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2018年12月17日 (月)

私のフランクフルト <vol.5:2011年>

 
2011年、コレが「最後のフランクフルト」になってしまったことを認識して臨んだかどうかは全く覚えていない。
MUSIK MESSEは今も毎年開催されているが、もうMarshallがブースを出していない以上、事実上この時が私にとって最後の「メッセ」となった。

05ロック楽器の展示棟に入ると有名ギター・メーカーとその向かって左に我がMarshallのブースがあるのがお定まりの光景だった。
当時、この展示会はピークを迎えていたんじゃないかな~。
このロック系楽器の展示棟は4階まであって、この入り口に入ったすぐのところが一番いい場所なのね。
Marshallはそのロケーションを長年にわたってキープしていたんだから大したもんです。
それで、以前はこの建屋の4階あたりまで行くと、展示の数も少なく、スッカンスッカンだった。
イヤ、ズッと以前は3階までだったような気もするな…。
でも、この年は全館パンパンとまではいかないまでも、今までに見たことがない数の展示ブースが設置されていて、実際に来場者の数も目に見えて多かった。
この後、数年して檜舞台は上海に移ってしまったんだネェ。
9img_0964この年のMarshallのブース。

10目を惹くClass5のユニオンジャック。

30_2少しずつ造作に変化はあるものの、以前のように2年に1回大幅に展示設備を変えるという方法を採らなくなった。

20変化がないのでブースの造作については書くことがないな…。
こうして何度も海外への出張をしたけど、おかげさまで旅先で寝込んだり、怪我をしたり…なんてことはなかったナァ。
でも、あの時は相当疲れていたのか、ココへ来て口の中を思いっきり噛んでしまったことがあった。
みるみるウチに口の中で血豆が大きくなって、それが破けて口の中が血だらけになり…もうしばらくの間、痛くて痛くて…なんてことはあった。

23そうして幸いなことに一度も病院やお医者さんのお世話になったことがなかったフランクフルトだったが、警察のお世話になったことが一度だけあった。
ドイツ語で警察は「Polizei(ポリツァイ)」。
この独単語は一発で覚えた。
勘違いしないでよ、犯罪を犯したワケじゃない。
このMarshallが入っている展示棟の4階のハジっこに目立たないドアがあって、そのドアをくぐるとビルの事務所エリアになっている。
その一角にあるんだな…ポリツァイが。
閉会の翌日にホテルからスーツケースを携えて空港に行くのが普通の段取りだったのだが、どういういきさつだったのか思い出せないのだが、この時は開催の最終日にMarshallのブースにスーツケースを持っていくことになった。
多分、フランクフルトの後にMarshallの本社に行くことになっていたので、陸路でイギリスに帰るスタッフに頼んで、そのスーツケースを車に乗せて本社まで運んでもらおうとしたのだと思う。
朝、ホテルの前でタクシーを拾い、トランクにスーツケースを入れた。
同僚と車に乗り込み、つい車中でおしゃべりに夢中になってしまった。
コレがいけなかった。
メッセ会場の前にタクシーが止まり、料金を支払い、車を降り、Marshallのブースに向かってスタスタと歩き出した。
そして、「アレ?今日は荷物を持って出て来たような…」としばらくしてから気がついた。
そう、まんまとスーツケースをタクシーのトランクに置き忘れて来たのだ!
もちろん「ヤッベ~!」とは思ったものの、幸いパスポートや財布は別のカバンに入れて身に着けていたし、スーツケースの中にはそれ以降の少量の着替えと汚れた下着ぐらいしか入っていなかったので、下着とバッグはロンドンで買えばいいや…ぐらいにまずは考えた。
とはいえ、もしそのタクシーを捕まえることができて、愛用のスーツケースが戻ってくるのであれば、それに越したことはない。
そこで、古い知り合いのドイツのディストリビューターに努めるウーヴァに相談してみた。
会議では絶対に自分の意見を曲げることのないドイツ感丸出しの強豪な論客だが、こういう時には極めてやさしい。
「そいつぁ大変だ!」と言って、すぐに4階のポリツァイに連れて行ってくれた。
コレが私の人生初のポリツァイ体験。
担当してくれたのはとても若いおまわりさんで、ほとんど英語が話せないのでウーヴァがドイツ語⇔英語の通訳をしてくれた。
同じゲルマン語系言語だからといってドイツ人が皆英語がうまいと思ったら大間違い。日本人ほどではないにしろ、英語ができないドイツ人って結構いるよ。
で、どうしたか?まずはタクシー会社を探すわね。
運転手からもらったレシートをその若いおまわりさんに渡すと、そこに書いてある会社にすぐに連絡してくれた。
電話を切った後の表情が冴えない。
ウーヴァが「どうしたんですか?」と状況を尋ねると、「どうもこんな会社はないようだ」と言うのだ!
一度は諦めようとしたスーツケースだったけど、わざわざポリツァイまで来たとなると、おめおめと手ぶらで帰るのもモッタイない気持ちになって来る。
しかし、その若いおまわりさんがまたとてもいい人で、何やら片っ端からタクシー会社に電話をかけてくれたようで、しばらくしてウーヴァの通訳を介して私にこう伝えてくれた。
「今、そのタクシーは近くにいないが、運賃さえ払ってくれれば4時にこのメッセ会場まで持ってきてくれるそうだ」
私のスーツケースを積んだまま走り回っているタクシーを見つけてくれたのだ!
「ダンケシェーン」しか言えない自分が実に悔しかったが、そのおまわりさんには盛大にお礼を伝えた。
「東南アジアだったら絶対にこうはいきませんよ。ココがドイツでヨカッタですね」って!
そして、4時になって会場の車両専用の出入り口でタクシーが来るのを待っていると、少し遅れて見覚えのあるドライバーが運転するタクシーがやって来たので、約束通りメッセ会場に来るまでの運賃を支払ってスーツケースを返してもらった。
大した金額ではなかった。
スーツケースをMarshallのブースに持って帰ってウーヴァに見せ、丁重にお礼を言った。
「おお!ヨカッタね~!」とウーヴァも一緒に喜んでくれて、私にこう訊いた。
「シゲ、ところで運賃を支払ったのか?」
「そりゃ払ったよ、ココまで持って来てくれたんだから」
「どうして支払っちゃったんだ!」…と、ウーヴァはにわかに不機嫌になった。
彼が言うには、「その運転手はシゲがタクシーを降りるときに『忘れ物がありませんか?』と確認したか?しなかったんだろ?だったらシゲがスーツケースを下ろし忘れたのはその運転手のせいじゃないか!だから断じてシゲが運賃を支払う必要はない!」っていうのよ。
「ス、スミマセン…」と、ま、ウーヴァに謝ったりはしなかったものの、「コレがドイツ流なのか!」と考え方の違いに驚いたのは確かだった。
今、コレを読んでいる日本人の皆さん、どう思いますか?
「お前が忘れ物を確認しなかったからヒドイ目に遭ったんだぞ!」と、仕事を中断してワザワザ会場まで戻って来てくれたタクシーの運転手に言えますか?ま、お金をもらったてスーツケースを運んだ以上、それは割りのいい仕事だったことには間違いないんだけど。
コレが私の唯一のポリツァイ体験。
1polizeiそういえばこの年、前年にロンドンで開催された『HIGH VOLTAGE』というお年寄りのためのロック・フェスティバルに感動した私はMarshallに頼んで、会場に来ていたそのフェスを主催する「CLASSIC ROCK」という出版社の人を紹介してもらったっけ。
その年の夏に再び開催されるそのフェスをMarshall Blogで取材させて欲しいと申し入れたのだ。
建物の中は大層うるさいので、外のベンチに座って打ち合わせをした。
なんでそんなことを覚えているのかというと、すごく温かい日で、ブースに来ていたバーニー・マースデンがアイスクリームをペロペロ舐めていたのが可愛かったからなの。
結局、そのフェスには行かなかったので影も形も残っていない。フェス自体も2回開催してなくなってしまった。
実際、初年度のいい出演者を集めすぎて、2回目のラインナップがあまりもショボくて評判を落としてしまったと聞いた。 
私が行ったHIGh VOLTAGEはホントにすごかった。Emerson, Lake & Palmerや亡くなる直前のGary MooreやArgentを見たのは一生の思い出だ。
そのレポートはコチラ;
HIGH VOLTAGEの思い出 <その1>
HIGH VOLTAGEの思い出 <その2>
HIGH VOLTAGEの思い出 <その3>
HIGH VOLTAGEの思い出 <最終回>

