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2021年10月 2日 (土)

ミュージック・ジャケット・ギャラリー ~ コミック・ジャケット・コレクション <vol.1>

 

正直もうネタがなくてね。
数日前に緊急事態宣言が解除になったものの、ココのところ行けるライブもメッキリ減ってしまっていたでしょ?
Marshall Blogって70%がライブのレポートだったので、そりゃネタも尽きるワケよ。
でもナントカ更新せねば…ということで、今ではもう見ることの出来なくなった昔のMarshall Blogの記事から出来のいいのを見繕って「アーカイブ記事」を公開しようとしているんだけど、コレはコレでまた大変なの。
10年以上も前に作った記事でしょ?
まず、写真も文章も気に入らなくてね…。
とてもじゃないけどそのまま右から左へ出すことができない。
そんな中で比較的やりやすいのがレコード・ジャケットの魅力を紹介する『ミュージック・ジャケット・ギャラリー(以下、「MJG」)』。
最近はレコード・ジャケットや昔のロックの存在感がますます小さくなってきている感じもしてるしね。
記事を復活させるにはちょうどいい機会だと思って…。
 
で、今回は今から10年前の2011年12月5日 に掲載した記事を再掲することにした。
「再掲」といっても70%ぐらい書き換えてしまったのでほぼ原型を留めていない。
写真や文章が気に喰わないだけでなく、書いてある内容が時流に合わなかったのです。
「TTP問題」がどうのとか言っていたりしてね…今、チョット中国が騒いでいるけど「TTP問題」なんて誰も覚えていないでしょう?
新しい自民党の総裁が選出されたけど、だいたい今日の記事のオリジナルが掲載された10年前の12月の時の総理大臣って誰だったか覚えてる?
そう、野田さんよ。
え、野田さん自体も覚えていない?…というぐらい時の流れが早いね。
でもどんなに時代が変わっても昔のロックとレコード・ジャケットの魅力は変わらない。
でもひとつ…この音楽のメディア関連で10年のウチに大きく変わったことがある。
今回それが記事の内容の書き換え作業を強くプッシュしたのね。
それはナニかと言うと、SpotifyとYouTube。
10年前に記事を書いた時にはそれらがまだ無いか普及していなかったので、聴いたことがないレコードはジャケットの紹介をするにとどまっていたんだけど、今ではどちらかを検索すれば記事に登場するレコードのほぼすべての音源を聴くことができるようになった。
だから、10年間にはジャケットの紹介しかできなかったアルバムも、今回は音源を探し当て、片っ端から聴いて感じるところがあれば簡単な感想を付け加えることにした。
こういう作業をする時のSpotifyやらYouTubeは限りなく便利である。
反面、レコードは本来そこに収められている音楽を聴くためのモノであって、「その音楽を聴けさえすれば満足」ということであれば、レコードをコレクションする必要が全く無くなってしまったことを実感する。
実に恐ろしいことだ。
このシリーズを始める時に「利便性が風情を殺す」なんて書いたものだったが、10年チョット経って我々レコードやCDで育った世代の人類が直面した現実はそんなナマ易しいものではなかったネ。
あと何十年かして、生まれた時からSpotifyやYouTubeがある世代の人たちだけになった時、レコードやCDはこの世から姿を消しているのだろうか…なんてことは以前から取り沙汰されてきたけど、少し真剣に考えてみてしまったよ。
 
さて、「MJG」と来れば大田区は鵜の木にある音楽パッケージ印刷の老舗、「株式会社 金羊社」さんの4階のギャラリー。
Img_0221懐かしいな~。
ココへは三月に1回、展示アイテムが入れ替わるたびにお邪魔させて頂いていた。
展示品は日本屈指のレコード蒐集家、植村和紀さんのプライベート・コレクションだ。
Img_0440今回のテーマはイラストものを中心としたコミカルなジャケット。

「笑い」はいつの時代にも必要かつ不可欠なもの。
「笑い」には癒しの効果があり、人間関係を円滑にさせるばかりでなく、肉体的な面からも本来人間が持っている免疫力や自然治癒力をアップさせるっていうからね。
今の日本はとても笑える状況にはないが、こうした社会状況を少しでも変えていくためには、「笑い」が持って来いなのだ。
今回登場する数々のコミカルなジャケットを見ることによって、是非とも「笑い」の勢いを感じ取って心身ともにパワーを蓄えてもらえればうれしいね。Img_0430_2 ところで、『雨に唄えば』って映画観たことあるでしょう?
若い人たちは知らないか…。
名曲がテンコ盛りのミュージカル。

Sgir

 
あの中に「Make 'em Laugh(笑わせちゃおう)」という曲が挿入されている。
ドナルド・オコーナーの超絶ダンスが見もののハッピー・チューンで「Make 'em laugh. Make 'em laugh. Don't you know everyone wants to laugh?(笑わせちゃえ、笑わせちゃえ、みんな笑いたがっているのを知らないのかい?)」と歌う。
そう!みんな笑いたくてしょうがないのだ。
ちなみにこの映画のヒロインを演じているデビー・レイノルズって誰のお母さんか知ってる?
答えは「レーア姫」を演じたキャリー・フィッシャー。
『スター・ウォーズ』のね。
『ブルース・ブラザーズ』ではジョン・ベルーシを追っかけまわしてマシンガンをぶっ放す謎の女性ね。

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7cf 

似てる?
お母さんの方がカワイかったかな?
「カワイかった」…と過去形で言わなければならないのは、2人ともお亡くなりになっているから。
2016年12年27日、ロンドンからLAに向かう飛行の中で娘のキャリーが心臓発作で息を引き取った。
すると翌日の28日、あろうことかそのショックでお母さんのデビーが脳梗塞で亡くなってしまったのだ。
コレにはホント驚いたよ。
この記事の初出は2011年12月なので、その時には2人ともご存命だった。
  
さて、話題は変わって「笑い」といえば…。
欧米人に言われてもっともうれしいお世辞は何か?
以前は「How many years were you in the States?(アメリカにどれぐらい住んでいたの?)」だった。
つまり「あなたは英語が滅法うまい」というホメ言葉だ。
ココでチョット自慢ね。
一昨年Marshallに行った時に、本社の近くの定宿の少々長逗留をしたんだけど、最後の日に「今までありがとう。今日帰ります」とレセプションで応対してくれた東南アジア系の女性に言ったら「どちらにお帰りなんですか?」と訊いてきた。
「今晩の飛行機で東京に帰ります」と私が答えると、「エエエッ?東京にお住まいなんですか?お話になる英語を聞いていたら私はてっきりロンドンにお住まいなのかと思いましたよ!」って言うワケよ。
やっぱりロンドナーに見えるんだな~…コレはさすがにうれしかったけど、今にして思うと「日本人向け接客マニュアル<おだてれば調子に乗るバカなヤツ編>」の通りだったのかも?
実際、大した英語は話していませんからね。

Dt 向こうの人って外国人が話す英語のお世辞を言う時、「Your English is very nice!(英語がお上手ですね~!)」って言っておいて、「Your English is much better than my Japanese(アナタの英語は私の日本語よりゼンゼンお上手だ)」ってよく言うんだよね。
そう付け足されたらこっちの英語をほとんど評価していないと思っていいでしょう。
コレ、社交辞令とは言え失礼だと思うんですよ。
だってこっちは中学から大学まで一応10年間も勉強していることになっているし、少なくともそうして外国人と接する機会がある仕事をしていれば、真剣に英語を勉強しているのが普通じゃない?
それにひきかえ、向こうはナンだ?
日本語なんてマジで勉強したことないでしょ?
そんなアナタのヘッポコ日本語といっしょにされちゃこっちは困るワケよ。
でも、日本人で英語が話せる人って人口の2%ぐらいなんだってね。
6年、あるいは10年も学校で学習しているのに…全くの無駄ということですからね。
いくら英語を使う環境が他国と違うとはいえ、こんな惨状は日本ぐらいのもんじゃないかしら?
  
で、英語のお世辞については考え方を変えた。
「You have sense of humor」…これが英語を話す欧米人からの最高のお世辞とした。
「ユーモアのセンスがおありですのね、愉快なお方!」みたいな。
欧米人は人を笑わせる能力を持っている人をとても尊敬する。
もちろん下品なネタはダメですよ。
英語で冗談を言うのは実にムズカシイ。
まず英語が通じなければ絶対にウケない…コレ当たり前。
そして、冗談というのは話すスピードが命なのだ。
ダラダラ、「ア~ア~」だの「ユーノー」だの言っていると相手は笑ってくれないどころか話しを聞いてももらえなくなる。
多少無理をしてでも自分なりの最高速度で一気に英語をしゃべりきるのがコツ。
それと何と言っても文化。
映画でも、音楽でも、文学でも、歴史でも、食べ物でも、テレビのネタでも、とにかく彼らが日常に接している事物を広く知らないと冗談を言うチャンスは訪れない。
実際に相手の文化的なバックグラウンドを絡めて放つ冗談が一番ラクなんだよね。
私の場合は映画と音楽だ。
政治や宗教や人種をネタにするのはあまりにも危険なので、とにかくコレに徹している。
向こうの人たちは我々が想像するよりもはるかにそういったエンターテインメントが生活の中に入り込んでいるし、よく知っているから何を言っても受け止めてくれる。
すると、共通の話題も増えるし、冗談を言う機会も増えるというワケだ。
先日、Marshallの若い女性に「刑事コロンボ」が話す英語をマネしてメールをしたら完全にシカトされたけどよ。Shika_2 そして、冗談がウケれば自動的に英語力も認められているということになる。
意味が通じてるんだから当然だ。
だから、「You have sense of humor」は最高のお世辞であり褒め言葉だと思うワケです。
エ、お前そんなこと言ってるけど実際にそう言われたことあるのかよ?って?へへへ、ご想像にお任せします。
ま、何度か言われていなけりゃこんなこと書かんわね。
 
そうそう、コレで思い出した。
昔ヒースローの待合室にいた時、東京に向かう見知らぬイギリスのオジさんに声をかけられて、お互い同じ便だったので搭乗時間まで世間話をしたことがあった。
何でも海底掘削工事のエンジニアとか言っていた。
で、話題がイギリスの天気になって、私が「You have all seasons in one day」と形容したら、その人「おお~!素晴らしい!アナタは詩人だ!」とか言いながら握手を求めて来て、ものすごく感激されて驚いたことがあった。
コレはユーモアではありませんけどね…ポエムです。
下は昔のヒースロー空港の待合室。545 なかなか本題に入らなくてゴメンナサイ、前からどうしても書きたかったことがあるんです。
「コミック」という今回のテーマを利用して書かせてもらっちゃおう。
 
私の世代は残念ながらロックの黄金時代、つまりレッド・ツェッペリンやディープ・パープルの時代にはちょっとばかり間に合わなかった。
中2の時に『ホテル・カリフォルニア』がリリースされた世代。

Hc クラスの普通の子が聴く音楽といえば歌謡曲が当たり前で、その頃からロックに夢中になっていたのは私の他にはほとんどいなかった。
だから、もう6~7年早く生まれていればJethro Tullも、Pink Floydも、Humble Pieも、Freeも、BBAも、ELPも、YESも余裕で観ることができたですよ…でもできなかった。
ところが、我々の世代は思いっきりアニメとかヒーローの黄金期に当たってるのね。
鉄腕アトム、鉄人28号、エイトマン(←主題歌の歌詞って前田武彦が書いてたって知ってた?)あたりからはじまって、ひょっこりひょうたん島、ケロヨン(木馬座)。
ケロヨンなんてモノスゴイ人気だったんだよ~。
母がよくサンケイホールに観に連れて行ってくれた。
ちなみに同じ歳の家内は、私との別れ際にはいまだに「バハハ~イ」と言うことが多い。

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テレビアニメに至っては枚挙にいとまがない。
ジャングル大帝、リボンの騎士、メルモちゃん、マッハGo Go Go!、妖怪人間べム(何故か舞台がヨーロッパ)、サイボーグ009、スーパージェッター、タイガーマスク、巨人の星、アッコちゃん、サリーちゃん、おそ松くん、もーれつア太郎、ハリスの旋風、あしたのジョー、いなかっぺ大将、みなしごハッチ、ハクション大魔王、オバケのQ太郎、ウメ星デンカ、花のピュンピュン丸(これ好きだった)、狼少年ケン、アタックNo.1、鬼太郎、河童の三平、ライオン丸(顔がライオンだもんね。ミノタウロスもビックリだぜ)、デビルマン、マジンガーZ!あ~ダメだ、キリがない!
 
怪獣系ではウルトラマンやウルトラセブンはもちろん、マグマ大使(ネーミングのセンスすごし)、ジャイアントロボ、ミラーマン等のテレビ番組に加えて、ゴジラ人気に便乗して各映画会社がジャンジャン怪獣映画を制作していた。
大映の「ガメラ」や「大魔神」は今でも人の口に上ることが多いが、松竹の「ギララ」、日活の「ガッパ」とかはほとんど耳にしないよね。
「マタンゴ」は古いか…「ゴケミドロ」なんてのもあったな。

Grr

Gappa 

今考えると、クリエイティビティに満ち溢れていた本当にスゴイ時代だったと思う。
「ど根性ガエル」なんてスゴイぜ。
一体、誰がカエルがシャツに貼ッ付いちゃうなんてことを考えるよ?
 
音楽で例えれば、手塚治虫はデューク・エリントンぐらいスゴイし、赤塚不二夫なんてジミ・ヘンドリックスかオーネット・コールマンぐらい偉大だよ。
私はレッド・ツェッペリンもディープ・パープルも観ることはできなかったが、星飛雄馬や伊達直人や鮎原こずえ達を時を同じくして十二分に楽むことができた。

Dk

この頃のアニメはエロも過度な暴力もなくて実に愛らしかった。
そして、我々の世代がもうひとつラッキーだったのは、これらのアニメの主題曲もリアルタイムで経験したことだ。
上に挙げたほとんどの作品の主題歌は今でもほとんどソラで歌えるもんね。
それぞれが際立っていい曲だった。
妖怪人間べムはビッグバンド・ジャズだったり、アッコちゃんの最後の歌「スキスキ」はブルースだったり、演歌調もありゃ、準クラシックもあった。
鉄腕アトムのイントロはホールトーン・スケールがガッツリ使われていたり、いろんなタイプの音楽を知らず知らずの内に体験していたことなる。
ま、ウチの家内なんかは「魔女っこメグちゃん」を平気で「ケロっこデメタン」のメロディで歌っていたりもするが…。
今みたいな一石二鳥のヒット狙いのタイアップ曲なんかではなくて、クラシックを下地にキチンと音楽を勉強した作曲家が曲を作り、腕利きのミュージシャンがそれを奏でるのだからそりゃいいモノができるにキマている。
だから世代を超えて長持ちしてるんでしょうね?
作曲に関して言えば、富田勲や山本直純だもんね。
映画も音楽もアニメも、テイストが変化するのはまったく構わないと思うけど、一体ナニが美しいのか、ナニがスゴイのか、ナ二が面白いのか…の適切な基準だけは無くさないでいて欲しいことを願う。
 
展示のテーマを象徴するブローアップ・ジャケット。
今回選ばれた2枚のウチの1枚はジャニスの『Cheap Thrills』。
Img_0258もうひとつは昔の山止たつひこのマンガにでてきそうなキャラをあしらえたカナダのニール・メリーウェザー(Neil Merryweather)という人の『Kryptonite』。Img_0261 ではいつものように、気になった作品を展示棚ひとつずつ見ていきましょう!

Img_0229まずは最初のセクション…§1-a。Img_0232 数々のフォロワーを生んだ名ジャケット・デザインを手がけたのは、アンダー・グラウンド・コミックスの創始者といわれているロバート・クラム(Robert Crumb)。
それほど熱心に聴いたアルバムではないが、印象に残っているアルバムのひとつ。
残念ながらそれはジャケットのおかげではない。
その理由は値段…といってもおわかかりになる方はほとんどいらっしゃらないでしょう。

Ct_2 中学の時の話し。
当時もLPレコードの値段は全て2,300円から2,500円だった。
現在のCDとそう変わらないけど、コレは45年ぐらい前の話ですからね。
当然新品のLPを1枚買うのには、清水の舞台から真っ逆さまに飛び降りるような決心が要ったワケです。
そこへ出て来たんですよ。
CBS/SONYの名盤と言われていたレコードが1,500円均一で!
いわゆる「廉価盤」ってヤツね。
こんなの今では何ら珍しいことではないどころか、音楽なんてもうタダ同然になっちゃったけど、子供の頃の1,000円の差っつったら大変なモンですからね。
ま、今でも大変なんだけど…。
「1,500円でレコードが買える!」と狂喜乱舞したのです。
しかし、いくら安いと感動してみたところでこっちはビートルズを卒業してまだそう間もない頃でしょう。
アル・クーパーだの、ジョニー・ウインターだの、Blood, Sweat & Tearsだの、Chaseだのといわれてもネェ…まだこっちはオコチャマで、海のモノとも山のモノともつかないアイテムばかり。
どれを買っていいのかサッパリわからないワケ。
で、ひと際目を引いたのがこの『Cheap Thrills』だった。
こんなモロに漫画のジャケット見たことなかったからね。
でも結局、その時に私はこのLPを買わなかった。
仲のいい友達が買ったので借りて聴いた。
「ナンて変な声の女の人だろう!」だと思ったけど「Piece of My Heart」が気に入った。
当時、よく「Summertime」の絶唱が賞賛されていたように記憶しているけど、年月を経る間にエラ・フィッツジェラルドやカーメン・マクレエのジャズ版や、オリジナルのオペラの『Porgy & Bess』を聴いてしまうと、ジャニス・バージョンはかなりツライ。
今となってはガーシュインの最高傑作のひとつを改悪しているようにしか聞こえないんだよね。
ジャニスのフェイクっぷりもツラいけど、原因の1/3ぐらいはあのギター・ソロによるものかも知れない。
70r4a0088 その後、九段会館で開催された『Monterey Pop Festival』のフィルム・コンサートに行き、床を踏み鳴らしながら「Ball and Chain」を激唱する動くJanisを見た。
オイルをかけてストラトキャスターに火をつけるジミ・ヘンドリックスにも感動したが、ジャニスも負けていなかった。
下はその時に買ったプログラム。
同時上映は『Wattstax』だったんだけど、ゴメン、途中で出て来ちゃった。

70r4a0098_2これは植村さん所有のRobert Crumbの作品集。
Img_0263ページを繰ってみると…ホラ、『Cheap Thrills』が出てる。

Img_0264他に有名な作品はこの『Fritz the Cat』や『Mr. Natural』などがあり、どちらもやや年配の方なら「ああ、コレね」と思うだろう。
他にはエッチなマンガが盛りだくさん。

Img_0266 上に書いたように、このジャケット・デザインは数々のフォロワーを生み出していて、コレはその中のひとつ。
犬神サアカス團の2007年のシングル「たからもの」。952  
次…これはユカイ!
『liverpool 1963 - 1964 volume two』というコンピレーション・アルバム。
収録されているのは、Beryl Marsden、The Big Three、The Dennisons、The Mojos等…って全然知らんわい!
ちょっと気になるのはThe Pete Best Fourとかいうグループ。
もちろん、ピート・ベストとはRingoの前のThe Beatlesのドラマー。
この人今でも演奏しているみたい。
ジャケットはもちろん『With the Beatles』のパロディ。
元も方は、アストラッド・キルヒャーというドイツ人の女流写真家が使った一般的に「ハーフ・シャドウ」と呼ばれる手法をビートルズのメンバー達が大変気に入り、ロバート・フリーマンというイギリス人カメラマンに依頼して同じタッチで撮った写真を『With the Beatles』のジャケットに使った。
アストラッドはこれまた元ビートルズのメンバー、スチュアート・サトクリフ(ポールの前のベーシスト)と婚約したが、彼の死によって別れ別れとなってしまった。このあたりは有名な話で映画にもなったんじゃなかったっけ?
フリーマンは他にも『For Sale』、『Help!』、『Rubber Soul』なんかのジャケ写を撮った人ね。

Img_0302 裏面にはモップの写真が…。
このモップが実際に使われたのかしらん?

Img_0303 「Bummie(ブラミ―)」が集まって結成されたバンドがThe Move。
「ブラミ―」というのはバーミンガム出身者のこと。
ニューカッスル出身者が「ジョーディー」、マンチェスター出身者が「マンキュリアン」、リヴァプール出身者が「スコーサ―」というのと同じ。
バーミンガム訛りの英語はキツイぞ~。
Marshallの本社があるミルトン・キーンズはバーミンガムにほど近いこともあって、何人かのブラミ―がいる。
最近は少し慣れたけど…ココだけの話…最初の内はナニを言っているのかがわからず本当に困った。
マンキュリアンの英語も結構ツラい。
経験から言って、まだジョーディー弁の方がラクなような気がする。
 
さてこのThe Move、以前にも書いたことがあったが、どこに境目があるのかはわからないものの、イギリスでは「ロック」と「ポップ」の境界線が明確でThe Moveはどちらかというと「ポップ・バンド」の範疇に入れられているようだ。
確かにファースト・アルバムなんかを聴くと、ポップポップしていることは否定できない。
でもコレが実にいいんだな。
ま、どのジャンルに突っ込まれようとロイ・ウッドとジェフ・リンという才人を抱えたこのチームの音が悪かろうハズはない。
特にRoy Wood(後出)はいいナァ。
同じポップ・チューンを演るにしても、スルリと無難にいいメロディを聴かせるというのではなく、「アレ?そっちに行っちゃうの?」みたいな意外性を持ち合わせているところがタマらん。
初期には全英No.1となったシングル「Blackberry Way」や、同じく2位まで上昇した「Night of Fear」や「Flowers in the Rain」などのヒット曲があって、The Moveは日本でもっと名前が通ってもいいバンドだと思う。
このアルバム『Shazam(シャザム)』は1970年発表の2枚目のスタジオ・アルバム。
スーパーマンのような格好をしたメンバーのイラストがユーモラスだ。
Img_0306The Moveは1枚目も4枚目もイラストのジャケット。
メンバーの写真を表に出すことがなかった。
恥ずかしがり屋だったのかしらん?

Move

7mc 

唯一、3枚目の『Looking on』だけが写真を使ったデザインだった。
この写真がまた妙で、頭のテッペンがツルツルにハゲたおっさんを並べて俯瞰で撮ったもの。
パッと見ただけでは何かわからないようなシャレのきいた写真を使っていた。
イカンね、ハゲはオモチャじゃないぞ!
コレね。
このジャケットも十分コミック的だ。
Loところで、「Shazam」というのはナニか?
最近ではそういうアプリもあるようだが、「ジャーン!」という擬音なのだそう。
手品師が最後にワザを使って見ている人を驚かす時に「シャザム!」と言うらしい。
ドッキリカメラだったら「♪テッテレ~!」だ。
 
ココでの「Shazam」は違う。
私はこういうマンガ関係のことは全く門外漢なのでもし間違っていたらゴメンよ。
「シャザム」というのは、1930年代のアメリカのヒーロー・コミック『Captain Marvel』に登場する魔法使いのことだとか…。
このシャザムが「Shazam!」と呪文を唱えると、稲妻が轟き、主人公のビリー少年が6人分のパワーを持ったヒーローに変身する。
ここから転じて『キャプテン・マーベル』自体のことを『シャザム』と呼ぶようになった…とか?
だからMOVEのメンバーもスーパーマンみたいな格好をしているというワケね。
でもこれはスーパーマンではなくてキャプテン・マーベルなんですな…知らんがな。

「キャプテン・マーベル」でよく知ってるのはコレ。
Stan Getzの『Captain Marvel』…「Return to Forever」の前身ですな。
カッコいいことこの上なし。

Cm もうひとつついでにMOVEネタ。
写真はロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria & Albert Museum、通称「V&A」)に飾ってあったThe MoveのMarquee出演時の告知ポスター。
何ともカッコいいデザインではあ~りませんか!
でも「JULY 11 MARQUEE」としか書いていない…何年のライブだったんだろう?

7img_2251 ということで、早速ウチにある『LONDON LIVE』という本でMarqueeの出演者記録を調べてみると…あった、あった!
1967年の7月11日のことだった。Tb この日のThe Moveの対バンはWinston's FumbsというThe Small Faceのキーボーズ、ジミー・ウィンストンのバンド。
スゴイよ…その前日の出演者はTen Years Afterにロジャー・チャップマンのFamily。
翌日はアル・スチュアート(後出)だもん。
いいよナ~、人生不公平だよナ~。
もっとも1967年じゃまだ私は5歳だったけど。70r4a0144アーチー・シェップの『The Magic of Ju-Ju』にも「Shazam」という飛び切りカッコいいバッピッシュな曲が収録されている。
この『The Magic of Ju-Ju』も今回の展示に出てきてもおかしくない充分コミカルなデザインで好き。花柄の骸骨なんて実にステキな意匠だ。
内容も素晴らしい。シェップは素晴らしい。

JujuThe Move関連のネタが続くよ。
ロイとジェフが在籍していたNightridersが発展して生まれたIdle Race。
結成は1967年と古い。
これはファースト・アルバム『The Birthday Party』。
英米でジャケット・デザインが異なるが、これはイギリス盤。
誰かはほとんどわからないが、この宴席に座っている紳士たちはイギリスの有名人らしい。
で、ところどころにバンドのメンバー紛れこんでいるところが楽しいけど、このアイデアって考えてみれば完全に『Sgt. Peppers~』じゃんね?
それもそのハズ、ジェフは大のビートルズ・ファンで、何かのインタビューで目にしたんだけど家ではビートルズとバルトークしか聴かないとか。
いいチョイスだ…バルトークはカッコいいですよ~。
このアルバムはゲイトフォールド・ジャケット(見開き)になっているんだけど、その仕様のジャケットってビートルズの『Sgt. Peppers~』とストーンズの『Their Stanic Majesties』以来なんだって。
そこまでマネしたかった!
Img_0311元の表1はこういうデザイン。
Bpコレを開くと、上のモノクロ写真とこの下の写真が見開きになっていた。
7abこんな感じ。
知っている人いる?
よく見ると、かなり強引なコーラージュもあって、ステンド・グラスにも顔写真が埋め込まれている。
一番左にリンゴが座っていて、他のビートルズの3人は奥の方に立っているよ。

7inside そういえば…これはホントの話しなんだけど、昔、英語版ビデオの日本語対訳書の校正の仕事をしていた時、音楽をまったく知らない翻訳家の過去のダイナミックな所業を発見して興奮したことがあった。それは…『Sgt. peppers Lonly Hearts Club Band』を何の疑いもなく堂々と『胡椒軍曹の寂しい心楽団』と訳していたのだ!
ま、間違いではないんだけどね~。
それじゃまるで王様だよ。
Sgt 一方、こちらはRoy Woodの『Mustard』。
大名盤。
ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、マイルス・デイヴィス、デヴィッド・アレン(後出)等、自分で描いた絵画なりイラストなりを自分の作品のジャケットに使うミュージシャンは決して少なくないが、この『Mustard』のイラストもロイ自身が描いたもの。
実にいい味を出しているでしょ?
このアルバ三だけ帯が付いてい文字もカラシになっているのを見せるためか。

しっかしこの絵のセンスはなんだろね?
あんなに美しい曲を書く人なのに。
もちろん大好きなジャケットなんだけど、諸星大二郎のマンガみたいだ。
マルチ・プレイヤーで知られるロイだけど、実際にこの人バグパイプを演奏しているんだよね。

Img_0319ココで楽器クイズ。
「電気の助けを借りずにこの世で一番デカイ音を出す楽器ってな~んだ?」
「ピアノ?」…いいえ。
「ドラムス?」…いいえ。
答えは「バグパイプ」と言われているそうです。
大分前に東京藝大の学祭(「芸祭」ってヤツね)の音校(音楽学部)で実際の演奏を見せてもらったことがあったんだけど、たった1人で吹いているのに信じられないぐらいの爆音だった!
音量もさることながら、クリーンでエラク抜ける音と音域なんだよね。
みなさんも一度ご体験あれ!
だからコレを目前で見たときはビックリした。7img_65232012年にエジンバラ城に行った時の写真。
も~、「ビャ~!」っとスゲエ音なんよ。7img_6525 キューブリックの『バリー・リンドン』に戦闘直前の軍隊行進でバグパイプの楽隊が演奏するでしょ?
戦場にバグパイプを持ち込まれたのは15世紀前半のことらしいんだけど、やっぱり勇猛な音のデカさで相手をビビらせる役目をバグパイプは負っていたらしい。
こんなんでビビるか?…と、今なら思うけど、当時は人間が作ったモノでそんなに大きな音を出す仕掛けが他になかったんだろうね、きっと。 
Bl 『バリー・リンドン』は中学生の時に映画館へ観に行った初めてのキューブリック作品。
子供の頃は長いばかりで退屈極まりなかったけど、今観るとすこぶるオモシロい。
そして、今気になっているのはリンドンの面倒をみるギャンブラー、「シュバリエ・ド・バリバリ」という名前だ。
ヘンでしょ、「バリバリ」って。チキンじゃあるました。
 
スタンリー・キューブリックがお好きな方はコチラをどうぞ⇒【Shige Blog】イギリス紀行2019 その12 ~ スタンリー・キューブリック展 <vol.1> か~ら~の~11連作!

Sb 裏ジャケはこんな感じ。
ヘンな絵。Img_0321 
日本人で映画の『ロッキー・ホラー・ショウ(原題は『Rocky Horror Picture Show』)』を観たことのある人ってどれくらいいるんだろう?
舞台は?
私は残念ながら舞台は観たことがないのだが、映画はスキだった。
海外でもいまだに人気は衰えていないようで、コレはもう10年前の写真だけどドイツのフランクフルトでもこうしてリバイバル公演が打たれていた。
こんな具合だからして、欧米の中年の方でこのミュージカルの挿入歌「Time Warp」を歌えない人は恐らくいまい。
7img_0496 浅草に住む年配者が「浅草の歌」を、横浜市民が「横浜市歌」を、極めて多くの長野県人が「信濃の国」をソラで歌えるように彼らは「Time Warp」を歌って踊れるのだ。
群馬でいえば「上毛かるた」だ。
欧米の人はたいていProm(学校を卒業する時に開催されるダンス・パーティね。映画『キャリー』とか『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なんかに出てくるヤツ)でこの曲を踊るらしい。
アメリカで映画化されたのでオリジナルがブロードウェイだと思っている人がいるかもしれないが、これはロンドン・ミュージカルですからね。
実際にウチの社長の結婚10周年を記念するパーティの時も、DJが「Time Party」をかけると全員一糸乱れず踊り狂っていたわ。
このロック・ミュージカルは、1973年から80年までスローン・スクエアの「Royal Court Theatre」で上演された。
下のアルバムはそのオリジナル・キャスト・バージョン。
このバージョンは後の映画『Rocky Horror Picture Show』よりもロックっぽいアレンジになっている。
ジャケットは何だか日本のマンガみたいだね。
ゴチョゴチョしててステキ。
このロック・ミュージカルも濃いファンが実に多くて、色んな音源を詰め込んだボックス・セットが発売されていた。
私はこの中のリード・チューンである「Time Warp」をはじめて聴いたのは、渋谷の屋根裏のなぞなぞ商会のライブだった。
フランクフルター博士のようなボディ・スーツを身にまとったボーカルズの遠藤豆千代さんが「Sweet Transvestite」を日本語で歌い、「Time Warp」を演奏した。
その歌詞が強烈で「♪I remember doing the Time Warp / Drinking those moments when」のところを「♪すい臓、腎臓、そして子宮、肛門へ(腎臓じゃなくて心臓だったかもしれません)」と歌ったのだ。
なぞなぞ商会はフランク・ザッパと『Rocky Horror Show』の日本語バージョン(王様のような直訳ではないオリジナル日本語詞)を演奏するバンドで、ザッパの「Carolina Hardcore Ecstacy」なんてそれはそれは素晴らしい詞がついていた。
で、大阪の寺田町にある(あった?)「スタジオあひる」というライブハウスで対バンさせてもらったことがあった。
「Peaches en Regalia」とか演ってたのを覚えている。
どこかに録音したテープがまだ残っているかも知れない。
そのライブハウスの上の階にはサウナ風呂があって、出演者は無料か割引で入浴できたので、ひとっ風呂浴びさせて頂いたのもいい思い出だ。Img_0309コレは『The Rocky Horror Show』のソングブック。
1995年にニューヨークにへ行った時にブロードウェイのミュージカル・グッズ専門店で買った。
ま、別段珍しいモノではない。
海外へ行くとこういうスコア類が豊富でうれしくなっちゃうよね…買ったって読みゃしないんだけどサ。70r4a0105しかし、この『The Rocky Horror Show』ってのはナンだってこんなにビジュアルの統一感がないんだろうね?
下はロンドン・キャスとの他に私が持っている「Original Roxy Cast」というバージョンと映画のサントラ盤。
上のロンドン・キャスト盤といいソング・ブックといい、どれもみんな同じ曲が収録されているのに、見た目はそれぞれまるでアカの他人だ。0r4a0103 
Bonzo Dod Doo-Dah Bandは時折この『MJG』に時折登場しているような気がするが、それだけ間口が広いということか?
昔、他の特集で紹介したヴィヴィアン・スタンシャルとマイク・オールドフィールドの件には正直驚いたし、知っておいてヨカッタ。
コレについてはまた『メッセージ・ジャケット』特集という別の回を復活させるつもりなので、その時に改めて紹介しましょう。
で、こちらはその肝心のBonzo。
2枚目のスタジオ・アルバムで、ココからバンド名を短縮し、単に「The Bonzo Dog Band」と名乗るようになった。
『The Doughnut in Granny's Greenhouse』と同じ内容だがアメリカではイギリスでヒットした「I'm the Urban Spaceman」を加えて、このように『Urban Spaceman』として発売された。
Monty Pythonの一派だけあってトボけたテイストがたまらない。

Img_0312 何でもこのジャケット・デザインは下にあるThe Incredible String Bandの『The Hangman's Beautiful Daughter』のパロディなんだって。
なるほどね~。
「Beautiful Daughter」と聞いて思い出すのは前出のThe Moveでしょう?
『Shazam』の2曲目が「Beautiful Daughter」だ…いい曲なんよ~。 7isb Bonzoのアルバムは全部持っているけど、好きなフリをしているだけかも…ワタシ。
どうもよくわからない。何が面白いのかがわからない。
時折出てくるダイアログ、つまり英語の会話があまりにも「イギリス英語」なのをせいぜい楽しんでいるぐらいか?
タイトルの「Keynsham(ケインシャム)」というのはイギリス南西部のブリストルの近く町の名前。
海賊ラジオの放送局のひとつがあった場所。
この辺りの話は長くなるので今回はパス。
Img_0314_2Bonzo Dog Band、5枚目にして最後のオリジナルアルバム『Let's Make Up and Be Friendly』。
私にとってこのアルバムのキーワードは「外道」。
外道のファースト・アルバムに収録されているオープニングSE、あの笑い袋みたいなヤツね。
秀人さんは外道のショウのオープニングでは今でも必ずコレを流しているが、アレはこのアルバムの最後に収録されている「Slush」という曲。
ジャケット・デザインが可愛くてよろしいな。イギリス盤はバックが黒だった。
この犬が「ボンゾ」。

Img_0313うれしいな~、Gongが出て来たよ。
Gongは日本では「フランスのプログレッシブ・ロック・バンド」ということになっている。
ま、間違いはないんだけど。
コレは1973年発表のGongの代表作『Flying Teapot』。
サブタイトル(赤い吹きだし)に「Radio Gnome Invisible Part1」とあるのは、いわゆる「Radio Gnome Invisible三部作」の第1作だから。
この後、『Angel's Egg』、『You』と来て三部作が完結した。
「gnome」は地中の宝を守るとされる「地の精」。
「g」は黙字で、「ノーム」と読む。
ジャケットのイラストはGongのグル、デヴィッド・アレンによるもの。
誰でも描けそうに見えるけど、そうは簡単にいくまい。

Img_0317私が始めてGongのLPを買ったのは1977年か78年。
『Gong Live Etc』が発売された時だった。
今にして思うと数少ないジャケ買いのひとつだった。
タイトル・ロゴに切り抜かれた透かし彫りのようなデザインに惹かれてどうしても欲しくなった。
当時はプログレにハマり出した頃で、Gongもプログレだっていうことも手伝って買ってみた。
最初は何だかよくわからなかったな…。
サイケのようなジャズ・ロックのような…。
デヴィッド・アレンのヘンテコリンな歌が出てくるかと思えば、何やら凄まじいドラミングの超絶演奏も出てくる。
今でもそれがGongの魅力で、このライブ・アルバムはやたらと評価が低いようだけど私は大好き。

Gle デヴィッド・アレンがバンドを離れてドラマーのPierre Moerlenが主導権を握るとバンドは急速にジャズ・ロック・サウンドに傾倒していき、『Gazeuse!』、『Expresso II』、『Downwind』、『This is the Key』等を発表した。
これがまたいわゆる「フュージョン」ではないんだよね。
「プログレッシブ・ロック」で片づけるのもどうかと思うし…。
で、前者2枚にはアラン・ホールズワースが参加していて、かつ、マリンバだのヴィブラフォンのアンサンブルがこの上なくカッコよくて一時期聴き狂った。
『Pierre Moerlen's : Live』もヨカッタ。
そのPierre Moerlenも2005年に亡くなってしまった。
調べてみると、このMoerlen、リチャード・ブランソン(Virginグループの親分)に直々に頼まれて『Tublar Bells』のプレミア公演でパーカッションを演奏したんだって…ロバート・ワイアットの代役だったそうだ。
知らなかった~。
でも今Gongの音楽を聴くとなると、この辺りの後期のアルバムではなくて『Camembert Electrique』とか『Radio Gnome Invisible三部作』などのデヴィッド・アレン在籍時の作品の方がいいんだよね。
やっぱりGongってデヴィッド・アレンでできていたんですね。
 
それにしても困るのが「Moerlen」の読み方。
いまだにわからない。
昔はモエルランだった。
他にもムーラン、モーラン、モアレン…まさに「ゲオテとはオレのことかとゲーテ言い」っていうヤツ。
それで、フランス人の友達に訊いてみたのですわ。
確か「モエXアン」みたいな感じで「X」のところはあのフランス語特有のタンを切るみたいな発音で、そこにストレスが置いてあったような気がする。
また確認しておきます。
ということで今回は無難にアルファベット表記にさせて頂きました。

G1_1

G2

G3

G4

ドワ~!このジャケットは問答無用でカッコいいんじゃん! 
1969年から75年まで活動していたテキサス出身のバンド、Bloodrockの1971年発表の4枚目のアルバム『Bloodrock U.S.A.』。
他の作品のジャケットはどうしようなく垢抜けないっていうのに!
これは有名なイラストレーターの作品なのかしら?
デザインからすると何やら過激な音楽を演っていそうだが、聴いてみるとさにあらず。
毒にも薬にもならないようなハードロックちょっと手前の普通のロックといったところか…。

Img_0318 60年代パンクのコンピレーションだそうです。
タイトル通り野生的で荒削りな音楽が詰め込まれているらしい。
こういうマンガって、いっかにも海外風味だよね~。
これを見てすぐに思い出したのは「スーパー・スリー」っていうアメリカのアニメ。
マイクとフリーとコイルが出てくるヤツね。
「♪スーパースリーは~、チョ~ホーブ~イ~ン~、世界のためならエンヤコラどっこいしょ」とかいう主題歌でした。
海外のアニメなのに「エンヤコラどっこいしょ」だった。
昔の人はやることなすこと本当にクリエイティブだった。

Img_0322 §1-bに移ります。

Img_0234 Climax Blues Band、古くはThe Climax Chicago Blues Band。
Hipgnosisの回でも触れたけど、いいバンドなんだよね~。
ギターのピーター・ヘイコックがすこぶるよろしい。ウマい。
コレは彼らの1972年の5作目の『Rich Man』。
このロボットのようなオッサンが「Rich Man」なのだろうね。
デザインはHipgnosis。
髪型がいかにもHipgnosisのデザインっぽい。
前作『Tightly Knit』がHipgnosisだったので今作もそうしたのであろう。
幾何学的、金属的なタッチと原色を排した色合いがすごく親しみやすい。
音の方もいいんよ。
このアルバムも、なかなかにツボを押さえた曲作りとヘイコックの土臭いギターがいい味を出している。
でも日本では全く見向きもされないバンドだったよね?

