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2024年9月20日 (金)

犬神サアカス團単独興行2024『真夏の火遊び』 <前編>~私の谷中墓地(その5)

 
去る7月17日に『スペシャル祝賀会』と銘打ってバンドの30周年を記念するライブを開催した犬神サアカス團。
さほど間を開けずして企画した単独公演のタイトルは『真夏の火遊び』。
「真夏の火遊び」ネェ…世間一般的にはナニを暗喩するのであろうか?と思ってインターネットを検索してみた。
すると「夏の火遊び」という文句に関連するウェブサイトがズラリと出て来て、どれもが同じようなことを言っている。
やれ「人妻のできごころ」だの、やれ「特選官能シリーズ」だの、やれ「夏の火遊びを放置していると長期の不倫になることも…」だの。
「真夏の火遊び」って「浮気」を意味する表現なのか?
知らなかった…というより考えたこともなかったわ。
いわゆる「アヴァンチュール」とかいうヤツね?
この言葉は「aventure」というフランス語。
もちろん英語の「adventure」の親戚で同じく「冒険」を意味するが、転じて「禁じられた色恋沙汰」を意味するようになり、よく「火遊び」という訳語が当てられるのだそうだ。10vコレが犬神サアカス團のアヴァンチュールの舞台。20ステージ上手にはMarshall「JCM800 2203と1960A」。30v中央にはNATAL(ナタール)のドラム・キット。
いつもと同じ光景。
ココには「美徳のよろめき」も「飢える魂」もありはしない。
アヴァンチュールなしの「愛妻物語」だけだ。
40ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」から1曲目の「ロックンロールを唄いきれ」につなげる。50犬神凶子60v犬神明70vONOCHIN80v犬神敦90vいきなりギアがトップに入った!
100_kj「こんばんは。犬神サアカス團です!
先月ぶりで結構久しぶりのライブですが。
みんな、元気だったぁ?
今日も暑いし、みんな疲れたり、年をとったりしてると思うの。
だから座って大丈夫だからね。
立ちあがって『ワァ~!』ってやりたい子はやっても大丈夫。
でも足腰辛いのにムリにやらなくても誰も怒らないから。
自由な感じで見て頂ければいい思いま~す!」S41a0368 ココでいつもの口上。
「犬神一座の大サアカス どうかひとつ 最後まで 最後まで 最後まで…」0r4a0072 「最後まで盛り上がっていくぜ~!」
105トップに入れたギアはそのままで…「スケ番ロック」!110v_srONOCHINがお立ち台の上で大暴れ!120「♪暴走キメろスケ番ロック!」とコーラスもキマって…130「命みぢかし恋せよ人類」へとつなげた。140v_imkjドライブ感がますますアップ!
16031年目の「チーム犬神」は絶好調!とばかりのパワフルなショウの幕開けとなった。150v「みんな、どうもありがとう!
今年の夏もとっても暑いですね…というワケわけで今日のメンバーのMCは『夏休みの思い出』です。
多分、我々が子供の頃よりも5℃から10℃は暑くなっていると思うんだよね。
そんな、暑い夏の日に『夏休みの思い出』を聞きたいと思います」
170「ボクにも夏休みがありました。
中学の時、バレーボール部だったんです。
1年生の夏休みって1番大事な時で、球拾いとかやらされてそこでガンバったヤツが2年生になるとレギュラーになっていく。
ウチは母親が九州の出身ですごく悩んだんですけど、部活に出ないで夏休みに九州へ行っちゃったんっすよ。
それで夏休みが終わって部活動に出たらもうオレなんかいないぐらいのことになっっていた…という苦い思い出があります。
でも何とかガンバった。
そしたらレギュラーのヤツが手を骨折して試合に出られなくなって『急遽、オマエやれ』と。
ラッキーな感じでレギュラーになれました。
中学の時にコツコツやらないとダメということを知って、今でも何をやるにしてもコツコツ取り組んでいます」180vONOCHINさんのタメになる話の後は明兄さんの「♪ドコチキドコチキ」。190v_ehONOCHINがリフをブチ込んで「栄光の日々」。200v「過去の栄光」なんて私にはありゃせんナァ。
「♪ホコリだらけの栄光の日々」か…よく聴くと実にいい歌詞だな。
210vひたすらストレートなロック・ビートを低音で支える敦兄さん。
今日もバッチリだ!
