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2021年3月

2021年3月30日 (火)

【訃報】和田アキラさんのこと

 
今朝、フェイスブックを開いて最初に目に止まったのは和田アキラさんの訃報だった。
病床に臥せっていらっしゃったことは存じ上げていたが、ショックだった。
 
和田アキラさんを始めて拝見したのは、1977年にエリック・クラプトンの3回目の来日時、武道館公演でプリズムが前座を務めた時のことだった。
森園さんがプリズムにいらして、当時は「元四人囃子の」ということで森さんの知名度の方が高かったような印象があったように記憶している。
ほとんど記憶していないのは、このコンサートの内容。
私は中学3年生だった。
当時の私はハード・ロックやプログレッシブ・ロックに夢中で、エリック・クラプトンの音楽には興味がなかった。
とにかくロックに貪欲な時期だったので、何でも観に行っていたのだ。
その証拠に先日Shige Blogに書いた『ローリング・ココナッツ・レビュー』もこの年の開催だった。
アキラさんはこの時、21歳だったのか…スゲエな。
このコンサートを観に行ったことを後年アキラさんに伝えると「え、武道館行ったの?みんなアレ観てるんだよね~!」とおっしゃっていた。 10vb_2 次にアキラさんを拝見したのは、日曜日の昼間に東京12チャンネルで放映されていた『ROCKおもしロック』という番組のGRECOギターのコマーシャルだった。
ま~、ビックリしたね。実にカッコよかった。
当時あんなに速くギターを弾ける日本人なんていなくて、「昨日『おもしロック』見た?」と学校で大騒ぎになった。
中には「あの人って和田アキ子の弟なんだってよ!」なんて乱暴なことを言い出すヤツもいて、それを聞いて「道理で音楽の才能がスゴイわけだ!」なんて関心するヤツすらいた…ノンビリした時代だった。
何せ情報の量が少なかったからね。
 
御存知の方も多いと思うが、この番組の目玉のコーナーだったバンド合戦に西山毅さんが「かうんたっく」というバンドで出演して「津軽じょんがら節」を弾き、近田春夫さんに大絶賛された。
ちなみに別の回にBAD SCENEも登場したのだが、「場慣れしすぎている」とか「アンタらプロでしょ?」とかいう理不尽な理由で厳しい評価を受けていたのを覚えている。

20
下は1981年に上梓された『ジャズ批評』誌。
この号では日本を代表するジャズ系ギタリストが、自分に大きな影響を与えたアルバムを2枚ずつ紹介する特集がメインに据えられていた。
香津美さんをはじめ、多くのギタリストがトニー・ウィリアムスの『Emergency!』を挙げていた。
すごく聴きたかったんだけど、当時このアルバムは入手することがまずできなかった。
ところが、ある日数寄屋橋のハンターに行った時、カウンター内側のまだ店頭に出していない商品の山の中にこのアルバムを見つけ、その場で1,400円(2枚組)の値段を付けてもらってマンマと手に入れることができた。
もう、うれしくて、うれしくて…ところが、聴いてガックリ。
全くオモシロくなかった。
当時のギタリストに与えたマクラフリンの影響の大きさが窺い知れるというお話。
 
この雑誌の中で、アキラさんは幼いころ「日本住血吸虫病」という大病を患い、長い入院生活中、他にすることがないのでズッとギターを弾いているうちに上達してしまったということを述べていらした。
30vb_2アキラさんは当然ホールズワース関連の作品をピックアップされていた。
1枚はイギリスのジャズ・トランぺッター、イアン・カーの『Belladonna』。
聴きたかったんだけど、コレも当時は入手することが難しく臍を噛む思いをした。
かなり時間が経ってからようやく手に入れることが出来た。
ゴードン・ベックやロイ・バビントンらが参加していて、プロデュースはジョン・ハイズマンだし、「イギリスのジャズ・ロック」として聴く分には遜色はないアルバムなんだけど、ホールズワースがフィーチュアされる曲が2曲しかないんだよね、コレ。
でも、あのホールズワース・トーンを確立する前の粗削りの音で、ココぞとばかりに弾く独特なソロはすこぶるカッコいい。 40_cd_2もう1枚アキラさんが選ばれていたのは'Igginbottomの唯一のアルバム『'Igginbottom's Wrench』だったような気がする。
コレも手に入らなくてね~。
やっぱり大分後になって聴くことができたんだけど、はじめはピンと来なかったナァ。
まだホールズワースがあのスタイルを確立する前で、クリーン・トーンでジャズ・フレーズをエイト・ビートに無理矢理乗せて弾いている感じ…とでも言えばよいのだろうか。
ま、今となっては聴き方によっては結構オモシロイ。
アキラさんは、UKなんかで名前が知れ渡り出だしたホールズワースのことを「自分は昔から知ってんだぞ」ということが言いたくてこの2枚を選んだような気がしなくもないのだが、その気持ちならメチャクチャよくわかります。Ibw さて、時代は下って2001年。
この年の楽器フェアの際に『マーシャル祭り』の第2回目を開催することになった。
20年前、当時は私のアーティストのネットワークがまだゼンゼン貧弱で、出演者選びに困っていた時にハッと思い出したのが、いつか見た何かの雑誌に出ていたアキラさんの写真。
60v下はソレそのものではないんだけど、こんな感じでアキラさんがMarshallと写っている写真だった。
「アキラさんはMarshallが大好きに違いない!そもそもホールズワースもMarshallだったし…」と勝手に思い込んで、誰かにご紹介頂いた。
電話でかくかくしかじかとMarshall祭りの出演をお願いすると、「うん、いいよ」といとも簡単に承諾して頂いた。50vb選曲をどうするか…ということになって、「ジェフ・ベックの 'Space Boogie'でいい?」というアイデアを出して頂いた。
実はアキラさんは、当日別に出演してELPで有名な「Howedown」を弾いて頂いた大高清美さんも同じバンドにご参加されると思い込んでいたのだ。
「え~、大高さんは違うの?そんじゃキーボードなしか…でもいいか!」ということになった。70vこの時はまだ出演者を増やす必要があって、「アキラさんが声をかけたら問答無用で出演を承諾してくれるギタリストってどなたかいらっしゃいませんか?」とお願いしてみた。
すると、「ウン、西山毅」と即座にお答え頂いた。
「え~ッとね」とか「そうだな~」とか一切なし。
それじゃ、ということですぐに西山さんに連絡してみると、本当に即決だった。
まるで、『七人の侍』の勘兵衛(志村喬)と七郎次(加藤大介)のようだった。
 
コンサートでは西山さんにはジョー・サトリアーニの「Satch Boogie」をご披露頂いた。
今、考えてみると2人は「Boogie」つながりだったんだね。
この時のことが縁で、今でも西山さんと仲良くお付き合いさせて頂いている。
実は、3月3日に開催された『スピンオフ四人囃子』のリハーサルの時にも「アキラさんどうしていらっしゃいますかね?」なんて話を2人でしたばかりだった。80v『Marshall祭り2』のようす。
アキラさんにはトリをお願いした。
ベースは櫻井哲夫さん。
ドラムスは菅沼孝三さん。90元々あまり画質の良くないVHSのテレビ画面をカメラで撮影した画像なので見苦しくてゴメンなさいね。
 
使用するMarshallを試奏するために、コンサートに先立ち、このギターをご持参のうえスタジオにお越し頂いた。
その時、図々しくも「ギターに触ってもいいですか?」とお伺いを立てると、やはり「うん、いいよ!」と実にフレンドリーなご反応。
私もせっかくなので、Soft Machineの「Hazard Profile, Pt.1」のリフを弾いてお見せした。
すると「おおッ?知ってるね~!」とアキラさん大よろこび。
こっちも調子にのってTempestの「Foyers of Fun」を続けて弾くと「先生ッ!知ってますね~!」と更によろこんで頂いた。
その後、アキラさんもTempestの「Gorgon」のリフを弾いていらした。
ものすごく弦高が低くて左手の指が指板に吸い込まれていくような感じ?
でも、弦にはテンション感がシッカリあって、ピッキングが大変しやすい。
タマにあるでしょ?「1弾くと10鳴ってくれる」…みたいな。
そんなギターだった、
130画質は良くないけど、演奏はあまりにもスゴイ!
このビデオを観る限り、ペンタトニック主体のフレーズの組み立てからすると、ホールズワースというよりフランク・ザッパのギター・ソロに近いようなイメージ。
ソロの間中、音の隙間は一切なし。
そういう意味ではまさに「Sheets of Sound」!
100この後、アキラさんはコルトレーンの『Ballads』のカバー・アルバムをリリースした。
アキラさんにこのアルバムのことを尋ねると「持ち込まれた企画」とおっしゃっていたが、プロデューサーがコルトレーンの「Sheets of Sound」を鍵にしたうえでアキラさんに『Ballads』の話を持ち込んだとしたらスゴイな。
私がプロデューサーだったら間違いなく「Countdown」とか「Russian Lullaby」とか急速調な曲をお願いしちゃうもんね。

