田川ヒロアキ~New Album Release Live 2024 「ROAD」づくしの<後編>
【読み切り短編小説】
題を求める人
まだ残暑が厳しいある夏の晩のこと、食事も風呂も済ませてソファの上で横になりながら静かに読書を楽しんでいると、何かを叫びながら玄関のドアをけたたましく叩く者があった。
声の主は女性である。
私の名前を呼んでいるので怪しい者ではなさそうだ。
そこでドア越しにその女性が誰であるかを確かめた。
「私です!りそなです!お願いだから開けてください!」
私がドアを開けるとそこに立っていたのは近年活躍がめざましい音楽家「畠山浅治(はたけやまあさはる)」のマネージャーでプライベートのパートナーでもあるりそなさんであった。
「こんな時間に一体どうしたのッ?」
予期せぬ来訪に驚きながら私は即座にりそなさんを家の中に迎え入れ、少し前まで私が横になっていたソファに腰をかけてもらった。
普段から仲がよい私の家人が大いに心配して冷たい麦茶を差し出した。
りそなさんはよほど喉が渇いていたのであろう、それを一気に飲み干した。
そして、若干の落ち着きを取り戻したところを見計らって私はこう尋ねた。
「一体、こんな時間にどうしたの?いつも沈着冷静で思慮深いりそなさんらしくもない…」
すると、彼女は憔悴した様子で夜分の突然の訪問を詫びながら小声でこう言った。
「だいが…だいが決まらないんです…」
「だい?『だい』とは何のこと?何かを置くための台のこと?まさか髪の毛の色が決まらないとかいうワケではないでしょう?」
こんな場面で「ヘア・ダイ(hair dye)」のシャレを思いついた自分のことをホメてやりたがったが、とてもそんな雰囲気ではなさそうだった。
思った通りりそなさんは私の言葉にニコリとも反応せずに真剣な面持ちでこう続けた。
「違います…『題』です。題名のことです」
「題名?題名って何の?」
「今度畠山が発表する新しいCDの題名をどうしようかと…ずっと考えていたのですが、どうしてもシックリ来る題名が思い浮かばずに困り果ててしまったんです。
もう私…一体どうすればいいのか!」
小説、映画、音楽、美術等、創作物につけられる「題名」はその作品の行く末を決定する大変重要な要素となる。
たとえば小説。
日本文学史上、最も販売部数が多い小説は夏目漱石の「こゝろ」だと言われているが、漱石は題名に漢字を適用せずひらがな三文字にこだわり、さらに「こころ」ともせず、2番目の「こ」に一の字点を用いて「こゝろ」と綴った。
もし、この名作の題名を「心」や「こころ」としていたら、これほどまでにこの作品が広く読まれることはなかったかも知れないと分析する同業者もいるぐらいなのだ。
また、単行本を上梓する際に文芸誌に連載していた時と題名を変えるのは珍しくないことだ。
先生方はタイトルの良し悪しで単行本の売り上げが大きく変わることを十二分に知悉しているのだ。
などということを考え、私は一気にりそなさんたちのことが心配になった。
「フム、それは困ったね。でも何某かのアイデアはあるんでしょう?」
「はい…あるにはあるんです。『ROAD』という言葉を使いたいと思っているんです。かといって『ROAD』一語ではイヤなんです」
私は驚いた。
訊くと肝心の作品はすでに出来上がっていて、しかも畠山氏自身にとっても会心の出来だという。
それにもかかわらず、こと題名に関しては「ROAD」という一語が出たに留まっているというのだから驚くなと言う方が無理な相談だ。
「ナニ?ナゼそんなになるまで放っておいたんだ!」
「あなた、そんな…りそなさんが可哀そうじゃない」と私をなだめる家内。
私としてもいかにも疲れ切っている目の前のりそなさんに向かって声を荒げるのは心苦しかったが、映画やドラマで熱を出した幼な子を抱えた母がよく医者に言われるこのセリフをどうしても一度口にしてみたかったのである。
その願いが叶ってスカっとした。
そんな気分にさせてくれたりそなさんに感謝の念を込めて畠山さんの新作の題名を真剣に考えることを決心して彼女にこう伝えた。
