緊急特集!<追補> Hipgnosis Collectionと下町のヒプノシス
昨日おとといと2回にわたり、HipgnosisのStorm Thorgersonの追悼特集を組ませていただいた。長大な拙文を辛抱して読破いただいた皆様には心から御礼を申し上げます。
こうして振り返ってみると、Led ZeppelinやUFO、Rainbow、Status Quo、Bad Company等々MarshallもHipgnosis同様、名盤誕生の一翼を担わせてもらっていたことに誇りを感じる。プログレ編はMarshallの出番がほとんどなかったけどね…。
今回の記事への反響も大きかった。さらにSNSを見渡してみると、「アータ、普段こんなの聴かないでしょうに!ホントにHipgnosis知ってんの?!」と思いたくなる人までがStorm Thorgersonの逝去を悼み書き込みを残していた。
私が認識ているよりはるかに広く深くHipgnosisの業績が浸透していたようだ。つまり、それだけジャケットの存在感は大きく、支持者の層も広く厚いということが言えるのかもしれない。
そして、これは何よりも貴重なStorm Thorgersonの遺産なのだ。
もうHipgnosisは終わりにしようと思ったが、新しい情報が舞い込んできたので今日は2日間の特集の追補をさせていただく。
さて、イギリスにもMarshall Blogに毎日目を通しているスタッフがいて、しょっちゅうここに登場するSteve Dawsonもそのひとりだ。
残念ながら日本語を解さないので、写真やテキストにちりばめられた英単語を見ているにとどまるが、案外内容を正確に理解していることに驚いたりする。
時折、翻訳ソフトを使ってもいるのであろう。でも、この翻訳ソフトもすさまじい仕事をする時があるから要注意だ。以前、アイルランドの友人になにかをしてあげた。するとすぐに彼女からお礼のメールが来た。しかも気を使ってくれて、それは翻訳ソフトを介した日本語によるものだった。それにはこう書いてあった。
「わたしはあなたにありがとうではありません」
もちろんそんなことを言おうとしているワケがないのはすぐにわかる。さっそく彼女に知らせたが、PCの向こうで顔が赤くなっているのがわかるぐらい謝っていた。こわいですね。
さて、そのSteveから面白い話が届いた。もちろん昨日今日のマーブロを見てのこと。話はStorm ThorgersonとJimmy Pageのやり取りに関することだ。
やはりイギリスでも70年代のHipgnisisの人気は相当高かったらしい。
本編にも書いた通り、Led Zeppelinは5枚目のアルバムで初めてHipgnosisにジャケット・デザインを発注した。そして、StormがデザインのアイデアをJimmy Pageに提示した。それはLed Zeppelinのイメージが組み込まれたテニス・コートの絵柄だったという。
Jimmy Pageはそのデザインが意図することが分からずStormに尋ねた。
「テニス・コートとLed Zeppelinって何か関係があるのかい?」
するとStormが静かに答えた。
「あるじゃないか。ラケット(racket)だよ!」
Jimmy Pageはこの発言に大層気分を害し、部屋を出て行ってしまったという。その後、他のHipgnosisのスタッフに仕事を頼んで出来上がったのがコレ。
この事件で『Led Zeppelin V』、つまり後の『Houses of the Holy』の発売が3か月遅れたという。
ナゼJimmy Pageがそれほど怒ったのか…。
実は「racket」というのはイギリスの都市部のスラングで、「雑音」という意味があるのだそうだ。それとテニス・コートを組み合わせた一種の楽屋落ちだったのだ。
やるナァ~、Storm。天下のLed Zeppelinの初の仕事でこんなことしちゃうんだもんだナァ~。ま、StormもまさかそんなにJimmy Pageが怒るとは思わなかったんだろうね。「ウ~ケ~る~」と言われると思ったんじゃない?
でも、『Houses of the Holy』がうまくいって、この後『Physical Graffiti』は飛ばして→『Presence』→『The Song Remains the Same』→『In Through the Out Door』→『CODA』と最後までHipgnosisで行っちゃった!