Wb

Jc 今、世の中のギターは速く弾くスタイルが全く珍しくも何ともなくなってしまったけど、そういうのとは全く違う次元の「速弾き」。
何と説得力のある音とプレイだろう。
若い人たちにはこういうモノを見てもらいたいよナァ。
あまりにも素晴らしい!
ああ、皆さんにお見せしたいナァ。
120演奏後の飄々としたインタビューの受け答えがまたいいんだ。
司会の王様が「好きなギタリストとか憧れのギタリストは誰ですか」と尋ねると、ココでも何のためらいもなく即座に「王様」と答えるアキラさん。
「こないだ、その格好で新宿から西荻まで電車で行ったでしょう?」なんて話も。
王様は『笑っていいとも!』の収録の後だったそうだ。140このコンサートを制作するためにしばらくの間、毎日徹夜をした。
全部自分でやりたかったのね。
櫻井さんの譜面まで書いた。
私も30代の後半でまだ若かったんだね。
ツライこともあって大変だったけど、「音楽に携わっている」という感覚がとてもうれしかった。
それもこれもアキラさんのような方々の絶大なるご協力があってこそのモノだった。
ま、今も『Marshall GALA』で同じことをやってるんだけどね…。
145vこの後、今は無き六本木のピットインにお邪魔したりもしたっけ。
ピットイン、なつかしいナァ。
この時、アキラさんのマイク・スタンドにタバコの灰皿が装着してあったのには驚いた。
プリズムの「MCなし」なんていうライブにもお邪魔したことがあった。150それからしばらくして、お身体を壊して入院されているということをお聞きし、入院先の東京女子医大までお見舞いに伺ったこともあった。
症状が決して軽微ではないと事前にお聞きしていたのでとても心配だったが、とてもお元気そうでお見舞いの品のMarshallのミニ・アンプMS-2をお渡しすると、大層よろこんで頂き、「ナニ?ギター弾けってか?」と冗談を飛ばされた。

160その後は基本的にMarshallをお使い頂いていなかったので、それ以来お会いする機会もなく、スッカリ疎遠になってしまったが、数年前に横浜のSTORMY MONDAYにお邪魔した時、かずきさんがご親切にアキラさんに電話をしてくださり、久しぶりに少しおしゃべりをさせて頂いた。
コレがアキラさんの声を聴いた最後の機会となってしまった。
 
下は、「先生の名前を入れておいたよ!」とアキラさんから頂戴したCD。
「last resort」は「最後の楽園」だが、「最後の手段」という意味だ。
ホンモノを知る真の音楽家たちが次々と旅立ってしまう。
何とかこの先達たちの業績を次の世代に的確に伝承するLast Resortはないものか…。 

 
偉大なる音楽家のご逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます。 

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200

 

2021年3月18日 (木)

第2回福島酒援ライブ~デーモン閣下、アトミック・プードル、田川ヒロアキ他


「呑んで福島を応援しよう!」というイベント。
過去Marshall Blogでは『がんばっぺ福島』というライブ・コンサート・スタイルでの福島応援イベントのレポートを何度か掲載してきたが、コロナ禍の昨今、ショウの形式を採ることができないため、『福島酒援ライブ』と銘打って配信のイベントを開催している。
今日レポートするのはそのイベントの第2回目。
チケットを購入すると、事前に福島の酒が送られてきて、それを飲みながら配信ライブを見て楽しむという趣向だ。
しかし、日本酒はいいね。
若い頃は苦手だったけど、歳を取ってようやくその味わいがわかるようになってきた。
しかも、ここのところ人生で何度目かの「マイ落語ブーム」の真っ只中にありましてね。
熊吉や八五郎が湯呑茶碗でヒヤをキュ~っとやる場面をニヤニヤしながら楽しんでいる。
私は父の影響で18歳ぐらいから落語を聞き始めたんだけど、これほど「酒」のシーンが目につくことはかつてなかった。
本も映画も音楽も、鑑賞する年齢によって受け止め方がゼンゼン違うからね。
オモシロイものです。
この日、イベントに参加された方もライブを見ながらおいしい福島の酒をキュ~とやって楽しまれたことと思う。

12fsl ライブの会場となったのは『ピアシス』。
田川ヒロアキさんの結婚式の2次会のレポートにも登場した芝浦のレストランだ。

20スゴイ機材なのよ!

30まるでテレビ番組の収録風景だ…ま、テレビ番組みたいなモノなんだけどね。

40最初のセッティング、整いました。
「福島とかけて何ととく」
「台所につづく廊下とかけます」
「その心は?」
「ママ通る」
あのね、ワタクシ、郡山の美術館に集まった200人の前でコレをやったことがあるの。
馬鹿ウケ受けだったよ。
往きの新幹線の中で七転八倒しながら考えた甲斐があった。
ナンでそんなことをしたのかというと…興味がある方はコチラをご覧くださいまし。
    ↓   ↓   ↓
【SHEENA & THE ROKKETS 35周年記念特別企画】鮎川さんとMarshallとわたし

それと、「福島」といえば、こんなこともあった。
    ↓   ↓   ↓
★【Marshall Blog 11年目突入記念企画】RE-BIRTH WITH MUSIC! ~ いわき街なかコンサート2011
★いわき街なかコンサートin 平 2012 <前編>

もうMarshall Blogって以前のモノも含めると3,000本近く書いていて、その間色んなところに取材にお邪魔しているんだけど、まだまったくご登場頂いていない県がたくさんある中で福島はかなり深い縁を頂戴しているのです。50ソロソロ始まるよ~!
プログラムはここピアシスでのライブだけではなく、福島各地との多元中継で進行する。
この部隊がそれをコントールする。
75v開演前…イヤ、開宴前か?
各所から届けられたビデオ・メッセージが放映される。76そして、デーモン閣下の影のオープニングMCがあって司会者が登場。80ピアシスを経営するレストラン企業「株式会社無洲」の浅野正義代表取締役社長。110vフリー・アナウンサーの長沢裕。

120v福島から内堀県知事もご挨拶。
村岡山口県知事、小池東京都知事…これまでMarshall Blogには何人かの知事にご登場頂いている。
今回は中継でのご登場となってしまったが、内堀さんは日本で一番Marshall Blogに多くご登場頂いている知事さんなのだ。
ホンモノの「ガバナー」ですからね。130乾杯の儀。
福島から福島酒造組合の有賀理事長のご発声。140カンパーイ!

150福島の各会場との中継もバッチリ。
77そしてピアシスのステージで最初のパフォーマンスがスタートした。
福島和楽器バンドの登場。
まずは…160リーダーの遠藤元気の太鼓と…170v佐藤通芳の三味線のデュエット。
いきなりの熱演!180v次の曲ではメンバーが増えて…200琴の大川義秋。
 
お琴はどうやって数えるか皆さんご存知ですか?
「~面」と数えます。

210v尺八に小湊昭尚。

尺八も管理が大変な楽器なんですってネェ。220v久しぶりにMarshall Blogに尺八が出て来たのでチョット脱線させてね。
小澤征爾が武満徹の作品をレナード・バーンスタインに聴かせたところ大変気に入り、ニューヨークフィルの125周年記念のために「日本の楽器とオーケストラとの協奏曲を書いて欲しい」と武満さんに依頼してできたのが有名な「ノヴェンバー・ステップス」。
そして、1967年11月9日にニューヨーク・リンカーン・センターにおいて初演された。
この時に尺八を吹いたのが横山勝也という大家。
横山さんは尺八を何本も持参したのだが、片っ端から割れてしまって困り果ててしまったという。
ニューヨークの気候が尺八という楽器にマッチしなかったんだって。
この曲、尺八と琵琶が出て来るところが滅法カッコいいんだよね。
一方、その琵琶を担当したのは鶴田錦史という薩摩琵琶の天才演奏家。
武満さんは作曲する時に鶴田さん以外の琵琶弾きを考えていなかったという。
この方が鶴田さん…女性です。
イヤ、女性を捨てて男として半生を過ごされた。
マァ、私もコレを知ってビックリしましたよ。Swd で、すぐに買って読んだのが下の『さわり』という沢田さんの評伝。
とてもオモシロかった。
「さわり」というのはギターで言うと「ビビり」みたいなもの。
いわゆる「バズ・ノイズ」。
三味線でも琵琶でも「ビエン、ビエン」と弦がネックやボディに当たってノイズを出しているでしょ?
コレ、ギターやマンドリンのような西洋の楽器だったら絶対に許されない音なんだけど、日本人は感性がズバ抜けて豊かなので、それを「さわり」と呼び、このノイズを味わうことができる。
ちなみに「耳なし芳一」に出て来るような「琵琶がたり」という音楽は、戦前はものスゴイ人気だったらしい。
それが時代や世代が変わり、普及活動をしなかったがために人気が衰え、弾き手もいなくなり、戦後になるとほぼ絶滅してしまった。
今の日本の音楽の状況がこのまま続くと、多分ブルースなんて音楽は早晩無くなってしまうと私は見ている。
脱線終わり。
Swr
マイクを握っているのはさっき三味線の素晴らしい演奏を披露してくれた佐藤さん。
「君といつまでも」…じゃなくて、米米クラブの「君がいるだけで」を熱唱。230ピアシスの皆さんはペンライトを振り振り会場を盛り上げる。
本当にココの人たちはみんな暖かい。240続いて福島和楽器バンドのステージに加わったのは…

