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2025年5月23日 (金)

山口県 長州友の会 featuring 田川ヒロアキ~私の山口県

  
いきなりで恐縮ですが…。
人様が夕べ見た夢の話と他人の卒業アルバムほどツマらないモノはないのを承知で今日は古い写真と共に私事で始めさせて頂く。
下がそれ…生まれて初めて山口県を訪れた高校の修学旅行の時の写真。
写っている連中もかなり年嵩を増し、見た目の原型をとどめていないであろうことより、モザイクなどかける必要はないと思ったが、あまりにもバカ面をした輩が多く、我が母校のレベルを推し量られてしまいそうだったのでやはり顔を隠すことにした。
最前列のほぼ真ん中で1人だけそのバカ面を臆面もなくさらけ出しているのが筆者である。
学力の程度は低かったが、今にして思うと当時の修学旅行としてはなかなか豪華なものではなかったか?
セッセと費用を積み立てて文句ひとつ言わず行かせてくれた両親には今更ながら感謝するばかりだ。
その修学旅行は、①北九州②南九州③四国④山陰&山陽の4つのコースの中から好きな行き先を選ぶことができるシステムを採っていた。
案外みんな「修学旅行の行き先なんてどこでもいいわ!」的な態度をとっていたが私は違った。
何の迷いもなく④の山陰&山陽のコースを選び、「一緒に行こうゼ!」と仲の良いクラスメイトを熱心に誘った。
広島の「原爆記念館」や倉敷の「大原美術館」を見てみたかったこともあったが、当該のコースを選んだ一番の理由は「秋芳洞」が見学コースの中に含まれていたからだった。
子供の時からどうしても日本最大級の鍾乳洞の神秘的な光景を自分の目で見てみたいと思っていたのだ。
そして、46年前に「秋吉台」で撮ったのが下の写真というワケ。
夢にまで見た秋芳洞は期待以上で、まさに旅行のハイライトだった。
仲の良いクラスメイトと自由に見て回った萩の町もとても楽しかった。
 