26しかし、この光景なつかしいナァ。

65まだまだシグネチャー・モデルが盛んだった。
ザック、ムスティン、ケリー…

40vレミー、ランディ、スラッシュ…「時の流れ」を感じ得ない。
80v前年に亡くなったロニー・ジェイムス・ディオへの追悼モデル。

50v1942-2010って、ロニーって享年68歳だったのか…。
戦中の生まれだったんだね。
それでも1976年に武道館で観た時は34歳か…。「34」なんて言うとエラく若い感じがするな。私は14歳だった。
歳取ったな~、オレも。

60おお、入り口にJMD:1!
私はこのモデルが好きで、一生懸命プロモーションをした。
発売してから間もない頃、ポール・ギルバートがソロで来日して、このモデルを薦めると気に入ってすぐに使ってくれた。
25
実際にこのモデルを使っていた田川ヒロアキさん等にお願いして、まだそれほど盛んでなかったデモ動画をウェブサイトに載せたりした。
もう知らない人の方が多いだろうから少しだけ話をさせてもらうと、デモンストレーターの皆さんには好きなチャンネルを3つ選んでそれを活用した短いオリジナルのデモ曲を3つずつ書き下ろして頂いた。
その3曲に私が「J」と「M」と「D」が最初に来る曲名を勝手に付けさせてもらった。こういうことをするのが好きなんですよ、私は。
残念ながらもうそのタイトルは忘れてしまったが、ひとつハッキリ覚えている題名がある。
それは「Denbigh Road Run Down」と題したヒロアキくんがクリーン・トーンを使って作ったバウンス・ナンバー。
実はコレはテナー・サックスの巨人、ソニー・ロリンズのImpulse時代の『East Broadway Run Down』というアルバムのパクリなのです。
で、この「East Broadway Run Down」という英語を「イースト・ブロードウェイを駆け降りる」と訳していたのが、かの植草甚一さん。
「Denbigh Road(デンビー・ロード)」というのは、Marshallの工場の前に通っている道路の名前。
お昼になると工員たちはこの道路を通って、みんなでおしゃべりをしながら近くのTESCOというスーパーに買い出しに出かけるワケ。
ヒロアキくんの作った明るい曲が、その楽しそうな姿にマッチすると思ってまさに「デンビー通りを駆け降りる」というイメージだったのね。
ところが、大分後になって気がついたのは、このロリンズのアルバム・タイトルにある「run down」というのはダブル・ミーニングになっていて、「rundown」に「概要報告」という意味があることを知った。
「デンビー・ロード概要報告」という意味で取ってもいいんだけど、ヒロアキくんにはチョット悪いことをしちゃったかな?と思って…。
ああ、スッキリした。
長い間このことをどこかで懺悔しようと思っていたのだ!

Ebrd そうした効果が少しはあったのかどうかは知らんが、日本ではJMD:1の売り上げが他の国より大きかったらしい。
それで会議の時に、世界から集まったディストリビューターの前で「どうやってJMD:1をPRしたか」を演説させられたことがあった。
何の前触れもなく会議中に急に振られてチョット困ったが、マァ笑いは取ったかな…と。
英語で笑いが取れれば上出来、上出来!

70v「SHRED ZONE」か…これからもその面積をキープ、あるいは拡大し続けて欲しいものだ。

75vサイン会の時間が近づくとワサワサと人が集まって来る。

90In Flamesのビヨルン・イエロッテ。
この人、いい人なんだよ~。
何回か一緒になっていて、来日時に滞在していた赤坂のホテルの部屋にお邪魔したこともあった。
このフランクフルトの数年後に幕張で再会した時も「ヤアヤア!」と私の方を抱き込んで挨拶してくれたっけ…私のことなど覚えていないのに。
110vこの年のデモ・ルームのようす。
ジャ~ン、NATAL登場!
この時はまだEDENはMarshall傘下には入っていなかった。

120バーニーがブルースを演ってたけど、ギターも歌もメチャクチャかっこよかったな~。
こんなにコロンコロンになっちゃったけど、ひと度ギターを弾き出したらもう大変。
やっぱり日本人のロック・ミュージシャンが演るブルースとは、トーンやアーティキュレーションが全く違うんだよね。
こういうチョコっとしたパフォーマンスにこそ、向こうの人たちと日本人の間の音楽の歴史や食べ物に大きな差があることを発見するね。
歌もうまいんだよな~。
私のバーニー・マースデンはBabe Ruthであって、Whitesnakeのバーニーは知らない。
どちらかというと、「いつもニコニコしながらアイスクリームを舐めているオジさん」というイメージだっただけに、この時すごく感動したのを覚えている。