250小湊美和。

S41a0057まず美和さんは「民謡メドレー」を熱唱。
私でも知っているような有名な民謡をいくつか。
いいね、民謡は。
この声ですよ、声。
ロックとジャズはもちろん、クラシックの現代音楽から民族音楽、あるいは浪曲まで…色んな音楽をカレコレ45年以上にわたって聴いてきたけど、歌のある音楽ってのはとにかく「声」だね、声。
このことが本当にわかるようになって「スゴイ!」と思うようになった音楽のひとつのは「民謡」ですね。
「土着の音楽」というものは世界中のどれをとってもスゴイけれど、日本の民謡は世界的に見ても特にすさまじいオリジナリティを誇っている「声の音楽」だと思う。
美和さんは「太陽とシスコムーン」というアイドル・グループの元メンバーなのだそうだ。
一方、ご実家が民謡の「小湊流」という流派の家元だそうで、3歳の時から舞台に立たれていらっしゃる。
道理でスゲエと思った。
尺八の昭尚さんとは姉弟。
S41a0045民謡から一変して大流行りした「紅蓮華」。
なんとバラエティに富んだステージだったことよ。
280v法被を着た司会のお2人。
ピアシスのステージから離れ、「会津ほまれ」や「大天狗」等、福島の蔵元との交信。290そして…実演でないのが残念といえば残念なんだけど、やっぱりコレが出ないと!
いわきのハワイアンズ。300一方、ピアシスのステージは転換で大忙し!330ステージに上がったのはMarshall JVM210Hと1936。
真ん中の段のJVM410Hはスペア。340vベースアンプもMarshall。
ヘッドは400Wの3540。スピーカー・キャビネットは1x15"の1515。
どちらも80年代後半のモデル。350v準備もほぼ完了…でもなさそうか?
実は今回のイベントには『福島の酒まつり・味噌醤油まつり』という副題が付けられていて、こうしたピアシスの幕間に福島産の味噌や醤油のPRが挟み込まれた。
そういえば、就職して最初に赴任した富山の下宿では、そこの家のお婆さんが毎年オリジナルの味噌を作っていた。
生まれも育ちも東京の私は「味噌を作る」なんてことを考えたことすらなくて、人生で初めて「味噌を作るニオイ」をというものを体験した。
結構ビックリしたね。
それから何年も経って、ロンドンのハマースミスを散歩していたら、やはり人生で嗅いだことのないニオイに出くわして、この富山の味噌のことを思い出してしまった。
そのニオイの元がどうしても気になってホテルの女性にそのことを尋ねた。
ホテルのそばには有名な「London Pride(ロンドン・プライド)」というビールを製造するFuller's(フラーズ)の工場(ブリュワリー)があって、そのニオイはそこでホップを煮ているニオイだった。
そして、そのニオイはハマースミスに住む人々の自慢だって言うんだよね。
そのFuller'sは今や日本の会社となった。一昨年アサヒビールが買収したのだ。
ココがこの話の「ミソ」ね。

360「準備OK」となったところで浅野社長が次のパフォーマーを紹介する。370「ロックバンド!」

380出演は加納秀人…

390v五十嵐公太

400満園庄太郎によるアトミック・プードル。
に加えて…

S41a0299 田川ヒロアキ!

420v曲はアトミック・プードルの「One Two Step」。430メンバー全員がボーカルズを担当する元気な曲。
久しぶりに聴かせて頂いたけど、何というか…「イナセ」だね。

S41a0100 裃をつけた大仰なモノではなく、夏の暑い盛りに麻の浴衣を着た若旦那が横丁の湯屋にでも行くような気軽さがあって、ロック本来もの魅力である「シンプリシティ」が十分に発揮されているナンバー。
410vコレはコレで他にない日本のロック。
私なんかはやはり外道の音楽にその原点を見出してしまう。
やっぱり秀人さんはカッコいい。
490そして、そこに田川ヒロアキというアクセントが置かれていたのがオモシロい。
460vヌケヌケのMarshallサウンドで存在感バツグン!
470庄太郎ちゃん得意のアクションも見ることができた!440そしてお待ちかねのドラゴン・ファイア。
500vスゲエ出たな~!

510v会場のスタッフも大喜び!

515「改めましてありがとうございます。
2020年にプロデビューしましたアトミック・プードルです。
10年ぐらいやってきてメジャー・デビューしました!」
530「メジャー・デビューだもんね~」
皆さん、一体何度目のメジャー・デビューなのかしらん?
皆さん30年にナンナンとするキャリアをお持ちの方々ですからね。
秀人さんに至っては「キャリア50年」だよ。
「今演った曲はみんなで作った曲で評判がすごくいいんです。
アトミック・プードルの代表曲みたいになってしまいました」
そうでしょう、そうでしょう。520v「福島の森の奥深く…お前にも福島の酒を呑ませてやる…お前にも福島の味噌を舐めさせてやる…醤油をかけてやる…お前らみんな福島の発酵食品を喰わせてやろうか!」とデーモン閣下登場!540曲は「蝋人形の館」。
盛り上がること、盛り上がること!
550vそして、東日本大震災の復興を願った曲「SOLA」を披露。
ギター・ソロの時にはヒロアキくんに歩み寄り肩に手をかけた。560「福島を応援するこういう場で演るのは感慨深いモノがある」と、閣下は入魂の歌声を聞かせてくれた。570そして、福島和楽器バンドの皆さんが加わってのフィナーレ。
曲は閣下に合わせてキャンディーズの「やさしい悪魔」。580「♪あの人は~悪魔」ね。
すると閣下から…「何度も言うようだが…『悪魔』は『人間』ではない!」とのご指摘。
 
先日、『「ルシアー」と「ルシファー」」を混同された』と、ギターを製作している人がfacebookに投稿しているのを見て爆笑してしまったが、それと近いナ。
「ルシアー(luthier)」は「弦楽器製造家」のこと。
「ルシファー(lucifer)」は「魔王」だ。

590浅野社長がステージに上がる。
いよいよ「第2回福島酒援ライブ」の〆に取り掛かる。
「最後の曲は、春が1日も早く届くようにとキャンディーズの『春一番』を選びました。
全員で歌いたいと思います!」
620「♪雪が溶けて川になって流れて行きます」
いいね、昔の歌謡曲は…恐るべき普遍性の高さ!
私ですら歌えちゃう。600秀人さんも…

630社長もヒロアキくんも…

640庄太郎ちゃんも楽しく歌いました!

650「これからも続けていきたいと思います。
福島の復興はまだまだこれからです!」
…と盛りだくさんのイベントが終了した。
次回も楽しみだ!
320
福島酒援ライブの詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト

660

200_2 
(一部敬称略 2021年2月27日 ピアシス芝浦店にて撮影)

2021年3月15日 (月)

犬神サアカス團:単独興行2021<生き地獄遍>~私の松戸

 
千葉の松戸。
水戸街道の千住の次の宿場だったので、江戸の昔から賑やかだったそうだ。
遠いゼ~、水戸って。
東京から120km近い。東海道でいえば三島ぐらいか?
去年、初めて行ったけど、遠かった~。
その点、松戸は江戸川を渡ってすぐだからね、お隣さんだ。10チョット歴史っぽい話。
犬っ子の皆さんならお好きでしょう、歴史。
 