今日はタイトルにある通り、山口県関連のイベントのレポートなので、この後まずはしばらくの間「私の山口体験」にお付き合い頂く。
というのは…私は青森、秋田、岩手、佐賀、熊本以外の道府県はすべて行ったことがあるのだが、今回この記事を書くに当たって考えてみたところ、ホームである東京周辺や転勤の赴任先の周辺の県を除くと、大した回数ではないにしろ、期せずして山口県に一番数多く行っているような気がするから。
それはとりもなおさず今日の主役の田川ヒロアキさんのおかげもあるのです。 10_2
修学旅行の後、長い間山口県にお邪魔する機会はなかったが、18年後に宇部に赴くことになった。
某総合化学品メーカーに就職した私はセメントを担当し、そのつながりで宇部興産の工場を訪れたのだ。
セメントの主原料は石灰石で、その宝庫である秋吉台を擁する山口県には「小野田セメント」、「徳山曹達」、宇部興産といったセメントを製造する会社の工場がひしめき合っていた。
「いた」と過去形にしたのは、もちろん現在も工場は稼働しているものの、会社名やブランド名が片っ端から変わってしまったから。
しかし、宇部興産の工場って信じられないぐらい巨大で本当にブッタマげた。
私が勤めていた会社の新潟にあるメインの工場を初めて見た時もそのスケールに驚いたけど、そんなのチャンチャラおかしいぐらいだった。
何しろ「伊佐鉱山」という石灰石を採掘する山から工場までの山間を貫く全長32kmのプライベート高速道路があるんだよね。
もっともコレは本末転倒で、本来は鉱山の近所に工場を建設するものなんだけどね。
夜もみんなで宇部の町へ繰り出して案外いい思い出になった。
この時が私にとって2回目の山口県。20_2さてその後、どうしても音楽に関する仕事がしたくて自慢の英語力を活かして(←ウソ。今でも苦労のしっぱなしです)輸入楽器の商社に転職。
2006年にまた山口県に行く機会が訪れた。
今度の行き先は「熊毛郡の田布施」だった。30_2田布施にイギリスの本家が認めたマーシャルの蒐集家がいらっしゃって、そのコレクションを取材するためにはるばるお邪魔したのだ。
下がその時のコレクターのお住まい。厩がそのまま残っているとても大きくて古い民家だった。
もうスゴいコレクションで、丸2日間、ココの倉庫にこもって氏が所有されているアイテムをひとつひとつ調査させて頂いた。
そのコレクションは以前このMarshall Blogで紹介していたのだが、私の退職により記事は消滅。
近い将来「Marshall Museum」として今のこのMarshall Blogに復活させるべく現在準備中。
山口の財産ですからね。75この時からさかのぼること1年、2005年にマーシャルは同社が開発した世界初の100ワット・モデルの生誕40周年を記念して、限定でオリジナル品を忠実に再現するリイシュー・モデルの発売を企画した。
ところが、再現にあたり回路上どうしても不明な点が出て来てしまい、オリジナルの基板を参照する必要に迫られた。
しかし、マーシャルにもオリジナルのアンプは残っておらず、今となっては激レアのモデルだけあって、ロンドンのデンマーク・ストリートの楽器店も並んでいるワケもない。
そこで白羽の矢が立ったのが「田布施のマーシャル・コレクター」。
一体どこで調べたのかは知らないが、マーシャルから私のところに連絡が入り、コレクター氏にお願いして指示する回路の場所の写真を撮ってイギリスへ送ってもらってくれという。
私は田布施に行く前に氏とは面識があったのでメールでその旨をお願いし、氏が即座に対応してくださった。
そうして無事に完成したのが下のモデル。
写真はその取扱い説明書で、裏表紙には協力に対する感謝の印として、氏と私の名前が表記された。
大変な高級品でとても買い込む財力はないので、私はマーシャルに頼んで取り扱い説明書だけ頂戴して来た。
大ゲサに言えば山口県と深い関係のあるモデルなのです。Jtm さて、コレクションもすごかったが、もっとスゴかったのがこの時に泊まった田布施駅の横にあるこのビンテージ感丸出しの古宿。
寅さんは新幹線とホテルがニガテでどこへ行くのも鈍行列車とバス、そして宿泊は必ずひなびた旅館だった。
ちなみにそういう旅館の中居さんの役を毎回演じた女優を「谷よしの」さんという。
でも、コレは寅さんでも敬遠するのではないか?40玄関の唐破風屋根がシブすぎる!
昔はさぞかしにぎやかだったんでしょうナァ。
Rimg0181 中に入ると、サイズは小さいが『用心棒』の「新田の丑寅」が降りて来そうな佇まい。50「桑畑三十郎、イヤもうすぐ四十郎かな?」の風情で2階に上がる…夜になるとこの階段の踊り場が滅法コワかった!
60_2部屋は全く普通だったが、洗面台の蛇口からお湯が出ず冷水で歯を磨くのに四苦八苦させられた。
Rimg0172 帰りはそのコレクター氏愛用のオート三輪で「柳井」の駅まで送ってもらった。
私が子供の頃は東京でもこういうのがまだ普通に走っていたものだったけどねェ。
コレが3回目の山口。
柳井から鈍行列車に乗って右手に瀬戸内海を見ながら広島まで行き、新幹線に乗り換えて東京まで戻ったのだが、あの海の美しさは今でも忘れられない。
この時は行きも帰りも電車だった。
イヤ、大阪出張のついでに田布施まで足を延ばしたのかも知れない。
766年後の2012年3月、4回目の山口はその柳井にお邪魔した。
80_2私は空襲に遭わずに地方に残っている古い町並みを見て歩くのが大好きなので、この柳井という町は至極魅力的だった。Img_2376 「金魚提灯」は買わなかったけど、醤油はお土産に持って帰りました。Img_2387 ところでナゼ今度は柳井だったのか…。
先のコレクター氏が柳井市にスポンサーを得て、マーシャルの博物館を開館することになり、それに先駆けてコレクションの写真を撮って展示品に添える正式な解説文の執筆を依頼されたのだ。
それでカメラを持参してコレクションの撮影をしに行った。90_2朝早くから夜遅くまで丸5日間、館内にカンヅメになって写真を撮り続ける労苦は並大抵のモノではなかった。
どれもかなり重量が嵩むので腰がガタガタになったわ。
Img_2112 その2か月後の2012年5月、ちょうどマーシャルの前社長のアジアへの出張とタイミングが重なり、日本に寄ってミュージアムのオープニング・セレモニーに参加してくれることになった。
羽田で社長と落ち合って宇部空港から柳井へエスコートするのはもちろん私の役目。
社長はそれこそ今日の記事の後に出て来る「KRY」や「NHK」の取材を受けた。
ヒョッとしたらこの記事をご覧頂いている山口の人でそのインタビューをテレビでご覧になられた方もいらっしゃるかも知れない。
この時「いろり山賊」という山の中のどデカイ飲食店に連れて行ってもらったのだが、どうにも遠くてバスの中で社長と2人で「一体どこまで行くんだ?」と大いに心配したことを思い出す。
それもそのハズ…「山賊」というお店は岩国にあるのね?
その時が5回目。Img_47642012年はマーシャル社の創立50周年に当たり、シンコーミュージックが「ヤングギター」誌の別冊で記念のムックを編んでくれることになった。
そこで8月に取材のために担当の編集員をマーシャル・ミュージアムにお連れした。
コレが6回目の山口行き。
だからこの年は3回も山口県にお邪魔したことになる。
そして、『Marshall Chronicle』と題されたこの本は2012年12月12日に上梓された。
本の約70%は私の文章と写真で構成されていて、内容についてもアイデアを積極的に取り入れて頂きたくさんの紙幅を割いて頂いた。
この仕事は本当にオモシロかった。
コレも山口県のおかげなのです。100b7回目の山口はその3年後の2015年。
お待ちかね!…ココから「山口県の田川ヒロアキ」が登場する。
以前にも宮古島のフェスティバルに取材で呼んでもらったりしたのだが、ヒロアキくんの故郷である山口へ一緒に訪れたのはコレが初めてのことであった。
8月上旬、「山口きらら博記念公園」で開催された『世界ボーイスカウトジャンボリー』という大きなイベントだった。
イヤ~、信じられないぐらい暑かったわ~。
ベトナムを別にすれば、多分、自分の人生で一番暑かった日だと思う。
100_2夜になってようやく暑熱も収まった頃、ヒロアキくんがステージに登場し、出番の後半では「村岡山口県知事」とのギター共演を果たした。
その時のようすはコチラ。
  ↓  ↓  ↓
世界ボーイスカウトジャンボリーの田川ヒロアキ <前編>
世界ボーイスカウトジャンボリーの田川ヒロアキ <後編>

