Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.5(最終回)~私の明治村 <後編>
ようやく5丁目の見学を終わらせて4丁目に降りて来た。
しかし、暑いナァ~。
さっき犬山で雨が盛大に降っていた時はうすら寒かったのに。
このエリアは今までとはガラッと雰囲気が変わって庶民的な木造の建物が並んでいるぞ。
コレは大阪の池田にあった「呉服座(くれはざ)」という芝居小屋。
明治25年の建造だそうだ。
池田ネェ…私はしばらく箕面に住んでいたことがあったので、あのあたりの土地勘はある程度持っているつもりだが、池田に芝居小屋ネェ…。
歌舞伎の地方公演や演芸に使われていたそうだ。
なるほど。
それだけに回り舞台になってるんだって。
さらに、政治の講演会の場としても使われていたのだそうだ。
よく映画やテレビドラマのロケで使われているらしいよ。
そうそう、アチコチの展示物に「NHK朝のドラマ〇〇のロケで使われました」とか「NHKの大河ドラマの撮影をココでしました」みたいな表示が付いてたナァ。
ウチは両方とも絶対に見ないので面白くもうれしくもなかったけどよ。
焼津から移築してきた小泉八雲の避暑の家。
別荘というワケではなくて、夏になると八雲は東京を離れて、この山口乙吉という魚屋さんの家に身を寄せていたのだそうだ。
今は駄菓子屋になっちゃってる。
しかし暑いな…と外でボーっとしていると、「ハイ」と家内が声をかけて何かを差し出してきた。
何かと思ったら凍らせた「あんずボー」。
ウチはコレに目がなくてね~。
普段、アミノ酸だの人工甘味料だのと騒いでいるけど、コレだけは許す。
ナニを含有しているのかは今でも知らないんだけどね。
子供の頃から大好きで、昔は5円で売ってた。
今でも夏になるとアメ横の「二木の菓子」へ行ってまとめて買って来る。
コレね、浅草にある「港常(みなつね)」という会社が生産してるんだよ。
下がその本社社屋。
立派でしょう?「あんずひと筋」だよ。ステイタス・クォーの「ブギ」みたいなもんだ。
この「あんずボー」ね、かなり古い歴史があるよ。
港常は大正4年の創業のあんず加工メーカーで、戦前に干あんずが輸入された。
すると、長野の更埴出身の、時の2代目社長の奥さんが「チョイとオマイさん、このままじゃ安い輸入あんずにヤラれてオマンマの喰い上げになっちまうよ!アタシが口を効いてやるから、あんずの木が生えている山を丸ごと買っておしまいよ」と杉村春子っぽく言ったかどうかは知らないが、山ごと買っちゃった。
更埴というのは更科と埴科が合体したところで、「森」というエリアに「ひと目百万本」といわれるほどのあんずの木が生えている。
ちなみにこのすぐ近くには長野自動車の「森トンネル」という長い隧道があるが、ここの現場プラントに納入するセメントを担当したのは私です。
で、あんずの木って、桜を思いっきり低くしたような感じなのね。
だから、桜のように見上げることなく、目の高さで可愛らしいピンクの花を目にすることができる。
そんなだから、開花の時期はスゴイよ、観光客でゴッタ返しちゃって。
でも、この時に売っているあんずの実はすべて前年に収穫されたモノです。
で、その後港常はどうなったか?
その2代目社長の弟さんが独立して「あんず水」というあんずボーの前身のようなお菓子を開発。
コレがアホほどヒットして、とても生産が追い付かず、弟さんは権利を港常に譲渡したのだそうだ。
あんずって長持ちしないんだって。
だから賞味期限内に配送できる範囲でしか「あんずボー」が販売できないため、関東近郊でしか売っていなかった。
今でも東京からの遠隔地では販売していないようだけど、どうなんだろう?
名古屋では売ってる?
その後、「あんずボーを凍らせるとおいしさ倍増!」という評判が立ち、冷蔵庫の普及とともにガンガン売れたんだって。
ただし、長野のあんずではとても生産に追いつかず、また原価も嵩むことより昭和20年代から中国のあんずを使っているそうだ。
今、駄菓子屋なんてないじゃない?
「あんずボー」も売り場を失ったかのように思えたけど、どころがドッコイ、スーパーでまとめ売りしたところ、コレがまた大当たりしたんだって。
さもなきゃ東京のど真ん中でこんなビルを構えてないわな。
あんず恐るべし!
「東海の小島の磯の白砂に 我泣きぬれて 蟹とたはむる」…石川啄木ね。
この下の家は文京区の本郷にあった「喜之床(きのとこ)」という床屋さんで、石川啄木がこの2階に住んでいたのだそうだ。
伊勢にあった郵便局舎。
明治42年の建築。
シナゴーグみたいでカッコいいデザインだ。
日本テレビが移転して来て再開発が進み、スッカリ賑やかになってしまった汐留だけど、明治の末期には火力発電所があったそうだ。
もっとも一般の家庭に供給する電気ではなくて、近くの新橋停車場のために発電をしていた。
それにしても、あんなところに火力発電所があっただなんてネェ。
マァ、小津安二郎の『東京物語』にも出てくる「オバケ煙突」で有名な東京電力の千住火力発電所を考えれば大したことないか?
ロンドンのバタシーしかり。
上の煙突の跡のとなりにあったコレが面白かった。
日本の鉄道の先生ってイギリスでしょ?
下は新橋にあった「鉄道寮新橋工場」なる明治5年に建てられた今で言うプレハブの建物。
柱、サッシ、壁板、すべてイギリスから持って来たんだって。
柱には「Hamilton Windsor Ironworks Ltd」という銘が入っている。
リバプールの会社だそう。
リバプールというのは18世紀は世界有数の港町だったからね。
ナニで栄えたか知ってる?
そう、奴隷貿易。
でも面白いのこの建物のガワタではなくて中身。
中身が面白かったので、この建屋の全景の写真を撮り忘れたよ。
鉄道とは全く関係ないんだけど、紡績をはじめとした古式ゆかしい機械がズラリと並んでる。
このPlatt Brothersというのはイギリスの紡績機械を作る会社。
なんと創業は1770年だって!
今でもあって、従業員15,000人を抱える大手企業だ。
日本経済の礎はナント言っても生糸と紡績だからね。
特に生糸に関しては、ダントツで世界一のクォリティを誇っていたのだそうだ。
こういう古い機械ってのはカッコいいね。
重々しくて、頑固そうだけど、いい仕事をします…みたいな。
何しろウチの製品もいまだに真空管を使ってますもんで!
コレは名古屋の「衛戍(えいじゅ)病院」の中の展示。
こういう古い看板とか広告ってのも実にいいよね。
「衛戍病院」というのは、旧陸軍が衛戍地に設けていた病院のこと。
しからば「衛戍」とはナニか?
大日本帝国陸軍の軍隊が永久に駐屯することを「衛戍」という。その場所が「衛戍地」。
この…といっても外観の写真がまたしてもないんだけど…衛戍病院は終戦後に連合軍に接収され、「国立名古屋病院」になった。
当然、軍隊とともに「衛戍」というシステムも言葉も無くなった。
コレはレントゲン関連の機械。
ちょっとカル・シェンケルっぽくてカッコいいじゃん?
コレは「無声堂」という名の金沢の第四高等学校の武道場。
大正6年の建築。
ちょうど何かのイベントをやっていて、「無声堂」どころかワイワイ若い人で賑わっていた。
『おれは鉄兵』に出て来るような、いかにも「道場」らしい道場だ。
ブラジルはサンパウロから移設した日本人移民の住宅。
ウチにはとても仲良しの日系ブラジル人の女性がいてね、興味深く見学させてもらった。
チョット日本家屋っぽいのは、現地の日本人大工が作ったから。
明治41年、781人でスタートしたブラジルへの移民渡航者は最盛期に年間20,000人にも上ったという。
コレらはコーヒーを栽培する道具。
辛抱強い日本人は想像を絶する過酷な生活に耐えたのだ。
外観は日本家屋っぽくても、風土に合ったブラジル式の構造が取り入れられている。
この半分開放しているような屋根もそうなんだって。
「橋」にちなんだ人情話を集めた藤沢周平の『橋ものがたり』。
井上ひさしがこのアイデアを耳にして「やられた!」と大変悔しがったという。
いいよね~、藤沢周平って。
時々、無性に読みたくなる。
…ということで、マーブロの「橋ものがたり」を<前編>の新大橋に続いてひとつ。
イヤ、大したことはありません。
コレは大田区の蒲田と川崎を結ぶ多摩川に架かっていた「六郷橋」。
明治5年に日本で初めて鉄道が開業した時、新橋・横浜間に架かっていた橋はすべて木造だった。
本当は鉄橋にしたかったんだけど、日本にはまだその製造技術がなかった。
さりとて、イギリスから輸入していたのでは間に合わない。そこで木造で架橋することに踏み切ったんだって。
そして鉄道が開通して、複線にする時に日本で初めての鉄橋が導入された。
コレがその日本で初めての鉄橋。
ホラ!
またHamilton Windsor Ironworks。
日本にとってリバプールはビートルズだけじゃないんよ!え!マージ―で?…ナンチャッテ。コレが言いたかった。
橋ものがたり、終わり。
この灯台は古いよ。
明治3年(1870年)の建設。
1858年にアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスらの列強5か国と結ばれた条約によって各地に港が開かれたが、ヤイノヤイノと関税他についてうるさいことを言い出したもんだから、1866年に新しい条約を交わすことになった。
その新しい条約に「外国船のために灯台を作る」という文言が入っていた。
で、作った灯台のウチのひとつがコレ。
当時、日本には灯台建設の技術がなかったため、フランス人技師の指導を受けた。
だから風見鶏の方位を示す記号がN(north)S(south)E(east)W(west)ではなくN(nord)S(sud)E(est)O(ouest)とフランス式になっている…へんなの。
この辺りでようやく3丁目。
このエリアで目を惹くのは西園寺公望(さいおんじきんもち)の別邸、「坐漁荘」。
ボランティアの人が色々と説明してくれて面白かったな。
実に細かいところまで公望の希望が組み込まれていて、建築の際にも監督が厳しかったらしい。
大工さんはイヤだったろうナァ。明治時代、最後の総理大臣だからね~。
こちらは墨田区の東向島にあった幸田露伴の住まい「蝸牛庵」。
「蝸牛」ってのは「かたつむり」のことね。
はい、幸田露伴といえば、尾崎紅葉と並ぶ明治の文豪ですね。で、代表作は「五重塔」。
ココまでは誰でも知ってる。
でも、幸田露伴について、我々はそれ以上ナニを知っているというのだ?
「五重塔」すら読んだことがない私が言えた義理ではないが、ほとんどの人は「五重塔」で終わっちゃうのではないか?
それなのにナンでこんなに有名なんだ?…なんてことを、ココのボランティアの係りに人に話したら、「……ホントですね~」とのお答え。 港区にあった「北里研究所」を通りすぎていよいよ2丁目へ。
しかし、こんな建物が東京にもゴロゴロしていたんだもんね~。
ステキだったろうな~。
明治31年建設の札幌電話交換局。
北の電話交換局といえば樺太の「真岡事件」。
コレは近々詳しくMarshall Blogで取り扱います。
安田銀行会津支店。
安田銀行を創設した安田善次郎はオノヨーコの母方のひいジイちゃんだ。
ヨーコさんの父方のおジイちゃんは著名な銀行家の小野英二郎、ダディは東京銀行の常務。
手がつけられないほどのお金持ちのお嬢さんなのだ。
ちなみに凶弾に斃れたヨーコさんのダンナさんは元ビートルズのジョン・レノンさん…コレは誰でも知ってるか。
その前の旦那さんは誰だか知ってる?
先頃文化勲章を叙勲した作曲家の一柳慧(とし)。
もう好きにすれば良いじゃないか。
でもね、今の若い人…どころか若いミュージシャンもビートルズのメンバーの名前が言えない子が多いんだよ。
コレも立派だったナァ。
東山梨郡役所だって。明治18年の建設。
もうこの頃にはヘロヘロ。
朝、あの喫茶店でホットドッグを食べてから水以外何も口にしていないし、ズッ~ト歩きっぱなし、立ちっぱなしなんだもん!
ほとんどウンザリしながら最後の1丁目へ。
しかし、コレもスゴイな。
昔の三重県庁舎。
コレが明治村の正門なのよ。
一応、全部見た…ということで。
オイ、チョット待てよ~!
「全部見た」はいいけど、これからあの駐車場まで歩いて戻れっていうのか?
ずっと上りなんだぞ!
あ~、ムリムリ。無理です。
誰か車を持って来て!…というワケにもいかず…。
有料とは知っていながら例のシャトルバスにご厄介になることにした。
チケットを買って…と。
オイ、チョット待てよ~!
500円も取るのかよ~!タッケェな~。
と思ったら、1日何度でも乗り降りし放題なんだって。
バスの中ではかなりの名調子で運転手さんが建物の解説をしてくれる。
お年寄りなんかはコレを利用して見て回るんだね。
ナンのこたぁない、自分が「お年寄り」なんじゃねーか!
ハイ、駐車場に到着。クタクタだ~。
オイ、ちょっと待てよ~!
これから東京まで運転して帰るんだぜ~!
ということで、今回の「私の〇〇」はライブ・レポートよりお先に終了させて頂きます。
最後までご高覧頂きありがとうございました!
さて、ELLの方もいよいよ大詰め!
SNIPERを終えたトシさん、「みんな大丈夫?まだ元気ありますか?」
「オオ~!」客席からは元気な反応。
さっきからACEさんに代わってMCを務めているKAZUさん。
「今日のイベントにもいよいよリーチがかかったね。長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。
トシと増井と赤松は同世代で、赤松が生前に作ったCDが3枚あります。
奥さまが『お聴き頂けるのであれば持って行ってください』ということで預かっています。
死ぬ間際までいい音を作っていました。
どうか皆さん、聴いてやってください」
MarshallとSGのコンビネーションでシゲさんも負けじと応戦。
もう最近は長いこと「ギターを欲しい」なんて思わなかったんだけど、近ごろメチャクチャSGが欲しいと思ってるのです。
理由は特にない。
だけど、ナンカ惹かれているんだよね~。
あ、アンプは大丈夫です。
ヤスさんもタフだな~。
この巨岩がゴロゴロと転がり落ちていくような激しい曲でも涼しげにスティックをさばいてる。
これで10バンド目だからね。
トシさんはひとつ少なくて9バンド目。
やっぱり元気だわ~。
見て、ステージの上下でシゲさんとギンギンに角を付け合わせてる。
1曲だよ。
15分で1曲。
コレで言いたいこと、演りたいことをすべて吐き出した。
カッコいいじゃあ~りませんか!
さぁ、さぁさぁさぁさぁさぁ、もうカレコレどれぐらい押してるんだ?
んなことはどうでもいいか!
泣いても笑ってもいよいよ『Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル"生涯現役でいこみゃ~か"』の最後!
皆さん、一番最初に誰が出たか覚えていますか~?
覚えていない人はコチラを読んで復習してからこの先に進みましょう。
色々あったな~。コレで終わっちゃうの寂しいな~。
演奏前に主役の2人からひと言。
「最後まで本当にありがとう!リハからアクセル全開で演ってます。最後はGONZで〆たいと思います」
「みんなが還暦になった時に思い出してね…コレぐらいのことはできるって。赤松他、先に逝った人たちにも感謝の気持ちを込めて演ります」
トリを飾ったのはキーボーズ・トリオのGONZ。
曲はアルバㇺ『Instrumental Trance Phenomena』のクローザー、トシさん作の「Circle of Mind」。
このアルバム、いいんだぜ~。
キーボーズのトリオというとThe Nice、Egg、ELP、Refugee、UK、Quatermas、Trace等々、歴史的にはそんなに珍しいモノではないけど、GONZはどれにも近くない独特の存在なんだよね。
トシさんとも話したんだけど、このアルバム、仕上がりがエラくワイルドで粗削りなのね。それがすごくカッコいいのよ。
曲はメジャーのミディアム・スロー。
コレを最後の最後に1曲勝負で持ってくるなんでズルくない?
感動してまうでにゃ~か!
そして表情豊かなヤスさんのドラミング。
なんかギターがいないのにパット・メセニーの音楽を聴いているような幸福感に包まれる。
もしくはZappaの「Watermelon in Eastwr Hay」みたいな感動だ。
そのGONZ、今新しいアルバムをレコーディング中なんだって!
トシさんはEDENのTerra Novaをガンガン使ってくれているし、
Talkeyさんもオルガン様に1987Xを使ってくれているようだ。
最後はステージ全員集合。
ジャムセッションなんてなくていい。
もうコレでいいんだってば。
「おめでとう」を連発するワケでもなく、主役が挨拶を考えて来ないような実にリラックスしたお祝いのコンサートだった。
ま、確かに予定をはるかに超過してかなりの長尺となったが、イベントはある程度仕方ない。
ヘタをするとここから、「ハイ、じゃ、そっちから全員ひとことずつ…」なんてイベントもあるからね。
もう音楽で十分語ったハズなんだからそんなことしなくていいの!トシさんとヤスさんは色んな音楽を演ってきたんだね~。
しかし、うらやましいね。
昔からの仲間がこうして集まって音楽で友達を祝福するなんて。
コレも名古屋だからなせるワザでしょう。
東京や大阪ではなかなかこうはいかない。東京や大阪は集まって来る場所だから、いつかみんないなくなっちゃう。
それに規模が大きすぎる。
その点、名古屋は丁度いいサイズなんじゃないかしら?
才能ある人材も確保できるし、規模が大きくないゆえに横のつながりが強固になる。
カッコよく言えば、60年代のロンドンのロックシーンみたいなモノか?アメリカの都市だと広すぎちゃう。
ケンカしちゃうとやりにくいだろうけどね。
さらに「尾張名古屋は芸どころ」だから!
名古屋はある種、音楽の都なのかも知れないよ。
そもそもいいライブハウスが多いもんね。
コレが今シリーズ最後の脱線になるけど、歴史をひも解くとその理由がわかる。
享保年間、江戸では8代将軍吉宗(「暴れん坊将軍」ね)が前代未聞の緊縮財政をひき、爪に火を灯すような倹約を強要していた頃、尾張徳川家7代藩主の徳川宗春は、祭りや芸能を奨励し、ジャンジャン消費を推進したんだね。
遊郭や芝居小屋も公認して名古屋に芸能ブームを巻き起こした。(江戸では風紀を乱すとして、歴史的に芝居小屋の規制も厳しかった)
この伝統が息づいているに違いない。
でも、コレは宗春のヤキモチによるモノで、吉宗への当てつけでこんなことをしたのかも知れないよ。
吉宗は徳川宗家の出身ではなくて、宗春と同じ徳川御三家のうちの紀伊の出身だから。
そして、名古屋にはうまいもんがたくさんある。
今回も白川で「ひつまぶし」を頂きました!
もうひとつ。
仲間がいるから続けているからか、それとも続けているから仲間がいるのか、どちらかわからないけど…両方かな?…とにかくみんな音楽から離れていないところがスゴい。
何事も続けなければ何にもならないもんね。
それにはやっぱり健康第一ですわ。
どんなにいいギターを持っていても、健康でなくては弾くこともできやしない。
13ものバンドを見ていて、私も久しぶりにバンドやりたくなっちゃったよ。
私とバンドを組むとMarshall GALAに出れるよ…こういうのを「職権乱用」とか「公私混同」とかいうんだけどね。
最後に主役の2人から本当に「ひと言」。
「チョット疲れ切っています!みんな、どうもありがとう…最高!」
ハイ、記念撮影。
きっと赤松さんもどこかにいらっしゃると思うよ。
みなさん、最後までお疲れさまでした!
超末筆になってしまいましたが…
トシさん、ヤスさん、還暦おめでとうございます!
これからも名古屋においてのギンギンの音楽活動を楽しみにしています。
とにかく健康第一!
GONZのニュー・アルバム楽しみに待っています!