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2014年10月22日 (水)

【SHEENA & THE ROKKETS 35周年記念特別企画】鮎川さんとMarshallとわたし

街というものは変わるものだ。
よくテレビで有名人が下積み時代に過ごした街を訪れる番組があるが、あの中で「アっレ~、ココだっけな~?」と自分が住んでいた場所を思い出せないシーンに出くわす。
アレを見るたびに「そんなに思い出深い場所なのに何で忘れちゃうの?」なんて思ったりするのだが、アレは忘れてもいないし、本人が変わってしまったワケでもなく、街が変わってしまってわからなくなってしまうのだろう。

下の写真は新宿駅を背に小竹橋に向かう通り、いわゆる西新宿の光景だ。
かつてこのあたりに「新宿ロフト」があった。
前回いつ訪れたのかがサッパリわからないぐらい久しぶりにこの辺りに来たついでに、「新宿ロフトの跡はどうなってるのかな?」と思いつきブラリと足を向けてみた。

が…わからなかったのである。
どこにあったのかがハッキリとわからないのだ。
1970年代あんなに足繁く通い、80年代の初頭にはしばらくの間、月一回のペースで出演者の末席を汚していたのに明確な場所が特定できなかった。
街が変わってしまったのだ。

0010冒頭から脱線するが、ついでに…。
こちらはさすがにしょっちゅう通りかかるので忘れようがないのだが、渋谷駅前西武百貨店A館の裏。
下の写真のビルとビルに挟まれたやや背の低い建物。ここに何があったかを知る若者はまずいないだろう。
ここの4階に「渋谷屋根裏」があった。

今はBLITZだのZEPPだの大資本が運営する巨大なライブハウスが林立して、高校生も平気でコンサートに足を運んでいるが、ここに屋根裏があった時分は、「ライブハウス」というとまだ「いかがわしい危険な」イメージが世間にはあり、高校生が出入りすることは結構マレなことだった。

高校1年生の頃、当時スペース・インベーダーがものすごく流行っていて、スコアを伸ばそうと私も地元の小さなゲームセンターに入り浸っていた。そこでアルバイトをしていたお兄さんがバンドをやっていて、毎月新宿ロフトや屋根裏に出演していた。
何となく口をきくようになったある日、「別にライブハウスは危ないところではないから、ロックが好きなら観においで!」と誘われ、屋根裏に遊びに行った。多分16歳ぐらいだったと思う。
「あまり遅くならないように…」ぐらいのことは言われたと思うが、よく親も行かせてくれたものだ。
その後、今度は私が友達を誘うようになったが、それまでは学校でライブハウスに入り浸っているヤツなんて他にいなかったんじゃないかな?

これがライブハウスの初体験。その後は通ったね~。それでももっともっと色んなグループを見ておけばよかったと今、臍を噛む思いをしている。

その後、パンク/ニューウェイブが台頭してきてロックを聴かなくなってしまったので次第にライブハウスからは足が遠のいてしまった。
それが今では3日に一回以上のペースで仕事でライブハウスに通うようになっているのは運命だろうか?
「古巣へ帰ってきた」と言いたいところだが、ごくわずかな店を除いて、今のライブハウスに郷愁を感じることはまったくと言っていいほど…ない。

街も音楽もライブハウスもすっかり変わってしまった…。

0030v
今日の記事の主人公との出会いを記すにあたってはどうしてもライブハウスのことを書きたかった。


主人公とは、シーナ&ロケッツ、あるいは鮎川誠さんのことである。

私は高校生ながら洋楽の知識はひと通り持っていて、先に登場したゲームセンターのお兄さんにも引けをとらなかった。
しかし、こと「日本のロック」となるとからっきしダメで、ずいぶん色々なグループの存在をその人から教わった。
その中に「サンハウス」があった。
当時、サンハウスのレコードは完全に入手不可能で、そのお兄さんの友人に録音してもらったカセット・テープで初めてサンハウスのサウンドを耳にした。
それらは『有頂天』、『仁輪加』、『ドライブ・サンハウス』の3本で、もう聴き狂ったね。大好きだった。
完全洋楽ベースの曲に柴山さんの図太い声で「いかにも」の歌詞がビシっと乗ったサマは「日本のロック」の権化のようだった。
それにも増して夢中になったのは鮎川さんのギターだった。

そうなると当然ホンモノを見たくなるのが人情だ。ところが、サンハウスはとっくに解散しており、レコードですら入手できないのだからホンモノを見るなんてことは夢のまた夢。
年上のロック好きの人たちから耳に入ってくるのは、「何年か前に上京して鹿鳴館で素晴らしい演奏をして九州へ帰っていった」なんてまるで月光仮面かスーパーマンのような話しばかり。

