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2023年12月 1日 (金)

BARAKA 依知川伸一~書と版画のコラボ展

 
さて、BARAKAの26周年記念コンサートの後は依知川さんの「書道家」としての活動のレポートをお送りする。
何しろD_DriveのSeijiさんのご紹介で9年前に初めてお会いしたのは「ベーシストの依知川伸一」ではなく「書道家の依知川風人」だったのだ。10「書」といえば…言っておきますが私はどちらかというと達筆の方らしいんですよ。
以前勤めていた会社で書き主がわからないキレイな文字のメモは大抵私が書いたモノだと思われていたそうです。
自分では「字がウマい」だなんて全く思わないんだけどね。
特に最近はダメ。
ご多分に漏れずスッカリ字を書く機会が減ったことに加えて老化が進み、思うような字が書けなくなってしまった。
かの井上ひさしはワープロを用いずに最後まで手書きの文字で原稿用紙のマスを埋めたというが、その理由は「(アタマではなくて)手が字を覚えているから」ということだった。
私も何がしかの文字を書かないとマズイと思い日記をつけ始めたのだが、私の「バカ手」は全然字を覚えていなかったわ。
頭の中にあるのと違う文字を書きやがる。
それでも日記をつけ続けるを決心をし、そのモチベーションとして新しく万年筆を買い込んだ。
コレが奏功してか、昨日まで3年近くの間毎晩欠かさずに書き続けている。
「書き取り」の練習なので、その日にナニをしたのか記録しておく程度のごく簡単な内容だけど、後で読んでみるとコレが存外にオモシロく、「アレは何日だったっけかな?」なんてことを調べるのに大変実用的なのだ。
そんなある日、依知川さんから送られて来たCDに同梱されていた肉筆の手紙を目にした。
それは依知川さんの独特の字体で書かれていて、ペン先が極太の万年筆で綴られていることがひと目でわかった。
インクの色はもちろんブルー。
盛大にインクを送り出す極太ペン先の万年筆は書かれた字にグラデーションがハッキリと現れる。
コレが万年筆で書いた字の魅力のひとつなんだよね。
それまで細字の万年筆を使っていた私は即座に依知川さんに連絡を取ってその極太の万年筆について教えを乞うた。
そうして手に入れたが下の「パイロット カスタム74」という製品。
40年位前に京橋にあったパイロットの本社社屋ってものスゴいビンテージな建物でとても風合いがあったけど、いつの間にかなくなっちゃったナァ。
ナンで知っているかと言うと、大学在学中に採用面接にお邪魔したことがあるのだ。
もうチョット太ければ写譜ペンとして使えそうな極太のペン先は紙幅の狭い日記を書く時には使えないものの、機会を探しては愛用している。
筆運びが実に気持ちいいんですわ。
改めまして極太な情報をシェアして頂いた依知川さんにはこの場をお借りして御礼申し上げます。0r4a0046 私は文房具について知っていることはナニもないが、「万年筆」とくれば「デュオフォールド」ということだけは知っている。
「デュオフォールド(Duofold)」というのはParkerを代表する製品。
Marshallで言えば「1959」みたいなもんだ。
1945年9月2日、東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号の甲板で日本が無条件降伏を受け入れるための調印式が執り行われた。
その時、ダグラス・マッカーサー元帥は5本の筆記用具を用意させた。
1本あれば十分なのにナゼゆえ5本も準備したか…それぞれを用いて書類にサインをして、後にそれらのペンを「あの調印式で使われたペン」として関係者にプレゼントしたのだそうだ。
余裕である。10_dm5本全部か、そのウチの1本かは知らないが、下のParker製の「デュオフォールド」が使用された。
一方、日本の全権、重光葵外相と梅津美治郎参謀総長は自ら万年筆を持参したらしい。

Dfナゼこのことを知ったのかと言うと、私が敬愛して止まない作家の吉村明先生のおかげ。
先生は長崎を舞台にした小説を多数書かれていて、その取材のために107回も長崎を訪れた。
そして県から「長崎奉行」との称号をお受けになられた。
先生も下書きや清書等、原稿の段階によって何本もの万年筆を使い分けていらっしゃたが、清書にはデュオフォールドを用いていらした。
先生もやはり原稿は手書派だったのだが、ご子息はSONYでワープロの開発に携わっていらしたというのだからオモシロイ。
で、先生が長崎に行くたびに立ち寄っていたのが「マツヤ万年筆病院」という万年筆の専門店。
去年、先生の作品の舞台を訪ねて長崎に行った時、このマツヤ万年筆病院でデュオフォールドを買っちゃおうと意気込んでいた。
ナニせ10万円ぐらいするのよ。
アイザック・スターンの大ファンがストラディヴァリウスを買うようなものよ。
で、実際にお店の前を何度も行き来して「最後の日に買おう」と半ば気持ちを固めていた。
さて、その最後日、幸か不幸か臨時休業でお店が休みだった!
ジャンジャン!
ま、今となっては「幸」の方だと思っています。0r4a0405ちなみにこの時、先生が足繁く通われた「県立長崎図書館」の後にできた施設である「長崎県立図書館郷土資料センター」を訪れて学芸員の方と吉村先生の話をしたのだが、話をしているウチに「チョットお時間よろしいですか?」と先生の筆跡鑑定を依頼された。
ビックリやら、うれしいやら!
もちろん責任を持ってキチっとした対応をさせて頂きました。
ま、先生の直筆原稿を見たことがあるファンの人なら誰でもできると思うけど。
 
以上、Marshall Blogでは珍しい文房具の話題での脱線でした。0r4a0878_2 さて、依知川さんとはそんなことをしていたものだから、書道家の方の依知川さんが『書と版画のコラボ展』という個展をお開きになる…と聞いて初日にお邪魔して来た。
30ギャラリーのようす。
も~、ひっきりなしにお客さんがお見えになっていたのでこの無人の写真を撮るのが大変だった。
40「書と版画のコラボ」というタイトルが表している通り、版画と依知川さんの書の作品がズラリと展示されている。
その数12枚。
50作品には「十二伸奏 迷企羅」とか「十二伸奏 頞儞羅」とかいうタイトルが付されている。
依知川さんに「メキラとかアニラとか、コレらはナニを題材にされているんですか?ヴァニラとかショコラとは違いますよね?ガメラでもないし…」と尋ねた。
すると依知川さんは「『十二しんしょう』です」とおっしゃる。
60v浅学な私の場合、「しんしょう」といえば「五代目古今亭志ん生」しか頭に浮かばないもんだから、「十二神将」という言葉を耳にしても全くピンと来なかった。
トホホ…面目ない。
ということで早速調べてみた。
そもそも「十二神将」とは「薬師如来」由来の12の神様のこと…か。
薬師如来は両脇に「日光」と「月光」の菩薩2柱と、これらを守る12の武将を従えている。
コレが「十二神将」。
そして、それぞれが12の方角を守っていることから「干支の守護神」としても信仰されているのだそうだ。
その12の神将とは、干支の順番に並べるのであれば…
子:宮毘羅大将(くびらたいしょう…以下「大将」略) 
丑:跋折羅大将(ばざら)
寅:迷企羅大将(めきら)
卯:安底羅大将(あんてら)
辰:頞儞羅大将(あにら)
巳:珊底羅大将(さんてら)
午:因陀羅大将(いんだら)
未:波夷羅大将(はいら)
申:摩虎羅大将(まごら)
酉:真達羅大将(しんだら)
戌:招住羅大将(しょうずら)
亥:毘羯羅大将(びがらたいしょう)

「安汰賀(あんたが)」なんてのはないよ。
私は寅年生まれなので「迷企羅大将」だ。
90vそして、土屋金司さんという日本を代表する版画家がベーシストの依知川さんの姿を12通りの作品にし、書と組み合わせたのが今回の作品群。
土屋先生は以前「十二神将(しんしょう)」を題材にした作品を手掛けていて、それをなぞっての12通りの依知川さんだったのだ。
そこで依知川さんの下のお名前から「伸」を取って「十二伸奏(じゅうにしんそう)」としたワケ。
70和紙にダイナミックに描かれる依知川さんの書と土屋先生の版画の相性はバツグン!
75まるでハナから出来上がっていたかのような緊密性を感じさせる。80会場内には「十二伸奏」以外の依知川さんの作品も展示されている。
100_2いいナァ。
やってみたいけど出来ないことはわかりきっているので絶対やらない。110v「母」…依知川さんは今年お母さまを亡くされた。
心を込めてこの1字を描かれたそうだ。
なんかグッと来るモノがある。
漢字は日本のモノではないけれど、アルファベットではこうはいくまい。120_2土屋先生の版画作品もいくつか展示されている。130_2コレは「波夷羅大将」ですな。
力みなぎる太い線がカッコいいな。140vお2人のオリジナルグッズも用意されている。150v  160_212月3日まで。
『所と版画のコラボ展/依知川伸一&土屋金司』は銀座6丁目の「兜屋画廊」で開催しています。
場所はJ-POWER(電源開発)のビルの裏の並び。170 

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