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2017年4月17日 (月)

【訃報】 アラン・ホールズワースのこと

まぁこんなこと…大きなお世話だし、年寄りがキラわれる理由のひとつでもあることはよくわかっているんだけど…。
SNS(イギリスではSNM=Social Network Mediaという)の発展に伴い、有名人の訃報が瞬時にして届けられるようになった。
ロックがまだ比較的マイナーなものであった時代、新聞の死亡覧でロック・ミュージシャンの不幸が伝えられることもなく、翌月のミュージック・ライフの雑記事の中でヒイキのミュージシャンの名前を発見して驚く…なんてことが何回かあった。
さすがにマーク・ボランとかジョン・ボーナムなどは新聞に出たが、マイナーなミュージシャンの急逝をリアルタイムに知ることはできなかった。
それで今、facebookなどでそうした不幸なニュースが伝播されるや否や、お悔やみの言葉やチョットした思い出を綴ったコメントがウワッと寄せられるようになったワケなんだけど、傍で見ていて「?」と思うことがよくある。
それを一段と強く感じたのはデヴィッド・ボウイが逝った時のこと。
ホントにこんなにたくさんの人が好きだったの~?…と、かなり驚いてしまった。
こんなにファンが多いんだったら、生前にもっと盛り上げてあげればよかったのに~、なんて思っちゃうワケ。
思い入れの強弱はともあれ、故人を偲ぶことは決して悪いことではないが、チョット滑稽に見えてしまう。
え?大きなお世話だって?
だから初めにそう言ったでしょ。
  
そんなワケでMarshall Blogでも(特に最近は頻繁に)訃報を掲載しているが、本当にノメリ込んだアーティストでない限り、大ゲサに文章書くことを控えるようにしている。恥ずかしいから。
Jim Hallの時も、Larry Coryellの時もそう。
でも、今朝接した訃報はちょっと重みが違う。
2017年4月16日、Allan Holdsworthが70歳で他界した。
コレを書いている時点では死因は伝えられていないようだ。
以前のMarshall Blogでも一度Holdsworthについて書いたことがあったが、私は昔かなり夢中になった時期があった。
後にも先にも、好きで好きで、自身の作品や客演作を追い求めてLPやCDを買い漁ったアーティストはFrank ZappaとHoldworth、Philip Catherineと渡辺香津美ぐらいのものだ。
Holdsworthの名前を知ったのは1977年ぐらいかな~。
中学校三年の時だったと思う。
ハード・ロックに飽きて、プログレッシブ・ロックに夢中になっていた頃、ある日、「今度、John WettonとBill Bruford、それにEddie Jobsonで『U.K.』というバンドを始める」という情報をキャッチした。
当時は「U.K.」が「United Kingdom」の略称だなんてことは知らなかったし、まさか将来そのU.K.から給料を送って頂くことになるだなんて想像したこともなかった。
でも、King Crimsonが大好きだったのでこのニュースにものすごく興奮したのを覚えている。
Eddie Jonsonについても、Roxy Musicがメチャクチャ好きだったのでCurved Airの『Air Cut』まで手を伸ばしてその名前も演奏を知っていた。
ところが、ギターが誰なのかがわからない。
今考えてみると、のちのU.K.がそうであったように、ギターレスでも何ら問題はないのだが、ロック・バンドにはギターがいて当たり前だと思っていたから…。
だから、一番最初、「ウェザー・リポートというバンドにギターがいない」…と聞いて結構驚いた記憶がある。
毎度おなじみのフレーズで恐縮だが、「インターネットなんてない時代」、どうやってU.K.というバンドのギタリストを調べたのかというと、レコード会社に電話して訊いたの。
まだノンビリしていた時代だよね。確か女性が応対してくれたと思うのだが、「こんど~、ジョン・ウェットンとかビル・ブラッフォードとかが始めるグループで~、『ユーケー』っていうのがあると思うんですけど~、ギタリストは誰ですか~?」と尋ねると、「アラン・ホールズワースですよ~」と教えてくれた。
知らない名前だったが、とにかくその名前をメモして頭に叩き込んだ。
コレが「Allan Holdsworth」との最初の出会いだった。まだ、音は聴いていない。
私の学校にはロック・ファンが少なく、若い子は歌謡曲を聴いているのがまだ当たり前の時代だった。
ま、自分で言うのもナンだが、多分私が学校で一番ロックに詳しかったのではないかと思う。
よって、誰かに尋ねることもできず、それからどうやったのかは覚えていないが、とにかく参加作を調べて聴き漁った。
そんな自分のHoldworth史とわがままディスク・ガイドを記して偉大なるギター・イノベーターへの追悼の気持ちを表したいと思う。
そもそも昔、すなわちMarshallしかなかった時代はMarshallユーザーだったしね。
  
1969年の『Igginbottom's Wrench』と1972年のIan Carrの『Belladonna』。
この2枚は手に入らなくてね~。
ゼンゼン最近になって初めて聴いた。
Igginbottomの方は、4ビートを交えたジャズ・ロックというかロック・ジャズというか、Steve Marcusの『Count's Rock Band』とかGary Burtonの『Dustar』あたりを連想させる雰囲気。
チラリチラリと出ては来るが、ほとんどロック・フレーズを排除したジャズ寄りのプレイは当時かなり珍しいものだったのではないだろうか?
ただ、何をやりたいのかサッパリわからない冗長な作りなのがツライ。
一方、右のIan Carr。
Ian Carrはイギリスの名門ジャズ・ロック・バンド、Nucleusを率いた名トランぺッター。よってかなりしまった作りなのだが、ホールズワースの出番が少ないのが残念。
ただ2曲ぐらいで与えられているソロ・スペースでは大爆発。
最近とは似ても似つかない粗削りなギタートーンであのフレーズを炸裂させている。

10コレはよく聴いた…Tempest。
恐らく上に記したレコード会社への電話でAllan Holdsworthの名前を知って最初に買ったLPが『Tempest』だったような気がする。
右はBBCの発掘音源で二代目ギタリスト、Peter 'Ollie' Halsallとのバトルがタップリ聴ける。
私の持っているのは海賊盤だが、このCDの存在は故小川銀次さんに教えて頂いた。
私は今ではOllieの方が好きなので、このCDを聴くとついOllieを応援したくなっちゃうんだけど、。Holdworthの方がチョイと上手なんだよな~。
この音源はのちにオフィシャルで発売されたハズだ。
ドラムがJon Hasemanだし、このバンドはいかにもイギリスのロックらしい、いいバンドだったよね。Paul Williamsがチト苦手だったんだけど。

20私が持っているLPは再発盤でジャケットがギミック仕様になっていなかった。
でもCDはホレ、この通り…ああ、やっぱりLPの方がいいな~。
呆れたことに高校一年の時にこのアルバムに収録されている「Foyers of Fun」をコピーして友達とチャレンジしたことがある。
私は何とかソロをコピーしようと近所の質屋で質流れのオープン・リール・デッキを買い込んできて、Allanの弾くメロディを半分の速さにして聴いてみたが、サッパリわからなかった。

30Allan Holdsworthというとヤッパリ一般的にはこのあたりなんでしょうな~。
なんかSoft Machineなんてどちらかというと「Allan Holdsworthがいたバンド」として名前が通っているんじゃないの?
皆さん、違いますからね~。
Allanが残したスタジオアルバムはこの1975年の『Bundles』だけですよ~。
確かにこのアルバムでのプレイはカッコいいけど、Soft Machineは他にもいいのがイッパイありますからね~。
前の会社で、「Marshall祭り2」の打ち合わせでスタジオに和田アキラをお迎えした時、どうしてもアキラさんのギターが触りたくなって、お願いしてイジらせて頂いた。
コチラはアキラさんがHoldsworthフリークなのを先刻承知だったので、私がこのアルバムの1曲目の「Hazrd Profile Part1」のリフを弾くとアキラさんは、「おお~、知ってるね~!」とニコやかに反応してくれた。
そして、私がギターをお返ししてアキラさんが最初に弾いたのはTempestの「Gorgon」だった!
右のCDはElton Dean、Hugh Hopper、John MarshallらのSoft Machineメンバーとの再演を記録した2003年の『abracadabra』というアルバム。
酸いも甘いも知り尽くした孤高のギタリストの古巣での演奏はなかなかに良いものですわ。
滅多に聴かないけど、聴き出すとつい聴いちゃう一枚。
Hugh Hopperも死んじゃったもんナァ。40それとコレでしょうな…Gong。
76年の『Gazeuse!』。コレ、昔「ガズーズ!」っていっていたけど今は「ゲイズユース!」って呼んでるようだ。
フランス語で「Sparkling!」という意味らしい。
そして、78年の『Expresso II』。
Daevid Allen期のGongはもちろんなんだけど、このあたりのGongも殺人的にカッコいいよね。
ラテン・ロック以外でこんな打楽器が3人も入ってるロック・バンドなんて前代未聞だもん。
それに呼応するような形のAllanのシャープなギター・プレイは素晴らしいのひとことに尽きる。
私的にはAllanの一番良い時期だったと思う。
この時期はGongじゃなくてPierre Moerlen's Gongっていうんだっけか。
そうそう、この「Moerlen」の発音こそわからん!
これまで「モエルラン」とか「ミューレン」とか日本語で表記されてきたけど、真相はいかに…?
で、ちょうどいいチャンスだと思い、年に一度だけ東京で会うフランス人の兄弟に訊いてみた。
「Moerlen」というのはフランス人にもなじみのない名前で、どこかある地方にしかない名前だとか言っていた。
発音は「モエルラン」に近く、「ミューレン」という発音はあり得ないと言っていた…コレで解決。

50「ほほう、ソロ・アルバムも出しているのか」…と飛びついたのが1976年の『Velvet Darkness』。
まだ子供だったからかナァ…コレにはガックリ来た。
今なら「ほほう、CTIか、Creed Taylorか」なんてことになるけど、初めて聴いた時はサッパリわからなかった。
ドラムがスゴイと思った記憶がある。
ん~、考えてみるとあの当時からこの約40年、一回も聴いていないかもしれない。CDも持っていない。
大学の時に「へ~、こんなのあるのか…たまにはHoldworthでも聴いてみるか…」と渋谷の公園通りにあったディスク・ユニオンで見つけて買ったのが1982年の『i.o.u.』。
その頃はもうあまりロックを聴かなくなっていていたが、VocalsにPaul Williamsのクレジットを見つけて懐かして買ったのかも知れない。

60_3 コレが自主制作でリリースされたということは買った後に知った。
「i.o.u.」の意味は大分後になって知った。
コレはどうなんだろう、オリジナル盤なのかしらん?

70世間では人気の高いLifetimeはあまり聴かなかったな。75~76年。
Jean Luc Pontyの『Enigmatic Ocean』も持っていたハズなんだけど、みつからなかった。
『Individual Choice』は出てきたけど、どんなんか全く記憶にない。

80そして、1978年、U.K.!
コレがスベった。
期待しすぎちゃったんだろうね。
パンク/ニューウェイブの嵐が吹きすさぶ中、満を持して切り込んだ「憂国の四士」だったけど、プロッグ・ロックの老いさらばえた醜態を露呈することになった…と私は思っている。
今だからこんな言い方をしているけど、ま、「Alaska」以外の曲はおもしろいと思わなかったのですわ。
「In the Dead of Night」にしたって、Allanのソロが恐ろしく不似合に聞こえる。
ファンの人ゴメンなさいね。
でも、来日公演は日本青年館に観に行ったから。
先日、若いギタリストが事務所へ来て、「シゲさん、U.K.の『Presto Vivace and Reprise』という曲を聴かせてください」ってんで聴かせてあげたところ、「カッコいい!」と大いに感動してくれたのはうれしかった。

90こんなのも当然聴いた。

100Marshall Blogにしょっちゅう書いている通り、80年代の初頭から時のロックを聴かなくなってしまったが、それでも比較的最近に買ったアルバムのうちのいくつかがコレ。
Chad Wackermanのソロ・アルバム。
Zappaファミリーということもあったが、「Holdworth、久しぶりの弾きまくり」みたいな惹句をどこかで読んだからであった。
確かにギターはバリバリ弾いているけど、曲がシンドイわ。

