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私の〇〇 Feed

2018年11月 2日 (金)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.3~私の犬山城

 
コンサートのレポートはまだ前半が終わったところだけど、『私の〇〇』の方はひと足先にコンサートの翌日にコマを進めるよ。
初日の宿を名古屋市内に取ることができず、桑名の温泉宿に投宿したことは既報の通り。
その翌日のコンサート当夜もダメだったの。
本当はELLの近くに泊まって打ち上げにも参加したかったんだけど、宿が取れないんじゃ仕方がない。
そこで翌日の行程を考慮して小牧に宿を取った。
終演後、大須から高速に乗って急いで向かったんだけど、ホテルに着いたのは12時チョット前。
普通のビジネス・ホテルに素泊まりしたんだけど、驚異的に安かった。
風呂に入ってホテルがサービスで提供してくれたビールを飲んでバタンキュー!
で、翌朝のごはんは家内が予め調べておいてくれた、目的地に行く途中の「グリーンハウス」という喫茶店のモーニングを摂った。

01なんだ?
朝から駐車場は満杯だよ。
お店もほぼ満席。

02最近は「コメダ珈琲店」が東京に進出して来て、東京に住む我々も音に聞こえた名古屋独特の「喫茶店文化」に触れるようになったけど、ココにはビックリ!
このメニュー見て。
トーストは当然のこととして、ホットドッグ、パフェ、あんみつ、たい焼き…これらからひとつオーダーすればコーヒーや紅茶が付いてくる。
…と思ったら違うんだよ!
いいですか?
話は反対で、コーヒーや紅茶を頼むとコレらのフードが付いてくるっていうワケ。
おかしいでしょう~、それは!
弦を買ったらギターやベースが、マイクを買ったらイアン・ギランが無料で付いてくるようなもんですよ!
イヤ、どうでもいいことなんだけど、この感覚が実にオモシロイ。
飽くまで「ウチはコーヒー店」ということか?

03ホットドッグを頂いて目的地へ向かう。
すると…。
またこれは朝からナンダ?
若い人が大勢集まってる。
ライブハウスか…と思って一旦は通り過ぎたんだけど、どうしても気になって、ワザワザUターンをして様子を見に行った。

04ハハン、アイドル系のライブがあるので朝から整理券か物販をゲットするのに並んでるんだな?
しかし「maruman」なんてライブハウス聞いたことないな…。
06…と思ったらこの若い人たちパチンコ屋の開店を待ってるのよ!
コレもビックリだった。
朝から東京では見かけないモノを見て新鮮な気持ちで向かった先は…
05ココ…犬山城。

10_2お城観光もいいけど、どこも結構上り下りが大変なんだよね~。

0r4a2232ま、戦の時の防御を考えてのことだから仕方がない。

20v_233年前、当時赴任していた富山から社内旅行でココまで来たことがあるんだけど、見事にナニひとつ覚えていなかったわ。
社内旅行がイヤでね~。
反対に普段大人しいくせに、社内旅行となるとやたらと燃えちゃうヤツがいるんだよね。
今でもああいうのやってるのかな?
そういえば、あの朝食の時のビール。
若い頃はアレがキライだった。
ところが、数年前郡山で開催された『スウィンギン・ロンドン展』の講演会に登壇するために行って泊まった温泉。
電車だったので、何の気なしに朝風呂浴びた後の朝食の時のビール。
コレが信じられないぐらいおいしくて「コレがあのオッサンたちが社内旅行の時に飲んでいたビールか!」と、感動とともにジジイ度が増したことを自覚したのであった。

30v_2国宝ですよ。
江戸時代までに建造された現存する12の天守のうちのひとつで、国宝に指定されている5つの天守のうちのひとつでもある。
他の4つはと言えば、姫路、松本、彦根、松江だそうだ。
繰り返すが、私は城に関してはマニアでも何でもないのだが、このうち行ったことがないのは松江城だけだわ。
ナゼか他は行ってる。
松本城はすごく好きです。

40_2天守へ上がると、おお~絶景かな、絶景かな…ただし天気がヒドイ!
眼下の木曽川までは高さ88mもあるんだって。

50_2下の写真…屋根の先っちょには桃。
桃が乗っかっているのは亀の甲羅。「固く守る」という意味。
ではナゼ桃か?
桃は大好きよ。
桃は太古の昔から「魔除けの力」があるとされていたのね。
なるほど、だから桃が引っ付いているか…で終わっちゃダメなワケ。
どうして桃に魔除けの効果があるのか?というところまで興味を持つ。コレがMarshall Blogを書くコツ。
コレね、2回前の「猿田彦神社」のところに書いてあったでしょ?…「古事記」の話。
マーブロってのはホントによくできてるナァ。
チョット省略するけど、イザナギとイザナミの「国生み儀式(凸と凹を合わせるヤツ)」を営んででイザナミが火の神様を生んだ時、自分も焼け死んじゃうんだな。
するとイザナギは寂しくて、イザナミに会いたくて黄泉の国に会いに行く。
いいですか~、「ファンタジー」ですからね。
イザナギは黄泉の国でイザナミを見つけて現世に連れ戻したいのだが、イザナミは黄泉の国の食べ物を口にしてしまっているので、ルールとして現世に帰ることができない。
でも、イザナギの元へ帰りたい一心で黄泉の国の親分に相談するのでその間イザナギに待っているようにお願いする。
その待っている間、「絶対に私を見ちゃダメよ」と厳重に戒める。
ところがあまりにも時間がかかるので我慢できないイザナギがイザナミを見に行ってしまうんだな~。
すると!
イザナミは腐った身体にウジ虫が湧く化け物になっていたのよ。
ま、キューブリックの『シャイニング』に出て来る237号室の幽霊のもっとスゴいヤツと思えばいいでしょう。
ちなみにあの辺りに使われている音楽はバルトークの「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」の第2楽章です。第2楽章はあの通り薄気味悪いけど、第1楽章はすこぶるカッコいいよ。
で、「おのれイザナギ!アレほど見てはならぬと言ったのに!」と怒り狂ってイザナギに襲いかかる。
イザナギだって元のままのイザナミならいいけど、腐った化け物に追いかけられてはタマらんので、そりゃ逃げだすわね。
這う這うの体で黄泉の国と現世の間まで逃げて来た時、イザナギの目に入ったのはそこに生えていた桃の木!
その木から桃の実をもぎ取って追いかけて来るイザナミの化け物に「エイッ!」っと投げつけるとイザナミは退散したという。
ま、私はその場にいなかったのでホントかどうかは知りませんよ。
そんなことから「桃には魔除けの力がある」と信じられているのだそうですよ。
ま~、とにかくこの「古事記」とか「日本書紀」に出て来るストーリーはスゴイよ。「なんでやねん?」のカタマリです。60_2さっきまで晴れていたのにもうこんな曇り空。
晴れてればキレイだったろうにナァ。

70_2城の中はどこも一緒だわね。
コレ、上の階ってトイレはどうしてたのかネェ。
桶に溜めて家来が捨てに降りたんだろうナァ。
日本家屋というのは2階以上にトイレがないのが普通なのね。
ま、お城を「日本家屋」として扱っていいのかどうかは知らんけど。
ところが江戸時代、2階にトイレがあるのが当たりまえの建物が並んでいるエリアがあった。
それはどこかというと、吉原。
だから当時は「2階で用をたして来た」と言うのは「吉原へ行って来た」という意味の符牒だった。

80_2犬山城は元々は織田信長の叔父さんの織田信康が1537年に築城して、1617年に尾張徳川家のお偉いさん、成瀬正成が拝領して今の天守の姿にしたのだそう。
前にも書いたけど、この御三家、御三卿のシステムってのはよく考えたよね。

90_2初代から数えて12代目が昭和の名横綱千代の富士。
チガウカ。

100_2そして昭和27年に国宝に指定されたのだそうだ。
どうよ家が「国宝」って。
でもね、上には上がいくらでもいましてね…

105例えば「Never give in!(負けるもんか!)」の名演説で有名なウィンストン・チャーチル。
頭文字は「WC」。
下はイギリスのオックスフォードにある世界遺産の「ブレナム宮殿」。
なんと、コレがウィンストン・チャーチルの実家。
実家が「世界遺産」って一体どういうことだっつーの!

106私のCD棚にはチャーチルの名演説を収録した下のBBC制作のアルバムが収まっているが、最後まで聞いたことがない貴重なCDの筆頭に君臨している。

Wc 城から出てきた頃には雨が降り出しちゃった!

120_2それでも近くの「犬山城下町」と呼ばれているエリアを散策。

130_2ココもなかなかに面白いね~。
雨さえ降ってなきゃもっといいのにな~。

140vなんて言ってたらウワ~!
土砂降りだよ!
「すぐ止むだろう」と読んではいたけど、さすがにこの時ばかりはお土産物屋さんで雨宿りさせてもらったよ。

90r4a2334 ね、すぐ止んだ。
早速、散策。
この建物は2004年に「犬山市都市景観賞」というのを獲っている。
あんまりそうは見えないんだけどナァ。

150_2カッコイイ雨樋。
コレは銅だね?
何十年かするといい感じの緑になるんじゃない?

160_2コレもイイ感じ。

170_2昭和10年頃まで酒を造っていた高木さんの家。
大正初年の建築だというから築106年。

90r4a2345 ココは立派だったナァ。
屋根にRがついているのがわかる?180_2「柏屋孫兵衛」の屋号で呉服商を営んでいた磯部さんの家。

185慶応年間の建築だ。

186「慶応」というと、スゴイ昔の感じがするけど明治のすぐ前で、期間はたった4年だったんだよ。
だからこの家が慶応年間の最も古い時期に建てられたとしてせいぜい築155年ぐらい。
スゴイ古いか!

190_2でもイギリスなんかへ行くと築100年はまず当たり前。
築400年の家とかあるからね~。
「石」にはかなわないし、向こうは地震がないからね。

200_3この吹き抜けは立派ですよ。
しかし冬は寒かったろうね~。

210_2ホラ、シャチホコ。

220_3ね、屋根の真ん中あたりが膨らんで少し丸くなってるでしょ?
こういうのを「起り屋根(むくりやね)」というのだそうだ。
どうしてこういうデザインになっているのかというと、勾配がゆるい屋根でも軒先にキツイ勾配がつけられることより、雨水を流し易くなるというメリットがあるんだって。
そういえば、昔の奥行きのある家の屋根の勾配はゆるかやになってるもんね。
この「起り屋根」は海外には存在しない日本のオリジナル・デザイン。
かつ寺社仏閣や武家屋敷なんかには見ることができず、もっぱら商人、庶民の家に用いられたんだな。
なんかチョット曲線になっただけでずいぶん感じが変わるモノですな。
となりの家の屋根と比べてみて!

230_2さて、コンサート。
ELLに戻る前にチョイとコレを見て頂こう。
コレは私の手元にある3枚組のLPレコード。
今は「ヴァイナル」っていうのか?
Marshall RECORDSの連中も「ヴァイナル」って言ってるけど、アレはどうもシックリ来ないね。
レコードは「レコード」だよ。
「日本全国俺達スターだ!!」というキャッチが付いた当時ヤマハが運営していた各地のバンド・コンテストの優勝者が雌雄を決するアマチュア・バンドの一大イベントの実況録音盤。

240日本の「ロック」が一番ヨカッタ時代かもね。
この数年前まで「ロック」という音楽はまだマイノリティだった。
そして、全国で大規模なコンテストがこんなに開催されていたんですよ。
「East West」は有名だよね。私も高校の時、予選の予選ぐらいは何度か出させてもらった。
中京地区の「Mid Land」や関西の「8.8 Rock Day」や九州の「L-Motion」は東京にいてもよく耳にした。
「Rock Fusion」とか「West Wave」なんてのは知らなかったナァ。
楽器を売るためとはいえ、ヤマハさんは大手にしか絶対にできない立派な仕事をされた。
こうした企画は日本でのロックの普及に計り知れない功績を残したが、マァ結果的に功罪はあったことも否めまい…飽くまでも結果論ですよ。
学校の先生が軽音楽部の生徒を引率してバンド・コンテストに出場するなんてことをこの頃誰が予想できたであろうか?
つまり、一般化しすぎて本来「ロック」という音楽が持つ、不良の香りや、クリエイティビティの追求という魅力が消失してしまい、誰もが同じことをやる健全な「童謡」になってしまった。
このLPに音源が収録されているバンドさんたちは「日本のロックの第2世代」的な存在で、「いかに人とは違う『自分たちのロック』をクリエイトするか」ということに腐心していた猛者たちだ。

250ライナーを見てビックリ。
知ってる人がイッパイ出てるんだもん!
まずはSHOW-YA。
まだ恵子さんとキャプテンだけだったんだね。
でもさすがSHOW-YA!レディース部門で「優秀賞」を獲得している。

260_2X-Rayも。
朗さんはいるけど、まだオズマさんもロジャーさんもメンバーになる前か?
ドラムはババちゃんだったのね?後列の左がそうかな?
他に八重ちゃんの「十二単」なんかも収録されている。

270そして…今日のトップ・バッターはこの方々。
スゴイ、全員ご健在!
さぁ、原形のままELLのステージに登場だ!

2806番目にステージあがったのはSPRITZ!

290もうメンバーを紹介しちゃったようなもんだけど…
KAZU

300v中野重夫

310v加藤剛

485vTosh

500vそしてYasu。

510vSPIRITZはシゲさんの還暦記念コンサートでも演奏したので、1982年以来36年ぶりの再集結というワケではない。

520このチームは「Midnight Train」1曲のみを演奏。

530Marshall Blogには久しぶりの登場となるシゲさん。
シングル・ピックアップのSGがよく似う!

540v剛さんも久しぶりのマーブロ登場で見事な鍵盤さばきを見せてくれた。

550vしかし、考えてみるとこのチームはDYNAGONにKAZUさんが加わった格好なんだね。
610でもシゲさんは「KAZUちゃんは元気にココで歌っていますけど、このステージにいられるのは奇跡なんです」とMCで告げた。

560このチームは1曲だけだったので演奏のパートがタップリ!

580中京の重戦車、DYNAGONチームのパフォーマンスだけあって聴きごたえ満点!
600vちなみにこの曲は演奏時間を超過してどこかのコンテストで失格になった曲だそうです。
だから今日は1曲にしたのかな?
今日はお時間ちょうどでございました!合格!
590続いてステージに現れたのは…アレ?
今日、女性ボーカルズはひとりだけだ!
記事を書いていて今気が付いた。

620オトミさん!

640vそしてバンドは剛さんがステージから降りて、SPIRITZII。
カッコいいな「II」。
そんなね、名前に「II」が入ったバンドなんてそうないよ。
パっと思い浮かぶのは「Colosseum II」ぐらいだもんね。

630曲は、まずは「Wishing well」。

690出るべくして出たロックの名曲。
やっぱり名曲はいつ聴いても名曲だ。

680v2曲目は「Good Times」。
この曲はシゲさんの還暦記念コンサートでも演った曲。
私はフィービ・スノウのバージョンでこの曲を知ったが元はサム・クック。
収録されているのはまたしても『サンフランシスコ・ベイ・ブルース/ブルースの妖精フィービ・スノウ』とかいうマヌケな邦題が付けられた1974年の『Phoebe Snow』というドンズバのタイトルのフィービのデビュー・アルバム。
私はジャズ以外の女性ボーカルズものは聴かないんだけど、コレはズート・シムズやテディ・ウィルソン、チャック・ドマニコやチャック・イスラエルズとったベテランのジャズメンが参加していることで興味を持った(ナゼかデイヴ・メイスンも参加している)。
つまり、大分後になって聴いたワケなんだけど、実にいいアルバムだよね。
このフィービの声と歌い回しはナニモノにも替えがたいぐらい素晴らしい。
そしてこの「Good Times」。
これがですね~、「ナニが悲しくてフィービはこのクックの曲を選んだんだろう」と首をかしげるぐらい原曲と違う。
歌詞の一部が同じというだけで、完全に別の曲と言っていい。コレなら自分で1曲作っちゃえばよかったのに…。
つまりフィービの方がダンゼンいいワケ。
このアルバムに感動して他のフィービのアルバムを色々買って聴いてみたけど、このアルバムがダントツでお気に入り。
それとドナルド・フェイゲンの『New York Rock & Soul Revue』での活躍もすこぶるカッコよかったが、フィービも残念ながら7年ほど前に亡くなってしまった。
650cdチャック・ドマニコなんて名前、Marshall Blogで出る機会がないし、女性ボーカルズつながりということで一応脱線しておくけど、カーメン・マクレエの代表作、『The Great American Songbook』の「Satin Doll」のチャック・ドマニコによるベースのイントロ…トリハダです。
このアルバムはギターがジョー・パスで、バリッバリ弾いているので、「ジャズでも聴いてみようかな?」なんて思っているロック・ギター・ファンにもおススメです。

Cm勝手にフィービ・バージョンでオトミさんが歌ったかのような筆致になってしまったが、少なくともサム・バージョンには料理されていない(←ココ、シャレになってます)。
でもフィービ式でもない。
つまりオトミさん流なのだ。

660vというのもバックがこのメンツだからして、それはそれはガッツのある演奏だった。

670この日、唯一の女性シンガーのステージ、ものすごく良いショウ運びのアクセントになった。

700おなかが空いてきたので、私はこのあたりで栄で買ってきた天むすをコッソリ頂いたよ。
ひと口で食べられるし、おいしいし、とてもいい感じ!
記録を紐解いてみると、この時点で30分押し。
演奏も転換も順調だけど、イベントってのはだいたいこんなもんよ。
でも、早くももう後半だよ。
出てこいや8番手!
 
で、出てきたバンドはBlues Deluxe。
いい名前だ。

710コレ。
このアルバムってモノの本によると、Marshallとレスポールのコンビネーションが最もいい音で録られたアルバムなんだって。
そのアルバムに収録されているのが「Blues De Luxe」。
私がこのアルバムを友達の家で初めて聴いたのは中学2年ぐらいの時のことだったが、全然ピンと来るものがなかった。
わからなかったんだろうね。
アルバムは持っていても、実は今でもほぼ聴くことはないのだが、初めからこの曲だけはすごく印象に残っている。
それはジェフ・ベックのギターというよりも、あのロッド・スチュアートの「♪ッスッテディ~アッ、ッスッテディ~アッ」っていうところ。

720cd曲はJeffrey Rodのオリジナル。
この「ジェフリー・ロッド」ってだ~れだ?
答え…下の写真の左から2人と一番の右、2人1組でジェフリー・ロッド。
つまり、ジェフ・ベックとロッド・スチュアートですな。
藤子不二雄か!?
『Truth』にはこの名義で3曲ほどオリジナル曲が吹き込まれている。
右から2人目のメガネのアンちゃんはミッキー・ウォーラー。
ジム・マーシャルのドラム教室の生徒さんだった。
自分が通うドラム教室の先生が作ったギター・アンプを弾くヤードバーズのOBと一緒にバンドをやるなんてのはどんな気分だったんだろうね?
ミッキーはロング・ジョン・ボールドリー、ロッド、ジュリー・ドリスコル、ブライアン・オーガーらが在籍したThe Steampacketやジョン・メイオールのBluesbreakersといったイギリスのブルース/ロック・シーンで輝かしいキャリアを積んだが、自分のドラム・キットを持っていないことで有名だった。
ちょっと~、ジム・マーシャル、つまりあなたのドラムの先生はドラム・キットを生徒に売りつけるためにドラム教室を開いたんですよ!
ココでもうチョット付け加えると、エルトン・ジョンの「ジョン」はロング・ジョン・ボールドリーの「ジョン」、「エルトン」はSoft Machineのサキソフォン奏者、エルトン・ディーンの「エルトン」からとられている。
本名は「レジナルド・ドワイト」というので、イギリスの年配のファンはエルトン・ジョンのことを「レジ」と呼ぶ。
コレも何回も書いたか…。

725ミッキーがドラム・キットを持たなかった代わりにヤスさんがNATALを所有してくれている。
ジムも喜んでくれているハズだ。

726vBlues DeluxeのボーカルズはKAZU。

730vギターは2人。
ひとりは平井チカ哉房。

740もうひとりは松村英利…エイリさん。
800vベースはトシさん。

760vそしてヤスさん。
トシさんもヤスさんはこのバンドでも赤松さんと一緒だった。

780v曲はZETT時代に演っていたという「Maybe Tonite」。

790ボトルネックのエイリさん。
いかにも「ギタリスト」のたたずまいがカッコいい。エイリさんも赤松さんを敬愛するギタリストのひとりだ。
ヒヌカムブロウ、また東京に来ないかな~。

750ワイルドなチカさん!
チカさんも赤松さんのフォロワーだ。

810ピックアップセレクターに付いている50円玉が気になるんですけど!
ん…もしかして、パチンとセレクト・バーをリアにしたときに自動的にセンターとリアのハーフ・ポジションに止まるようになってるのかな?

8202曲目もオリジナルの「Sweet Home」。
ココでもパワフルなKAZUさんの歌声が爆発!

830v徹底して暴れっぱなしのチカさん。

860エイリさんをして、「素晴らしい後輩」と演奏後にトシさんがおっしゃっていたが、いいねこういうのは!
今の若いJ-POP世代の子はこういうことができないだろうからね。
先輩との音楽的な接点が全くない。
まず「ブルース」なんて音楽を知っている子が少ないだろう。そりゃ学校へ行けばコード進行ぐらいは教わるだろうけど、それぐらいで身に付いたり習得したりできるほど音楽は甘くない。
加えてブギやシャッフルの3連のリズム。
若い人の間にコレがなくなって日本人のリズム貧乏に拍車がかかった。
考えてみると我々の世代は中学とか高校の時にステイタス・クォーとか聴いていたんだもんナァ。
今、ITのおかげでいかにもロックが盛んになっているように見えるが、実は本来「ロック」と呼ばれていた音楽はトキよりも深刻な絶滅の危機に瀕しているのだ。
マディ・ウォーターズが歌ったように「ブルース」から生まれた子供が「ロック」なんだから…親を尊敬しなければバチが当たるというものだ。
コレは今音楽をやっている子供たちのせいではなくて、作り手の大人の責任だ。

840だからこうした新旧が入り混じっている光景を見るとうれしくなってしまう。

870そんな社会的な意義も含めて2人の還暦の記念は進む。

880v

890vココからMCはKAZUさんに交代。
するとトシさんから「このコンサートはKAZUの快気祝いでもあるだでナァ」のひと言。
さっきSPIRITZの時、シゲさんが「KAZUがココに立っているのは奇跡」という発言をしたが、KAZUさんは深刻な大病を患って、それを見事に克服しての出演だったのだ。
するとKAZUさん、「そんなこと言われると泣いちゃうよ~!60歳にもなるとナミダもろくなるね!」
感動のシーン。
KAZUさん、ご回復おめでとうございます!
Kz<連日の大作続きでちょっと疲れてきたぞ!でもまだつづく>
 

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年11月 1日 (木)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.2~私の名古屋城

 

特段「城マニア」とかいうワケではないのだが、ELLにお邪魔する前に名古屋城に行ってみた。
山岡荘八の『徳川家康』全26巻を見事読破した家内のリクエストでもあり、5月に来た時にどうしても時間がなくて来れなかったリベンジ的意味合いもあった。

10メッチャ曇り!よくもマァこんなに曇ったもんだ。
これだけ曇っていると最早気持ちがいい…ワケないか。
でもEvery cloud has a silver lining…きっといいことあるよ。
そして、工事中の雰囲気満点。

20v名古屋城と言えば「金のシャチホコ」。
家内と「そもそもシャチホコってなんだ?シャチか?」という話になった。
シャチってのはこういうヤツじゃんね。
あんな屋根に乗っかっているようなシャツはオルカ?ってな具合。
ちなみに、「オルカ」がシャチを指すことは映画を通じで日本人の間にも知れ渡ったが、英語では「Killer Whale」、すなわち「殺し屋クジラ」という物騒な名前が付いている。

Shachi_2シャチというのは漢字で「鯱」と書く。
コレは頭が虎で身体が魚のルックスをした想像上の魚で、Killer Whaleとは別のモノ。
鯱は水を吐く能力を持ているため、火除けのおまじないとして織田信長が安土城の天守閣に乗せたことにより広まったそうだ。
コレがあのシャチホコか…。
案外ユーモラスな顔してるな。

30v空模様は回復する見込みは全くないけど、家内と「徳川将軍15人のウチ、誰が好き?」なんて話をしながら奥へ進む。
ウチでは14代の家茂が人気者なのです。

40今回、名古屋城については何の下調べもしないで訪れたんだけど、何やら新規オープンでにぎわいを見せているアトラクションがあったので寄ってみることにした。

50名古屋市内の地下鉄の駅にも盛んにポスターを見かけたんだけど「名古屋城本丸御殿」ってのが公開されているというワケ。

60「名古屋城本丸御殿」というのは徳川家康のオーダーで1615年に建てられた尾張藩主の住居かつ藩の政務を司る役所だった。
それがですよ、昭和20年にアメリカのバカったれが爆弾を落として全部焼き尽くしてしまった。
名古屋もかわいそうに…。
そして、長い間望まれていた復元が完了して今年6月から見学できるようになった。
折角だから中に入ってきたんだけど、コレがスゴかったのですよ。

70本丸御殿は世界に誇る近世書院造の建造物として、昭和5年に城郭建築における国宝の第1号に指定されていたんだって。
コレが玄関。
ウチとは大分違うナァ。

80どこもかしこもキンキラキンでスゴイのよ。
100釘隠しもこの通り。

90「表書院」と呼ばれる正式な謁見に用いられた場所。
ま、応接間ですな。110ね?
「ホントにこんなんなってたのかいな?」と疑いたくなるような完全に不必要なまでの豪華さ!
ボランティアの案内係が説明していたけど、エライ人が使う部屋になればなるほど天井がゴージャスさに差が出てくるのだそうだ。

120ココは「対面所」。
藩主が身内や家臣とプライベートで会ったり宴を開くためのスペース。
プライベートならもっと質素にイケや。

130名古屋城には江戸時代の文献や実測図や戦前の写真等の史料が豊富に保管されていたため、かなり忠実な復元に成功しているのだそうだ。
廊下だってこの通り。

170釘隠しもドンドン豪華になっていく。

160欄間がスゴイわな~。
「透かし彫り」っていうヤツ?

