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2017年2月23日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.26~ハイド・パークのカドッコで

今日はヘンな内容と強引な展開。
「強引な展開」はいつものことか…じゃ、こじつけかな?
しかも前半は自分の営業を目的とした自慢話。
上の三行を読んでイヤな予感がする人はここで切り上げたほうがいい。
でも、ネタがないのでそうしたワケではないよ。
いつでも豊富なネタと写真で心を込めて書いているのがMarshall Blogなのだ。
で、その写真。
ご存知の通り、Marshall Blogで使っている写真はほぼ100%私が撮ったモノなんだけど、実はオソマツながら私が撮った写真はすでに世界デビューを果たしているのです。
それは、Chris Duate Groupのライブ・アルバムのジャケットに私の写真が採用されたことで達成された。
ある日突然、Shrapnel RecordsのMike Varneyからメールが届き、「今度のChris Duarteのライブ・アルバムのジャケットにあなたの写真を使わせて欲しい」という。
ま~、ビックリしたわ。
もちろん即OK。
「英語はわかりますね?」という確認があって、契約書が送られて来、サインしてスキャンしたものをメールで送り返して契約終了。
ギャラの支払いも実にスムーズだった。
コレは、Chrisのバンドのベーシスト、EDENプレイヤーのオガンちゃんこと小笠原義弘さんのご紹介のおかげ。
本当にうれしかった。オガンちゃん、どうもありがとう。
このライブ盤、1枚は封を開けずにウチの家宝として大切に保管してある。

10cdところで話題は変わって六本木…みんな知ってるHard Rock Cafe。

20

Hard Rock Cafeは、アーティストとのコラボレーションで時折オリジナルTシャツを制作していて、ある時、新作のTシャツの発表会が六本木のお店で開催された。
その時のコラボレーションの相手はJimi Hendrixだった。

50v発表会はファッション・ショーから始まり、フレア・バーテンダーのショウ等、盛りだくさんの内容で…

60vヘッドライナーは中野重夫の演奏だった。
この時、私はすでに前職を辞してはいたが、シゲさんからお誘いを頂戴し、今のMarshall Blogの前身であるShige Blogの取材をさせて頂くことにした。
もうチョット言うとシゲさんに会いに行ったっていう感じかな?
この時はバンド・スタイルではなく、バッキング・トラックを使ったものではあったが、いつものシゲさんらしく、激演に次ぐ激演で大喝采が浴びせられた。
私も必死でシャッターを切った!

70vそして、その時の写真がHard Rock Cafeのスタッフの方の目に留まったのだ。

80vありがたいことに、それ以降、Hard Rock Cafeで何度も写真のお仕事をさせて頂いた。
シゲさんがライブやってからしばらくして、ちょうどお店が改装され、店舗の内外の写真や料理の写真を撮らせて頂き、それらがパンフレットに採用されたり、地下鉄の六本木駅の広告に使用されたりした。

1_img_0293

こういう風に自分の写真が何かの形になるのは何度して頂いてもうれしいもんでしてね。
その他、新装開店のセレモニー、メモラビリアの展示会、各種ライブ・パーティ、新しいメニュー、Hard Rock Cafeが主催している「Rising」というバンド・コンテストの撮影や審査員、Linkin ParkのTシャツ・コラボ等々、もうずいぶん色んなことをさせて頂いた。
そういえば、お店で結婚披露宴を撮影したこともあった。
コレがまた本当の偶然で、新郎が私の大学のクラブの後輩だったには驚いたよ。

1_img_0297六本木のお店だけでなく、「上野駅店」もちょうど改装の時期に重なり、その撮影もお任せ頂いた。

110v店舗内外の撮影はもちろんのこと…

120vHard Rock Cafeの主役のひとつ、メモラビリアの撮影のご依頼も頂戴したのだが、このお店は下の写真のように高い位置に飾ってあるものが多い。

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そこでこんな脚立によじ登ってシャッターを切った。
子供の頃はこんなの何でもなかったんだけど、今やるとコワイコワイ!
よくあるでしょ?しばらくファインダーを覗いて、パッとカメラを離すといきなり視界が広がって目がピントを合わせるのに難儀するせいか、軽いめまいがするんだよね。
コワイコワイ!掴まるところが何もないからね。
お店の方々もとてもフレンドリーでどの撮影も最高に楽しかった。

140vそれでですね、そうして苦労して撮った写真が一体何に使われているんだろう…と常々思っていた。
誰しもそう思うでしょう。
上に挙げたパンフレットや駅の広告、それに下のようなお店の公式ウェブサイトにご使用頂いていたことはもちろんわかっていた。
コレは六本木のHard Rock Cafe Tokyo (ハードロックカフェ東京店)

170コチラはHard Rock Cafe Uyeno-Eki Tokyo (ハードロックカフェ上野駅店)
アルファベット表記の「上野」に「y」が入っているところがうれしい。
コレらは日本人向けの公式ウェブサイト。
私の写真が登場するのはコレだけかと思っていたら…

180ナント、昔からHard Rock Cafeの世界の公式ウェブサイトにご採用頂いていたのだ!
イヤ、ホントにこのことを知らなくて、実は今月知った次第。
世界の「Hard Rock Cafeの公式ウェブサイト」ということは、私の写真がずっと以前から世界の人の目に触れていたというワケ。
するってーと、冒頭のChris Duarte Groupより前に世界デビューを果たしていたことになる…ということが言いたかっただけです、ハイ。
  
コレが六本木のお店のサイト。
世界的にはHard Rock Cafe Tokyo Roppongiという名前になっている。
「Home」のバナーで次々に現れる店舗内外の撮影を担当させて頂いた。

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コチラはHard Rock Cafe Tokyo Uyno Eki
  
やっぱり私はライブ撮影が一番好きだし、得意だと思っているけど、こういうこともやっとります…ということをお知らせしたかった。
自慢話というよりは、要するに営業、あるいは広告。
  
さて、私事だけでMarshall Blogの記事をひとつ編むワケには当然いかない。
ココでお見せしましょう、Marshall Blogのトリプル・アクセル+トリプル・ルッツ!…ってほどのモンでもないか。

190ハイ、いきなりロンドン!
ここはハイド・パークの入り口のひとつ。

200ハイド・パークについてはいつかこの「名所めぐり」で触れたいとおもっているんだけど、何しろ写真がほとんどなくて書くに書けない。
もちろん何度も通りかかってはいるのだが、奥深く入って写真を撮って来る気力がない。
何しろ広くて、ロンドン中をほっつき歩いているクタクタの身体にはとても手ごわい相手なのだ。
だからこのあたりの写真はホンの入り口。
代々木公園で言ったらNHKホールのあたりか?

210しかし、こんなだよ。
こんなモノが700万人を擁する大都市の真ん中にあるんだぜ。
代々木公園みたいに端っこにあるのとはワケが違う。
ロケーションとしてはバッキンガム宮殿のすぐ裏手なので、東京でいえば飯田橋から四谷一帯がこうなっている感じか?
我々、東京に住む人間にはとても考えられん。
イギリスはロンドンから電車で20分も離れれば、牛や羊がノンビリ草をはむ放牧地だ。
ロンドンの街中にも大小の数えきれない数の公園が散在している。
コレも以前に何回か書いたことだが、約20年前、初めて日本にやって来たJohn Lingwoodという元Manfredman's Earth Bandのドラマーが「シゲ、東京って公園がいくつあるんだい?」と真剣な面持ちで尋ねて来た。
その時は、どうしてそんなことを訊くのか意味がサッパリわからなかったが、私がロンドンに初めて行った時、その質問の意味が一発でわかった。
そこら中公園だらけだったのだ。
イギリス人は、日本人に比べれば、はるかに緑の濃い中で暮らしているのだ。
私なんか生まれた時から東京ばっかりなので何とも思わないが、Johnが見た最初の東京は何て殺風景なところだろうと思ったに違いない。

220さて、そのハイド・パークとバッキンガム宮殿のちょうど間に「ハイドパーク・コーナー」という地下鉄ピカデリー線の駅がある。
駅から地上に上がってピカデリー・ストリートをピカデリー・サーカスに向かってチョット行った日本大使館の手前ににコレがある…Hard Rock Cafe。
コレで今日の記事の前半と見事に連結する。

230世界中に百を軽く超える拠点を擁するHard Rock Cafeだからして何が珍しくて今頃ココで取り上げるんだ?…とお思いになる方もいらっしゃるかもしれない。
取り上げる理由はココが第一号店だから。
1971年、Isaac TigrettとPeter Mortonというアメリカの若者が創業した。
第二号店はカナダのトロント。
第三号店はロサンゼルス。
そして、第四号店は、ジャジャ~ン、六本木なのだ!
2006年にLAの店がクローズしたので、Hard Rock Cafe Tokyoは現存するお店の中で第三番目の古参ということになる。
そして、Hard Rock Cafe名物の壁のメモラビリア…この展示は1979年にこの第一号店からスタートしたのだそうだ。
やっぱりね~、いいのがイッパイあるんだよ、一号店は。量もスゴイ。地下のトイレの廊下の壁にまで色々なアイテムが展示されている。
ロック・ファンがロンドンを訪れた際には一度は訪れておくことをおススメする。

240vで、ですね、見逃せないのはコレ。
レストランに併設されている売店。いつもスゴイ人気だ。
でも、見逃せないのはそうしたグッズではなく、「Vault(ヴォールト:「地下貯蔵室」という意味)」と呼ばれているメモラビリアの博物館。
レストランとは別に貴重なアイテムが多数展示されている。
Jimi Hendrixが使っていたというFlying V、Keith Moonが着用していたジャケット等々…今もOKかどうかは知らないが、私が昔訪れた時にはそれらが触り放題だった。
メッチャいかついメタル装束のお兄さんがアイテムの紹介をしてくれる。
彼、確かFallen Angelとかいうバンドをやっているとか言ってたな。一度メールでコンタクトしたけど返事がなかった。
入場料は無料。チェックされるワケではないが、エチケットとしてレストランで食事をしてから行くべきだろう。
ただ、ものすごく狭いので、10分間隔ぐらいでお客さんの入れ替えを行っている。
混んでいると結構待つことになるかもしれない。

250vHard Rock Cafeの裏手へ少し入ったところにあるアパートがこの「Death Flat(死のフラット)」。
ご存知の通り、イギリスではアパートのことをApartmentではなくてFlatという。(以降「アパート」を「フラット」と表記する)
コレがね~、まったく豪華なマンションでもflatって言うんだよね。
「マンション」はアメリカでは「プール付きの豪邸」を指すことを皆さんもご存知だろう。
そういえばイギリス人って「マンション」って言葉を使わないような気がするな。
イギリスにもあるよ。アホほど広い庭とスカーレット・オハラが出てきそうなドデカイお屋敷が。
でもそれらはたいていは「マナー・ハウス」とか「カントリー・ハウス」とかいう貴族の持ち物であって、アメリカのようにひと山当てた成金が住んでいるワケではない。
ま、Jimの家もかなりデカかったけどね。
ちなみにManorとMansionは同じ語源を持ち、「滞在する」という意味なのだそうだ。
  
さて、Death Flatに話を戻す。
1974年7月29日、Mamas & Papasのシンガー、Cass Elliotがこのフラットで亡くなった。
世間一般ではハム・サンドをノドに詰まらせて窒息死したと言われている。
少しベテランのロック・ファンならだれもが知っているロック史に残る悲劇のひとつだ。
コレは、最初に検死を行った医者が、Cassのベッドの傍らにサンドイッチとコカ・コーラが置いてあったことよりそういう話になった。
ところが、その医者はそれらのサンドイッチやコーラが開封されていなかったことを見落としてしまった。
Cassは寝ている間に心臓マヒを起こしてしまったのだそうだ。
あれだけ太っていればそんな噂も立ちやすいだろうし、心臓発作が起きてもおかしくないだろう。
この時彼女はロンドン・パラディアムに二週間の公演で渡英していた。
公演が大成功して、「Mama Cass」ではなくソロ・シンガーとして、成功の第一歩を踏み出せたことを報告するために、千秋楽の夜、かつてのバンド・メイトに電話をした。
電話口でその成功に感激したCassはうれし泣きをしていたそうだ。
その後、彼女は息を引き取った。
33歳だった。

260vそれから4年後の1978年9月7日、The WhoのKeith Moonもこのフラットで命を落とした。
この日、朝七時半に目を覚ましたKeithはガールフレンドにステーキを焼くように頼んだ。(朝からステーキは喰えんな~)
Keithがもうひと皿何かを作るように言うと、彼女がKeithに向かって文句を言った。
するとKeithは「やりたくないなら消え失せやがれ!」と悪態をついた。
コレがKeithの生前最後の言葉となった。
テレビを見ながらステーキをたいらげると、ヘミネヴリン(クロメチアゾール)という精神抑制剤を摂取してまた眠りについた。
アルコールを過剰に摂取して、その量を減らしたり止めたりすると、「アルコール離脱症候群(Alcohol Withdrawal Syndrome)」という不安感、震え、発汗、嘔吐などえお伴う症状が発生することがある。
要するにアル中の禁断症状ですな。
Keithの主治医はどうしてもアルコールが欲しくなった時にと、一日3錠まで…という注意を厳重に与えてヘミネヴリンを処方していた。
6錠飲めば命にかかわるという薬らしい。
その後、眠りについたKeithが意識を取り戻すことは永久になかった。
Keithはその錠剤を32個も摂取したのだ。
そして、Keithが亡くなったベッドは奇しくもCass Elliotが息を引き取ったのと同じベッドだった。
享年32歳。
ブリティッシュ・ロックを代表するバンド、The Whoのドラマーの最後だった。
死体は彼女が発見し、一週間後に荼毘にふされた。
  
「いつも朝6時に起きるんだ。まずソーセージと卵を食べる。
それにドンペリニョンを一本空けて、ブランデーをボトルの半分ほど飲む。
それから鎮静剤を二、三粒服用するんだ。
するとだいたい10時ぐらいになって、それから5時まで昼寝をする。
起きたらBlack Beauties(Black BirdsまたはBlack Bombersと呼ばれるアンフェタミンとデキストロアンフェタミンのコンビネーション。要するに覚せい剤)をキメこむ。
それとブランデーとシャンペンを少々飲んで街に出かけるんだ。
それからはブギだ!朝の4時まで暴れるのさ」
これがKeith Moonの日常だったらしい。
何だか知らないけど、そりゃ薬飲みすぎなくても早死にするわ!

270v このフラットのかつてのオーナーはHarry Nilssonだった。
Nilssonはビートルズと仲がよく、サヴィル・ロウのアップル本社にほど近いロケーションが気に入って手に入れたそうだ…というのは表向きの理由で、実際には近くにプレイボーイ・クラブとトランプスというナイトクラブがあったかららしい。
このトランプス(Tramp:アメリカの大統領とは無関係)というのはピーター・セラーズ(『博士の異常な愛情』や『ピンク・パンサー』のオジさんね)、ライザ・ミネリ、リンゴ・スターらが結婚披露宴を開催したドハデなクラブ。
シャーリー・マクレーンが一晩中テーブルで寝て過ごしたとか、Keith Moonが裸でダンスを踊ったとかの逸話が残っている。
Nilssonの親友だったRingo Starrとデザイナーが経営する会社が最上階の設計を担当した。
彼はロンドンを離れることが多く、その間、そのスペースを親しいミュージシャンによろこんで貸したらしい。
そして、Nilssonは二人の友人を自分のフラットで失ったことを何かの「呪い」と思い込み、Keithの死後、すぐにPete Townshendにフラットを売却し、自分はLAへ一時的に帰ったそうだ。
よっぽどショックだったのだろう。
それもそのはず、このフラットではドラッグ混じりの乱痴気騒ぎが夜な夜な行われ、楽しい思い出がたくさん詰まっていたようなのだ。

280v

つづく

(一部敬称略)