Img_0323KISSこそコミックを具現化したかのようなロック・アーティストと言えるだろう。
ゴメンネ、KISSって1回もレコードを買ったことないし、一度たりとも興味を持ったことがないんです。
初来日公演は行ったけどね、ヘヘヘ…すごくヨカッタ。
ちょうど『Destroyer(地獄の軍団)』が出てきた頃、私はプログレにハマっててね。
King CrimsonとかYesとかいわゆるプログレのビッグ・ネームを追っかけまわしてた。
他にトッド・ラングレンとかフランク・ザッパのLPをはじめて買ったのもほぼ同じ頃。
掃除の時間にホーキでギターのマネをして「Detroit Rock City」を歌ってたクラスメイトもいたけど、私はKISSは新鮮味を感じなかったというか…まったく刺激されなかった。
今聴くと全然問題なんだけどね。
「Shout it, shout it, shout it loud」っていうのあるじゃない?
「♪シャ~リ、シャ~リ、シャリラッラ~」って米屋さんのテーマソングかと思ってたぐらい。(ウソです)。
ほらね、こうしてマンガにしても何ひとつ違和感がない。それがKISS!

Img_0324 コレさ、あまりにもジャケットがお門違いなんじゃないの?
アラバマ出身のWet Willieというグループの1973年のライブ・アルバム『Drippin' Wet』。
このアルバムは聴いたことはないが、他のライブ盤を聴くと「明るい良い子のサザン・ロック」といった風情でよろしいな。
何せレーベルがサザン・ロックの名門Capricornですからね。
アラバマ出身なんだからアラバマのレコード会社から作品をリリースするのはちっとも不思議ではないんだけど…このジャケットは変すぎるでしょう。
サザン感まるでなし!
もっと変なのが、1974年ごろ短期間とはいえ、バッキング・シンガーとしてイギリスのバンド、Vinegar Joeのエルキー・ブルックスが在籍していたってんだよね~。
ちなみにわが友、ジェフ・ホワイトホーンはよくエルキーと仕事をしていた。
それでこの女性の名前を知ったのです。
Vinegar Joeはメチャクチャかっこいいよ。

Img_0325 アル・スチュアートの『Year of the Cat』。
私は特段ネコが好きというワケではないが、コレ完全なジャケ買いをした。
デザインはヒプノシス。
ネコ・マニアの女性がネコの格好をして仮装パーティーに出かけるところなんだって。
鏡台の前にゴチャゴチャ置いてあるモノがすべてネコに絡んでいてすごく可愛いの。
アル・スチュアートといえば凡そ私が好んで聴くような音楽ではない。
実際にコレを買った時はひと針降ろしてすぐ上げたわ。
でも今聴くとホッコリしていて実にいいね。
ピーター・ホワイトとティム・レンウィックという人たちがギターを弾いているんだけど、実にうまい。
日本のギターキッズは速弾きをしないと「ウマい」とは思わないようだが、こういうギターを弾く人こそウマいと思うね。
ま、私も若い頃は速弾き好きだったけど…イングヴェイのフォロワーが出て来た以降は全くオモシロいと思わなくなっちゃった。7ascat アルはこのヒプノシスの意匠を2004年のベストアルバムに再利用した。
どうもネコの仮装をしていたお姉さんは怪盗になったようだ。
高飛びに備えてパスポートが用意してある。Asgh 次もHipgnosisの作品。
Genesisの看板スター、ピーター・ガブリエルが抜けちゃってハラホロヒレハラ、テンヤワンヤの大騒ぎ!
残った4人で「一体どうすんべか!」と踏ん張ったらアラ不思議、トンデモナイ名盤ができちゃった!…と、火事場のバカ力で作り上げたのが『A Trick of the Tail』。
おまけにフィル・コリンズが素晴らしいボーカリストだったという副産物まで飛び出した。
このマザーグースかなんかに出てきそうなイラストが魅力的で、それぞれが収録曲のキャラクターになっている。
おおよそHipgnosisらしくないタッチだよね。
でも中も外も本当に素晴らしい作品だと思う。
「Dance on a Volcano」、「Squonk」、「Los Endos」等、この後のGenesisの重要なレパートリーが収録されていて、通して聴くとコンセプト・アルバムを標榜しているワケでもないのにものすごいストーリー性を感じるでしょ?
1回通して聴いてまた振り出しに戻る…みたいな作りによるものか。
2010年のJapan Progressive Rock Festivalに出演したスティーヴ・ハケットはこのアルバムの中から「Los Endos」を演奏していたっけ。
きっとこの時のメンバーとっても思い出深い作品なのだろう。
ちなみにハケットはエディ・ヴァン・ヘイレンより先に同じ方向性のライトハンドをやってるかんね。
この作品のたったひとつの難点は、内ジャケに掲載された歌詞がカリグラフィで記載されていてちょっとやそっとじゃ読めん!
キレイなんだけどね、コレじゃ読めない。

Img_0328ちなみに私が大好きなイギリスの音楽雑誌、「Classic Rock」の姉妹誌、「Prog Rock(夢のような雑誌でしょ?)」。

70r4a0116 同誌が選ぶプログレッシブ・ロック・アルバム・ベスト30で第1位に選ばれたのは『Selling England by the Pound (邦題:「月影の騎士」)』だった。
このことはもう何回もMarshall Blogに書いた。
『Trespass』、『Nursery Cryme』、『Foxtrot』、『Selling England by the Pound』、『The Lamb Lies Down on Broadway』、そしてこの『A Trick of the Tail』…こうして考えてみるとGenesisは名作の山を築いた偉大なバンドだったよね。
『Invisible Touch』もいいけどサ…やっぱね~。
1977年の来日時、新宿厚生年金会館行っておいて本当にヨカッタ。
ところで、そのベスト30。
第1位は『Selling England by the Pound』で、その他のGenesisの作品としては『Boradway』が第12位に選出されていた。
しからば、他のグループはどうか?
Pink Floydが2位の『Wish You Were Here(ナント『狂気』より上!)』と6位の『Dark Side of the Moon(ナント『炎』より下!)』でGenesisと同じく2作品がチャートイン。
Yesも4位の『Close to the Edge(危機)』と22位の『Fragile(こわれもの)』の2作品。
ELPは5位の『Brain Salad Surgery』のみ。
King Crimsonは3位の『宮殿』と24位の『Red』のやはり2作。
イギリスの雑誌らしいのはFamilyとかNektar、Caravan、Van Der Graaf Generatorあたりが入っていることかな?
しかしサ、プログレのムーブメントってよく見てみると一般のリスナーにとってはGenesisやELPやYesやCrimsonらのビッグネームのみがシーンを席巻した恐ろしく狭小な世界だったんだね。
でも、この分野をイタリアやオランダ、北欧、果ては東ヨーロッパの辺境にまで広げるとそれはもうタマらなくおもしろいことになる。
南米あたりにも面白そうな連中がいるようだし、アメリカにはKansasなんかがいたりするけど、やっぱりプログレはクラシックの要素を感じさせないとことにはピンと来ない。
だから断然ヨーロッパなのだ。
あ、Spock's Beardは例外的にイイな。

70r4a0112 同じ号にHipgnosisのストーム・ソーガソンのインタビューが掲載されていた。
「The Man who gave prog a face」だって。
この雑誌は2007年ぐらいに出版されたモノなので、まだソーガソンがご存命だった。70r4a0110 なんじゃコリャ?「三輪車」だって。
いったいどういうコンセプトでこういうバンド名にしてLP作ってこんなジャケット・デザインにしちゃったんだろうね?
大切な自分たちの作品なのに…故意にカッコよさを追求していないような…。
さぞかし売れなかったんだろうな~。
しっかりとカットアウト盤だ。
今回の「コミカル」という観点でつっつけば充分エントリーの資格はあるのだが…。
どんなもんかと聴いてみると、ルックス通りの甘々ポップ。
「バブルガム・ポップ」っていうのかな?
コレがなかなかいいのよ!
結果的にはジャケットもコレでヨカッタ。
しかし、考えてみるとサウンドがおとなしいか、ヤカマシイかの違いだけで「青春パンク」とか呼ばれている類のロックはやっていることがコレと同じだな。

Img_0333Alvin and the Chipmunksはアメリカのアニメのバンド。
大変な人気で、数々のヒット曲を生み出しただけでなく、映画も制作された。
何しろ1959年から2011年の間に50枚にも上るアルバムを発表しているというのだからスゴイ。
コレって「じゃじゃ丸とピッコロとポロリ」が50枚もアルバム出しちゃうみたいなもんでしょ?
「のび太とスネ夫とジャイアン」でもいいんだけど、剛田は音痴だからナァ。
これは1982年のアルバム、『The Chipmunks Go Hollywood』。
ジャケットのイラストに見られるように、「Eye of the Tiger」、「Tomorrow」「E.T. and Me」の他、「9 to 5」、「Fame」、「Arthur's Theme」などが収録された映画主題歌集。

Img_0334ヘビメタほどではないにしてもグラム・ロックもマンガになりやすい素材のうちのひとつに違いない。見てこの美しいマーク・ボラン!
ボランの曲の権利を日本の会社が持っているために自由にコンパイルしたベスト盤。
それにしてもマーク・ボランというか、T-Rexの人気って根強いよね。
「21 Century Boy」と「Metal Guru」と「Get It on」だけだけど。
あとは「Solid Gold Easy Action」ぐらいか?
「グラム・ロック」といえば、そのギランギランのルックスばかりが取り沙汰されるけれど、さすが70年代の前半に栄えた文化だけあって、なんといっても曲がいいよね。
だからT-Rexの曲もこうして生き残ることができているに違いない。
実際『The Slider』とか『Electric Warrior』なんて名盤の誉れだけあっていいもんね~。
ちなみにマーク・ボランの相棒のミッキー・フィンが使っていたパーカッションはNATAL製です。

Img_0336 <つづく>

 

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2021年8月23日 (月)

【Marshall Blog Archive】厚生年金会館の思い出

 
コロナの影響の有無を問わず、東京の中~大型のライブハウスというか、ホールというか、そうした設備がドンドン閉鎖していってるでしょう。
チョットさかのぼると渋谷のBOXX、隣りにあったAX、横浜BLITZ、赤坂BLITZ、新木場COAST(来年1月末閉館予定)…まだ他にもあるかな?
みんななくなっちゃった。
そんなことを先日Zepp Tokyoへお邪魔した時にシミジミと思ってしまった。
そのZepp Tokyoも今年いっぱいで閉館してしまう。
そこで思い出したのが、昔のMarshall Blogの時に編んだ1本。
11年前に閉館した新宿の厚生年金会館のことをつづった記事。
仕事でお邪魔した上のホールたちとは異なり、厚生年金ホールはロックに夢中になっていた高校時代に足繁く通っていた私にとってのロックの「生地」であり「聖地」でもあったのだ。
今日は【Marshall Blog Archive】として2010年3月30日と31日にわたって2本立てで投稿した記事を下地に現在の情報や状況をカラめた大幅な加筆を施してお送りします。
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 
新宿駅からチョット遠いんだよね。
いつも往きは胸をワクワク、帰りは友達と「ああでもない、こうでもない」と興奮交じりに今観て来たコンサート評。
そうやって歩いていれば長いハズの距離もアッという間だった。
東京厚生年金会館ホールの話。
49年の営業に幕を降ろし、今月いっぱいでその歴史に終止符を打つという。
寂しいね~。7img_1727 開場前にこの階段で待っている時はいつもドキドキだった。
「あの曲演るかな~」とかいって…。7img_1728 初めて厚生年金に観に行ったコンサートは残念ながら覚えていないけれど、ずいぶん色んなのを観たわ。
…と言っても、何を観に行ったか思い出そうとしてもパッとは出てこないな。
半券も全部保存していたんだけど、昔父が誤って全部捨てちゃったし…。
結局、コンサート・プログラムが手元に残っているコンサートが一番間違いがない…ということになる。
そういうこともあって私は今でもなるべくプログラムを買うようにしている。
そう言えば、昔は「ライブ」なんて言い方はしなかったナァ…もっぱら「コンサート」だった。
歌謡系の人たちが定期的に開催するコンサートを「リサイタル」と呼んでいたイメージがあるけど、「リサイタル」なんて言葉ももはや死語でしょう。
「ライブ」という言葉は、今となっては「音楽」から遠く離れてしまった感じがして、とても安っぽく聞えるので正直あまり使いたくないんだよね。
昔は「あ~、ライブに行きたい!」なんてことは言わなかった。
さて、この記事を書くにあたって「新宿厚生年金出演者一覧」みたいな資料をインターネットで検索したんけどどうしても見つからなかった。
仕方なく調べついでに関連するブログをチェックしてみると、あるわあるわ、ご年配の皆さんの厚生年金会館の閉館を惜しむ想いが!
私なんぞ丸っきりヒヨッコよ。
ここに厚生年金の思い出を書き連ねるのもおこがましい。
そうした年配の方々がココでご覧になったコンサートとなると…
デビッド・ボウイ、スリー・ドッグ・ナイト、ハンブル・パイ、スレイド、フォーカス、そしてマイルス・デイヴィス…。
ハ~ッ…タメ息が出るじゃんね。
私だってもう5年ほど早く生まれていれば間違いなく片っ端から観に行ってたよ!
ごく普通に仕事で訪問するあの楽屋でマイルスやボウイやマリオットが出番を待っていたのか思うと鳥肌が立っちゃうよね。
そして、あのステージには延べ何千台ものマーシャルが並べられて来たワケですよ。
 
これ(下の写真)は1978年、ヴァン・ヘイレン初来日の時のプログラム。
まだファースト・アルバムの発表からそう時間が経っていなくて、アルバムから全曲演奏した。
それでも、1時間にも満たない尺だったためか、このころにしては珍しく前座が付いた。
東京公演はレッド・ショックというバンドで、後年このバンドのドラマーと知り合いになる機会があり、この時の話をして興奮したものだった。

70r4a0134 エディが「暗闇の爆撃(Eruption)」を弾いた時には感動したな~。
まだ「ライトハンド奏法」などという名前がなくて、我々の間では右手の人差し指を少し曲げ気味に立ててそれを回しつつ「アレ」とか「コレ」とか呼んでいた。
チケットは、S席3,000円、A席2,800円、B席2,500円、C席1,800円也…消費税なんてなかった。
 
エントランス脇には49年間の公演の歴史がダイジェストで展示されている。
思いのほか試写会が盛んに行われていたんですネェ。
見にくいですが、右のウインドウの上にはソニー・ロリンズの来日公演のパネルが飾られている。
コレ、私もココへ観に来たのよ(後出)。
ウインドウの中には落語公演の歴史が飾られていた。
とっくの昔に東横ホールもなくなってしまったし…志ん朝を観たっけ…ホール落語の様相もすっかり変わってしまったようだ。Board最近の話だけど、頭脳警察と四人囃子のダブル・ヘッドライナーなんかもよかったナ~。
コレは完全に客として拝見させて頂いた。
Z4
Procol Harumと四人囃子のダブル・ヘッドライナー。
この時は差し入れでギターのジェフ・ホワイトホーンに日本酒を持って行った。
私は『Grand Hotel』以外のProcol Harumって通っていないんです。
つまりほとんどナニも知らないに等しい。
そんなんで楽屋を訪れるとジェフの姿が見えない。
そこで、そこにいた白髪の品のいいおジイさんにジェフの居場所を尋ねると、「ココにはいないよ。外へ行った。イッパイやりに行ったんだろう」ぐらいの返事をしてくれた。
そして、本番が始まって驚いた。
ピアノの前に座って歌を歌っている人がさっきの白髪のおジイさん、すなわちゲイリー・ブルッカ―だったのだ!
「知らない」というのはげに恐ろしい。P4 この時、開演前に楽屋の廊下のベンチに座って岡井大二さんとおしゃべりをした。
初対面でね、相手は「四人囃子のドラマー」ですからね、かなり緊張した。
それが今となってはNATALのトップ・エンドーサー。
そして私のRock Guruにして、呑んだ時にはともすれば事務所にお泊り頂くこともある9つ年上の大先輩。
人とのお付き合いというモノは出会った時にはどうなるか全くわからないモノです。
大二さん、フジロックお疲れさまでした!7s41a0300 今は亡き井上堯之さんのコンサートにはすごく驚かされた。
井上さんはVALVESTATE VS100Rとごく普通のテレキャスターをお使いになっていたんだけど、その音の素晴らしいことと言ったら!
当時は私も同じアンプを持っていたので、家に買ってすぐに自前のテレキャスターで試したみたが、及びもつかないツマらない音がしてガッカリしたことがあった。
わかっちゃいるけど…道具じゃないんよ。

Vs100r2

DEENやCLASSIC ROCK JAMの取材もさせて頂いた。

Crj そういえばKANSASもご招待を頂戴して2回ぐらい観に行ったナ。
「Dust in the Wind」とか「Point of no Retuen」とか「Song for America」とか代表曲を演ってくれるんだけど、何しろ「Carry on~」に向けて他の曲も演奏しているような印象を受けたな…というか、受けざるを得なかった。

このFair Warningというバンド、私は全然知らなかったんだけど、Marshallのレンタルの話が舞い込んできて対応した。7img_1533 サポート・メンバーのニクラス・ターマン。
ものすごく感じの良い人で、楽屋でJVMの話をした。

7img_1552 そうそう、それからイングヴェイの取材も一度ココでしたことがあった。
それまでにもショウは何回も観ていたのだが、面と向かって会うのはその時が初めてのことだった。
ご存知の通り私は世代が古いので、イングヴェイのことはよく知らなかったのだが、ファンのみんなが親しみを込めて「インギー、インギー」と呼んでいることは知っていた。
そこで、ひと通りの挨拶した後に「アナタのことを『インギー』と呼んでいいですか?」と尋ねてみた。
もし失礼だったらヤバいからね。
でも「イエー、もちろん!『インギー』と呼んでくれ!」という答えが返って来るものばかりと思っていた。
とことが…彼は急にキッとした表情になってこう言った。
「オレのことを『インギー』と呼ばないでくれ。
オレの名前は『イングヴェイ』だ。『イングヴェイ』と呼んでくれ」
「インギー」と呼ばれるのをものスゴくキラっていることが十分に伝わって来た。
正直、この時は結構ビックリしたけど、私は少しも慌てず「オーケー、イングヴェイ!」とだけ答えた。
もちろん、それからイングヴェイと一緒になる機会が何回かあったが、絶対に「インギー」と呼ばなかったことは言わなくてもイイングヴェイ?
 
…と、このことを今まで軽く3、4回はMarshall Blogに書いた。
ところがfacebookなんかを見ていると、イングヴェイ・マルムスティーン本人がイヤがっているにもかかわらず平気で「インギー、インギー」と呼んでいる人を見かけると悲しくなる。
これほどまでにMarshall Blogが読まれていないのか!…とね。
ま、そういう人は実際にマルムスティーンさんに会った時に「インギー」と呼んでみるといい。
「なんだ、お前、Marshall Blog読んでないのか?」と言われるかどうかは知らない。7img_0189 元の記事はココから<後編>になっていた。
  *    *    *    *
本日、2010年3月31日…いよいよ東京厚生年金会館の最後の日が来た!
 
ヴァン・ヘイレン初来日の年と同じ1978年の11月にはジェネシスを観に行った。
これも初来日だったのね…もうスティーブ・ハケットもいなくて、ダリル・スチューマーがギターを弾いていた。70r4a0122 でも、フィル・コリンズとチェスター・トンプソンのツイン・ドラムスがカッコよかったこと、照明がすごくきれいだったことをよく覚えてる。
もっとも印象的だったのは、フィル・コリンズがタンバリンひとつでソロを演ったこと。
手のほかに、頭、足、お尻と身体のあらゆる場所にタンバリンを当てて色んな音を出していた。
ものスゴイ演奏だった。
正直を言うと、当時はGenesisは苦手だったんだ。
でも、演奏は照明スゴイし、特に照明が素晴らしいということを耳にして行く決心をしたのです。
今は超大好き。
イギリスに頻繁に行くようになってからメチャクチャ好きになった。
惜しむらくは、もっとチェスターをよ~く見ておけばよかった!
何といっても歴代ザッパ・バンドで一番好きなドラマーはテリーでもヴィニーでもなくてチェスターだからして。70r4a0117 下は布袋寅泰さんのバンドのイギリス人ドラマー、スティーヴ・バーニー。
もちろんNATALドラマーだ。
2019年の国内ツアーで来日した時にウチの事務所に遊びに来てくれた時の写真。
私が東京大空襲の話をすると、ものすごく熱心に耳を傾けてくれた。
スティーヴはGenesisの大ファン。
私よりも幾分年下で、いわゆるプログレ時代のGenesisを観たことがない…と、私が厚生年金会館で観たことを話すとこれまた熱心に聴いてくれた。
家内の手料理を喜んでくれて、2人で「Afterglow」のチェスターのドラム・フィルの話なんかをして大いに盛り上がった。
楽しかったな~、この時。
まだコロナの「コ」の字もなかった頃だ。7s2b エントランスを抜けるとロビーは案外狭いんだよね。終演後はいっつも大勢の人でゴッタ返していた。

7img_1730臨時ニュースを申し上げます!臨時ニュースを申し上げます!ゴジラが銀座方面に向かっています…。大至急避難してください、大至急避難してください!
1979年5月、Blue Oyster Cult(以下「BOC」)は忘れることのできない最高のコンサートを見せてくれた。
『Spectres』とライブ・アルバム『Some Enchanted Evening』収録の「Godzilla」が話題になってて、当然この時も演奏した…というか、日本で「Godzilla」演らないでどうすんねん。

70r4a0129 レーザー光線や照明がすごくて、カギ十字の形をしたギターを持ったリード・シンガーのエリック・ブルームがギターをマシンガンに見立てるアクションをすると銃声とともにストロボがたかれたりしてね。
とにかくカッコよかった!
曲も滅法よくてね。70r4a0132 ショウのクライマックス圧巻はファイブ・リード・ギター。
ドラマーまでフロントに出てきてメンバー5人全員でリード・ギターを弾いちゃう!
最近はライブ映像を収録したDVD付きのCDも発売された…はい、当然ゲットしています。 

70r4a0124 後年、Marshallの本社に行った時、事務所に1976年のBOCのヒット曲、「(Don't Fear) The Ripper」がインターネット・ラジオで流れていて、若い連中がそれに合わせて歌っていた。
私はそれを見てビックリしたね。
だって、その若い連中が生まれる20年以上も前の曲だからね。
たまらず彼らにどうして知っているのか訊いてみた。
「ヒットした曲だから、いつの時代もどこかで流れているので若い人も覚えちゃうんだよ」
「両親がよく聴いていたのよ」
ウーム、コレがベイ・シティ・ローラーズかなんかならわかるが、ブルー・オイスター・カルトだぜェ?
日本では絶対に考えられん。
しかもブルー・オイスター・カルトはイギリスではなくて、ニューヨークのバンドなのよ。Dfr BOCのプログラムの広告には5月のNazarethが載っていた。
コレも渋谷公会堂へ観に行った。
このコンサートは「観ておいてヨカッタ~」のウチのひとつ。
この年の6月の興行として2回目の来日となるScorpionsとUFOが掲載されている。
すべてS席3,000円也。
Scorpionsはウリが脱退した代わりにマイケル・シェンカーが来るというので大評判になっていた。
でも来なかった…。
その後、UFOでやって来たけど、ギターは元Lone Starのポール・チャップマンじゃん。
おかげで今の今までホンモノのマイケル・シェンカーなるモノを観たことない!
これには後日譚があって、もはや笑ってしまうのだが、このブログ記事を書いた年のフランクフルト・メッセのマーシャルのブースではマイケル・シェンカーのサイン会を開いたらしい。
それまで長年毎年参加したフランクフルト・メッセなのに、選りによってその年は行かれなかったのだ。
もうスティーヴ・ミラーとマイケル・シェンカーは一生見れないモノと決め込んでいる。

70r4a0138 廊下に据え付けられている時計。
右の灰皿みたいな丸いのはスピーカー。
上演中ここから場内の音を控えめに流していた。
そういえば、ここは1階廊下にも2階フロアにもイスがふんだんに置いてあったこともヨカッタ。

7clock2ソニー・ロリンズは厚生年金で2回観た。
ボビー・ブルームのギターとトニー・ウィリアムスのドラムが抜群にカッコいいアルバム『No Problem』を発表した直後の1983年のLive Under The Skyがすごくよくて、「今度ソロで来日したら観に行こう」と心に決めていてそれが実現したというもの。
ちょっと脱線するが、この時の『Live Under the Sky』のロリンズのバンド・メンバーがメッチャ豪華で、ギターがパット・メセニー、ベースがアルフォンソ・ジョンソン、そしてドラムスがジャック・ディジョネットという顔ぶれ。
おまけにダブル・ヘッドライナーということでチック・コリア、ミロスラフ・ヴィトウス、ロイ・ヘインズの3人が名盤『Now He Sings, Now He Sobs』を再演するというオマケつき。
よみうりランドEASTのクソ遠さを忘れてよろこんだものだった。70r4a0151 で、厚生年金でロリンズを観たのは1985年と86年の2回。
85年にはヴァイブラフォンの名手、ボビー・ハッチャーソンが、86年のにはギターのボビー・ブルームと電化マイルスのドラマー、アル・フォスターが出演した。
とにかく、豪快にバリバリ吹きまくるロリンズがやっぱりカッコよかったな。70r4a0147 それにしてもこの49年の間に一体延べ何台のマーシャルがステージに上がったことだろう?
先日のAC/DCの来日追加公演では後ろの方にほんの少々空席が認められたが、AC/DCのチケットが売れ残るのは世界広しといえどもナント日本だけなんだそうだ。そういった状況が外タレの日本離れ現象を引き起こしているとも聴いた。一体いつから日本は世界のロック後進国になってしまったんだろう?世界のアーティストから相手にされない国なんてイヤだ~!
もちろん色々な事情があったのであろうが、この名ホールの閉館もそんな状況のあおりを受けたような気もするし、ますます日本人を海外のロックから遠ざけてしまうような暗い気持ちにもなってしまう。

さらば厚生年金!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 
…と、2010年の記事はこうして締めくくられている。
この時から11年。
今、何を思うかと言うと…コレは友人のジャズ・サキソフォニストと話していたことなんだけど、ロックに関してもジャズに関しても、私の世代は「レジェンドが生きていた時代」に生きたということ。
パソコンやスマホやゲームなんかなくても、こと音楽や映画等のエンターテインメントに関しては、とてもいい時代を過ごすことができたと思う。
冒頭に挙げたライブハウスは「我が青春の」では全くないが、厚生年金会館のように「なつかしいな~」と思い出す日が来るのだろう。 
 
ちなみに厚生年金会館の跡地はヨドバシカメラさんの本社になっている。

7yhh_2  

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2021年7月28日 (水)

【訃報】ジョーイ・ジョーディソンのこと

 
Slipknotのジョーイ・ジョーディソンが亡くなったという知らせを目にした。
 
私も歳が歳なだけに、Slipknotあたりの音楽を個人的に聴くことが全くない真正の門外漢なんだけど、コリー・テイラーが来日した時にMarshallでサポートしたことがあった。
確か、撮影の許可が「アタマ3曲」になっていて、コリーが4曲目からギターを弾き始めてズルっとなってしまった記憶がある。
また、Marshallの50周年のコンサートの時には、ロンドンのバーモンジーのリハーサル・スタジオで、彼が失くした携帯電話を一緒に探してあげたこともあった。
一方、ジョーイはSlipknotと並行して活動していたMurderdollsが来日した時に、やはりMarshallでサポートしたことがあった。
忘れもしない2011年3月10日のことだった。
 
その後、イギリスに行った時に偶然手にした音楽雑誌『Kerrang!』に興味深い記事を見つけた。
その記事については以前Marshall Blogで紹介しているのでゼヒご覧頂きたい。
    ↓    ↓    ↓
【Marshall Blog】I Thought I was Going to Die~英音楽誌が伝えた大震災

311_img_4792  
このMurderdollsのライブ・レポートは以前のMarshall Blogに掲載したが、現在では見れなくなっているので、ジョーイに捧げるべく再度写真に手を入れて、記事に大幅な加筆を施したうえでココに再掲することとした。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
 
2011年5月13日 (金)
Murderdolls Live in Tokyo
 
今日お送りするのはMurderdollsの2回の東京公演のうちの初日のレポート。
公演日は2011年3月10日。
もうひとつの公演はその翌日に開催される予定だった。
ある種、一生忘れることのできないライブになった。
会場は渋谷O-EAST。Img_1664 ナゼなら、今日ココに掲載する写真が今回8年ぶりの来日となったMurderdollsの日本でのステージの雄姿を伝えるほぼ唯一のモノとなってしまったからだ。
Img_1849ステージ上の造作。
コレ置かれちゃうとMarshallが見えないじゃないのよ~!
でも、うっすらと1960が透けて見える。Img_1662 ギター、Roman Surman(ローマン・サーマン)。Img_1858 RomanはJVM210Hを使用。

Img_1647 キャビネットは1960だ。Img_1650 ついたてをハズしたところ。
ごく普通に1960のAとBを積み上げている。Img_1658 ソリッドなギター・プレイと派手なアクションがカッコよかったな。Img_1869 
Img_1878
Img_1888
Joey Jordison(ジョーイ・ジョーディソン)。

Img_1968 スゴイ存在感!

Img_1925 JoeyはDSL100を使用していた。

Img_1653 キャビネットは同じく1960。Img_1652 無心にリフをかき鳴らすJoey。
バチっとキマッたプレイで観客を魅了する。

Img_1967 ベースのJack Tankersley(ジャック・タンカースレイ)。Img_1890 ドラムはJason West(ジェイソン・ウエスト)。Img_1958 Wednesday 13(ウェンズデイ13)…変わった名前ですな。
日本人だったら十三(じゅうぞう)さんだ。
大阪出身だったりして。Img_1934 この人いいネェ~!
この魅力的な声がロックだ!アリス・クーパーみたいで実にスタイリッシュだ!Img_1918 十分にカッコいいんだけど、真っ黒クロスケで顔の形が皆目わからない。
こんな感じ。Img_1985 なんというか…圧倒的な押しの強さでズンズンとショウが進んでいく。Img_1848 サービス満点のJoey!Img_1944 いいバンドだネェ。
Img_1910「ロックらしいロック」のDNAを感じた!