180コレは1634年に3代将軍家光がココへやって来るってんで造っちゃった建物「上洛殿」。
「上洛」っていうのは都へ行くことね。
ちなみにさっき名前が出た14代将軍は229年ぶりに上洛、すなわち天皇陛下に合いに京都に行った将軍で、攘夷を約束して江戸に帰ってきた。
幕府もエンディングに向かっていた家茂の頃は色々と大変だったんですよ。そのストレスもあり、家茂は21歳で脚気で死んだ。甘いものには目がなくて、全部虫歯だったらしい。
 
家光のために作った部屋はいくつもあって、下の写真は「一之間」。

250こんなの落ち着かないだろうにな~。

220すぐ隣に続いているのは…

230「上段の間」。

190コレ、スゴイよね~。
A面とB面でデザインが違うんだもんね。

200こっちが「二之間」だって。

270そして「三之間」。
一体コレらの部屋をどうやって使い分けていたのかしら?

290最後は釘隠しもこうなっちゃう。

240しまいには目がチカチカしてきた。
やっぱりどんなにボロでも我が家が一番ということよ!

300で、結局工事中で城の中には入れず。

310でも、この工事もスゴイよ。

330通路にはいくつものテントが…。

340「堂主」?
「看守」?
何かと思ったらコレは楽屋だね。
屋外ステージかなんかでプッチーニの「トスカ」を上演するイベントがあるんだね。

350「名古屋城へ行って来た」と言ったら「じゃ、アソコも見て来た?」と地元に人に訊かれたのがココ。
名古屋城のすぐ隣にある昔風のアーケード「金シャチ横丁」。

370こっちで言えば「伝法院通り」ってとこか?
スミマセン、時間が押していたので素通り。

380結局、名古屋城の中には入れなかった。
でも「本丸御殿」が見応えタップリだったので「入場料損した感」は全くなし。これが「Silver lining」だったのね。
また、名古屋来るぞ!
ということで今回のレポートはコレで終了!

Img_9301 

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋城にて撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘヘヘ、知らない読者もソロソロ増えて来たのではないかと思って久しぶりにまたやってみた。
前回コレをやったら真剣に注意してくれた人がいてサ…「ホントに終わったのかと思いました。あんなことをしたら読むのを途中で止めてしまう人がいてモッタイないですよ!」って!
なので今回はブランクを短めにしてみた。
フェイク・エンディングね。
音楽的に言えば「偽終止」。英語では「Deceptive cadence」。
「Decptive」とくれば10ccの『Deceptive Bends』。
イタズラの上に脱線で恐縮だけど、チョットこれについてやらせてくだされ!
今コレを読んでいる人の中に10ccファンはいらっしゃるかな?
このアルバム、『愛ゆえに』というクソ以下の邦題がついているけど、原題はすぐ上に書いたように「Decptive Bends」という。
下のジャケットがそれ。
なんで潜水服の男が溺れてしまったステキな女性を抱えているのか?
さすが10ccというより、さすがヒプノシス。
このデザインの意味合いが超面白い。
まず、「Deceptive Bends」というのは、ロンドンの南西のサーリー(クラプトンとかジェフ・ベックの地元)に実際にあった道路標識のことね。
「bend」だから曲がっているモノを指す。要するに「見通しの悪い曲り道に注意」という意味ね。
ジャケットを見る。
ひとコマ漫画のようにストーリーになっている。
どういう展開かというと…潜水服の男は助けた美人に惚れこんでしまうかも知れない。
もしかしたらそれがうわべだけの(deceptive)危険な恋かも知れない。そうだとしたら問題だ。
こうして、あたかも人間は海から上がって、世界に出て来て、たくさんの問題に直面していくというワケ。だから曲がり角(bend)を運転する時のように注意をしなければならない。
後ろに2人の男が海から上がって来てるでしょ?この人たちも同様に色んな目に遭うことでしょう。
さて、ココがわからないとこの話は面白くもなんともないんだけど、コレはガッチリしたシャレになっていて、実は「bends」というのは「減圧症」という潜水病の俗称なんですな。
気圧が急に大きく変わると耳が痛くなったりするでしょ?…アレ。
すべてがシャレでつながってる。

Db そしてジャケットをひっくり返すと…エリック・スチュアートとグレアム・グールドマン。
あの後ろの潜水夫はメンバーの2人だったんですね~。
そして、真ん中の潜水夫は誰?…と、潜水服を脱ぎだすところで話が終わる。
こういうジャケットをまとっていたロックを聴いて育った私はシアワセだ。
そういえば、ロンドンのどこかにこの潜水服を発明した人のプラークがかかっていたな。
Rc さて、話を戻さみゃ~か。
ELLでご挨拶を済ませてからチョイとお出かけ。
本城未沙子さんのサポートでMashaくんが名古屋に来ているというのでSPADE BOXというライブハウスに顔を出してみた。雄太くんも来てた。
ココ、ダイヤモンド・ホールの下なのね?
いつかダイヤモンド・ホールってChildren's Bodomのアレキシ・ライホの写真を撮りに来たことがあったわ。
それと、BOTTOM LINEに曾我ヤッチンも来ていたのでサプライズして来た。慌てていて写真を撮るのを忘れちゃった!

385vそして、ELL。
この芳名表がいいね。
「♡おかえりなさい♡」って。
コレはELLに「おかえりなさい」ということなのか、演奏を終えて楽屋に「おかえりなさい」とうことなのか…両方だね?
やっぱりライブハウスを知り尽くした人が作っただけあって、荷物の搬入スペースから、照明から、楽屋の導線から、何から何まで気が行き届いている。

390このパスもうれしいね。
「FREE PASS」の吹き出しのデザイン。

400だって『FREAK OUT!』なんだもん!
Help, I'm a Rock!

410cdさて、『いこみゃ~か』の3番手はヤスさん参加のチーム。

415vKing Cool

420「赤松一郎くんとヤスとボクの3人でやった」とバンドを紹介したのはさっきThe Wizzで登場したJack。

430vギターはかまいたち才蔵。

440そしてヤスさん。
このバンドでは下手のキットに引っ越し。

450v曲はまず「Spoonful」。
Willie Dixonね。
この曲の歌詞ってオシャレなんだよね。
「スプーン一杯のコーヒー
スプーン一杯のお茶…でもスプーン一杯のお前の愛があれば俺には十分だ」
キザでしょう?
もうチョットやると…
「その一杯のスプーンのために人はウソをつき
涙を流し、死んだりもする
誰もがソイツのために戦うんだ」って。
コレはお薬のことを言ってるのかな?
私は知りません。
『Mary Poppins』の薬を飲みやすくする「スプーンフルの砂糖」とは大分違う。
 
このギター!
460vもう完全にCream。

470Jackさんは「Bruce」の「Jack」だったのね。
SGベースでブイブイとジャック・ブルース・トーンを炸裂させた。

480vもう1曲は「I'm so Glad」。

0r4a1289 かまいたち才蔵さんは大学の時から存知上げています。
遠藤豆千代さんとか、敷島パン助さんとか、紫狂乱さんとか、もちろん平野茂平さんとか…なぞなぞ商会大スキだったから。
私が観た渋谷の屋根裏は初めての東京へのツアーの時のことで、他にロフトとクロコダイルに出演したのを今回調べて初めて知った。
その次に上京した際の新宿ロフトにも一度観に行ったことがあった。
棺桶を持って来てお客さんを中に入れちゃうヤツ。
で、そのお客さんにマヨネーズに浸した白滝(だったかな?)を食べさせるんだけど、自分には絶対にできないと思った。
私、マヨネーズ苦手なんです。
なぞなぞ商会のことはもう何度もMarshall Blogに書いているけど、フランク・ザッパとロッキー・ホラー・ショウの曲をレパートリーにしていたのだが、今の「トリビュート・バンド」と称しているコピー・バンドとは異なり、原曲によく練られた日本語の歌詞を乗せていた。
要するに「替え歌」ということになるのだが、その歌詞が王様の手法とは全く異なり、完全にオリジナルでその内容が秀逸だった。
Zappaでは「Carolina Hard Core Ecstasy」とか「Penguin in Bondage」とか「Trying to Grow a Chin」とか、どれも最高によかったし、ロッキー・ホラーでは「Time Warp」とか「Sweet Transvetite」とかをカッコよくキメていた。
屋根裏の時に、悪乗りした客がステージ上がって来てしまい、見るに見かねて「ルールに従ってあんじょうよ~乗らんかい!お前らノリ方も知らんのかい!」と茂さんが怒鳴ったのがカッコよかった。
まだ書きたいことはあるんだけど、今日はココまで。

490ヤスさんのジンジャーぶりもゴキゲン!
私はCreamに夢中になったことはないけど、ロックにインプロヴィゼーションを大体的に持ち込んだ功績というのは偉大なものがあるね…とつくづく最近思うようになった。
私もようやくCremeの偉大さを理解したというのかな?
「偉大」といえば、Creamは音も特大だったらしいね。
そりゃ1959のフル・スタックをズラリと並べていたんだから。
時代が時代だけに恐らく全部鳴らしていたの出はないか?
ニューヨークでCreamを観た横尾忠則が「あまりにも音が大きすぎて途中で気分が悪くなった」と何かにインタビューに答えていた。
それが「ロック」というものですよ。

500v「赤松一郎…名古屋のスーパー・ギタリストやったね。
ボクも何回か一緒に演らせてもらいました。速く弾くとかじゃなくてね、彼のギターは『間』がいいんだよね」

9s41a1079 続いては…ギターの人が自分のポジションに向かう前にその赤松さんのストラトキャスターにキス。

510the Sharman Cultの出番だ。

520KAZU

530vKuma

540v山森洋之

550v野々部俊秀

555vそしてNATALのキットに戻ったヤスさん。
580曲は「Road Racing Crazy Riding」。

570胸のすくようなドライビング・ロック!
生前の赤松さんがKUMAさんを可愛がっていたということで、KAZUさんが今回ギターに起用したのだそうだ。
SPADE VOXで会った満園の庄太郎ちゃんに名古屋に来た理由を尋ねられ。「トシさんとヤスさんの還暦祝い」と伝えると、「あ、KUMAちゃんが出るヤツだ!」とおっしゃっていました。

590昔の日本の「ハード・ロック」ってこうだった。
コレでいいのだ!

600v 2曲目は「Tragedy」。

610v残念ながら現役時代のことは存じ上げないが、きっとこうしたロック感満点の空気感だったのだろう。

620当時のパワーをそのままよみがえらせたであろうエネルギッシュなステージ!
KAZUさんの暴れようがまたスゴイ!

630このあたりで気が付いたんだけど、ヤスさんは登場するたびに着替えて来てる!

560v「疲れるわ~!そんなん横で見ててオレが疲れたわ~!」とACEさん。
お2人は昭和29年生まれで、誕生月も11月で同じなのだそうだ…ということで仲良しトークが盛り上がる!

6404つめはZETT!

650ベースにはトシさん!
トシさんも着替えてる!

660vそしてドラムスはヤスさん。
今日初めてのTYコンビネーションだゼ~ット。

670v奥嵜明

690v日下部正則

700vボーカルズは引き続いてKAZU。

730v曲はまずオリジナルの「Rock'n Roll All of You」。

740Burnyスッカリ細くなっちゃって!
今日は珍しくVで登場。
コレには理由が…。

750ZETTは故赤松氏とトシさんと野獣を脱退した杉田サニー裕の3人で結成された。
その後、サニーさんが脱退してヤスさんが加入した。
そういう歴史。
その赤松さんがZETT時代に愛用していたのがフライングVで、Burnyは赤松さんへの敬意を表してこの日はVを使ったのであった。

710vトシさんと在りし日の赤松さん。
トシさんの後ろには1959のハーフスタックが見える。赤松さんが使ってたのかな?

720vBurnyとのコンビネーションもバッチリ!

765ココでSunnyさんが登場してNATALのキットに向かった!

790v_2「SunnyはZETTと野獣を作った。Sunnyはみんなと遊んでくれるんだよね。『平和』と『愛すること』と『友達』…この3つがSunnyのテーマ」とKAZUさんがSunnyさんを紹介して2曲目の「Natural High」がスタートした。

780v新旧ドラマーの共演!

800vこういうのは歴史があって、メンバーさんが元気でいないと実現しない。
S41a1470奥嵜さんとBurnyのギター・バトル!

0r4a1522トシさんもベース・ソロ!
ドラムスがヤスさんに交代して、ZETTは1981年のヤマハ・バンド・コンテストのMIDLANDにてグランプリを受賞。
トシさんは見事ベスト・ベーシスト賞を獲得し、同年の合歓の郷のLight Music Contest(LMC)に出場した。
トシさん、楽しそうだナァ~!

760「さぁ、皆さん!恐怖の時間がやってまいりました!
日本全国、そして世界がひとつになるように手拍子をお願いします!」というKAZUさんのアオリに合わせて手拍子。

0r4a1557ジャケットを脱ぎ去ったKAZUさんが客席をアオりまくる!
「ボツボツいってみようか~!」

830「♪どんな時でもナチュラル・ハイ!」が大須の街に鳴り響いて5つ目のバンドが終了。
まだ8バンドも残っているのにすでに完全に「ハイ状態」だ!

840<つづく>

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年10月31日 (水)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.1~私の猿田彦様2

 
ミュージシャンの還暦を祝うコンサートのレポート。
めでたいね~!
今回還暦を迎えて赤ちゃんに戻ったのは、名古屋が誇るリズム・セクション、ベースの宮田叔侑とドラムスの増井康博…「トシ&ヤス」のコンビだ。
ありがたいことに大分前にトシさんから撮影のお仕事の依頼を頂戴した。
まだスケージュールを確定することができない時期であったので、失礼ながらその時は流動的なお返事をさせて頂いた。
何もなければもちろんお請けするつもりでいた。
そして開催日が迫り、プログラムが決まって再度オファーを頂戴して驚いた。
だって、聞けば13ものバンドが出演するっていうじゃない!?
2マンだの3マンだのどころじゃない…13マンだよ!
「13マン」だなんて30年チョット前の大卒の初任給じゃん?
タイトルに「生誕60周年ライヴクロニクル」とあるように2人の音楽活動の遍歴を俯瞰するという内容だからしてそれも仕方ないだけろう。
しかし、13ものバンドが出るとあっては、想像を絶するほどの長尺になるハズだ。
ひとバンド短く見積もったとして、持ち時間は20分。13バンドが出れば合計260分…すなわち4時間20分。
転換に早くても15分ぐらいはかかるだろうから、15分×12回で180分。
コレに前後のセレモニーをチャッチャと済ませたとしても30分…しめて470分。
エ、8時間弱ってこと?! 
ウッドストックじゃないっつーの!
私がレギュラーでやらせてもらっているお仕事の中では、SHOW-YAさんの『NAONのYAON』よりはるかに長い。
さすがにコレには怖気づいてしまって、一度はトシさんにお断りしたの。
還暦を祝うったって、こっちもチャンチャンコがピンク色になってきた年回りだからね。どっちが還暦だかわかない。
東京から機材を持参して、8時間ブッ通しでシャッターを切って、翌日帰京…イヤ、コレだけならいいんだけど、この歳になるとね~、1回ムチャをしちゃうとホントに後がツラくて、他の仕事に差し支えがでてしまう恐れがあるのです。
するとトシさんが説明するには「夕方の6時半に始めて10時前には終わる」っていうワケ。
私も「Marshall祭り」や「Marshall GALA」やら色々なイベントを企画してきている経験上、「そんなワケがない!」と思ったものの、人の一生に一度しかないおめでたい機会でもありトシさんの言葉を信じることにした。
それにロケーションは5月に『スピンオフ四人囃子』で楽しませてもらった名古屋のこと。
結果、喜んで請けさせて頂くことにした。
…と来れば、ただ行ってもモッタイないので、社長から許可を取って2泊の行程を組んで、「私の〇〇」の取材も兼ねることにした…要するに観光だわね。

10vまずは、思い切って伊勢神宮を再訪することにした。
つまり、おめでたいのは還暦を迎えた2人だけではなくて、私たちもめでたかったのです。
ナントならば、以前に中野シゲさんの還暦祝いのイベントで松阪に赴いた時にも伊勢神宮に来ているから。

20コレはどういうことかというと、昔は「生きているウチに一度でもお詣りすることができれば最高の幸せ!」と言われていた伊勢神宮にわずか2年チョットの間に2回も来ることができたのだ。
こんなの江戸時代の人が聞いたら腰を抜かして驚くよ。

30vお伊勢さんのことは前回の2016年に訪れた時のレポートに詳しいので今回は割愛する。

40前回5月に名古屋へ来た時、最後の日は東京に着くまで豪雨だった。
今回の旅程は、天気予報によれば、ノッケから「雨」ということだったのよ。
ガッカリじゃんね~。せっかくの遠出なんかだから…と、心配していたんだけど、ナントカ首の皮一枚でつながっているような曇り空。

50やっぱり気が引き締まるというか、スガスガしいというか、太陽神、天照大御神を祀った伊勢神宮のたたずまいというのは他の神社とは勝手が違いますな。
ナニせ一番格式の高い神社だから。
ジャズで言えばデューク・エリントン。モダン・ジャズに限って言えばマイルス・デイヴィス。
ロックならザ・ビートルズ。
ギター・アンプで言えばMarshall…あ、コレが一番わかりやすかったな。
そのせいか、鳥居をくぐるたびに低頭している参拝者が目につく。

60原生林の参詣道を抜けると…

70内宮の拝殿だ。
ココから上は撮影禁止。
ナニをお詣りしたのかは秘密。
私は特に熱心にナニかを信心しているワケでは全くないのだが、歳を取ってからというもの、色々と古いモノに興味が湧くようになりましてな。
ムズカシイので本当に上っ面だけなんだけど、『古事記』や『日本書紀』に関する本なんかを読むと実に面白いね。
洋の東西を問わず、神話というのはおそろしくダイナミックかつアクロバチックな内容が多い。
日本神話の元、「イザナギ&イザナミ」の「国生み」話に思わず赤面してしまったりしてね。
こういう勉強をしていると、古来より我々の周囲にあるモノすべてには意味があることを学ぶのです。

90場所は替わって…。
実は、今回伊勢へ赴いたのは伊勢神宮が目的ではなかったのね。
ココに来るためだった。

100内宮の近所にある「猿田彦神社」。

110v5月に名古屋へ出張した時にお詣りした鈴鹿市にある「椿大神社(つばき おおかみやしろ)」も猿田彦大神を祀った一之宮の神社だけど、コチラは名前が「猿田彦神社」だから。

120全国に2,000はあると言われている「猿田彦神社」の総元締め…かどうかを「椿大神社」と争って来た神社。

130猿田彦大神は天照大御神のお孫さんの瓊瓊杵尊(絶対に読めん!「ににぎのみこと」と読みます)を宮崎の高千穂まで道案内したことから「道開き」の神様と言われている。
だからかなりの「ラッキー・カムカム」なワケ。
右下に参拝者が集まっているでしょう?
135皆さんこうして「方位石」と呼ばれている八角形の石柱に触っている。
ココは昔の神殿があったところで、強力なパワースポットなのだそうだ。
八角形は「方位」を表し、ココは鳥居の支柱も八角形になっている。

140v見ていると全員触って行くね。
私はやらないけど。150船のような形を「宝船」に見立て「たから石」と呼ばれている石。
白い蛇が乗っかってるところなんだって。
敏捷かつ獰猛なところから「蛇」というのは日本では縄文時代から崇め奉られていた。
蛇って脱皮を繰り返すでしょう?
アレが強靭な生命力の表れということになっているのだそう。
神社や神棚に飾る「しめ縄」あるでしょ?ネジネジのヤツ。
アレは2匹の蛇が絡み合って交尾をしているところなんだって。
さっきチョット触れたように『古事記』も『日本書紀』もスゴイよ、エロ度が。
つまり、子孫繁栄ということなんだよね。

160コチラは同じ境内にある猿田彦様の奥様、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)を祀った佐瑠女神社(さるめ)。
「椿大神社」でも対になっていたでしょう?いつも一緒。

170もう1回書くよ。
天照大御神が天岩戸に引きこもって、世の中が夜だけになってしまった。
そして、夜陰に乗じて悪がはびこった時、天宇受賣命は天岩戸の前で裸になって天照大御神をおびき出したという日本最古のストリッパー。
ハダカになったと言ったって、アータ、ロック座のソレよろしくチラリチラリと美しい肢体を出し惜しみするワケでもなく、一番大事な部分までキッパリとご開帳したというのだから根性が座っていらっしゃる。
そこに集まっていた神様たちがそれを見て大笑い。その声に「アララ、外では何が起こっているんだろう?」とチラリと岩戸を開けたのが天照大御神の運の尽き。
その隙にサッと岩戸のスキ間に鏡を挟み込まれて、天照大御神は岩戸の中に戻れなくなってしまった。
そして天手力男命(たじからをのみこと)というバカ力の神様がその岩戸を「ウオリャァァァ!」とブン投げた。
その岩戸ははるか遠く長野の戸隠までスッ飛んだというんだけど、それはウソだろ~。
とにかく、こうしてめでたく日本の昼間が光を取り戻す。
ちなみに、そのストリップの伴奏をしたのは「弦」というギターのような楽器なのだろう…演奏中にヘッドに鷲が止まった。
「日本に昼間を取り戻すのをサポートしエライ鳥」ということで、その鷲を祀っているのが、「お酉さん」でおなじみの「鷲神社(おおとりじんじゃ)」なのです…前にも書いたことは覚えてます。
もうすぐお酉さんだけど、また今年も「三の酉」まであるね。火事に気をつけないと!
もうチョット書くと、吉原に近い「鷲神社」の「酉の市」は「かこつけ場所」として有名だった。
「かこつけ場所」というのは、吉原へ行くための口実にした場所のこと。「オイ、ちょいとお酉さん行ってくらぁ!」とウソをついて男たちは鼻の下を伸ばして吉原へ出かけた。
他にも「隅田堤」なる桜の名所の隅田川べりなどもかこつけ場所としてはポピュラーで、昔は葬式も「かこつけ」のひとつだった。
葬儀の帰りには「精進落とし」と称して吉原へ行って妓楼に上がるのがごく当たり前のことだったらしい。
※私がロック座に入ったのは裕也さんの「ニューイヤーロックフェス」で原田の喧ちゃんがマサやんのサポートをやったのを観に行った時だけでストリップを観たことはありません。

180傍らにある石。
コレは「さざれ石」。
さざれ石というのは全国にあって、ココのさざれ石は成長を続けていて、やがて「岩」になるのだそうだ。長寿で縁起が良いということ。
みんながんばってるんだね。

190社殿の裏には「御神田」という田圃がある。

200毎年5月5日には豊作を祈って、桃山時代の衣装を着けてお囃子に合わせて田植えをする「御神田祭」というのが催されるのだそうだ。
『七人の侍』の最後のシーンみたいなヤツかな?
「今回も負け戦だった…勝ったのはあの百姓たちだ」…と島田勘兵衛が言うシーン。

210とりあえず目的を果たしたので、伊勢神宮のおはらい町へ。

220ココは何度来ても面白いナァ。
オリジナルのままの建造物ではないことは百も承知だけど、とても惹かれるモノがある。

230今日も赤福で一服。

240お、作ってる、作ってる!
完全ハンドメイド。

250商売とはいえ、上手に包むもんですナァ。

410前回ジックリ見たので今回はチョコっとだけね。

260お、コレは前回気が付かなかったゾ。
神宮道場という、神職を目指す人たちの研修設備なのだそうだ。

270チョット失礼して中を覗いてみる。
夏になると多くの神道系の大学の生徒が研修に訪れるそうだ。
雅楽の研修もあって、その期間はこの建物から笙や篳篥の音が朝から晩まで聞こえてくるんだって。
以上をもって伊勢を後にした。

280名古屋市内で宿を探したんだけど、全く取れず。
そりゃ金に糸目をつけなければ何とかなるんだろうけど、そうもイカン。
仕方ないので名古屋近郊で分相応の宿を探すことにした。
そうと来れば温泉があった方がいいにキマってる。
家内が桑名に適当なヤツを見つけてくれたので、早々に宿に入って温泉につかることにしたのだが、それでもまだ時間が早かったので途中「長島リゾート」ってのに寄ってみた。

290高速から見えて、前から気になっていたのです。

300コレが「長島スパーランド」か~。

310すごいウォータースライダーだね~。
まだこの頃そんなに暑かったっけ?

