犬神サアカス團単独興行『真夏の火遊び』 <後編>~私の谷中墓地(その6))
犬神サアカス團の『真夏の火遊び』は前半を終えたところ。
チョットした「火遊び」の火種が大炎上する兆しを見せるようになって来た!明兄さんがカラで刻むロックビートが次に起こることを仄めかす。
すると客席の熱気がグッと上がる。そのビートを刻んでいるのはNATAL(ナタール)ドラムス。台に上がった凶子姉さん。
「みんな~、凶子先生の時間だぜ~!
我々の30周年記念の曲『カンフートーキョー』はもう聴いた~?
振り付けは出来るかな?
できない子もいるかもしれないね。
チョットやってみるから見ててね!」
皆さんお待ちかねの1曲。
前回の30周年祝賀会でもみんなで踊って大いに盛り上がった。
今日もまずはサビのパートの振り付けのおさらいから。
「♪カンフー 汚れた街飛び込んで…」「ウッ!」とみんなで練習しておいて~、あとは仕上げを御覧じろ。「いくよ~!」
どこまでもノリのよいダンサブルな1曲。
ガッチリと固まったメンバー4人の波動を感じる。
そしてサビ…
「♪虫ケラどもはみな殺し ハッ!」「♪電光石火の…」「♪一撃よ~」と頭を振るわせて大熱演!
この曲はしばらくの間、このパターンでレポートします。
大変助かります。
とにかくこういうのは問答無用で盛り上がっていいわ!
続いても『カンフートーキョー』から「代理懐胎生物 」。
明兄さんが腕にヨリをかけて作った近未来ナンバー。ココでもいい感じで敦くんの低音が明兄さんのドラムスに絡みつく。クリーン・トーンによる歯切れのよいファンク・ストラミングとディストーションのバッキングのコントラストが絶妙。
コンパクトなソロがまた素晴らしいと来てる!耳障りのいいメロディの最後を「♪サーカスの幕が上がる」で締めくくるパートがタマらなくステキ。
今披露した「カンフートーキョー」と「代理懐胎生物」を収録したCD『カンフートーキョー』。
私からもよろしくお願いしますよ。
最近は本当に犬神さんみたいなバンドがなくなっちゃった…というか、世の中がスッカリ狂っちゃったからネェ。
というのは、こうやって新しい曲を作って、CDを出して、お披露目ライブを演って、スッカリ馴染んだところでまた新しい曲を出して…コレこそがミュージシャン本来の仕事ですからね。
お百姓さんが米を作ったり、政治家が悪事を働いたりするのと同じ。
少なくともナニかしら形になるモノを作らないとダメね…サブスクじゃダメなのよ。
Marshall Blogはそういうバンドを応援したい。
ところで、『カンフートーキョー』にはもう1曲「闇のサアカス」という曲も収録されている。
ブリティッシュ・ハ―ドロック風味のヘヴィな演奏に延々と凶子姉さんのモノローグが被さってくる1曲。
まだライブでこの曲を演奏しているのを見ていないが、絶対にライブで披露するべきだと思います。「あ~楽しかったネェ。コレ、ヤバイよ。
さて、私も夏休みの思い出も語っていい?」「小学生の頃の話なんですけど…。
夏は1、2時が一番暑くなるじゃないですか。
私の家庭はお昼ごはんを食べた後、その時間だけはエアコンを付けて部屋を涼しくしてお昼寝をするっていう感じだったんですね。
昔は今みたいにエアコンを付けっぱなしにしなかったからね。
だけど昼寝をしたくないの…ナゼかと言うとちょうど2時ぐらいに再放送で『夏体験物語』をやってたの。みんな知ってる?
普段は夜の時間にやっていたドラマなんだけど、夜は夜で『早く寝なさい!』じゃん?
だからお昼にやってくれると子供も見られるんだけど、ウチではやっぱり『寝なさい!』なのよ。
だから葛藤だった…灼熱地獄の部屋の中で1人でテレビを見るかお昼寝するか。
それが一番の思い出です。
アレ…『夏体験物語』って誰が出ていたんだろう?」
「石立鉄男じゃない?