Img_1857(敬称略 2011年3月10日 渋谷O-EASTにて撮影)
 
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲ 
終演後、バンドにあいさつに行った時、楽屋のトイレに入ったんだけど、便器が真っ黒になっていたんよ!
このメイクは大変だよね~。
そして、この翌日の2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生した。
それから10年後の今、「復興五輪」を名ばかりに掲げたオリンピックが開催されている。
ジョーイ・ジョーディソン氏のご逝去はそんな中での出来事だった。
「I thought I was going to die」が「I died」になってしまった…。
 
才能ある音楽家の逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます
 
 
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2021年4月12日 (月)

PROGRESSIVE ROCK FES 2010 IN TOKYO~Steve Hackett(スティーヴ・ハケット)編

 
【Marshall Blog Archive】
<2010年10月1日、旧Marshall Blog初出>
 
引き続いて『PROGRESSIVE ROCK FES 2010 IN TOKYO』のレポート。
加えまして、引き続き暑い夏の話し。
ロンドンの夏は暑いことは熱いけど、ダランダランに汗をかきまくるほど暑いという感じではなく、一般の家庭にはエアコンが付いていないのが普通だ。
マーシャルの工場の事務所も窓のある部屋には一切エアコンが付いていない。
空調ダクトすらない。
要するに建物を建てる前から「エアコンを取り付ける」という発想がないということだ(筆者註:コレを書いたのは11年年前のことで、最近ではイギリスの夏も暑さが厳しくなり、「ウチには何台もエアコンがある」とイギリスの友人に言うとすごく羨ましがられるようになった)。
身体を動した後に屋内に入ると確かに直後には暑いことは暑いのだが、窓を開けてジッとしているとサラ~と汗がひいて暑さを感じなくなる。
湿度の関係なのだろうが、羨ましい限りだ。
その代わり冬がね~。
 
何回も引っ張り出して来て甚だお恥ずかしい限りなのだが、先日レポートした通り、7月下旬にロンドンのヴィクトリア・パークで開催されたロック・フェスティバル『HIGH VOLTAGE FESTIVAL』に参加してきた。
そのレポの中で、「イギリスは夏でも涼しいのでロック・フェスもラ~クラク」的なことを書いた。
直射日光を浴びていると確かに暑いことは暑いのだが、もはや亜熱帯気候と化した日本に住んでいる人間にとってはマァ、大したことない。
それにひとたび日陰に入るとス~っと汗が冷えて上着をまといたくなる感覚ですらあるのだ。
ところがですよ…一緒に行ったMarshallの友人と後に話をすると、何と彼曰く、「アレはは暑くてシンドかった」って言うんですよ!
「シンドかった」ってア~タ…あれで「暑い」なんて言ってたら日本のロック・フェスどうすんのよ?そういう人は間違いなく夏の日本では生きて行かれませんな。
イギリスは5月ころからフェスティバルがスタートして、8月にはすべてを終わらせるんだってサ。
後は雨や曇りの毎日が続いて寒くなってしまい、野外フェスなんてとてもじゃないけどやっていられないというワケ。
 
さて、下はこのイベントのポスター&チラシ。
いいですね~。
YesやGreenslade、BudgieやUriah Heepなどのジャケットでおなじみのロジャー・ディーンを起用。日本だからサクランボなのかな?ハートの形をしている。
このフォントだけでプログレを感じさせちゃうからスゴイ!Prj この日トリで登場したのはスティーヴ・ハケット・バンド。Img_0285 いいナァ~。大英帝国の深い歴史の香りがプンプン漂う音楽とでも言いましょうか。
2日前にはCLUB CITTAで単独公演も行った。
ま、こんな暑い夜にジトっと汗をかきながら屋外で聴くような音楽ではおよそないような気もするが、タマにはこういうのもオツなもんか?
上述のイギリスの環境から察するに、バンドの方々もあの気温ではさぞかしシンドかったのでは?…などという心配をヨソに実に折り目正しい演奏を展開してくれたのであった。
Img_0290私自身はプログレが大好きなんスけど、歴史的を振り返るとプログレッシブ・ロックの舞台でのMarshallの出番は少ないことを認めざるを得ないのが残念。
その中でスティーヴは常にマーシャルを使用してきてくれてうれしい限り。
開演前に楽屋にお邪魔してそのお礼を申し上げました。
実際にお会いしてみると、スティーヴはこうしてステージや写真やでお見かけするのと同様、ものすごく気品漂う実直そうな紳士にして真摯な方だった。

120img_0378 今回はレンタルのJCM800時代の1959を使用。
右上、つまりLOUDNESS2のHighのチャンネルにインプットしていた。
「ホントは50Wで弾きたかったんだけどね…」と スティーヴ。
イエイエ、十分に素晴らしいサウンド!
バンドのアンサンブルの見事さもあるけど、「Ace of Wands」なんてレコードとまったく同じ音だった!
クリーンを基調とした美しい音色でした。
やっぱりマーシャルのクリーンはいいね。

02img_0366 ギターはレス・ポール・タイプを使用。Img_0352 トレード・マークのトレモロ・ユニットつき。Img_0496そんなスティーブをサポートするのは…ギターのアマンダ・レーマン。Img_0469 スティーヴとの息もピッタリ。Img_0312 多くの重要なパートをこなしていたところを見ると、スティーブは彼女に全幅の信頼を置いているのであろう。Img_0452ベースはリー・ポメロイ。Img_0332 「ポメロイ」さんというから有名なデイヴ・ポメロイのご兄弟かなんかかと思ったけど、デイヴはアメリカ人でナッシュヴィルのベーシスト。
リーはロンドンのベトナム人のコミュニティがあるホクストンの出身。
ホクストンで食べたフォーはおいしかった。
リーはTake ThatやJeff Lynne's ELOで活動している。
ギッチョでリッケンバッカーでピック弾き…ポール・ファンなのだろうか?Img_0391キーボーズはロジャー・キング。Img_0466 スティーブのような音楽でのキーボーズの役割はとても大きい。
集中してズッと鍵盤と向き合っていた。Img_0506ドラムスはゲイリー・オトゥール。Img_0423 次々に現れる変拍子もラ~クラクに叩きこなしていた。Img_0427そして、サックス&フルート他はロブ・タウンゼンド。

Img_0407管楽器が休みのパートもコーラスで大活躍。Img_0333…という6人編成で一糸乱れぬ濃密な演奏を繰り広げる。
 
またコーラス・ワークが途轍もなく美しいんだ!
私も暑さから逃れて楽屋で大二さんと話をしていたのだが、西洋人はこうしてコーラスをすると声が各人似て来て、キレイに混ざるようになるのだそうだ。
歌声の出し方をよく心得ているということか。Img_0286 見るからに几帳面そうなスティーブ。
細部にまでこだわった微細なギター・プレイがこの人の音楽に対する態度を表している。Img_0299ほとんどロックのイディオムを使用しないスティーヴのギターは独特だ。 Img_0375決して派手ではないが、かなりワン・アンド・オンリーなのではなかろうか?
下にも出て来るGenesisの傑作の1枚『Selling in England by the Pound』の1曲目「Dancing with the Moonlit Knight」等、ライトハンド奏法(今は「タッピング」っていうの?)をかなり早く取り入れていたしね。Img_04901975年のスティーブ初のソロ・アルバム『Voyage of the Acolyte』の最終曲「Shadow of the Hierophant」の4:45辺りから出て来る3連のトリル・フレーズなんてVan Halenの「Erruption」で出て来るあの有名なフレーズにソックリだからね。
エディはこのアルバムを聴いているのではなかろうか?
たとえこのアルバムを参考にしていたとしても、コレをアソコまでカッコよく昇華したエディはやっぱりスゴイ。
イヤ、もっと元のネタがあって2人ともそれを頂いてしまったのかもしれない…浅学にして真相はわかりません。Voaこの日、自身のソロ作品を中心にジェネシスの曲では『ブロードウェイ』から「Fly on a Windshield」や…

Img_0303人気曲の「Los Endos」などを演奏した。
Img_0500暑くてかなわなかったけど、演奏は素晴らしかった!12img_0285 またまた『HIGH VOLTAGE』の話になるが、初日の夜9:00過ぎ、帰り道にTransatlanticが出演中の「PROG ROCK STAGE」の前を通りかかると ちょうど「Mr. Steve Hackett!!」というアナウンスとともに大歓声が聴こえて来た。
そして始まった曲は「The Return of The Giant Hogweed」だった!
メッチャ観たかったけど、マーシャルの友達もいたし、マゴマゴしてると電車が大混雑してヤバいので涙を飲んで会場を後にしたのだった!
そして2日目にはスティーヴ・ハケット・バンドがその「PROG ROCK STAGE」に登場していた。
コレもガマン…だって電車がすごい混むんだもん!
  
さて、下は2007年に発刊されたマーブロではおなじみのCLASSIC ROCK MAGAZINEの別冊「PROG ROCK」という雑誌。120r4a0716 この号に『PROGRESSIVE ROCK BEST30』というチャートが掲載されていた。
プログレ発祥の地であるイギリスのロック関係者が選ぶ「プログレッシブ・ロックの名盤30選」。
チラリと上位だけ紹介すると(以下、珍しくアルバム・タイトルは故意に邦題を採用します);
 
5位 : Brain Salad Surgery (恐怖の頭脳改革)/ Emerson, Lake & PalmerBss 4位 : Close To The Edge (危機)/ YesCte_2 3位 : In The Court Of The Crimson King (クリムゾン・キングの宮殿)/ King CrimsonCk2位 : Wish You Were Here (炎) / Pink FloydWywh1位 : Selling England By The Pound (月影の騎士)/ GenesisSebp …と、Geneisが1位に選ばれていた。
「ピーター、スティーブ、マイク、トニー、フィルというメンツがもっとも充実した時期に作られたアルバム」と評されている。
それ以前にこのシリーズの『British Rock Best 100』で1位に選ばれたLed Zeppeinnの『Ⅳ』みたいな感じですな。
どういう基準で選んだのかは書いていないのだが、これを見て思うのは、プログレの超名盤として誉れ高い『宮殿』や『狂気』が妄信的に1位に選ばれていないこと。
日本だったらまず、『炎』より『狂気』だろうし、Genesisが5位以内にはいるかどうかも疑わしい。
仮にGenesisがランク・インしたとしても、『月影』が選ばれることはないのではないか?『フォックストロット』か『ブロードウェイ』になるのでは?
このあたりがイギリスの現場の感覚が漂ってくるようで実に興味深い。
「イギリス、量り売りします」なんてタイトルからしてイギリス人の好みにピッタリなのかもしれない。
ちなみに「Firth of Fifth」というタイトルのはエジンバラにある湾の名前(Firth of Forth)ののモジり。
  
中学から高校にかけてYesだのELPだのKing Crimsonだのはホントによく聴いた。
当時、こうしたメイン・ストリームの中では、私はKing Crimsonが一番好きでGenesisが一番苦手だった。
ところが、プライベートでロックを聴くことがあまりなくなってしまった今、例外的によく聴いているバンドの最右翼がGenesisなんだよね。
『Trespass』から『…And The There Were Three』の辺りまではライブ盤も含めどれもよろこんで飽きずに聴ける。
不思議なモノだ。
 
お、ソロソロ1時…昼ゴハンの時間だ!
それでは!Img_0351 
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 後日譚 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 
スティーブを観たのはこの時が2回目だった。
その前は2003年、昔の赤坂BLITZで開催され、ジョン・ポール・ジョーンズがヘッド・ライナーを務めた『Guitar Wars』というイベントだった。
この時、スティーブはやたらブルース・ハーモニカを吹いていた。
そして、この野音で初めてご挨拶をさせてもらった。
その時、下のMarshallのバッグをお土産に持って行ったところ、スティーヴは大変喜んでくれた。0r4a0724レポートした野音の3年後、2013年にGenesisの曲を上演する企画でスティーブがまた日本にやって来た。
下がその時の写真。
1987Xと1960Aのハーフ・スタックが2セット。
今度は彼の希望通り50Wでプレイすることができたワケ。
Img_0700この時、リハが終わったスティーブとバック・ステージの廊下で遭遇。
するとSteveが私の顔を見るなりナニも言わず、スッと自分の楽屋に入って、すぐにまた廊下に戻って来てくれた。
彼の手にはナント、3年前に野音の楽屋でプレゼントした上のMarshallのバッグが握られていた。
「コレ、本当に便利なんだよ。いつも使っているんだ。改めて礼を言うよ!」…と言ってくれた。
うれしかった。
バッグを大切に使ってくれているのはモチロンだが、私のことを明確に覚えていてくれたのがもっとうれしかった!
アナタね~、「Watcher of the Skies」や「The Musical Box」、「Supper's Ready」や「I Know What I Like」、「The Lamb Lies Down on Broadway」や「Dance on a Volcano」…キリがないな…のギターを弾いた人が目の前にいて、自分のことを知ってくれているんですよ!
こんな感動はそうないでしょう?
Img_0823この時も撮影の条件が厳しくてね~。
かなり苦労してシャッターを切った。
しかし、『ストレンジ・デイズ』の2013年9月号に掲載されているライブ・レポートが私が撮った写真で埋め尽くされていたのを見た瞬間、その苦労はすべて報われましたとさ。0r4a0719

200(一部敬称略 2010年8月22日 日比谷野外大音楽堂にて撮影)




2021年4月 9日 (金)

PROGRESSIVE ROCK FES 2010 IN TOKYO~四人囃子編

【Marshall Blog Archive】
<2010年9月30日、旧Marshall Blog初出>
 

人間、夏になりゃ冬の寒さを忘れて涼しい秋冬が恋しいし、冬になりゃ夏の暑さを忘れて暖かい春夏が待ち遠しくなる。
1年という時の流れは実によくできたサイズですな。
さて、もうすっかり秋になってしまったけど、マーブロはまだ夏のレポートが結構残っている。
今日は臨場感を高めるために室内の温度を思いっきり上げて記事をご覧くださいまし。
というのも、お送りするのは真夏の野音のレポート。
暑かった~。
それも先週レポートした横田基地のイベントの翌日でしてね、2日間続けて朝から晩まで汗のかきっぱなしヨ!
これだけ汗をかいてちっとも痩せないんだからイヤになっちゃう。
よく野外コンサートのレポート評で「暑さに負けない熱いライブが繰り広げられた」なんて惹句が用いられるが、そりゃウソだ。
コリャ何をどうしたって暑いわ。この暑さに勝てる道理がない。
それにしても、いくら真夏とはいえ昔の野音ってこんなに暑くはなかったと思うんだけどな…。
まだ楽屋が木造でサ。
もちろん昼間は、特に日向の席は4時ぐらいまで死ぬほど暑くて汗ダラダラなんだけど、夕方になるといい風が入って来て、それこそ「熱い演奏」を客席から心地よく眺めたものだ。
その時分になるとスッカリ出来上がっちゃった連中がゲロ吐いて客席の上の方の踊り場で倒れていたりしてね。
 
さて、四人囃子。
今日の舞台は『JAPAN PROGRESSIVE ROCK FESTIVAL 2010』。
いいネェ~。
先日のロンドンの『HIGH VOLTAGE FESTIVAL』といい、プレグレ来てるんじゃないの~?(筆者註:この時から11年間…まったく来なかった。それどころか「プログレッシブ・ロック」という音楽の定義がドンドン歪曲して来ているように思う)
出演はSteve Hackett Band、いまだに綴りが正確に覚えられないRenaissance(ルネッサンス)、そして我らが四人囃子。

Img_0006森園勝敏はマーシャルを使用。
メインは1959HW。
キャビネットは1960HWの上下だ。
アレレ?と思った方もいらっしゃるかもしれない。
そう、向かって右のヘッドはスペアとして用意されたJMD100だ。
実際に使用されることはなかったが、森さんほどの名手に1959HWのサブとして指名されたのだから完全にその実力が証明されたようなものだ。Img_0003会場は超満員!
ああ~、日向の席の人、夕方までガンバって!水分摂ってよ!

Img_0012いよいよ演奏が始まる。
出番はトップだ。Img_0013もうメンバーは全員有名すぎてご芳名を記す必要もありませんが…一応やっておこう。
ギターは森園勝敏。12img_0089キーボーズは坂下秀実。

Img_0023ベースは佐久間正英。

Img_0214ドラムスは岡井大二。
(筆者註:この頃はまだNATALではなかった。
と言うより、まだNATALが日本に入って来ていなかった。
大二さんは、この時から数年後、日本に入って来てすぐに使い始めて頂いた譜代中の譜代ナタラーなのです)Img_0109「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」でスタート。Img_0064んん~、このギターの音!タマラン!

Img_00861959のボリュームはかなり小さめでクリーンなサウンド。
曲に応じてペダルを用いて歪みを作る伝統的なスタイル。
なんだかんだ言ってもこの方式が一番シンプルで一番いい。
でも、このスタイルでいい音を出すには、基本となるアンプのクリーンの音がしっかりしていることが必要条件。
その点、1959なら安心。ギター、アンプ、エフェクト・ペダル、それぞれの特長をしっかりと活かしてくれる。
マーシャルのクリーンって最高だ!

もうマーブロでも何回も書いているような気もするが、実際のジミ・ヘンドリックスの演奏を2回見たウリ・ジョン・ロートが言っていたことを思い出す…「ジミのサウンドは最高にクリーンだった」と。

この森さんの音!美しいことこの上ない!ああ、これがストラトキャスターの音か!って思い知らされるようなプレイ。
ストラトとマーシャルのコンビネーションも素晴らしい!

Img_0162森さんはギターの音色だけでなく歌声も渋くてカッコいい!Img_0078_22曲目は「泳ぐなネッシー」。
名曲だ~。
もうとにかく『ゴールデン・ピクニックス』って途方もない名盤だよね。
自分の中の日本のロックの名盤で必ずカウントされる1枚。
そして、あの名盤を四人囃子の方々は20歳ソコソコでペロっと作っちゃった。
昔の人(失敬!)は本当に偉大だ。
もちろん『一触即発』も大好きだけど、『ゴールデン・ピクニックス』の方がよく聴いた。
よく日本のピンク・フロイドと形容される四人囃子だけど、私などはあの凝り方など『ゴールデン・ピクニックス』に10ccの『How Dare You?』とかトッドの『A Wizard, A True Star』辺りが被ってしまうんですがね…どうだろう?
なんと言うか、1枚のアルバムが途轍もなく高価な宝石箱のような…。Img_0206そして「カーニバルがやってくるぞ」が続く。
これも 『ゴールデン・ピクニックス』からの1曲。
このイントロっていつもどうアレンジされているのか気になっていて、以前『From The Vaults』に収録されている渋谷屋根裏の満さんのバージョンをコピーしてみた。
でも、森さんの演奏を目にすると、これまた違うのね。
間にシャンソンの有名曲「パリ野郎」を挟むなんざ素晴らしいアイデア!Img_0187最高の名手が最高の素材を料理する。
『一触即発』と『ゴールデン・ピクニックス』からの曲が常に演奏されるが、何回聴いてもまったく飽きることはない。
しかも、いつも何がしかの新しいアイデアが封入されていて毎回新鮮だ。
これは、長年の風雪に耐えられるだけの良質の素材、つまりそういう曲がなければ絶対にできないことだ。
フランク・ザッパが何十年にもわたって、ひとつの曲を何度も何度もし直して演奏していたのと同じ。実は四人囃子は1976年のフランク・ザッパの来日時、今はなき浅草の国際劇場でオープニング・アクトを務めている。

Img_0174

Img_0132

 

Img_0183_2

Img_0222_2 ココで「ヴィオレッタ」登場。
「レディ・ヴァイオレッタ」ではありません「レディ・ヴィオレッタ」が正しい。
ところでこのギターの音!う、美しすぎるッ!
だから1959は好きだよ。
この至高の名曲がマーシャルで奏でられるこの幸せ!涙でファインダーも霞むゼイ!
楽しそうに演奏するお2人。イヤイヤ暑すぎちゃってもう笑うしかないのかも?!

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Img_0117サングラスのお2人はクール。

Img_0128

Img_0076続いては『一触即発』から「おまつり」。
後日森さんと演奏したROLLYさんもMCでおっしゃっていたが、本当にこの歌詞の世界はスゴイ。
もちろん曲もスゴイ!Img_0192佐久間さんのリコーダー。
曲はもちろん「なすのちゃわんやき」だ。
ああ、今、日本のどこかにこんな曲を演奏するバンドはないかしらん?「自分でやれ!」って?できません、できません!Img_0241〆は当然のごとく「一触即発」。
イントロが始まると大きな拍手もすぐに止み、観客のすべての目と耳がステージに集中する。
ココから12分間、「空が落ち、海がせり上がってくる」ほどのスペクタキュラーを期待しているのだ!この日、真ん中のEmのパートをEmとC7に往復で弾いていたのがとても印象的だった。Img_0272今日は四人囃子について書けてヨカッタ…。

Img_0279 
*********************************
大分手を入れたが、以上が11年前に投稿した記事。
基本的には進歩ゼンゼンなしだった。
寸分もブレることなく、ズ~っと同じことをしております。
2012年末に前のMarshall Blogが終わってからというものお見せすることができないでおりましたが、「スピン・オフ四人囃子」の記事に合わせて復活させました。
 
今回の復活に当たり、チョット追補します。
それはウチの『From the Vaults vol.2』について。
この時の野音の楽屋でメンバーの皆さんにサインを入れて頂いた。
表紙には大二さんと佐久間さん。120r4a0195裏面には坂下さん。120r4a0198内側には森さん。
『ゴールデン・ピクニックス』時代の四人囃子のメンバーのサイン。
実はウチには『vol.2』がもう1セットあって、そちらには大二さんのメッセージとサインが入っている。
双方家宝です。
しかし、このセットがリリースされてから11年経つのか!
驚いたな…つい昨日のことのようなのに…。
そういえば、『Vol.1』が出た時に何かの機会で西山毅さんとご一緒させて頂き、そのセットの話をしたことを思い出した。
確か「買おうかどうか迷ってる」と私が言うと、「そんなに好きなら買っちゃいなよ!」とプッシュしてくれたんだっけ…。
あの時から10年以上経って西山さんが四人囃子に参加するなんてことになろうとは夢にも思わなんだ。
長いこと生きていると色んなことがあります。
四人囃子の音楽よ、永遠なれ!
120r4a0199四人囃子の詳しい情報はコチラ⇒Yonin Bayashi official Web Site

 
これまたせっかくの機会なので、この後、同イベントに出演したスティーブ・ハケットのレポートも蔵出ししちゃいます。
 

200

(一部敬称略 2010年8月22日 日比谷野外大音楽堂にて撮影)

2020年6月18日 (木)

【Marshall Blog Archive】田川ヒロアキ in 美ぎ島~私の宮古島 <後編>

<前編>の台風のビデオはご覧になって頂けましたか?
タイムラグがあるのは承知しているが、視聴回数が1日経っても「1回」のままなのはナゼなのか?
私と家内だけで10回以上は見ているんですけどね~。
アレってもしかして何回アクセスしても1人1回しかカウントされないの?
もうこのSNSのアクセス回数ってのはホントにワケがわからん。
ま、気にしない、気にしない。
Marshall Blogは見たい人、読みたい人が楽しんでくれればそれでいい。
 
で、ご覧になってくださった皆さん…台風スゴかったでしょう?
最近は東京でもかなり激しいヤツに見舞われるけど、やっぱり発生源に近いだけあって南国の台風はパワーが違う。
例えているとイギリスの高い電圧で鳴らすMarshallみたいなもんだ。
 
滞在4日目の宮古島はまさに台風一過、好天に恵まれた。
でも、もう東京に帰らなければならない。
青い海を見ずして帰るのはあまりにもモッタイないと思い、レンタカーを借りて島内をめぐることにした。
この時気が付いたんだけど、2日目のタクシーは失敗したよ。
レンタカーの方がゼンゼンお得だった!
車の中から我がホテルを仰ぎ見る。
前日は風であの建物がギンギンにスイングしていたんだから恐ろしい。
大きな牛が4階建てのビルの屋上に吹き飛んだ記録が残っているというからね。

40レンタカー屋で簡単な地図をもらって観光ポイントをめぐる。
でも、飛行機の時間もあるのでサササと済ませざるを得なかった。
ま、青い海さえ見れればいいか…と。

10_2海の見えるところはどこもキレイなんよ。
こちとら海といえばお台場やら江ノ島じゃん?
少なくともコレが同じ国の海とは思えんわな。
お台場の海と比べてみよう!

20_2宮古島名物「雪塩」の販売所。

30_2粉末度がもんのすごい高い塩ね。

40_2この「雪塩」は「含有するミネラルの種類が世界一多い」としてギネス・ブックに認定されているのだそうだ。

50v「島尻マングローブ林」と遊歩道。

70_2マングローブというのは海水と淡水が混ざるところに植生するのだそうで…。
当然アタマの中ではPANT&HALの「マラッカ」が鳴りまくっております。

80_2ちょっと道から外れて海を見に行く。
前日の暴風雨で荒れ放題。

90_2車から降りてエッチラオッチラ丘を登りきると…

100絶景!
こんなの初めて見た!
120v_2浜に海の家があるワケでもなく、貸しボート屋があるワケでもなく、実にいい感じ。

110_2もう、この美しさに自分の目がよろこんでいるのがわかる。

130_2さすが宮古島で一番美しいと言われている「砂山ビーチ」。

140_2タマらなくなって、私も少しだけ宮古の海水に足を浸してみた。

145帰りはシンドかった…。

150_2昼間の「ぱいながま食堂」。

180v_2その前に広がるパイナガマ浜。
これまで夜に来ていたのでわからなかったんだけど、ココ、こんなキレイだったのかよ!
「パイナガマ」というのを漢字で書くと「南長間」となるんだって。
宮古島の方言で「パイ」は南を意味し、「ナガマ」は「長(ナガ)い浜(ハマ)」が変化したモノとされているそうです。

170_3久松港という漁港。

Img_2673 こんな作り物みたいなキレイな水の中に魚なんているんかいね?という海の色。Img_2666 そしてそこに建てられているのがコレ。
久松五勇士(ひさまつごゆうし)の碑。

190久松五勇士は、1905年、日露戦争時の日本海海戦の直前、ロシアのロジェストヴェンスキー少将率いるバルチック艦隊が北上しているのを発見し、その知らせを宮古島から石垣島に伝えた5人の漁師の呼び名だ。
そんなのLINEで「バルチックが来てるよ~ (^_-)-☆」と連絡すればいいじゃん…なんて時代じゃないからね。
当時、宮古島には通信設備すらなかった。
そこで、まず通信機がある石垣島へ渡る必要があった。
交通手段は「サバ二」と呼ばれる下の写真のような小型の手漕ぎボート。
こんな写真だけ見ると「貸ボート1時間600円(税別)」のレジャー用に見えるかも知れないが、コレで5人は15時間かけて170kmを漕ぎ切ったという。
東海道で言えば東京から掛川のチョット出前ぐらいだからね、スゴイよ。
そして石垣島の港から30km山道を歩いて郵便局に行き、那覇の本局に打電。
そこから沖縄県庁を経て東京市谷の大本営にその情報が伝えられたという。

Sabani 当時のロシア海軍は日本の3倍の戦力を誇っていた。
日本軍はバルチック艦隊がどのルートでウラジオストクへ行くのかがわからなかった。
対馬海峡経由の日本海ルートか、太平洋を北上して津軽海峡を横切るのか、あるいはもっと北上して宗谷海峡を横切るのか…。
久松五勇士の活躍によって、日本海軍は十分な準備期間を取ることが出来たため、この日本海海戦(対馬海戦)で勝利することができた。
…と言いたいところだけど、残念ながらそうはならなかった。200_2しかし、勇気ある偉業が称えられ、こうしてお菓子にまでなってるワケ。

H5 吉村昭の『海の史劇』という長編記録小説はこのバルチック艦隊がいかに苦労してヨーロッパから日本海海域までやって来たかが詳細に描かれている。
この五勇士も出て来るのだが、残念ながらほんの1~2行程度。
…というのも日本本土への連絡は日本郵船の旅客船「信濃丸」によるものが五勇士より数時間早かったため、五勇士が苦労して伝達した情報が直接役に立つことはなかったというのだ。

Us_2碑はサバ二を頂き、5人の勇士の名前を刻んでいる。
日本海海戦の勝利で活気づいた日本は日露戦争を勝利してしまう。
このことが大きな自信…というより「思い上がり」と「勘違い」になって、後に20倍もの国力を持つアメリカとの戦争につながり、大きな悲劇を生んでしまうワケ。

210_3日露戦争の日本の勝利は世界に驚かれたが、戦後の処理については、日本はロシアから補償金をビタ一文取ることができなかった。
それどころか、「補償金?冗談はイケません。何ならリターン・マッチしましょうか?ダ・スヴィダーニャ」とやられる始末。
まさにトルチョック同然。
この辺りの交渉をしたのが時の外務大臣、小村寿太郎。
その交渉の過程を描いたのがまたまた吉村昭の『ポーツマスの旗』。
もう何度もMarshall Blogで紹介しているけど、コレの昭和54年の初版本を買ったもんだからまた登場させてもらいました。
オモシロいよ。
少なくとも今の政治家先生の皆さんはコレを読んだ方がよろしい。11_2kj 今度は橋を渡ってすぐとなりの来間島に来てみた。

220_2旅行会社の宣伝で南海の孤島を「天国に一番近い島」とか言って宣伝しているのを見かけて「ナニを大ゲサな…」なんて思っていたけど…その表現、わかるわ~。
11_img_2702コレらの眺めはこの竜宮城展望台から。

11_img_2717浦島太郎が亀に連れられて行った海もこんなに美しかったのだろうか…。
それで目が覚めたら木曽の山奥だからね~。
230_2来間島の中をアテもなく車で回って海沿いに出てみる。
もう誰もいない。

240_2この浜に家内と2人よ。
2人ともこの美しさにポカンと見とれて「キレイだね~」と言うばかり。
ライブハウスばかりじゃなく、タマにはこういう場所もいいもんだ。

250_2目の前は東シナ海か?
ボ~っと、ズ~っと眺めていられる。
我々関東の人間が普段肉眼で見る海って太平洋、あるいはタマに日本海ぐらいじゃない?
こうして「東シナ海」なんてのを目の当たりにするとすごく不思議な感じがするね。
以前、サウスシールズというニューカッスルの近くの港町に行った時、B&Bの部屋から見える海を指して、に「あの海は何?」と係りの女性に尋ねると「North sea」と言う。
「海の向こう側はどこ」なんて「La Mer」という有名なシャンソンみたいなことを続けて訊くと、その答えは「スウェーデンよ」だった。
メッチャ感動したわ。

260さて、『美ぎ島ミュージック・コンベンション』。
まず…「美ぎ島」は「かぎすま」と読む。
この時は7回目の開催で、3日間にわたりコンサートが催され、山崎まさよし、EGO-WRAPPIN'、大橋卓弥、Orquesta De La Luz、秦基博、キマグレン、GONTITIなどの人気アーティストが集まった。
人口5万人強の南の島に大勢の音楽ファンが押しかけ、3日間にわたってドップリと音楽に浸る趣向。
11_mc_2通常コンサートは2日間を野外のグランドで、最終日をビーチで開催するのだが、<前編>でレポートした台風2号によりグランドでの開催は断念することになった。
そこで代替となった会場は宮古島市中央公民館。
会場へ向かう人たち。
270これまで7回のコンベンションの歴史のうち、屋内で開催するのはナント今回が初めてだという。
実際、地元の方々も口々に「こんな時期(5月)に台風なんか来たことない!」と漏らしていた。

280vこれが中央公民館。
中に講堂があって、そこでコンサートが開かれる。290_2この初日、宮古島出身のHARVESTAでステージは幕を開け、12組のアーティストが登場し素晴らしいパフォーマンスを繰り広げた。
ヒロアキくんの出番は6番目。

Img_1475 出番前に楽屋で談笑する西慎嗣さんとヒロアキくん。
310vヒロアキくんの出番が近づく。
準備万端!今日も指がよく動くゾ…っと。
320_3美しい『ミュージックコンベンション』のバックドロップ。
330ただ今、転換中。
チャンとヒロアキくんのMarshall届いてます。
340会場もほぼ満員。
なんかみんなオニギリとか持って来てる雰囲気でいいね。

350今日もMarshallの調子はバッチリ!
この頃はMarshall初のデジタル・アンプ、JMD:1のコンボ、JMD501を愛用していた。
スピーカーは交換済。
2人でスタジオにこもって、ああでもない、こうでもないと実際に試して搭載したスピーカーだ。
360v準備万端、いよいよショウがスタート!
370まずは 予定通り得意のア・カペラのギターソロから…。
380_2コレって、もしかしたら「JMD宮古島初上陸」じゃない?
だとすると、エンゲレスの秘宝をペルリ・ヒロアキが伝来させたことになる。
390ソロはいつも通りクリーン+空間系エフェクターのサウンドで美しく、おしとやかにスタートする。
得意のスラッピングが痛快だ!

Img_1564 そして、野太いクランチ・サウンドに乗り換えて徐々にエキサイトし始めていく。
400v最後はギンギンのディストーション・サウンド。フィンガーボードの端から端までを縦横無尽に走り回る左手、完璧なコントロールでスウィープ・フレーズを紡ぎだす右手、このコンビネーションが一大ギター・スペクタキュラーを演出した。
Img_1581それにしても度胸のいい人だ。そして堂々たるステージ・マナー。バンドのメンバーが揃わないというのにまったく臆することなく自分の仕事を完璧にこなしていく。観客の目と耳は100%ヒロアキくんのプレイに釘付けとなっていた。410このヒロアキくんの顔!
会場を震わさんばかりの大拍手&大歓声なのだ。
思わずこっちも「ヤッタ!」と心の中で快哉の声を上げてしまった。

Img_1639ドラムスの高仁範が登場。
さて、問題はここからだ!ドラムの高くんと2人でこの先舞台を切り回さなくてならないゾ!
420v「今回はベーシストがどうしても参加することができず、高くんとふたりで演奏せざるを得なくなってしまった…」というコメントがヒロアキくんから発せられる。
続けて「でも、お願いして強力な助っ人を得ることができた」と付け加えた。
470vそして登場したのがベース界の大御所、中村キタローさん。今回も山崎まさよしさんのバンド他で参加。
登場した瞬間大きな拍手が沸き起こる!
ノッケから超ノリノリ・モードだで「ヒ~ロアキ」コール。
430「図々しくもキーボードも助っ人をお願いしまして…」と登場したのはこの直前に出番を終えた椎名純平率いるDezille BrothersからキーボードのSWING-Oさん。
一気ににぎやかムードに!
そして「ヒ~ロアキ」コール!
440何しろブッツケ本番。曲は超高速のブギ。でも、どう見てもこれがはじめて演奏しているとは思えない完璧なアンサンブル、そしてノリ!
450クールにソロをキメるSWING-Oさん!
550v何とスリリングな演奏だろう!
やっぱり派手な演奏はフェスティバルにマッチするね。
エンディングの後の歓声をお聞かせできないのが残念無念!
460vチョット~、まだこれでは治まらない!
今度は西さんの登場だ!
貫禄の西さん。
あの素晴らしい音色とプレイが聴けるのかと思うとうれしい!
2005年の野音の『Lightning Blues Guitar Festival』以来かな?
480v曲は循環コードに乗せてたおだやかに進む。そこにヒロアキくんの即興の歌がかぶさる。
テーマは「ありがとう美ぎ島」だ。
540途中は西さんとのブルース・ギター・バトル!これは聴き応え満点でしたゾ!
ギターっていいナァ~。
510vキタローさんのバックアップも完璧!名手が低音を受け持つとサウンドが一辺に分厚くなるのだ!
500vさて、波乱万丈のステージもアッという間に最後の曲となってしまう。
ここに来てもうひとり助っ人が登場!
椎名純平さんだ!
ここでまた雰囲気が一気に変わる。
もう台風が上陸したのかと思うほどのパワーが加わる。
今度は飛びっきり明るく楽しい台風だ!
490曲はヒロアキくんのオリジナルで「The Beat to Hit」。
で、この2コードのイキのいいドライビング・チューンに純平さんが即興で言葉を乗せていく。テーマは「台風」。
「台風来るな!」で絶唱!
この時はまだ台風2号が上陸していなかったからね。
純平さんの歌を聴いていたら映画『ウッドストック』を思い出してしまった。
降り出しそうになった雨を止めようと50万の若者達が「No rain, no rain!」と叫ぶシーンだ。
520vしかし、エラくにぎやかになったな~。
前日の寂しいリハは一体ナンだったんだッ?530「ヒロアキ+高」のふたりデュオもさぞかしスリリングだったろうが、キタローさんをはじめ超強力な助っ人陣のおかげで思いがけず滅多に観ることのできない豪華一大ロックショウとなったのであった! 
560v公民館から歩いてそのまま「ぱいながま食堂」へ。
キタローさんも合流して打ち上げ。
この時も楽しかったね~。
580と、腹ごしらえも終わったところでみんなでダウンタウンへ繰り出した。
市内の6つのライブハウスを音楽のタイプで振り分け、2,000円のチケットを買えばどのお店にも入れるという親切企画。
各会場の出演者はコンベンションのアーティスト。
メタルやプログレはないよ。
590ここはJANG JANGというお店。
もうこれで12時は回っているかな?
それでも山崎さんが出ているのでスゴイ熱気なのです。
山崎さんが私のカメラを見つけて「♪カメラマンさん~」と歌いかけて来てくれたので、私も歌って返事をさせて頂いた。
600最終日。
台風が去って、文字通り晴れて屋外でコンサートが開かれた。
これが本来の会場、「前浜ビーチ」。
610イヤ~、コリャ確かに暑い!
日差しが東京のモノとはゼンゼン違うのね。
でも空気がキレイで直射日光に当たっていても気持ちがいい。
そして、暑くて我慢ができなくなりゃ後ろの美しい海に飛び込めばいい!
630もう台風のこともすっかり忘れて、絶好のライブ日和となった。
最高のアーティストが矢継ぎ早に登場するステージに観客も夢中だ!
620楽しかったナァ。
聞けばココには「宮古病」という一種の風土病があるらしい。
それは、一度宮古島を体験してしまうとすべてを放り出してでもまた来たくなってしまうという厄介な病気なのだそうだ。
こうして初の沖縄/宮古の旅は終わったのだった。
楽しかったナァ。
こんな機会を与えてくれたヒロアキくん、美瑞穂さん、9年経っても改めて御礼申し上げます。
 

田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano

640v 

200 
(一部敬称略 2011年5月26~29日 沖縄県宮古島にて撮影)

2020年6月17日 (水)

【Marshall Blog Archive】田川ヒロアキ in 美ぎ島~私の宮古島 <前編>

 
今年の夏は暑いんだってね~。
夏が暑いのは当たり前だし、暑くなってもらわないと色々と困ることも多いんだろうけど、必要以上の猛暑はとにかくカンベンして欲しいわ。
…と今からこんな弱気でいたんじゃ、もはや亜熱帯気候と化した日本の夏を乗り切ることはできそうにないな。
でも、暑いのはニガテ。
そんな私が南の島へ出向いたのはもう9年前のこと。
行き先は宮古島。
2011年5月に開催された『美ぎ島ミュージックコンベンション・イン・宮古島』に田川ヒロアキのオフィシャル・フォトグラファーとして参加させて頂いたのだ。
昨年3月にベトナムのホーチミンを往訪するまで我が人生で一番暑かったと思われる、山口県で開催された『世界ボーイスカウト・ジャンボリー』といい、ヒロアキくんに関わっていると日に焼けること、日に焼けること!
でもこの時は覚悟して行ったワリにはそうでもなかったのね。
『美ぎ島ミュージックコンベンション・イン・宮古島』は今年も5月下旬に開催を予定していたがコロナの影響で延期となった。
15回続いたこのビッグ・イベントも今回が最終回ということで、たとえ1回でも参加させて頂くことができて本当にヨカッタと思っている。
ヒロアキくんに大感謝。
そして、最後のコンベンションが無事に開催されることを祈っている。
 