110そして6年後のコロナ真っ最中の2021年5月、萩で開催された東京オリンピックの聖火リレーのイベントにヒロアキくんが呼んでくれてその様子をマーシャル・ブログで取材させて頂いた。120_2よさこいの「馬関騎兵隊」を従えた賑やかで楽しいパフォーマンスだった。
その時のようすはコチラ。
  ↓   ↓   ↓
TOKYO 2020 OLYMPIC TORCH RELAY<前編>
TOKYO 2020 OLYMPIC TORCH RELAY<後編>

130この時、自由時間をタップリと取って萩をジックリと見て回った。
歴史に関する種々の知識を蓄えて再訪した萩は、修学旅行の時をはつかに上回るオモシロさだった。
530どういう風にオモシロかったのかはコチラをご参照願いたい。
公開当時、萩の方々からもおホメの言葉を頂戴した「我ながら…」の会心作。
   ↓   ↓   ↓
【Shige Blog】私の萩<前編>
【Shige Blog】私の萩<後編>

140だから山口県にお邪魔したのは都合8回ということになる。
「たった8回?!」と笑わば笑え。
冒頭に書いたように他の県の数々を訪れた回数に比べると断トツに多いのだ。
ナンダカンダで私もマーシャルに関わり出して今年で27年。
この山口に関連した仕事は自分のキャリアの中でも楽しい業務の数々だった。
しかし、残念なことがひとつある。
それはヒロアキくんの故郷である肝心の「下関」には一度も行ったことがないのだ。
下関は「日本映画史上最高の女優」と評価される「田中絹代」さんの故郷で、市内の「田中町」というところに「田中絹代ぶんか館」という施設があることを耳にした。
行ってみたい!
今、この記事をご覧になっている下関ご出身の皆さんの中に「溝口健二」監督の『西鶴一代女』をご存知ない方もいらっしゃることであろう。
ご覧なさい…特に若い人。年寄りの言うことはきくものです。
絹代さんはアナタの町の大英雄ですよ。
私なんか北鎌倉の「円覚寺」のお墓にお参りに行きましたよ。
この作品は『The Life of Oharu』として1952年のヴェネツィア国際映画祭で「国際賞」を獲得した大変に優れた映画です。
小津、黒澤と並んで世界的な評価が高い溝口作品には玉石混交の感があることは否めないが、コレは「玉中の玉」です。
Haru「木暮実千代」さんも下関の出身で、絹代さんの推薦で女優の道を進むことになったそうだ。
上の溝口さんの『祇園囃子』とか小津さんの『お茶漬けの味』とか、キリっとしててカッコいいんだよね~。
木暮さんはルックスや役柄のイメージとは異なり、プライベートでは福祉活動にも進んで参加するとてもやさしい人だったらしい。12_koguそれと、「藤原義江」も下関なんですってネェ。
藤原さんは「浅草オペラ」で活躍した混血のテノール歌手。
日活のトーキー第1号映画に出演してそのノドを披露した。
ちなみに日活の創設者のひとりは「梅屋庄吉」という長崎の人で、「辛亥革命」を指導した「孫文」のパトロンだった。
藤原義江のお父さんはスコットランドの人で、幕末から明治にかけて長崎でビジネスを展開した「ホーム・リンガー商会」の下関支社である「瓜生商会」の支配人をしていた。
「リンガーハット」って長崎ちゃんぽんや皿うどんのチェーン店があるでしょ?
あの「リンガー」は「ホーム・リンガー商会」を設立した「フレデリック・リンガー」のこと。
藤原さんについては私もよくは知らないけど、「高峰三枝子」と宝塚の大スターだった「轟夕起子」と「月丘夢路」を主役に据えた『米英撃滅の歌』という映画を観たことがある。
敗戦間近の1945年3月に公開されたプロパガンダ映画。
主演の3人が銃後の若き女性の気持ちを歌う「乙女の旅唄」という挿入歌は西城八十と万城目正(まんじょうめただし)による大名曲。
3人とも歌がとてもうまいので、ポップなメロディのクラシカルな仕上がりが何ともいえず味わい深い。
やはり昔の流行歌はベラボーにクォリティが高かった。
12_yosi以上が「私の山口」…もう漏れはないかな?
 
