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2020年7月

2020年7月30日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.50~変わりゆくロンドン <その1>

毎度毎度、古臭い映画を引き合いに出して恐縮なんだけど、観たことある?
ジーン・ケリーの『踊る大紐育(On the Town)』。1949年のアメリカ映画。
「紐育」は「ニューヨーク」のことね。
24時間だけ上陸許可が与えられた水兵3人がニューヨーク見物をしたり、ステキな彼女を見つけようと奮闘するミュージカル・コメディ。
ま、実はどうもシックリ来なくてあんまり好きな作品ではないんだけど、見るたびに自分自身を思い出しちゃってね。
「ステキな彼女」を見つけるジーン・ケリーの方じゃないよ。
24時間でニューヨークの名所をすべて見て歩こうというフランク・シナトラ扮する「チップ」の方。
初めてロンドンに行った時のこと…まさに1日でロンドンをすべて見て歩こうと大いに欲張った。
まさかその後30回も行くことになろうなんて思いわないからね。
それで、「ココへ行った」、「アソコも行った」とMarshallの連中に話をしたら「足は大丈夫なのか?」とかなり驚かれたことがあった。
モモがパンパンになったけど、どうってことはなかった。
20年近く前の話…今ではもう出来んね。
10v『踊る大紐育』の音楽の一部はレナード・バーンスタイン。
その中に「Come up to my Place」という曲がある。
ニューヨークを観光したがっているチップ一目ぼれしてしまったタクシー・ドライバーのヒルディが、観光なんていいから「Come up to my place(ウチにおいでよ)」と逆ナンパをするコミカルな1曲。
チップはお父さんから「ニューヨークの必見」を吹き込まれていて、「水族館」や「ウールワース・タワー」等、行きたい先を告げるが、ヒルディがそれを聞くたびにビックリして何度も急ブレーキを踏んでしまう。
「そんなモノはとっくの昔になくなっちゃったわよ!そんなことよりウチにいらっしゃいよ、ウフン」というワケ。
すると、急ブレーキでガックリしながらシナトラは「Hey what did you stop for?(ちょっと!ナンで車を止めるの?)」とヒルディに尋ねる。
そして、急ブレーキを踏むたびに「Hey what for did you stop?」、「Did you stop for what, hey?」、「Did you stop for hey what?」と英語がドンドンおかしくなってくるところ最高におかしい。
そんなシーン。
「ウールワース・タワー」は1930年まで世界で最も高いビルだった。
施主の実業家フランク・ウールワースはその建設費用を現金で支払った話は有名。
ウールワース・タワーの高さを抜いたのは「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト」のビル。
それに負けじとテッペンに尖塔を乗っけて高さ世界一の座を獲得したのがあの「クライスラー・ビル」。
そして、「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト」ビルの現在の持ち主はドナルド・トランプだ。
 
さて、そんな「ニューヨークの必見」リストに出て来るひとつが「Hippodrome(ヒッポドローム)」。
ヒッポドロームというのは、「戦車レース」を開催する競技場のことなのね。、
映画『ベンハー』でジュダ・ベンハーとメッサラーがヤルかヤラれるかの手に汗握る戦いを展開するアレ。
何かインターネットから画像を借りようと思って検索したところ、すぐに目に飛び込んで来たのがコレ。
ビックリしたわ~。
この絵、去年マンチェスターの美術館でホンモノを見たのよ、偶然。
実物はすごく大きくて、音が聞こえてくるようなものスゴイ迫力だった。

11_cr もちろんニューヨークにそんな物騒なモノがあったワケがない。
ニューヨークの「Hippodrome」というのは5,000人を収容する大劇場の名前。
6番街の43丁目だから、グランド・セントラル駅とかクライスラー・ビルの辺りにこんなモノがあった。
1939年に解体したというから、この映画のたった10年前。
「ニューヨークの10年」は時の流れが早いということなのかな?
久しぶりにニューヨーク行きたいね。Hippo さて、ところ変わって我がロンドン。
このレスター・スクエアの端、チャリング・クロス・ロードに面した角にあるこの茶色い建物。

20「Hippodrome」という。
過去「ヒッポドローム」と名付けられた劇場やホールがたくさんあったが、『踊る大紐育』のようにみんな無くなってしまい、このヒッポドロームは今でも残っている数少ないウチのひとつ。
1900年の開業で元は劇場だった。
セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスが、1919年に『白鳥の湖』をイギリスで初演したのがココだったという。
その後、1950年代にはナイトクラブになり、スゴイよ、もうありとあらゆるジャズ系の超ビッグネームが出演している。
やっぱりロンドンはスゴイ。
その後、紆余曲折があったが、2012年、ボリス・ジョンソンロンドン市長の下、カジノになって現在に至っている。
チャイコフスキーがしまいにはゲーセンになちゃった。

30…と、今回からこうして変わっていくロンドンを自分なりに観察したレポートを掲載する。
私なんか初めてロンドンに行ってからたった18年しか経っていないし、3週間以上滞在したこともない。
「そんなロンドンに住んだこともないヤツにナニがわかる?」と言われても仕方ない。
しかし、東京に住んでいてもスカイツリーの展望台に上がったことのない人はゴマンといるだろう。
私はロンドン・アイに乗ったよ。
タマに行くからこそ、色んなモノが見えてくる。
そして、見えてくるモノはいつでも興味深く、オモシロイものばかりだ。
住んでいたらこうはいかないだろう。
住めば「都」にはなるが、「都」には負の側面もたくさんあるハズなのだ。
そりゃ地下鉄でクレジットカードの入った財布をスラれたこともあるし、昨年は右膝の激痛に涙を流しながらヘコヘコ歩いたりもした。
でもいつもワクワク・ドキドキの旅になるのがロンドン。
そんな我が愛する街のチョットした移り変わりをお楽しみあれ。

11_0r4a0005まずはコレ。
もう何度もMarshall Blogに登場しているバタシー発電所。
バタシーがマーブロに出て来るたびに書いているけど、私は『The Wall』までのアルバムは全部持ってはいるんだけど、特段Pink Floydのファンではないのね。
ところで、Pink Floydの出身でどこだか知ってる?
ロンドンじゃないよ。
彼らはケンブリッジから出て来たバンドで、ケンブリッジの人にとってPink Floydは大学と並ぶ自慢のタネなんだって。
イギリス人とロックの話をする時は「あのバンドは〇〇出身」ということを頭に入れて臨んで置いた方がオモシロい。
日本人の力士か高校野球みたいなもんだね。
で、Pink Floudにお熱でなくても私はHipnosisの大ファンではあるからして、2005年に初めて電車の中から見た時は感動したね~。

55cdコレがその時の写真。
カンタベリーへ行く時に撮った。

Rimg0192ヴィクトリア駅を離れ、テムズ川を渡ってすぐにその姿が見えたので慌ててカメラを取り出してシャッターを切った。(この頃はまだ写真をやっていなかったのでこんな出来になっています)

Rimg0188「デケェ~!」と大興奮!

Rimg0182完全に廃墟。
85そして、いつかココに来て、直にその威容を目に入れようと決心した。

Rimg0179その4年後の2009年。
やって来た。
「Battersea Park(バタシー・パーク)」の駅に降り立ったところ。
さっそく煙突が見えた時はうれしかった。40建物のサイズが超デカいので、近くに見えても思っていたより歩く。
子供たちが書いたバタシー発電所の絵なんてのがズラリと壁に貼ってあったんだけど、写真を撮っておけばヨカッタな。50バタシー発電所は以前にもやっているので、今回は歴史だのナンダのは省略。
でもチョコっとだけ…このバタシー発電所を設計した人のことを。
コレはやってないでしょう?
前にも出してるかな?…Giles Gilbert Scott(ジャイルズ・ギルバート・スコット)という人。

65この人、ジギー・スターダストじゃないけど、皆さんにもおなじみであろう、ロンドンの赤い電話ボックスはこのスコットさんのデザインなのだ。
このデザインは見事に変わらないね。

66それとコレ。
コレはテムズ川沿い、ちょうどセント・ポール大聖堂の向かいにある、現在は「Tate Modern(テイト・モダン)」という近代美術をコレクションしている美術館。
元は「Bankside Power Station(バンクサイド)」という発電所だった。
こんな街中にバタシーとバンクサイドという2つの巨大な石炭火力発電所があったなんてあまりにもスゴイ。
しかも1981年まで稼働していたというんだから驚く。
コレもジャイルズ・ギルバート・スコットの設計。
この美術館、とてもいいですよ。
ロンドンに行ってテムズ川沿いウォーキングをするチャンスがあれば面倒がらずに寄ってみるといいです。67さらに、テイト・モダンを少しさかのぼったところに架かっている橋。
「Waterloo Bridge(ウォータールー橋)」は映画『哀愁』の舞台になったり、The Kinksの必殺の名曲「Waterloo Sunset」でRay Daviesが美しい夕日を歌っているとされている場所(この近くの「セント・トーマス病院」という説もあり)。

11_img_0440コレもスコットさんの設計だっていうんだよ。

11_img_0441さらに!
「イギリス三大大聖堂」ってナニか知ってる?
そもそも「三大」をキメたがるのは日本人のクセなので、イギリス本国には「三大」も「番台」もないと思うんだけど、ナニかの本で読んだところによると、一応その答えは、「カンタベリー、ヨーク、リバプール」だっていうのね。
そのリバプール大聖堂を設計したのもスコットさん。
私、偶然にもこの3つの大聖堂に行ったことがあるんだけど、このリバプールのヤツは新しいだけあってかなり異質だった。
もうリバプールへ行ったのも15年も前のことだわ。
リバプールの人をアダ名で「Scouser(スコ―サー)」という。
ジョンもポールもスコ―サーだ。
11_rimg0355このスコット家、ジャイルズのお父さんがまたスゴイときてる。
George Gilbert Scott Jr.(ジョージ・ギルバート・スコット・ジュニア)という人で、「St. Pancras Station(セント・パンクラス駅)」を設計している。68タマには上の方から…。
この写真どこから撮ったんだっけかナァ。
ズ~っと工事をしていたけど最近完成して、かつてはウォータールー駅だったユーロスターの発着駅が線とパンクラスに移動して来た。
変わりゆくな~。
電車でパリに行くには今はココから。

11_rimg0319それとロイヤル・アルバート・ホールの向かいにあるアルバート公(ヴィクトリア女王の旦那)をかたどった「Albert Memorial(アルバート記念碑)」もお父さんの作品。
69vさて、バタシー。
2009年に来た時はグルリと発電所の周りを歩いてみた。
中に入りたくて係のオジさんに頼んでみたけど、当然NG。
70
この辺り…実はクサイ。
生ゴミのニオイでかなりクサイ。
近くにゴミ処理の工場があるのだろう。
それと生コン屋。
生コン屋はもちろんクサくない。
奥のセメント・サイロがデカい。300t以上はあるかな?
その割にはミキサー棟がすごく低いのが気になる。
恐らく強制ミキサーが設置されているんだろうけど、この高さだと計量ビンを設置するスペースがないハズだ。
外で計量して材料をミキサーに送り込む方式なのだろうか?
イヤ、そんなことはどうでもよくて、ゴミ処理場に生コン屋…あのロンドン・タウンからテムズ川を隔てただけの場所にこうした設備があることが信じられない。
逆に言うと、ココがいかにロンドンの外れかということがわかる。
昔の島原とか吉原みたいなもんですな。
要するに人里から離れていた、ということ。80vこうして見ると確かにそんな雰囲気ではあるでしょ?

180今、煙突は4本立っているけど、そもそもは2本だった。
そして、同じ形のものを建て増しして4本体制になったんよ。86そして、6年後の2015年。
あ~、煙突が1本ない!90とうとう再開発の工事が始まり、煙突を取り外して修繕をしてまた取り付けるのだとか…この時はそんな話を聞いた。

110外装を残しつつの大改装工事。
100周囲も大掛かりな工事を実施してこんな感じになっていくらしい。
変わりゆくな~。120そしてしまいにはマンションが立ち並んでこうなるんだとか…。
コレは計画案のひとつなのだろうが、こんなことをしたら電車の中から発電所が見えなくなっちゃうね。
こんなんじゃブタも飛んで来れないね。

130vすぐ近くには「バタシー公園」といういい公園があるし、ロンドン・ヴィクトリア駅まではひと駅だし、住み心地はいいかも知れない。

135発電所建屋の中もこうなるんだとか…。
170そして煙突。
何と言ってもバタシーのアイコンですからね。

140vオイオイオイオイオイ、それがこんな展望台になるっていうじゃんよ!150なんかイヤだナァ。
コレは変わりゆきすぎだろ~!
残念ながら去年はバタシーに近寄る機会がなかったので、最近の状態はわからないが、工事も進んで大分様子が変わったことだろう。

160ヤッパリ、オールドなロック・ファンとしてはこういうイメージでいて欲しんだよね。
実際には煙突から煙が出ている所を見たワケじゃないけど…。
バタシーどころか、最近じゃ銭湯の煙突から煙が出ているのも見てないもんな~。
コレはみなさんご存知のThe Whoの『Quadrophenia』のブックレットの写真ね。 

163同じブックレットに載っているのは「Hammersmith Odeon」の写真。164ココは名前がガンガン変わって来たけど、外から見ている分にはそう変化はない。
ま、ここのところハマースミスには行ってないけど。
今は「Eventim Apollo」っていう名前になっているのかな?…変な名前。
Eventimというのは現在この会場を運営しているドイツのブレーメンに本拠地を置く「CTS Eventim AG & Co. KGaA」というイベント会社の名前から来ている。

165ほぼ原形を間近で見ておいてヨカッタわ~。
でも再開発工事が完成したら絶対見にいくけどね。
…ということで「変わりゆく」トップバッターはバタシー発電所でした。

60さて、場所はいきなりウエスト・エンドに飛ぶ。
ロンドンの街を歩いていると、よくこういう先生に引率された小学生の団体を見かけるんだよね。
日本では幼稚園とか保育園が多いけど、ロンドンは小学生。
みんなで美術館や博物館や大聖堂に出かけて自分の国がいかにスゴイかということを学ぶ。
スゴイよね、ロゼッタ・ストーンからゴッホの「ひまわり」からフェルメールからエジプトのミイラまで、子供の頃から無料で体験できるんだから。
同じ人間に生まれて不公平だっちゅーの。
日本もとても素晴らしい国…というより国民なんだけど、民主主義と戦争と芸術を学校でミッチリ教えないのが「タマに大キズ」だと思う。
225さて、街中がエラく変わったのよ。
恐らくイギリスの人は気が付かないかも知れない。
何が変わったのかというと、そこら中に日本関係の食べもの屋が増えたんだよね。
このシャフツベリーにもホラ…「SHIBUYA」だって。
ホーチミンで出くわした「ASAKUSA」にもマイったけど、ロンドンくんだりまで来て「渋谷」はイヤだな。

240店先にはこんなサインが…。

250寿司、うなぎ、うどん、カツカレー、海鮮丼…デパートの食堂みたいにナンでも揃ってる。
この食品サンプル、まさか合羽橋で揃えたのかな?
こういうタイプのお店は昔から何軒かあったけど、富に増えた。
私も以前は滞在中にどうしても日本の食事が恋しくなるとこういう所に食べに来ていたが、今は絶対にしないようにしている。
どんなに苦しくても現地の食べものを摂るように努めている。
理由は特にないんだけど、やっぱりどうしても割高だし、オモシロ味がないでしょ?

