曾我泰久 芸能生活48周年記念 LIVE! LIVE! LIVE! <前編>
11歳の時に芸能界にデビューした曾我泰久。
芸能生活48周年。
48年前というと、1974年。
時の総理大臣って誰だったかわかる?
田中角栄だった。
そして、「田中金脈問題」で総理大臣の席を追われ、同じ年の暮れに三木武夫が就任した。
私はヤッチンの47日前に同じ東京に生まれ、完全に同じ時代を生きてきたワケだけど、その間の経験や目にした光景はあまりにも異なっていることだろう。
昭和30年代生まれ。
今となっては「昭和は遠くなりにけり」みたいなことが囁かれているようだが、我々が若い頃は「明治は遠くなりにけり」だったからね。
でも考えてみると、昭和を生きた時間は26年間。
平成は30年。
そして、令和は今のところ3年間で、老化防止の妙薬でも開発されない限り、あと27年間生きるのはなかなか難しいだろう。
となると、昭和30年代生まれの我々はいかにも「昭和の人」みたいなオーラを発しているが、人生のウチで一番長く過ごした時間は「平成」ということになるんだよね。
そもそもヤッチンは11歳の時から働いているんだからスゴイ。
私は映画とモデルガンに夢中だった。
11歳といえば、アーた、吉原にしてみたって「禿(かむろ)」を卒業して、まだ遊女見習い期間の「新造」の時分だったであろうし、野麦峠を越えて飛騨から岡谷へやって来た「糸引きの工女」さんにしたって最年少は12歳ぐらいだったようだ。
…なんて例えを引くと、いかにもヤッチンが塗炭の苦しみに遭ってきたかのようだが、とんでもない!
その努力は並大抵のモノではなかったであろうが、生き馬の目を抜く華やかな業界にあって、ひと時も休むことなく常に第一線で活発な芸能活動を展開していらしたことは尊敬に値すると思っている。
加えて50年近く同じことをし続けるなんて全くスゴイことだ。
本当の「プロフェッショナル」なのだ。
曾我泰久の芸能生活の48周年を記念するコンサートの舞台には2組のMarshallが並ぶ。
コチラは配信チームの基地。
スタンバイOK。
後は開演を待つだけ。そして定刻となりいよいよショウがスタートした!
曾我泰久
今回の『LIVE! LIVE! LIVE!』のバンド・メンバーは…
田川ヒロアキsourcesから野津永恒。
宮野和也
simoで個人的にはチョクチョクお会いしておりますが、このステージでの'みやん'は久しぶり。そして今回のドラムスは、そうる透!
透さんとはいつも葉山のジャス・フェスでご一緒させて頂いていたんだけど、コロナでここのところ開催されなかったので、やっぱりお久しぶり!今日はアコギでスタート。
曲は「Go Ahead Again」。そしてすぐにエレクトリックに持ち替えて「♪あ、あん、あ、あん、あっああああん」。
お客さんは総立ち。「いつもは、皆さん色っぽい声で歌って頂いておりますが、大きな声を出せないので、今日は小さい声で『あああん、あああん』を…そして身体で「気になる女の子」を表現して下さい!
じゃあ、みなさん一緒に!『♪あ、あん、あ、あん、あっああああん』」
照れるお客さんに向かって…
「ナニ笑ってるの?!
じゃあ、いくよ!
『♪あ、あん、あ、あん、あっああああん』」
アメリカのポップ・グループ、Messengersの1971年のヒット曲「That's the Way a Woman Is」。
この曲は盛り上がること必至だよね。ヤッチンのギターを鳴らしているのはもちろんMarshall。
今日もJVM410Hと1960Aのハーフ・スタックを使用。
下のJVMはスペアね。
ヘッド×2、キャビネット×1の変形三段積み。続けてフィンガー5の「個人授業」。
この曲がヒットしたのは1973年のこと。
我々は小学校5年生だった。
私は持っていなかったけど、シングル盤のジャケットが先ごろ亡くなった水島新司さんのイラストで、それがすごく印象に残っている。
フィンガー5は何しろスゴイ人気だったよね。
フィンガー5の出身地の沖縄がアメリカから日本に返還されたのは、この曲がヒットする1年前の1972年のことだった。
最近読んだ本の中にこの返還に関する佐藤栄作とニクソン大統領の裏取引の話が記してあって、読んで驚いてしまった。さっそくヒロアキくんのソロ!
