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2017年1月11日 (水)

EDGE OF STRINGS II <前編>~Strange, Beautiful, Loud:私の元町

先週の金曜日に掲載した今年最初のMarshall Blog。
見てくれた?
年始めのことだからして、干支のことに触れ、大昔はなぜ元号を頻繁に改めたかの理由のひとつを記した。
そして、「『酉』の年は革命の年で世の中が大きく変わる」と言われてきたことについても書いた。
すると、昨日今日のニュースで「平成は30年までで改元する」ようなことが報道されているではないの!
日本政府はMarshall Blogが大好き…ということがコレでわかった。
ますますヘタなことは書けないな~。
Marshall Blogの記事で世の中がコロコロ変わっちゃ皆さんに申し訳ないもんな~。
そんなことも考えつつ…そんなバカな…今日は無難に観光案内から。
このMarshall Blogの観光案内、決してネタがなくてやっているワケではござんせんからね。
イヤ、実はこの件が皆さんにご迷惑をおかけしているかとチト心配していたんだよね。ところがつい先日、著名な大ギタリストから惜しみのない大賛辞を思いがけず頂戴してビックリした。
特にあの松阪&伊勢の回をお気に召して頂いたようで、「本当におもしろかった!ああいうのもっとやって!」とリクエストを頂き、いい気になっているところでの今日の観光案内。
  
今日は近場だ。
お好きでない方はどうぞご遠慮なくツツツ~っと飛ばしちゃってくだされ。
今日来ているのは、「石川町」。
今や大阪を抜いて日本で二番目の都市となった横浜。その横浜駅から根岸線で三つ目の駅。
かつては近辺にフェリスや横浜双葉等、女子高が7つもあったため、マニア垂涎の「女学生の駅」と言われていた。
登下校の時間になると駅は女学生であふれ返ってしまう。
一方、駅の前を流れる中村川の向こう側には、あいりん、山谷に肩を並べる「日本三大ドヤ街」の一角、寿町が広がる。
建ち並ぶ「山手」の豪奢な住宅エリア。他方、プスプスとガスが沸き上がるドブ川に沿ったドヤ街…まさに黒澤明の『天国と地獄』の舞台のようなところだ。
チョット脱線。
『天国と地獄』の室内のシーンはほとんどがセットで撮影されたが、ロケのシーンは横浜の伊勢佐木町等で敢行された。
映画に登場する、阿片窟は黄金町とされているが、アレは架空の設定で実際は寿町がモデルになっている。モノの本を読むと、1962年当時、撮影に行った際は実際にかなりコワかったらしい。
黒澤映画の大きな特徴のひとつはパンフォーカスと言われるタッチで、カメラのレンズを思い切り絞る。一眼レフをやっている人ならわかると思うが、そうすると被写界深度が浅くなり、画面の端から端までにピントが送られる。
その代わり画面が暗くなってしまうので、大量の照明が必要となってくる。するとどうなるか…室内のシーンなどは現場が灼熱地獄だったらしい。
それだけでなく、あまりにも照明が明るいため、役者さんが目を傷めてしまったという。
これは主役を演じた香川京子の回想。
香川京子って品があっていいよナァ。
『どん底』の時はものすごく可愛かった。『悪い奴ほどよく眠る』もすごくよかった。
昔の女優さんは洋の東西を問わず、実に「女優然」としていた。今のガラッパチの若い女優とは異なり、美しいだけでなくどこか威厳を感じさせたものだ。
ほとんどの役者さんが黒澤明にどやしつけられる中、彼女だけは一度も怒られることがなかったらしい。すごく可愛がられていたようだ。
脱線おわり。
  
