターを調べてみた。
いいね~、このコピー。
調べてヨカッタ。
こうある…「淫蕩の血と知性の相克!赤裸々な描破に依ってえぐり出された女性本能の姿!」
日活かッ?
ナンにも知らない人がこの惹句を耳にしたら間違いなくそっち方面の映画を想像することだろう。
「描破(びょうは)」なんて言葉は初めて見たよ。

12scndまぁ、とにかく映画はスゴかったね。
映画を見るといつでもニューオリンズの蒸し暑さを思い出すわ…行ったことないけど。
マーロン・ブランド扮するスタンリーと財産を巡って、精神を病んだお姉さんのブランチと妹のステラの確執が繰り広げられる。
監督はエリア・カザン。
カザンは舞台の演出をしてこの戯曲を大ヒットさせた。
舞台でもマーロン・ブランドがスタンリーを演じ、ブランチ・デュボア役はジェシカ・タンディが演じた。
観たかったな。
そして映画でブランチを演じたヴィヴィアン・リーは1952年、見事2度目のアカデミー主演女優賞をゲット。
もちろん最初のオスカーは1939年の『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役で、イギリス人女優初の快挙だった。
アメリカの男性たちは映画の中のスカーレットを見て「イギリスにはこんな美人がいるのか!」とビックリ仰天したという。
ところが、ヴィヴィアンはこの2度目のオスカーの授賞式を欠席した。
主演女優賞受賞者がアカデミー賞のセレモニーを欠席するなんて滅多にないことだ。
ヴィヴィアンは何をしていたのかというと、ブロードウェイでクレオパトラを演じていた。当時のご主人であったローレンス・オリヴィエと一緒にニューヨークにいたのだ。
彼女は楽屋で聞いていたラジオで受賞したことを知ったという。
下がその時のオスカー像。
スゲ~!
でもナンでココにあるの?
また、かわいそうなスタンリーの友人、ミッチに扮したデカ鼻のカール・マルデンは助演男優賞。
そして、ステラを演じたキム・ハンターも助演女優賞を獲得した。
ちなみにキム・ハンターはオリジナルの『猿の惑星』でチンパンジーのジーラを演じた人。
チャールトン・ヘストン演じるテイラー船長のキスを受けて恥じらうジーラはマシラながらとてもチャーミングだった。
日本での文学座の舞台では、そのヴィヴィアン・リーが扮したブランチの役を杉村春子が演じ当たり役となった。
私はお芝居にはほとんど興味がないが、杉村春子のブランチだけは観ておけばヨカッタとこういう機会に思い出しては臍を噛む思いをしている。
570vもうちょっと書かせてね。
それはエリア・カザンのこと。
カザンは共産主義者の疑いをかけられ、1950年代にレッドパージ(赤狩り)がハリウッドを襲った時、司法取引をしてダシール・ハメットとその奥さんのリリアン・ヘルマンを当局に売り渡してしまった。
ダシール・ハメットはサム・スペードの『マルタの鷹』を書いたハード・ボイルド作家。「血の収穫」は黒澤明の『用心棒』の下案として知られている。
一方、リリアン・ヘルマンは戯曲作家で、オペレッタ『キャンディード』を書いた人。
それに音楽をつけたのがレナード・バーンスタイン。
バーンスタインも共産主義者として知られている。
このあたりは【Shige Blog】レナード・バーンスタインの/とアメリカをご覧くだされ。
残念ながらこのオペレッタ/ミュージカルはヒットせず短命に終わった。
しかし、バーンスタインは何かのビデオで「舞台はダメだったが、音楽は残った」と言っていた。
そう、素晴らしいんですわ。
『ウエストサイド物語』に比肩するほどの名曲ぞろい。
コレは私の最近の超愛聴盤の『Candide』のオリジナルキャスト・レコーディング。
Candide
さて、エリア・カザン。
その後どうなったかというと、仲間を売ったことを非難され、業界で冷遇されてしまう。
しかし、1998年、長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」が授けられた。
私はこの授賞式の様子をテレビで見ていたが、プレゼンターはスコセッシとデ・ニーロで、その授与を賞賛する人たちがいる一方、一部からは徹底したブーイングが浴びせられていた。
カメラは客席のニック・ノルティを捉えたが、深く腕を組み、ものすごいしかめっ面をしていた。
「裏切りは絶対に許せない」ということだ。
スピルバーグやジム・キャリーらは拍手はしたものの起立はしなかった。
こういう時、向こうではスタンディング・オベーションが当たり前だからね。
反対に起立をしてカザンに拍手を送ったのはウォーレン・ビーティ(ロシア革命を題材にした『レッズ』なんて映画を撮ったぐらいだからね)やヘレン・ハントやメリル・ストリープらだったらしい。
リチャード・ドレイファスなんかは事前に反対の声明まで出していたそうだ。
 