今回のMarshall Blogは、もう消去されてしまったその時のレポートを全面的に構成し直して2本立てでお送りする。
ハッキリ言って書き下ろした。
9年前の記事だからね、ご覧になっていない「田川ファン」も大勢いらっしゃるのではないかしらん?
お楽しみいただければ幸いである。
05私はこの時まで九州より西というか南に行ったことがなくて、沖縄県に初めて訪れた。
那覇で乗り換えて宮古島へ。
ヒロアキくん一行と家内は異なる航空会社の便でひと足先に沖縄に入っていたので、私はひとり旅。

10そういえば、ナゼか飛行機の中で新田次郎の『アラスカ物語』を読んでいたんだね。
タイトルが示す通り、極寒の地の物語だ。
飛行機の中の効きすぎの冷房も手伝って、アタマの中はすっかり寒冷地仕様。
到着して空港の外に出た瞬間、あまりに熱気にビックリしたわ。
でも、今にして思うとホーチミンほどではなかったな。
湿度のランクが違う。
 
新田次郎はいいね。
自身の職歴を活かした山岳小説はもちろんのこと、『武田信玄』や『新田義貞』のような歴史ものまで、滑らかな筆致で読む者をグイグイ引き込んでいく。
このアラスカ物語もメチャクチャ面白かったな。
夢中になって、危うく乗り過ごして台北まで行っちゃうところだったよ…電車じゃないってば!Am_2タクシーで街中に向かう。
とにかく誰もいない!
立ち並んでいる家々は押しなべて四角いRC造り(Reinforced Concrete=鉄筋コンクリート)。
とにかく四角い。
小じゃれたデザインの家など一軒もない。
もちろん台風対策だ。
四角いシンプルなデザインにして強度を確保するワケですな。
たまに古い木造の家屋も目にするが、それらの建物にはまず2階がなく、必ず堅牢な塀に覆われている。
本場の台風のすさまじさを想像させられる…なんて、この時、ノンキなことを言っていられる境遇ではなかったんだけどね。

20奥の建物が投宿したホテル。

Img_1227ホテルで待つ家内と落ち合って早速ホテルの周辺を見て回る。
おお~、ナンカ遠くへ来たって感じがするな~。
そして、近くの食堂でゴーヤチャンプルーと宮古そばでイッパイやっといた。

30テンポが速くて恐縮だけど、コレは2日目の朝。
タクシーを呼んで家内と海を見に来た。
天気悪いでしょう~?50すぐとなりの来間島に架る来間橋を遠望する。

60タクシーの運転手にガイドをしてもらう家内。
そういえばこの運転手さん、車の中で「海ぶどう」の話を盛んにしてたな。

Img_1366 この日はヒロアキくんが登場するコンベンションの当日。
そして、コレがその会場なんだけど、何の準備もできていない。
イヤ、「できていない」のではなくて、「していない」のだ。
というのも、この頃、「戦後で2番目に大きな台風」が来襲する見込みだったのだ。
そこで、屋内会場へとを急遽予定を変更したというワケ。
台風の本場で「戦後2番目に大きな台風」…一体どうなってしまうのだろうか…。70そんな心配をヨソに町をブラブラしていて見つけた「三線教室」というのに参加してみた。

80ピックの代わりに右手の人差し指にかぶせて使う爪。
「爪」と書いて「バチ」と読むらしい。
コレに慣れるのに少し手こずったが、まぁ、弦楽器だからね…コッチもダテに長いことギターをやってはいない。
先生の後についてサラサラと弾いて見せた。
お題は「ちょうちょう」。
「♪ちょうちょ~、ちょうちょ~、なのはにとまれ」の「ちょうちょう」ね。
この曲は元々はドイツの童謡なので日本式に言えば「てふてふ」か。
「ハイ、ちょっとひとりで弾いてみて」と先生が言うので、グリッサンドしたりビブラートをかけたりしたら先生ビックリしちゃって…。
「コ、コレは教室始まって以来の生徒だ!」なんて感動してるワケ。
ま、そこまで弾いて見せればギターかなんかやっていることはおおよそ察しがつくと思うんですけどね~。

Photo そんな素朴で素敵な先生と天才三線奏者。

90天才三線奏者の出現で地元の「三線保存会」の方もワザワザ伝統衣装に身を包んで様子を見に来てくれた。
さすが伝統の衣装がサマになっている。
500円取られたけど。
小1時間もやってただろうか?
存外に楽しかったな。
人間、ホメられて決して悪い気はしません。

110vコレは3日目の様子。
ヒロアキくんの出番のコンベンションは前日に屋内で無事に終了している。
しかし、この日は天気予報通り「戦後2番目に大きな台風」が宮古島を直撃して予定されていたコンサートはすべて中止。
110どんなものかと「コワいもの見たさ」でいたんだけど、確かにスゴイ。
雨の量もいい加減すさまじいが、信じられないぐらいの強風!
街路樹をなぎ倒し、大きなホテルの建物を地震のように揺さぶってしまう。
そして停電。
明るいうちはノンキに本でも読んで時間をつぶしていればいいが、段々暗くなってくるとそうもいかなくなってくる。
お腹も空いてくるし…。
街中にハンバーガー屋があったのを思い出して、意を決して外に買出しに行くことにした。
あ、停電だからエレベーターが動かないんだった!
まさかこの風の中、ホテルの外壁にくっついている非常階段で下まで降りるほどの度胸はないし…。
ホテルのフロントに相談してみよう…と思っても、内線電話も止まってる。
携帯を使って外線でフロントにかけようと思っても受ける方の電話が使えない。
ハラ減った~。
どうすりゃいいんだ~。

120v「青菜に塩」状態でしばらくの間、暗闇の中でまんじりとしていると…「ついた~!」。
電気が復活。
あ、ありがたや~。
傘なんか全く使い物にならないので雨ガッパを着てハンバーガー屋へ繰り出した。
スゲエ雨風でサ、あんな経験は滅多にできないゼ。
こんなことやっているのは自分だけかと思っていたら、ハンバーガー屋は結構混んでたわ。
お客さん、全員グッチョグチョ!
アレ、今にして思えば、お客さんはみんな台風の恐ろしさを知らない観光客だったんだろうね。

130それではこの時ホテルの部屋から撮影した台風の様子をご覧あれ。
時間の経過がメチャクチャで大変恐縮ですが、初日、つまり宮古島に到着した午後に時計の針を戻す。
中心街からチョイと入った裏通り。
やっぱりヒッソリとしてる。

140ココでようやくヒロアキくん登場!
ホテルで落ち合って翌日のリハーサルをしにスタジオへやって来たのだ。150古式ゆかしいスタジオ。
今、スタジオというとオシャレでキレイで飲み物食べ物、弦やドラムスティックなどの消耗品も販売していて何でもござれだが、昔は東京にもこんな感じのスタジオがたくさんあった。
もっともこんなに広くはなかったけどね。
 
さっそくスタンバイ完了。
メンバーは…160田川ヒロアキ

170_2高仁範(コウインボム)。
思い返してみるに、高くんとはこの時が初めてだった。
メンバーは以上の2人。180v強いて言えばマネージャーの美瑞穂さん。
もうマッタリ・ムードになっちゃってる。
しかし、ゴミ箱やらマネキンの下半身だの…いいな~、こういうムードは。
Marshallがなかったのはマズイけどよ。

190vもちろんデュオで出演するつもりはなかったんだけど、台風で東京へ戻れなくなると次の仕事に大きな穴を空けてしまうことより、予定していたベーシストが安全を期して来なくなってしまったのだ。
急遽トラを立てる時間がなかったので、「エエイ!ママよ!」とギターとドラムスの2人体制で本番に臨むことになったのだ。
私がベースを弾いてもいいんだけど、写真を撮る人がいなくなっちゃうので、遠慮しておいた。
もちろん、「ベース弾いてくれ」なんて頼まれなかったけどね。200ヒロアキくんのア・カペラ・ギター・ソロを交えて…

210_2歌モノとインスト曲で30分間、思いっきり演奏してしまおう!というプランでリハーサルをまとめ上げた。220「やったるで~!」230リハーサルを終えて宿へ向かうバンドメンバー…といってもふたり。さて、本番はどうなりますことやら…。

240この日の夜にはコンベンションの関係者が集う「前打ち上げ」がセットされた。

250冒頭、ご挨拶をされる主催の江川ゲンタさん。

260v山崎さんと再会~!
私は私でオルケスタ・デ・ラ・ルスで活躍しているトランぺッター、佐久間勲くんに会ってしまった。
一緒になった時期はないけれど、大学の時のビッグ・バンドの後輩なの。
この3前年にはジャニスを歌う金子マリさんのバックで登場した中野サンプラザホールでバッタリ。
最近はNATALのショボンちゃんがドラムスを務めるビッグ・バンドのコンサートでバッタリ。
売れっ子なのだ。

270vこの後、勝手知ったるヒロアキくんにくっついて「ぱいながま食堂」というところへ連れて来てもらった。
「パイナガマ」については<後編>で。280やっぱりみんなコンベンションのカラミで来ている人たちなので、初めて会った人でもすぐに仲良くなっちゃう。

290ヒロアキくんのお気に入り。
「ちゃんぽん」というひと品。
コレを食べに来たと言っても過言ではないとのこと。
その名前の通り色んなモノが混ざっている。

310コレは私。
ポーク・エッグって言ったかな?
ポークといってもSPAMの薄切りなの。

300宮古島名物その名も「宮古そば」。
「ソーキそば」との違いは肉が入っているか、いないか。
「ソーク」、じゃない「ソーキ」とはブタのスペアリブのこと。
ソーキそばの肉抜きが宮古そば、とぱいながまのオバちゃんが教えてくれた。
だから値段も宮古そばの方が安いんだとか。320初日終了!
あ~、楽しかった!
 
田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano

330v<後編>につづく
 

200 
(一部敬称略 2011年5月26~29日 沖縄県宮古島にて撮影)

2020年6月11日 (木)

【Marshall Blog Archive】島紀史インタビュー <後編>

 

キャビネットについて
M:スピーカー・キャビネットについてはいかがですか?
S:最初にJCM800時代の1960Aを持っていて、15歳の時です…。
M:15歳で!?
S:でも、ボクのキャビネット遍歴はオモシロくないですよ!(笑)
M:何で?
S:三段積みにしたくて18歳の時にBキャビを買い足したんです。
その時のBキャビを今だに使っています。
あ、もちろんスピーカーは入れ換えていますよ!
M:スピーカーが飛んじゃったんですか?
S:イヤ、使いすぎてヘコヘコになっちゃったんです。
その時楽器屋でアルバイトしていて色んなスピーカーを試したんです。
それで一番ビタってきたのがセレッションのVintage30。
それ以来Vintage30ばっかりです。
そして、その最初に買ったAキャビは…今でもそのBキャビの上に乗ってます!
ダミーですから中はスカスカです。
M:あ、アレ?
それじゃ1回もキャビネットは買い換えていないんですか?
S:ウン。
だからボッロボロ。自分でビンテージにしたみたいなルックス。
とにかく自分のイメージする音を出してくれるのが1960とVintage30の組み合わせって完全に決まってしまっていますね。
M:信頼できるってワケですね?
S:色々試したんですよ、G12T-75とかも。でも少し余裕がありすぎたりして。
 
弾いてみたいMarshall
M:新旧を問わず弾いてみたいMarshallって何かありますか?

Jtm45_2S:古いのだったら、あの1号機みたいなヤツ。
M:一番最初のJTM45?
S:そうかな?
M:いわゆるオフセットですな?
Marshallが最初1965年にあのモデルを売り出す時に23台の予約が入ったんですが、予約リストの中にリッチーの名前が入っていたんですって。
実はピート・タウンゼンドだけでなく、リッチーもMarshallの開発には結構協力したらしい。
S:ヘェ~。そんな話を聞いたらなおさら弾きたい!
あとMajorですね、200W(モデル名1967、1967~1974年に製造されていた)。
自分でも持っていたことはあったんですけど…。
あと、ザックのシグネチャー(2203ZW)も弾きたかったナァ。

 <マーブロ写真館1>
コレが現在の島さんのMarshall。
ヘッドは1959ではなくMAJOR1967。
帰ってきたMAJOR!
そして、向かって右側がそのボロボロのキャビネット。
ノンちゃんが語っている通り、Aキャビにはスピーカーが入ってないことがわかる。
とにかくMarshallのキャビネットは丈夫なのよ!
40
<島紀史写真館5>
2003年、クラブチッタ川崎で開催された『Pure Rock Japan』出演時のCONCERTO MOON。
17年前か…。
こうして見るとノンちゃんは全然変わらないナァ。

11_2003_purerock 

CONCERTO MOONの再開
M:Double Dealerの活動に終止符を打たれて、心機一転CONCERTO MOONの活動に集中されて行くワケですが、何かその活動の中でMarshallの位置づけというものはいかがでしょう?
S:ま、Marshall以外のアンプで大きな音を出すということは絶対にないでしょうね。
イヤ、今後の人生においてもMarshall以外あり得ないかな。
ただ、信頼度とか、最近の新商品の動向とかも考えると、お世辞やおべんちゃらじゃくなくて、ますます重要になっていますね。
はっきり言ってライブもレコーディングもVintage Modernに変えようかと思っています。
今までクリニックや自分の機材が持ち込めない場合、アンプは必ずMarshallを指定してきました。
「アンプ:Marshall」って書いてあれば、JCM900でも2000でも自分の音を作ることができるし、信頼度は何者にも代えがたい。
CONCERTO MOONは来年結成10周年をむかえてメタル度もますますアップしています。
より一層Marshallでないとダメです。


 
レコーディングとステージ
M:レコーディングでもステージでもMarshallをお使いいだいているワケですが、それぞれのシチュエーションで気をつけていることというか、使い分けているようなことはありますか?
使い方のコツとか。

Is3S:やっぱりレコーディングの時はマイクで録られて、それなりにコンプレッションもかけられた音になるでしょ?
だからステージで背中に音の風を感じて弾いている時と全然違います。
たとえ同じセッティングにしてもね。
なので、レコーディングの時は更にゲインを下げます。
だから、さっきお話したオーバードライブなんかは完全に切ります。
音を小さくするという意味ではありませんよ。
ゲインを下げた音にコンプレッションなんかをかけた音が返ってくるわけです。
その音のニュアンスがステージの音と近いかどうかにこだわります。
ボリュームは落とせないんです…そこでゲインを落とすんですね。
それから、さっきベースはゼロと言いましたが、レコーディングの時は4ぐらいまで上げます。
M:なるほど。
S:ステージで感じるあのゴンと押してくるようなニュアンスはマイクでは絶対に拾えないんです。
だから、ベースを上げてやるんです。
その違いは気をつけてます。
M:それでもプレイバックを聞いて音がイメージ通りでないと後から加工したりするんですか?
S:ボクは極力しないようにしています。
録るときよりもミックスする時にEQ処理をすることはあります。
とにかく背中で鳴っているMarshallの音を再現することの試行錯誤には時間を費やしますね。
 
<島紀史写真館6>
2005年、札幌クラップスホールのDouble Dealer。
ノンちゃんの背後のMarshallは、向かって左が<前編>に出て来た1988年製の1959。
見えないけど真ん中が当時メインで使用していた1973年生の1959。
右はサブの1959。
キャビネットは真ん中と右の2列、計4台を持ち込んでいる。
ギターはシェクターの一番最初のシグネチャー・モデルだ。
 
Double Dealerは2007年に渋谷のO-WESTに観に行ったことがあった。
その時、ちょうど来日していた業界のアメリカ人を連れて行ったんだけど、ノンちゃんのプレイにとても喜んでね。
「Great!, great!」って…草津か!?(ココはノンちゃんに合わせてプロレスネタです)
詳しい感想を尋ねると「イングヴェイみたいにシュレッドするけど、彼は断然リッチー・ブラックモアでしょう」と言ったので私は「Hit the mark!」と答えておいた。
日本人だったらそのアメリカ人のような感想は持たなかったのではなかろうか?
やっぱりロックの本番の欧米の人たちは日本人と音楽の聴き方というか、接し方が違うと感心したものだ。

2005_dd_sapporo


カッコいいリフはMarshallから!
M:島さんの感じるMarshallの魅力を一口で語るとなると…。
S:最大の魅力はガッツのあるこもらないローですね。
あの6弦をミュートして弾くゴンゴンと弾いたニュアンスはMarshallじゃないと出ないんです。
そのガッツ感。パンチ力。
ボクがヘビィメタルをプレイしていて一番重要なのはそこなんです。

Is1M:あ、だからDeep PurpleにしてもLed Zeppelinにして低音弦を使ったカッコいいリフ曲ができたのかな?
S:そう!カッコいいリフづくりにMarshallは一役も二役も買っていますよ、間違いなく。
M:そういわれてみるとThe WhoにしてもThe Kinksにしてもコードでリフ曲をつくるバンドはMarshallを使っていない…。(The Knksのレイ・デイビスは後年マーシャルを使っているようですが)
S:違うアンプでそれをやるとパンチがなくてぼやけちゃうんです。
ボトムがすごく出ているのにぼやけちゃうんですよね。
Marshallはガッツ。
ベースをゼロにしておかないとパンチが出すぎちゃう時があるんですよ。
ストラトでもそう感じます。
そして、明らかにピッキングのニュアンスを客席に届けてくれるハイがあるんです。
「何kの周波数帯」とはわからないですけど、せっかく何年も練習してきたピッキングのニュアンスを完璧に再現してくれるのがMarshallなんですよね…ということは逆に使うのも難しいといえますね。ゴマカシが効かないもん。
そして、偉大な先達を見てください。
リッチー、イングヴェイ、全員ピッキングのニュアンスがメチャクチャ豊かでしょ?それを再生する能力がズバ抜けているんですよ…Marshallはそこだ!
オッ、今ええこと言うた!何も考えてなかったのに!(爆笑)

 
<島紀史写真館7>
コレは2010年の楽器フェアかな?
ノンちゃんの演奏を耳にして出前に来たソバ屋が油を売っているシーン。
Class5をリリースした時。
もうこの頃はアンプの小型化が定着して、同時にデジタル・アンプが跳梁して来たように記憶している
そういえばノンちゃんと初めて会ったのも楽器フェアだった。
2006年、ナニかのデモをされる時にMarshallを貸し出したのね。
そのデモが終了した後、ワザワザひとりで私にご挨拶しに来てくださった。
「島です」って。
もちろん私は「島紀史」は知っていたけど、その時はまだ個人的には存じ上げなかった。
でも、ワザワザ挨拶に足を運んでくれたことで「島紀史」がどういう人かがすぐにわかった。
人間の付き合いってそんなものです。
その後も個人的に大変お世話になってしまったこともありました。

11__marshall 
 
Vintage Modernの魅力
M:最近、島さんはギター・クリニック等ではVintage Modernを使用していただいていますが、あのアンプのどこが島さんにアピールしているんですか?
S:もちろん、名前の通りですよ!
ビンテージMarshallを長年使ってきた人間にとって、これほど違和感のない新商品はまずないと言っていいでしょう。
ビンテージMarshallはボリュームのコントロールがむずかしかったり、ご機嫌斜めになったり…どうしても古いからね…そんなことがVintageModernにはありませんからね!
モダンという要素で言えばBodyとDetailのPre Ampの部分。
ビンテージものでリンクしてもああはいかない。
うまくミックスできても今度はボリュームが調節できませんもんね。
特にクリニックでは音量の自由がきかないことが多いわけですから、ボリュームを下げても出したいニュアンスを出してくれる…この部分は最高です。
クリーンが欲しければギターのボリュームを下げて上げればいいだけだし。つまみは200個もついてないし(笑)。
ボクはそんなにツマミは要らないと思ってる。
JVMだってツマミが多そうに見えるけどただ各チャンネルのコントロールが独立しているだけで全然シンプルですもんね。まったくもってわかりやすい。
M:それでは実際のライブ・ステージで使ったとしたらどうでしょうか?
S:そりゃ、そのままマスターボリュームを上げてあげればいいだけ。
 
<マーブロ写真館2>
Vintage Modernネェ…いいアンプだった。
私は特にコンボの2266Cが好きだった。
チョット歪み気味にしてレスポールのボリュームを下げて弾く音がお気に入りだった。
Marshallも企業なので、販売が思わしくない商品はトットと生産を終了せざるを得ない。
Vintage Modernは時代の移り変わりの犠牲者になってしまったのではなかろうか?
もっと可哀想だったのはASTORIAだ。
私は4台のASTORIAを大事に保管している。
もうしばらくはあんなアンプは出て来ないだろうから。
Vintage Modernにしても、ASTORIAにしても、1959SLPにしても、そうしたトラディショナルで、流行に背を向けたマジメな楽器が息絶えてしまうのは、本当に残念で悲しく、また音楽の将来に大きな不安を覚えてしまうんだよね。
 
もうVintage Modernのことを知らない若い人もいると思うのでアーカイブついでにサラっとおさらいしておこう(若い人はこのブログを読まないんだけどよ!)。
2006年10月、Marshallの工場でVintage ModernとJVMの発表会が開かれた。
私はこの年の3月のフランクフルトで既に弾かせてもらってすごく気に入っていたので、この発表会が楽しみだった。
11_rimg0004Vintage ModernはMarshallの1962年の第1号機に使われたKT66をパワー段に採用したビンテージ風味タップリのシリーズだった。
設計したのは元The Animalsのスティーヴ・ドーソン。
ビンテージMarshallを知り尽くしたギタリストらしい仕事だった。
今、スティーブはアンプのリペア業の傍ら、AC/DCのブライアン・ジョンソンがが以前在籍していたニューカッスルのバンド、Geodieでギターを弾いている。
「ジョーディ」はニューカッスル生まれの人のニックネームね。
マンチェスター生まれの人は「マンキュニアン」。
リバプール生まれの人は「スコウサーズ」ね。
だから「ファブ・フォー(Fab Four)」はスコウサーズだ。

11_rimg0090Vintage Modernのデモンストレーションはダグが担当した。
 
個人的にこの時のことで一番思い出深いのは、タバコを止めたことだったりして…。
約1週間、マジで苦しかったわ。
でもホント、タバコは止めてヨカッタ…。11_rimg0043Vintage ModernとJVMをフィーチュアしたこのジムのポスターも懐かしい。
フランクフルトで一体何千枚クルクルしたことか…。
コレは確かジムが最初に倒れてから数日で撮った写真だったハズ。
11_2jmそしてノンちゃんは使い慣れた1959からVintage Modernにバックラインを換えたのだった。
キャビネットはそのまんま。
なんかこのフロント・パネルに貼られたゼッケンがなつかしいな。Prj2009_1v2009年の『Pure Rock Japan』。

Prj2009_2v1959とはまた違った甘めのサウンドがヨカッタんだよね。

Img_0079そうしてCONCERTO MOONはしばらくの間、Vintage Modernのサウンドで暴れまくってくれた。

3v

4  
<マーブロ写真館3>
昔はイギリスのマネっこをして、Marshallのプロモーションとして『Marshall Roadshow』というデモンストレーション・ショウをよくやっていたんだよね。

100 東京を中心に、大阪、神戸なんかでやったネェ。

300大宮でJMDのデモンストレーションの時には今は亡きジーノ・ロートが観に来てくれたこともあった。

200また、この頃はJVMやVintage Modernの他にもランディ・ローズの1959RRやケリー・キングの2203KK等、新商品が目白押しだったからね。

310まったく懐かしいもんです。

330  
 
シンプルにしてディープ
M:それでは最後に読者の皆さんにMarshallに関するひと言頂戴できますか?
S:たまたまボクはヘビィメタルを演っていますが、フュージョンであれ、ブルースであれ、はたまたジャズであれ、アンプに関して言えばMarshallで解決できると思っているんですよ。
とことんクリーンで行こうと思えばいけるし、ラウドにディストーションかまして行こうと思えば右出るものはいないでしょう?
シンプルですよね。
そして、シンプルだけにディープですよね。
トーンをいじっていて「あ、ここを上げればこうなるのか~」なんて発見は今でもあります。
ディープだからどんな要求にも応えてくれる。
Marshall以外のアンプを選択する理由がないんです。
ボクにはね!
M:ありがとうございます!
 

    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

 
ああ、うれしいお言葉が次から次へと飛び出す楽しいインタビューだった!
  
さて、ノンちゃんは冒頭で紹介した通り、現在2台のMAJOR1967を手に入れ、例のキャビと共に愛用してくれている。
そんなノンちゃんになんかの折に「コレでゴールだねェ」みたいな話をしたことがあって、するとノンちゃんは「イヤイヤ、やっぱりPigが欲しいんですよ!」と答えてくれた。
Pigというのは「MAJOR」の初代モデル。
何でも今はすごいお値段だそうで…。
写真はMarshallの工場にあるヤツかな?

1967みんなこのモデルを普通に「Pig」と呼んでいるけど、このモデルが販売されていた時はそんな名前はなかった。
「Pig」という名前を付けたのは下の写真の向かって右から2番目の人。
『HISTORY OF MARSHALL』の著者、マイク・ドイル。
本を著した時にこのモデルをそう呼んだのだ。
だから後で出来た名前なの。
下は今年1月のNAMMの時に撮った写真。
『HISTORY OF MARSHALL』の最新版の日本語版(『アンプ大名鑑:マーシャル編』)の監修をした私がMarshallのブースにいることを知って、マイクは私にお礼を言うためにワザワザご挨拶に来てくださったのだ。
イヤ、ノンちゃんと同じだナァと思って。
右端はおなじみMarshallの社長、ジョナサン・エラリー。
向かって左は私の古い友達JC(=Jean Claude、アンプじゃないよ)。
驚いたことにJCは今マイクと同じ職場にいて、私がNAMMに来ていることをマイクに知らせてくれたのだ。
楽器業界はホントに世界的に狭い!

11_img_2741さて、CONCERTO MOON、新ボーカルズの芳賀亘が加入し、昨年の5月にセルフ・カバー・アルバム『OUROBOROS』をリリースしたのは皆さんもご存知の通り。20cdそして、今ニューアルバムの制作中!
楽しみだね。
アルバムが出る頃にはコロナも終息して、またド迫力のレコ発ライブを開いてくれることでしょう。

Nr お、その前に!
もうすぐ『Marshall GALA2』でのノンちゃんの雄姿をお送りしますからね。
しばしお待ちを!
来週末かな?

島紀史の詳しい情報はコチラ⇒CONCERTO MOON Official Site

150 

200_3

2020年6月10日 (水)

【Marshall Blog Archive】島紀史インタビュー <前編>

先日、Strange,Beautiful and Loudの三宅庸介さんの2011年のインタビューを掲載したところ、とても好評だった。
それに味をしめて、今回は島紀史さんの2008年4月21日初出のインタビューを引っ張り出してきた。
2008年4月というと、前のMarshall Blogが始まってまだひと月も経っていない頃だ。
もうこのインタビューから12年も経ってしまって、ご覧になっていない方も大勢いらっしゃるのではなかろうか?
ま~、とにかくいいことをおっしゃってる!
初めて読む方も、遠い昔に読んだことがあるような気がする方も、どうぞお楽しみあれ!
12年前にGo!
 

☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
  
島紀史のステージで連想するものといえばMarshallフルスタック。
島氏のMarshallへの思い入れは人一倍深い。
そして、リッチー・ブラックモアへの敬慕…。
今回はその辺りをじっくり訊いてみました。
情熱のインタビューをお楽しみください!
 
マーシャルとの出会い
Marshall (以下「M」):それではまず、見たり、聞いたり、弾いたり、いつごろ、どこで?…Marshallとの出会いについてお聞かせください。
島紀史氏(以下「S」):イヤ…「見たり」はもう自分のあこがれのギタリストが全員Marshall(島さんは英語圏の人同様、「マーシャル」の「マ」にアクセントをつけて発音する)だったから。
15歳位の時かな…アマチュアバンドでライブハウスに出るようになった時に大きなアンプが必要になったんです。
ヘビィメタルを演るのにコンボっていうわけにはいきませんよね?
もう自然とMarshallでした。
M:そうこなくちゃ!

Is2S:最初はJCM800時代の1959でした。
先輩から譲ってもらいました。
Aキャビといっしょに2段積みで。
分割払いでね…帳面につけられて管理されました…「毎月キチンと払えよ」って!
15~16万円位だったかな?
とにかく憧れのギタリストが全員Marshallでしたから迷いはなかったですね。
M:その前にも色々なアンプを試された?
S:そりゃ、小さいやつは色々と…。
でも大きいのはもういきなりMarshallでした。
他にも持っていたアンプもありましたが、やっぱりハードロック系ですから自然とマーシャルですね。
M:Marshallに誘導したギタリストの一番がリッチー・ブラックモア?
S:リッチー・ブラックモア。
他にもいっぱいいるんですが、リッチーはもう別格です。
M:そうでしょうネェ。
S:で、まぁイングヴェイ、そしてウリ・ロート、それからゲイリー・ムーア。
リッチーを筆頭にこの4人の影響が大きいから当然Marshallに行きつきます。
全員Marshallでしょ?だから、やっぱり自分の好きなギタリストがみんな使っていたからMarshallになりますよね。
M:今の若い人たちは、そういう「憧れの人が使っているから」という理由でなくしてMarshallを選ぶことも少なくないようです。
S:でも僕の場合も中学生のときにスタジオに行ったらMarshallがありましたもんね。
僕の場合はそれで余計Marshall度が高くなりましたけどね。
でも、やっぱり自分が好きな人たちへの尊敬と畏敬の念はずっと持ちつづけていたい。
マーシャル以外のアンプを使っていたこともありましたけど、それも好きなギタリストがそのアンプを使っていたからですもんね。
CONCERTO MOONがデビューして最初の2年位の間かな。
M:どうしてその後またMarshallに戻ったんですか?
S:そのアンプにはMarshallを使うことによって得られる満足感みたいなものがなかったんです。
背中に風圧を感じる爆音であったり、コントロールがシンプルであるがための奥深さであったり、そういう満足感はボクのギタリスト人生ではMarshall以外には得られなかったんです。
 
Marshall歴
M:先輩から譲っていただいたJCM800の1959はどうなったんですか?
S:73年製位のピンスイッチの1959を入手しました。
それは改造されていて、マスターボリュームがついていました。
そして、CONCERTO MOONのファーストの頃まではその1959を使っていました。
97年のそのインディーズのアルバムを発表する位まではその改造された1959を使っていたんです。
その後、さっきのMarshall以外のアンプを買うために手放しました。
結局、2000年にDouble Dealerのプロジェクトを立ち上げる時に、自分の中で「Marshallじゃなきゃダメだな」って思ってトレモロつきのまた73年製位の1959を手に入れたんです。
それと、88年製位の最初の4インプットのリイシューを入手しました。
M:1959Sですね?
S:後でわかったんですが、トレモロの方はどうも50Wだったんです。(註:1987のトレモロつきは1975年まで製造されていた)どうも音が小さいな~って思ってたら50Wだった。これが最初の50W Marshall体験でした。
それからまた100Wを入手しました。アルミパネルの1959です。
プレキシではないので70年代初頭ですよね?
他にも50Wの音のニュアンスが欲しくて2台位入手しました。
100Wも何台か買いました。
だからこうして見てみるとビンテージばっかりでしたね。
M:島さんといえばそういうビンテージのイメージは確かにありますね。
S:憧れた人たちが使っていたアンプのルックスっていうのもありますからね。ビンテージ特有の。
ナンダカンダで6台位買いましたかね。
今使っている2台は案外トラブルと無縁でしてね。
Marshallはホント圧倒的に丈夫。でもさすがにガタが来はじめたかな…?
でもズット使っています。
M:日本国中回って酷使されてますからネェ。
S:でもとにかく「Marshallは丈夫」っていう印象が強いな。
 

<島紀史写真館1>
ノンちゃんにお願いして今回も秘蔵写真をちりばめてお送りすることにした。
まずは…あ、コレは私。
「街の島コレクター」として日頃から「島」に目を光らせているのだ。
これは三ノ輪の接骨院。
近くに「のんちゃん」という古い喫茶店があるのだが、それは以前紹介したので今回は割愛する。

11_2ssところでコロナな「街の島集め」にも悪影響を及ぼしていて、実はこの春、長野の乗鞍方面の温泉に行く計画をしていた。
「温泉旅行」とは名ばかりで、「島×2」という「島コレクター」にとってはうれしいことこの上ない上高地の入り口にあるこの駅の写真を取りに行くのを楽しみにしていたのだが断念!

11_sssここからが本番。
 
1993年「大阪ヤンタ鹿鳴館」のノンちゃん。
「ヤンタ」ってもしかして「ヤングタウン」の略かなんか?
ココは現在の「西九条ブランニュー」さんだそうで。
その昔、Galneryusを観に一度だけお邪魔したことがあったっけ。
背後のMarshallはCONCERTO MOONのファースト・アルバムのレコーディングに使っていた1959。
この後インタビューに出て来るが、キャビネットはAは会場で拝借したモノ。
Bキャビはノンちゃんの持ち物だ。
今回この写真を送ってもらうに当たり、本人は大層驚いたそう。
…というのは、Bキャビにキャスターが付いているでしょ?
今は絶対にキャスターをハズしてキャビネットを設置している。
外せないキャスターはストラト。
写真は72年生のストラトキャスター。
今思い返すと、あり得ない程ネックが太かったそうだが、上京する時に手放してしまったそうだ。
バンドは「Dior」。
ん~、ノンちゃんもそういうのやっていたのか…。1993_1126コレは1993年の「大阪難波ロケッツ」。
73年製のボディに74年生のネックを組み込んだストラトキャスターだそうだ。
コレもDior時代。1993_osaka_1ギターは異なるが、同じ頃の写真。
チョットわかりにくいかもしれないけど、後には愛用の1959!

1993_osaka_21994年、「Crystal Clear」というバンドの頃。
歯磨き粉みたいですな。
場所は江坂の「ブーミンホール」。
そうえば、いつか江坂でCONCERTO MOONを観たこともあったっけナァ。
ココでも1959が大活躍!
白ボディ、白いピックガード、メイプル指板…コレはウリ仕様だったのかな?

ここのところ、ジャズ・ギターとかフィンガーピッキングスタイルのギターの練習をするのはまだ何とかオモシロイんだけど、「ギターが欲しい」とかいう欲望が全く消え失せてしまってね~。
facebookなどで同輩の皆さんが「この子」だの「娘」だのと愛器の自慢をされて、色々とイジり回して楽しんでいらっしゃるのを見るとホントにうらやましくてね…。
そんな私でも高校生の頃は朝から晩までギターのことを考えていた。
そして2年生の時にウリが大好きだった私は、ひと夏のアルバイト代を握りしめて、まだ創業3年目のイケベ楽器さんの池袋のお店へ赴き、白ボディ、白アッセンブリー、メイプル指板のTokaiのストラトキャスターをオーダーしたのだ。
お店の人は「全部白のストラトはカッコ悪いよ」と言われたけど、「ウルリッヒ・ジョン・ロートが好きなので…」とやり取りしたのを覚えている。
このノンちゃんのギターを見て急に思い出してしまった。
ヘタクソで何も知らなかったけど、あの頃はギターが楽しかったナァ。
イケベさんはその後、水道橋に出店されてね、通学路で友達がアルバイトをしていたのでチョクチョク通った。
じゃ、ギターじゃなくて今ナニをやりたいか?…というと蕎麦打ちやりたいな。
事務所で蕎麦を打って遊びに来た若いミュージシャン連中に食べさせてやるのさ…多分やらないけど。1994_0728 

あこがれのMarshallサウンド
M:それでは、島さんが「こういう音を出したい!」というあこがれのサウンドというと?理想の音み

Fw_2たいなものはあります?
S:もちろんありますよ!
2期Deep Purpleのリッチー・ブラックモアの音!
リッチーはMarshall以外のアンプもあの辺りで使っていたようですが、『Made in Japan(ライブ・インジャパン)』の音を参照すればあの音はもう200WのMajorですよね。
Rainbow期もそうですが、リッチーの音は成し得ていないんです。
イングヴェイだったらAlcatraz時代の音なんかは理想ですね。
後はウリ・ロートのElectric Sunのアルバムの音。
Scorpionsの時はルドルフ(シェンカー)と合わさってひとつの音という感じでしたが、『Earthquake』や『Fire Wind』のように、ストラトキャスターと古いMarshallの組み合わせによる

Es_3あの音も理想の音ですね。
M:ウリ・ロートの場合、ギターは良くても彼の歌については好き嫌いが分かれる傾向がありますよね?
S:もうウリなら何でも許せます。「あばたもえくぼ」か「恋は盲目」(爆笑)?
M:それではもし、プロ・ギタリストには失礼な質問かもしれませんが、島さんのお好みを音を出してくれる神様がいたとして、自由にその音を出せることになったら、ギタリストとしてCONCERTO MOONはもちろん、その他の場面でもその音で弾いちゃう

Fw_1んですか?
S:やりたいけど…もうそれらをミックスした音というものが自分の中で出来上がっているから、例えばリッチー・ブラックモアのあの『Made in Japan』のトーンのニュアンスでイングヴェイ・マルムスティーンくらい歪んでいて…ブラックモアよりイングヴェイの方が歪んでいるからね…ウリ・ロート的な「音の張り」みたいなもの、更にゲイリー・ムーアがストラトをMarshallに突っ込んだときの荒々しさ等をすべて合わせて自分が演る「ヘヴィ・メタルに向く音」と言う風に考えるから、そのままの音では自分の音楽に向かないと思う。
M:やっぱり…。
(筆者注:Deep Purpleの『Made in Japan』のジャケットに写っているイアン・ギランのコンガはNATAL製です。
実はノンちゃんはインタビューの時、このアルバムを『ライブ・イン・ジャパン』と呼んでいましたが、今となってはコッチの事情がありますので『made in Japan』と呼び換えさせて頂きました)

Nc

<島紀史写真館2>
いよいよCONCERTO MOON。
1997年、「バズーカスタジオ東中野」にて…って、バズーカって東中野にもあったの?