230vそのまま明兄さんのスネアドラムが曲をつなぐ。220_tc凶子姉さんがタンバリンを手にして歌うのは「天変地異」。
240vチョット前、地震警報の大きな騒ぎがあったでしょう?
あの時、真っ先アタマに浮かんだのはこの曲のことだったわ。
当然凶子姉さんは「死にたくない!」と叫んだハズ。
え、そうでもない?250「さて、次は誰の『夏休みの思い出』を聞いてみようかな?
敦くんに訊いてみようかな。
夏休みの思い出はナニかある?」
260v「ゴホン、ゴホン。
夏休みの思い出はいつのがいいですかね?…小学校、中学校、高校選からべます。
(凶子姉さんが小学校時代をリクエスト)
小学校の頃はだいたい毎朝5時前に起きて、家の近くの畑を囲うようにして植わっている木の下を掘るんですね。
するとクワガタとカブトムシが結構出てくるんです。
毎日それを獲って、お昼になったら『21世紀の森』という松戸の公園でザリガニを釣っては夕方に家に帰る…ということを毎日繰り返していました。
だから健康的でした」270vココでギアをグッとローに下げる。
ONOCHINが持ち替えたストラトキャスターで奏でるアルペジオのイントロは「カナリヤ」。280v_cnr凶子姉さんの美しい声をジックリと味わう。
「美しい声」といえば、最近「路上」を演らなくなっちゃったね。
私はあのサビの「♪イリュージョン」のところのメロディが大好きでしてね。
またゼヒ取り上げてくれるのを楽しみにしている。
290v_crそのままのムードで「夏の日」。300おだやかな雰囲気で無理心中…と思ったら違うのね?
こんな曲を演っているのは間違いなく世界でこのバンドだけでしょう。310vMarshallとストラトキャスターのコンビネーションのいい所を見せてくれるソロが凶子姉さんの歌に続いた。320vこの曲に「♪手足こまかく切り刻みゴミ袋に押し込んで」という歌詞が出て来るけど、1980年代、ロンドンにデニス・ニルセンというトンデモナイ野郎がいたんだよ。
通称「Muswell Hill Murderer(マズウェル・ヒルの殺人者)」。
ことの始終を詳しく書いておいたので猟奇好きの方はコチラをどうぞ。
   ↓     ↓     ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.55~変わりゆくロンドン <その6>デンマーク・ストリート(後編)

この事件がテレビ・ドラマ化されていてゼヒ観たいと思っているのだがいまだ実現せず。Drs「さぁ、次は明兄さんに夏休みの思い出を聞いてみたいと思いますが、その前に今日はこんなに飛ばしていて大丈夫なんですか?」
340「今のところ何とか大丈夫ですよ!生きてるって感じがするね。
夏休みの思い出ですか?
高校生ぐらいになると、夏休みはウチにいてもやることがナニもないのよ。
だから喫茶店へ行って仲間と一日中いろんな話をしてゲラゲラ笑っていた。
どんな話かというと、例えば…正月の鏡餅ってナンでカビが生えるか?…早く食べないから、とか。
こういう話があと5つ6つあります」
(筆者註:Marshall Blogは「真実を伝えるブログ」を標榜しておりますが、今回の明兄さんのお話はとても良いお話だったものの、若干当ブログの公序良俗規定に反するモノだったので誠に勝手ながら語った話の内容を書き替えさせて頂きました)
350v「機会があったらそんな話をまた語ってもらいたいと思います。
そんな明兄さんのそういう経験が犬神サアカス團の曲に生かされているね。
次の曲にもそれが生かされているのでしょうか?」360v犬神サアカス團のリズム隊のカッコよさを見せる1曲。370_hkz2人が繰り出すどこまでもヘヴィなグルーヴは…380v「一ツ目小僧」だ。
ウ~ム、この曲では高校時代の喫茶店の話が生かされていそうもないな。
凶子姉さんのドスの利いた声がバックの演奏とベストマッチ。400v続けて「地獄の子守唄」。410_jku犬神スタンダードの一角。420v曲にピッタリのギター・ワークが小気味よい。
ナンカ、海外で(フランスだったかな?)日本の怪奇マンガが人気を集めているという報道をテレビで見たが、日野日出志については触れられていなかった。
それはダメだよ。430v続いては…コレは私の12年に及ぶ犬ジジイ歴の中で初めてナマ演奏を聴いたぞ!
