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2022年11月 8日 (火)

【I REMEMBER 令文】私の令文さん <後編>

 
令文さんが弾くギターの大きな魅力のひとつと言えば、Marshallとタッグを組んで出すその日本人離れした豪放な音色だろう。
Marshallがなければこの世に現れることがなかったであろう海外の音楽を十二分に吸収し、1959を自在に操る令文さんのようなギタリストは今後もう出て来ることはないだろう。
もし出て来たとしても、悲しいことにそんなギターのサウンドが活躍する場所がない。
三宅さんとそんな話をしていると言われることがある。
「シゲさんは令文さんのギター音の本当のスゴさを知らない」
三宅さんは高校生の時にライブハウスで令文さんの演奏を目の前で体験してギタリストになることを決心した人である。
一方、これまでも時折Marshall Blogで触れている通り、私は80年代に入ってしばらくした時点でロックから遠ざかってしまったので、いわゆる「ジャパメタのムーブメント」すら知らなかった。
当然MARINOすら存じ上げないワケで、その時分の令文さんのギター・プレイなどまったく体験していないワケだ。
フランク・マリノなら後楽園ホールで観たけどね。
そこで、今でも三宅さんからその当時の日本のロック界について色々と教わっている。
その中のひとつが令文さんの1984年のソロ・アルバム『Raven Eyes』。
スゴイよね~、その時代にロンドンに渡ってジェフ・ベック人脈のミュージシャンと組んでアルバムを作り上げたんだから。
Re今回もそんな話を三宅さんとしていたら、そのパーソネルを伝えるべく、アルバムの裏ジャケを送ってくれた。

Re1_2_2 フムフム…マックス・ミドルトン、クライブ・チャーマン、リチャード・ベイリー、マギー・ベルにスノウィー・ホワイト…なるほど、なるほど。
「Special Thanks」のクレジットに目をやると、「Manchester Sq. & Paddington Fire Brigade(マンチェスター・スクエアとパディントン・ファイア・ブリゲード)」とある。
んんん?
コレは令文さんご本人からの「スペシャル・サンクス」なのかな?
だとしたら、どうしてマンチェスター・スクエアに感謝しているんだろう?

Re2_2 コレがそのマンチェスター・スクエア。
隣りにはLittle Featの『Sailin' Shoes』のジャケットになった元の絵を展示している「ウォレス・コレクション」という国立博物館がある。
Img_0295下の写真では右がマンチェスター・スクエア。
そして、左の茶色い建物は以前EMIの本社だったビルで、ビートルズの赤盤と青盤のジャケット写真を撮影したところ。
この辺りでロックに関するポイントといえばそれぐらいのモノだろう。
どうしてスペシャル・サンクスされたのだろうか?Img_7568一方、こっちはパディントン駅。
ある熊がカバンひとつでアルゼンチンからやって来て、ココで保護されたのでその熊が「パディントン」と名付けられたという話なら知っている。
しかし、令文さんがスペシャル・サンクスでクレジットしたのは「Paddington Fire Brigade」、つまり「パディントン消防隊」だ。
一体、どうしてなのか謎が深まるばかり。
こんな時は本人に訊いてみるのが一番!…と思っても、もうそれができないんだった!
こういう時に猛烈に寂しくなるんだよね。Img_9214_2 私は『RAVEN EYES』はそうして後追いとなったが、その続編の『RAVEN EYES II』はリアルタイムで聴かせて頂いた。
このCDRは<前編>で触れた名古屋の『Marshall Mania』の時にご本人から頂いたモノだろう。
「Razor Boogie」という曲が好きだった。
令文さんは「最近はブギとかシャッフルといった『3』のリズムのロックが少なくなった」と嘆いていらっしゃったので、まさにそんな状況に対する「喝!」だったのではなかろうか?0r4a0145令文さんはプログレッシブ・ロックにも造詣が深かった。
私も大好きで、イタリアン・プログレの「Formula 3」かなんかの話で意気投合したのを覚えている。チッタ川崎のコンサートに2人で出かけたりしたな。
でも、チッタさんが招聘するイタリアン・プログレのコンサートに行ったことはなく、1回はアンディ・パウエルの方のWishbone Ashだった。
帰り道、焼肉屋に寄ってドップリとロックの話をした。
2010_8_20_hackett2人でチッタに出かけた機会がもう一度あったのだが、何のコンサートだったのかどうしても思い出せない。
Colsseumだったかナァ?
スティーヴ・ハケットだったような気がする。
令文さんとはGenesisの話もよくしたナ。
『The Lamb Lies Down on Broadway』が話の中によく登場した。
2010_9コンサートといえば、2008年のウリ・ジョン・ロートの中野サンプラザ。
この時はすごかった。
客席に令文さん、中間さん、三宅さん、ノンちゃん、ルークさん、Syuちゃん、マーティ…多分他にいらっしゃっていたのだろうが、「それ系」のギタリストがゾロリと揃った光景はまさに壮観だった。
Uliそのノンちゃんも「大谷一門会」の門下生だ。
私も「一門会に入りたい!」と三宅さんに願い出たことがあったんだけどね。
「メキシコ製以上の黒いフェンダー・ストラトキャスター」を持っていないと入れない…と、言われて諦めた。102 冒頭に書いた通り、三宅さんは高校生の時に令文さんの生のプレイを目前で体験して人生を決めてしまった人だ。
「大谷一門会」の会則を定めるぐらいの権限はあってもよかろう。
その三宅さんはMarshall Blogのインタビューでこうおっしゃっている。