260コレは2015年にカーナビ―・ストリートに行った時の写真。
上野に餃子で有名な「昇龍」というお店があって、それと同じ名前だったので一瞬ギクっとしたが、コチラさんは豚骨ラーメン。
まだお店は開店の準備段階だった。270それがアータ、今回はソーホーやらマンチェスターでもやたらと昇龍を見かけてビックリ!
当たったね~。
私は豚骨ラーメンをほぼ全く食べない醤油アッサリ派なんだけど、この豚骨テイストはイギリス人の舌にマッチするんだネェ。
煮干しはダメかナァ?
290コチラはマンチェスターのお店。

130_2 シャフツベリーにもう1軒トンコツ。
博多勢強し!

320ココなんかその名もズバリ「ラーメンバー トンコツ」と来たもんだ!
いくらぐらいだと思う?
お店によって幅があるけど、調べてみると普通のラーメン1杯で今の為替レートで1,300円から1,800円ぐらい。
餃子は安くて560円、高くて1,200円ぐらいか。
Marshallの友達がテムズ川南岸にあるお好み焼き屋に行って「1枚3,000円ぐらいだった」と言っていたのを見るところラーメンはかなり割安か?
現地にお住まいの方々は安く日本の食材を手にいれる方法をご存知なんだろうけど、我々のようなビジターがソーホー当たりの日本食材店に入って値段を見た感じでは、だいたい日本の3倍。
高くて4倍といったイメージかな?

280「Hyotan(ひょうたん)」というお店。
コレは「Margaret Street(マーガレット・ストリート)」というオックスフォード・サーカスにほど近いお店。
看板には「Japanese Food Hall」なんて書いてある。
一軒はさんでその向かって右に「47-50」というサインが出ているところがあるでしょ?
ココがスゴイ。
今回はスキップするけど、トラディショナルなロックに詳しい人ならヨダレがでること間違いなし…のロック名所。
私はヨダレだらだらです。
近い将来、他の回でご紹介します。

11_img_9950これもウォード―・ストリートにあるうどん屋さん。
以前テレビで留学中のウエンツ瑛士さんが「行きつけの店」と紹介していた。325vコレはフォー屋。
日本料理ではないけど、フォーが好きなもんで出しておいた。
私の中では、フォーは食べても許されるルールになっています。
でも絶対にパクチーはゴメンだぜ。
「ノー・コリアンダー・プリーズ!」330v「KAPPA」という日本料理店。
コレはアールズ・コートで見かけた店。

300v何しろ今はMarshallのあるミルトン・キーンズの「Wolverton(ウルヴァ―トン)」というところにも「AKASAKA」という日本食のレストランがあるぐらいだからね。
安くておいしいらしい。
 
もうとにかくこのラーメン屋を含む日本食レストランの増殖ぶりには驚くばかりよ。
18年前と比べて…なんてもんじゃない。
4年前と比べて全く様相が違うんだからね。
変わりゆくね~。
今からやるとなるとナニ屋がいいかね?
ホルモンだけはダメだよ。

11_img_8892 さて、今日はその日本料理屋がらみでもうひとつ変わりゆく「ロック名所」をご案内して終わることにしましょう。
それはピカデリー・サーカスからオックスフォード・サーカスに向かってリージェント・ストリートをチョット行って左に入ったところの「Heddon Street(へドン・ストリート)」。

340昔はこんな感じ。
10年以上前の写真。
361イタリア料理店なんかが立ち並ぶオシャレな通り。
362v今はこんな感じ。

350ウワッ!
「酒蔵」だって。
こんなところにも日本料理店!

360なんで「ウワッ!」かと言うと、コレの真正面だから。
370ココって『ジギー・スターダスト』のジャケット写真を撮影した場所なの。363cdこんなのまでくっ付けちゃって!
変わりゆくな~。

390裏ジャケのこの電話ボックス…。

400以前はこんな感じでまだ据え付けられていた。410v今はこんな感じ。
チョット遠慮してる?
スコットさん、ゴメンね!

11_img_9729<つづく> 
 
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2020年7月28日 (火)

【BREAK the CODE】新シリーズスタート!~第1弾はD_Drive Yuki

D_Drive Yukiが愛用しているMarshallはJVM410H Blue Rose Special。

11_0r4a0236いつもこのMarshallをお供に日本国中で暴れまくっている…今チョットお休みしてるけど。

11_0r4a0517そのYukiちゃんのJVMサウンドが詰め込まれた新曲「Thumbs Up」は聴いて頂きました?
おかげさまで大好評!
特に海外でのウケがいいようなんですわ~。
日本のファンの皆さんからも絶大なるご支援を頂戴しています。
Seijiさんが「他にはない曲を!」というアーティスト精神を詰め込んで作った曲ですからね。
その思いと願いが世界に伝わったんだと思う。11_tu_sleeveサブスクはコチラ⇒fankink

11_fanlink_2さて、ステージやレコーディングではJVMをギンギンに鳴らすことはできてもさすがに家ではそれはムリ。
…ということでYukiちゃんは練習用に家ではMG15を愛用してくれていた。

12mg15 でも、今はコレ!
CODEシリーズの最も小さい25Wコンボ、CODE25。

Code25 そして、今日からスタートしましたシリーズ『BREAK the CODE』!
「Break the code」というのは「CODEをぶっ壊せ!」っていう意味じゃありませんからね。
ウチのCODEは放送局じゃないから。
「code」は「暗号」という意味。
「Break the code」で「暗号を解読しろ」という意味ね。
このシリーズをやるためにワザワザ前座の記事をいくつも書いたからね。
こんなヤツ…コレを読んでからこの先に進むと一層オモシロくなることは…ないので読まなくても別にいいです。
【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 45 ~ ブレッチリー・パーク <その1>
【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 46 ~ ブレッチリー・パーク <その2>

Btc『BREAK the CODE』はMarshallの総輸入販売元ヤマハミュージックジャパンさんとのコラボレーション企画。
そこでヤマハミュージックジャパンさんが副題をつけてくれた。
「アーティスト直伝のサウンド・メイキングをマスターしよう!」
どういうことかと言うと…そういうこと。
読んで字のごとし。
プロ・ギタリストが自分たちのオリジナル・サウンドを作ってCODEの魅力をビデオ…じゃない、動画でお伝えしようという企画が「BREAK the CODE」。
「CODEの魅力を読みほどこう!」ぐらいのイメージかな?

Code25_right正直に言いましょうか?
でもMarshallにはナイショだよ。
CODEがリリースされたのは数年前のNAMMのでのこと。
それ以来、おかげさまでヒット商品として世界中でよく売れているんだけど、それは「歴代のMarshllのサウンドが詰め込まれている」とか操作性によるモノかと思っていた。
それも間違いではないんだけど…コレ、ヤッパリ音がいいんですわ。
何年もの間CODEをナメてました、スミマセン。
今回のこの企画には何人ものMarshallプレイヤーが参加してくださったんだけど、「レコーディングに使います!」という人が続出!
正直想像以上の高評価に驚いているワケ。
 
ちなみに私はプリセットでは41番の「Bluesbreaker」が好き。
少しゲインを上げる一方、レスポールのボリュームを少し絞って弾いてやると実に小気味よいサウンドが飛び出して来る。
Code_familyそして、『BREAK the CODE』のトップバッターをD_DriveのYukiちゃんにお願いした。11_ycodejpgYukiちゃんからひとことご挨拶。
Yukiちゃんに最初に出てもらったのは、頼んでもいないのに、取説さながらにCODEの使い方を実演してくれましてね。
「もうコリャ最初に出てもらわないでどうすんねん!」ということで「1番センター柴田」役をお願いした。

11_2gw_yukiもちろんバリバリCODEを弾いてもらっています。

11_2btcykその『BREAK the CODE』がコチラ。

まだどんなギタリストが登場するかはナイショだけど、とにかくCODEの魅力が皆さんに伝わってご興味を持って頂けるとうれしく存じます!

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive Official Web Site
 
CODEの詳しい情報はコチラ⇒ヤマハミュージックジャパンMarshallウエブサイト

 

Code_logo_blk_2 
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2020年7月27日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.49 ~<オールド・ロック・ファンに捧ぐ>トライデント・スタジオとC.ベヒシュタインとデヴィッド・ボウイ

11_jackets思い返してみるに、「最後に行ったライブ」って1月10日に神戸で開催されたD_Driveのイベントだわ。
その翌々日にNAMMに行って、日本に帰って来た次の日に人生が終わってしまうかのような大事件がプライベートで勃発してそのままコロナ入り。
多い時には年間で150回以上ライブハウスに足を運んでいたんだけどね…今年は年明け早々にお邪魔したヤッチンとD_Driveでまだ合計2回だわ。
こんな年がやってくるなんて一体誰が想像しようぞ。
…ということで、もうライブ・レポートのネタはありません。
ま、1本残ってるんだけど、それはナンカのお祝いの時のためにキープしておこう。
とっておきの酒だな、まるで。
そんなワケでMarshall Blogの更新もスッカリご無沙汰になっちゃった…ワケではなくて、他のことで忙しくてマーブロを書いている時間がほとんどなかったのですわ。
ビデオ、やってんの…ビデオ。
こないだ『Marshall GALA2』のビデオを作ったでしょう?
アクセス数は全然パッとせずにガッカリしちゃったけど、アレのおかげでひと通りビデオの編集作業のノウハウを身につけることができた。
そこで、Marshall製品のデモ・ビデオをシリーズで作ることになり、それにかかりっきりだったのです。
気分はスッカリ黒澤よ!(写真は黒澤明気取りの筆者)
しかし、凝り出したらキリがない私の性格もあるけど、このビデオの仕事ってのは撮影から編集までアホほど時間がかかるね~。
黒澤組はさぞかし大変だったろうナァ。

11_0r4a0382 しかし、世の中ビデオだね~。
取説でもナンでも全部ビデオ。
今は「ビデオ」って言わないのか…「動画」?
何でもかんでも「動画」…全くどうがしてるよ。
もっと人間は字を読まないと!
動画ばっかりで本を読まないとホントにバカになっちゃうよ。
この動画の隆盛で日本語は相当言葉を失っていると思うよ。
文章の方が語彙がはるかに豊かだからね。
ブログもかなり古臭くなって来た。
でも「文章でしか伝えられないこと」ってのは山ほどあるから。
例えば今日お送りするような内容ね。
文字の方がたくさん情報を詰め込むことができる場合もあるでしょ?
それでも時代の趨勢には抗えないのでMarshall blogも機を見てビデオ…じゃない、動画を取り入れて行こうかと思っております。
 
でも今回は動画がゼンゼン絡まない話題。
ライブ・レポートネタがないので、どうしても『名所めぐり』みたいな内容をやらざるを得ない。
コレが…滅法人気がない。
でも私としてはコレを書くのが最高に楽しいし、「Marshall Blogならでは」のコンテンツだと信じている。
もっとマスコミが食いついて来てもいいと思うんだけどね。
  
で、昨年の5~6月にイギリスに行った時のネタがまだいくらか残っているので、その記事を書くことにキメた。
そして、その時に撮った写真を眺めながら記事のアイデアを練っていたら「ロンドンもずいぶん変わったな~」と思ったのね。
ま、私なんか生まれて初めてロンドンに行ってからたかだか18年しか経っていないんだけど、それでもチョコチョコと変化があるワケ。
そこで「変わりゆくロンドン」と題してそんなことを書き留めておこうかとアイデアをまとめた次第。
でも、その前にほとんど変わっていないポイントをひとつご紹介。
記事に関する調べごとをしているウチに、色々と新しい情報を得て「変わりゆくロンドン」のシリーズから切り離して一本編みたくなってしまった。
私のように70年代のブリティッシュ・ロックを愛してやまないオジさま、オバさまに捧げる一編。
80年代以降のロックで育った若い人たちは読んだところでちっともオモシロくないだろうから今のウチにヤメときな。
コレは「ロックが大人のモノだった時代」を経験している人たちに向けた記事なのだ!…ナンチャッテ。
  
今日の「名所めぐり」の目的地はソーホーのディーン・ストリートからこの路地を入ったところにある。

120v今、向かっているのは「St. Anne's Court(セント・アンズ・コート)」というところにある「Trident Studio(トライデント・スタジオ)」。
以前にも取り扱っているので2回目の登場となる。

110v路地の反対側で突き当たるのは「Wardour Street(ウォードー・ストリート)」。
下の写真を右に少し行くとあの有名なライブハウス「Marquee(マーキー)」があった場所がある。
この「Wardour」ね、「ウォルドー」とか「ワーダー」とか「ウォーダー」とか、どうも読み方が定まらないんだけど、私は「ウォードー」と読むことにした。
ナゼなら先日、Marshall Recordsのボスと電話で話をしていた時、彼が「ウォードー」と発音したのを聞き逃さなかったからだ。
何しろ彼はロンドン生まれのロンドン育ち。
生粋の「Londoner(ロンドナー)」なのだからその発音に間違いはないだろう。
「鳥越」の、地名は「とりごえ」、神社は「とりこえ」、みたいなもんよ。
地元の人に倣っておくのが賢明だ。
130コレが去年6月のトライデント・スタジオのようす。
10年以上前に来た時と大差ない。

140一番最初に来た時にはこの表札はなかった。

150チョット中を失礼。
結構狭そうだ。
Lou Reedの代表作『Transformer』が飾ってある。

160もちろんココで録音した1枚。
私はLou Reed とかJohn Caleとか、Velvet Underground 系はニガテなんだけど、それでも「Walk on the Wild Side」はいいナァ。
アルバムのプロデュースがDavid BowieとMick Ronsonだからココでレコーディングしたのかしらん?170cd裏ジャケのようす。
写真が小さくてわかりにくいけれど、男の人の股間が爆発している。
バナナを入れたんだって。

180cdもちろんコレのシャレでしょうな。

190cd脱線します。
『Transformer』の裏ジャケの写真を撮ったのはKarl Stoecker(カール・シュテッカー)というフォトグラファー。
この人はRoxy Musicの最初の3作のジャケット写真を撮った人なの。
4作目の『Country Life』も続く『Siren』も似たようなタッチなのにナゼかフォトグラファーが変わって別の人になってる。
ギャラの件でケンカでもしたのかしらん?

