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2026年6月

2026年6月 8日 (月)

杉本篤彦BIG BAND東京公演~音楽活動40周年記念&バースデーライブ<前編>

Marshall Blogとジャズのビッグバンド…コレ、ゼンゼン関係ないように思えるかも知れないが、実は過去に2バンドほどご登場頂いたことがある。
そのウチのひとつにはマンハッタン・ジャズ・クインテットの大御所ピアニスト、デヴィッド・マシューズにも出て頂いているのだから我ながらMarshall Blogもスゴイじゃないか!
しかし、それらはNATALドラムスに関する記事だった。
そして今回、満を持してMarshallアンプをフィーチュアしてのビッグバンドのライブをレポートすることになった。
その主役は杉本篤彦…「Marshallでジャズを演る男」である。
杉本さんが長年抱いていた夢であった自分のビッグバンドを結成し、遂にその東京公演が開催されたのだ。
会場は赤坂の「B♭」。10v会場に入ると、まず杉本さんのデビュー30周年を記念して昨年5月に発表したCD『Regrowth』と続いてリリースされた『Dragon Horse』のポスターが目に飛び込んで来る。20それらのアルバムを含む杉本さんの作品や他の出演者の方々のアイテムが物販で取り扱われた。30フト壁に目をやると…「ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテスト」のポスターが…第57回目かぁ。
私が出たのは一体何回目だったのだろう?
40vその時のプログラムを引っ張り出して来てビックリ。
1984年、それは第15回目のことだった!
42年前…この頃は毎年「日本青年館」で開催していた。
その時から何年も経って、まさかイングヴェイ・マルムスティーンのMarshallをサポートするために同じ場所に行くなんてこの時は夢にも思わなかったわ。Img_5078久しぶりにページを繰ってみる。
まだマイルス・デイヴィスがピンピンしていてニュー・アルバムを出していたんだね。
下の写真からは読み取ることができないだろうが、ギターで私の名前が載っている。
ちなみに浮世絵調のイラストの男性は私がモデルなのだそうだ。
確かに…頭はイラストと同じになってしまった。
このイラストを描いたのは「今尾敏道」さん。
今でも第一線でバリバリとサックスを吹いている。
それと、ドラムスの板谷達也くん。
彼は長年にわたり泉谷しげるさんのバンドでドラムスを叩いている。Img_5086普段「Marshall、Marshall」とロックの権化のようなアイテムの仕事をしているジジイが本当にビッグバンドなんてやっていたのかよ?…と訝しむ皆さんに当時の私の姿をお見せしようではないか。
ま、以前にも出したことがある写真なんだけど、読者がほとんど被らないからまた出してやれ。
私は明治大学の「Big Sounds Society Orchestra」という楽団にお世話になっていた。
下は4年生が卒業する時に開催するリサイタルに備えての合宿の時のようす。50v場所は山中湖とかアッチの方だったように記憶している。
ものすごく寒くて金管の連中が朝一番で楽器を手にする時にヒイヒイ言っていた。60生来ワガママな私は団体行動が大キライで、こうした「部活」のようなモノはいつも敬遠していた。
しかし、クラブ活動をしていないのは就職に不利とされていたので、写真の右下に写っているトランペットを担当していたクラスメイトに頼んで3年生の途中からオーケストラに入れてもらった。
それまでジャズはタップリ聴いていたものの、直前まではギンギンにロック・ギターを弾いていたのよ。
この合宿の最終日のこと。
こういう「みんなで力を合わせてひとつのモノを創りあげる」的な喜びを知った私は打ち上げの時に号泣してしまいましてね。
堪えても堪えても感動の涙が止まらずオンオン泣いてしまった。
もうすぐ卒業してしまう4年生とそれを送り出す後輩たちの多くが私につられてもらい泣きをしていた。70vそのリサイタルの時の写真。
ソロなんか弾いてやがる。
会場は有楽町の「よみうりホール」。90コレは「ロブ・マッコーネル」というカナダのトロンボニストのオーケストラの「T.O.」という曲を演奏しているところ。
トロンボーンの青木くんのソロのバックを務める私。
18人で構成されているオーケストラからトロンボーンとギターのたった2人だけで延々と演奏するパート。
ま~、緊張したわ。
山野のコンテストでもこの曲を演奏して「審査員賞」という賞を頂戴した。100ゲストでご登場頂いた「谷啓」さんと。
この時のことは一生の思い出だ。
以上。110昔、「アナタの夢は何ですか?」と問われたスティーヴ・ガッドが「フランク・シナトラのバックのビングバンドでドラムスをプレイすること」と答えていたインタビュー記事を読んだ記憶がある。
ガレスピー、モンク、ブレイキー、ミンガス、穐吉敏子…ジャズを志す者にとってはやっぱり自分のビッグバンドを抱えることが大きな夢なんだナァ。
さて、赤坂B♭…杉本さんの夢の場所にはMarshallがあった。1201曲目は杉本さんのギターからスタート。
お!このフレーズは?!130カウント・ベイシーがピアノで奏でる有名なイントロを杉本さんがギターで軽快に奏でて「Jumpin' at the Woodside」が始った。
ベイシー・ナンバーでスタートするとはビックリ&ゴキゲン!
140ピアノのソロはMarshall Blogでは「いわし」の「し」でおなじみの進藤陽悟。150そして、杉本さんのガッツあふれるソロをタップリ!160v杉本さんの思いのたけを音にしているのはMarshall。
50W、1x12"のトランジスタ回路のコンボ「MG50FX」。
コレのクリーン・チャンネルと杉本さんのホロウ・ボディのギターのコンビネーションが実によくマッチするのだ。170杉本さんと知り合ったのはカレコレ17年ほど前のこと。
そして下は渋谷の「JZ-Brat」に初めてライブにお邪魔した時の写真。
2008年8月26日のこと。2sg杉本さん、全然変わらないナァ。
このライブにお邪魔する前、「ボク、Marhallの『MG』というモデルが大好きなんですよ!」と一番最初に頂いたお電話でおっしゃっていたことにも変わりがないのだ。2sg2ソロは大野裕太のアルト・サックス…180vトロンボーンの池田雅明…190テナー・サックスの小池修…200vさらにトランペットの松木理三郎にバトンが回された。210各々ミュートを着脱する派手なアクションを披露したトランペット・セクション。220トランペット・セクションは松木さんの他に…