11_1997_bazooka_rec

悪魔に魂を売ってでも出したい音!
S:でもね、でも、あの『Made in Japan』のあのリッチーの音が得られるなら…(間)…お 金がいくらかかろうが、悪魔に魂を売れと命じられようが、何としてでも手に入れたいですね。
M:それはそれでCONCERTO MOON用の音とは別に取っておくワケ?
S:(笑顔で)ウン!
M:そんなに好き?!
S:(笑顔で)ウン!あの音と引き換えにおまえの命をいただこうと言われても、一瞬でもあの音が出せれば命捨てます…ぐらいには思いますよね。
M:ヘェ~。家に帰ってCDもう一回聴き直しますわ!

Is4S:ガハハハハ!
あの『Made in Japan』は後から音質をいじったりしていますので、「完全版」なんかの生のリッチーの音を聞くともっと凄いですよ。
M:ま、「島紀史=リッチー」なのはよ~くわかりますが、それから離れるとどうなりますか?
例えばジェフ・ベックだとか…。いい音だな~って思うのは?
S:ヘンドリックス!
M:アルバムで言うと?
S:『Axis:Bold as Love』。あと、「Little Miss Lover」って曲あるでしょ?あの音大好き。
ジェフ・ベックはBBA時代と『Rough and Ready』のころ。

AblM:他には?
S:一連のLed Zeppelinの音も好きだし、最近ではザック・ワイルドの音がすごく好き。
M:ザックの音はホントに美しい。
S:うん、ボクのファンの方々はあんまりザックのイメージがボクにはないみたいだけど、大好きです。ガッツのある音でしょ?
最近のギタリストの中では格段に上ですね。ザックはちっとも最近じゃないかッ?!(笑)
M:そんなに好き?
S:実はね。にわかには信じてもらえないくらい好きなんです、ザック。

Rarザック好きさに苦手なオジーものにも手を出します。意外ってよく言われます。
男らしいものが好きなんですね。
割合ナヨってなっていて好きなのはウリ・ロートくらい。
M:住む世界が違う感じですもんね?
実際に会って話すとなんかこうユラ~としたオーラを感じます。
S:絶対に霞食ってますよ!
 

島紀史のセッティング
M:島さんの1959人生の中で得たレギュラーのセッティングみたいなものはありますか?
S:プレゼンスが6、ベースは0、ミドルが3、トレブルが8、ボリューム1がフル近く。
リンクはしない。
M:ベースはゼロ?
S:会場がデッドだったりすると確実にゼロ。
低域が逃げるような会場は…上げても2ぐらい。
M:エフェクターは?
S:ワウとオーバードライブくらい。
M:オーバードライブは入れっぱなし?
S:そう。レベルは10にするけど、オーバードライブはほとんど切ってますね。1.5くらい。
M:ようするにアタッチメント(笑)で歪ませてるワケではない?(註:最近「アタッチメント」という言葉をほとんど聞かなくなっているため笑っています)
S:そう、アタッチメント(笑)じゃない。
M:でもそれだとスッカスカな音になりそうですけどね?
S:ま、1959を大音量で鳴らすと箱鳴りのローが出ますからね。
あのスピーカーが悲鳴を上げるガッツのあるローは最高ですからね。

<島紀史写真館3>
2001年、Double Dealerの頃のMarshall。
上段は1988年製の1959のリイシュー。
真ん中は当時メインに使用していた1973年生の1959。ハンドワイアード期だね。
一番下は1987のトレモロつき、T1987。
キングレコード関口台にて。

11_2001_dd_2ndrec_1上の写真の真ん中と下のクローズアップ。

2001_dd2ndrec_2<後編>につづく
 

200_2

2020年3月29日 (日)

【Marshall Blog Archive】三宅庸介インタビュー <後編>

      
Marshallを手放す
M:ところで、その73年製のラッキーMarshallはその後どうなったんですか?

DY:手放してしまったんです…ホント、後悔してる。
M:アジャジャジャ!
Y:そういう人ってたくさんいると思いますが…。
M:はい、本当によくそういうお話を耳にしますね。でも、その時はどうしても他のモノが欲しくなって後先考えないで…というか、後悔するなんて夢にも思わずやっちゃうんですよね。
で、その後は?
Y:ラック・システムに興味がありましてね。
マイケル・ランドウの影響を受けました。
M:流行りましたもんね~。
Y:それで2年ほど経ってまたMarshallに戻ったんです。
その時手に入れたのが78年製の2203。
それをしばらく使っていました。

<庸介写真館4>
1978年製というからJMP期の2203ということになる。

11_jmp2203_2 現在のようなフル・フェイスのコントロール・パネルになるのはJCM800シリーズがスタートした1981年から。
当時の人たちはこのルックスの変わりように度肝を抜かれた…私はサッパリ覚えていない。

11_jcm800 写真には写っていないがその2203を使用していた時代の三宅さん。
難波の「ロケッツ」というライブハウスでのステージ。
右に写っているのは今NATALの山口PON昌人さんがサポートしているMOMO & THE SHOCKERSのMOMOさん。

9_2203_2_930907 

その後のMarshall
M:それから?
Y:東京に出てくる時にサポートの話しとかもあって、洗練された音作りをする必要が出てきて、気に

Marshall6100なっていた6100を入手したんです。
そしたらあのクランチがすごくよくて、今のMarshallでもこんな音が出るのかって…。
M:6100の頃もあったんですか~。
Y:今でも手放さないで持っていますよ。好きで結構使いました。
ゲイリー・ムーアも出た頃使ってましたもんね。
で、大分使いこんだところでDSLが出て来たんです。
M:なるほど…。
(写真の6100はパワーアンプに5881を搭載した通常版。三宅さん所有の6100はMarshallの30周年をを記念する青いカバリングのモデルです)
 
<庸介写真館5>
右端が三宅さんの6100。
Marshallの30周年を記念してリリースしたモデル。
サトリアーニも愛用者だった。
後ろの赤いジャケットを着ているのは藤本朗さん。
そしてドラムスは金光健司さん!

11_6100_akiraご存知、金光さんは今の三宅さんのバンド、Strange,Beautiful and Loudの相棒。

11_0r4a0149 約30年経ってもこうして一緒に音楽を作ってる。
いいね、音楽ってモノは!

11_0r4a0115 こっちは約30年前。
当たり前のことだけど、やっぱりアクションってのは人間そう変わるもんじゃないね。10_6100_akira  
1959が基本
Y:でも、最初の73年製の1959の音が基本にあって、どのMarshallのモデルを使っても、また

11_21959slp_frontMarshall以外のアンプを使っても、結局その音を求めてしまうんです。
色々と試してみてそういう音が出ればOKですし、出なければ使いません。
その頃からもう色んなものを求めずにその基本のクランチの音で勝負しようと決めたんです。
M:今(2011年当時)、三宅さんはJCM2000 DSL100をお使い頂いていますが、DSLというとCLASSIC GAINのツルンツルンのクリーンかULTRA GAINの歪みを使っている人が圧倒的に多いようです。
DSLが発売された時、セールス・ポイントはクリーン・サウンドだったんですから。
でも 三宅さんはCLASSIC GAINのCRUNCHだけを使ってすべてをコントロールしている。
いつかも確か三宅さんとウリの音の話しをしていて、「ウリの音は1959の一番いいところが出ていて、その音を表現すると『パシーン』とか『ビシッ』とかいう感じ」って言ったことがありました。
三宅さんのサウンドはそれに近くて、たとえDSLを使っていても根底にあるサウンドが1959であるということを感じ取れると思いますよ。
Y:そうおっしゃっていただけると大変うれしいです!
 
<庸介写真館6>
再び手にした1959も1978年製。いわゆるJMP期の1959。
旧バナナ・ホールにて。

三宅さんはいつもMarshallをクランチにセットしてTube Screamerで歪みを加える…と昨日書いた。
このJMP時代の1959、大学の時に私も持っていたけど、Marshall自体がクランチで鳴ったことはただの一度もなかった。

徹頭徹尾クリーン・サウンドしか出せなかった。
私は当時どこでも手に入ったBOSSのオリジナルOD-1をつないでいたが、元のMarshallのクリーンの音が図太いので、最高のサウンドが出た。
してみると、クランチが出るほどのこの頃の三宅さんのギターの音のラウドさが想像できる。
今でもだけど。

でも、ラウドだからこそ音がいいのだ。

8_93_1959_9302私が三宅さんの演奏を初めて拝見したのは2009年3月かな?
その時はハコの4100をお使いになったたように記憶しているが、そういえば、当時はJCM2000 DSL100をご愛用頂いていたんだわ。
もうJVMのイメージが強くてスッカリ忘れてた。
三宅さんのDSLって1997年製の初期型で、チャンと手入れをしているせいもあってものスゴくいいんだよね。
これはまだコレはDSLを使っていた頃のStrange, Beautiful and Loud。
2012年12月のGRAPE FRUIT MOONでのシリーズ企画『Sound Experience』…まだ「6」の時。
今、「31」
まで来ている。210v_2 三宅さんにもご登場頂いたMarshallの本『Marshall Chronicle』が出来した頃で、「大人のエロ本」としてこの時ステージで紹介してくれた。
この本は作っていてホントに楽しかったナ。夢中になって取り組んだ。

190v_2_2 

セッティング
M:アンプのセッティングで何かこだわっている部分ってありますか?
リハやステージであんまりアンプをイジくり回している印象がないんですけど。

AY:昔のMarshallって0か10かってところがありましたよね。
それでボクは全部10だったんですね。
プレゼンスも10。リンクしてボリュームも両方10。それで最高の音が出ていたんです。
ですから今のモデルを使う時、覚えているその時の音に近づけようとしているだけですね。
弾き方がそういう音を覚えているというか…。後はその音が出るようにセットしていく。
そうしてようやくここ5~6年で核心に近づいていっている気がします。
M:ようやく核心?もう到達しているのかと思っていましたが…。
Y:ずっとギターを弾いていると少しずつ少しずつうまくなっていきますよね…あまり気が付かない程度に。
その中で、ギターとのやり取りとか、アンプとのやり取りとかも弾けば弾くほど上達していくんですよね。
そういう部分で音の出し方とか、音の早さとかがより詳細にわかるようになってきたんです。
ベースは0。上げても2とかね。ミドルは8から10。トレブルは3とか4とか。プレゼンスは上げない。
 

ドリーム・マーシャル
M:弾いてみたいMarshall、いわゆる「ドリーム・マーシャル」ってあります?
Y:ジミ・ヘンドリックスの1969年の春先のアメリカツアーで使っていたマーシャルですね。
それと同じく69年のロイヤル・アルバート・ホールのマーシャル。
ヨーロッパでのトーンってすごく濁りがなくてクリアなんです。懐が深くて澄み切っている。
その点ではすごく参考になる。
M:電圧の加減?全然音が違いますからね。
Y:そうだと思います。
一方、アメリカのツアーの場合、その電圧の加減か、ペダルの影響か、もう少しハード・ロック的ないわゆるキメの細かいオーバードライブ・サウンドになるんですね。それもすごく好きです。

Bof_2M:ホンモノのジミヘンの音、聴いてみたかったですよね~!
Y:ホント。
それか、マハビシュヌ・オーケストラの『Birds of Fire』や『Between Nothingness and Eternity』でマクラフリンが使った…多分SUPER TREMOLO 100ですね。
そんなにマクラフリンの音って好みではないんですけど、この頃の音はすごく好きなんです。
M:あの音っていかにも出なさそうですよね?
アレは弾き方によるところがメチャクチャ大きい気がします。

Bne_4でも、マクラフリンの一番はマイルスの『ジャック・ジョンソン』でしょう。特にあのイントロ。
Y:(笑)アレはナンなんでしょうね?!
M:アレは奇跡でしょう。他には?
Y:それから、やっぱりエディかな?
M:アメリカ勢はダメなんじゃ?
Y:イエ、「ドリーム・マーシャル」ということだったら話しは別です。
エディの68年の「Baby Marshall」は弾いてみたい!
アレ、本人は'67年製と言っていますが、先日リペアした人から'68年製だったと聞いてます。
 
マクラフリンが使っていたとされるトレモロ回路搭載の1959、「Super Lead T1959」。
1966年から1972まで製造されていたところを見ると、それなりの需要があったのだろう。
真空管で揺らしたトレモロ・サウンドは本当に美しいからね。

St100 

ジミ・ヘンドリックスの録音
M:Marshallの工場に行った時に撮って来た実際に彼が使っていた1959の写真なんてありますけど…。
Y:ウワッ!見たい!

11_rimg0181_3M:コレですね…。
Y:おお~!
ジミ・ヘンドリックスでもそうなんですが、我々が耳にする音ってCDでも何でもレコーディングというプロセスを通ったものですよね。
それがどういうミックスをされたか…もっと言うとリマスターされたかによってすごくトーンの聴こえ方が変わってきますよね。
そういうことにすごく興味があって、リマスター盤が出ると買って聴いてみるようにしているんですね。

11_rimg0183_2M:「リマスター盤」が欲しいなんて思ったことがありませんが、なるほどそういうことを意識して聴くのであればオモシロいでしょうね。
Y:はい。自分がアルバムを出すようになって余計に神経質になりました。
M:なるほど。そうかもしれませんね。
Y:そういう意味で色々聴いていると、ジミってウッドストックにしても、ワイト島にしても、モントレーにしても、意外にオープンエアが多いんですね。
で、オープンエアの会場で録った方が「Marshallらしさ」って映えると思うんです。
ホールの影響がありませんよね。だから生々しく彼が出していたトーンが残っていると思いますね。
つまりアンプ以外の音の要素が少ないので参考にしやすい気がするんです。
そういう風な思いで聴いています。
M:そんなこと考えたことありませんでした。
 

三宅庸介の音楽
M:ところで、Marshall Blogに何回も書いている通り、私個人は三宅さんの音楽がとても好きで、「ロック」という範疇にあってはかなりユニークなものと捉えています。
はじめに聴いてすぐに思い浮かんだのがマイケル・ランドウ。

CY:マイケル・ランドウが世間ではどういう立ち位置にいるかはわかりませんが、自身確かに影響を受けてはいます。
でも、いわゆるフュージョンからの影響というのはまったくないんですね。
アルバムを作る前はもっとフリーフォームで、テーマをひとつふたつ決めて延々とソロをやるようなユニットの時期もあったんですが、アルバムを作るときに「本当にやりたいことだけをやろう!」って取り組んだんです。
M:なるほど…。
Y:それと、とにかく弾き方は自分にしか出来ない方法を採るようにして、音にも徹底的にこだわりました。
ストラトキャスターとMarshallがあったからできたんです。
曲に関しては、やっぱり素に戻ってずっと好きだったものを演ろうと…つまりロックですね。
コード進行やヴォイシングが変わっているというのはわかっているんですが、それをロックのサウンドにしたかった。
ボクの中では結構「ハード・ロック」なんですけどネェ…。
M:はい。少なくともジャズには聴こえないし、フュージョンでもない。
ロックなんですけど、他のロックとは単語も文法も違うんですね。
メロディについても極力ロックの定番フレーズを避けていることがすぐにわかる。
自然にそうなっているのかな?ローランド・カークみたいな。
結局ジャズの巨人達、パーカーもマイルスもエヴァンスもショーターも、今までにないようなカッコいいフレーズを発明することに心血を注いだワケですよね?
三宅さんのやっていることはそれに似ている感じがするんです。すごくステキなことだと思います。
Y:それはあんまり意識していないな…。
今のユニットはそうかも知れませんが、前にやっていたバンドでは典型的なフレーズも使っていたし、スティーヴ・ヴァイが好きだった頃のボクをご覧になっているお客さんはいまだにボクをそういう風に捉えているとは思います。
M:今の三宅さんだったら、自分の音楽を「三宅庸介です」と言って許される思うんです。すごいスタイリストですよね。
Y:ワァ、うれしい!
ジミ・ヘンドリックスにしても、ロビン・トロワーにしても、ウリにしてもいまだにコピーします。
好きですしね。
でも、コピーしたものをそのまま弾いても意味がないんですね。人がやっていない…自分にしかできないことをいかに最善の形で音にするかということをやっていかないとしょうがない。
M:コピーからはナニも生まれてきませんからね。何も残らないし。
 

ジャズ
M:こないだのライブでは冒頭にコルトレーンの『至上の愛』の一節を弾かれていましたね。

Lspジャズはよくお聴きになるんですか?
Y:イエイエ、全然!ウワベだけです。
学校で教えていると、「BOφWYからギター始めました」とか「昔メタリカやってました」という子がちょっとギター弾けるようになって学校へ来る。
それで、上手になってくると途端にやれ「モード」だとか「何とかジャズ」の方へ行ってしまう。
で、「君が好きだったBOφWYから受けた衝動はどこへ行っちゃったの?」っていう子がすごく多くて、そういう子は決まってロックをバカにするんですね。
そんなことを目の当たりにしていたので、むしろボクはジャズをキライなのかもしれない…。
そんなに興味もないし、居心地がよくない。
でも、アーティスト単位では好きな人はいます。
ウェス・モンゴメリーは大好き。それでも彼の音楽的な手法がどうとかではなくて、トーンが好きだったり、歌わせ方が好きだったり…。
後はマイルス。そのふたりぐらい。マイルスなら少しは偉そうに語れるかな(笑)?
M:ジャズの話は私が止まらなくなってしまうので、コレで終わりにしましょう(笑)。
 

『Lotus and Visceral Songs』
M:それではご自身の音楽を総括すると…。
Y:ボクは自分の音楽をプログレの一種だと思っているんです。
プログレが大好きでいまだにフォーカスが一番好きなんです。
で、あのアルバム(『Lotus and Visceral Songs』)って『Focus Ⅲ』のサウンドをすごく参考にし

Lvsているんです。
M:録音ってこと?
Y:そうです。
レコーディングの時、『Focus Ⅲ』をエンジニアに持っていって聴いてもらった。
あのレコードって残響がほとんどないんですね。
M:「Anonymous Ⅱ」とか完全にデッドですよね。
Y:そう。聴いていてレコーディングしている部屋にいっしょにいるような感じにしたかったんです。「音がボヤけるようなことは一切しないでくれ!」と

F3エンジニアに頼みました。
特にドラム。
ドラムの音が全体を決めますからね。
ギターは自分が出している音をそのまま録ってもらえればいい音になることがわかっていたんで、ドラムにはこだわりました。
あれはピエール・ヴァン・ダー・リンデン(Focusのドラマー。現在も活躍中)のドラム・サウンドをかなり参考にしたんですよ。
レコーディングの期間中ズーッとあのアルバムを流していました。
M:私、去年ロンドンでピエール見ましたよ。
Y:HIGH VOLTAGEですね?
M:はい。
そう、マーブロにも何回も書いたとおり、今のCDの音ってドンシャリすぎるんですよ。
ナニを演っているのかさっぱり聞き取れないし、疲れちゃって長い時間聴いていられない。

E_2すぐ飽きちゃう。味が濃すぎるんです。コンビニのお弁当みたい。
そういう点で『Lotus and Visceral Songs』は違うな…って初めて聴いた時に思いましたよ。
結局、お母さんの味付けの方が美味しいし飽きないんです。
Y:でしょ~?
結局、エンジニアの方にものすごく試行錯誤してもらって、納得のいく素晴らしい音で仕上げてもらいました。
それがホントに嬉しかったし、とても良い経験をさせてもらったと思っています!(笑)
M:本当にCDの音質は業界をあげて考え直した方がいい。
切ったり貼ったりは全然構わないと思うけど、昔みたいに自然な音で吹き込むべきだと思う。
何しろ若い子にはレッド・ツェッペリンがスカスカに聴こえるらしい。
ジョン・ボーナムのドラミングがスカスカなんですって!
Y:MP3プレイヤー用の音質になっているんですね。
雑踏に負けないように鼓膜にくっついてすべての音が聴こえてくる。
「ああ、これ聴きたいな」と思って家でターンテーブルに乗せて聴くようなレコードの音では外では雑踏の音に消されて聴こえないんですよ。
 

マーシャルを弾くということ
Y:今の若い子はマMarshallを弾かせると、あんまり知らない子は雑誌の影響か何かわかりま せんが、コントロールをすべて5にするんですね。
ま、それでもいいけど、それじゃ面白くないやろ…自分の音を作ってみろって!言うようにしているん

L12です。
自宅はLEAD12(5005、12Wの小型コンボ)を使っているんです。
ベースは少々。トレブルも少し。ミドルはそこそこ。
こうすると鳴らし方がわかってくる。
M:今の若い子が好む音楽からすると、彼らから低音を奪うことはムズカシイでしょうね。

11_bY:ギタリストがギターを弾いているのを見た時に、マーシャルを弾いてきた人ってその弾き方でわかるんですよね。ピッキングとかね。
で、そういう人が出す音って大抵ボクの好きなタイプの音なんですね。
逆にMarshallに育てられた弾き方っていうものがあるんですね。ボクもそうだけど…。
ピッキングを見たら生音でもわかる。
現行品で全然構わない…1959に戻りたいなって思っているんです。アンプのよさを引き出す弾き方が果たして出来ているかどうか真剣に向き合いたいと考えているから…。

 

<あとがき>
見た目の通り落ち着いて思慮深く、ひとつひとつ言葉を選びながらお話しになる三宅さんの姿は先生、それも生活指導の先生のようでもあり、ひとつの道を極めんとする修行僧のようでもある。
もちろんその実体は己の真のスタイルや音楽を追及するアーティストだ。
それだけに三宅さんの発する言葉には計り知れない重みを感じた。

楽器に限らず最近市場に出回るあらゆる商品は「売上至上」を象徴しているかのような、お店で手をかけずにすぐに売れるものしか置かなくなってしまった。
商品のハードルが低くなってしまっているのだ。
コレは決して品質が良いとか悪いとかいうことではない。ギター・アンプでいえば初心者でもスイッチを入れればその場でいい音が出てしまうというシロモノ。
もちろん、ギター・アンプはいい音を出すことによって商品の価値が決まるワケだからそれらは商品としての使命を立派に果たしているのだが、本当にこれだけでいいのだろうか?
いい音が出ることによってそれ以上の音を求める必要がなくなってしまうだろうし、いい音を出すために悪戦苦闘をして弾き方の研究する機会もなくなってしまう。
マーシャルで言えば1959の例を出せばわかりやすいだろうか?
初めてギターを弾く人にとってよもや1959がユーザー・フレンドリーということはあり得ないだろう。
でも、我々がギター始めたころはコレが当たり前のギター・アンプだった。
もしロックが「ロック」という形と精神で将来も生き残ることができるとすれば、CDの音質も先祖返りを果たし、ギター・アンプも1959のようなノン・マスター・ボリュームの頑固なモデルに収斂していくような気がする。
そしてそういった傾向こそがシリアスなロックをよみがえらせるのではないか?とさえ思えるのである。
「1959にもどりたい」という三宅さんの言葉が実に印象的であった。

Mblogo 

<あとがき>の後で
2011年のインタビューは以上。
この時から9年の時が経った。
その間も三宅さんは自分の音楽を追求し続け、2014年にはStrane,Beautiful and Loudのセカンド・アルバム『Orchestral Supreme』を発表。OspMarshallはJVM210Hをメインに据え、相変わらずの美しい爆音を発散させ続けてくれている。

0r4a0427一方、インタビューの中で「1959が基本」とおっしゃっているように、最近では1959をお使いになってのステージも展開している。
この1959がいつ出番となるかは事前にチェックするより仕方がないが、ゼヒ、生のサウンドをご体験頂きたい。
特に「自分はロック・ギタリスト」だと勘違いしている若い世代のプレイヤーは必ず観に行くべし。
そして、デジタル・アンプが跋扈している昨今、「真空管のギター・アンプの音がどういう風にいいか」ということを言葉抜きに、ギターの音だけで実感させてくれるハズだ。
11_0r4a0566一方では「Marshall」と聞けば、新しいモデルのチェックにも余念がない。
最近ではSTUDIO VINTAGEでノックアウトさせて頂いた。
とにかくどんなに時代が変わっても「三宅庸介=シリアスなギター・サウンド=Marshall」という図式が変わることはないのだ。

0r4a0336 動く三宅庸介はコチラ⇒【公式YouTubeチャンネル】Yosuke Miyake Strange,Beautiful and Loud

三宅さんが愛用のLEAD12 5005を使って自宅でギターを弾いている様子などを見ることができる!

11_0r4a0058

200_2 
(一部敬称略 ※このインタビューは三宅さんご本人の監修の元、2011年10月の記事に大幅に加筆&訂正を加えたモノです)

2020年3月28日 (土)

【Marshall Blog Archive】三宅庸介インタビュー <前編>

 
「はじめに」の前に

以前に書いたことがあるかも知れないけど、ある本のインタビューで映画評論家の淀川長治さんがおっしゃっていたことを読んで少しばかりショックを受けたことがあった。
天文学的な数の映画を観て、評論し続けた淀川さんの偉業を褒めたえたインタビュアーのこう答えた。
「ハイ、私は確かにたくさんのたくさんの映画観ましたね。いい映画、感心しない映画ありました。
でもね、私エラクもなんともないの。
私ね、映画はたくさん観た観た観た…でも1本も映画を作っていないんですよ。
ということは、私が死んでも何も残らないんですよ。
映画観て、しゃべっただけだから。
コワいですね~」
だいたいこんな感じ。
謙遜なんかではなくて、私はこの言葉に淀川さんの後悔と、自分だけのモノを作り上げた人たちへの嫉妬と尊敬の念を感じ取った。
でもね、こんな本を読むと、そのバツグンな記憶力と今観て来て説明しているかのような語り口はひとつの立派なスタイルであり、頭がいくつもあるサメの映画を1本撮るよりよっぽどスゴイと思うけどね。
そうした作業を生涯にわたって何万本分かやったワケだから十分に尊敬に値する。

11_3es1そこへいくと、膨大な資金と時間を音楽やギターに投じたところで、たったひとつのオリジナル曲も作れなかった私…。
ヘタな写真を撮ってツマらん文章を書く、Marshall Blogが関の山だ。
それこそブログ屋との契約が切れればナニも残りゃしない。
レベルは極端にちがうにせよ、淀川さんの気持ちがよくわかるような気がするのだ。
私の立派なところは、「作る才能」がないのを自分で見て取って、ギタリストになる夢を早いウチにサッと捨て去ったところか。
ま、当時はそういう世の中だっただけなんだけどね。ロクに食えもしないのに30歳を過ぎてバンドなんかに夢中になっているなんてことは「普通の状態」とみなされなかった。
その代わりロック界はオリジナリティでしのぎを削り合う魅力的なバンドばかりで、コピーバンドはライブハウスに出してもらえないという音楽に厳しい時代だった。
 
とにかく、「何もないところから自分だけのナニかを作り出す」ということは本当に大変なことだと思う…「自分だけのスタイルを確立する」と言い換えてもいいだろう。
最近このことをすごく思うようになった。
そんな時に思い出す音楽のひとつが三宅庸介が取り組んでいることだ。
音楽に対してあまりにストイックなその姿勢は尊敬に値するどころか、「自分が好きなコトしかしない」ワガママの域に達していると言えなくもないような気もするが、芸術家はそれでよし。
それこそが「アーティスト」。「ミュージシャン」とは一線を画する存在なのだ。
そもそも人の言うことを聞いていたら「自分の世界」を作ることは到底できないからね。
そうして作り出されたオリジナルの創造物は作り手がこの世からいなくなっても生き永らえることができる。
コピーからは何も生まれないし、何も残らない。
 
で、他の調べごとをするために前のMarshall Blog(2008年4月~2011年12月)をチェックしていたら、三宅さんのインタビューが出て来てつい読み込んでしまった。
コレがすごくオモシロい。
インタビューは2011年のもの。
今となってはご覧になったことのない方も多いと思ったので、大幅に加筆訂正し、三宅さんのご協力のもと、秘蔵写真を交えて新しい読み物に作り替えてみた。
お楽しみ頂き、三宅さんの音楽をご存知ない方が興味を持ってくれれば幸いである。
次からのインタビューが当時の記事です。

Mblogo 

はじめに
Marshall Blogに多数回ご登場頂いている三宅庸介氏。
その独特のスタイルと魅力的なギター・サウンドで自己のユニット、Strange, Beautiful and Loudを率いて自らの音楽を奏でる姿は現在の音楽シーンでもズバ抜けて光り輝く存在であることは誰もが認めるところであろう。
今回は満を持して三宅庸介氏に『マーシャル・トーク』に登場して頂いた。
個人的な趣向もあって、インタビューの話題はMarshallの話よりも、三宅さんの音楽的な部分に触れることがつい多くなってしまった。
でも、いくら説明してもらっても、何を聞き出しても、あの三宅さんのギターのトーンを真似することは不可能であろうからこれでヨカッタと思っている。
また、ギターを弾いて、自分の音楽づくりに勤しんでいらっしゃる方々にとっては、かえって三宅さんの音楽的なバックグラウンドや音楽に対する姿勢を語って頂いた方が有効だとも思ったのだ。
稀代のスタイリストのトークを是非ご堪能あれ。

 
Marshallとの出会い

Marshall(以下「M」):Marshallを意識し出したのはいつ頃、どんな感じでした?
三宅(以下「Y」):記憶にあるのは、最初に買ったミュージックライフ誌にジェフ・ベックの

00a_2『There and Back』ツアーの来日公演のレポートが出ていたんです。
(ハンブル・パイの)マリオットから安い値段で買ったか、もらったかした54年か55年のストラトを弾 いていて、メンバーはサイモン・フィリップス、モ・フォスターとトニー・ハイマスでした。
その時の写真がすごくカッコよくて…昔ってよく透明の下敷きにアイドルの写真なんかを入れたりしましたでしょ?
M:ハイハイ。私の世代は天地真理ちゃんでした。私はそんなことは一切しませんでしたけど。
Y:ハハハ。ボクはそこにそのジェフ・ベックの写真を入れていたんです。
そのジェフの後ろに「Marshall」の文字が写っていたんだと思います。
ハッキリこの時に意識をし出した…というのではありませんが、そんなことでマーシャルというものを気にし出したんだと思います。
後はマイケル・シェンカーが好きだったし、リッチーですよね。

 
三宅庸介とマーク・ノップラー

M:では、好きなギタリストというと…。
Y:最初はマーク・ノップラー。
M:エエッ?!

00b_2Y:ホントです…というのはラジオでよくかかっていたんですね。「サルタン」とか。
リアルタイムに聴いたのは3枚目の『Making Movies』ですね。
それとポリスなんかが好きでズ~っと聴いていました。
M:あのファースト・アルバムがでたのは私の世代ですね。
私もアルバムは買いましたが、あのヤル気のなさそうな歌が苦手ですぐに手放しちゃいました。
しかし、三宅さんがノップラーなんてメチャクチャ意外です…ナンプラーならわかるんですけど。
Y:そんな!
でも、ギターとして最初に意識して聴いていたのはダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーなんです。
M:ギターが好きで?それとも曲?
Y:曲も好きだったし、ギターのトーンが好きでしたね。
M:でも私みたいに歌は受け付けなかったんじゃないんですか?
Y:イヤイヤ、歌も好きでしたよ。
ポリスも好きで、一番最初に観に行ったコンサートがポリスでしたから…。81年ぐらいかな?
ボクは最初ベーシストになりたかったんですよ。
M:スティングにあこがれて?
Y:そう。いまだに一番のアイドルはスティングなんです。
M:音楽家としてでしょ?
Y:そうです。存在とか…。
例えば自分でアルバムを作る時にスティングを連れてくるのは到底無理なので、反対に彼のアルバムでちょっとでもギターが弾けたらいいナァと思いますね。
M:んん~、ポリスか…。やっぱり私とは世代が少し違いますよね。私なんかはポリスより先に「頭脳警察」でしたから。

ブリティッシュ・ロック
Y:ボクはアメリカ系の音が全然ダメで、その後も聴いたものといえばシン・リジーであったりジューダス・プリーストであったり…ブリティッシュ・ハードばっかりでした。

00d_2ヴァン・ヘイレンすらピンと来なかった。
M:私はヴァン・ヘイレンが出てきた時のことをよく覚えていて、初来日公演も行きました。
あの頃ってツェッペリンも、パープルも、ピンク・フロイドも、もう活動していなくて、ブリティッシュ・ライオンズとかストラップスとかエアロスミスの弟分のスターズとかイギリスのミスター・ビッグとか(実は大好き)…ハードロック系のバンドといえば、せいぜいそんなのしかいなかった。
その時代に出て来たギター・ヒーローもいなかった。
そこへあんなに弾ける人が出てきちゃったからギター・キッズたちの間では上へ下への大騒ぎだったんです。
「あの右手でやるヤツ」なんて言ってね。
「ライトハンド」だとか「タッピング」なんて言葉はなかった。
Y:なるほど。
やっぱりマーシャルはそういう「ギター・ヒーローが使っている」という視覚的なインパクトが強かったんです。
Nhp_2それと、UFOの『No Heavy Petting』サウンドにかなり印象深いモノがありましたね。
やっぱりマイケル・シェンカー好きでしたから。
M:簡単に『Force It』とおっしゃらないところがいい!
私も『No Heavy Petting』が好きだった。
Y:やっぱり?
M:またジャケットがヨカッタ!この頃のヒプノシスのセンスって最高ですよね。
Y:同感です!

