犬神サアカス團『宇宙一超絶技巧雑技団2024』~私の谷中墓地(その6)
犬神サアカス團は『TOKYO BAKA EXPO』というイベントで毎年10月に下北沢の「小劇場 楽園」の舞台に立っていた。
そのイベントは2019年より『宇宙一超絶技巧雑技団』と名前を替えてコロナの間も開催され続けていたが、犬神サアカス團はその翌年の2020年から2022年までは出演を見合わせていた。
そして昨年いよいよ復活を遂げ、もちろんMarshall Blogでその舞台の様子を報告した。
Marshall Blogは2013年から毎年欠かさずレポートを掲載しているものだからこの楽園のイベントが来ないと1年経った感じがしない。
そんな重要なイベントが今年も開催されて犬神サアカス團が出演、その舞台のもようをこうしてレポートできるのはとてもうれしいことなのだ。
まずはイベントのプロデューサーの橋沢進一が登場してご挨拶。
「皆さん、こんばんは~!
受付ぶりでございます(当日はプロデューサー自らが受付のデスクでお客さんをお迎えしていた)。
私が団長の橋沢でございます。
このイベントでは普通のライブの時の犬神サアカス團とは違うんですよね。
初めてココに来られる方もいらっしゃると思うんですけど最初に試練が待っているんです。
ナンの試練かは見てのお楽しみでございますけども…何はともあれ犬神サアカス團のみなさんをお迎えしましょう!」
相変わらずの魅惑のバリトン・ヴォイス。
大学の先輩をさせてもらっている私の軟弱で抜けない声とはエライ違いだ。
犬神サアカス團登場。
明さんと橋沢さんは同じ年齢なんだって。
頭髪の様子を指して…
「ボクは別にハゲてるわけじゃなくて額が広いだけですね。
ココが前髪ですから!面長なんです…決してハゲてなんかいない。
そんな話はどうでもいい!
1年に1回で七夕みたいなもんですね…さて、今年もよろしくお願いします!」
橋沢さんのアタマに鋭い視線を放り込む4人。
メンバーを紹介した後、さっそく第1部の「お笑い」のコーナーがスタート。
橋沢さんが出し物を説明する。
「今年は簡単です…『オンタイム昔話』です。
お客さまに昔話のお題を頂いて、その昔話を2分オンタイムで演じるワケです。
例えば『桃太郎』だったらまず2分での話をやる、次にそれを1分で…そして最終的にはそれを30秒で演る。
最初は2分なんで結構余裕です。
ボクも加わります」
お客さんから頂いたお題は「かぐや姫」。
まずは「竹取物語」を2分で…そして「シンデレラ」を1分で…
最後は「桃太郎」を30秒で。
ああでもない、こうでもないと、ステージでは壮絶なドタバタが展開した。私としては、同じ話をドンドン端折って2分、1分、30秒と短くして行くのかと思ったんだけど、違った。
会場は笑いの渦!コレで客席もバッチリと温まった。
「さぁ、今年も始まりました。
5分ほどの休憩を頂いて気持ちを切り替えて演奏を聴いて頂きます。
犬神サアカス團のみなさんでした!」 休憩が終わって客電が落ちると凶子姉さんの声による影のアナウンスが流れる。
「本日はご来場頂きまして誠にありがとうございます。
開演に先だちまして、お客様にお願いとご案内を申し上げます。
上演中、カメラやスマートフォンなどによる写真撮影、録画、録音は固くお断り申し上げます。
また、進行に妨げになりますので携帯電話や音の鳴る機器の電源は予めお切りくださいますようお願い申し上げます。
それではそろそろ開演です」ステージに上がっているのは上手にMarshall。メインのMarshallのヘッドは「KT66」が使えるようにパワー・アンプ部を改造した1976年製のマスターボリューム50Wモデルの「2204」。
スピーカー・キャビネットは2x12"の「1936」。エフェクターで出すオルガンの音用に使用したのは「オリジン・シリーズ」の50W、1x12"コンボ「ORIGIN50C」。ドラムスはおなじみNATALのアッシュ。今日もストラヴィンスキーの「火の鳥」に導かれて4人が登場した。 犬神凶子犬神明ONOCHIN犬神敦マイク・スタンドを立てて凶子さんが歌っているのは振り付けをするため。
となるとそれは…最新のシングル、「カンフートーキョー」だ!