あったよね、石立鉄男シリーズ…『パパと呼ばないで』とか、『雑居時代』とか、『水もれ甲介』とか」
あ~明兄さん、「石立鉄男」を出しちゃいましたか…。
仕方ないので脱線させて頂きます。
「テレビのドラマには終生近づきません」と約束してもいいぐらい私はそういうモノを見ないんだけど、子供の頃は明兄さんが口にした石立鉄男のドラマはチョコチョコ見ていたわ。
『雑居時代』なんてのはそれこそ前回出て来た川口松太郎と三益愛子の娘の「川口昌」が出ていたんじゃなかったっけ?
で、石立さん。
出演するテレビドラマがヒットしたおかげで完全に「テレビの人」というイメージになっちゃったけど、この人は「俳優座」の出身で一時「文学座」にも籍を置いたレッキとした舞台俳優だった。
何しろかの水上勉が「ハムレットを演れる男」と評したそうだ。
イギリスだったらアータ、ローレンス・オリヴィエですよ。
でもテレビに出ちゃうとやっぱりダメね。テレビの仕事しかできなくなっちゃう。
やっぱり映像エンターテインメントというのは「リアリティの追求」だからテレビに出ている人、特にコマーシャルの仕事をしている俳優さんはどんなにいい映画に出たところでテレビの中のイメージに負けてしまう。
その結果、作品がリアリズムを失ってしまう。
私が新しい映画を一切観ない理由のひとつはそれ。
反対に言うと、テレビがなかった時代に作られた映画ばかり観ちゃう。
でも石立ってとてもいい役者だったと思いますよ。
「チィ坊!」ってやるあの声がヨカッタもん。
役者と言う職業は「1に声、2に姿、3に顔」って言われていて、この3つの重要な条件を完璧にクリアしたのが「渥美清」だと言われている。
「車寅次郎」ってアティカス・フィンチやスパイダーマンをしのぐ、世界最強にして最高の「架空の人物」なんだよ。
昔の俳優さんって男女を問わず、ルックスだけでなくチョット聞けば誰かがすぐにわかる固有の「声」を持っていたですよ。
ところで石立さんの奥さんって誰だったか知ってる?
以下、サブ脱線。
石立さんの奥さんは「吉村実子(じつこ)」という吉村真理の実妹だった。
28年も別居して最終的に離婚したそうだ。それじゃ「雑居時代」じゃなくて「別居時代」だわね。
実子さんは「じっこちゃん、じっこちゃん」と呼ばれて昔はそこそこ人気があったようだ。 詳しいことについてはゼンゼン知らないのだが、じっこちゃんが準主役を務める新藤兼人監督の『鬼婆』という1964年の映画はとてもヨカッタ。
下のその作品のポスターの題字は岡本太郎。
ナゼかは知らないが、岡本さんは何作か新藤さんの作品の題字のデザインを手掛けている。
この『鬼婆』という作品は海外では「日本のホラー映画」としてカウントされているらしいんだけど、ゼンゼン違いますから。
出演が乙羽信子、佐藤慶、吉村実子のほぼ3人という新藤さんお得意の経費削減態勢がひかれているんだけど、この3人が実にいい。
落ち武者狩りをして糊口をしのぐ母子の間に若い男が入り込んで来て、性に狂ったその女2人が男を取り合う話。
乙羽ちゃんに負けず、実子さんが若い肉体を武器に体当たりの演技をしている。石立さんの話に戻る。
ウチには石立さんが書いた色紙がある。
下の写真がそれ…数少ない父の形見のひとつだ。
私は父の薫陶を受けて映画好きになったのだが、父は他にも将棋や囲碁を嗜んだ。
色紙にある日付を見ると「平成9年6月22日」とあるので今から27年前のことだったのであろう。
知り合いで将棋マニアの風俗情報誌の社長が、特に仲の良い友人に声をかけて作家の団鬼六と行く旅行を企画した。
父がそれに参加し、その時一緒になった石立さんに下の色紙を書いてもらったというワケ。
父はこういう企画が好きだったのであろうか、若い時には「映画の友」という映画雑誌の企画で「淀川長治や小森のオバちゃまと一緒に旅行に行ったことがある」と自慢していた。
それにしても、こんな色紙、予め用意して行ったのであろうか?