幕末の水戸藩の志士、関鉄之介を描いた吉村昭の『桜田門外の変』なんて読むと、昔の人たちは水戸から江戸まで平気で歩いていたことがわかる。
Mh 替わってコチラは日比谷線南千住駅の真ん前にある回向院。
両国にも「回向院」があるけど、コチラの回向院はかつてそこの別院だった。
両国の回向院は元々1657年の「振袖火事」として知られる「明暦の大火」の犠牲者10万8千人を葬ったのが始まり。
一方、コチラは近くの小塚原刑場での刑死者を葬るために建立された。
その刑死者の亡骸は「腑分け」といって、人体解剖に供された。
「解体新書」で有名な杉田玄白や前野良沢は、役人の立ち合いのもと、ココでその腑分けを行った。
この腑分けや小塚原には興味深い話がたくさんありましてね、今はお休み状態だけど、『私のディープ浅草』として、いつか犬神さんの記事の中で触れたいと思っている。
120r4a0114さて、この回向院にその関鉄之介の「遺墳(いふん)」がある。
で、この「遺墳」という言葉…調べてみると、字面はもっともなのだが、この言葉は辞書に出ていない。
私は持っていないんだけど、三省堂の『大辞林』にも出ていないそうだ。
ようするにお墓なんだけど、ダミーっぽい。
というのは鉄之介の立派な墓が水戸にあるから。
実はココにはあの有名な吉田松陰の墓もあるんだけど、松陰の故郷の萩にもあるワケ。
で、山岡荘八の『高杉晋作』を読むと、「吉田松陰の墓を掘り起こすために小塚原へ行った」という場面が出て来る…ように記憶している。
このように刑死者を一旦葬った墓のことを「遺墳」と呼ぶ…のかしらん?
私も金田一じゃないので辞書に出ていない言葉は正確にはわかりません。
ちなみに鉄之介は小塚原ではなく小伝馬町の牢屋で斬首されたようだ。
小伝馬町がまたスゴイんだわ…コレはまた別の機会に。120r4a0509_2回向院の前を走る通り。
12img_8270この通りを「コツ通り」と呼ぶ。
もちろん「コツ」とは「骨」のことだ。
小塚原にたくさんの骨が埋まっていたから。
どうよ、犬神らしくなって来たでしょうが?
吉原は「中」、品川は「南」、洲崎は「辰巳」、そして千住にあった遊郭のことを「コツ」というアダ名で呼んだんだね。12img_8268はい、松戸に戻ります。
そんな東京のおとなりさんの松戸でも、昔は遠かった。
というのは、私は小学校の低学年の頃、すなわち昭和45~46年(1970~1971年)ぐらいまで松戸にあったプールに通っていたことがあったのだ。
コレがすごく遠く感じたんだよね。
何で東京からワザワザ松戸のプールまで足を運んでいたのかというと、当時は「スイミング・スクール」なんてモノが盛んになり出した頃だったんだけど、プールがどこにでもあるという環境ではなかった。
もちろん屋外のプールは公営のモノが普通にあったけど、温水プールはまだ珍しかった。20_2その松戸のプールは「新松戸スターランド」といった。
松戸が地元である犬神の明兄さんとこの話をするたびに、都度「それは…もしかしたらサニーランドではないですか?」と慇懃な態度でお答え頂く。
「イエイエイエ、『サニー』ではなくて『スター』。黄色い三角の建物で、50mプールがあったんですよ」と説明してもどうもピンと来ないようなのだ。
アレだけの立派な設備を擁したプールを地元の方がご存じないとなると、いよいよ自分の記憶違いなのか?と思わざるを得なくなってくる。
あんなによく通ったのにナァ。
今回の取材でお邪魔した際にも明兄さんとこの話になった。
すると、それを聞いていた新しく犬神サアカス團に加入した若いベーシストが、「アレはサニーランドとは別で、スターランドは北小金にあったんですよ」と教えてくれた。
やっぱり、あったんだ!
12busせめて黄色い三角の建物の写真をだけでもインターネットに出てはいないか?と血眼で探してみても見つからない。
すると、外観の写真はないものの、一般の方のブログでこんなタイトルの投稿を見つけた。
『昭和40年代、松戸のスターランドに初の水泳クラブ』
そこにはこのスターランドの成り立ちついて簡単に書いてあるのだが…フーム、コレはオモシロイ。
そのインターネットの解説によると、このスターランドは「小金牧(こがねまき)」の牧士(もくし)の子孫である湯浅さんという方が経営していたらしい。
「牧(まき)」というのは幕府直轄の放牧地のことで、その管理をするのが牧士の仕事。
小金は、水戸街道の松戸の次の宿場でかなり栄えていた。
その中でも湯浅家は広大な敷地と豪壮な屋敷を構える地元の名士で、時代は下り、このスターランドは湯浅さんのかつての屋敷の一角に立てられていたという。
アレ、個人の家の中にあったのかよ!
まるでイギリスの「マナーハウス」だな。
その光景がハッキリとは思い出せないが、子供の目にはかなり山の中のロケーションという感じに映った。
北小金かなんかの駅まで送迎バスが行き来していて、しこたま泳がされた後、「なみだロート」で目を洗って、の帰りのバスの中でお母さんが作ってくれたおにぎりを食べるのが大きな楽しみだった。
売り物は別にして、私はお母さんと家内が握ってくれた以外のオニギリを食べることができません…そんなことはどうでもいいいか。
プールは冬季にアイススケート場となった…というから、通っていたのは夏の間だけだったのかな?
冬も通ったような気がするんだけどな~。
今でいう「トレーニング・ジム」のようなものも併設されていて、新松戸に住んでいた、後に宇宙飛行士となる毛利衛さんも通っていたそうだ。30でも、高校になると「私の松戸」はガラリと様相が変わった。
松戸出身のバンド、ウシャコダだ。
下は当時の週刊ポストの巻末の写真ページのスクラップ。
「今ロック界で注目されているバンド」みたいな特集で、他に「東京おとぼけキャッツ」や「なぞなぞ商会」が紹介されていた。
写真は渋谷の屋根裏だね。
私も屋根裏でウシャコダを何回か観た。
オモシロかったな~。40
「屋根裏のウシャコダ」と言えば、一度、三上寛がゲストで登場したことがあった。
ウシャコダがバック・バンドを務めた「なかなか」というシングル盤のプロモーションだったんだね。
「♪吉美家の牛丼はなかなかにうまい」と歌い出すこの曲。
もちろん「吉美屋」とは「吉野家」のこと。
曲が終わって、三上さんがステージを降りると、ウシャコダのボーカルズの藤井さんが「吉野家はツブれたよ~!」とおっしゃったの覚えている。
そう、このライブは昭和55年(1980年)…その年、吉野家は120億円の負債を抱えて倒産したのだった。
この曲もいいんだけど、その前に三上さんがギターの弾き語りで演奏したB面の「大感情」という曲に感動しちゃいましてね~。
次の日、シングル盤を買いに行ったんだけど、アレ、いつの間にか無くなっちゃったナ。
下はインターネットから拝借したもの。

Kan

「ウシャコダ」というバンド名は、海外の曲名だか歌詞からの引用ということは知っていたが、今回明兄さんからそれがソカの曲「Wish I Could(発音は'ウィッシャイクッド')」であることを教わった。
「ソカ」というのは「ソウル・カリプソ」のことね。
今回知ったんだけど、この「Whish I Could」という曲は他にもゴロゴロあるのね?
でも、重篤なイギリス病に罹患している私にとっての「Wish I could」はもっぱらコレ。
1967年のThe Kinksのアルバム『Something Else by The Kinks』の1曲目。
50cd「David Watts」という曲。
 
ボクはトロいお人よし
水とシャンペンの区別もできゃしない
女王様に会ったこともない
彼みたいだったらいいのにナァ
デヴィッド・ワッツみたいだったらヨカッタのにナァ
 
と歌われる。この最後の行が私の「ウッシャイクッド」。
コレを英語でやると「♪ I wish I could be like David Watts」となる。
いわゆる「仮定法過去」。
「現在の事実とは異なる状況を表す表現」ってヤツ。
「デヴィッド・ワッツみたいだったらよかった」のに、「でも実際は違う」…と、そこに書いていなくても書き手の残念な気持ちがコレで表現されるってんだけど、この「仮定法」ってのは日本語にない語法なので、なかなかピンと来ないんだよね。
「I wish I could be with you!(一緒にいられればヨカッタのにナァ!)」とか決まり文句で覚えちゃう。
そういえばPink Floydの『炎』もコレと同じだわ。
アレは原題が『Wish You Were Here』だから「アナタがここにいたらヨカッタのに(でもいない、まぁ残念ね)」という風になる。Pf この「David Watts」の中に「ウシャクッビーライク」とか「ウシャウシャ」とか盛大に「ウシャコダ」が出て来る。
もう~The Kinksが好きで、好きで!60cdどれぐらい好きかというと、中心メンバーのレイとデイヴのデイヴィス兄弟のロンドンの生家まで行っちゃうぐらい好き。
明兄さんも好きとおっしゃっていた。120r4a0064 もちろん松戸のウシャコダも大好きでね~。
向かって右はデビュー・アルバムの『土一揆』。
サインが入っているでしょう?
コレ、昭和55年(1980年)9月、私が高校3年生の時に日比谷の野音の客席で見かけたウシャコダのベースの恵福さんとドラムスの井野さんから頂戴した直筆サイン。
ナゼか偶然このレコードを持っていたんだよね。
本当の偶然だった。
では、ナニを観にいっていたのか…。
70
時は第一次漫才ブームの真っ只中。
タイトルは忘れてしまったが、とにかく「漫才とロックの融合」みたいなイベントだった。
当時は歌謡界とロックは全くの別物で、今のように「ロック」と呼ばれる音楽はまだまだ一般的な存在ではなかった。
そんな中、漫才サイドから出演したツービートのたけしさんはロッド・スチュアートの「Hot Legs」なんかを歌っていた。
バックバンドを務めていたのは東京おとぼけキャッツだった。
終演後、会場に来ていた友達の玉川くんが「あ~あ、モノマネ見たかったな~」と言った。
この日はバック・バンドに徹していたので、おとぼけキャッツのネタは一切演らなかったのだ。
「今日はイギリスからゲストがお見えになってます!ジェフ・ベック先生です!」「皆さん、こんばんは~、イギリスから来たジェフ・ベックで~す」と「Led Boots」の一節を弾いたりする芸が当時なんであんなにオモシロかったのか?
今にして思うと、プロ・ミュージシャンが一流の技術で上手にコピーをして真剣に演奏している様子がスゴくもあり、オモシロくもあり…ということになるのではなかろうか?
あの時代、プロは絶対にコピー曲を演奏したりすることがなかった。
まだ、「カバー」とか「トリビュート」というような耳障りの良い言葉はなかったし、コピー・バンドがライブハウスに出えられるチャンスなんてまずなかったのだ。
「プロ」と呼ばれる人たちはみんな自分たちだけの音楽を作ることに専念していたからね。
もちろんコピー・バンドにお金を払うお客さんもいなかった。友達のバンドの発表会みたいな場合は別ですよ。
そんな背景があったので、あのおとぼけキャッツのネタがオモシロかったのではないか…なんて考えてしまった。
実際、おとぼけキャッツの演奏はスゴくて、当時からThe Brecker Brothersの「Some Skunk Funk」とか演っていたからね。
私もコレを観に東京タワーまで行ったクチよ。
「屋根裏五日間連続出演」なんてのも行った。
下はリリースされてすぐに買ったファースト・アルバム。
なるほど、コレも昭和55年だったのね?
透さん、若い!
120r4a0763 この時、出演したバンドのお手伝いをさせてもらっていた関係で楽屋に入れてもらうことができた。
その頃の野音の楽屋はまだ木造だったんだよ。
何しろその頃は空前の漫才ブーム。
「もしかしたらテレビで人気の漫才師たちにサインをもらえるかも?」と、ワザワザ色紙を用意して行った。
そしてサインをもらった!
 