もちろんヒロアキくんもMarshall。
愛用のJVM210Hとヤッチンのスピーカー・キャビネットの半分のサイズの1936。
コチラも変形三段積み。「改めましてこんばんは!
ようこそいらっしゃいました。
今日は3月の6日ですけれども、3日に芸能生活48周年を無事に迎えることができました。
ありがとうございます。
今日はそれを記念してのライブでございますけれども、ノッケから懐かしい曲を聴いて頂きました。『気になる女の子』は、みんな、本当に気になりましたよ。
そして「個人授業」。
コレはもうネェ~…バンドで歌えたの初めてなんですね。
もう、最高ですね!」「皆さまご存知の通り、私が芸能界に入るキッカケになったのが、フィンガー5のファーストアルバムに出会っていたからこそなんです。
フィンガー5の晃くんに憧れまして、芸能人になりたい、歌手になりたい…っていうことではなく、アッ、あんな風に歌えたら気持ちいいだろうな~…と思って、歌ったのがキッカケで今ココに立っているワケなんですね。
だから人生って本当に、もう不思議なもので、どこでどうなるかわからない。
ネェ、まさか48年間…こんなに楽しく音楽をやらせて頂けてるとは思いませんでした。
今日もこの大変な中、集まってくださった皆様がいらっしゃって今日のライブが成立しているワケですから本当に心から感謝しかございません!
ありがとうございます」
ヤッチンが「あんな風に歌えたら」と思ったのはきっと「♪あこがれ~の」と「♪ハンハハンハ~ンハン」のところに違いない。
私も子供の頃は声が良く出る方だったのでよくマネをしたものです。
それで、6年生の時の音楽会でね、1組を代表して「エーデルワイス」を全校生徒とご来賓の方々の前で独唱したんですわ。
もう、緊張してね。
そして、てっきり自分に音楽の才能があるんだと思って、その2年後ぐらいにギターを始めたワケ。
高校の頃までは「学校で一番ウマい」という自信はあったけど、イザ「音楽」や「世間」を知ると自分なんかボロクソにダメだということがわかった。
考えてみると、あの「エーデルワイス」の独唱もただ単に「クラスで一番声がデカい」というだけだったんだわ。
あ、ゴメンなさい、私のことなどどうでもいいわね。
そして、今日のバンド・メンバーを紹介して、皆さんがひと言ずつご挨拶。まずは透さん。
「こうやって集まれるのは最高ですね!48周年おめでとうございます!」
ヤッチンよりも芸能生活が長い透さん。
「なんかいいよ。早く50周年においで!
もうね、50周年過ぎるとラクになるよ。
アハハ!すごくラクになる!」
ヤッチンは2018年の12月に今回と同じ会場で開催された和佐田さん主催の『Ultra Bowl』というイベントで初めて透さんとご一緒された。
その時のライブ・レポートはコチラ⇒ai Tube Presents Ultra Bowl <後編>
私は透さんにご出演頂いたイベントの台本を書いた時から親しくして頂いているんだけど、あのイベントは2001年のこと…って、あの時からもう21年も経ったのかよッ!?
でもね、実は透さんにはもっと前にお会いしたことがあって、アレは私が高校1年の時だったかナァ…だから1978年とか1979年の話。
当時、透さんが在籍していた東京おとぼけキャッツが池袋のパルコの屋上で演奏した時、スタッフで入り込んでいた私は開演前にホンの少しお話させて頂いた。
東京おとぼけキャッツは「形態模写」とか称して海外のバンドのモノマネをするのがウリのひとつで、その頃から透さんはブレッカー・ブラザーズの「Some Skunk Funk」のテリー・ボジオのドラムスをマネしたりしていてね、それはそれはスゴかった…当時そんなことができるドラマーなんてそうおいそれと日本にはいなかったからね。
「ガッドガッドガッドガッド…」と連呼するスティーブ・ガッドのモノマネもオモシロかったし、マーチングのドラムスを身につけて、客席に降りてお客さんの耳元で爆音のドラム・ソロをしたりする芸もメチャクチャ楽しかった。
そんなだから、パルコの屋上でおしゃべりができたのは、長野の飲み屋街の「権堂」で立川談志に出くわして、本人の目の前で自主的にモノマネを演れた時ぐらいうれしかった。
ナンカ、今日は自分の思い出が多くてゴメンなさい。
「ヤッチンの芸能生活48周年」ということで、何となくノスタルチックになっているのかしらん?
ちなみに、透さんって声が良くて、歌もスゴく上手なんだよ。
それと魚の食べ方が尊敬に値するほど美しいのだ!続いては'みやん'。
「お久しぶりです。6年ぶりですか?
イヤ~、楽しいですね!48周年おめでとうございます!」
6年前、羽田空港の「TIAT SKY HALL」というところでコンサートをして、ヤッチンとファンの皆さんがそのまま台湾へ「ファン内旅行」へ旅立って行った時…って、あの時からもう6年も経ったのかよッ!?
バンドの皆さんは台湾へ発つヤッチン一行を見送って、春とは言えまだ寒い中、ライブの片づけをして帰っていったという(含、私)。
「そう、家で寂しくご飯を食べた」という'みやん'。
その時のライブ・レポートはコチラ⇒曾我泰久 単独 LIVE TOUR 2016〜春が来た!続いてバンド・メンバーの中で唯一48年前にはこの世にいなかったノッツ。
「曽我さん、おめでとうございます。
ココ最近、ご一緒させて頂いて本当にありがとうございます。
曽我さんと長いこと演らせて頂いて…その中でTHE GOOD-BYEさんのステージだったり、曽我さんのソロのステージだったり、あと衛藤さんと3人でのステージだったり、本当に色んなステージで共演させて頂いて…色んな曽我さんの一面を垣間見ることが出来て、その中で色んなことを学ばせて頂いていて本当にありがたいな…と思っております」「え~、そして去年、この方には泣かされました。
もうテレビを観ていて…ねぇ~、パラリンピックの開会式で出て来ないのかな?なんて思っていたらデコトラに乗って!
最後の方に全てをかっさらっていっちゃった!」
とヒロアキくんを紹介。「イエィ!48周年おめでとうございます。
ヤッチンのパラリンピックを観てくださった直後のあの投稿ね…も~もらい泣きしちゃいました。
誰にも知らせてなかったから…知らせてはダメだったから誰にも言えなかったけど、運よくヤッチンに観て頂けて…。
そしてあの投稿、うれしくて保存してしまいました」「いつもヤッチンが、『オリンピックやパラリンピックに田川くん出れないかな?』、『ナンとかして、皆様の力でどんな手を使ってでもいいですから!』と言ってくださっていたので、『そうか…どんな手を使ってもか~』と思ってオーディションに応募しちゃいました!」
「アハハ、素晴らしい。
私が手を汚すこともなく実力で勝ち取って、本当に立派に勤め上げましたね。
最高でございました!」とヤッチン。
そして、曲のコーナーに戻った。48年前の3月3日に合格したオーデションで歌った曲、「ベンのテーマ(Ben)」。
芸能生活40周年の時にも取り上げたヤッチンの思い出深き1曲。
その時のライブ・レポートはコチラ⇒曾我泰久芸能生活40周年 LIVE! LIVE! LIVE!この曲はマイケル・ジャクソンが歌ったことでもつとに有名だけど、実は歌詞は曲も作者がスゴイ人たちなんだぜ。
詞はドン・ブラックというロンドン生まれの生粋のイギリス人。
アンドリュー・ロイド・ウェッバーとの共同作業や007の主題歌のみならず、挙げだしたらキリがないほどの輝かしい実績を誇る作詞家。
一方、作曲はウォルター・シャーフというガーシュインやアル・ジョルソンと仕事をしたという人。
エエ~、一体いくつなんだ?…とオドロいてしまうが、2003年に亡くなっている。
もしご存命であれば今年112歳のアメリカ人。
何しろ自作の「組曲」の初演の指揮はレオポルド・ストコフスキーだったというのだからスゴイ。
やっぱり最後はクラシックをキチンと学んだ人が勝つね。続いては2002年の『Super Rare Trax Vol.5 N゜5』から「どれ位・・・」。
この辺りは「48周年」の「まったり処」。
「どうもありがとう!
歌詞じゃないですけど、48年の間にどれくらいの人に出会って、どれくらいの人に支えてもらって来たんだろう…と言うことを考えると感謝しかございません。
そんな気持ちを込めて『どれ位・・・』も歌ってみました。
「さあ、ボクの48年の芸能生活の中で、リトル・ギャングも、ギャングスも、ANKHもそれぞれ大切なんですが、やっぱり一番多感な時期を過ごしたというか、今の仕事につながる基礎を作ってくれたのがTHE GOOD-BYEだと思うんですね。
THE GOOD-BYEはボクが20歳の時にデビュー致しまして、デビュー当時から自分たちで曲を作り、詞を書き、自分たちで歌い、レコーディングも全部自分達でやって…もう本当に自由にやらせて頂いたおかげで今があるんだな…ってことを思います。
そんなTHE GOOD-BYE時代の曲。
ボクがまだ反抗期だった頃の曲をチョット歌ってみようかな」 演奏した「反抗期の曲」というのは「Don't Make Me Blue」。
んんん~?
今となっては「反抗期」を感じることなどとてもできない素直でカチっとまとまった良い曲だ。クールに四分音符を奏でるノッツのピアノが響き渡る。
ヤッチンのギター・ソロ。
今回は随所でヤッチンのギター・ソロがフィーチュアされた。続けてのTHE GOOD-BYEナンバーはゴキゲンなロックンロール「Midnight Train」。
透さんと…
'みやん'の鉄壁のリズム隊が猛烈にドライブするサマは最高に気持ちがいい!
そして、バッキングだけでなく、各曲のソロでも大活躍のノッツのプレイも見逃せない!
ステージの中央から上手方面ににじり寄るヤッチン。
Marshallファミリー合流~!
「ギター!」
♪ギュイ~ン、ギュイ~ン!
音、フレーズともに「ヒロアキ節」が炸裂!
やっぱり楽しい「Midnight Train」なのでした。「どうもありがとう。THE GOOD-BYEの曲を2曲続けて聴いて頂きました。
THE GOOD-BYEはいよいよ来年40周年を迎えます。
なんか、周年が続いていくんですよ。
だって来年のTHE GOOD-BYEの40周年の前には…還暦ライブ。
いやぁ~まさか、自分が還暦を迎えるとは思いませんでした。
ですが、透さんもそうですけれども、元気でガンバってる先輩方が多くいらっしゃいますからね。
今回は『48周年』というとても微妙な数字の周年でしたけれども、来年からはドンピシャの周年が続いていくワケでございます。「アノ~、何度も言いますけど、こうやって楽しく音楽ができる環境は皆様が作ってくださっているんですね。
音楽ってこうも楽しかったんだな…ってことを、最近つくづく思うようになりました。
昔は当たり前のように演っていたことでしたけれども、ココ数年はコロナのこともありまして、音楽を演奏して、皆さんが喜んでくれる、もしくは楽しんでくれるってことが、非常に自分のエネルギーになってるんだなってことを改めて思いました。
この先、来年の60でしょ?…70、80はイケるかな?
(お客さん拍手)
アノ、拍手してるってことは皆さんも付き合ってくれるってことですよ!
(お客さん拍手)
ホント?
『死ぬまで応援します!』って方たちがこんなにたくさんいたの?
いや、本当によろしくお願いします」
次に演奏したのは「One More Kiss You!」。
郷ひろみの「ハリウッド・スキャンダル」を標榜してヤッチンが作った1曲。
この曲でもヤッチンのギター・ソロが効果的にフィーチュアされた。
続けて『Super Rare Trax Vol.9』から「Every Single Day」。
「every」が来たら「単数形」ね。
ココでもヤッチンのソロ。
作曲者が弾くソロらしく、飽くまで曲の一部として全体に溶け込んでいくようなイメージ。この辺りがショウの折り返し地点。
そんな重要なパートをジックリと歌いこんで後半につなげた。曾我泰久の詳しい情報はコチラ⇒曾我泰久オフィシャルサイト【soga21.com】
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