【Music Jacket Gallery】日本のロック特集 <前編>
おなじみ大田区は鵜の木にある株式会社 金羊社さんの本社。
「大森」と「蒲田」を合体させて「大田」ですからね。
コレ、「森蒲」の方が威勢のいいカマボコ屋みたいでカッコよかったんじゃないの?
でもこういうのって「国立」みたいに頭文字同士をくっつけるのが定石だから、まずは「大蒲」か「蒲大」という案は間違いなくあっただろうね。
「おおかま」ね~、石川五右衛門じゃあるまいし…。
それじゃ「かまだい」か~…覚えにくいし、「蒲大区(かまだいく)」なんて言ったら新宿2丁目から来た大工みたいだしな~。
…なんて局面があったかどうかは知らないけど、こういうことを考えるのは楽しいな。
いつも通り、4階のギャラリーから『ミュージック・ジャケット・ギャラリー』をお送りする。
下は今回ギャラリーのようす。
パッと見ると、雰囲気は丸っきり変わらないんだけど、展示アイテムがいつもとは完全に趣きを異にしている。
…と言うのは、今回の特集は邦楽のコレクション。
MJGの常設展8年目にして初めての邦楽特集だった。
開催されていたのは2014年10月~12月。
もう8年も前に取材した展示なのよ。
ところが、この記事は初出なのだ!
書下ろし。
「ナンだって今ごろ…」ということになるが、実は私は洋楽に比べると日本のロックは「通っていない」に等しいぐらいの門外漢なんですわ。
どうだろう、聴いてきた時間の比率といえば90:10ぐらいか…あるいはそれ以下かも。
そんな知識に乏しい分野ゆえ、今回の展示の主旨を上のチラシの解説文より引用させて頂く。
「邦楽のLPジャケットは、70年代に入ると伝説のデザイナー集団(はっぴいえんど、サディスティック・ミカ・バンド、大滝詠一などの画期的なアートワークを手がけた)WORKSHOP MU!!などの出現で、それまでのアーティスト写真をメインとした単調なデザインから、ポップなイラストやコラージュなどのカラフルな意匠を施したポップ・アート的なものへと進化していきました。
ここでは、GS、アングラ、フォーク、ロック、ニューミュージックなど、J-POPの原型となる多種多様なアートワークをご覧になって、一気に40年前のよき時代にタイム・トリップしてください!」
こんなことをやっているような状態だから、今回ギャラリーに並んだ135枚の展示品で思い入れの深いアイテムが極端に少ないワケ。
そんなことで筆が鈍りましてね~、イヤ、「鈍る」というより「動かなかった」ということでございます。
でも、この時から8年。
ミュージシャンの友人も大幅に増えたことだし、何よりこの展示のことをMarshall Blogに半永久的に残しておこうと思って、8年前に撮った写真を引っ張り出して一から記事づくりに挑戦したというワケ。
書くことや書きたいことがあまりないのだが、それでも全く聴いていないワケではないので、引っ掛かりがあるアイテムについて、その思い出と脱線を添えて紙幅を膨らませてみようと思う。
何しろ私がレコードを買って好んで聴いていたメジャーな日本のロック・バンドでパッと出て来る名前と言えば…頭脳警察、サディスティック・ミカ・バンド、四人囃子、サンハウス、外道、パンタ&HAL、チャクラ…ぐらいかな?
はじめに言っておきますが、ニューミュージックとかシティ・ポップスとか呼ばれている類の音楽は本当に何にも知らないので、あらかたスッ飛ばします。
テクノとかパンクもカラっきしニガテだったのでそこんトコロよろしく。
コレだけ言っておけばもう誰も記事の内容の薄さに文句を唱える人はいないだろう。
さて、まずは…レコ―ド以外のアイテムの紹介から。
2015年9月25日付け日本経済新聞のスクラップ。
MJGの出展者である植村和紀さんが寄稿されているのだ。
ご自身の経歴や経験を交えて「ジャケ買い」の楽しさについて語り、国内版のレコード・ジャケットについての魅力をお述べになっていらっしゃる。
その植村さんの「洋楽日本盤」のジャケットへの探求心と情熱が昇華して上梓された本がある。
その名もズバリ『洋楽日本盤のレコード・デザイン』。
この植村さんの著作についてはMarshall Blogで1本編んでいるので、レコード好きで未読の方にはゼヒご覧頂きたい。
記事はコチラ⇒【Music Jacket Gallery】 植村さんの本!
