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2015年12月 8日 (火)

三文役者、絶賛最後の悪あがき中!~ついでにアタシも悪あがき!

先日、犬神サアカス團が寺山修司のイベントに出演した時のレポートをお届けした。
寺山修司を通っていない私は、恥ずかしながらその時初めてバンド名の由来を知った。出自は『田園に死す』。
そして、向こうが寺山ならこちらは開高。
「三文役者」のことである。
このバンド名の由来はさすがに高校生の時から知っていた。一時自分もお世話になったバンドである。
開高健の『日本三文オペラ』の主人公たちにインスパイアされた哲さんが自分のバンドに与えた名前だ。
ああ、昔のバンドの名前ってのはなんてインテレクチュアルなんだろう。
The Manhattan Transferなんてのもジョン・ドス・パノス(トス・パノスっていうドラマーはどうしてるのかな?)というアメリカの作家の同名小説をバンド名にしたものだ。
他に小説にちなんだ名前を持つ海外のバンドって他にあるのかしらん?
(…考え中…)
オ、結構ある。
まずはUriah Heep。ディケンズね。ウィリアム・バロウズの小説から頂いたSoft Machineもそうだね。読んだことないけど。
Steely Danはバロウズの『裸のランチ(The Naked Lunch)』に出て来る性具の名前だそう。Steppenwolfはヘルマン・ヘッセなんだって。
日本にもアマチュアを含めれば結構色んなのが出て来そうだよね。「金閣寺」とか「万葉集」とか…いずれにしても漢字表記のバンドは減ったよね。
実は昨日の記事を書いていてまた思ったのだ。「最近のバンド名ってのはずいぶん昔とかわったよナァ」って。
海外の文章型はチョットどうかと思うんだけどナァ。
Bring Me The Horizonとか…第四文型である。第三文型のJohnny Hates Jazzとかいうのもいたでしょ?ま、大きなお世話か。
コレは日本ではやりにくいよ。
アルバイト情報誌のCMソングをやってる「忘れらんねえよ」とか「水中、それは苦しい」とかか…。
ま、確かに一度聞くと忘れらんねェな。
いっそのこと百人一首をそのまま使っちゃうとか、歴代将軍の名前をつなげちゃうとかどうかしら?
「今日の『文学ライブ』、最初のバンドは”瀬を早み岩にせかるる滝川の割れても末に逢わむとぞ思ふ”です…通称”崇徳院”!」
とか…
「続いては”家康、秀忠&家光”です!」…Emerson, Lake & Palmerみたいでカッコいいじゃん。しかも、国語や歴史の勉強になる。
…んなワケないか。

さて、1977年結成の三文役者、奇跡の再結成後、絶賛・最後の悪あがき中である!

10花之木哲

20v大竹ちぇり~亨

30v石井正夫

40vさとっちょ

50vオープニングはいつも通り「三文役者」。

60初めて聴いたときから37年が経過したけど、いまだにワクワクするわい。
「三つ子の魂百まで」…自分の誕生した時代に感謝。イヤ、もうチョット早く生まれたかったか…。

70そういえば、高校の時、「三文役者」を「三文」と呼ぶか「役者」と呼ぶかでグループが分かれたことがあったっけな。
はじめは「三文」ってみんな呼んでいたんだけど、後からバンドを知った連中は「役者」って呼び出した。
私は学校では三文役者をもたらした「開祖」だったので、当然古くからの呼び名で「三文」と呼んでいたが、「役者」の方がカッコいいなァと思ったりもしたもんだ。
なんて書くと学校中で三文役者の大ブームがあったかのように見えるけど、残念ながらそうではない。でも学年レベルではブームがあった…といっても差し支えはないだろう。
何せYouTubeもニコ動もない時代、正式にレコードも出していないバンドがある学校でもてはやされ、何人もがワザワザ屋根裏やロフトに足を運んだのだから。
その時分、すなわちパンク/ニューウェイブ・ムーブメントが盛んになり出した頃、まだ70年代中盤ぐらいまでのロックの黄金時代の残り香が強く、「ロック」といえば「洋楽」を指していた。
だからよほどのロック好きでなければ「日本のロック」を聴いている高校生がかなり少なかったハズ。それが証拠に、当時どこのライブハウスへ行っても私が最年少だった。
翻ってみるに、1970年代の後半、まだ「日本のロック」というものは「ロック」という音楽として危険な香りがしていた一方、一般大衆の間ではまだまだくアンダーグラウンドな存在だったということだ。
脱線するが、そんな「洋楽強し」の時代でもレコードの売り上げの洋邦の比率は、歌謡曲が強かったため邦楽が勝るものの、まだ洋楽も比肩しうる状態だった。
それが今では音楽ソフトの売り上げで洋楽が占める割合は20%を完全に切り、洋楽はマイノリティになってしまった。
おもしろい調査があって、洋邦の音楽の好みを第一次産業従事者に尋ねた結果、洋楽を支持する人は2.6%だったとか…わかるナァ。まさか土佐の荒海で海の男がカツオの一本釣りをしている最中にBlack Sabbathの「Paranoid」とか歌ってたら縁起でもないもんな。

「三文役者」どう呼ぶかは皆さんにお任せするが、ウチの母はいまだに「三文」と呼んでいる。

M_s41a9337メドレーで「あやつり人形」。

80この二曲のメドレーは鉄壁だ。(「鉄板」っていう言葉は使いたくない)
高校の時、三文役者のコピー・バンド…今で言えば「トリビュート・バンド」…をやっていたんだけど、自分たちのコンサートでは敢えてこのメドレーを崩して二曲目に「ニアミス」というハード・ロックの曲を持ってきた。ヘヘヘ、そっちの方がカッコよかった。

90v

ギター・ソロ。Am-G-F-Am…いかにも日本のハード・ロック然としたコード進行だ!コレでいいのだ!

100正夫さんが使っているベース・キャビネットは1980年代中頃に発売された1520。入力600Wの4x12"。IBS(Integrated Bass System)というベース・アンプ・シリーズにラインナップされていた。
重く、深い割には切れ味の鋭いサウンド。

110三曲目は1980年代前半に発表した「Dream Crush」。

120これも「三文」らしいヘヴィ・チューン。

130v「東京デストロイ・シティ」と並ぶ哲さんの「アンチ東京賛歌」。
エンケンさんの「東京ワッショイ」と比べて聴いてみよう!

140さとっちょ絶好調!

150vなんとならばNATALがチョーお気に入りなのだ!
キットはバーチ。
さとっちょも超ベテランだからね。元「是夢」のドラマー。
やっぱりそういう人にホメられると大変うれしいね。
おかげさまでホントどこへ行ってもお褒めの言葉を頂戴するNATALちゃんです。
見て!この気分よさそうな顔!「Dr. Pepper」でも飲んでいるのかな?

160ヘヴィ・バラード「魂」。
コレ、こんなカッコいいリフだったっけか?
私も何回かステージで弾かせてもらったけど昔とすごく印象が違う。
タイトル通り、哲さんの「魂」の熱唱が聞ける。

180

続いて「Red Sugar」。
ま、元は「Brown Sugar」ですよ。哲さん、ストーンズ好きだから。でも曲調はゼンゼン違う。
コレも私がお世話になっていた頃にできた曲。
後半アクセルレイトしたかどうかは覚えていないが昔通りのエンディングで笑った。
このエンディングを決めるのに結構モメた記憶があるから。
コレ、今考えてみると、リフとメロでサビとソロのコード進行とエンディングが結構バラバラな感じなんだけど、最終的には曲としてものすごくまとまりがあって、かつシンプリシティが出ている不思議な作品。
哲マジックだ。とても好きな曲。

170第一部の最後は「Love Game」。
コレも私がいた時にできた曲。昔は「三文役者 PartIII」って呼んでいた。
ツイン・リードの曲にしようというコンセプトが最初からあったような気がするな。
そしてある日、哲さんが「ここのコードどうすればいい?」と、この曲のBメロのコード進行を相談して来たのを覚えている。
今さらナンだけど、いい曲だね。

190練習の後、みんなでホッピー飲みに行ったもんだよ。
池袋の安居酒屋でホッピーをあおる。一杯190円だったような気がする。
なんてことを思い出しているウチに第一部終了。

200第二部の前半はコンテンポラリーなレパートリーで固める。

210「Like a Rolling Stone」…
なんか最近やたらとMuddy Watersがからんでくるような気がするな~…この曲は関係ないけど。三文のロックンロール。

220vコーラスをフィーチュアした「Hold on my Way」。

270

モクモクと低音を刻み続ける正夫さん。実は今晩、頭脳警察のトシさんのイベントに出演する。
正夫さんは『悪たれ小僧』の頃、頭脳警察の後期のメンバーだったからね。
230「Hello Dear Friend」。

240前にも書いたが新しいレパートリーも魅力的だ。
哲さんが作る曲に特段新しいテイストは含まれないけれど、それでいい。
昔のトンガッた部分が少なくなり、耳なじみのいいメロディが優しく響く。それが何とも言えない親しみをもたらす。

250vそれでも不思議と「ロック感」があふれているんだよね。
昔、ロックと歌謡曲がハッキリと分かれていた頃、三文役者の曲は時として歌謡曲的に、しばし演歌的に響くことがあったが、今、こうして聴くとなんとロック的なことか!

260哲さんの曲と洋楽世代に育ったバンド陣の完全なるロックのコラボレーションだ。

280哲さんが自分で認める名バラード「聖羅」。
いつかフザけて自分で「君といつまでも」とゴッチャにして歌ってた。ア、練習の時よ。本番では哲さんはそういうことはしませんから。あ、でも年末の屋根裏で「ベスト・ヒット〇〇年」って演ったことあったな。
その年のヒット歌謡曲を三曲演奏した。
「ギンギラギンにさりげなく」と「みちのくひとり旅」とあとナンだっけ…忘れちゃった!
コピーして譜面を書いた記憶があるよ。
私がいた時代じゃないけど、楽器を交換して当時の大ヒット曲、「ランナウェイ」を演ったこともあった。

290そして、コレまた名曲「コルト'64」。
もうすぐ「コルト'65」だ。
哲さん、ワケェな~!

310

決して「ありがとう」でも「がんばれ」でもない希望の詩だ。そして、何よりもロックだ。

300加えて三文役者きってのドライビング・チューン。

320v「怒雨降り」。
いかにも哲さん好みの曲だ。日本のロック臭プンプン。
どんなにバンドの形をしていたとしても、「J-ナントカ」には出せない滋味がある。英語で言うと「full-bodied」というヤツ。ヴィンテージの高級ワインやウイスキーに使用される形容表現だ。

330v最後は新しめのレパートリーで「Good-Bye my Town」。
ホラ、また「街」だ。
よく私はわからないが、こういうのは故郷を離れた人だけが持ち合わせる「街」というモノに対する感覚なんだろうな。イヤ、「町」かな?
でも私も生まれ故郷の東京を離れていた時期が11年ぐらいあったが、そんな感覚はなかった。
家族と一緒だったからかな?
そう、家族や友達がいるところが「My town」なんだよね。
「I wanna go home」…人間、ETやガープの言う通りなんだな。
あ、ちなみに「wanna」は「want to」の口語表現であることはご存知だと思うけど、向こうの連中は普通、書く文章には絶対使わないことを知っておこう!
少なくとも私はネイティブからそう教わった。
最近、大阪のデパートのバーゲンの広告のキャッチ・コピーが世界に笑われたようだから、こんなことを書いておいた。
アンコールでは三文スタンダードの「回転木馬」をプレイ。

335さて、さてさてさてさてさてさて。
哲さんも、ホント、人がよくてサ。
今年最後の大切なライブに私をゲストで出してくれるっていうのよ。
正直、丁重にお断りするつもりだった。だって、もう全然ギター弾いてないんだもん。お受けするにはかなりの厳しいリハビリが必要だから…。さもないとトンデモナイご迷惑をかけてしまう。
ところが、熱心に哲さんがすすめてくださるので図々しくもお受けすることにした。
まずは立って弾く練習から。
フィンガリングが滅法ツラい。手の甲の筋がすぐに重くなってしまう。敏子さんが音の出ないキーボードを肌身離さず持ち歩いて、年齢とともに落ちていく筋の能力をキープしようと務めている気持ちがわかる。
それにも増して大変なのがピッキングだ。何年もの間、ギターを弾く時は座っていたので、立ってギターをブラ下げて弾いてみると、ピックと弦の当たる角度が座奏の時と著しく異なり、音どころが
手首をうまく動かすことさえ難儀なのだ。
それでも指先をヒリヒリさせながら何とか感覚を少し取り戻した。
それとさ、アクション。
ま、飛んだりハネたりするワケじゃないんだけど、自分が不格好なのがよくわかる!
イヤ~、いつもMarshall Blogに出て頂いている皆さん!
あなたが方がどれだけカッコいいかを思い知りました、ハイ。

で、いよいよ昨日スタジオに入って練習して来た。
私は就職してから赴任先の長野で長いことパブのハコバンでギターを弾いていたんだけど、バンドで演奏するのはほぼその時以来。すなわち18年ぶり。
久しぶりに弾き手としてスタジオに入ってアタフタしちゃったよ!
イヤ、それよりも三文役者で演奏するのは33年ぶりだゼ!
あ、そういえば1983年かな?三文役者を離れてから一度だけ新宿ロフトで弾かせてもらったことがあった。
大学のビッグバンドの連中でホーンセクションを編成して出してもらったんだ。
正確にはあの時以来。
いずれにしても30年以上ぶりよ。

M_img_2833ハハハハハ!
コレが30年以上前の私。
新宿ロフト。
細い!毛があっていいナァ。

340コレは渋谷の屋根裏だね。
一度だけ昔みたいにメイクをして演ろう…ということになった時。初めて白塗りの化粧をしたんだけど、唇がカパカパになってしまうのがすごく気になったのを覚えている。
マイクを握っているのはもちろん哲さん。30歳台の哲さんだ!あ、私は19歳。

350イヤ~、それにしても爆音で弾くってのは慣れないと滅法ムズカシイな。
上の写真でかすかに見えるように昔は1959(JMP時代)と1960AXを使っていたんよ。
大竹さんのお友達から譲ってもらったMarshall。ふたりで鵠沼海岸までドライブして引き取りに行ったっけ。
オ、そういえばこの白い国産のストラトも高校の時、大竹さんが勤めていた喫茶店でひと夏アルバイトをして買ったんだっけ。
当時ウルリッヒ・ロートが好きで、メイプル指板、白ボディに白ピックガードにしたかったんだけど、そういう仕様のものがなくて、楽器屋さんが「全部白はカッコ悪いよ」と忠告してくれた。あの頃の楽器屋さんの店員さんはみんなギターが超ウマくてプロみたいだったからね。でも、その忠告を聞き入れずに一本作ってもらった。
その時も大竹さんに一緒に楽器屋さんについて行ってもらったんだ。
あのギター、今も残っているとしたら白馬のディスコの壁に飾ってあるハズ。
その大竹さんとまた一緒にギターを弾くなんてナァ。信じられんよ!
正夫さんやさとっちょと演るのも実に楽しみだ!
もうひとつ楽しみしていることがある。
それはね、NATALとの共演なのです。
コレだけ高い評価を頂戴しているんだから自分でも一度体験してみたいと思っていた。
ヘヘヘ、楽しみだな~…と余裕をカマしたところだけど、弾けね~!
後は練習あるのみ!
「アブナッかしい」という意味でのスリリングな私のギターがが聴いてみたい人は…あ、そんな奇特な人がいるワケない!…今年最後の三文役者のステージを観に遊びにいらしてくだされ!
結構な曲数を弾かせて頂きます。

12月11日、荻窪ルースター・ノースサイドね。7時開演。忘年会ありだそうです。
エ?「公私混同じゃねーか」って?
イエイエ、私も三宅さんやヒロアキくんのマネをしてJVM210Hと1936で臨みますよ!MarshallのPRのお仕事です。
昨日「ところで写真どうすんだ?」って話しになって…演奏中「自撮り棒で撮れ!」だって。そんなバカな!

M_wc三文役者の詳しい情報はコチラ⇒三文役者Official website

3601965年創業のNATAL(ナタール)はMarshallのドラム・ブランドです。

M_natal_square
★NATALの詳しい情報はコチラ⇒NATAL Drums Official Web Site(英語版:現在日本語版作ってます。なかなかはかどりません)
★NATAL製品は全国有名楽器店にてお求めください。
★NATALドラムは高田馬場バズーカスタジオでお試しになれます。バーチ、メイプル、そしてアッシュのキットの他、各種スネアドラムも用意しています。ドラマーの方、「NATALの部屋」ご指名でお出かけください。
詳しくはコチラ⇒バズーカスタジオ公式ウェブサイト


(一部敬称略 2015年11月18日 原宿クロコダイルにて撮影)