2001年の『暗黒残酷劇場』に収録されている「大地に死す」。440_ds犬神さんのことだから勝手に寺山修司かと思っていたら、アレは『田園に死す』だわね。
違っていてヨカッタ…私、ATGがニガテなものですから。450vコレはとてもいいナァ。いいですよ。
ナンで前から取り上げて来なかった?460しかし、明兄さんはスゴイなぁ。
目から入って来たものすべてを犬神サアカス團のレパートリーにすることができちゃう。
しかも、信じられないぐらい幅広いバリエーションで。
ホント尊敬するわ。
「ベゲタリスタ」だの「ベヨーテ」だの、初めて知ったわ。
ちなみにこの「ベゲタリスタ」というのは「南米の呪術師」のことらしんだけど、インターネットで出て来ないんだよ。470v「♪首を狩れ 首を狩れ」
全員で右手を高く上げるフォーメーションもカッコいい!
ああ、私はまだナニも犬神サアカス團のことを知らなかったのだ。480<後編>につづく
 

☆☆☆私の谷中墓地(その5)☆☆☆
 
前回の犬神さんのレポートではお休みしたこのシリーズ。
その時のお断りにも書いたが、この谷中墓地に眠っている方々って、徳川最後の将軍から犯罪者まで、調べれば調べるほどネットワークが広がってしまってこの先一体どうしてよいのやら…途方に暮れているのです。
でも、そうした人たちのことを勉強するのは何よりも楽しい。
それに加えて教科書には載っていないようなマイナーな事件とかね。
普段はAIだのCGだのを絶対に礼賛しない私だが、コレだけはインターネットというデジタル技術がなければ味わうことができないない楽しみだった。
ノンビリ続けて行こうと思う。
 
さて、今日は前回紹介した名刹「天王寺」から。
10天王寺については過去に何度も出て来ているのでしつこくは触れないが、ひとつだけ。
この寺はかつて立派な五重塔を持っていた。20コレも以前に紹介した「谷中霊園」の上野側の入り口。60そこにワザワザこんなレリーフを取り付けてあるぐらいで、その五重塔は「谷中のシンボル」と言ってもよいほど重要な存在だった。
五重塔のことなんて考えたことがなかったけど、現在、日本には全国で80を超える五重塔があるそうだ。
明治維新前に屋外に建てられて現在も残っている五重塔は22。
つまり、明治以降も60ほどの五重塔が建立されている計算になる。
しかも驚いたことに平成に入ってからのピッチが急に上がったのだそうだ。
そのウチ最も古いのは1300年以上前に建立された法隆寺の五重塔だ。70v しからば身近なところで…浅草寺の五重塔はどうか。
浅草寺の「塔」は天慶5年(942年)に平公雅(たいらのきんまさ)という人が建立した三重塔が最初だというから約1100年前のこと。
下の写真の現在の五重塔が建てられたのは昭和48年。
昭和20年の空襲までは慶安元年(1648年)に建てられた先代の五重塔が立っており、上野の寛永寺、芝の増上寺、谷中の天王寺(今日の主役)と並んで「江戸四塔」として市民に親しまれた。
コレ、中にナニが入っているか知ってる?
一番上の階には「聖仏舎利(せいぶっしゃり)」というお釈迦さまのご遺骨が納められていて(ホンモノなのか?)、他の階には信徒さんの永代供養のための位牌が並んでいるんだって(現在はもう受け付けていない)。
ウチは浅草寺の檀家ではないんだけど、この五重塔を建立する時に広く寄付を募り、父方の祖父がそれに応じた(多分多額)。
その返礼として、寄進者の名前がチタン製の屋根瓦の裏に刻まれることになっていた。
瓦が全部で何枚使われているのか知らないが、裏面に祖父の名前が入った瓦がそのうちのどこかにあるらしい。
一度見てみたいとは思うが、まぁ、その願いは終生かなわないであろう。
しかし、仕事柄時折もてなす海外からのお客さんに浅草寺を案内する時、この話がかなり有力なアクセントになるのでとても助かっている。
ちなみに寺であるにもかかわらず浅草寺には墓所、つまりお墓がないんだよ。
その代わり、信徒さんは浅草寺と同じ「聖観音宗」という宗派の支院に墓を設けることになるのだそうだ。Img_1081チョット脱線。
下は夕方の浅草寺の本堂前のようす。
参詣者は昼間、本堂の中の御本尊の前にお参りするワケだが、夕方の5時以降は扉が閉まっていて中に入ることができないので外で手を合わせることになる。
つまりお参りの所作が丸見えなワケ。
その姿を観察するのがベラボーにオモシロイ。
というのは、賽銭箱の前で盛大に「パンパン!」と手を叩く人が案外多いのだ。
それは隣の「浅草神社」でやるヤツですからね。
パンパンとやるのは神社です。
そういう人はお賽銭の投げ方もスゴイよ。
同じ種類の硬貨を3枚、賽銭箱の格子の中にソ~ッと置き入れるのが礼儀のハズなのだが、遠慮会釈なく力いっぱいグワッシャ~!と放り込んじゃう。
銭形平次か!