そして、知ったのが鮎川さんが新しく結成したバンド、シーナ&ロケッツのことだった。
1979年、セカンド・アルバム『真空パック』を発表。
その頃に新宿ロフトではじめてホンモノの「鮎川誠」を目にしたのであった。
ここで冒頭のロフトに話が結びつくというワケ。
それはまだ改装前のロフトで店内がレンガづくりになっていた。
超満員でメチャクチャかっこよかったのを覚えている。
もちろん鮎川さんとお話することもなかったし、ご挨拶することすらできるワケがなかった。
(下のアイテムは後年になって入手したCD)
0020

それから時代は25年ほど下って2004年。
「Marshall Nite」というビクター主催のイベントが開催された。
渋谷のTOWER RECORDSの地下にMarshallの壁を持ち込んでコンサートを開催するという企画だった。
出演はデビューして1年足らずのFUZZY CONTROLに増子真二率いるDMBQ、そしてSHEENA & THE ROKKETSという布陣だった。
鮎川さんは、MCでMarshallの素晴らしさを熱心に説いてくれた。コレは特段お願いしたワケでもなく、鮎川さんが企画の趣旨をご理解されて自主的に対応してくれた。

「ボクはズ~っとMarshallを使ってきた。信頼のおける相棒だ」的なお言葉を頂戴し、とてもうれしかった。
ところが、この時はごどうしてもタイミングが合わずご挨拶をすることができなかった。

そして、2005年。場所は日比谷野音。『Lightnin' Blues Guitar Festival』というイベントが開催された。
仲良しの中野シゲさんや住友さんが出演するということでお邪魔させて頂いた。
MarshallのTシャツを着て楽屋でウロチョロしていると、「ちょっと、そのシャツ、写真撮らせてね」と声をかけてきた人がいた。
鮎川さんだった。
「イヤ、こんなシャツの写真を撮ったって仕方ないですよ!」と恥ずかしいのでお断りしたが、「構わん」とおっしゃって何回かシャッターを切られていた。
コレが初めて鮎川さんとお話をする機会となった。もちろん、それまでの経緯をご説明したことは言うまでもない。
ステージには愛用の1987がセットされていた。

さらに、5年もの月日が経ち、次にお会いする機会がやってきた。
場所は原宿のクロコダイル。
楽器業界の重鎮の還暦祝いのコンサートが企画され、鮎川さんとシーナさんも出演した。その頃はMarshall Blogを始めていて、撮影に忙しく簡単な簡単なご挨拶しかできなかった。
これはその時に撮影したうちの一枚。
写真には入っていないが、アンプはもちろんMarshallだ。

0040v

それから2か月後の2010年5月、『JAPAN BLUES SOUL CARNIVAL』のSHEENA & THE ROKKETSをMarshall Blogで取材させていただいた。
この頃にはお会いすれば「ヨウ!」ぐらいの感じになっていた。

この日のヘッドライナーはR&B/ソウルの大御所Solomon Burkeだった。日本初公演。
元よりその手の音楽を聴かない私は鮎川さんたちの取材が終わったら帰ろうかと思っていたのだが、開演前に鮎川さんが「今日のソロモン・バークは見逃せんよ~。ローリング・ストーンズの師匠やけんね」と話してくれたのでせっかくだから最後まで観ていくことにした。
これが信じられないぐらい素晴らしいパフォーマンスだった。
危なく見逃すところだったよ!
しかも、Solomon Burkeはこの日本での初公演から5か月後に急逝してしまったのである。もう2度とその歌声を生で聴くことはできない。
鮎川さんには二重に感謝している。

もちろんここでもMarshall。

0041

続いて同じ年の夏、フジ・ロック・フェスティバル。
私はとうとうサンハウスを観たのだった。
この時、Dweezil Zappaも出演していて、この一週間ぐらい前にロンドンで会ったばかりだったので、私の顔を見るなりDweezilは飛び上がって驚いていた。
「キミは一体どこに住んでいるんだい?!」って。

サンハウスの出番は夜になってからで、朝から降ったり止んだりの雨が強くなるばかりだった。
帰りの新幹線の時間も気になるし…チョコっとだけ観て帰ろうかな。
しかし、ナンのこたぁない。
結局、ほとんど全部観てしまった。だって演る曲、演る曲、好きな曲ばかりなんだもん!