それではギャラリーに戻って…。
今回のブロウ・アップ・ジャケットは久保田真琴と夕焼け楽団の『Dixie Fever』と遠藤賢司の『東京ワッショイ』。
「邦楽は聴かなかった」と言ったものの、『東京ワッショイ』は別。
四人囃子がバックを演っていることを知ってますます好きになった。
内容も横尾さんのジャケットも素晴らしいの一言に尽きる。
このジャケットに移っている雷門の提灯は裏側ね。
コレが提灯の近影。
雷門は幕末の1865年に焼失してからのその後、約95年もの間再建されなかった。
つまり、「雷門」なのに門がなかった。
しかし、ナショナルの松下幸之助が関節痛で苦しんでいるという話を聞いた浅草寺の清水谷恭順エライお坊さん(貫主)がご本尊に祈願したところ見事快癒した。
その感謝の気持ちを表したい松下さんにそのエライお坊さんが「それなら雷門を建てちゃってくんない?」と依頼した。
すると、松下さん「よろしおま。寄進致しましょう。その代わりなるべく名前は出さんといて願えますか」とお坊さんのリクエストに応えて雷門ができた…っていうんですよ。
で、それ以来ほぼ10年に一回、パナソニックが提灯を新調している。
交換の作業は「新門」が請け負う。
今日はやらないけど、知ってるでしょ?…「新門辰五郎」。
だから下の重化(提灯の火袋を受け止める輪っか)の表には「松下電器産業株式会社 現パナソニック株式会社」という銘板が張り付けてある。
「パナソニック株式会社」とするのは、カタカナの社名がこの場にふさわしくない…と思ったのか?
それとも松下さんの当時の気持ちを尊重して「松下」名義を残したのか?
正面は堂々と「松下電器」とクレジットされている。
ちなみに浅草寺って墓所を持っていないって知ってた?
エンケンさんに戻って…。
バナナがイカしてる。
得意のカレーライスも。
それでは展示の方へいってみましょう。
まずは最初のセクション。
一般的にGSというのは1967~69年をそのブームの期間としているようだ。
私が5~7歳の時。
ひと回り年上のイトコのお姉さんが夢中になっているのを目にして「ナンでこんなモノがいいのか?」とずいぶん不思議に思ったものだ。
しかし…「レッツ・ゴー!」という表現も「ヤング」という言葉ももう死んだな。
「ヤング」という単語を使うと「オ―ルド」になるんだからオモシロイじゃないか。
1969年、「グループサウンズ・ブームの頂点を捉えたオムニバス盤」という感じか?
あまりにも何の工夫もないデザインがかえって素晴らしい。
ま、昔はこんなもんだよね。
オリジナル曲とコピーを混在させたコンピレーション・アルバム。
収録されているバンドは…
ザ・スパイダーズ
ザ・テンプターズ
ザ・リリーズ(知らない)
ザ・ヤンガーズ(知らない)
ザ・ジャガーズ
ザ・カーナビーツ
なんだ、この「ザ」は!
日本人は「ザ」が好きだからナァ~。
「ザ・ビートルズ」の影響だったのかね?
「ザ」と付けるとプロっぽいとか、外タレっぽいとか?
収録されている9つのバンドのうち6つが「ザ組」。
「ザ」が付いていないのは、「森山良子」と「パープル・シャドウズ」。
「ザ・森山良子」にしちゃえばヨカッタのに…。
そして、意表をついて「デ・スーナーズ」。
「デ」?
「ザ」の間違いじゃないのか?
…と不審に思って調べてみると、1963年にフィリピンのマニラで結成されて彼の地で活躍していたバンドだそう。
加山雄三さんの目に止まり日本で活躍の場を移したそうだが当たらなかったそうだ。
フィリピンのバンドって演奏ウマいよね~。
で、コレがその「デ・スーナーズ」の1968年の『Portrait of D'Swooners』というアルバム。
「D'Swooners」と綴っていたらしい。
フィリピンのバンドだけあって、何となくタイトルもジャケットに使われている写真もグッと洋楽っぽくなった感じがしなくもないな。
取り上げているのは、現在では「ロックのスタンダード」と呼ばれているような曲ばかり。
「Sunshine of Your Love」、「Hello, I love You」、「Hey Joe」、「You Keep me Hangin' on」、「Light my Fire」みたいなヤツね。
こういう「コピー曲集」ってナニがしかの意味があったのかナァ?