「わかりました。私に任せておきなさい。きっと何か考えて差し上げよう」
するとりなさんは薄っすらと目に涙をうかべながら安堵の表情を見せて去って行った。
思い返せば畠山さんの『THEME PARK』という作品の題名のアイデアを提供したのも私だった。
それにりそなさんは、ジャケット内で表記する楽器の略号や符合の使い方など、これまでことあるごとに私の知識を妄信してきてくれたではないか。
人から必要とされることは生きる意味のひとつである。
加えて私は自分が持っている取るに足らない知識や経験を活かしてこういうことを考えるのが嫌いではない。
はっきり言えば好きなのである。
りそなさんはそのことを充分にわかっていて駆け込んできたのかも知れない…イヤ、きっとそうであろう。
さすがりそなさんだ。ボーっと生きてはいない。
さて、引き受けたもののどうするか…。
まずは「ROAD」という単語。
ROAD、ロード、ろーど、労働、漏斗、郎党、610…私は早速考えを巡らせた。
「ROAD」とだけにすることは避けたいのだから、肉付けをするための何らかの素材が必要だ。
畠山さんといえば、イギリス製の世界一のギター・アンプを使って自在にギターを操り、自分だけの音楽を創ろうと日夜研鑽を積んで自分だけの道を突き進んでいることで知られるギタリストだ。
しかし、己の道を往くには、肝心の「道」がないことには始まらない。
まずはその「道」を探し求めることが必要だろう。
鍵はココだな。
「探し求める」か…英語で言えば間違いなく「seek」が適語に当たるであろう。
それなら「seek」を動作主名詞にして「追い求める人」としたらどうだろうか?
それを「ROAD」とつなげて「ROAD SEEKER」、すなわち自分が進むべき道を「探し求める人」だ。
しかもThe Whoに「The Seeker」という名曲があるのでロック色も濃いではないか。
音はどうだ?
「ROAD SEEKER」を日本語で表記すると「ロード・シーカー」と子音が4つに長音符合が3つ。
発音した時のリズムもよいぞ。
そう、こういうものは実際に声に出した時、口が気持ち良いと感じる語感が有利なのだ。
待てよ、これだけではダメだ。
芸術家は自分だけの道を進もうとするのが常で、その道を追い求める人はその人自身しかいない。
となるとここは定冠詞の「The」が必要だろう。この世に1人しかいないのだから。
つまり「THE ROAD SEEKER」だ。
これでどうであろうか?果たしてりそなさんがよろこんでくれるであろうか?
さらにこじつければ、「seek」という言葉は、過去形にした「sought」に「after」をつなげると「sought after~=引っ張りダコの~」を意味する成句になる。
コレは何とも幸先がよいではないか!
もし気に入られなくても大丈夫。私のアイデアは泉なのだ。
早速りそなさんに電話をかけて「これでよろしーかー」とアイデアを伝えるとその反応に驚いた。
大歓迎の上、もうその場で決めてしまうぐらいことを言ってくれたのである。
「イヤ、まだ他にアイデアがあるんだけど…」
「イヤイヤ、もうこれがいいです…ザ・ロード・シーカー!」
「イヤイヤイヤ、もっといいのが思い浮かぶかも…」
「イヤイヤイヤイヤ、ああ、私のザ・ロード・シーカー!」
英語が堪能なりそなさんは瞬時にしてその意味を深くくみ取ってくれたようで、大喜びしてくれたのである。
数日前の憔悴しきった様子はどこへやら、電話口の反応を耳にしただけで重苦しい問題から解放されたりそなさんの喜びが明確に伝わって来た。
さらに畠山氏に相談したところ、するとまたしても一発でお気に召してくれたというではないか。
ヨカッタ、ヨカッタ!
かくしてアルバムの題名が決定し、畠山浅治の新しいCD『THE ROAD SEEKER』が無事発表されることになったとサ。(了)
※この作品の一部はフィクションです。文中の人物は架空の人物です。
ナンチャッテ!