さて、今日は初めてお邪魔する六本木の「BAUHAUS」から。
『山口県 長州友の会 featuring 田川ヒロアキ』と銘打ち、山口県の皆さんが集う会合に下関出身の田川ヒロアキが出演した際のレポート。10ステージはこんな様子。
Marshallのハーフ・スタックが2セット…いい感じ!20まずは冒頭に「長州友の会」の運営委員である有吉勝昭さんが登場してひとことご挨拶。
「皆さん、こんばんは。
今日は初めての試みでございます。
山口県下関が生んだ田川ヒロアキを『応援したいナァ』と思いつつ、『どうなのかナァ』とも思ってココまで来たんですが今回企画させて頂きました!
今日はマックスの入りでございます。
両サイドのスピーカーの前は爆音席になりますので気を付けてください」
30「今回のこの会場であるBAUHAUSさんは田川さんにご紹介頂きました。
ココに1回来ましたら中学生の時を思い出すような楽しい時間でした。
たぶん今日お集まりの皆さんも楽しんで頂けると思います。
ではさっそく会をスタートしたいと思いますので、昭恵さん、乾杯の音頭をお願いします」40v会の発起人の安倍昭恵さんは車イスの上からのご挨拶。
「皆さん、こんばんは。
お久しぶりの方も多いと思います。
私、転びまして骨盤にヒビが入ってしまい、今車イスです。
私の日程を考慮して今日の日を決めて頂いていましたので『ナンとしてでも来なきゃ!』と思ってお邪魔させて頂きました」
ウワッ、どうかお大事に。
50v「田川さんは本当に素晴らしいギタリストだと思いますので、これからも皆さんで応援をしていけたらと思います。
また、世界には色んなことがありますが、山口県を中心にいい世の中になるように皆さんで今晩は楽しく演奏を聴いて懇親を深めたいと思います。
それでは乾杯したいと思います。
長州友の会の益々の発展と田川さんのこれからの益々のご活躍を祈念して…」60「カンパ~イ!」70「ありがとうございます!
長州友の会ももう17年を迎えております。
今年は『大懇親会』をやることが発表されましたのでよろしくお願いします」
有吉さんが会の段取りを説明して懇親会がスタートした。S41a0004ワイワイガヤガヤ…
食事や飲み物が用意されたカウンターは大にぎわい。80「今日はみんなテンションが違う感じがしていますね。
あと2分でいよいよ山口県下関が生んだ田川ヒロアキが登場します。
今日初めて観る人?田川さんの演奏を初めて聴く人はいらっしゃいますか?
(いくつか手が上がる)
スゴイですよ…ボクは彼のことを『可能性の男』っていつも言ってます。
一緒に皆さんに楽しんで頂きたいと思います」
撮影や録音禁止等、上演中の注意事項を説明。
「さらに彼の音楽を楽しみたい方は、今日はCDを販売しています。
田川家の家計を支えなければならない我々山口県人…皆さんでTシャツ、タオル、CD等をゼヒお買い求めくださいね!
では、山口県下関が生んだ天才ギタリスト、田川ヒロアキの登場です!」S41a0005有吉さんのご案内通り、会場の屋台村には最新CD『THE ROAD SEEKER』やTシャツを並べた。
90そして、長州の皆さんがおまちかねの田川ヒロアキ登場!110_ss1曲目はヒロアキくんのステージのオープニングではおなじみの「Seascape」。
海沿いで育ったヒロアキくんが海をイメージして作った1曲。120もちろんヒロアキくんはMarshallを使用。
今日は「JCM900 4100」と「1960BX」。130vいつも使っている「JVM210H&1936V」でなくてもMarshallであれば問題なし。
早速美しい「タガワ・トーン」を聴かせてくれた。140v続けて2曲目は「Driving Jam!」。150_dj昨年リリースしたサーキットやドライブ・ミュージックを集めたヒロアキくん初のベスト・アルバム『THE ROAD SEEKER』収録の1曲。
「ロード・シーカー」?それはナンでし~か?
タイトルに関しては『題を求める人』という短編小説が編まれているのでゼヒご覧くださいまし。
   ↓   ↓   ↓
田川ヒロアキ~New Album Release Live 2024 「ROAD」づくしの<後編>