ストラトキャスター
M:ところで三宅さんは担当楽器のところにいつも「ストラトキャスター」と記されていますよね。

00eいわば職業がストラト…。
役所の書類の職業欄にもそうお書きだとか…そんなことはないか。 
ストラトキャスターと言えば、シェンカーは違うにしても、それはやっぱりジェフ・ベックとかマーク・ノップラーとかの影響が強いんですかね?それともジミヘン?
Y:ストラトは…(間)…ストラトは…ウリかナァ。
M:なるほど!
Y:マイケル・シェンカーのUFOとか、シン・リジーとか、ブリティッシュ・ハードロック…もっと広く言えばブリティッシュ・ロックにハマって、プログレッシブ・ロックに傾いたり…でも「ギター」中心の音楽ということになると、その頃からズーっとウルリッヒ・ロートですよね。
M:ウリがその時代の日本人ギタリストに与えた影響には計り知れないものがありますね。
令文さん、中間さん、ノンちゃん(島紀史)、ルークさん、Syuちゃん…みんなウリが大好き。
Y:『Tokyo Tapes』はレコードもCDも何回買ったかわからないし、ジャケットも部屋に飾っていました。

Ttそれも複数枚買って表と見開きの内側の両方を飾ったりしていました。それぐらい好きでした。
M:そんなに!
三宅さんにもそんな時代があったのか…。
私もずいぶん聴きました。「All Night Long」が載っているバンド・スコアも買った。
でも、このコンサートは行かなかった。2回目の来日公演は言ったんですけど。
私のロック人生で最も大きな後悔のひとつです。
 

大谷令文
Y:ストラトっていうと、高校2年ぐらい、そこそこギターが弾けるようになった時に見たんですよ…令文さんを京都で。
それより以前に先輩が録音してきたテープなんかで聴いてはいたんです。
「これは外国人だ」って思いましたね。
こんなギターを弾く人がいることに驚きました。
「こりゃ観に行かないといけない!」って京都の磔磔に行ったんです。
最前列でね…もう令文さんの足が目の前にある。
当然真ん前はMarshallですよ。もうギターの音しか聴こえない!
それもボクが聴いてきた大好きなブリティッシュ・ロックのすごいギタリスト達が出している音と同じだったんです。
令文さんが23~24歳の頃なのかな?
日本人でコレをやる人がいるんだったら、自分も本気でやってみようかな?って思いました。
それぐらい令文さんにはインパクトを受けましたね。
ホント、あの時の令文さんを見ていなかったらギタリストにはならなかったかも知れない。
M:へェ~。マリノの頃?
Y:マリノのデビューの直前ですかね。
 
<庸介写真館1>
憧れの令文さんとの共演。1988年の大阪バーボンハウス。
ギタリストを集めたイベントでこの時のベースは現Kruberablinka鎌田さん、ドラムスは板倉淳さん。
三宅さんのリクエストで「Raven Eyes」をご一緒して頂いた
写真の右端に3段積んであるMarshallの真ん中のステッカーが貼ってあるのが三宅さんの1973年製のハンドワイアード仕様の1959(後出)。

3_tr_raven_880331
  
ギターを始める
M:ところでギターを始めたのは?
Y:14~15歳ぐらいかな?
でもあんまり弾いていなかったんです。
本当にあの1983年11月13日の令文さんのライブがなかったらこうはならなかった。

00c_2M:では、はじめてのアンプといえば?
Y:最初にギターを買った時に小さな30Wぐらいの国産のコンボもいっしょに買って改造とかしたんですよ。
M:本当にお好きなんですねェ!
Y:ええ。
父がそういう関係だったもので電気に強かったんです。
で、最初にギターとイタリア製のJenのワウワウ・ペダルとその小さいアンプを買ったんです。
歪みペダルを使わないであの憧れの音を出そうとしていました。
M:ギターをはじめた頃って「あの音を出そう」なんて思ったりしませんよ!
「音」に対する意識なんか普通ありませんよ。
Y:ボクの場合はそうでしたね。
M:サスガだナァ。

 
はじめてのMarshall

M:で、はじめてのMarshallはいつ頃どうやって、何を入手しましたか?
Y:19歳の時にバンドもやってなかったので、このままじゃいけないと思い「Marshallを買おう」と決心したんです。
Marshallを買えばバンドをやれると思ったんです。
とりあえずMarshallを持たないことには大人になれないな…みたいな。
で、オールドのMarshallが欲しくて、色々調べたら大阪にそういうお店があったんですよ。
で、行ってみたら5台くらいオールドのMarshallがありました。
その時の店員さんが住友(俊洋)くんだったんです。
M:エエ~ッ!あの住友さん?
Y:はい。バイトでね。
彼も「ティンカーベル」っていうバンドをやっていて、そこそこ有名でしたからね。
後で調べてみたら令文さんをはじめ大阪のスゴ腕ギタリストはみんなそこへ行っていたようです。
で、住友くんに色々訊いたりして、その中で一番気に入ったのが1973年製の1959だったんです。
今にして思うとまだハンドワイアードでね。
M:1974年ぐらいまではまだハンドワイアードがありましたからね。
 
<庸介写真館2>
1987年、京都スポーツ・バレーのTerra Rosa。
写真の左下に見えるのがインタビューで触れている1973年製の1959。
三宅さんはこの時初めて京都北白川の「天下一品」の本店のラーメンを召し上がったそうだ。
私は東京人なので、醤油あっさりが一番好きなのだが、この本店の味は何でも他の店とはゼンゼン違うと聞く。格段にウマい…というのだ。
そうなると一度試してみたくなるというモノだ。
もうひとつはギネス。スタウトのギネスね。
あれをダブリンの本拠地で飲むともうウマすぎちゃって、二度と他のギネスは飲めなくなるとか…コレ、実際に飲んだ人が全員言うのよ。
試してみたい。

01_1959_tr_1 
同じく1987年10月のTerra Rosa。

奈良芸術大学の学園祭より。
そういえば「学際」という言葉をトンと聞かなくなったな。そういうのまだやってるのかな?
Terra Rosaの他に中間英明さんのHurry ScuaryとWolfというバンドが出演したそうだ。
この時はちょうど『Endless Basis』のレコーディング中で、リズム録りを終えてから機材をこのステージに持ち込んで演奏し、終了後またスタジオに帰って機材をセットしたそうだ。
そして、その翌日からギター録りに入った。

02_2向かって右側が三宅さんの73年製1959と1960A。
写真ではわかりにくいが、1959の上、右端にチョビっとだけ見えているグレイの箱が乗っているが、コレはスライ・ダック。
この頃は会場の様子に合わせてMarshallに送る電圧を調整していた。
良い子の皆さんはこんなことしないでくださいね。
そして、三宅さんの背後の1960は中間さんの機材だそうだ。

Nara

Terra RosaとMarshall
Y:ハイ。
それをスタックで買ったワケです。
でも持って帰れないので、お金だけ払って少しの間取り置きしてもらうように頼んだのです。
で、家に帰ったら電話がかかってきたんです。
Terra Rosaのキーボーズがさっきの先輩の紹介で電話をかけてきてくれたんです。
「ギタリストを探しているのでオーディションを受けないか?」って。
M:ちょうどMarshallを買った日に電話がかかってきたんですか?!
Y:そうです。スゴイと思いませんか?
M:メッチャすごいですよ!Marshallはお守り?
Y:ね!それで早速Marshallの話をして、さっきの楽器屋さんで待ち合わせして、買ったスタックを車に積んで、オーディション会場に持っていってもらったんです。
だから、オーディションの時にはじめてその買ったMarshallを本格的に弾いたというワケです。
M:へェ~。
Y:それでそのままバンドに入れてもらったので、結局そのMarshallは家に持って帰らなかったんですね。
M:ハハハ!スゴイ話しですね~。
Y:Marshallを取り入れた日にたちまちバンドに入ることができたワケです。
しかもよく観に行っていた好きなバンドです。
だから本当にMarshallが守り神というかラッキー・アイテムというか…Marshallが人まで連れて来てくれた…そういう感じなんです。
 
<庸介写真館3>
1988年、大阪バーボンハウスにて。
もちろん1959。
三宅さんは1959をクランチでセットしておいて、Tube Screamerを歪ませるスタイルだった。
JVMをお使いの今でも同じ。

04_1959_tr_3_880124 コレは時が経ってどんなにモデルが変わろうとも「Marshall」のサウンドがブレていないことのひとつ証ではなかろうか?

06_tr3 動く三宅庸介はコチラ⇒【公式YouTubeチャンネル】Yosuke Miyake Strange,Beautiful and Loud

三宅さんが愛用のLEAD12 5005を使って自宅でギターを弾いている様子などを見ることができる!

05_tr_3_88_01_24 そのTerra Rosa…昨年11月に12枚組のボックスセットをリリース。12terrabox5月~6月に『The Endless Basis Tour 2020』と銘打ったツアーも予定されている。
観たい!
私は三宅さんのTerra Rosaを見たことがないのだ。
観せて~!

Trt <後編>につづく
 

200_2 
(一部敬称略 ※このインタビューは三宅さんご本人の監修の元、2011年10月の記事に大幅に加筆&訂正を加えたモノです)

2018年4月 5日 (木)

事務員G Birthday Live 2018 ~ じむいんさん、いろいろと大変ねぇ~

  
今の若い人は「驚き、桃の木、山椒の木」なんてこと言わないでしょ?
一応、説明しておくと、私のようなジーさんはビックリした時に「ええ~?それは驚き、桃の木、山椒の木だね~」なんて表現を使う。
イヤ、最近はトンと口にしなくなったか…。
こうして「踏韻(とういん)」することを別の言葉では「地口(ぢぐち)」という。
実はこの「驚き、桃の木、山椒の木」には、まだ「き」で韻を踏んだ続きがあって、「ブリキに、狸に、蓄音機」…というそうだ。
「蓄音機」を「洗濯機」と置き換えることもあるところから察するに、そう表現でないことがわかる。
調べてみると、案の定コレは『男はつらいよ』で広まったセリフらしい。
寅さんが的屋(てきや)仕事をする時に、こうした「地口」をふんだんに盛り込んだ口上を披露するでしょ?
ああして、見事な語り口でお客さんを惹きつけてモノを売る商法を「啖呵売(たんかばい)」という。啖呵売には地口が欠かせないんだね。
ついでに書くと、「子供のミルク代がないんです…買ってください」と泣き落としでモノ売りつけるのは文字通り「泣き売」と呼ばれる。
さて、もちろん英語でも踏韻は古くから盛んで、詩や歌詞にこの手法を取り入れることを「rhyming(ライミング)」といって、作者の知性や力量を表すバロメーターにもなっていた。
そして、この「地口」も日本語の大きな魅力のひとつだと思う。
ナンで、こんな話になった?
あ、それは私があることでビックリ仰天したからだった。
  
先日、Marshallのドラム・ブランド、NATALを使ってくれているドラマー、伊藤ショボン太一から連絡があって、あるライブへのお誘いを頂戴した。
ところが、会場の名前を尋ねるとまったく聞いたことがない。
ウェブサイトに載っている地図で場所を確認してみると、どうも以前よくお邪魔していた建物に近いようだ。
しかし、私が知っている限り、その建物や周辺にはコンサートを開くためのホールやライブハウスのような施設あったようには記憶していない。
「その場所」とは港区は白金のDHCの本社ビルの交差点を入ったところ。
ちなみに、化粧品なんかでその名を知られる「DHC」って何の略か知ってる?
「Daigaku Honyaku Center」…つまり「大学翻訳センター」!
「NHK」みたいに、ナント日本語だったんですね~。
コレを知った時も結構「驚き、桃の木、山椒の木」だったな。

10で、携帯に表示された地図に導かれてやってきたのがココ。
エ~~~、ココなの~?
やはり、私が10年ぐらい前にしょっちゅう来ていた建物だった!
でも、おかしいな…ココにはそんなホールなんてものは断じてない!
20「SELENE b2」…間違いなくココだわ。
ココは以前「三田スタジオ」といって、録音や映像関連の作業を行う施設だったの。
一体、何回ココへ来たかな?…輸入の楽器教則ビデオに日本語の字幕を入れる仕事をココでしてたんですよ!
それが、コンサート・ホールになっちゃって…コレが正真正銘の「驚き、桃の木、山椒の木」だったのです。
コレが書きたくて寅さんまで引っ張り出した!

30さて、いきなり4年前の3月に時間を戻す。
場所は横須賀芸術劇場。
「虹色オーケストラ」の『少年と魔法のロボット』という大コンサートがあり、その時に初めて本日のレポートの主役である事務員Gにお目にかかった。(実際にはその前のリハーサルの時)
私はその時まで「ニコニコ動画」の音楽の活動なるモノを全く知りませんでしてね。
何しろこっちは1970年代のロックで青春を過ごした文字通りの「ジーさん」だから…。
そういう世界があるということを初めて知って、結構「驚き、桃の木、山椒の木」だった。

50この時もショボンちゃんからのお誘いだった。
下はその時のショボンちゃん。2014年型。60その後、2016年の3月にはMarshallのコンサート、Marshall GALAにNeo-Zonkというプログレッシブ・ロック・トリオでご出演頂いた。

380ハイ、ココからが本題。
今日ココで開催されるのは『BirthdayLive 2018~じむいんさん、いろいろと大変ねぇ~』と題したピアニスト事務員Gさんのお誕生日コンサ―ト。
『ジブリな昼』と『ジャズな夜』の昼夜2回の公演が開催された。
ジャズ・マニアの私のこと、本当は夜の公演が観たかったんだけどスケジュールが合わず、昼の「地口」じゃない、「ジブリ」の方にお邪魔してきた。

40定刻通りに客電が落ち、ファンキーなサウンドに乗ってステージに現れた事務員Gさん。
オープニングは「Dirty Work」って…アレじゃん!

70まずはブルゾン式に上演中の注意事項をアナウンスして笑いを取る。
「始まりました!今日はマジメじゃないです。生放送のノリです。いっぱい楽しんでください」
とご挨拶。

80vさて、Gさんをサポートするバンドのメンバーは:
ギターは[TEST]。

100v[TEST]さんはMarshall派だ。
今日はJCM2000 DSL100と1960Aのハーフスタックを使用。
他にもビンテージ・モデルの1987Xもレコーディングなどでご愛用頂いている。

110vコレは「虹色オーケストラ」の時の[TEST]さん。
Marshallを愛するギタリストと再会できてうれしいわん!

120vベースは二村学。
曲によってアップライト・ベースを使い分けた。

130vサキソフォン各種は丹澤誠二。
ソプラノ、アルト、テナーを持ち替えて大活躍。

140vそして、我らが伊藤ショボン太一。

150vコレが2018年型。
メッチャ細くなった。

160ショボンちゃんはNATAL。

170コレはウォルナットのキット。
「ウォルナット」とはクルミの木ね。
まだ日本に1台しか入って来ていない。

180スネア・ドラムもNATALのウォルナット。
ショボンちゃんはNATALのバーチのキットを所有していて、仕事によって使い分けている。

190叩き手が良いせいも大きいんだけど、まぁ~、素晴らしいサウンドよ。
自分で言うのもナンだけど、言わなきゃ気が済まない…マジでいい音です。

200おなじみ、星野源の「恋」。

1_img_0064 「生放送でいつもやってるネタです。星野源とマツコ・デラックスの『オールナイトニッポン』!」
曲はハーブ・アルバート&ザ・ティファナ・ブラスの「Bittersweet Samba」…と言ってもほとんどの人がわからないでしょう。
でも、聞けば誰もが知っている…そう、「オールナイトニッポン」のテーマ曲ね。
Gさん、星野源どころかマツコ・デラックスのモノマネまでやっちゃう!
しかし、「オールナイトニッポン」なんて懐かしいな。
土曜日だったかな?…中学生の頃、笑福亭鶴光なんかはずいぶんと学校で話題になってた。
私は宵っ張りではないので、生で聞いたことはほとんどなかったけど、大学の頃、水曜日のタモリと木曜日のビートたけしは録音して翌日夢中になって聞いていた時期があった。
たけしがまだ若くて全盛の頃でね…確かに面白かった。

210「『ジブリな昼』なのにジブリの曲をまだひとつも演っていません。
今日は誕生日なんですが、遊べるようなライブにしようと思ってやってみました。今演ったのはいわゆる前説です」とアタマの3曲に解説を加え、その後のトークでは「楽器別疲れる身体のパーツ」で盛り上がった。
ミュージシャンって案外「腰」なんだよね。
重いギターを提げて何時間も突っ立っているのも大変だけど、イスに座って不安定な姿勢でドラムスを叩き続けるのも腰にいいワケがない。
それと、サックスは絶対に「首」。
重いサキソフォンをあんな細いストラップ1本で首からブラ提げてるんだもん。首が悲鳴を上げるにキマってる。
私は大学の時にジャズのビッグ・バンドに入っていたんだけど、もうバリトン・サックスのヤツなんか気の毒だったもんね。
ピッコロと比べてごらんよ。
  
そして、いよいよココでジブる。
曲は『魔女の宅急便』から「海の見える街」。
90ガラリと雰囲気が変わってGさんのピアノ独奏コーナー。
まずは『もののけ姫』から「アシタカとサン」。

220続いて『千と千尋の神隠し』より「ふたたび」。
私が子供の頃は、言うことを聞かずに遅くまで外で遊んでいると「神隠しに遭う」とお母さんに脅かされたものだった。
「かみかくし」っていう言葉の音が子供ながらにスゴク恐かったのを覚えている。
280『紅の豚』の「il porco rosso」とつなげた。
どの曲もGさんの歌うような、そして聴く者にやさしく語り掛けるような、感情がタップリと込められた演奏で曲を知らない私でも初めて耳にする「器楽曲」として十分に楽しむことができた。
320続けてバンドが加わって「風の通り道」…『トトロ』だよね。
コレは知ってる。
撒いた種が夜中に芽を出して、木になって、さつきちゃんとメイちゃんがトトロたちと至福の時を過ごすシーン。
『トトロ』だけはよく知ってるんだ。
ナゼかと言うと、ウチの下の子が小さい時に熱を出すと、毎回必ず『となりのトトロ』を見ていたから。
私にとって最も印象に残っているシーンは、行方不明になったメイちゃんを捜索している時にサンダルが見つかって、近所のバアさんがさつきちゃんにそのサンダルを見せると、彼女が「ちがう、メイんじゃない!」とキッパリ言うところ。
実にカッコいい。
そして、バアさんが安心しきって、力が抜けて「よがっだ~」って言うところね。
今頃さつきちゃんは絶対にいいお母さんになっていることだろう。
  
ところでこの曲、メッチャいい曲だよね。
映画では画面と音楽がチョット対位法的に組み合わされていて、うれしくもあり、悲しくもあり、懐かしくもあり…音楽が画面を一層引き立てた名シーンだと思う。
この後、もう1曲『トトロ』から「ねこバス」を演奏した。

240続くトークではジブリの作品に出て来る食べ物の話題となった。
ジブリ美術館でそういう特別展展示を開催していたとか。
Gさんがバンドの各メンバーにジブリの作品で印象に残った食べ物を尋ねたんだけど、スミマセン、私ゼンゼンわかりませんでした。
ナンでかって?
ジブリの作品で観たことがあるのは『トトロ』だけなのよ!スミマセン!
  
2年ほど前にMarshallの社長ご夫妻の結婚10周年記念パーティにお呼ばれされて家内とイギリスに行って来たの。
社長のお姉さんはスウェーデンに嫁いでいて、その関係でストックホルムから何人か親戚がお越しになっていた。
その中に若いお嬢ちゃんがいて満を持して我々に話かけて来た。
我々が日本から来ていることを知って、どうしても話がしたかったというのだ。
何の話かと思ったら、ジブリ。
彼女はジブリの大ファンで、本場からやって来た私も当然ジブリ作品を観ていると思い込んでいたんだね。
「トト~ロ」とか「ナウシ~カ」とか作品の名前を片っ端から挙げての一生懸命説明してくれるんだけど。私はこんな調子でしょ?ホンモノの「ジーさん」だから世代が完全に違うワケ。
ゼンゼン話し相手になってあげられなくて大変申し訳ないことをしたと同時に、スカンジナビア半島までその名を轟かせているジブリってスゲエな~って思ったよ。

230『トトロ』の中でさつきちゃんたちが湧き水で冷やしたキュウリやトマトにカジりつくシーンが実に美味しそうだった…という話題から期せずしてショボンちゃんの秋田の実家の話に…。
農家なのだそうだ。
「キュウリはうまぐね」と完璧な秋田弁を披露してくれたショボンちゃん。
でも、『トトロ』のあの場面は確かに魅力的だったよね。
実は私も経験したことがあったのです。
以前に勤めていた会社で、長野に転勤して間もない時。
東京生まれ東京育ちの私は、トウモロコシがどういう風に成っているのかも長野に行くまで知らなかった。
だって見たことがないんだもん。
先っチョに生えてる穂がトウモロコシの実になるのかと思っていて、まさかアレが根元に生えるとは想像だにしなかった。
その長野の黒姫で、道端で売っていた、まさに冷たい湧き水で冷やしたトマトを頂いた。
またまた「驚き、桃の木、山椒の木」…野菜が好きな方ではない私も、あの果物のように甘く、みずみずしいおいしさに大感動した。
ま、ショボンちゃんの言うようにキュウリではチョット…かな?
それと、「日本で一番甘い」と言われる黒姫のトウモロコシのおいしさは格別だった。
ハイ…「だからナンだ?」という話しでした。

2_img_0098 「ものまねコーナー」もあるよ。
お客さんからリクエストを募ると、山崎まさよし、福山雅治、桑田佳祐の3人の名前が挙がった。
すると、即座に「針すなお」張りの3人の似顔絵が後方のスクリーンに映し出される。
スゴイ!すぐに似顔絵が出て来た!(ナンチャッテ!)
イヤ、スゴイと言ったのは似顔絵のこと。
コレらの似顔絵もGさんの作品なんですってね~。
なんて器用な人なんだろう。

310そしてまたジブリにもどって『千と千尋の神隠し』から「あの夏へ」。

290次の曲でGさんはアコーディオンを取り上げた。
曲はアコーディオン奏者、桑山哲也の「哀愁のミュゼット」。

335いいね、こういう音楽は。
こうしたい~か~に~もヨーロッパ調のアコーディオンを使用した音楽を「ミュゼット」という。
こうした音楽に使用するアコーディオンはホンの少し調律を狂わせておいてやる。するとビブラート効果が出て何とも言えない哀愁含みの音色になる。
この調律法を「ミュゼット・チューニング」という。

340ミュゼットなんかを聴いてしまうと、アコーディオンってのはモロにフランスの楽器のように思えちゃうけど、この楽器が盛んなのはフランスだけではない。
イタリアなんかも盛んだけど、「驚き、桃の木、山椒の木」だったのはドイツよ。
ドイツにはHOHNERというアコーディオンのブランドがあって、日本ではハーモニカの名門ブランドとしても名前が通ってるのね。
で、たまたまドイツのMarshallのディストリビューターはHOHNERを取り扱っていてこの辺りの話になった。
彼が言うにはアコーディオンというのはドイツの国民楽器で、何かというとすぐにアコーディオンに合わせてみんなで歌う習慣があるのだそうだ。
こっちは「HOHNER」といえば即座にハーモニカを思い浮かべるけど、トンデモナイ!その売り上げの違いたるやケタ違いにアコーディオンの方が多いらしい。
「バンド・ネオン」なんて似ているヤツもあるけど、極端にムズカシイ楽器だからね~。
もちろんGさんは完璧に「ミュゼ」っていらっしゃいました。

330ショウも終盤。
『天空の城ラピュタ』から「シャルル」。
350そして、恒例となっているというボカロ曲、「Summer Rain」で本編の幕を降ろした。
どの曲もナチュラルな演奏で聴きどころが満載だった!

410アンコールを待つ時間がモッタイナイ…ということで本編を終了してピアノに戻ったGさん。
前半にバンドで演奏した「海の見える街」をピアノ・ソロで…。

420さらに『ハウルの動く城』から「人生のメリーゴーランド」。
Gさんの万感を込めた感動的な演奏!

430本当は今日のプログラムはココまでだったのだが大サービス!
バンド・メンバーをステージに呼び戻してもう1曲演奏した。
曲は『もののけ姫』から「アシタカせっ記」
400「これでもか!」とお客さんを喜ばせるためにキチっと作り込まれたこういうショウはいいもんだよね。
Gさんの美しいピアノをバックアップする4人の演奏の密度の濃さが素晴らしい!
「ジャズな夜」の方も観たかった!

250

360

380

390すべての曲を演奏し終わった後。こんな企画が発表された。
Gさん、麻婆豆腐がお好きなんですか?

440しかし、いいね…ショボンちゃんのドラムは。
何でも完璧に叩いて見せてくれるけど、私なんかには特に4ビートに魅力を感じるね。
もうシンバル・レガートだけでギンギンにスイングしちゃう。
なかなかこういう風には叩けませんよ…特に若いドラマーさんは。

450そんなショボンちゃんが「ヒロコマンBIG BAND」というオーケストラでジャズを演るっていうんだからコレは見逃せませんよ。
しかも、ドラムスはNATAL。

460メンバーを見ると、トランペットに「佐久間勲」の名前が!
一緒に演った時期はないんだけど、学校の後輩なのです。
4月16日、場所は高円寺のHIGH。
楽しみだ~。
ちなみにウチのこの日の夕食は「太陽」の煮干しラーメンか「天助」の天ぷら定食になる予定です。

470このチーム、まだまだ面白いことがありそうだ!

480事務員Gの詳しい情報はコチラ⇒事務員G Official Web Site

490 

200_2  
(一部敬称略 2018年3月31日 三田SELENE b2にて撮影)

2017年6月30日 (金)

【シゲさんといっしょ】 Marshallの爆音でガラスを割ることができるかな?

 

「罰だ…罰が当たったんだ…」
  
『赤ひげ』って観たことある?
黒澤明が山本周五郎の原作を映画化。
映画を観た周五郎が「ナンダよ、オレの原作よりおもしろいじゃないか…」と唸ってしまったという。
話の中に桑野みゆき扮する薄幸の若い女性「おなか」が、山崎努が演じるまじめでやさしい車大工の「佐八」に見初められ、幸せに暮らすというシーンがある。
私は、おなかが佐八に傘を貸して二人が出会う雪のシーンが大スキでしてね。
黒澤映画にはやたらと雨は降るが、雪は珍しい。モノクロ・フィルムながら私にはこのシーンがナゼかカラー・フィルムより色鮮やかに美しく映るのだ。
さて、その若い二人の幸せも突如として起こる大地震によって崩壊してしまう。
おなかは、「罰だ…罰が当たったんだ…。私が幸せになったがために地震が起きてしまったんだ。私は幸せになってはいけないんだ…」と佐八に出会ったことを後悔し、忽然と姿を消してしまう。
ま、台詞は正確ではないけれど、おとといの朝の私の心境はコレに近いモノがあったな。
イヤ、私はやさしい家族とステキな友達に囲まれて十分にシアワセでして…私が言っているのは「罰」の部分ね。

Ah2 ここのところあまりにも忙しくて、Marshall Blogの記事を書く時間が十分に取れなかった。
「オセオセ」ってヤツ。
それでも何とか休まず更新を続けようと、火曜日も夜中までかかって資料を集め、おとといの朝も5時に起きてコツコツと文章を書き始めた。
記事は『Marshall Blog Archive』の一編。要するに今日の記事。元となるのは7年も前に書いた記事なので、飛び切りヒドい内容だ。
それを一から構成し直して、すべての文章を書き直したのだ。
そしたら、アータ、コレがまた実にうまくできちゃったんよ!
「こりゃいいぞ!」とひとり悦に浸りながら公開しようとしたら、どうもコンピュータの画面のようすがおかしい。
「マズイ!」と思った瞬間、苦心して書いた名文が瞬時にして消え去ってしまった!
このブログ屋のソフト、時々こうなるんよ。
「バックアップしておかなかったアンタが悪い!」というそしりは免れないんだけど、ココのところすごく順調に動いていたので、つい作業途中の保存を怠ってしまったんだね。
「うまく書けた!」と思っていただけにショックがあまりにも大きかったし、盛大にハラが立った。
前回、同様のことが起こった時は辛抱たまらずマウスを床にたたきつけて粉々にしてやった。
今度もそれやっちゃうとまたマウスを買ってこなければならないので、思いとどまってグッと我慢。
ガマン、ガマン、ガマン、ガマン…。
ところが、どうしても堪えきれず机を両手で思い切り叩いてやった。
バ~ン!
「グワァァァァァァァァァァ~!」…しまった!右ヒジが重度の腱鞘炎だったことを忘れていた!
ただでさえ痛くてヒーヒー言っているのに、その机を叩いたすべての衝撃が患部に集中したのだ。
信じられないほどの激痛!
その後47分ぐらい右手全体が痺れてたわ。
そこで冒頭の『赤ひげ』のシーンに戻る。
「罰だ…罰が当たったんだ…月曜日の記事であんなイタズラを二度もするからTORNADO-GRENADEとFury of Fearと…何よりも読者のみなさんの罰が当たったんだ…」
    
もうそれからしばらくはヤル気が全く起こらず。
も~、ヤダ。
ゼッタイヤダ!
ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!
だってどんなに頑張って書いたところで元のよりいいのができるワケないもん。ヒジも痛いし~。
…ということで昨日、一昨日と更新を休ませて頂いた。
今はもう気が収まった。
まぁね、結局失ったデータってナンダカンダ言って大したことないんだよね、私の場合。
新しく書いた方が案外いいのができたりするもんよ。
コレが更新お休みの理由のほぼ半分。
残りの理由は単に時間がなかったのです。
も~ここのところ予定がパンパンで、想定外の仕事が発生してしまうと対応しきれないのだ。
え、「自業自得」だろって?まったくおっしゃる通り!
…ってんで、お休みを頂いて何とか書き直し&作り直しの時間を捻出したというワケ。
オッと!ココで一回保存、保存…っと。
話は戻るけど、『赤ひげ』についてはまた別の機会に触れたいと思っている。
それはウチの父が2年前にこの世を去る時、まさに『赤ひげ』のワンシーンを見たからで、黒澤明のリアリズムに仰天したのだ。
  
今日のアーカイヴ記事の初出は2010年6月4日のこと。
だからちょうど7年前だね。
恐らく古くからMarshall Blogをご覧頂いている方の記憶に残っている記事だと思う。
当時それほど反響が大きかったネタだ。
新しいMarshall Blogの読者も増えたので再掲することにした。
で、今回この元ネタを探すために昔の記事を見ていて気が付いたのだが、初代Marshall Blogは2008年の4月21日にスタートして、2011年末に終了。
途中私がMarshallから離れている間に約10ヶ月の空白期間があって、2012年の10月に復活して現在に至っている。
だから来年の4月で10周年を迎えるんよ。
ホントに10年なんてアッという間だね。
で、当該の昔の記事を読んでみる。
既に上に書いたが、文章がヘタで赤面しちゃったよ!
そもそも「ですます」調なんだもん。
こんなんで皆さんよく読んでくれたナァ。ホントに皆さんのあたたかい心に感謝しますわ。
  
さて、本題。
以前、私がMarshallのディストリビューターに勤めていた時の話。
ある時、机の上の電話が鳴った。
受話器を取ると、電話の主は初めて耳にする声で「テレビ番組の制作会社のモノ」と名乗った。
要件を聞くと、「スミマセ~ン!ギターの爆音でガラスを割ろうとしてるんスけど、どうスかね~?できますかね~!」というどちらかというと軽いノリ。
ナニ~?「ガラスを割ることができますか?」だと~?
オイオイ、こっちを誰だと思ってるんだ?Marshallさんだぞ!…と、今なら切り返すところだが、まずはMarshallに相談してきたところに感心。
何しろロンドンの二代目Marqueeが入っていたビルは、長年の爆音で建物自体が数ミリズレたというではないか。
その原因は間違いなくMarshallですよ。
爆音でガラスを割ることぐらい屁でもあるまい。
しかも実験でうまくガラスが割れれば「全国ネットのテレビ番組になる」というのだから張り切らざるを得ない。
この話を聞いた時、咄嗟に頭に浮かんだのは映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のオープニング・タイトル・シークエンス。
巨大なスピーカーが据え付けられたアンプにギターをつないで、OVERDRIVEをフルテンにセットし、先端が金属コーティングされたディア・ドロップ型のピックで弦をハジくと、スピーカーから発された爆音でマーティ・マクフライがスッ飛んでしまう…というヤツ。
まさにアレよ。
あのギター・アンプ「GA-5T」って型番なんだよね。
「GA」は「Guitar Amp」の頭文字なんだろうけど、「5T」って何だろうな?あの映画のことだから何か意味が込められているに違いない。
で、とにかく、アレを再現すればいいんでしょ?ってなもんで二つ返事で引き受けた。
となると、生来の悪乗り癖が出て、「もし実験がうまく行ったら本番の収録にはジミヘンのソックリさんにギターを弾いてもらってガラスを割りましょうよ!」なんて気の早いアイデアまで出してやった。
もちろん中野のシゲさんのことだ。
    
実はそれよりかなり前に、オペラ歌手が手にしたブランデーグラスを声で割るシーンをテレビで見たことがあった。
その番組の解説によると、グラスに加える衝撃は音量よりも音の周波数の方が大事であるということだった。
つまり、もっともガラスを振動させる音域の周波数帯がわかれば、音に変わりのあるでなし、ギターの音でもガラスを割ることができるだろうと素人ながらに思ったのだ。
しかも、こちとらMarshallよ。
音量に何の不足や不満があろうか!
  
…ということで、次はMarshall選び。
どのモデルが一番破壊力のある音を発するか…コレには結構悩まされた。
よく「爆音、爆音」というけど、人間の耳が感じるギターの音の大きさは歪んでいる音よりクリーンな音の方がはるかにデカい。
私の経験から言うと、今まで最もデカいと思われる音を出すギタリストはブルース・セットの時のGary Mooreだった。
高校一年の時に観た武道館のTed Nugentは、その当時最もラウドなギタリストと言われていたが、会場の差による音の聴こえ方や自分の経験値の高低にもよろうが、Garyの比ではなかったように思う。
そのGaryの音の大きさのカギは、歪みが浅く、クリーンに近いということだろう。
実際にJimi Hendrixを二度観たことのあるUli Jon Rothから聞いた話では、Jimiの音は猛烈に大きく、そしてクリーンだったそうだ。
こんなことを考えるとやはりココはGaryに倣って1959SLPか?

51959slpfront 「クリーン」を追求するのであれば、驚異的なヘッドルームを誇るJVM410Hか?
CLEAN/GREENでフルテンにして、高域を上げてやればかなりの破壊力を発揮するハズだ。
待てよ、それだとガラスが割れる前にこっちの耳が割れてしまうかもしれないな…なんてことも思ったっけ。

5jvm410h イヤイヤ、やはりココはKT88を搭載した2203KKで真空管アンプのパワーを見せつけてやれ!…と、当時の一番の暴れん坊を起用しようかと思ったが、ボリュームを上げると歪んでしまうので、案外この実験には向いていないかも…。

2203kk 待てよ…Static-Xの例にあることだし、「暴力的」という観点であれば、MGの100Wヘッドもおもしろいかもしれないな…でもコレはないか。
コレもかなり身体に悪そうだからな。

Mg100hdfx 
そして、もうひとつ。
1959RR。
1959系統で音もデカいし、宣伝にもなる…ということで、最終的に実験には1959RRとJVM410Hを持っていくことにした。

1959rr 肝心なのはスピーカー・キャビネット。
コレははじめから1960に決めていた。
後はAngledにするかBaseにするかの選択だ。
AキャビよりBキャビの方がより単一指向性が強く、ガラスに当てる音のまとまりがよいだろうという考えからBを選んだ。

21960b

コレで準備は万端整った。
実験は文京区役所のところの坂の上にある某有名大学の理工学部精密機械工学科の音響スタジオで、ご担当の工学博士のご指導のもとで行われた。
それでは実験開始!

5img_0104_2 まずは1959RRを1960Bにつないで爆音の元をセットする。
一方、その対面には供試体となるフレームに収められた板ガラスが設置される。
「一体、どれぐらい大きい音なんですか?」なんて制作スタッフの方たちがかなりビビってる。
冗談じゃないよ、こっちは毎晩コレだよ。
そういえば昨晩のギタリストも1959RRだった。
「殺人兵器じゃあるまいし、大したことないですよ!」と答えて置いたが、今なら、「戦艦大和の大砲を打つ時、乗組員は全員頑丈な遮蔽壁の陰に隠れたんですってよ。そうしないと砲丸を発射のする時の音のショックで内臓がつぶれてしまうんだそうですよ」ぐらい言って脅かしてやったんだか…。
結局、スタジオにひとり残った私は私物のレスポールを1959RRにつなぎ、ボリュームを目イッパイ上げ、最も振動を与えやすいと思われる6弦のローフレットからひとつずつ音を出していった。

5img_0087

板ガラスについているマイクのようなモノは振動を測定するセンサーだ。

5img_0088

防音室の外ではそのセンサーから送られてきた信号を元に、どの周波数の音が最もガラスを振動させるかが測定される。
前述のオペラ歌手のブランデーグラスと同じ原理を利用するのだ。
そして測定の結果、140Hzあたりが一番振動を与えやすいということがわかった。
これがどの程度の音程かというと、平均律の音階で言えば、どうもDbが最も近い。
ギターやベースをたしなむ皆さんであれば経験がおありだろうが、この音が生み出す振動ってスゴイもので、ほんのチョット周波数が異なるだけで信じられぐらいの大きな差が生じる。
あのベースのデッド・ポイントなんて本当に不思議だもんね。
この日残された私の仕事は6弦を全音半下げて、日がな一日Dbの音を弾くだけ。
明けても暮れても「Db」、「C#」、「Des」、「Cisis」、「変ロ」、「嬰ハ」、「レのフラット」、「ドのシャープ」…コレばっか。

5img_0092

確かにガラスは盛大に振動している。
そこで、手っ取り早く、ガラスを1960に近づけて音を出してみる。
ダ~メ…割れる雰囲気すらなし。
後ろには持参したJVM410Hが見えているが、結局一度も使わなかった。

5img_0095 とにかく!
確かにガラスは大きく振動している、
そこで、ガラスのどの部分が一番振動しているのかを調べてみることになった。
下の写真は1960を寝かせて、その上にアクリル板をかぶせ、そこに球状の小さな発泡スチロールをバラ撒いたところ。
こうしてギターの音を出してガラスを振動させると、どのあたりが一番振動しているかがわかる。
出す音程によって球の動きが派手に変わり、おもしろかったな。

5img_0098

そうこうしているウチに大分ポイントが絞られてきた。
ガラスを最も大きく振動させる音の周波数帯はもう判明しているので、後はその音のエネルギーをいかに分散させずにガラス板に当てるか…ということが課題になった。

5img_0099 そこで、予め用意してきたアクリル製の箱を1960に被せて音の散逸を防いでみることにした。
さすがテレビ!金がかかってます!
さらに運搬時の事故を考慮してアルミ製のフレームに入れていた試供体のガラス板を裸の状態にした。
フレームの四辺についていたクッションがいいようにガラスの振動を吸収してしまっていたからだ。
そして私は「Db」!

5img_0101_2部屋にブルーシートが敷き詰められた。
そう、ガラスが割れた時に破片が飛び散る恐れがあるからだ。
そして、カメラが回される。
…と、いうことは~!

