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2013年4月

2013年4月16日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり vol.6】 サウス・シールズ(South Shields)

筆者の勉強不足により 政治や経済の話題を取り上げないようにしているマーシャル・ブログだが、今日はホンノ少しばかりそのあたりを…。

今日は他の記事を掲載するつもりであったが、先週サッチャーが元英首相が逝去したことにより急遽予定を変更して、ウィンストン・チャーチルと並んでイギリスの政治史に名を残すこの有名なイギリスの宰相の話をする。な~んて、そこはマーブロのこと、カタイお話は一切なし。現場からおもしろい話が舞い込んできたのでそれを紹介したいと思っているのだ。

記事としては、「ロック名所めぐり」。サウス・シールズ(South Shields)を紹介する。サッチャーとロック?何の関係もないけど結びつけちゃうよ~!

さて、サッチャー。日本のマスコミが彼女の業績を「英国病と呼ばれる長年の不況から経済の立て直しに成功したが、貧富の格差を広げ、不支持を唱える人も多い」とか喧伝しているぐらいで、実際にはそう身近な存在ではないというのが今の普通の日本人の感覚だろう。日本ではもう過去の人だ。

「Margaret Thatcher」というのが彼女の名前。ちょっと前まで「サッチャー」のつづりは「S」から始まるものだと思っていた。恥ずかしい…。「T」で始まるんですね。あのメリル・ストリープ主演の伝記映画がもう少しマシだったらもうちょっと私の意識も違っていたかも…?アレは実にヒドイつくりだった。

サッチャーが亡くなり、このことをやたら見かけたり、聞いたりしているうちに思い出した。それは、弊社のスティーヴ・ドーソン(Steve Dawson)のことだ。

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スティーヴのことはマーブロやマー本ですでにおなじみの方も多いことであろう。もとアニマルズのギタリストで、プロ・ギタリストとしての経験を活かし、現在は弊社のR&Dのスタッフとして、VintageModernやJTM45/100等のビンテージ系モデルの開発に携わっている。

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マー本のインタビューにもあるように、スティーヴはブリティッシュ・ロックに造詣が深く、日本では絶対に得ることのできない情報を与えてくれる私のブリティッシュ・ロックの師匠のような存在で(何せ本場仕込み!)、年齢もやや近いことからとても仲良くしている。

彼は彼で地球の裏側でマーシャル・ブログを毎日必ずチェックしてくれているマーブロ・ファンのひとりで、今日の登場もよろこんでいることと思う。何しろこれから彼の生まれ育った街、サウス・シールズを紹介するのだから…。Shige Blogですでに一部を紹介しており、若干内容が重複することをご容赦願いたい。

さて、スティーヴの住むサウス・シールズ(South Shields)はイングランド北部最大の都市、ニューキャッスル(Newcastle upon Tyne)からタイン川沿いに河口に向かって電車で20分ほ行ったところだ。

近くにあるサンダーランド(Sunderland)という街がある。ここは実は我々には馴染みのある場所だ。Freeの『LIVE!』に収録されている「All RIght Now」と「The Hunter」がこの街にあった劇場で録音されているからだ。その劇場は残念ながらもう取り壊されてしまったが…。このアルバムの残りの曲はロンドンからブライトン(Brighton)に行く途中にあるクロイドン(Croydon)にある劇場で録音されている。これは「ブライトン」の回でまた登場することになる。

Free
この北海に面する美しい港町、サウス・シールズはかつて炭鉱と造船で繁栄を誇った街だった。

『エイリアン』、『ブレードランナー』、『テルマ&ルイーズ』、『グラディエーター』などの大ヒット作を撮ったリドリー・スコット(Ridley Scott)やモンティ・パイソン(Monty Python's Flying Circus)の中心人物、エリック・アイドル(Eric Idle)もサウス・シールズの出身だったりなんかしちゃったりする(広川太一郎風に)。

余談だが、リドリー・スコットはロンドンに家を持っていて、そのハウスキーパーのひとりが日本人だった。その人の著書『イギリス人はおかしい』によると、このリドリー・スコットという人は一日に何度も掃除をして、階段の真鍮の手すりはいつでも指紋ひとつあってはならないという異常なまでの神経質で潔癖症なのだそうだ。だからあんなに緻密な映画を作ることができるんだね~。

そして、エリック・アイドル。モンティ・パイソンが東京12チャンネルで放映されていたのは私が中学生の頃。36年前かな?「オカマの恐竜」っていうアダ名のヤツがクラスにいたナァ。モンティ・パイソン、本当に面白かったナァ。少しはイギリスの文化を勉強した今ならもっと楽しめるだろうな。

さて、エリック・アイドルの持ち歌に「Always Look on the Bright Side of Life」というモンティ・パイソンの映画『Life of Brian』の挿入歌がある。

「Look on the Bright Side」というのは映画や歌でも時折見かける表現で、「明るい面を見ようよ」…要するに「くよくよしないでポジティブに行こうぜ!」という意味。

磔刑、つまり、はりつけに処せられたエリック・アイドルが、同じく十字架にはりつけられた主人公に向かって「口笛ふいて明るく行こうぜ!」と歌いかけると、やがて20数名の受刑者全員が首を揺らせて(みんなはりつけになっているため自由に動く身体の部分が首しかない)みんなで楽しく合唱してしまうというこの映画のラスト・シーンに使われた曲だ。このシーンは当然、宗教上の理由で大きな問題になったらしい。また、驚いたことにこれがディズニーの『ピノキオ(Pinnochio)』の挿入歌「困ったときには口笛を(Give a Little Whistle)」のパロディかつアンサー・ソングだっていうんだよね。よ~やるわ!

この曲は朝のワイドショウのお天気コーナーのBGMで使われているので聞いたことのある方も多いだろう。映画は1976年の公開だが、後にサッカーを通じてリバイバル・ヒットとなった。去年のロンドン・オリンピックの閉会式にもエリックが登場してこの曲を歌い、会場にいた観客数万人が合唱したほどイギリスでは有名な曲で、にわかには信じがたいが、葬式の時にも歌われることがあるらしい。

スゴイのは1982年、フォークランド紛争の時だ。アルゼンチン軍の攻撃を受けた駆逐艦シェフィールドが沈みゆく中、乗組員たちは救助を待つ間、この歌を歌って励まし合ったという。また、湾岸戦争の時も、イギリスの空軍パイロットたちが出撃前に、やはりこの歌を歌ったのだそうだ。

「Always Look~」を聴いたことのある人なら、なぜ私がこうした事象をおもしろがっているかがおわかりになると思うが、この曲はおおよそ、そうした深刻なシーンにふさわしくない軽快でコミカルな歌だからだ。

ビートルズの曲を除いてイギリスで有名な歌といえば「God Save the Queen(イギリス国家)」、「Pomp and Circumstance(エルガーの『威風堂々』)」、「Jerusalem(エルサレム:ELPが演ってるアレね)」、「Greensleeves(民謡)」らがすぐに思い浮かぶが、もしかしたら「Akways Look on the Bright Side of Life」が次点につけているのかもしれない。

余談以上。

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話もどって…面倒かもしれないが、この記事を読み進めるためにこの動画をチェックしていただきたい。何もすべてご覧いただく必要はない。チョットでいいから見て欲しい。1950年代のサウス・シールズのようすである。

そしてこれが現在のサウス・シールズのようすだ。

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これは平日の夕方5時ぐらいに撮影したもの。街一番の繁華街だ。ご覧の通り人影がまったく見えない。

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街から誰もいなくなっちゃうSF映画があったじゃない?まるであんな感じ。でも、これはCGでもなんでもない。本当にひっそりとしていてゴースト・タウンのようだ。

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ナント、この通りは先ほどご覧いただいた動画に出てくる通りなのだ。あのトロリー・バスが行き交う、群衆であふれたにぎやかな通りの現在がコレなのだ。

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繁華街に近いこのWetoe Roadも…

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ここも…誰もいない。左に見えるのはスティーヴの後ろ姿。今、この通りにいるのはスティーヴと私だけ…。

この数日前、サウス・シールズのパブで2人でイッパイやった時、私が「サウス・シールズはとてもよいところだね!」と切り出すと、スティーヴは「かつてはもっとよい街だったんだよ!」と答え、徐々にマーガレット・サッチャーについて語り出した。このサウス・シールズをゴースト・タウンにしてしまったのは彼女のせいだ…と。

サッチャーの徹底した産業の合理化、弱者切り捨て施策でサウス・シールズの産業は壊滅した。炭鉱は閉鎖し、造船工場、鉄工所はすべて廃業してしまったのだ。

ま、街の凋落ぶりは、かつては東洋一の歓楽街であった浅草のようなものだが、先の動画を見てしまうとさすがに驚きは隠せない。ドラスティックな政策の恩恵を受け、大儲けした人もたくさんいる一方、イギリス各地では今でもそのサッチャーが敷いた政策に苦しめられている人が多いという。

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そして、サッチャーの逝去。

そうした反サッチャーを唱える人たちは、今、「Ding Dong the Witch is Dead」をみんなで声高らかに歌っているらしい。

ご存知の方も多いと思うが、この曲は1939年の映画『オズの魔法使い』の挿入歌だ。竜巻に舞い上げられた主人公ドロシーの家が西だか東だかの魔女の上に落下して息の根を止めてしまう。すると、その魔女の悪政(?)に苦しめられていたその国のマンチキン(Munchicken)という小人の住民が「魔女が死んだ!」と大よろこびしながら、この歌を歌うのだ。

不謹慎かもしれないが、この話をサウス・シールズの親友から聴いて、イギリス人独特のブラックなセンスに笑ってしまった!この辺りは日本人にはできない、イヤ、したくても慎んでしまう行動であろう。

先週末にはトラファルガー広場に800人もの反サッチャーを掲げる人たちが集まって、サッチャーの死をよろこぶお祝いが開かれたという。

ちなみにElton Johnの「Good Bye Yellow Brick Road」は『オズの魔法使い』からインスピレーションを受けて作られた曲だ。

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そして、もうひとつ笑っちゃったのがコレ。

サッチャーの葬儀は国葬ではないが、それに準ずる大がかりなもので、その費用は800万ポンドにも上るという。ナント12億5千万円にも上る巨費だ。で、この莫大な費用をどうやって調達するのかというと、当然税金によってである。つまり、国民が自腹を切って頼みもしないお葬式の費用を払うというワケだ。反サッチャー派の人たちはこう言っているという。

「チッ!アイツ、死んでまで俺たちに請求書を突き付けてきやがった!」

確かに払わされる反対派の連中には怒り心頭な話になるだろうな…。

この緑の看板は楽器店。潰れている。

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さて、さてさて、キューブリックの『フル・メタル・ジャケット』、ヒッチの『サイコ』よろしく、ここでガラリとストーリーが変わるよ~!後半はロックの名所をめぐっちゃうよ。

エ、そんなひなびた街にロックの名所なんかあんのかよ?と思うでしょ。あるんですよ。ちょっとだけ…でも最高にオモシロイ!

それはですね、この(現在はさいはての)港町に、ジミ・ヘンドリックスが来ているのだ!

下の写真はSouth Shieldsの博物館。一番大きな展示はやはりこの街が生んだ世界的な女流ベスト・セラー作家、キャサリン・クックソン(Catherine Cookson)関連のものだが…

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こんな展示もある。

「知っていましたか?」「ロックのスーパースター、ジミ・ヘンドリックスはサウス・シールズで演奏しました」

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「1967年2月9日、ジミ・ヘンドリックスは一晩だけシールズのセラー・クラブ(Cellar Club)で演奏しました。ヒット・チャートの5位まで上った『Hey Joe』を引っ提げて北部各地を一度ずつ演奏して回りました。観客は生涯忘れられない経験をしましたのです。人気のスターが歯でギターを弾き、トレードマークのサウンドで会場を満たしたのです」とある。(「Hey Joe」についてはいつかまたもっと詳しく…)

当時、マネージャーであったチャス・チャンドラー(Chas Chandler:元アニマルズのベーシスト)がニューキャッスルの出身だったため、この地方への巡業が敢行された。

ニューキャッスルから離れたこの港町にジミ・ヘンドリックスが来たのは、サッチャー登場前にはいかにこの街が栄えていたかの証明でもあろう。ここで前半の動画が生きてくるのね。

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同じ感じでもうひとり紹介されているのはモハメド・アリ。1977年にサウス・シールズと近隣のジャロウという街を訪れた。

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冒頭のスティーヴの写真はスティーヴのオフィスで撮影したもの。つまり、マーシャルのサウス・シールズ駐在研究所だ。そのすぐ隣のビルにあるのがコレ。

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これがオリジナルのセラー・クラブ(Cellar Club)。「Cellar」といのは「地下貯蔵庫」という意味。エアロスミスの『Rocks』の「Rats in the cellar」とかワイン・セラーとかの「セラー」だ。

オープンしたのは1956年。「Cellar Jazz Club」というジャズのハコだった。1956年といえば、マイルスがマラソン・セッションを敢行し、ロリンズが『Saxophone Colossus』を、ミンガスが『Pithecanthropus Erectus(直立猿人)』を、モンクが『Brilliant Corners』を発表し、穐吉敏子がバークレーに留学した年だ。

いかに大英帝国とはいえ、当時、これらの最先端のニューヨークのジャズがリアル・タイムに伝播したとは考えにくいが、ハード・バップ盛んなりし頃、このジャズ・クラブも相当なにぎわいを見せていたようだ。

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何しろ、週七日、毎日ライブがあったそうだ。

今では普通の家の地下室になっている。

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次のサウス・シールズの「ロック名所」はコレ。場所ではなくて人。つまり、スティーヴ・ドーソンというギタリスト。家にお邪魔して撮らせてもらった。

彼は愛用のストラトキャスターをこのケースに入れて、The Animalsのギタリストとしてエリック・バードンやジム・ロッドフォードらと世界中を回った。SaxonにもSteve Dawsonという人がいたようだが別人。

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現にスティーヴは、『We Sold Our Soul for Rock'n'Roll』というイングランド北東部のロックシーンの歴史を編んだドキュメンタリーDVDに当時のこの地域のロック・シーンの生き証人として登場している。

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そして、スティーヴがギター・ケースとともに寝室のクローゼットから取り出して見せてくれたのがコレ。

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「Lovetone」のエフェクター・コレクションだ。

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この他にもまだコレクションしている。日本ではどうか知らないが、イギリスでは大変に入手困難なアイテムだそうだ。几帳面なスティーヴはキチンと外箱とともに保管している。

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さて、今日のハイライト!