元より海外からの観光客が多い浅草寺だが、最近は特にその数がスゴイ。
恐らくもう国内の観光客より海外からのそれの方が多いのではなかろうか…と思うぐらい。
だからそういう海外の人が「パンパン!」ってやると思うでしょう?
ガイドブックにインストラクションが載っているのであろうか、見ていると実はそうではなくて一番多いのが日本人の若者。
ヘタをすると彼女に教えているバカもいる。
いい年こいてやっているオッさん、オバさんもいなくはない。Img_1084「そんな意地の悪いことを言っていないで教えてやりゃいいじゃねーか」と思うでしょ?
そうしてやりたいのはヤマヤマなんだけど、まさか賽銭箱の横に立って監督するワケにもいかないでしょ。
すると…先日、小声で「Two bows, two claps and one bow, two bows, two claps and one bow…」と何度も唱えて熱心に練習しながら列に並んでいる東南アジア人の若いカップルに出くわした。
さすがにコレはダマっていては気の毒だ…と思い「それはお隣でやってください」と注意して簡単に作法のことを教えてあげた。
するとその彼は大変ありがたがってくれたが、私がナゼそんなことをしているのかを不思議に思ったらしく「アナタはお坊さんですか?」と尋ねて来た。
私は帽子を取って剃髪に近い頭を見せて「その通りです」と答えておいたが、もちろんすぐに訂正して「皆さんが作法を間違えているのを見て楽しんでいるのです」と答えた。
大笑いしていた。
コレね、彼らが一番気にするのはお賽銭の額なんだよね。Img_1097_3さて、谷中墓地に戻って…。
下は春に撮った光景。
上野側の入り口から入って少し進んだところ。
昔、この辺りからの眺めは…50こんな光景だった…と言いたいところだけど、この明治中期に撮られた写真には後から色が付けられているので本来の塔の姿とは異なるようだ。
コレが上に出て来た「江戸四塔」のひとつ「谷中天王寺の五重塔」。40現在小さな公園になっていて…
80その中に五重塔があった。
85v天王寺に五重塔は最初1644年に建てられたが1772年に焼失。
その19年後の1791年、湯島の棟梁「八田清兵衛」と47人の職人が1年半の歳月を費やしてこの場所に二代目の五重塔を建立した。
その五重塔を題材にした小説が幸田露伴の『五重塔(後出)』だ。
この五重塔には塗りを施されず、剥き出しの欅が実に良い風合いを醸し出していたらしい。30v その公園にはこの五重塔の敷石がそのままになっている。
狭い!
高さ34mもある塔がこんなに狭い面積の上に立っていたとはにわかには信じがたい。
しかもその塔は安政の大地震にも、上野戦争にも、関東大震災にも見事に耐え抜いたのだ。90湯島の棟梁のいい仕事がモノを言ったそんな堅牢な五重塔も火には敵わなかった。
昭和32年、長部辰五郎という洋服職人が山口和枝という女と心中を図り、五重塔に放火して巻き添えにしてしまった。
ナンダよ~!120vナンでも欅の木というのは燃えるとタテに裂けるらしく、その様がまるで巨大な線香花火のようで「バカなことをしやがる…でも、炎上する光景は大変に美しかった」と、火事を目撃した人のウチの1人が後に語っている。
下は同地に付けられている解説板。110その手前に設置されている石碑。86正面には「輝法燈」と刻まれていて、背面には大正11年に設置されたことと「為 妙瑞院如實蓮心大姉」という戒名が記されている。
五重塔の敷地のすぐそばにあるので気になって調べて見たのだが何もわからなかった。0r3a87v さて、今日のハイライト…的な。
『金色夜叉』の尾崎紅葉と「紅露時代」という一時代を気づいた明治の文豪「幸田露伴(こうだろはん)」。
「露伴、漱石、鴎外」と並び称される日本の近代文学の巨人だ。
160p以前にもチョット紹介したが、その露伴が明治24年から約2年を過ごしたのが谷中墓地内の天王寺の墓所の裏手にある下の写真の場所。125露伴はこの場所から毎日眺める天王寺の五重塔に着想を得て代表作の『五重塔』を創作した。130下はすぐ近くの表通りにあるケーキ屋「パティシェ・イナムラショウゾウ」。
前回も書いたけどあんまりおいしいからまた書いてやれ。
私の管見によれば「世界一おいしいケーキを作る店」。
お値段は財布に優しくないと言えなくもないが、今はどこのお店でもお安くないでしょう?