先日、某ブックオフに行ってビックリ!
この曲がガンガン流れていたのですよ~。
アソコのBGMってラジオみたいにナレーションが入って次から次へとブックオフが推している曲を流すスタイルを採っているけど、犬神サアカス團ファンのスタッフでもいるのであろうか?
イヤ、違う。
ヒット街道まっしぐらなのだ!
「♪カンフー」…「♪汚れた街に飛び込んで」…「ウッ!」 「♪一撃よ~」と、1曲目から猛ダッシュ!そのまま続けてONOCHINのリフから… 「レッツ・ゴー!」
明兄さんのドラムスと…
敦くんのリズム・コンビネーションがドライブしまくる「桜散る中」でますますヒート・アップ!「改めましてこんばんは、犬神サアカス團です。
恒例の下北沢楽園が今年もやってきました!
今日のコント、小芝居は今までで一番緊張したかも知れない。
アレはスゴい…でも、もうチョットやりたかった!あと1時間ぐらい。
いつももうチョットやりたいことろで終わっちゃうんだよね。
アレは不完全燃焼にさせておいて次の年に引っ張るための作戦なのかナァ?
さて、今日も全力で盛り上げていきたいと思いま~す!」ここでいつもの口上。
「今宵お目に掛けますは 犬神一座の大サアカス、
どうかひとつ 最後まで 最後まで…」 「最後まで盛り上がっていくぜ~!」口上がキマったところで「スケ番ロック」。
ココのところお気に入りの1曲だ。「♪暴走キメろスケ番ロック!」
コレ、歌のバックのギターのアレンジが大変にカッコいい。
白玉で弾き流すことでスゴいスピード感を出しているんだね。いつかも書いたけど「スケ番」という言葉は絶滅したよナァ。
「スケ」という言葉もトンと聞かないけど、そもそも私が子供の頃、すなわち50年以上前、テレビで『夕やけ番長』を放映していたが「番長」なんて人はいなかった。
アナタ、「番長」に会ったことある?
一方、「皿屋敷」の方は夏になるとよくテレビでやっていたナァ。
若い人は「番町皿屋敷」なんて全く知らないでしょう?
田宮伊右衛門とお岩、新三郎とお露、お菊もそれこそみんな幽霊のように消えてなくなっちゃった。
元々、お岩さんもお菊さんもお露さんも幽霊だけど。
「スケ番」という言葉はこの曲で残して欲しいわ。続いても快適にブッ飛ばすドライビング・チューン。疾駆するリズムと名旋律に乗って展開する悲しいストーリーは「花嫁」。ONOCHINのギター・ソロ。
しかし、このONOCHINの改造Marshallはいい音だネェ。密度の高い演奏をバックに凶子さんが歌にセリフにと激演を披露した。
「どうもありがとうございます。
さて、もうすっかり秋…秋と言えばスポーツの秋、読書の秋、芸術の秋、食欲の秋。
ONOCHINさんはどんな秋を満喫していますか?」
「こんばんはONOCHINです。
秋は毎年競馬ですよ!
年末の有馬記念までもう秋と言えば競馬しかやっていないですね。
毎週末買うんだけど全然ダメです。
食欲の秋というと、私にはあんまり食べるイメージないかも知れませんがヤキイモが好きですね。
茨城だったかな?冷たい焼き芋ってあるの知ってます?
スッゲェおいしくて…見つけたらチョット試してみてください」「犬神には秋にピッタリの曲があるかな?」と前置きして演奏したのは「赤猫」。寒いから猫に火をつけて暖を取ろうということかしらん?
そんなこと愛猫家の敦くんが許さない!