Rm1

Rm2

Rm3中学生の時、Roxy Musicが好きでね~。
こんなのを持ってる。
1974年のイギリス・ツアーのコンサート・プログラム。
サイズはA6。
まるで結婚披露宴のテーブルに上に置いてある献立みたいな作りになっている。
さすがロキシー…シャレオツでしょ?
前座はデビューしたてのJess Roden…ファースト・アルバムしか知らんけど、と思って他のも試しに聴いてみると、なかなかいいネェ。

11_pg2Eddie Jobson、この時19歳だって!
サポート・ベーシストはJohn Wettonだった。
Bryan FerryはGordie(ジョーディ)。
つまりニューカッスル出身。
 
中学2年の時にリリースされた『Viva!』を聴いてファンになった私。
何年かのインターバルを経て発表された『Manifesto』と武道館での来日公演。
そのあたりでキッパリとロキシー・ファンを止めた。
その後に『Avaron』でまた大成功を収めたようだが、私にとってのロキシーは「Re-Make/Re- Model」であり「Do the Strand」であり、「Out of the Blue」であり「She Sells」だったのだ。

11_pg3コレは10年チョット前のようす。
200v昼休みのビジネスマンかな?
この人たちはこのスタジオのことを知っているのだろうか?

220この頃はこんな看板がかけられていた。
映像関係のスタジオになっていたんだね。

210vトライデント・スタジオは1967年、Norman Shefieldという人がオープンさせた。
翌1968年にココで吹き込んだManfred Mannの「My Name is Jack」がイギリスのチャートの第1位を獲得したことによりその名が知れることになった。
Manfred Mannも長い歴史を持つ大変イギリス的なバンドだよね。
しかし、Manfred MannもEarth BandもChapter Threeも、「好きだ」という人にいまだかつて会ったことがない…どころか、誰かがManfred Mannのことを話しているところを聞いたことすらない。
私はGeoff Whitehornが一時Earth Bandのレコーディングに参加していたこともあって、超後追いでひと通り聴いてはいるんだけどね…それだけの話。
失礼だけど、このバンドの音楽にどういう意味があるのかが理解できないんだな。
でも、少なくとも「Blinded by the Light」はBruce Springsteenのオリジナルよりカッコいい。
230cd_2で、ですね、何でまた急にトライデント・スタジオのことに興味を持ったかと言うと…コレ。
最近リリースされたFrank Zappaの1970年の音源を集めたCD4枚組。
この時代のZappaは私の「Zappa道」の原点ですからね…予約して買った。
15歳の時に買った『Fillmore East-June 1971』が生まれて初めて買ったZappaのレコードだったの。
それから43年経ってリリースされた新譜のDisc1に収められているのが『Chunga's Revenge』レコーディング時の未発表音源なのね。

240cd_2コレがトライデント・スタジオで録音されているのだ~。11_1970 全編ではないにしろ、『Chunga's Revenge』はトライデントで録られているワケ。
気にしたことがなかっただけに知らなかった…盤自体は数限りなく聴いては来たけど。
「Transylvania Boogie」を初めて聴いた時は興奮したもんだ。
このAynsley Dunbarのドラムス!
それとナニかの本で植草甚一が「Twenty Small Cigars」のことを超ベタぼめしているのを読んで意外に思った。
実際にとてもいい曲だけど。
250cd_2で、ココから先の記事は「アレもトライデント」、「コレもトライデント」…という流れになっていくんだけど、やっぱり金字塔は「Hey Jude」かネェ?
ビートルズのスタジオといえば~?
そう、アビィ・ロード。
ところが、当時アビィ・ロードは4トラック・レコーディングにこだわっていた。
一方、トライデントは8トラックの機材を導入していたことよりお鉢が回って来たというワケ。

260cdそのレコーディングで使われたのが「ピアノのストラディヴァリウス」と呼ばれる1853年創業のドイツの「C. Bechstein(ベヒシュタイン)」のピアノ。
スタインウェイ、ベーゼンドルファーと並ぶ世界3大ピアノ・ブランドの一角。
フランツ・リスト、クロード・ドビュッシー、ヴィルヘルム・ケンプが好んで使ったという。
ドビュッシーは「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」…なんて乱暴なことまで言ってのけている。
セシル・テイラーやチック・コリアも好んで使っていたということだ。
第二次世界大戦中はナチに協力し、ヒトラーが「第三帝国のピアノ」と称していたが、それがたたり戦後は栄光の座から転げ落ち、一時はアメリカのボルドウィンの傘下に入ったが、現在ではドイツ人に経営権が戻っている。

11__2グランド・ピアノで510万円~2,000万円、アップライト・ピアノで178万円~600万円ぐらい。
思ったより高くない。
私は要らないけど。
お金があったとしても、そもそも家に置くスペースがない。11_2cb下が実際のトライデント・スタジオにあったベヒシュタイン。
David Bowieの初期の諸作、Elton Johnの「Your Song」、Nilsson版の「Without You」、T.Rexの「Get it on」、Carly Simonの「You're so Vain」、Boomtown Ratsの「I Don't Like Mondays(どっかで聞いた名前だな)」…ゼ~ンブ、このピアノで録音した。
1968~1980年代の冒頭まで活躍した「20世紀で最も有名な楽器」のひとつとされている。
当時で100歳になっていたこのピアノは、現在ではロンドンのエッジウェア・ロードにあるJaques Samuel Pianoというピアノ店からのリースだった。
このピアノの音色があまりにも素晴らしいので、このピアノ目当てでトライデント・スタジオを採用するバンドも多かったという。
そして、トライデントでスタジオ・ミュージシャンとしてこのピアノを弾いていたのがRick Wakemanというワケよ。
 
このピアノがどういう風に素晴らしかったのかというと、とにかく音の粒立ちがよく、澄んでいたらしい。
作りが大変堅牢で、弦を叩くハンマーの力が他のピアノより強く、どんなに力を入れて鍵盤を叩いでもそれにバッチリ応えてくれたのだそうだ。
その結果、音抜けがバツグンによく、バンドの中で音が埋もれることがなかった。
昔のモノは本当によくできていたんだね。
 
トライデント・スタジオは1981年に売却されてしまうんだけど、その直前に補強の修繕をこのピアノに施したところ、音が変わってしまい、元に戻らなくなってしまった。
そして、スタジオを閉める時、ホイストで持ち上げたピアノが床に落下し大破。
その後、このピアノの行方は誰にもわからなかったが、2008年に「Hey Judeで使用されたピアノ」としてインターネットのオークションに出品されているのが発見された。
その値段は20万ポンド…当時のレートで4,300万円だったという。11_tp2ビートルズは「Hey Jude」だけでなく、「Honey Pie」や「Martha my Dear」、「Savoy Truffle」、「Dear Prudence」、そして「I Want You(She's so Heavy)」のベーシック・トラックもトライデントで録音している。
もちろん「Honey Pie」や「Martha my Dear」で聴かれるピアノは上のベヒシュタインの音色だ。
それとJohnの「Cold Turkey」もEric Claptonを迎えてココで録音された。

270cdEltong Johnの「Your Song」はデンマーク・ストリートで書かれたと言われているが、録音したのはトライデント・スタジオだった。
上で触れた通りもちろんあのピアノの音色もベヒシュタイン。

280cdRegiは初期の作品のほとんどをトライデント・スタジオで録音している。
『Madman Across the Water』の「Tiny Dancer」のピアノも当然ベヒシュタイン。
いい曲だよね~。
初期の作品では「Skylinbe Pegeon」が大好きなんだけど、この曲を収録している『Empty Sky』は残念ながらトライデント録音ではない。
『Empty Sky』の後に「Your Song」のレコーディングでベヒシュタインのことを知ってトライデントを使うようになったのかも知れないな。
この『Friends』という同名映画のサントラ盤って見ないよね。
映画自体は小学生の時に雑誌「スクリーン」や「ロードショー」でおなじみだったんだけど。
後年、『Rare Masters』という未発表音源集で初めてその音楽を聴いた。
コレ、映画へのクレジットは「Elton John、Paul Buckmaster、Bernie Taupin」の連名になっているんだネェ。

290cd

320cd

300cd
『17-11-70』はニューヨークのFMのスタジオ・ライブを収録したアルバムだけど、トライデント・スタジオでミキシングされている。
Dee Murrayのベースがアホほどカッコいい!
「Take me to the Pilot」なんてまるでJacoみたいに好き勝手に弾いて暴れまくってる。
8年ぐらい前にイギリスで観た時はNigel OlsonもDaveyJohnstonも元気だったのに…惜しい人を亡くしたものだ。
『Goodbye Yellow Brick Road』もフランスかどっかへ出かけて行って録ったベーシック・トラックをトライデントでミキシングした。

350cd

310cd

330cd『Honky Chateau』や『Rock of Westies』なんかもミキシングだけ。

Hc

335cd

340cd Freeの最高傑作の呼び声も高いセカンド・アルバム『Free』や定番の『Fire and Water』の2枚もトライデント録音。
しかし、この『Free』というアルバムはスゴイよね。
Paul Rogersなんかこの時まだ20歳だったてーんだから驚いちゃう。
私には少々渋すぎるんだけど、昔の人は本当に立派だった。
Paul Kossofのお父さんはDavid Kossofという俳優さんでお金持ち。
バラカンさんの本で読んだんだけど、その財力を活かして、「たいしてうまくもないのにいい楽器を持っているヤツ」というのがまだ未熟だった頃のPaul Kossofに対するイメージだったらしい。
しかし、トライデントから歩いて10分ぐらいの楽器屋街にそうしたミュージシャンが集まっていた…なんて光景を思い浮かべるとタマらんね。
ジム・マーシャルのお店に集まっていたピート・タウンゼンドやリッチー・ブラックモアしかり。
だからロンドンはオモシロい!
知れば知るほどオモシロい!

640cd

650cd The Rolling Stonesもトライデントを使っている。
ストーンズはまったく受け付けないもんでコレでパス。

360cd

400cdT.Rexはこの2枚をトライデントで録音しているようだ。
…ということは、NATALのパーカッションもココで使われていたというワケよ。
そういうことにしておこう…うれしいから。

410cd

420cdコレは以前にも書いたけど、トライデントはベヒシュタインのおかげがあってか隆盛を極め、ポールを通じてアップル・レコードのアーティストの録音もたくさんこなした。
Billy Preston、James Tayor、Mary Hopkin…当然Bad Fingerもトライデントのお世話になった。
Bad Fingerいいな~。
タマに聴くとすごくいい。ナンダカンダでほとんど買ったな。
ジャケットもいいから。
このファースト・アルバムの最初の曲「Come and Get it」のピアノもベヒシュタインなんでしょうね。
ものすごく音が太い。
このジャケットはジョルジョ・デ・キリコなんだな?

Mcm

Nd_2そして、スタジオが空いている時にポールが…イヤ、サー・ポール・マッカートニーが、将来性が認められる新人バンドにスタジオを開放した。
その新人バンドのひとつがQueenだった。
Queenのファーストとセカンド、それと『Sheer Heart Attack』も一部はトライデントで録音された。

370cd

380cd_2

390cd_2するってーと、「Killer Queen」のピアノもベヒシュタインということか…。
いつも書いているように私はQueenはキライでなくても、ファンであったことは人生で一度もないんだけどシングル盤は何枚か買ってるんだよね。
「買ってる」と言っても石丸電気のサービス券と交換したんだけどサ。
で、「Killer Queen」のB面の「The Seven Seas of Rhye」のピアノはそのトライデントのベヒシュタインのサウンドの代表のひとつとなっている。
しかし、録音によってずいぶん音色が違うな。
さて、しからば「Bohemian Rhapsody」のピアノはどうか…。
この曲が収められている『A Night at the Opera』はトライデント・スタジオでの録音ではない。
しかし、あのピアノはトライデントのベヒシュタインなんだって。
このことは権威あるイギリスのNME(New Music Express)が「'Hey Jude'と同じピアノを使って録音した」ということを正式に発表している。
どうも、ピアノ・トラックだけトライデントで録音したようだ。

11_0r4a0389 何度も書いているようにQueenの代表作、『A Night at the Opea』とコレに続く『A Day at the Races』というタイトルはマルクス兄弟の映画からの借用ね。

Dr_2_2

Dr_1 Genesisもトライデントのお得意さんだった。
コレはうれしい。
『Selling England~』あたりは全部が全部ではないようだが、何らかの形でトライデント・スタジオが制作に携わっている。
430cd

440cd

450cdライブ盤の『Seconds Out』もトライデントでミキシングしているんだぜ。
ああ、あの新宿厚生年金の時のGenesisを今でこそ観たいナァ。

460cd

470cd

480cdGenesis自身もトライデントを気に入っていたんだろうけど、正確にはGenesisがお得意さんというワケではなくて、契約していたCharismaレーベルがお得意さまだった。
だからBrand Xもココでレコーディングしている。
ま、Phil Collinsも勝手知ったるところだったろうしね。

490cd

500cd

510cdもうひとつ、Van Der Graaf Generator。
このチームは元々トライデントを使っていたようで、セカンド・アルバムからChrismaに移籍して当然トライデントでレコーディングし続けた。
もう10年以上前の話になるけど、ある夏、Marshallの副社長を含む技術チームが3人来日したことがあってね、みんなで御茶の水のディスクユニオンに行ったの。
その時、タマタマVan Der Graafを聴いていて、どのアルバムだったかは覚えていないけど1枚中古CDを買ったワケ。
それを見ていた大のLed Zeppelinファンの副社長が、「シゲ、ナニを買ったの?」と訊いてくるので「Van Der Graaf Generatorだよ」と答えると、「ヴァヴァヴァヴァヴァン・ダー・グラ~~~フ????????」とかなり驚いた。
「ナニを驚いているんですか?アナタの国のバンドですよ」と言うと、「多分イギリスで今Van Der Graafなんて聴いている人間はひとりもいないよ」…だって。
ま、そうだろうな。
私も今は全く聴いてないし…。

520cd

530cd

525cdZeppelinといえば、コレ。
Peter Hamillの『Fool's Mate』。
1曲目のタイトルは「Imperial Zeppelin」だ。
Peter Hamillもソロ・アルバムをトライデントで録音した。
ま、正直…この声がね~。

540cd

550cd_2Yesもデビュー・アルバムはトライデントで録ってるんだよ。
Yesというと圧倒的に『Fragile』から、あるいはその前の『The Yes Album』からの扱いばっかりだけど、始めの2枚もとっても魅力的だよね。
コレに入ってるビートルズの「Every Little Thing」のカバーなんて意味もなく大仰でメッチャかっこいい。
でもヘソ曲がり的に言えば、私は『海洋地形学』のC&D面かな?