しかし、この後がシンドかった。ずぶ濡れになって苗場の駅から乗った新幹線がガラガラのうえに冷房がギンギンに効いてて凍死するかと思った!
でも、心の中はとうとうサンハウスを見たよろこびで暖かかった。

残念ながら演奏中の写真は撮れなかったので、許可を頂戴して機材の写真だけ撮らせて頂いた。
もちろんMarshallにキマってる。

0042v

そして、2010年の10月。今度は「京浜ロック・フェスティバル」にお邪魔させて頂いた。
これがまた川崎の駅から超満員のバスで40分。会場がメチャクチャ遠くて難儀したな~。

考えてみるとこの時も野外。シナロケは野外が良く似合う。
もちろんこの時もMarshallだ。

0043v先のSolomon Burkeとフジロックの間に起こった出来事が(私的に)スゴかった。

福島県の郡山市立美術館が『スウィンギン・ロンドン 50's-60's ―ビートルズたちが輝いていた時代―』という企画展を開催することになり、JTM45 OffsetやJTM45/100を展示品として貸し出すことになった。
その時代に活躍した様々なグッズを展示し、ブリティッシュ・インベンションの時代を振り返ってみようという企画だ。

美術館のご担当者と打ち合わせているうち、私の悪いクセが爆発してしまった。
いつもの自分勝手な「ロック論」を熱くぶってしまったのだ。

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打ち合わせから数日して美術館の学芸員の方から連絡があった。Marshall Blogもご覧いただいたうえで、「折り入ってのお願い」とおっしゃる。
「困った時はお互い様」とご依頼の内容を聴いてみると、その企画展の関連事業として『60'sロック談義』と題した公開座談会を企画しており、私に出席して欲しいという。
…ザダンカイ?
題名の通り60年代のロックについて、またロンドンについての話しをするという内容だ。
「60年代か…70年代ならまだしも、60年代はキビしいかな?」と思いつつ、対談の相手を尋ねると鮎川さんとシーナさんだっていうではないの!いわゆる鼎談だ。
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上に記した通り、鮎川さんとはまったく存じ上げない関係ではないし、ましてや憧れの人だ。
人前で話しをするのは、キライな方ではない。Marshallのクリニックや研修を数えきれないほどやってきた。
目立ちたがり屋の自分としては飛びつくべき話しなのだが、鮎川さんのロックのキャリアと言えば、ビートルズが完全にリアルタイムなワケだし、ブルースやR&Bの造詣の深さたるや尋常ではなかろう。
直接ではないにしろ、時代的に実際に「ブリティッシュ・インヴェイジョン」をご経験なすっているワケ。
一方、こちとらローリング・ストーンズすらロクに聴かない、どちらかと言えば「正統派」から遠く離れた「変態」に属するロックファンだ。

コレは考えたね~。正直かなり悩んだ。訊けばお客さんもかなりの数だというし…。

学芸員の方とは若干「いいじゃないか~」、「ダメよ、ダメダメ」みたいな局面を経て、「ええいママよ!Marshallのためじゃい!」と結局お引き受けすることにした。
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それからは徹底的に鮎川さん研究に没頭した。相手のことを知らないで対談するなんてエチケット違反だからね。
サンハウスや初期のシナロケはおかげさまでOK…ということで著書を漁った。
コレがまた読めば読むほど自信がなくなるようなご経験をされてらっしゃる。
「やっぱり、断ろうかな…」なんてことも考えた。

0030こんなのも読んだ。
こうして鮎川さんに関する情報を仕入れているうちに、不思議と打ち解けてきた気になった。
「そうか、要するに生きた時代は違うし、経験も異なるけど、我々は結局『ロックバカ』なんだな…」と…。
それからは楽だった。途中からおふたりの胸をお借りするつもりで何でも教わっちゃおう!という気持ちに変わったのだ。

0050もちろんシーナさんの本も楽しく読ませて頂いた。

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コレで準備万端…と言いたいところだが、実はまだ悩みが残っていた。

20v

この座談会、ただ座って鮎川さんのお話の相手をするだけでなく、一応司会役を仰せつかっていた。
司会とあらばツカミが肝心。段取りとしては冒頭でお客さんの笑いを取るのが一番手っ取り早い。

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当時、「なぞかけ」がブームになっていた。「●●とかけて▲▲ととく。その心は××です」というアレだ。
コレで行こう決めた。そして、郡山にちなんだネタを仕込もうと考えた。
郡山って何が有名なんだ?何しろ一度も行ったことがない場所だ。
地名で行くか?「こおりやま、こおりやま…」。「こりゃマァ」でナンカできるかな?
ん~、いいのが浮かばない。
有名な食べ物は「ママドール」というお菓子か…?
ダメだ…いいアイデアが出てこない。こうなりゃチョイと浅草演芸ホールまで行って「ねづっち」にお願いしてくるか?