5img_0103

割れんわ。
ダメよ、ダメダメ。
結局、ゼンゼン割れませんでした~!
もっともコレぐらいでそう簡単に割れているようじゃAC/DCあたりのコンサートでは死人が出ちゃうかもしれないもんね。
ご期待に沿えずスミマセン。
ナンダ、コレだけかって?
コレだけよ。
割れんのよ。

5img_0102

で!
チャンスが巡って来るかどうかはわからないけど、次回に備えてわかったことを記しておく。
いずれも大学の先生による分析だ。
まず、試験に供したガラス板が厚すぎる!
私もそう思ったんだよね~。
厚さ2mmのガラス板を使用したのだが、丈夫すぎるって。しかも、最初はそれをクッションの付いたフレームに入れていた。そんなもん割れっこないって。
もっと薄いスリガラスのようなものだったらイケたかも…とのこと。
先生ヨォ、ナンだってそれを先に言ってくれなかったんだよ~…『飛び出せ!青春』の片桐風に言いたくもなってしまうような気もしたよ。
ちなみに『飛び出せ!青春』の柴田の役を演じたのは、冒頭の『赤ひげ』に子役でありながら天才的な演技で準主役を務めた頭師佳孝。また、この人は『どですかでん』で主役を演じた。
しかし、この頃日本ではサッカーは日本ではまだポピュラーなスポーツではなかった。今のサッカー人気に太陽学園のサッカー部OBはさぞかし驚いていることだろうナァ。

Glass 次に、オペラ歌手の場合の円状のブランデーグラスは外から与えられた力が分散しにくく、歪率が高くなりやすい。
つまり、ガラスは剛性が低いので、ひとたび供試体が歪めばパキッといきやすいのだ。
その点、普通の板硝子は与えられたエネルギーが四方に発散しやすいので不利。

Bg_2 まだある。
今回使用したスタジオのようなデッドな空間は音が壁に吸音されてしまい、音エネルギーがパワーダウンしてしまう。
よって、四方をコンクリートに囲まれたような反響が豊かな環境が望ましい。
戦車の中などが最も実験場に適しているのではないか…って、戦車の中でMarshallを鳴らしたらガラスが割れる前にこっちのアタマが割れるわ!
そもそも1960を戦車のハッチから入れることはできませんから。

It 最後に…
音量的にはガラスを割ることができるレベルに十分に達している(ヤッタ!)。
しかし、スピーカー・キャビネットの特性として、音が四方に散逸してしまい、どうしてもパワー不足に陥ってしまう。
その点、オペラ歌手の場合のように人の声の場合は、口を丸めることによって音エネルギーを一点に集中させることができる。
したがって、巨大な漏斗のような器具で1960の4つのスピーカーから出てくる音を一箇所にまとめ、それをガラスに当てることができれば割れるのではないか…。

5tiltま、結論としては、普通の環境でギターの爆音を用いてガラスを割ることができないということがよくわかった。
そりゃそうだよね。
それと実験のやり方がマズかったね。
ま、手前ミソながら、チャンとしていたのはMarshallの音量だけということか?
だから言ったでしょ?「こっちを誰だと思ってんだ?Marshallさんだぞ!」って。
デジタル・アンプじゃここまでできなかったろうナァ。
実際の私の任務はDbを弾くことだけだったが、メッチャおもしろかったナ。
もうひとつ興味深かったのは、テレビ関係の方々の動向。
今の人たちは知らないだろうけど、もう本当に『シャボン玉ホリデー』の「キントト映画」のなべおさみと安田伸の状態。
「ヤスダ~!」てのあったでしょ。アレと同じ。
社会勉強になりましたわ。
ちなみにクレイジーキャッツでテナー・サックスを吹いていた安田さんは高校時代に東大か一橋大を目指していたが、音楽に夢中になり東京藝術大学に入学し、キチンとした音楽教育を受けた。
昔のお笑いはこうしたインテリが混ざっていたのでとても面白かった。
イギリス流に言えば、「モンティ・パイソン」、「フォルティ・タワーズ」、「Mr.ビーン」と言ったところか…。
今みたいに裸になって笑いを取ろうとするヤツなんていなかった。

   
…ってなことを書いたところで全部消えちゃったワケよ。
ハラを立てても仕方ないでしょ?
オッと!保存、保存…っと。

2017年2月 9日 (木)

HIGH VOLTAGEの思い出 <その4:最終回>

さて、HIGH VOLTAGEのレポートもコレが最後。
もう二度とないロック・フェスティバルとなる可能性が高いからね、このレポートは値千金だよ。
世界でもこんなことをやったのはMarshall Blogだけじゃないかしらん?
ああ、「ものずき」で結構。
ああ、「ワガママ」でスミマセンな。
  
さて、レポートの<その1>からご覧頂いている方の中には、ずいぶん天気がコロコロ変わるな…写真を適当に並べてるんじゃないの?と訝しむ諸兄もいらっしゃるかも知れない。
まぁ、下のような風景の写真は確かに時系列に並んでいるワケではない。
携帯のカメラといつも使っている仕事用のカメラで色目がかなり変わっていることもあるが、イギリスは本当にこんな感じで天気がコロコロ変わるんだよな~。
早朝は快晴、朝うす曇り、昼はくもり、夕方雨、夜快晴なんてことはザラなんで写真もこうなっちゃう。
何せイギリスの天気予報は緻密で、時間単位で予報するでね。何せシャレで皇太子殿下が天気予報士でテレビに出てきちゃうぐらいの天気予報好きだ。
結構な確率で当たるけど大ハズレすることもある。
で、前にも書いたことがあるように連中は雨が降っても傘をささない。
何しろささない。ビッチョビチョになって歩いてる。
考えてみれば、それなら天気予報なんて必要ないような気もするのだが…。
すぐに傘をさすのは決まって観光で来ている日本人だ。あ、私のことだ。
だって旅先で具合悪くなったらイヤだもんね~。
とにかくこの2日間、傘が必要になることはなかったのでヨカッタ。

10_2さて、今日はヘッドライナーのELPを目当てに会場に来ているお客さんが多いせいかヤケにELPのTシャツを着ている人が目立つ。
そのTシャツの柄も「Tarkus」やら、「Trilogy」やら、ファーストアルバムやら、てんでバラバラでおもしろい。
だが、なんといっても圧倒的に多かったのは、おなじみGiger(ギーガー)の『Brain Salad Surgery』だろう。もうそこら中で『脳みそサラダの外科手術』よ!

20v_2そういったアーティストTシャツの類も日本と状況がまったく違うんだよね。
Led ZappelinやStonesはやっぱり定番。そういうビッグネームは日本と大差ない。
他はさすがイギリス!少数派が圧倒的におもしろい。
Mich RonsonやらGentle Giant、Alice Cooper、Marshall Tucker Band、Fleetwood Mac、Sparksなんて人もいた。
BudgieのTシャツを着ている人なんて日本で見たことない。
ちなみにイギリス人は「Budgie」を「バッジ―」ではなくて「ブジー」と発音する。
下のTシャツの文句はオープニングMCのセリフをそのまま使ったELPのライブ・アルバムのタイトルですな。
こういうセンスはいいね。
「お友達のみなさん、終わりなき見世物にようこそお帰りなさい!」…日本のバンドがやったら英文の代わりにコレが背中に入ることになる。

30vProg Stageの出番はUriah Heep。
最近来日しちゃったけど、この時観れるとは思わなんだ。
Mick BoxはDSLを使用していた。
ナンカ昔の印象よりギターがうまくなったような感じがする。
このバンドも比較的メンバーの出入りが激しいバンドで、オリジナル・メンバーはMick Boxだけになってた。Ken Hensleyなんかゼンゼンいない。
『Uriah Heep(ユーライア・ヒープ)』は、ディケンズの小説『デイヴィッド・コパーフィールド』の登場人物で、英語の表現としては「イエス・マン」という意味がある。
このバンドの定番アルバムと言えば、もっぱら『Look At Yourself(対自核)』、『Demons And Wizards』、『The Magician's Birthday』とかなんだろうけど、ヘソ曲がりの私としては1977年の『Firefly』が好きだった。
あまりHeepは好きではなかったんだけど、ナゼかこのアルバムは出てすぐに買った記憶がある。
さて、この日のステージ、1曲目は「Wizard」だ。
ボーカルはカナダ人で元Grand PrixとかいうバンドにいたBernie Shawという人。
David Byronっぽく歌っているんだけど、滅法声が高い…イヤ、高すぎやしまいか?
1959のトレブルをフルにしたイメージ。
「Easy Livin'」や「July Morning」といった定番をからめながらの貫禄のステージだった。
こうして聞いてみるとやっぱり曲がいいな…。
途中でMicky Moodyが登場してスライド・ギターを披露。
熱狂的なファンが客席に多かったのも印象的だった。

15_2Classic Rock Stageに移動。
出演はBachman Turner。
彼らは1976年にBachman-Turner Overdriveとして来日を果たし、その時の公演がライブ盤にもなった。
今BTO知っている人なんているのかしら?
色んな人と昔のロックの話をしていて、「バックマン・ターナー・オーバードライブ」という名前を口にした人がいた記憶がない。
「パックマン」ってのはずいぶん流行ったようだけどね。
BTOはカナダの4人編成のバンドで、「Bachman」はRandy Backman(g)とRobbie Bachman(ds)の兄弟。
「Turner」はFred Turner(b)。
それじゃもう一人が「Overdriveさん」という名前かというとさにあらず。エフェクター屋じゃない。
Blair Thornton(g)という人だが、元々はそのポジションれもBachmanの兄弟だった。
だからバンド名がBachman姓とTurner姓の二種類になっている。
気の毒だよね、この後から入ったThorntonっていう人。
だっていつまで経ってもトラみたいじゃん?
かといってBackman-Turner-Thornton Overdiveなんて名前にしたら長すぎちゃうもんね。
三菱東京UFJ銀行みたいになっちゃう。頭文字もBTTO。「ブット」じゃしっくりこない。「PPAP」ならいいけど。
で、このBTO、ドラムのオッサンが同じクラスの大崎くんに似ていて、我々の間では「オーサキ」って呼んでいた。
中学生だった頃のある日、教室でロック好きの仲間が集まって見ていた雑誌にBTOが出ていた。
たまたま通りかかったクラスメイトの吉岡くんがそのBTOの記事を指して、「あ、コレ知ってる。アネキが観に行ってた」と言った。吉岡くんはロックと縁もゆかりもないような子だった。
1976~1977年のことだ。
この話は以前にも書いたことがあるのはわかってる。
ココでビックリして欲しいのは、今では誰も口にすることのないようなゴリンゴリンのロック・バンドが40年前には、例え「オーサキ」と呼ばれていたにしろ、普通の子供達の間で認識されていたということなの。
今、ロックはスッカリ市民権を得て、身の回りにあるように見えても、本当のロックはものすごく遠いところへ行ってしまった…という感じがするんだよね。
1_img_33602
そのBTOの重要メンバー、すなわちRandy BachmanとFred TurnerがくっついてBachman Turnerとして2009年から再活動を始めたのがこのチーム。
ちなみに上のライブ盤は日本武道館で収録された。
そう、BTOってもんのすごく人気があったのよ。
「またかよ!」っていわれそうだけど、私はそんなに夢中になったクチではなかったが、数ヶ月の間すごくよく聴いたものだ。

55_2この日、ステージで初めてその姿を見た時は「Randy Bachman、痩せたナァ~!」と思った。昔はロッキーの簗の中から降りて来た本物の木コリみたいだったからね。
が、いきなり元気よく「Roll On Down The Highway」をおっぱじめた!
ウワ!こりゃタマらんらん!
タマらんのはいいけど、チョット待った~!
ベースを弾きながら歌ってるオッサン、一体誰じゃい?!
ものスゲえ声だ!…というか、レコードと同じなんですけど!
そこですぐに気がついた。
歌っている細いオッサンはFred Turnerだ。
先入観というのは恐ろしいもので、あのすさまじい声の持ち主はこの時までRandy Bachmanだと思い込んでいたのだ。
だってあの身体ジャン?あれぐらいの太い声が出て当然と思うじゃん?
もうひとつ、RandyとこのFredこそが兄弟と勘違いしていたよ。
だって昔は二人とも同じような体つきしてたんだもん。 
え、「何にもしらねーんだな?」って?
だ~か~ら~、私は特にファンじゃないってば。

57このチームも大ヒット・パレード&懐メロ状態で、「Not Fragile」、「Four Wheel Drive」、「Hey You」、「Rock Is My Life」などを立て続けに演奏した。
しかし、いい曲が多いよな~。
MCによると、最後にイギリスで演奏したのは1976年のことだったらしい。
もう40年以上経ってる!
それなのにこのメインのステージに登場できるということは、当時のBTOの人気がいかにスゴかったかを物語っているということだ。
本当にこの時代はカナダも含めて英米のバンドがしのぎを削っていたんだネェ。
いい時代だ。
このバンド、ビックリだらけでさ…。
一番驚いたのは、この人たちこんな重厚長大なロックを演ってるクセに、ギター・アンプが全員コンボなんだよ!ナニ考えているだか…。
しかもMarshallじゃないし。
ステージの見てくれは全然「Not Fragile」じゃなかった!てっきりスタックがゾロリ並ぶのかと想像してたのに、これじゃ「Handle with Care」だ!
根っからの否ブリティッシュ・ハード・ロックなんだね。Montroseと同じだ。
私は徹頭徹尾ブリティッシュ派ですので好きにやってください。
とにかく何にも考えないひたすら楽しいロックもタマにはいいもんです。

56

しかし、空いてていいわ~。

58

次にClassic Rock Stageに現れたのはJoe Bonamassa。
この人も一時ドカっと行ったけど最近はどうしているんだろう。
以前二度ほどMarshall Blogに出てもらったことがあったんよ。
イヤ、ロンドンのRonnie Scott'sで開催したClass5の発表会を入れれば3回だ。
コレが4回目。
この人いかにも彗星のごとく現れた感じがするけど、芸歴はすごく長くて、Arlen RothがやっていたHot Licksというビデオのレーベルから子供の時にブルースの教則ビデオを出してたんだぜ。

60_3またしてもProg Stageにダッシュ!
マジで疲れたわ。
でもコレは絶対に観ないと…Argentだもん!
急がないと…コレがホントのアージェント(urgent)、ナンチャッテ。
何と37年ぶりの演奏なのだそうだ。平気でオリジナル・メンバーというところがスゴイ。
オープニングは「It's Only Money」。
このクドさがArgentの魅力。ホンの数小節のモチーフを7、8分の曲にしちゃう。
まるで私の大学の時の卒論だ!
70_2
ギターのRuss Ballardは1970年代の1959を使用。
ちょっとトレブリーではあったが、1959らしいいい音だった。
ラスはギターだけでなく声もハリがあって、若々しくて何の衰えも感じさせない。一体いくつなんだろう?
好きだったんだよな~、Russ。
ソロ・アルバムも何枚か買ったけど何十年も前に手放しちゃったな。それっきり全く聴いていない。
90v
ココもヒット・パレード状態のセット・リスト。
Rod Argentのロックンロール・ピアノが冴える「Keep On Rollin'」で盛り上がった後、Three Dog Nightがカバーして全米7位まで上がった「Liar」へ。
ちなみにこのキーボーズのRod ArgentはRock WakemanがYesを脱退した時、後任として加入の誘いを受けたことがあったそうだ。
ピアノも歌もうまいし、曲が書けるからね。さすが元The Zombiesだ。
120_3
続けて、「She's Not There」。
これはSantanaのカバーでもおなじみ。RodがThe Zombies時代に書いたヒット曲。
ジャンジャン出てくる有名曲。
今度は「Since You Been Gone」をラスが熱唱。
ロッドはMCで、「この曲は他のバンドがカバーしてヒットしたけど、ラスが作った曲なんだよ!」と付け加える。
次は自分たちのヒット曲「Hold Your Head Up」。
大ウケ!いい曲だもんね。
再結成のMr.BIGも演ってんのね、コレ。
そういえば、以前Paulがこの曲のリフを楽屋で弾いていたよ。
他にも「Thunder and Lightning」やら、「Schoolgirl」やら、名曲が目白押し!
100_3
またしてもロッド曰く、「この曲は1973年にArgentが作って初めてレコ―ディグしました。
その後、あるバンドが演奏して大ヒットしました。
でもArgentがオリジナルです!」
コレばっかり…どれもこれもカバーしてもらうとヒットする。
ちなみにその曲はこのアルバムに入ってます。
どうしてジャケットを見せたかと言うと、Hipgnosisだから。

Id_2 MCの後、想像だにしないことが起こって感動の嵐が吹き荒れた!
曲が始まった途端、そこにいた観客の全員が一斉に歌い出したんよ!
ホントに全員が歌ってる!
アタシャ、もうビックリしちゃって!
110_2
曲は「God Gave Rock 'n' Roll To You」。
マァ、この曲もね~「♪God Gave Rock 'n' Roll To You」のメロディが一体何回出てくるやら。
しつこい、しつこい…ビートルズなら2分で片付けちゃうような曲をイジリにイジって、スタジオ盤では7分近くやってる。
例えば、組曲風にRussが曲の中間でそのメインのメロディをギャロッピングっぽく弾いたりする。「そのパート、この曲に本当に必要なの?」という感じ。
もちろんライブでもやってた。
その無駄を乗り越えての~「♪God Gave Rock 'n' Roll To You」なのね。
「それがアージェントの…やり方かぁ~」ってヤツ。
すごい感動よ。
カバーしてヒットさせたバンドとはKISSのこと。
KISSは「God Gave Rock 'n' Roll To You II」として映画に使用した。
この曲を知っている人って日本にどれだけいるのかナァ。
コレも誰かが口にしていたのを一度も聞いたことがない。
80_3

ヨカッタわ~、Argent。
ちなみにProg Stageのトリ前の出演。トリはMarillionだった。
一生見れないと思っていた…というか思ったこともないんだけど。
ああ、あの即席ライブCDを買ってくればよかった!
…と思っていたら!
ナント、渋谷のTOWER RECORDSで売ってやがんのよ!
その場ですぐ買ったわ。
CDを作ってみたはいいけど、ものすごい余っちゃったんだろうね。

130_3さて、宴もたけなわ。
Classic Rock Stageに続々と人が集まって来たよ~。
ヘッドライナーの前に登場したのはDef LeopardのJoe Elliottのバンド。
Ian Hunterをフィーチュア…なんだけど、私Mottが苦手なのでパス…というかArgentに夢中になってた。

140_3楽屋が騒然とし出す…ヘッドライナーのEmerson Lake & Palmerの出番だ!
舞台はすぐそこなんだけど…
155
カートに乗って3人別々にステージに向かった。
今乗っているのはGreg Lake。
ELPの3人は楽屋も別々だった。

150v_3まさに登場寸前!
何しろ結成40周年を記念しての一度だけの再結成だからね。
噂ではCarl PalmerがAsiaはいいけど、ELPで出演するのをあまり快く思っていなかったとか…。
色々あるね~、ビッグになると。

160そして、いよいよヘッド・ライナーの登場!
Welcome back my friends, to the show that never ends.  Ladys and gentlenem, Emerson Lake and Palmer!
もう9時だよ。
さすがにクタクタだ~!
170_2
アレ何て言うのかな、「パッチボードの壁」とでもいうのかな?Keith Emersonのシンボルも健在だ。
コレって、キーボーズ・プレイヤーにとっての「マーシャルの壁」だね。
やっぱりコレがないとね!
写真の通り実際にマーシャルも多数使われていた。
190v_2
1曲目は「Karn Evil 9 First Impression Part2」。
もうあのシーケンサーの音が流れた途端に会場は大興奮!
始めは何となく演奏がぎこちない感じもしたが、滑り出すと何ら問題もなく、Greg Lakeも『Then & Now(Disc 2)』の頃より声も全然出ていて見応え充分!
貫禄も十分…といいたいところだったけど、こんなに太っちゃイカンよ。
だから取り返しのつかないことになってしまったじゃないか!
200_3
2曲目はファースト・アルバムから「The Barbarian」。
ドワ~、こんなのやるんだ。
「Bitches Crystal」、「Touch And Go」と続いて、同じくファーストから「Knife Edge」。いつも言ってるヤナーチェクの「Synfonietta」ね。
もうタマラン!
「ああTarkus演ってくれないかな~」って思っていると、「Take A Pebble」からピアノ・ソロを経て「Eruption」へ!
グワ~、カッチョいい~! 後半リズム隊が加わってドバーっと盛り上がった。
180_3
後ろの方はこんな感じ。
210_2
私は帰りの電車の混み具合が恐ろしいので、涙を飲んで「Lucky Man」を背に会場を離れたが、後で聞いたらこのあと『展覧会の絵』を全曲演ったとのこと。
ま、いいや。
私、アレ苦手なんだよね。
「Nut Rocker」は相当盛り上がったでしょうな。
  
しかし、こうして見るとやっぱりロックはイギリスの宝だね。
とりわけプログレッシブ・ロックはイギリスならではの国宝だ。
お客さんの年齢層はかなり高かった。
でも若い人も結構来ていて、ちゃんと音楽を楽しんでいた。
このあたりが日本と丸っきり違うところで、こういう機会がロック文化の橋渡しをしているんだろうな…と感じた。
    
「若い人は何も知らないだけ。カッコいいロックを教えてあげれば、それがたとえクラシックなものでもきっと好きになるハズ。なぜならカッコいいから」…この記事を書いた時、またいつもコレを言っているけど、最近、正直もう無理だと思うようになってきた。
我々世代のロックはそんなに遠くない将来に絶滅すると思う。
「絶滅」とはどういうことか…。
例えば、戦前の日本は琵琶を使った「語り」が大人気だったらしい。「源平合戦記」みたいなヤツね。
水藤錦穣というスーパー・スターを生み、ブロマイドまで流通していた。
裏の世界のドンなんてのもいて、琵琶語りは一大音楽産業のひとつだった。
ところが戦後、外来文化の流入が増え、スターもいなくなり、また、業界内のゴタゴタなどで急速に人気が衰え、ついには誰も聴かなくなってしまった。
「絶滅」と言っては現在も琵琶語りに取り組んでいらっしゃる方々に失礼だが、その盛衰を知れば遠く当たらないということはないだろう。
つまり文化の伝承に失敗したワケだ。
下は『さわり(佐宮圭、小学館刊)』という鶴田錦史(きんし)という琵琶奏者の伝記で、このあたりのことが詳述されていてとても興味深い。
最後にもう一度脱線しておくと、この鶴田さんという人は、武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」のカーネギー・ホールでの初演で琵琶を弾いた人。
武満徹が「この人でなければ表現できない」と抜擢した天才琵琶奏者だ。
そのカーネギーの時、武満さんが鶴田さんに敬称の「ミス」をつけて紹介したところ、観客の多くがそれに気づき、「タケミツは緊張して『ミス』と『ミスター』を言い間違えた!」と言われたが、武満さんは決して間違えたワケではなく、この鶴田さんという人は見た目は男性だが、中身は女性だったのだ。
人生の半ばで女性を辞めて、残りの生涯を男性として過ごしたという数奇の人生をたどった人。
興味のある人は読んでみてください。
女性だったころの結婚相手の名前の苗字が私と同じで、メチャクチャ驚いた。滅多にない名前だから。

Sw_2 さて、話を戻して…
クラシック・ロックと呼ばれているものもこの琵琶語りと同じ。
聴く人がいなければどんなにいい音楽であっても意味がない。
我々やチョット下の世代の人がいなくなる時が来たら60~70年代の音楽は消滅するか、ほぼ同じ状態になると思う。
文化の継承の失敗だ。
私はいいよ。もう十分に楽しんだし、ジャズとクラシックだけでも十分やっていける。
気の毒なのはコレから生まれてくる子たちだよ。
ロックの本当のカッコよさを知らされるチャンスが本当になくなってしまうんだから。
   
それと、こうしたロックは金にならないということよ。
若い連中に「コレがいいよ」、「アレがいいよ」とワザワザ金をかけて宣伝するなんてバカバカしいじゃん?
それより握手券だか何だかを入れたCDをジャンジャン売ったほうが楽に儲かるじゃん?
私がレコード会社の社員だったらこっちを選ぶわ。
で、家に帰ってコルトレーンとザッパとバルトークをジックリ聴くよ。
チョット憎まれ口みたいになっちゃったけど、久しぶりにこのフェスのことを思い出したら書きたくなっちゃった!

最後の最後に一番最初に戻って…
このフェスティバルが開催されてから7年が経った。
今朝のfacebookには、UFOのPete Wayが心臓手術を受ける前のいくつもの検査を今日受けることが報じられていた。ガンバレ、Pete!
Keith Emerson、Greg Lake、Gary Moore、John Wetton…このフェスティバルに出演した4人の偉大なるロックのパイオニアやイノベーターがこの世を去ってしまった。
ロクに英語ができない日本人が「R.I.P」と書いて追悼の意を表そうとしているのを日頃から恥ずかしく、故人に対してとても失礼だと思っているが、今日はこのフェスティバルにかぶれてイギリス人になったつもりで敢えて言う。
Requiescat in Pace…。
   
元の記事のサブ・タイトルを「その2日間、私は世界でもっとも幸せな日本人のひとりだった!」としていたんだけど、今でもそう思っている。
あ~!
またゴミ!
バカイギリス人が~!
やっぱり日本人がいいわ。
でも、ロンドン行きたい!

230v_2おわり

※やっぱり、明日更新するけどすごく簡単に内容になります。
今週、コレでクタクタになっちゃった!


(敬称略 2010年7月24日 ロンドンにて撮影)

2017年2月 8日 (水)

HIGH VOLTAGEの思い出 <その3>

05_2かくして『HIGH VOLTAGE』の第1日目も無事に終了し、Ravenscourt Parkのホテルに帰って、ホテルのバーでエールを飲んで、風呂に入って、横になった頃には結構いい時間になった。
そして2日目。
もう勝手知ったるところなので、アラよっ!と地下鉄に乗り通勤よろしくスイスイと会場に向かう。

20ハイ、マイル・エンド到着!

30_2教会の横を通って…

40_2はい、ヴィクトリア・パーク到着。
ココから会場の入り口まで結構歩くんよ~。

50_2今日のパスはコレ。昨日もらっておいた。
「PROG STAGE」の表記があるけど大丈夫なのかしらん…と一瞬不安になったが、中に入ってみると昨日とまったく同じ待遇で安心した。
今日はデカいカメラも持っていないのであのサン・ラに怒られることもない。

60_2相変わらずホコリっぽい!
昨日ほんのチョットだけお湿りがあったけど、今日は雨の心配はまったくなさそう。

65
コレは移動キャッシュ・ディスペンサー。

70vどこのATMも結構長い列(queue)ができていた。
80_2
今日は昨日より早めに来たよ。
メインのClassic Rock Stageはもう結構人が集まっている。
13:05から始まる最初のステージはThe Quireboys。

66コレはトイレ。
ま、あまり書きたくはないんだけど、中はどうなっているかと言うと…イヤ、やっぱりやめておこう。
暑いし、混んでるし…そこがどんな惨状になっていたかは皆さんのご想像にお任せする。
外人ばっかりじゃない?
肉ばっかり食べてるし、我々より腸が長いし…スゲエんだよ。
私は1回しか入らなかった。イエイエ、入れなかった。
あ、イカン!ほとんど書いてしまった!
お昼休みに読んでいらっしゃる方、ゴメンナサイ!
  
では、トイレにまつわる社会的、かつ真面目な話をひとつ。
このHIGH VOLTAGEは翌年も開催された。
メイン・ステージのヘッドライナーはJudas PriestとDream Theaterだった。
他にもThin LizzyやMSGも出演。
それよりも私的にはProg Stageの面々が魅力的だった。
Barclay James Harvest、Caravan、Jethro Tull、Spock's Beard、Curved Air、The Enid…タマらんじゃんね。
実はMarshallに頼んでプレス・パスも出してもらい、行きさえすれば写真を撮れることになっていた。
ところが、イギリス自体に行くチャンスなかったのでオジャン。遊びに行くワケじゃないからね。あくまで会議がメインで、その会議がなかったのだ。
Ian AndersonやSonja Kristina…撮りたかったな~。
で、また翌年に期待を寄せたのだが、3回目は開催されることはなかった。
ひとつには1回目に比べて2回目の面子があまりにもショボくてチケットの売れ行きが悪く、継続を断念せざるを得なかった…という噂を聞いた。
そして、もうひとつの理由は「トイレ」だったという。コレは確かな情報。
その年は2012年…すなわちロンドン・オリンピックの年だ。
ナント、イギリス中の移動式トイレがオリンピックの方に偏ってしまい、野外フェスティバルが開けなかったというのだ。
どれだったかは忘れたが、同時期に開催されるかなり老舗のフェスティバルも同じ理由で開催が危ぶまれたが、そちらは何とか乗り切ったようだ。
その後、HIGH VOLTAGEは開催されていないので、結果、今のところ2回開催しただけのやや「幻のフェス」になっている。

90_2The Quireboysはゼンゼン知らないのできれいにパス。
今日もProg Stageからスタート。
見て、チョットしたウッドストック気分。
回りは全員外人だからね~。
あ、今は自分が外人なんだ!

100_2この日3番目にProg Rock Stageに登場したWishbone Ash。
イヤ、正確にはMartin Turner's Wishbone Ashか…。

120_2かつては「世界一美しい音を出すロックバンド」と評されていたバンドも当時はややこしいことになっていた。
Andy Powell組のWisbone AshとMartin Turner組のMartin Turner's Wishbone Ashの2つの派閥による血で血を洗う仁義なき戦い!…ってほどのモンでもないか。
でも、その両組が『Argus』の再現なんてことをやってたからそれもマンザラでもない。
私はライブ盤にもなった1978年の来日公演を中野サンプラザで観たのだが、この時は39年ぶりのWishbone Ashだった。
ギエ~、アレから40年も経った!
下はその時の公演を収録したライブ・アルバムとコンサート・プログラム。
前から7列目でね、友達と大騒ぎした。多分、ライブ盤には高校生の私の声も入ってる。

1_img_33572 私はこの後、Andy Powell組のWishbone Ashも令文さんとチッタに観に行ったので、本家3度目の来日、Martin組、Andy組と三種類観たことになる。
グランド・スラム達成!
まさか、まだ他にありゃしないだろうな~?ヤダよ、Steve Upton's Wishbone Ashとか。
前にも書いたけどLaurie Wisefieldは、昔Marshallのクリニシャンを時々務めていたPhil Hillbourneと交代でロンドンのドミニオン・シアターで『We Will Rock You』のギターを弾いていた。

130_2さて、このMartinの方のステージ、やっぱり「Argus」づくしだった。
「Warrior」やら「Blowin' Free」やら…「Throw Down The Sword」には泣けた。
これ高校生の時にコピーして演ってたもんで…。
あの頃は高校生がWishbone Ashのコピーを演っても何ら不思議はなかった。いい時代だった。
まぁ、とにかくコーラスが美しい!
途中Ted Turnerも合流して「Blowin' Free」をプレイ。
Andy組とMartin組の抗争…オリジナル・メンバーの在籍率の高さによりMartin組の勝利か?
Tedはレコード通りのソロ・フレーズを弾いていたっけ。
しかし、Wishbone Ashのようなバンドはもう出てこないだろうな。
この美しい曲とサウンドもまた「時代が生んだ奇跡」だと思うのだ。
この音楽が見事に次世代に伝承されていないのは、人類にとっては大きな文化的な損失のひとつであろう。
だって聴く人がいなくなってるんだもん。
「芸術」って作り出すことは際限なくできるけど、見たり聴いたりする側がいなければ何の意味もないし、価値もないんだよね。
それと、今みたいに流通する音楽の幅がセマくなると、もうジリ貧で、ドンドン画一化が進んで身動きが取れなくなってくるんだよね。
「同じ音楽ばかりでつまらない!」と現状を打破しようとする動きは抑えられていって、「じゃ、オレも」とますます似たモノしか出てこなくなる。「貧すれば鈍する」というヤツ。
その正反対が60年代~70年代前半のロックだった。
Wishbone Ashに限らず、HIGH VOLTAGEに出ているベテランのバンドはすべてその時代の出身だ。

140_2さぁ、お昼にしよう。
南の国から行くせいか、イギリスは8月でも朝晩は寒く感じる。
朝晩ヒーターを入れることも珍しくないし、セーターを忘れると大変ツライ思いをすることになる。
でもさすがに昼は暑い。
中には二階にエアコンが付いていない古いダブル・デッカーもあって、それを知らずに二階に上がって「特等席!」なんてガマンして一番前に座っていたら身体がをおかしくなった。ごく軽い熱射病だったのだろう。後で頭が割れそうに痛くなっちゃって!あの時はマイッタわ。
それでも、日陰や木陰に入ると涼しくて、長袖が恋しくなるんだよね。
私は暑いのがすごくキライなので、イギリスの気候がとてもうらやましい。
でも、9月ぐらいにはもうかなり寒くなっちゃうのでそれもな~。
とにかく、このHIGH VOLTAGEに来てすぐにわかったのは、この気候なら夏のフェスティバルは楽勝じゃん!ということ。
翻って35℃以上の炎天下で身体を寄せ合う日本の夏フェスって一体どういうことなんだろう?
アレ、どうして春とか秋に開催しないんだろう?夏休みの関係?
このまま地球の温暖化が進んだら、日本での夏のロック・フェスティバルはできなくなるのではなかろうか?
そんな気候のロンドンでも冷たいビールは欠かせないね。
ビールのスタンドには始終行列ができている。

150v_2どうせ並ぶならカワイコちゃんのところがいい。
「写真撮ってもいい?」って訊くと、即座にこの笑顔。
向こうの人は本当に笑顔が上手だ。
街中でスレ違った時に目が合うと、ニコっとしたりウインクしたり…アレはでなかなかできないな。
実にステキなことだとは思うんだけど。
それより、いつもニコニコしていたいとは思うんだけどね。ついカリカリきちゃう。

160vハイ、お昼ごはん。
フィッシュ&チップス。
イギリスに行って最初に食べるフィッシュ&チップスほどウマいものはない。
でも、それも半分まで。
あ、チャンとしたレストランのフィッシュ&チップスは最後までおいしいですよ。
でも、こういうファストフード仕様のものはそうは喰えんよ。油で。
コレはまだ小さい方だから食べちゃったけど。
いくらジャガイモがおいしいったって、ポテトフライもいい加減飽きるしね。
ところで、コレ、変でしょう。アイスの棒みたいなやつが2本ついてる。
ナイフとフォークのつもりなの。
もちろん私はこんなの使わないで、手でつかんで端からガリガリとカジッちゃう。
でも外人はこんなものでもチャンとコレをナイフとフォークに見立てて起用に使いこなしていた。
向こうの人は何が何でもフォークとナイフなんだよね~。
チョット食事ネタで英語脱線。
外人っておつゆ系の麺類を食べるときに音を立てることをすごくイヤがるでしょ?
ああいう音を立てて食べることを英語で「slurp(スラープ)」って言うんだけど、外人ってスラープしないんじゃなくて、技術的にできないんだよ。
いくら教えてもできないもん。
ナゼかと言うと生まれた時から食事の時に一回も音をたてたことがないので音の立て方、すなわち食べ物と一緒に空気を吸い込むノウハウを持っていない。
すべての食べ物と食事のツールが音を立てないで食べられるように設計されているし。
我々が、たっぷりアンのかかった熱の塊のような広東麺を平気で食べられることができるのは、食べ物と一緒に空気を吸い込むことによって一気に口の中の温度を下げるからであって、アレを音を立てずに、つまり空気を吸い込まずにいきなり口に突っ込んだらみんな病院行きよ。
ヨカッタよ~、我々はスラープをする国に生まれて。
スラープのおかげでどれだけおいしいものを食べることができているかわからない。

170さて、Classic Rock  StageにUFOを観に行く。
UFOを観たのは38年ぶり!