最近取り上げ出した「大地に死す」が続く。この曲、適度でヘヴィで適度にメロディアスで、すごくカッコいいと思うのですよ。
歌詞には明兄さんのインテリぶりが発揮されているし。「♪首を狩れ 首を狩れ」
犬神のレパートリーの深さと暗さは計り知れんわ。
「どうもありがとうございます。
次は敦くんに訊いてみたいと思います。
今年の秋はどんな風に満喫してますか?」
「こんばんは、犬神敦と申します。
秋と言えば…ボクは食べることが大好きで『1番簡単に手に入る幸せとは何か?』と訊かれたら『食べることです!』と、昔から自信を持って答えています。
たとえ数百円でもお腹がイッパイになれば幸せな気持ちになれる…ってところが食べることの素晴らしさだと思います。
この国に生まれたからそういうコトが出来るんだと思います。
ご飯が食べられない国とかの人もやっぱりいますからね。
ご飯を残さず食べるということは『忍たま乱太郎』の食堂のオバちゃんから学んでいます」次の曲を明兄さんが解説する。
「楽しかった夏を思い出そうっていう感じかな?
深まっていく秋の夜長に去りゆく夏をもう1回思い出してね。
夏っていうのはさ… 長いわ。
ゴメンなさい、どうぞ」ギターを持ち替えたONOCHINをバックに凶子姉さんが切々と歌い上げる1曲。彼氏と厚化粧の女たちのドテッ腹に出刃を突き立てて、ゴミ袋に細かく切り刻んだ手足を放り込み遠い山に捨てに行く…ソリャ一生忘れられない夏の思い出になるわナァ。
そんな歌。
殺すのは簡単なんだけど、やっぱりその後の処理が厄介だからネェ。
まさにそんな本を今読んでいるだけど、コレがベラボーにスゴイ。
「デンマーク・ストリート」というロンドンの楽器店街のことを調べていて偶然見つけたイギリス最大にして最悪の連続殺人事件。
その犯人が下の写真のデニス・ニルセン。
同性愛のクラブに顔を出して相手を物色し、家に誘い出してはネクタイで首を絞めて殺した。
ま、それ以上の変態行為をたくさんやらかしているんだけどココには書きません…書けません。
何しろ最終的に何人殺したのかすら正確にわからなかったという。
ナゼかと言うと、被害者自体が特殊な人たちばかりで身元が割り出せなかったのと、「夏の日」のような処理を死体に施して片っ端から燃やしたため遺体を鑑定することができなかった。
結局、処理した死体の一部をトイレに流したところ下水管を詰まらせてしまい、そこから発生する殺人的な悪臭(実際に殺していたんだけど)から足がついた。
現場はキンクスの地元、マズウェル・ヒルだった。
この事件が『DES』というテレビ・ドラマになっているんだけど、観ることができないので仕方なく本を読んだというワケです。
「どうもありがとうございます。
さて、次は明兄さんいきましょう。
秋と言えば~…?」
「もうネェ、オレっつ~たら『秋』みたいなところがあるからね。
秋かい?いろんな秋があるね。
秋といえば…やっぱオレっつ~ったら『スポーツ』みたいなところがあるからね。
イヤ、ウチに籠るタイプだね。
秋で楽しいのはやっぱり引き籠ってプラモデルを作ったり、紙粘土工作をしたり、絵を描いたりだと思った。
ま、芸術の秋だね…プラモデルが芸術かどうかチョット難しいとこあるけど」
「ある画材店から閉店セールの知らせが来たので、そこで油絵用のキャンバスを買ったんですよ。
全部7割引き!
1mぐらいあるヤツを5枚買いました。
ただ油絵って描いたことないのでこれからダイソーへ行って筆と絵具とパレットを買って来ようかと思っています。
だいたいダイソーで揃うんじゃない?
正直どうしようかな?って思ったんだけど、マァじっくり秋の夜長に絵でも描いてみようかと思っています。
そしてどこかで作品を発表できたらいいナァ。
芸術の秋を代表する絵を皆さんにお見せしたいと思ってますんでよろしくお願いします」
10年以上もお付き合いしているのに知らなかったんだけど犬神さんのアートワークね。
例えばこの赤いノボリ。
明さんがこのパンダのイラストを描いたのだそうだ。
こうして物販なんかに採用されているイラストの数々は明さんの手によるものだったのね?
子供の頃はマンガ家になりたかったんだって。
曲は作るし、イラストは描くし、ドラムスは叩くし、やたらと色んなことを知っているし…お世辞抜きで尊敬するわ。その明兄さんのドラムで次の曲はスタート。
「太陽を待ってる」だ。
この曲の一番の見どころはイアン・ギランvs.リッチー・ブラックモアばりの歌とギターのスリリングな掛け合いのパート。
凶子姉さんがONOCHINが弾くメロディを歌でナゾる。
「コレはどうだ?」とばかりにONOCHINがトリッキーなフレーズを弾く。
「あ!予定にないヤツが入って来た!あ~ソレは、どうやってやるのかな?」
「♪チャララチャチャ。アハハハ!コレじゃ『火曜サスペンス劇場』だ~!」続けてココのところ定番となっている流れで「東京2060」。
敦くんが繰り出す重~い低音が小気味よい。
この曲を収録した同名のアルバムから早や6年。
2060年まであと36年。
果たして凶子姉さんがココで歌っているような世の中になっているか!
イヤ、36年も絶たずしてもっとヒドい世の中になっているでしょう。もう1曲「SFシリーズ」を。
「カンフートーキョー」のカップリング曲「代理懐胎生物」だ。
ハードにそしてストレートに展開していく犬神サアカス團が綴る近未来。
「SFやでぇ」とか言いながら必要のないことを言ってしまい大きな批判を浴びている頭部がすべて額の作家がいるけど、アレは先日の選挙で大きく躍進した政党の党首の悪行のおかげで命拾いしやがったナァ。
しかし、双方政治家ですからね。
どっちに転んでも絶望的な未来しか見えてこないって!
何しろサーカスの幕がもう上がっている犬神サアカス團の未来の方が正常に思えるわ。「どうもありがとうございます。
次は私の秋をお話しします。
今のひとり暮らしの小さい家に住んでから大分長いんですけど、賃貸って定期的に修繕の業者が入るんですよ。
それで死ぬ気で部屋を片付けなきゃいけなかったので、今過去一番で玄関先がキレイなの。
よくある小さい部屋って玄関先にキッチンが付いているでしょ?
玄関がキレイなウチに何かを作ろうと思っているワケ。
アイスのあずきバー2本とカボチャを切ったヤツを鍋にかけるだけでおいしいってXに出ていたので実験的に作ってみようかと思っています。
実際に作ったらSNSで報告しますね。
でもその前に鍋を買わなきゃいけないし、包丁や調味料も持っていないの。
おいしいからラー油だけはある。
ということで鍋を買うところから始めます、という食欲の秋のお話でした」
ウ~ン、そういえば凶子姉さんが事務所へ来た時「レトルトのカレーを温めないで食べている」って言っていたぐらいだからナァ。
鍋がなくても不思議はあるまい。メンバー全員の「秋」を伺ったところでいつものヤツいってみよう!
「♪ロックンロール!」「♪ロックンロール!」「暗黒礼賛ロンクンロール」で盛り上がれ!ステージ下手に移動してギター・ソロ。
そうこの会場は客席によってONOCHINや敦くんが見えないからね。
下手ブロックのお客さんは大喜び!
そして後ろでは凶子姉さんと敦くんのフォーメーション。今や重要な「犬神スタンダード」になったこの曲も発表から7年!
バンド・スコアが懐かしいね!
続けてますますノリノリでお送りするのは「たからもの」。この曲は自分のことを歌われているようでホント好きなの。
特に「映画チラシ」というところでグサっと来るのだ。
ということでココでガツンと脱線させてもらいます。
いきますよ~。
「たからもの」という曲は「物集め」の歌でしょ。
世の中には「物集(もずめ)」さんという名字があるんですよ。
調べてみると、岐阜の名前らしくて全国に10人ぐらいしかいないらしい。今、「上田万年」という人に関する本を読んでいるのね。
「万年」って書いて「かずとし」と読むんだけど、この人は日本で最初の言語学者。
明治時代になって、森鴎外なんかと議論をして標準語を作る作業をした先生。
この人についてはお墓が谷中なので、そのウチ「私の谷中霊園」で取り扱うから今日は詳しくやらない。
代りにひとつだけ、どうして標準語の制定が必要だったか、その理由だけ書いておく。
井上ひさしによると、それは軍隊のためだったという。
江戸時代の日本は遠隔地との交流が薄く、各地の方言丸出しで同じ日本人でも普通に言葉が通じないケースが多かった。
そんな状態で兵隊が集まって戦争に行ったら指揮系統がメチャクチャになってしまうでしょ?
だから誰にでも通用する共通の日本語が必要だった。
ちなみに、明治2年に日本国民全員が名字を持つことになったのも軍隊のため。
「大工の熊吉」では徴兵をすることができなかったから。
もうひとつ言うと、未成年の喫煙を禁止したのも軍隊のためだったんだよ。
もちろん健康によくないから。
つまり、そんなに昔からタバコが身体に悪いってわかっていたんですね。
で、その本に出て来る国学者が下の物集高見(もずめたかみ)。
この人は万年と折り合いが悪く、子供に万年の家の前を通ることを禁止していたという。物集先生がまたスゴイ人で、「広文庫」という古今の日本語の用例を集めた20冊組の一種の「日本語の百科事典」を編纂した。
世界で最初の辞書といわれるOED(Oxford English Dictionary)も語句を収録する時は用例を提示するルールを設けんだけど、集められた用例で一番多かった出自はシェイクスピアだったそうです。
こうした作業を物集先生はたった一人でやり遂げたという。下は物集先生の娘で小説家の物集和子。
和子さんには同じく小説家のお姉さんがいて、二葉亭四迷の口利きで夏目漱石が姉妹の面倒を見ていたそうだ。
で、和子先生は平塚らいてう他とともに「青鞜(せいとう)」を立ち上げた。「青鞜」は平塚らいてうが編集長を務める日本で初めて女性だけで作った文芸誌。
明治44年の話ですからね。
女性が雑誌を作るなんてことは規格外のことだった。
平塚らいてうの後に編集長を務めたのが有名な伊藤野枝。
伊藤野枝は有名なアナーキストの大杉栄の奥さん。
憲兵だった甘粕正彦大尉らに大杉とともに扼殺されたのは良く知られている史実。
最初の青鞜の事務所は不忍通りの団子坂の上にあったが、何しろそこは物集和子さんの家だったらしい。
今では大きなマンションになってら。
この辺りのことは「日影茶屋事件」にからめて散々書いたのでココではこれ以上書かない。
コレに興味を持ってクリックする人はよもや誰ひとりいないとは思うが、一応リンクしておくとコチラ。 ↓ ↓ ↓
真夏のJAZZ葉山2023~私の葉山2
実は話はココから。
この先を書きたくて脱線した。
さて、物集高見先生には息子さんもいて、その方が下でそばをたぐっている物集高量(もずめたかかず)。
国文学者にして作家という大先生なんだけど、この人の生きざまがあまりにもスゴイ!
もうね「こんな人が世の中にいたのか!」と経歴を読んで大笑いしちゃったよ。
女に博打に稚児趣味、一方では作家としての才能に溢れ大阪朝日新聞社に在籍していた頃は夏目漱石を担当して『虞美人草』の連載を受け持っていたという。
とりわけ無類の女好きで、105歳で入院した時に看護婦のスカートの中に手を入れてひどく叱られたそうだ。
この物集先生は「200歳まで生きる」と大言したもののさすがにそれは叶わなず106歳で天寿を全うした。
『百歳は折り返し点(日本出版社刊)』という自伝を著していらっしゃるので早速注文して今到着を待っているところ。
物集家の話にはまだこの先がある。下は高量先生のお孫さん。
女優の早瀬久美だっていうんだよね。
我々の世代だと森田健作の『おれは男だ!』の「吉川くん」だよ!
にわかには信じられなくて、調べて見るとなるほど、本名が「物集久美子」さんとおっしゃるのだそうだ。
あのひいジイちゃんやジイちゃんの顔面の血脈からどうしてこんな美人が飛び出して来るのかその道理がわからん。
何から何まで、恐るべし物集家!
脱線終わり。
さて、本編最後は「光と影のトッカータ」。いつものワンマンよりは演奏時間が短いものの、コントにキモを押さえた選曲のライブにと例年通り犬神サアカス團の魅力がタップリと詰まったイベントだった! さて、先日30周年記念の時に発表した作詞家の売野雅勇さんとのコラボレーション作品が11月30日に発売されることになったそうです。
「天誅」…どんなんだろう?
とても楽しみだ!で、アンコール。
「アンコールどうもありがとうございます。
この企画も今年で何年連続だろう?
コロナの時は仕方なかったけど、最初に出てから絶対10年は経ってるよね」
「経ってるねぇ。
あの頃は唐沢俊一先生もいらっしゃってね(唐沢俊一:日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、劇作家、演出家)。
今年お亡くなりになっってしまって…だんだんお友達が減っていく」
ココで健康談義。
「歳を取ると太陽光線で生成されるビタミンDの摂取量が減ってしまって身体の力が弱まるらしい。
だから太陽に当たるの。
お母さんから連絡が来るのよ、手のひらだけでも外に出して太陽に当てなさいって。
手のひらだけ太陽に当ててサプリをボリボリ食べて生きていきたいと思います。
そして来年もこの場に呼んでもらえたらうれしいです!
皆さん、ありがとうございました!」そして最後に「命みぢかし恋せよ人類」をすべてのボーイズ&ガールズに捧げて今年の『超絶技巧雑技団』を締めくくった。「ハイ、犬神サアカス團の皆さん、どうもありがとうございました!」
「イヤ~、ライブっていいねぇ。カッコいいもんなぁ。礼儀正しいし。
皆さんもまた来てくれますか?
始めのお笑いのヤツが入るライブなんてココしかないですよ。
またゼヒ遊びに来てください。
よろしくお願いします」「犬神サアカス團でした~!」犬神サアカス團の次の公演はコレ。
詳しい情報はコチラ⇒犬神サアカス團公式蜘蛛の巣景色
☆☆☆私の谷中墓地(その6)☆☆☆
実はこのシリーズ、少々困ったことが起きてしまっている。
墓ばっかり行っているウチにナニかに憑りつかれた…なんてことでは幸いないんだけど、どうにもオモシロくなって来て、色々と調べているウチに加速度的に知識が増え「アレもコレも」と収拾がつかなくなってきてしまったのだ。
どういうことかと言うと、アレはエリアごとに有名人のお墓を紹介してきたでしょ?
もう済んでしまったエリアに大事なポイントがあることを後になって知ってしまうワケよ。
エライ人ってのはみんな大抵どこか何かでつながっていることが多いからね。
できることなら全部ご破算にして最初からやり直したいぐらい。
ま、そういうワケにもいかないので現在調整中。
…そこで今日は谷中から離れて横浜市営の墓地にやって来た。
西区久保町にある「久保山霊園」。
ランドマーク・タワーを遠望するまさにお墓のスペクタキュラー!どこを見渡しても墓、墓、墓、そしてまた墓!谷中の墓地には7,000基の墓があると言われているが、ココ久保山はナント20,000基を優に超えるという。さて、誰のお墓を訪ねようとしたか…。
まずは俳優の「森川信」。
『男はつらいよ』の「とらや」の初代おいちゃんだ。
ウチも寅さんが好きで、もちろん全作品観ていて真ん中あたりまでは2周半した。
そして榊原るみがマドンナを演じる7作目『奮闘編』を除き、森川さんがおいちゃんを演じている8作目までは更に繰り返し観ている。
『男はつらいよ』ってやっぱり柴又がたくさん出て来ないとオモシロくないんだよね。
ナゼなら「とらや」があって、そこにその家族がいるから。
まぁ、松村さんも下条さんも慣れれば悪くないんだけど、それでもやっぱり「おいちゃん」は森川さんに限る。
な~んでか?
それは「言葉」だと思っている。
上野生まれの渥美さんのセリフと対等に渡り合い、堂々とした江戸言葉でセリフを言い回すことができたのは森川さんだけだから。
フランキー堺なんかも滅法上手だったけど、今どきは噺家でもこんなに自然に舌を回すことはできないでしょう。
ついでにやっておくと、おいちゃん=「竜造さん」の奥さんの「つねさん」ね、三崎千恵子は昔、日本橋の三越で着物の着付けの先生をやっていたんだよ。
私のオバがそこに通っていた。
結構な授業料だったのではないか?と母が言っていた。
「おばちゃん」と「さくらちゃん」は「おいちゃん」が亡くなった時、「おいちゃん、死なないで!」と棺桶にすがりついて号泣したという。 話をもどして、浅草六区のドンキの向かいに森川さんのポートレイトが飾ってあるが、森川さんが喜劇役者をしていた時代の浅草はエノケン、ロッパの人気がすごく大きかったため関西へ活動の拠点を移し、「森川信一座」という劇団を立ち上げこちらも絶大な人気を博した。
森川さんの奥さんは一時期、大人気女優の「水戸光子」だったんだよ。
ちなみに、森川さんの隣の街灯に飾ってあるポートレイトは三波伸介。
「てんぷくトリオ」なんていいネーミングだよね…「脱線」があるから「てんぷく」。
「猫ひろし」とか「バカリズム」とかも同じ発想。
その「てんぷくトリオ」の台本を書いていたのは井上ひさしだった。
いくつかその台本を読んだけど、ハッキリ言ってちっともピンと来なかった。
それをあれだけオモシロいコントに仕立てるんだから優秀な芸人の能力というのはスゴイものだ。
もちろん井上先生もそれを計算して台本を書いていたことは言うまでもない。また森川さんに戻って…。
先日1953年の映画『蟹工船』を観た。
コレの原作が元で作者の小林多喜二が築地警察で拷問死された理由がいまだによく理解できないが、作品の内容も作者の生涯も悲惨な話だわネェ。
この作品で準主役を演じているのがおいちゃん。
多変に若くてにわかには「おいちゃん」と判別しにくいが声でわかる。
チャンとした素晴らしい演技ですよ。
この作品を撮ったのは俳優の山村聰、東大OB。
『男はつらいよ』の山田洋次も東大。
昔の映画界は東大と京大の卒業生ばかりだった。
それが理由で上智大学を卒業した井上先生は映画業界に入ることを諦めたという。
そんな優秀な連中が作っていたこともあって昔の映画はオモシロかったんだね。
で、おいちゃんのお墓を訪ねようとしたんだけど、場所がわからず断念。
イヤ、手を尽くして探せば行けないことはないんだけど、何しろココは山の斜面を使っているのでアップダウンが激しくて身体が言うことをきかんのだ。
実は家内の親戚のお墓が墓地の奥の方にあって、一度山をいくつか越えてそこへ行ってヘロヘロになったことがあったのだ。他にも吉田茂やザ・カービーツのアイ高野のお墓にもお邪魔したかったのだが、同じ理由で断念。代りにと言ってはナンだが、小此木家のお墓をご紹介。
イヤ、実は家内の父方の家系のお墓に行く途中にコレがあるのだ。小此木家は神奈川の一大政治家家系。
もちろん賢明な神奈川の皆さんに支えられてガッチリ世襲を続けている。
通産大臣を務めた二代目の「彦三郎」が一番有名なのかな?
その息子の「八郎」は衆議院議員を通算8期務めた後、2021年に横浜市長選に立候補して落選した。
とても見晴らしの良いロケーションで立派な墓が目に入った。
誰のお墓だろう?
「美澤先生」ってダレ?「美澤進」さんといって、福沢諭吉の推薦で40年以上にわたって横浜商業高校の校長を務めた方。
「Y校」というニックネームで知られる「横浜商業高校」はとても古い学校で創立は明治15年!