12_images シンプルなリフに軽快なスキャット…160vパカパカとパーカッション代りにギターを叩くパートが楽しいファンク・チューン。S41a0026 シャープなギター・ソロからの展開がスリリングだ!
170「こんばんは!
皆さん、ようこそお越しいただきました、田川ヒロアキです。
『長州友の会』初のライブ懇親会を企画して頂きました。
有吉さんをはじめ、幹部の方々が1年以上前から『長州友の会』で田川くんのライブを企画したい…と念仏を唱えるようにおっしゃってくれていたんです。
ようやくその日が迎えられて本当に感慨深いです。
客席には山口県に所縁のある方、生まれも育ちも山口という方もいらっしゃると思いますので同じ志を感じながら皆さんと一緒に時を過ごしたいと思いますので最後まで楽しんでいってください」
330v「次にお届けする曲もギター・インストなんですが山口県がらみ…特に下関率が高いです。
私はこの2、30年の間、テーマ曲とかCMの曲とかを作らせてもらっているんですが、チョット変わっていたのが下関市にある『関門ジャパンボクシングジム』のテーマ曲の依頼でした。
私はボクシングをやったことがないので1回ド突かれた方がいいんじゃないかとも思ったんですが、どういう雰囲気にしていいかわからない。
でも一生懸命作った曲です」200v「ボクサーの皆さんを応援する」という意味で付けられた曲名は「Victory」。210_vct親しみやすいメロディを乗せて、「辛抱、我慢」と毎日汗みどろになってトレーニングに励み、時には眩いばかりのリングで戦う若者たちに捧げられた。
「辛抱、我慢」は相撲か?220クロスカウンターが繰り出されたように入り込んで来るギター・ソロがそのリングの様子を描いているようではないか!230v「ありがとうございます。
最初はオドロオドロしいヘヴィメタルみたいな曲だったんです。
それを納品したら『田川さん、コワいです!』と言われて今のようなちょっとポップな感じにしました。
その時『ボクシングだとこうだろう』という先入観だけで取り組むのはよくないな…と私的に思いました。
それって自分自身に対しても同じではないか?
周囲の皆さんには『見えないというのはこうだろう』という先入観がやっぱりあって、『見えないのにすごいギターを弾く』とか『見えていないとは思えません』とか、何十年も言われて来たんです。
別にうれしくないんですけど…。
音楽を演るには関係ないかな?って個人的には思っていますが、やっぱそういう先入観って人それぞれですよね。
そうして『先入観が邪魔をしてしまう』というところがあって、いつも自分が言われていることをこの曲を作る時に自分自身でそうしていた…みたいことをチョット学んだ曲でもありました」240「Victory!」は2017年発表のアルバム『THEME PARK』に収録。
発売の時に収録曲をひとつひとつMarshall Blogで解説介した。
マネージャーの美瑞穂さんの芸術的才能を紹介している<後編>はお見逃しなく!
    ↓   ↓   ↓
田川ヒロアキ『THEME PARK-テーマ・パーク-』を100倍、イヤ10倍、イヤイヤ1.5倍ぐらい楽しむ <前編>
田川ヒロアキ『THEME PARK-テーマ・パーク-』を100倍、イヤ10倍、イヤイヤ1.5倍ぐらい楽しむ <後編>
 
余計なことですが、このアルバムに採用されている写真はすべて私が撮影しましたとさ。12_j10_cd「今度は全国的な感じでNHKに提供させてもらった曲です。
ちょうど今の時期に合うような曲。
春はやっぱり出会いとか別れとか、そんな季節だと思いますが、それにふさわしい番組のエンディングに使う曲を作って欲しいと言われて取り組みました。
番組の司会は千原ジュニアさんで、私もコメンテーターとして何回か呼ばれたことがあります。
そんな思い出深い曲です」190「またどこかへ」はホンワカ・ムード満点のシットリ・ナンバー。260v_md「平和の風」とか、「やっと、ずっと」とか、「ニジノート」とか、こうしたヒロアキくんの作るユッタリした曲って何回も聴いているウチにドンドン味わい深くなっていくんだよね。
プライベートではギンギンのビバップやゲチョゲチョの現代音楽なんかを好んで聴いている私でもすごくスっと入って来る。270ピアノに移動したヒロアキくん。
「私が初めて『長州友の会』っちゅうのに参加させてもろたのが12年前だったごっちゃ。
こんな感じ?…なんか違和感がある感じがするけど。
みんな同じ方言じゃけどね?ウフフ」
300「12年前に初めて会に参加させてもらった時は、知り合いが誰もいない…みたいな感じでアウェイ感があったんですが、その後一気に友達が増えました。
最初はすごい集団だなと思ったんですが、皆さん、すごく温かいんですね。
やっぱり山口の話になると共通点もイッパイあって、『あ~、同士だな』と思いました。
その頃は上京してまだ何年も経っていなかったのですごく心強かったです」
280v「そのウチに昭恵さんにもお会いする機会があって、回数を重ねているウチにドンドン輪も広がっていき、私のコンサートにもお越し頂いたり、オフで飲み会をやったりとか、そんなことも増えて本当にうれしく思っています。
そして、有吉さんとか津島さんとか、お2人を中心に『今度、会で田川さんのライブやってみたい』というお話を頂きありがたく思いました。
先ほど昭恵さんもおっしゃっていらした通り、今も世界ではいろんなことが起きていますが、どんなことが起こっても自分の気持ちと周りの人たちとのつながりを大事にして、この地球に住まわせてもらっている感謝と喜びを感じながら生きていきたいと思っております」290鍵盤を優しく押しながら歌ったのは「We are the World」。310vハハン、コレはそういうイキな演出だったのか。
先日の福島県を応援するイベントでも熱唱した日本語バージョン。
みんなが仲良くなるように願うヒロアキくんの優しい願いが伝わって来る。
320会場がホッコリしたところでギターに戻る。
「もともと私はピアノから音楽を始めたんですが、そのうちギターをやりたいナァと思ったんです。
でも平和なギターじゃなくて悪いギターを覚えてしまって『コレがオレの人生だ!』と思い始めたんですね。
ズッと下関だったんですが、私の場合やっぱり職業が限られてしまうんです。
でも音楽がやりたいという気持ちをズ~っと持って来てよかったと思っています。
そのお陰で皆さんとこうして今日お会いすることができているので。
ギター1本でたくさんの色んな出会いがあって、世界中がつながることができると思っています」
180v「コロナ禍以降、学校で講演する機会が増え来てうれしく思っています。
つい最近、近い所だと浦和学院で講演をさせてもらってコンサートの他にも皆さんの質問に答える時間を設けてもらいました。
今度6月とか8月とか夏にかけて山口でもいくつか予定があるのでそういったこともやっていきたいと思っています。
さっきテーマ曲の話をしましたが、10年ぐらい『KRYニュースライブ(山口放送)』という番組で私が作ったテーマ曲が夕方に流れていました。
すると、私のことを知らなくても曲が1人歩きしてすごくうれしかったですね。
他にも色々とKRYの番組の音楽を担当していて、私を知る人が番組のエンドロールの中に私の名前を見つけて『見てるよ~』とかなんて声をかけてくださるのもうれしかったです。
今では番組が変わって山口でもそうした曲が聞けなくなってしまったので、ライブで勝手に演ってしまおうと思います。
東京ではもともと聞くこともないし…」340コレも『THEME PARK』に「KRYニュースライブ」として収録されている1曲。350_kryコレ、実際にテレビを前にしてリアルタイムで聴いてみたかったナァ。
客席の皆さんはもちろん「アレだ!」とピンと来たことでしょう。
羨ましい。0r4a0229 「コレは天気予報!」とサービス満点のヒロアキくん。360「こういう曲が必要な方はマネージャーの美瑞穂にお問い合わせください。
このシリーズを全部演るとなると何日もかかかるのでこの辺にしておこうと思います」
420v「さて、今日はメッチャ暖かい…『ぬくい』って言いますよね。
私は寒いのが苦手じゃけ~ね、やっとこういう季節が来たんじゃな~と。
でも花粉はツラいナァ~と…皆さんはいかがでしょうか?
そんな気持ちを…。
私はギターを始める前、小学校2年の時に琴を習っていたんです。
琴を習っていたらギターも弾けるようになるかな?と勝手に思っていました。
琴は作法が厳しくてギターのピックで弾いたらすごく怒られて『破門じゃ!』と言われました。
『正座も斜め45度に座り~さい!』とか言われて、苦しいな~と思い4年間やりましたがヤメました」380「さくら」の琴の音色でスタートする正統派メタル・チューン「春童謡メタル」。
童謡とヘヴィメタルの強引なる融合。
400セリフが入ったり、キャンディーズが出て来たり…私も仕事柄本当に色んなミュージシャンのステージを拝見しておりますが、こんなことを真剣にやっている人はヒロアキくん以外に見たことありません。
こうして毎回何かを作り込んで来るのは本当大変なことです。
0r4a0230_2 「イエェェェェェェェェェェェェェェ!」
何だか知らんけど大ウケでした!