コレは「ザ・ぼんち」…そうなんです。
と言っても若い人は知らないだろうナァ。
おさむちゃんはすごく感じが良くて、ニコニコ顔でサインしてくれた。
この色紙に日付が入っていたので、上のレコードのサインもいつもらったのかがわかる…というワケ。
72vコレはゆうとぴあ。
あのゴムパッチンのね。
73vそしてコレはツービート。
他に『わっ毒ガスだ!』というツービートの著書にもサインをしてもらったのだが、いつの間にかどっかへ行っちゃった。
コレらの色紙だけ、何十年も経ってから出て来たの。
下のツービートのサイン、ほぼ全部たけしさんがしてくれた。
たけしさんもまだ人気が出始めた頃で、とても愛想がよく「はいはい、サインね、もちろんいいですよ~」ってなもんだった。
きよしさんは傍らで弁当を食べていて、たけしさんに「おい、サインしてやれよ」と言われ、箸を咥えながら「きよし」と名前だけ入れてくれた。
この2年後ぐらいに慶応大学の医学部の大学祭で再びツービートとご一緒させて頂く機会があった。
その頃、たけしさんはもう押しも押されぬ大スターで、楽屋は別、舞台裏ではお顔を拝見することすらできなかった。
「オールナイトニッポン」オモシロかったもんね~。
一方、きよしさんは野音の時とは違ってものすごく愛想がよくて、「イヤ、も~大変でさ~」と、舞台袖にいた私に色々と話かけて来てくれた。
いい思い出だ。
71vこんなシングル盤も買った。
調べてみるとこれも昭和55年(1980年)のリリースだったようだ。
もちろんタイトルは松坂慶子が昭和54年にヒットさせた『愛の水中花』のパロディ。
この頃、天中殺が大ブームだったからね。
一時「天中殺よりコワイ水中殺」なんてやっていたような気もするんだけど、今、インターネットで「水中殺」と検索してもナニも出て来ないわ。
リズムはレゲエ。
レゲエも流行り出しの頃だったのかな?
私はB面の「田舎デスコ」という曲が大好きだった。
ライブで演っているのも聞いたことがあるんだけど、メチャクチャおもしろかったナァ。80コレを買ったのは新小岩の駅前の商店街の中にあった「トーホー堂」。
演歌歌手は「トーホー堂の前でビール・ケースの上に立ってプロモーションをしないと売れない」と言われた演歌界では相当名の知れた「町のレコード店」だった。
時々お店を手伝っていたそこのお嬢さんが私と同じ歳ぐらいで、背が高く、なかなかの美人ちゃんだった。
上の『土一揆』もそうだが、チャクラのファースト・アルバムもこの店で買ったな。
この頃、秋葉原の石丸電気以外でレコードを買うことはまずなかったので、すごくよく覚えているのだ。90この頃から20年以上経って、ウシャコダのヴォーカルズの藤井康一さんとウクレレの仕事で少しご一緒させて頂く機会があった。
ジミー・ランスフォードの話をしたのが印象的だった。
さらにそれから20年近く経って…一昨年かな?
浅草の東洋館で藤井さんの舞台を観た。
高木ブーさん座長を務める「ウクレレ漫談協会」みたいな団体のお披露目の公演だった。
下の写真の真ん中で赤いズボンをはいている長身の方が藤井さん。
ポカスカジャン、ぴろき、タブレット純さんらに混ざって藤井さんは牧伸二さんのネタを披露した。
とてもオモシロかった。
そういえば藤井さんも一時期サキソフォンでおとぼけキャッツに参加されていたな。
で、この時「Marshallのシゲさんですよね?」と見知らぬ女性から声をかけられて本当に驚いた。
ライブハウスならそれも珍しくないんだけど、ココは浅草六区の演芸場ですからね~。
外では滅多なことはできないな…と思ったよ。

ちなみに、上で紹介した東京おとぼけキャッツのジェフ・ベック先生こと来住野潔(当時はキー坊キンタ)さんは奥さんとコンビを組み「世田谷系面白音楽」を標榜した「めおと楽団ジキジキ」で東洋館に時々ご出演されていて、ドンキの前でお見かけしたことがある。
いつかそうる透さんにこのことを話したら「そう、彼はね、ホンモノになったんだよ」とおっしゃっていた。
カッコいい。
100以上が「私の松戸」。
「どこが松戸じゃい?」ってな感じだけど、ココから先の現場は正真正銘、松戸です。
今日は『単独興行2021<生き地獄遍>』と題した犬神サアカス團の無観客/配信のライブ。
タイトルにある「遍」という字は私のタイプミスではない。
もちろんこういう時、普通には「編」という字を用いるが、ココでは故意に「遍」という字を当てた。
理由を聞いたワケではないが、「遍」というのは「行き渡る」という意味があるので、それを狙ったのだろう。
「普遍的」の「遍」だ。
つまり、今のコロナの時代「アナタ生き地獄、ワタシも生き地獄、同じ生き地獄ならいっそ狂ってロックンロール!」ということ…なんじゃないのって勝手に思わせて頂きました。

210v会場は松戸駅から徒歩8分のところにある『STAGE V(ステージ・ヴイ)』。110コロナ渦中で多くライブハウスが苦戦を強いられているにもかかわらず、昨年の9月にオープンされたという。
快挙である。
まさにこの「V」がコロナに勝つための「Victory」の「V」に見えてくるではないか!

120v一方、ドラム教室の生徒さんも募集中だ!130v店内に飾られた犬神サアカス團のシングル盤のコレクション。

140vおお~、さすが。
出典も飾ってある。

150vさて、ステージの上は…
明兄さんのNATAL。160久しぶりだナァ~。

170ギター・アンプはJCM2000 TSL60と1960Vのフルスタック。180vコチラはこの日は使われなかったがJVM401Hと1960のフルスタック。
今どきスゴイな~、ありがたいな~。190v…と思ってお店のチラシの裏に出ている機材リストを見てビックリ仰天!
JVMやJCM2000だけでなく、AVTやらJMD(CMD50というのはJMD50のことだと思う)まであるでないの~!
ヘタな楽器屋さんよりよっぽどスゴイな。
ありがとうございます!200さて、2019年11月9日の『Marshall GALA2』以来の犬神サアカス團!220犬神凶子

230v犬神明

240v犬神リンダ

250v犬神エイジ

260v犬神敦

270vメンバーが入れ替わって初めて耳にする犬神サアカス團の生音。
1曲は現メンバーになってからリリースした音源「目障りな異分子」。2803/5が世代の異なるメンバーとなって、果たしてどうなるかと正直チョット心配していたが…犬神サアカス團だわ!

290オルガンがいい感じ!
実は日本語で演る洋式のロックって鍵盤楽器のサウンドがシックリくることが多いんだよね。

S41a0044ギター・ソロの雰囲気が変わるとバンド全体の雰囲気も変わるもんですナァ。300「こんばんは、犬神サアカス團です。
みんなコメントありがとうございます。
コメントどんどん書いてくださ~い!ネガティブなことを書かれるとヘコんでしまうので書かないでくださ~い!」
わ~か~る~!ネガティブはイヤだよね~。

310v2曲目は「赤猫」。
コレ、「あかねこ」じゃなくて「あかぬこ」って読むの?320「赤猫」といえば、昨日の朝は大変だったよ~。
今、人生で何度目かの落語ブームの真っ最中で、一昨日桂文楽の「富久」を聞いてから床についた。
いいね、文楽の「富久」てぇヤツは。もう何回聞いたかわからん。
「桂文楽」ったってペヤングじゃないよ。
先代の八代目文楽、「黒門町の師匠」だ。
Km 朝、6時チョット前、けたたましい消防車のサイレンの音に飛び起きた!
ち、近い!
現場はウチのすぐ裏だった!
「富久」の方の火元は、隣の「糊屋のバアさん」の貧乏暮らしで点した爪の火だったが、こっちは近くの「肉屋のバアさん」だった。
サツマイモをチンしていたら煙が上がってビックリして119番したとか…。
火さえ出ていなかったらしい。
にもかかわらずこの消防車と消防員の数!
12f2人騒がせなことだが、大事に至らなくて本当にヨカッタ。
ところで、この落語によく出てくる「糊屋のバアさん」ね。
私は長い間「海苔屋のバアさん」かと思っていた。
「糊」といっても紙を貼り付ける「糊」ではなくて、洗濯の方の「糊」ね。英語で言えば「starch(スターチ)」…つまりデンプンのこと。
考えてみれば、昔、紙に使う糊はゴハンを使ってみんな自分で作っていただろうからね。
「赤猫」だったらどうしようかと思ったよ。
ちなみに、「赤猫」のことを英語で言うと…「Red cat」ではない。
「arson(アーソン)」という。
Marshall Blogでは第二次世界大戦後のイギリスで起こった最悪のアーソンのことに触れたことがあるので興味がある方はコチラをどうぞ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】vol.56~変わりゆくロンドン <その6>デンマーク・ストリート(後編)
F1そして、『地獄の子守唄』から犬神クラシック「廃墟の街」。
何とも重苦しいワルツ。
この曲のサビはムズカシイぞ~。