三宅庸介(以下「Y」):「ストラト」っていうと、高校2年ぐらい?…そこそこギターが弾けるようになった時に見たんですよ…令文さんを京都で。
先輩が録音してきたテープなんかでそれより以前にも令文さんのギターを聴いてはいたんです。
Shige(=筆者、以下「S」):初めはテープだったんですね?いかがでした?
Y:「これは外国人だ!」って思いましたね。
こんなギターを弾く人がいることに驚きました。
「こりゃ観に行かないといけない!」って京都の「磔磔」に行ったんです。
最前列でね…もう令文さんの足が目の前にある。
当然真ん前はMarshallですよ。もうギターの音しか聴こえない!
S:ウワ~、それはスゴそうだ!
Y:はい。
それもボクが聴いてきた大好きなブリティッシュ・ロックのスゴいギタリスト達が出している音と同じだったんです。
令文さんが23~24歳の頃なのかな?
日本人でコレができる人がいるんだったら、自分も本気でやってみようかな?って思いました。
それぐらい令文さんにはインパクトを受けましたね。
ホント、あの時の令文さんを見ていなかったらギタリストにはならなかったかも知れない。
S:へェ~、MARINOの頃ですか?
Y:イエ、MARINOでのデビューの直前ですかね。00c_2一方、コチラも熱烈な令文さんの信奉者であるノンちゃんは、2008年に『From the Womb to the Tomb』というソロ・アルバムを発表した。
その中で1曲令文さんが客演した。
アルバムのリリースの際、昔のMarshall Blogでインタビューをしていて、ノンちゃんがその門下生ぶりを語っている個所を思い出したので、抜粋の上、加筆訂正してココに再掲する。Wtt2Shige(以下「S」=筆者):レコーディングでは令文さんはストラトをお使いになったんですか?
島紀史(以下「N」):はい。MARINOの時の黒いヤツ…ボクからお願いしたんです。
はじめレスポールで弾こうとされていたんですが、「師匠!ここは私が子供の頃に憧れた『ストラトキャスターの魔術師の令文さん』で弾いていただきたい!って。
すると「ほんならアレ持ってきて」と、一緒に来ていたローディに伝えて車から別のギターを持って来させてくれたんです。
もんのすごいボロボロのハードケースから例の「黒」が出てきましてね。
S:それはさぞかしうれしかったことでしょう。
令文さんはご自分のマーシャルでした?
N:ええ、メインのプレキシの1959で、ファズボックスだけを通して弾いてくれました。
S:令文さんはアイドルだった?
N:もちろん!あのアーミングに惚れましたよ。
もうレコーディングの時には単なるファンになってしまいましたね。
(中略)
S:使用ギターのリクエストはしたにしても、「こういう風に弾いてください」みたいなお願いはしたんですか?
N:一切しませんでした。
私が先に録音したんですけど、「ライブでこういうギタリスト(令文さんのこと)と一緒にやったらどうなるか…」というイメージで自由に弾いてください!という感じですね。
お願いは「ストラトキャスターの魔術師になって頂く」ということだけでした。