この四角いおもしろくもなんともない三階建ての建物。ここの最上階にセラー・クラブの2号店(New Cellar Club)があった。1967年2月1日の水曜日、ここでジミ・ヘンドリックス、ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルが演奏したのだ。

エクスペリエンスはニューキャッスルを中心としたタイン川近郊の地区(Tyneside)で何回か演奏したが、このサウスシールズのギグがシリーズの初日だった。

The Bondという地元のバンドがサポート・バンドとして登場した。普通、サポート・バンドは前座としてメイン・アクトの前に演奏するのが常識であるが、この時は何とエクスペリエンスが先に演奏したという。理由はエクスペリエンスの到着が大幅に遅れてしまったため、The Bondはエクスペリエンスの演奏が終わるまで自分たちの機材のセットをさせてもらえなかったというのだ。

このThe Bondのメンバーの記憶では、やはりとてもバタバタしていて、サインをもらう時間すらなく何の曲が演奏されたのかも覚えていないという。

エクスペリエンスは当時人気が出だした時分で、最初のシングル、「Hey Joe」がヒット・チャートをにぎわしていた。月曜日にはBBCで「Hey Joe」、「Rock Me Baby」、「Foxy Lady」を演奏・録音し、火曜日にはサヴィル・シアター(そのうち「名所めぐり」で紹介します。一時ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが所有していたシャフツベリーの劇場)で「Hey Joe」のPVを当て振りで撮影し、水曜日の朝、その晩のギグのためにロンドンから400km離れたサウス・シールズに向かったという。

そりゃ疲れて遅刻もするわナァ。いかにジミ・ヘンドリックスが急速にスターダムをのし上がっていったかを感じさせるエピソードではなかろうか?

ちなみにこの時、ジミはニューキャッスルのチャスの実家に泊まったという話だ。この時、チャスはロンドンに電話をして「Hey Joe」がチャートの7位まで上がっていることを確認していた。スゴイ勢いだったんだろうね。

ところが、エクスペリエンスのこの時のステージは惨憺たるものだったようだ。演奏を始めるや否や、ジミはアンプを飛ばしてしまい、即座にノエルのアンプにプラグインして弾き続けた。ノエルはとっさにその場にあったThe Bondのギタリストのアンプを使ったが、何しろ5W程度の出力しかなく、始終ベースの音が歪みひどいサウンドになってしまった。

スタッフがタイミングを見計らって、今度はノエルのベースをボーカル用にPAにつなぎ、ボーカルのマイクをノエルが使った5Wのアンプに突き刺した。おかげでブレイク以外の箇所でジミの歌はまったく聴こえなかったという。

うまい具合に地元の数々のバンドの面倒をみていた男がその場に居合わせたため、その男からジミのマーシャルを修理するためのヒューズを分けてもらい、代替のアンプを借りた。(この男はのちにディープ・パープルやレインボウのツアー・マネージャーを務めた)

あまりの演奏のすごさか、音の悪さか、音のデカさに驚いたか、何を演奏したか正確に覚えている関係者がいないようだが、オープニングは何しろ「Foxy Lady」だったようだ。

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この時撮られた写真を見るとフル・スタックの用意をしてはいるようだが、ステージの天井が低いためか、ヘッドがキャビネットの上に乗っていない。それともちょうど修理をするためのヘッドを下ろしている間に撮られたのかもしれない。

この田舎の小さな小さなライブハウスで演奏したたった2年後の8月、ジミは40万人を集めた世界最大級のロック・フェスティバルに最も高額なギャラでトリを務めた。ウッドストックである。(ジミの出番の時は3万人ぐらいに減っていたが…)

そして、ウッドストックに出演した翌年、ロンドンのロニー・スコッツにエリック・バードンのステージに飛び入りした翌日、ノッティング・ヒル・ゲイトからほど近いサマルカンド・ホテルで嘔吐物を喉に詰まらせて窒息し、救急車でセント・マリー・アボッツ病院に運ばれたが間に合わなかった。

このニュー・セラー・クラブには何とクリームも出演しているという。他にもアレックス・ハーヴェイ(Alex Harvey)、ファミリー(Family)、 チッキン・シャック(Chicken Shack)、 ロリー・ギャラガー(Rory Gallagher)、ティム・ハーディン(Tim Harding)、Paul Jones(Manfred Mann)などもここで演奏した記録が残っている。

ジミがギターを歯で弾いた因縁だろうか、現在この建物は歯科医院になっている。

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土曜日の夜。

多くのパブでライブ演奏が開かれる。

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このサウス・シールズでもアチコチでバンドが演奏している。 見ての通り超満員。

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Led Zeppelin、The Who、演奏される曲はほとんどがブリティッシュ・ロックの名曲。彼らの音楽だ。演奏に合わせてエールのパイントグラスを片手にお客さんがいっしょに歌う。みんな英語ウマイからね。演奏も上等だ。

これはサウス・シールズに限った光景ではない。こういう場面を目の当たりにすると、ロックが本当に身近にあることを感じざるを得ない。日本のロック事情とは完全に別世界であることを認識した。

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ここも昔は大変なにぎわいだったんだろうナァ~。

また行きたいな、サウス・シールズ!

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つづく

2013年4月15日 (月)

Hard Rock Rising 2013~東京地区大会決勝戦

おいしい料理と世界のロック・スターの貴重なメモラビリアでいつでもにぎわっている六本木の人気レストランHard Rock Cafe Tokyo。

Mr. BIGの記者会見、オリジナル・ジミ・ヘンドリックスTシャツ発売記念ライブなど。さまざまなイベントにこの場で立ち会ってきた。ジム・マーシャルが1998年に来日した際、名古屋のお店にスタッフみんなで繰り出したり、横浜のお店で元マーシャルの旧友に出くわしたりと、個人的にもとても思い入れの深い場がHard Rock Cafeなのである。

近い過去にも海外のHard Rock CafeとMarshallはコラボレーション企画が実現したこともある。

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そのHard Rock Cafe Tokyoが昨年、大がかりな改修工事を行い、よりゴージャスな雰囲気の空間に生まれ変わった。11月にはクリスタル・ケイちゃんを招いてド派手にオープニング・パーティも開催された。ありゃスンゲエ盛り上がりようだったゼイ。

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これが新しくなった店内。

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以前のような段差のないフラットなフロアとなった。前の雰囲気も好きだったけど、この使いやすくなったフロアの方が尚よろしい!色んなイベントがやりやすいもんね!

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ゴージャスなバー・カウンターが人目を惹く。ついつい、もうイッパイ?!

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もちろんHard Rock Cafe名物のロック・スターのメモラビリアも豊富に展示されていることは言うまでもない。

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イベント時にはこのコーナーがステージになる。

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2階のようす。

どこもかしこも来店者を満足させるステキな空間だ。あ~写真見てたらハラ減ってきた。

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さて、4月下旬のある日の入口。

下の写真にある「Hard Rock Rising」というのはHard Rock Cafeが世界規模で展開しているバンド・コンテストのこと…ってそう書いてあるね…。リズム、リズム、文章をにもリズムが必要でしてね。自分の書き方で筆を進めないとどうも先へ行きにくい。

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タイトルは「The Global Battle of the Band」。

日本国内ハードロックカフェ5店舗はもとより、世界中のハード・ロック施設で世界デビューを目指して開催されるのだが、優勝バンドには世界中の主要ハード・ロック・カフェでライブを実施するワールド・ツアーの他にアルバム・リリースとプロモーション・ビデオの制作、その上、$10,000相当の新しいバンド機材が贈られるという。

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しかし、いくら世界的な組織が運営してるとはいえ、こういうバンド・コンテストもゴージャスになったもんだ。「世界」だもんね~。スケールがデカイ!

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本編の前にスポンサーであるBudwiserのPR。バド・ガールズが髪を振り乱して踊り、そして舞う!もうコレでツカミはOK!コレが一番!(マイったな…ここであんないエール、エールって騒がなきゃよかったナ…)

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この日はサービス・プライスでBudwiserが飲めるということで飛ぶように売れていた。イヤ、バド・ガールの効果に違いない?!

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名物司会者でもある店長からごあいさつ。

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まずは、最初のバンドにインタビュー。

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最初のバンドは「No Name 101」。

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若さあふれる4人組だ。

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実はこの東京地区の決勝大会の直前の予選が1か月前に開かれ、私は審査員のひとりで参加させていただいたが、その時の優勝バンドがNo Name 101。

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予選の時にもまして迫力ある演奏を聴かせてくれた。パンクっていうのかな?私にはそう聴こえる。

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そういえば高校生の頃、自分たちのバンド名を決めるのがすごく恥ずかしくてね。友人のバンドで「なしよ」というのがあったな。「バンド名は?」「なしよ」…みたいな。「お名前は?」「いいの」「いいのじゃありません!お名前は?」「だから飯野!」のパターンやね。

いまでは「No Name 101」。彼らがバンド名に悩んで「No Name」にしたかは存じ上げないが、カッコよくて隔世の感があるナァ~。

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続いてのバンドは「The Complaints Department」。

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バンド名にビッグ・ワードが並んでいると思ったらメンバーのうちおふたりは外国の方。

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でも、このお方メチャクチャ日本語がお上手で礼儀正しくて驚いた!歌は英語。

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こちらのバンドもパンクっていうのかな?ニューウェイブっていうのかな?そちらの方はまったく知識がないので的確なカテゴライズができないが、パツンパツンのはじけるようなプレイだ!

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うれしくておもしろかったのが、ギター・アンプ。2人ともマーシャルのハーフ・スタックを持ち込んでくれていた。キャビは1960なのだが、ヘッドがこれまた2人ともMG100HDFXなのだ!

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MG100HDFXは現在のMGシリーズの一世代前の「MGIII」にラインアップしていたモデルだ。MGなのでオールトランジスタではあるが、独特なブルータルなサウンドを持っていて、Static XのWayne Staticが愛用していたことで知られる。

私はこのWayne Staticのサウンドを実際にO-EASTで体験したが、スゴカッタな~。「ザバー!」っというか「ギョギョーン!」というか、イヤ違うな、「ジャジョーン!」というか「ザホー!」ていうか、とにかく独特なサウンドだった。

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The Complaint Departmentの2人はそこまでではないにしろ、爽快なギター・サウンドだったね。さすがマーシャル。MGとはいえホントに音がよく抜ける! もし、ここでWayneみたいに爆音で弾いたらホンモノのComplaintが来ちゃうもんね!

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やっぱり外国の方がバンドにいるだけでエラク雰囲気が違うよね。2人ともキャラがメッチャ立ってるし!

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そして、3番目のエントリーは意表をついてデュオでスタート。

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前の2バンドガラリと雰囲気が変わる!

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その実体は4人組のSawas Phool。

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こちらのギターの方はDSLのハーフスタック。

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このバンドはパンクっ気なしのストレートなロックだ。

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カチッとした演奏にエネルギーあふれる熱演で持ち時間を上手に消化した。

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これでエントリーはすべて終了。後は結果を待つばかり…。

審査結果を集計している間、Budwiserを片手に…

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バド・ガール・ダンスをもう一度お楽しみください!

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そして、結果発表!結果発表は店長から。

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「優勝バンドは…」 (ドラム・ロール)ダララララララララララララララ…

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「No Name 101」!

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おめでとう!店長から目録を渡されてハッピー、ハッピー!

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最後にバド・ガールズと記念に一枚。No Name 101は次への舞台へとひとつ駒を進めたのであった!がんばれ!

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Hard Rock Cafe Tokyoの詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト

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<あとがき>

これも時流ゆえ、仕方のないことなのであろうが、一般論をひとつ…。

世のバンド・コンテストはいつの間にか演奏の技術を競うものではなく、ファッション(着ているものではない)を競うものになってしまったと思う。それはロックという音楽がとりもなおさずファッションの最先端を代弁するものに成長したということなのだろう。それはそれで構わない。ロックもビジネスだ。

しかし、昔のバンド・コンテストというと、「あの子、ギターうまかったね~、きっとプロになるよ」とか「あのドラムはスゴかった~」と見ている人を感心させるアマチュア・プレイヤーが必ずいたものだ。つまり楽器の演奏技術を競うところが大きな見どころで楽しみでもあったワケだ。大した演奏技術を必要としない音楽が流布するムーブメントのせいで若い人は残念ながら楽器演奏の楽しさの一部を失ってしまった。

「Smoke on the Warter」を演れ…なんていうつもりは毛頭ない。個人的にはこうした場所が、もう少し器楽演奏の真の楽しさにつながる演奏技術やカッコよさを見せつける場になって欲しいと願っている。コンテストのスケールは大きくなっても音楽のスケールは小さくならないことを願うばかりだ。

気軽に演奏できる音楽だけが音楽では決してない。「こんなのできるワケないじゃん!」というチャレンジ精神が器楽演奏にあっても全然かまわないのだ。いつも書いていることだが、若い人にはとにかくいろんな音楽を聴いてもらいたい。その上でHard Rock Risingにチャレンジしてもらいたい。また違うBudwiserの味がすると思うよ!

(一部敬称略 2013年3月24日 Hard ROck Cafe Tokyoにて撮影)

2013年4月12日 (金)

D_Driveの六弦心~Live in 代官山

日本を代表するギタリストが集まって美しい日本のメロディを奏でるコンピレーション・アルバム『六弦心』の第二弾が3月20日にリリースされ大きな反響を呼んでいる。

やはりこうした良質のギター・アルバムというのはいつの世も人気が集まるものだ。

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発売に合わせて東京代官山の蔦屋書店で『六弦心 vol.2』展を開催していたことはマーブロでもレポートした通り。

おお!今ちょうどテレビのニュースに蔦屋さんが出てる!あッ、店長もギンギンに映っちゃってるゾ!何の騒ぎかというと、村上春樹の新作が今日の午前0時に発売になるんだそうだ。スゴイね~。終電がなくなるのに大勢の人が列を作っている。発売前に3回増刷で史上最高の初版数50万部をマークしたそう。CD業界もこれぐらい盛り上がるといいね~。

電子書籍じゃないんだね。最初に紙媒体でひと儲け…はじめに「紙」じゃトイレと反対か…。な~んて、私は紙の本(こんなの当たり前にワザワザ書籍をこういう表現で呼ばなきゃならないのが呪わしい)を死ぬまで支持しますね。活字なんて紙で読むもんだよ。「考え方が古い」なんて言いなさんな。「本は紙でできている」もんだ。

だからこうして紙の本を大体的に売ろうという企画は大賛成だ。もとより内容がいいからみんなこうしてフィジカル・プロダクツを買うんじゃないの?CDだって内容が優れたものが出てくれば少しはこれに近づくんじゃないかと思いたくもなる。

ところで、私は村上さんの本ってのは恥ずかしながら読んだことがない。例外として読んだのは『さよならバードランド(From Birdland to Broadway)』という白人ジャズ・ベーシスト、ビル・クロウが著した本だ。腰を患い入院した時にジャズ・ミュージシャンの親友がお見舞いに持ってきてくれた。この本の巻末には村上春樹のおススメのジャズのレコードが紹介してあって、そのマニアに驚いた。

きっと村上さんも電子書籍や音楽配信を反対していると思うよ。イヤ、村上さんがこの辺りの問題にどんな論陣を張っているかもわからないし、これだけ自分の本が売れているんなら紙だろうが、電気だろうが興味ないかもしれない。詳しいことはわからないので、そう「思いたい」。

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そして去る4月7日、同じ蔦屋書店の2階で『六弦心 vol.2』の発売記念ライブ・イベントが開かれた。

この2階スペースはCD売り場になっていて、こうしたイベントが時折開催される。ちょっとした楽器も販売していて、間0社るのMS-2なんかが店頭に並んでいる音楽に非常に熱心なお店なのだ。

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出演はD_DriveのSeijiとYuki。

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イベントに合わせてCDだけでなく2人の教則DVDやD_DriveのライブDVDも取り揃えられて、会場は「六弦心」とD_Drive一色となった。この場合二色っていうのかな?

