【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.25~カーナビー・ストリート <後編> The Lovely Linda
昨日の記事はかなび、じゃない、かなりマッシブになってしまったので今日はサラサラと巡りたい思う。
スゴイのは一ケ所だけ。
他の部分はロックの名所でも何でもないのに記事を一本に仕立てるために強引に盛った…。しかも、Shige Blogとダブってるところもあるし…なんて言ってるのはダレよ?
あ、オレか。
マァ、そんなところも正直ありますが、どれもこれも思い出深い写真ばかりでございます。
今日も最後までお付き合いのほどよろしくお願いします!
さて、今日はリージェント・ストリートの方から入ってオックスフォード・ストリート方面に向かってカーナビー・ストリート近辺をほっつき歩く。
コレがリージェント・ストリート。
世界の高級ファッション・ブランドの店が軒を連ねるロンドンでも指折りのショッピング・ストリート。コレをチョット行って左に曲がると、ビートルズがルーフ・トップ・コンサートを演った旧アップル本社屋。
さらにもうチョット行って左に入れば、ボウイの『ジギー・スターダスト』のジャケットを撮影したヘドン・ストリートがある。
下は2012年の6月の写真。
この時は、女王陛下の即位60周年記念で街中が大騒ぎだった。
あのタイミングでロンドンにいれたのはラッキーだったけど、雨ばっかりで寒かったな~。
このリージェント・ストリートが昨日紹介したThe Kinksがカーナビー狂いのことを歌った名曲「Dedicated Follower of Fashion」に出てくることについて触れた。
リージェント・ストリートだけ紹介するのは不公平だから、同じくその曲に出てくるレスター・スクエアも紹介しておこう。
レスター・スクエアは有名なピカデリー・サーカスに連なるウエスト・エンドの中心地。
映画館がいくつもあって、いつも大勢の人でゴッタ返している。
この時は特にすごい人出だった。
なぜなら、『ミッション・インポッシブル』のプレミア・ショウかなんかでトム・クルーズが来ていたのだ。
私、確か歳が同じなんだよね。
もうひとつこんな写真が出て来たので載せておく。ワケがわからない人は昨日の記事を読んでください。
熊も気の毒だけど、仕事とはいえこの人も気の毒だよ~。
とにかく動かない。
時々血液の循環をよくするためか、銃を上げ下げしたり、小さく行進をしたりするだけ。
この仕事って家に帰って「今日はどうだった?」なんて奥さんに訊かれた時どう答えるのだろうか?
「立ってた」…とだけ答えるか?
それでも、動かないのをいいことに、この人たちをからかう連中がいるんだよね。実に不愉快だし、みっともない。
コレは一昨年のようす。
ココにもカーナビーへの標識が…。
今日はこっちから入る。
どうして一番最初にカーナビーへ行ったか…これには理由があったの。
アレはまだロンドンに一回ぐらいしか行ったことがなかった時だった。
当時のMarshallのスタッフにロンドンの中古レコードがどこにあるかを訊いたんだよね。
Marshallの連中のほとんどすべてがロンドンの住人ではないので、ジャンルによっては何の情報も持っていないこともある。
私が訊いた彼は「カーナビーに行けばあると思うよ」と教えてくれたのであった。
そしてよろこび勇んで行った!
一軒もなかった!
要するに、ココは音楽のエリアではなくてファッションのエリアなんだよね。
ちなみに、中古レコード屋は、カーナビーよりもっとソーホー寄りのバーウィック・ストリートという所に何軒かかたまっていることを自力で発見。
それでもArgentのCDを数枚買っただけだな。
だって、タッケェんだもん。
コレがバーウィック・ストリート。
上の赤い標識に従ってリージェント・ストリートを曲がるとこのビーク・ストリートに入る。
今日はまずココに入る。
「The Old Coffee House」というパブ。
「コーヒー・ハウス」というのは17世紀に現れた女人禁制の男のたまり場で、文字通りのコーヒー・ショップでアルコールも食事も出さなかった。
コーヒー代のほかに入場料が徴収され、今の巷間の安いコーヒーを飲ませるといった類のものではなかったらしい。
店内では賭博も禁止され、コーヒー・ハウスに集まった男たちの会話から株式会社や保険、新聞、広告等のアイデアが生じ、産業革命の発端にもなったそうだ。
その「コーヒー・ハウス」がそのまま店名になっているパブ。
…とShige Blogですでに紹介している。
ゴメンねダブっちゃって。
トラディショナルなスタイル。
店内には古い軍のポスターなどが飾ってある。
ココのオジさんがコワかったこともShige Blogに書いた。
結構同じこと書いてるナァ。
それでもよければコチラをどうぞ。
コレなんかMarshallのクリーニング屋さんだぜ!
くじ、文房具、お菓子、グリーティング・カード。
いわゆる「コーナー・ショップ」っていうヤツですな。
ホント、ここはいつ来ても気分がいいわ。
考えてみると、日本は通りに名前をつける文化がないせいか、こうして地元の小さいエリアの地名を活用することをしないね。
「日本ナントカ」とか「東京ナントカ」ばっかりだ。
国が小さいので名前ぐらいスケールを大きくしようということか?
イヤイヤ、イギリスの国土は日本の2/3だってば。
「イギリス連邦(Commonwealth of Nations、旧名 British Commonwealth of Nations)」を足せばトンデモナイことになるけど。
あの国旗にユニオン・ジャックが入っている国があるでしょ?
オーストラリアとかニュージーランドとか…ああいう国は、イギリスが戦争になったら問答無用でイギリスのために戦争に参加しなきゃならんのよ。
しかし、政治、経済、文化、色んなことを知れば知るほど、良きにつけ悪しきにつけ世界ってのはいまだにイギリスで回っている感じがするナァ。
マーシャル・ストリート沿いのビルについていたカーナビー・ストリートの広告。
シャワーではありませんよ。
コレはイギリスのコンセント。
イギリスの電源のプラグは分厚いブレードが三つついたタイプ。
電圧が高くて危険なので、すべてのコンセントにON/OFFのスイッチがついている。
コンセントで思い出したのがコレ。
Marshallはかつて毎年マーシャル先進国のディストリビューターを集めて会議をしていた。
昔は会議に持参するものといえば、洋の東西を問わず、書類資料とペンとノートぐらいだったんだけど、ある頃からみんなノートPCを持ってくるようになった。
そうなると、当然各自、各国の電源コードを持って来るとこういうことになる。
阿鼻叫喚のアダプター地獄!
バラエティに富んだ規格がおもしろい。
この「BF」とかいてあるのは日本代表。すなわち私のモノ。
日本のモノはコンセントまでどこか奥ゆかしいね。おとなしい。
隣のヤツなんか拷問の道具みたいじゃん?
さて、昨日はカーナビーのメインの通りを歩いたので、今日はその一本リージェント・ストリート寄りのキングリー・ストリート(Kingly Street)を往こう。
通りが一本違うだけで大分殺風景になる。
まず見つけたプラークはコレ。
1950年代、スキッフルやロックンロールの全盛期、ココにThe Cat's Whiskerというコーヒー・バーがあった。
「Cat Whisker」とは「猫のヒゲ」という意味。
The Cat's WhiskerはPeter Evansという起業家が開業した。
この人はロンドンで最初にジュークボックスを入手した人のウチのひとりだったという。
要するに金持ちだ。
また、「Hand Jiving」というダンス・スタイルはこの店が発祥とされている。
店のスペースが狭かったたため、ジェスチャーの小さなダンスが必要だったのだ。
Hand Jivingというのはこういうダンス。
楽しそ~。
でも私は踊りません。
そういえばMiles Davisの『Nefertiti』に「Hand Jive」って曲があったな。
このダンスとは似ても似つかない曲。
知っている人もたくさんいると思うけど、ロック史に名を残す、ロンドンでも有名なライブハウスのうちのひとつだ。
Georgie Fameのマネージャーが1966年に開いたお店。
ビートルズやストーンズ、アニマルズの連中がよく遊びに来ていたという。
入り口には二つのプラークが掛けられている。
このオジさんは私。
ブルー・プラークを模して勝手に作ったものだが、ひとつは…
「1967年5月15日、ポール・マッカートニーとリンダ・イーストマンがここで出会った」とある。
ジョージ―・フェイムを観に来ていたポールと、チャス・チャンドラーが連れて来たリンダがここで出くわして恋に落ちたんだとさ。
ポールはこの時三年越しでジェーン・アッシャーと付き合っていたが、一年後にポールはリンダと結婚しましたとさ。
今日のサブ・タイトルはポールの最初のソロ・アルバム『McCartney』の一曲目に入っているリンダへの歯の浮くようなラブ・ソングのタイトルなんだけど、こういうのを聴いて、前の恋人、ジェーンはどう思うんだろうね~。
ポール・マッカートニーが名指しで作ってくれたラブ・ソングですぞ!