560cd_2トライデントはロックだけじゃないぜ!
John McLaughlinも使っていた。
名盤の誉れ高いMahavishunu Orchestraの『Birds of Fire』はトライデント録音だ。
ギター・アンプはMarshallなんじゃないかしら?
三宅さんならご存知のハズ。

570cd

6001973年の録音から26年の時を経て1999年にリリースされたMahavishunu Orchestraのアルバム。
チョット見ると未発表のライブ音源のように見えるし、私も実際そう思い込んで買った。
タイトルは『The Lost Trident Session』。
この「Trident」はトライデント・スタジオの「トライデント」。
スリーヴに使われている写真もライブのモノばかりで、誰がどう見てもトライデントでスタジオ・ライブでもやった時の音源かと思うじゃん?
ところがコレは完全にMahavishunuの未発表スタジオ音源で、ナント『Birds of Fire』に続く3枚目のアルバムになる予定だったモノ。
マクラフリンとしてはとても内容を気に入っていたが、メンバー間の関係がどうもシックリいっていない時期であったため、発表を見合わせてライブ盤『Between Nothingness and Eternity』をリリースすることになったのだそうだ。
それから26年もの間、この音源は闇に葬られていたというワケ。

590cdコブハムつながりで…。
みんな大好き『Spectrum』。
コレはトライデントでミキシングしている。
「Stratus」は、「ストレイタス」ではなくて「ストラトゥス」ですから。610cd上にNilssonの「Without You」のピアノもベヒシュタインと書いた。
このピアノの音は他の録音とゼンゼン違うな。
マライア・キャリーなんかもカバーしていたけど、「Without You」はNilssonの曲ではありませんからね。
Bad Fingerの曲。
Nilssonも何枚かトライデントでアルバムを作っている。
この左の『Son of Schmilson』ってのは中学生の頃ハンターでよく見かけたナァ。
ドラキュラ映画のサントラ盤かとばかり思っていた。

620cd

630cdJeff Beckだってトライデントを使ってる。

660cd

670cdThin Lizzyはもっとココで録音しているイメージがあったんだけど、意外にも『Night Life』だけだった。
でも名バラードの「Still in Love with You」がココで録られているなんでうれしいじゃん?

680cdJoe Cockerもトライデントからスタ―ト。
もうこの「Feelin' Alright」を聴くと、とにかく小川文明さんを思い出してしまう。
Carly Simonの『No Secrets』もトライデント。
なるほど、「You're so Vein」のベヒシュタインはまたゼンゼン別の表情をしていますな。
コレがNilssonの「Without You」のピアノと同じモノかとビックリするぐらい音色が太くて力強い。
アタシャこういうシンガーソングライター系の音楽は全くと言っていいほど聴かないので何も語る資格はないけど、こうして聴いてみるとなかなかいいもんですな。
月並みですがJoni MitchellとLaura Nyroは好きです。
このアルバムのジャケ写を指して「女性の正しいシャツの着方」って書いていた人が昔いたけど…いやん、エッチ。
実際にロンドンの街を歩いていると、ブラジャーをお召しにならない女性をよく見かけるけど、向こうの人のはゼンゼン自然なんだよね。
見ている方が恥ずかしくなる…あ、私は決して見たりはしませんよ。
じゃ、ナンで知ってるんだ?ってか?

690cd

700cdMottはね~、わからないんですよ~。
『黄金時代』もサッパリわからん。
このアルバムも持っているんだけど、全く内容を覚えていない…ということで聴いてみるか。
 
…間…
 
印象変わらず、でした。

でもね、20年近く前にIan HunterがMarshallのAVT100を使っている写真を発見した時はうれしかったんよ。
AVT、なつかしいな。
それから~、Mick Ralphsのレスポールの話はいつかしたから今回は止めておこう。

710cdトライデントはメタルだって「ドンと来い!」だぜ。
Judas Priestの『Staind Class』。
この辺りまでは私も聴いた。
ところが、ハルフォードさんのお声が段々オモシロく聴こえるようになって来ちゃって…。
初めてJudasを聴いたのはセカンド・アルバムの『Sad Wings of Destiny』がリリースされた時で、「The Ripper」なんか何てカッコいい曲なんだ!と思ったよね。中2の時。
Tigers of Pang Tangってのはもう全くわからない。
一昨日は家内特製のワンタンを頂いたけど…。
鶏ガラを買いに行ってね、化学調味料を全く使わないでスープを作ってくれる。
メッチャおいしいの。
あ、そんなことはどうでもいいか。
パン・タンはジャケットがいいね~。

720cd

740cd以上、もう1回書いておくけど、全部が全部トライデント・スタジオで録音したモノではないからね。
一部の曲だけであったり、ミキシングだけだったりするアルバムも含まれていいることは承知しておいてね。
それにココに挙げた以外にももっとたくさんの名盤がココで制作されているハズだ。
一体どれだけのMarshallやNATALのパーカッションがココに運び込まれてそんな名演名作の制作をサポートしたんだろうね。
ロマンだナァ。
そんなことを考えるとMArshall冥利に尽きるってもんだ。
下は昨年に訪れた時のようす。

300壁にブルー・プラークが取り付けられた。
大きな変化だ!

750v何のプラークかと言うと…
「デヴィッド・ボウイ
1947-2016
 
彼のアルバム、『ハンキ―・ドリー』、『ジギー・スターダスト』、代表作「スペース・オディティ」がここトライデント・スタジオで録音された。

BBCラジオ・ロンドンより贈呈」
 
そういうこと。
とにかくデヴィッド・ボウイなワケ。
760 初期の作品は全部トライデント録音。
『Hunky Dory』のピアノはRick Wakeman。

760cd

770cd

780cd やっぱり極めつけは『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』ということなんでしょうね。
私も中学生の時に夢中になって聴いたもんですよ。
『Aladdine Saine』もとても好きだった。
このアルバムはコーラスでLinda Lewisが参加しているのか…。
『Station to Station』までは聴いたの。
「TVC15」なんて大好きだった。
で、中3か高1の時に『Low』がリリースされてズルっとなった。
それからDavid Bowieは全く聴いていない。
高校の時に来日したけどNHKホールには行かなかった。
ギターがAdrian Belewだったので行っておけばヨカッタような気もするけど、ま、いいや。
初来日の時は、「飛行機がキライ」ということで船で日本に来たんだよね。
後で聞いたら、フィリピンだかシンガポールまで飛行機で来て、その後船に乗り換えたとか…。
 
それにしてもDavid Bowieのイギリスでの人気の高さはスゴいワケ。
日本みたいに亡くなった時点で急にファンが増えてすぐに忘れられてしまうようなのとはワケが違う。
Peter Greenが亡くなったでしょう?
facebookなんかを見ているとスゴイもんね。
どっからか急にFleetwood Macファンが押し寄せて来た。
普段はFleetwood Macの「フ」の字も出て来ないのに不思議だね。
ま、「故人を偲ぶ」という意味では一向に構わないんだけどね。
で、David Bowie、Pink Floyd、Status Quoあたりは日本では想像がつかないぐらい人気が高い。790cd

795cd …ということで、David Bowieの地元へ行ってみた。
「Brixton(ブリクストン)」というテムズ川南岸の町。
地区はLambethになるのか…。

800ヴィクトリア線でロンドンの中心からすぐのところ。
840「すぐのところ」なんだけど…
830もうね、駅から外へ出た瞬間に「あ、ココは違う」と感じたわ。

810とりあえずGREGGSは同じなんだけど…。

815vとにかく黒人だらけなんですわ。
別にコワいことはないけど、場合によってはコワい目に遭っても不思議はないような雰囲気。
すくなくともジギー・スターダストのイメージはナニひとつありはしない。

820駅からほど近いところにある「O2 Academy Brixton」。
ロンドンの重要なコンサート会場のひとつ。
1929年の開業で元は映画館だった。
こけら落としはAl Jolsonの「The Singing Fool」という作品。Al Jolsonはガーシュインの「Swanee」を歌った人ね。
後にコンサート・ホールとなり80年代のバンドの活躍の場となった。850キャパはスタンディングとイスで4,900だって。

870かなりデカいね。

880楽屋口。
Eric Clapton、Dire Straits、Policeなんかがリハーサルに使ったこともあるという。
Wham!はココでビデオを撮ったそうな。890v今度は線路の反対側へ歩いて来た。

900Lambeth Town Hallという建物。
そうか、コレはランベス地区の役所だったのね?

910vすぐ近くの「Ritzy(リッツィ)」という映画館。

920コレは立派だった。
1911年の開業で建物はGradeIIに指定されている。
ココは労働争議をやっているみたいだね。

930外壁にはズラリと往年の、イヤ古のハリウッド・スターのポートレイトが並んでいた。950ジギー・スターダストはこんなところで生まれ育ったのでした。363cd_2偶然の山本寛斎さんの訃報。
田川ヒロアキさんが出演したイベントで2、3度お見かけしたが、いつもニッコニコでとても感じのよい方だった。
ヒロアキくんの「Sea Scape」を合体させたイベントのオープニングの「君が代」のオリジナル・アレンジと演奏をとにかく褒めちぎっていらっしゃった。
この場をお借りして謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 

11_img_3218_2 
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200

2020年7月25日 (土)

イギリスのライブハウス救済策

イギリス政府と日本政府のロックに対する姿勢が全く異なることを記録しておこうと思い、2020年7月25日のBBCのウェブサイト・ニュースを翻訳してココに掲載しておくことにした。
 
 
イギリス政府が国内のライブハウスに1.4億円の緊急経済支援
 

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政府は、4ヶ月間にわたる休業によって廃業の危機に瀕しているイギリス国内のライブハウス最大150軒に合計1.4億円の緊急経済支援を実施。
 
これは政府が打ち出した2,200億円の芸術救済のための経済対策の第一弾。
Music Venues Trustはコレを「応急処置」として歓迎している。
※MVTについてはコチラ⇒【Marshall Blog】I've Got Music in Me~MVT:イギリス版「ライブハウスを救え!」
 
今月はじめ、リーアム・ギャラガー(元OASIS)やデュア・リパ(イギリスで人気のシンガーソングライター)からサー・ポール・マッカートニーに至る1,500のアーティスト連盟がミュージック・シーンをサポートするための公開状にサインをした。
※サー・ポール・マッカートニーは60年代に活躍したザ・ビートルズというバンドのベース/ボーカルズ…知ってるか。
  
もし150のライブハウスが救われるとなると、各店は平均で210万円ずつの支給をうけることになり、最大1,120万円までの支援金を受け取るケースも出て来る。
  
ライブハウスを代表してMVT曰く、「今回の支援はとてもありがたいこと。最近政府が発表した『芸術保護のための2,200億円の経済対策』がどのように運用され、配分されるのかをノドから手が出るほど知りたかった」
 
主幹のマーク・デイビッドはこう付け加える、「このとりあえずの救援は応急処置として廃業の危機に瀕している店に支給されるだろう。
しかし、我々はそうしたライブハウスの将来が保証されるために極めて重要な更なる救済措置がいつ、どのように実施されるかの情報や手法を大至急知らされる必要がある」
  
オリバー・ドウデン文化大臣は…「そうしたライブハウスやコンサート会場は、ほとんどすべてのアーティスト並びに世界的に成功を収めている我々のスター達の原点である。
我々はCOVIDの嵐からそれらを守り抜かなければならない。
今、我々は2,200億円の残りを出来る限り速やかにお届けするように動いている。
ナンとならば、我々の次の世代に引き継ぐべき大切な文化的財産を守り抜かなければならないからだ」
 
コロナ禍で発動するイギリス全体の経済支援額の700分の1がライブハウスに配分されることになり、それらの支援金は家賃、メンテナンス費用や他の支払いに充当されることになる。
 
支援金は「イギリス芸術評議会」が数週間以内に支払うことになっているが、通常ではこの団体が普通のライブハウスに資金供与をすることはない。
 
2週間の間に、マンチェスターの人気ライブハウス、「Gorilla」と「The Deaf Institute」は閉店の危機からナントカ持ちこたえたが、ハル(Hull:イングランド北東部の町)の「The Welly」と「The Polar Bear」は破産申告をしてしまった。
 
2,200億円のこれ以外の使い道は近日中に発表される。

ドウデンさんは以前にこう言っていた、「支援は国の『Crown Jewel(王様の宝石)』と国中のライブハウスを守ることになるだろう」

 
※「Crown Jewel」とは「企業の収益性の高い事業部門」のこと。つまりブリティッシュロックはイギリスの大切な商品であり、それを継続するためにはライブハウスを守らなければならないと言っている…のだと思います。
 
※本文中では「venue」という言葉が使われていますが、あえて「ライブハウス」と言い換えました。

2020年7月24日 (金)

D_Driveの新曲「Thumbs Up」いよいよ発売!

突然ですが…。
D_Driveのニュー・シングル「Thumbs Up(サムズ・アップ)」がMarshall Recordsから世界に向けて発売されました!

11_d_art「Thumbs Up」は昨年11月9日の『Marshall GALA2』で初演。
その後、D_Driveのライブで演奏されてきた。
作曲者のSeijiさん曰く、「他にはない曲」、「D_Drive以外では聴けない曲」を標榜したオリジナリティあふれる1曲。

100 今回もニューヨークで活躍するAkihiro Nishimuraさんの手によってミキシングが施された音源がロンドンのアビィ・ロード・スタジオに転送され、『Maximum Impact』を手掛けたクリスチャン・ライトがマスタリングを担当した。
イギリスの連中もこんな曲を聴いたことはないハズだよ。

11_0r4a0030 Spotify、Apple Music、amazon music…等々でお求めください!

お求めの窓口はコチラ⇒fanlink

11_fanlink_2 どうせまた「ビデオはないのか?」とかいうことになるんでしょ?、今の世の中。
字を読まないでビデオばっかり見てるとバカになっちゃうよ!
でもあるんです。
詳しくは今晩発表しま~す!
みんなでビデオを見て「Thumbs Up」をダウンロードしよう!

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive Official Website

11_group_d
 

200

2020年7月 9日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 48 ~ 国立コンピューティング博物館<その2:真空管まつり>

 

前回の記事で例を示したように、初期のコンピューターにとって真空管は必要不可欠な重要パーツだった。
私が子供の頃のテレビはスイッチを入れてから画像が出て来るまで何分もかかるのが普通だった。
スイッチを消すと長い間白い点がブラウン管の中央に残っていた。
そもそも白黒の番組が当たり前だったなんて信じられないよね。
カラーの番組が放送されるようになると、新聞のテレビ番組欄ではカラーの番組に「カラー」という印が付されるようになったが、その後、カラーの番組が主流になると、今度は反対に白黒の番組にボーリングのスペアのような記号が付けられてカラー番組ではないことを示すようになった。
最近は「テレビっ子」なんて言葉もメッキリ聞かなくなったね。
今はどうなんだろう?
「ユチュバっ子」か?
子供の頃は「どうして大人はニュースを見たがるんだろう?」と不思議に思ったが、何のこたぁない、今では報道番組以外に定期的に見る番組がほとんどなくなっちゃったな。
「激レアさん」ぐらいか?
関係ないけど、あのボードに書く太マジックの文字ね。
アレはあの司会の女性が書いているのだろか?
ものすごい達筆だと思わない?
アレを真似て太いマジックを使ってみても、絶対にああはならない。
 
…ということで、真空管。
「国立コンピューティング博物館」の片隅にこんな展示を見つけた。
 
熱電子管
コレは国立コンピューティング博物館の会員が様々な電気機器から取り外して集めたコレクションの期間限定の展示です。
トランジスターやシリコン・チップスが出現する以前、真空管はアンプ、オシレーター、また国産のラジオやレコード・プレイヤーやテレビにも使われていた標準的な電気パーツだったのです」
 
わかってる、わかってる。
今、私は真空管なしでは成り立たない仕事に就いているけど、この日、向こう数年間分の真空管を見た気になったわ。

11_0r4a0239そして、ココのコーナーをジックリ見ていたのは私だけだった。

11_0r4a0234アレ…見覚えのあるKT66。
Vintage ModernかASTORIAから引っこ抜いて来たんじゃないの?