さつきかほり65v田中洋行118a0187小笠原優心70vスカ~っとスウイングして幕を開けた杉本篤彦BIG BANDの東京公演。
ギターのイントロとベイシーで思い出した!
昔の仕事で富山に赴任していた時、地元のビッグバンドに入れてもらっていたことがあったのだが、ナゼかそのバンドにはピアニストがおらず、ベイシーの曲を演奏する時にはピアノ・パートをすべてギターが代わって弾くという珍なるオーケストラだった。
「チャンとできたのか」って?できるワケない!230「ありがとうございます!
『杉本篤彦BIG BAND』の東京での初めての公演となります。
ゴールデンウィークの外へ遊びに行きたい空気の中、たくさんの方にお越し頂きましていただきましてありがとうございます。
今日は楽しんでいってください!」240vリズム・セクションは『真夏のJAZZ葉山』のレポ―トにいつもご登場頂いているお2人。
ドラムスは正岡淳。250vそしてベースはT-SQUAREの田中晋吾。2602人がクリエイトするファンキーなリズムに乗って杉本さんがテーマ・メロディを奏でる。
曲は杉本さんのオリジナル曲「Black Pepper」。270分厚いオルガン・サウンドを聴かせてくれるのは都啓一。
Marshall Blogへはご自身のバンドRayflowerでご登場頂いている。280vファンク・ビートとジャズ・ビートと変化するリズムに乗って進藤さんの美しいソロ…290杉本さんのコンボのメンバー小林憂旗のオート・フィルタを使ったソロ…300v加納奈実のサンボーン張りの泣きのソロが続く。310vそして杉本さんのソロ。
アウトフレーズを交えて色鮮やかなフレーズを紡いでいく。
ウン、MGがとてもいい音を出すんだわ~。320vここでもダイナミックなトランペット・セクションが大活躍!340ソロを交えながら再び杉本さんがテーマを奏でて曲は幕を下ろす。
330「次は比較的最近の曲で『Laure'a』というアルバムに入っている曲です。
コロナの時に曲をたくさん作りまして、収録されている曲が全てメジャーの明るい曲ばっかりなんです。その中で1曲、とてもオーソドックスなスイングの曲を作りました」360vコレがその『Laule'a』。
「大切なものはすぐ近くにある」と副題が付けられている。Lau 「ボクが育ったのは東京の市ヶ谷の方なんですけど生まれは築地です。
家がすき焼き屋なんです…若大将みたいでしょ?
だから子供の頃にいつも銀座の夜景を見ていたんです。
そんなオーソドックスな古き良き時代に思いを馳せた曲です」350「若大将」と「銀座」で少し脱線。
ココは浅草仲見世通りの裏道。
写真にあるすき焼き屋の「今半」は「人形町」やら「本店」やらどにうもややこしいことになっているが、どうやら事業体としては5つの今半が存在するらしい。Img_6777この今半別館というのは今半本店から暖簾分けされ芝の三田で営業していたが、戦時中に建物疎開(空襲の延焼被害を少なくするために強引に立ち退きをさせられた)で取り壊されてしまった。
そこで戦後に浅草で再オープンしたのがこの「今半別館」。Img_6782そして、コレが「若大将・田沼雄一」の実家であるすき焼き屋「田能久」のモデルになった。
そう言われてみると今にも「飯田蝶子」や「有島一郎」が玄関先に出て来そうだ。Img_6780それと銀座。
私は昔の東京の景色が見たくて古~い日本映画を観出したんだけど、コレが尋常でなくオモシロい。
そこで頼まれもしないのに70年前ぐらいの銀座の様子わかる作品を3本ほど紹介しておく。
『君の名は』の数寄屋橋にも仰天したが、コレが一番スゴかった。
1951年、「成瀬巳喜男」の『銀座化粧』。
ちょうど「三十間堀川」の埋め立て工事をやっている頃で、「田中絹代」が東銀座を案内するシーンが素晴らしい。
「三原橋」がまだ「橋」だった頃の映画。Gk1955年の『銀座二十四帖』。
日活作品だけあって内容はチト荒唐無稽だけど、そこは黒澤明も認める映画づくりの名手にして明治大学OBの「川島雄三」がうまく作ってくれているでげす。
題名通り舞台はドップリ銀座でありんす。(川島さんは花魁言葉をよく使ったそうだ)
男性諸氏は「月丘夢路」の規格外の美しさと「浅丘ルリ子」の信じられないぐらいの可愛さを堪能すべし。24jpg1950年代には銀座を舞台にした映画はものすごくたくさんあって、どれもすごくいいんだけど「銀座の街並みフィーチュア」ということで最後の1本はコレにしてみる。
1953年の清水宏の『都会の横顔』。
銀座で迷子になった子供を池辺良が連れて歩く設定で銀座の街並みがガンガン出て来る。
とにかく若き日の「有馬稲子」が可愛いいったらありゃしない。昔の宝塚はスゴかった!Ty2 そんな昔の銀座の雰囲気を味わったところで杉本さんが演奏したのは「夜風のスイング」。370「夜風のスイング」…まずタイトルがいい。
そしてオクターブとコードで奏でる愛らしいテーマ・メロディはいかにも杉本さんらしい。380そのままソロに。
心温まるメロディが次から次へと飛び出して来る。390v松木さんのよく歌うソロから…400進藤さんのピアノへとリレー。410スケールの大きなオーケストラ・アンサンブルでハッピーに曲は締めくくられる。
ウ~ム、私も映画が好きだったので50年以上前から有楽町や銀座に足繁く通っていたからね…演奏を聴きながら日劇や朝日新聞の本社や東京都庁があった頃の景色を思い出したわ!
あの頃に戻りたいとは思わないけど…昔はヨカッタね。
つまり「Things Ain't What They Used to Be」!420「夜の銀座というと、ウチのおバアちゃんは『服部時計店』…『和光』に勤めていたんです。
だいたいアソコはルパンとか、怪人二十面相とか、犯人がアドバルーンで逃げていくようなイメージがあって、そういう曲を作っちゃいました。
タイトルが『怪人二十面相』…『ウォホホ、明智くん』。
コレが商標に当たるかどうかチャットGPさんに聞いたら…『大丈夫』って」
アラ?また江戸川乱歩…というのは最近別の記事で2回続けて乱歩のことを書いたばかりだったから。430今、杉本さんが口にした『明智小五郎』ね。
この人が一番最初に乱歩の作品に登場するのは大正14年の「D坂の殺人事件」という30分もあれば読めちゃうような短編なんだけど、この「D坂」って何のことか知ってる?
コレは根津にある「団子坂」のことなのね。
1868年の上野戦争の時、長州の連中はこの坂を下りて来て、幕府軍のボス「輪王寺宮能久親王(りんのうじのみやよしひとしんのう)」がいる「東叡山寛永寺」を目指したんだネェ。60 「アドバルーンね。今はもうないですね。
アドバルーンを覚えてる人は大分…マァ~昭和30、40年代生まれぐらい?
松屋とか三越とかで上がっていましたね。
チョットそんなイメージで作った曲です」
ホント、昔、アドバルーンはそこら中に上がっていた。
松屋や三越でなくても新小岩の西友だってジャンジャン上げていた。
あの頃と比べて東京の空からいなくなったのはアドバルーンだけではなくて、コウモリもいなくなったよね。
森鴎外の『雁』みたいなことを言っておりますが、昔は夕方になって、遊び疲れて家に帰る頃になるとどこからともなくコウモリがチロチロと飛んで来たものだった。420v第1部を締めくくったのは杉本さんのキラー・チューンのひとつ「怪人二十面相」。
スリリングなドライビング・ワルツ。440サックスとユニゾンで奏でる怪しげでなテーマ・メロディ。118a0049 そのままシャープなフレーズで構成されたギター・ソロへ。
「杉本さん+ワルツ」ということになるといつか葉山でウェスの「Ful House」を取り上げていたことを思い出す。450続いては途中で転調を絡まりながらの池田さんのトロンボーンをタップリと!470vトロンボーン・セクションは…
 
