さよなら優也、また逢う日まで! <前編>
決してカッコつけているワケではないのよ。
それでもこんなこと書いて気を悪くする方もいらっしゃるかも知れない。
でも書く。
というのは、「東京に出る」…ということがわからないのだ。
こちとら生まれも育ちも東京だからして、「田舎から都会へ出て来る」という感覚、その重大さ、恐怖、そして期待がどうしても実感できないのだ。
昔と違って今では各種の交通機関が発達し、国内どこでも日帰りができるようになったワケだが、それでも故郷を離れて、見知らぬ土地へ行くというのは大ごとであることは間違いない。
それはわかる。
私もかつては転勤族だったので、「見知らぬ土地へ行く」という感覚については知らないワケではない。
しかし、何かを志して「東京に出る」というのとそれとは全く次元の異なる話であろう。
そして、故郷へ帰る…東京での暮らしがどうであったにせよ、これまた万感の思いがあるに違いない。
今日のMarshall Blogの主役は小松優也。
12年前に上京し、先々月故郷札幌へ帰ったギタリストの物語だ。
先日10年ぶりにATOMIC TORNADOが一夜限りの再結成をし、そのライブのレポートを掲載した。
そこでも書いたのだが、私は2005年に優也くんが上京し、ATOMIC TORNADOのリハーサルに初めて参加する場に居合わせた。
ちょっとトッポい感じで、「さぁ、コレから暴れてやるぞ!オレのギターを食らいやがれ!」という気概に満ちあふれていた。
で、当時の写真を掲載しようと色々探したのだが、どうしても出て来なかった。
何度もATOMIC TORNADOのステージにはお邪魔したのだが、写真に全く興味がない時分だったので、元々撮ってなかったのだろう。
2007年になると、優也くんは発売になったばかりのVintage Modern 2466のハーフ・スタックを買ってくれた。
「こういうアンプを待っていたんです!」と喜んでくれたのを思い出す。
そんなこともあって、優也くんとの関係は続いた。
2008年、ランディ・ローズのシグネチャー・モデル1959RRが発売になった時にはヤングギター誌の付録DVDでデモンストレーターを務めてくれた。
この頃にはMarshall Blogもスタートしていて、私も始めたばかりのカメラを携えて収録スタジオにお邪魔した。
翌2009年、ATOMIC TORNADOが活動を停止すると自身のバンド、SAMURAI JADEを結成。
向かって右の上のMarshallが2466。
イの一番に送ってくれたアルバムを聴くと、いかにも優也くんらしいトラディショナルなハード・ロック・サウンドでニンマリした。
そうした音楽を演奏するバンドが激減していた頃だったので、大いに期待を寄せたものだった。
しかし、アッという間にきれいサッパリと解散。
早かったな~、アレは。
すごく「モッタイない!」と思ったよ。
途中、田川ヒロアキとのセッションなんてのもあったが、それからしばらくの間は優也くんと没交渉の時期が続いた。
そして、2014年、ドラマーの山口PON昌人がNATALを使用するようになり、PONさんの誘いでBLIND BIRDなるバンドの存在を知った。
聴けばギターは「小松優也」だというじゃないの!
ベースの河野充生は以前から存じ上げていたし…よろこび勇んで直近のライブに足を運んだのであった。
だから私はサード・アルバムの『仮想粒子』からのおつきあいで期間が短い。
しかし、BLIND BIRDの音楽をエラク気に入ってしまって、Marshall Blogで何度も取り上げたのは読者の皆さんもご存知の通り。
取り分け、BLIND BIRDにおいての優也くんのプレイはとてもクリエイティブで、ソロにバッキングにとその活躍を楽しみにしていた。
それがアータ、「BLIND BIRDを抜ける」っていうじゃないの!
もうガックリだったよ。
聴けば「故郷の札幌へ帰る」という。
東京で12年…。
干支がひと回りする間に優也くんが見た東京はどんなだったろう?
まさか「木綿のハンカチーフ」は持って帰らなかったろうが、楽しく、充実した、実のある東京での音楽生活であったことだろう。
そして、5月25日、たくさんのゆかりのあるゲストを招いて優也くんが出演する東京での最後のコンサートが開催された。
ショウの母体は優也くんが8年にわたって取り組んでいたアコースティック・トリオ「アコギなトリオ」。
そして、優也くんの東京でのギタリスト生活を支え続けたMarshallが最後までお供を務めた。
オープニングはThe Eaglesの「Seven Bridges Road」。
そう、このトリオは洋楽の名曲をオリジナルのアレンジとコーラスで聴かせるグループだ。
3人のコーラスが美しい!
続けて3曲目はChicagoの「25 Or 6 To 4」。
コレは「4時25、6分前」ということですからね。
時間を表す「~to…」とか「~past…」は、「イギリス英語の表現だ」という説明をあるウェブサイトで見かけたが、そうかナァ~。
Marshallの社長なんかは私が「A quater passed ten」なんて言うとワザワザ「ten fifteen」って言い換えるよ。
私が思うに、この表現はアメリカ英語だと思うんよ。
現にこの曲の作曲者、Robert Lammはブルックリン生まれだし。
今度は優也くんの歌で「Ohio」。
Neil Youngね…私が聴かない系。
The Bee Geesの「Melody Fair」。
この曲、最初の歌い出しの2小節、つまり「♪Who is the girl with the crying face」のところって4/4+3/4になってるんだよね。
歌詞に合わせてリズムを操作しちゃう。Frank Zappaみたいだ。
コーラスものの定番、「California Dreamin'」。
The Mamas and PapasのCass Elliotについてはコチラを見てね。
客席は満員。
「毎回これぐらいお客さんが来てくれれば札幌に帰らなくても済んだんですけど…」
そういうことだよね。
極限まで少しの人しか音楽で食えない世の中だ。
ま、「芸能で身を立てる」ことの厳しさと難しさは太古の昔から変わらないであろうが、特に今のロック業界ってのは厳しいものがあると思う。
ものスゴイ皮肉なことに、ロックという音楽が一般大衆の間に普及し、演奏者の寿命が延び、若者は学校で簡単に演奏の勉強ができるようになり…音楽を取り巻く環境がこんなににぎやかになっているのに、音楽だけでメシを食うことが究極的に難しくなった。
誰でも音楽ができる反面、誰も音楽で食えなくなってしまった。
それもこれも「音楽の無料化」が招いた結果なんだろうネェ。
最初のセットの最後を飾ったのはBonnie Raittの「I Can't Make You Love Me」を…
陽子さんの熱唱で。
カナダのNeil Young、オーストラリア(元はイギリス出身)のThe Bee Geesを除けば、全部アメリカの歌。
私はこうしたアメリカのロックをプライベートで聴くことはまずあり得ないが、タマにはいいもんだな。
演奏がいいからか?!
ここからはゲストのメンバーが順々に入れ替わるバンドのセットになる。
BLIND BIRD仲間の山口PON昌人。
今日はイベントだからしてPONさんのキットを持ち込むことができなかったが、普段はこんな感じ。
NATALアッシュの最新のキット。
先週のFEEL SO BADのレコ発ライブはこのキットで超ド級のドラミングを聴かせてくれた。
そして、小松優也。
曲は優也くん歌うところの「Route 66」。
JVM210Hと1960BVが使用された。
この1960の横置きは優也くんの一種のトレードマークなんだけど、私はスキではない。
だって栄光のスクリプト・ロゴがタテになってしまっていてカッコ悪い…と思っていたら、ある親友のギタリストが一枚の写真を見せてくれた。
それはLifetime時代のAllan Holdsworthで、ナント、1960Bの上に横にした1960Aを乗せた写真だった!
ク~、アタシャどうしたらいいんだ!