30特に解説もなかったので、お好きな人は写真だけ見て楽しんで下さいまし。

11_0r4a0236

50

11_0r4a0240

70

80私は真空管のマニアではまったくないけれど、人間が古いせいかこのデザインにすごく惹かれるよね。

100

110

120

130レトロなハコのデザインがまたいいんだよね~。
90こんな基板の類もゾロゾロと展示してあった。

150

11_0r4a0253イギリスFerranti(フェランティ)社のArgus 400。
工業用コンピューターで、元々は軍用に設計されたモノ。

11_0r4a0254コレもスゴイな。
前回やったEDSACの一部。160おお~、こんなモノも!
昔のコンピューター、計算尺。
コレってスゴいよね。
高校の数学の授業で使い方を教わって感動した。
もちろん今では使い方なんてナニも覚えていないけど…。
180気になって調べてみた。
英語の呼び名は「Slide rule」。
ナンダナンダ、コレもイギリス人の発明だってよ!
1622年、ウィリアム・オートレッドというバッキンガムシャーの人。
バッキンガムシャーはMarshallの本社やココがあるところと同じ行政区。

昔、Yesの曲の複雑さを表現するのに「彼らは計算尺を使って作曲している」なんてことが使われていたけど、そんなワケはない。
今なら「コンピューターを使って作曲している」という感じか?…イヤイヤ、本当にそうなっちゃってるじゃん!

190さて、ココからが本番!
シリーズの最後を飾る一大ロマン!
ブレッチリ―・パークの記事で、アラン・チューリングが「ボンベ」という機械を作り、エニグマ暗号の解読を容易にした…ということを述べたが、それもつかの間、ブレッチリ―・パークのスタッフはドイツ軍が発信する暗号に再び頭を抱え込むことになった。
ドイツ軍がエニグマ暗号より強力な暗号を使い出したのだ。
その暗号を作っていたのがこの「Lorentz SZ42(ロレンツ)」。
どうよ、悪そうな顔をしてるでしょ?
ギザギザが何ともズル賢そうな感じだ。
現存するロレンツの数は極めて少なく、超激レア。
コレはノルウェイの軍隊から長期間にわたって博物館が借り受けているモノだそうだ。

200ロレンツで作られた暗号文はこのテレプリンターで発信された。
このテレプリンターの値段は£10(今の為替レートで1,400円ぐらい)。
博物館の職員がebayで見つけ、専用ケース付きでこの値段で手に入れた。
元の持ち主はコレが何のための機械か皆目見当がつかず、70年もの間ほったらかしにされていてボロボロの状態になっていた。
その後、買い取った博物館のスタッフが綿密な分解掃除を施してこの状態に戻したそうです。
210で、ロレンツはヒトラーと将軍たちの通信専用に使用された暗号機だった。
ローターがついているところあたりはエニグマ機と似ているが、実際に仕組みも似通っていた。
しかし、その複雑さはエニグマの比ではなかったそうだ。
11_0r4a0271しかし、ブレッチリ―・パークのジョン・ティルトマンとビル・タットという2人がロレンツ暗号の解読に道筋をつけ、ヒトラーのメッセージを読むことに成功した。
しかし、ロレンツはあまりに強力で、ボンベが持つ能力では太刀打ちできず、人力で解読に努めたが、どうにも時間がかかってしまいラチが開かなくなってしまった。
11_0r4a0273しかし、マックス・ニューマンという人がチューリング・ボンべの概念を継承しつつ、ロレンツに対抗するプログラム可能なコンピューターの設計図を描き上げた。
当初、技術的に実現不可能と一旦はその設計図が棚上げになったが、トミー・フラワーズという人が10ヶ月の時間をかけてとうとうそのコンピューターを作り上げた。

11_0r4a0272_2 そのコンピューターがコレ。
デカッ!
名前は「Colossus(コロッサス)」。230「コロッサス」なんて聴くと、もうすぐに頭の中はコレになっちゃうんだけど、「colossus」というのは「巨像」とか「巨人」という意味。Sc使用されている真空管の数は1,500本。
ボンベとは比べ物にならない処理速度を誇っていたが、コロッサスの重要性は処理能力ではなくて、プログラミングが可能であることだった。
プログラミング能力を擁していないとロレンツの複雑な暗号に対応ができなかったというワケ。
「必要は発明の母」だったのね。
そして、その「プログラミング可能」という能力こそが「コンピューター」を意味するのだそうです。
例によってこの展示品もレプリカです。

2401996年に「His Royal Highness the Duke of Kent(ケント公爵エドワード王子)」がココへ来てコロッサスのレプリカの点灯式を行った。
エドワード王子は、エリザベス女王のお父さんのジョージ6世の弟のジョージ(ややこしいんじゃい!)の息子つまりエリザベス女王のイトコ。
やはりアタマが薄いというか、もうツルツルなのさ。
人のことは言えんが、ウインザーさんの家系の男子チームは髪の毛が気の毒だネェ。235ボンべ同様、終戦直後にチャーチルの命にしたがってコロッサスは設計図はもちろんのこと、本体も手のひらより小さなサイズに砕かれてこの世から消えてしまい、「世界初のコンピューター」の栄誉はトミー・フラワーズではなく、他の科学者のモノになってしまった。
260一方、1945年、ペンシルヴァニア大の研究者が18,000個の真空管を使用した「ENIAC」というコンピューターを開発。
それがその後何十年にもわたって「コンピューターの母」と言われるようになってしまった。
コロッサスを作り上げたフラワーズが、自分の栄誉を逃したことを悔しがって「あのブルドッグめ!」と言ったかどうかは知らない。
いずれにしても、20世紀後半の暗号の発展に道筋をつけ、現在のコンピューターの源になったのがこのコロッサスだった。270時間も比較的遅かったので、お客さんが極端に少ない中、目を引いたのはこの家族。
何だか知らないが、ココの家族はお母さんがやたらと積極的で、係りの人に矢継ぎ早に質問を浴びせかけていた。
係りの人もヒマなのか、それらの質問に嬉々として受け答えているように見えた。
お父さんは「いいぞ、カアちゃん!」と思っていたのだろう、そのシーンをスマホで撮影していた。
250また真空管のディスプレイ。

11_0r4a0294_2今度は真空管2,400本だ~!
320コロッサスのマークII。
325マークIの5倍の速度で仕事ができるそうだ。

310vこの真ん中のデカいヤツも「BY1144L」という三極管。
「PF Power Triode」というタイプで57kgもあるんだって。
一方、右側の小さいヤツは「EF36」という五極管で実際にMKIIに使用されているモノ。

11_0r4a0304しかし、実物も設計図も全くなかったのに一体どうやって復元したのか?
コロッサスMKIIに関して言うと、当時の技術者の膨大な量のノートが主にアメリカに現存していたのだそうだ。
不明の箇所もあったが、元々の設計者が生きていて再現した。
MKIIの組み立てはこの博物館で行われた。
330パソコンのコーナー。360結局はコレか。

370若い人たちがビンテージ・ゲームに夢中になっていた。

380後はジャンク品の展示コーナー。

390イヤ、「ジャンク品」なんて言ったらきっとバチが当たるようなレア・アイテムなんだろうね。
でも私には秋葉原の裏通りにしか見えなかった。

400ココもなんだかんだでオモシロかった~。
地元の人も、ブレッチリ―・パークには行ってもココには来ないらしいので、貴重な体験をしたわ。
さぁ、ホテルへ帰ろう。

405またブレッチリ―の駅まで戻って来た。

11_img_0668_2 駅前を通り抜けて…Img_0671 階段を下りたら左に曲がって電車の高架をくぐる。

Img_0673 そこにあるのがこの「THE PARK」というパブ。
ノドが乾いたのでココでエールを飲むことに…。
そしたらラガーしかないというので、アタマに来てテーブルをひっくり返して店を出て来た(ウソですよ~)。

420せっかくだからブレッチリ―の町をブラブラしておこう。

430ココにもGREGGSができたのか…。
残念ながら休み。
イヤ、この日は日曜日だったので空いている店は1軒もなし。

440恒例の「VOONG'S」詣で。

450ジムのお気に入りの中華料理店で、まだジムがいる頃はMarshallで会議があると1回はココで会食をするのが習わしだった。
ベトナム人が経営していて、我々が日本では経験でき得ないタイプの独特なお味の中華料理を出してくれた。460最近はメッキリ来なくなったので、なつかしいわ。
18年前に初めてMarshallの工場を訪れた時、ジムを除く重役とココに来て昼食をご馳走になった。
あの突き当たりとその手前のテーブルに座ったのをよく覚えている。
メッチャ緊張した。
私もまだまだ若かったからね。
その場で初めてお会いした方もいらしたので、一応自己紹介をした。
名前を言って、「1962年の生まれです」と振っておいてから、「Call me Bluesbreaker!」と言ったらドッカ~ンと受け…るハズだったんだけど、そこにいた人たち全員ポカーンとしてた。
私を含めて全部で6人だったかな?
もう今では私しか残っていない。470スーパーの入り口。
休みとはいえ汚いネェ。
日本の街の清潔さは素晴らしい。Img_0685 人っ子ひとり歩いていないし、たまに見かける若いヤツはいかにも物騒で、一度目を合わせたら後がないな…という感じだったので足早にこの場を去った。480あとはトコトコと歩いてホテルに帰るだけ。
ブレッチリ―・パークに行く時は雨に遭ったけど、結局天気のいい一日だった。

Img_0686 この高架の横に迂回路があってホントはそっちを歩かなきゃいけないんだけど、構わずまっすぐ進む。

490「THE ENIGMA TAVERN」…昔から「enigma」という言葉の意味は知っていたけど、暗号に関わる事だけは知らなんだ。
そして、今、こんなに興味を持つようになるなんて想像したことすらなかった。
いつか入ってみよう。

11_img_0584Marshallまで帰って来た。
誰かまだ残ってるな。

Img_0688 24時間オープンのASDAも日曜日の午後はお休みだ。
カートは外に置きっぱなし。500イギリスのATMってロンドンの街中でもそうなんだけど、平気でこうやって外に置いてあるんだよな。
CCTVが発達しているとはいえ、大丈夫かしら?といつも心配になっちゃう。
それに雨風にさらされて機械がダメにならないかね?510帰って来た~!
520Marshallアリーナは今度は『UKタトゥー・フェスト』だって!515まずはホテルのバーでエールを1パイント。

530今日はASDAがお休みなので買い食いも出来ないからホテルの横のレストラン街へ。
工場の周りも便利になったもんだ。
昔はホントに何にもなかったのよ。
コレはホテルの中にあるレストランの看板。
2週間チョット前に、Marshallのアジア・チーム(香港、ベトナム、日本)とD_Driveで会食をしたのがもう何年も前のことのようだ。Img_0696この日はチキンにした。
滅多にはいらないけど、実は「Nando's」好きなんどす。

540こんな感じの日曜日のディナーとなりましたとさ。
…ということでMarshall CODEにちなんだ「ブレッチリ―・パーク」の特集おしまい~!
 
まだまだこの時の旅のレポート・ネタが残っているのでお好きな人はどうぞお楽しみに!
ナニせライブがないもんだからサ、仕方ないでしょ!

550そして、近々CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!
現在、楽しみながら内容を制作中!

12code25

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 8日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 47 ~ 国立コンピューティング博物館<その1>

350…ということでブレッチリ―・パークの見学は完了。
とにかく一度来てみたかった場所を3時間半ほどかけてジックリ見ることができたので大満足…と、言いたいところなんだけど、どうも腑に落ちない。
何が気に食わないんだろう?…と自問自答して思い当たったのが例のアラン・チューリングが作った暗号解読機「The Bombe」。
コレのホンモノを見ていないから物足りなかったんだ!ということに気づき、パークの入り口の案内板がアタマに浮かんだ。

10_3コレね。
「COLOSSUS & BOMBE GALLERIES OPEN DAILY」と書いてあったのを思い出したのだ。
そこで、ワザワザこうして公園の入り口の看板がある所まで一旦戻って、展示してある場所を確認した。
アータ、第二次世界大戦の終結を2年早めたと言われている世にも偉大な機械ですよ~!
そんなスゴイものが残っていないワケがない。
ましてや古いモノを大切にするイギリス人のことだ。
エジプトのミイラが残っていてボンベが残っていないワケがない…せやろがい!

20_2それは「THE NATIONAL MUSEUM OF COMPUTING(国立コンピューティング博物館)」というところにあるらしい。
ロケーションはブレッチリ―・パークの裏というか、奥。
さっそく行ってみょう!
40_3エ……もしかしてコレ?
国立の博物館なのにまさかの平屋?
工事現場の仮事務所より貧弱だぞ。30_3間違いない。
コレが「国立コンピューティング博物館」だわ。
ナニナニ「現在でも可動する1940年から現在に至る歴史的コンピューターの世界一のコレクション」を誇っているらしい。

50_3入場料は£7.50だから千円とチョット。
イギリスの国立の博物館は入場料が無料なことが多いけど、ココはしょうがなさそうだな。
エントランス…といっても普通の入り口だけど…の壁に飾ってある2大暗号機とその解読機。
「エニグマ vs. ボンベ」と「ロレンツ vs. コロッサス」。
カッコいい~!

60_2入ってすぐのところにある「ボンベ・ギャラリー」。
いよいよホンモノにご対面かッ!
と期待を膨らませたが…。

0r4a0127 部屋の中央に鎮座ましましたるいかにもボンベのようなマシン。
大きな表示板に目をやると…「THE TURING BOMBE REBUILD PROJECT」とある。
は…?
「リビルト」?

80_2ちょうど係りのオジさんが出て来たので訊いてみた。
「スミマセン、あの、'REBUILD'ってなっていますけど、ココには第二次世界大戦中に実際に使われたホンモノはないんですか?」
「(キッパリと)ありません。
戦争が終わった時に、元の形がわからないほど細かく壊してしまったんです。ウィンストン・チャーチルの命令でした」
なんだよ~、ウィンストン!
実家まで行ってやったのに~。

90_3そう、大戦中のイギリス軍の行動を隠匿するために本体はもちろん、設計図にいたるまでボンベに関わるものをすべて処分してしまったのだ。
じゃ、ココにあるモノは?