今、駅のコンコースで500円(税別)ぐらいでDVDが買えるから観たことがない人は一度ぐらい観ておいても損はないよ。
消費税が10%なる前に急げ!

Scnd 『The Six Wives of Henry VIII(ヘンリー8世の6人の妻たち)』というテレビドラマガあったとか。
コレはBBCの歴史に残る名作で、70年代のテレビ番組を代表するような出色の出来だったらしい。
み、観たい!…八っつぁんファンの私としては!
でもダメだ!DVDは出ているけど字幕版がない。こんな文芸作品を字幕なし観るなんてことはできんからな。

8_h8dそのドラマでヘンリー八世を演じたのはキース・ミッチェルというオーストラリア出身の俳優で、コレが当たり役となり1972年にテレビ番組の栄誉、アメリカのエミー賞を獲得し、その後も舞台でヘンリー八世を演じ好評を博した。
コレがその時のエミー賞のトロフィ。

580v1955年頃描かれたヘンリー五世を演じるリチャード・バートンの肖像画。
恥ずかしながらリチャード・バートンがイギリス人だとは知らなんだ…というか、気にしたこともなかった。
ウェールズの炭鉱夫であったジェンキンズ家に13人兄弟の12番目として生まれ、教師が養子にとり「バートン」と改姓した。
オックスフォード大学にも行かせてもらい俳優としてその才能を開花。
イギリスとアメリカの両方で大活躍した。
戦争映画や史劇、コメディやミュージカル等、様々なタイプの作品に出演し、7回アカデミー賞にノミネートされたが、生涯獲得することはできなかった。
マンガと怪獣ばかりの現在のハリウッド映画にあって、今のアカデミー賞なんて重みも威厳も意味もナニも感じられないけど、映画が最高の娯楽だったこの時代は大変だったからね。
グラミー賞もレコード大賞も同様。
演る方も観るほうもベテラン層と若者層の間が分断されちゃって、エンタテインメントの統一が図れなくなってしまい、こうした「賞」モノに意味がなくなって来たように思う。
年寄りはより凝り固まり(私です)、若者はより低きに流れて行ってることは否定できまい。

440vリチャード・バートンもヘンリー八世を演ってるんだよ。
『1000日のアン(Ann of the Thousand Days)』という映画。
「アン」とはもちろんヘンリー八世の2番目のお妃、アン・ブーリンのこと。
この役を演じたジュヌビエーヴ・ビジョルドがすごく可愛くて、気が強くて、いかにもアン・ブーリンっぽくてとてもヨカッタ(実際にアンに会ったことはありません。首を落とされた場所には行きました)。
バートンのヘンリー八世は大変クールでした。

Ann下はコヴェント・ガーデンに今でもある「Theatre Royal Drury Lane(シアター・ロイヤル・ドルゥリー・レーン)」の座席の価格表掲示板。
コレはナゼか6年前にも展示してあって、今でもこうして残っている。
なので、以前書いた文章を転用させて頂く。
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スゴイ。
真ん中の「PRIVATE BOXES」というサインの下に「£1-17-0 to £7-0-0」とあるでしょ?
コレ「1 ポンド17シリング0ペンス」から「7ポンド0シリング0ペンス」と読む。
同様にその下の「16'6」だとか「3'3」なども「16シリング6ペンス」、「3シリング3ペンス」を意味している。