180_2前回は1979年の中野サンプラザ。
前から2列目だった。
チケットを買った時、ギターはMichael Schenkerだった。
ところが来日したのはLone StarのPaul Chapman。
ガッカリしたな~、アレにゃ。
Scorpionsでも同じようなことが起こって、結局私はMichael Schenkerって一度も観たことがないということは以前にも書いた。
でもLone Starってなかなかカッコよかったよね。
ChapmanはUFOのOBで、Gary Mooreの後任でSkid Rowにもいたんだっけ。
下はその時のプログラム。

1_img_3358 久しぶりに中を見てビックリ!
チョットとてもお名前は出せないが、著名が評論家さんが一文寄せている。
本心で書いたのかしらん?
コレはSchenkerが突然来なくなったので穴埋め的に書いたんじゃないかしら。
主役が抜けて「攻撃的」になるワケがない。
でも、コンサート自体は決して悪くなくて、すごく楽しんだような記憶がある。
Phil Moggもまだ若くてカッコよかったからね~!
ちなみに、アメリカ人にいわせると、「Chapman」という苗字は猛烈にイギリスっぽいそうだ。

1_img_3359 雰囲気は変わっちゃったけど、今でもカッコいいPhil Mogg!
メンバーはベースがPete Way、キーボーズ&ギターがPaul Raymond、ドラムスはAndy Parker。
ギターはVinnie Mooreだ。
なんかPete Wayもかなり体調がよくないような話を最近聞いた。

190オープニングでナニを演奏したのかが記録にないんだけど、2曲目は「Only You Can Rock Me」だった。
ココで大トラブル発生。
ギター・アンプはMarshallじゃなかったんだけど、どうもアンプの調子が悪く、何回弾いてもイントロ・リフの2小節目でギターの音が出なくなってしまうたのだ!
我がMarshallチームは「おいおい大丈夫か~!Marshall貸してやろうか~!」なんてやってるし。

200_2ま、こういうことは時々あるじゃない?
「それじゃ気を取り直して、Only You Can Rock Me~!!」と景気よくやるんだけどまた同じところで止まっちゃう。
Philもはじめは笑っていたが、繰り返すうちにこめかみのあたりがピクピク…コワイ。

210やっぱり怒ってる。
ギーってにらんでるもん。
「Give him your hands!」とか言ってプレッシャーかけるし…!と、ようやく難関を突破!
お客さんはそんなトラブルも忘れて「♪Only you can, rock me, rock me」は大合唱。
やっぱりコレっていい曲だな。

1_img_01272_2 続いては「Lights Out」。
38年前の東京公演では「♪Lights out, lights out in Tokyo!」って歌っていた。
当然ここではオリジナルの歌詞通り「♪Lights out in London!」と歌った。
何たる感動!何たる感激!
ロンドンで演っているから当たり前なんだけど、「ロンドン」で「ライツ・アウト」。
そうだ!今、私はロンドンでコレを聴いているんだ!…ク~、まさかこんな体験ができるとは!
感激で本当に涙が出て来ちゃって一緒に歌えなかったよ!
繰り返しになるけど、Phil Mogg、カッコいいナァ~。
声も昔とそう変わらないしね。
各国の言葉で「Thank You」を言ってたけど、ちゃんと「ありがとう」も入ってた。
ちなみに日本人も来ていたんだろうけど、全く見かけなかったな。
実際、後で知ったんだけど、よくお世話になったKing Crimsonの訳詞なんかで有名な翻訳・通訳家の女性がELPを観に来ていたそうだ。
続いては「Love To Love」。
これもいい曲だ~。こんなにいい曲だったっけかな。
気になるのはVinnie Mooreのギターだ。音が時々出なくなっちゃう。
その後も「Doctor, Doctor」、「Rock Bottom」と名曲、人気曲のオン・パレード。
PhilがMCで言ってた、「こういうところで誰も知らない新曲なんかを演るべきじゃないよね」って。
100%同感!さすがよくわかってる!

220_2楽屋村のようす。
ミュージシャンはバンドごとにプレハブの小屋に収まっている。

240_2ほんの少し子供を連れてきているミュージシャンがいて、その子たちがこの砂場で遊んでいた。
ちなみにイギリスでは砂場のことは「Sandpit」って言います。なんかカッコよくね?

250_2今日もダラダラやってま~す!

270楽屋村にはいろんな設備があってビックリ!
290_2
コレは楽器屋。
こんなところで何か買う人いるのかね~?

280_2隣は床屋さん!
というかメイク・ルームだったんだろうね。

310vさすが!
ココのモニタースピーカーがMarshallのMGになってた!
おありがとうござい~!

1_img_0760さっき一般の仮設トイレには1回しか行かなかったって書いたでしょ?
いくらなんでも日中に1回しか用を足さないなんてことはあり得ない。
チョット見にくいけど、写真の右端に「DAV」って書いてある黒いヤツがあるでしょ?
コレ、出演者や関係者向けの車両型移動トイレなの。
ナント、水洗で冷房完備。
何たる格差!何たる差別!
方や水洗で冷房完備、方や〇〇コの山!
どんなに遠くにいても必要な時はココまで戻ってきて用を足したというワケ。
事後に手を洗っていると、すんごいミュージシャンがジャンジャン入ってくるのよ。
目が合ったりした時、無視するのも何なので小声で「Hi!」って言ったりしてね。
そういえば2日目にはJimmy Pageも来てたよ。あ、トイレじゃなくて楽屋村にね。
1_img_0774_2

楽屋村から見たメイン・ステージ。
皆さん、ココを通って舞台に向かう。

320_2

つづく


(敬称略 2010年7月24日 ロンドンにて撮影)

2017年2月 7日 (火)

HIGH VOLTAGEの思い出 <その2>

コレが1日目のパス。
スポンサー特権のパスだったのかどうかはわからないが、どこでも超スイスイのVIP扱いだった。

10場内の物販コーナー。
世界中どこでも同じようなモノを売ってる。

30

このフェスティバルは開催の2か月前にガンで亡くなったRonnie James Dioのへのトリビュートの意味合いも含まれ、『RONNIE JAMES DIO Stand Up & Shout Cancer Fund』というガン撲滅団体への寄付を募った。
「レジ袋(=Plastic bag)をご要望の方は寄付をご考慮ください。そしてロック・レジェンドの公式チャリティにご協力願います」

20v私もふたつほど買い物をした。
ひとつはフェスティバルのプログラム。
記念品ね。
「Official Programme」とイギリス綴りになっているところがうれしい。

40表4にはRonnie。

50コレも売り物。
ラミネート・パスみたいに見えるけど、パスはあくまでブレスレット。
コレには会場の地図とタイム・テーブルが載ってるの。
すごく便利。
日本のフェスでは、よくタイムスケジュールが載った紙を持って歩くけど、アレはたいていクシャクシャのなっちゃうじゃない?
コレは首から下げておいて、サッと見ることができるので存外に使い勝手がよい。
もちろん、いい記念になる。

60当時の為替レートで1,500円ぐらいだったかな~。
ランヤードが付いてこの値段が安いのか高いのかサッパリわからんが…イヤ、高いか…とにかく記念、記念!

70それと売店で配っていたチラシ。
ELP、Malilion、Asia、Argentの当日の演奏が録音されて終演後にはCDになっているという。
この4組が選ばれた理由は、このフェスティバルの目玉だかららしい。
Argentが気になったが買ってはこなかった。

80場内は色々なアトラクションがあってことの他にぎやかだ。

110こんなオブジェから…

120クラシック・カーの展示まで。

130売店もいくつか散在している。

100
さて、こちらはパスがないと絶対に入れない舞台裏。

140「Cabin」と称する文字通り「小屋」を設置して、出演者にMarshallを試してもらうワケ。
当時はまだMarshall Fridgeはなかったが、連中はこういう時は必ず冷蔵庫を持って来てスタッフやお客さんに冷たいものを提供する…でも、今回はなし。
しかも、普通の水じゃなくて、なんか変なスポーツ・ドリンクみたいなヤツだったのですごくイヤだった。
普段からそんなものを口にしない上に、激ヌルなんだもん!

150vま、狭いし、暑いし、正直それほど繁盛してはいなかったな。

170vさて、いよいよライブを観に行くよ~!
昨日、完全書き下ろしと言ったけど、セットリストなんかはさすがに覚えていないので、昔の記事を参考にしたことを正直に申し添えておく。
  
さすがProgステージ、こんなTシャツの人を発見!
私も同感!
この人、きっといい人だよ。チョット理屈っぽいかも知れないけど。

190vまずはFocus!
フランクフルトでJan AkkermanやThjis van Leerに会ったことはあっても、Focusは観たことがなかった。
ようやく観れる!
残念ながらJanはいなかったけど、ドラムはオリジナル・メンバーのPierre van der Lindenだった。
私にとっては、「Focus」という名前で「Focus」の形をして「Focus」の曲を演奏してくれるだけで十分なのだ…なんて書くと、「ダメだそんなの!オレは1974年に厚生年金で観たぞ!」なんていう人がきっと出てくるんだよね~。
いいんだよ、そんなの。早く生まれている分、早く死んじゃうぞ!…なんて失礼なことも言えないわな。逆転もあり得るからな。
その時の演奏はあまりにも不愛想で、粗削りで、評判が大層悪かったとか…それでもそっちが観たかったよ!
でもこのFocusの始終ニコニコで楽しい演奏も捨てたもんじゃない。
さすがにThjisも年老いて、声はレコードとに同じというワケにはいかないようだが、フルートの音色が実に美しく力強い。
少しだけ最初の方を見逃してしまったが、「Focus II」、「House Of The King」、「Sylvia」など有名曲をバッチリ演奏してくれた。
もちろんハイライトは「Hocus Pocus」。
観客全員でライララ、ライララと大合唱だよ!
その場にいてみなよ!…泣けるぜ~。
まさか生きてる間にロンドンで本物のFocusとみんなで「♪ライララ、ライララ」と大合唱できるとは思わなかった。
いいね、歌詞がない曲は!

180終わり次第メインのClassic Rock StageにThe Answerをチラリと観に行って、すぐさまProg Stageに戻る。
Focusの次に出たBIGELFを観るためだ。
しかし、The Answerもスゴイよね。
メイン・ステージ出演者の中で最もキャリアが浅いというか、格が下なのに大舞台に登場できたのは、CLASSIC ROCK誌が力を入れていたからなのであろう。
Cormac Neeson、カッコいいもんね~。
ギターのPaul MahonはVintage Modernを使っいて、終演後、Marshallのキャビンに訪れた時少し話をした。
名刺を欲しがったので渡した。
  
あ~、中に入って写真撮りたいな~。
いくら最強のパスでも「Press Pass」がないと絶対にプレス・ピットには入れない。当たり前だけど。
210v
さて、BIGELF。
メロトロンを多用したLA出身のプログレ・バンド。
そういえばコレはスティーブに教えてもらったんだっけ。

200ボーカルズ/キーボーズのDemon Foxのカッコよさといったらない。
もちろん曲がいいからなんだけどね。
BIGELFはこの2週間後にサマソニで来日した。
配給しているレコード会社の友人のおかげでステージやインタビューの写真を撮らせてもらい、メンバーに間近で会うことができた。
最近どうしてるんだろう?
いいバンドなのにな~…Marshallじゃないけど。

1_ph_44 BIGELFが終わらないうちにClassic Rock Stageに走る!忙しい~!
Gary Moore!
スゴイ人気だった。

220Garyはこの年の4月、ブルース・セットで21年ぶりに来日していた。
持参した1959SLPの調子が悪くなってしまい、わたしが会場のJCBホール(当時)まで引き取りに行って、修理してまた配達したのだった。
その時のギター・テクが来ていて、当然「ヤアヤア!」ということになった。
グレッグっていったけかな~。すごく感じのいいヤツだった。
あ~、中に入って撮りたいな~。
というのは、その4月の来日公演で、連絡がうまく取れずプレス・パスがゲットできなかったのだ。
また来年日本に来るかもしれないから…と、この時は気楽に考えていた。

230vGaryはこの時も1959SLPと1960Xキャビ。
やはりもんのすごくデカイ音だった。
野外で後ろの方にいてもMarshallの生音が耳元までスッ飛んでくるような感じだった。
やっぱり、今まででGary Mooreのギターの音が一番大きかったかな?
この時はハード・ロックのセットだった。
先にチョット触れたように、日本人のファンの多くがこのフォーマットでの来日を期待し、翌年再度日本にやって来るという話もあったようだが、永遠に実現しなくなってしまった。
皆さん、ご存知の通り、この7か月後、帰らぬ人となってしまったからだ。
したがって、私はGaryの最後のハード・ロック・セットも観た少ないであろう日本人のひとりとなった。
2月6日の昨日がGaryの命日だった。

240ハイ、今度はProg Stageに急げ!
だんだん疲れて来た…。
お互いのステージの音が干渉しないように結構ステージの距離があるのよ。自転車が欲しい!
BIG ELFの次にProg Stageの登場したのはZappa Plays Zappa。
これまたスゴイ人気!
コレで観るのは3回目かな?

250Dweezilのユッタリとした手拍子でスタート。
1曲目は「Purple Lagoon」だった。
お客さんのノリもスゴイ!
メドレーでそのまま「Florentine Pogen」へ。わたしなんかはもうこの時点でめまいがしちゃうよね。
前回の来日時、ボーカルズのRay WhiteがドタキャンしてしまったおかげでドラムのJoe Traversが歌わなくてはならなかった。
今回はそんなこともなく、ドラミングに専念できて、演奏自体は前回の来日時よりも格段によくなった。
あの時は撮らせてもらった写真は宝物だ。
その後、「Cosmik Debris」が続く。"Look here brother~"のところは結構お客さんも大合唱!日本じゃ考えられない。
そして「Inca Roads」!
ようやく聴けた。過去2回の来日、総計4回、東京の全公演を観たけど演らなかったけんね。
それだけに感無量。
いつもダラ~と長尺で演奏する曲がセットリストに入るが、今回は「Big Swifty」。相変わらずジャズ・オリエンテッドのJamie Kimeのソロが最高にカッコいい!
Jamieどうしてるかな?
さらに「Easy Meat」。
ドワッ!「Latex Solar Beef / Willie The Pimp」が出て来た!うれしい!
次の「Apostrophe(')」は大ウケ!
クライマックスはリズム隊が大爆発する「Keep It Greasy」。
そして最後は「Peaches En Regalia」で〆た。やっぱりこの曲は世界中で大人気だね。
アンコールはなし。
ナンダカンダいって2日間でステージを最初から最後まで丸々観たのはコレだけだったわ。

260楽屋にDweezilを訪ねると、「エ~!何でここにいるの?!」と私を見てメチャクチャ驚いていた。
当たり前か。
同じくJamieもビックリしていた。
前回の来日時、下の写真を見せてDweezilにサインを入れてもらった。
Dweezilはこの時のことを覚えていてくれて、「私のことがわかるの?」と尋ねると、「もちろん!ダディのコレクターだろ!」と言い当ててくれた。
ま、大したコレクションではないので気が引けますが…。

1_img_0283_2 そして、この1週間後、フジ・ロックでまたDweezilとJamieに会った。
この時もDweezilはビックリしながら…「ねぇ、キミは一体どこに住んでいるんだい?」と真顔で尋ねられたよ。
そりゃそうだよね、行くところ、行くところに現れるんだもん。でも2回だけです。偶然です。
下はこのロンドンのステージのそででスタッフの人に撮ってもらった。
写りはすこぶる悪いけど大切な一枚。

270vForeignorをチョコっと観る。
やっぱりハイライトは「Cold as Ice」。
メンバーは異なれど、1978年、高校の時に武道館で観た初来日公演と同じだ!
ステージそでにアルト・サックスを投げるIan McDonaldがカッコよくて、とても印象に残っている。

280このフェスティバルはとにかく時間がかぶってしまうのが泣き所だ。
観たいものが多いので仕方ないのだが…。
で、空き時間にはベース・キャンプであるMarshallのキャビンに帰る。
キャビンに居るとSteve Howeなんかがチラリとのぞきに来たりするんよ。
この時は…グワッ!
Billy Gibonsが来てる!

350v_2Dusty Hillも!

320

この身のこなし…カッコいい~。
イヤ、正直ZZ Topのファンであったことは一度もないんだけど、やっぱ興奮するよ~。
1974Xにとても興味があったようだ。

310

Marshallのスタッフが「彼は日本のShigeだよ」と紹介してくれると、Billyはキチっと礼儀正しく私に挨拶をしてくれて、「今度日本に行った時にはMarshallを頼むよ!」と言った。
「も、もちろんです!」なんて答えたけど、ゼンゼン来ないね。
とても物腰が柔らかくて大人の雰囲気が濃厚な人だった。
Dustyも気さくとても感じがヨカッタ。

330

記念撮影の悪い例。
みっともないな、私は!テレビに映った小学生か?!
写真を撮るなら撮るで、お願いしてチャンと撮らせてもらわんか!

340
この頃、Prog StageにはAsiaが出ていた。
今にして思えばJohn Wettonの姿をもう一度見ておくべきだった…と思わないこともないが、何しろAsiaは苦手で…。
それと、もうクタクタになって来ていて、Prog Stageまで往復するのがあまりにもシンドかったのね。
もちろん、それがAsiaでなくてKing Crimsonだったら飛んでっちゃったけどね。
   
ということで、Classic Rock Stageに居続け。
さてさて、1日目の観客のお目当てのひとつは間違いなく、HEAVEN & HELL 'A Tribute To Ronnie James Dio' だろう。
今回のシンガーはノルウェイのMASTERPLANというバンドのJorn Landeという人。
290
そして、Glenn Hughes!
Glennはこの2年後、Marshallの50周年記念コンサートで近くで拝見することになったワケだが、この時は初めてだったもんだからあまりにもスゴイ声にビックリしたわ。
  
ほとんどBLACK SABBATH系を通っていない私だが、すっかり見入ってしまった。
何といってもTonny IommiとGeezer Butler、Vinnie Appiceたちのの存在感が尋常ではない!
お客さんも大喜びで、「Heaven & Hell」では当然の大合唱となった。「♪オ~オ~オ~オ~、オ~オ~オ~オ~オオオ~」って。
今、急に思い出したんだけど、Zappa Plays ZappaがO-EASTの時に「このバンドはもうこのツアーで終わりなのよ。今度はHeaven & Hellに付くのよ」って言っていたっけ。

300ようやくMetal Hammer Stage!
何か雰囲気がエラク違うな~。平均年齢が30歳ぐらい下がるのよ。
でもコレだけは観とかないと!
Black Label Societyだ!

360緞帳が落ちると…出たァ~、これぞロックのステージ!
やっぱり鳥肌が立つゼイ!
4段積みが10列!やっぱりマーシャルの壁はサマになるネェ。
問答無用でカッコいい!

370ところでこのBLS、前日までマーシャルの工場でこの日のためのリハーサルをやっていた。
泊まっているホテルがいっしょだったので毎晩レストランやバーでいっしょになった。
明るくていい人たちなのよ。
ホテルのバーで見ていて気が付いたんだけど、Zakkって財布を持っていなくて、お札をグルグル恵方巻みたいにして丸めて輪ゴムで留めてるのよ。
で、イギリスのホテルのバーはキャッシュ・オン・デリバリーだから一回ごとにカウンターで支払わなければならない。
すると、Zakkはポケットに手を突っ込んで、その恵方巻を取り出して、輪ゴムをハズして、ピッとバーテンに札を渡すワケ。
その所作がカッコいいんだ!
アレ、日本人じゃサマにならないよ~。
ところで、Zakkってサインするときに「SDMF」って書くんだけど、コレ、「Strength, Determination, Merciless, Forever」の略なの?
私は「Society of Dwellers of Mother F*#cker」ってアメリカのニックから教えてもらったんだけど。
だからニックは私のことを「TDMF(Tokyo Dweller of Mother F*#cker」と呼ぶワケ。
私も彼を「ADMF」と呼び返している。「A」は「Arizona」だ。
いつか私の見ている前でニックがこのことをZakkに説明したことがあって、恥ずかしかったわ!

390もう9時を過ぎた。
いよいよヘッドライナーの登場だよ!

400ZZ Top!
イヤ~、カッコよかったな~。

410やっぱり長年トップの地位を確保し続けるだけあって、もう非の打ちどころのない完璧なパフォーマンス。
もうこういうのは演奏がウマいとかヘタとか、音がいいとか悪いとか、そういう次元ではなくて、「空気」だね、「空気」。
もう「ZZ Top」という空気をドンドン吐き出されてきて、辺り一面「ZZ TOP」になっちゃうの。
やっぱり洋楽を学ばないとダメだね。
相変わらず洋楽のエキスを取り入れて国内の音楽が作られている部分はあるんだろうけど、「目黒のさんま」と同じで、骨を抜いてすり身にしたさんまなんて食えたもんじゃない。
あるいはお子様向けの「離乳食」と言ったほうが適切か…。
離乳食ばかりじゃ歯は丈夫にならない。この場合は「耳」だね。
こんなステージを目の当たりにすると、日本人はエンターテイメントに関しては子供のままだと思わざるを得ない。あるいは「幼稚化」の一途をたどっているとでも言おうか。
それとね、お客さんも大人なのよ。出し物が出し物だけに、実際ジジババが多かったんだけど、音楽の楽しみ方がよくわかっている…という感じ。
見ていてお客さんもカッコいい。
最後まで観たかったけど、そんなことをしたら地下鉄が混みまくっていつホテルに帰ることができるかわからなくなっちゃうので、ダニーと早めに退散。
もちろん「Tush」を口ずさみながら…。

430コラ~、バカどもめが!
ゴミを捨てるんじゃない!
Zakkがヘッドライナーを務めてひと足先に全プログラムを終了したMetal Hammer Stage。
こういうところだけはイヤだな。
でも、格差社会のイギリスのこと、コレってもしかしたら一種のNoblesse Oblidgeで、故意にゴミを持ち帰らずその場で捨てていくことによって、「ゴミ拾い」という仕事を作り出すようにしているのかな…そんなことないか?
イヤ、オジさんはそんなことは許さん!
ゴミを捨てるな~!

440つづく

(敬称略 2010年7月23日 ロンドンにて撮影)

2017年2月 6日 (月)

HIGH VOLTAGEの思い出 <その1>

<はじめに>
Marshall Blogは昨年の10月に1,000回目の更新を迎えたが、それ以前にも900回以上の記事を書いていたことを折に触れて記してきた。
それらの古い記事はもう見ることはできないが、すべてデータで残してあって、中には我ながら興味深い記事や貴重な情報も含まれている。
そこで、だいぶ前にそれらを今のMarshall Blogにアーカイヴとして再掲することを思いついた。
さすれば雨傘記事がジャンジャンできて毎日の更新がすごくラクになるじゃん?
ところが権利面での問題が出て来て、そのまま記事を掲載することは断念…ラクはできませんな~。
イヤイヤ、それよりも何よりも…ダ~メ、ゼンゼン。
ヘタで…。
初期の頃の記事を読み返してみると、写真も文章も全くなっとらん!
写真はまだヤングな感じが伝わって来て許せるにしても、昔の文章を読み直した日にゃ顔から火が出らぁ。
9年も前のことだからね。
今も大したことはないけど、こんな私でも少しは成長するもんだと感動したりして。
ま、ひとりでこの調子で2,000回も書いてりゃどんなバカでも少しは物事上達するわな。
…というワケで滅多にやることはないかも知れないが、皆さんにお伝えしておきたい、もしくは記録として半永久的に残しておきたい過去の出来事を「Marshall Blog Archive」として再掲することにした。
アーカイヴと言っても、先に書いた理由によりすべて書き下ろすことになるけどね。
その第1弾が今日の記事。
内容は2010年の7月にロンドンで開催された『HIGH VOLTAGE』というロック・フェスティバルのレポートだ。
当時は確か5回連載でお届けしたように記憶している。
「確か5回…」とうろ覚えな表現をしたのは、過去の記事を確認していないから。
決して横着をしているワケではなく、元の記事を読んでしまうと、どうしても文章がそれに引っ張られてしまうから。
記憶を頼りに完全書き下ろしで臨もうという企画だ。
なので、以前ご覧になって、内容にご記憶にある方にも是非ご再読頂きたいと思う。
本邦初公開の写真もいくつか加えておいた。
  
<背景>
さて、実はこの記事、あるいは企画は、もっと早い時期に取り組もうと思って用意をしていたのだが、毎日の更新や雑事に追われて長い間ほったらかしになっていた。
しかし、今こそ掲載すべき!と一念発起した。
理由は、「CLASSIC ROCK」という名前が昨年の11月に日本中のロック・ファンの間を駆け巡り、多くの人の知れる存在となったこと…コレがひとつ。
この『HIGh VOLTAGE』というロック・フェスティバルは、イギリスの「CLASSIC ROCK」という雑誌(出版社)が主催したものだったのだ。
そう、あの両国国技館で開催された『CLASSIC ROCK AWARD』というイベントの冠ブランドである。
加えて、この「CLASSIC ROCK」誌に大きな変動が起こったこと(後述)。
そして、今ひとつの理由はジョン・ウェットンの死だ。
言い換えると、このフェスティバルに出演したビッグ・アーティストがこの7年間の間にずいぶん他界したことだ。
これらが重なり今ココでまとめ上げておこうと思い立ったワケ。
  
<CLASSIC ROCKについて>
さて、昨11月のこともあったので、簡単にCLASSIC ROCKという雑誌について記しておくことにする。
CLASSIC ROCK誌は古き佳き時代のロックにスポット・ライトを当てた音楽雑誌で、まさに私のような頑固ジジイが泣いてよろこぶような内容。
日本でも手に入れることができるが、私の場合、CLASSIC ROCKを買うのがイギリスに行った時の楽しみのひとつだった。
いつもMarshall Blogに書いているように、私はパンク/ニューウェイブ、あるいは80年代以降のロックにまったく興味がないので、そうでない60~70年代前半のロックがフィーチュアされている時は例外なく買って持ち帰っていた。
ま、買ったところで熱心に中身を読むワケでは決してないんだけどね。
でも、そこはさすが本場モノで、今まで見たことのないような写真がたくさん掲載されているのがすごく魅力的で、他にも『ベスト100ブリティッシュ・ロック・アルバム』なんていう特集はMarshall Blogのネタとしてもとても有用だった。他にも『トップ30プログレ・アルバム』だの、『トップ100ソングライター』だのという企画もすごくおもしろかった。
こうしたチャートものは、本場のイギリス人たちが自分たちのロックをどう捉えているかを物語っているかを知ることができ、私にはものすごく興味があるのだ。
どんなに情報の伝達手段が発達しても、岡井大二さんとのインタビューにあった通り、土台ロックの礎がイギリスとは全く異なるこの極東の島国と、世界の中央との間には大きな隔たりがあることを常に意識しておくべき、という立場を私は採っている。

10そうだ…実はコレは先日の専門学校での授業でも紹介したのだが、ここでもやらせて頂こう。
コレは我々が生まれた時から見てきている世界地図。
ユーラシア大陸とアメリカ大陸の間に位置する世界の中心、日本!まるでアメリカ合衆国が脇役に見える。
正確ではないにしろ、もし「世界地図を書いてください」と言われたら老若男女を問わず、日本人は100%この地図に近いレイアウトで描くだろう。
ところが…

1_j_2 世界はコレだ。
あ~あ~、日本がずいぶん端っこに行っちゃったな~。
こうして見ると、日本がなぜ「far east」なのかが本当によくわかるでしょ?
これだけ世界の中心から離れた末端にいればロックの在り方も変わってしまうのかも仕方のないことなのかも知れない。
でも、もはや音楽に関して言えば日本は洋楽をほとんど受け入れない鎖国状態だから関係ないか?

1_e さて、話を元に戻して…CLASSIC ROCK。
文字通り60~70年代のクラシックなロックを中心に取り扱う傍ら、注目の新人を含めたコンテンポラリーな内容も併催することにより発行部数を順調に伸ばし、やがてイギリスで最も売れる音楽雑誌となった。
そして、通算150号を発売した2010年には、ナントNME(New Musical Exress。1952年創刊のイギリスで初めてヒット・チャートを掲載した老舗音楽雑誌)の発行部数を追い越したという。
それが2013年からの運営母体であったTeamRockという会社が経営に行き詰まり、2016年には姉妹誌のMetal HammerとProgともども出版を中止。
ああ、コレでCLASSIC ROCK誌も一巻の終わりか!…と思っていたら、先月、Future Publishingという元のオーナーが80万ポンド(約112百万円)で三誌を買い戻したのだそうだ。
  
実は以前はMarshallも関係を持っていて、『CLASSIC ROCK ROLL OF HONOUR』というイベントのスポンサーを務めたことがあった。

202010年にカムデンの有名なRoundhouseでそのイべントが開催され、司会はアリス・クーパーだった。
ライブ・パフォーマンスはCheap TrickとSlashをフィーチュアしたAlter Bridgeというバンド。
それに色々な部門の授賞式が執り行われた。
ようするに去年コレを国技館でやったワケですな。

30ようやく本題!
これからレポートする『HIGH VOLTAGE』なるロック・フェスティバルは2010年の7月24日と25日の二日間にわたって開催された。
もちろんこのフェスティバルを観にイギリスに行ったワケではない。その前の週にMarshallで会議があってそれに出席するために赴いたのだ。
このフェスティバルが開催されることは事前に知っていたが、行くつもりなど全くなく、大好きなロンドンの街を散策することに時間を費やすつもりだった。
ところが工場にいる間、仲良しだったスティーヴ・ドーソン(Vintage ModernやJTM45/100のリイシューを担当したエンジニア)から「シゲ、明日以降もロンドンにいるならHIGH VOLTAGEに行ってみたら?シゲのためのフェスティバルみたいなもんだぜ!」と強く勧められた。
そして「アレも出るし、コレも出るし」と出演者の名前を挙げだした。
その中にはArgentの名前もあって、「シゲならもちろん知ってるだろ?」と「Hold Your Head Up」を口ずさみ出した。
聞くところによれば、Marshallがフェスティバルのスポンサーもしているという。
私は暑いのも苦手だし、そうしたフェスティバルものが好きではないので、正直あまり乗り気ではなかったが、私が若いころ好きだったバンドがゴチョゴチョたくさん出るので行ってみることにした。
このことを当時のMarshallの副社長に話すと、インターネットに出ているフェスティバルの情報や会場への地図を親切にプリントアウトして持たせてくれた。
翌日、ロンドンに出ていつもの通りオックスフォード・ストリートをブラつき、HMVの前を取りかかった。

35vすると店先にフェスティバルの看板が出ていた。
中には全く知らなかったり、興味のないバンドもあったが、だんだん楽しみになって来た。
このフェスティバル最大の目玉は、「この日一度だけ再結成する」というEmerson Lake & Palmerだった。
私的にはさっきのArgentやFocus、Zappa Plays Zappa、UFO、Foreignor、BTOっぽいヤツ、Big Elf、ZZ Top、Wishbone Ash、そしてGary Moore等がお目当てだった…ってコレだけ出れば十分じゃんね!ゼンゼンすごいわ。

 
最近は日本もロック・フェスティバルがスッカリ当たり前になった。
皆さん複数のバンドが出るイベントにはあまり行かないのに、フェスティバルはお盛んですよね。
ま、それはいいか…。
そうした大型のフェスティバルに出演バンドの一覧を見ても、残念ながらもうサッパリわからんのよ。
名前ぐらいは知ってるというバンドも多いことは多いが、中には完全に海のモノとも山のモノとも、空のモノとも土の中のモノとも判別できないバンドが多い。
そして、恐らく私の同輩諸兄も同じだと思うのだが、いつもこう思う、「ああ、コレが我々の時代にあったらナァ」と…。
そして妄想がコレに続く…「今年の『サマー・ロック・サミット(仮)』は誰が出るんだって?
1日目のメインのヘッドライナーはツェッペリンか。2日目はディープ・パープルね。またリッチーか。
他にはエエ~ッと…BBAにFree、Procol HarumにTen Years Afterね。Humble PieにSweetにSlade、Nazarethに、ハハ、Budgieも出るのか。
オープニング・アクトはQueenとThin Lizzyか。Queenはまだオープニング・アクトやってるのか?
プログレ・ステージは…クリムゾンとフロイド、今回はYesがヘッドライナーか?
アメリカン・ステージはCCRにグランド・ファンク、ChicagoにBSTね。前座はAerosmithね。最近人気が出て来たからな~」…コレやってるとキリがないんだわ。
で、今の若い子ってフジロックとかサマソニでまさにコレを味わってるワケでしょ?
うらやましいよな~。
でも、私は一種コレに似た経験をHIGH VOLTAGEでしたのであった。

36vさて、開催の当日。
副社長からもらった地図を持って地下鉄で会場に向かう。
会場はヴィクトリア・パークという所で、最寄りの駅はロンドン市内を東西に走っているセントラル線の東のやや外れのマイル・エンド。
どうだろう、東京で言ったら小岩とか市川って感じかな?
中心から30分近く乗ったような記憶がある。

40サマソニの時の幕張駅のような混雑感はまったくなし。
「ホントにこの駅でいいのかよ?」みたいな。

50それでも、若い人たちがポツポツと歩いて行くのでそれについて行った。
途中、お腹がすいたので、小さなハンバーガー屋に入って昼食を摂った。
コレがまた不愛想のトップ・モデルみたいなオヤジがやっていて、オーダーをする時にちょっとビビったが、ゼンゼン親切で、焼きたてで結構おいしかった。

60vおお~、ココが会場か!…なワケはなくて、ただのパブ。
さすが、名前も「The Victoria」。
土曜日のパブはどこも昼間っからこんな感じだ。

70どこの街にも必ずある立派な教会。

80

こういう建造物を見て歩くのが大好きだ。
でも、この教会は他のと意匠が大分違うね。なんか変わった宗派なのかしらん?

90v「BOW WHARF」というのは東ロンドンで最初にできた蒸留所で、100年以上前からウォッカ、ジンやウィスキーを作っている…というのを知ったのは後になってからのこと。
ちなみに「ウォッカ」の発音は、英語では「ヴォドカ」なので要注意。

100「Canal」と呼ばれる運河。そのままか。

120v市内の至る所に横たわる大小の運河が景観に大きなアクセントを与える。
ロンドン・タウンをブラつくのが大好きだ。

130さて、見えてきました、会場のヴィクトリア・パークの入り口。

140面積86ヘクタールにも及ぶ大きな公園。
計算してみると東京ドーム18個分だって。そんなに大きくないのかな?
浅草寺で換算すると。境内の総面積の5倍。
コレでようやくわかった…結構デカイわ。

150さすがに人が増えて来た。

160でもね、一切、急ぐ様子がないのよ。誰も走ったりしない。
焦って会場に入って、少しでも前の方の場所をゲットしたい!…なんて顔つきのヤツがひとりもいない。
ま、出し物が出し物だけに年寄りが多いってのもあるけどね。

180チラリと屋根が見えてきたのは、CLASSIC ROCKの姉妹誌、METAL HAMMERの名を冠したステージ。
すなわちメタル用ステージ。
何やら音は聞こえてくるがまだラウドではない。

190

コレが入り口のゲート。
実に簡素。
テントを張ってテーブルを置いただけ。ま、どこもこんなもんか。

200入り口の壁にはZappa!

210イヤでも目に入る『Apostrophe (')』の凛々しいお顔!

220vこの4か月後にさっきのRoundhouseで開催された、「Zappaの音楽と70回目の誕生日」を祝うイベントの告知ポスター。
Zappaファンのために記しておくと、出演は…
Dweezil Zappa
Gail Zappa
Jeff Simmons
London Contemporary Orchestra(当日「Yellow Shark」を演奏)
Royal Academy of Music(王立音楽アカデミー。ZappaのCDを出していることを以前紹介した
Ali N. Askin(ドイツの映画音楽作曲家)
Ian Underwood
Scott Thunes他… 
観たかったな~。

230vコレはネブワースで毎年開催されるイギリス最大のロック・フェス『Sonisphere』の宣伝。

240vコチラは日本でもおなじみ『Ozzfest』。

250vIan Hunterも頑張ってる。
国内ツアーの告知でマンチェスター、グラスゴー、ブライトン、ロンドン、ニューキャッスル、バーミンガム、ブリストルを回る。
Ian Hunterって以前AVTを使っていたんだよね。

260vそれがですね~、さっきの入り口のゲートのところで少しモメちゃってね~。
入場に際してはすでに中に入っているMarshallのアーティスト担当のジョエルと電話でやり取りをして、ゲートまで迎えに来てもらうことになっていた。
それは問題なかったんだけど、荷物検査を担当したサン・ラみたいなコワイ顔をした黒人のオッサンが、私が持って行ったキャノンの愛機を「絶対に持ち込ませない」ってすごむワケよ。
今から7年前、当時日本はどうだったか知らないけど、向こうはプロフェッショナル・カメラ以外であれば無遠慮にステージの写真を撮っていいことになっていた。
反面、プロフェッショナル・カメラの使用には大変厳しく、「絶対に使わないから!」とそのサン・ラに言っても「ダメだ!ココへ置いて行け!」という。
冗談じゃないよ!
大事な商売道具だし、こんなところへ置いていったら二度と返してもらえないにキマってるだろーがッ!
するとジョエルがパスを見せてチョコチョコと説得してくれた。
そしてOK。
何せスポンサーだからね。
それでもサン・ラはジロジロこっちを見ていたな。
晴れて入場できることに相成った。
もっと早いうちに来ることがキマっいて、事前にプレス・パスを出してもらっておけばこんなことにはならなかったんだけどね。ナニせ急だったから。
中はこんな感じ。

270向こうの方に見えるのが「CLASSIC ROCk STAGE」と呼ばれるメイン・ステージ。
すさまじくホコリっぽい!

280_2ステージは3つあって、それぞれに雑誌の名前が付けられている。
すなわち…
CLASSIC ROCK STAGE
METAL HAMMER STAGE
PROG STAGE
の3箇所だ。

290この頃はまだエア・ギターが盛んだったんだね。
でも、客が2人しかいない!

300後になって盛り上がったようだ。
ま、往年の名バンドが山ほど出て実際に演奏しているのに、何が悲しゅうてエアギターを観なきゃならないのよ!

310v 色んな所に他のイベントの告知ポスターが貼られていたりする。
「PROGPOWER EUROPA」か…なんだコリャ、ナニひとつ知らんわ!

320vチラシもいろいろあって、Jon AndersonとRick Wakemanが『THE ANDERSON WAKEMAN PROJECT 360』なる名義でYesの曲を演奏するコンサートの告知なんてのもあった。

330


つづく

(敬称略 2010年7月23日 ロンドンにて撮影)