ホンモノを聴いた方がよっぽどいいと思うんだけど…。
こうしたアルバムの意義がどこにあったのか、今度大二さんにお訊きしてみよう。
コピーはね~…見事にナニも残らないからな~。
最近、SNSへの投稿を見ていると、ベテラン勢がコピーばっかりやっているのが目につくけど、とても危険な感じがする。
コピーを演るのはアマチュアの特権であり、楽しみであり、少なくともプロが演るべきじゃないし、プロは音楽を創るのが仕事であって、コピーをうまく演じることではない…と思うんだよね~。
そして、誰も聴いたことがない音楽で時代を引っ張ってもらわないと。
コピーは「過去」、オリジナルは「未来」なのだ。
ザ・テンプターズの1968年のファースト・アルバム。
「サマータイム」とかストーンズの「Lady Jane」なんかを取り上げている。
そういえば、今から20年以上前、私が椎間板ヘルニアでひと月ほど入院している時のこと。
当時まだ私はタバコを吸っていて、歩行器を使って喫煙所に行くと、いつも顔を合わせる私より年上の人がいらっしゃった。
話をするとハスキーでとてもカッコいい声でね。
すぐ普通の人ではないと感じた。
私が楽器の仕事をしていることを告げると、やはりその方はミュージシャンだとおっしゃった。
臓器をお悪くされてお腹に管を通していらしたようだったが、一時退院許可をもらって舞台に上がっていらっしゃった。
失礼に思ってその方の素性を尋ねなかったのだが、大分経ってからその方がどなたかを知った。
あの頃にもう携帯が普及していたら写真の1枚も撮っておいたんだけどナァ。
…と、後悔で「スワンの涙」を流した私であった。
ザ・ハプニングス・フォーの1968年の『マジカル・ハプニングス・トゥアー』。
いいジャケットだ。
聖徳太子の1万円札なつかしいね。
昔、「テレビ朝日」が「NETテレビ」だった頃、平日の早朝に歌番組を放映していた。
私はそれを見ながら朝ごはんを食べて学校へ行くのを常としていた。
そこにレギュラーで出演していたのが「トランザム」というバンドで、「チト河内」という名前が毎朝クレジットで登場した。
こっちはまだ子供だったので「チト」って一体ナンだろう?と毎朝疑問に思った。
トランザムはチト河内さんと石間秀機がやっていたバンドね。
そのチトさんのお兄さんのクニ河内さんがやっていたバンドが「ザ・ハプニングス・フォー」。
ヘンな紹介の仕方になってしまったが、この辺りのことは詳しくないので恐る恐るやっております。
このアルバム、ナゼかルー・ドナルドソンの「Alligator Bogaloo(アリゲーター・ブーガル―)」を演ってるんだよね~。
昔はナンでもあり…というより、海外の音楽を貪欲に取り入れて新しいモノを世に送り出そうとしていたことが伝わってくる。
「ブーガルー」というのは60年代後半にニューヨークで流行したラテン・リズムのひとつ。
「Alligator Bogaloo」はその流行に乗って大ヒット。
このヒットには作曲者のルー・ドナルドソンが一番驚いたらしい。
レコーディングでは若き日のジョージ・ベンソンがギターを弾いている。
ルーは有名なアート・ブレイキーの『A Night at Birdland』にも参加しているハードバップの開祖的アルトサックス奏者で、今年96歳でご存命だ。
私はルーが結構好きでアルバムを何枚も持っているんだけど、これから「ジャズでも聴いてみようなかな?」なんて思っている人にはこの『The Time is Right』なんてアルバムはおススメです。
ジャズの楽しさがわかるであろう私の愛聴盤の1枚。
アレ?…「シャープファイブ」?
力也さんがいたGSの「シャープホークス」と勘違いしてしまった!
…と思ったら当たらずとも遠からず、「シャープ・ファイブ」というのは、その「シャープホークス」のバックバンドを務めていた「シャープホークスとそのグループ」が前身になっているのだとか…ややこしいな。
『The Sidewinder』という1966年のアルバム。
もちろんリー・モーガンの大ヒット曲の「The Sidewinder」。
ジャケットはごく普通…としか言いようがない。
このアルバムも貪欲だゼェ。
「The Sidewinder」の他、「Paperback Writer」や「Michelle」、「Paint it Black」、「バットマンのテーマ」、「ナポレオン・ソロ」、ジミー・スミスでよく知られる「The Cat」、先頃亡くなったラムゼイ・ルイスの「The in Crowd」、ハービー・マンの「Comin' Home Baby」などを取り上げている。
当時の最新ヒット曲を集めているという風でもないし、コレはファンかなんかのリクエストでも受けて選曲したのかしらん?