320vグバーっと通り過ぎるジェット・コースター。
もうこんなの乗れないな。
というか、ワザワザ乗ることに意味が見出せない年齢になったわ。

330ココが気になった理由のひとつはコレ。
「Jazz Dream」…ジャズに目がない私としては一体どうなっているのかが気にかかるじゃん?
で、入ってみた。340なんだココは?
どこがジャズなんだ?
360ジャズっぽいといえば、何とはなしにチャーリー・パーカーとロリンズっぽいこの階段のイラストぐらい?
ガックシ…。
ごく普通のアウトレット・モールだった。

350イヤイヤ、普通じゃないわ。
人がいない!

370ま、言ったのは金曜日の夕方ではあったんだけど、人がいなさすぎる!
コレ営業中ですからね。

380訊けば名古屋からのお客さんで週末は結構にぎわうそうだけど…。
肝心のアウトレット商品が少なくて困ったが、ムザムザと駐車代だけ取られるのもシャクだったので、強引にクツを1足買ったわ。

390宿に到着~。
「天然温泉」ですよ。
本来は結構なお値段でしてね。それでも家内が「ワケありプラン」という割安の部屋があるのを見つけてくれて、そこに収まることにした。
「ワケあり」…旅館でワケがあるのは「幽霊」と相場がキマっている。
そこで予約する前に電話をして確認してみた。
「あの~『ワケあり』っていうぐらいですから、当然、夜になるとアッチの方が出て来るワケですよね?」
「は?『アッチの方』とは?」
「ほら、アレですよ、夜になると出るアレ…足がないヤツ」
「あ~、幽霊ですね?大丈夫ですよ。特に幽霊が出たことはありません」
とかなり事務的に幽霊出現の有無を確認したうえで「ワケあり」の理由を尋ねると、部屋が屋上にあって、そこに行くには建物の外の階段を使わなければならないという。
要するに非常階段ですな。
「あ~、そんなの構いませんよ!」と値段につられて予約してみた。

400この看板の下が当日の我々の部屋…というか一軒家。
恐らく、かつては従業員のための設備だったのだろう。
内風呂がないだけで、中は広いし何の不自由もない。

410屋上から眺める景色はこの通り。

420チョット先に流れているのは木曽川だ。

430料理もバッチりおいしかったナァ。
ひとつ残念だったのは、ココは「日帰り入浴」で風呂を開放していて、エラく混んでいるのが不快だった。朝はガラガラで気持ちヨカッタけどね。
そして、翌日いよいよ名古屋へ!

440会場となる大須のElectric Lady Land(以下「ELL」)にお昼前に到着。

450Marshall BlogのELLでの取材は始めてのこと。
お隣のELL Fits AllはDynagonやTrio the Collagensでお邪魔したことがあるんだけどね。

460今回のコンサートの会場の場所を尋ねた時、トシさんが「ELLの本丸ですわ」と答えたのが印象的だった。
「本丸」…ELLは名古屋のロック・ミュージシャンにとっての要衝であり、聖地でもあるのだ。
かく言う私も18歳の時に出たことがあるんですよ。

470それは以前のELLね。
写真を探したんだけどどうしても手に入らなくてトシさんにお願いして送ってもらった。
コレが入り口。
中のようすはほとんど覚えていないけれど、とにかく細長くて、入り口の階段の途中にトイレがあって、その壁になぞなぞ商会の長細い塗り絵のポスターが貼ってあったのを覚えている。

480vステージはこんな感じ…だったのか。
私も生まれて初めて渋谷の屋根裏に行ってから40年が経つけど、ライブハウスっていうのは今も昔もそう変わるもんじゃないね。
また、こういう雰囲気のライブハウスが一番シックリ来るわ。

490コレは今のELL。
表の看板に今日の出し物が表示されている…13バンド!
そうか名古屋弁では「いこみゃ~か」か。
それではステージに行こみゃ~か!

500コレが数々の名演を生み出してきたElectric Lady Landのステージ。

510会場には出演バンドのグッズが並べられた。

520CDはもちろんのこと…
540シゲさんのペダルなんかも展示してあったよ。
奥に見えているハコは…

530コレ。
このコンサートの1週間前に関西を襲った台風21号や北海道地震の影響で会場に来ることが出来なかったお客さんもいらっしゃって、その皆さんを慮って義援金ボックスが設置されたのだ。
そして、集まった義援金はそれぞれの被災地に確実に送られた。

550さて、ステージのようす。

560まず目を惹いたのはケースと共に飾られた黒いストラトキャスター。
かつてのオーナーはギタリストの故赤松一郎氏。
ご存命であれば赤松さんはトシさんやヤスさんたちと一緒に還暦の祝いを迎えていた2人の朋輩だ。
この日、ステージの下手から2人の活躍を見守った。

565ベースアンプはEDEN WT-600とD410XSTが2台。

580vそしてステージの上手側にセットされたのがヤスさん所有のNATAL。
ヤスさんはDynagonで鹿鳴館にご出演された時にメイプルのNATALを叩いてスッカリ気に入って頂いた。
その後、メイプル、バーチ、アッシュのキットが揃っている高田馬場のバズーカ・スタジオまでワザワザお越し頂き、すべてを試した上でメイプルのキットをオーダーしてくださった。

590実は私もこのキットを当日初めて目にした。
コレ、写真の色がうまく出なかったけど、すごくキレイなのよ。NATALのフィニッシュは本当に美しい。
コッパー・スパークルというフィニッシュ。
今はもうやっていないので、このまま行けば日本に1台しかないNATALなるだろう。

600いよいよ本番がスタート。
先が長いからね、バッチリ定刻通りに始めるよ。

610司会は野獣のACEさん。
「皆さんどーも、どーも。今日は増井とトシの還暦ライブにお越し頂いてありがとうございます。増井とトシは40年も一緒に演っている兄弟みたいな仲ですからね~」
「増井とトシ」!…プライベート感丸出しのトークが素晴らしい。
完全にすべてのお客さんが友人であるかのようだ。
ACEさん、最近お身体を悪くされたが、無事快癒されたと聞いて安心した。

620そして、主役の2人が登場。
40年も仲良くしてるなんてスゴいよね。
親兄弟でもなかなかできるこっちゃないよ。仲が悪くならなくても、何がしかの事情でたいていはバラバラになっちゃうもん。
コレはね、名古屋という地元に在住して音楽をやっているからこそ成せるワザなんだよね。

630「何かひとこと」とACEさんに促されてご挨拶。
「え、ナニも考えて来なかった…」って、今日の主役のひとりはトシさんですよ!
「前日眠れないのは予想していたけどね…イッパイ出るんで楽しんで行ってください」
なんて挨拶だ!
ま、トシさんらしいか?

640vトシさんとACEさんはお揃いのTシャツ。
ELLのオリジナル・デザインで「ELL FACE」だって!
可愛いな~。

650替わってヤスさん。
「こんなにたくさんの人に集まって頂いてうれしいです。
60歳…今日はボクたちが主役の記念のライブですが、フロントの人たちがスゴイから最後まで楽しんでください!」
ACEさんから義援金ボックスの説明があって、いよいよショウ・タイム!

660早速最初のバンドがステージに上がる。

670ヤスさんが参加してThe Wizz。

710vJack

680vBrian

690vMinnieというヤスさんを除いて全員外人のバンド…チガウか。

700v1曲目は「Look Around」。

720「名古屋の重鎮リズム・セクションの記念イベントで一緒に演れてハッピーです!」とご挨拶をして2曲目の「Dear Prophet」へ。

730持ち時間が15分しかないのでとにかく演奏!

740vんん~、やっぱりNATALっていい音だな~。
NATALとモッズのターゲット・マークの組み合わせもバッチリ!

745もちろん全編を通じてMarshallも大活躍。

750vまずはポップに2曲を演奏したヤスさん。
コレからスゲエ色んなタイプのドラムを叩くからね~。

760vThe Wizzの詳しい情報はコチラ⇒The Wizz Official Page

770転換中はACEさんのトークを楽しむ。

780v「お疲れさま~。エフェクターとギターをつなぐケーブルが短くてどうなるか本当に心配だったけど、最後まで抜けなかったな~!間違えたんやろ?」
どうもBrianさん、アンプ側のケーブルとギター側のケーブルを取り違えてしまったようだが、無事に完奏!

790トークの合間にコレ。
忙しい。

800vおわ~、確かに転換が早い!
そうこうしているウチに2番手のJB-BANDの演奏がスタ―トした。
「おめでとうございます!すぐに追いかけますんで待っててください!
久しぶりなんで今日はイキの合わない所をお見せします!」

810お、今度はトシさんがステージに上がった!
860v小島リュージ
870v中垣博詞

830v小野寺宏美

840v水野芳史

850vこのチームはThe Doobie Brothersのコピーを披露。
8201曲目は『The Captain and Me』から「Dark Eyed Cajun Women」。

890ブルージーなマイナー・チューン。
小島さんの声と歌い方ががトム・ジョンストン的でバッチリ。

895中垣さんのシブいギター・ソロ。

900v2曲目は同アルバムからみんな大好き「Long Train Runnin'」。

880vゴキゲンなパフォーマンスでグイグイと雰囲気を盛り上げる!

910vトシさんも昨晩寝ていないとは思えないパワフルなプレイを見せてくれた。
ヤスさんもトシさんも滑り出し好調!

920v「♪ウィザッラ~」完璧にキマって2番手終了。

930「今、みんな歌詞を見るのにiPadを使うよね。私はまだ紙をめくっています。ところで写真屋さんに間違えられない?」
「戦場カメラマンね」

940<つづく>

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

 

2018年10月 3日 (水)

私のフランクフルト <vol.4:2009年>

 

2009年のMusik Messe。
いつ来ても変わらないフランクフルト中央駅。
「帰って来た~!」という気持ちにさせてくれる。

210この年は駅前のホテルに投宿した。
駅前だけあってとても便利なんだけど建物が古く設備も貧相だ。
見て、このベッド!

220ちっさ~!
私が寝てもこのザマだからして、ジャイアント馬場だったら一体どうなるんだろう。

660_2img_6878それでもMesseの会場に歩いて通うことができる駅前のホテルがいい。
かつてはMesse会場から遠く離れた新しくキレイなホテルに泊まったことも何度かあったが、電車の便など全くなく、ホテルの乗り合いバスを逃したりすると、後はタクシーを使うしかホテルに帰る手段がない。
で、フランクフルトのタクシーの運転手って圧倒的にトルコ人が多いんだよね。
ドイツ人やイラン人のタクシーに乗ったこともあるにはあったが、ほとんどがトルコ人。
最近は移民問題で揺れに揺れているドイツだけど、きっとトルコ人移民がフランクフルトに来て最初に就く職業のひとつがタクシーの運転手なのだろう。
それは構わないんだけど、この人たち自国の言葉と片言のドイツ語しかしゃべることができない。
英語での会話はほとんど絶望的。
すなわちせいぜい下手な英語しか話せない我々にとっては、行き先であるホテルの名前を告げるだけであとはコミュニケーションを取る方法がない。
「バザールでゴザール」も日本にいる分には笑っていられるが、両方の眉毛がガッチリつながった見知らぬトルコ人と密室で全くの無言…というのも実に気マズイものだ。
気マズイぐらいならまだいい。20分も我慢すれば解放されるのだから。
一番イヤなのは、車の外の環境だ。
フランクフルトの市街地から離れると、すぐに下の写真のような森が広がっていて、夜間はホテルに着くまで車の外は漆黒の闇になる。
シュバルツバルトかなんか知らないけど、コワイよ~。
だって、仲間が待っているこの森の中へ連れて行かれて、スブリ!あるはズドン!とやられて地面に埋められても絶対にわからないじゃん?
「そんなバカな!」と思うでしょうけど、実際に経験してごらん。実にコワイもんですよ。
だからどんなに施設が古くても、ベッドが小さくても、Messeの会場に歩いて通えるホテルの方が気がラクなのだ。

230_2ホテルの部屋にあったドイツのPCのキーボード。
若干配置が違う。
「Y」と「Z」が入れ替わっている他、「;」や「:」がドイツ語らしくウムラウト付きの文字、「Ö」や「Ä」に替わっている。

660_img_6880街で見かけたZappa Plays Zappaのポスター。
ドゥイージルは2008年、2009年と連続して日本にもやって来た。
両方観に行って2回目の公演では、開演前にバンド・メンバーのみんなとO-EASTの坂の下のラーメン屋に食事をしに行ったのはとても良い思い出だ。
リハーサルの時、ドゥイージルのデジタル・アンプの調子が悪くなってしまい、Marshallを用意する?と申し出たがガンとして使わなかった。
でもね、知ってたの。
お父さんが全幅の信頼を置いていたギター・テクの方によると、ドゥイージルは家のスタジオに父親譲りのものすごく程度の良いMarshallを何台も持っているとか…。
さらに2010年にはフジロックで再々来日。
その丁度一週間前、私はロンドンで開催されたHIGH VOLTAGEでドゥイージルに会っていたものだから、フジロックで舞台裏を訪れた際に彼は「エ~!キミは一体どこに住んでいるんだ?!」と仰天していた。

240この円形の広告塔は一体何のご利益があるんだろう?街灯になってるのかしらん?
日本では見かけないよね。
『Rocky Horror Show』のポスターが掲げられている。
ココはいつ来てもコレを上演してるんだよね。

250さて、Messe会場。
この年、ナゼか知らないけどMarshallのスタッフにはラミパスが配布された。
以前はこんなこと一回もなかったのよ。

255_2ブースは同じ造作。
この年はHazeをフィーチュアをしていたのか…。
なつかしいな…Haze。

260ブースの内部はほとんど前回と同じ。

270
320このカタログやポスターを収納するハコもずいぶん進化した。
ITの普及によりこの「カタログ」の文化もすたれてしまったナァ。
私にはカタログ集めの趣味はないが、今持っているモノぐらいは保管しておこう。

275vこの年もアーティストを強調したディスプレイだった。

280ま、この頃の「例年通り」と表現するべきか…。

295_2Megadethのデイヴ・ムスティンはMarshall初のシグネチャー・キャビネットだった。
SHOW-YAのsun-go☆さんが愛用しているヤツね。

290_2サイン会やデモンストレーション等、ブース内でのイベントの予定表。
ずっと以前はジムのサイン会とMarshallバンドのデモ演奏を毎日数回ずつやるだけだったのよ。
信じられないぐらいにぎやかになった。

300_2デモンストレーション・ルーム。
この年はダグが担当してくれたんだネェ。Vintage Modern使ってたからね。

310_3この年はジムも復活。
病み上がりとだけあってさすがに動きは緩慢だったが、毎回ファンが長い列を作るサイン会では元気な姿を見せた。

330デイヴ・ムスティンもサイン会を開催。

340v_2恒例のMarshallパーティ。
コレは珍しかった。
いつもは巨大なボール・ルームにごく普通のステージとに円卓を並べるだけの造作なのだが、この年はステージの壁面にダグとデイヴの大きなイラストがあしらわれ、それぞれに関連したモデルが並べられた。
もちろん、本人が登場して演奏した。
先にダグ・アルドリッチが出演して華麗なソロを聴かせてくれて、その後の歓談タイムを経てデイヴ・ムスティンがステージに現れた。
「オレはダグみたいには弾けないから…」とひと言発して、アレはMegadethの曲だったんだろうね、猛烈な爆音で1曲披露してくれた。

355Marshallのハウス・バンドも登場し、フランス人ドラマーのファリドが客席に降りてジムにスティックを渡した。
ジムはもう左手が自由にならなかったので、右手だけにスティックを持ち、テーブルの上の目の前のグラスをチンチンと叩いて見せた。

356vパーティも時間が大分経った頃だった。
司会者が参列者に静粛を促し、会場にいた200人以上の紳士淑女の耳目を集めた。
私もしこたまワインを飲んでいて、いい加減眠いし、何となく司会者の話に耳を傾けていると、何やら私の名前が何回か出て来るではないの。
「ヤベ!ナンカやらかしちゃったかな?」と思って心配していると、会場の前の方に出て来るように言われた。
何のことやら様子がサッパリわからないでいると、私に「Shige Award」と銘打った賞を与えてくれるというのだ。
「Marshallへの貢献度が著しく高い人に与えられる賞」だという。
下のトロフィがその証。
トロフィは司会者からジムに渡り、ジムから手渡してもらった。
猛烈にうれしかったネェ~。
子供のころからあこがれていたMarshallから賞をもらうなんて…。
ところが残念なことに誰もこのシーンの写真を撮ってないんだよ!
でも、この時の感動はヘタなピンボケ写真よりよっぽどクリアに胸に刻まれているし、きっとそれは一生消え去らないと思う。
ホントに何も聞かされていない、あまりにも完璧なサプライズだった。

360v_2自分で言うのもナンだけど、一生懸命やったからな~…仕事にやり甲斐を感じていたし、自分のしていることを誇りに思っていた。
ツライこともたくさんあったにせよ、とにかく仕事がメチャクチャ面白かった。
でも、そんな仕事も家内の我慢や協力なしにはとても実現できなかった。
そこで、パーティが終了してホテルの部屋に戻るなり、東京の家内に電話をしてShige Awardこのことを興奮交じりに伝えた。
そして、心を込めてからお礼を伝えた。
家内は電話口で静かに泣いていた。
ま、一生懸命やり過ぎちゃって、この後の人生がガラリと変わっちゃったんだけど、前に勤めていた会社にも心から感謝している。
 
台座に刻まれている「INAUGURAL」というのは「初開催の」という意味。

370そこで、それを頂いたのがMarshall GALAのTシャツ。
第1回目だから「THE INAUGURAL Marshall GALA」と入れた。
残念ながらShige Awardの方は、私が前の会社を退職し、Marshallから一時離れたことにより2回目が開催されなかったが、Marshall GALAは来年の秋に「ThE SECOND」がありますからね。
皆さん、お楽しみに!

2e_img_1894 コレは最終日の最後。
あと数分で2009年のFrankfurt Musik Messeも幕を閉じようとしていた時のこと。
突然ブースの中央にJVMのフルスタックがセットされた。 
右下に移っているのはかつてジムのショウファーを務めていたスティーヴ。
スティーヴはジムを乗せてドーバーを渡ってベルギー、フランスを越えてこのフランクフルトにやって来る。
昔、この話を聞いてヨーロッパの国々が地続きであることを実感したモノだった。
スティーヴは今でもMarshallの仕事をしていて、私は奥さんのディアンと子供のハリ―とも仲良くしてもらっている。
とてもいい家族なのだ。660_img_9180そこへ当時デモンストレーターだったクリス・ジョージが登場し、爆音でギターを弾き始めた。
曲は「God Save the Queen」だった。
何だってこんなことを急にしたのか、そして誰の発案か知らないけど、この時は私もイギリス人になったね。
私は歌詞はわからないのでハミングで一緒に歌った。

390vこの時も夜は夜で楽しかったな。
Marshallの定宿のPark Hotelのバー「King of Casablanca」でルークと「Your Song」を歌っているところ。
フランクフルトは「♪It's a little bit funny」どころか、いつでも「enormously funny」だった。

350<まだつづく>
 

200 
(一部敬称略 2009年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年8月22日 (水)

私のフランクフルト <vol.3:2008>

 

2008年、6回目のFrankfurt Musik Messe。

05_2ブースはほぼ前年と同じ。

10_3かつては1959だった巨大MarshallオブジェがJVM410Hに変わった。
当時JVMは新商品だったからね。

80_2レミー、ランディと、シグネチャー・モデルがフィーチュアされた。

660_2photo_from_20080315_021053ランディのモデル、1959RRはかなりセンセーショナルだったナァ。
取説に載っていたランディがルディ・サーゾに送ったハガキの翻訳をしていて楽しかったもん。
大学1年の時、『Blizzard of Ozz』でランディがブレイクして、短期間であったが、こんな天邪鬼の私でも入れ込んで、何曲かコピーした。
こうして思い出してみると、ランディは私にとっての最後のロック・ギター・スターだった。

660_photo_from_20080312_180309_2ケリーやザックのモデルも存在感を十分に誇示していた。

660_photo_from_20080315_021032この年もスゴイにぎわいだった。
コレ、何となくだけど列を作っているのね。
列は英語で「queue(キュー)」という。
イギリス英語ね。
イギリス人は「列」のことを間違いなく「line」とは言わず「queue」と言う。
The Kinksに「Who'll Be the Next in Line?」という曲がある。
レイ・デイヴィスが「失恋の列に次に並ぶのは誰だ?」と歌うナンバー。この「line」はアメリカっぽく演りたかったからだろう。やっぱりココを「キュー」と歌うとしまらない。

40_2広いスタンドをグルリと取り囲むようにして作られるキュー。
以前、初めて日本に来たイギリスに住むフランス人が地下鉄のホームでキチンと列を作って電車を待つ人たちを見てゲラゲラ笑っていたのを思い出す。
「こんなのパリでもロンドンでも見たことない!」って言ってた。
確かにロンドンの地下鉄には電車のドアの位置を示す印などない。そんなことより「Mind the Gap」と肝に銘じて電車とホームの隙間や段差に注意する方が絶対的に先決だ。
50_2ブース内の展示を見ているヤツがいねーじゃねーか!
キューの先にいるのは…

70_2ジム・マーシャル!
前年は体調不良で欠席せざるを得なかったが、2008年には復活を果たした。
関係者はみんな「Mighty Jim」なんて言ってたナァ。

60_2ケリーも。

80_2この年はスラッシュもサイン会を開いた。

90vコレはブースの裏通りのようす。
あ~あ~、ASがコッチ側に押し出されちゃったよ。
何度も書くけど、ASシリーズはヨーロッパにおけるアコースティック・アンプのベスト&ロング・セラーだ。