330_hm随所に出て来るギター・ソロ。
リンダくん、気合を入れて弾いてくれました。

340ココのMCではメンバーからそれぞれひと言ずつご挨拶。S41a0265曲は続いて『死ぬまでROCK!』から「ビザール」。

360_bz殺人鬼ビザールの物語。
久しぶりに聴いたけど、この曲ってカッコいいな。
ちょっとフリート・ストリートの『Sweeney Todd』をイメージしてしまった。
370v「bizarre(ビザール)」とは「風変わりな」とか「奇怪な」というチャンとした英単語。
実際に向こうの人が使っている言葉。
または1960年代の後半にフランク・ザッパが運営していたレーベルの名前。
ということぐらいしか私は知らない。
曲は全然ビザールではない、これまた重苦しいワルツ。

12bizarre_3 続けて「マッチポンプ」。
コレはわからん。
ギターが大活躍!380「尿道とっくに溜まりました~。お団子食べま~す」
コレはナンですか?
チョット見ない間にスッカリ置いて行かれてしまったようだ。390v次々と送られてくるコメントをチェックするメンバーたち。
もちろんネガティブなモノはない。
「明兄さん、『曲がいい』とすごくホメられてますよ!」0r4a0054 「そうだね、ウチは曲がいいね!」
いいです。
540_mcホメられたところで次…コレはおなじみ「恐山」。400_oz何となくですが、ココまで比較的渋めの選曲ですな。
談志の落語みたいに、始めおとなしくして聞き手を引き付けておいて、後でドーンのパターンかな?410vメンバーが変わって1年。
25年以上にわたって書き溜めた膨大なレパートリーがあるでね。
この1年の間にナニから手を付けたのか…という楽しみもあるよ。
420v_mc「尿道とっくに溜まりました~。お団子食べま~す」
あんまり何回もやるのでさすがに気になって明兄さんに教えてもらったよ。
「♪ 尿道の奥にたまったドス黒い憎悪のカタマリ 膨れ上がった膀胱を破裂させて身体の中へ逆流させる今」という「逆流」という曲の歌詞の一部だったのね?
こんなことしたらエリック・ドルフィーみたいに「尿毒症」で死んでしまうよ。
この曲を演奏しているのをコレまで見たことがないし、収録しているアルバムも持っていないので知らなんだ。
で、以前からやっているツイキャスで投げ銭があるとこのセリフをキメてくれる…という背景があったのか。350v_mc「運命のカルマ」が続く。430_ukなんかホッとするナァ。

440「桜散る中」でレッツ・ゴー!
ノッて来たぞ~!
480_myスモーク散る中、凶子姉さん熱唱!
460もうイッチョ「道行き」をブッ放す!

470はいはい、またコメントのチェックね。
どれどれ…
「バックドロップが欲しい」
「このライブを映像化商品化して欲しい」
配信はこうして観ている人と交信できるのがオモシロイといえばオモシロイね。
普通のライブじゃこうはいかないもんね。12s41a0108 「薔薇迷宮」…コレも初めて聴いた。
520v_kc次は思い出の曲…っていっても最近のことだけど。
『Marshall GALA2』でも演ってくれた「暗黒礼賛ロンクンロール」。

0r4a0015 時代は下って『玉椿姫』から「虚像の誓い」。
490v_mcココではオリジナル音源通りに敦くんがベース・ソロを披露。
530v「次はコレでハジけたいと思います!」とタンバリンを手にしたのは「ビバ!アメリカ」。550_va明兄さん、鬼気迫るドラミング!
それに忠実に答えるNATALドラムス!
555vさらに「命短し恋せよ人類」と犬神スタンダードが続いてゴキゲン!560_hb次で本編最後。
その前にメンバーからひと言。
 
「皆さん、コロナの中ストレスが溜まっていると思いますが、このライブを見てスッキリして欲しいと思います!」
12s41a0263「配信ライブもいいんですけど、生のライブも見て欲しいと思います!」

S41a0266「楽しかったです!
どんな形でも我々は楽しい時間をお届けしたいと思います!」

S41a0269 そして、明兄さん。
「そうだね。
ライブは3か月ぶりかな?明けましておめでとうございます!
このメンツで改めてやって行こうと思いますのでよろしくお願いします!」S41a0271 最後を締めくくったのはシットリと「箱舟」。S41a0093 もちろんアンコールもあったよ~!

570_imko「光と影のトッカータ」で5人が燃え尽きた!580v

590

600v

620v私の持論で「ロックバンドは歌とドラムス」というのがあって、ギターやベースの重要性はその次だと思っていたけど、ずいぶん変わるもんだナァ。
でも、犬神は犬神。
一番重要なのは「曲」です。
レナード・バーンスタインじゃないけど、何があっても曲が良ければ「音楽」は生き残ります。
これからも独自路線で徹底的に暴れて欲しい新生犬神サアカス團なのでした!

6303月21日は下北沢のCLUB Queでライブで~す!
 
犬神サアカス團の詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト

640犬っこの皆さんはもうご覧頂いていると思いますが、2019年11月9日に開催したウチのコンサート『Marshall GALA2』の犬神サアカス團のライブ・ビデオです。
英語の字幕は本国Marshallのイギリス人に添削をしてもらっていますので安心してご覧ください。
「暗黒礼賛」の歌詞の英訳はメチャクチャ面白かった!
向こうの人に「本当にこんなこと歌ってるの?気持ち悪いバンドね!」と言われたわ。
間違いなくホメ言葉だろう。

 

200
(一部敬称略 2021年2月20日 松戸STAGE Vにて撮影)

2021年3月11日 (木)

SHOW-YA『HARD WAY TOUR 1991 in武道館 AGAIN』<後編>

  
さて、<後編>。
よくウェブサイトで生年月日を入力する時に年がズラ~っと出て来て、そこから当該のモノを選ぶタイプのヤツがあるでしょ?
アレが大変なんだよね。
私の場合は1962年を探すことになるんだけど、カラカラカラカラカラカラと大幅にスクロールしないと行きつかない。
スタートが今年だとしたら60行近くのスクロールになるからね。面倒なのよ。
ま、「昭和の人間」ということですわ。
でもね、フト気が付いたんだけど私が生まれてから過ごした「昭和年間」は26年。
一方、「平成年間」は31年。
驚いたことに「平成」の方が長いんだよね。
そして、自分も父が亡くなった年齢まで生きるとして、「令和」がその時まで続くとしたら私の「令和年間」は27年。
これまた昭和より長くなっちゃうのよ。
全然「昭和の人間」じゃないのよ。
でも、やっぱりロックが一番クリエイティブだった1970年代があった「昭和」が一番好きだな。
006 

さて、前回からお送りしているSHOW-YAの日本武道館公演の再演。
開催されたのは1991年だから、さっきのスクロール画面だったら31行。
なかなかのさかのぼりようですよ、コレは。
31年前か…私は長野にいたな。
長野はヨカッタナァ。
長野にもMarshall Blogの愛読者がいらっしゃることでしょう。
今日はその方々へのサービスね。
 
007長野には7年半もの間お世話になりましてね。
下の子も生まれて、最高の子育て環境に恵まれた。
春は桜よりも「あんずの里」と呼ばれる安茂里に「ひと目十万本」と言われる桃色のあんずの花が咲き乱れ…

008夏はお弁当を持って朝から晩まで近所の市民プール。
昼間は暑いけど東京とは違って健康的な暑さなんだな。
夜には涼しくなるエアコンなどつけて寝たことなどは1回もなかった。009秋は菅平で草滑り。
チョット足を伸ばせば紅葉は見放題。010冬は裏山の飯綱高原でスキー三昧。
白馬や志賀高原もすぐに行けるけど、ワザワザ混んでいるところなんかに行く必要なナニもない。
リフト待ちなんてしたことがなかった。
生来、私は雪が好きなので、冬もほとんど苦にならなかった。
011土日は家の風呂に入ったことがなかった。
温泉巡りだね。012食べ物については個人的には特筆すべきことはそうない。
おやきだとか、漬物とか、山肉(今でいう「ジビエ」)とかは全然うれしくないの。
でも、黒姫の路上で清水に浸して売っていた獲りたてのトマトやトウモロコシのおいしさには絶句したものだ。
それとソバね。
ソバはずいぶん食べ歩いたナァ。
特に上田の「草笛」が大好きでね~。
今はこんなに立派になっちゃったけど、昔は掘立て小屋みたいな小さなお店でね。