アルバムにはギターの三根信宏さんが参加している。
三根さんといえば、ディック・ミネさんの三男坊。
下は中村とうよう先生が監修されていることを発見して先日買った1枚。
いいね、こういうのは。
プライベートではもうすっかりロックを聴かなくなっちゃったナァ。
私はフォークも全くと言っていいほど通らなかった。
だから井上陽水とか吉田拓郎とかもゼンゼンわからないの。
唯一の例外が岡林信康だった。
1975年、中学校1年生ぐらいの時にラジオで偶然「チューリップのアップリケ」を聴いてかなりビックリした。
ああいうのを「ブッ飛ぶ」っていうんだろうな。
当時、あの歌の本当の意味はわからなかったけど「世の中にはこんな歌もあるのか!」と、途轍もなく大きなショックを受けた。
その後、その曲のことは忘れていたが、中学2年でクラスメイトになった安藤くんの家に遊びに行った時のこと…。
「あ、コレ!!」…フォーク好きの安藤くんはすでにボブ・ディランのレコードを集めていて、その彼のコレクションの中に「チューリップのアップリケ」のシングル盤を発見したのだ。
彼は「山谷ブルース」も持っていて、「『やまたにブルース』ってナ~ニ?」と訊いたことを覚えている。
それが私の岡林体験。
その安藤くんとは晴海で開催した『ローリング・ココナッツ・レヴュー』でホンモノの岡林信康を観た。
客席から「岡林帰れ!」というヤジが飛び、岡林さんは本当にステージから下りてしまった時のことだ。
その時に関する記事はコチラ⇒【Shige Blog】ローリング・ココナッツ・レヴュー・ジャパンの思い出
さて、そんな岡林さんなんだけど、買ったレコードは数枚しかなくて、ミュージック・マガジンで中村とうよう先生が100点満点をつけた『ラブソングス』すら持っていない。
でも、そのレコ発コンサートは行ったけどね。
だから、下のアルバムも持っていたことがない。
「わたしを断罪せよ」というのはチェ・ゲバラの言葉だそうで…。
ジャケットのデザインは矢吹申彦(のぶひこ)。
1969~76年まで「ニューミュージック・マガジン」の表紙を担当していた方。
そんなだから今回、初めて裏ジャケを見た。
こんな風になっているのか…裏面はエレキ仕様だったのね。
岡林さんはもうこの頃(1969年)にはロックを演りたくて仕方がなかったらしい。
しかし、周囲は「フォークの神様」に旧態依然とした音楽を演奏することを望んだ。
でも、気持ちはロック…つまり、「フォークの岡林」ファンを裏切っていることに対してこういうタイトルを適用したらしい。
「山谷ブルース」や「友よ」のような岡林さんの代名詞的な有名曲が収録されているけど、一番スゴイのは「手紙」だと思う。
私は大分後になってこの曲の存在と意味を知ったが、やっぱりこの曲も大きなショックだったナ~。
かつてはこうした社会的なメッセージを持っていた音楽をみんなで聴いていたんだよね~。
今の巷間の音楽は一体ナンなんだろう?
音楽は従来持っていた「音楽の力」みたいなモノを完全に失ってしまったと思う。
ただ騒ぐだけの音楽…そんなモノがいかにツマらないモノかを大衆が知る日は来ないだろうナァ。
きっと、音楽というビジネスが金にならなくなった時に、またシッカリしたオモシロイ音楽が出て来るのではなかろうか?
1970年のフォークのコンピレーション・アルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫はないだろう』。
この長いタイトルは「イメージの詩」という吉田拓郎の曲の一節だそうで…。
ああ、ゴメンなさい。
上に書いたように拓郎さんも「結婚しようよ」と「襟裳岬」しか知らないです。
スゴイ、人気なんだよね~。
「拓郎さんに夢中だった」という同年代かチョット上の人たちが多いことに驚きを隠せませんわ。
小学生の時、勉強を教わりに行っていた慶大生のお兄さんの部屋に吉田拓郎の大きなポスターが貼ってあってね、当時、拓郎さんはある事件を起こしてテレビでチョクチョク報道されていた。
まだ子供だった私はそれがどんな事件かが理解できず、そのお兄さんに「このポスターの人はナニをしたの?」と尋ねた。
するとそのお兄さんは「子供はそんなことを知らなくていいの!」と全く受け付けてくれなかった。
こんなどうでもいいことを覚えているのが不思議だな…よっぽどその事件について知りたかったのかな?