ヒロアキくんの新作『THE ROAD SEEKER』の題名について、三文文士気取りで好きなように書かせて頂いた。
文中の「私」が考えた内容は事実に基づいている。
もちろん「私」とは筆者のこと。
ヒロアキくんは今日のショウの<第1部>のMCで作品のタイトルについて触れ、私のことを紹介してくれた。
とても光栄なことだと思っている。
ヒロアキくんとりそなさん…じゃない美瑞穂さんにこの場をお借りして心からお礼を申し上げる次第である。
Let's get the second show on the road!(さぁ、第2部をおっぱじめましょう)
「get the show on the road」とは「始める」という意味の慣用句。
ね、ココでも「road」だよ。
しかも「show」というおあつらえ向きの単語まで入っている。
レポートの<後編>のアタマにはもって来いの英語表現じゃないか!休憩の後、ステージに姿を現したヒロアキくんがギターの傍らを素通りしてピアノの前に座った。
ライムライトを浴びて演奏したのは『THE ROAD SEEKER』の最後に収録されている「帰り道~Way Back Home」。
<前編>で触れた通り、今回のアルバムのテーマは「旅」。
ショウのオープニングで演奏したのが旅の始まりの「Open Road」だ。
そして、その旅の終わりの曲がこの「帰り道」。
だから今日のライブはコレでおしまい。
…でないわね。
穏やかなインストゥルメンタル曲。
優しく温かいメロディをヒロアキくんがピアノで奏でて第2部がスタートした。「後半の始まりでございます。
皆さん、楽しんで頂けておりますでしょうか?
今日の会場のGT LIVEさんですが、スゴイところが出来たと思います。
音響はもちろん、機材もスゴイ。
このピアノ、私が弾いてもいいのか…スタインウェイです。
以前いつ弾いたのか…弾いたことがないかも知れない」「私が子供の頃って、夕方になると近所のアチコチからピアノの音が聞こえて来たものでした。
それを耳にして今日はこのウチの子は練習してるな…とか、あの子チョット上手くなったな…とか思ったりすることがありました。
最近はそういう音って聞かなくなったナァ~。
ピアノを置いている家も少なくなったし、みんな電子物になったりとかね。
世知辛い世の中になってしまったので騒音問題もあるのでしょう。
そういうのはチョット寂しいと思いますネェ。
回りから楽器の音や子供の声が聞こえてくると平穏な感じがしていいですよね。
夕方、そうした音がアチコチから聞こえて来る帰りの時間みたいな、そんな気持ちになってチョット子供風の曲を作ってアルバムに収録しました」スタインウェイ・ピアノに座ってもう1曲。
ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、そしてスタインウェイ…世界の三大ピアノブランドの一角だからネェ。
この機会にドンドン弾いておいた方がいいぞ!
しかし、考えて見ると、このグランド・ピアノ…どうやって入れたんだ?
あのエレベーターにはとても入らないはず。
ピアノでの2曲目は弾き語り。
ヒロアキくんが選んだ曲はザ・タイガースの「ラヴ・ラヴ・ラヴ」。
ナンでやねん?!
この曲がシングル盤としてリリースされたのが1969年、私が小学校2年生の時だぜ!
私はこの曲を知りませんでした。ってんでオリジナルの演奏と聴き比べてみるに…ヒロアキくんはリハーモニゼーションを施してより味わい深い雰囲気に仕立てあげていた。
コレを聴いて以前ヒロアキくんが事務所に来た時のことを思い出してしまった。
私がジョン・セバスチャンの「I Have a Dream」という映画『ウッドストック』のサントラ盤で有名になったフォーク・ソングをかけて「サビのここのコードがすごくいいんだよね」と言うと、「ああ、〇分の△ですね。このコードひとつだけでスゴイ世界を創っていますね~」と楽器も持たずにその少し不協に響くコードの名前言い当てた。
絶対音階を持っている人であればこういう技が朝飯前なのはわかっちゃいるけど大いに関心した。
だから、ヒロアキくんにとってはこの程度のリハーモニゼーション作業なんてチョチョイのチョイなのだろう。
「ちょっとココでアンケートを取ってみたいと思います。
今日こうして新作の発売を記念するお祝いライブをさせてもらっていますが、今日初めて田川ライブに来てくださった方はいらっしゃいますか?」…と、来場者の皆さんにアンケート。
さらにこの日が誕生日の方がいらっしゃるかを調査したが、あいにく見当たらなかった。
そこで誕生日が近い方々に「ハッピーバースデートゥーユー」を歌ってプレゼントした。「お誕生日が近い人もいらっしゃらなかったらどうしようかと思いました。
さて、今日は三味線があったり、サプライズ発表があったりメニューが盛りだくさんです。
何よりも新しいアルバムをお披露目することができました!