この補助通貨のシステムが異常に複雑で1ポンドが20シリング、1シリングが12ペンスと、20進法と12進法が組み合わさっていた。
さらによく映画なんかでも見かけるが、「ギニー」というのがあって、1ギニーが21シリングと同価値だったという。
このギニーというのは長い間価値が定まらず、18世紀の初めに1ギニーが21ポンドと決められたが、この辺りを主導したのはあのニュートンだったそうだ。
このポンドとギニーの1シリングの差はチップ込みか否かという表れだったらしい。

こんなんでどうやって買い物してたんだろうね?
今ではポンドとペンス(1の時はペニー。ペンスはペニーの複数形)しかないし、計算も100ペンスが1ポンドとごくごく簡単だが、1971年まではこのシリングを使ったシステムが通用していた。
Roxy Musicの「Three and Nine」という曲はこの複雑なシステムを題材にしていることは以前にも書いた。
この曲が収録されている『Country Life』は1974年の発表なので、そのチョット前まで、Bryan Ferryたちはこのシステムの中で生活していたことになる。
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そゆこと。
ちなみに我々にはなじみのない単位として、イギリス人は体重を表す時、「Stone(ストーン)」という単位を使う。
基本的にはメトリックの国ゆえ、重量は「t,g」を使うのに体重の単位だけは譲れないらしい。
先月、一緒になったイギリス人ドラマーに体重を尋ねると、ストーンでしか答えることができないのを発見して驚いた。
「じゃ、ポンドでいうとどうなの?」と質問を重ねたところ、「もっとわかんない」って。
1ストーンは6.35kg。

550vイヤだな~、自慢ばっかりになっちゃって!…そうじゃない。
「自慢」では決してなくて体験談だから。
そういえば、私が前の会社を辞める時に挨拶をすると「あ~あ、コレでシゲさんの自慢話も聞けなくなるのか~、寂しいな~」って言った若いギタリストがいたっけナァ。
私よりクチの悪いヤツだった。
でも、ナンだっていいけど、寂しがってくれてうれしかったよ。
彼、今ナニをやってるんだろうな…寂しいな~。
 
私の体験談とは、このドゥルリー・レーンで『My Fair Lady』を観たこと。
コレがその時のプログラム。「Programme」っていうイギリス式スペリングがいいでしょ?

8_0r4a0192例によってハーフプライス・チケットだったので席は一番後ろ。
ココすごくデカくてね、甲子園で言ったらアルプススタンドの一番上。
もうイライザ・ドゥーリトルもヒギンズ教授も顔はまったく判別できない距離。
それでも実際の舞台のすぐ横で観た『My Fair Lady』は格別だった。
下はプログラムの表2。
今は観光客で一日中賑わっているコヴェント・ガーデンもちょっと前まではこうした本当の市場だった。
その様子はヒッチコックの『フレンジー』でも窺い知ることができる…ラヴリッ!

8_0r4a0195ね、「THEATRE ROYAL DRURY LANE」って入ってる。
ゴメン、結局コレ、自慢だったわ!
8_0r4a0197『Theatre and Performance』の展示とだけあって…

500実際に舞台で使われていた衣装がタップリと飾ってある。

510強引な部分もあるけど、ナンカ今回は色々とつながってオモシロいナァ。
この顔色の悪い黒装束のオバサンは『オズの魔法使い』の「西の魔女」か?または、ミュージカル『Wicked』か?…同じキャラクターだけど。
『オズの魔法使い』といえば「Good bye Yellow Brick Road」じゃんね。
「黄色いレンガ」の道をたどって「オズの魔法使い」に会いに行く。
その「オズの魔法使い」の裏話が『Wicked』
邪悪な(wicked)西の魔女エルファバと善良な南の魔女グリンダとの知られざる友情物語。
ミュージカルは観たことがないんだけど、オリジナル・キャスト・レコーディングのCDは持ってる。コレがなかなかいい。
ハイ、脱線。