さて、もうひとつ。
このMarshall Blogのバナーを制作していただいた梅村デザイン研究所(梅デ研)主宰の梅村昇史氏のことだ。
梅村さんには他にもShige Blogのバナーも制作していただいており、全幅の信頼を置くビジュアル面での私の仕事のパートナーだ。梅村さんも先にご登場いただいた著名なコレクター、植村和紀さんのご紹介だった。要するにZappaにしてZappa道の師匠でもある。
氏はZappa以外の音楽にも当然造詣が深く、おしゃべりの機会があると、Zappaについては言うに及ばず、The Beach BoysからOrnet ColemanやArchie Sheppまでありとあらゆる音楽の話ができて滅法楽しく勉強になる。もちろんEdgar VareseやXenakisのような現代音楽もよく聴き込んでいらっしゃる。
ヒックリ帰っちゃったのは、仕事の打ち合わせで拙宅においでいただいた時、パーカー派アルト・サックスの巨人、Phil Woodsの1967年の珍盤『Greek Cooking(Impulse!:Phil Woodsがウードやブズーキを演奏するギリシャのミュージシャンと演奏した地中海丸出しのキテレツなジャズ。これが超絶技巧とスリリングな曲展開でかなり楽しめる)』をかけた時、「あ、これフィル・ウッズですよね?」と言い当てた時だ。これには驚いた。
つい先日もアルゼンチンの作曲家、Alberto Evaristo Ginastera(いわゆるヒナステラ)を教えてもらった。
ところで、梅村氏は「下町のひとりヒプノシス」を標榜されていて、先日の【号外】でも紹介した『WALK AWAY RENE』もシッカリと熟読されていた。
そのせいか、初めて梅デ研の作品を目にした時からすっかりそのタッチに惹きこまれてしまった。
したがってShige Blogを始めたり、Marshall Blogを再開するに当たっては、絶対に梅デ研作品をバナーに据えることを決めていた。
そして、2人で組んで最近仕上げたのがおなじみのMarshallプレイヤー、田川ヒロアキの『Ave Maria』である。私が撮った写真を実にうまく使ってくれた。
また、他にも数々のCDジャケットやボックスセット、音楽書籍等の商品のデザインを手掛けている。
いずれMarshall Blogでユックリと「下町のひとりヒプノシス」の作品を紹介したいと思っているが、今日はお気入りを3点ほど氏に選んでもらったので予告編的に作品を紹介しておく。
まずは1975年、Allan Holdsworth在籍時のSoft Machine、「ラジオブレーメン」用に収録されたライブの日本国内盤。Holdsworth在籍時のMachineは大層人気が高いからね。
オリジナルのHipgnosisを無理に模倣したかのようなジャケットより、梅村さんのこの手書きの細密画の方が格段に素晴らしい。よく見ると絵の中の建物についている看板にひとつひとつ内容に関する名称が書き込まれている。こうした楽屋オチ的なコリ方も梅デ研作品の楽しみ方だ。
Ornette Colemanのベース、Jamaaladeen Tacuma(ジャマラディーン・タクーマ)のアルバム・ジャケット。マーブロのバナーもそうだが、宇宙的なコラージュ手法も梅デ研の得意ワザのひとつ。
これ、素材を適当に並べたって絶対にこういう空気感は出ないよ。このあたりはHipgnosisというよりCal Schenkelの影響が大きいのであろう。
これは人気DJ、植原良太のCDジャケット。こうした愛らしいイラストも魅力のひとつ。このあたりはGary Panterか?それと忘れてならないのはこの色彩感覚。これだけ極彩色に仕上げるととかくうるさくなりがちだが、梅村作品はいつでも上品で高級感があふれている。これも大きなポイント。
他にもSaul Bass(大好き!)を想起させる作品や50年代のジャズ風、一転してコンテンポラリーなテイスト等々、その魅力を語れば枚挙にいとまがないのである。
梅村デザイン研究所の詳しい情報は、このブログのサイドバーにある「【梅村デザイン研究所】ハルタンタハルタンチ」をクリック!
さて、その「下町のひとりヒプノシス」、数年前に何とStorm Thorgersonに遭遇したことがあるというのである。「ヒプノシス展」を観に行った梅村氏、帰りのエレベーターでStormとスタッフとたった3人で乗り込んでしまったそうだ。
Thorgerson氏がニコニコしていてくれていれば挨拶のひとつもできたろうが、その時かなりご立腹で怖かったそうだ。
Frank Zappaとエレベーターでふたりっきりになった岡井大二さんの話しみたいだ。Zappaは別段怒っていたワケではないが、そこにいるだけでものすごい芸術家のオーラが出ていてものすごくコワかったという。
この感覚はよくわかる。私もニューヨークのBirdlandで穐吉敏子さんを見かけた時コワくて近寄れなかった。もちろん優しい方なのだろうが、ヘラヘラとした自分の軽さが恥ずかしい気もした。
先に書いた通り、Stormは天下のLed Zeppelinにもそうした所業で自分の信念を貫くような人だ。きっと展示の仕方か何かが気に喰わなかったのであろう。
改めて真の芸術家の逝去を惜しみ、ご冥福を祈る次第である。