比較的行き当たりばったりの人であったが、変なところには気を回していたんだナァ。
石立さんと一緒に温泉に浸かっている写真も見たことがある。
で、色紙には「"負けました"」とある。
恐らくは父との対局で石立さんが負けたという意味であろう。
石立さんは「アマチュア四段」の腕前だったそうだ。
父は千駄ヶ谷の「将棋会館」には時々行っていたようだが、そうした「段」だの「級」だのの資格は持っていなかったハズだ。
果たしてマグレで勝ったのか?それとも実力だったのか?
確認したいところだが、もうそれは永久にできない。そして、団鬼六。
そんなツアーを企画する団さんだけあって、ご本人も「アマチュア六段」の腕前で『将棋ジャーナル』という雑誌の運営を引き受けていたこともあった。
そうした将棋好きが高じて「小池重明」という将棋指しの面倒をみることになる。
この「小池重明」というのが、規格をはるかに超える強さを誇った天才だった。
ところが、あまりの素行の悪さにプロの棋士になることも許されず破滅的な短い人生を送った。
かの羽生善治も「ゼヒ一局お手合わせ願いたかった」と語っている
その小池との関りを綴ったのが下の『真剣師 小池重明』という1冊。
「真剣師」というのは将棋界では固く禁じられている「金を賭けて指す将棋」を生業としている輩のこと。
父の名前を「茂」の一文字に加工させてもらっているが、鬼六さん本人による揮毫本。
コレもその旅行の時に持参したのかな?…「恵存(けいそん)」とは「お手元に保存して頂ければ幸いです」という意味だから鬼六さんから頂戴したモノかも知れない。
今では私の「たからもの」。
世間一般では官能小説でその名を知られている鬼六さんだが、さすがに私もその類は読んだことがない。しかし、この本は別。
信じられないぐらいにオモシロイ。私は3回読んだ。
私は将棋自体は全くわからないし、興味も持ち合わせていないのだが、将棋指しの話はスキ。
谷川浩司とか、チョット前には羽生善治、今では藤井聡太…将棋指しには品行方正なイメージがあるけど変なヤツもたくさんいるでしょ?そこがオモシロい。
あの人たちって脳ミソがウニになるほど考えるんだって。
そんなことに長時間耐えられる人間なんて決して普通じゃないから。
「それでは突撃~!」の中原誠なんて良い例だった。
ロック・ミュージシャンにもおかしなヤツが多いなんてことがよく言われるけど、そんなのゼンゼン序の口。
「音楽家」で言えばクラシックの方がはるかに変なヤツが多いし、「芸術」ということでくくれば画家の方がズッとおかしい。
数学者や科学者なんてのもなかなか強烈な人たちが揃っているけど、総合的に見るとチャンピオンは作家じゃないかしらん?
昔の作家先生はみんなスゴイわ。まともな人なんていそうにない。
とにかくナニかひとつのことに命をかけて打ち込むなんて普通の人にはできるこっちゃないのだ。
チョット脱線ついでに…。
凶子姉さんの新しいお召し物ね。このお花は牡丹ですかね?もうコレがトッド・ラングレンの『Something/Anything』のジャケットに見えちゃって仕方ないのよ。
ココで毎度おなじみ「ロンクンロール!」と叫んで日頃のストレスを発散させるコーナー。
まずは練習。
凶子姉さんの音頭で…「♪ロックンロール!」「さぁ本番いくぜ~!」やっぱり盛り上がる「暗黒礼賛ロックンロール」。 ロック・ギターのお手本のようなONOCHINのギター・ソロが曲をハードに演出する!いいギター・ソロはいいギターの音から。
もちろんそれにはMarshallが不可欠だ!