660_photo_from_20080312_180740この年はポールがデモ・ルームのステージに上がった。

100_2当然、毎回ルームから人があふれるほどの超満員だった。

110Musik MesseはNAMMほどプロ・ミュージシャンによるデモが盛んではない。
なので、ポール級の人が見れるとなるとかなりの大騒ぎになる。
でもね、ヨーロッパならではのミュージシャンのデモも散見されて、私なんかはヤン・アッカーマンとか地元ドイツでのウリの演奏とか…うれしかったナァ。
ジャズはダメ。

120ポールとは来日時のMarshallの手配なんかで以前からやり取りしていたが、この年はパーティや打ち上げなどで一緒になって楽しかった。

130この人はデモを演っていたワケではないが、ある方に紹介して頂いた。
誰だかわかる?
この太い腕!
この方はイタリアのArti E Mestieriのドラマー、フリオ・キリコなのだ!
高校の時大好きだったのでとてもうれしかった。

135こういうヤツね。
昔からのロック・ファンならきっとご存知のハズ。

Tilt 場所は変わって以前紹介したMarshallのスタッフの定宿のPark Hotelの前。

20_3ナンバーは「JCM800」。それに「M」の文字。
そう、コレはジムのベントレー。
ジムの最後の愛車だった。
「愛車」と言っても、まさかジムが運転するワケではない。
昔は以前の回にも登場したジョン・ケントというショーファーがいたのだが、年齢を理由に引退。この頃にはプロの運転手がイギリスから運転して来ていた。
かつてジョンに聞いたところによると、イギリスからは、ドーバー・トンネルを通ってフランス、ベルギーの一部を通ってドイツにはいるのだとか。
スゴイな~。
「地続き感」満点よ。「9時間ぐらいかかる」って言ってたかな?それに「ベルギーというところは本当に美しい」と言っていたのが印象的だった。
車は最高級だし、いくら運転しないとはいっても、ジムのようなご高齢の方にはさぞかしキツいドライブだったことだろう。

30_2ハイ、この年もシッカリ解体まで手伝いました。

140しかし、このイベント終了後の寂寥感ってのは何ともイヤだね。

150_2さっきまで大勢の人でゴッタ返していた会場にあふれていた話し声や楽器の音が「バコン」だの「ガタン」だのブースを解体する音だけになってしまう。

160_2写真は残っていないんだけど、この撤収作業が終わるとホテルのそばにある12時まで開いている「Leon」というイタリア料理店で打ち上げをするのが恒例だった。
この年はポールもその打ち上げに出席していたっけ。

170コレは別の日のザクセンハウゼン。

175「知らない」というので、ハドソン・ミュージックの社長を例のドイツ料理店、アドルフ・ワグナーに連れて行ってあげた。
アメリカ人もビックリの肉のボリューム!
ハドソン・ミュージックはドラム系の教則ビデオのメーカーね。
ロブはDCIの創設者でもある、業界では超有名な人。

180せっかくだから…と、2人で驚いてみた。
コレ、誰が写真を撮っているのかと言うと、ハドソンのヨーロッパのスタッフのロン・フライという人。
この人は子供の頃からロンドンのスタジオのメッセンジャーボーイをしていた人で、ブリティッシュ・ロック界においてメッチャ広い顔を持っているとのことだった。
だからアレよ。
まさに生きる「Old Grey Whistle Test」みたいな人。
最初はとっつきにくかったけど、慣れるとすごく親切な人だった。ケントのグレイヴスエンドというところに住んでいて、「今度カンタベリーに行くことがあったら絶対にウチに寄ってくれよ!」なんて言ってくれたけど、元気にしてるかナァ。
 
The Old Grey Whistle Testについてはコチラをご参照あれ。しかし…我ながらずいぶん書いたもんだナァ。⇒【Music Jacket Gallery】サマー・ジャケット特集 <中編>

190ロブとは2人でヴァイツェン・ビアを飲みに出かけたりして楽しかったナ。
フランクフルトの夜は更ける。
夜はなるべく外出しない。

Fn <つづく>

 

200
(一部敬称略 2008年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年8月 4日 (土)

私のボリビア(行ったことないけど)

 

しかし、暑いね~。
いつものMarshall Blogならしつこいぐらい「アツイ、アツイ」と文句を並べるところだけど、そんな気にもならない。
もはやコワイわ。
「一番暑い時期」と言われている3月に行ったベトナムよりゼンゼン暑い。なんかね、この暑さには「悪意」を感じるね。地球を大事にしないことに対する「お仕置き」とも取れる。
…ということで、今日は涼し気な画像を並べて少しは暑さを忘れて頂こう…という企画。
どういうことかというと、Marshall Blog初の南米の話題。
何しろ南半球は今、冬だからね。
いいな~、冬。11月生まれの私は、生来暑いのが苦手なのだ。
大黒屋光太夫のように零下50度の世界で10年も過ごすなんてのはさすがにゴメン被るが、「暑い」よりは「寒い」方がいい。
今日の舞台はボリビア。
ボリビアって知ってる?
私は小学生の時に初めて「ボリビア」という国の名前を耳にした。
それはポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の人気映画『明日に向かって撃て!』の予告編の中のことだった。
この映画、こんなマヌケな邦題を付けられてしまって気の毒なんだけど、原題は『Butch Cassidy and the Sundance Kid』という。
コレは「ブッチ・キャシディ」と「サンダンス・キッド」という19世紀末のアメリカの2人組の強盗の逃避行の話。
英語学習者は、後ろの「サンダンス・キッド」にだけ定冠詞の「the」が付いていることに気付くべきだ。
「サンダンス」というのはワイオミングにある地名で、それに「kid」が付いているアダ名なんだね。苗字ではない。「サンダンスのガキんちょ」といったところか?で、他にはいないから「the」が付いてる。
「Butch」もアダ名で「頑丈なヤツ」みたいな意味がある。
こういう名前ってSonny RollinsとかChick CoreaとかDizzy GillespieろかBuster Williamsとか、昔のジャズ・ミュージシャンに結構多いんだよね。
それで、その予告編の中で「銀行強盗をしながら、はるか南米のボリビアまで逃げた」みたいな一節があって、それでこの国の名前を知った。
バート・バカラックの「雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin' on my Head)」のヒットもあってとても人気の高い作品だったけど、私はあまり好きではなかった。
父の影響で幼いころから重厚なハリウッド映画ばかりを観て育ったので、この作品や『イージーライダー』のような「アメリカン・ニュー・シネマ」と呼ばれた軽い作風が好みに合わなかったのかも知れない。

10vしかし、今回のこの記事を書くまでその「ボリビア」なる国が南米大陸のどこにあるのかは知らなんだ。
で、調べてみた。
ブラジルとペルーの間って感じか…南米大陸にも海のない国ってあったんだな。パラグアイもそうか…。
事実上の首都はラパス(La Paz)。
国土の広さは日本の3.3倍。世界で27番目に広い国なんだって。
こうして見るとブラジルってデッカイな~。
日本の22.5倍で、ロシアを差っ引いたヨーロッパ大陸より広いんだって。

20v国旗はコレ。
またこの3色か…。

30ここで脱線。
この赤・黄・緑の配色の国旗ってやたら多いよね。
チョット見てみると…
  
サリフ・ケイタの故国、マリ。
公用語はバンバラ語とフランス語のはず。

C__5配色を反対にすると、ギニア。
コリャ、まるで「江戸三座」の定式幕だ。

C__2さらに配色を入れ替えて星をつければカメルーン。

C_マリを45°傾けてやればコンゴ。

C__3応用編はベナン。
アフリカの国旗に多く用いられていることより、この3色を「汎アフリカ色」と呼ぶらしい。
それぞれの色の意味は「赤」は殉教のために流された血、「緑」はアフリカの植生、「黄」はアフリカの富と繁栄なのだそう。
イカン、イカン、アフリカの話をしていたら暑くなって来た。
イヤ、いまや東京の方が暑いかも知れない。

C__4それじゃ、コレでどうだ!
今、冬のボリビアから。
ああ、見ているだけで涼しくなってくるような大雪原! 

50_4写真を送ってくれたのはこの女性。
Marshallの友人を通じて知り合ったブラジルはサンパウロ在住のお友達リリアン。
そして、旦那さまのエドサンドロ。

40_3新婚旅行でボリビアに行ったんだって。
そこへMarshallも連れて行ってくれたとうワケ。
でもね、コレ…残念ながら雪原じゃないの。
ナント、塩!
有名な「ウユニ塩湖」を訪れたのだそうだ。

60_3スゲエな~!
視界を遮るものナニもない。
そして、白と青だけ世界!
この塩の湖の大きさは10,582平方メートル…と聞いてもピンとこんな。
秋田県と同じぐらいの広さだって。
オイオイ、塩分摂り過ぎじゃないの?

70_3標高3,700mっていうから、富士山のてっぺんと同じぐらいの高さだわね。
冬季の富士山の頂上がどんなに過酷なところかは新田次郎の『芙蓉の人』と読んでもらうことにして、やはり高山病が厄介らしい。
リリちゃんも高山病に罹ってしまい、2日ぐらい吐き気に悩まされてしまった…

Fuyo…ようには見えませんナァ。
アルパカかなんかに乗っちゃって!

75_3おまけにMarshallの上でジャ~ンプ!

80_3そして着地。
スゴイ!
リリちゃんの服装も偶然モノトーン。
白と黒と青で統一されている。

90v_2しかし、キレイだな~。
この湖面がまるで鏡のようなんだって。

100_2乾季になると、こうして湖面にクラックが入るのだそうだ。

110_2そして、夕暮れ。
さっきまであんなに青かった空が鮮やかなオレンジ色に変化する。
そして夜には満面の星が現れる…って、さも自分で見たように、スミマセン。

120_2一瞬、奥の山が浅間山のように見えるが、コレはLaguna Hediondaというところ。
「laguna」とは「潟」という意味。要するにエディオンダ湖だ。
ココも塩湖でフラミンゴで有名らしい。
塩湖とは普通の淡水湖とは異なり1ℓ当たりの塩類の総イオン量が3g以上の水を湛えている湖のことを指す。
何かテーブル・クロスがいかにも南米じゃない?フォルクローレ。

130_2場所を移して、ココはボリビアの首都、ラパスの「Carrot Tree」というレストラン。
アタシャ、れっきりバックパッカーのための宿の食堂かと思ったよ。
このラパスという街も標高3,600mを超える地点にあり、世界で最も高所に位置する首都なのだそうだ。
そして、ラパスにはいいレストランがたくさんあるんだって。
でも、インターネットでウユニ塩湖に行った人の紀行文を読むと、屋台なんかで売っている食べ物は食中毒になる危険度がかなり高いとのことで、その人もヤラれてしまったそうだ。
コレはリリちゃんに聞いたんだけど、当然水道の水は飲めない。
私ホラ、こないだのベトナムで水道の水飲めないことの不便さを知ったからさ。
ホントに日本の衛生環境には感謝してるのさ。

140_2コチラは「Cocina popular Boliviana」というレストラン。
リリちゃんは魚のフライをオーダー。
ま、淡水魚なんだろうね…海がない国なんだから。
結構デカい。
とても美味しかったって。

150_2コレは赤葉トウガラシを使ったスタッフド・ピーマンというモノ。

160_2コレなんかはリトル・マーメイドなんかで昔から取り扱っているバゲット・サンド…に見えるけど、間に挟まっているのはリャマの肉だそうだ。
ありゃま~!

170_2コレがリャマ。

180コレは「ちゃま」。
浅草の飲み屋だ。

C_chama_2こっちはミラバケッソ…つまりアルパカ。
リャマの近い親戚かね。
ボリビアではアルパカも召し上がるのだそうだ。

リャマの肉は柔らかく、牛肉のフィレのようなイメージだそうだ。
ウ~ン、爬虫類でもナンでも、未知の肉って大抵「鶏肉みた~い」となるのが普通なのだが、リャマはそうではないらしい。

190リリちゃんが日本にいた時には、家にお邪魔してブラジル料理をごちそうになったりしたものだった。
例えば、ブラジルの家庭の味、フェイジョアーダ。
豆とソーセージの煮込みっていうのかな?
コレを白米とミカンで頂く。ミカンってあの普通の温州ミカンね。

C_fd_2 コレはブラジルのチーズ・パン、ポン・デ・ケイジョ。
要するにチーズ・パン。
とてもおいしかった。 

Pdc下の2枚の写真もリリちゃんが送ってくれた。
この白い建物、ナンだと思う?
コレ、「サンペドロ」という刑務所なんだって。

200_21,500人もの囚人を収監しているんだけど、看守がいなければ、囚人服もないのだそうだ。外出も自由。
刑務所の中には、屋台やレストラン、美容師、さらにはホテルまであって、囚人たちが自主的にひとつの町を作っているというワケ。
で、この刑務所内を自由に見て回れるツアーがあって、ラパスの観光地として有名なんだって。
なんて書くと何やら面白そうだけど、麻薬フリーだったり、窃盗天国だったりで、どうやらトンデモナイところらしい。
入り口の前に行列ができている。
観光客だろうか?

210_2以上、正確には「私のボリビア」ではなくて「リリちゃんのボリビア」でした。
 
さて、せっかくのMarshall Blog初の南米の記事なので、リリちゃんにちなんでブラジルの音楽の話を少々。
何といってもブラジルは音楽の宝庫だからネェ…といいたいところだけど、私は特段ボサノバが好きなワケではないし、浅草のサンバ・カーニバルを楽しみにしているワケでもない。
でも、大好きなブラジルのミュージシャンがひとりいる。
それはアイアート・モレイラでもなく、フローラ・プリムでもなく、イヴァン・リンスでもなく、ましてやミルトン・ナシメントやエウミール・デオダートでもない。
私は、エルメ―ト・パスコアール(Hermeto Pascoal)が大好きなのです。
あ、エグベルト・ギスモンティも相当いいな…。
 
で、以前リリちゃんとブラジルの音楽について話していた時、当然パスコアールの話になるワケで、「エルメ―ト・パスコアール」って知ってる?と訊くと、「あ、はい。知ってますよ」と気軽に答えるでないの!
日本にいると、結構音楽を聴き込んでいる人でなければパスコアールなんて知らないと思い込んでいたので、いくら地元とはいえリリちゃんのような若い女性が知っていたのでビックリ!
「え?ブラジルの人だったらみんな知ってますよ!」と追い打ちをかける。驚いちゃったよ。
私はナンで知ったのかな…と思い返してみると、19歳ぐらいの時に聴いたMiles Davisの『Live Evil』で恐らくその名を知ったのだと思う。
エルメ―トはこのアルバムに「Nem Um Talvez」という曲を提供していて、そこにドラムで参加しているのだ。
この曲、マイルス作となっている次の「Selim('miles'の逆さ綴り)」と同じ曲なので注意。
この曲自体は「In a Silent Way」のできそこないのようで、私にはサッパリ良さがわからないのだが、名前は覚えて気に留めておいた。

Aそれに加えて、仙人のような風貌に惹かれて買ってみたのが下の右の『Slaves Mass』というアルバム。
コレでビビビと来たね。かなり気に入ってよく聴いた。
 
この人、1936年の生まれというから、今年でもう82歳にもなるんだけど、ついこの5月にも来日していた。
元々はバンドネオン奏者なのだが、フルートなんかもすさまじい演奏技術を持っている。
下は数少ない私のコレクション。
もっと聴きたいんだけど、滅多に中古に出ないんだもん!

1973

1976

どんな音楽を演っているのかというと、私はよく「ブラジルのFrank Zappa」と形容している。
とにかく「自由」なんですよ、自由。何しろクリエイティブ。
下の左はモントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ盤で、オープニングのMCが強いフランス訛りの英語でこんなことを言っている。
「ブラジルはあらゆる異なる種類の音楽のるつぼです。今から数分後に登場するグループは、信じられないようなセンス、トーン、リズム、ハーモニー、作曲、即興演奏、まさにそれらが溶け合ったモノで、「驚異的」としか言いようのない唯一の音楽を演奏します」
もう、このMCのオッサンが言う通り。
でもこのオッサン、「エルメ―ト」ではなくて「エルメット」って発音してるな…「エルメット」の方が正しそうだ。
今度リリちゃんに会った時に教えてもらおう。

1979

1980 自分のアタマの中にポッと浮かんだアイデアをそのままダイレクトに曲にしている感じ?
あるいは何も考えずに自然発生的に作曲している感じさえする。
ナレーションとユニゾンでピアノを弾いたりするアイデアなんかはZappaの「Dangerous Kitchen」みたいなこともしているんだよね。
創作の姿勢としては何となくPat Merhenyを感じさせる。

1987

1992 それと、楽器の偏重がないっていうのかな?自身の楽器をフィーチュアするようなところが一切なく、本当に「音楽最優先」という精神が伝わってくる。
でも、一緒に演る人は大変だろうナァ。エルメ―トがクチで「♪タリララダッパッダズララズビズビタラリラ…はい、このメロディ演奏して」ってやっている感じ。
こんなメロディ覚えるのは至難の業だ。
すなわち、シュッレッディング・ギター・ミュージックの極北だわね。
いつまでも元気に活躍して欲しい偉大なアーティストのひとりだと思う。

1999

2002 最後にもう1枚。
コレは昨年の11月にリリちゃんとエドが来日した時のようす。
ちょうどお酉さんをやっていたので連れて行った。
「ナニこれ?!」と2人は初めて見る「カメすくい」にビックリ。
リリちゃんは英語がベラベラなので、私がエドにわかるように英語で説明しようとしたら、このカメすくいのオジちゃんが英語を話し出した。
カメすくいのオジちゃん、まさかの英語ペラペラ!
あまりの予想外の展開に、失礼ながら3人で大笑いしてしまった!

C_img_5023 最後に…リリちゃん、どうもありがとう!
また日本に帰って来てね!その時を楽しみに待っています。

 

200_3

(一部敬称略)

2018年7月13日 (金)

私のフランクフルト <vol.2:2007年>

 
2007年。
2003年から毎年通ったFrankfurt Musik Messeもコレで5回目。
その間、パッと見では会場全体に何の変化もなし。
それにしても向こうの人たちの気温に対する感覚ってどうなってるんだろう?見て!…大抵の人はジャケットを着ているけど、半袖のアンちゃんもいるでしょう?
開催は例年通り3月の末だったが、ブルブル震えるような寒さではないものの、さすがに半袖はないと思いますよ。
シベリアあたりから来た人たちなのかな?あ、言っておくけど、「シベリア」は英語では「サイベリア」ですからね。
南の国から来た私は、多分厚手のジャケットを着こんでいたハズ。
ホント向こうの人って面白いよね、人それぞれで。
だからこのMesseでもNAMMでも、あるいはニューヨークでもロンドンでも、行き交う人たちを眺めていても飽きることがない。

10_2前回も触れたが、Frankfurt Musik Messeは、当時世界最大の楽器の展示会だった。
「ロックやジャズ等の軽音楽用楽器の展示会」ということになれば俄然NAMMが強い。
しかし、全体の規模では圧倒的にMesseなのだ。
そのココロは…まず、クラシック用の楽器が展示がスゴイ。
ピアノからヴァイオリンなどの弦楽器、管楽器、クラシック・ギター等々の品揃えがハンパない…じゃない、中途半端ではない。

20_2それにアコーディオンやリコーダー等のヨーロッパでの需要が大きな楽器。
リコーダーなんて日本では小学校の時に「フエ」として接するだけじゃん?
こっちはありとあらゆる大きさのリコーダーがウジャウジャ展示されていて、「まる子ちゃん」じゃあるまいし、そこら中でピーヒャラピーヒャラやってる。
それよりスゴイのがアコーディオン。
コレはいつかも書いたけど、アコーディオンはドイツの国民楽器なのね。
最近は見なくなったけど、飲み屋にいくと大抵壁に貼ってあった、ハイジみたいな恰好をした女の子が大きなジョッキをいくつも手にして微笑んでるポスターね。
ああいうシチュエーションでは必ず、アコーディオンに合わせてみんなで大合唱をするらしい。
そういえば、アコーディオンを使っているかどうかまでは覚えていないが、『シンドラーのリスト』にもそんなシーンがあった。
ドイツ人は合唱が好きなのかもしれない。
同じビール好きでもイギリス人にはこういうイメージが全くないもんね。
下の写真、コレ、つき当りまで全部アコーディオンのブースだよ。
コレだけじゃなくて、こういうのが何列も並んでる。
でもね、どんなに沢山集まっていてもアコーディオンやリコーダーの音ならおとなしくていいよ。
この建物の1階はいつも阿鼻叫喚の騒音地獄だからね。
ナニかというと、ドラムスを中心とした打楽器の展示スペースだ。

30vそれと、NAMMにないMesseの大きな特徴は楽譜の展示だ。
ヨーロッパとアメリカ中からありとあらゆる楽譜屋がやって来る。
もちろんクラシック中心。
楽譜なんてどれも一緒だと思うけど、その品揃えたるや尋常ではない。
ある時、Universal Editionという楽譜屋のブースに入ってみた。
ウィーンの会社なので「ウニヴェルザール・エディティョーン」みたいに読むようだ。
私はコンテンポラリーなクラシック音楽、いわゆる「現代音楽」がすごく好きで、そうした分野の作曲家たちの写真集がないか?とダメ元で訪ねてみたのだ。
こっちはMarshallのTシャツに汚いジーンズ…おおよそクラシックからは程遠く見えるオッサンにも大変ていねいな応対をしてくれた。
「写真集のようなものはありませんネェ…」という答えだったのだが、少し考えて…「ああ!チョット待って!」と控室に姿を消し、下の写真の冊子を手にして戻って来た。
「こんなモノでよろしければ…」とその冊子を渡してくれた。

40_2中を見ると、出てる出てる、バルトーク、ヤナーチェク、コダーイ、レスピーギ、ベリオ、リゲティ、ブーレーズ…。
写真集ではないし、中身はドイツ語でサッパリ読めないけど、どうにも欲しくなった。
「いくらですか?!」とその対応してくれた方に尋ねると、「ハハハ、お金なんて要りませんよ。どうぞご遠慮なくお持ち帰りください」
私も知っている限りの丁寧な英語でお礼を述べて謹んで頂いて日本に持って帰って来た。

50_2このUniversal Editionというのは1901年創業の老舗楽譜屋で、マーラー、シェーンベルク、ヴェ―ベルン、ワイル等々の版権を持っていた。
バルトーク、ヤナーチェク、ベリオ、リゲティも同様で、要するにこの冊子は、この会社が持っている版権に関するただのカタログなのね。
でも、私の宝物のひとつなのだ。
 
この会社のウェブサイトで見つけたカッコいい言葉をふたつ紹介しておきましょう。
まずはグスタフ・マーラー…「もし作曲家が何かを言葉で言い表わさなければならないとしたら、その作曲家が音楽で悩むことなどないでしょう
ん~、言ってみたい。
こちとら口先三寸で勝負だからね。
もうひとつはピエール・ブーレーズ…「始まりも終わりもなく、発見へと導く新しい道にあふれ、永遠に謎の解けない迷宮こそが音楽である
ロックも1975年ぐらいまではこのブーレーズの言葉がピタリと当てはまっていたように思いますな。その後、商売が絡んでロックの迷宮がスッ飛んじゃった。

60_2この年のMarshallのブースは大幅に様変わりをした。
まず、入り口でジムがお客さんを出迎えた。

70_2そして、アーティストを前面に押し出すようにした。

90_2ディスプレイの様式も以前のような平面的なセットではなく、立体的なデザインに変更。
そして、それぞれの商品の島ごとにイメージ・キャラクターの写真が取り付けられた。

110v_2イングヴェイはヴィンテージ・シリーズだったな。

120v_2ケリー・キングのディスプレイも立派だった。

130v_2以前のMarshallのブースのサイン会といえば、ほとんどジム・マーシャル一辺倒だったが、この頃からミュージシャンがカウンターの中に入るようになった。
ケリー・キングのサイン会はいつも長蛇の列だった。
このお客さんを整列させるのがサイン会の時の私の任務。

140実は、ジムがこの前年に心臓疾患で倒れてしまい、Messeに参加することができなかったのだ。
それでミュージシャンたちのサイン会を組み入れたというワケ。
ジムが来れないということもあってブースの入り口にジムの大きなポートレイトが取り付けられたのだ。

