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2018年4月11日 (水)

私の南松本

  
今日はチョット変わった記事。
信州は松本駅のひとつ隣に「南松本」という駅がある。
その駅から線路に並走して国道19号線をホンのしばらく行くと、セメントのサイロが密集しているエリアに出くわす。

20そのウチのひとつがコレ。
向かって右側の大きいのが普通ポルトランドセメントを貯蔵している5,000tサイロ。
左が高炉セメントが入っている1,000tサイロ。
チョットわかりにくいけど、右の大きなサイロと建屋の間に付いている小さなサイロは早強セメント用で容量は100tだ。
詳しいでしょう?
ココへ何百回来たことか…。
こういうデカい入れ物に入っている粉末商品も棚卸し作業をするの知ってる?
どうやってやるかというと、サイロのてっぺんに棚卸し用の小さなハッチがいくつも付いていて、そこから先っちょに剣山のようなモノが付いた長~い巻尺をソロリソロリと降ろす。
するとその剣山が中に入っているセメントに当たったな?…と感じたところで巻尺の値を読んでハッチからの距離を記録する。
中に貯蔵されているセメントの量が多ければ当然その巻尺の値は小さくなるし、量が少なければその反対のことが起こる。
当然サイロの高さは予めわかっているので、計測した値をそのサイロの高さから引き算すれば、そのハッチの下にどれだけの高さまでセメントが詰まっているかが判明する。
ところが、サイロの中のセメントは絶対に真っ平らにはなっていないので、いくつもの場所でこの作業を繰り返して、それぞれ計測した値の平均値を取って容積を計算する。
最終的にはセメントは重さで量を表すので、この容積に比重をかけて重量にしてやる。
コレで棚卸しは終わり。
なんとプリミティブな!
サイロのてっぺんに上がって見渡す松本平のナント美しいことよ!
ところがコワいのなんのって…。
真ん中の渡り廊下を歩く時なんかもうヒザが笑いまくり。
どうして私がこんなことをしていたのかはご想像にお任せします。

30もうひとつ…駅の近くにあるのがこの「南部公演」という名前の公園。

50ちょうど桜がいい感じ。
しかし、日本っていうのは美しい国だよ。
敢えて政治のことを考えないようにすると、本当にいい国だと思うね。
みんな祖国が一番いいにキマっいるのでベトナムのことをどうこう言うつもりはないけれど、日本帰って来てからつくづく「日本」っていい国だって思うようになった。
今、コレを書いている瞬間でもそう思ってる。

60ココ、す~ごくいい公園なの。
40上に書いたように1988年から1996年にかけて、この辺りには何百回来たかわからないが、こんな公園があったなんてゼンゼン知らなかった。

70公園の入り口で写真を撮る私。
ナニを撮っているのかというと…

80コレ。
公園の表札。
ギターの形をしてるでしょ?
実はココはマツモク工業の工場の跡地なのだ。
ベテランのギター愛好者であれば「マツモク」、あるいは「松本木工」の名前にはきっと馴染みがあることだろう。
線路の向こうの国道19号線のそのまた向こうには「松本木工団地」という工業団地があるが、それとは関係ない。
マツモク工業は世界に誇る日本のギター製造の草分けだった。

90今年のNAMMのレポートでこんな写真を掲載した。
シカゴの通販会社のスタンドに飾ってあった日本製の楽器の数々。
「日本の楽器メーカーは100年の長きにわたって、その素晴らしい品質により世界中の信頼を得て来た」とそのクォリティを称賛していた。
ココに飾ってあるバーニー・ケッセルがまさにVenturaブランド名義のマツモク製。

120v 私は国内の楽器製造の知識に疎いし、当時のご関係者が現在も業界にいらっしゃることも珍しくないので、知ったかぶりはキレイに避けることにする。
つまり、日本でのギター製造が盛んなりし頃の状況は各自でお調べ頂きたいということ。
 
