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2018年4月 6日 (金)

べトナムへ行ってきた!~私のホーチミン vol.2

  
一体どれだけのオジサンに声をかけられてココまでたどり着いたことやら。
「オジサン」というのは例のバイク相乗りのオジサンね。
コレは後で気づいたことだが、あのオジサンたちの売り込みは朝のウチの方が積極的だったように思う。
もちろん、一日中彼らは観光客を見つけては手当たり次第に声をかけているのだが、夕方になってくるとかなり押しが弱くなってくるようだ。
暑さで疲れちゃうのかね?それとも諦めちゃうのかね?
それにしても、なかなかああいう風にはできないよ~。
ナニせ通りの向こうから「おお~!ハイハイハイハイ!」とか「オッハヨ~!ドコイクノ~?!」とか実に勇猛果敢に声をかけて来るワケ。
あまりにも馴れ馴れしいので、こっちは知り合いが自分のことを見つけたのかと思って、つい振り向いちゃうワケ。
で、その声の主の方を見ると、不自然にニコニコした色の黒い見ず知らずのオッサンなのよ。
もうだんだんウンザリして来ちゃってね。

10_2この洋風の立派な建物は、「ホーチミン人民委員会庁舎」。通称「ホーチミン市庁舎」。
1902年から1908年にかけて「サイゴン市庁舎」として建設された。

20_1美しいフレンチ・コロニアル様式で建設されているが、残念ながら中を見ることはゼンゼンできない。
ライト・アップされた夜の姿が美しいらしいが、見て来なかった。

30_2「ウィッス!」と親し気に右手を上げているオジちゃんは植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した建国の父、ホー・チ・ミン。

40_21990年にホー・チ・ミンの誕生100周年を祝して設置されたブロンズ像が2015年に現在の「ウィッス!」に置き換わったのだそうだ。
だからまだゼンゼン新しい。
「ホーチミンって人の名前なの?」なんて言ってた人がいたけど、我々が子供の頃、ベトナム戦争のことがテレビのニュースで流れる時、この街は「サイゴン」と呼ばれていた。
ビリー・ジョエルにも「グッドナイト・サイゴン」って曲があるでしょ?
この頃のビリー・ジョエルはスゴイよね。
どの曲も人知を超えた高いクォリティを示していた…んだけど、ことベトナム戦争に関してアメリカが何かを言う資格などあるのだろうか?…という気になるのは、ベトナム戦争をテーマにした映画がアメリカのしたことを美化していると理解するようになったから。
ベトナム戦争についてはまた別項で触れようと思う。
今は「ホーおじさん」。
1973年にアメリカ軍が全面的にベトナムから撤退し、最終的に南ベトナム軍vs.北ベトナム軍の戦いとなったベトナム戦争は、1975年4月にサイゴンが陥落して終結した。
ホー・チ・ミンは1969年9月(『ウッドストック』の約2週間後)に没しているので、このことを知らない。
その後、「ベトナム民主共和国」が主導して南北統一が実現し、1976年、「ベトナム社会主義共和国」が成立した。
そして、南ベトナムの首都だったサイゴンは、革命の父、ホー・チ・ミンにちなんで「ホーチミン市」と名前が変わったんだね。
実際にホー・チ・ミン氏は多くの国民から「ホーおじさん」と慕われていたらしい。
でもこの人、30年も祖国を離れていて、結構謎の多い人物だったという評伝もある。

90vところで、ホー・チ・ミン氏、国際的には「グエン・アイ・クオック」という名前でもよく知られているそうだ。
この「グエン」という名前。
ベトナムも日本と同じく名前は「姓→名」の順番で表す。
だから「グエン」は名字なのね。
で、にわか勉強でベトナムに関する本を読んでみると、やたらメッタラとこの「グエン」という名前の人が出て来るんですよ。
グエンは「Nguyen」と表記するんだけど、通りの名前にもガンガン出て来る。
「Nguyen Dinh Chieu」とか「Nguyen Thi Minh Khai」とか「Nguyen Hue」とか…。
これが読めないのよ~。アルファベット表記なのにもかかわらず、サッパリ読めん。
ベトナムの言葉についてもまた別のところで触れましょう。
この「グエン」さん。
驚いたことにベトナムの国民の40%弱が「グエンさん」なんだって!
日本は「佐藤」、「鈴木」、「高橋」さんをすべて足してもたったの4%。
日本のは名字が29万通りもあるのに対し、ベトナムはナント、250ぐらいしかないんだってさ!
ちなみに2位はグッと減って11%の「チャンさん」、3位が9.5%の「レ」さんだそうです。
韓国も名字のバリエーションが少ないことがよく知られているけど、一番多い「金(キム)さん」で22%だって。
続いて、「李(イ)さん」で15%、「朴(パク)さん」で9%。この3つを足しても46%。
恐るべしグエンさん!
100_2この市庁舎がある通りがそのグエン・フエ通り。