150v「早くよくなってね!」

160_2カウンターにはジムへ送るメッセージを記すノートが用意され、たくさんの人がMarshallの創始者への思いを綴った。
私はこのノートで「Get well soon」という表現を覚えた。

2_rimg0219この人なんか、自分が「get well soon」なのに…。

2_rimg0217 珍しくこんな写真。
これが初ケリーだったかな?
この時より以前、日本のテレビ番組にケリーが出演しているのを偶然見た。
番組のインタビューで「立派なタトゥーですね。身体の中でどのタトゥーが一番気に入っていらっしゃるんですか?」と訊かれると、ケリーは「ムゥゥゥ…そうだな…何だな…頭の後の女神だろうな…ムゥゥゥ、でもオレは一度も見たことがねーんだけどな…ムゥゥゥ」と答えていた。
コレが私にはすごくおもしろくて、こんなルックスだけど、案外ケリーってお茶目な人なんだなと思った。
そこで、控室でケリーと2人きりになった時に本人にこの話をしてみた。
「かくかくしかじか…あの話はとても面白かったですよ!」とケリーに伝えると、「ムゥゥゥ…そうか」…以上何も語らず。
お茶目かもしれないが、コワいルックスも手伝ってチョット取っつきにくいかな?
ケリーを良く知る人にこのことを話したところ知ったのは、ケリーってすごくシャイなんだって。
そうは見えないけどな~。
(※「ムゥゥゥ」はあくまでイメージです)

170_2デモ・ルームも一新。

180_2ココでニコ・マクブレインと2人でドラム・キットを組み立てたのは楽しい思い出だ。
こんなんだってヘタすりゃ下北沢の小ぶりなライブハウスぐらいのキャパはあるからね。

190_2ハイ、2007年のMesseも終了。
これから地獄の撤収作業~!
この人たちはイギリスから来てる大工さん。実際、Marshallの連中も「carpenter」って呼んでた。
大工さんったってみんなカッコいいんだよ、英語もベラベラだし。
さすがに毎年顔を合わせていると、大工さんたちともスッカリ仲良くなっちゃってね。みんなどうしてるのかな~。イギリスで大工さんやってるんだろうナァ。

200コレ、今やっているのはツライ撤収作業を始める前のルーティンなの。
日本とは反対で、作業の前にカンパイしちゃうの。
ま、「乾杯」というよりは「景気づけ」だろうね。
いつもはウィスキーを一杯グイっとやるんだけど、この年はケリーが愛飲しているというスウェーデンかどこかのやたらとアルコール度の高い強い酒だった。
妖しい緑色をしたビンの中身はどう考えても毒薬が入っているようにしか見えなかったが、飲んでみると、グェッ!…マズイ。
みんなも「何じゃ、こりゃ?」と顔をしかめつつ紙コップを傾ていた。

210前回紹介した地元の通訳のステファニー。
あれ以降、Marshallの指名により毎年Marshallのブースに就くことになったのだ。
いつもは撤収の時には帰っていなくなってしまうのだが、この年は名残惜しかったのかココまで付き合ってくれた。
この人はいつ会っても本当に快活で、感じがよくて、素敵な人だった。
チョコっとしたドイツ語をずいぶん教わったけど全部忘れちゃった。

220作業終了。
残っているMarshallは予めドイツ・マーケット用にイギリスから持って来たモノだから片付ける必要なし。コレが多いとゴキゲンなのさ!
壁に掛かっているMarshallはヘタに取り扱うと危険なのですべて大工さんが担当する。

230_2この年は帰りの飛行機の時間まで余裕があったのかな?
意を決して昼間に市中を見て歩くことにした。

370_2まずはフランクフルト中央駅。
「中央」といっても街の真ん中にあるワケではないそうだ。
ドイツ語で「Frankfurt Hauprbhanhof」ということは前回書いたが、「Haupt-」というのは「主要な」という意味。
ドイツのは115もの中央駅があるんだって!どれだけ中央なのよ~?

380駅前のサッカーのオブジェ。というか宣伝塔か?
今回のワールドカップのドイツは散々だったね。

385ヨーロッパのターミナル駅ってステキなんだよね~…と言ってもロンドンしか知らないけど。
ドイツ国内で最も乗降客数の多い駅であるだけでなく、ヨーロッパ最大級のターミナル駅なんだって。
1日の乗降客数は35万人。
それがどれぐらいかと思って調べてみると…お!新宿が36万人だって。次いで池袋で27万人。関西で言うと梅田が24万人。
エエ~!新宿や梅田より全然ユッタリしてるぞ~!一体なんなんだよこの違いは!
ちなみに下の写真は朝撮ったもので、ラッシュアワーの直前ぐらいかな?
ココもやっぱり改札がない。

390_2構内には軽食屋の他、色んなお店が並んでいる。
やっぱこうして見るとかなり大きいね。

400_2何回かお世話になった構内のマクドナルド。
この頃はまだ食べてた。
こんな箱に入って出て来る。
今は全くこういうモノを食べなくなった。もう何年食べてないかな~?
止めて最初の頃は時々食べたくなったけど、今はゼンゼンへっちゃら。

410_2ドイツのカップヌードル。
「カップ・ヌードルン」…でもコレはおかしい。ドイツ語で「cup」は「Tasse」のハズ。
麺類だけに英語とドイツ語のチャンポンになってる?
ドイツ人の友達が言っていたけど、ドイツ人でも若い人たちは英語の表記に憧れるんだって。同じアルファベットなのにね~。
そんなことやめなさい。自分の国の言葉を大切にしなさい。

420_2みんなと一緒に夕飯に行ったりするのが面倒な時は自室でディナー。
中央駅の地下にある店で惣菜を買って来る。
ハンバーグ、シュニッツェル、ウィンナー。これをビールで流し込めばディナー完了。
ところがコレがスゴイのだ!
何がスゴイって殺人的にしょっぱいのだ!
イヤイヤ、冗談じゃなくて、舌がシビれてくるぐらいしょっぱい。
私は辛いモノは大スキだけど、しょっぱいのはダメ。ウィンナーはまだいいんだけど、他の2つはとてもじゃないけど半分も食べられなかった。

430_2話を戻して…中央駅を背に駅前のメインストリート、「カイザー通り」を進む。
ドイツ語で「通り」は「Strasse」という。
そう、こんな時に口ずさむのはThe Sensational Alex Harvey Bandの「Action Strasse」ね。
そして「カイザー(Kaiser)」は「皇帝」という意味。「カイザー=カエサル」…ジュリアス・シーザーから来た言葉。

440後を振り返るとこんな感じ。右の奥の方にメッセ・タワーが見える。
やっぱ遠いな。

450ドイツ最大の駅でもこうしたホームレスの姿を見かける。
前回書いたようにジョンの「フランクフルトは危険な街だ」という言葉を思い出す。
駅前で下半身丸出しで歩いているオッサンを見たこともある。そのオッサンの目がコワかった。もう焦点がゼンゼン定まっていなかった。

445駅前で堂々と営業している巨大なポルノ・ショップ。
向こうの人はゼンゼン平気だから。女性もドンドン入って行っちゃう。
その代わりコンビニで自由にエロ本を見たりするなんてことはできない。
いつかドイツ人の友達が私にこう訊いたことがあった。
コレは以前に書いたかな?
「シゲ、日本には満員電車の中で女性の身体を触ったりするヤツがいるんだって?」
「ああ、molesterのこと?」
「痴漢」は英語で一応「molester」という。
「ナンダ、それ?molesterってナニ?」
彼は、会議の時にまた戦争でもおっ始まるのではないか?と思うぐらいの激しい舌戦をアメリカのディストリビューターと繰り広げるほどの英語の使い手なのよ。
「ナニ、ドイツにはmolesterがいないの?」と訊くと、彼はキッパリ「そんなヤツは1人もいない」と答えたよ。
「そういうヤツ」がいないので「molester」という単語を知らなかったのだ。
そして彼はこう付け加えた「日本の男性はそっちの方の欲求のハケ口がないって聞いたよ。だからそんなことをするヤツが出て来るんじゃないの?ドバ―っと開けっ広げにした方がいいんだよ」って。

460なるほど、このポルノ・ショップの大きさと主張は彼が指摘することのひとつの表れかも知らんな。
480店名の「Dr. Muller」ね。
「Muller」というのは超典型的なドイツの名字だとか?アメリカでもドイツ系移民の名前の代表は「Mullerさん」らしい。
私の母方の叔母が嫁いだ先のアメリカ人の家が「Muller」さんなのよ!
フランクフルトでこのことを口に出したことはない。

470お、変なポスター。
ドイツ語で「地下鉄」は「Andergraund」じゃないですからね~。

490vドイツ語で「地下鉄」のことは「U-Bahn(ウーバーン)」という。
「Bahn」は「鉄道」ということ。
「U」は何か?
「Untergrund」…つまり「地下」のこと。
なるほど。
だから同じく潜水艦のことをU-Boot(ウーボート)」というのか…と思うのはチト早い。
潜水艦の方の「U」は「海の下」を意味する「Untersee」の「U」。
元は「氷の下を進む船」ということらしい。
私は潜水艦が浮上したり潜航したりする動きが横から見ると「U」の字に似ているからかと思ってた。
アメリカ人だったら絶対コレが「U-Boat」の語源にしてるよ。

Ugjpちなみに、この本面白いよ。
また吉村昭。
戦争中に日本海軍が潜水艦でドイツまでレーダーを取りに行く話。

Ss さらに進んで中央駅の方を振り返る。
やっぱいいよね、ヨーロッパの街並みって…他にロンドンしか知らないけど。

500_2フランクフルトはヨーロッパ経済の中心地で「欧州中央銀行」の本店があるところ。

510_2しかし、EUもどうなっていくんだろうネェ。
米中間の貿易戦争が始まったけど、ホンモノの戦争が起こりやしないかと気が気じゃない。洋の東西を問わず、政治家や大企業家の頭の中では「経済」と「戦争」は「金」という等号で直結してるからね。

520_2カイザー通りを歩くのは初めてではないけれど、こんなところまで足を延ばしたのは初めて。

530_2こんなんなってるのか。

540_2イヤでも目に入って来るバカでかい建物は「聖バルトロメウス大聖堂」。
英語読みをすると「バーソロミュー」。

560v歴史は7世紀にまでさかのぼるらしい。
神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式はココで行われたのだそうだ。
しかし、現在の建物は1950年代に再建されたものなので、ウチよりもよっぽど新しい。

570v「レーマー広場」と呼ばれる旧市街地。

580聖バルトロメウス大聖堂からすぐのところ。

590vこういうギザギザになっている屋根を「切妻屋根」という。
ユダヤ人の音楽は「クレツマー」だ。
この写真の真ん中の他よりチョット背の高い建物が旧市庁舎で「レーマー」といったことからここがレーマー広場と呼ばれるのだそうだ。

600広場に足を踏み入れると「おお~!」となるんだけど、それだけ。
どっかで見た景色だな…と思ったら長野の白馬の土産物屋。
なんだかペナントとか木刀とか熊の彫り物でも売ってそうじゃない?

610特に見るところもなさそうで、これなら名古屋の有松とか千葉の佐原の方がゼンゼン見ごたえがあるな…というのが正直なところ。
ゴメンな、レーマー。

620市内をユッタリと流れるマイン川。

630時折こんな建物に出くわすのは面白いけど、概して見るところがない。
「ゴエテとはオレのことかとゲーテ言い」でおなじみのヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの生家なんてのもある。「♪でもねボクにゃ詞なんてわからない」(←コレ知ってる人、チャンと日本のロックを聴いてる人)

640vコレが町の教会かな?
アラ、向こうに大聖堂のアタマが見えてるね。

550他にも「ゲットー博物館」というのがあって、入ってみたけど、コレはマァ見応えがあったな。
興味のある事物に関する博物館の類は、なるべく観ておくようにしている。

650コレだけ何でも手に入る東京にいて、どうしても自由に手入れることが不可能なのは、海外の芸術とエンターテインメントだと考えるているから。
やっぱり日本語で聴くグリザベラやエポニーヌの歌はどうかと思うから。

660<つづく>
 

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200

(一部敬称略 2007年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年7月10日 (火)

スピンオフ四人囃子 #3 <中編>:スピンオフ四人囃子~私の猿田彦様

  
せっかく車で名古屋まで来たんだから…ということで、空き時間を利用して興味のある場所にチョコチョコと足を延ばしてきた。
そのひとつがココ。
三重県は鈴鹿市にある「椿大神社」。
コレ、「つばき だいじんじゃ」じゃないからね。「つばき おおかみやしろ」と、神道だけに思いっきり訓読みをする。
私は信心はしないんだけど、何千年にもわたって民衆から支持されてきた神事にはそれなりの畏敬の念を持っていて、日本人である以上は神道、仏教、ともにある程度の知識と作法だけは身に付けておきたいと思っている。
そう思うようになったのも比較的最近のことで、海外の人とお付き合いすることが多くなってからの話。
海外の人はみんな宗教に熱心で、日曜日には必ず家族で教会に行って…なんてイメージがあるからね。
それなら私も自分の国の宗教ぐらい知っておかないと…ということで少しは勉強する気になった…なんてのはお門違い。
あのね、外人が映画やドラマで、食事の前に手を合わせて「天にまします我らの父よ…」ってお祈りするシーンに今でも時々出くわすでしょ?
私もアメリカ人やイギリス人の家庭にお呼ばれされて食事をごちそうになったり、レストランで一緒に食事をしたりすることがよくあるけど、今までああいうのをやっている人を見たことがないんだよね。
ただ1人の例外は、アイアン・メイデンのニコ・マクブレイン。
ニコとはフランクフルトやロンドンのレストラン、ジム・マーシャルの家などで何回か食事をご一緒させて頂いたが、周りの連中が早速ガバガバ飲み食いしてる中、いつでもどこでも必ず手をキチンと合わせ、うつむいて祈りの言葉を囁き、胸の前で十字架を切ってからフォークとナイフを手にしていた。
この間ほんの数十秒…他の皆さんは全く気にしていなかったけど、私はそれを見ていてすごくいい気分になったね。
あ、それとナッシュビルの偉大なるフィンガーピッカー、ドイル・ダイクスもやっていたかも知れない。
話が飛んだな。
昨日の記事を書くのに半日以上かかっちゃって、今日の前置きは簡単にしようと思っていたのだが…。
 
とにかく、神社仏閣などにも興味が出てきたというワケ。

10_2門柱に「伊勢一之宮」ってあるでしょう。
コレ、スゴイんだよ。
まず…伊勢神宮っていうのは全国8万社あるといわれている神社の中て一番尊いとされているのね。
かつてMarshall Blogでもお邪魔した。
そもそも「神宮」と「神社」ってのはアホほど格が違うもので、しかも「神宮」というのは元々お伊勢さま専用の言葉だったらしい。(「今は諏訪大社とかもあるけど「大社」というのは出雲を指す言葉だったらしいッス)
で、「一之宮」というのはナニか?
律令国家時代(10世紀ごろ)、日本は国内が「国」という行政区画に分かれていて、その国の親分を「国司」といった。
そして、それぞれの国は『延喜式(えんぎしき)』という法制書によって「大、上、中、下」と等級が定められていて、伊勢神宮のある「伊勢国」は大和、河内、武蔵等と並び、13しかない「大国」の一角を占めていた。
だからそこの国司っつったらメッチャ偉いワケ。
で、その国司が変わった時に、地元の神社に赴いて神様にご挨拶をして回る。その参拝して回る神社の順番が厳格にキマっていたんだね。
もちろん、重要なところから訪れるのは言うまでもない。
その順番で一番最初に訪れる神社のことを「一之宮」という。
つまり、ココはかなり位の高い神社なんです。

20_2そして、この椿大神社は猿田彦大神を祀っている神社で、全国に2,000あると言われている「猿田彦神社」の総本社とされている。
伊勢市にも「猿田彦神社」があるが、「どっちが総本社か」ということに関しては意見が分れるところらしい。

30v猿田彦大神は「導きの神様」といって、大変重要な神様の一柱。
鼻がやたらと大きく、七咫(あた)あったという。「咫」というのは手のひらを広げた時の中指の先から親指の先までの長さだというから尋常な大きさの鼻ではない。
手塚治虫の『火の鳥』に出て来る猿田博士は猿田彦大神をモデルとしていることはよく知られている。
手前はムーピーの「タマミ」。
この『火の鳥<未来篇>』は衝撃的だったね。
話の最初の方で大国のコンピューター同士がケンカして核戦争が起こるでしょ。
コレ、まんざら空想ではなくなって来てるよね、最近。「ITと核」。
ホントにコンピューターもいい加減にした方がいいと思うよ。
コンピューターに話しかけて選曲の依頼なんかをしているCMを見かけるけど。大変ゾッとする。
自分の聴きたい音楽ぐらい自分で探して自分でかけろよ。
人間がドンドン、しかもものスゴイ早さでバカになってるとしか思えない。
大ゲサだけど、あのCMを見るたびに『火の鳥<未来篇>』を思い出す。

Sh 中に入ってみる。
神社に入る時はお辞儀をして、参道の左側を静かに歩く。

40vいいね~、この雰囲気。
こんな私ですらスガスガしい気分になる。

50本殿。
『火の鳥<鳳凰編>』の我王という主人公も猿田彦大神がモデル。
猿田彦大神は「道の神様」とも言われ、中世には「道祖神」とされた。
我王は道端の石に仏像を彫りながら日本国中を旅して歩くでしょう。それが道祖神になったんだろうね。
手塚治虫はそこまで考えてキャラクター設定をしているワケですな。
『火の鳥<鳳凰編>』には、その我王の支持者として吉備真備(きびのまきび)が登場する。
この神社にはその吉備真備が奉納したとされる獅子頭があって、獅子舞発祥の地とされているのだそうだ。
こういうつながりを考えたり想像したりするのは歴史を勉強する醍醐味。この上なく面白い。

60_2二礼二拍一礼…実は今我々が行っている神社の作法は明治時代にできたもので、古式ゆかしいモノではない。
本来は鈴も賽銭箱もなかった。
だからこうした由緒正しい神社にはそうしたものが設置していない。あ、賽銭箱はあるな。
驚いちゃったのは、この神社、ロケーションはお世辞にも良いとは言えないんだけど、三重県では伊勢神宮、二見興玉神社に次い3番目に参拝客が多いのだとか。
その数たるや年間150万人弱!ウッドストック3回分だぜ!

70_3屋根は銅板だ。
コレが何十年かすると、緑青が生えて見事な緑に変色し、貫禄と風合いを蓄える。

80_2結婚式をやっていた。
こういう祝儀に出くわすのは縁起がいいんだよ。

90_2続いてそのお隣…

100_2コチラは椿岸神社。

105v天之鈿女命(アメノウズメミコト)を祀っている神社。
アメノウズメは皆さんもよくご存知も通り、天照大神が天岩戸に隠れてしまった時に、外で裸になって舞い、八百万の神様に「ヤンヤ、ヤンヤ」と言わせ、「外はヤケに楽しそう…」と見事天照大神を天岩戸からおびき出した大功労者。
日本で最初のダンサーともストリッパーとも言われている芸能の神様。
その時に伴奏をしたのが「弦」という楽器。恐らくギターみたいなヤツでしょう。
世が世ならMarshallでその「弦」とやらを鳴らしていたところだろう。

110_2で、アメノウズメというのは猿田彦大神の奥様なんだね。
天宇受賣命を祀っている神社はたくさんあって、ココもそのうちのひとつ…ということになる。
120本殿の傍らにある「扇塚」。

130_2儀式や舞などに用いる扇は、古来神様を招き、奉るものとして芸道を志す者の心の寄りどころとされ。芸を磨いていく過程には欠かせないアイテムだった。
芸の道に終わりはなく、その扇に感謝と慰霊の気持ちを込めてこの塚が作られたのだそうだ。
芸の道を志す者は常に新たな気持ちで芸の修行や恵子に励み、感謝の気持ちを込めて古くなった扇子をココに納めるというワケ。

140_2しからば、ウチは塚ではないけど、エンタテインメントの世界が活発にになって、またロックが以前のようなクリエイティビティを取り戻し、ギター・ヒーローが生まれ、Marshallがよく売れますように…と…。
見たか、ブレッチリー!こっちはもはや神だのみだぞ!

2_2img_6949 境内にはカワイイ滝も。
「かなえ滝」といって、椿大神社にある滝から流れを引いているのだそうだ。
つまり夫婦でお揃いの滝なんだって。
今日の「私の〇〇」は以上。

150_3さて、帰ってきたぞ今池へ!

700_2 ∞Z、The BECK'sの気合いの入ったパフォーマンスに続いてステージに現れた4人。
いよいよ「スピンオフ四人囃子 #3」のスタートだ!

160_2岡井大二

170v坂下秀実

180v山崎洋

190vそして、根本要。
コレまで「スピンオフ四人囃子」は稲葉政裕、小野瀬雅生とフロントを迎えて来て、根本さんが3人目なので今回は「#3」となる。

200v大二さんのドラムでスタートする1曲目。
「♪ドゴストタン、ドコストタン」と大二さんがNATALで叩きだすヘヴィなワルツのリズム。
350「円盤」だ~!
Seしかし、何だろうね、この世界は。
いつも言ってるけど、音楽ってのは、シンガーの甲高い声でも、ギターの速弾きでもなく、バスドラムを踏むスピードでもなく、最終的には「曲」のクォリティに尽きるね~。
曲があってのテクニック。
いくら楽器がウマくても曲が良くなければ音楽としての価値はないでしょう。音楽は「万国ビックリショウ」でもなければ「ウップン晴らし」でもないんだから。
そういえば最近は「ヘタウマ」という言葉を耳にしなくなったね。
お金を取って人に聴かせる以上は「ウマく」なきゃダメ…だと私は思ってる。
「ヘタウマ」ってのは「ウマい」ということだからね。

330_ufこのイントロのギターのメロディだって日本のロック史に残しておかなければならないモノだぜ。

340v根本さんと一緒に歌っちゃった人が多いんじゃないかな?
ハイ、私はシャッターを切りながらシッカリと歌わせて頂きました。
周囲の人、ゴメンナサイ。
でも、こんなコンサートは1年に何回もないんよ。今年はこの後、外道があった。

360vステージ上手でもの静かに鍵盤をたたく坂下さん。
出している音は重要で味わい深いモノだ。

370v根本さんからご挨拶。
「皆さん、よくいらっしゃいました。普段はスターダスト☆レビューというバンドをやっている者ですけど…大先輩の大二さんと坂下さんに誘われました。普段は『ガンバって演奏する』だなんて絶対に言いませんが、今日は『ガンバって演りたい』と思います」

1_0r4a2829続いてはこのアルバム…『一触即発』から。

Sokuhatsu 日本で一番有名なシンバル・レガート…「おまつり」だ。
海外には1小節にも満たないドラムスの音で曲名を当てられるナンバーがあるでしょ。
ビートルズの「She Loves You」や「Birthday」、Steely Danの「I Got News」とか…。ヘタすると「Hey Nineteen」なんてスネア一発でわかるもんね。
「おまつり」の大二さんのドラムスはまさにソレ。
日本にはそういう曲がほとんどないんだよね。
PANTA & HALの「ナイフ」なんかはそれに当てはまるな。
210vそしてこれまた日本のロック史に残るギターのメロディ。

230_2眼前に広がるこの四人囃子の音楽!
ドバ~っと知的に、上品に四人囃子の世界になった。
ロックを聴いてて「日本人に生まれてヨカッタな~」と思うことができる数少ない機会だ。

220「♪何もすることがなくて 何もすることがなくて…」
どうしても一緒に歌っちゃうナァ。
バラ色のシャツも着ていなければ、本当はやらなきゃいけない仕事が山積みなんだけど…。
根本さんはチャンと赤いカーディガンを身につけていらっしゃる。

240v坂下さんのエレピの音がまた素晴らしい。コレじゃないとダメ。

250_2中間のハードなパートもバッチリ!キマった。

260_2そして根本さんの歌。
声質がバッチリですな。安心して、イヤ、ウットリして聴いていられる。
ところで、つい先日脳に小さな血栓が見つかり緊急入院が報じられ、ファンをヒヤっとさせた根本さん。
このコンサートからさほど時間が経っていない時期での出来事だったので私もメチャクチャ驚いた。
だって、あの打ち上げの時の元気で楽しそうな根本さんの姿と声が瞼と耳にこびりついていたんだもん!
でも、心配はご無用。
スターダスト☆レビューとして、6月27日には4年ぶりとなる39枚目のアルバム「還暦少年」をリリースし、7日に沖縄宜野湾からスタートした開催した野外ライブツアー『楽園音楽祭2018(全11公
演)』で本格復帰を果たされた。
また10月からは、そのニュー・アルバム「還暦少年」の全国ツアーが開催される…というバリバリのスケジュール。
とにかくお身体だけはご自愛頂きたいものです。

270v_2大二さんはNATAL。

280_2愛用のバーチ。フィニッシュはグロス・バーガンディ。

290_2スネアは曲に合わせて使分けていらして、今日は3曲目からNATALになった。

300山崎さんは稲葉さんとMarshall GALAに登場してくれた、このプロジェクトには欠かせないベーシスト。

310_2EDEN WTP-600とD410XSTを使って頂いた。

320v根本さんの四人囃子の思い出。
「高校生の時に初めて四人囃子を観ました。ミュージシャンにはとても評判がヨカッタけど、一般人には知られていなかったんですね。
そこで、コピーして熊谷で演奏していたんです。
みんな知らなかったので、ボクらのオリジナル曲だと思って聴いていてくれたと思います」
ズルだ~!
でもどれだけロックがまだ一般大衆に浸透していなかったを証明する話だ。
「四人囃子の曲は複雑です。覚えるのに苦労します。でもスターダストではそんなことはありません。必ずや演奏に不備が出るということで、助っ人を呼んでいます。
私の素晴らしき相棒を紹介します。私がガンバるのは、ココまでです」

2_s41a3699「西山毅!」

375v根本さんから「1978年の『包』のA面の1曲目」という曲の紹介。
「A面」という言葉で会場から笑い声が漏れていたが、「A面&B面」は大切です。
今となっては「面」どころか、CDやらジャケットまでなくなろうとしているんだから恐ろしい。
新しいモノが「すべて良い」とは限らないんですよ~!
Bao 『包』のA面の1曲目は「眠たそうな朝には」。
そう、スピヨンのいいところは森さん期とミツルさん期の曲の両方が楽しめることなの。

380_na西山さん、お久しぶり~!
西山さんは2001年に開催された『マーシャル祭り2』にご出演して頂いたり、楽器屋さんやスタジオ主催のMarshallのセミナーなんかでよくご一緒させて頂いたんです。

390v今日の西山さん、ASTORIA CLASSIC他をお弾き頂いております。

400_2足元の様子。
右端のヤツなつかしいね。私、コレのスイッチ・ボックスを持ってますわ。

410これまた根本さんの声が曲にピッタリなんですよ。

420この曲って歌のパートが14小節でできているんだよね。
「歌」としてはシンプルなんだけど、恐ろしくドラマ性が強い。
コーラスとコーラスをつなぐ器楽のパートがバラエティに富んでいるからだろう。
まるでミュージカルを観ているみたいに舞台と物語が変わって行く。
あ、コレも大二さんの冒頭の「♪ドコドン」というドラム・フィルで曲がわかるわ。

430ギターのかけ合いパート…

1_0r4a2779今回の楽しみのひとつ…西山さんの完コピ具合。
西山さんは覚えていらっしゃらないだろうけど、ずいぶん前にどこかの楽屋で「哀しみの恋人たち」の弾き方を教えてくださったことがありましてね。
もうスゴイからね、几帳面で、正確で。
でも、コレぐらいじゃなきゃプロは務まらんよ。
そして、今日は四人囃子の音楽のギターのパートをどれだけホンモノと同じに、あるいはそれ以上に弾いてくれるか!…シカと楽しんでおります。

440vそれとベース・ラインがヤケクソにカッコいいんだよね。

2_s41a3242 「私は一部間違えてしまいました。西山君はどうでしたか?完璧でしたね~!」
イエイエ、根本さんもバッチリ!
「60を過ぎた頃からかなり得意分野でも物忘れが出て来ましてね…お客さんに指を差されないようにしようと思っています」
そう、得意の分野でも固有名詞が出て来ないことがあるんですよね~。昔はこんなこと絶対になかったのに~!

1_0r4a2724更に次の曲を根本さんが紹介する。
「次の曲はまたアルバム『包』からです。お気に入りのアルバムってことではないですか?
あ、今日のセットリストは岡井大二さんがキメてくれました。ボクはそのセットリスト通りに紹介しているだけです。」

Bao_2 実はね、このアルバムってライナーノーツに「Marshall」がクレジットされてるんだよ。
ヘヘヘ、一番上だぜ。
そして、このアルバムの2曲目の「君はeasy」の作者は大二さん、
大二さんのポップ感覚が窺えてすごく興味深いな。

2_2img_6951 さて、印象的な坂下さんのキーボーズから始まるのは「機械じかけのラム」。
私も大スキな曲で、Marshall GALAの時にリクエストさせてもらいました。

460v_lmこの曲も大二さんのシンバル・レガートがカッコよくてね~。

470vホントにコレなんか日本のロックにごくごく稀にしか誕生しない破天荒にカッコよい曲だと思うんだけど。
歌詞もいいよね。
1978年時点でコンピューターをテーマにしてる。
Pantaさんも1977年当時、「HALのテーマ」でコンピューターを題材にしてるんだよね。
やっぱりミュージシャンはこの頃から時代を先取りしてそうしたテクノロジーが気になっていたんだろうな。

490_2ホントだ。
西山さんが説明してくれたんだけど、この曲のイントロ。
AのペダルトーンでG69とBb69かな?
基本はこの2つのコードの繰り返しになってるんだ。
コード自体の音程が上がって行くのかとばかり思っていたけど、ドンドン音が積み重なっていくだけだったのね。

480_2「Machine Work 'RAM'」なんてタイトルもいいよね。
「時計じかけ」は「オレンジ」。「機械じかけ」は「ラム」。もちろん「Random Access memory」の「RAM」に引っ掛けている。イヤ、反対か?
果物の「rum」を引っ掛けてるんだね…お酒もあるだけに?(←「ラム酒を引っ掛ける」というシャレになっています)
今日の前半に手塚治虫が出て来たのでもうひとつ、「機械仕掛けのりんご」という社会派のマンガがあった。アレも面白かった。

500ココで『Printed Jelly』から1曲。

Jellyミツルさんのプレをイ完コピされている西山さんのギターがまず耳を惹きつける「昼下がりの熱い日」。510v_hsコレもいい曲だよね~。
坂下さんの作品。
560_2根本さんの歌が最高に映える。

520v「♪時計を遅く進ませて」とか「♪雨の音 遠くで緑に聞こえたら」なんて面白い表現だ。
でも昔から「♪空の中から落っこちて」の「落っこちて」という言葉のリズムがモノスゴク耳に残るのです。

530この曲の聴きどころのひとつは最後に出て来るミツルさんのギター・ソロ。
スタジオ・バージョンもかなり凄まじいんだけど、この『From the Vaults』に収録されている1977年のFM東京でのプレイが輪をかけて凄まじいと来てる。

2_img_6957 そして、西山さんのソロ!
新宿のリハーサルでお会いした時「あのソロは完コピでやるんですか?」と尋ねた。
「イヤ~、やろうかとも思ったんだけど…」なんておっしゃっていたけど、結果はモロに西山さん。
新東名を突っ走るスーパーカーのようなシャープなソロでゴキゲン極まりなし!

540vこうしたミディアム・テンポの曲でもバツグンのロック・グルーヴを聴かせてくれる大二さん。
やっぱり最高のドラムスだ。
大二さんがNATALを叩いていらっしゃることを誇りに思う。イヤ、自慢かな?

570_2四人囃子の詳しい情報はコチラ⇒①Official Web Site ②facebook

580<後編>につづく

 

200_2

(一部敬称略 2018年5月12日 名古屋Bottom Line他にて撮影)

2018年7月 9日 (月)

スピンオフ四人囃子 #3 <前編>:The BECK's と∞Z~私の有松

 
今日は新記録出しちゃいます。
 
チョットいくらなんでもこんな入り方はどうかと思ったんだけど、「もうココに載せるしかない!」と思って、出だしはまさかの成田空港。

10到着ゲートのところにいつも必ずいる『YOUは何しに日本へ』のスタッフの方々。
大変なんだってね~。アレ、取材がOKになる人を捕まえることができる確率の低さと言ったら中途半端ではないとか…。100人単位に1人いるかいないか以下らしい。
ナニを基準に声をかけているのかは知らないけれど、この日も彼らをしばらく見ていたけど、適当なターゲットすら見当たらないらしく、ゲートから出て来る客の姿をボーっと見ているだけの感じだった。
そんだったら私に訊いて欲しいね…「Youは何しに成田空港へ?」って。

20「あ、私はイギリスへ帰る社長夫妻のお見送りに来たんです」ってのが質問の答え。
かつてウチの社長はVirgin Atlanticを使っていたんだけど、日本航路から撤退してしまったのでイギリスの航空会社のチョイスはもうBritish Airwaysしかない。
このBritish Airwaysの日本からの出発時間が朝の9時なもんだから、いつも6時にホテルへ迎えに行って成田へ送り届けている。
2時間前のチェックインを目指すとなると、時間の余裕が皆無となる。
コレがいつも心配なのよ。
もし京葉道路で何かがあって、大渋滞なんてことがあったら、飛行機に間に合わなくなっちゃうからね。
かといって、安全を見てあんまり早く迎えにいくワケにもいかないし…。
車だと結構あるよね~、成田空港って。
おかげさまでこの日も何事もなく無事に社長夫妻をお見送りして、「さぁ、行こう」と駐車場への渡り廊下があるターミナルビルの2階に上がってコレがあることに気が付いた。
「Anime Tourisum」という展示。

30ナニかと思ったら、要するに私が『イギリス-ロック名所めぐり』でやっていることと全く同じ。
アニメに出て来るスポットを実際に訪れてみよう!という観光案内。

60どこが何のアニメに出て来るのかはサッパリわからないけど、この「アニメ名所探索の旅」のスタートはココ、成田空港。
ナンカやることがウマいね。

65v「札所ポイント0」だから。
まずはココで記念のスタンプを押すワケよ。

50vそれがコレ。
「名所」じゃなくて「アニメ聖地」だった。
完全にお遍路さん状態。

55それぞれの聖地へのルートが示してある。
コレは空港や千葉近辺の案内。

70コレは神田明神だって。

80コレは横須賀。
面白いのは起点が全部秋葉原になってんのよ!
つまり「秋葉原からどう行くか」…ということが記してある。
スゲエな、秋葉原。聖地どころの話じゃない。『私の秋葉原』とは似ても似つかない。

90聖地の写真もそれぞれ飾ってある。
コレ、つい自分の知ってるエリアを探しちゃうね。

110神田明神の写真。
一体何というアニメに出て来るんだろう。皆目見当がつなないな…。全部「セーラー・ムーン」に見える。
ちなみにウチの両親は神田明神で結婚式を挙げた。

100パンフレットも立派。
日本語、英語、中国語で用意されている。
よくテレビのCMなんかで「英語が話せれば〇億人とコミュニケートできる」なんてやってるでしょ?
母国語として世界で最も離されている言語って「何語」だか知ってる?
中国語なんだよね。
次いで英語、スペイン語、ヒンドゥー語と続く。
中国語は国連でも公式の原語に定められているし、コレからは中国語ですよ。
私は英語をマスターしたら中国語をやろうかな…イヤ、もう私の人生内では間に合わないな。

56当然フィギュアの展示もある。

120v『ラブライブ!』は知ってますよ。

130主役の声優さんのライブではショボンちゃんがNATALを叩いてるからね。

120_2 『文豪ストレイドッグス』も知ってる。
GRANRODEOだもん。

140それとガチャガチャが完備している。
コレもいいアイデアだよね。
普通はコインは母国にに帰っても両替することができないので、日本から離れる前にアニメ・ファンの観光客は硬貨を全部コレにつぎ込んじゃうらしい。
我々にしてみれば、コインをかき集めて飲むヒースロー空港のエールみたいなもんよ。
まぁ、ホントにアニメの力ってのはスゴイよ。
 
…とイントロはここまで。
この話題をどこで出していいのか考えていたんだけど、今日の記事に載せるのが一番いいと決断した。
この後にどうつながるかというと、社長夫妻に別れを告げて、その足で成田空港から今日の記事の舞台となる名古屋へ向かったのだ! 40行くぞ名古屋~!…と張り切って京葉道路から新東名をブッ飛ばしたのはいいんだけど、エラく遠い。
決して走り慣れていたりするワケではなないが、「遠い」感が中途半端でなはい。
考えてみたら「成田⇒東京」間の80kmが加算されてたのね。調べてみると「東京~彦根」間か…。井伊さんのとこだな。

2_drive 名古屋に向かっている途中、Concerto Moonがell.SIZEに出演する情報をキャッチ。
ELLの平野さんともずいぶんご無沙汰していたので、ノンちゃんに会うためにまずは大須へ向かった。
ま、大須に向かったのにはもうひとつ理由があったんだけどね。
その理由は今シリーズの<後編>で解明する。

150ノンちゃんと1枚。
ホントはライブを観て行きたかったんだけど先約があったので断念。
前の会社を辞める時にELLにお邪魔して以来だから、平野さんにも6年ぶりぐらいにお会いしてご挨拶させて頂いた。

160実は、大須へ行く前にもう1ヶ所立ち寄ったところがあった。
「有松」というところ。
ココは名古屋市の南東になるのかな?
1560年、戦国時代の転機ともなった、織田信長と今川義元が一戦交えた桶狭間のすぐ近くというロケーション。
なんでそんなころへ行ったのかというと…。

170コレ。
古い町並み。

180ココは「有松しぼり」で有名なところね。

185スゴイんだわ~。
重要文化財級の古民家がゴロゴロしてる。
しかも、訪れた時間がチョット遅かったせいか観光客はゼロ。

190コレは有松絞りの開祖といわれている竹田家の住宅。

210何でも14代将軍、家茂がココの「裁松庵」と呼ばれる茶室を訪ねたとか。
江戸末期の1862年(私が生まれるたった100年前!)、「公武合体」ムーブメントの中で和宮親子内親王が家茂に降嫁し、翌1963年、家茂は3,000人を率いて229年ぶりに上洛した。つまり徳川将軍が229年ぶりに京都へ行ったっていうことね。
その時にココに寄ったのだろう。
ナニせ、この前の道は東海道だからして。

230チョット脱線。
一方、その前年に将軍家へ嫁いだ和宮様は京都から江戸へ引っ越す際、中山道を進んだ。
中山道は大井川のような大きな川を渡る危険個所が少なく、かつ外敵に狙われにくいというのがその理由だった。
下の写真の山道を30,000人で行列したという。(コレは人間椅子さんの回でやりましたね)

430v_2こんな山道を30,000人がいっぺんに歩いてごらんなさいよ。行列は50kmに及んだという。
和宮様は有栖川宮熾仁親王との結婚が決まっていたんだけど、岩倉具視らの「公武合体(朝廷と幕府が仲良しになること)」派の動きで身を挺して幕府に嫁いだ。
でも家茂と和宮様はすごく仲がヨカッタらしいね。

2_0r4a7713 しかし、竹田さんち、できゃー!
この塀見てよ!
ズッと向こうまで竹さんの家だよ。

240岡さんの家。
江戸末期の有松絞り問屋の典型的なつくりらしい。
かなり当時のまま残されている。

260小塚さんの家。
コレも典型的な有松絞り問屋の形式なのだそうだ。
卯建(うだつ)が付いているところがカッコいい。

280ん~、どの家も素晴らしい。

250郵便受けだってシャレてるよ。

270vこの松の木もスゴイ。

290傍らに「東海道五十三次二代目松」という碑が立っている。
何でもこの松は、東海道が開かれた当時からここに生えていた樹齢300年の松…からエキスを採取して育てた松なのだそうだ。
要するにクローン。

300v松のすぐそばに立てられている梅屋鶴壽という人の歌碑。
「あり松の 柳しぼりの 見世にこそ しばしと人の たちとまりけれ」
「あり松」の「松」はこの松に引っ掛けてあって、柳と対になってるんだね。
行き交う人がお店に飾ってある有松絞りの美しさに目を奪われて立ち止まってしまう。有松はそんなステキなところさ…ぐらいの意味かしら?
この梅屋鶴壽という歌人は神田佐久間町の出身なんだそう。
神田佐久間町は今の秋葉原のイケベ楽器さんがあるあたりね。

310イヤ、とにかく見ごたえがありますよ。
ガラガラだし。

320お、銅板。

330東京に残る銅板建築は関東大震災の火事に凝りて、防火を目的に木材を薄い銅板で覆っているんだけど、この銅板建築って、地方ではまず見かけないんだよ。
ナゼって家屋が密集している東京とは火事のコワさの度合いが全く違うから。
多分ココも同様で、飾りで戸袋に銅板を貼り付けただけなのではなかろうか。
今は緑青が生えて緑色だけど、取り付けた当初はゴージャスな赤銅色をしていて相当目立ったに違いない。

340見て、この雨樋(あまどい)。
古い家屋って、こういうディテールがいいんですよ。

350v瓦のデザインなんかも実に味わい深い。

360コレはなんだろね?
1_0r4a2088コレが今歩いて来た旧東海道ね。

370上の写真の左側の茶色いトタンの家屋がコレ。
昔は薬屋さんだった。

371今は有松絞りのショウルームみたいになっている。
チョット覗いてみた。

372藍だね。
以前、チョット書いたけど、藍に携わる仕事は極めて過酷で、「藍百姓」といって年貢にあえぐ一般の農家ですら「セーフ!藍じゃなくてヨカッタ」と思わせたらしい。
チョットその仕事の内容を見てみると…。
2月上旬に苗床を作って種をまく。それから何回も何回も間引きをし、施肥をする。虫よけのためにタバコの茎の汁で苗を撫でて歩くという単調極まりない仕事を繰り返す。
苗がある程度育ったら、本畑へ苗を移植しなければならない。その前の本畑を整備する作業がツライらしい。
本畑に移植した後、3回根踏みをし、畑に水を引いたり、何度も施肥を繰り返さなければならない。
そして害虫駆除に当たっては、ホウキを使って葉の1枚1枚を撫で払う必要があり、コレが気が遠くなるほど根気の要る作業だった。
また搗(つ)いたタバコの葉の粉を撒いて害獣駆除をする方法もあったが、タバコの粉は鼻や喉をひどく痛めるので、これも相当ツライ仕事だったのだそうだ。
刈り取った藍はその日のうちに茎や葉をナタで同じ長さで細かく刻み、翌朝からはその細かい藍を打ちほぐさなければならず、この間しばらくは不眠不休で作業をしなければならない。
要するにヤケクソに手がかかる商品だったということ。
デューク・エリントンはこのことを知っていたのであろうか?とても「Mood Indigo」なんて言ってる場合じゃないのだ。
…とそんな話をこのギャラリーの女性店長に話すと、さすが、よくご存じだった。
それどころか、その方は邦楽とロックを合体させた音楽をクリエイトしている集団との関わりがあって、私がMarshallの人間であることを告げるといよいよ話に花が咲いてしまった!

373ギャラリーの内部はまだ薬屋の造作を保存していて、コレがまたエラくカッコよかった。

374昔の薬屋ってこうだったよね。

375今度は駅前の道をはさんで反対側に旧東海道を進んでみる。
1_0r4a2110コチラ側も負けてはいない。

390この家はかなり立派ですよ。

400なんとならば、卯建が付いているから。

410vよく「ウダツの上がらない男」とか言うでしょ?
この屋根に垂直に設置されている小さな壁のことを「卯建(うだつ)」といって、ある程度の財力がある家にしかコレが付いていなかった。
だから、甲斐性のない輩のことを「卯建が上がらない」と表現した。
コレ、何のために付いているかというと、延焼を防ぐための火除けだったのね。一種の防火設備。
この屋根がカッコいいよね。

420v服部さんの家。
「服部」さんというぐらいだから元々服の職人だったんだろうけど、ココでは屋号を「井桁屋」といい、やはり絞り問屋だった。
見事な蔵だネェ。
470壁の下の方が海鼠壁になっているのも防火対策のひとつ。
蔵に関する落語に「鼠穴」という人情噺があるんだけど、チャンスがあれば是非聴いてくだされ。
「夢は土蔵の疲れなり」なんてね。スゴクいい噺です。

440鬼瓦も立派!

430v「井桁屋」だけあって、瓦には「#」のような井桁の紋がついている。
この服部さんの家は有松を代表する建築物とされているのだそうだ。

480反対側も大変立派な建物ばかりでどこもかしこも見ごたえ十分!

450

460

490ここにも銅板。
やっぱり戸袋だけだ。

520この道が東海道であったことを示す碑。
でも有松は宿場ではなかった。
有松は東海道39番目の宿場、池鯉鮒(ちりゅうじゅく)と40番目の鳴海宿の間にあった「間宿(あいのしゅく)」と呼ばれる集落で、宿場と異なり間宿には宿泊することが許されず、旅人が休憩をしていくエリアだった。

530v 有松絞会館の裏手にあるかなり立派な碑。

500c有松絞りの開祖といわれている竹田庄九郎の碑ですって。

510v マンホールのフタも絞り風だよ。

550コレは「きょうか」という駄菓子屋さん。

560ウインドウには何やら懐かし気なモノが並んでいる。

570ウインドウにあった張り紙。
「ばっちゃんは、しばらくお休みをさせてもらっていましたが、体が悪くなってしまい、お店を続けていくことができなくなってしまいました。
今までしんせつにしてくれたみんなに会えなくなってしまいさみしいですが、駄菓子きょうかを閉店することにしました」
チョット~、ヤメてよ~。ホロっと来ちゃうじゃんか!
駄菓子屋って必ずバアさんなんだよね。
私は小さい頃、実家の近所の「金子」と呼ばれる駄菓子屋によく通った。
別に看板が出ているワケではなくて、普通の家の一角で営業していたので、表札を見た誰かが「カネコ」と呼びだしたんだろうね。
金子のバアさんも江戸時代に生まれているんじゃないか?と思うぐらいシワクチャだったナァ。
当時、まだ1円とか2円の商品がゴロゴロしていて、アンズの甘露煮が3つ刺さっていた串が最初の頃は1本2円だった。
私はコレが大スキで、2円ずつ払って食べていたら、そういうことにはダイナミックな母が「そんなチビチビ買って食べるのはみっともないからヤメなさい。箱ごと買っといで!」と数百円渡してくれた。
早速カネコへ箱入りのアンズを買いに行くと、そんなことをする子は他に全くいないので、バアさん、「いいのかい?」なんて目をシロクロさせてブッたまげていた。
50年も前の話…こういうことはよく覚えているんだよな~。
もうカネコはとっくの昔になくなっちゃったけど、あのバアさん、今生きていれば130歳ぐらいかな?まだ顔も店の様子もハッキリ覚えてるわ。

590vソロソロ有松の町に別れを告げようかと思っていたところ…

600良さげなパン屋を発見。
パンもさることながら、家の中が見てみたくて買いに入ってみた。

610おお~。

620v雰囲気満点!

