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2015年1月14日 (水)

「ありのままで~♪」いたら・・・あらっ、もう年末だ。 子供ばんど年忘れツアー「来年こそガツンといくぜ!」2014<前編>

今日は前置きが長いよ。
それだけ今日の主役の歴史も長いっってこと。
以前のMarshall Blogに書いたことがあったけど、たぶんもう誰も覚えていないだろうからまた書く…思う存分書く。
愚にもつかないロック・ジジイの思い出話しだ。 

高校1年の時かな?
ある朝、ロック好きのクラスメイトが大きな声で騒いでいた。(←「思い出話し」となるとこのパターンが案外多い)
「昨日サ、スゴイの見ちゃったよ!ギターの人がサ、知っちゃいアンプのついたヘルメットをかぶってバリバリ弾いちゃうんだゼ!それで植木等の曲を歌っちゃうんだよ!」
「へ~、おもしろそうだネェ!何てバンド?」
「子供ばんどっていうんだよ」
「変な名前~!コミック・バンドなの?」
とにかくこれが生まれて初めて「子供ばんど」という名前を耳にした瞬間だった。

そういえば!と思い出して、長い間押入れの奥に入れてあった箱から取り出したのがこのカセット・テープ。
新宿ロフトで客席から録音したものだ。残念ながら家にはもうカセット・テープを再生する機械がないので中身は聴いていないが、おそらくまだ聴けるのではあるまいか?
2_img_0016
新宿ロフトといってももちろん今の歌舞伎町にあるロフトではない。西新宿にあった頃のロフト。
パンク・ムーブメントやジャパメタの隆盛でスッカリ有名になり、新宿ロフトはMarshall Blog読者の大勢の方も訪れたことがあると思うが、コレはまだ改装する前の頃のお店で録ったもの。
改装する前のロフトの店内は、レンガづくりになっていて、上手側の客席がバルコニーよろしく一段小高くなっていた。
こういうところこそ写真を撮っておけばヨカッタよネェ。今と違って写メなんてのはまだSFの世界のモノだったから…。


ロフトの創始者、平野悠さんの『ライブハウス「ロフト」青春期(講談社刊)』という本で調べてみると、どうやらコレは1979年8月26日の録音と思われる。
この日は『EXCITING NITE vol.2』というイベントで、子供ばんどの他にBAD SCENEと三文役者というバンドが出演していた。この本によると、他に2バンド出たことになっているが、名前を知らないばかりか、まったく見た記憶がない。
とにかく覚えているのは子供ばんど、BAD SCENE、三文役者の3バンドが出たということだけ。
なので、もしかしたら別の日のイベントの録音なのかもしれない。

当時高校生の私はこの三文役者のお手伝い、すなわちボーヤをしていたため、楽屋への出入りが自由だった。コカコーラのロゴがいっぱい入った派手なズボンを履いて、 ベースを肩にかけてノッシノッシとマンモスのように階段を下りてくるトーベンさんがすごい迫力で、ちょっとコワかった記憶がある。

この頃は、ライブハウスに入り浸っている高校生なんてほとんどいなかった。私はどこへ行っても最年少だった。今ではどこへ行っても最年長だワ、ハハ。何しろ出演者のご両親とほぼ同年配なんてことが珍しくないんだから!
で、最近ある記述でこんなフレーズを見かけた。
「ロックがまだ大人のものだった頃」
…そうなんだよね。コレですよ。昔はロックは大人が聴く音楽だった。
今は「商売最優先」の香りが強く、子供を喜ばすようなバンドばかりになっちゃった。ロックと歌謡曲の境が無くなったという方も言えるんだけど、両方のいいところを死滅させてしまったという言い方の方が一層適切だろう。
日本において「ロックの大衆化がもたらしたもの」は皮肉にも「ロックの幼稚化」だった。物事なんでもそうなんだろうけど。

ちなみに、「ライブハウス」という言葉は日本語だからね。外人はこの言葉を聞いて「生きた家」とまでは思わないし、すぐに意味は分かるようだけどけど、外人はこうは言わない。海外にこの言葉を使っても通じない。
海外では単に「club」という。「クラブ↗」じゃないよ。「ラ」にアクセントが来る。
下はロフトがあったあたりの西新宿。今は周囲のビルごとガラっと変わっちゃって、もうどこにあったか正確にはわからない。
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話しは変わって、今度は渋谷の屋根裏。
ある日、屋根裏を訪れると階段の壁に白黒のコピーの簡単なライブ告知のチラシが貼ってあった。そのチラシには、屋外のステージで「(確か)Scorpio」とかいうギターを、苦悶の表情を浮かべながらド迫力で弾いている人の写真が使われていて、見るからにすごいギターを聴かせてくれるバンドに思えた。
こっちは高校生で朝から晩までギターのことしか考えてなかったからね。私にもそんな時期があった。その写真が妙に魅力的だった。
そのバンドは静岡のトリオで「ソリッドスライダー」といった。一種のひとめぼれなのだろう、どうしてもそのライブに行きたくなった。チラシを見ると、それは子供ばんどとのダブル・ヘッドライナーだったので、お得感も倍増した。
で、行ってみた。
会場は原宿のクロコダイルで、お世辞にもお客さんの入りは良いとは言えなかった。今にして思えば、無名のバンドの集客を助けるために子供ばんどが友情出演的にステージに上がったのかもしれない。
ところが、最初に登場したこのソリッド・スライダーというバンドの演奏が、予想以上にすさまじく度肝を抜かれた。
ギターの人が「僕らは静岡からやってきました。ベースの○○くんとは兄弟で、家がお茶屋をやっているもんですから、機材のケースがお茶の箱なんですよ!」なんてMCをされていた。
Ted Nugentのコピーなんかを演奏していたが、ギターもさることながら、「歌」というか、「声」が尋常でなく、何しろその叫びっぷりに腰を抜かした。
このギター/ボーカルが後にLOOKで「シャイン・オン君が哀しい」の大ヒットを放った鈴木トオルさんである。
一方、ソリッド・スライダーに触発されたのか、子供ばんども破天荒の大熱演で、この日は狙い通り素晴らしいライブになった。
あまりにもお客さんの数が少なく、ステージ上のうじきさんと目が合っちゃいそうで、何かこう身体を動かしていないと申し訳ないように思えた。演奏に合わせてかかとを上げてリズムを刻んでいたら、うじきさんが私を指して「♪そこのヒザでとってるオニイさ~ん」と歌ってくれたっけ。

実はこの日のライブ、後日譚というか翌日譚があって、次の日、渋谷の明治通りの裏にあったPACOという楽器店にフラっと寄ったら、なんとそこにうじきさんがいらしてギターの試奏をしているではないの!何たる偶然!
店内はうじきさんと私しかお客さんはいないし、数時間前に会ってるし…で、恐る恐る話しかけてみた。
「昨日、クロコダイルで拝見しました…」
するとうじきさんは開口一番、
「ありがとう!あのギター、スゴかったね~!Scorpioっていうんだっけ、あのギター。スゴイ演奏だったよね~」とソリッド・スライダーの演奏をほめちぎっていらっしゃったのがすごく印象的だった。

まだある。
私は、前述の三文役者のボウヤから出世してバンドのメンバーに加わらせて頂いた。(一時期は違うバンド名だった)、埼玉大学の学際に出た時、子供バンドも出演していた。
この時教室が楽屋に割り当てられていて、黒板に大きな文字でこう書いてあった…
「うじき以下ガキばんど、しっかりやっておけよ!-大二」
「大二」とはもちろん岡井大二さんのことだ。
大二さんにこのことを話したら「エ~、俺、そんなエラそうなことしてた~?」と驚いていらっしゃったが確かであ~る。昔のことはバッチリ覚えているのである。
アレ?ところでさっき晩ゴハン何食べたっけ?

それから時代は大幅に下り、2011年。子供ばんどが再始動し、永久凍土解凍を宣言。その際、ある人の紹介でうじきさんから直々にコンタクトがあり、Marshallを使って頂いた。
そして今回…突然うじきさんから連絡を頂戴し、Marshall Blogの取材のお誘いを受けた。もちろんお言葉に甘えて喜んで新宿BLAZEにお邪魔した…というワケ。

トーベンさんはずいぶん前にはなるが、名古屋で開催された『Marshall Mania』というイベントや、大二さんとの「ダイベン」というバンド(ギターは中野のシゲさんだった)等、時々ご一緒させて頂いていたがやっぱりずいぶん久しぶりだったのでお会いするのがとても楽しみだった。

子供ばんどは「2000回ライブ達成」という偉業を過去に成し遂げているが、あの時代全国津々浦々、出ていない日本のライブハウスはないというぐらい精力的に活動を展開した。
今ではそんなバンドはそう珍しくないだろうが、子供ばんどの時代は、もちろんインターネットなんてあるワケないし、道路事情も今より格段に劣っていた。宣伝も移動も相当なご苦労だったハズだ。
それでも「ロック」という音楽の魅力がそうした苦労を吹っ飛ばしていたに違いない。
演る方も観る方も「ロック」が「ロック」だった素敵な時代を共有していたのだ。

以上…ジジイの思い出話し終わり。
今となっては、大二さんやうじきさんやトーベンさんらと一緒に仕事をさせて頂いているが、こんなこと高校生の時にどうして想像できようか…。楽しくてしょうがないわ!

さて、今回の子供ばんどは5月5日以来、7か月ぶりのステージ。
ツアーとは銘打っているが、東京と大阪1回ずつの公演という希少なもの。見逃すまいと会場はファンで埋め尽くされた。

10クリスマスも近いということでオープニングSEはMariahのアレ。「マライア」といっても笹路さんや土方さんのアレじゃないよ。

20うじきつよし

2_img_0022谷平こういち

40v湯川トーベン

50vやまとゆう

60v今回も、うじきさんはMarshall。

70v白のヘッドは1986年製のJCM800 2203。キャビネットも当然その当時に生産されたもの。
茶色いフレットクロスは元々は普通に黒かった。
この日、実際に使用したのはJVM210Hだ。

80vうじきさんの足元のようす。

90トーベンさんもMarshall。

1001992 SUPER BASSと言いたいところだが、さにあらず。

110v1976年製の1959。すなわちギター・アンプだ。キャビネットも普通の70年代の1960B。
トーベンさんはMarshallのベース・アンプがお好きなのだが、ご自分で所有していない。
キャビに貼られたテープからわかるように、この1959のハーフ・スタックはタニヘイさんの所有物。
コレがまたいい音なんだ!

120ステージの左はこうしてMarshallで固められたというワケ。うれしいな…と。

130オープニングは「ジャンピンジャックフラッシュ~サティスファクション」。

140この子供ばんどの「サティスファクション」を聴くと思い出すんだよナァ。ナニをかというと「ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル」。
まだ浅草の国際劇場でやってた頃の話し。
当時モジャモジャ頭をされていたうじきさんがこの曲で、「満足できない!」と叫びながら、PAスピーカーによじ登って大暴れしていた。
それを見ていた内田裕也さんが「コレでいいんだ、ロケンローは!」とでも言いたげに、しきりに首をタテに振りながらうじきさんに拍手を送っていたシーン。
ま、実際には、コレはテレビで見た光景なのだが、ウチは国際劇場に近くで、このフェスティバルが始まるといつも楽屋口に様子を見に行ったりしていた。
1982年に国際劇場が取り壊されてからもう33年も経つ。King Crimsonの初来日もココで観た。
あんまり何度も言いたくはないんだけど…ロックがロックでいられたいい時代だった。
でも、いまだにこうして子供ばんどが元気よくステージで暴れてくれているのは本当にうれしい限りではないか!

150続いてファースト・アルバムから「キャプテンキッド」。

160v3曲目は「ギターマン」。
そうだそうだ、うじきさんには「GUITAR☆MAN」のディスコ特集の時にお会いしたんだった。あの時も疾風のごとくステージに現れて大暴れされていた。

170続いて「コメット・ハンター」。現役時代、後期の曲。

180この曲をはじめ、随所にうじきさんとタニヘイさんのギター・バトルがちりばめられた。

190v続けて「55」。トーベンさん絶妙のプレイ。
実は、5日前にもトーベンさんのステージを拝見したのだが、やっぱりスゴイね。「音楽の塊」という感じがする。

2_img_0100 そして、「Na.Na.Na」と「東京ダイナマイト」を矢継ぎ早に繰り出す。

195チョット前半書きすぎた。疲れたでしょ?ってんで、ここで切り上げます。
本当は1本で構成しようと思っていたんだけど、書き出したら止まらなくなっちゃった。2本に分けま~す。
後は<後編>につづく。


子供ばんどの詳しい情報はコチラ⇒【We Love 子供ばんど】

1_img_0045 (一部敬称略 2014年12月5日 新宿BLAZEにて撮影)