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2021年3月30日 (火)

【訃報】和田アキラさんのこと

 
今朝、フェイスブックを開いて最初に目に止まったのは和田アキラさんの訃報だった。
病床に臥せっていらっしゃったことは存じ上げていたが、ショックだった。
 
和田アキラさんを始めて拝見したのは、1977年にエリック・クラプトンの3回目の来日時、武道館公演でプリズムが前座を務めた時のことだった。
森園さんがプリズムにいらして、当時は「元四人囃子の」ということで森さんの知名度の方が高かったような印象があったように記憶している。
ほとんど記憶していないのは、このコンサートの内容。
私は中学3年生だった。
当時の私はハード・ロックやプログレッシブ・ロックに夢中で、エリック・クラプトンの音楽には興味がなかった。
とにかくロックに貪欲な時期だったので、何でも観に行っていたのだ。
その証拠に先日Shige Blogに書いた『ローリング・ココナッツ・レビュー』もこの年の開催だった。
アキラさんはこの時、21歳だったのか…スゲエな。
このコンサートを観に行ったことを後年アキラさんに伝えると「え、武道館行ったの?みんなアレ観てるんだよね~!」とおっしゃっていた。 10vb_2 次にアキラさんを拝見したのは、日曜日の昼間に東京12チャンネルで放映されていた『ROCKおもしロック』という番組のGRECOギターのコマーシャルだった。
ま~、ビックリしたね。実にカッコよかった。
当時あんなに速くギターを弾ける日本人なんていなくて、「昨日『おもしロック』見た?」と学校で大騒ぎになった。
中には「あの人って和田アキ子の弟なんだってよ!」なんて乱暴なことを言い出すヤツもいて、それを聞いて「道理で音楽の才能がスゴイわけだ!」なんて関心するヤツすらいた…ノンビリした時代だった。
何せ情報の量が少なかったからね。
 
御存知の方も多いと思うが、この番組の目玉のコーナーだったバンド合戦に西山毅さんが「かうんたっく」というバンドで出演して「津軽じょんがら節」を弾き、近田春夫さんに大絶賛された。
ちなみに別の回にBAD SCENEも登場したのだが、「場慣れしすぎている」とか「アンタらプロでしょ?」とかいう理不尽な理由で厳しい評価を受けていたのを覚えている。

20
下は1981年に上梓された『ジャズ批評』誌。
この号では日本を代表するジャズ系ギタリストが、自分に大きな影響を与えたアルバムを2枚ずつ紹介する特集がメインに据えられていた。
香津美さんをはじめ、多くのギタリストがトニー・ウィリアムスの『Emergency!』を挙げていた。
すごく聴きたかったんだけど、当時このアルバムは入手することがまずできなかった。
ところが、ある日数寄屋橋のハンターに行った時、カウンター内側のまだ店頭に出していない商品の山の中にこのアルバムを見つけ、その場で1,400円(2枚組)の値段を付けてもらってマンマと手に入れることができた。
もう、うれしくて、うれしくて…ところが、聴いてガックリ。
全くオモシロくなかった。
当時のギタリストに与えたマクラフリンの影響の大きさが窺い知れるというお話。
 
この雑誌の中で、アキラさんは幼いころ「日本住血吸虫病」という大病を患い、長い入院生活中、他にすることがないのでズッとギターを弾いているうちに上達してしまったということを述べていらした。
30vb_2アキラさんは当然ホールズワース関連の作品をピックアップされていた。
1枚はイギリスのジャズ・トランぺッター、イアン・カーの『Belladonna』。
聴きたかったんだけど、コレも当時は入手することが難しく臍を噛む思いをした。
かなり時間が経ってからようやく手に入れることが出来た。
ゴードン・ベックやロイ・バビントンらが参加していて、プロデュースはジョン・ハイズマンだし、「イギリスのジャズ・ロック」として聴く分には遜色はないアルバムなんだけど、ホールズワースがフィーチュアされる曲が2曲しかないんだよね、コレ。
でも、あのホールズワース・トーンを確立する前の粗削りの音で、ココぞとばかりに弾く独特なソロはすこぶるカッコいい。 40_cd_2もう1枚アキラさんが選ばれていたのは'Igginbottomの唯一のアルバム『'Igginbottom's Wrench』だったような気がする。
コレも手に入らなくてね~。
やっぱり大分後になって聴くことができたんだけど、はじめはピンと来なかったナァ。
まだホールズワースがあのスタイルを確立する前で、クリーン・トーンでジャズ・フレーズをエイト・ビートに無理矢理乗せて弾いている感じ…とでも言えばよいのだろうか。
ま、今となっては聴き方によっては結構オモシロイ。
アキラさんは、UKなんかで名前が知れ渡り出だしたホールズワースのことを「自分は昔から知ってんだぞ」ということが言いたくてこの2枚を選んだような気がしなくもないのだが、その気持ちならメチャクチャよくわかります。Ibw さて、時代は下って2001年。
この年の楽器フェアの際に『マーシャル祭り』の第2回目を開催することになった。
20年前、当時は私のアーティストのネットワークがまだゼンゼン貧弱で、出演者選びに困っていた時にハッと思い出したのが、いつか見た何かの雑誌に出ていたアキラさんの写真。
60v下はソレそのものではないんだけど、こんな感じでアキラさんがMarshallと写っている写真だった。
「アキラさんはMarshallが大好きに違いない!そもそもホールズワースもMarshallだったし…」と勝手に思い込んで、誰かにご紹介頂いた。
電話でかくかくしかじかとMarshall祭りの出演をお願いすると、「うん、いいよ」といとも簡単に承諾して頂いた。50vb選曲をどうするか…ということになって、「ジェフ・ベックの 'Space Boogie'でいい?」というアイデアを出して頂いた。
実はアキラさんは、当日別に出演してELPで有名な「Howedown」を弾いて頂いた大高清美さんも同じバンドにご参加されると思い込んでいたのだ。
「え~、大高さんは違うの?そんじゃキーボードなしか…でもいいか!」ということになった。70vこの時はまだ出演者を増やす必要があって、「アキラさんが声をかけたら問答無用で出演を承諾してくれるギタリストってどなたかいらっしゃいませんか?」とお願いしてみた。
すると、「ウン、西山毅」と即座にお答え頂いた。
「え~ッとね」とか「そうだな~」とか一切なし。
それじゃ、ということですぐに西山さんに連絡してみると、本当に即決だった。
まるで、『七人の侍』の勘兵衛(志村喬)と七郎次(加藤大介)のようだった。
 
コンサートでは西山さんにはジョー・サトリアーニの「Satch Boogie」をご披露頂いた。
今、考えてみると2人は「Boogie」つながりだったんだね。
この時のことが縁で、今でも西山さんと仲良くお付き合いさせて頂いている。
実は、3月3日に開催された『スピンオフ四人囃子』のリハーサルの時にも「アキラさんどうしていらっしゃいますかね?」なんて話を2人でしたばかりだった。80v『Marshall祭り2』のようす。
アキラさんにはトリをお願いした。
ベースは櫻井哲夫さん。
ドラムスは菅沼孝三さん。90元々あまり画質の良くないVHSのテレビ画面をカメラで撮影した画像なので見苦しくてゴメンなさいね。
 
使用するMarshallを試奏するために、コンサートに先立ち、このギターをご持参のうえスタジオにお越し頂いた。
その時、図々しくも「ギターに触ってもいいですか?」とお伺いを立てると、やはり「うん、いいよ!」と実にフレンドリーなご反応。
私もせっかくなので、Soft Machineの「Hazard Profile, Pt.1」のリフを弾いてお見せした。
すると「おおッ?知ってるね~!」とアキラさん大よろこび。
こっちも調子にのってTempestの「Foyers of Fun」を続けて弾くと「先生ッ!知ってますね~!」と更によろこんで頂いた。
その後、アキラさんもTempestの「Gorgon」のリフを弾いていらした。
ものすごく弦高が低くて左手の指が指板に吸い込まれていくような感じ?
でも、弦にはテンション感がシッカリあって、ピッキングが大変しやすい。
タマにあるでしょ?「1弾くと10鳴ってくれる」…みたいな。
そんなギターだった、
130画質は良くないけど、演奏はあまりにもスゴイ!
このビデオを観る限り、ペンタトニック主体のフレーズの組み立てからすると、ホールズワースというよりフランク・ザッパのギター・ソロに近いようなイメージ。
ソロの間中、音の隙間は一切なし。
そういう意味ではまさに「Sheets of Sound」!
100この後、アキラさんはコルトレーンの『Ballads』のカバー・アルバムをリリースした。
アキラさんにこのアルバムのことを尋ねると「持ち込まれた企画」とおっしゃっていたが、プロデューサーがコルトレーンの「Sheets of Sound」を鍵にしたうえでアキラさんに『Ballads』の話を持ち込んだとしたらスゴイな。
私がプロデューサーだったら間違いなく「Countdown」とか「Russian Lullaby」とか急速調な曲をお願いしちゃうもんね。

Wb

Jc 今、世の中のギターは速く弾くスタイルが全く珍しくも何ともなくなってしまったけど、そういうのとは全く違う次元の「速弾き」。
何と説得力のある音とプレイだろう。
若い人たちにはこういうモノを見てもらいたいよナァ。
あまりにも素晴らしい!
ああ、皆さんにお見せしたいナァ。
120演奏後の飄々としたインタビューの受け答えがまたいいんだ。
司会の王様が「好きなギタリストとか憧れのギタリストは誰ですか」と尋ねると、ココでも何のためらいもなく即座に「王様」と答えるアキラさん。
「こないだ、その格好で新宿から西荻まで電車で行ったでしょう?」なんて話も。
王様は『笑っていいとも!』の収録の後だったそうだ。140このコンサートを制作するためにしばらくの間、毎日徹夜をした。
全部自分でやりたかったのね。
櫻井さんの譜面まで書いた。
私も30代の後半でまだ若かったんだね。
ツライこともあって大変だったけど、「音楽に携わっている」という感覚がとてもうれしかった。
それもこれもアキラさんのような方々の絶大なるご協力があってこそのモノだった。
ま、今も『Marshall GALA』で同じことをやってるんだけどね…。
145vこの後、今は無き六本木のピットインにお邪魔したりもしたっけ。
ピットイン、なつかしいナァ。
この時、アキラさんのマイク・スタンドにタバコの灰皿が装着してあったのには驚いた。
プリズムの「MCなし」なんていうライブにもお邪魔したことがあった。150それからしばらくして、お身体を壊して入院されているということをお聞きし、入院先の東京女子医大までお見舞いに伺ったこともあった。
症状が決して軽微ではないと事前にお聞きしていたのでとても心配だったが、とてもお元気そうでお見舞いの品のMarshallのミニ・アンプMS-2をお渡しすると、大層よろこんで頂き、「ナニ?ギター弾けってか?」と冗談を飛ばされた。

160その後は基本的にMarshallをお使い頂いていなかったので、それ以来お会いする機会もなく、スッカリ疎遠になってしまったが、数年前に横浜のSTORMY MONDAYにお邪魔した時、かずきさんがご親切にアキラさんに電話をしてくださり、久しぶりに少しおしゃべりをさせて頂いた。
コレがアキラさんの声を聴いた最後の機会となってしまった。
 
下は、「先生の名前を入れておいたよ!」とアキラさんから頂戴したCD。
「last resort」は「最後の楽園」だが、「最後の手段」という意味だ。
ホンモノを知る真の音楽家たちが次々と旅立ってしまう。
何とかこの先達たちの業績を次の世代に的確に伝承するLast Resortはないものか…。 

 
偉大なる音楽家のご逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます。 

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