130vこの年からMarshallのブースとは別棟にある打楽器エリアにNATALのブースが開設された。

140結局、翌年以降はフランクフルトに行かなかったので、コレが最初で最後の私が見たMESSEのNATALのブースということになる。
こうして見るとエラく立派だったんだナァ。

160vNATALの原点であるパーカッション類もズラリ。

170エルトン・ジョンのバンドでドラムを叩いているというスイス・クリスというドラマーがデモンストレーションをしていた。
なかなかのコワモテさんだったけど、クリスはある理由で大変な日本ビイキで、私にはやたら親しくしてくれた。

180v1965年創業のイギリスの名門パーカッション・ブランドはいえ、当時日本に入って来なかったため、この頃はNATALの名前を知る人といえば、私をはじめとしたMarshallの関係者と私の家内ぐらいだった。
それがおかげさまで、今となってはドラマーさんたにちはもちろんのこと、ドラムスを演奏しない一般のロック・ファンの間にもその名前が浸透してきて、本当にうれしい限りなのです。

150ビックリしたのはヴァイオリンの武藤さん。
当時、和佐田竜彦さん、そうる透さん、小川文明さん、田川ヒロアキさんらと組んでいたSPICE FIVEというセッション・バンドに参加していたのがヴァイオリニストの武藤祐生(ひろお)さんで、何の予告も情報もなく本当にいきなり会場でバッタリと出くわしたのだ。
武藤さんはお使いになられているエレクトリック・ヴァイオリンのデモンストレーターとしてメッセに参加されていた。
バッタリ出くわした武藤さん、すかさず「ドイツ人のお友達はいませんか?」とおっしゃる。
この時は東日本大震災の発生から2週間ほどしか経っていなかった。
武藤さんはその犠牲者や被災者に捧げる詩のドイツ語訳を持参していて、現地在住のネイティブのドイツ人にその詞を朗読してもらい、録音して自分のステージで流したい…ということだった。
ドイツで困ったらすぐウーヴァ…ということで、ポリツァイの所で登場したウーヴァに頼んでみた。
彼は話を聞くと即座にOKしてくれて、武藤さんが持って来たレコーダーにその詞を吹き込んだ。
そして、武藤さんのヴァイオリンとともにウーヴァの朗読が会場に響き渡った瞬間が下の写真。
コレがよくヒロアキくんが時々思い出したようにステージで歌っている「♪ドイツでバッタリ~!」の真相。
「♪ドイツでバッタリ~!」は大変感動的なシーンだったのだ。

190vこの時は珍しく夕方からフランクフルトの繁華街に出かけた。
Marshallではないメーカーのパーティがあって、その会場に出向いたのだ。
ホラ、またロッキー・ホラーをやってる。
ホントに向こうの人はロッキー・ホラー好きだよ。

200vミュージカルの『Tommy』もフランクフルトに来たんだね。
日本は演らなかったでしょ?

210v桜のような木が美しい薄暮のフランクフルトの繁華街。
でも、どこか冷たい感じがする街なんだよな~。

220パーティの会場はなかなかのモノだった。

230昔は食料品の貯蔵庫、戦時中は防空壕というところかね?

240なんかドイツ感満点?

250トイレに行く通路もこの通り。

260このシリーズの最初の方の回で…フランクフルトという街は、「世界でも最も多くの人種が交錯している危険な街なので、夜のひとり歩きは厳禁」とMarshallのベテラン・スタッフに諭された…と書いた。
そんなことがあったので、仲間が滞在するホテルから離れた繁華街を夜間にひとり歩きするようなことは一切しなかったが、この時はひとりではなかったので酔い覚ましに少し夜の街の散歩を楽しんだ。
私のような品行方正な人間にとって、明るいうちに見ておもしろくない街は、夜もおもしろくないワケで…。
でも、この建物は昼夜を問わず目を惹いたな~。
「旧オペラ座(Alte Oper Frankfurt)」は1880年だからそう古いモノではない。
…と言いたいところだが、元の建物は1944年の連合軍の空爆によって廃墟と化してしまい、一時は撤去されそうになったが、「ドイツ一美しい建物」の呼び声も高かったため、市民の抗議や寄付金によって外部を完全に復元する形で1981年に復活した。
その際、内部は従来の歌劇場の様式ではなく、多用途に使える普通のコンサート・ホールにしたそうだ。

2701880年のオープン時のコケラ落としはモーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』で、時のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世と皇太子(のちのフリードリヒ3世)らが客席にいたそうだ。
その後、ワーグナーの最新作や、リヒャルト・シュトラウス、プッチーニなどの著名なオペラが次々に上演された。
カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』も1937年にココで初演されたんだって。
『カルミナ・ブラーナ』もサ、初めて聴いた時は「カッコいい!」と思ったけど、テレビのそこら中で安易に使われているもんだから、最も聴きたくないクラシックの曲の筆頭になっちゃったよ。
「それではお答えいただきます!」みたいな大決心のシーンでは必ず「カルミナ」じゃん?…ウンザリ。
ロックでは「B〇〇n」、ジャズ/フュージョンでは「S〇〇〇n」、クラシックでは「カルミナ」。
コレが私の「3大耳タコ曲」。家では絶対に自発的に聴かない。
世の中、他にもいい曲がいっくらでもあるんスけどね~。

280下は駅前にあった中華料理店でのひとコマ。
ホテルの近くにも中華料理屋があって、以前ニコ・マクブレインなんかと食べに行ったことがあったんだけど、マ~ズくて、マズくて…。
ある時駅前を歩いていて、ゼンゼン中華風ではない出で立ちのこのお店を見つけて入ってみた。
餃子が恋しかったんだね。
お店に入って早速餃子を注文すると、中国人のウエイトレスが「大丈夫ですか?」と訊いてくるんだよね。
「ハ?ナニが?」と尋ね返すと「量が多い」と言う。
こっちは腹ペコだったし、恋しい餃子がもうすぐ食べられるとあって「ゼンゼン大丈夫!」と答えたものの、出で来た餃子を見て驚いた。
直径5cmはあろうかという真ん丸でキツネ色の物体がすき間なく皿一杯に乗っかっている。
数えると19個!
それでも行けちゃうような餃子ラブ。
しからば醤油に、ラー油タップリとお酢少々…と。
ところが!ないのよ…それが。
テーブルの上に乗っていのは、大きめの醤油さしのようなガラス容器に入った黒酢のみ。
この黒酢だけで喰えっていうワケよ。
「エ~!酢は苦手なんですけど~!」と思ったけど、食べてみたらとてもおいしくて19個ペロリ。
 
…ということがあったので、この年も予定が空いていたので「世界中どこへ行ってもやっぱり餃子とビールでしょ」なんて言いながら、その中華料理店に行った。
予定通り、ビールで餃子を流し込んでいると、若い女性が「あの~、おひとりですか?」といきなり声をかけてきた。
流ちょうな日本語だったので「はい、そうですよ」と答えると、「ボク、日本語の勉強をしているんです。日本語の練習をさせてください」と、その女の子が勤め先の名刺の漢字表記の自分の名前にカタカナで読みがなを振って私に差し出してきた。
名刺を見ると、メッセに出展している台湾の会社の方々だった。
そして、「一緒に飲みませんか?」と誘ってくれるので、ホテルに帰っても寝るだけだし、ありがたくお誘いを受けることにした。
そしたら、盛り上がっちゃって、盛り上がちゃって!
ナニでそんなに盛り上がっちゃったのはサッパリ覚えていないけど、日本語と英語が飛び交って、メチャクチャ楽しかったナァ。

290もうとにかく飲め!飲め!とエライ騒ぎになっちゃって、最後にお勘定の一部を支払おうとしたら、ガンとして一銭も受け取らない。
押し引きしていても仕方ないので、お言葉に甘えてこの場はありがたくごちそうになった。
翌日、この方々のブースを探し出して、余分に持って来ていたお土産をお渡ししてお礼に代えさせてもらった。
下の写真以外にも全員とツーショットまで撮っちゃいましてね。あまりにも恥ずかしいのでココには載せない。

300コレで「私のフランクフルト」は終わり。
ま、酒席の写真で終わるのもナンなので、ゴメンナサイ、「スピンオフ」と称してもう1編だけ記事を上げさせてください。
それはオールド・ロックファンに、多分、楽しんで頂けるような内容になるハズ。

285<次の『スピンオフ』でおわり>
 

200 
(一部敬称略 2011年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)