さて、昔はこの中村川には無数の船が不法で係留されて川面が見えないほどだったんよ。いわゆる「水上のスラム街」を形成していたワケだが、今ではその姿をスッカリみなくなった。アレ、どこへ行っちゃったんだろう?
ほど近い真金町には金毘羅大鷲神社があって、子供の頃、一度親に連れられて酉の市に行ったことがあったが、大きな見世物小屋が設営されていて、至るところに傷痍軍人の方々が立っていた光景をすごくよく覚えている。
あの見世物小屋ってのがすごく衝撃的だった。
その時は入れてもらえず、後に浅草で一回だけ入ったことがあった。タコ女とか「何とか男」とか…やっぱり衝撃的だったな。
さて、また近くにはかつて「十全病院」という、今の横浜市立大学医学部付属病院の前身があった。
そこにはかつて「巨人病」という、ホルモンのバランスに支障をきたすことにより身体が際限なく肥大化してしまう患者がいて、病院の窓から足が飛び出していたという話を聞いたことがあった。
そんな、たけしの漫才じゃあるまいし、そんなことはよもやあるまいが、何せ子供の頃のことだったので実に驚いたものだ。
昔はのんびりしていて、まだ、医療器具が置きっぱなしになっていた建て壊し前の古い病院の設備に自由に出入りすることができ、叔父につれられて昼間の肝だめしに行ったことがあった。
どうして、東京生まれ&育ちの私がこのあたりの昔の話を知っているのかというと、母の実家がこの近くで、幼いころから何度も行き来していたからなの。

10_2ココの駅は構造上の理由なんだろうけど、いまだにホームと地上を結ぶエスカレーターあるいはエレベーターが設置されていない。

20v お隣の関内駅もそうなんだけど、こんなにホームが高いのに昇降機がない!
建造物の構造上の理由があるのかもしれないけど(あるようにはとても思えない階段の幅員)、かなり不親切だぜ。

30駅前の通り、昔は本当に何にもなかった。これでもかなりにぎやかになった方だ。
ま、この先に元町の商店街があるので、ここで商売しても立ち行かないんだろうね。

40ああ~、この二階、司城さんっていう耳鼻咽喉科があってしばらく通ったことがあったんだけど、なくなっちゃったね。

50_2駅を背中に大通りを渡る。
この通りは何ていうんだろう?
右手を見る…このトンネルを抜けるとそこは本牧だ。
私が大学生の頃までは、本牧はまるでアメリカの街のようだった。
かつてはアメリカ海軍の居留地があって、今でいう横田基地のようなものだが、街の雰囲気は今の福生どころではなかった。
便が悪く、バスで訪れるしか公共の交通手段はなかった。
バスの窓の外の光景はと言えば、ある地点から街の中の看板がすべて英語に変わり、完全に日本ではなくなってしまう。
私は当時アメリカに行ったことはなかったが、「コレがアメリカか~!」なんて錯覚してしまう雰囲気だった。
「日本で最古」といわれた「Lindy」なんてディスコもあったが今はどうなっただろう?
70_2
そして、横浜元町へ。
我々東の人間は「元町」といえば問答無用で横浜の元町を指すが、西の方々には神戸の「元町」ということになるだろう…と思いやって、ワザワザ「横浜」とつけてみたが、太古の昔は「横浜元町」が正式な地名だったらしい。
神戸の元町もいいな~。
大阪に住んでいた頃何度も訪れ、行く度に中古レコード屋でZappaのいいアイテムをゲットした。正確には「ガット」した思い出がある。

55こんなにカッコよくなっちゃって…。

60_2横浜の元町は、1859年に横浜港の開港によって退去した旧横浜村の住民が移住することによって始まった。
明治維新の頃には外国人向けの商店街としてすでに賑わいを見せていたそうだ。

80v_2して、後ろを振り返り、今歩いて来た石川町駅の方面を見る。
このガストのところには、昔はTOWER RECORDSがあったんだよ!
いきなりステーキのところはケンタッキーだった。

90_2チョット離れて中村川を渡り、中華街に向かって少し行った左側にジャズ喫茶の老舗「MINTON HOUSE」がある。
崎陽軒のCMに出てくるあのジャズ喫茶だ。
横浜には有名な「ちぐさ」を筆頭に良いジャズ喫茶がたくさんあってね、私は桜木町の「downbeat」が大好きだった。
大学の頃、ホンの短期間ではあるが、チョットした家の事情で本牧に住んでいたことがあって、やることがない時はほとんど一日downbeatで過ごしていた。アレでずいぶんジャズを覚えたし、のめり込んだ。
当然このMINTON HOUSEにも何回か来たが、全くの偶然なのだろうが、ナゼか私が行く時はPhineas Newborn Jr.とかStanly Cowellなんかのソロ・ピアノのレコードか、つまらないクロスオーバー(当時はまだ「フュージョン」という言葉は使われていなかった)のアルバムがかかっていtて、それが退屈でトンと行かなくなってしまった。
そこへ行くとdownbeatはかなりの硬派で、当時はJohn Coltraneの月命日である17日には開店から閉店まで丸一日Coltraneのレコードをかけるという荒業をやっていた。
『A Love Sureme』ぐらいだったらまだいいけど、『OM』とか『Expressions』あたりを一日聴かされたら身体悪くするぜ(『Ascension』なら大丈夫)。残念ながら私は17日に行ったことは一度もなかったが…。
ちなみに「MINTON HOUSE」という名前は、40年代ニューヨークのハーレムにあった「Minton's Playhouse」から採られたのであろう。
ハーレムのそれは、Charlie ChristianやDizzy Gillespieらが夜な夜な集まってジャム・セッションを繰り返した「ビ・バップ生誕の地」とされているジャズ史に名を残すクラブだ。

100もうだいぶ日も傾いて来たけど、久しぶりに元町をブラっとしてみよう!

110「久しぶりに」というのは、実はウチの家人も横浜出身で、今から37、38年前にはよく元町でデートしたもんなのよ。
毎年二月と九月に開催される「チャーミング・セール」にはよくつき合った。
調べてみると、このセール、1961年からやってるんだそうだよ。

120_2先述の通り、横浜は古くから外人が居住していたということで、「~発祥の地」が多いんだよね。
元町は「日本のパンの発祥地」とされていて、今でも営業している「ウチキ・ベーカリー」というパン屋さんがそれにあたる。
パンのチェーン店「ポンパドウル」も元町がスタート。「ポンパドール」じゃなくてこの大きい「ウ」がいいね。犬神サアカス團の「ア」みたいで…。
「アイスクリーム発祥の地」なんてのもこの辺りにあったと思う。

130元町UNION。
このスーパーは元来シップ・チャンドラーだった。
「シップ・チャンドラー」というのは、滅多に耳にしない言葉だが、港に停泊する船舶に、食料品や日用品、船具や船舶機械を販売する業者を指す。日本語では「船舶納入業者」という。
で、このユニオンはそうした外国船舶との関係に優位性を見出し1958年、当初は外国人向けスーパーとして流通業に参入した。
シップチャンドラーとしての立場を利用した品揃えは多彩で、来店する外国人客の要望に応じて当時日本には無かった商品を次々と仕入れて流通させた。
どんなものかというと、野菜だったらズッキーニや、マッシュルーム。
お菓子だったらチョコレート。
調味料ならマヨネーズやスパイス。さらにウイスキーやバーボンの酒類も扱った。
それらは当時、ユニオンでしか手に入らない品々で、その評判が広まり、次第に日本人もそれらの品を買いに来るようになったという。
ね~、コレ1958年の話だからね。昭和で言えば33年。
私はまだ生まれていないが、日本ってまだそんなだったんだよ。チョコレートもマヨネーズも普通には手に入らない世界の田舎国だった(今でも結構そう思うことが多い。経済を別にすれば、西欧基準に立脚した場合、残念ながら日本はまだ世界の三流国だと思う)。
そのたった13年前までアメリカとケンカしていたんだから恐れ入谷の鬼子母神。
最も日本が戦争に負けないで、あるいは、生活がアメリカナイズされず独自の道を歩み続けてチョコレートもマヨネーズも不要で、アンコと酢味噌で十分やって行かれたのかも知れんよ。間違いなくそっちのほうが身体によかったハズだ。
ココの緑色のロゴの紙袋が高級感があってカッコいいんだよね。
現在は京急傘下となっているようだ。

140「ハマトラ」なんて今の若い人は知らないでしょうナァ。
「My Way」ばっかり有名だけど「Nice Work if you can Get it」の方がゼンゼン好きだナァ~…そりゃ「シナトラ」だ!
「テリマカシ~!」…それは「スマトラ」!
私、生まれも育ちも…「フーテンの寅」ってか?ゼンゼン違うじゃねーか!
「ヨコハマ・トラディショナル」…だよね?
流行しだした神戸の「ニュートラ」に対抗して70年代後半から流行りだしたファッション。
フーン、コレはフェリスの女学生が着用することをイメージしたファッションだったのか。
スゲェな、フェリスは。行きたかったな~。イヤ、親子面接でダメだな。あ、それ以前に私は男だった!
そのファッションの特徴はミハマの靴、キタムラのバッグ等、元町のブランドを身に着けることだった。
そして、その極め付けがこのフクゾー。
こんなブームがあったからフクゾーは誰にでも知られるブランドになったけど、ウチも家内の実家もその前からおなじみだった。
私はもちろんなんの興味もないのでまったく詳しくないが、家内曰く、モノがいいのでとにかく長持ちする…のだそうだ。
確かに彼女は40年近く前に買ったレインコートをいまだに着用している。
でも、何といってもスゴイのは、一世を風靡したファッション・ブランドながら、1946年(昭和21年)に開業して以来、店舗はこの本店と横浜のそごうの中の二店でしか展開していないということだ。そごうが開店する前はこの本店だけだった。
さすがに今では通販は取り扱っているらしいが、スゲエ自信だよね。カッコいいよ!

150v1924年創業の老舗洋菓子店、喜久屋。

160ココの名物(かな?)は左のジャム・ターツと右のアーモンド・ビスケット。
「ターツ」ってのは「タルト」のことだよね。パイ生地にジャムを挟んでペッチャンコにしてザラメをかけたシンプルなお菓子。
コレがおいしい。
アーモンド・ビスケットはスライスしたアーモンドがメッチャ硬いビスケットに乗っているだけという、これまたシンプルなアイテム。コレもおいしい。
喜久屋はフクゾーと異なり、支店展開をしているので、昔はそこらでよく買って食べた。
しかし…コレ、昔に比べてだいぶ小さくなった感じがするナァ。以前は包装もペッラペラの透明無地のセロハンに包まっているだけだったんよ。

Jt

Ab_2大分暗くなってクリスマスの飾りつけのイルミネーションが映える時間になってきた…のはいいけど、人いね~!ガランガランだよ。
浅草よりヒデェな~。
土日の観光客だけを相手に商売をせざるを得ないんだろうな~。
昔は元町も伊勢佐木町もものすごい賑わいだったけどナァ。

165それでも、元町らしくシャレた飾りつけはサスガだ。

166華やかな商店街を抜けたところにあるのがこの元町プラザ。
店の名前はスッカリ忘れてしまったが、37年前にはこの中に中古レコード屋があったんだよ。

170_2その向かいがコレ。
ああ~なつかしい。

180_2クレープ屋のドン。
もう40年ぐらいはやっていることになる。

190オジちゃんも昔のまま…でもないか。人のことは言えないけどお年を召されましたな~。
「37、38年前からきているんですよ!」とオジちゃんに告げたところ、昔からあんまり愛想のいい方ではなかったが、うれしそうにしていた。
そこで少し話かけてみた。
「もう長年やっていらして、この(クレープを焼く丸い)鉄板、すり減って何回も交換してるんじゃないですか~?」…田原町の焼きそば屋を思い出しちゃってサ。死んだウチの父はあの焼きそばが鉱物で、「鉄板から削れた砂鉄が入っているからここの焼きそばはウマいんだよ!」と物騒な冗談をよく言っていた。
さて、オジさん、「イヤイヤ、鉄板はすり減ることはないんですが、やっぱり電気系統はダメになってしまうのでヒーターは何回も取り換えましたね」
フムフム…してみるに、アレからオジちゃんはクレープを一体累計で何枚焼いたことだろう?
皆目見当もつかないが、一日50枚焼いたとして、週六日、それを38年続けると…547,200枚!?
土日は平日の何倍も忙しいので、実際はもっと大きな数字になるだろう。
アレから一人で55万枚以上ものクレープの記事を焼いたってのかよ!
Marshall Blogの1,000回なんて屁でもないな。
そして、私が知っている子供の頃の元町のことについて触れると、チョット寂しそうに「元町もずいぶん変わりましたよ…」
「元町」なのに元の通りではない…とはコレいかに。
オジちゃんの視線はす向かいのコンビニエンス・ストアに向けられていた。元町も今ではどこでも見かけるチェーンストアばかりになってしまったのだ。
オジちゃん曰く、「昔、元町には元町にしかないものしかなかった。もうここは『元町』じゃありませんよ」…ア、ここジーンとくるところです。
200元町散歩を終わって中華街へ。
一番山下公園側にある老舗は「北京飯店」。
実は母方の叔父が長年にわたってココで料理長を務めていた。
その関係で、私はこのエリアの中華料理店はほとんどココしか知らない。
220_2
そんな関係で、北京飯店はジム・マーシャルが来店した中華料理店になった。
まだ楽器フェアを横浜でやっていた頃来日したジムを囲んでココの二階で会食をしたのだ。
ジムはチャイニーズが好きだったからね。
この時のことをココに記してあるので、未読の方はお時間がある時にゼヒご覧頂きたい。
  ↓      ↓      ↓
ありがとうジム・マーシャル!<中編>~I Remember Jim! 2

北京飯店は反対側に支店もあったんだけど、ものすごく前に火事になり閉店してしまった。

210アッラ~、この丸い建物は以前はHoliday Innだったんだよ。
大学の時にダンス板を敷くアルバイトに来たっけナァ。

230ネオンは派手だけど、中華街も寂しいな~。
平日はこんなもんか?昔はもっとにぎやかだったけどな~。

240ドワ~、中華街の真ん中に「すしざんまい」!
どういうマーケティング・リサーチの仕方をして進出をキメたんだろう。マジで知りたいナァ。
結構お客さん入ってるんだよ。

250_2横道に入るとこんな居酒屋も!
そうか、地元の人とか、中華料理店で働く人とか、観光客以外を狙っているのか?
まさか中華街へきて「神田」はないもんな~。

260_2さて、元町&中華街散策はコレにて終了。
仕事、仕事!
今日、横浜に来たのは『EDGE OF STRINGS II』というイベントの取材のためなのだ。
「ギターという楽器のカッコよさを見直そうよ!」的な願ったり叶ったりの企画の第二回目。
出演がD_DriveにStrange, Beautiful and Loud、そしてCONCERTO MOON他のインスト・バージョンという夢とも爆音の悪夢とも言えそうなゴージャスなイベント!
今日から三本立てでレポートしちゃうのだ。

270ステージはこんな感じだもん。Marshallだらけ。うれしい~です。
クレープ屋のオジちゃんにも見せてやりたかったナァ。「元町は変わってもMarshallが変わりません!」って。

275一番手はおなじみStrange, Beautiful and Loud!
いきなりギターのカッコよさ満開!

280三宅庸介

290v山本征史

300v金光健司

310v横浜でも三宅さんはMarshall。
JVM210Hと1960Bだ。

320征史さんもいつもの1992 SUPER BASSと愛用のキャビネット。

330v一曲目は「bloom」か…。
最近の三宅さん、この曲は昔よりテンポを落として演奏しているように思うのだがどうだろう?

340征史さんのソロ。
SUPER BASSとプレシジョンのコンビネーションがクリエイトするこの独特のサウンドがいいんだな~。
360
それを受けて三宅さんのソロが炸裂。
こうしたミドル・テンポのワルツは三宅さんのプレイング・スタイルがよく乗る。

350vそして金光さんの「モノ言うドラム」がガッチリと支え上げる。

370vこれがまさにStranege, Beautiful and Loudのあるべき図式なんだけど、なんか雰囲気がいつもと違う。
イベントという「くくり」とことと横浜という「現場」のせいだな。
横浜の三宅さんは初めてかな?…と思いついて、考えてみたらだいぶ前に令文さんやジーノ・ロートなんかと新横浜で一杯やったことがあったな~。
アレ、何の時だったけかな?
帰りにヒドイ目にあったのは覚えている。
あんまり楽しくて長居してしまい、終電を逃してしまった。「コレ、タクシー代ヤバいな」…と思ったら国鉄のダイヤが乱れていて、うまい具合に東神奈川でその日最後の京浜東北線をキャッチすることができた。
「お~、まさにCatch Your Train!アレは兄貴の方か…」なんて電車に飛び乗った。
安心していたのもつかの間、どうにもこうにもトイレに行きたくなっちゃて…こういう話は定番ですな。
普段だったら次の駅で降りでトイレに駆け込むところなんだけど、終電だからそうもいかない。
降りたら最後、そこから先はタクシーだ。
ってんで、これから支払わなければならないであろうタクシー代を何とか少しでも抑えようと、肉体の限界に挑戦した。
電車の中には誰も乗っていなかったのでどれだけズルしちゃおうかな…と思ったけど、さすがにそれもできん。
結果、田町まで我慢した。膀胱に小水がたまっちった…なんて言ってられない!
田町の駅員さんが「終電ですよ!降りちゃっていいんですか!」なんて注意してくれたが、そんなことはわかっとる!
まぁ、あの時の足の速さならボルトに勝てたな…。そして、解放。
結局、その後大枚はたいて家までタクシーで帰ったとさ…。
三宅さん、ご熱演中にこんな話をすみません。でも、あの時のイッパイは楽しかった。

380そのまま「murt'n akush(マラケシュ)」へ。

390vナチュラルな5/4拍子のリフに乗って繰り広げられる熱砂の物語。

400MCをはさんで「devil」。

420三宅さんのレパートリーでは新しい部類で、まだ正式にレコーディングされていない曲だが、ステージではよく演奏されているので、もはや咀嚼しきった円熟した演奏が楽しめる。
410v
「Marshallでストラトキャスターを鳴らす」という三宅さんのこだわりのテーマの課題曲のひとつ。

430それだけに音楽と楽器の関係を熟慮した作品であり、また、演奏もテーマに見合った白熱したものになるのが常だ。

440vバラエティに富んだ出演者、すなわち色々ギターが楽しめるこのイベント、初めて三宅さんの音楽を聴いた人たちはどう思うのかな~。
いつも同じようなことを書いているけど、リスナーの皆さんもこうした機会を利用して幅広い音楽を聴いてもらいたいと思う。
そういう意味でもEDGE OF STRINGSはとてもいい企画だ。

450このイベントは石巻を皮切りに大宮から関西を回り、この横浜を経て二日後の下北沢で閉幕するという旅程だった。
Strange, Beautiful and Loudは大阪、神戸、京都と今回の登板だったため、この日が最後の参加となった。
三宅さんは楽屋にいる他の出演者に聞こえるように「ありがとう!」とお礼を伝え出番の最後のセクションに移った。
460v
曲はSBLのテーマ曲的存在の「if」。

470寸分の狂いもなく三つの歯車がギリギリと回り、独特のノリをクリエイトする。
歯車のひとつ、イヤ、歯のひとつが欠けてもこの音楽は成立しない!
そんな三人が一丸となったパフォーマンスが聴けるのが「if」だ。

480そして、もう一曲は三宅さんが愛奏曲のひとつに挙げる「petal」。
「petal」とは「花びら」のこと。
三宅さんの愛花、ハス(Lotus)の白く、美しく、そして気高い花びらをイメージして作曲したのだろう。

490あ曲は可憐な花びらとは異なる重厚なものだ。

500この曲って、ワン・コーラス(っていえばいいのかな?)終わった後に大きなギターのピック・アップ・ソロがあるんだけど、コレってなかなか出ないアイデアだと思うな。
このアイデアがこの曲全体に強力なドラマ性をもたらすんだな。
三宅さんの愛奏曲とだけあって、もう何十回と生の演奏を聴いてきたが、鑑賞の仕方によっていくらでも新しい発見ができるのが三宅さんの曲だ。

S41a0036 ギターの魅力をアッピールするイベントのオープナーにふさわしい三人の激演だった!

510v<お知らせ>
最近まで入手が困難だったStrange, Beautiful and Loudの二枚のアルバムが再発売されている。言い方は悪いけど、手に入れやすいうちにゲットした方がいいですよ。
凡百のロックとはことなる音楽性とMarshallにより至高のギター・サウンドをお楽しみあれ!

★Lotus and Visceral Songs
9_lvs  
★Orchestral Supreme

9_os 三宅庸介の詳しい情報はコチラ⇒Strange,Beautiful and Loud

520v<中編>につづく

(一部敬称略 2016年11月22日 横浜F.A.D.にて撮影)