100_3BCS(British Computer Society=英国コンピューター協会)のジョン・ハーパーという人が中心になって1994年から13年かけて作り上げた精巧なレプリカなのだ。

110_3係りの人が言っていたが、レプリカと言っても当時と全く同じ動作と働きをするように作られているのだとか。

120_3完成後、ブレッチリ―・パークに展示されたが、2018年にこっちの博物館に移設された。

130_3スゴいメカだわ。

14513年もかけて苦労して作り直すくらいなら、終戦後どこかに隠しておいて壊さなきゃヨカッタのにね。

140vプロジェクトで使われたパーツ。
「Letchworth Enigma Wiring Jig」とあるが、レッチワースというのはブレッチリ―から25kmのところにある町の名前。
当時のボンベはレッチワースで製造されていた。
私、行ったことがあるんですわ、レッチワース。
もちろんボンベなんでものはプロパンぐらいしか知らない時分だったけど。

150_3レッチワースで撮った適当な写真がないので、その隣の「ヒッチン」という小さな町にある楽器屋さんの前で撮った18年前の1枚を。
店名は「MACHINEHEAD」。
オーナーにその名前を尋ねると、もちろんDeep Purple大ファンだった。
Mh他にも使用、というか代用されたパーツがズラリと展示されていた。

0r4a0129

0r4a0130その傍らには、ハイ、エニグマ。
もう全然珍しくなくなっちゃった。70_3この博物館のエニグマはドイツ陸軍が使用していたモノで、5枚のローターが使用できるタイプ。
写真の2枚はお休み中のローター。

75古式ゆかしい電卓の類がゾロリ。
と言っても、私が学校を出て就職した時には右下にあるようなドデカイ電卓が普通に使われていたからね。

160_3揺籃期のコンピューターの展示。

170_3入り口の看板に書いてあった通り、この博物館に展示されているモノはすべて可動できる。
でもコイツは何やら不調らしい。

180_3デカ!
コレは磁気ディスクなのかしらん。

190_3ホントに実際に使っているみたいだった。

200_3このオジさん、すごく静かにしているもんだから置物かと思っていた。
するガバっと振り返って「Hello!」なんていうもんだからビックリして飛び上がっちゃった!210_3しかし、「博物館」にしてはあまりにも放ったらかしの展示だよね~。

220_2ほとんど説明もなかったので、コンピューターの好きな人は写真だけ見て楽しんでください。

230v

240_3

250_3

260_4

270_3

280_3

290_3

300_2

310

320_2コレは博物館が事務処理で使っている現行のコンピューターね。

330_2「EDSAC」のレプリカを製作するプロジェクト。
ココはレプリカ・プロジェクトが好きだナァ。

340_2EDSACは「Electronic Delay Storage Automatic Calculator」の略で、実用に供される世界で2番目のプログラム内蔵方式のデジタル・コンピューターだった。

350まったくコンピューターには見えないんですけど。

360_2見ての通り、これらは全部真空管。
いい音が出そう?
全部で3,000本使われている。
380_2EF54という五極管がEDSACでメインで使われている真空管。
この真空管は戦時中はレーダーに使われていたため、ケンブリッジの研究者にとってはなじみのあるパーツだったらしい。
1947年に軍がこの球を放出したため、EDSACに使われた。
こういう話を知ると、よく真空管マニアの間で「~の軍の放出品」とかやっている話の真実味が増すね。
EF54はもちろんもう製造されていないが、「New Old Stock」として今でも入手可能だそうです。

390_2裏の配線がまたスゴイ。
ホーチミンの街中の電線みたいだ。
1951年に79桁の素数を発見したのはEDSACのひとつの業績とされているらしい。
え、今?
最近では、2018年に24,862,048桁の素数が発見されている。

370_2こういうパーツは実に親しみを感じるね。

400_2しかし、…コレは1949年に世に出ているというから71年前のモノなんだけど、Marshallの真空管アンプのシャーシとパッと見変わらないじゃない?
ま、双方、真空管を設置する箇所なので見た目が似ているのは当たり前なんだけど、真空管アンプってすごくない?
コンピューターに比べたらシーラカンスみたいなモノだよ。
それだけ「音がいい」から姿を変える必要がないワケ。
もし真空管アンプよりいい音を出すアンプが出ていたらとっくの昔に姿を消しているハズでしょ?
それを使わないなんて全くバカげてるわナァ。

410_2まだまだ続く。

170 コレは「The HEC1」というコンピューター。
「HEC」というのは「Hollerith Electric Computer」の頭文字。
「Hollerith(ホレリス)」はハーマン・ホレリスというアメリカの発明家のこと。
パンチカードを読んで統計をデータ化する「タビュレーティング・マシン」をいう機械を作り、アメリカの国税調査などに使われ世界中に普及した。
ホレリスの会社が後のIBMに発展した。
このコンピュータ-はそのイギリスのタビュレーティング・マシンの会社が製造したもの。

420_3開発はアンドリュー・ブースというイギリス人で、1951年に発表して初めてのイギリス国内で広く使用されるコンピューターとなった。

430vしかし、スゲエ真空管の数だな。
いい加減熱かっただろうナァ。
このコンピューターが室内にあれば、暖房が要らなかったのではなかろうか?

440コレはECC81。

450_2コチラはKT66…とMarshallでもおなじみの真空管だ。
このままで爆音が出そうだな。

460_2背面はこの通り!

470手作り感満載のコンピューター!

480_2次…またまた仰々しいのが出て来た。
「Harwell Dekatron Conputer」は1952年の発表。
何でも電話交換機のパーツを利用して作られているらしい。

490_2コレもスゴイ数の真空管だな。
計算用に使われているんだって。

500_2このキーボードで操作するのかな?カワイイな。
2009年から2012年にかけて、この国立コンピューティング博物館で修復された。
修復後の2013年には「世界最古の稼働中のデジタル・コンピュータ」としてギネス認定された。

510_2…ということで今回はおしまい。
近々、CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!

12code25<最終回につづく>

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 7日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 46 ~ ブレッチリー・パーク <その2>

 

「The Mansion(ザ・マンション)」と呼ばれるブレッチリ―・パークのシンボル。
1870年代の建物で、サー・ハーバート・レオンというとても裕福な株式仲買人の持ち物だった。
ルックスは大分異なるが、映画『イミテーション・ゲーム』の中にもジャンジャン登場していた。

420_2ココはMarshallのClass5の「Pin-Up」というシリーズの宣伝写真のロケ地。
かなりの曇天で、コレを撮ったマットもこれだけ色を出すのは大変だったろうナァ。

430私はこの撮影の時にちょうどMarshallに行っていて、撮影に誘われた。
一緒に行きたかったんだけど、他の用事があって泣く泣くお断りした。

440vこのモデルに興味のある人はコチラをどうぞ。
フレットクロスに描かれている女優さんについてチョコっと書いておいた。

450戦時中は後で紹介する「HUT」と呼ばれる設備が出来るまでの間、1階部分を暗号解読舞台の本部やレクリエーション施設として使用した。

460しかし、コレって建て増しを繰り返したのかナァ?

11_0r4a0984棟続きなんだけど色んなデザインが混ざっちゃてるんだよね。

11_0r4a0986早速中に入ってみる。

11_0r4a0987入り口に付いていた「Institute of Electrical Electrics Engineers(略称:IEEE)」から寄贈されたプラーク。
IEEEはアメリカに本拠地を置く世界最大の電気・情報分野の学術研究団体であり、技術標準化機関。
メッチャ権威が高い。
それが言うには…
「1939~1945年の世界大戦中、ココで12,000名の男女がドイツのロレンツやエニグマ、日本やイタリアの暗号解読に従事した。
彼らは革新的な数学的分析を用い、ココでアラン・チューリングがゴードン・ウェルチマンと主に開発した電気機械ボンベやトミー・フラワーズが設計したコロッサスの助けを得て解読に成功した。
この偉業は終戦を早め、多くの命を救った」
そういうこと…なんだけど、従業員の数が12,000人に増えてる。
オモシロいのは、ココに集められたスタッフの顔ぶれで、暗号の専門家だけでなく、数学者(アラン・チューリングは数学者)からチェスに強いヤツ、クロスワード・パズルの達人…と、様々なキャリアを持った人たちだった。

11_0r4a0988 現在は1階部分のみ見学できるようになっている。

470vお偉いさんの事務所だった部屋。480天井が低いね。

490どこもやたらとゴージャスな作りになっている。

500天井もこの通り!

510西洋の建築物の格付けをするには天井を見るのが一番早い…持論です。

520ひと通りMansionを見学してまた庭に出ると、さっきのジャズに合わせて…

539子供たちが盛り上がっていた。

540所員のためのテニスコート。
みんなモノスゴク頭を使うもんだから、空き時間には積極的に身体を動かして気分転換を図った。

550マンションの斜め裏手にある「Stableyard(厩舎)」と呼ばれているエリア。
純正ガイドブックを読むと、この奥に「Apple and Pear Storeがあった」って書いてある。
「リンゴと梨の店」?
そんなバカな…確かにイギリス人は食餌として小さなリンゴ(マッキントッシュ?)を食べるけど、それを売る店だったのかかな?
調べてみると「Apple and pear」というコックニー・スラングを発見した。
コレは「stair」のシャレだって。
「stair」は「階段」だから、コレもおかしい。
絶対に何かの隠喩だと思い、すぐにMarshallの友達に尋ねてみた。
彼女はこの表現を知らず、親切にインターネットで調べてくれた。
結果、本当に「リンゴと梨を売る店」だそうです。
ヘンなの~!

560今は動いていない時計塔。
前回紹介した「Dispatch Rider」たちは、1日に3,000ものメッセージを携え、この門をくぐって静か~にブレッチリ―・パークに入って来た。
11_0r4a0024 アラン・チューリングやディリー・ノックスらの暗号解読スタッフは、1939年からこのコテージで作業をしていた。

570そして、ディリーはココで初めてエニグマ暗号を解読した。
11_0r4a0043ココでの解読作業が、後の「Double Cross」作戦で大いに活躍し、それがノルマンディ上陸作戦につながり、ヨーロッパ戦線の早期終結に結び付いた。
「Double Cross」作戦というのは、「Double Cross System」とも呼ばれる、ニセの情報を流して相手をダマす作戦。
ココでエニグマの解読に成功していたことはブレッチリ―・パーク内でも極秘にされていた。
それだけ秘密の保持に厳しかったので、時の首相サー・ウィンストン・チャーチルはブレッチリ―・パークの職員を「The geese that laid the golden eggs and never cackled(金の卵を産む決して泣かないガチョウたち)」と呼んだそう。
『イミテーション・ゲーム』にもチューリングが軍の上層部に直談判してチャーチルから研究予算を引き出すことに成功するシーンがあるが、実際にチャーチルは暗号解読の重要性をよく理解し、ブレッチリ―・パークの仕事にとても協力的だった。
11_0r4a0045Stableyardの近くのガレージに展示してある当時のMI6の社用車。
こうした車はブレッチリ―からほど近い、ニューポート・パグネルにある「ティックフォード(Tickford)」という有名な車体屋(Coachbuilder=コーチビルダー)に送られ、元の塗装を剥がし、戦時下特有のカムフラージュ塗装を施した。

580私、ニューポート・パグネルに家内と1泊したことがあるの。
ココはアストン・マーチンの本拠地なんだよね。
その加減でその車体屋があるのかも知れない…イヤイヤ、おおよそ自動車産業とは結び付かない静かな田舎町なのよ。
下がニューポート・パグネルのアストン・マーチンのショウルーム。11_img_0978 これらのパッカードには強力な通信装置が搭載されていて、イギリスとドイツの間で起こっていることが随時把握できるようになっていた。

590

610コレは救急車。
カッコいい。
なんか看護婦さんみたいなイメージだな。

600Norton社製のオートバイ。
1937~1945年の間、ノートン社はイギリス軍が使用するオートバイの1/4に当たる10万台を供給した。
その代表機種がこの『WD 16H』だった。

11_0r4a0034公園の奥を見終わって、中心部に戻ってきた。
「HUT3」…上で紹介したマンションが手狭になり、スタッフはこの「HUT」と呼ばれる建屋に作業の場を移した。
「hut」というのは「小屋」という意味ね。
「ピザハット」の「ハット」。

10_2HUTごとに役割が決まっていて、隣のHUT6で解いた暗号がこのHUT3に運ばれて来て、翻訳作業が行われた。

20vココで翻訳された文章は厳格に軍隊特有の文体に定型化され、あたかも実際のスパイが書いたかのように仕立て上げ、暗号の受取人は、それら情報がブレッチリ―・パークから発信されたものであることを全く知らなかった。
ところで、我々ってよく…
「それじゃ11時にお願いします」
「11時…わかりました23時ですね」
…ってやるでしょ?
向こうの人は「おお!ミリタリータイム!」とか言ってコレにビックリしちゃう。
じゃどう云うかと言うと、「11pm」って言う。
午前の11時なら「11am」って言う。
「日付vs.曜日」の感覚とかも我々とは違うんだよね。

30_2HUT6で解読した文章はいつも不完全で、時には全く意味を成さないモノもあったが、ごくまれに簡単に訳すことができる完璧な解読分も含まれていたそうだ。

40_2この奥がHUT11Aと11。

50_2「The Bombe」が展示してあることを知らせる看板。
要するにココの展示のハイライトですな。

60vやっぱり人気があって多くの人が出入りしていた。
私もコレを見に来た。70_2ココに展示されているモノといえば…
ハイ、またエニグマ暗号機。

80vコレはずいぶん程度がいいね。90_2目盛りが数字になっているローター。

100_2エニグマのローターはしまいには5枚使いにグレードアップした。

110_2アルファベットを根こそぎ入れ替えてしまうプラグボード。
3枚のローターに比べ、組み合わせが多岐にわたるこのプラグボードこそ暗号の生成を複雑にしているのだが、ただの文字を入れ替えているだけの構造なので頻度分析で比較的簡単に解読できてしまうのだそうだ。
やはりエニグマの主役はローターなのだ。

120_2見ての通り真空管。
この時代、真空管は電気機器の大スターだった。

125ドイツ軍のエニグマの初期設定のコードブック。
ローターの番号と向き、初めにセットするアルファベット、プラグボードで入れ替える2つのアルファベットのペアが日替わりでひと月分明記されている。

130_2そして、いよいよ登場したのがコレ。
エニグマ暗号を解き明かした機械、「The Bombe(ザ・ボンベ)」。
初めて聞いた時「変な名前だな~、'ボム'の間違いじゃないの?」と思ったのだが、「ボンベ」でいいの。
最初にエニグマ解読の風穴を開けたのはポーランドのマリアン・レイェフスキという人なんだけど、そのポーランドで使われていたマシンを「The Bomba」といった。
それに敬意を表して「Bombe」という名前を付けたらしい。
160_2コレ、『イミテーション・ゲーム』の中でも盛んに出て来るでしょう?
どういう仕組みになっているのか、いくらその手の本を読んでもピンと来なかったんだけど、3段になっているひとつひとつがローターに対応していて、とにかく電気信号を利用して総当たりでエニグマのローターの初期設定を突き止める…みたいな働きのハズ。
だから「グーグル翻訳」みたいにコレ自体が暗号を解いて、普通の文章に変換してくれるワケではなくて、ジーコ、ジーコと動かしてエニグマの初期設定を格段に突き止めやすくしてくれる。
初期設定さえわかれば、さっき書いた通りプラグボードは頻度分析で解析できるので、手元に同じエニグマ機がありさえすれば暗号が解読できる。
 