神奈川県内最古の公立高校だそうだ。
校歌の歌詞は森鴎外作なんだって。
万年先生のところにもチラリと出て来たけど、陸軍軍医総監だった鴎外は色々と強烈なありましてね、またいつか。その「Y校」の校章の「Y」も美澤先生のアイデアだそうです。
そして、おいちゃん=森川信もY校の卒業生だ。
卒業生の面々を調べて見ると、プロ野球選手の名前が何人も挙がっているが、オモシロイところでは山本小鉄、須田開代子、桂歌丸なんて方々の名前も見受けられる。
きっとマジメな先生だったんだろうネェ。
自分のお墓に「校訓」を刻んじゃってるもん。
死んでもまだ校長先生をやっていらっしゃる。霊園の入り口付近に立つ「横浜市大震火災横死者合葬之墓」。
もちろん横浜においても関東大震災の被害は激甚で、犠牲者(死者・行方不明者)の絶対数としては東京市の方が遥かに多かったものの、人口の比率から見ると東京市が100人に2.7人であったのに対し、横浜市では100人に6人が犠牲になった。
この追悼碑には身元不明の3,300人余りの犠牲者を仮葬にしたと刻まれている。さて、実はココからが久保山霊園の肝心なところです。
ココには火葬場が併設されている。
家内の実家の物故者を代々ココで荼毘に付して来たので、私も家内の祖母と父が亡くなった時にココへお邪魔した。
戦後、「極東軍事裁判」すなわち「東京裁判」が結審し、東条英機以下7人のA級戦犯が巣鴨プリズンで刑が執行されると遺体は秘密裡にココへ運ばれで火葬した。
その灰の行方は曖昧になっていたが、割と最近、実際にその灰を始末したアメリカ兵の証言が日の目を見た。
間違いなく7人の遺灰は房総沖40km付近で上空から散布されたのだそうだ。
遺族は米軍に遺灰を返還するように強く求めたが、マッカーサーは頑としてそれを認めなかった。
そうした遺灰や遺品を残しておくと、それが神格化して日本の再軍備のためのアイコンに祀り上げられるかも知れないことを恐れたのだ。
一方では、熱海にある「興亜観音」に遺灰が安置されているという。
コレは久保山斎場で7人を荼毘に付し、米軍人が処理しきれなかった遺灰を、三文字正平という小磯国昭の弁護士が久保山斎場の向かいにある興禅寺の和尚に相談し、夜中に斎場に忍び込んで骨壺一杯分かき集めたものだという。
だから7柱分の遺灰が完全にミックスされた状態になって興亜観音に存在しているということだ。
かつて私の高校の時のクラスメイトのお父さんが東条英機を暗殺する計画を立てていた…という記事を書いたことがあった。
コレも誰ひとり読む人はいないでしょうけど、一応リンクしておきます。
↓ ↓ ↓
【Shige Blog】東条英機暗殺計画
この夏、東京新聞の主催で保阪正康さんの『「新しい戦前」にしないために』という講演会を聴きに行った。
私は保阪さんが好きで、家に何冊も保阪さんの著書を積み上げている(←まだ読んでいないということ)。
とてもオモシロイ講義だった。
保阪さんは84歳でとてもお若く見えるが、思いっきり耳が遠くていらっしゃるのには驚いた。その講演の中で東條英樹の奥さんの話が出た。
保阪さんは膨大な数の戦争関係者にインタビューをしていて、その中のひとりが東条の奥さんの「かつ子」さんだった。
家にお邪魔して話を聞いている最中に電話が入り娘が受話器を手にした。
それは何がしかの国の組織からの連絡だった。
娘は受話器を片手に保阪さんの目の前でかつ子さんに向かってお金の話をし出した。
保阪さんはその会話に仰天したという。
「お母さん、400だって、400」
「ああそう、いいんじゃない、400万円なら」
こんな調子だったらしい。
かつ子さんが亡くなったのは昭和57年(1982)のことだからこの電話は40年以上前の会話になる。
40年前の大学初任給が12万7千円。
当時の400万円といったら今の500万円程度になるので、それほどの大金ではないが、母子2人なら余裕を持って生活が出来る額であったろう。
あるいはもっとズッと前に未亡人に接見したのかも知れない。
その「400万円」とは政府から支給される補償金の額だった。
保阪さんが驚いたのは、戦場へ行った人たちだけでなく、銃後においても塗炭の苦しみを味わった一般市民は、戦後に何の援助も補償もされなかったのに対し、戦争を巻き起こし、指導し、310万人もの犠牲者を出した戦犯たちの遺族に政府は秘密裡に十分な補償をしていたということを目の当たりにしたからだった。
保阪さんは憮然とした表情でこの話をされていたのがとても印象的であった。今日は横浜から失礼します。
次回は谷中でお会いしましょう。(一部敬称略 2024年10月16日 下北沢 小劇場「楽園」にて撮影)