50_2かなり立派な通りなの。
0r4a6553花の名前はサッパリわからないが、とてもいい感じで通りに彩を加えている。

60_2日本にいると街に咲いている花に気を配るなんてことは全くしないけど、外国へ来ると結構気になるものなんだよね。

80_2コレはわかる。
ハスはベトナムの国花だ。
なぜハスかと言うと、国民の8割近くを占める仏教徒たちが愛する花だからだそうだ。
お釈迦さまが座っている台座はハスだもんね。
ハスは泥水の中で育ち、泥が濃ければ濃いほど大きな花を咲かせるんだって。
その花は泥の中から出てきて、しかも泥に染まらず美しく大きな花を咲かす。
泥水は煩悩や苦しみの世界を表し、美しい花を悟りの世界に見立てているのだそう。
また、普通の植物は花が咲き終わってから実を付けるけど、ハスはつぼみの時から、花弁の下の台に実を付けていて、コレを仏教では、「誰もが生まれながらにして、仏に成る性分をそなえている」ことを象徴しているということだ。
コレを華果同時(けかどうじ)と言って仏教で尊ばれているのです。

70_2前回触れた工事現場がここまで伸長していた。

110ココは清水と前建のJVの工区。

120コレ、ナニを作っているのかと思ったら鉄道だった。
シールドマシンが登場しているところを見ると地下工区があるんだね。
地下水が多そうだな…。

130あ、駐車場だ!
この時もバイクのオッサンがしつこくてね~。
「イチジカン、イチジカン」と執拗に食い下がって来るもんだから、見ろ!
スッカリ露出の設定がおかしくなっちゃったじゃねーか!
しかし、この駐車場、トンネルみたいだな。

140_2コレは市庁舎のすぐ近くにあるホーチミン市民劇場。通称「オペラハウス」。

150_2フランス植民地時代のフレンチ・コロニアル様式の建築物の1つ。
フランスの人建築家が「オペラ・ド・サイゴン劇場」として1897年に建築した。
ベトナムの観光案内を読むとやたら「フレンチ・コロニアル様式の建築物が美しい」って書いてあるんだけど…そうかぁ?…と訝しんでいるのは見た目のことではない。
たしかに市庁舎にしても、このオペラハウスにしても、古い建造物が好きな私なんかにはとても魅力的なんだけど、「それ」と思われる建物の数が滅法少ないのだ。
やっぱりベトナム戦争でなくなっちゃったのかしたん?
「コロニアル様式」っていうのは、17~18世紀のイギリス、スペイン、オランダ等の欧州列強の植民地に見られる建築様式。
植民地のことを英語で「colony(コロニー)」って言うでしょ…アレ。
正面にポーチがついていて、大きな窓やベランダがあるのが特徴なのだそう。

160_2建物のすぐ前に飾ってあったのがコレ。
魚を取るカゴ。
おとなしくコレを見ていたらまたアレだよ…バイクのオッサン!
もう、うっとうしいな~。
「オニーサーン、ニホンジンデショ?ドコ?トーキョー?オーサカ?」
「東京だよ」
「オー、トーキョー!スゴイネ、スゴイネ!アクシュ、アクシュ」
私が手を出さないでいると…
「アクシュグライ、イイジャナイノ~!アクシュシヨウヨ~」
渋々出した私の手をガッチリ握るとこのオッサン、手を離さないのよ!
「コンナノミテテモツマラナイヨ!イイトコイコウ!ウミイコウ、ウミ!サアサア、ウシロニノッテ!」
思いっきり手を振りほどいてシカトしても全然ヘッチャラ!
「イコウヨ、イコウヨ~!」って騒いでる。
ホントにイライラして来たわ!
絶対に目を合わさないようにしていたら諦めてどこかへ行っちゃった。
あの強靭な営業力は評価してあげたいところだけど、あんなオッサンと2人で海へ行ってどうすんのよ?
まさか、ベトナム名産のココナッツ・オイルの塗りっこか?
ジョーダンじゃね~よ!