その事件は被害者の狂言で、拓郎さんは無罪であったことが立証されて事件は落着した。
これが私の唯一の吉田拓郎の思い出。
さて、そんな思い出志かないにもかかわらずこのアルバムを取り上げたのは、この「古い船をいま動かせるのは古い水夫はないだろう」という文句に惹かれたから。
ピンと来た。
コレを今のロックに当てハメてあげたらいいのではないか?と。
元の曲の中での意味は知らないよ。
でも、今のロックにピッタリではなかろうか?
金儲けの犠牲になって世代間の受け渡しに失敗してしまい、今や「斜陽」の代名詞と称しても過言ではないロック。
ベテランは旧態依然をキメ込んでいる間に、演る方も楽しむ方も超高齢化が進み、あと10年もすれば誰もライブハウスにも行かれなくなり、ロックから遠ざかってしまうだろう。
だって70歳になって2時間立ちっぱなしで、腕を振り上げて…なんてできないでしょうよ?
すると、観る人がいなければエンターテインメントは成り立たない。
一方では、ロックの本当の魅力を知らない薄っぺらな音楽に満足している憐れな若者の幼稚化が容赦なく進んでいる。
何とかしてベテランと若手の距離を縮めてロックを再開発できないか?
「ロック」という、歴史ある古い船をベテランの船頭さんの指示の元、若手の水夫が一緒になって動かすことはできないものか…と。
こんなことばっかり考えているんだよね。
曲と曲の間には1969年10月21日に新宿西口広場で起きた「反戦フォーク集会」の生々しい実況録音を収録されているそうだ。
次のセクション。
ゴメンね、ココは1枚だけ。
成田空港建設反対運動のさなか、1971年8月14日~16日にかけて開催されたフェス形式のコンサート『日本幻野祭』のライブ録音盤。
1971年というと、私は小学3年生だったんだけど、この「成田闘争」がやたらとテレビのニュースで取り上げられていたのを覚えている。
ロンドンだ、ロサンゼルスだと、スイスイと利用している成田空港も今ではセキュリティがすっかりユルユルになってしまったけど、昔はエラク厳重だったことを思い出す。
この成田空港問題というのは、元々「満蒙開拓団」の方々が被害者となって勃発したんだね。
敗戦後、苦労して開拓した満州やモンゴルの地から引き揚げてきて、政府の斡旋により成田に入植して、再び苦労して土地を開拓した。
ところが、今度は政府から説明も移転先の斡旋もないままに「新しく空港を作るから出て行ってください」とやられた。
そこで色んな筋の人たちが絡んで来て大闘争に発展した。
ヒドイ話よ。
政府なんて昔からやることはズッと変わらない。
何ともシンプルなタイポグラフィのジャケット。
フリー・ジャズの高柳昌行さんも出演していたんだね。
高柳さんは渡辺香津美さんの師匠のお1人だ。
後にDVDを同梱したボックスセットもリリースされたが、この1989年にリリースされたライブ盤『幻野ーEVIDENCEー』には8曲が収録されている。
私として気になるのは頭脳警察。
「世界革命戦争宣言」、「銃をとれ」他4曲が収録されている。
ココで脱線。
コレは以前に書いたけど、高校生の時、現在も活動を続けている三文役者というバンドのギタリストの大竹亨さんから頭脳警察の存在を教えてもらって夢中になった。
洋楽しか聴かない私にとっては結構大きなショックでね。
頭脳警察を聴くにつけ、学生運動に興味を持つようになった…と言っても参加したワケではありませんよ。
もうその頃はほとんど学生運動は消え去っていたからね。
でも、私とそう変わらない年齢の若者が数年前にナンだってあんなことを夢中になってやっていたかが気になった。
ちょうど高校2年生の時に『赤い雪』という連合赤軍に関する本が上梓されて読んでみた。
あの「総括」にはビビったし、凄惨な仲間同士のリンチ殺人事件には大きな衝撃を受けた。
当時の自分よりホンの4~5歳年上の若者たちが引き起こした事件だったからね。
そして、この本の中には日本赤軍の沿革を記した章があって、そこに掲げられていた文章にブッたまげた。
「ブルジョワジー諸君!我々はキミたちを世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、ココに公然と宣戦を布告するものである!」
いわゆる日本赤軍の「世界革命戦争宣言」よ。
「コレ、頭脳警察のヤツじゃん!」
それは頭脳警察のファースト・アルバムに収録されていた「世界革命戦争宣言」という曲(?)の文句だったのだ。
「そうか…元はコレだったのか~」と大変感心したものだった。
ところでこのファースト・アルバム…今でこそ簡単に手に入るけど、私が高校の頃は発売禁止の取り扱いを受けていて、高校生風情がナニをどうやっても手に入るシロモノではなかった。
それを三文役者のスタッフだった方にお願いしてカセットテープに入れてもらって聴いていたのだ。
この方にはやはり当時は入手不可だったサンハウスの『仁輪加』、『有頂天』、『ドライブ』3枚のアルバムもダビングしてもらって、それこそテープが伸びるまで聴いていた。
「銀蠅」というバンドもススメて頂いたんだけど、とうとう聴かずじまいだったナァ。
聴いておけばヨカッタ。
ところでこのジャケット…メチャクチャかっこよくない?