そかも食べたところでさしておいしいワケでもない。
だから「コレならもうチョット足してイナムラにしておけばヨカッタ!」と悔いるのが常。
どれを口に入れても思わず「おいしいね~!」を連発してしまうのがイナムラショウゾウのケーキ。
混むとイヤだから皆さんは行かないでね。150さて、その『五重塔』。
お読みになられた方はいらっしゃいますか?
腕は良いが仕事に熱意を示さない「のっそり」の異名を取る大工、十兵衛。
その十兵衛が「感応寺(「天王寺」のかつての名前)が谷中に五重塔を作る」という計画を耳にして俄然燃え上がってしまう。
感応寺の上人の「十兵衛の親方とJVを組んだらどうか?」というアドバイスも聞かず、「五重塔建設」がさも自分のライフワークであるかのようにソロで取り組むことを主張しそれをやり遂げる。
ところが、完成間近になって大きな台風がやって来てせっかく造った五重塔が暴風雨の危機にさらされる。
しかし、十兵衛はその天災に果敢と立ち向かう…みたいな話。
こうやって書くと何やらオモシロそうな気がしないでもないが、厳格な文語文で書かれているとなると、現代の人が取っつくことのはなかなかにムズカシイ。
しかも相手は漱石、鴎外と肩を並べる大文豪が描いたヤケクソに格調の高い文章だ。
ボケっと字面を追っているだけでは全く意味が入って来ない。
では、私はどうしたか…音読に限る。
声に出して文章を読むと、まぁ、不思議。
意味も分かりやすいし、読んでいる口が大変に気持ちよいのだ。
コレはやっぱり言葉の選択と文体が作り出すリズム感なんだろうネェ。
例えて言うならビートルズの曲を諳んじて歌う感覚に似ているかしらん?
170さて、露伴先生、上の写真ではガンコがヒゲをはやしているようなルックスだが、礼儀作法や家内での仕事のやり方に関しては尋常ならざるガンコさを示したらしい。
そんなガンコおやじの薫陶をモロに受けたのが娘で有名は女流作家の「幸田文」。
180pそんな露伴の文に対する教育方針を綴った本がある。
読んでみると昔のオヤジってのはこんなもんだったんじゃないかしらん?という感じ。
やかましいクソおやじの所業にハラが立つことも多かったであろうが、文さんはお父さんの教えに心から感謝してしているのね。
8歳の時にインフルエンザで実母を亡くし、露伴は後添えを迎えたのだが、その継母がどちらかというと家庭的ではないタイプの人で、それを気にした露伴は文にそれ相応の気を遣っていたということもあったようだ。190幸田文は読んだことがないんだよナァ。
その代わり幸田文の小説を原作にした映画は観た。
例えば1956年の『流れる』。
山田五十鈴、田中絹代、高峰秀子、杉村春子、栗島すみ子、岡田茉莉子という当代きっての大女優をかき集めて撮った一作。
例えて言うならギターがヴァン・ヘイレン、キーボーズがキース・エマーソン、ベースと歌がポール・マッカートニー、ドラムスがスティーブ・ガッド、そして歌が美空ひばりで組んだバンドのようなモノ。
この手の顔見せ映画はうまくまとまらないことが多いが、メガホンを取ったのは黒澤明をして「コワい」と言わしめた天下の名匠、成瀬巳喜男。
悪かろうハズがない。191fもうひとつは1960年の市川崑監督の『おとうと』。
こちらの主演は岸恵子に川口浩。
「川口浩」というと、嘉門達夫の「探検隊」のおかげでスッカリお笑いのネタになって現在も細々と語り継がれているが、お父さんは『愛染かつら』他の大ヒット作で有名な小説家「川口松太郎」。
そして、お母さんは「母親役といえばこの人」と重宝がられた女優の「三益愛子」。
妹さんは一時テレビドラマに出ていた「川口昌」。
そして奥さんは「野添ひとみ」…という由緒正しい芸能系一家の出ですから。