122 何しろ盛りがすごくて。
噛んでなんかいたら、すぐにおなか一杯になっちゃうのでひたすら飲み込む。
松本の有名なお店なんかも行ったけど、量が少なくてね~。
草笛が何と言っても一番だ。
実は今でも年に1回食べているのだ。

0137年近くの間権藤のパブでハコバンをやらせてもらって、十分ギターで稼がせても頂いたし…本当に長野はいい思い出ばっかりだった。
家を買って永住しようと思ったぐらいなんだから。
でもね、社命で東京に帰って来てみると、はじめは猛烈に長野が恋しかったんだけど、すぐに東京の方がよくなちゃった。
空気が悪かろうと、水がマズかろうと、やっぱり生まれ育ったところだからね。
31年前にSHOW-YAが武道館で熱演していた時、私は信州でソバを胃の腑に流し込んでいた…ということで本題。
 
さて、コンサートは中盤もたけなわ。
スリリングなインストゥルメンタルのシーンに恵子さんが加わって曲は「魔性」に突入する。170_ms私は「魔性」という言葉を耳にすると即座にコレを思い出す。
1952年からやっている近所の「オンリー」という喫茶店。
子供の頃、「魔性の味」ってのは一体どんな味なんだろう?とすごく気になった。
ハハハ、「DAMON'S TASTE」だって。
先日、デーモン閣下とご一緒した時に教えて差し上げればヨカッタ!
結局、今の今までどんな味なのかは体験していない。2onlyコレもSHOW-YAっぽい曲。
SHOW-YAの魔性の味を挽き出しているのは…
 
寺田恵子
180v仙波さとみ

190v中村"Captain"美紀

200v角田"mittan"美喜

S41a1379そして、五十嵐"sun-go☆"美貴。

80_2sun-go☆さんは<後編>もMarshall。
当たり前か。
JVM410Hと…100_cab_21960BDM。

100_cab_1キャプテンとmittanのデュエット。
こんなの初めて見た。

210_rgこの中盤のインスト・コーナーっていうのかな?
バンド・フィーチュア・タイムとでもいうのかな?
私は感動してしまったよ。
今、「女性のバンド」って完全に珍しくも何ともなくなったでしょ?
速弾きをこなす人もいれば、パワフルでテクニカルなドラムスを叩く女性もいる。
みんなメチャクチャうまいよ。
でもね、インストでこんなに「ロック」を感じさせる女性チームって、今SHOW-YAだけじゃないかしらね?
やっぱりLed ZeppelinやDeep Purpleのようなハードロックのオリジナルから直接薫陶を受けた方々だからできるワザだと思いますよ。
もうヤケクソにカッコよかった。
この会場に来ている人、配信を見ている人だけでなく、世界の人に見せて自慢したかったよ。
220特大マレットを持ってまずはドラを一発…ジョワワワワ~ン!230_2mittanのドラム・ソロ~!240_2♪ドッチードッチーとバッキング・トラックに合わせて大暴れ。

250vそしてスティックを宙に舞わせる。
お客さんは心の中で大きな歓声を送ってくれた。260v「楽しんでますか?
去年、大変な思いをして、年明けにはもう少しよくなると思っていたんだけどね~。
『いつになったら終わるんだい!?』という時代だけど、みんなと一緒にナントカすればよくなっていくじゃん。
ココに来るにも勇気が要ったと思います。今日は本当にありがとう!
じゃ、行きますか…」270v「思いっきり心の中で叫べ~!」とつなげたのは「MAKE IT UP」。280_miuここから最後のセクション。
まだまだ出て来る飛びっきりのロックンロール。290スポットライトを浴びてバリバリ弾いちゃうsun-go☆さん。0r4a0585ステージ中央でしゃがんでみたり…

310v_2肩を出したりで恵子さんも猛ハッスルだ!
そういえば「ハッスル」という言葉も聞かなくなったな。
「昭和の言葉」なのか?

320おなじみ「LOOK AT ME」が続いた。330v_lamいつ聴いても楽しい曲。340_2「女だけのロックンロール」の最高峰ですからね~、楽しいにキマってる。350v今度はステージ・センターで弾きまくる!355恵子さんは奥の方から「♪ロックンロール!」

0r4a0489 続けて「Fairy~!」370_fr「なるほど…武道館の時はココで演ったのか…」なんていうことを知る楽しみもあった。
当時現場にいた人はさぞかし懐かしかったことでしょう。380「Shock my heart」ポーズ。
400「I can't see」ポーズ。

390_2ギター・ソロから…

410v三役そろい踏みと竿回しまで、ナント見どころの多い曲よ!

420_2「今日はどうもありがとう!
もう1曲…楽しんで帰ってよ~!」450v_mcsun-go☆さんのイントロで始まる本編を締めくくる曲はやっぱりアルバム『HARD WAY』から「ギャンブリング」。
比較的いつも取り上げられるSHOW-YAの代表曲だけど、今日はナンカ雰囲気が違うね。
皆さん。30年前のことを思い出しながら演奏したのかしら?
460v_gb 470v

480

510

500v_2こうしてアッという間に本編が終了した。520_2アンコール。
「どうもありがとう…本当に、本当にありがとう!
30年前はナニもしゃべれなくて『MCがへたくそ』と音楽誌に書かれて、叩かれて…今では笑いが取れるように成長しました!
ロック・コンサートでナンで笑わせなきゃイケないんだ!って思っていたけど、コンサートに来て笑って帰ってもいいよね~と思うようになりました。
さぁ~、お待たせしました!
30年前にはなかったコーナー!」

530そう、SHOW-YAコンサート名物のメンバーからのひと言コーナー!
いつも通りmittanから…
 
「こんばんはmittanです!
今は本当に大変な時で声も出せませんが…」550v_2「みんなの魂の声が聞こえてきます!
今のこの時を生きていきましょう!」560_2「こんばんは、さとちゃんで~す。
みんなに会えて本当に幸せ!
みんなに感謝しています」

570v_2「今年もよろしく~!」

580「本当にありがとう!
30年前の再現ライブということでひと言…あの時、30年後に再現するなんて1mmも考えませんでした」

590「あの時観ていたみんなもそうだったと思います。
時が経つってスゴイですね!」600「集まってくれてありがとう。
次のライブがまだキマっていないけど、キマった時にはまた集まってもらってライブの雰囲気を味わっていけたら…と思います」610「35年なんですね。
またガンバりたいと思います!」620v「配信ライブもありますからね~。
また見てみてください。
きっと皆さんの宝になると思います。
次のライブがキマったらホームページに載せますので見てくださいね!」
今回は恵子さんの曲間のMCも含めて、トークはすごく手短に済ませた。
というのも時間をすごく気にしていたんだと思う。
もう、本当にコロナ厳戒態勢で決行したライブだったのだ。
540v_2ジャケットを脱ぎ捨て、バラのタオルを肩にかけて「その後で殺したい」。630_sakまだまだパワーがふんだんに残っている恵子さん。
部隊を縦横無尽に駆け回る!640sun-go☆さんの英気あふれるソロも留まるところを知らない。

650v再びペンライトを手にした恵子さん。

660v_rrLded Zeppelinの「Rock'n'Roll」。
へ~、コレも武道館で演ったんですか~?670さて、いよいよ最後。670_gl締めくくりは「限界LOVERS」。

680v

690v

700

710v

720メンバーのみなさん、どんな気持ちだったんだろう?
30年前のことをそのままもう一度やる…なんて機会は普通の人にはないからね。730終了~!

750客席に向かって大きく手を振るメンバー。760恵子さんは奥で休憩。770vこんなご時勢なのでファンの皆さんとのタッチはなしね。

780そして、恵子さん最後のルーティンでショウは完結する。

795「みんな、愛してるよ~!」

790vしかし、キャプテンが「30年前には再現ライブをするなんて考えもよらなかった」とおっしゃっていたが、「30年後にライブ・コンサートを開くことができない」なんて世の中を想像することの方が難しかったのではなかろうか?
も~、いい加減に飽きたね、コロナ。
超インドア派の私でも、さすがにどこかへ出かけたいと思って来たわい!
 