Wt下は2009年12月20日のCONCERTO MOONのライブの終演後に撮影した写真。
左から、令文さん、三宅さん、ノンちゃん、ジーノ・ロート、BLINDMANの中村達也さん。
みんなで観に来てくれた。
会場は新横浜の現在の「NEW SIDE BEACH」…まだ「SUNPHONIX HALL」という名前の頃だ。
2019_12_20その帰りに食事をしたのもとてもいい思い出だ。
私だけ帰る方向が別で終電に間に合ったのはいいが、どうしてもトイレに行きたくなってしまい、ギリギリまでガマンして泣く泣く途中下車し、残りの家路にはタクシーを利用せざるを得なかった。
もう少し早く店を出ればヨカッタのに…令文さんたちとの会食がよっぽど楽しかったのであろう。
(※写真提供:三宅庸介氏)
3g令文さんはロック以外にもありとあらゆる音楽をお聴きになっているようで、「マヌーシュ」に強いご興味をお持ちのようだった。
「マヌーシュ」というのはジャンゴみたいなジプシーの音楽ね。
私がジャズが好きだということから時々ジャズの話もたくさんしたな。
その中にベルギーのギタリスト、「フィリップ・キャサリン」の名前が出て来てサスガと思ったことがあった。
よっぽどのFocusファンでない限り、普通のロック・ギタリストは「フィリップ・キャサリン(Philip Catherine)」なんて知らないだろうからね。
昔は「フィリップ・カテリーン」と表記されていたベルギーのギタリストで、チャールズ・ミンガスをして「ヤング・ジャンゴ」と呼ばせしめた人。
実際、ジャンゴの相棒のステファン・グラッペリと活動を共にしていていたことがあって、良質なジャンゴ・ミュージックのアルバムを何枚か残している。
私は大学生の時にデクスター・ゴードンの『Something Different』というアルバムを聴いてからの大ファンで、レコードやCDをずいぶん買い漁っていた。
令文さんはやはりFocusの『Con Proby』というアルバムでキャサリンをご存知になったようだった。
誰も喜ばないであろうこのアルバムのことを口にしたのは、後にも先にも令文さんと三宅さんぐらいだったナァ。
令文さんは本当に音楽をよく知ってらした。
もちろん、裏話の類もお得意で、令文さんとのロック話はいつもとてもいい勉強になったし、色々なバンドをおススメを頂いた。
その中にJourneyがあった。
元より80年代のロックを全く聴いていない私は「商業ロック」の権化と思い込んでいるJourneyが大のニガテ。
そのことを令文さんに告白すると「アレ?…初めの2枚はプログレっぽくてスゴくいいから、ウッシーも絶対に気に入るよ!」と言われてすぐに買って聴いた…残念ながら全く受け付けなかった。
Journeyだけは令文さんと合わなかったナァ(Journeyに関しては三宅さんとの関係もうまく行っていない)。
9fcon_2令文さんは音楽以外のことも詳しかった。
映画に関してドップリと話をした記憶はないが、やはり『モンティ・パイソン』の話をしたナ。
ある時、ジョン・クリースの話になったことがあって、『Fawlty Towers』という1970年代にBBCで放映されていたコメディ・ドラマをススメてくださった。
もちろんそういう時の令文さんは、ニッコリとほほ笑んで少しだけ肩をすぼめ、右手の人差し指と親指で輪を作って「グー!」という仕草をされる。
私はその『Falty Towers』のことを知らなくて、予てよりMarshallの連中に「観ろ、観ろ」とススメられていた。
それを令文さんがご存知だったので、迷わずすぐにDVDのボックスセットを買った。
そして「オモシロかった」と令文さんに感想を伝えると、うれしそうにニッコリ笑って「オモシロかったでしょ?」と例の「グー・ポーズ」を取ってくれた。
下の後列真ん中のヒゲのオジさんがジョン・クリース。Ft_2 そういえば、令文さんは私が撮る写真もお気に召して頂いていたようで、コレは人づてに聞いた話だが、「ウッシーが撮るギタリストの写真はすごくいいね…でも、ギタリスト以外の写真はわからんな」とおっしゃってくださったそうである。
大きなお世話である…ウソウソ、この話を聞いてとてもうれしかった。
私がやっているのはMarshallのブログなのだから、最高のギタリストに自分が撮ったギタリストの写真をホメられるなんて、こんな栄誉はない!
私が撮った膨大な数の令文さんの写真のコレクションは私の宝物である。
しかし今、もっとオフ・ステージの姿を撮っておけばヨカッタナァ…と少しばかり後悔している。
そもそも令文さんと撮った自分の写真すらありゃしない!Img_0115 令文さんとの思い出に関しては、まだまだ忘れていることがきっとたくさんあるだろう。
子供の成長なんかが良い例なんだけど、結局、「覚えていること」って「写真やビデオになっていること」が多いんだよね。
Marshall Blogで令文さんの記録が残っているのは2006年からで、今日までたった16年程度の期間ではあったが、長く、密度の濃い不世出のギタリストのキャリアの一部を切り取って、出来る限りたくさんの記録をMarshall Blogに残すことができたのは有意義なことであると思う。
それでは<前編>に引き続き、今回も現在のMarshall Blogで閲覧できる大谷令文さんの記事を紹介していくことにする。
 