ホンの少しだけ誰にも怒られないようなことを書いておく。
マツモク工業は元来「シンガー日鋼株式会社」というシンガーと日本製鋼所の合弁企業の子会社だった。
つまり、アメリカのシンガーの孫会社に当たる。
あ、もちろんこんなことは全く知りませんでしたよ。今回調べた。
「シンガー(Singer)」なんて会社知ってる?
19世紀に創業したアメリカの名門ミシン・メーカー。
ナンだってミシン会社の孫会社がギターなんかを作り出したのか?…ミシンの構造が時代と共に変化して、木工部分のパーツが減少したため、ギターの製造に乗り出したのがキッカケだったのだそうだ。
木工の技術を持っているからね。家具の製造業との共通点も多いようだ。
反対に現在では高級車の室内に使われる木工パーツを製造しているギター・メーカーなんかもあるもんね。
しかし、「ミシン」ってすごく変な言葉だと思わない?「鰊」みたいで。
もちろん「ソーイング・マシン(Sewing Machine)」が転化したものなので、絶対に海外では通用しない…と、言うより果たして今、ミシンを使える若い人なんているのかしら?
そこで出番が回って来るのが私の母。
実は私の実家にはビンテージのシンガー製のミシンがあった。
母は洋裁学校を卒業していて、カタンカタンとそのミシンのペダルを踏んでは裁縫をしていた。昔は自分の洋服を自分で作っていたっけ。家のカーテンと同じ柄の服があったもんね。
そして、私が小さい頃、こう言ったのをハッキリ覚えている。
「このミシンはね、お母さんがこの家にお嫁に来る時に持って来たのよ。『シンガー』というアメリカ製のミシンでとても大事にしているの」
だから私は「シンガーのミシン」というのをかなり小さい時から知っていた。
下の写真はウチのモノではないが、今こうして見るとなるほど…ボディは木でできていたんだね。
大変にゴージャスなルックスだ。
こうして考えてみると、あのミシンのボディは松本木工製だったのかもしれない。
ペダルと回転軸を連結するベルトなんかは丸い形状の革でできていた。
こうなると居ても立っても居られない。
ウチのシンガー・ミシンの写真を撮らねば!
早速母に電話してみた。

100知らない間に母もスッカリ歳を取り、来年傘寿を迎えるに至るが、おかげさまでとても元気にしている。
横浜生まれの横浜育ちながら、ナゼが時折「ヒ」と「シ」がひっくり返ってしまう。浅草生まれ浅草育ちの父よりもよっぽど江戸っ子気質だ。
「お母さん、あのミシンってまだウチにある?」
「んなもん、あるワケないじゃない!もうずいぶん前に捨てちゃったわよ!」…と、相変わらずの気風の良さでスッポ~ンとした答えが返って来た。
考えてみれば「お嫁に来る時に持参した」ということであれば、60年前に作られたモノなワケで、それを長年ガンガン使っていたということになれば、どんなに良いモノであっても寿命は尽きるだろう。
「あんなに大事にしてたのに捨てちゃったの?!」と私が言うと、「そうね~…どこもかしこもスリ減っちゃって使い物にならなくなっちゃったのよ…」とホンの少しだけ寂しそうな口調で答えていた。
その愛器の後、電気ミシンを買ってはみたが、全く気に入らず、結局ミシンからは遠ざかってしまったとのこと。
やはり、足でペダルを踏みながら感覚的に操作できないといい裁縫仕事が出来ないのだそうだ。
まさか今頃、自分がMarshall Blogに登場しているだなんて夢にも思っていまい。
下の写真は50年以上前の母。
本当は車全体をフレーミングした横組みの写真で、今は亡き父が撮った。
まだオートフォーカスも自動露出もない時代の写真だが、ピントもキチンと送れているし、露出もすこぶる適正だ。
ウチの父は写真を勉強したワケではないが、母のポートレートをナニかのコンテストに送って賞を獲ったことがあったと言っていた。
カメラに凝ったという話しは父が生きている間、ただの一度も聞いたことがなかったが、あれだけの映画狂だけに写真は好きだったようだ。
こんなことまで親子ってのは似るものか…。
もちろん母が抱えている可愛い子はワタシ。

1_4cmm さて、話を松本に戻す。
南部公園の表札の裏には碑文が刻まれていた。

120読みにくいといけないので、文字起こしをしておくと…
「マツモク工業株式会社は約30年間この地でギターを生産してきたが、1987年2月、工場を閉鎖し解散した。
当時の職場を末永く偲ぶため、これを建立する

平成3年3月20日 同社有志162名」(読点並びに句読点の使い、算用数字への変換は筆者)

130マァ、1987年といえば私が長野に赴任して来る年の前年だからそう古い話ではない…と言いたいところだが、オイオイあれからもう30年も経ってんのかよ…フザけんなよ!早すぎるわ。
私が中学2年の時に初めて手にした6万円のストラトキャスターのコピー・モデルもココで作られていたのかな?…なんて思い出しつつこの碑文を読んだらジ~ンと来ちゃってサ。
ココで作られたギターの多くをMarshallが鳴らしたに違いない。

135冒頭に書いたようにホントに変な記事になっちゃった。
最後にひとつ…マツモク工業はギターの販売が不振で解散したのではなく、むしろギター製造の部門は業績がヨカッタらしい。
親会社のシンガー日鋼の意向を受けてスコンと解散してしまったとのこと。
その親会社もすでに2000年に解散している。

150(一部敬称略 2018年4月 南松本にて撮影)