520脱線しない地下鉄でやって来たのは「London Victoria Station(ロンドン・ヴィクトリア駅)」。
ロンドンのターミナル駅のひとつ。

8_img_0206電車に乗ってテムズ川を渡ると2、3分で左側にコレが見えて来る。
あ、こういう風には見えないよ。
こんな感じ⇒【イギリス-ロック名所めぐりvol.9】 バタシー発電所
今、この辺りは再開発が進んでいて、ショッピング・センターを中心とした巨大な複合施設を作っているんだけど、ロンドンのひとつのアイコンとして、この4本の煙突は残しているらしい。
といっても、こんな重量物をそのままにしておくのは無駄なので、なんと、プラスティック製の煙突を乗っけるそうだ。
ああ、ホンモノをジックリ見ておいてヨカッタ!…コレは自慢。

Am そして、エルトン・ジョンつながりをもうひとつ。
ヴィクトリア駅の真ん前の「Victoria Palace Theatre(ヴィクトリア・パレス劇場)」でやっていたのがエルトン・ジョンが音楽を担当したミュージカル「Billy Elliot」。
コレは後でもう一回チラっと触れる。

8_img_0211その劇場を背にこんなモノが立っている。
これは「Little Ben(リトル・ベン)」と呼ばれていて、フランスの「Elf」という石油会社からイギリスとフランスの友好の証として寄贈された。
ロンドンを歩いていると街中でよく時計を見かける。
昔は腕時計なんかなかったので、公共の場所に時計を設置して時間を知らせていたんだね。
さすが「世界標準時」の国だけのことはある。
このビッグ・ベンのミニチュアはアチコチを移転したが、現在は元あったこの場所に戻ってきた。
で、この時計、実際のロンドンの時刻より1時間進んでいて、フランスと同じ時刻を示している。

8_img_0215プラークを見ると「リトル・ベンのサマータイムのお詫び」としてあって、その下に「Couplet(カップレット=対句)」が刻まれている。
リトル・ベンが何を謝っているのかと言うと…
「私の手(時計の針のこと)は進んでいたり、遅れていたりするかも知れません」
「私の心拍はイギリスとフランスの真実を示しています」
わからん…リトル・ベンはナニを言ってるのか?
調べてみた。
むかしむかし、イギリスは「サマータイム」という制度を知らなかった。
その後、サマータイム制を導入した。
リトル・ベンが刻む時間はフランスに合わせているため、夏季のみリトル・ベンが正しい時間を示すことになった。
秋になってサマータイムが終わると、リトル・ベンが示す時刻はまた1時間進んでしまうことになる。
でも、「それらの異なっている時間はイギリスにおいてもフランスにおいても真実なのです」として友好関係を表しているらしい。
ん~、よくわからんな…というのは、フランスもサマータイムをやってるんですけど。
でも、EU全体でこのサマータイムを廃止するかも知れないんだよね。
日本はどうなったんだろう?
経済効果がなく、国民の健康にも害を及ぼすと言われているこの制度…ま、日本の優秀な政府のことだから、みんなが止めた頃始めるんじゃないの?
サマータイムを導入してカジノでタップリ楽しもう!ってか?
おおっとっととっと…コレ以上は書かねーゼ。

8_img_0213そして、ヴィクトリア・パレス劇場の隣にある「Apollo Victoria(アポロ・ヴィクトリア)」と言う劇場で『Wicked』が上演されていた。
2014年に8年のロングランを経て終演した。
コレだけの話。
イヤ、この写真を撮ったの大分前なんだけど、こんな大きな駅前の真ん前に劇場がふたつもあるなんてビックリしたんだよね。
ソレだけの話。