絶対に聴かないか?
そんなもん聴いた日にはムカッ腹が立ってしょがないもんね。
他にも…フリートウッド・マックのクリスティン・マクヴィーは元の名をクリスティン・パーフェクトっていうんだけど、マックのベーシストだったジョン・マクヴィ―がこの店でクリスティンにプロポーズしてクリスティン・マクヴィ―になったんだとさ。
クリスティンの声大好き。
そしてその半年前にはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスがココで初めて演奏している。
チョット失礼して中を盗撮。
今は会員制のクラブになっているそうだ。
高そうだにゃ~。
しかしね~、ココにジミヘンがいたワケですよ。
ミッチやノエルやチャスらと一緒に!
私はこういうことにものすごくロマンを感じるワケ。
でなきゃこんなことやってない。
お隣さんにもカーナビーのプラークがかかっている。
ココはかつてトミー・ロバーツという人が開いた「Kleptomania(クレプトマニア)」というモッド・ムーブメントを代表する洋品店だった。
The Whoやテレンス・スタンプ(俳優。『コレクター』大好きだった!)、ジュリー・クリスティ(女優)、それにヤードバーズ時代のジミー・ペイジが常連客だった。
そして、ジミ・ヘンドリックスはこの店で売っていた「Sam Pig in Love」というレーベルのフリルの付いたシャツのファンだったそうだ。
その服を着て1967年にサヴィル・シアターに主演したこともあった。
サヴィル・シアターはビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが経営していたシャフツベリーにあった劇場…っていうか、名前は違うけど今もある。
そのうちMarshall Blogでご案内します。
ココは1960年代、キース・アルバーンとヘイゼル・アルバーンという人が中心になって運営していた「Artists' Own Gallery」というギャラリーがあった。
アートの展示だけでなく、各種のイベント、さらにはライブなども催された。
カーナービー盛んなりし頃のひとつのランドマークだったようだ。
さぞかし、クリエイティブでエキサイティングな時代だったんだろうね~。
5時ピッタリに会社を出て、帰りに同僚とエールを1パイントだけ引っかける。
肴はまったくなし。
ひたすらしゃべってチビチビ飲んでウサを晴らしたら、その場にグラスを外に置いてそれぞれ家族の待つ家に帰って食事をする。そして家でアルコールは飲まない。
飲んでもワインをほんのチョット。
5~6月は夜の10時を過ぎても明るいので家に帰ってからも時間がタップリある感じがする。
昼は「仕事の日」、夕方から寝るまでは「休みの日」とまるで一日が二回ある感じなんだよね。
コレはいいですよ~。
その分、冬は昼が滅法短くて寒いけど。
そばに行くとしゃべり声とエールのニオイがスゴイよ!
熱気もスゴイ!
ああ、イングリッシュ・エール飲みたい。
ロンドンの夜の街ってさぞかしキレイだと思うでしょう?
ところがさにあらず。
スゴク暗い。
このピカデリー・サーカスは別よ。
大きな建物には自らを照らす照明はあっても、ネオンサインがないんだよね。
日本の都会の夜は明るすぎるよ。