愛され続けて30年。
武道館に行ったファンの方が、その時のゲットしたタオルを見せてくれました。
どうもありがとう!800SHOW-YAの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YAオフィシャルサイト

10

200 
(一部敬称略 2021年1月30日 芝メルパルクホールにて撮影)

2021年3月10日 (水)

SHOW-YA『HARD WAY TOUR 1991 in武道館 AGAIN』<前編>


「メルパルクホール」と聞いて「五反田か…」と思った人はどうも私だけではなかったようです。
芝ね。
寛永寺ではない方の徳川家の墓所がある増上寺に近いのが「芝」。
増上寺には秀忠(2)、家宣(6)、家継(7)、家重(9)、家慶(12)、家茂(14)の6人が葬られている。
一方、寛永寺はというと…
家光(3)、家綱(4)、綱吉(5)、吉宗(8)、家治(10)、家斉(11)、家定(13)の7人と、隣りの谷中墓地に眠っている慶喜(15)を含めれば8将軍で我が寛永寺の勝ち!
だからナンだ?って話よ。
  
もんのスゴイ久しぶりに「メルパルク・ホール」に来たのはSHOW-YAの35周年記念イベントのひとつ『HARD WAY TOUR 1991 in武道館 AGAIN』がココで開催されたから。001メルパルク・ホールで脱線。
このヒゲのオジちゃんがわかる方いらっしゃいますか?
明治生まれの映画/音楽評論家、植草甚一さん。002v_2もうひとり…2015年に休刊したジャズ雑誌の草分け『スイングジャーナル』の元編集長だったジャズ評論家の中山康樹さん。
003s_2最後に…音楽評論家の中村とうようさん。
残念ながら3人とも故人になってしまったが、私は音楽に関する文章はこの方々が書いたモノしかほぼ読まない。
特に若い「ライターさん」と呼ばれている方々が、しかつめらしく、小難しく、無意味なまでに高尚な文章で今のロックを語っているのを見るにつけ、ここまで理屈をコネ回さないと今のロックを解説できないのかナァ…と驚いてしまう。
当然、このMarshall Blogもお三方の影響の基に文章を綴っている。
植草さんの文章なんて実にいいもんですよ。心から音楽を楽しんでいるサマが伝わって来る。
平易で楽しい表現で音楽の核心を突くい中山さんの文章をいつも手本にしている…つもり。
漢字とひらがなのバランスなんてのは植草さんの『スクラップブック』シリーズを参考にしている…つもり。
とうようさんからは音楽の聴き方を学んでいる…つもり。004v_2そのとうようさんが1969年に創刊したのが『ニューミュージックマガジン(現ミュージックマガジン)』。
もう50年以上続いているシリアス系音楽雑誌。
この雑誌の名物は巻末のレコード評で、毎月出て来るたくさんの新譜に100点満点で点数をつけて、良いモノとつまらないモノをバッサバッサと区別していた。
レコード会社とモメたのか知らないけど、途中からこの点数制度は廃止された。
同誌の編集長として、1969年から79年まで842枚のレコード・アルバムについて評価を担当したとうようさんは、たった1度だけ、たった1枚だけに100点満点を与えたことがあった。0035vそれは岡林信康の1977年の作品『ラブソングス』。
コレだけ。
私はこのアルバムを発表した時、あるいは発表した頃の岡林信康を観たんだよね。
その会場がメルパルクホールだった。
中学校3年生だった。
それから数年後、憂歌団もメルパルクホールで観た記憶がある。
40年以上前の話よ…。
妙な角度から私のメルパルク・ホールの思い出をつづらせて頂いた。。

005cdその14年か15年後、SHOW-YAが武道館の大舞台に立っていた。
さて1991年、第1期SHOW-YA最後のツアーとなったのが『HARD WAY TOUR 1991』。
バンドとしては2回目の武道館でのコンサート。
35周年記念企画のひとつとして、その公演をこのメルパルク・ホールで再現した。
1991年というと、私は長野に住んでいて、リスナーとしてもロックから遠ざかっていたこともあり、全くそのことを知らなかった。
それがこうして時代を超えて体験できるこの日をとても楽しみにしていた。014時間通りに客電が落ちる。
そして、今回はメンバーがひとりずつステージに現れた。
コレも武道館の再現なのかな?

10最初に、角田”mittan”美喜。

20中村"captain"美紀

30仙波さとみ

40五十嵐"sun-go☆"美貴

50ステージが明るくなって最後に登場したのは…

60寺田恵子!

701991年の日本武道館のはじまり、はじまり~!801曲目はアルバム『HARD WAY』のオープナー「METALLIC WOMAN」。

90vsun-go☆さんの奏でるヘヴィなリフ!
武道館の30年後、Marshallがこのリフを鳴らしております。100vsun-go☆さんの後ろで音を出しているのは1960BDM。

110_cabアンプ・ヘッドはJVM410H。
要するにいつもの「sun-go☆rig」てぇヤツ。
「rig」っていうのは「機材」のことね。

120エキゾチックなフレーズから始まるギター・ソロ。
今日も轟音でブッちぎる!130v「どんなもんだい!?」的な恵子さん。
ものすごいパワー!
30年前も観たかったナァ。
1402曲目は「LIFE IS DANCING」。
キャプテンのオルガンが唸る!S41a0857 さとさんのベースがゴリンゴリンとうねる!
いいね~、ブギ。
こういうロックを演るバンドが日本からいなくなっちゃったからね。
0r4a0421 「SHOW-YA」と入ったペンライトを手にして歌う恵子さん。
声が出せないからね、お客さんにとってこういう小道具は重要なツールだ。

160v快適に飛ばす5人。
問答無用でカッコいい。
キメが実にいいんだよね。180恵子さんも楽しそうだ!190ギターとキーボーズの掛け合い。
300v_2「BATTLE EXPRESS」とはまた違ったバトルの雰囲気がいい。
150_lid次の曲もsun-go☆さんが奏でるリフから。
250『HARD WAY』3曲目の「SWITCh BLADE St.」。
230ココまでアルバム通りの展開。
どこまでもヘヴィに突き進む。240ギター・ソロから恵子さんとsun-go☆さんのカラミ。
並んだり…260向かい合ったり。
この曲もよろしいなァ。270「サンキュー!明けましておめでとう!
今日は『HARD WAYツアー』の再現ライブになります。
30年前だっけ?
30年間のライブを体験した人?」
結構客席の手が挙がっていた。S41a0811 「これからまた新たな歴史を作っていきましょう!
今日は最後まで楽しんで帰ってよ~!
さぁ、いきましょう!」S41a0814 sun-go☆さんが弾くおなじみのリフ。290v_waココでドカーンとブチかましたのは「私は嵐」。
フーン、武道館では4曲目で演ったのか…。300v恵子さんの衣装も30年前のモノを模した。
似ているヤツを恵子さん自らインターネットで探したとか。0r4a0399キャプテンのコーラスは今日も完璧でパワフル。
SHOW-YAの重要な武器のひとつ。320v愛奏曲だけあって、ホントに「嵐」のような演奏だ。325vギター・ソロが終わったら…330v下手へ走れ!340さとみさんのピックアップ・ソロ。
S41a0728 今度は上手へ飛んで「嵐」ポーズ!
このあたり、私の仕事のハイライトのひとつ。
カレコレ10年やらせて頂いております!
360歓声は聞こえないけど、客席から熱気がガンガン放出されているのがわかる。370もう1発sun-go☆さんのリフから「COME ON」。380v_co「♪カモン、カモン!」
ノリノリだ~!

390ギター・ソロもノリノリでキメた!

400v次はmittanのドラムスから始まった。410_wyrmこれまたストレートなエイト・ビート。
『HARD WAY』にもどって「WAY YOU ROCk ME」。
ジャズのスタンダードで「The Way You Look Tonight(今宵の君は)」という曲があるんだけど、もしかして「rock/look」のシャレなのかしらん?
420オルガンのソロ。
いいナァ、キーボーズが鳴り響くロックは!430vチョイと小粋にジージャンをはだけて片肌を見せる恵子さん。
曲調にピッタリだ。440vナント密度の濃い前半。
ハイライトの連続じゃん?
450「30年前はあまりしゃべらなかったよね。
あ、2人きりになっちゃったけど、別にココで漫才をするワケじゃないからね。
ツマらないMCでしょう?
でも、30年前はコレぐらいでみんなも喜んでいたんだよ!」
470そう、昔のロック・コンサートはしゃべらないのが当たり前だった。
というか、ロック・ミュージシャンは壊滅的にしゃべりがヘタでオモシロくないのがほぼ当たり前だった。
しゃべるコンサートはもっぱらフォーク。
いつの頃からロックのコンサートでこんなにしゃべるようになったんだろう?
若いバンドさんなんか、音楽どうでもしゃべりがオモシロくないと人気が出ないっていうもんね。
実際、トーク上手でオモシロい子が増えたけど、元のロック・コンサートからドンドン遠ざかっていくな。
恵子さんはトークが飛び切り上手なので毎回楽しみにしているけどね。480vステージに2人。

490曲はおなじみ「Blue Rose Blues」。
ジックリと歌い込む恵子さん。500vそれをsun-go☆さんのアコースティック・ギターがブルージーに包み込む。510vココも大きな見せ場。
ここから始まるコンサートの中盤も見どころが満載だった。520メンバーがそろって「何故」。
SHOW-YAファンが大切にしている曲のひとつ。530_nzあふれ出るキャプテンの分厚いキーボーズ。

540v「♪何故 愛し合うの 何故 憎み合うの」
恵子さんバラードの真骨頂。550vそして情感豊かに奏でられる泣きのギター・ソロ。560恵子さんの激唱。
客席からは舞台の上の熱演を一音たりとも見逃すまい、聞き逃すまいという雰囲気に満ちていた。570vそのままキャプテンのキーボーズ・ソロに突入。10_2いつもながらの壮大なプレイ。20_2密度の濃いメロディをジャンジャン放り込んでくるキャプテン。
150そこから「BATTLE EXPRESS」のインスト・パートへと連結した。
70_2どこまでもハードに…

40vヘヴィにドライブするリズム隊。50v息もつかせぬスリリングなキーボーズと…

30_2ギターの決闘!
ああ、SHOW-YAは素晴らしい!

0r4a0263SHOW-YAの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YAオフィシャルサイト

110<後編>につづく

200 
(一部敬称略 2021年1月30日 芝メルパルクホールにて撮影)