8_img_0218色とりどりの舞台衣装の他…530こうした小道具の展示も充実している。

540芝居やミュージカルの衣装だけじゃないよ。
ロック・スターの衣装。
コレも結構入れ替わっていた。
 
まずはコレ…。
『ボヘラ』の次は『ロケットマン』ってか?
またぞろ「にわかエルトン・ジョン・ファン」が急増するんだろうな。
ま、映画ぐらいはいんだけどサ。
亡くなった時に爆発的にファンが増えるのはどうなのよ?
プリンスのことはサッパリわからなかったし、興味がなかったけど、どデヴィッド・ボウイのアレはないんじゃないの?
「あ~、デヴィッド・ボウイが逝ってしまって、もうショックで、ショックで…」
「エ~、アンタ今までボウイの『ボ』の字すら口にしたことなかったじゃんよ!」
「イヤ、『ジギー・スターダスト』好きだったんだよ。あの『グロリア』って曲が特に…」
「ダメだ、コリャ…」ってなところだろう。
ナゼ私がコレを言うかというと、イギリスに行くと感じるんだけど、デヴィッド・ボウイってイギリスの文化そのものなんだよね。
要するに世の中に与えた影響がオッソロシク大きかった。
Pink Floydなんかにしてもそうなんだけど、日本ではどうしてもKing CrimsonやYesやELPと同一線上でしか現れないけど、イギリスでは全く違う。
今、多分、一般人の口からPink Floydの名前は出てもKing Crimsonの名前がでることはまずないと思う。
要するにボウイにしてもフロイドにしても、「音楽」が作ったひとつの「文化」なんだね。
だから何も知らないにわかファンが、あたかも自分の青春を捧げたかのように上っ面だけ死を悼むのを見ているのが恥ずかしいんだな。
エルトン・ジョンは<前編>で登場した通りだ元気だけど、もしもの時に、『Goodbbye Yellow Brick Road』を引き合いに出すとすれば、「Staturday」や「Bennie」のことをどうこう言う人は怪しいな。
それより「Sweet Painted Lady」や「Harmony」や「Roy Rogers」のことに触れて欲しい。
ちなみに私は「Skyline Pigeon」が大好きです。
ということで、エルトン・ジョン。
 
1974~1975年のアメリカ・ツアーの時の衣装。
この時期のレジはというと、1974年に『Caribou』、75年に『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy』と『Rock of the Westies』をリリースしている。
最後のいい時…レジもコレに続く1978年の『Blue Moves』までだな。
この後も『The Lion King』や『Billy Elliot』なんて世間的にいい仕事はしているものの、70年代初めのクリエイティビティに比べたら何をかいわんやでしょう。
『The Lion King』は「心配ないさ~」しか知らないけど、『Billy Elliot』はCDを買って来てみたけど
全くピンと来なかった。若い頃は10分ぐらいで作曲をしていたらしいね。
その才能たるやすさまじかったらしい。
夜中にバーニーが詩を書いてピアノの上に置いておく。
翌朝レジがそれを見ながらコードをつけて「♪フフフン」と歌って1曲仕上げる。
以上…その間10分。
10分以上取り組んでも良いメロディが出ない時は容赦なくその歌詞をボツにしたらしい。
こうして歌詞にメロディを付けるもんだからレジの曲はやたらと歌うのがムズカシイ。
コーラスによって歌詞の譜割りがマチマチなのだ。

400vこの「Bicycle John(バイシクル・ジョン)」と呼ばれる衣装はその名の通り、自転車をモチーフにしたデザインで、ベル、ハンドル、泥除け、反射板などの要素が詰め込まれている。
背中の「27」はこのツアーを行った時の年齢だろう。
調べてみるとレジは1947年。コレに27を足すとこのアメリカ・ツアーをやった年の「1974」になる。
しかし「歴史に『if』はない」とよく言うけど、ロックの歴史へは「if」の持ち込みOKとしよう。
エルトン・ジョンの髪の毛がフサフサだったらこの稀代の天才作曲家にしてスーパースターはこの世に存在していたか…。
『ロケットマン』、老人割引の日に観に行ってみようかな?

450v皆さん大好きのLed Zeppelin。
1975年のジミー・ペイジのステージ衣装。

460vモチーフは古代のヘブライとエジプト。
難解な宗教と神秘主義という個人的な趣向が反映されていたのだそうだ。
世界的な人を得、パフォーマンスが過激になるにつれてステージ・衣装もドンドン派手になっていった。
コレ、ジミー・ペイジのデザインで、ご本人から寄贈されたそうです。
歩いて持って来たのかな?
ジミー・ペイジの家ってココから近いからね。
『【イギリス - ロック名所めぐり vol.12】 South Kensington(サウス・ケンジントン)を往く』
で紹介した家ね、先日ロンドンに住む音楽業界のイギリス人の友達に聞いたら、まだココに住んでるんだって。

470vね~、またアダム・アント!
スゴイ人気だったことが窺えるでしょ?