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D_DriveとくればもちろんMarshall!

1時間程度のミニ・ライブとはいえ音にこだわる二人のこと、手を抜くことなくいつも使っているマーシャルがセットされた。

SeijiさんはDSL100ECと1960AC、YukiちゃんはTSL100 と1960Aだ。

マーシャルの背後に青空…やや珍しい光景じゃない?

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そして夕刻、いよいよ開演時間となった。

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本屋さんとは思えないゴージャスな空間!

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会場はもちろん満員。

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大きな拍手に迎えられていよいよスタート!

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いつもライブでプレイしているD_Driveのレパートリーが次々と飛び出す。

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Seiji

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そしてYuki。

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いつもライブ・ハウスで大騒ぎしているお客さんと異なり、キチンと椅子に座っているお客さんの前では演りづらいかな?なんかいつもと目線が違うような…。

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さすがにライブハウスと違っていつもの爆音というワケにはいかない。

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でもうまい具合にボリュームを調整して実にバランスのよいプレイを披露してくれた。こういうイベントにつきもののオケのトラブルもなし!

ま、それでも偶然そこに居合わせた子供たちは両耳を押さえてたけどね。ま、10年もすればライブ会場の最前列で大騒ぎしていることでしょう。

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いつも書いているようにMCも楽しいのがD_Drive。

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楽器のことや「六弦心」参加のエピソードが語られる。

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D_Driveの『六弦心 vol.2』でのお題は「どこかで春が」。Seijiさん、この歌を知らなかったとのこと。

「ムズカシイ~」とちょうどNAMMで一緒になった時も言っていたが、確かに音数の少ないこの曲、料理するのが大変だったことだろう。音楽は時としてシンプルであればあるほど演奏が難しくなる。

なるほど~、そう言われてみればそうなのだが、この曲って、4/4拍子2小節の後、2/4拍子がくっついてるのね。

子供も歌って案外そういうとことがあって、昔発見したのは『おかあさんといっしょ』の挿入歌で「透明人間」という歌があった。車の中で子供のためにかけていて気付いたのだが、これも変拍子だった。作曲者のクレジットを見ると、ハハンなるほど…渋谷毅さんだった!どうりでカッコいいと思った。

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さて、いよいよ「どこかで春が」を演奏する!

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おお~っと!トラブル発生!オケのトラブルではない!

しかし、トラブルなんてモノともせず心を込めた演奏が展開された。いい曲だニャ~。

Seijiさんの真剣な表情!

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Yukiちゃんも!

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そして最後は自分たちの曲を激しく演奏して終了。かなり中身の濃いイベントだったね~。

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終演後のサイン会も長蛇の列だった。

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D_Driveのリズム隊、しまたろChiikoも会場で応援!

この後、YukiちゃんとChiikoちゃんは4月29日に日比谷野外音楽堂で開催されるSHOW-YAのビッグイベント、『NAONのYAON』に出演する。

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ホンマ、D_Driveの勢いは誰にも止められへんわ~!

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内容だけでなく、ジャケット写真もカッコいいD_Drive東京発のワンマン・コンサートをつぶさにとらえたライブDVD『Live in Tokyo』もよろしくね!

D_drive_dvd

それにしても、昔の曲ってよくできてるよね~。今、偶然テレビでフランス映画の『冒険者たち(Les Aventuriers)』をやっているけど、40年近くぶりに観てる。この映画、リノ・バンチュラもアラン・ドロンも魅力的だが、とりわけジョアンナ・シムカス(シドニー・ポワチエの奥さん)の美しさ、可愛さったらこの上ない。小学生の時にこの映画を初めて観て、一発で彼女の名前を覚えてしまった(シムカスなんて名前はギリシャ系かな?)。特に潜水服を着せて海の底に彼女の骸を沈めるシーンはあまりにも印象的だ。

もうひとつ一発で覚えてしまったものがあった。それはこの映画の主題歌だ。ピアノと低音部を使ったスリリングな音列に続いて口笛でかなえられる対照的な物悲しいメロディ。10歳かそこらで一回聴いて覚えた曲が40年も頭に残っているのはもちろんメロディが素晴らしいから。

もう人類はこうした素晴らしいメロディを生産することができなくなっているのではなかろうか?テレビを見たり巷間の音楽を聴いていると真剣にそう思ってしまう。

『六弦心』を聴こう。そして、美しいメロディを思い出そう。SeijiさんとYukiちゃんが心を込めて弾いてくれているから…。

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive Offiial Web Site

六弦心の詳しい情報はコチラ⇒六弦心Official Website

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(一部敬称略 2013年4月7日 代官山 蔦屋書店にて撮影)

 

2013年4月11日 (木)

Speak of the Devil ~ ビックリしたな~モウ!

ウェイン・ショーターの人気盤に「Speak No Evil」というのがあるでしょ?あれは「見ざる、聞かざる、言わざる」という意味。で、似たようなルックスの英語のことわざに「Speak of the Devil」がある。

これは日本で言うところの「ウワサをすれば影」という意味。今日はそんなお話し。

ところで、ロンドンの街を歩いていると色々なところで丸くて青い銘鈑を見かける。

こういうヤツね。

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これらは「Blue Plaque(ブルー・プラーク)」と呼ばれ、ロンドン市内にある名所旧跡…というより主に著名人・文化人・政治家等の住居後を記すためのもの。「Plaque」というのは「飾り板」と訳されるようで、1960の左下やよくアニバーサリー・モデルや限定品にくっついてる金色のプレートを「プラーク」と呼んでいる。

実際、この言葉は「そこに住んでいた人物の記念額」とそのものズバリの意味もあるらしい。まさにロンドンのこれがそのまま単語の意味になっちゃったのかな?

私はこのロンドン市街地のブルー・プラークを探して歩くのがすごくおもしろくて、Charing Cross RoadのFoylesでこんな本まで買ってしまった。

ブルー・プラークの設置場所とその人のプロフィールが記してあるガイド・ブックだ。

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この本を買ったのは、『ロック名所めぐり』のネタになりそうなロック・ミュージシャンの知られざるブルー・プラークのありかを知りたかったからに他ならない。

本にはプラークの登場人物の職業別索引がついていて、買うやいなや 「Composers, Conductors & Musician」をチェックした。ナンディ、全然ロック・ミュージシャン少ないでやんの。 それも前から知ってるヤツ…。

たとえば…。

ジミ・ヘンドリックスが住んでいたフラット。ジミはチャス・チャンドラーとつるんでこの他にもいくつかのロンドン市内のフラットに住んでいた。今度ロンドンに行く機会があった時にそれらを徹底的に調べてみようかと思っている。「名所めぐり」でジックリとジミ・ヘンドリックス特集を編んでみようかと思っているんですわ。

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「キース・ムーンがここで演奏しました」。Marquee後についているプラーク。Marqueeも「名所めぐり」でジックリやります。

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ジョン・レノン。これしか書いてない。どこについているかはこれまた「名所めぐり」で触れます。

ね、気がつきましたか?この偉大なる3人の「アーティスト」…どこにも「Artist」って書いてないでしょう?いかに日本語の「アーティスト」という言葉が誤用されているのかがわかる。

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さて、このブルー・プラーク、一番最初につけられたのは19世紀のことだったらしい。ところが、おそらく放ったらかしにしておいたらみんなジャンジャン似たようなものを勝手に作っちゃったんじゃないかね?1986年にはEnglish Heritageというイギリス政府関連の団体これの管理を始めたが、現在は経済的な理由で活動が止まっている。ナンダ、案外だらしねーな。

ということでプラークにも色々なタイプが見受けられる。これがまたおもしろい。

これなんかはかなり古そう。17世紀の詩人・小説家、ジョン・ドライデン。

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この写真ではわかりにくいが、これなんか壁に埋まっちゃってる。絶対ハズさない!という意思表示かね?Robert Walpoleはイギリスの最初の総理大臣。メッチャ偉い人みたい。

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これなんか勝手に公式なブルー・プラークに似せて作っちゃったクチじゃないの?St. Martin's Theatreについているもの。アガサ・クリスティの「世界で一番ロングランの劇『The Mousetrap(邦題:ねずみとり)』の50周年記念イベントが2002年11月にここで開催された」というプラーク。1954年の初演以来、20,000回を軽く超える上演回数に上っている。

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2枚抜き!

ここで出た「Artist」。このマーカス・ストーンというのは画家ですな。「Artist」という言葉は主に美術に使われるようだ。AKB48は画家ではない。

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こんなタイプもある。ジュリアス・ベネディクトはドイツの作曲家。知らねー。

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こうして海外の著名人のプラークもジャンジャン出てくる。もっともジミも外国人だもんね。

これはケネディが住んでいたアパート。

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その隣にはアメリカ5大財閥の一角の祖、ジョン・ピアポント・モーガンが住んでいた。

モーガンは美術品コレクターとしても有名で、マンハッタンに行くとこの人の自宅を図書館&美術館にした「J. P. Morgan Libraly & Art Museum」という美術館がある。これおススメです。本のコレクションに圧倒されること間違いない。

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街を歩いているとブルーに限らず、もう色んなのが出てくるよ。

これは以前Shige Blogで紹介した「類人猿作戦」に関するプラーク。

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建物自体にはバンバンつけられる。これはChalk Farmにある操車場を改装した有名なライブハウスというか劇場Roundhouse。 これもそのうち「名所めぐり」で紹介します。

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茶色いのもある。『The War of the Worlds(宇宙戦争)』で有名なH.G Wellsのプラーク。

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さらに、プラークはロンドン市内にとどまらず、他の都市でも盛んに貼っつけられている。

これはニューキャッスルの「The Tyne Bridges」。これもいつか紹介したタイン川にかかる美しい橋たちのプラーク。

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これもニューキャッスルにて。鳥類学者のThomas Bewick。

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これはShige Blogの「イギリス紀行」に出てきたサウスシールズの旧市庁舎につけられたもの。

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世界的な作家、Catherine Cooksonのプラーク。これもサウス・シールズで見つけた。

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…と、イギリスではこのプラーク事業が盛んなワケ。ここまでが前置きです。思いっきりふくらました。

さて、ところ変わってここはロンドン西部のHanwellという街。

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マーシャル・ファンにはすっかりおなじみの地名だろう。

すでに『イギリス-ロック名所めぐり』の第2回目でも紹介している。

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Uxbridge Roadは街の目抜き通りだ。

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その通りの76番地にあるのがこの床屋さん。そう、1960年にジム・マーシャルがドラム・ショップを開店した場所。すなわちMarshall発祥の地だ。

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で、現地に取材に赴いた私が思ったことをマー本『Marshall Chronicle(シンコーミュージック・エンタテイメント社刊)』の11ページのコラムにこう書き記した。

「ここがJTM45の故郷であり、マーシャル・アンプ発祥の地なのだ。いつの日かこれらの建物にプルー・プラーク(中略)が掛かれば嬉しいと思う。そのプラークにはこう表示されるはずだ。

ENGLISH HERITAGE

Dr. JIm Marshall OBE

1923-2012

Founder of Marshall Amplification opened his first shop and laboratory here in 1960」

いいですか?

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驚いたことに、ナント!このプラークが実現しちゃったのだ!

これを実現させたのは「The Hanewell Hootie」というコミュニティで、地元のパブを会場にした自由参加のロック・フェスティバルがメインの活動。「この街に音楽を取り戻そう!なんてったってここはマーシャル発祥の地なのだから」的な思想を元にしている。

その活動の象徴として街の時計台にこのプラークが設置されたそうだ。

見て、このプラークの文句。ちょっと書き出してみると…

「Hanwell High Street

Jim Marshall OBE

1923 - 2012

Founder of Marshall Amplification sold his first guitaramp here in 1962

76 Urxbridge Road」

「初めてお店を出した年」か「初めてアンプを売った年」かどっちが重要なのかはわからないが、当たり前にしてもあまりにも似ているので驚いた。

『Marshall Chronicle』が出たのが2012年の12月10日。このプラークが除幕されたのが2013年4月6日。マー本の方がはるかに早い。明らかにマー本読んだな…。

…というのは冗談だが、考えていたことがスッポン!と実現しちゃったもんだからビックリしたわ。

そこで「ウワサをすれば影」と題してこのおめでたい話題をお届することにした。

ビックリしたな~モウ!

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2013年4月10日 (水)

Plastic Tree 東京キネマ倶楽部一週間公演「裏インク」

黄色いライトに染まった観客で立錐の余地がまったくないある日の東京キネマ倶楽部。

Plastic Treeが7日間連続のライブを敢行した。もちろん連日この通りの超満員。

日替わりでテーマとする「色」が決められており、取材に訪れた3日目は「黄色」。そのため、客電も写真の通り黄色にセットされているのだ。

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Plastic Treeは1993年結成。マーシャル・ブログ初登場である。

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ボーカル&ギター、有村竜太朗。

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ギター&キーボード、ナカヤマアキラ。

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ベース、長谷川正。

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ドラム、佐藤ケンケン。

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マーブロ初登場というぐらいなので、私も今回初めてPlastic Treeのショウを拝見した。

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もちろん人気の高いバンドなのでその名前は十分に認識していた。しかしこの日が私にとって初プラトゥリ・ステージ。実は結構以前から関わりがあったのだ。その関わりについては後に記す。

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見た目から想像するにPlastic Treeはボーカル&ギターの竜太朗さんの個性がかなり前面に出ているバンドと思われるであろう。

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事実そういう部分も大きいのだが、バンド全体ではこれがなかなか一筋縄でいかない独特の雰囲気とサウンドを持っているのだ。

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けだるそうなキャラクターの竜太朗さんは何とも言えない魅力があって…

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このバンドのフロントマンとしての役割を完璧に演じている。

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さらに、このバンドをこのバンドたらしめているのは、ギターのアキラさんであろう。

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先に書いた以前からの関わりというのは、実はアキラさんは2007年初頭ぐらいからのJVMプレイヤーなのだ。長いことJVMを使っていただいているギタリストの方はもちろんまだいらっしゃるが、2007年の初頭というのはJVMが発表になってすぐのこと。その発売になったばかりのJVMを引っ提げてPlastic Treeが武道館公演に臨んでいただいたのがものすごく印象に残っていたのだ。

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今日は改造版のJVMとMFキャビをメインに使っていたが、予備にはしっかりと通常のJVM410Hがスタンバイされていた。

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アキラさんのギター・プレイはヌーノ・ベッテンコートのシグネチャー・モデルから想像されるサウンドとはほど遠く、まったく独創的なものだ。

ディレイを多用したそのプレイはまるでデヴィッド・トーンのような幻想的なサウンドをクリエイトする。

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その独特なギター・プレイが同期のサウンドと絶妙にマッチしているのだ。そして、至極ポップな歌メロとイビツにも美しく絡み合う…というところがPlastic Treeの私流の味わい方だ。

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同期の操作の他、キーボードも担当している、アキラさんはまさにこのバンドのサウンドの核なのだ。

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その独創性をガッチリとバック・アップするリズム隊も魅力的だ。

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アキラさんの繊細なギター・プレイと好対照なワイルドなプレイを見せるベースの正さん。

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アクションも派手で目を惹く存在だ。

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クリスピーなドラミングでバンドをプッシュするケンケン。

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同期のサウンドと寸分のズレも見せずに正確なビートをたたき出す。

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このシンプルでストレートなドライブ感もこのバンドの人気の的だ。

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もちろん幻想的な雰囲気の曲ばかりではまったくない。そもそも、「幻想的」みたいに感じているのは私ぐらいなのかもしれないな。だいたい私みたいなオッサンもひとりだけだし…。

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でも感じ方は人それぞれ。すごくよかった。

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で、エキサイティングなドライビング・チューンも数多く用意されていて観ているものを飽きさせない。

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ショウの後半はこの通りのノリノリ状態なのだ!