今日も「JCM800 2203」と「1960A」。ステージ下手ではいつもの通り凶子姉さんと敦くんのフォーメーションがギター・ソロに花を添える。
続けて「浅草心中」。
過去に何度か書いているようにこの曲を聴くといつも「黒岩重吾」を思い出す。
アレ?そうか…この曲のアイデアも根っこは「小口末吉事件」?だから「浅草」?敦くんの最高にカッコいいベースをお聴き逃しなきよう。間髪入れず「光と影のトッカータ」。
「間髪入れず」は『「間髪」を「入れず」』ではなくて『「間(かん)」、「髪(はつ)を入れず」』ですからね。
ついでにやっておくと「キラ星のごとく」も「キラ星」の「ごとく」ではなくて「キラ」、「星(ほし)のごとく」です。
口にする時は要注意。
猛然とドライブする明兄さん!写真ではわかりにくいけど、汗だくで熱唱する凶子姉さん。
そうなの。この日、ものすごく暑かったのよ。
ま、タイトルが「火遊び」だもん、そりゃ暑いにキマってるわな。 いつ、そして何度聴いてもカッコいい… 中間のインストゥルメンタル・パート! 「みんな、どうもありがとう!
楽しい時間はアッという間まで、次が最後の曲です。
明兄さん、まだひとことありますか?」
「今はまだ30周年の祭りの最初なんだよ!楽しんでいこうよ!
突っ走っていこうよ!バリバリでいこうよ!」「最後…ワタシたち犬神サアカス團はアンタたちにとっては『たからもの』!」
ホント、日本のロックの「宝物」です。
いつまでも輝きを失わない最上の「ロックの骨董品」でもある。ということで『真夏の火遊び』の本編を締めくくったのは「たからもの」。
サビでは凶子姉さんのおなじみのフリも飛び出して…気持ちよ~く演奏しきった4人なのであった。
かなり暑かったけどね。 本編はコレにて終了。 犬神サアカス團は今年も下北沢の「楽園」のイベントに出演する。
我が家はこのイベントで1年を知ります。
だからコロナで開催されなかった数年は1年の長さがサッパリわからなくなってしまった。
アンコールはまずは例によって凶子姉さんの即興曲。
「♪今年も8月が~ あっという間に終わるね~
暑かったなぁ~ アタイは毎日~ エアコンの効いた部屋の中で~ グータラしてるだけ~ 楽しい人生を送ってます!
そんな我々の最後の曲を聞いてください!」今日のアンコールは「死ぬまでROCK」。敦くんもお立ち台に上がって猛ハッスル(×2)。本当に死ぬまでロックを演っていそうな…イヤ、きっと死ぬまでロックを演っているであろう犬神サアカス團の充実した単独公演だった!「どうもありがとうございました~!」そして團員が大きな拍手に包まれて…團員たちが順にステージを後にした。
犬神サアカス團の詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト次回の三軒茶屋での単独公演は11月30日の『人生に意味があるなら』。
秋の夜長にピッタリの哲学的な内容になりそうだ!<おしまい>
☆☆☆私の谷中墓地(その6)☆☆☆
前回、天王寺の五重塔が終わってホッとしているところでまた上野方面の入り口に戻る。
今回はこのメイン・ストリートの「さくら通り」の左側をやることにします。
以前にもサッと散策したのだが、更に細かく調べて見ると、まだまだ偉人、賢人、変人、奇人の皆さんのお墓がゴロゴロしていて知れば知るほどオモシロイ。
最近テレビで見かける「お墓」の話題と言えば「墓のマンション」か「墓じまい」ばっかりだもんね。
こうして色々なお墓を見て歩くと、お墓というのは「その人がかつて生きいて、ナニをしたかの証」になるナァとつくづく思ってしまうのだ。
さて、まずはココ。
墓所内に板碑が立っているからしてなかなかのお家柄。丸いてっぺんが印象的な墓石には「色川家之墓」という家名が刻まれている。
「色川さん」なんて変わった名字なのですぐにピンと来るでしょう?