130

Tubby HayesのカルテットやPhil WoodsのEuropean Rhythm Machineに在籍したイギリスのジャズ・ピアニスト、Gordon Beckとは何枚かのアルバムを残しているが、コレは1979年のGordon Beckのカルテットへの参加作品。
コレがなかなかにいいんよ。
急速調の曲でGordon BeckとHoldsworthがバトルをやっているんだけど、ギターの方がゼンゼンすごくて、Holdworthの弾くフレーズをかのGordon Beckが必死になって追いかけているサマは痛快。
残念ながらギターの音がよくない。イヤ、ギター自身の音はいいんだけど、ギターのパートだけ録音が遠くてチョット不満が残る。
Gordon Beckとの作品は他にも『The Things You See』というのと『Coversation Piece』ってのがあったハズなんだけど、探し出せなかった。あるいは売っちゃったのかもしれない。
あればまた忘れたころ出てくるでしょう。

120
結局、『i.o.u.』からこっち、Van Halenがテコ入れしてから『Road Games』以降、順調にアルバムをリリースし、来日公演まで果たしたからね~。
すっかり「Allan Holdsworth」の名前が知れ渡っちゃって、ヘソ曲がりな私としては追いかけるのをやめた。
こうした才能豊かな芸術家が有名になることはよいことなのだが、根っからのファンとしてはどうもね~。
それでも下のアルバムを買った。
真ん中の『None Too Soon』は先週、Koki Tetragonの記事でJoe Hendersonのことを書く時に引っ張り出してきたばかり。
アレも虫の知らせだったのかもしれない。

140

Allan Holdworthの魅力はナンだったのだろう?
私は今の若い子たちがYngiweにシビれるように、あの速いフレーズに魅力を感じて喰いついた。私も若かったからね~。
でも、今こうして振り返ってみると、やっぱりあのギターの言葉と声だよね。
ウットリするような美声で誰も使わない言語を聴かせてくれた。
昔、本当のギター演奏のイノヴェーターはFrank ZappaとEdward Van HalenとAllan Holdsworthだと言っていた評論家かギタリストがいたが、まさにその通りだと思うし、面白いことにEddie Van Halenは影響を受けたギタリストとしてZappaとHoldsworthの名前を挙げているようだ。
ひとつ残念なのは、Holdworthは曲がシンドかったように思うな。
失礼ながら言わせてもらえば「名演あれど名曲なし」というヤツ。
その代わり、シチュエーションが合ってさえいれば例えようのない素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
そう、誰かをHoldsworthに例えることはたやすくても、Holdsworthを誰かに例えることは難しい。
なぜなら、奏法でなく、音楽で「ギター」という楽器の枠をブチ破ったからだと思う。
Allan Holdsworthの前にも後にもAllan Holdsworthはいないということだ。

さて、最後にもう一枚参加作を紹介させて頂く。
それはJohn Stevensというのはイギリスのジャズ・ドラマーの『Touching On』という1977年の作品。
この人は、Tubby Hayes&Ronnie Scottのところでオーソドックスなジャズをやっていたが60年代にフリーに転向した人。
コレも内容は無調の音楽だが、緩急取り交ぜたリズムに乗ってHoldworthが自由自在に即興演奏を繰り広げている。
B面はちょっとシンドイが、A面でのプレイはあまりにも素晴らしい。
音色、フレーズともに絶対に誰にもマネできないギターを聴かせてくれる。
色々なことにチャレンジしたHoldsworthだが、最もやりたかった音楽はこの手のモノだったのではないであろうか?
ジャズだけどジャズのフレーズでもない。また当然ロックのフレーズでもない。
そこにあるのはAllan Holdsworthという人の「音楽」なのだ。
  
本当の意味での唯一無二のギタリストの逝去を悼み心からご冥福をお祈り申し上げます。

110
※今日のバナーはAllan Holdworthが大好きだったというビールのハンドポンプを選びました。

(一部敬称略)