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もちろんそんな時はアキラさんもガシガシ弾きまくる。

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でも、どこか、こう、なんか違うんだよな。趣味ガラ、仕事ガラ、ずいぶんと色んなギタリストを見てきたが、アキラさんはかなり独特な方に入るな~。

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竜太朗さんも、やたらめったら観客を煽ることはせず…

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あくまでも歌で観客をエキサイトさせようという感じ。

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こうして熱狂のうちに本編が終了。

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アンコールにはアコギを携えて竜太朗さんがサブ・ステージに登場。しっとり感満点だ。

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最後はおそろいのTシャツに着替えて登場!

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「プラトゥリのライブ、いつノルの?」、「今でしょ!」みたいな盛り上がり感。もちろんステージもお客さんもずっとノッてるんだけどね!

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キネマ倶楽部からは、残り4回4日間、この調子でブっちぎったやに聞いた。さすがPlastic Tree。また是非観たいバンドだ。ますますの活躍を期待して止まない。

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Plastic Treeの詳しい情報はコチラ⇒Plastic Tree Website

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(一部敬称略 2013年3月13日 東京キネマ倶楽部にて撮影)

2013年4月 9日 (火)

The Amazing Uemura Collection~Music Jacket Galleryの源

※今日のマーブロは気の弱い方、集合体恐怖症の方はご遠慮ください。

マーシャル・ブログの人気カテゴリーに『Music Jacket Gallery』があった。
この新マーブロでも同範疇の記事を一度アップしたが、メインとしていた内容は大田区にある老舗印刷会社、金羊社の4階に常設されてるレコード・ジャケット展の展示物を解説したものであった。

本来の目的は、絶滅の危機に瀕しているレコードやCDのジャケットの魅力を見直そう…というもので、ごく私的なディスク・ガイドといった趣にもかかわらず、幸運にも数多くの音楽愛好家のご支持を頂戴し、某四大新聞社のうちのひとつの解説員の方までご愛読されていると聞いて浮足立ったものであった。

展示が変わる度に膨大な量の記事を制作したが、残念ながらある事情により今は見ることができなくなってしまった。
この記事を制作する作業は、自分でもお気入りの仕事のひとつではあったが、大変な労苦を伴うものであった。
LPを解説する際、まずは記憶に頼って文章を組み立ててみるのだが、30年以上前の出来事が多いゆえに、存外に思い違いが大きかったりして、少しでも正確を期すために調査にかなりの時間を要してしまうのだ。
また、事実内容を確認しているうちに興味深い新事実に突き当り、それを深く調べているとアッという間に時間が過ぎてしまい、他のことができなくなってしまったりするのである。
しかも、これらの作業にあたる際にはどうしても大量の英文を読み解く必要があり、余計に時間がかかるのだ。

上のような理由により、昨年10月から始めたこのマーシャル・ブログではどうしても時間が作れず、このカテゴリーに手を出せなかった。
しかし、そこは「お気に入りの仕事」のこと、いつかは再開してやろうと3ケ月に1度模様替えをするMusic Jacket Galleryの展示の取材だけは敢行し続け素材を確保しておいた。

そして、いよいよ再開する決心をしたのだ。正確に言えばShige Blogから引っ越しして来ようというのだ。

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これにはいくつか理由があった。

まずひとつは、「あのコーナー楽しみにしていたのに、もう終わっちゃったんですか?」と何人かのマーブロ読者に尋ねられたこと。
コレはうれしかった!
さらに、20年のキャリアを持つ音楽専門誌がここ数日の間に2誌も休刊となったこと。
私はこの2誌を店頭ですら広げたことがないが、コレにより音楽産業の加速度的な衰退を感じたこと。そして、最近ある本を読んで思うところがあったこと。
その本は「どうしてこんなに日本の音楽がダメになっちゃったのよ~」的な問題を多角的に分析している(つもりの)モノで、正直ダメになっているとされる音楽が私にとってどうでもいい類のものであるのと、根本的な論旨が自分と相容れない至極商業的(音楽愛好家が分析した内容とは思えないということ)なモノであったため、結果的にその内容に与できるものではなかった。
「それなら読まなきゃい~じゃね~か!」と言うこともできるが、一か所だけ頷くことができる箇所を「あとがき」の中に見つけた。
これほど「あとがき」が重要な本も珍しい。
それは…音楽や映画でも何でも感動できるものを下の世代に引き継げ…というのだ。
もしかして、この本の著者はマーブロを読んでいるんじゃないの?と思うぐらい私が何年も言い続けていることを正確に活字にしていたのだ。(この人も相当前から言いたかったんだとは思うけどね)
 
バカシゲのいつものヤツがまた始まった…と思われることでしょうが、また一念発起してLPやレコード・ジャケットの魅力を借り、私なりに音楽の魅力を伝承する作業を勝手に引き継ぐことにした。
誰かがこの伝承作業をしなくては…。
で、今日はそのイントロとしてMusic Jacket Galleryに展示物を提供している日本屈指のコレクター、植村和紀さんのことを書くことにした。
金羊社のギャラリーに展示されるアイテムはすべて植村さんの私物なのだ。

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写真向かって左が植村和紀さん。右は金羊社の奥平周一さん。
奥平さんは優れた技術を持つカメラマンだ。

植村さんは以前マーブロでも紹介したレコード協会が協賛する『Music Jacket Gallery』の中心人物でもある。

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さすがに日本屈指のコレクター、雑誌に取り上げられることも珍しくない。

この記事の写真に見えるLP棚は植村さんが「蔵」と呼んでいるLP専用の倉庫に設置されているもの。
ここへ行ったことのある人は「蔵友(くらとも)」と呼ばれる。
私も何度もお誘いを頂戴しているのだが、東京から遠く離れているため、時間を割くことなかなかできず、残念ながら私はまだ「蔵友」にはなっていない。

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こちらはレコード・コレクターズ誌(株式会社ミュージック・マガジン刊)の人気コーナー「レコード・コレクター紳士録」。1999年5月号(XTC特集)にもご登場されている。

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今日、ここにご紹介するのは、都内の「蔵」。
CDを中心に保管している第2の蔵だ。

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都内のマンションの一室の6畳間。
壁一面に広がっている物体はすべて「CD」である。

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全部CD!

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CDはお気に入りのミュージシャンを除き、ほぼレコード会社別に収納されている。

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植村さんのスゴイところは、すべてのCDを聴いていて(当たり前か?)、何がどこにあるかを完全に把握していることだ。
しかも、だいたいの盤の内容が頭に入っていて、「これどんな感じですか?」的な質問をすると、当意即妙にその答えを聞かせてくれるのだ。

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あのね~、この壁一面の棚のCDは前後2列になってんのよ。
つまり見た目の倍の数のCDがこの棚に収蔵されているということ。

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ね?後列の下段もちゃんとホンモノのCDが詰まってる。もうこの時点でほとんど「悪い冗談」です。
私も大概好きですけどね~、なんかね~、ここまで来るともはや羨ましくない。
だって、何でもあるんだもん。
それじゃ面白くないじゃん!…でもやっぱ羨ましいか…。

それでもまだまだ買い続けるのが植村さんのコレクター道。
ジャンルはほとんどがロック&ポップスだ。
コレ、もしここにジャズが本格的に加わったら大惨事に発展したことだろう。

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ところで、植村さんは収納に当たってスペースを省くために薄いソフトケースを使用している。
植村さんにすすめられて後に私も導入した。
何しろCDのケースの中身はほとんどが空気だからね。
サイズがコンパクトな分、LPよりおとなしいフリをしているが、実はガタイの比率からいえばLPより何倍も無駄にスペースを使っているのだ。
CDとスリーヴを取り出して下の写真のようにソフトケースに収めこむ。
下はわかりやすく2枚のソフトケースを使っているところ。

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こうしてソフトケースに収めると厚みは1/3になる。

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下はウチのCD棚。
もう気持ちいいぐらいスペースが縮む。
何せ体積が一気に1/3以下になっちゃうからね~。
私のコレクションはコレでたかだか5,000枚程度だけど、それでもソフトケースに替えた効果は絶大だった。
S0r4a0585一方、要らなくなったプラ・ケースの量たるや膨大なもので、何回にも分けてゴミ屋さんに持って行ってもらった。
そして、その重量!想像を絶しますよ。
1ケ1ケはもちろん大したことないのは当たり前なんだけど、それが3,000枚も4,000枚もになると凄まじい重さになる。
当然、木造の家にはかなり負担なのだ。
かさばるプラ・ケースを並べてその量を鑑賞して悦に浸るのも悪くないが、空気を鑑賞しているようなもんだからね。
将来コレクションを手放すつもりがなければ、この手のケースは大変に実用的だ。
下の空ケースはホンの一部。
記念に撮影しておいた。
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この量がすべてプラ・ケースに入っていたらどうなっていたか…オモシロイね~。
ひと部屋どころかマンション全部必要かもね。

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CD棚の上にはパンパンにボックス・セットが積み上げられている。

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ま、私もいくつか持っているけど、ちょ、ちょっとコレは…。

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ボックス・セットのコレクションは壮観だ。

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一体、何枚ぐらい同じ内容のCDがダブってるんだろう?

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植村さんのボックス・セットへの執着はすさまじく、「ボックス」という名がついていればすべて購入しているという。

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もう、これには山崎さんもビックリすることだろう!(註:ボックス=ハコね)

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ここは紙ジャケ・ゾーン。
…と、下段を見ると「5 in 1」の廉価盤のボックス・セットのコーナーが…。
こんなん買う必要ないのでは?…と他人事ながら心配になってきた。

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押入れに歩を進める。
開き戸を開けると…ドワッ!ボックス・セット!
しかし、キレイに収まってるな~。

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下段もCD。
コレ、押入れの全面だけではなくて、奥まで詰まってますからね。

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となりの引き戸の押入れの中は…CD!

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それとデジパックのような、ソフトケースに収納できないタイプのアイテムが山と積まれている。
そう、実はこのデジパックってクセモノでしてね、分解するわけにもいかないし、絶対的に厚みがあるし、見た目はいいけど収納の敵なのよ。

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カゴの中はどれもパンパンにつまっている。

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カゴの中がどうなっているかというと、こうなってる。もうこれだけで軽く100枚近くは入っている。

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まだビューパックに収めきれていないものもある。

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…と気になるのは枚数だよね。もう正確に数えるのは「数えるのが大好き同好会」に入っている学生のアルバイトでも雇わない限り無理。
そこで、ザっと植村さんにお見積りいただいた。

答えはこうだ。

●ソフトケースに入れ替え済みのものが27,000枚

●まだソフトケースに入れ替えていない状態のものが5,000枚

●デジパックや変形ケースなど入れ替え不可能なものが1,000枚

●紙ジャケットものが5,000枚

⇒その他のゴチョゴチョを加えると軽く40,000枚は超すという。

これに、前半で触れた「蔵」にLPが20,000枚。
しめて60,000枚!
ほぼ私のコレクションの10倍の量になるが、なんかもっとあるような気がするな~!
もっとも増殖中であることは言うだけヤボってもんだ。
 
引き戸の押入れの反対側も同じ。中には何が入っているのかな~…なんてもう思わない。
どうせCDだよ、CD!CDが入ってんだよ!

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植村さんのお気に入りは、まずはフランク・ザッパ。

何せ好きすぎてフランク・ザッパのCDを配給していた会社に転職しちゃったんだから。その甲斐あって1992年10月にLAのザッパの家に行っちゃった!
いいな、いいな、いいな、いいな、いいな、いいな、いいな、いいな、いいな、いいな、いいな、いいな、いいな、いいな~!
写真を見せてもらいましたけどね~。
もうこれは羨ましいとしか言いようがない!
 
それ以前は、1977年6月~1992年5月まで「オリコン」、つまり、「オリジナル・コンフィデンス」にお勤めしていらした。
まだ、LPレコード全盛期の頃のお話をうかがうと大変オモシロイ。

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そして、ジェスロ・タル。
植村さんはイアン・アンダーソンとホッケをつついた仲だというからスゴイ。
もうすぐ来日して『ジェラルド(Thick as a Brick)』を演るというから今頃楽しみで夜も眠れないのでは?

下は『Stand Up』のタペストリー。

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「bouree」関連のシングル盤。

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どこでこんなもん手に入れて来たんだか…タル初来日時(1972年)の時の記者会見のようすのカラー・ポジ。

それと、ホセ・フェリシアーノやSpiritがお好きとのことだ。

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オーディオ・セットは予想に反して徹底的に質素だ。

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プレイヤーの台の下をのぞいてみると…ゲゲッ、またボックス・セット!どうなっとんじゃ~!

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CDの他にも「CD屋さんグッズ」も!

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電車の前にくっついてる「とき」とか「雷鳥」とかいう看板を集める鉄道マニアと同じ感覚なのかな?

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オット!天袋をチェックするのを忘れていた!
ガラガラ…お、一句できた!

天袋 引いてビックリ またボックス

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部屋の上部の空間は横たえられたボックス・セットが占拠している。

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さて、場所を変えてリビングに移動する。
リビングの押入れを開けると…ボックス・セット!

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ちょっとボックス・セットで気になるアイテムを紹介しておく。
もちろん、ここで紹介するのは大海の一滴にも満たないもので、詳細は金羊社のギャラリーの展示で紹介していくことになる。

ジェフ・ベックのボックス・セット。

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オリジナル国内盤の帯つきの紙ジャケCDが収納されているが、「Jeff Beck」がスクリプト・ロゴ風になっていて、箱自体が1959のコンボ風になっているところがうれしい。1959のコンボは2159というモデル・ナンバーで実際には1962のようなトップ・マウント仕様だった。

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こちらはスティーヴ・ヴァイのボックス・セット。
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宝石箱のような意匠でピックまでついている!ちなみにイギリス人はピックのことを「プレクトラム」と呼ぶのをご存知か?

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こちらはフランスのジャズ・ロック・グループ、マグマのセット。

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豪華!

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リーダーでドラマーのクリスチャン・バンデがフィーチュアされている。

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エアロスミスの紙ジャケ・セット。珍しいのかどうかは知らないが、作りがしっかりしているナァ…と思って。

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リビングの押入れのもうひとつと戸を開けると…ボックス・セット!

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ここで目を惹くのはアルファベットを付した黄色いファイル群。

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これはDVDのファイル。DVDのケースこそ空気を保管しておくようなもので邪魔なことこの上ない。植村さんはCD同様、ケースからDVD本体とスリーブを取り出し、このファイルにアーティストのアルファベット順にファイルしているのだ。
DVDのスリーヴはCD用のソフトケースに入らないからね。

私が持っているDVDは古い映画がほとんどだが、すぐにこの方法をマネた。
空きケースの量といったら、これまたすさまじい体積と重量だった。
ま、この方式も1冊のファイルにDVDを入れすぎると団子みたいになってしまい、今度はファイル自体の収納に問題が出てくる。
結局、何でもそうだが、コレクションというのは「スペースとの戦い」でもあるのだ。

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これは紙ジャケやボックス・セットの特典でついてくるミニ帯のコレクション。

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ここまでいくともはや切手ですね。「帯趣味週間」。

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こちらはホンモノの「ブッチャー・カバー」とブートレッグ。
氏のお気に入りで、ブートレッグの方が音がいいそうだ。

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「ちょっと待って…」とキッチンに消えた植村さんが手にして戻ってきた。何を持って来られたのかというと…ボブ・ディランのLPジャケットをまとったチョコレート!

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押入れの中だけでなく冷蔵庫の中にまでコレクションが及んでいるとは!

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気が付いたときにはすでにもう夕方!結局、丸一日お邪魔して色々と拝見させていただいた。
実に楽しかった!

植村さんは、ご自身のコレクションを用いてレコードやCDの図書館を作るのを夢としていらっしゃるが、その夢の実現にも着実に接近している。少しそのあたりを尋ねてみると…
「昨年の秋に知り合った私設ビートルズ資料館の方と既に3回ほどお会いし、文化財として保存・伝承のため少しずつNPO法人化の話を進めています。
ひとりの力では絶対無理なので、何人かのコレクターのライブラリーを持ち寄り、都内の廃校になった学校を使ってレコード・ライブラリーを作ろうという計画です。
セキュリティ、管理、運営などのかかる経費を都や国に働きかけて予算化してもらおうと考えております。
時間のかかることですが、段階的に進めていこうと考えています」
…とのこと。
メチャクチャ楽しみだ!
キチンと現状と将来を見据えて事業計画を進めているところはさすがである。
来館者が絶えないさぞかし人気のスポットとなることであろう。
そして、例の「伝承作業」の大きな拠点となるに違いない。
この図書館ができたら何らかの形でMarshall Amplificationもお手伝いしたいナァ。
だって、収蔵される音楽作品の中にはマーシャルが使用されて制作されたものが当然無数にあろうし、音楽と楽器は車の両輪でもあるからね。

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最後に植村さんにマーシャルについて訊いてみた。

「ドラマーなので、特別ギター・アンプに対しての思い入れや知識もありませんが、シングル・ボックスでデザインされた(1959と1960AXを模したボックスにジミのヘンドリックスのシングル盤を収納したもの)ほど、「マーシャル=ジミヘン」という強い印象はあります。例のAC/DCのボックス(ホンモノのアンプがボックスに内蔵されている)もマーシャルでしたよね?
マーシャルはジャケットというより、ライノのヘヴィ・メタルというコンピのボックス(ゴールド・トップ、ブラウン・ボディのホンモノのボリューム・ノブを使った4枚組ボックス・セット)など、ボックスのパッケージの印象が強いですね」

マーシャルは「音の出る箱」ですからね。ボックス・セットの意匠にこれ以上の素材はないのです。
これからも植村コレクションの発展を期待してやまない。
そして、同時に本レポートをご愛顧願っています。

金羊社Music Jacket Galleryの詳しい情報はコチラ⇒Music Jacket Gallery常設展

<現在閲覧できる常設展レポート>

Shige Blog : 日本独自ジャケットLPコレクション <前編>

Shige Blog : 日本独自ジャケットLPコレクション <中編>

Shige Blog : 日本独自ジャケットLPコレクション <後編>

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「Music Jacket Gallery~SFジャケット展(仮)」につづく
 

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2013年4月 8日 (月)

田川ヒロアキ~Live at Marquee

昨年末に発表したアルバム『Ave Maria』が好評の田川ヒロアキ。

自分のバンドを引き連れて老舗ライブハウス、江古田マーキーに登場した。

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ライブハウスからのラブコールで実現したというこのライブ。超老舗からお声がかかるとはさすが田川ヒロアキ。着実に認知度をアップさせてきていると言わざるを得まい。

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マーキーさんって私が子供の頃からあったけんね。当時住んでいた家から遠かったもんでお邪魔したことがなかった。で、今回、初マーキー。うれしかった。

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今日はJCM2000 TSL60と1960Aで登場。
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今日の田川バンドのメンバーは…

田川ヒロアキ

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ファンキー末吉

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石黒彰

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そして仮谷克之

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ショウは『Ave Maria』からの曲を中心に構成された。

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アルバム『Ave Maria』は最新の田川ヒロアキの魅力が詰め込まれた力作で、緩急自在のギター・ミュージックが楽しめるようになっているが、今日のライブも当然アルバム同様密度の濃い演奏となった。
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しかも、ドラムはファンキーさんだ。

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変拍子を含み、クルクルと場面が変わる難曲「Symphony」も難なくキメて、名手ぶりをアッピール。

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数々の場面でヒロアキくんをサポートしてきた仮谷さん。 ファンキーさんとは「カリオペア」や「メカリヤ」といったカバー・バンドでも活躍中だ。

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気心の知れたプレイでガッチリとバンドの基盤を支える。

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そして、『Ave Maria』収録曲のアレンジでも大活躍の石黒さん。

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美しいバッキング、スリリングなソロとライブでも大活躍!

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それにしても暗い!撮影むずかしい!

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今日は愛用のJMDではないが、太くつややかなマーシャルのサウンドは田川ヒロアキのギターにベストマッチする。

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もちろんMCは爆笑の嵐!全員がしゃべりまくるぞ!

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第二部はお約束のア・カペラのギター・ソロでスタート。

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ま、正直このソロも相当な回数を見てきたが、ますます堂に入り円熟味が増してきた。

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ソロの構成に気を遣いすぎることなく、自分のやりたいことをやりたいだけやっている解放感が小気味いい。

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とは言っても、もうすでに数多くの大舞台をこなしてきたベテラン・ギタリストだからね…。

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「アヴェ・マリア」、「メンデルスゾーン」、「カノン」等のクラシック系バラードでは…

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美しく繊細にメロディをなぞることに専念する。

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オリジナルのバラードでは感情豊かな熱唱を見せてくれた。特に『Ave Maria』収録の「With Love―愛をこめて」はヒロアキくんらしいロマンティックなメロディが印象残る佳曲に仕上がった。

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一方、「My Eternal Dream」や「Speedway」らのアップ・テンポの曲ではひたすらドライビング・ギター・マシーンと化す。

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やはりそこは最高のリズム隊。

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バンドをドライブさせるには本職中の本職だ…

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エキサイティングな演奏はお手のもの!

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大好きなビートルズのカバーも披露。

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ファンキーさんはド迫力のドラム・ソロも見せてくれた。

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ソロとくれば石黒さんも当然負けちゃいない!ヒロアキくんとのソロ・バトルはいつも大きな見せ場となる。

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仮谷さんのソロは痛快だ。スラップからディストーション・ソロへつないで燃え尽きる!

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アンコールは定番の「Beat to Hit」。

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お得意のコール&レスポンスで盛り上がる!

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江川ほーじんさん&菅沼孝三さんとの手数セッション、和佐田達彦さんとのスパイス・ファイブ、小川文明さんとの小川田川、是方博邦さんとのこれたがわ…ずいぶん色々やってんなー…そして自己のバンドと八面六臂の活躍を展開する田川ヒロアキ。

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これからの活躍がますます楽しみになっている!

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田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano

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(一部敬称略 2013年3月15日 江古田マーキーにて撮影)

2013年4月 5日 (金)

Dr. Jim Marshall OBE一周忌

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本当に早いものでジムが天に召してから今日でちょうど1年。

あれから2度ほどもうジムのいない工場に行ったけど、いまだに元気にしているような気がしてならない。ジム・マーシャルがあそこにいて当たり前の感覚がぬぐえないのだ。

しかし、あれから1年も経ってしまったんだ。

1周期ということで、Shige Blogに掲載したジムの思い出を読み返した。やっぱりさびしいものだ。

ありがとうジム・マーシャル <前編>~I Remember Jim !

ありがとうジム・マーシャル <中編>~I Remember JIm ! 2

ありがとうジム・マーシャル <後編>~I Remember JIm ! 3

もうひとつ、驚きを隠せないのは、文中に出てくる元マーシャルの社員、スティーヴ・イェルディングも昨年9月に急逝し、この世にいないということだ。その事実に寂しさを倍増させられた。

Rrest in Peace

【イギリス-ロック名所めぐり vol.5】 ソーホー周辺 その1

前々回に紹介したPiccadilly CircusからShaftesbury Avenueに入ってちょっと行ったところを左に曲がればSohoだ。

あ、このシリーズで使っている写真には10年ぐらい前のものも含まれているし、同じ個所を複数の写真を用いて紹介している場合、それぞれの撮影時期に大きな隔たりがあったりすることを予め断っておく。「なんだよ、来てみりゃマーブロの写真と違うじゃねーかよ~」なんてことも起こり得るので要注意。昔撮ったクォリティが格段に低い写真も混ざっている。

この下の写真も結構前のもので、これまた以前に書いたように左のビルの広告は今と全然違う。

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この辺りがSoho。ニューヨークのロウワー・マンハッタンにもSohoというエリアがあるが、あれはHouston Street(ハウストン・ストリート:ヒューストンとは読まない)の南、つまり「South of Houston」、略して「Soho」という意味。だから「Noho」というのもある。当然これは「North of Houston」の意味だ。「西荻」みたいなもんやね。

一方こっちのSohoは「ソーホー!」というハンティングの掛け声から名づけられたという。16世紀にはこの辺りが狩場になっていたという記録があるようだ。他に「タリーホー!」という掛け声もあるんだそう。

劇場やパブが建ち並び、夕方になると観光客や仕事帰りのサラリーマンが通りを占拠するWest Endでももっともにぎやかな場所だ。

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その中に一角にこのお店がある。

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「Boulevard Bar & Dining Room」というレストランになっているが、入り口横の柱にグリーンのプラークが取り付けてある。

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ナニナニ、「2i's Coffee Bar(1956~1970年)があった場所 : イギリスのロックンロールとポピュラー音楽産業発祥の地」とある。ドエ~、そんな重要なお店なのかしらん?

「2i's Coffee Bar」はこの地下にあって、持ち主が2人のイラン人だったため、「2」と「i」を採り名づけられた。その後、ポール・リンカーンというオーストラリア人のプロレスラー&プロモーターの手に渡った。
そして、ライブ演奏をここで始めたのだ。まだスキッフルの時代。イギリスのロックの前身の音楽だ。

クリフ・リチャード、ハンク・マーヴィン、スクリーミング・ロード・サッチ、ポール・ガッド(後のゲイリー・グリッター。この人、日本では比較的なじみが薄いが、イギリスではグラム・ロックの元祖として大層名高い)等、他にもたくさん歴史的な人たちの名前が挙げられるが、浅学にしてちょっとわからないが、イギリス・ポピュラー音楽の始祖たちがこの店から輩出され、ブリティッシュ・ロックンロールの黎明期を支えたというワケだ。
ビッグ・ジム・サリヴァンも出ていた。ビッグ・ジムは先ごろ亡くなられたが、ジム・マーシャルのお店に来てアンプのアイデアをジムに伝えたギタリストのひとり。イギリスのトップ・スタジオ・ミュージシャンだった。さらに、ナゼかリッチー・ブラックモアの名前も挙がっていて、どうやらこの店に出ていたようだ。ロード・サッチと一緒かな?

ロード・サッチもジムと仲がよかった。ジムの家に行くと車に山と積まれたマーシャルとともにロード・サッチが写っている写真が壁に飾ってある。してみると、ジムもこの店に来たことがあるに違いないね。それから、ミッキー・モストの名前も確認できる。

すごいのは、ヤードバーズやレッド・ツェッペリンのマネージャーとして、そして「音楽業界でもっとも無慈悲で口やかましいマネージャー」として有名なピーター・グラントは音楽業界に入る前にここで用心棒をしていたという。この人もいろいろと調べてみるとおもしろい話がゴロゴロ出てくる。それはまたいつか別の機会に…。
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それにしてもピーター・グラントのような2m近い強面の男がこの店の前に立っていたら…チョット入りづらいゼ、実際。

今、「2i's Coffee Bar」があった地下はただのロビーになっている。

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さて、「2i's Coffee Bar」からほど近いFirth Street。ここにイギリスで一番有名なジャズ・クラブがある。「Ronnie Scott's」だ。

下の写真は2008年夏、Joe Bonamassaを招いてClass5の発表会をやった時のもの。左側の黒い部分がRonnie Scott's。

表に出ているのは開場を待つマーシャルのディストリビューターやイギリスの大手楽器店の人たち。

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これはロニー・スコッツの真ん前にあるビル。開場を待っている間にブルー・プラークが付いていることに気付いた。

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「1764~1765年、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトがここに住み、演奏し、作曲した」だって。ホンマかいな?

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ようやく店内に入る。食事ができるようにガッチリとテーブルやボックス席が作りつけてあるが、キャパは200席ぐらいあるのかしらん?結構ゴージャスな雰囲気。

店内の壁にはバードやらガレスピーやらコルトレーンやらマイルスやらのジャズ・ジャイアンツのカッコいい写真がところ狭しと飾ってあるが、これにダマされてはいけない。てっきりこの店で撮影された写真家と思いきや、全然違うところで撮ったものもたくさん混ざっていた。でも、すべてここで撮影されたのではないか?という荘厳な雰囲気がこの店にはある。

食事にはチキン・ソテーが供されたがおいしかった。

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ところで、このクラブ、1959年の開店以来、イギリスに来たアメリカの著名なジャズ・ミュージシャンはほとんど出演しているといっても過言ではない。名前を挙げればキリがないし、他の話題で紙幅を割きたいので割愛する。

ロック関係ではThe Whoが「Tommy」のプレミア公演を1969年に開催した。

また1970年9月17日、Eric Burdon & The Warのステージに飛び入り参加して「Tobacco Road」と「Mother Earth」の2曲を演奏して、翌日ジミ・ヘンドリックスは帰らぬ人となった。

上の写真のステージ(写真右手のロゴの前がステージ)に43年前にジミが立っていたのだ。将来、単独でジミにまつわる名所を特集するつもり。

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それだけ有名なクラブとだけあって数多くのライブ・レコーディングも行われてきた。

ロック・ファンにとっては最近のジェフ・ベックがもっともなじみ深いだろう。

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珍しいところではウェス。Wes Montgomeryは極端な飛行機ギライで故郷のインディアナポリスから出たがらなかったが、一度だけ(間違っていたらごめんなさい)ヨーロッパに楽旅に出た瞬間をとらえたライブ盤のウチの一枚がこれ。

残念ながらあまりおもしろくない。疲れが出ていたのか、元気が感じられず、どうも閃きに欠けるのだ。…と思っていたが、今もう一回聴き直してみると悪くないな。でもこれよりも10日前に収録されたJohnny Griffinも参加しているパリのライブの方がはるかにカッコいい。バック・バンドが気に入らなかったのかな?でも、このロニーのライブ盤でベース弾いているのは後にMahavishunu Orchestraに参加するRick Lairdなんだぜ。

CDの最後にウェスのインタビューが収録されていて、「曲の練習はするけど、楽器の練習はしない」とかしゃべっているんだけど、これがすさまじい訛り!ギターの音やら演奏は大分耳にしてきたけど、ウェスのしゃべりはそう聴けるもんじゃない。

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ちょっとここから脱線します。

私はBlue NoteやPrestige等のコッテリとした黒人のジャズももちろん好きなんだけど、アッサリとした白人のジャズも好きでしてね。特にこのTubby Hayesなんてのはすごくいい。アッサリといってもバリバリ吹いてるけどね。この2枚もロニー・スコッツでのライブ盤。メッチャ好き。

ちなみにここでピアノを弾いているのは後にPhil Woods & European Jazz Machineに参加するGordon Beck。Allan Holdsworthとデュオ作品を残している人。イギリスを代表するジャズ・ピアニストだ。

このロニー・スコッツで名を上げたジャズ・サキソフォニストにDick Morrissey(ディック・モリッシー)がいる。イギリスのサックスというとディックつながりでDick Heckstall-Smithと混同してしまいそうになるが、こちらはAlexis Corner、Graham Bond、John Mayall、Collosseumといったドロッドロ系の人。

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ディック・モリッシーはイギリスのChicagoと言われたIFに参加していた。

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というと、ペラペラとバンドの横でオブリガード的にサックスを吹いているだけの人という感じがしないでもないがトンデモナイ。さすがロニー・スコッツで鍛えられただけのことはあって、この1961年の初リーダー・アルバムではロリンズもマッツァオのハードなブロウを聴かせてくれる。しかし、なんだって線路の上を歩いてるんだ?ベースの人がかわいそうじゃないの!

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脱線ついでに…。IFの初代ギタリストはTerry Smithという人で、この人も「ジャズ以外は知らない」という根っからのジャズマン。ほんならIFなんかやらなきゃいいじゃねーか…とも思いたくなるが、腕はピカいち。私は2枚しかリーダー・アルバムを持っていないが、両方おススメだ。第一級のギター・ジャズに仕上がっている。

こTerry Simithが抜けた後に加入したギタリストは、かつてマーシャルのデモンストレーターを務めていたおなじみGeoff Whitehornだ。

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少し戻って…。

Brand Xのライブ・アルバム『Live Stock』のうち、数曲がロニーで録音されている。「-ish」と「Isis Mourning」がそう。他の曲もHammermith OdeonやMarqueeといった、いかにもこのガイドに出てきそうな有名なハコで録音されている。

このライブ・アルバムのドラムはJaco Pastoriusの盟友のKenwood Denard。The Manhattan Transferが初来日した際、Jack WilkinsやAlex Blakeらとバック務めた。

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また脱線…。

Brand X好きでさ~。日本はファンも多いと思うんだけど、コレご存知?Sarah Pillowとかいう女性シンガーのアルバム2枚なんだけど、バックをBrand Xがやってるの。中東風の変わった曲が並んでいるけど、Brand X丸出しでなかなかにカッコいい。特にGoodsallがスゴイ。

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…と脱線がつづいたけど、ロンドンの音楽名所のひとつがこのRonnie Scott'sということね。

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さて、Sohoにはパブやら劇場以外にもゾロリと風俗の店が並んでいる。でも、歌舞伎町みたいに客引きが虎視眈々と客を狙っている風ではない。多分条例か何かで厳しく統制されているのだろう。入口にフェロモン丸出しのお姉さんが立っていてウィンクを連射してくるところもあるが近寄らなければ害はない。

そんなエリアを抜けてOxford Streetに向けてBerwick Streetを進む。ここはおもしろいよ。私が「おもしろい」というのは中古レコード屋がある…ということだ。モノは汚いしそう安くもないので、ほとんど買ったことはないが実にいい雰囲気なのだ。

そのBerwick Streetをジャンジャンと進み、そして振り返る。

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こんな感じ。

ま~、アタシには関係ないんだけどね。イヤ、弟さんがマーシャルか…。

この写真を正方形にトリミングしてみると…

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こうなる。

好きな人にはタマラナイ…

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Oasisの「Morning Glory?」のジャケを撮影した場所だ。
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裏ジャケのようす。

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実際はこんな感じ。

エ? 「シゲさん、いつからOasisなんて聴くようになった。ヤキが回ったの」かって?よせやい、コレのためにワザワザCDを買いに行ったのさ!でも聴いてみたらなかなかいいもんだで。そうえば「ヤキが回った」っていう言葉、最近耳にしなくなったな。

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さらにこのあたりをブラついていて発見したのがコレ。ピザ屋。イエイエ、もう海外で食べるピザはツライ。しばらく海外にいて、本当に食べるものがなくなってきて、お米が恋しくて…そんなタイミングでピザやハンバーガーを食べてごらん。涙が止まらないよ。

んなことはどうでもいいんだっけ。このピザ屋、看板にある通りナゼかジャズのライブハウスになってる。「Pizza Express Jazz Club」という。

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どれどれ、誰が出てるんのかな?と思ってスケジュールを見てビックリ仰天!ナント、元Soft MachineやDaryl Way's Wolfのギタリスト、John Etheridgeが出てるやんけ!これには驚いたわ~。いつも通り、見たかったけどスケジュール合わずのパターンで泣く泣くあきらめた。

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そして数年後。また出くわしちゃったんですよ。

ナントその時のライブがCDになってた!ドラムはJohn Marshallだったんだな~。やっぱり見たかったな~、と即買い。

私はCDを買う時は「いくらまで」と単価の上限を決めて厳しくそれを守っている。さもないと身上潰れちゃうから。どうしても欲しい盤は、既定の金額のものが現れるまで何年でも待つ。

しかし、あまりにも二度と出会わなさそうなエグイ盤はルールを破って規定より上の金額のものでもゲットする。この辺りは40年近いキャリアに頼らざるを得ない。結構当たる。で、この盤もそれに該当すると信じて規定金額以上の値段で買った。

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ね、クレジットに出てるでしょ?「ピザ屋」って。

肝心の内容は…つまらんかった!

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つづく

2013年4月 4日 (木)

Meet You at Crawdaddy Club~Trio the Collagens(大谷令文、小笠原義弘&ロジャー高橋)

「『レイブン・オータニ』という男はそんなにスゴイのか?!」

昔、来日した時にジョー・サトリアーニが発した言葉だという。アメリカで一体どのように伝わっているのか様子を知りたいところだが、スティーヴ・ヴァイも同様のことを日本に来た時に尋ねたという。

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そう、大谷令文はスゴイのである。そしてこの日もやっぱりスゴかった。

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今日の令文さんはトリオtheコラーゲンズでの登場。

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大谷令文

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小笠原義弘

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ロジャー高橋

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今日の令文さんは借り物の1959のフルスタック。

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足元のようす。何でもこの愛用のバッファ・アンプがお釈迦とのこと。名ギタリストに30年も仕えたとあらば機材も本望だろう。

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この3人の顔ぶれは観たことがあるような、ないような…。ブラック・タイガーとは違うし…。

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気の合うメンツ(気の合うミュージシャンは多かろうが…)との演奏で思い切り弾きまくっていた令文さん。

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音がデカイのなんのって!というかむやみやたらと歪んでいないので、おとが抜けまくるのね。

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それでもね、1959の使い方や鳴らし方を知っている、こういう人の爆音ってものはそううるさくない。当たり所によっては、そりゃ時々めまいしちゃうけど、もうこれは完全に「マーシャル浴」だから。

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1960から出る「ロック・イオン」を思いっきり浴びた方が身体にいい。

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フロントの2人、デカイ!ホント、出してる音といい、ルックスといい日本人離れしてるわ。

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それにしてもオガンちゃんのベースの素晴らしさよ!

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ここにベースのすべてがあると言っても過言じゃないね。

そして、 これが世界レベルのワザなのね。オガンちゃんのベースを聴くたびに世界の壁は厚いと思い知らされる。…って別に私は世界を狙っていません。世界の音楽の層がただあまりにも厚いということね。

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こんな人にベース弾いてもらってギターを弾いたらどんなだろう…きっと気持ちいいんだろうな~。

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スラップもハーモニクスもエフェクツもライトハンドも速弾きもない。そこにはただただベースがあるだけ。それも飛び切りの音楽をクリエイトするためのベースだ。

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ichiroちゃんとの活動やThe卍、Black Tigerなどいろいろなシチュエーションでロジャーさんを観てきたが、このバンドはとてもいい。

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いつもロック魂爆裂のロジャーさんのプレイが実にカッチリとハマっているような気がするのだ。

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見よ、この熱演!

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1曲目は「いいのだ」。

そして「Sister Spider 」。ク~、これぞロック!

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すさまじすぎる「Razor Boogie」!「最近の若いモンは三連を知らん…」ぐらいのことをおっしゃっていたのが印象的だった。

レイ・ゴメスの「West Side Boogie」と対決させたくなる。本当にこういう曲を演る人がいなくなったよな。そういえばレイ・ゴメスもストらとと1959のコンビネーションだった。

ん~、令文さんはブギも確かに日本人離れしとるワイ。

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しかもこのリズム隊だもんね!

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極上のブギになるのもごく当たり前のことだ。

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次の曲には驚いた!

ナント、 スコーピオンズの「Polar Nights」!やるか~、普通こんな曲!いかにもウリ好きの令文さんらしい。

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これが人生初めてのスコーピオンズだというオガンちゃん。まーそうだろうなァ。しかも「Polar Nights」だもんね。

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ところで、Crawdaddy Clubというのは、Shige Blogで紹介した地下鉄District線の終点のひとつRichmondにあったクラブ(ライブハウス)の名前。

数々のメモラビリアを飾って輝かしき70年代ロックをフィーチュアした新宿のこの素敵なお店が、chmondのCrawdaddy Clubから命名したのかはわからない。

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これがRichmondの風景。喧騒なWest Endから地下鉄で30分も行けばこんな美しい風景が広がる。

Crawdaddy Clubは1962年にスタートし、ローリング・ストーンズが最初の演奏をした場所となった。その後、ヤードバーズやレッド・ツェッペリンもロング・ジョン・ボールドリー、エルトン・ジョン(ちなみにエルトン・ジョンの本名はレジナルド・ドワイト。エルトン・ジョンの「ジョン」はロング・ジョン・ボールドリーから、「エルトン」はソフト・マシーンのエルトン・ディーンから借用している)、ロッド・スチュアートらが出演している。

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『Raven Eyes II』から「Call on Me」。

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この日はオリジナル曲も演奏されたが、カバー曲もとても魅力のあるものばかりだった。

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独特なアレンジのビートルズの「I, Me, Mine」。

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さらにビートルズがらみでジョン・レノンの「Jelous Guy」をインストで。

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令文さん、この曲好きだなぁ。確かに名曲だけど。

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ザ・スパイダースの「なればいい」。

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このオガンちゃんの表情!聴いてる方も演ってる方も抜群にゴキゲンなのさ!

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コージー・パウエルの「Killer」。ゲイリー・ムーアへのトリビュートか。

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どんな曲をやってもバッチリとロックしてしまう。

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不滅の名曲「おやすみ」。サビの「♪おやすみ」の「み」をスタッカートで歌うところがまたステキ!

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本編最後はBluestone Companyの曲でクローズ。

元マーシャルの社員でサイモンという友達がいてね…いまでも仲良くしているけど、この彼がSavoy TruffleやBluestone Companyの大ファンだった。何の前触れもなしに、初めて彼の口からこれらのバンド名が出た時は驚いたナァ。さすがオガンちゃんがベースを弾いていたバンドだけのことはある。

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そしてアンコール。

ロジャーさん歌う「難聴」。

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「♪オレはナンチョー」のリフレインがカッコよくも、おかしくも、悲しくもある。

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職業病。でも、まさか微音じゃマーシャル鳴らせないもんナァ。

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ホント、自分の身体を犠牲にして素晴らしいロックを奏でてくれているんだ~、感謝。

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最後は『Raven Eyes II』から「Lullaby」。

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問答無用で素晴らしい演奏だった。

これは当日遊びに来ていた三宅庸介さんとも意見が一致したのだが、この3人が奏でる音楽は「ホンモノ」だということ。

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「ホンモノ」というのはイギリス人が奏でるブリティッシュ・ロックと大差ないということだ。それは演奏技術、たとえば指が速く動くとか高い声が出るとかそういうことではなく、空気が「ホンモノ」なのだ。

それはまるで、1970年代の中頃に隆盛を極めていたブリティッシュ・ハード・ロックがそのままタイム・ワープして新宿に来ているような感覚なのだ。それも、誰もがもてはやすメインストリームのブリティッシュ・ロックではない。どこかくぐもったイメージのあるミュージシャンズ・ミュージシャンという感じがする。

日本人のロックも技術的には西欧のロックと大差ない感はあるが、このバンドのようにブルースから派生したゴリっとしたロック感が出せるバンドはほとんどないのではなかろうか。

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それを実現させているのは、たとえばこの令文さんのギターの音。1959や1987を弾かせてもっともマーシャルっぽい音を出す人のひとりであることは間違いない。こういう人は海外でプレイすると相当ウケるだろう。

そして、曲。令文さんと話をしているとゲイリー・ムーアやウリ・ジョン・ロートの話しは当たり前にしても、ジャンゴ・ラインハルトからフェアポート・コンベンション、PFM、果てはフォルムラ・トレの名前まで出てきてしまう。やはりいいミュージシャンは絶対にいいリスナーなのだ。

多量のインプットから絞り出したアウトプット令文さんの作る曲がカッコ悪かろうハズはない。。「ここをこうするとロックになる」のようなツボを知っているのだろう。ただのロックかもしれないが、それは永久に古くならないホンモノのロックなのだ。

弱ったな…また令文さんのマーシャル・サウンドが聴きたくなってきたぞ!

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大谷令文の詳しい情報はコチラ⇒大谷令文ホームページ

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これは令文さんがフラメンコのカンテの永潟三貴生さんと組んだMINIE MYME TRAINのセカンド・アルバム。

アコースティック・ユニットだけに、今日とはまったく別の令文さんが味わえる。静謐で深淵なギターもまた大谷令文なのだ。

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(一部敬称略 2013年2月11日 新宿Crawdaddy Clubにて撮影)

2013年4月 3日 (水)

Guitar☆Man #002

2月10日、大好評でスタートした「Guitar☆Man」。早くも3月7日にその第2回目のショウが催され、また大盛況のうちに幕を閉じた。

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今回も展示されたチャリティ・ギターの数々。

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出演者のサインがどんどん増えていく!

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今日のマーシャルはJVM210Hと…

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広規さんのVBA400+VBC810。

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開演前に南阿蘇の熱狂的な広規さんファンから届けられたプリンの差し入れ。これがまた殺人的においしいんですよ。私も大ファンでしてね、ドンブリで食べるのが目下の夢!マジです。

お取り寄せもできます。詳しい情報はコチラ⇒キャラメル・プディング

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ショウは前回同様、小林克也氏のナレーションに乗って、アニメーションからスタート。

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今日のギター・エンジェル。

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ギターが野呂さんに渡されて準備完了。

この日も入れ替え制の2回公演。双方同じ内容だ。このレポートでは両公演で撮影した写真を混ぜて使用している。そのため突然衣装が変わったりしていることを予めご了承願いたい。

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難波さんのオルガンの音で演奏はスタート。ああ、中学の時に初めて聴いた時の感動がよみがえる!あの頃は素直だったナァ…これで十分に興奮できた。今ではちょっとやそっとの刺激では興奮しない立派な音楽変態になってしまった…。

「Highway Star」の『Live in Japan』バージョン。近年になって日本公演の全容が明らかにされたが、やっぱり耳なじんだコレが一番ね。やっぱりこの時代のロックには大きな大きな魔力があったね。

そういえば今朝のワイドショウを見て笑った。それには10代前半の女の子のあるへヴィ・メタルのボーカル・ユニットのコンサートの熱狂ぶりを伝えたものだった。ま、我々の世代に説明するとすれば、ただ単にアイドルがへヴィ・メタルを歌っているという状態を想像してもらえば十分にこと足りるだろう。歌のテーマも可愛いものだ。

テレビ・レポーターが会場に来ていたお客さんにインタビューをしていた。ちょうど納豆をすすっている時だったので、短いインタビュアーの質問をハッキリととらえることはできなかったが、「こういうのはお好きですか?」みたいな内容であったことは間違いない。

するとその若い男性のお客さんは「ええ。私は『ロック』が大好きなんですよ。ですからこれは無視できませんね!」と嬉々としてお答えになられていた。この答えから察するに、この男性は「でぃーぷ・ぱーぷる」をちゃんと聴いたことは人生で一度もないだろう。

可愛い少女3人が歌うへヴィ・メタルも「ロック」…他方、レスター出身のジョナサン・ダグラス・ロードのハモンドオルガンとノッティンガムの小兵ドラマー、イアン・アンダーソン・ペイスのスネアドラムにはじまって声高らかに歌い上げるハード・ロック讃歌もまた「ロック」である…らしい。

昔、流行った美人ボーカルのジャズとオーネット・コールマンの『クロイドン・コンサート』とどっちのジャズ、がいいかなー?…的な。

どちらを好むのかはもちろん個人の自由だ。実は私もしばらく前にこの女の子のグループのパフォーマンスをナマで見たことがあった。その時はカラオケだったが、一生懸命に歌い、踊り、それはとても好感の持てる内容だった。キチッとしたスタッフが付いているのだろう、曲の出来も申し分なかった。「ロック」という枠さえなければ大変可愛く元気のいいアイドル・グループだと思うんだけど…と思った。

どうしてこれを「ロック」にしちゃうんだろう?このワイドショウで、またひとつ作る側が「ロック」を「ロック」から遠ざけている現状を確認した。

パープルもツェッペリンもない「ロック」…。ビートルズのない人生…。どう思う?

イケね、ついいつもの調子でここでこんなに書いちまった!

とにかく『Guitar☆Man』でロックの魅力を体験してもらいたいのね。

ちなみに、パープルの輸入盤の『ライブ・イン・ジャパン』は『Made in Japan』というタイトルで、ジャケットの写真は日本で撮ったものではなく、ロンドンはフィンズベリー・パークにある有名な「Rainbow Theatre」で撮影されたものが使われている。

その写真の中に写っているイアン・ギランの黒いコンガはNATAL(ナタール)製だ。ナタールはMarshallのドラム/パーカッション・ブランドだ。

NATALの詳しい情報はコチラ⇒NATAL Official Web Site (英語版)

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演奏が始まった!

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「Purple Haze」で今日のメンバーが紹介される。

親方でベース・マンの伊藤広規

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今回のギター・マン…2人だからギター・メン。

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野呂一生

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元シュガー・ベイブの村松邦男。

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キーボードは前回に続いての出演、難波弘之

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ドラムは元村八分やシュガー・ベイブの上原ユカリ裕。

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ひとり増えた充実のボーカル陣。

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StuartO

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Micky-T

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浦田健志

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そして安奈陽子。

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フィードバックをキメる野呂さん。ん~、やっぱマーシャルがよく似合う?!

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村松さんはダンエレクトロがよく似合うな~!

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すかさず「Smoke」のパープル2連チャン。

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今日もゴキゲンな…

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広規グルーヴ!

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開会宣言は難波さんの担当(?)。「ギターマンはじめま~す」

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洋楽にこだわらず邦楽の名曲も演奏するのがGuitar☆Man。

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小泉今日子の「木枯らしに抱かれて」がすんごいアレンジで披露された。

もちろん、「Down Town」も演奏されたことは言うまでもない。

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続いてはマウンテンの「ミシシッピー・クイーン(「ミシシッピー」のつづり難しいからここだけはカタカナね)。誰、マウンテンやりたかったの?

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今回も司会はNACK5の山本昇。

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軽快な関西弁で出演者の魅力を引出ていく。

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百戦錬磨の音楽達人ともなると話も実におもしろい!

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特に広規さん?今日はいつもよりキリッとしてる!と山本さんに言われてしまったよん!

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続々とロックの名曲が演奏されていく。

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「Sunshine of Your Love」から…

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モンキーズまで…。

それにしても人類は偉大な音楽遺産を作ってきたものだ。

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Guitar☆Man名物(?)、長尺名曲メドレーにのぞむ。

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譜面を用意する野呂さんと村松さん。

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弾いている最中はどうしても楽器から手が離せないのでドベーっと長い譜面を広げて弾く側が移動していく。ジャズのビッグバンドのベーシストはよくこれをやってるね。

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2人で仲良く1枚。

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どんな難曲が来ても何ら問題のない…

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盤石のリズム隊!

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♪ドンドンパッで盛り上がる「We Will Rock You」。

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そういえば、難波さんから「広規はピアノもギターもすごくウマイ!」と称賛されていた広規さん。「でも、ちゃんと弾かないんだよね~、おチャラけちゃって…」とも…。そこが広規さんらしくてカッコいいところ!

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「哀愁のヨーロッパ」。そろそろ出ると思ってた!

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今日も広規グルーヴをタンマリとエンジョイしました!

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いつもにぎやかで大熱演のボーカル陣!村松さんリクエストの「お説教」もヨカッタ!

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そしてアンコール。

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まずはジェフ・ベックの「Led Boots」。

35年位前の「ジャズ批評」にジャズ・ギタリストの愛聴盤(あるいは影響を受けたレコード)を特集した号があって、夢中になって読んだ。香津美さん をはじめ、トニーの『Emergency』を挙げる人がすごくたくさんいらっしゃった。当時、このレコードはプレミアがつくほど入手が困難で悶々と日を過 ごした。その中で、野呂さんはジョー・パスの『For Django』を挙げていらっしゃった。私もその頃1曲目の「Django」のソロが好きでコピーしてたりしたもんだから、「そうか、野呂さんもこれコ ピーしたのか…」と勝手に想像していたことを思い出す。

そのジャズの野呂さんがこうしてジェフ・ベックの代表曲をマーシャルで弾くなんておもしろいナァ~。これこそギター☆マンの醍醐味じゃない?

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この日、難波さんのフリでデビュー当時の話しが出て大変おもしろかった。
その時、話しに出はしなかったが、カシオペアは1978年頃、新宿ロフトに毎月レギュラーで出演していた。もちろん今のロフトじゃないよ。にわかには信じられない話しだが、当時は動員に苦労していたらしい。その後の大成功は万人の知るところだ。その頃の私は根っからのハード・ロック・バカだったので見に行かなかったのが悔やまれる。

当時のロフトの出演者の顔触れを見てみると、プリズム、フライング・ミミ・バンド(ゲストが高中さん。土方さんいこの時いたのかな?)、長谷川きよし、クリエイション、PANTA & HAL、ARB、桑名さん、上田正樹等々。ああ、あの日に帰りたい…。

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広規さん、必死の形相!これもまたいいもんだ。

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アンコールにはナンとヴァン・ヘイレンの「Jump」が飛び出した!

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今日の出演者(ボーカル陣をのぞく)は全員「Jump」世代ではないけれど…

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全員でジャンプしたね~!これもGuitar☆Manのいいところ。

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お疲れさまでした~!

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ハイ、記念撮影!

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次回のGuitar☆Manは来週の水曜日、4月10日六本木のスイートベイジル139で開催されます。

詳しくはコチラ⇒Guitar☆Man公式ウェブサイト

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(一部敬称略 2013年3月7日 目黒Blues Alley Japanにて撮影)

2013年4月 2日 (火)

A NIGHT AT CROCODILE WITH S Four

関雅樹率いるカルテット、Sekiのカルテットということで『S4』。先日レポートした森園勝敏のRepublic Saxophoneと似てそう異ならないバンドだ。

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リーダーの関雅樹。

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ギターは森園勝敏

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ドラムは岡井大二。

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そしてベースは大関明子

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先に「Republic Saxophoneと似てそう異ならない」と書いたが、まさにその通りで、メンバーだけでなく、選曲も似通っている。つまり、この素晴らしい演奏に接するチャンスが2倍あるということだ。

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この日もロック、ブルース、フュージョンの代表曲から隠れ名曲までがピックアップされ、とろけるような演奏が繰り広げられた。

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関ちゃんは愛用の2187を使用。曲によって2204に切り替える。スペイシーにそしてダイナミックに切り込んでくるギターはいつもの通り。

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ソロだけでなく、地味なような派手なような、バッキング・プレイも充実している。

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森さんのギター!とにかく素晴らしい!

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前回のレポートにも記したが、音数が減って迫力が増すなんてのはこういうレベルの人だけができる芸当。

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ず~っとソロを聴いていたいと思わせる真のギター・アーティストだ。

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大二さんも素晴らしいプレイ!

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音はデカイがまったくうるさくない。いわゆる遠鳴りというヤツやね。エルヴィンみたい。

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大二さんのドラミングを見るといつも「西洋っぽさ」を感じてしまう。

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見るたびに存在感を増すアキちゃん。

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ものすごく重いグルーヴが快感!

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アンプはEDENのWT800とD410XST。図太いトーンで演奏に計り知れない重量感を加えた。

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この日は対バンが入っていたため1部構成でアンコールを入れて全10曲が演奏された。

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まずはベック・ネタ。「Goodbye Prok Pie Hat」と「The Pump」。ポツン、ポツンと音を置いていく森さんの枯れたソロに対し…

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ジェット戦闘機が切り込む!(この表現気に入っています)

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「ジェット戦闘機」といってもバンバン弾を撃ってすっ飛んでくというワケではないよ。関ちゃんのギターはまったくシュレッディングのカケラもない。鋭いトーンがアクロバチックに会場を飛び交うイメージだ。

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そして奇想天外なフレーズ。こちらもいくら聴いていても飽きないソロだ。

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セカンドラインでもなんでも来いの大二さんのドラムに導かれて「Cissy Strut」。The Meters。

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アキちゃんのベースがガッチリと大二さんのドラムに食い込む!

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「Third Degree」…

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マイルスのブルース・ワルツ、「All Blues」。

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今日はアキちゃんのベース・ソロもガッツリとフィーチュアされた。

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ソロも渋い!

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フレディ・キングの「Tore Down」。森さんの選曲に影響されてこないだフレディ・キングのライブ盤を買ってしまった。キングさんたちの音源を買うのはアルバート・キングのライブ以来ずいぶん久しぶりのことだ…30年は軽く経ってるな。…というくらいブルースは聴かない。でも、フレディ・キング、カッコよかったナ。

同じきっかけでJ.J.Caleも数枚買った。ハイハイ、恥ずかしながら買ったことありませんでしたよ、この年になるまで。John Caleは買ったことあるけど。それで驚いた。J.J.Caleなのかクラプトンなのか、どちらをフォローしているのかは知らないが、桑田桂祐ってJ.J.Caleの歌い方にソックリなのね。静かな曲ね。もうほとんどモノマネ状態じゃん?やっぱちゃんと勉強してるんね~。

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「Danger Zone」から「Promise me the Moon」。

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関ちゃんとアキちゃん(名前似てるな)の仲良しアクションが楽しかった~!

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そしてアンコール。

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やっぱりコレがこないと…。♪ジャジャッね。

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「Lady Violetta」。「レディ・ヴァイオレッタ」ではなく「レディ・ヴィオレッタ」。

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やっぱりいい曲だよね~。

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しかもこのメンバーて演られた日にはタマッタもんじゃござんせん。まだ何百回も聴きたい曲だ。

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そして最後は「Palace of the King」。

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全10曲。充実の演奏。

森さんは今また体調不良でちょっと第一線から離れたが、すぐに戻ってきてくれるハズだ。

関ちゃんや森さんのライブは、とにもかくにもひとりでも多くの音楽ファンに接してもらいたい。

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プライベートのギターの個人レッスンもしているので関雅樹の詳しい情報をチェック!コチラ⇒Seki's Web

関ちゃん、そろそろ禁煙?

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(一部敬称略 2013年1月31日 原宿CROCODILEにて撮影)

2013年4月 1日 (月)

フィル・ウェルズ・インタビュー~その1

マーシャルに関することを何でも記せるカテゴリーをひとつ設けておこうかと思って…。珍グッズの紹介だのこぼれ話、ウラ話…マーシャルに関することな~んでも。ま、あとでゴチャゴチャになってまたカテゴリーを細分化するかもしれないけど、とにかく入れ物だけは作っておくことにした。

で、タイトルをどうしようかとチョット悩んだが、「年代記」とか「記録」とか「~新聞」とかいう意味を持つ「クロニクル」にした。もちろん、マー本のタイトルも意識してる。

「Marshall Chronicle」の最初の記事はマーシャルの歴史に関する内容だ。

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マーシャル社の創立50周年の記念して昨年の12月に上梓された『Marshall Chronicle』。この日本で初めてのマーシャルの本の制作にあたり、企画、取材、写真、文章と多くの作業を担当させていただいたことは都度このマーブロでも触れてきたが、長年マーシャルに関わってきたものとしてこの上ないシアワセであった。

マーシャルの歴史や目前に迫っていた「創立50周年記念コンサート」のレポートあたりを掲載することは、はじめから決定していてスンナリと作業に入ることができたし(入ったのはいいけど、出るのは大変だった!)、それなりの仕上がりになったと思う。

それとは別に、この本への参画のオファーがあった瞬間からどうしても取り組みたいと思っていた企画がいくつかあった。

たとえば「The History of Father of Loud」の中のコラム、「マーシャルの故郷を訪ねて」などは以前から温めていたアイデアで、チャンス到来!取材するのも執筆するのも最高に楽しい作業であった。

「マーシャル座談会」も同様。パネラーの皆さんにご参集いただいたついでにマーブロについて語っていただいたのは我ながらいいアイデアだった!

それと、もうひとつどうしても実現させたいアイデアがあった。それは、「The History of Father of Loud」とは異なるマーシャル社の内面史…なんて書くと大ゲサだがキャリアの長いマーシャルの社員の口から直に昔の話を聴くという企画であった。

「マーシャルの歴史」というと、必ず「ジム・マーシャルの歴史」ということになってしまう。これはこれで破天荒にオモシロイ歴史物語になることは『Marshall Chronicle』の中の拙著「The History of Father of Loud」のページをご参照いただきたいのだが、そうではなく、ジム・マーシャルの成功物語を陰で支えた人からウラ的な話が聴きたかったのだ。

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話し手の候補は決めてあった。5月にケン・ブランに初めてお会いし、とてもお元気だったのでケンにお願いしよう…などということは思わなかった。さすがにそれは図々しすぎる。そこで、気安く話しができる技術畑の最古参であるフィル・ウェルズ氏にお願いすることにした。

フィルとはもう10年以上の付き合いなので何でも気軽に質問することができる。2日ほど前に時間を取ってもらうようにお願いしたところ「何でも協力するよ!」と快諾してくれた。

当日、工場の近くのスーパーTESCOでサンドイッチを買って腹を膨らませた後、フィルのオフィスにもぐり込んだ。せいぜい1時間か1時間半程度話しができれば上出来かと考えていたが、午後1時に始まり、最後に外へ出て写真を撮った時には4時半になっていた。

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当然、そんな長尺なインタビューすべてを本に掲載するワケにはいかず、『Marshall Chronicle』上には編集者の懸命な作業により2ページにまとめてもらった。しかし、掲載しきれなった箇所にも興味深い話は尽きないワケで、このままフィルの話を消滅させてしまうのは、マーシャル・ファンやロック・ファンの皆さんにはあまりにも残酷であると考えた。ま、自分だけの愉しみにしておいてもよかったんだけどね~。

さらに、おそらくマーシャル社にも残っていない、また、残らないであろうそれらの逸話を何らかの形にして記録しておきたかった。フィルが会社を去り、今から10年、20年経った頃、もはやこのインタビューで言及された話を知る者はおらず、また、記録にも残っていないという事態を想定したのだ。

マーシャル社のスタッフが知らないような話を、東の島国の音楽好きが知っている…なんてのも面白いとおもってサ。何年後かにはこのインタビューが英訳されてイギリスのマーシャル社の資料のひとつに収まることだってあり得るかもしれない。

マーシャルに興味のない人には極めて退屈なものになろうが、マーシャル好きには実に興味深い内容になるであろう。何しろマーシャルについて書かれたどこの歴史書をひっくり返しても出てこない話ばかりなのだから…。

本企画の掲載を快く承諾してくださったヤングギター編集部の平井毅さん、気が遠くなるような量のフィルと私の会話を文字に起こしてくれた同誌編集部の蔵重友紀さんにこの場をお借りして心から御礼申し上げる次第である。

そして長時間にわたったインタビューに快く応えてくれたフィル・ウェルズ氏に深く御礼申し上げる。

では…

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70年代のマーシャル工場

Shige(以下S):マーシャルに入社されたのはいつですか?

Phil Wells(以下P):1977年です。

S:35年前という事ですね。その時の工場はどんな様子でしたか?

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P:もっと小規模なものでした。すべての製造ラインがくっついていて、多分今の1/4ぐらいの規模だったと思います。昔から変わっていないのは、エンジニアリングと最終仕上げ部門が分かれていることです。
当時は全員が複数の業務を掛け持ちすることが奨励されていました。そこで、私は検品部門にいましたが、組み立てもやっていました。木材のケースやシャーシを作っていたんです。みんなですべての仕事をちょっとずつやっていましたね。与えられた仕事をやっておしまいではなく、他の仕事も手伝って全体を作り上げていくような状況でした。

Pw_img_7775 それが始まりです。1977年の事でした。
ジムは朝のうち製造の現場で働いていました。アンプのカバリングの作業を担当していたんです。毎日ではありませんが、週に2~3回ぐらいでしょうか。午後にはマネジメント業務にあたっていました。でも、1人で現場で仕事をしている所を見かけたことがあります。その仕事は主にカバリングですが、仕上げにも関わっていました。


S:では、ジムにはカバリングのスキルがあったんですね。(注:ケースにカバリングを貼る作業は全工程中もっともスキルを必要とする作業と言われている)

P:最近のアンプに担当者の名前が入っているのはそれが理由です。今はステッカーですが、昔はサインでした。ジムがみんなにサインをさせるようにしたんです。理由は、「カバリングの貼り付けの状態が悪い」とジムは責められていました。誰かがカバリングの状態が悪いと注意を受けると、「イエ、それはジムがやったんです」とジムのせいにすることができるでしょ。「もう誰の咎めも受けない。全員でサインすべきだ」ということになりました。それは現在でも受け継がれています。今はステッカーに変わっていますが。

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S:実際に、キャビネットの中にジムのサインのある商品がありますよね。

P:そうですね、主に4×12”のキャビネットが多いようです。もしそういうモデルを見かけたら、今となっては倍の値段を付けても売れると思いますよ。

S:あなたが入社した1977年は世界的に大ヒットしたJCM800シリーズの発売前ですね。マスター・ボリュームが搭載されたのは1975年でした?

P: 1974年の後半から1975年にかけてです。1975年に生産ラインに入りました。

S:1977年にはどのモデルが最新だったんですか?

P:最新モデルというのはありませんでした。私が始めた時は、マスター・ボリューム、リード(1959の類)、ベース(1992の類)、それからトランジスタ・ユニットを主に作っていました。当時は質の高いトランジスタ製品がよく売れていたんです。製品の1/3がトランジスタのモデルだったような気がします。小型の30Wコンボなどがそうです。30Wのマスター・ヴォリューム付きコンボの2199というモデルがすごく人気がありました(注:2199 Master Lead。1976年から1980年まで製造されていた)。この他にPA機器もやっていましたね。小さな8チャンネルのPAミキサーなどです。1977年ごろのことですね。

S:いつPA機器の取り扱いを辞めたのでしょうか?

Pw_img_7781 P:その8チャンネルのPAミキサーを辞めたのは1970年代後半から1980年代です。その後に別のミキサーを作りました。PA400といって、これは1990年代まで生産していました。世界中に出荷されたわけではありませんでしたね。イギリス国内には出回りましたが、そんなに多くは輸出されなかったハズです。しかしあれは結構な数を生産しましたよ。
2125は8チャンネルのミキサーです。これは1970年代に生産終了しました(注:8チャンネルのパワード・ミキサー。1977年から1980年まで製造された)。

S:ありがとうございます。ところで、あなたはリペアも担当されていましたよね?

P:その通りです。

S:最初から?

P:いえ、始めはリペアと新製品のテストの係りでした。ジムと当時のマネージング・ディレクター、マイク・ヒルがアフターサービス部門を開くことに決めたんです。それが1982年のことだったと思います。

S:それまではアフタサービスの部門というものはなかったんですか?
P:もちろんアフターサービスはしていましたが、部門としてはありませんでした。そして、アフターサービスを受けられるのは購入者なら誰でも良いことにしました。普通のお客さんからプロ・バンドのメンバーまで、どんな人でもです。プロの機材はずっとケアしていたのですが、それだけでなく、アンプを修理して欲しい人は誰でも持ち込んでサービスを受けられるようにしました。
それを2~3年ぐらい続け、1990年代にさしかかるあたりまで、アフターサービスに関わっていました。電話などで直接お客様へも応対していました。
また、工場見学のツアー案内も務めていました。マーシャルの人気が上がったので、サービス部門をより強化する事になったんです。
S:私が初めてここを訪れた時、工場を案内してくれたのはフィル、あなたでした。
P:そうでしたね!覚えていますよ!
ここ数年は、アーカイヴの仕事をしています。古いアンプと新しいアンプをくっつける…古い物に限らないのですが、会社として電子的に記録を付けています。どういう意味かというと回路図のことです。1962年から1992年までの間は、回路図がまったく保管されていませんでした。なぜかは分かりません。
S:エ?いつからいつまでとおっしゃいました?

P:1962年から1992年までです…30年ですね。「そこのスキマを埋めろ」と。

S:それは大変な作業だ!

P:はい。

スキマを埋める

S:具体的にはどのように作業を進めているのですか?

P:まず、アンプのリストを作成しました。これを始めたのは何年も前のことです。顧客と話す際に必要だったので個人的に作っていました。自分のアンプがいつ作られたのか知りたい人がいますからね。
製造年、または作られてから何年経っているかとか…。それを個人的にやっていたんです。それから会社の命で本格的に取り組むことになりました。アフターサービスの仕事も続けながらです。
そして、400項目にも及ぶリストが出来ました。今では700項目になっています。

今でもメールや直接工場に持ち込まれる製品の中にはかつて見たことのなかった物を目にすることがあります。したがって、そのリストは日々拡大していますし、もちろん知識も深まっていっています。変わったアンプが来ると写真を撮り、回路図を書き、プリント基板があれば型番を見て、ハンド・ワイアードなら配線を確認します。
ネジには何が使われているのか、ということもチェックし、すべてを記録しておきます。というわけで、今では、例えば1973年製のアンプがあれば、それがどのようにして出来たのかをお話することが出来ます。まだすべての情報を把握したわけではないので、あいまいな部分もありますが…。しかし常に情報量は膨れがっています。

S:しかし、ケン・ブランとダドリー・クレイヴンはJTM45を製作する時、回路図を書いたんですよね?

Pw_img_7783 P:はい。

S:それをなくしちゃったってことですか?

P:簡単に言えばそういうことです。ケン・ブランがダドリー・クレイヴンを雇い、第1号のアンプの回路を設計させました。それがJTM45です。もともとの回路図はなくなりました。どこへ行ったのか、なくなったのか、誰も知りません。古いものですから、手で紙に描いていたわけです。それをコピーして渡すわけですが、コピーするということはもう1枚同じ物を手描きするということになります。1960年代ですから複写機のような物はありませんでしたからね。もちろんコンピュータもありませんでした。(注:どんな方法にせよオリジナルの回路図をバックアップすることが出来ていなかったということ)

50から80通りのJTM45

他に起こったことといえば、回路に常に変更が加えられていました。つまり、お客さんはジムの店に行ってJTM45を注文します。
購入して家に持ち帰り、しばらくしてまたそれを持って来て、「良いアンプなんだけど、もうちょっと中域を下げてくれませんか」とか言うわけです。そこでショップは中域を下げ、高域と低域が出るように修正します。その人のために調整してあげていたんです。つまり、リクエストがあればお客さんの音の好みに合わせてひとつひとつ回路を変更していたわけです。ここのコンデンサーを外して…などなど。
だからその間にいろいろテストをして、「この音だったら良いな」というものがあれば、その仕様を次のアンプに取り入れて製作します。そういうことがあったわけです。
ちょっとした変化…たとえばコンデンサーの値の違いとか、コントロール・ポットの変更とか、2~3の値の違いなどはよくあることでした。コンデンサーだって経年変化が起きているものもありますし、起きていないものもあります。
要するにまだ設計が確固たるものになっていなかったんです。
まず何かひとつ作って、もちろんそれはおよそ正しいものなのですが、年月をかけてそれが変化していったんですね。
今日では工場での生産ですから、基本的に仕様が決められています。不意にやってきて「ここを変えてくれ」などというリクエストにはまったく対応していません。
1970年代の始め頃までは要望を聞いていましたし、少しずつ変更が加えられていました。それはプロだけでなく、アンプを購入した人なら誰でも変更してもらうことが出来たんです。何ひとつ記録には残されていません。ほとんどはジムと話していて分かった事や、実際に修正が加えられたアンプを見て分かった微妙な違いなどでした。その違いというのは、それはそれは膨大なヴァリエーションがありました。本当に微妙な違いのものもあります。抵抗が何個か変わった程度のね。

S:当時の個体を比べては重箱のスミをつつくような議論を重ねていますが、それっておかしなことなんですね。

Pw_img_7803_2 P:そうです。「オリジナルのJTM45の音が欲しい」と言う人がいますが、「どれを指しているんですか?」となります。

先週のものも今週のものも仕様が異なったんです。出だしの機種から違いがあるんです。スタッフは週ごとに変わるような勢いで、変更を加えてはお客さんに善し悪しの判断をしてもらったんです。トーンの微妙な変化をお客さんに聴いてもらうんです。「良いね!でも低域が足りないなあ」とか「高域が欲しい」とか「音が切れるのが早い」とか「遅い」とか意見を言い合うのです。

それで彼らは、今度はケン・ブランやダドリー・クレイヴンに話して、ケン達なら何が出来るかを聞いてみる。

別にすべての要望を飲んで変更したわけではありません。アンプの改善に必要ではない物もありましたから。しかし、改造された仕様をお客さんは喜んでくれました。具体的な数字は確認しなければ分かりませんが…JTM45には50~80のヴァリエーションがあるようです。

S:ハハハ!(笑)

P:すごく単純な変更もあります。配線が変わっただけで影響を与えた物もあるんです。配線された場所のせいでジージー鳴っていたのがきれいになくなる事もあります。

S:とても面白い話ですね。

ちょっと初回は短めにしておいた。つづく。

(一部敬称略 2012年9月 英マーシャル社にて撮影・収録)