そう作家の「色川武大」さんのお墓。
麻雀の小説を書く時の別名が「阿佐田哲也」さん。
…と、偉そうに紹介したものの私は色川/阿佐田作品を読んだことはありません。
せいぜい『麻雀放浪記』を観たぐらい。
となると、話はこの映画を監督した和田誠方面に脱線してしまう。和田誠さんはとても好き。
2019年の10月、その訃報を上海にいた時に耳にした。
一緒に行った若いミュージシャンが空港に向かうバスの中で「シゲさん、和田誠さんってご存知ですか?亡くなったそうです」と教えてくれたのだ。
和田さんの逝去にも驚いたけど、その若者が「和田誠」を知らないことにもっと驚いた。
こんな和田さんがデザイン会社にいた頃の修業時代を綴った自伝なんて大変にオモシロかった。
たまたまテレビのクイズ番組で見て知ったんだけど、オリジナルの新幹線の車輛の青と白のデザインはタバコのハイライトの意匠が元になっているんだってね~。
知らずに驚いたけど、そのハイライトのパッケージのデザインが和田さんの手によるものであることに触れなかったのにも驚いた。
それから、映画に関する本もどれもオモシロイ。極めつけはコレでしょう。
『お楽しみはこれからだ』という映画の中に出て来る名セリフに自身が描いたイラストを添えた見ても読んでも楽しい映画ガイド。
あんまり好きなもんだから3巻までは2冊ずつ持っている。和田さんが装丁を手掛けた本ってウチに一体何冊あるかしらん?
和田さんってヒッチコックが大好きだったんだよね。
『麻雀放浪記』の中で真田広之が牌を積み込んで2回連続で「天和(てんほう)」をすると、卓を囲んでいた鹿賀丈史が「フザけるな!」と激怒して勢いよく立ち上がって頭を裸電球にブツける。
するとカメラは頭がブツかって大きく揺れる裸電球にアップを捉える。
コレはもう完全にヒッチコックの手法。
私は全く麻雀はできないが、和田さんの映画好きを味わうという意味では『麻雀放浪記』はとても好きな映画だった。
…ってんで、今年の初め京橋の「国立映画アーカイブ」で開催されていた『和田誠 映画の仕事』展というのを見て来た。
とてもオモシロかった。
その内容をShige Blogでレポートしようと思って準備はしてあるのだが、いまだにゼンゼン取り掛かれないでいる。次。
墓石が傾いてはいるものの、ちゃんと花が供されているのは「鵜飼玉川(うがいぎょくせん)」という人のお墓。幕末から明治にかけて写真で活躍した日本人というと、長崎の「上野彦馬」と横浜の「下岡蓮杖」の名が浮かぶでしょう?
玉川は彦馬らより先に薬研堀に「影真堂」という写真館を開き、日本で一番最初に写真で商売をした人となったのだそうだ。
そして、玉川は正倉院の宝物の調査や古物の鑑定などをして、晩年にはこの谷中に自分が撮った数百枚の写真を埋めて「写真塚」なるものを建てた。
この写真を撮った時にはそのことを知らなかった。
「チッ、知っていれば探したのに!見たかったナァ」と臍を噛む思いをしてしまった。
すると、色々としらべているウチにその「写真塚」がどういうモノかがわかった。
「写真塚」なんて大層な名前が付いているのでさぞかし立派なモノかと思ったらそうでもなかった。
2枚上の写真の左端に写っている碑がそれだった。
もう石碑の字もほとんど読めないようだった。
この下に玉川が撮った写真が埋まっているのかナァ?それは見てみたいナァ。玉川は画家の谷文晁や渡辺崋山との交流があったらしい。
しからば谷文晁(たにぶんちょう)のお話をば…。
話の舞台は東上野の「五臺山源空寺」に飛ぶ。
元は湯島にあったが、1657年の「振袖火事」の俗称で知られる「明暦の大火」で現在地へ引っ越して来た名刹。ココに「谷文晁」の墓がある。
それに「幡随院長兵衛」のお墓も。「お若いの、お待ちなせぇやし」と、吉原行きたさに130人もの無差別殺人をした平井権八に投げかけるセリフで知られる「幡随院長兵衛」は歌舞伎や講談のスーパースター。
1622~1650年に実在し、「日本の侠客の元祖」と言われている。
花川戸で口入れ屋を営んでいたらしい。