ヒロアキくんはコレの「秋」のネタを持っていて、Marshall Blogで詳しく解説したことがあった。
お気に入りの記事…ヒロアキくんじゃなくて、書いた私が気に入ってるの。
  ↓   ↓   ↓
西日本豪雨災害被災者支援 田川ヒロアキの緊急チャリティーコンサート

410v「『長州友の会』でこんなこと演ってええんか?
ようわからんけど…責任は有吉さんが取ってくれる。
さて、美瑞穂と上京して10数年になりますが、こうして皆さんとご縁ができてうれしいと思っています。
人生は旅のような感じだと思って次の曲を…。
皆さんもきっと知ってる曲だと思いますので一緒に歌って盛り上げてください」S41a0095「銀河鉄道999」を取り上げた。
私は小学校の時「少年マガジン」に連載していた「男おいどん」というマンガがニガテで、それ以来松本零士の作品を読んだことがただの一度もないんだけど、あの「999」に出て来る「メーテル」というのはシーボルトの孫娘の「楠本高子」さんがモデルのひとりなんですってね。
言い換えるとシーボルトと元出島に出入りしていた丸山の遊女「楠本滝」の間に生まれ、後に日本で最初の女性産科医になった「楠本イネ」と「石井宗謙」というシーボルトの弟子のひとりとの間に望まれずして生まれた人が高子さん。
高子さんの旦那さんもまた「三瀬諸淵」という立派なお医者さんだった。
冒頭でリンクした「萩の博物館」の話じゃないけれど、もうこの辺りの話をすると止まらなくなっちゃう。
何しろ「鳴滝塾」は当然のこと、長崎の「光臺寺」にある楠本家のお墓や愛媛の大洲の諸淵のお墓、それから長崎と宇和島の皆さんの住居跡まで見て周りましたから。
山口に関係なくてスミマセン。
430_999おなじみのナンバーに客席は大盛り上がり!
ヒロアキくんもノリノリだ~!0r4a0235 ステージの上下にスクリーンが降りて来た。
440_kkrそこに映し出されるレーシング・カーの映像をバック(実際には横)に「翔 KAKERU」を演奏。
「マツダ・ファンフェスタ」の「パーティ・レース3」のテーマ曲でヒロアキくん流の応援歌として仕上がった。
『THE ROAD SEEKER』の収録曲。
460ジェスチャーを交えて熱演するヒロアキくん。450v胸のすくようなストレートなロック・チューンは大ウケ!
Marshall Blogでは昨秋「富士スピードウェイ」で開催された「MAZDA FAN FESTA」の様子を取材していいるのでそれもゼヒご覧ください。
マツダが元々ナンの商売をしていたか知ってる?
あ~、記事に書いてある、書いてある。
   ↓   ↓   ↓
田川ヒロアキ~MAZDA FAN FESTA 2024 at FUJI SPEEDWAY

