I Thought I was Going to Die~英音楽誌が伝えた大震災
今頃こんな話を切り出すのもどうかと考えたが、震災からちょうど2年の今日、これも「ひとつの記録」としてこの記事をマーシャル・ブログに残しておこうと考えた。
下は「The World's Biggest Selling Weekly Rock Magazine(世界で一番売れてる週刊のロック雑誌)」を標榜するイギリスの音楽誌KERRANG!の2011年3月26日号。
普段この雑誌を目にすることはほとんどないのだが、2年前にイギリスに行った時、本当に偶然この本を手に取った。そして、ひとつの記事が目に入った。
I thought I was going to die.....
これはあるミュージシャンのシリアスな言葉…『死ぬかと思った』。その目に止まった記事というのは、震災の時、ちょうど日本に来ていたミュージシャンの体験記だった。
誌面にはスリップノットのドラム、Joey Jordisonのバンド、MurderdollsやBlack Veil Brides、All That Remains等が登場している。
ところでMurderdollsはマーシャルを使用しており、例によって渋谷のO-EASTに取材に出かけたのが震災前日の2011年3月10 日のことだった。Murderdollsは翌日にも東京公演があったが、その日にライブの写真を撮らせて頂けるということで、当日の本番のプレスピットには私ひとりだけが入っていた(…ようだったが、あるいは他の方もいらっしゃったかもしれない)。下がその時に撮った写真。
会場は超満員で、バンドのメンバーもノリノリの激しい演奏で素晴らしいライブとなった。中には翌日のライブも楽しみにしていたファンの方も大勢いたことだろう。
マーダードールズのボーカル、Wednesday 13がKERRANG!誌に語っている。
「床が揺れ出した時に、オレはTGI Friday'sにいたんだ。周囲の人が叫び声を上げ出した。オレはコートと携帯を手に取って外へ走り出た。外の方が安全だと考えたんだ」
そして続ける…
「街路樹やビルディングが真横に揺れていたよ。オレのまわりの物、すべての物が揺さぶられて壊れていった。マジで死ぬかと思ったよ。取材で別行動をとっていたジョーイを除いた仲間は何とか探し出すことができた。ジョーイとは何時間も連絡が取れなかったんだ。まったくパニクったよ。ついに彼といっしょになった時は抱き合ったぜ。もう大興奮だった。ホント、その点ではラッキーだったよ」
当然、11日の公演は中止。結果的にこの時の来日公演の様子を写真に収めたのはマーシャル・ブログだけとなった。
我々日本人は生まれた時から日常的に地震を経験しており、不幸にして地震がそう珍しいものではなくなってしまっているが、イギリス人などは、ほとんどの人が生まれてからただの一度も地震を経験していないという。
地震から約1か月後、たくさんの外国人と会う機会があり、地震の時の様子を訊かれると私は決まって次のように説明した。
「地震発生日、私はたまたま仕事を休み家でノンビリしていた。私の住む家は木造でしかも大層古く、当然その揺れ方たるや尋常でなかった。(Wednesday13ではないが、)このまま家の中にいたら間違いなく潰されてしまうと思い、家の外へ飛び出そうとしたが、揺れが大きすぎて歩くことが大層困難だった。外へ出ると、あちこちで悲鳴が起こり、電信柱はクネクネと曲がり、電線はとび縄のように大きく旋回していた」
この話を聞いた外国人たちは、みんな顔をしかめてOMG状態の表現をしていたが、いくら口で説明したところで地震の経験のない人たちにはこの恐ろしさはわかるまい。
また、原宿のアストロ・ホールでサウンドチェック中だったBlack Veil Bridesのボーカル、Andy SixはKERRANG!に対し、(古い家の話を除き)私とまったく同じ表現でその時の恐ろしさを語っている。
5月にはアイアン・メイデンのニコにも会ってこの時の話になったが、「あの時は参った」と言っていた。メイデンもジャパン・ツアーを予定していて、ブルース・ディッキンソンが操縦する自家用ジェット機で名古屋に来ていたが、すべての公演がキャンセルとなり、次のツアー先にそのまま移動したのだった。
今日であれからちょうど2年。いまだに30万以上もの人たちが避難生活を余儀なくされ、過去の日常を取り戻せずに苦しんでいるというのはあまりにもヒドイ話である。
改めて犠牲者の方のご冥福をお祈りし、一日も早い復旧・復興を心から祈っています。
(一部敬称略 ライブ写真は2011年3月10日渋谷O-EASTにて撮影)