200_2ココは脱線のコーナー。
ウチにこんなCDがあるの。
ベーブ・ルースじゃないよ。
ちなみにイギリスの「ベーブ・ルース」というバンドにはかつてバーニー・マースデンが在籍していた。ナゼかフランク・ザッパの「King Kong」なんかを演っていたんだよね。
このCDはナポリ出身のエンリコ・カルーソーというオペラ史上もっとも有名と言われる歌手のベスト盤。
1873年に生まれ、1921年、すなわち関東大震災の2年前、またジム・マーシャルが生まれる2年前に亡くなっているので相当に古い歌手だ。
しかし、カルーソーはレコードへの録音を盛んに行った最初の歌手と言われていて、彼のレコードを聴きたいということで蓄音機が大いに普及したらしい。
それほどの大歌手なのだ。
ナンでこんなの聴いているのかと言うと…普段からMarshall Blogで「最後はオペラを楽しむようになりたい」と書いているから…ではない。
私が「エンリコ・カルーソー」の名前を知ったのはかなり前のことで、『フィッツカラルド』という映画を観た時のことだ。

1_eccd『フィッツカラルド(Fitzcarraldo)』は1982年の西ドイツ映画。
私はドイツの映画なんてどこをどうやっても観ることなんかないハズなんだけど、ナゼかこの作品を観る機会があった。どうしてそういうことになったのかサッパリ記憶に残っていないんだけど。
しかも、2時間半を超す長大編。
19世紀の末、当時隆盛を極めていたゴムでひと山当てようと、ペルーのイキトスという所に入り込んでいたアイルランド出身の「ブライアン・スウィーニー・フィッツジェラルド」という男の話。
原住民は「フィッツジェラルド」という発音ができず、「フィッツカラルド」と呼んでいた。
このフィッツカラルドがエンリコ・カルーソーの歌を聴きたいがために、地元のジャングルにオペラハウスを作ろうとするストーリーなのね。
一番の見どころとされているのは、ジャングルの奥地に向かうため川を遡上する際、近道をしようとしたんだっけかな?危険な原住民が生息するエリアを避けるためだったかな?…船を人力で山越えさせて、隣の川に移動させるというシーン。
当時はCGなんてなかったので、40度の勾配の山の斜面に実際に320tの蒸気船を乗せて引っ張り上げて撮影した。
主役のフィッツカラルドを演じたのは…なぜゆえ父娘でこうもルックスが違うのか…ナスターシャ・キンスキーのお父さんのクラウス・キンスキー。
当初は名優ジェイソン・ロバーツが演じる予定であったが、赤痢に罹りドクター・ストップ。
ジャック・ニコルソンも打診されたが実現はしなかった。
何しろ撮影は過酷を極め、ミック・ジャガーも出演することになっていたが、予定が狂いまくって撮影に参加できなかったのだそうだ。

1_fcで、ナニが言いたかったのかというと、まずはオペラハウスね。
ニューヨークのメトロポリタン、ロンドンはコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウス、フランクフルトのオペラハウス…なんてのは行ったことがあるんだけど(入ったことはない)、シドニーをはじめとして、世界中にオペラ・ハウスっていうのがあるでしょ?
コレはナニかね?
日頃よりMarshall Blogでは「音楽芸術の最高はオペラらしい」ということを書いているが、そんなにみんな好きなのかネェ?
日本でも初台に「オペラ・シティ」という設備があるけど、ヨーロッパのものとは精神性が全く違う感じなんだな。
やっぱり日本は能楽堂とか歌舞伎座とかがシックリくる。
入植したフランスの連中も遠い故郷から離れて、ベトナムくんだりまで来て、自分たちの娯楽を求めるために作ったのがこのオペラ・ハウスなワケでしょう。
まさかベトナムの現地人にオペラを紹介するためにこんなものを作る道理がないんだから。
そんなことを考えていたら『フィッツカラルド』のことを思い出してしまったというワケ。

170_2この「aah!」、「ooh!」、「wow!」って席のグレードが面白いね。
値段は下から3,100円、5,000円、7,300円ってとこか…。

180_23月18日の公演だって。
ナニを演るのかな?
ハイ、出た、ショスタコーヴィチ。
曲は「祝典序曲」…コレ、メッチャいい曲だよ。
それからブルッフの「ヴァイオリン協奏曲」。昔、よく聴いた。これもいい曲。
サン=サーンスの「チェロ協奏曲第1番」にチャイコの「ロメオとジュリエット」。
デコボコと面白いセトリだナァ。
私は観たい!
しかし、このホーチミンにあって147万ドンを出してどういう人が観に来るのかね?

190vしかし、暑い。
あまりの暑さにいい加減歩くのがシンドくなってきた。
気温といい、湿度といい、完全に8月の日本の一番暑い時と同じ。
つまり我々が知っているおなじみの「暑さ」。
だから当然こういう時の最良の過ごし方を我々は知っている。
それは、「外に出ないこと」だ。
ところが、カンカン照りの太陽の下、ヘロヘロになって歩きまわっている…と言ってせいぜいまだ1時間かそこらなんだけどね。
でも、もうパンツまで汗でビチョビチョだ~!
オペラハウスから少し歩いて次の観光名所に移動。
220「サイゴン・ノートルダム大聖堂」。
「ノートルダム(Norte-Dame)」というのは「Our Lady」という意味で、聖母マリア様を指すことを以前テントウムシのところで書いた
250_2だからこうしてマリア様の像が建てられている。
1959 年にローマからサイゴンへ贈与されたものだそうだ。

240vハスのところで書いたようにベトナムは8割が仏教徒だそう。
残りの2割はキリスト教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒が占める。
だからキリスト教はマイノリティだ。
もちろんこの大聖堂はベトナムがフランスの植民地だった時代、1863~1880年にかけて建設された。

1_0r4a5953 正面と側面についているバラ窓は、昔はステンドグラスでできていてそれは美しいモノだったらしいが、戦争で破壊され、現在は普通のガラスがハメられているそう。

1_0r4a5995 裏側はこんな感じ。
エライ立派だよね。

255_2コレは後日訪れた時のようす。

260_2ここの神父さんだったのだろうか?
何やら追悼のセレモニーが執り行われていた。

270_2こうして見るとなかなかにステキだよね…でも実際は灼熱地獄なのだ!

280_2ノートルダム教会のすぐ隣に移動。
上の写真の右端にも写っている黄色い建物は「サイゴン中央郵便局」。
1886年に建設を開始して5年後に完成した。
パリのオルセー美術館をモデルにしているそうで、鉄骨の設計を担当したのがエッフェル塔を作ったギュスターヴ・エッフェルなんだって。
あ、英語圏でエッフェル塔のことを「エッフェル・タワー」と言ってもまず通じませんからね。
どういう風に言うかというと「アイフル・タワー」と「ア」にアクセントを置いて発音する。
この郵便局、今でも現役で通常の郵便や通信業務をやってるのよ。
0r4a5988建物が黄色いのは、フランス人にとって「黄色」は「南方」を意味するんだって。
行ったことがないのでわからないけど、フランスは南に行くと黄色い壁の建築が多いそうで…。
でも、この建物は以前はピンク色だったらしい。
どういうことだ?

290_2柱の飾りつけにはフランスの偉い人の名前が刻まれている。
現地の観光ガイドの説明を盗み聞きしていたんだけど誰の名前って言ってたか忘れちゃった!
大統領って言ってたかナァ?

0r4a6616コレもフランス人たちが祖国への通信手段のためにと造られたのだそうだ。
マァ、そうだろうね。

0r4a6619中はこんな感じ。
ステキ!なんだけど、エアコンが効いていなくて、もう「青菜に塩」状態!
暑いよ~、暑いよ~。

330_2名物の電話ボックス。

300_2エントランスの左右の壁には1936年当時の南ベトナムとカンボジアの電信網の地図と…

310_21892年当時のサイゴンの地図がかかっている。
大変に保存状態がよく、オリジナルのままらしい。

320床のタイルが見事。

340天井も実に優雅で美しい。350_2正面にはお約束の「ホーおじさん」。

3_0r4a5972特に「スゴイ!」とか「キレイ!」とかいうことはないんだけど、日本ではお目にかかれない独特なッ風情がある。

360_2ナゼかお土産に力を入れているの。

370_2入り口の両サイドにも立派なお土産屋さん。
見てみようと思ったけど、暑くて、暑くて…「もうイイや!」って気になっちゃってパス。

0r4a5985で、外に出ると…アレ?こんなところに大戸屋!

380_2泣きたくなるぐらい暑いのをガマンしてまだまだ歩く。
もっとも身体中の水分が汗になって流れてしまって一滴の涙も出ないけどね。
街中を歩いていてとにかく目につくのは「ホーおじさん」。
そこら中にホー・チ・ミンの肖像が飾ってある。
420_2「FOOTBALL CLUB」って…こんな暑いところでサッカーやってんの?
ま、日本の夏も同じか…。
430_2それと、目についたのはコレ…「HAPPY NEW YEAR 2018」の飾りつけ。
ベトナムに行ったのは3月の中旬だったんだけど、瞬時にして旧正月を祝っているということはわかる。
しからばベトナムの旧正月っていつなんだろう?

390_2ベトナムの旧正月は「テト」といって中国と同じく新暦の2月の中旬ぐらいに当たるらしい。
「ぐらい」というのは、旧暦は盈虧(えいき)、すなわち月の満ち欠けを基準にした太陽暦に基づいているため毎年変わるからで、今年は2月16日だったんだって。
いずれにしても、1か月経ってもまだこの飾りつけ。
ノンビリしてるな~…というより、新年が明けてもしばらく飾り付けておく習慣なのだろうか?
ところで、この「旧正月」というのは、もちろん中国の慣習に倣っているワケだけど、新暦の正月、つまり1月1日だけをお祝いするのはアジアの国々で日本だけらしいよ。
日本でも「新盆」だの「旧盆」だのはよく耳にするけど、「旧正月」ってのはゼンゼン出て来ない。
それでも大正の終わりぐらいまでは旧正月を祝ったらしい。

400_2ブルーの大きな建物は「ロッテ・プラザ」。
かつての錦糸町みたいだな。
今は「ロッテ・シティ・ホテル」というのが錦糸町駅の横に建ってるけど、アレは昔「ロッテ会館」といってボーリング場が入っていたんよ。
チョット探し物をしていたので、ロッテ・プラザに入ってみた。
完全に近代的なデパートで、特段見るべきモノは何もないんだけど、寒い!
冷房効かせすぎ!

410_2もうクタクタよ。
ロンドンだったら一日中歩いていても、まだ歩き回りたいところ。
ところが、今日はホテルを出てまだ2時間も経っていないというのにこの極度の疲労具合で戦意喪失!
原因は色々ある。
1. 暑さと湿気…コレは日本の夏と同じ。この気温と湿度の中これだけ歩き回ったらそりゃクタクタになるわ。
2.ニオイ…繁華街の悪臭にウンザリ。
3.バイク・タクシーの客引き…もう何しろしつこいし、そこら中にウヨウヨしているしで、本当にイライラする。
4.ノイズ…バイクや車のクラクションのけたたましいこと!コレも癪に触ってくる。
5.道路の横断…バイクの大群の往来でとにかく道を渡ることができないストレスと危険性。
それともうひとつはコレ。

460_2とにかく歩道の状態があまりにもヒドくてやたらと歩きにくい。
歩道のすべてというワケではないが、日本では考えられない。
女性がハイヒールを履いてあるくことは不可能と言っていいだろう。
十分に足元を注意しながら歩かなければならないストレス。
コレ結構ツライ。
加えて凸凹を乗り切るために足首の角度が目まぐるしく変わるでしょ?
コレもかなりシンドイ。

470_2いい加減、私もバイクで移動したくなって来たよ。
チョット待てよ…まさか、みんな歩道が歩きにくいからバイクに乗ってんじゃねーだろーなー。

480_2歩きやすいハズのILB(インター・ロッキング・ブロック)の歩道もこの通り。

490vILBは、平地に並べて隙間を砂で埋めるだけの構造だ。つまりブロックが固定されていないので、重量物が乗るとガタガタになってしまう。
それを、平気でバイクが勢いを付けて通過するもんだからブロックがズレてハガれちゃう。
そのブロックがハガれた部分に生コンを流しこんでいるんだろう。
コレは特段歩きにくいワケではないが、整然とした見た目が魅力のILB歩道にあっては大変に醜悪な光景だ。

500v「MURAYAMA」という文字が目に入った。
「村山」?
ザトペック投法の村山実か?

510_2…と思ったら元総理大臣の村山富市だった。
「JVPF」というのは「Japan Vietnam Peace and Friendship Promotion Council」の頭文字だって。

520_2ベトナムでの日本語の修学熱が高まっている環境下、日本への留学や就学がスムーズにいくように、事前学習ができる施設を目指して2007年に開校したんだって。
で、村山さんがこのJVPFの会長をやっているのだそうだ。

530_2工事現場、学校と日本とベトナムがこれほど密接な関係にあったとはゼンゼン知らなんだよ。
加えて、さっきの「大戸屋」をはじめ、日本の食品や外食企業がずいぶん進出していて驚いたわ。
和菓子屋さんじゃん?

540しゃぶしゃぶ食べ放題の「モーモーパラダイス」じゃん?

550_2「丸亀製麺」じゃん?

560_2名前は知らないけど、居酒屋や…

570すし屋もバッチリ。
チョット前まで東南アジアで生魚が食べられるのはシンガポールだけだと聞いていたけど、もうそうでもないようだ。
Marshallの会食の席で生ガキを食ってた猛者もいるけんね。

580日本の鉛筆ブランドも。

590それにしたって、ココまで来て浅草はないだろう~!

600<ガンガンつづく>

200 
(2018年3月12~18日 べトナム、ホーチミン市にて撮影)