初めてって1回しかないですからね…それを皆さんに見て頂けたというのは本当に良かったと思います。
実はですね、もう1つ皆さんにお知らせしなければいけないコトがあります!
サプライズ発表だ~!」
ヒロアキくんが発表したサプライズとは…
「ハリウッド国際映画祭にて楽曲起用決定!」
どういうことか…『グローバルステージハリウッド・フィルムフェスティバル2024』というハリウッドで開催されるイベントで上映される映画作品の中でヒロアキくんの曲が使用されることになったのだ。
その曲とは今日のオープニングで演奏した「Open Road」。
「それでは、ご紹介します…ジャーナリストで映画プロデューサー、音楽プロデューサー、色々なことをやっていらっしゃいますダン・スミスさんとパートナーでもありマネージメントされております、あいかわ未薫さんにご登場いただきます!」 ダンさんと未薫さんがステージに上がった。
ダンさんは以前にもガッツリMarshall Blogにもご登場頂いているのでもうヒロアキくんファンの皆さんにはおなじみのことであろう。ダンさんが、ヒロアキくんを3年前のテレビ番組で発掘したこと、パラリンピックのこと、ホワイトアローズのこと等について語り… 演奏の仕方がスティービー・ワンダーを思わせること、ダンさんの友達であるウィル・スミスやトム・クルーズの映画に曲が採用されたらと思っていると述べ、いつか本格的にハリウッドに進出して欲しいとコメントした。
そして、「Open Road」が一番最初に流れる『Juju Racing Against Destiny』という18歳の日本レーシングレーサーの女性にフォーカスしたドキュメント映画の断片が放映され客席から大きな喝采が浴びせられた。
この映画が『グローバルステージハリウッド・フィルムフェスティバル2024』で上映されるのだ。
実はこの映画の冒頭の場面には他の曲が使われることが既に決まっていたのだが、ダンさんが「Open Road」を耳にして「コレだ!」とビビビと来て差し替えることになったのだそうだ。
「すごい!私の曲がふんだんに使われていて本当にうれしく思います。
今後の上映が楽しみです。
皆さんにはゼヒ情報をチェックして頂いて11月2日にハリウッドでお会いしましょう!
ダンさん、未薫さんにこうしてお越し頂いて私の夢がまた1つ叶った思います。
本当に今日はお越し頂きましてありがとうございました。
後は私をハリウッドに誘拐してもらうだけだ!」
11月2日、グローマンズ・チャイニーズ・シアターのプレミア・ショウでの演奏のオファーもあったが、残念ながらヒロアキくんには重要度マックスの先約があったので残念ながらそれは実現しなかった。
というサプライズがあって更に気合の入ったヒロアキくん。
続けて『THE ROAD SEEKER』のリード・チューンのひとつ「Racing Star」に取り掛かった。背後のスクリーンは当然のごとくサーキットを疾走する車のシーン。
この曲は『MAZDA FAN ENDURANCE(マツ耐)』のテーマ曲なのだ。
ちなみに、マツダって元々何を作っていた会社か知ってる?