この三億円事件もビックリしたね。
我々世代ならきっと一度は夢中になる望月三起也の『ワイルド7』に「緑の墓」という話があった。
ワイルド7の単行本はたいてい上下の2巻組だったんだけど、この「緑の墓」は上中下3巻にわたる大作だった。
「緑の墓」というのは刑務所の名前で、収監してされている1人が自分の優秀さを伝える時にこう言う…「あの三億円強奪事件の計画の一部は私が担当したんだ」
すると、周囲の連中が「ムム、コヤツできるな?」となるんだけど、「計画の一部」ですからね。
いかにあの事件が頭のいい連中によって計画されたか…ということを示唆するカッコいい場面だった。
こんなどうでもいいことだけは実にハッキリ覚えているもんだ。
我ながら呆れるわ。
はい、もう次のセクション。
ゴメンね~、はっぴぃえんどは名盤の誉れ高い『ゆでめん』と『風街』は持っているものの、それぞれ人生で1回しか聴いたことがいないの。
チョット好みが違うの。
だから音楽の内容については一切触れません。
一方…コレはいいジャケットだナァ…目にするたびにそう思う。
小坂忠やサディスティック・ミカ・バンド他、数々の日本のロックの名盤のジャケットを手掛けたWork Shop MU!!の作品。
写真は1885年(!)に創刊したアメリカの女性雑誌『Good Housekeeping』からの引用。
コレは同誌の最新号。
大分ようすが違うね。
苦心惨憺して作り上げた作品に自分でこのジャケットを着せるなんてのは、よほどの自信作か、誰かに恨みでもなきゃできんぞ。
早川義夫という人の『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』は1969年の作品。
全然知らない。
でも、コレは気になって聴いてみた。
ナンじゃコリャ?
…と、思って調べてみると、この方は元ジャックスだったのね?…納得。
やっぱりこの感性はスゴイな…。
でもね、「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というのはわかるような気がする。
私が思うのは「かっこをつけることはなんてかっこ悪いんだろう」という意味ね。
バンドのポートレイト、いわゆる「アー写」なんかを指してそう思っているんだけど、ふさわしくない人がしかめっ面をして無理にカッコを付けているのを目にすると、どうしようもなく滑稽に見える。
カッコ悪ければカッコ悪くてもいいじゃん。
もしカッコ悪いならニコニコしちゃえばいい。
人間はどんなデザインの人でも笑顔が一番カッコいい。
自分が歳を取ったせいかも知れないが、ヘタに自分を作るより「自然体」でいた方がはるかにカッコいいと思うようになった次第。
1970年の岡林さんのベスト・アルバム。
コレ、1回買ったことがあったナ。
初期の代表曲がズラリと並んだゴージャスなアルバム。
「手紙」は入っていない。
だからこの曲を知るのが大分後になってしまったのかも知れない。
ジャケットは立派なイラストだネェ。
落田謙一という人の作品。
チャンと「私を断罪せよ」のチェ・ゲバラが描かれている。
真ん中の丸のおジイさんはアイゼンハワー。
左端はルーズベルトか。
チャップリンも描かれているね。
もうコレ以上のことはわかりません。
ああ、今日の仕事もツラかった…。
だんだん調子に乗ってきたゾ~。
次の棚に行ってみよう!
内容の良さがジャケットを磨き上げるのか、ジャケットの良さが内容を引き立てるのか…こういうのこそが「相互作用」というんだろうな。
洋の東西を問わず70年代中盤までのロックのレコードは内容、ジャケットともにとてもクリエイティブだった。
1974年の四人囃子の『一触即発』などは最も良い例ではなかろうか?
この頃は音楽もアートもまだまだできることがたくさんあったということなのだろう。
私が愛聴した数少ない日本のバンドのひとつである四人囃子。
今ではNATALドラムスを通じて岡井大二さんと親しくお仕事をさせて頂いているのはうれしい限り。
このアルバムについて話をした時、大二さんは森園さんのギターを絶賛していらした。
その意味合いは、森さんが弾く「おまつり」や「一触即発」のイントロの(リフではなく)ソロのメロディが「ロック史に残る名ソロ」として多くのギタリストにコピーされ、スタンダード化している…という洞察だった。
全く同感!