470「ありがとうございます。
実はこの秋にナント大阪万博に出演することになりました!
9月の27、28日の2日間、メイン会場で演奏します。
パラリンピックの開会式につづいてまた世界へ向けて発信したいと思います。
去年は11月にハリウッドの映画の曲を作らせてもらったりしました。
今後も色々とガンバっていきたいと思いますのでどうぞ引き続きよろしくお願します!」
480v「実は『長州友の会』の企画が持ち上がって、今日BAUHAUSを貸し切りで演奏することになったのも色んなキッカケがあって、それらが1つになったという感じなんです。
私は何年か前からBAUHAUSに出演させてもらっていたんですが、ギタリストの原田喧太さんが正式に紹介してくださり、コチラの社長やスタッフの皆さんにつないで頂いたんですね。
今日、その原田喧太さんが来られてますのでチョットひとこと言お願いします」S41a0170 喧ちゃん登場!
「ヤァヤァ、田川くん!こういう会に参加させてもらってありがとうございます!」
490「ボクは生まれが岡山なんで山口は近いんです。
子供の頃、宇部港からフェリーに乗ってどっか行ったりとかよくしていました。
昔、サファリパークなかった?…子供の頃行ったわ。
初めて行ったサファリパークが山口県だから…って言うか1回しか行ったことないんですけど」500vデーモン閣下のバンドで一緒にステージを踏んでいる2人。
その記事はコチラ。
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地球魔界化計画~デーモン閣下
3152人のギター談義がハズんだ。520v「それでは、いよいよ最後です。
実は今回のコンサートにはひとつのテーマがありまして、それは山口県にまつわる曲を作るということでした。
それで皆さんにも助けてもらおうと山口に関する思い出とかふるさとを慕う気持ちを募集したところ、たくさん頂きまして読んでいて胸が熱くなったぐらい。
それらを元に作っていると、山口弁とか、名所とか、曲の中に入れたいモノがたくさん出て来てしまいました。
でも全部入れたら曲がムチャクチャ長くなってしまう…みたいな感じだったんですが、やっぱり共通しているのは、故郷を想う気持ちだな~と思いました。
その気持ちを込めて今日はその曲を持って来ました。
昨日、レコーディングし終わったばかりなので出来立てのホヤホヤです。
世界で1番最初にこちらで披露します。
皆さんもジックリと山口に思いを馳せながら聴いて頂けたらと思います」250v出来上がった曲は「ふるさとの声」。
ピアノをバックに故郷を慕う気持ちを切々と歌いあげた。530_fs拍手大喝采!
次回の「長州人の会」ではきっと大合唱だね。
しかし、「故郷」や「故郷の言葉」があるというのはうらやましいね。540v「ありがとうございます!
『ふるさとの声』、今日誕生しました。
山口県は自然も人もホント宝の山じゃ。本当にええ所じゃな…と思います。
皆さんと私で山口県への思いをご一緒出来て今日はとてもうれしかった!
またいろんな所でライブを演っていきますので、また皆さんとお会いしたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!」S41a0343当然沸き上がるアンコールの声。
「ありがとうございます!
今日の使ったバックの演奏はコンピュータではなく、ドラムスもベースも実際にスタジオに行って自分で演奏して作った音源なんですね。
実際に予定していた曲が全部終わってしまってバックの音源がないので…こうなったら、ギター1本でアンコールにお応えしたいと思います!」
「おお~!」という大歓声。S41a0241つまり弾き語りで1曲演奏を披露したのだ。
ナニを演るのかな?と思ったらニギニギしく「キミを乗せて」。S41a0268もうスッカリ田川スタンダードとなってこの曲。
ギター1本でも見事にドライブして会場を沸きに沸かせて見せた!S41a0300「ありがとうございました!」
暖かい歓声を浴びてヒロアキくんはステージを後にした。
0r4a0249 司会の有吉さんが締めくくりに入る。
「私…ほぼ泣いておりました。
田川くんのライブ、ロックでハードなのになぜか毎回泣けちゃうんですよね。
最後、ホントにいい曲でしたね。
田川さんって『可能性のカタマリ』だと私は本気で思うんです。
ありがとうございました。
今日はやってヨカッタわ~!」
560vヒロアキくんが再登場して写真撮影のコーナー。550昭恵さんから最後のご挨拶。
「皆さん、今日はそれぞれが幸せな気持ちになったと思うので、それを多くの人に伝えて頂きたいと思います。
そして、これからも田川さんを応援していきたいと思います。
ありがとうございました。
素晴らしかったです。楽しかった!」Yyみんなで記念撮影!
これにて『山口県長州人の集い featuring 田川ヒロアキ』終了!
 
田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano
570この後もヒロアキくんがステージに上がるということなので、それまでの間、ヒロアキくんがデモンストレーターを担当してくれたMarshallのデジタル・アンプのビデオをご覧ください。
 
9時を周り、BAUHAUSは通常の営業を開始。
ハコバンが入ってド迫力の演奏を繰り広げる。
そして、喧ちゃんとヒロアキくんもステージに上がった。580喧ちゃんのリードでまずは「Crossroads」。590ドワ!ドラムスはヒマちゃん!
時折ココのステージに上がっているのだそうだ。
610v当然2人とも弾きまくるわね。
600v 630ヒマちゃんもガッチリとバックを固める。650v他に「Little Wing」とボブ・ディランの「Knockin' on Heaven's Door」を演奏。S41a0469COもドバーっと噴き出してスぺシャルなセッションは大いに盛り上がった!670 

200(一部敬称略 2025年3月25日 六本木BAUHASにて撮影)