480v1981年、この衣装を着て撮影されたのがこの「Prince Charming」という曲。
展示の解説によると、この曲がもっともよく知られているナンバーだとか。
全く知りませんし、理解もできませ~ん!

2008年のアルバム『Viva la Vida』のイメージに合わせて作ったColdplayのクリス・マーティンの衣装。
デザインはポールとリンダ(またリンダ!)の間の次女、ステラ・マッカートニー(また「ステラ」!)とサラ・ジョウェットという人。

490vウ~ム、コレがその『Viva la Vida』か…いいジャケットだな。
絵はドラクロワの「Liberty Leading the People(民衆を導く自由の女神)」。1830年。
衣装はこのフランス革命のフランス軍の軍服をモチーフにしているのだそうだ。
しかし、こういう絵に出て来るヒロインっぽい人たちってなんで乳だしてんだろうな?
「なりふり構わず!」ということなのだろうか?
ジャケに惹かれて音を聴いてみる…なかなかいいモンだね、2回は聴かないけど。
コチラさんはものスゴイ人気なんでしょ?
やっぱり日本のそういう人気のバンドさんとは全然趣きが違いますな~。大人だわ。
2番目に収録されている「Cemestries of London」という曲に「朝日のあたる家」のメロディの一部が出て来てドキっとしたわ。

8_vlv以上!
こんなに書くつもりはなかったんだけど脱線が脱線を読んでこういうことになってしまいました。

590最後までお付き合いくださってありがとうございます。
また何年後か、展示が入れ替わった頃を見計らって訪れてみたいと思う。
V&A大好き!
近くにあれば年会員になってもいいぐらいなんだけど…もっと近ければな~。
ということで、ココから先はオマケ。
V&Aの近場をご紹介。

600V&Aの近くにはヴィクトリア女王がロンドン万博で得た利益を元に造った世界的に有名な博物館が散在しているけど、それを通り抜けてハイド・パーク方面へ歩くと、辺り一面レンガづくりの建物のエリアとなる。
ココも見事だよ。

610こんなモノを発見。
イギリスの大指揮者、マルコム・サージェントが住んでいたフラット。
サージェントはロンドン・フィルの客演指揮者をよく務めたり、ロイヤル・リヴァプール・フィルやBBC交響楽団、BBCプロムスの常任指揮者を務めた。
そのリヴァプールの関係か、サージェントはアビィ・ロードでレコーディングしていたビートルズを表敬訪問したことがあったそうだ。
元々、アビイ・ロード・スタジオはクラシック音楽のための録音スタジオなワケで、当時はクラシックの有名な音楽家がたくさん出入りしていて、ビートルズの面々もジョージ・マーティンを介してそうした音楽家の薫陶を受け、音楽性を高めた…と見る人もいるようだ。

8_img_9519 で、見えて来るのが…

8_img_9513コレ。

8_img_9515ロイヤル・アルバート・ホール。
1回も入ったことがなくってね~。
Zappa Plays Zappaが出るっていうんで、大決心をしてMarahalllの知り合いにチケットを頼んだことがあった。
売り切れで見事撃沈!
いつもこうして外から眺めているだけ。
観たいモノがあればチケットを買ってもいいんだけど、好みのモノをやっていた試しがない。

8_img_9526 入り口の横に催し物の予定表があった。
ハハハ、ちょうどアルバート公の記念碑が反射して写ってら。
どれどれ、見てみようか…どうせ観たいのなんてやってるワケない。

630v17日…イギリスを離れる日にブライアン・フェリーか…。
高校の時に中野サンプラザで観たし、Roxy Musicの初来日公演も武道館で観たからいいや。
オイ、ちょっと待て!
その次の日から3日間、King Crimsonじゃねーかよ!
18日はもう日本にいるわ~!
ね、こうして絶対にいいのが当たらないのよ。
King Crimsonも浅草の国際劇場で初来日公演を観たけど…あ~あ、ナント言ってもハイド・パークの隣で観てみたかったな~。

640v

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(一部敬称略 2019年6月7日 Victoria and Albert Museumにて撮影)