海外のロックならエリック・クラプトンの「Hideaway」やジミー・ペイジの「Stairway to Heaven」、ジャズならチャーリー・パーカーの「Now's the Time」やコルトレーンの「Giant Steps」みたいなモノだね。
やっぱりこのアルバムはスゴイよ。
裏ジャケもいい。
先日、プログレッシブ・ロック発祥の地であるイギリスの人と日本人のプログレッシブ・ロックに対する感覚の違いについて一筆認めた。
記事はコチラ⇒プログレッシブ・ロックってナンだ?
…にもかかわらず、日本人的感覚で言ってしまうと、このアルバムには「空と雲」、「おまつり」、「一触即発」といった日本を代表するプログレッシブ・ロック・バンドの四人囃子の代名詞的名曲が収録されているが、もしかしたら「ピンポン玉の嘆き」が一番プログレッシブ・ロックっぽいのではないか?…なんて思うのだが、どうだろう?
そして、コレは以前にもどこかで書いたことだが、ゴドレー&クレームがどうもこの曲をパクっているのはないか?の疑いが私にはいまだにぬぐい切れない。
『ギズモ・ファンタジア』という世にも間抜けな邦題を付けられて気の毒だった『Consequences(結果)』というアルバムの2曲目の「Wind」という曲。
四人囃子のピンポン玉が転がる音をマリンバで再現し、そこにギターのアルペジオが絡む。
「ピンポン玉の嘆き」は7/8拍子で「Wind」は4/4拍子、使っている音階は異なれど、サウンドの作り方がウリ2つなのだ。
四人囃子は1974年、ゴドレー&クレームは1977年…ちょうどいい頃合いではあるまいか?
今回この記事を書くに当たって再度聴き直してみたが、疑いは晴れないな…。
やっぱり四人囃子はスゴイ!
1978年、Condition Greenの『Life of Change』。
このバンドはビックリしたよね~。
今でも大好きな人が結構周りにいるんだけど、私が『Mixed-Up』というアルバムを買っただけだったナ。
ライブを観たことがあるような気もするが、実際には一度も経験していない。
テレビに結構頻繁に出ていたせいだろう。
ヤマハの『EAST WEST '78』で入賞したTENSAWのファースト・アルバム。
この「EAST WEST」という名前ね…ナンだと思う?
当時、このイベントを担当していたヤマハの管理職が通っていた英会話スクールの名前だったそうだ。
本人の口からお聞きしたので間違いはなかろう。
今の若いミュージシャンは「イカ天」は知っていても「EAST WEST」なんて知らないだろうな。
恐らくテレビで見て知ったのだと思うが、「♪ドブ板に行ったらさ ヤツに伝えて…」と歌うこのアルバムに収められている「DOBUITA St.」という曲がとても印象的だった。
それ以来この曲を耳にした記憶はないので、アタマの部分だけとはいえ1回聴いただけで覚えてしまったこの曲のインパクトは相当強かったに違いない。
そんな忘れじの「DOBUITA St.」…今春、とあるバンドのビデオの撮影で横須賀を訪れた際、家内と一緒に生まれて初めて足を踏み入れてみた。
家内は横浜の出身で、昔の「ドブ板通り」を知っていて近寄るのをイヤがった。
要するに横浜の人たちにとっては「ガラが悪い」という印象がいまだに残っているというワケだ。
こっちはあの「TENSAWの歌の場所」ということしか頭にないので、イヤがる家内を引っ張って夕方に「ドブ板通り」に向かった。
もちろん「♪ド~ブ板に~、い~ったなら…」、「♪ド~ブ板に~、い~ったなら…」、「♪ド~ブ板に~、い~ったなら…」、「♪ド~ブ板に~、い~ったなら…」と鼻歌まじりである。
残念ながらこのアタマの2小節しか知らないので、このパートを繰り返すしかない。
へ?
コレが「ドブ板通り」?
「ガラが悪い」もナニもほとんど人がいないでないの!