恵子さんは私の母方の親戚。
『君の名は』も『女の園』もヨカッタけど、命短い病床の弟のことを思う姉の切ない気持ちを演じたこの作品は尚ヨカッタ。
従来の撮影画像よりコントラストがハッキリ表現とされる「銀残し」という手法を世界で初めて使った作品で、「黒澤明が選んだ100本の映画」にも選出されている名作。
両方ともとてもヨカッタのは幸田文の原作がシッカリしているからであろう。
192fコレはオマケなんだけど、五重塔の放火の話を聞いていつも思い出すのは1958年の、これまた市川崑の『炎上』。
「炎上」ったってSNSじゃありませんよ。
金閣寺に火をつけるつけないの話…とくれば三島由紀夫の『金閣寺』ということになるんだけどまさにソレ。
ところが三島がこの映画に『金閣寺』というタイトルをつけることを禁じたため困った大映は代りに『炎上』という題名を付けた。
主演は大スター市川雷蔵で、寺の住職を演じるのが中村鴈治郎。
鴈治郎っていいよナァ~。中村玉緒のお父さんね。
そして仲代達矢がとても変な役回りを演じているのもいい。
この作品が谷中の五重塔とすごく重なるのね。193fさて、ところは替わって下は東向島にある「墨田区立露伴児童公園」。
この「露伴」とは幸田露伴のこと。
露伴は引っ越しの多かった人で、明治26年に向島にやって来、その後一旦向島を離れたが明治30年にこの公園の近くに家を借りた。
200その家が現在は岐阜の「明治村」に移築展示されている「蝸牛庵(かぎゅうあん)」。
私は明治村が大スキなのです。
「蝸牛」というのは「カタツムリ」のことね。
露伴は自分が住んだ家をどれも「蝸牛庵」と読んでいたので、この明治村の家だけが「蝸牛庵」というワケではなかった。210そして明治41年(1908年)、露伴は自分で設計した家をココに建てて居住し、大正12年の関東大震災で井戸水が濁ってしまって引っ越しを余儀なくされるまでの16年間を過ごした。Img_1335 公園にカタツムリの遊具が設置されているのはココにも「蝸牛庵」があったから。
230公園にはその辺りの経緯が詳しく掲示されている。
220園内に建てられている露伴の文学碑には『運命』の一節が引かれていた。
読んことはありませんが…。
240地面にはこんなイラストがハメ込んで当たりして、小さいながらもなかなかシャレた公園なのよ。0r3img_1338 失礼ながら今、「向島」という地名を聞いてナニかを頭に思い浮かべる人は…今はいないだろうナァ。
『墨東奇譚』で知られる「玉ノ井遊郭」、「向島百花園」、震災前には日活の撮影所があったりして浅草には遠く及ばないもののなかなかに賑やかな土地柄だった。
それゆえ向島と縁がある文人墨客も多かった…というのがこの案内板。
誰が挙がっているかというと、右上から時計回りに…堀辰雄、森鴎外、吉川英治、正岡子規、谷崎潤一郎、饗庭篁村、淡島寒月、佐多稲子、富田木歩、村上浪六、依田學海、成島柳北、幸田露伴…と。
半分は知らないな…学者以外に全部知っている人なんているんかいな?250今回も「五重塔」を軸に谷中から大分離れてしまったけど最後にもうひとつ。
上に描いたように幸田露伴は引っ越しの多かった人で、今でいう台東区に生まれて、向島、長野、伊東と転居し、戦後は市川に居を構えてその生涯を閉じた。
私はそのウチ台東区、長野、市川に住んだことがあってその偶然に驚いた。
しかし、色々と露伴のことを調べているウチにその偶然に合点が行った。
露伴の本名は私と同じ「しげゆき」だったのである。
でも私はガンコではありません!
Rst <つづく>
 
(一部敬称略 2024年8月24日 三軒茶屋HEAVEN'S DOORにて撮影)