625v多分ここはお屋敷の下働きをする人たちの居住スペースだったんだろうね。
かまど…こっちでは「へっつい」かな?…があったり…

630井戸があったりいい感じ。
「へっつい幽霊」はメチャクチャ面白い噺だよね。

640店の奥にある窯。

650「どうぞ、どうぞ」と中を見せてくれた。

660v屋根にはこの窯に直結した煙突が飛び出していた。

670vあ~、堪能した!
最高に面白い町でありまつた!380以上で『私の有松』は終了。
ココから本題だでね。
やって来たのは今池のライブハウス、THE BOTTOM LINE。
久しぶり~。
2015年の1月以来。
ココはいいよね~。
とても好きなハコ。

700_22階に上がる階段の壁に飾ってある、ここで演奏したジャズ・ミュージシャンの写真がまずうれしい。
そして2階の楽屋…面白い話を聞いちゃったんだ~。
ソロモン・バークって知ってる?
「The King of Rock & Soul」の異名を取る、ミック・ジャガーやヴァン・モリソンに大きな影響を与えたR&Bの超大御所黒人歌手。
2010年に日比谷野音で開催された『ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバル』に出演するために初来日した。
この時、私はシーナ&ロケッツの取材でお邪魔していたのだが、いつもMarshall Blogに書いているように、私はジャズ以外の黒人音楽をほとんど聴かないので「キング・ソロモン」と名前を知っているものの、シーナ&ロケッツの出番が終わったところで失礼しようと思っていた。
ところが、鮎川誠さんが「絶対に観ておいた方がいい」と博多弁で猛烈に勧めてくださり、最後まで残ることにした。
スゴかったね。
コレが人間の声かッ?というぐらいの圧倒的な歌唱力と説得力、そして最高のショウマンシップ…最後まで鳥肌が止まらなかった。
それで、キングは野音の後、大阪と名古屋を回った。
名古屋公演の会場はココ、THE BOTTOM LINE。
キングは一時期は体重が180kgを越したこともある巨漢で、晩年のチャールズ・ミンガスのようにもう自分の足では歩行することが難しく、車椅子を使っていた。
そんな巨漢だからして、当然使用する車椅子も規格外にデカい。
そこで、プロモーターのスタッフは車椅子のサイズの情報を得て、キングが不自由を被らないように行く先々のエレベーターや出入り口の寸法を前もって測ったっていうんだよね。
すごいナァ、プロは!
大きな車椅子といえども、意外にどこでも通過できることがわかったのだが、ただ1カ所だけどうしても通り抜けることができないポイントがあった。
それが下の写真。
ボトムラインの楽屋の入り口。
ドアの部分自体は通過できるのだが、内側の作り付けのテーブル(写真左)とソファの間隔が狭く、ナニをどうやっても車椅子が通過できないことがわかった。
作り付けのテーブルを壊して取り除いてしまえば通行に関する問題はすべて解消するのだが、まさかソレ1回だけのためにそうするワケにもいかず…。
で、どうしたか…。
「The King of Rock & Soul」は出番の時以外、ズット楽屋の外にいたんだそうだ。
知らない人はビックリしただろうナァ。バカでかい黒人が車椅子に座ってエレベーターホールにいるんだから。
キング・ソロモンは2010年、オランダのスキポール空港に向かう飛行機の中で亡くなってしまった。
結果、ソロモン・バークはロイ・ブキャナンやローウェル・ジョージ、リック・ダンコと並んで私の「観ておいてヨカッタ!」リストの上位に入っている。
鮎川さんにはホントに感謝している。

710さて今回、新東名をブッ飛ばしてはるばる名古屋にやって来た用向きは昨年1月にリリースしたアンソロジー『錯』も大好評だった四人囃子。
名古屋在住のある人の熱意でココTHE BOTTOM LINEで四人囃子がよみがえったのだ。
タイトルにある最近よく聞く「スピンオフ」というのは「副産物」という意味。
「番外編」みたいな意味で解釈されることが多いみたいね。
会社がある部門を独立させて子会社にすることなんかを英語で「spin off」という。
もちろん「spin」というぐらいだから、グルグル回って、その遠心力に耐え切れなくなってブチッと本体から切り離されちゃうイメージが語源だそうだ。

Sk定刻になりステージに登場したのがその「ある人」、野田欣志。
「こんばんは!スピンオフ四人囃子のライブにおいで頂きありがとうございます。
2014年、4年前に四人囃子はデビュー40周年を迎え、東京と大阪で記念ライブをする計画がありました。その時、ゼヒ名古屋でも演ってください!とお願いしたんですが、佐久間さんが亡くなって、結局そのプラン全体がなくなってしまい、そのまま現在に至っています」

720「しかし、今回そのライブが実現することになりました。サポート・フロントで根本要さんが参加され、西山毅さんも来てくれました。
リハを拝見したんですが震えるぐらいスゴかった!
その震える思いは最後にとっておきましょう!」
野田さんの四人囃子への情熱で実現したコンサート。
会場は超満員!ご盛会おめでとうございます。
まず、最初にステージに上がったのは…

730東北出身の3人によるトリオ、∞Z(ゼロゼロゼット)。
福島で2016年に開催したワンマン・コンサートでは1,700人を動員したという人気チーム。
1976年、四人囃子が出演した郡山で開催された伝説のロック・フェスティバル、『ワンステップ・フェスティバル』にちなんで福島から招聘したのだそうだ。
17歳の時にそのフェスに参加した野田さんの計らいだ。

740ボーカルズ/ギターのERIKA。

750vベースのKenji Sato。

760vドラムスはShingo Katagiri。

770v「フュージョン・ポップ・パワー・トリオ・バンド」というスタイルを標榜するこのバンド、確かにそんなサウンド。
え~、このタイプの音楽を3人で演っちゃうの?って感じ。
「こんなタイプの音楽」っていうのは、いわゆる「シティ・ポップス」っていうのかな?
普通だったらキーボーズがいるのが当たり前という雰囲気の音楽とでも言おうか?
それを緩急自在にギター・トリオで演っちゃう。

790ERIKAちゃんの個性的な声。

800高度な技術を駆使した厚みのある演奏。

810そう、アンサンブルが強力なんだよね。
とても3人演奏している感じがしない。

820MCでも大いに笑いをゲットして、この記念すべきコンサートの幕を華々しく切って落としたのであった!
ちなみにドイツ人は「0 0 Z」を「ぬるぬるツェット」と発音するハズ。

∞Zの詳しい情報はコチラ⇒The Official Website ゼロゼトゼット

830続いてステージに上がったのはThe BECK's。
名前の通り、ジェフ・ベックの音楽を追求するバンドだ。

840ギターというか、ジェフ・ベック担当は冒頭にご挨拶をされたこのコンサ―トの主催者、野田欣志。

850v今日は1959と1960BX。
そう、ジェフはBキャビしか使わないからね。
野田さんはClass5なんかも愛用してくださっている。
おお~っと!それと、いつもMarshall Blogを応援してくださってるのだ。

860v足元のようす。

870ドラムスは古山哲。

920v使用するNATALは大二さんのバーチのキット。

1_0r4a2523 サイド・ギターの宮脇貴博。

880v宮脇さんはDSL20Hと1960A。
ハイ、宮脇さん座布団1枚。
Marshall BlogにDSL20Hを持ち込んだのは宮脇さんが初めてです。

890vベースはサポート参加の河童。
あ、チガウ!

2_2kappa ベースは藤田亜沙子。
ニックネームが「Kappa」さん。

900vEDEN WTP-600とD410XSTを使用。

910vそして、ゲストで参加したのは松川純一郎。

930vオープニングはおなじみ「Superstition」。

940ノッケから野田さんのジェフ節炸裂!

960v「ジェフ・ベックはインストゥルメンタル曲が多いが、そればっかり演っちゃうとお客さんが引いてしまう…」ということで今回はすべて歌モノのジェフ・ベックでセットリストを構成したという。
そこで松川さんのボーカルズが大活躍!
2曲目は「Drifftin'」。

950vココでいかに私がジェフ・ベックに疎いかが自分の中で露見するのだ。
この曲のレコーディングではウィル・リーと共演してるのね?
作曲はジミ・ヘンドリックス。

990続いては、ジミつながりでおなじみ「Little Wing」。

970v「Little Wing」はジェフのライブの重要なをレパートリーだ。
そんなジェフの愛奏曲を歌うように弾きまくる野田さん。
以前、広規さんのkoki Tetragonがツアーを終えて、そのレポートを兼ねたライブをやったんだけど、MCで窪田晴男さんが「名古屋にジェフ・ベックそっくりな人がいて驚いた」なんておっしゃっていた。
それが野田さん。

980ココで野田さんが四人囃子の思い出について語る。
「ボクが高校生の時にレコード・デビューを果たし、四人囃子が今はなき勤労会館にやって来ました。東京の大学に行っていた友達のお兄さんが『観た方がいい!』と勧めてくれて観に行きました」
インターネットなんてない時代だからね、年上の人からの情報はとても貴重だったんでしょう。
当時は神様のような存在だったそうしたミュージシャンたちは当時20歳ぐらいで、野田さんは17歳。もっと年上だと思っていたという。
わかります。ソレ、すごくよくわかる。

1050そして、郡山で『ワンステップ・フェスティバル』が開催されることを知り、当時のロックを演っている人たちが全部出てるな…と思って観に行ったという。
コレもわかる。
当時、ロックはまだマニアックな音楽でバンドの数もそう多くなかったからね。大人の趣味のひとつだった。
パンク/ニューウェイブの後、80年代に入ってロックがビジネスになり出すと様子がガラっと変わってしまった。
若い人はこのワンステップ・フェスティバルに出演したバンドの音楽を聴き比べてみるといい。今、いい感じで音源がリリースされてるでしょ?
若い人たちはそれを聴いて、どのバンドも替えのきかないオリジナリティのカタマリであることを知るだろう。
海外のロックに追いつけとばかりに、人がやらないことを考えて独自性を競った時代のロックだ。
今の若いバンドさんを見てると、「人と同じこと」をやるのに必死になっているとしか思えない。そして、武道館が上がりの「バンド双六」をやってる。
野田さんの思い出話は続く…。
フェスティバルの初日のトリがジュリー。
2日目が四人囃子だったそうだ。
宿泊ってどうなってたんだろう?テント?
ロックのコンサート・イベントとしては「日本のウッドストック」みたいなものだからネェ、うらやましいね。私は生まれて来るのが5年遅かった。
そして、ナント同じ時間、同じ場所にこの後に登場する根本要さんもいらっしゃったというのだ。
「このことが自慢です。今日、このイベントを開催することができて本当にうれしくて…。
リハーサルを見ていてうれしくて泣いてしまいました。皆さんも泣きますよ!」
感動のMC!

1060vドラムからスタートしたのは「Rough Boy」。

1150vコレはZZ Topの曲なのか!
自慢じゃないけどゼンゼンわからないな。
でも、ビリー・ギボンズにはロンドンで1回会ったことがあるんだけど、私なんかにも気軽に声をかけて来てくれるすごく感じのいいおジイさんだったよ。ダスティもとても気さくな方だった。

1000もちろん野田さんと松川さんのギター・バトルもバッチリ。
ベックとSRVの共演か?それともジェフとビリーの共演か?
いずれにしてもゴージャスな組み合わせではあるまいか!

1070野田さん、楽しそう!

1100イヤ、2人ともギターを弾く楽しみを存分に味わってる!
2_s41a3204その2人を安定した低音で支える亜沙子さん。
コレを機にfacebookで友達になって頂き、やりとりをしてビックリ。
ジャズを大変よく聴いていらして、今般発売になったジョン・コルトレーンの未発表音源はCDもLPもゲットされたという。

1010_2それだけではなくて、彼女はKYOW-YAというSHOW-YAのコピー・バンドをされていて、10月20日にはell.FITS ALLで『NAONのNAGOYA』という一大イベントを今年も開催する。
おもしろいな~。
「尾張名古屋は芸どころ」っていってね。とてもお盛んでよろしいな。
 
NAONのNAGOYA 2018の詳しい情報はコチラ⇒facebook

1020vキタキタ~!定番の「Going Down」!
イケイケ、宮脇く~ん!Marshallがついてるぞ!

1040ココはもう皆さんに弾きまくっていただかないと!

1080いつかも書いたけど、ジャムセッション最強の曲のひとつだからね。

1090The BECKSのステージを締めくくったのは「Purple Rain」。
1110vこの曲はKoki Tetragonでも取り上げている松川さんの自家薬籠中の曲。
それだけに実にシットリと滑らかな演奏が展開した。

1120v

1130v

2_s41a3217

1045v思い入れタップリの舞台で充実の6曲を演奏した野田さん。
そして、この後はスピンオフ四人囃子。
1160v_2今日は最高の1日ですね~!…ニンマリ。

2_s41a2983 The BECK'sの詳しい情報はコチラ⇒The BECK's - JEFF BECK BOOTLEG NAGOYA - 

 
さて、冒頭でチョット触れた「新記録」ね。
何のことかおわかりになりましたか?
「いつになく長い記事だな…」とお思いになられた方、ほぼ正解。
本日掲載した写真の数は131枚。
80枚台は過去に何回もあるんだけど、100超えは今回が初めてのことだったのです。
最後までご高覧ありがとうございました!…イヤイヤ、このシリーズまだこれからですから!
 
四人囃子の詳しい情報はコチラ⇒①Official Web Site ②facebook

1170<中編>につづく

 

200_2

(一部敬称略 2018年5月12日 名古屋Bottom Line他にて撮影)

2018年7月 7日 (土)

私のフランクフルト <vol.1:2003~2006年>

 
一応説明しておきますと…このブログで使っている「私の〇〇」というフレーズは下の写真の本から借用です。
1973年から雑誌『暮らしの手帖(暮らしの手帖社刊)』に連載されていた、女優・沢村貞子のエッセイ『私の浅草』の単行本のタイトル。
沢村貞子は黒澤明の『七人の侍』の「七郎次」や『用心棒』の「新田の亥之吉」を演じた加東大介のお姉さんね。
長門裕之や津川雅彦の叔母さんに当たる人で、生年は1908年(明治41年)。
歌舞伎系の家柄ゆえ、浅草は観音裏の猿若町に生まれている。
猿若町は「江戸三座」と呼ばれる芝居小屋があった江戸後期屈指の繁華街。
それこそ『私のディープ浅草』で解説しているのでゼヒご覧頂きたい⇒コチラ
で、この『私の浅草』には、アメリカ文化に毒される前の、日本人がまだチャンとしていた頃の暮らし向きがごく自然に記してある名エッセイなのね。
若い頃はチョコっと読んでほっぽり出してしまったけど、こうして歳を取って読んでみると、興味深いことが実にたくさん書いてある良著なのだ。
従前よりMarshall Blogでは、国内外を問わずどこかへ出張した際の紀行文やエッセイを掲載してきた。
自分で言うのもナンだけどコレが存外に好評でしてね。
それに気を良くして、とても沢村さんには及ばないものの、『私の浅草』に倣って自分のエッセイのタイトルに「私の〇〇」と勝手につけさせて頂いている次第。
それで今日から何回かにわたって、『私のフランクフルト』と題して『Frankfurut Musik Messe』、要するに「ヨーロッパのNAMMショウ」の思い出をつづらせて頂く。
ナンだって「いきなりフランクフルト?」ということになるが、先日掲載したドイツ大使館のレポートを書いていたらすごく懐かしくなっちゃってサ。
…と言うのも、9回ほど訪れたフランクフルトは、私の今のポジションの原点のひとつでもありましてね。
楽しい思い出があるばかりでなく、Marshallや海外の文化に関する沢山のことをフランクフルトで学んだのです。

108_0r4a7635初めてフランクフルトの地に降りたのは2003年の春のことだから、さほど昔のことではない。
フランクフルトって、もちろんソーセージでおなじみのドイツの地名だけど、正式には「フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)」っていうんだよね。
だから機内のアナウンスなんかでは「当機はあと1時間でフランクフルト・マイン空港に到着します」とか言ってるね。
「マイン」というのは川の名前。
だからイギリスでいう「ニューキャッスル・アポン・タイン(タイン川沿いのニューキャッスル)」とか「ストラッドフォード・アポン・エイヴォン(エイヴォン川沿いのストラッドフォード)」とかと同じなんでしょうな。
世界4大文明も示すように、人間が川のそばで文明を築いてきたことのひとつの証ですよ。

10フランクフルト空港は世界最大級のハブ空港で、ルフトハンザ航空のホームだ。
ヒースローに初めて行った時もそうだったんだけど、初めてこの空港に来て、飛行機の発着の掲示板を見た時はブッたまげたよ。
知らない地名や、パッと見ではピンと来ないような地名がズラズラと並んでる。
成田では考えられない。
アフリカとか東ヨーロッパとか、成田から直行便が飛んでいないような国々の名前だね。
こういうのを見ると我々が住んでいる国のロケーションが「Far East」と呼ばれている理由を理解した気になる。
アッチからみると日本という国のロケーションは中途半端ではなく、「東のハズレ」なのよ。20入国審査のスタンプ。
飛行機のイラストが入ってるの。
ココの入国審査は、かつては信じられないぐらいユルかった。
もう一切何も訊かないで、次から次へとスイスイだった。ヒースローとはエライ違いなの。
ところが、テロの予告だか、ヨソでテロが起こったかなんかの時に丁度出くわしたことがあった。
すると箱根の「入り鉄砲に出女」よろしく、一変して「蟻の子一匹通させん!」みたいな雰囲気。
当然、不必要なまでに厳重な審査はいいように長い行列を作ってしまう。
「オマエら!今までのスイスイは一体何だったんだよ?!」と大声で文句を…言わなかった。
いいこと教えてあげようか?
この時、日本に戻る前にMarshallに寄ったんだけど、ヒースローに到着する前にトイレで何となく小声で英語の挨拶の練習をしていたら、トイレについているスピーカーから男性の声で「アナタ、一体そこでナニをやってるんですか?ナニをひとりでしゃべってるんですか?」と訊かれたのよ!
つまり、飛行機のトイレって盗聴されているんだよ。
もしかしたらカメラも付いているかもしれない…イヤ、間違いなく設置されてるんだろうな。

30初めて行った時、ドイツに住む家内の友人の家族がお出迎えに来てくれた。
到着して早々、おいしいドイツ・ビールをしこたまごちそうになってしまって顔が真っ赤だわ。
ご主人のクラウスは音楽が好きで、以前日本に住んでいた時、Marshallのイベントを観に来てくれたことがあった。
音楽の話をすると面白いよ。やっぱりドイツ人なワケ。
ドイツの人は重厚な伝統を守り抜く精神とそれをガンガンぶっ壊す精神が同居していると聞く。
だからベートーベンやワーグナーを崇め奉る一方ではフリージャズが大人気だったりする。
クラウスは伝統破壊派で、彼の口から出てくるバンドの名前となると、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンとか、アシュ・ラ・テンペルとかそんなんばっかり。
どんなことがあっても「スコーピオンズ」なんて名前が出て来ることはない。
ちなみに他のドイツの知り合いたちの口からも「スコーピオンズ」という名前が出て来るのを聞いたことがない。
私が「スコーピオンズ」の名前を口にした時、そのウチの1人は「ふ、古すぎる!」とビックリしていた感じだった。
私はジャーマン・プログレが苦手なので、クラウスとの音楽の話はいつもすぐに終わっちゃうんだけどね。
下は15年前のその時の写真。
クラウスが捕まえている小さな女の子はお嬢ちゃんのYukoちゃん。

_2cmコレがクラウスの現在の日本の住まいで、去年に撮った写真。
一番左が家内の親友で、その隣が上の写真のYukoちゃん。
15年経つとこんなに大きくなる。
Yukoちゃんの後に少し見えてるオジちゃん…ビジネス界ではスゲエ有名なお方。
それなのに、この時飲み過ぎて完全に正体を失っちゃって、みんなで担いで駅まで運んだ。
それが尋常ではない重さ!
ドイツ人って男性も女性もすごく大きいんだよね。骨格の頑丈さが日本人とケタ違いなのだ。
クラウスも大きくなってる?イヤ、私が縮んでるのか?2_2img_6829さて、フランクフルト。
私が知っている唯一のドイツ。
下はこないだのドイツ大使館の時にもチョット触れた「frankfurt Hauptbahnhof」、つまり「フランクフルト中央駅」の正面玄関。
空港から地下鉄ですぐ着いちゃう。
こっちの地下鉄って改札がないのよ。さりとて昇降している乗客を監視している駅員も見当たらない。
つまり、切符を買わずにいくらでもタダで乗れちゃう。
でも、「不正乗車を見つけたら、テメェ、タダじゃおかねーからな!」というお触れが駅や車内に掲げてある。
「タダよりコワいモノはない」とばかりに、コレにビビって不正な乗車をしている輩がいないようだ。
コレを日本でやったらどうなるかね~?
でも結局地下鉄で空港から市内に入ったのは1回だけだったな。いつもタクシーかホテルの送迎バスを利用した。
このタクシーがね~…コレはまた別の回で。

40フランクフルト中央駅前のようす。
「ヨーロッパ~!」って印象が強かったな。
ロンドンとは街並みがゼンゼン違う。

50初めて行った時に泊まったホテル。
Marshallの連中は「Park Hotel」と呼んでいたけど、正式な名称は「ル・メリディアン・パーク・ホテル(Le Meridien Frankfurt)」。
Marshallの定宿だった。
その後、何度も泊まっているウチにパキスタン風のボーイさんとも顔見知りになった。
1階に(ヨーロッパ風に言えばG階)に「カサブランカ」というバーがあって、「King of Casablanca」というピアノの弾き語りのおジイさんがいてね。
よくジムはその人のピアノに合わせてジャズのスタンダードを歌っていた。
最近、その「King of Casablanca」の近況を耳にする機会があったのだが、もう引退したかと思ったら、何かが当たって今ではテレビに出てるっていうんだよね。
大したもんだわ。

605つ星ホテルなんだけど、部屋はお世辞にも広いとは言えない。
寝るだけなので何ら問題ないんだけど。

65v_2部屋からの眺めもこんな感じで面白くも何ともない。
ま、寝るだけだからね。

65駅前の惣菜屋で買ったドイツ式ホットドッグ。
「カイザー」という丸いパンに長いウインナ・ソーセージを挟んで食べる。
「カイザー」は「皇帝」という意味。
ニューヨークのホットドッグのようなコッペパンは使わない。
正式な食べ方をドイツの友人に尋ねたが、特に決まりはなく、大抵ははみ出しているウインナの部分をかじってから、パンの部分を残ったウインナと一緒にカジっているようだ。
ま、当然か…。
味はというと、ウインナが極端にしょっぱいんだよね~。
ホットドッグはマンハッタンの$1のヤツが世界一おいしい。
総菜屋で売っているモノは、ハンバーグでも、シュニッツェル(ドイツ式トンカツ)でもウインナーでも、信じられないぐらい塩っ辛い。
血圧の高い人はおそらくハンバーグをひとかじりしただけで1日の許容塩分摂取量を超えるぜ。
ガマンして食べようものなら舌がビリビリしてくる。
何しろドイツにしばらく滞在してからイタリアに行った人なんかに言わせると、イタリアの食事は味がないように感じたっていうんだから。66『Frankfurt Musik MESSE』の会場へはホテルから歩いて20分ぐらい。
コレは途中にある古いビル。
夜になると若い人がウジャウジャ集まってくる。
1階がディスコになってるの。

70市内を走る路面電車のレール。
葉っぱかなんか生やしちゃって…こんな大都市なのにノンビリした感じでしょ?

80こんなヤツが走ってる。
かなりスリムな3両編成。

2_car MESSEの会場はもうすぐ。

90コレが国際展示場のシンボルのオブジェ。
「チューリップのアップリケ」というタイトルかどうかは知らない。

100vコレが入り口。

110vパスはこの名刺みたいなヤツ。
「O」とか「A」とかのアルファベットで「業者」や「ビジター」等の所属を表す。
ランヤードは無料。
で、このパス。
私が最後にMESSEに行ったのは2011年なんだけど、その時までこのパスで上の写真の路面電車に乗れることを知らなかった。
Marshallの連中もそれを知らなくて、路面電車に乗らずにホテルから会場まで、毎年毎日エッチラオッチラ歩いて通ったんよ。
私も人から聞いて知ったんだけど、Marshallの連中に教えてやったところ、みんな遠慮なく路面電車を使うようになった。

95会場に入る。
「Musik Messe」が開催されるのはいつも3月末から4月の上旬の間で、そう寒くもなく、暑くもなく、日本の同時期と同じ気候。

120vやっぱり目に付くのはこのメッセ・タワー。
1997年までヨーロッパで一番高い建造物で、今でも2番目なんだって。63階建。

130vこの教会のような建物はホールになっていて、Musik Messeの期間中、数々のイベントが開催される。
一度だけドラムのイベントを観るために中に入ったけど、中がもんのスゴく広いの。

140v会場の中庭のようす。
四方を囲んでいる建物がすべて楽器の展示場として使用される。

150よくみんな「メッセ、メッセ」と言っているけど、「Messe」というのはドイツ語で「Fair」の意味ね。
日本の楽器業界で「メッセ」と言うと、自動的にこの「Musik Messe」を指すけど、ココでいろんな「メッセ」があるワケ。
コレは楽器の展示会だから「Musik Messe」ね。「Musik」はドイツ語で「音楽」という意味。
でもMarshallの連中は「Messe」なんてひとことも言わず、みんな「Frankfurt」と呼んでいた。
175v会場はクラシック関連の楽器と軽音楽関連の楽器で展示棟が分かれていて、その他にも照明だけの展示の棟、PA機器だけを展示している棟など、はるか向こうまでMusik Messeの会場になってる。

170みなさん「ナム、ナム」と仏壇屋のコマーシャルみたいなことを言ってるけど、この「Frankfurt Musik Messe」こそ世界最大の楽器の展示会だ…ったんですよ。
「だった」というのは、グローバル化が進む中、楽器ビジネスの中心が中国にシフトして、多くの楽器メーカーが「上海メッセ」に重点を置くようになり、フランクフルトは急速に縮小しちゃったのです。
私が行っていた時は、毎回「過去最高の展示社数」を更新していて、最もにぎやかだった時代を体験させてもらった。 
NAMMなんかでもやってるけど、中庭には大きなテントが張られて一日中にぎやかな音楽が会場に鳴り響いていた。

160一応NAMMは「Traders Only」ということになっているけど、Musik Messeは初めから一般に開放している。
 
この左側の4階立てのビルが我がギター関連のブランドの展示場。
初めに行った頃、4階の展示スペースなんかは結構ガラガラだったけど、2011年になると、その4階の展示場も結構パンパンになっていた。
それが今や…トホホらしい。

180ああ~、なつかしい~!2003年のMarshallのブース。
開始前日の様子。
ギターもしくはロック関係の楽器の展示が建屋に入ってすぐの所にあったMarshallのブース。
となりは「Fダー」さん。
その2つがロック関係の展示で最大のブースだった。
どれぐらいの費用がかかるのかMarshallの仲良しに尋ねたことがあったが、「かるく家が1軒買えるほど」だとか…。
イギリスの家換算だから相当な額だよ。

190展示してあるアイテムにダミーは一切なし。
全てホンモノなので重いのなんの。
1個や2個だけ運んでハイ終わり…というワケにはとてもいかないので、腰にはとにかく要注意。
ま、Marshallの展示の設営が大変なのは百も承知。
ところが思わぬ伏兵が潜んでいてね…それがコレ。
ポスターやタログを入れるためのビニールのバッグ。
はじめから中にはイギリスの工場で人海戦術で詰めたカタログとステッカーが入っている。
コレが案外手ごわい。440vブース内の倉庫のようす。
下の写真の段ボール箱の中に入っているのは全部このバッグ。
いくつあったんだか知らないけど、デフォルト時にはこの段ボール箱でこのスペースがイッパイになっちゃう。
箱ひとつが結構な重量で、運び入れるのが地獄の苦しみだった。
そして、右下のポスターの束。
コレが無慈悲な重量なのだ。

450vコレは控室。
冷蔵庫や水道が完備されていて、お昼の前になるとMarshallの女子社員がサンドイッチを作ってみんなに配る。
先日来日した社長夫人のエリーもよく作っていたっけ。
驚いたことに、当時は会場内は喫煙OKどころかタバコ売りの婆さんが「シガレッテン~」とか言いながら展示場の中を日がな一日歩いて回っていた。
そんなだから、この控室も喫煙OK。
というのも、ジムが葉巻を吸っていたからね。
葉巻の灰を落としやすいとかで、いつもクッキーの空き缶の浅いフタを灰皿代わりに使っていた。
当時は私も吸っていましたが2006年にキッパリと止めました、ハイ。
何でもない写真だけど、撮っておくもんだね~。こんな景色なんかスッカリ忘れてた。
奥の戸の向こうがデモ・ルームになっていた。

415この時MODE FOURを発表したんだよね。200v皆さんもなつかしいでしょう?…AVT。
ザックが50Wのコンボを愛用していたように、とてもいいアンプだったよね。

230この年の前年の2002年はMarshallの創立40周年記念だった。
だからこんなクロニクルっぽいディスプレイが取り付けられた。
F_2ff1JCM800 2203も40周年を記念して前年に復刻されてリバイバル・ヒットとなった。

240vで、私はココで何をしていたのかというと、搬入と撤収の手伝いに始って、ポスターを巻き巻きしたり、カタログの補充、サイン会の列の整理、ブースに立ってお客さんを案内をしたり…要するにMarshallのスタッフと丸っきり同じことをさせてもらった。
お客さんはMarshallのブースにスタッフとして東洋人が突っ立っているもんだから、少しギョッとしてたけど、ほとんどは何も気にしないで平気で私に声をかけて来てた。
でも、ドイツ語なのよ。
よくドイツ人は英語がウマいと言うでしょ?
もちろん日本人とは比べ物にならないぐらい上手な人が多いんだけど、できないヤツもかなり多いよ。
そういう時どうするか…。
「English please!」…コレだけでいい。
コレを言うと英語ができないヤツは「おお、ダンケ」とか言って立ち去って行く。
こっちはホッとする。
だけど、中には「English please!」と言った途端、急にベラベラとヘタな英語で喋り出すヤツもいるんだよね。
まぁ、毎回いい経験になりましたよ。
私の体験で言うと、同じゲルマン語系民族ということもあって、オランダ人が一番英語がウマい気がするな。
で、毎年行ってると、うれしいことに顔見知りのお客さんができるんだよね。
今でも顔を覚えているけど、何かがキッカケである若いお客さんとイングヴェイの話になってね。
どうも彼は私が大の「イングヴェイ・マルムスティーン・ファン」だと思い込んじゃったらしい。
ま、多分私も調子に乗って「会ったことがある」ぐらいのことを言ったのだろう。
それ以来、その彼は毎年Marshallのブースに来て私を見つけては「ヘイヘイ!イングヴェイ聴いてる?」とか「イングヴェイどうしてるかな?」とか言って近寄って来るワケ。
「あのね、私は特段イングヴェイ・ファンじゃないのよ!」とも言えなくて逃げて歩いていた。

F_2ff3多くはなかったけど、ブースを訪ねて来るヨーロッパのミュージシャンに合うのも楽しみだった。
写真がもう色トビしちゃってるけど、コレはジョン・ポール・ジョーンズ。
ジムに挨拶に来たの。
実は、私はコレの前年に彼に東京で会っていたので、「私のこと覚えていらっしゃいますか?」と尋ねると「もちろん!扇子の彼だろ!」と即座に答えてくれた。

F_2jpj1その前年、JPJから要請を受けて、彼が出演するイベントにDSL100を貸し出した。
こっちもね、Led Zeppelinとお近づきになれるチャンスなんてそう滅多にあるもんじゃないので、挨拶に行った。
私は実際に4人のメンバーの中ではJPJが一番好きなのだ。大きさも手頃だし。
その時に手土産に持って行ったのが当時の販促品の「Marshall扇子」。
コレをプレゼントしたら大層よろこんでくれてね~。
それで私が「扇子の彼」なワケ。
この写真真っ暗だけど、昔の赤坂ブリッツ。まだ丘の上にあった頃。
そういえば、ココにタクシーでArch Enemyに4100を配達したこともあったっけな~。

F_2jpj2Focusのタイスなんかも来てたな。
下の女性はミュージシャンでもなんでもない。
ステファニーといって、現地で雇う通訳さん。
とても感じのいいステキな人でね。
ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、そして少しだけイタリア語ができるって言っていた。
そして、こんなことを言っていた。
「私はこうして色んな会社に雇われて、この展示会で通訳をしてきたの。今回初めてMarshallにお世話になるけど、今までこれほど家庭的な会社はなかったわ。
どこの会社も大抵すごく威張っている人がいて、みんなその人のご機嫌を窺って働いていたけど、ここはそういう人もいなくて、みんなすごく仲がいいわ!一緒に仕事をしていてとても楽しいの!」って。
ま、この頃はまだ「ジム・マーシャル」って大ボスがいたんですけどネェ。

_rimg0107右側はデモ・ルーム。
基本的には防音の環境が整ってないところで音を出してはいけないルールになっている。
昔、「爆音を出した、出さない」で主催者とモメたことがあったらしい。
Marshallが「じゃ、いいや。もう来年から出展しないわ」と切り出した途端、「チョチョチョチョチョチョ、それは困ります」ということで一気に主催者側が折れて解決した…という話を聞いたことがある。
Marshallはそれほど重要な出展者だった。

410中はこんな感じ。
この頃は現プロコル・ハルムのジェフ・ホワイトホーンとMarshall専属のプレイヤーがデモを担当していた。
で、ある時、ベース&ボーカルズのジャズ・ロウクリーがノドを潰してしまって声が全く出なくなってしまった。
そこでどうしたかというと、社員にものスゴク歌のウマいヤツがいて、その彼が代理で歌ったんだけど、ナント、上で紹介したステファニーもメッチャ歌が上手で、「Smoke on the Water」を歌ってた。
「誰、誰、誰が歌ってんの?」
「ステファニーだよ!」
スタッフ全員でステファニーを応援して、みんな家族みたいで本当に楽しかった。
「このままMarshallの社員になれたらいいのにな~」と思ったよ。

420朝はジムを囲んで…イヤ、特に囲んでいるワケではいないんだけど、Marshallのスタッフ全員でホテルのレストランで食事をするのがルールだった。
夜は夜で予定のない人が集まってみんなで街に食事に出かける。
コレがまたとても楽しかった。2_img_6908よく行ったのがマイン川を渡ったザクセンハウゼンというエリアにある「アドルフ・ヴァグナー」というドイツ料理店。260ザクセンはうぜんではかなり有名なお店。

270店内はこんな感じ。
とにかくいつでもギュウギュウに混んでる。

2_resこのレストラン、ドイツなのにビールを全く置いてないの。
ナニを飲むとかというと「Apfelwine」…ザクセンハウゼン名物のリンゴのお酒。
コレばっかり。
家庭で作った梅酒みたいに、手作り感が中途半端ではない。
写真にあるピッチャーに入っているアプフェルヴァインをコップに入れて、好みに応じてスパークリング・ウォーターで薄める。
炭酸水で薄めるのは、グイグイいっちゃって知らぬ間にベロンベロンになっちゃうのを防ぐためだとか。
でもアルコール度数がゼンゼン高くないので、そんな心配は無用。
それより酸っぱくて、酸っぱくて!でもおいしい。

280料理は完全にドイツ料理のオンパレード。
下は日本でもおなじみにシュニッツェルね。猛烈においしい。
こういうところの料理はそれほど塩っ辛くないので大丈夫。
でも日本の料理に比べると圧倒的に塩分は多めだ。

290後はとにかく肉、肉、肉。
ステーキのような牛肉ものもあるけど、豚肉料理が多く、実際その肉の味が実によろしい。
ただし味付けはトコトン濃くて油っこい。
だからあの酸っぱくてサッパリしたアプフェルヴァインが合うのかもね。
サラダのドレッシングなんかも、「罰ゲーム」かと思うぐらい酢がキツい。
酢が苦手な私はとてもじゃないけど食べることができなかった。

300中庭もあって、夜空の下でワイワイやることもできる。

2_awo 下はその時のようす。
つまり、私が初めてドイツに行った時のこと。
ほとんどの人の顔にモザイクがかかってるでしょう?
そういう人たちはもうMarshallにいないということ。
モザイクがかかっていないのはIT関係の仕事をしている役員のゲイリーと私だけ。
ワタシ、Marshallの中でもうスッカリ古株なんですわ。
で、この時、この中の誰かが私にこう訊いた。
「シゲ、このレストランの名前になっている『アドルフ』っていうドイツの名前を知ってるかい?」
私は「もちろん!コレでよく知られているからね!」と、まっすぐ伸ばした右手を斜め前に上げた。「ハイル・ヒトラー」のポーズだ。
すると、その私の仕草を見て、それまでワイワイ楽しそうにやっていた全員の表情が瞬時にして凍りつき、「Nooooo!!!!!!, Shigeeeee!!!!Don't do tha~t!!!!!!!!」と一斉に私に飛びかかって来た!
まぁ、ビックリしたよ。
私は何が起こったのか、何がそんなにみんなを驚かせたのかがわからなかった。
ドイツでこのジェスチャーを公衆の面前ですることは法律で厳に禁じられているということを知らなかったのだ。
私の読書の中心にはまず吉村昭がいて、太平洋戦争、幕末、戦国(コレは時々)を主題にした著作ばかり読んでいるんだけど、イギリスの歴史ものとホロコースト関係の書籍もなるべく読むように努めている。
だからホロコーストのことについても少しは勉強をしているつもりだったんだけど、まさか法律で定めてあるとは知らなんだ。
ある会社のドイツの駐在員が、日本からやって来たお母さんを空港で出迎えた時、ゲートから出て来た彼女にむかって「こっち!こっち!」と右手を斜めに上げて手招きした。こんなの誰でもするでしょ?
ところが、コレだけで周りの人から猛烈な抗議を受けたという話も後に聞いた。
恥ずかしいね。
日本はこういう世界的な標準や常識を教えることをしない世界の田舎国なんですよ。
私だけ知らないでいたのだったらゴメンなさい。
このことは、連中にとっても驚きだったようで、翌年、ほぼ同じメンバーでこのレストランに来た時、その中の誰かが真っ先に「シゲ、去年キミがココでナニをやったか覚えてる?」と言われたよ。
それほど衝撃的だったというワケ。
F_2ff6ある日、みんなと会食に行かずに、夕方ひとりで地下鉄に乗って街に出てみた。
ともすれば、フランクフルトで見た景色がMarshallのブースとホテルの天井だけになりそうだったらね。
なんか殺風景なんだよ、街が。
何となくサメザメ~としてる感じがするの。シラけているというか…ロンドンなんかとは全く雰囲気が違う。
ココも大戦中、連合軍の空襲によって市街地の70%が破壊されたというからね。
新しい建物が多い。

310ドイツ人の友達が言っていた。
「シゲ、ドイツはとても美しい国なんだ。フランクフルトを見て、コレがドイツだなんて間違えても思わないでくれよ!」って。
その彼のお父さんは東ドイツのスパイで、西側に拘束された時の拷問が原因で発狂してしまった…とか言っていた。
そんな話をごく普通の友人から聞いてごらんよ。スゴいショックだよ。
我々、今の日本で暮らしていている限り、そんなこと考えたり、想像したりすることなんて絶対ないからね。

320vよって、好きな古い建物がもなくてツマらん!
デヘヘ、ウソ。
ココがツマらない理由は中古レコードが見つからなかったからだよ。
私にとっての「いい街」は「いい中古レコード屋」がある街なのさ。
翌朝、ブースで「昨日、シゲは1人で何をしてたの?」なんて訊かれて、「地下鉄に乗ってひとりで街を見に行ってきた」と伝えると、それを横で聞いていたジムの運転手を務めるジョンが怒り出した。
「シゲ!夕方に1人で街になんか出かけては絶対にダメだ!ココは世界で一番たくさんの人種が集まっているところで危険極まりない街なんだ!Marshallの連中も外では3人以上で活動するルールになっているんだぞ!」
私をからかっているのかと思ったら、ジョンは真剣に怒ってた。
でもそれを聞いてマジでビビったわ。

330最後のザッパのバンドのサポート・ギタリスト、マイク・ケネリーと1枚。
ベースのブライアン・ベラーと2人きりで「Inca Roads」とか「What's New in Baltimore」を演奏していて大感動。まさに超絶!
「Carolina Hardcore Ecstacy」の弾き方を教わっちゃったしてうれしかった。
マイクとはホテルが一緒で、朝食の時にマネージャーとザッパ談義をしたのがすごく楽しかった。
ふたりとも一番のお気に入りのアルバムが『One Size Fits All』ということで朝から盛り上がった。

_2mk_2翌2004年にはMarshallからご指名を受けた。
うれしかった。
一生懸命やったからね。見てくれている人は見ているもんです。
ブースの設営や解体はもちろん、ポスター巻き、会場の整理、お客さんへの応対等、「オレが、オレが」と何でもすすんでやった。
ナゼならそれがメチャクチャ楽しかったし、面白かったから。
でも一番彼らが感心していたのは…ゴミ拾いだったのではなかろうか?
朝、ブースに行くと、前日の来訪者のゴミが落ちているワケ。
掃除の業者が入ってそれらを片付けるんだけど、こっちはそんなこと知らないから、ゴミを拾って歩いたんだよね。
その私の姿を見て驚かれちゃったワケ。
「おい見ろよ、シゲがゴミを拾って歩いてるぞ」という声も聞こえてきた。
こないだのサッカーの日本チームの控室じゃないけど、我々ってそういうの何かイヤじゃない?
自分のゴミでなくてもつい片付けたくなっちゃう。
向こうの連中は格差社会の影響があるのか、そういうことをするのが信じられないみたいなんだよね。
それと、もうひとつみんなが感心して面白がってくれたのが英語の学習。
英語に浸かって過ごすなんて、こっちにしてみると生のイギリス英語を勉強する千載一遇のチャンスじゃない?
そんなチャンスを逃すまいと一計を案じたのは、小さなメモ帳をいつも首からブラ提げておいて、知らない英語表現に出くわすたびに「今の英語ナニ?教えて!教えて!」と頼んで、都度そのメモ帳に記していった。
これが連中にも面白かったらしくて、しばらくすると、「シゲ、コレ知ってる?」と向こうから教えて来てくれるようになった。
今でも同じようなことをやってるんだけどね。しかし一向にウマくならん(I don't get any better)
 
替わって2005年。
どういうワケか、2004年の写真が出てこなかった。
Marshallのブースの模様替えは2年に1回。つまり、2回連続でブースが全く同じ造作になる。だから2003年と同じデザインだった2004年は写真を撮らなかったのかも知れない。

340ズラリと並んだ歴代のスタックのディスプレイ。

3502005年は100Wモデルの生誕40周年を記念してMarshall初の100WモデルJTM45/100が復刻された。
この8x12"のキャビネット、本当にスピーカーが入っていて、オッソロシク重かったの。
いくら屈強な白人でも、コイツを取り扱う時だけは、「おーい!」と仲間を呼んで数名で動かしていた。
そんなんだもん、ピート・タウンゼンドも諦めざるを得なかったワケよ。
このキャビネットは現在でも工場のミュージアムに飾ってある。

400コレはこの復刻モデルの取扱説明書。
「Go over big with Marshall」というのは当時使っていたキャッチ・コピー。
「go over big」というのは「成功する」という意味。
ま、「Marshallでひと山当てよう!」ってところ。
8x12"にしてしまうと、上に書いたようにデカいわ、重いわでニッチもサッチもいかなくなってしまうので初めから4x12"を2台重ねて8x12"に見える仕様にした。
日本に6台入れて、そのウチの1台は誰もがご存知の大人気ミュージシャンが即決で買ってくれた。

2_2jtm100 何回も書いてるけど、また自慢しちゃお。
このモデルを復刻するにあたって、1ヶ所回路に不明な点が見つかった。
実機を観れば一目瞭然なのだが、その時はリファレンス機が工場になかった。
それで、Marshallは実機が日本にあることを突き止め、オーナーに頼んでその不明な部分を写真に撮って送るように頼んでくれ…と言って来た。
そのオーナーこそ現Marshall Museum Japanの館長の竹谷和彦さんで、当時はまだ面識がなかったが、連絡を取ってこの作業をお願いした。
竹谷さんは快諾してくれて、すぐに対応してくださり、このモデルが完成したというワケ。
それで、Marshallはこの取扱説明書のスペシャル・サンクスに竹谷さんのお名前を掲載し謝意を示した。
ケン・ブラン、マイク・ドイル(マーシャル本の著者)、ジョン・エントウィッスル、ピート・タウンゼンドらの名前に並んで私の名前も入れてくれちゃったのだ。

2_2jtm100r MGとギターを組み合わせた「Rock Kit」という初心者向けの商品を発売したのもこの頃だった。
この商品には教則DVDが入っていて、日がな一日、ブースのディスプレイでそのDVDを流していた。
そのDVDのオープニングに使われていた音楽が「♪ビヨ~ン、ビヨ~ン」とかなりミョウチクリンなモノで、4日間、朝から晩までズ~っとそれを聞いていたもんだから耳にこびり付いてしまって、日本に帰ってからもそれがアタマから抜けるまで不快な思いをした。
それでもこのコーナーは若い子で大賑わいだった。

360MGシリーズはStatic Xのウェイン・スタティックがMGのイメージ・キャラクターだったんだよね。
この人も亡くなってしまった。
渋谷のO-EASTで生前の彼の演奏を観たんだけど、本当にMG100を使っていて、それまで聴いたことのないような、他に類を見ない独特のサウンドだった。
ホントに向こうの人は「人と違ってナンボ」が第一だからね。
そして、アンプが自分のサウンドを作る重要な楽器であることをよく認識していると感じた。
アンプに対する感覚や意識が根本的に日本人とは異なっているような気がする。

370ラック…なつかしいな。

380vAVTの島がこんなに小さくなっちゃった。
こういうの日本語で「島」って言うじゃない?コレ、英語でも「island」って言うんだよ。
ついでに…上の写真なんかで、アンプをラックに固定するために横に飛び出してる黒い部分があるでしょ?
我々はこういうの「耳」っていうよね?コレ、英語でなんて言うか知ってる?
「ear」っていうんよ。簡単じゃんね。

390グッズの販売コーナーは年々拡大して行った。

430セット完了。
開場前のようす。
左下に写っているのはジム・マーシャル。
ジムの仕事は何といってもサイン会。
毎回、呆れるほどの長い行列ができた。
ジムはサイン会の時以外でも、コマゴマと色々な作業をしていたナァ。

500Messeの期間中、大抵2日目ぐらいの夜にMarshallの関係者が集まるパーティが催された。
いわゆる「Marshall Party」。
世界中から集まったディストリビューター、関係業者、ミュージシャン、ジムの友人等々、参加者が200人を優に超える大パーティだった。
興が乗ってくるとジムの出番となる。
よく「S'wonderful」とか「Somebody Loves Me」とかジャズのスタンダードをア・カペラで歌ったりしていた。
この時はまだジムもピンピンしていて、ドラムスを叩いたんだね。
左手の甲に黒いバンドしてるでしょう。
神経痛だったんだろうね、私にも「左手が痛くてネェ」なんてよくコボしていた。

510演奏しているのはもちろんジャズ。
ジーン・クルーパがジムのヒーローだから。
若い頃のジムのドラミングなんて見てみたかったナァ。

520最終日。
恐怖の撤収作業。
この作業は「空き箱との勝負」となる。
期間中、ココから少し離れたところにある倉庫に空き箱が保管してあって、まずそれを取りに行って来ないと作業が進まない。
これだけの量だから空き箱も中途半端な量ではないんよ。
それらをいかに早く取って来るかで明暗が分かれる。
いつか、5時かなんかにシヨウが終わって、空き箱が到着したのが9時ぐらいだったことがあったからね。
それから大急ぎで作業をしてアッと言う間に終わらせて帰ったんだけど、お隣のFダーさんは我々が現場を離れる時になってもまだ空き箱が到着していなかった。
皆さん、さぞかし怒り心頭かと思うと、車座になってみんなでギターを手にして(ギター屋さんだから)楽しそうに歌を歌ってんだよ。さすがアメリカ人!
もうひとつこの作業で厄介なのは、商品と空き箱に付いているシリアル・ナンバーを合致させて箱に入れなきゃならないこと。
誰かが空き箱のシリアル・ナンバーを読み上げるんだけど、当然ブッ速い英語でしょ?
コレを聴き取るのが結構大変なのよ。
ま、今なら何でもなく聞き取れると思うけど、今度は体力が追いつかん。
だって、この頃は今より最大15歳も若かったんだから!

_rimg01082006年。
ね、2005年とほぼ造作は同じ。

540違いといえばこんなのが登場したぐらいか?

108_rimg0002この年もとても楽しかったな~。
もちろん一生懸命働いた。

560<不定期につづく>

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(一部敬称略 2003~2006年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)