池波正太郎が小説にしているので興味のある人は読んでみるといい。
ちなみに池波先生の出身は花川戸のすぐ近くの「待乳山(まつちやま)」だ。
私もこの本を読んだのだが…このことである。
この源空寺の近くに「幡随院」というバカでかい寺があった。
幡随院も明暦の大火で引っ越して来たクチだが、その後も火事やら震災やらで移転を重ね、現在は小金井にあるそうだ。
その関係で長兵衛が「幡随院」を名乗っていたのかどうかは知らない。
もしかしたら池波さんの本に書いてあったのかも知れないが全く覚えていない。
下が源空寺の墓所にある幡随院長兵衛夫妻のお墓。
仲良く並んでいる。
奥さんは「きん」といって、きんさんの家も口入れ屋をしていた。
「口入れ屋」というのは今で言う職業斡旋所のこと。
リクエストがあると適当な人を選んで紹介して手数料を取った。
『口入れ屋(別名:引っ越しの夢)』というとてもオモシロイ落語があるので機会があれば是非聴いてみてチョーダイ。
その幡随院長兵衛夫妻の向こうにあるのが…谷文晁のお墓。
墓石には「本立院生誉一如法眼文阿文晁居士」という戒名が刻まれている。
私も以前は知らなかったが、この谷文晁の絵ってスゴイんだよね。
大変な人気があったそうで、文晁の絵が100あるとすると、そのウチ99がニセモノなんだって。
下が文晁の代表作…の一部。
以前、『何でも鑑定団』にホンモノが出品されたことがあった時には500万円の値がついたそうだ。
アレ言っておきますが、あの「オープン・ザ・プライス」は鑑定をしている人たちが買い取る値段ではありませんからね。
もしあの人たちが出品されたアイテムを持っていたとしたら、いくらで売りますか?という鑑定士のマージン込み値段なのだ。 …というのは、かつて松本に住む骨董が趣味の知り合いが、家の倉庫に誰かのサインが入ったSP盤を見つけて、調べたところそれがシャリアピンのサインだということがわかった。
あの「シャリアピン・ステーキ」の由来となったロシアのオペラ歌手「フョードル・シャリアピン」ね。
そこで「コレはイケるかも!」と『何でも鑑定団』に出品したところ、いくらだったかは忘れてしまったが、それは見事にホンモノでかなりの値段がついた。
そこで「アレ、大分儲かりましたね?!」なんて話を本人にしたところ「イヤイヤ、あの値段で買ってくれるワケじゃないんよ」と少々残念がっていた。
末永く大切に保管してください。 源空寺でもうひとつ…。
それはこの銅鐘(どうしょう)。源空寺は増上寺の末寺で、1636年に三代将軍徳川家光に勧められてこの銅鐘を鋳造した。
どうも自腹らしい。
その鐘の周りにはありがたいことに家康大権現様と秀忠の法号、家光の官職&姓名の3つが刻まれている。
私も大みそかに何度が突いたことがあるけど、そんな畏れ多いものに突き棒をゴ~ンと打ち込んじゃってどうしよう?(←シャレになっているます)
源空寺には伊能忠敬、その師匠である高橋至時、その息子でシーボルト事件でその名を知られる高橋景保(作左衛門)のお墓もあるが、既に他の記事で詳しく取り扱っているので今回はパス。また谷中。
古代中国から伝わる「天源術」という運命究明術の大家、奥野南卜(なんぼく)のお墓。
「天源術」は生年月日や人相などから個人が持っている「気」の本源を知って運気などを占う術なのだそうだ。
何しろ孔子や老子、日本においては徳川家康のブレーンだった天海大僧正などが用いていたとされている。
それにしてはヤケに墓石が新しい。
いつ建てたものか見てくればヨカッタ。
108歳まで生きて家康からだけでなく、秀忠、家光らの相談にまで乗ったという「天海大僧正」。
「大僧正」ってのは天皇から賜るお坊さんの官職の最高位。
メチャクチャ地位が高い…なんてもんじゃない。
その天海も天源術を使って徳川の天下取りに貢献したというのだから「天源術」恐るべし。
江戸城の立地や建設も天源術に基づいたそうだ。
増上寺と並ぶ德川家の菩提寺である「寛永寺」を家光の時代に建てたのも天海大僧正。
ところで「徳川」の「とく」の字って「徳」ではないって知ってた?
心の上に1本横棒が入った旧字体の「德」が正しい。
コレは天海のアイデアだったらしい。
「ちょいと…イエッち~、家康ちゃん、アナタ、とてもエライ人なんだから普通の『徳』じゃダメよ、ダメダメ。線を1本増やして『德』にしなさいってば!」ということで「德川」になった。
なるほど、確かにそうだわ。
下はシリーズが続いていれば将来ココに出て来る最後の将軍「德川慶喜」の墓所の前にあるどっかの德川さんのお墓なんだけど、確かに「徳」ではなく「德」の字が使われているんだよ。
コレはボランティアで谷中墓地を案内しているオジさんの話を立ち聞きして知りました。
最後は芸能ネタにしましょう…と言っても古いよ~。
「長谷川一夫」の登場だ!コレが長谷川家のお墓。天下の長谷川一夫のお墓にしては案外小ぢんまりしているでしょ?
大変に奥ゆかしい。
皆さんは「ミーハー」という表現を知ってますわね?あの「ミ―」は「みつ豆」の「ミ」。そして「ハー」は長谷川一夫の「ハ」という説がある。
「諸説あり」ですけどね。
この言葉が出て来た頃は、長谷川一夫は「林長二郎」を名乗っていたので正確には「林」の「ハ」。
女性なら誰でもみつ豆と林長二郎に夢中になった時代があった。
そんな言葉ができるほど長谷川一夫というのは女性に人気があったというワケ。
こうして見るとさすが女形出身、バツグンにキレイな顔をしているもんね。私も古い日本の映画が大好きだけど、長谷川一夫となるとチョット古すぎるのね。
そんな中で観た1本は1954年(昭和29年)の溝口健二監督の『近松物語』。
原作は近松門左衛門。
さすが世界の「ミゾグチ」、石浜小学校時代の同級生である人気作家の川口松太郎に翻案させて、右腕の依田義堅に脚本を書かせ、完璧な美術を水谷浩、美しい撮影を宮川一夫、印象深い音楽を早坂文雄に担当させた。
結論としては大店の嫁とそこの職人の悲恋物語なんだけど、事件の発端を作った男以外、登場人物全員がヒドい目に遭ってしまうというダイナミック筋立て。
伏線が実に巧みに張り込まれていて映画にスキが全くない。
演技陣も主役の長谷川一夫の目は無敵だし、香川さんは文句なしにキャワイイし、新藤栄太郎や浪花千栄子や小沢栄太郎らの脇役人の芝居がまた強力ときてる。
そして無視できないのが南田洋子の美しさよ。この人、若い頃はホントにカワイかったんだよ。
長谷川さんは確かに見目麗しいけど、正直演技はヤバめ。
ただでさえ溝口さんはスターの起用を嫌っていたが、大映の社長だった永田雅一のたっての頼みで長谷川一夫を受け入れたのだそうだ。
とにかくひとつ言えることは、昔は女優さんは言うに及ばず、俳優さんもホントにハンサム揃いだったんだよ。
例えば下の皆さん。
左が坂東妻三郎、田村高廣や田村正和のお父さんね。
真ん中が上原謙、加山雄三のお父さん。
そして右端の佐田啓二は中井貴一のお父さん。
演技の巧拙はこの際抜きにして、ただカッコいいだけじゃなくて、「その人でなくちゃダメだ」みたいな替えの効かない魅力を持っていたんだね。
そこへ行くと今の若い俳優さんはみんな同じに見える。
みんな真っ白で女の子みたいにツルっとしていて、伝統的な「男性の魅力」みたいなモノをひとつも感じさせない。
誰をどう取り替えても体制に何ら影響を及ぼさないような没個性の俳優ばかり…のように見える。下は戦時中にアメリカ軍がいかにしてうまく捕虜を尋問するかという研究をしていた「トレイシー」という秘密機関に関する本。
コレによると、日本兵の捕虜は米軍から尋問を受けた際に名前を問われると「徳川家康」とか「石川五右衛門」とかウソをつくのが普通だったそうだ。
その中で最も多かった偽名は「長谷川一夫」だった。
せめて名前だけでもあやかりたい…みんな長谷川一夫に憧れていたんだネェ。<このシリーズはつづく>
(一部敬称略 2024年8月24日 三軒茶屋HEAVEN'S DOORにて撮影)