40v_2…とかなんとか言っているうちに当日が来てしまい、座談会の心配はどこへやら、「なぞとき」のネタができずに新幹線の中で七転八倒する始末!
それでも出ない!
それでも最終的に強引にヒネリ出したやつを携えてこの超立派な美術館に入り込んだのであった。

50vドワッ!開演を待ちわびる人でロビーがゴッタ返してるし!こりゃ責任重大だぞ!

60…と、いよいよ開演時間になり総合司会の方からご紹介を頂き予定通りカマしてみた。

「郡山とかけまして…台所に通じる廊下ととく、その心は…『ママドール』。しげっちです!」

コレが大ウケよ、大ウケ。もちろん郡山の方々が飛びっきり優しい人たちだということなんだけどね。
でもね、コレ、本当の話で、終演後私のところにやや年配の方がいらして、「アノ~、あの『ママドール』のなぞとき、会社の宴会でやってもいいでしょうか?」とおっしゃるではないの!うれしかったよ!
そんなこと私にワザワザ断らなくたっていいのにね!もう、郡山がいっぺんで気に入っちゃった。

T_img_0039 そして、いよいよ鮎川さんたちをお迎えした。

70_2ものスゴイ歓声!お客さんは200人は優に超えていただろうか?決して小さくはない講堂が満員になっていた。

80事前の打ち合わせは一切なし。主催者側からの話題に関するリクエストもなし。
完全アドリブですべてが展開した。
と言っても、例の鮎川さんの本があるでね。それを下敷きに色々と当時の話しをお聴きして座談会が進行した。
面白かったかな~。

90_2何しろ鮎川さんは「ビートルズ」の名前をお弁当を包んでいた新聞紙でお知りになったっていうんだから驚きよ。
他にもThe KinksのRay Davisとのことや当時の九州のロック事情など貴重なお話をたくさん伺うことができた。
最後の方では美術館のお気遣いで、Marshall Blogの「ロック名所めぐり」の写真を使って「プチ・ヴァーチャル・ロンドン・ツアー」なんてことやらせて頂いた。
鮎川さんもシーナさんもそれらの写真を熱心に見入ってくださり、とこどろどころコメントや質問をいただいてこのコーナーも大成功だったと思う。
100そして、最後にはおふたりのパフォーマンス。
ところが当日PCの調子が悪く、バッキングトラックが再生できなかった。
しかし、鮎川さんはゼ~ンゼンひるんだり困ったりする素振りなど見せず、「ア・カペラで演るけん!」とひとこと言って、シーナさんのタンバリンをバックに「Satisfaction」を弾き始めた。

110vもう「ロック」がそこに来て演奏しているようなすさまじいパワーで会場は大いに盛り上がった。
この時だってもちろんMarshall。
限定で発売した1987のコンボ、2187をお使いになった。

とにもかくにも座談会は大成功で、とても大きな拍手をお客さんから頂戴してようやく肩の荷を降ろすことができた。

もうひとつとてもうれしかったのは、その学芸員の方が…私に任せて間違いなかった…とおっしゃってくれたことだ。

120v終演後は閉館して貸切状態になった展示場を鮎川さんとシーナさんたちとでユックリ見学させていただいた。
先にも触れた通り、数えきれないほどの50~60年代のグッズが完全な形で展示されていて、実に興味深い。
初めて見るようなモノあり、なつかしいモノもあり…。

125vしかし、やはりメインとなる展示は音楽関連のアイテムだ。
Jimmy Pageのギターや衣装も展示されていた。

130_2このMarshallは1962年に産声を上げた初のモデルJTM45 Offsetのリイシュー。

140vこちらは初の100WモデルJTM45/100。
壁面にThe Whoの『Sell Out』や『A Quick One』や『Tommy』のジャケットが飾ってあるが、そう、Pete Townshendの依頼でJim Marshallが製作に乗り出したのがMarshallの100Wモデルのスタートだ。

150_2展示室にはテレビが備え付けてあってミケランジェロ・アントニオーニの『欲望(Blow Up)』がエンドレスで流れていた。
この映画の音楽はHerbie Hancockが担当しているが、Jeff BeckとJimmy PageがThe Yardbirdsのメンバーとして出演している。
我々ロック・ファンの間で最もおなじみなのは「Stroll On」という曲でJeff Beckがノイズにハラを立てギターとアンプを壊すシーンだろう。
元々このシーンでは「Train Kept A-Rollin'」が使われる予定だったが、この曲の著作権を管理する音楽出版社が法外な使用料を要求したため「Stroll On」になったという。
脱線ついでに…。
監督のアントニオーニは当初、このシーンにThe Whoを起用したかったが、ギターを壊すパフォーマンスばかりが話題になることに嫌気がさしていたPete Townshendは出演を断った。
加えて、Tomorrowの前身のThe in CrowdというバンドにいたSteve Howeも出演の候補に数えられていて、破壊用のES-175を何本か用意していたにもかかわらず、知名度で負けてThe Yardbirdsがこのシーンにお目見えすることになったのだそうだ。

美術館の展示ではこのシーンがピックアップされて繰り返し上映されていた。
鮎川さんは先述の「200CDロックンロール」という著書の中でこの『欲望』のサントラ盤を選出しており、何度もこのシーンをご覧になっているハズだと思うのだが、この時も穴の空くほどジックリ見入っていたのが印象的だった。


おふたりはMarshallの前でポーズを取ってくれた。
同行した家内はシーナさんと「パン好きはダイエットするのが大変だ」なんて話しをしていたナァ。
ちなみに先の座談会の写真は家内が撮影した。

鮎川さんたちと親しくなるわ、ギャグはウケるわで、人生の中でもマレに見るエキサイティングな一日だった!
郡山市立美術館の皆様にはこの場をお借りして改めて心から御礼を申し上げます。

郡山へのお礼の意味を込めてもちろん「ママドール」を買って帰ったことは言うまでもない。

160v座談会に先立ってのSolomon Burkeの時の野音で鮎川さんの著書にサインを入れて頂いた。
「Keep A-Rockin'」は「Train Kept A-Rollin'」に倣っての表記かな?
0060
名前を消させて頂いたが、家内はシーナさんにサインをしてもらった。「i」の点がハートになっているところがかわいい。
0070_2

さて、最後にMarshallとコンビを組む鮎川さんのもうひとつの相棒を紹介しておこう。
Marshall Blogでギターについて詳しく触れるのは初めてのことだ。

170v1969年製のGibson Les Paul Custom。恐らく日本で最も有名なLes Paulの内の1本だろう。

180vさぞかし何度もリフレットしているのかと思ったら案外そうでもないらしい。

190v満身創痍のボディ表。

200v_2リア・ピックアップが少し傾いてしまっている。

210v実は、上の写真は今年9月に撮影したもの。
そして下は郡山市立美術館で撮影したもの。よく見るとブリッジ・サドルが交換されているようだ。

T_img_0038 リアのトーン・ポットのノブは4年経っても取り付けられていない。
このハット・ノブについているハズの数時なんか完全にのっぺらぼうになっちゃってる。

220vテールピースとスタッドも最早一体化している。コレの方が振動の伝導率が高くてサスティンが稼げたりして…。

230ボディ・サイドもかなり塗装部分が減ってきている。

240v_2ストラップ・ピンも何回も交換されたのかもしれない。

250_2ヘッド裏、ペグは交換していないと聞いた。

260v_2あ~あ、ネックはもう完全に塗装がなくなっちゃってる。

270vボディ裏の塗装もかなり剥がれている。残っているのは60%ぐらいか?

280v触ってみるともうツルッツルのドモホルンリンクル状態。
塗装はハデに剥がれているにしてもズボンのベルトの傷がまったく見当たらない。

290vジャックも何度か交換されているに違いない。

300へへへ、役得、役得!
写真には私のフォト・クレジットが入っているが、実際には鮎川さんが撮影してくれた。
宝物の写真だ。

このギター、鳴りがいいのはもちろんだが、それよりもネックを握った瞬間「アレ?あったたかい」と感じた。
愛用のMarshall 1987とともに鮎川さんの愛情を分かち合っているからなのだろう。
1969年生まれだから今年で45歳。なんだよ、オレの方が年輩じゃねーか!

鮎川さんの前で何を弾いたかって?
「キング・スネーク・ブルース」と「レモンティ」!

320v_2そして、SHEENA & THE ROKKETSは今年デビュー35周年を迎えた。

T_img_0344Marshallとともに歩んだ35 年。我々Marshallとしても光栄だ。
明日、明後日と35周年記念コンサートの模様をレポートする。

SHEENA & THE ROKKETSの詳しい情報はコチラ⇒OFFICIAl WEB SITE a.k.a.ROKKET WEB

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