伊藤直哉500v田村理Tb1バス・トロンボーンは望月さやか。490v小池修さんの力強いソロが続く。
実は小池さんとは15、16年ぐらい前に当時私が勤めていた会社が扱っていたリードの件で電話で会話をしたことがあった。
冒頭に出て来た今尾くんの伝手だった。
その時のことを今回小池さんにお話ししたところ「お~、あの時の!」と覚えてくださっていた。480そして曲の後半ではリズム隊2人がフィーチュアされた。
まずは田中さんのソロ。490vそして進藤さんのモントゥーノに乗って正岡さんが鮮やかなスティックさばきを見せる。500曲はゴージャスなアンサンブルが展開し、怪人二十面相がアドバルーンで空の彼方に飛んで行った。510杉本篤彦の詳しい情報はコチラ⇒杉本篤彦公式ウェブサイト
620v
<後編>につづく

200(一部敬称略 2026年5月5日 赤坂B♭にて撮影)

2026年6月 5日 (金)

SYU & YUHKINEN LIVE IN BANGKOK

GALNERYUS(ガルネリウス)のSyuとYUHKIのデュオ・チーム「SYU & YUHKINEN」が5月末に台湾とタイに遠征した。10v_2タイのバンコクでのライブ会場はナントMarshallのライブハウス…その名も「Marshal LIVEHOUSE BANGKOK」。30_2Syuちゃん曰く、とにかく店内は猛烈にMarshall!40アンプからヘッドホン、Bluetoothスピーカーまで鉄壁の品揃えだったとのこと。50v_2実機は展示されていなかったが、先日ココでも紹介したジミ・ヘンドリックスの新しいスタックもフィーチュアされていたそうだ。60_2Syuちゃんはこの東南アジアツアーに出かける3日ほど前に東京で開催された『Tone Sanctuary』というMarshallの試奏会でその新しいジミヘンのスタックをお試し頂いた。
このアンプ自体は「1959 HAND WIRED」なんだけど…スンゲエ音だったわ!
Syuちゃんと一緒に写真に収まっているのはMarshallのアーティスト担当のジョエル・マナン。
筆者とは20年以上来の友達。
しかし、考えてみるとSyuちゃんは2005年に開催した『Marshall祭り3』に出演してもらった時よりも前からなのでお付き合いなのでやはり20年以上になるんだよナァ。008a0625ステージはこんなようす。
ちゃんとドラムキットがNATALだわ。70ステージに上がったのは「JVM410H&1960BV」と「JCM800 2203&1960BX」。
ナンダ?タイはBキャビが人気なのかしらん?80Syuちゃんは2203の方を使用。
タイは電圧が220Vなのでゴキゲンなサウンドを得ることができたようだ。90v会場は満員。100_22人のオリジナル曲とガルネリウスの曲をインストゥルメンタルにして披露した。110_2轟音&爆音で縦横無尽に弾きまくるSyuちゃん。120vスーパー・テクニックで迎え撃つYuhkiさん。
さぞかし凄まじい演奏だったハズだ…と初めて見たようなことを言っているけど、実は私は2007年にこの2人の演奏をフランクフルトで見ているんだよね。130vコレはその時の様子。
何しろ19年前のこと。
2人とも若さ全開でバリバリ弾きまくってヨーロッパの観衆からヤンヤの拍手を浴びていた。Rimg0174こんなオマケもあったっけ。Rimg0172ついでながら、私はコレ。Rimg0212バンコクのお客さんは真剣そのもの。
穴が空くほどの熱い視線で2人の演奏に見入っていたとか。
ところがみんなスマホでビデオを録っているので、曲が終わると録画を停止する作業を優先するため拍手や歓声が遅れて上がって来る。
演奏している方は「アレ?ウケが悪いのかな?」と心配になっちゃうよね。140_2演奏の後はQ&Aのコーナー。150vお客さんからは、ギターやペダルの機材類、作曲や練習方法に関することに質問が集中した。
18年ぐらい前、Syuちゃんと私の2人で「Marshall Roadshow」というこうしたクリニックを開催し、日本国中を回った。
その中でさんざんQ&Aをやったが、質問の内容は全く同じですな。160みんなで記念撮影もしたよ。170_2そして終演後はサイン会&握手会。180ライブを観たお客さんの全員が列に並んでこの貴重な機会を体験した。
ギターを持参した人も!190_2GALNWRYUSの人気は台湾でもすこぶる高く、タイではラウド系のロックに人気が集まっているらしい。
客層は日本とは比べ物にならないぐらい若い人が多く、今回のライブも20歳代のお客さんが中心だったという。
ハードロックやヘヴィメタルはもう東南アジアに活路を見出すしかないのか…。
Marshallがなければ創りえなかったそうしたロックを今の日本の若者にも親しんでもらいたい…心底そう思う。
ガンバれGALNERYUS!200_2ところでバンコク公演を終えて帰国しようとした2人、折り悪く台風6号にカチ合ってしまい現地で延泊をするハメになってしまった。
お疲れさまでした!
 