ところで、この機械、すごくキレイでしょ?
コレが活躍したのは80年も前のことなのよ。
そんな昔のモノがこんなにピッカピカなワケがない。
そう、残念ながらコレはレプリカなの。
この辺りの話は次回やります。

140_2こういうモノにはつきもののシミュレーションの展示。

170_2アラン・チューリングのスゴイところは、暗号を解いたことではなくて(実際にはレイェフスキがすでに解読していた)、機械が作った暗号を機械に解読させたということなんだって。
コレが今のコンピューターにつながっているんですよ。

180_2コレは映画の中にも出て来るけど、当時イギリスが困っていたのは、ドイツの潜水艦司令長官カール・デーニッツが考え出した作戦によって大西洋航路のアメリカからの物資の補給路を完全に断たれていたことだった。
大西洋をマス目に区切って場所を特定し、複数の潜水艦で寄ってたかって輸送船をイジめちゃう。
エニグマ暗号を解読していれば潜水艦の位置を突き止めることができるので、輸送船はそれを避けて航海することができた。
ところが、先回りばかりをしていると、イギリスがエニグマの解読に成功したことがバレてしまい、ドイツ軍が暗号の難度を上げてしまう恐れがあったので時々故意にヤラれてやったらしい。
映画ではスタッフの1人のお兄さんが輸送船に乗っていて見殺しにしなければならないシーンが出て来るが、実際にチャーチルはドイツ軍の空爆の確かな情報をつかんでいながら、どこかの街をワザと空襲させたことがあったらしい。
多分住民にも知らせなかったんだろうナァ。
だって住民の中にスパイがいたら一発だもん。

190_2誠に勝手ながら、ボンベのホンモノが展示してあるものとばっかり思っていたのでナンカ狐につままれた感じでHUT11から出て来た。

200_2HUTの他にも「BLOCK」と呼ばれているエリアがあるけど、展示物はほとんどなかった。

11_0r4a0110 「D」のオブジェ。
イギリスでは6月6日になると「D」を祝う。
この「D」は「D-Day」、すなわちノルマンディ上陸作戦が決行された日。
私、偶然にも2012年以降の6月6日は3回ほどにロンドンに滞在しているんだけど、向こうではそこら中でこの日を祝っちゃう。
今年もfacebookでガンガンやってた。
ドイツ占領下のフランス。
連合軍がカレーに上陸すると見せかけておいて、ノルマンディに上陸したといういわゆる「史上最大の作戦」…要するにダマし討ち。
さっきの「Double Cross」ですな。
この作戦を成功に導いたのがブレッチリ―・パークが発した情報だった。
だから、アラン・チューリングは戦争の終結を少なくとも2年早めたと言われているワケ。
そして、今度イギリスの最高額紙幣の£50札の顔になる。
11_0r4a0112日本は渋沢栄一か…。
城山三郎が書いた渋沢の伝記『雄気堂々』っての…上下巻読むのにエラく苦労したっけナァ。Ud ビデオを上映している部屋もあった。
第一次世界大戦で活躍した伝書バトのビデオがかかっていた。

230_2最後に…HUT8。11_0r4a0120後のアラン・チューリングのオフィス。

250_2ドイツ軍はその後、さらに複雑な暗号を作り出す「ロレンツ」という機械を開発したが、イギリス軍はチューリングの技術をもってしてそれも解読に成功している。

240_2他の記事にも書いたが、チューリングの偉業はもっと称えられてしかるべきなのに、関わっていた仕事が戦後も長い間極秘扱いになっていたり、チューリングが当時法律で禁じられていた同性愛者であったりしたことから歴史に埋もれてしまった。
チューリングは1954年、青酸カリを塗布したリンゴをカジって服毒自殺を遂げた。
アップル・コンピューターのひとかじりしたリンゴのロゴはチューリングのリンゴだ…という説がある。
できればそうであって欲しい。

260_2ミュージアム・ショップはこんな感じ。

270_2やっぱりD-Dayの本が盛んに飾ってあった。

280_2例によって、下の写真の真ん中のスーヴェニア・ガイドブックを買っておいた。

290_2コレはMarshallの本社のエントランス。

11_img_4521 ココにこんなモノが飾ってある。
ブレッチリ―・パークに寄付をしたので、一般に公開している間は自由に出入りが許されるという入場許可証。
でも入れるのはDr. Jim Marshall OBEだけね。
ジムは生前見に行ったのかな?Img_0714<つづく>
 
近々、CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!

12code25  

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 6日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 45 ~ ブレッチリー・パーク <その1>

 
Marshallの国内輸入販売元のヤマハミュージックジャパンさんからのお声がけで、人気モデル「CODE」のPRをシリーズで始めることになった。
その企画は、ジム・マーシャルが来日した時に熱心に私のサポートをしてくれた人物の発案でしてね、めぐりめぐってまた一緒に仕事をしていることを今楽しんでいる。
初めて取り組む内容の企画ということで、それを記念して「code=暗号」の話題で「名所めぐり」をやらせて頂くことにした。

12code25 今回の舞台は直接的には「ロックの名所」ということではないんだけど、Marshallの本社/工場の町内の話題なので「当たらずとも遠からず」ということでお許し頂きたい。
しかし、大作を編む時は気持ちが張るね~。
ゴメンね、4本立てなの。
興味のある人にはタマらない、滅多に見れない…というか、日本では話題にも上らないモノをたくさんお見せしますからね。
興味のない人にはイヤでタマらない…ま、毎日アクセスだけしておいてくださいな。
それはドイツのエニグマ暗号機と暗号解読者の戦い。
「CODE」が発売される時にもやったんだけど、今回はその戦いの本丸、ブレッチリー・パークからのレポートなのだ。
そして、そこに隣接するコンピューターの博物館をめぐる4本立て企画。
ハイハイ、アクセス数が激減するのは十分承知の上です。
この『イギリス-ロック名所めぐり』を掲載すると、ただでさえガクっとアクセス数が落ちるんよ。
でも、コレこそMarshall Blogでしかお目にかかれない内容だと思うワケです。
私のライフワークなのだ。
 
「暗号解読者のホーム」、ブレッチリ―へようこそ!
ところでこの標識、小さくてもいいので、いつか「Home of the Loud Sound」って入れてくれないかしら…。
05ブレッチリ―はロンドンの北西66km…ココがミソ。
つまりロンドンからさほど遠くないロケーション。
今の電車でロンドン・ユーストン駅から40分ぐらいかしら。
実際にブレッチリ―からはロンドンへ通勤している人はたくさんいる。
東京だったら「40分なんて何の問題もないじゃないか!」と思うでしょう。
ところが、この辺に住んでいる人は5時に仕事が終わると、5時10分には家で家族とくつろいでいる人たちばかりなのだ。

410 駅から歩いて5分もかからないところにあるのが…

10この「ブレッチリ―・パーク」。

20美しい公園と暗号解読の博物館が一緒になった施設。

30ココへ来るのは3回目なんだけど、いつ見ても安普請に見えるんだよナァ。

120r4a0319 映画『イミテーション・ゲーム』の舞台となった場所ね。
このブレッチリ―・パークで第二次世界大戦中に難攻不落と言われたドイツの暗号「エニグマ」を解読した。35この記事を書くに当たってもう一度『イミテーション・ゲーム』を観直してみた。
最初に観た時は、『プロジェクトX~男たちはいかにしてドイツの暗号を解読したか』みたいな内容を期待していたものだから、まったくの期待外れだった。
今回は全く視点を変えて観たので、前回よりははるかにオモシロく観ることができたが、やっぱり伏線の張り方が甘いし、わかりにくい。
コッチはなまじ色んな本を読んで知識を蓄えているもんだから、細かいところも色々と気になってしまうんだな~。
でも、キーラ・ナイトレイはヨカッタ。

Igさて、ブレッチリ―・パーク。
展示室のエントランスのようす。
高いのよ…入場料が。
大人ひとり£21.0だから3,000円近く。
4年前に訪れた時は家内と一緒だったんだけど、2人分の値段にビビって断念。
ディズニーランドじゃあるまいし、公園くんだりに2人で6,000円も出せんよ。
家内には悪いが、今回は1人だったので代表して見学させてもらった。

120r4a0816 「OXFORD」、「CAMBRIDGE」の名前が入った標識。
実はコレには意味があって、このブレッチリーは比較的オックスフォードにもケンブリッジにも便利なロケーション。
その2つといえば、そう、世界の天才が集まる大学都市。
つまり、暗号解読のための優秀な人材を調達したり、研究機関と連絡を取り合うのに利便性が高いロケーションだったのだ。40第二次世界大戦が激化すると、ブレッチリ―・パークの役割が大きくなり、ココで働く暗号解読者の数は、初めはごく限られていたが最盛期には9,000人にまで膨れ上がった。(9,000人というデータが園内の場所によって11,000人になったり12,000人になったりしていた)
ブレッチリ―・パークが発する情報はイギリス軍と同盟軍に大きな成果をもたらし、今となっては「D-Day(ノルマンディー上陸作戦)」の成功もその情報によるところが大きいとされ、第二次世界大戦の終結を少なくとも2年早め、敵味方を問わず多くの命を救ったと言われている。
それほど「暗号解読」の仕事ってのは重要だった。
そんなスゴイ仕事をしていた場所なのに「ブレッチリ―」の名前を知っている人はそう多くない。
かく言う私もMarshallの住所としての「ブレッチリー」は知っていたけど、暗号解読の話は知らなかった。
ナゼ、そんなに無名だったのかというと…戦後も長い間極秘扱いになっていたからだ。

50暗がりのホールの壁に映し出されていたのは戦時中のニュース。
映像がオイルヒーターに思いっきり被っているところが安普請たる所以?80展示品を見てみよう!
「戦時下をいかに上手に過ごすか」なんてガイドブックや認識票等の戦時中のグッズ。
左下の「RATION BOOK」というのは「配給票」の綴りだろう。
アメリカの援助を得ていたとはいえ、イギリスの庶民も物資不足に苦しんでいたのだ。
ナゼかというと、大西洋の制海権をドイツ海軍のUボートに握られていたから。11_0r4a0820左のピンクの本、『MAKE DO AND MEND』というのは「新しいモノを買わないで、古いモノを修理して使う」ということ。
「ゼイタクは敵だ!」的なことをイギリスでもやっていた。11_0r4a0821「Dispatch Rider(ディスパッチ・ライダー)」と呼ばれる郵便配達人が使用したオートバイ。
「Don R's」と知られ、女性のライダーがたくさんいたという。
彼女らの使命は、「Y Station」と呼ばれるイギリス各地にある信号受信基地で傍受したドイツの通信内容を関係各部署に配達することだった。
ブレッチリ―・パークに配達に来る時には、バイクのエンジンの音が暗号解読者たちの思考の妨げにならないように裏口からソ~っと入ってきたとか。90まるで冷蔵庫のドアに貼ってある備忘メモみたいだけど、暗号解読のプロセスがごく簡単に記してある。
どれどれ…
STEP1:敵の通信を傍受する
敵の本部や戦地の陸軍、海軍、空軍から発せられたメッセージを傍受する。
STEP2:メッセージがどのように暗号化されているかを突き止める
知力や直感を使い、敵のメッセージを注意深く目を通し、新しく開発された機械を駆使してその日の暗号パターンを読み解く。
STEP3:解読
暗号パターンが解けたらチーム総出でその日傍受したメッセージをすべて解読する。

11_0r4a0833 STEP4:翻訳
軍事専門家がその情報の価値を評価できるように、言語のスペシャリストが解読された情報を英語に翻訳する。
STEP5:情報の分析
敵の動きをより詳しく突き止めるために入手した情報と保有している情報との関連性を分析する。
STEP6:突き止めた情報を上層部に送る
得た情報が適切な人々に到達するよう確認する。その情報が上層指揮官にとって有益か?総理大臣が知りたがっている情報か?

11_0r4a0834 ドーン!
そこで登場するのがコレ。
ドイツ軍自慢の「エニグマ暗号機」。

130この数日前に大英図書館で生まれて初めてホンモノのエニグマ暗号機を見て大興奮しちゃったんだけど、ココにはゴロゴロしていたわ。

110使い方はチョー簡単!
手前の丸いキーを打つと内部の電気回路を通過して、すぐ上のアルファベットのいずれかが点灯する。
その変換された文字を書き取って、通信士に渡してモールス信号で相手に暗号化されたメッセージを送るだけ。
メッセージを受け取る方も同じエニグマ機を持っていて、初めに送信者と同じ設定にしておけば、送り手と逆のプロセスを経て、送り側が打った元のアルファベットを知ることができる。
その文字を書き取って「フムフム…」となる。
ココで大切なのは、メッセージの送り手のエニグマと受け手のエニグマの設定を完璧に同じにしておかなければならないこと。
さもないと受け手はチンプンカンプンになってしまう。
それを防ぐために、ドイツ軍はその設定を記載したコードブックを各部署に配布して、毎日その初期設定を変えていた。
あの映画の中で、夜中の12時なると「クソったれ~!」と暗号解読者が癇癪を起して怒鳴るシーンがあったでしょ?
アレは、せっかく解読作業が進んでいたのに、夜中の12時になってエニグマの初期設定が変わってしまい、完全に振り出しに戻ってしまうから。

0r4a0842この暗号機の一番のセールスポイントは上の写真の左側に見えているギザギザ。
この中には「ローター(スクランブラー)」と呼ばれる下の写真のようなモノが入っていて、一文字キーを打つたびに一番右のヤツが回転して内部の電気信号系統を変更してしまう。
コレが26目盛り進むと、真ん中のスクランブラーがひと目盛り回転する。
今度は真ん中のローターが26目盛り進むと一番左のヤツがひと目盛り進む。
コレ、ナニをやっているのかと言うと、サイファー暗号(一文字を一文字に割り当てるタイプの暗号。彼らは文字を26個しか持っていないのでこの方式がメッチャ便利)の一番の弱点は、ある文字が常に同じ文字に変換されることなの。
「頻度分析」といって、暗号解読者がまず目をつけるのは同じ文字が続く部分なのね。
このエニグマはローターが回転して信号の経路に変化を持たせることによって「A」のキーを打つと、ある時は「H」に、またある時には「M」に変換しちゃうワケ。
そして、絶対に「A」自身には変換されない。
このローターの目盛りには数字が記されているけど、基本はAからZまでのアルファベット。