NEW AGE REVOLUTION <前編>~EROS→の巻
[2014年10月19日 横浜7th Avenue]
高橋ヨシロウさん率いるトリオ、「EROS→」のライブ・レポート。
コレは並々ならぬ緊張感と迫力に満ちたステージだった。
令文さんの「ACTION/100000VOLT」のフリがとても印象に残った。
「来るぞ、来るぞ」とサスケのような気持ちで、その瞬間を逃さないように集中したことを覚えている。
 
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100 

BATTLE OF FORCE 2014 <後編> MARINO&MEDUSA
[2014年11月2日  目黒鹿鳴館]
立錐の余地が全くないほどの満員だった。
身動きを取るスペースが全くなかったので、ホールの中ほどの下手の壁際に脚立を置いて、そこから動くことなくすべてのステージを撮り切った。
8年前か…まだ私も若かったってか?今はもうそんなことできないかも知れない。
人生で2回目のMARINO。
この日は色々あったけど、何しろ汗まみれの凄まじいステージだった。
  
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235

 
EROS→TEAM ACTION 【ACTION! DEBUT 30th ANNIVERSARY】<後編>
[2014年12月21日 目黒鹿鳴館]
ACTIONのデビュー30周年を記念するライブ。 
2部構成で第1部のギターは原田喧太さん、2部が令文さんだった。
そして、後半では喧ちゃんが合流。
会場は鹿鳴館だったが、特殊効果が入ってすごくオモシロかった。
「筋金入りのロックの権化」のようなモノを見た気がした。
 
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210 
ROCK 'N' ROLL RESEARCH (マーシャル編)~<後編>THE KEY PROJECT & Tohben/Raven/Roger
[2015年1月10日 吉祥寺ROCK JOINT GB]
名古屋の「メリケンバンド」のジョーペリー小山さんの企画。
まず「ROCK 'N' ROLL RESEARCH」というタイトルがスゴかった。
出演者も強力でいかにも「マーシャル編」という名にふさわしいショウとなった。
 
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290_5 

GENKI SESSION 2015
[2015年8月22日 東京キネマ倶楽部]
前年に引き続いてのGENKI SESSION。
令文さんはご自身のMarshallフルセットを持ち込んで凄まじいプレイを披露してくれた。
曲良し、音良しの極上のロック・ショウ。

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【後日譚】 『アンプ大名鑑 [Marshall編]』のこと~あらためましてのありがとう!~
[2015年12月15日掲載]
私が監修したMarshallの本をイの一番でご購入頂いた。
も~、この仕事は苦労の連続でしてね、毎日夜中まで英文とニラメっこをした労作だったので、令文さんにお買い上げ頂いてとてもうれしかった。
その後、令文さんとこの本について話した記憶がないんだけど、令文さん読んだのかな?
 
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O_10 
POWER AND THE GLORY Vol.20 <前編>~MAD ROSE MIX & Moth in Lilac
[2015年9月27日 目黒鹿鳴館にて撮影]
今度は「MAD ROSE MIX」というバンド名義でのヨシロウさんとのステージ。
ヨシロウさんのデビュー35周年を記念して結成したチームで、当日の令文さんはJCM2000 DSL100をお使いになっていたが、恐らくこの時もあのスマイルで「ツマミが多い」とおっしゃっていたに違いなし。

 
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160 
ROCK 'N' ROLL RESEARCH (マーシャル編) vol.2~<後編>湯川トーベン、大谷令文&ロジャー高橋 and THE KEY PROJECT
[2016年1月9日 吉祥寺ROCk JOINT GB]
1年の間を空けて開催された「ROCK 'N' ROLL RESEARCH」第2回目。
このトリオも最高だった。
ところで、このイベントは「マーシャル編」以外のリサーチはしたのかしらん?
 