GANERYUSの詳しい情報はコチラ⇒GANERYUS Official Website

20v 200(一部敬称略 写真提供:Syu)

2026年6月 4日 (木)

マーシャル・ブログ博物館  第9回:マーシャル・タイムマシン<その3>

1971年8月発行の『The Marshall WORLD』を見てみよう。
「MARMARADE」という9文字がド~ンと目に飛び込んで来る。P1「Dean Ford and Gayloads」というバンドを前身に1966年に結成された「マーマレイド(Marmalade)」はグラスゴー出身のポップロック・バンドで、「なつかしの〇〇」のようなサーキットでナント現在も活動しているらしい。
1968年から1972年にかけて10曲をUKシングル・チャートに送り込んだ人気のバンドで、「Reflections of my Love」というビルボードで10位、UKチャートで3位まで上昇した国際的なヒット曲を持っている。
聴いてみると確かにマーマレイド・ジャムよりはアマアマなれど「マーマイト」よりははるかに良い。
ま、例によってMarshallの必要性は感じないが…。
ズラリと並んだMarshallのフル・スタック。
これはロンドンの北の「セント・オールバンズ」というところで開催されたMarshallのデモンストレーション・ショウのようす。
見出しにある「CODY」というのも当時の新進気鋭のイギリスのバンドでこのショウに出演した。
ステージにMarshallの三段積みがある光景ってのはやっぱりいいもんだナァ。Mmr1演奏以外にもMarshallの商品を来場者に説明するコーナーもあったようだ。
下がそのようすっぽい写真…どう見ても商品の説明をしているようには見えないな。
このオジさんの前に置いてあるのはMarshall製の8チャンネル・ミキサー「2050」とパワー・アンプ(スレイヴ)の「2031」。Prmコレはマーシャル・ブログ博物館の第3回目で紹介した工場に残っている「2031」。
MarshallはこのPAシステムには相当入れ込んでいたような感じがする。Img_0017こんなところで「MARSHALL LAW」という言葉が出て来ている。
「3700Hi-Z」というMarshallのマイクロフォンの広告。
「Marshallの高品質のPAアンプにはMarshallの高品質のマイクロフォンをお使いください」という戒厳令を発しているワケね。
先っチョのグリルのデザインが「Marshall」の「M」になっているんだゼ。
その下には「JIM MARSHALL」の文字が見える。Mic_2「露出を重要視しているMarshallとローズ・モーリスは主要販売国の展示会に積極的に参加しています」ということで2ページ目では海外での楽器展示会の様子を報じている。P2コレはスイスの「チューリヒ」。
なかなかのボリュームだ。ZuコレはNAMMショウ。
左は現在も営業しているトロントの楽器店「Long & McQuade」のジャック・ロング。
その隣りはナント!…ジム・マーシャルと2番目の奥さんのルネ・マーシャル。
さらにローズ・モーリスのモーリス・ウルフ。
右端もローズ・モーリスの人か?Mm_2フランクフルトで年1回開催されていた『Spring Fair』。Ff_2ロンドンで開催された『Sound 71 Internatuonal Exhibition』の様子。
ココでも「2050」と「2031」をプッシュしている。
上に書いた通り、かなり推しの商品だったんだナァ。
とにかくこの当時はPAシステムの機材に心血を注いでいたことがわかる。Osコレはイスラエルの「テルアビブ」での展示会。
右の白髪のオジさんは「アイザック・ウルフソン」というイギリスではよく知られたスコットランド出身の起業家&慈善家。
1900年に創業した「Universal Stores」という通販会社をヨーロッパ最大の規模に成長させた人。
現在は「GUS(Great Universam Store)」という企業名で7万人の従業員を抱える大企業として運営されている。
このウルフソンさん、正式には「Sir. Isaax Wolfson, 1st Baronet」というお名前だそうだ。
この「Braonet(バロネット)」というのはイギリスの世襲称号のひとつで、地位は「男爵(baron)」の下、「ナイト(knight)」の上に位置し、日本語では「準男爵」という訳語が当てられているが世襲称号のウチでは最下位で、貴族ではなく平民の扱いとなる。
女性の場合は「baronetess(バロネテス)」。
敬称は「sir(サー)」、女性は「dame(デイム)」。
準男爵の奥さんは「lady(レディ)」という敬称が付けられる。
ウルフソンさんはMarshallの製品を自社で扱おうとして見に来たのかしらん?Ta毎号掲載しているMarshallの世界の代理店の紹介。
日本も出ている。
1971年当時、日本でMarshallの輸入代理店を務めていたのはどこでしょう?
「荒井貿易株式会社」だった。
この後に形を変えてまた出て来るのでそこで詳しく見てみよう。

Dis_2
読者からのお便りのコーナー。
サンフランシスコの「レオナルド J. バンコ」さんから「最近香港に行った時に1992SUPER BASSと1982スピーカー・キャビネットを買い、『The Marshall World』を手に入れました。とても気に入っています。そして品質の高さと職人気質に誇りを持っている御社を祝福したい」
同じような内容の手紙がオハイオとイギリスのサセックスのお客さんから寄せられている。
ありがとうございます。Lt_2 

HisMarshallとローズ・モーリスの歴史が簡単につづられている。
「1964年9月5日土曜日、ローズ・モーリスの3人の役員が初めてMarshallアンプの音を耳にしました。ハンウェルにあったマーシャルの小さな工房でのことです。
45Wと50Wのアンプ、さらにPA用のコラム・スピーカーひと組が用意されました。
その品質は感動的で、書類が即座に弊社の購買部に送られ、月末までジム・マーシャルがローズ・モーリスのロンドンの事務所を世界の総販売元の拠点に任命したのです。
ジムはいつもしきりに自分の製品がどうすれば世界のあらゆる地域で受け入れられるかについて考えを巡らせていました。
そしてジムはローズ・モーリスの役員と手を握り、アメリカやヨーロッパの国々への進出を果たしたのです。
この1964年の歴史的な日から数年が経過し、Marshallの商品は驚くほどの成長を遂げ、文字通り世界中のバンドやオーケストラやアーティストに行き渡ってきました。
ナイトクラブやレストランや社交クラブ等、あらゆる場所に広がったのです!
その成長のペースに工場の規模が合わなくなり、Marshallは3度ほど移転を繰り返し、現在はブレッチリーに落ち着きました。
上着を脱ぎすて腕まくりをするボスの下、Marshallの工場は活況を呈しています。
チョットとした歴史でした…でもMarshallにとってはエキサイティングな歴史なのです」
拙訳ゴメン。

 

3ページ目は世界のバンドの紹介。P3「グル・グル」なんて出てるよ!
「ハイデルベルグを基点にMarshallを使って欧州で最も難解な音楽を演奏するトリオ」なんて紹介されている。
ナニか気の利いたことを書いてあげたいんだけど、私は「クラウト・ロック」の素地がないのでパス。Gg_2この下は私にとっては大発見中の大発見。
長年のナゾがこの「The Marshall WORLD」であっけなく氷解した。
…というのは、私はMarshallに直接お世話になる前、輸入楽器を取り扱うヤマハの子会社で長年にわたってMarshallの担当をしていたワケだが、その頃「日本で最初のMarshallの輸入代理店はどこか?」という問いに明確に答えられる人が社内にいなかった。
「ヤマハではなかった」ということと「数社で輸入販売」をしていたという情報があるにはあったのだが、「じゃ、誰なの?」と突き詰めると最古参の社員も言葉を濁さざるを得なかった。
そこでこの記事の登場だ。
興味深いのでナニが書いてあるか私の頼りない英語力で訳出してみよう。
今から55年間前、「1971年の話」ということを念頭に置いて読んでくだされ。
 
「今年のフランクフルトの楽器展示会で『荒井貿易』という会社が日本のMarshallの総輸入代理店に任命された。
4月8日に最初のオーダー分を出荷。
5月20日、6月に開催される『Tokyo Music Fair』の展示に間に合うようにと2度目は急ぎのオーダーとなり、6月8日に商品が出荷された。
日本のマーケットが究極的に重要なモノになっていくことを感じ、私は『Tokyo Music Fair』の開催に合わせて予定していた訪日を早め、一体どういう風にプレゼンテーションをして、それがどのように受け入れられるかを自分の眼で確かめることにした。
そして、その両方について決して失望することはなかった。
『Tokyo Music Fair』は1971年、日本で最初に開催された楽器のイベントで、その後たくさんの同様の展示会が開催されるようになったのはごく自然のことと言えよう。
しかし間違いなく『荒井史郎(荒井貿易の創設者)』は際立っていた。
メイン・ホールの展示は十分な広さの回転式の展示台に数々のギターや関連商品が展示された。
そして別室に用意された大きな舞台の端には他の商品とともに色違いのMarshallのスタックがいくつか設置されていた。
それらのMarshallは展示するだけが目的ではなく、日本の第一線のバンドがひっきりなしにそのMarshallをデモンストレーションしたのだ。
その中のひとつが「The Samurais」で、その演奏で常に部屋をイッパイの観客を酔わせていた。
そこで私は英語を理解することができるお客さんと少し話しをしてみた。
客の評価は一様に熱狂的だった…というのは彼らはこれほどの爆音にもかかわらずピュアで歪まないアンプの音を耳にしたことが全くなかったのだ。
他の地区の代理店の社長たちからもこの点について熱狂的な支持を得ている。
例えばドイツの『Gotthold Meyer(かつて長年にわたってドイツの代理店を務めていた[MUSIK MEYER]の社長だった人)』、カナダの『Fred Kalisky([Efkay Music]という会社の創設者)』、メキシコの『Walther Veerkamp([Casa Veerkamp]という会社の以前の社長)』などなど。
イベントの最終日、私が告げられたのは今回の展示が大成功で、以降の出荷を出来る限り早くしてもらいたいということだった。
たった3ヶ月の間に3回ものリピート・オーダーをもらった私はスッカリ気を良くしてしまった。
私たちローズ・モーリスは素晴らしい商品を販売していることを知っているが、商品に寄せられる賛辞はこうした地元のエージェントの最初のプロモーションにおいて見せるその熱意によるものと感じている。

荒井貿易株式会社の社長の荒井史郎さん、輸入品担当マネージャーの村松さん、並びに日本において卸業務をご担当頂いている神田商会株式会社のShigeo Kindo(ママ)さん、Tomotashi Suzuki(ママ)さんに深謝申し上げる次第である。    

ローズ・モーリス共同経営責任者ロイ・モーリス」(一部敬称略)Jp上に書いたように私がヤマハの子会社に所属していた時に「最初期には数社がMarshallの輸入販売をしていた」とされていたが、そうではなかったのだ。
このロイ・モーリスのレポートを鵜呑みにするところによれば、荒井貿易株式会社がMarshallを輸入して、楽器問屋である株式会社神田商会に商品を卸していたんだね。
そしてこの新聞の2年後の1973年、ディープ・パープルが2回目に来日した年にヤマハ株式会社(当時「日本楽器製造株式会社」)がMarshallの総輸入販売代理店の権利を獲得して現在に至っている。
今にして思うと、この代理店の変更はジム・マーシャルではなくてローズ・モーリスの仕業だったんだろうな。
 
写真につけられているキャプション⇒「THE SAMURAIS:日本のトップ・グループのひとつ。
アメリカでも活動するボーカリストのミッキー・カーティスにより結成。
他のメンバーは「Yuji Harada(ドラムス、原田裕臣)」、「Kippy(リード・ギター)」、「Jimmy Tetsu(ベース、山内テツ?)」、そして「Boo」。1971_8_3急に思い出した。
今から15年前、ミッキーさんからサインを頂戴したことがあったんだ。
ニコニコ、メチャクチャ感じのよい方だった。Mc2それともうひとつ。
下は「外道」の加納秀人さんが所有している1971年製の「1959」と「1960AX」。
よく秀人さんは私にこう説明してくれた。
「コレはね、日本に初めてMarshallが入って来た時に神田商会から買ったモノなんだよ。
本当に音がデカくて全く歪まないんだよ!」
シリアルナンバーから割り出すと1971年製だった。
私は何度もこの1959の音を耳にしたが、秀人さんがおっしゃる通りどこまでいっても素晴らしいクリーン・トーンで、それだけに音ヌケの良さは尋常ではない。
よっぽどギターの腕が達者でないとコワくて使えまい。
元々Marshallってのはそういうモノだった。
さて、これらの「神田商会、1971年製、クリーントーン」という情報を突き合せてみると、ロイ・モーリスのレポートとピッタリ符合する。
つまり秀人さんの1959と1960AXは日本に最初に上陸したMarshallと見て間違いないようだ…ということがわかった。
このシリーズ、ナンて楽しいんだろう!56v_2商品の紹介も忘れない。
ココは「Supa Fuzz 1975」と「Supa-Wah(2023)」をピックアップ。Ml_24ページ目も海外のバンドの紹介。
「ガンビアのバンド」なんて初めて聞いた。
その名も「SUPER EAGLES」。
音を聴いてみたら…もろにアフリカン・ロック。
ナンでガンビアかというと、昔、この国はイギリスの植民地で奴隷貿易の拠点だった…いう歴史的な関係があるんだね。
今でもガンビアはコモンウェルスの一員だから、イギリスが戦争に巻き込まれたらガンビアの軍隊はチャールズ王子を守るために戦わなくてはならない。
他にハンガリーの「LOCOMOTIVE」、スウェーデンの「FOLKE LINDESJO'S BAND」、イギリスの「DANIELS BAND」と「HOTT COTTAGE」。
どれも猛烈に知らん!
このHOTT COTTAGEというチームはMarshallの地元、ブレッチリー出身のバンドらしい。
アトミック・ルースター、エドガー・ブロートン、チキン・チャック、バークリー・ジェイムズ・ハーヴェストの前座を務めたことがようだ。
左下は南アフリカの「ジョニー・マーシャル」という人が本社に来て「南アで一番売れているギター・アンプはMarshall」というレポートをした…という話し。
「ジョニー・マーシャル」なんて名前は聞いたことがない。
恐らく名字が偶然「マーシャル」という南アの代理店の人なんだろう。P45ページ目。
P5パッと目に留まったのは一番上のコレ「Marshall at Ronnie Scott's」。
ヴィクター・フェルドマンがロニー・スコッツに出演してエレクトリック・ヴィブラフォンを演奏するにあたりMarshallを使用したというのだ。Jz「ロニー・スコッツ」はロンドンのソーホーにある世界的に有名なジャズのライブハウス。
2009年にMarshallは「Class5」の発表会をココで開催した。
みんなでバスに乗って工場から出発した。
この時は楽しかったナァ。

Rs ヴィクター・フェルドマンはロック的に言えばスティーリー・ダンの『Aja』他のレコーディングに参加したピア二スト、ヴァイブラフォニスト、パーカッショニスト。
ジャズ的に言えば、マイルス・デイヴィスがフェルドマン作曲の「Seven Steps to Heaven」や「Joshua」を取り上げている。A7ロンドンのオックスフォード・ストリートに「100クラブ」という、昔ローリング・ストーンズも出ていた老舗のライブハウスがあるのだが、コレはヴィクター・フェルドマンのお父さんが始めたお店だ。
何度も前を通りかかって一度入ってみたいのだが、今の出演者はパンク・ロックのバンドばかりで私にはチト性に合わないのでいまだに未経験。Img_0293新製品の広告。
1971~1978年に製造していた「Artist」というニックネームのモデル。
スタック・タイプの「2041」は「Two-Piece」と名付けてヘッドとキャビネットを組み合わせて販売した。
一方の2x12"のコンボは「2040」。
ともに出力は50Wでリヴァーブ搭載。
説明によるとMarshallのトップ・エンジニアが新しいコンセプトに基づいて設計をしたとか。
その結果、高音域と低音域がウマい具合にブレンドされた「Middle Fog」なるサウンドを実現。
リヴァーブ・ユニットはハモンド製だそうだ。NlこっちはMarshallブランドの宣伝。
まさに「破竹の勢い」というヤツだったんでしょうナァ。
勇ましいことがズラズラと書いてある。Ad_2この号、ページがまだ続くが以降は次回。
<つづく>

200

2026年6月 2日 (火)

犬神サアカス團:花、地獄に咲く花<後編>~私の谷中墓地(その21)

犬神サアカス團、4月の単独公演『花、地獄に咲く花』の後半。10v幣(ぬさ)を手にした凶子姉さんが歌うのは「人面庁」。20いわゆる「人面瘡」の歌。
この曲を聴くと手塚治虫の『どろろ』を思い出す。30v凶子姉さんが狂ったように振り回す幣が、まるでチアリーディングのポンポンのようにリズミカルに曲を彩る。
「人面瘡」ってのは日本だけかと思っていたらこの手の話しは海外にもあるんだってね。
アメリカに「エドワード・ルーカス・ホワイト」という作家がいて、『ルクンドオ(邦題:こびとの呪い)』という小説がよく知られているらしい。
明兄さん、読んでみて!40「ハチマキってどうなの?ってズっと思ってんだけどさ、ハチマキといえば『岩下志麻』か私かでしょ?
アッハハハハ!
岩下志麻の次に私が似合うと思ってるよ。
あの『卑弥呼』って映画を観た時、やっぱハチマキはヤベェって思ったしさ。
ホラ、あるじゃん?丑の刻参りとか。
みんなハチマキやった方がいいって。ハチマキやってるバンドなんてある?
誰もやらなかったね」45「岩下志麻」が「卑弥呼」を演じていたなんて知らなかった。
それにしても岩下さんはどうしようもなくキレイだよナァ。
好みにもよるけど女優さんの中で一番の美人じゃないかとさえ思っている。
あの甘くて太い声がまたいいんだわ。
「俳優は顔より声の方が重要」とさえ言われているからね、志麻さんは完璧なの。
恐らくアレは野村芳太郎の『疑惑』で「球磨子」の弁護士役を演じるために勉強をしに来ていたんだろうと思う…私が高校生の時、東京地裁のとある裁判の傍聴席で彼女が私のすぐとなりに座ったことがあった。
いいニオイだった。
岩下さんの清張モノといえばこれまた野村芳太郎の『影の車』も好きな作品。
小津さんの『秋刀魚の味』はもちろん、中村登の『古都』や『紀の川』の文芸モノ、小林正樹の『切腹』や今井正の『婉という女』、木下恵介の『死闘の伝説』というバイオレンス作品、どれもヨカッタ。
よくテレビに出て来る「茂木健一郎」という脳科学者は『秋刀魚の味』を60回以上観ているそうだよ。
ま、私ですら3回は観ているもんね。
でもダンナの篠田正浩の作品はニガテ。
そんな中、志麻さんのおススメを1本。
またまた野村芳太郎で1967年の『女の一生』という作品。
『女の一生』といえば、号泣せずにはとても読むことができない遠藤周作の同名の連作小説があるけれど、この映画はフランスのモーパッサンの方。
かなり原作に忠実に日本版に翻案されている。
岩下さんもいいけど、「左幸子」がまたいいんだ~。
今知ったけどコレは「山田洋次」が脚色に加わっていたんだね。
だから余計いいのかも。
凶子姉さんが「岩下志麻」なんて名前を出すから予定外の脱線をしてしまったわ。O1 「春…ナニか新しいコトありますか?新しくやろうかナァとか、ナニか買おうかナァとか」50「犬神明です!」
60「ヤッパリね、春だからやりたいことが結構あるんだよ。
その1つがヨガだね。
ズッと言っているんだけど、そろそろ本気でやろうかな…ホットヨガ。
普通のストレッチにもなるし、運動にもなるし、いつかやりたいと思っている。
身体は全然硬いです。
あとは動画編集に最近ハマってる」
最近、明さんは昔の「犬神サーカス団」時代のレアな動画を掘り起こしてSNSで公開しているからね。
まだまだ超貴重なマテリアルがあるんだってよ。
ということで明兄さんの動画編集に期待。
何しろ8mmのフィルムも残っているのだそうだ。70v明兄さんの「春」が終わったところで演奏のコーナーに戻る。
曲は「太陽を待ってる」。
80さあ、この辺からクライマックスに向けてジリジリと盛り上がって行くよ~!90v明兄さんのドラムスをバックに…100この曲の見せ場の凶子姉さんとONOCHINの掛け合いが始まった。110リッチー・ブラックモア役のONOCHINがメロディを弾く。120vその図太い音はMarshallから。
ONOCHINが使っているのは「JCM800 2203」と「1960A」、加えてエフェクト音用の「ORIGIN20」だ。130ONOCHINが弾いたメロディをイアン・ギラン役の凶子姉さんがなぞっていく。125vコレで盛り上がっておいて明兄さんのドラムスがシャープなグルーヴをヒネリ出す。140v明兄さんが叩いているのは愛用のNATALのアッシュのキット。150「さぁ~みんな!次は私たちと一緒に踊ろうか!
手を伸ばしたり、足をブランってやったり、背中が痛いかな?ってならないようにチョット身体を動かして!
大丈夫かな?大丈夫かな?
じゃあ行くべ!『栄光の日々』!」160ギターと掛け合いの敦くんのベースが今日もカッコいい!170vお客さんは凶子姉さんと一緒に大きく手をフリフリ。180歌メロをウマい具合に取り込んだギター・ソロもバッチリだ!190v凶子姉さんの指導でみんなで身体を動かして楽しいね!200ONOCHINが弾く「アメリカ国歌」。210vそして凶子姉さんがタンバリンを手にすればそれはもう「ビバ!アメリカ」。220明にいさんと…230v敦くんのシャープなロック・グループに乗って…250v「♪ABC、LSD、CIA、USA」
凶子姉さんは「私の病気はアメリカ」、「あなたの病気もアメリカ」と歌うけど、今やアメリカの方がよっぽど重篤な病気に罹ってしまった感じですナァ。
まさかこの期に及んで「絶対君主の国家」が誕生しようとは!どうなるアメリカ!240「どうもありがとう。
みんな踊ったから疲れたでしょ…チョット座ってみるか。
こんなに座って観るのに慣れると他のライブには行かれないって。
ウチしか来れなくなる日が来るって。
HEAVEN’S DOORさんにお願いしてイスを買ってもらったんだよ。
スゴイよ」250「HEAVEN’S さんには昔からお世話になってるんだよね。
いつも無理をきいてもらって色んなことをやらせてもらいました。
そして椅子まで買ってくれた。
ところでキョンピはどうですか?今学期からやりたいこと」260「一昨年30周年の時にコノ衣装にして、そのまま去年も着ていたのね。
ナンかわからないけど気に入っちゃったから。
だから今年はチョット衣装を新しくしたいなぁ~とは思ってます。
兄さんたちの衣装はチョットまだわかんないけど…このままかもしんないね。
でも今のは悪くない。キラキラだもん。
顔がメッチャ光ってる。大事なことだ。
ということで今年は衣装を新しくしようかなぁ~と思ってますので楽しみにしててください」118a0118さて今日の単独公演もクライマックス。
となると出てるは当然客席との「ロックンロール」の掛け合い大会。
明兄さんのドラムスに合わせて…290 「ロックンロール!」
「暗黒礼賛ロックンロール!」280 「やっぱりコレが出て来ないと!」的に出て来た定番中の定番。300v ONOCHINが台に上がっていつもながらのシャープなソロを展開。310 凶子姉さんと敦くんがそのすぐ後ろで盛り立てる。
コレもこの曲ならでは光景。320 「さぁ~、次はコレだ!『自殺の唄』いくぜぇ~」330 「♪死ね!死ね!死んじまえ!」340v 「♪死ね!死ね!死んじまえ!」350v 「♪死ね!死ね!死んじまえ!」
360v縁起でもないこのドライビング・ナンバーはいつも大ウケだ!370 そして本編の最後を締めくくったのは珍しい…「犬神天国~ロックンロールファイヤー」。380 狂ったように頭を大きく振るお客さんを血気溢れるパフォーマンスで応えた4人!390v 400v 410v 420v そしてすぐさまアンコール。430 もちろんアンコールはコレから。440 コレがなくてはアンコールが始まらない…450 「カワイイ音頭」!460 「アンコールありがとうございます。
お知らせがあります。
次のワンマンは6月日20日、ココ三軒茶屋HEAVEN’S DOORです。
タイトルは『無知なヤツラのユートピア』…『理想郷』と書いてユートピア。
コレがわかる人は昭和だね。
私たちは楽しくやっています。
これからもみななさんと一緒に楽しく演っていきたいと思います!」470v アンコールでは「花嫁」と「命みぢかし恋せよ人類」を熱演。
今日もいいライブだった!480メンバーがそれぞれ台に上がってお客さんにお別れのご挨拶。490 500 510 520いつも賑やかな犬神サアカス團の物販。
118a0561ビデオ類やこれまで見たことがないアイテムが増強されて…118a0560今回も大盛況だった!118a0563






次回はコレね。530v 犬神サアカス團の詳しい情報はコチラ⇒犬神サアカス團公式ウェブサイト540_2<おしまい>
  
☆☆☆私の谷中墓地(その21)☆☆☆

続いては「乙6号」のエリア。
ブラっとお墓を見て歩いていると、どんな人かは全く知らなくてもお墓の規模と名字を見ればだいたいその墓の主のステイタスが想像できる。
そして試しにインターネットにその墓の主の名前を入れてみると、案の定大半がウィキペディアに出ているような人ばかりだ。
例えばコチラの「綾小路」さん。
そしてこの墓石の立派さ…もう絶対にいい家柄にキマってるじゃん?Photo_6このお墓の主は「綾小路有良(ありかず)」さん。
で、調べてみると…アタリ!
綾小路家16代目の当主にして雅楽家。子爵。
綾小路さんのところは代々「郢曲(えいきょく)」の師範を務めているようた。
郢曲というのは、平安から鎌倉時代にかけての歌モノの宮廷音楽のこと。
「伊福部昭」さんが「鬢多々良(びんたたら)」という郢曲を作っているというので聴いてみると…雅楽のインストだった。
なかなかいいもんですよ。1_下の方が綾小路有良さん。
侍従に任ぜられ孝明天皇や明治天皇に仕え、1886年から「歌会始」で「披講」の発声を担当した。
「披講」というのは、「♪ちは~や~ふる~~ かみよ~もきかず~」みたいに節をつけて歌を詠む係のこと。
有良さんは3オクターヴの声域を持っていたそうです。
しかし、千年以上も続いている歴史があるだけあって雅楽の世界もスゴイね。
仕組みやしきたりがゼンゼンわかりません。Aya続いては敷地内に碑が立っている立派なお墓。1_4コレは「重野安繹(しげのやすつぐ)」という江戸末期から明治初期に活躍した薩摩藩出身の漢学者、歴史家で「実証主義」を提唱した日本歴史学研究の泰斗。
墓石にあるように日本で最初の文学博士。2v_2何でも同僚の金を使い込み、奄美大島に流されたというからエライんだか悪いんだかわからん。
その流刑先の奄美大島で西郷隆盛と出会ってセゴドンに漢詩の指導をしたという。Photo_8撰文は貴族院議員で従五位勲二等の文学博士「小牧昌業(こまきまさなり)」
篆額は京都帝国大学教授で同じく文学博士の「内藤虎次郎」先生。
柴又の「寅さん」と同じ名前だけどエライ違いだ。3v_2「信欣三」という俳優のお墓。
「信(しん)」さんというのはご本名。「信金蔵」さんとおっしゃる。
おジイさんは尾張藩士で幕末には幕府軍に参加して箱館戦争を戦ったという。1_5私は古い映画が好きでここ数年は1950~1960年代の作品に夢中になっているが、このシリーズを書き始めるころまでは、正直「信欣三」というお名前は全く意識していなかった。
つまりお墓でこの俳優さんを知ったのだが、知らないウチにこれまで信さんが出演している映画をナント数多く観ていることか!
「エ~、アレにも出ていたの?コレにも出ていたの?」の連続。2_2この方が信欣三さん。Shin一方、下は「殿山泰司」のエッセイ。
まぁ、全編フザけているとしか思えない文章で読みにくいことこの上ないが、昔の映画界のことがたくさん記してあってとてもオモシロい。
私は役者のしての泰ちゃんが好きなのです。
で、この本に信さんのことが書いてある。
信さんの実家は銀座5丁目か6丁目にあった「函館屋」という食料品店で、日本で最初にアイスクリームを販売した店なのだそうだ。
そういう泰ちゃんの実家も銀座5丁目にあった有名なおでん屋「お多幸」だからね(現在は日本橋で営業中)。
銀座地区ということで2人は有名な「泰明小学校」のOB。
信さんの方が先輩で肝臓がんで亡くなった大酒飲みの泰ちゃんより飲んだらしい。12_img_5055「チョット待てよ!日本で最初のアイスクリームは横浜の元町じゃね~のかよ?」と思われる向きもあるかも知れない。
下は元町にある「アイスクリーム発祥の地」のオブジェ。
コレね、確かに日本で最初のアイスクリームを作って横浜の馬車道で販売したのが「町田房造」という人だった。
ところが、一般市民向けにアイスクリームを売り出して日本で最初の専門店となったのが信さんの実家の「函館屋」なのだそうだ。
上に書いたように信さんのおジイさんは五稜郭で新政府軍と戦った人。
その時、幕府を支持していたフランスの軍人からアイスクリームの製法を教わったそうです。Ic 少しだけ信さんの出演作を紹介しておくと…例えば1957年の小津さんの『東京暮色』。
コレは小津作品の中で最も陰鬱な内容で、私も2度ほど観たがあまり好きではない。
ネコちゃん(有馬稲子)ファンの私としては、この役どころがチトつらいのだ。
でも「明治大学」の校歌がフルコーラスで歌われるシーンがあるのはうれしい。4vpコレは最近観たんだけど同じく1957年の『青空娘』。
O0666086414862640326若尾文子の映画も一体どれだけ観たかわからないが、若い頃は本当に可愛いかった。
ハッキリ言って、もうどうしていいのかがわからないぐらいカワイイ。
役どころも多彩で、しかもその演技のどれもが素晴らしいときてる。Azm1954年、山本薩男の『太陽のない街』。
コレは「共同印刷」の労働争議をモデルにした社会派の作品。
信さんはそうした社会派や文芸系のシリアスな映画への出演が多かった。
とにかく立派なフィルモグラフィだ。3vpココも立派な墓所で…1_6東京都が説明版を取り付けている。24幕末から明治にかけての公卿「大原重徳(おおはらしげとみ)」のお墓。
知ってる?
東京都がワザワザ説明板を取り付けるほどスゴイ人なのか?…って思うでしょ?2v_3この人が重徳。
簡単に言って幕末にギンギンに攘夷を唱えて、「一橋慶喜」を将軍に、福井藩主の「松平春嶽」を政治総裁職という要職につけることを実現させた立役者というワケ。
説明板を取り付けた方がよいビッグな人が谷中には他にゴロゴロしていると思うんだけどナァ。
きっと私の理解が浅すぎるんでしょう。Photo_9墓所の奥にある碑には「閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)」の撰文が彫り込まれている。3v_3<つづく>
  
200(一部敬称略 2026年4月26日 三軒茶屋HEAVEN'S DOORにて撮影)