11_0r4a0071 それに加えて、手前にある昔のシンセサイザーのパッチみたいなヤツ。
コレは「プラグボード」と呼ばれていて、アルファベットが書かれているジャックをを結線して、はじめっからその2つのアルファベットを入れ替えちゃう。
イヤン、イジワル!
こうした回路を経て構成される順列組み合わせの数は…改行します…
159,000,000,000,000,000,000通りあるのだそうです。
コレ、1垓5900京通り。
一体それっていくつだ?…みたいな。
暗号解読の作業は地道に総当たりでやるしか方法がなく、もうこうなっちゃうと解読するには機械に頼るしか方法がなかったというワケね。
ちなみに、この「159,000,000,000,000,000,000」ね、英語でどう読むかと言うと…
「159 million million million」となるらしい。
「7月6日は右のローターは「H」、真ん中は「T」、左は「B」、プラグボードは「C」と「Q」、「I」と「S」…」とかいう風に決めておいて、メッセージの送り手を受けてはこの設定に従って信号のやり取りをするワケ。
解読者たちはこの初期設定を突き止めるのに苦労したワケだ。120エニグマ以外の暗号機も展示されていた。
たとえばコレ。
「Hagelin C38」というモノ。
まさか読み方は「ハゲリン」じゃないだろうな。
スウェーデンのボリス・ハーゲリン(かな?)という人の作品。
この人、写真を見るとハゲてなかった。

11_0r4a0848 イタリア軍が使用していたそうだ。140Yステーションで使われていた信号を傍受する機器。

150コレはドイツ軍の通信兵が使っていたモールス信号機。
モールス信号と言うのは、トンツー、トンツーやっているウチに打ち手のクセが出て来て、長いことやっていると傍受する側は誰が売っているのかがわかるようになるらしい。

160通信兵のためのマニュアル。
表紙の下に「His Majesty's Statinery Office」とある。
コレは「王室出版局」といって、日本で言う官報を出版する公的部署。
1996年に民営化されて「The Stationery Office Ltd.」となった。
それまでは当然「Her Majesty's Stationery Office」だった。
しからば、この「His Majesty」は誰か?
エリザベス女王のお父さんですね。11_0r4a0857つまり、ジョージ6世。
この映画の主人公。
コリン・ファースもジェフリー・ラッシュもとてもいいんだけど、映画としては私は全くオモシロイと思わなかった。
うるさくてゴメンね。
やっぱり脚本が雑で感情移入できないんだよね。

11_ksそれと、上の映画の副教材みたいな作品だったけど、このドキュメンタリーはとてもオモシロかった。

G6 それと、ジョージ6世とエリザベスということであれば、この『ロイヤル・ナイト』という『ローマの休日』の亜流みたいな作品もオモシロかったです。
11_eno「Siemens and Halske(ジーメンス&ハルスケ)」社製のテレプリンター、T52。
「テレプリンター」というのは日本では「テレタイプ端末」と呼ぶそうで、通信機能を持つ電機タイプライターのこと。180何やらモノスゴク仰々しいルックス。
エニグマは前線で使用されることが多かったが、T52は電話回線を利用したサイファー暗号機(前述の文字を置き換える暗号)としてドイツの海軍と空軍に使用された。
電話回線を使われると、信号を傍受するのが困難になってしまう。
ブレッチリ―はドイツのサイファー暗号機を「Fish」というコードネームで呼んでいたが、このT52だけを指して「Surgeon」と呼んでいた。
「suegeon」とは「チョウザメ」のこと。11_0r4a0862 お、コードとサイファーの違いを開設してるじゃん。
ナニナニ…。
CODE:単語、フレーズ、数字などを別の単語、フレーズ、数字に置き換える方式。
たとえば「YOU ATTACK AT DAWN(あなたは夜明けに攻撃する)」を「BUY SOME MILK(ミルクをいくらか買って)」のように完全に違う文章に変えてしまう。
メッセージの受け手はそれを読み解くコードブックが必要となる。
CIPHER(またはCYPHER):文字や小さな文字のカタマリをそのまま他の文字や数字に変換してしまう方式。
例えば「YOU ATTACK AT DAWN 」を「BPYFW WGZXG QSVRP」のように何らかの文字や数字の組み合わせにしてしまう。
メッセージの受け手は当然、何の文字がどう置き換わったのかを知っておかなければ読み解けない。
ブレッチリ―・パークの暗号解読者は主にこの仕事に携わっていた。

190ブレッチリ―・パークのスタッフは暗号解読のために利用できるものは何でも利用したという。
しかし、ほとんどのアイテムは終戦時に処分されてしまい、ほとんど残っていない。
 
この3本の細長い帯はエニグマのローターをシミュレートしたもの。

200この辺りのゴチャゴチャと数字やら記号が書いてある書類はいかに暗号解読が複雑怪奇なモノであったかを物語っている。

210上下の写真は後に上級暗号解読者となるオリバー・ローンという数学研究者の資料。
彼や彼の仲間は特別の言葉や意味のない言葉を用いて自分たちの暗号解読の方法を記していたという。
それじゃ、それ自体が暗号になっちゃうやんけ!11_0r4a0869昭和19年の「陸軍宛名略号書第5号」by 「参謀本部」。
戦線が極東にまで拡大すると、ブレッチリ―・パークの仕事は日本軍の暗号解読にまで及ぶようになった。

220v「Typex」というイギリスのサイファー暗号機。
エニグマとほとんど同じ動作をしたようだ。230Typexに使用されていたのであろうか、傍らに展示されていたローター。
ね、アルファベットが記されているでしょ?

240傍受したオリジナルの暗号文。
ゴメンね、見えないね。11_0r4a0882 「D-Day(ノルマンディ上陸作戦)」の直後に「Garbo(ガルボ)」というコードネームの二重スパイから送られてきたドイツ語の書類。
「ベルリンからマドリッドへ」のようなナマナマしい記述が掲載されている。
Garboはドイツ軍をダマし、連合軍がノルマンディに上陸するのを手伝ったひとり。

11_0r4a0888_2まぁ、この「Garbo」というコードネームはどう考えても『ニノチカ』でしょうな。
グレタ・ガルボが演じるソ連からパリにやって来た女スパイを主人公にしたコメディ。
コレ、ビリー・ワイルダーも脚本チームに名を連ねているんだよね。
しかし、こんなわかりやすいコードネームでいいのかしら?

Nino ブレッチリ―・パークでの仕事には翻訳の業務がつきものだった。
当時のイギリスでは全くなじみのない日本語を習得するのはかなり大変だったようだ。
日本が「適正言語使用禁止」として「いいタマ、打者ダメ!」とかやっている間にアメリカやイギリスでは日本語の猛勉強をしていたワケ。
270当時使用していた英和辞典。

260単語カードを作って漢字を覚えるぞ!

280日本語は英語から最も遠い言語のひとつと言われているからね。
漢字もあるし、大変だったと思うよ~。

290そもそも先生が少なかったんじゃないかしら?
夏目漱石がロンドンにいる頃だったらヨカッタのにね。
310vコレはドイツの略号辞典。
省略記号⇒正式名称⇒英訳という構成。
よく勉強してるわ~。
250数学者であり、12もの交響曲を作曲したダニエル・ジョーンズという暗号解読者の日本語の勉強のためのノート。
一体、ナニに使ったんだ?300解読者たちはどんなことでもカード形式にして情報を蓄えて行った。

11_0r4a0927やっぱ情報をキープするのはカード形式が最も効率がいいのかな?

11_0r4a0925 展示室を出る。

通路に展示されていた「G-110」というシリアル・ナンバーが付されたエニグマ。
このタイプは主にオランダとハンガリーに販売された。
この個体は1931年に製造されてハンガリーに出荷されたモノ。320「CREED MODEL 7B」というテレプリンター。
コレも傍受したドイツの暗号をブレッチリ―・パークに送信するために使われていた。330動作音が大きくてやかましいらしく、元々は鉄製のフタがついていた。

340コレもTypexのテレプリンター。

360廊下に展示されていたエニグマ。
最初はあんなに珍しがっていたのに、そこら中に置いてあるのでスッカリ慣れてしまった!
 
コレはドイツ空軍が使っていたエニグマ機。
エニグマ機は1918年にドイツのアルトゥール・シェルビウスという発明家が特許を取得した。
シェルビウスは重要な情報の秘密保持を実現する道具として企業と軍に売り込んだが、今の価値で300万円ちかい値段がついていたためウケが悪かった。
企業はたかが秘密の保持のためにそんなに大枚をはたくことは難しかったし、軍は情報戦が原因で第一次世界大戦に敗れていたことに気づいていなかった。
しかし、ドイツ軍がそのことを確信した20年後、エニグマを3万台買い上げたという。
そして、ドイツ軍は当時誰にも解読されることがない世界最強の暗号を手に入れた…というワケ。
ちなみにシェルビウスはその前に他界したため、エニグマの成功も、解読される失敗も見ることができなかったとさ。
11_0r4a0954 隣の部屋の展示。

60ん~、特に書くことなし。

370博物館の展示を見学し終えて外に出てみる。

380ウワ~、気持ちいい~!
さっき雨降ってたのにな~。

390広場ではバンドが古~いジャズを演奏していた。
しかし、キレイだな~。

400おお~、コレがあの有名な「マンション」か~!

410映画にも出て来た施設ね。
次回はココからお送りします。

420<つづく>
 

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 2日 (木)

Marshallのジュークボックス

  
昨年の6月にMarshallの本社/工場に行った時のこと。

10その前に行った時と変わらない正面玄関。

20エントランスに展示されているアイテムはチョコチョコ変わる。
昔は日本から送った浅草の職人が作ったMarshallのロゴが入った小さな凧が飾ってあった。
その後、「マー凧」はジムの家に移って行ったが、それからアレはどうなったであろう?30そのエントランスで見かけないものが!
コレは誰がどう見てもMarshall印のジュークボックス。

40v今の若い人は「ジュークボックス」というモノは知っていてもが実際にそれが活躍しているのを見たことがないのではなかろうか?
ウーリッツァーのように半ば飾りとしての役割ではなく、「音楽の自動販売機」としてのジュークボックスね。
私が子供の頃…ウソ、結構大きくなってからもよく見かけたジュークボックスは下の写真のタイプだった。
最後にこういうのを見たのは、以前勤めていた会社の新潟の山の中にあった保養所だったろうか?
大浴場の横の娯楽室のピンポン台の横にあった。
その保養所も平成7年の姫川の大水害で流失してしまったので、あのジュークボックスも日本海の藻屑と化してしまった。
ジュークボックスってのは、昔はどこにでもあったんよ。
音楽がタダでなかった時代。
一流の作編曲家が丹精込めて曲を作り、腕の立つ演奏家がそれを吹き込む「歌謡曲」が存在した時代。
それを「1曲いくら」と売っていたワケ。
でも、「1曲いくら」なんてやっていたことを考えると今の配信と変わらないような気もするな。
イヤ、支払いのシステムは似通っていても、ジュークボックスは公の場を盛り上げるのが一番の仕事だったんだね。
ヒット曲は何回もかかっちゃっったりしてね。
「チッ、またこの曲かよ!誰がリクエストしたんだ?」なんてね…テメエは一銭も出さないクセに文句を言ったりなんかして。
ちなみにゲームの「セガ」とか「タイトー」っていうのはジュークボックスの輸入商社が前身だったんだぜ。
それぐらい盛んだった。
でもジュークボックスはイギリスではなく、アメリカ発祥のモノ。
調べてみると「juke」というのはサウスカロライナやジョージアあたりのアフリカ系アメリカ人のクレオール語(部族間だけで独自に発展を遂げるオリジナルの言葉)で「騒々しい」とかいう意味があるらしい。

80MarshallのジュークボックスはもちろんMarshall仕様だった。

50カッコいい!

60そして今!
このMarshallジュークボックスが正式に販売することが昨日の午後2時、本国で発表された。

90まずはそのビデオ。


もうナニでもかんでも、ナニはなくても、ナニはともあれ、とにかく世の中ビデオですな。
ナゼが横文字化せず、かたくなに「動画」と呼び親しんでいるところがオモシロイね。
「携帯」みたいだ。
「ムービング・ピクチャー」って言わないと現東京都知事はヘソを曲げるぞ…それじゃ「活動写真」か!
イヤ、「東京アラート」よりは明らかにカッコいいじゃないか。
 
ま、Marshall感満載でとにかくいい感じ。

110_2Marshallのパーツがふんだんに採用されている。
ロッカー・スイッチにゴールド・トップ/ブラック・ボディのノブ。

120スクリプトロゴにレヴァントのカバリング。

135ECフレット・クロスにホワイト・パイピング。

150しかし、このブラック/ゴールドのコーディネーションは無敵だね。
マネッコしてるアンプ・メーカーがゴチョゴチョあるけど、Marshallがやらないと意味も風格も出て来ない。

130細部もゴージャスな作り。
しかし、フト思ったんだけど、ジムはこのブラック/ゴールドの組み合わせのアイデアをロンドンのパブから借用したのではなかろうか?

140vジュークボックスって、真空管やメロトロンみたいに前時代的な雰囲気が色濃くてカッコいいんだよね。

160シングル盤を70枚収納。

170そのA/B面を再生するので140曲をストックすることができる。

190アンプ回路はD4で出力はステレオ各60W。
スピーカーは3ウェイ。
マイクロフォン端子つき…まさかカラオケ用か?
Bluetoothつき。
サイズは1410x780v700mm、重量は120kg。
メーカー希望小売価格は9,495ポンドだから今の為替レートでザッと130万円。
感覚的に高いんだか安いんだかよくわからないが…安いらしい。
ただし、この金額には輸送料は含まれていないので要注意。
ウチの事務所にも1台欲しいけど、完全に置き場所がないので諦めざるを得ない。

100v_2Marshallとタッグを組んだのは1978年創立のリーズのジュークボックス・メーカー「Sound Leisure(サウンド・レジャー)」。
これまでに10万台以上のジュークボックスを製造/販売してきた、今ではイギリスのハンドメイド魂を代表するブランドのひとつになっている。

95_27月1日からヴィクトリア・ゲート・ショッピング・センターでSound Leisureのポップアップ・ストアが開設されるので、実際のルックスやサウンドはそこで体験して頂きたい…リーズだけど。
 
Marshallジュークボックスのお求めは⇒Sound Leisure公式ウェブサイト
VgscThe Whoファンはゼヒ!Lal

 

200

2020年7月 1日 (水)

イギリス発『Marshall GALA2』ビデオ


『Marshall GALA2』のビデオがすべてイギリス本国のMarshallのウェブサイトに出揃った。
編集の作業を始めた時はどうなることかと思ったけど、コレで『Marshall GALA2』の仕事は完了。
チョット寂しい…それと2022年に迎えるMarshall60周年の時の『Marshall GALA3』は一体どうすんじゃい?という不安が入り混じっているのが今の気持ちか。
 
もうご覧になったかも知れませんが、ゼヒ皆さん、イギリス経由で『Marshall GALA2』のビデオをお楽しみあれ!
手順は以下の通り。
1.『marshall.com』で検索する。
2. 下の画面が出て来るので右上の「三(メニュー)」をクリックする。

11_mws2  
3. プルダウンメニューが出て来るので、そこから『Marshall GALA2』をクリック。
4. すると、こんな画面が出て来るので、後はスクロールしてお好きなビデオを見てやってください。

11_mg2  
早い話、ココをクリックしてね!
 ↓  ↓  ↓
Marshall.com/Marshall GALA2ページ

 

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