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150 
1000のMarshall Blog! <Day3>
[2016年10月25日掲載]
Marshall Blogの1000回更新を記念してたくさんの方にコメントをお願いした。
当然、令文さんにもひと言頂戴した。
最近、2000回&10周年をマークしたけどナニもしませんでしたわ。
 
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1_img_0376 
44605960(ヨシロー・ゴクロー)~人間万事塞翁が馬~ <後編>
[2016年9月28日 吉祥寺ROCk JOINT GB]
ドラマーの久嶋喜朗さんの「さよなら」ライブ。
私は久嶋さんもこのイベントのことも存じ上げなくて、令文さんから電話でお誘いを受けてカメラを持って駆けつけた。
「はじめまして」の出演者が多かったが、令文さんがご丁寧にひとりひとり紹介してくださった。
「いつもMarshall Blogを読んでます!」なんていう方もいらっしゃってうれしかったな。
ボカァはコレを言われるのが一番シアワセなんだ。
この時も最高に楽しかったナァ。 
 
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320_2 
GENKI SESSION ~Summer of Love~
[2019年8月23日  東京キネマ倶楽部]
どういうワケか3年もの間が空いてしまった。
久しぶりにMarshall Blogにご登場頂いたのは東京キネマ倶楽部での「GENKI SESSION」のレポート。
まさか、令文さんにお会いして生でギターを耳にするのが最後の機会になるなんてとても想像できなかった。
残念だけど観ておいてヨカッタと思っている。
そして、記録を残すことができたのはMarshall Blogの大きな財産となった。
 
記事はコチラ⇒Marshall Blog

602
以上、Marshall Blogに残されている令文さんの記録を紹介した。
 
Marshallをお使い頂いているギタリストは日本にもたくさんいらっしゃる。
大変ありがたいことだ。
ギター演奏の技術も進化を極め、学校の普及により若い人でも驚くほ超絶的なプレイをすることが珍しくなくなった。
皮肉なことに、一方ではロックは誕生から約70年が経過し、その間に本来のロックが持っていた魅力をドンドン失い続けて来たように思う。
「時代の移り変わり」とはいえ、私のような70年代ロックの人間にはずいぶんと遠いところへ来てしまったナァ…と感じざるを得ない。
これが「一般化」とか「普及」の宿命なのであろう。
それでも誰かが、そうした古来のロックの魅力を伝えて行って欲しいと思っていたし、Marshall Blogとしてはそのお手伝いをして来ているつもりだ。
それでは「そのロックの魅力とはナニか?」と問われれば、答えは世代によって多岐を極めるであろうが、Marshallの人間として即座に答えたいのは「1960年代の後半から1975年あたりまでに生み出されたロック」と答えたい。
言い換えるのであれば、順列組み合わせでも、新鋭機材の競争でもなく、人様のコピーでもなく、「自分たちのオリジナリティを追求していた時代のロック」である。
この時代のロックを「ギターとMarshallのコンビネーション」という手段で伝承してくれていた最後の砦のひとつが令文さんだった。
つまり礼文さんは「70年代のロックの空気」を自然に包含していたのだ。
この「空気感」というモノは、その人が過ごして来た環境や時間だけが作り得るモノなので説明や教授をすることができない。
令文さんの場合は、Marshallで作った音楽をギタリストという立場でほぼリアルタイムに浴びて来た人の「空気感」ということになろうか。
最低でも爆音。
やっぱり耳にイヤホンを突っ込んで蚊の啼くような小さい音で演奏しているようでは、この空気感を漂わすことは不可能だ。
学校でギターを習って来た若いギタリストたちも令文さんのギターの音にブッたまげていたからね。
そうした若い子たちに薫陶を与えて頂く機会がなくなってしまったことは返す返すも残念である。
 
令文さんのギターの音を生で聴くことはもう永久にできないが、令文さんの業績や意志を理解し尽くしている三宅さんや島さん、そして他のMarshallのギタリストが少しではあるが、まだいる。
そうした優れたギタリストたちに令文さんが築き上げた「日本のロック・ギター」の伝統を引き継いで頂き、後世に伝えて行ってもらいたいと切に願う次第である。
 
令文さん、お疲れさまでした。
長年にわたりMarshallをご愛顧賜り心から御礼申し上げます。
安らかにお眠りください。Img_01443 以上が私の令文さんの思い出。
令文さんの追悼特集はまだまだコレから。
次回からはこれまで見ることができなかった昔のMarshall Blogの令文さん関連の記事を復活させて時系列にお送りします。
 

200 (一部敬称略 ※本記事の制作に当たりましては三宅庸介さん、並びに島紀史さんよりご協力頂きました)