Marshall Blogに掲載されている写真並びに記事の転載・転用はご遠慮ください。
【マー索くん(Marshall Blog の索引)】
【姉妹ブログ】
【Marshall Official Web Site】
【CODE/GATEWAYの通信トラブルを解決するには】

« 【I REMEMBER 令文】Marshall Mania | メイン | 【I REMEMBER 令文】また逢う日まで2009~板倉ジュン・ラスト・ライブ・イン・トーキョー »

2022年11月10日 (木)

【I REMEMBER 令文】JAPAN HEAVY METAL FANTASY 関西なぐり込みギグ 2008

 
大谷令文さんの追悼特集は続く。
今回からは前のMarshall Blogに掲載されていたが、現在では閲覧できなくなっている令文さん関連の記事を復刻する。
今回は2008年3月1日に中野サンプラザホールで開催された『JAPAN HEAVY METAL FANTASY 関西なぐり込みギグ 2008』の思い出。
以前、2回に分けて掲載した記事を1本にまとめてお送りする。
 
高校生の時、つまり1970年代の後半、「どうして日本のロックは関西方面の方が盛んなんだろう?」と思ったものだった。
今でもMarshallを通じてお付き合いさせて頂いているミュージシャンのウチ、関西以西ご出身の方の比率がすこぶる高い。
コレはなんでなのかネェ。
「ケンミンSHOW」じゃないけど、やっぱり東西の文化の違いなんだろうな。
歌詞なんかを読むと、物事に対する感じ方の違いみたいなモノが確かにあって、関西の人が持つ感覚の方がロックに適しているように思える。
関西の方がロマンチックで熱い、というかクサイというか…。
反対に東の方はクールでスマート、というかツマらないというか…。
歴史的に見ると関西の方が圧倒的にブルース臭の強いバンドが多いことも注目すべきであろう。
今は交通網が発達したり情報交換が容易になったことでロックの地域性が失われている…ということはいつも書いている通り。
ま、そんな音楽的、地域的な背景からか80年代に起こったヘヴィメタル・ブームメントでも関西勢のバンドが気炎を吐いていたんだろうね。
…と、他人事のように書いているのは、いつも言っているように1981年ぐらいから私はロックから遠ざかってしまったので、そうしたムーブメントを直に体験していないのです。
「知らないこと」は「知らない」とハッキリ言います。
 
そこで、今更ながらこのコンサートのことを調べてみると、「関西3大メタルバンド」と称されていたEARTHSHAKER、44MAGNUM、MARINOの3バンドが、1982年10月24日に新宿ロフトで『関西ヘヴィ・メタル東京なぐり込みギグ Vol.1』と銘打ったライブを開催した…とある。
今でいう「スリーマン」ってヤツか…当時はそんなみっともない英語はなかった。
英語で正しく言うのであれば「トリプル・ヘッドライナー」だ。
「なぐり込み」なんていう言葉を使ったところを見ると、この頃はまだやっぱり東西のロック・シーンの間に大きな隔たりがあったように感じるね。
それより前の1980年と81年、私も三文役者に入れてもらって反対に大阪、京都、名古屋を回ったけど、ゼンゼン「なぐり込み」ではなかったもん。
やっぱり東京以外の人から見ると「東京」ってのは特別な場所なんだろうね。
で、そのロフトへの「なぐり込み」から26年経って、中野サンプラザで再演したのがこのコンサートだった。
 
リハーサルの時のようす。
この頃はまだMarshall Blogを始める前で、写真にも興味がない時分だったので、画像のクォリティの低さはご辛抱願いたい。
令文さん、MarshallのTシャツをお召しになって、即座に爆音!
90v_1 その爆音を発しているのは上段のメインの1959と1960BX。
システムはいたってシンプル。
ま、見た目もシンプルだけど。
ギターと1959の間に歪み系エフェクターとテープエコーを通しているだけ。
アンプとスピーカー・キャビネットの間にはアッテネーターをつないでいる…と言ってもアッテネイトしているのは10段階のウチの2段階程度。
キャビネットのスピーカー・ユニットは何回か交換していたそうだ。
ちなみにこの時の令文さんのエフェクター・ケースにはオリジナルのMarshall Guv'norをはじめ、歪み系のペダルが4ケ入っていた。
20vリアはこんな感じ。
上段のメインの方のリア・パネルにはポラリティ・スイッチが付けられている。
また、インピーダンス・セレクターもオリジナルのピン式からロータリー式に改造されている。
こっちの方が安全。
下のサブで使用している1959は型番が削られていた。
元々は1970年製の1992 SUPER BASSだった。
もちろんギター用に改造してある。
30v
令文さんのリグのトレードマークのひとつだったスライダック。
今、この写真では110V付近まで上げられているが、令文さんは歪みやクリーンによって微妙な電圧の違いを使い分けていた。
コレは令文さんのようにMarshallを知り尽くした人だからできるテクニックであって、良い子も悪い子も絶対にマネしてはいけません。40 この日会場にお邪魔してすぐに気が付いたのは、ステージにMarshallが並んでいなかったこと。
『HEAVY METAL FANTASY』にしてはチョット寂しいな…と思っていたら、「おい、Marshallはどうしたんだ?!」という声が聞えて来た。
どうも手配がされていなかったようで、その声を聞いて私の方からから協力を申し出た。
その場でMarshallを保管している倉庫へ連絡し、車を仕立てて中野まで運んでもらったのだ。1959left_2大急ぎで積み上げたものの開場時間には間に合わず、お客さんが見ている前での設営作業になったが、そんな場面など滅多に見ることはできないだろうから、それをご覧になったお客さんにはかなりレアな機会となった。60_1もちろん開演前には無事セット完了。
MODE FOURキャビが並んでいるところに時代を感じるね。
80コレで『鋼鉄の幻想』のステージにふさわしいルックスとなった!70冒頭に書いたように、この時はMarshall Blogを始める約2か月前のことだったので「コンサート本番の写真を撮影する」なんてことは全く考えていなかった。
よってライブの写真はなし。
この日、トップで登場したMARIONOは全9曲を演奏し、会場を大いに沸かせた。
令文さん、この真空管のイラストが入ったTシャツがお気に入りでずいぶん長い間お召しになられていたっけナァ。10vこの年の末には5,000セット限定で各バンドのパフォーマンスをDVDとCDに収録した6枚組ボックスセットが発売された。
現在手に入るのかどうかは存じ上げないが、こうしてこのコンサートがキチンと記録されているのはとても喜ばしいことである。
ウチではこの時に頂いたセットリストの紙を添えて大切に保管している。0r4a0101

200(2008年3月1日 中野サンプラザホールにて撮影)