もっと猥雑なイメージだったんだけどナァ。
ま、一応「来た」ということで…記念、記念。
しかし、TENSAWが出て来た時、まさか40年ほど経ってギターのTAKEさんと仕事でご一緒させて頂くなんて夢にも思わなんだナァ。
2月生まれのミュージシャンを集めた伊藤広規さんのプロジェクト『THE FEB』でのこと。
そのライブ盤の写真とライナーノーツを担当させて頂いたのはもう4年も前のこと。
早いナァ~。
コレは本当によく聴いた。
1974年、サディスティック・ミカ・バンドの『黒船』。
内容についてはもはや触れる必要はないでしょう。
このアルバムも内容とジャケットがバッチリとシンクロしたいい例だと思う。
アートワークは作詞家の松山猛さん。
写真はマーク・ボランやデヴィッド・ボウイで有名な鋤田正義さん。
ビジュアルのコンセプトに関してはロキシーと被り過ぎているとは思うけど…。
そのミカ・バンドがRoxy Musicのイギリス・ツアーの前座を務めた時のライブ盤が『Live in London』。
コレは有楽町のLo-Dプラザでよく聴いた。
この加藤さんの写真はどこで撮ったのかな?
コレも鋤田さんの撮影。
音源を収録したのは1975年10月17日と18日のウェンブリー・エンパイア・プール。
今で言う「ウェンブリー・アリーナ」。
下の写真の右側ね。
左はウェンブリー・スタジアム。
中はこんな感じ…デカイ。
元々は1934年の「大英帝国競技大会(British Empire Games:4年ごとに開催されるイギリス連邦の国々が参加する競技会)」の水泳競技のために作られた。
だから「Empire Pool」と呼ばれていた。
Marshallは創立50周年を記念するコンサートをココで開催した。
ウェンブリーの他に10月14日と15日のマンチェスターでの演奏も収録されている。
マンチェスターでの会場は「Belle Vue Manchester」というところ。
もう存在しない。
3年前にマンチェスターに行った時に繁華街の真ん中に「THE PRINT WORKS VUE IMAX」というシネマ・コンプレックスを見かけたが、この「VUE」は「Belle Vue」にナニか関係しているのかな?
音源としては収録されていないが、ニューカッスルの「City Hall」でも演奏をしたそうだ。
このホール、ELPの『展覧会の絵』やSladeの『Slade on Stage』、Motorheadの『No Sleep 'till Hammersmith』などのライブ盤が録音されたところ。
もう10年も経つけど私が訪れた時はイアン・アンダーソンのコンサートの予定が入っていた。
観たかった!
細野晴臣、1975年の『トロピカル・ダンディー』。
「チャタヌガ・チュー・チュー」なんて演っているのね。
ザッパもこの曲を「The Torture Never Stops」で引用していたっけ。
もちろん私にはなじみのないアルバムなんだけど、ジャケットがいいナァ。
イラストは八木康夫。
八木さんといえば…フランク・ザッパ。
八木さんはワーナー・パイオニア時代の一部とCBSソニー時代のザッパのアルバムのライナー・ノーツを書いていらした。
イラスト入りで楽しい解説だった。
そして、自分が書いたライナーノーツやフランスのザッパ本の翻訳で構成したこんな本を監修されて白夜書房から上梓されていた。
コレ、9,800円もしたんだよね~。
白夜書房って高田馬場のPhaseというライブハウスの並びにあるんだよね。
この会社がスゴイな…と思ったのは、こんなザッパの本を出版したこともあるけど、一時期テレビで放映していた自社のコマーシャル。
バリのケチャの1シーンなんだけど、「ビャクヤ、ビャクヤ」と聞こえるヤツ。
アレはスゴかった。
今でもYouTubeで見ることができます。
1977年、Far East Family Bandの『天空人』。
ジャケットのデザインはリンダ宮下という方。
チョット間違えるとナンですな…的なデザイン。
Far East Family Bandは喜多朗さんが在籍していたバンドですな。
EASTとか瀬戸龍介さんとか喜多島修さんとか、どうもゴッチャになってしまって…ゴメンなさい。
このシリーズは謝ってばかりだわ。
■□Marshall Music Store Japanからのお知らせ■□
快挙!
D_DriveのSeijiとYukiのビデオがイギリスで人気のギター・雑誌『GUITAR WORLD』のウェブサイトに登場しました!
↓ ↓ ↓
GUITAR WORLD PLAYTHROUGH
このビデオの曲が収録されているD_Driveのインターナショナル・アルバム第2弾『DYNAMOTIVE』を絶賛販売しております。
おかげさまで、中身もジャケットも皆さまから大変好評を頂戴しています。
コチラはリード・チューンのひとつ「だるまさんは転ばない(Red Light, Green Light)」。
また長らく欠品しておりましたインターナショナル・アルバム第1弾『MAXIMUM IMPACT』も入荷しました!
Marshall Music Store JapanでCDをお買い上げのお客様にはMarshallスクエア・ロゴステッカー3枚をプレゼント!
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan


