妖怪大戦争 <後編>~ 銀幕一楼とTIMECAFEとフィナーレ
さて、小岩。
実際に習ったことはなかったが、私が中学の時「小岩」という理科の先生がいらっしゃった。
私が通っていたのはドロッドロの男子校で、大人しくしていると生徒にナメられてしまうため、若かった小岩先生は生徒にやたらと厳しく、「コイワはコワイ」というキャッチコピーを自分自身に付けていた。
この先生、本当に小岩に住んでいた。
小岩ってこの南口は昔から比較的にぎやかだったけど、反対の北口は今と違って何にもなかった。
で、その南口に3つある商店街の中のこの昭和通り商店街…ココをしばらく行った左側に「珈琲園」というジャズ喫茶がかつてあった。
コーヒーがものすごく美味しいとてもいいお店だった。
1階は普通の喫茶スペースで、2階が昔のジャズ喫茶によくあった「おしゃべり禁止」の鑑賞スペース。
レコード・コレクションや立派なオーディオ装置(マッキントッシュだったかな?)は階下にあった。店内が吹き抜けになっていて、プレイ中のレコードのジャケットをその吹き抜けの空間に浮かばせているのがそのお店の大きな特徴だった。
どういうことかというと、レコード・ジャケットを収納するフレームに長いヒモをくっつけて、天井に付けられた滑車を使ってそのフレームを上げ下げする仕組みになっていたワケ。
レコード片面が終了すると、レコード係り、あるいはマスターがそのヒモを緩めてフレームを階下に降ろし、次にプレイするレコードのジャケットに入れ替えたらまたヒモを引っ張ってガラガラとそのフレームを空中に浮かべる。
換言すると、今かかっている気になるレコードのジャケットを手にすることができないのだが、それは後で1階に降りて行って、空中から降ろされたジャケットをチェックすれないい。
今では全く行かなくなったけど、私は「ジャズ喫茶」という空間が大好きで、大学生の頃よく通ってジャズの勉強をした。
桜木町のダウンビートなんて丸一日いたことが何回もあったし、その頃は有名な「ちぐさ」のマスターもまだ元気にしていた。
「ちぐさ」は日本のジャズ喫茶の草分け的存在で、まだレコードがベラボウに高価だった時代に、穐吉敏子や渡辺貞夫がお店にやって来てコーヒーを飲みながらスピーカーから流れて来るアドリブのメロディを採譜していたという。
小岩の珈琲園はそんな愛すべきジャズ喫茶の名店のひとつだった。
まだ残っているなんてことを期待せずに近くまで行ってみたが、もうどこにあったかのもサッパリわからなかった。
下の写真は珈琲園のマッチ。
その頃は私もタバコを吸っていたのでこのマッチ箱が家にゴロゴロしていたけど、アレ取っておけばヨカッタな~。
ジャズ喫茶のマッチ箱ってカッコよかったんだよね。
そういえばこのオリジナル・マッチの文化もスッカリなくなったね。それどころか、今の子供たちなんてもう「マッチ」自体を知らないんじゃないか?
少なくとも「燐寸」を読むことはできないかもね。
そして、昭和通り商店街とは反対側の商店街。
パッと見た目は変わらないな…でも、アレはもう無くなっちゃっただろうな…。
と、商店街を進む。
失礼をば致しました!
ありました!「音曲堂」というレコード屋さん。
今はわからないけど、以前は楽器も取り扱っていた。
いいな~、昔の「町のレコード屋さん」風情で。
あ、「楽器」って書いてある。
昔は本屋さんでレコードや楽器を売っているところも普通にあったんだよね。
それで、コチラさんの最上階にはチョットしたホールがあって、私が高校の時にその舞台に立たせて頂いたことがあった。
UFOのコピーを演った。「Shoot Shoot」と「Mother Mary」だったような気がする。
私にだってシェンカーに夢中になった時期があったんですよ!
そして、その時だったと思うけど、生まれて初めてBAD SCENEを見た。
ホンの数曲分の演奏時間だったのに、杉村さんと鴫村さんはMarshallのハーフ・スタックを持ち込んで、三根生さんも自前のツーバスのフル・キットを組み立てた。
たった2、3曲のためにですよ!
転換の時間がどうしようもなく長かったのも覚えている。
ビックリしたね~。「こんなバンドが日本にもいるのかッ?!日本人でもこういうハード・ロックができるのかッ?!」って。
なつかしいな~。40年ぶりに来たよ!
ハイ、北口に移動して京葉道路沿いのライブハウス、オルフェウス。
『妖怪大戦争』もトリの登場となる。
銀幕一楼とTIMECAFEの登場だ。
この日使用したJCM2000 DSL100のハーフスタックの隣に立てられた「銀幕一座」の幟。
「黒・柿色・萌葱」の配色は森田座の定式幕だ。イコール、銀座の歌舞伎座と同じ。
定式幕については犬神さんの記事に書いてあるので興味のある方はゼヒ⇒TOKYO BAKA EXPO 2017:犬神サアカス團単独公演『髑髏城』~私のディープ浅草 <その4>
かつては「江戸四座」と呼ばれた江戸の芝居小屋が後にひとつ減って、ナゼ「江戸三座」になったか、最近その理由を偶然知った。コワいよ、女の闘いは。
この話はまた別の機会に…。
犬神の明兄さんからお聞きして以来、観てみたかったチームのひとつ。
銀幕さんのおそろしいまでの存在感にヤラれっぱなし!
初めてのことだったし、そもそも何をするかがわからん!
銀幕さん、動きがオッソロしくシャープでうまく撮影するのが大変なのです。
それとね、こういうタイプの方って「オレってカッコいいだろ?」的なナルシシズムな要素を持っているのが普通だが、銀幕さんからはそういう意向が全く感じられない。
要するにサッパリしていて、メンド臭くないのだ。とてもありがたいことだ。
しかし、銀幕一座を知らない人がこの写真を見て、どういう音楽を演っていると思うだろうか?
いわゆる「ロック寄りの昭和ムード歌謡」っていうのかな?
「昭和歌謡」っていう言葉は好きじゃないけど、音楽自体は好きだ。
日本における大衆音楽の一番の悲劇は、「歌謡曲」と「日本のロック」の両方を大衆から取り上げてしまったことだ。
今、銀幕一座の存在意義はとてつもなく大きい。寒河江くん、いいね~。
まず音がいい。
実に色気のあるギター・サウンドなのだ。
実は寒河江君とは以前から面識があって、お父さんの影響で彼のルーツが昔のロックにあることも知っていた。
まさにそんな感じのプレイ。
今の若い人には珍しいスタイルだ。
もう速弾きもタッピングもスッカリ珍しくなくなってしまったからね。
最近はかえってこうした選び抜いたフレーズをいい音でジックリ聴かせるスタイルの方が目立ってきているような気がする。時に銀幕さんとユニゾンで舞い、時に単独で客席をあおる健太さんは小岩が地元。
パン屋さんをされているそうだ。
終演後、健太さんが焼いた人間椅子とNazarethのロゴが入ったパンの写真を見せてもらった。
大変おいしいと評判がいいので、今度、父の墓参りで市川に行った時の帰りにでもに寄ってみよう。
前説、キーボーズ、コーラス、後説と大忙しの山下さん。
銀幕一座の狂言回しといったところか?
顔も忙しい!
エイトビート、フォービート、なんでもござれの彩娘ちゃん。
コンパクトなドラミングが実に気持ちいい!
「ココ小岩に、ココ小岩に足を運んで頂きありがとうございます。リハからいつもよりソワソワとしています。
終わったら『お疲れさま!』と声をかけてあげてください。きっと喜ぶと思います。
今日の日を祝し、乾杯をしたいと思います。
ある方は手にグラスを、ない方は心のグラスを…出会いを祝して、カンパイ!」
上着を脱ぎ捨ててますますスパークする銀幕さん。
「皆さまと意思を合わせる時が来ました!このままアナタに届け…摩天楼」
「♪まってんろっほ~、キッミッに恋をしった~」
ウワ~、メッチャ耳に残る~!銀幕一座のキラー・チューン。
お客さんとのコール&レスポンスも完璧!
銀幕一座はこのステージの後、7月13日に3曲入りシングル『ゾッコン』をリリース。
そのレコ発ワンマンがTSUTAYA O-WESTで開催された。
そちらの模様もMarshall Blogで取材して来たのでお楽しみに!
ところで、銀幕さんがMCで触れていたけど、この日は「ボウリングの日」だったんだって。
長崎に初めてボウリングが伝わったのが1861年6月22日のことだったそうです。
銀幕一楼とTIMECAFEの詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト
アンコール。
「申し訳ありませんが、代表としてアンコールさせて頂きます!」
1曲演奏した後、「皆さん、1曲じゃ足りないんじゃないでしょうか?」と、妖怪が全員集合した。
「隣にいると我々がナチュラル・メイクに見えてしまいますね!」
しかし、銀幕さんの迫力がスゴイ!一生懸命のカタマリみたいな?!