コルクのメーカーだったんだよ。
そこから世界の「車のMAZDA」だもんね。オモシロイよナァ。
私が以前よくアメリカに行っていた時にはテレビで盛んに「マヅダァ」ってコマーシャルをやっていたのを思い出す。
「ホンダ」も「ホンダ」、日産は「ニッサン」、ところが「トヨタ」は「トヨラ」と真ん中にストレスが置かれる。
コレが向こうの人の言葉のリズム感覚なんだね。
あとテレビCMでやたらと耳についた車のメーカー名が「シェブロレッ」だった。「シボレー」のことね。
ちなみにイギリスの「Jaguar」を現地の人は「ジャガー」ではなくて、綴り通りにハッキリと「ジャギュア」と発音します。
耳馴染みのよいサビのメロディと対をなす「ヒロアキ・ギター」のハードな面をうまい具合に合成したパフォーマンスとでも言おうか。
「Marshall使い」としてのヒロアキくんの魅力が炸裂した。今日のMarshallはヒロアキくんの一番の愛器「JVM210H」と「1936V」だ。スカ~っと決めたレース・ナンバー。
会場から大きな歓声が送られたことは言うまでもなかろう。「ありがとうございます。
今の曲みたいにこれまでギターを弾いてきたりしているワケですが、曲が認められたりとか、テーマ曲を作って欲しいとか、そんなご依頼を頂くようになって何年にもなるんですが、それって本当にうれしいことなんです。
自分が必要とされているという感じがしてうれしいんですね。
今後も色んな曲をたくさん作って、皆さんにお届けして広めていきたいと思っています」
続けて子供の頃からの様々な経験談を交え、これまでの活動とその成果、そして未来への希望について語った。
「今日、新作のお披露目ライブとして皆さんにお会いできたのは本当にうれしいことです。
こうして私の音楽を聴いてくださる方々があってこそ今があると皆さんに感謝しております。
1人では実現できない夢でも周りの方々のお力添えで実現するものだ…とワタシは思うんですね。
来週は私が「ふるさと大使」をやっている郷里の山口県に飛んで700人の高校生の前で演奏してこういう悪い音楽を聞いてもらうんですが、近年、小中高校生の前で講演をさせてもらう機会がワリとあるんです。
そうした機会に子供たちによく言っていることがあります。
それは『出会いというモノが人生を作ってくれる』ということです」
「どんな人と出会うかで、自分の人生が決まると思う。
そして、その出会った人とどういう風にして活動していくか、生きていくのか…自分もその中の1人であるということを考えると何か尊いものを感じるし、人と共鳴しあって生きているっていうことは本当に素敵なことだと思うのです。
でもやっぱり毎日生きていると大変なことやうまく行かないこともいっぱいありますよね。
そういう時はあまり落ち込まずに、ゲーム感覚で問題をクリアするぐらいの気持ちで生きて行った方が気楽かな?と、近年そんな風に思うようになりました。
そういう話を子供達に伝えたりしています。
ですからこういう感じでまだまだ色々な活動をしていこうかと思っています」
ヒロアキくんの言葉を聞いて大脱線。
今年94歳におなりになるジャズ・ピアニストの秋吉敏子さんね。
ズバ抜けた才能が認められて、繁栄を極めていた1950年時代のアメリカに招かれ、それ以来今でも第一線でバリバリにピアノを弾いていらっしゃる昭和4年生まれの偉大なるおバアちゃん。
最近は若いバンドたちが簡単にアメリカ・ツアーだのヨーロッパ・ツアーだのとやっているけど、そんなのとは次元の異なる話なのだ。
人種差別が色濃く存在する時代にアメリカに乗り込んで、現地のアメリカ人たちを使って自分だけの音楽を創ったんだからスゴイ。
どれだけ尊敬されたか…ということよ。
これまで何度も書いたことがあるけど、当時の敏子さんのオーケストラとフランク・ザッパのバンドに在籍していたミュージシャンはどの現場へ行ってもオーディションが免除されたという。
だから、音楽に携わる仕事をしている私としては、様々な時代背景も考え合わせるに、大谷選手より敏子さんの方がよっぽどスゴイと思っているんだけど、敏子さんは88歳の時に出演した『徹子の部屋』でこうおっしゃっていた。
敏子さんが黒柳さんに向かっておっしゃったことは、「最近はね、ナニか周囲で問題が起こった時にはこう思うようにしているんですよ。
それはどういうことかと言うと、自分の力でどうにもならないことについては一切考えない。
だっていくら考えたところで自分ではどうしようもないんだから」
88歳にしてようやくその域か!…大好きな敏子さんのこのご箴言を耳にしてマネをしようと務めているがムリだわ。
自分では「危機管理」と称しているんだけど、何でも悪い方に悪い方に考えちゃう。
敏子さんの域に達するにはまだ20年以上の時間を要するということか?
ちなみに私は今から20年以上前にニューヨークのライブハウスで敏子さんにお目にかかったことがあるのだが、怖くて近寄り難かった。
才能が身体からあふれ出ていて、人を寄せ付けない感じなのだ。
このことは四人囃子のドラマーでNATALドラムスのエンドーサーである岡井大二さんもフランク・ザッパについて丸っきり同じことをおっしゃっていた。
浅草に国際劇場がまだあった頃、内田裕也さんが企画した『浅草最大のロックショウ』というイベントで四人囃子がフランク・ザッパの前座を務めたことがあった。
その時、大二さんはザッパと2人きりでエレベーターに乗り合わせてしまった。
大二さんはザッパの大ファンであったにもかかわらず、もう怖くて怖くて話しかけるどころか、目も合わせることすらできなかったそうだ。
やはり才能のオーラが出すぎてピリピリしていたというのだ。
ま、私は敏子さんにご挨拶だけはさせてもらいましたけどね。
敏子さんが出て来たところで(自分で出したんだけど…)ココでもう一度タイトルの話。
下はその敏子さんが1976年に発表したLP2枚組のライブ・アルバム…その名も『ROAD TIME』。
また「ROAD」だよ~。
私の長年にわたる大の愛聴盤だからして、『THE ROAD SEEKER』というタイトルを考えた時、冒頭の短編小説には書かなかったが、もちろん真っ先にこのアルバムのタイトルと内容が頭に浮かんだ。
思い浮かんだ内容というのは、上のアルバムの敏子さんのMCに出て来るクダリ。
敏子さんのオーケストラがアメリカで成功を収め、日本への凱旋公演が決まった。
英語ではツアーに出ることを「on the road」と言うが、敏子さんは自分のオーケストラを連れて日本で演奏することがうれしくて、そのツアーをテーマにした曲を作ることを思いつき曲名を考えた。
どこかで聞いたような話だが、敏子さんは「road」という言葉を使いたくてその新しく作った曲に「Road to Tokyo」というタイトルを付けようとした。
ところが、パートナーのテナーサックス奏者、ルー・タバキンから「それじゃ『Road to Mrocco(モロッコへの道)』みたいじゃん?」と指摘されて最終的に「Road Time Shuffle」という曲名にしたという。
そして『ROAD TIME』に収録された「Road Time Shuffle」は敏子さんのレパートリーの中でもトップクラスの人気曲となった。
さて、ルー・タバキンが指摘した『Road to Morocco』とは何ぞや?
それは1942年にアメリカで公開されたコメディ映画のこと。
アータ、1942年といえば戦争中ですからね。
その年の4月に「ドゥーリットル機」というB25爆撃機が初めて東京に爆弾を落とした年。
日本では「鬼畜米英」を謳い、轟夕起子、高峰三枝子、月丘夢路という当時の大スターを起用して『撃滅の歌』なんて国策映画を作っていた頃、海の向こうのアメリカではノンキにこんなことをやっていたんですよ。
ビング・クロスビー、ボブ・ホープ、ドロシー・ラムーアの3人によるこのコメディ映画『Road to~』はシリーズ化され、日本でも「珍道中シリーズ」として『南米珍道中(Road to Rio)』、『アラスカ珍道中(Road to Utopia)』等、大きな人気を博した。
ボブ・ホープは最高に愉快だからネェ。
もちろん戦争が終わってからの公開ですよ。
ロンドンに「Grand Order of Water Rats」というエンターテインメント業界人で構成する100年以上の歴史を持つ慈善団体があって、ジム・マーシャルは長い間その会の活動をしていた。
Queenのブライアン・メイとかリック・ウェイクマンなんかが会員になっていると思う。
ジムは話がこの団体のことに及ぶと、いつも「会長がボブ・ホープなんだよ」とうれしそうに私に説明してくれたのを思い出す。
結局、この辺りのことは『THE ROAD SEEKER』というタイトルには反映させなかった。
脱線おわり。
続いて「10年以上長く演奏している曲」ですと紹介したのは「Ave Maria」。そうか…「キミを乗せて」が10年経っているワケだから「Ave Maria」が10年以上経っているのは当然だわね。
それにしても、この曲を演ってヨカッタね。
この日の演奏はそんなことを思わざるを得ない大変に感動的なものだった。前曲の「Racing Star」ではハードに鳴らしてMarshallの魅力を教えてくれたが、ココでは正反対にMarshallの繊細な方面の魅力をヒロアキくんが伝えてくれた。
今、こういう風にMarshallを鳴らすことができる人が滅多にいないのでとてもありがたいですな。
ギャンギャンやるだけがMarshallではないことをヒロアキくんにしか出せない美しいギター・サウンドがイヤというほど教えてくれる。
そして、この素晴らしい音は真空管アンプだけからしか出て来ないことを知って欲しい。
「ああいうの」では到底出すことができないサウンドだ。
ミラーボールがロマンチックな雰囲気を演出する中、そんな演奏と音を聴き逃すまいと客席が静まり返っていた。更に「またどこかで」をポップにキメる。
「ニジノート」とか、古くは「やっとずっと」とか、ガツンとブチかますのではなく、「小品」なんて言ったら怒られちゃうかもしれないけど、何の力みもないこうした歌曲もヒロアキ・ミュージックの魅力のひとつだと思う。「さまざまな道、道路、線路、空路、生き方、ライフワーク、仕事、日常、夢、その道を歩いたり、走ったり、時には迷ったり、助けられたり、今よりもっと良くなるように、そのために道はある。
将来のため、来年のため、そして、明日のため…」…と前置きをして演奏したのは「道~ROAD To Tomorrow」。「♪道は世界へと続く」…まさに『THE ROAD SEEKER』の礎のような曲。
歌にも情感がこもる!
この曲のギターの間奏は徹底的にメロディアスに…。
コレね、この間奏の後のキメの3つめのコードのヴォイシングがカッコいいんだわ。
ロックの人は普通取り入れないアイデアだろう。
「今日は平日にもかかわらずニューアルバム『THE ROAD SEEKER』のリリース記念ライブにお越し頂いて本当にありがとうございました。
満席の皆さんの前でお披露目ができて本当にうれしく思います。
イロイロな活動をしている中で、バンドだから出来ること、1人だから出来ること、それぞれあるんですね。
両方とも全然違うことを演っていて、バンドだからコレがいいかな?1人だからこんなコトがいいかな?と常にいろいろ考えて演ってきました。
だって、バンドで『秋の童謡メタル』なんか演ったら怒られますよね(←イヤ、ゼヒとも演ってくれ!)。
でも、演ってることはそれぞれ違っても、共通していることは『田川ヒロアキの音楽をやっていること』だと思っています。
色んな表現で自分だけの音楽をお届けして皆さんに楽しんでもらいたい。
私は音楽に元気づけられたし、音楽がガンバれる力になったりしてきました。
おこがましいですが、自分がもし音楽でそういうコトが出来るならと思い、日々どういう風に、またどういう風な音を使ったらみんなに楽しんでもらえるかと考えチャレンジしています」
「今回は新作のリリース・ライブなので最高級のエンターテインメントをお送りしたいと思い、GT LIVEさんをお借りして、本当にたくさんの方々にご協力頂きました、
そのことをとてもうれしく思ってます。
お越し頂きました皆さん、GT LIVEのスタッフのみなさん、そして田川チームの皆さん、こうしてみんなで一緒に作るコンサートにさせてもらって本当に良かったなと思います。
改めて感謝申し上げます。ありがとうございます!」
本編の最後を締めくくったのは「キミを乗せて」。
コレで最後にするけど、この曲を発表して10年経ったってよ!
それを聞いてホントにビックリしたわ。
2016年の最初の『Marshall GALA』で演奏してくれた1曲。
その時バックを務めたベースの山本征史さんがこの曲の歌詞に驚くべきを解釈を与えて大いに関心したのが昨日のようだ。
征史さんが詩人だから。
そんな時間の経過を感じさせることのないヒロアキくんのキラー・チューン。歌にギター・ソロにと、今日も弾け飛んだ!大いに盛り上がった客席を前にヒロアキくんもノリノリだった!カーレースあり、焼きイモあり、聖林あり、マリアさまあり、Marshall的には最高のギター・サウンドあり…今回もバラエティに富んだ充実した内容の内容だった。
やっぱりチャンと作り込むと見応えのあるショウになるナァ。
いつものポーズをバッチリキメてステージを後にした。
そしてすぐさまアンコールの声が上がる。
「ありがとうございます。ありがとうございます。
皆さまからのアンコールはしっかりとバックヤードに届いております。
では、アンコールにお応えすべくしばらく準備を致します。
その間、みなさまから頂いたお便りをご紹介致します」
とAIのアナウンスがあってヒロアキくんがファンから寄せられたメッセージを読み上げた。
そして…
「さぁ、そろそろアンコールの支度が出来たかな?
出来たぁ~?OK?」
それじゃアンコールの前に最後にもうひとつ「road」がらみの英語表現を。
みんなでとイッパイやって、お開きの前にもう1杯だけ飲もうじゃないか!と言う時、グラスを片手に「One for the road!」とやる。
コレはホントによくやっているよ。
こないだもMarshallの連中が来た時、ヒロアキくんと美瑞穂さんも行ったことがある本所吾妻橋の串焼きのお店でやったわ。
ということで、曲のショウの「One for the road」いってみよう!ヒロアキくん、レーシングスーツ姿で登場!コレはサーキット・イベントの仕掛け人の方が作ってくれたスーツ。
チャンと採寸をしたビスポークもの。
ビスポーク(bespoke)というのは「オーダーメイド」を意味するイギリスの英語ね。
あの「背広」の語源となった「Savile Row(サヴィル・ロウ)」では日常的に使われる言葉。
ちなみにビートルズが屋上で演奏したAppleのビルはサヴィル・ロウの中頃にある。
胸の「Party Race」というのはマツダの人気車種ロースターのレースの名称。血液型も刺繡されているかなり本格的なレーシングスーツ。
コレでもしものことがあっても安心だ。わざわざギターの演奏がしやすいように仕立ててくれたのだそうだ。
背中には梅村デザイン研究所が手掛けた「HT」ロゴサイン入り。
コレを身にまとい…
まずは派手にワーミー・バーを上下させたギター・ソロ!ギュイ~ン、グワ~ン、バコ~ン、ビロ~ン、ピロピロ、グキグキ、バリバリ、ベロベロ…これじゃとても宮沢賢治にはなれんな。
とにかく弾くわ弾くわ、「ここぞ!」とばかりの乱れ弾き!
しかし!いい音だにゃ~。
名手がMarshallを使ってこれをやると、どんなにハードに弾いても全くうるさくない。
「ああいうの」では実現できないサウンドだ。
デジタル化学調味料不使用の純な真空管によるディストーション・サウンドを喰らえ!
そしてアルバム2曲目の「翔 KAKERU」に突入!この曲も『THE ROAD SEEKER』のリード・ナンバーのひとつ。
「掛け売り」お断りのドライビング・チューン!両手を広げてバタバタと腕を前後させるアクションもバッチリ!ヒロアキくんのエキサイトぶりに客席も大興奮だ!「どうもありがとうございました!」最後に記念撮影をどうぞ。お客さんともパチリ!
あ~、見応え満点のレコ発ライブだった!
すべてのギター・サウンドをMarshallで吹き込んだ『THE ROAD SEEKER』をよろしく!
田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano
☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆
日本が世界に誇るインストゥルメンタル・バンド、D_Drive。
<だるまさんは転ばない(Red Light, Green Light)>
<Wings>
<Thmbs Up>
<Begin Again>
Marshall Recordsが世界にリリースするセカンドアルバム『DYNAMOTIVE』絶賛発売中!
Marshall Music Store Japanでお買い上げのお客様にはMarshall特製スクエア・ロゴ・ステッカーを3枚プレゼント!
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan