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号外! Feed

2013年4月28日 (日)

【号外】バート・ウィードン逝く!

Shige Blog 2012年4月20日初出

レヴォン・ヘルムの悲しいニュースも飛び込んできたが、今、マーシャルの親友から届いたニュースは、ギタリスト、バート・ウィ―ドンの逝去を知らせるものだった。

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大ショック!

バート・ウィ―ドンの名は日本ではそれほど知られていないかもしれない。

1920年、エセックスの生まれ。1959年の「Guitar Boogie Shuffle」が大ヒットし、イギリスの音楽史上、初のギタリストのヒット・チャーターとなった。クラプトンやブライアン・メイ、マイク・オールドフィールド、シャドウズ、そしてビートルズに影響を与えたという。

私が彼の名を知ったのは、ジェフ・バクスターがホストを務める『Guitar』というビデオによってだった。この中にマーク・ノップラーが登場し、「It's a lie!」と言いながら一冊のギター教本を実際にその著者に付きつけるシーンがあった。

その教本のタイトルが「Play in a Day」といい、その著者がバート・ウィ―ドンなのだ。

この本はよく英会話系にありがちな、『あなたも一日でギターが弾ける!』系の教本で、ノップラーは尊敬と親しみを込めて、イギリスで一番有名なこのギター教本の著者であり、ギターの大先輩に接したのであった。

このビデオ(実際にはレーザーディスクだった)をそう繰り返し見たワケではないのに、ナゼか私にはこのシーンが印象的で忘れられずにいた。実際に思いだそうとしても他のシーンがほとんど頭に浮かんでこないのだ。

さて、なぜ私がバートの逝去にショックを受けているのかというと、実はバートはジム・マーシャルの無二の親友だったのだ!

だから、マーシャルの何かのイベントには必ずジムに招待されたバートがいて、フランクフルトで何回もお会いしているうちに私も顔見知りになった。もちろん、初めてバートに会った時は、「ウワッ!あのマーク・ノップラーに怒られてたおじいちゃんだ!」とかなりビックリしたっけ!

残念ながら挨拶の他は本当に少ししか会話をしたことがなかったけれど、ニコニコしてとてもやさしいおじいちゃんだった。また、奥様が猛烈に感じのいい人で、目が会うといつもウインクをしてくれた。

マーシャルの工場からヒースロー空港に行く途中にある彼の家の前を通りかかったこともあった。

バートは近く催されるジムのお葬式に出席する予定にしていたという。

天国でジムが何か新しいギター・アンプのアイデアが閃いたのかな?それともジャム・セッションの相手がいなかったのかな?

天国でも仲良くしているに違いない。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

2013年4月19日 (金)

【号外】Hipgnosis、ストーム・ソーガソン(Storm Thorgerson)逝く!

ここに一冊の写真集がある。

イギリスのデザイナー集団、Hipgnosis(ヒプノシス)の作品集だ。

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高校生の時、何かの雑誌を見てこの『THE WORK OF HIPGNISIS 'WALK AWAY RENE'』の存在を知って、青山の洋書屋さんへ飛んでいった。もう何千回見たことだろう。表紙を覆っているビニールもはがれてきてしまった。

私はデザイナーになりたいと思ったことは人生でただの一度もないが、やっぱり格好のいい意匠は好きだし、どちらかといえばうるさい方かもしれない。ま、モノによるかな…。

とにかくHipgnosisの美しい写真とシャレたデザインやロゴ、レイアウトが大好きだった。これはデザインもさることながら、そこから聞こえてくるようなブリティッシュ・ロックの芳香に酔っていたのかも知れない。

南ロンドンのバタシー発電所を教えてくれたのもヒプノシスだった。私はジャケ買いは滅多にしないが、ヒプノシス作品だけは別で、今でも「ま、ヒプノシスだから買ってもいいか…」なんてことをやっている。正直ヒプノシスのジャケットだからと言って特段内容がいいワケでは決してないんだけどね。

青春時代に心ときめかせたレコード・ジャケットを制作したHipgnosisの中心人物が逝ってしまったのだ。

ますますブリティッシュ・ロックがヤバくなった…。

追悼の意味を込めて好きな作品ベスト10でも記しておこうかと思ったが、好きなものがあまりにも多すぎてできなかった。代わりにMJG(Music Jacket Gallery)の『ヒプノシス特集』を改編して別途掲載し、哀悼の意を表したいと思う。

<おまけ>

久しぶりにヒプノシスの写真集を引っ張り出して広げたらこんなものが出てきた。なぞなぞ商会の新聞だった。こういうものは場所を取らないので取っておくに限るね。1981年の発行。32年前、渋谷の屋根裏に出演した時に配られたものであろう。

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2013年3月 7日 (木)

【号外!】アルヴィン・リー逝く

ショック…。アルヴィン・リーが3月6日早朝(イギリス時間)鬼籍に入ってしまった。

私は特段テン・イヤーズ・アフターや彼自身の熱心なファンではないし、ちょっと世代が後なため、来日公演も観ていない。でも、ウッドストックのアルヴィンを、下手をすれば50回ぐらいは見ているかもしれない。

35年ぐらい前、中学生の時、初めて映画『Woodstock』を観た時は本当にブっ飛んだ。実はあの時、併映の『Concert for Bangladesh』を目当てに映画館へ足を運んだのだった。

あの頃は動く海外のミュージシャンを目にすることは本当にマレで、初めて観る『ウッドストック』はライブ・パフォーマンスの部分は大歓迎であったが、子供だった私には合間のウッドストックへ集まった若者へのインタビューなどが実にうっとうしくて、途中スカッリ寝てしまった。(今ではそっちの部分の方がおもしろかったりする)

しかし、あの閃光のような速弾きが映画館に充満した途端、眠気がいっぺんに吹っ飛んだ!驚いたナァ~。そしてカッコよかったナァ。

アル・ディ・メオラがアルヴィン・リーの速弾きを聴いて全部ピッキングしているのかと勘違いをし、その練習をしているうちに彼も速く弾けるようになったというエピソードはよく知られていよう。

すっかり感化された中学生の私は後日秋葉原の石丸電気のレコード館へ行って2枚ぐらいテン・イヤーズ・アフターのLPを買った。ところが、あのウッドストックのすさまじい演奏のカケラも見当たらず、すごくガッカリした。それから聴かなくなったナァ。

でも、その後も動くThe Whoやジミが見たくて、『ウッドストック』がかかっている映画館を「ぴあ」で見つけてはセッセと通った。

「I'm goin' home...........by.....helicopter......」

と白い息を吐き出しながら曲名を紹介する瞬間からいつも拳を握りしめた。「来るぞ、来るぞ!」って。『ウッドストック』の中のアルヴィン・リーは何十回観てもカッコよかった。

それから四半世紀近くの歳月が流れ、私がマーシャルの仕事をするようになり、『マーシャル祭り』を企画し、4回目にはイギリスのギタリストをゲストに呼ぼうと当時のマーシャルのアーティスト担当と相談したことがあった。こちらから「ロビン・トロワーはどうか?」などとオファーをすると、向こうからは「アルヴィン・リーはどう?」なんてオファーをもらった。結局、この企画自体が実現せず、アルヴィンに声すらかけないで終わってしまったが…呼んでおけばよかったと後悔している。

出番が夜間で、乏しい照明しかなかったため、映画『ウッドストック』ではほとんどアルヴィン・リーの姿しかスクリーンに登場しないが、落ちているスイカを肩に乗せてステージから降りるところで1959のフル・スタックがチラリと見えたように記憶している。

アルヴィンもマーシャル・プレイヤーで最近ではJubileeを愛用していたようだ。ゲイリーに続いてまた偉大なマーシャル・プレイヤーを失ってしまったことは大変残念だ。

弾くだけ弾いて、ヘリコプターに乗って天国へ行ってしまったのだ…。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

2013年2月20日 (水)

【やや号外!】ポール・ギルバートの公式ウェブサイトに…

我らがポール・ギルバートの公式ウェブサイトにマーシャル・ブログの写真が使用されています!まったく光栄なことで…。

すぐに変わっちゃうかもしれないので今すぐClick!

まずはコチラ⇒「TOP」      よっしゃ表紙!

それとコチラ⇒「TOUR」     メッチャ忙しいのね~!

双方1月の来日公演の際に私が赤坂BLITZで撮影したもの。実際にはこれらの写真はまだマーブロに登場していません。

このライブも近々レポートしますのでどうぞお楽しみに!