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2013年9月 3日 (火)

【Music Jacket Gallery】サマー・ジャケット特集<前編>

夏生まれの人は夏を好む…。

コレ、よくいうでしょ?ホント、間違いないと思う。少なくとも11月生まれの自分は夏が苦手だ。
もう今年はマイりにマイっちゃってる。

それでもね、小学校の頃は夏が好きだったんよ。プールの王者だったから。
朝、公園にラジオ体操に行って、午前中チョコッと宿題をやって、学校のプールで大暴れする。お昼前に家に帰るとお母さんが手作りのフライドチキンを用意してくれていて、クーラーのきいた部屋でそれをいただくのが夏の最高の楽しみだった。
いつから夏がキライになったかナァ?
中高と男子校に通っていたんだけど、体育の授業の後のあの凄まじいニオイで夏がイヤになったのかも…。エアコンなんてまったく付いてなかったもんね。それにしてもあの暑い中、よくも運動なんかやってたよナァ。
今はどうなんだろう?夏は体育館で体育の授業やるのかな?さもないとみんな熱中症でブッ倒れちゃうもんね。

ゲリラ豪雨やら竜巻やら、本当にヒドイ気候になってしまった。このカテゴリーで「利便性の進化が風情を奪う」と書いたが、どうも「風情」どころの話ではなくなってしまった。何とかしないと!
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さて、今回のミュージック・ジャケット・ギャラリーは夏にちなんで「サマー・ジャケット特集」をお送りする。
サマー・ジャケットか…。これでも昔はお堅い会社でサラリーマンをやってましてな、夏でも毎日ネクタイを締めてサマー・ジャケットを携行してたもんですよ。「クール・ビズ」なんてのは全くなかった時代…。もうできないな…。

「夏」をイメージするジャケットか…個人的には、ん~、考えたことないナ。果たして約120枚も集まるのか?

Mjg_img_0812_2 ところで、今回紹介するアイテムは前回同様、昨夏に展示されたものだ。1年遅れの記事になってしまい大変恐縮だが、「夏のことは夏のうちにやってしまおう!」とほぼ一気に書き上げた。

苦手な夏のこと、アイテムを絞って簡素に仕上げようと思ったが、取りかかってみると例によって
これがまたおもしろくて筆が止まらず、結果的に2本立では窮屈なボリュームになってしまったので、3本立てで構成することにした。

しかし、30cm四方に描かれた「夏の世界」をも広げてしまう無限の芸術。やっぱりジャケットはおもしろい。
では、タオルの用意はよろしいか?ジャケットの中の夏へイザ行かん!

Mjg_img_0811_2 今回ブローアップされたジャケットはThe Beach BoysとIt's a Beautiful Day。
手法も雰囲気もまったく異なれど、どちらも「夏!」を連想させずにはいられないデザインだ。

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いいよナァ。海とサーフィン、カッコいい車に可愛い女の子、カリフォルニアの陽の光、冷えたバドワイザーにしぼりたてのオレンジ・ジュース…。

初めてカリフォルニア…というよりアメリカに行ったのは新婚旅行だった。アッという間の出来事で、おまけにパック旅行だったので西海岸の表面をツラっとなめるだけの体験だった。

それから大分経って職を変え、仕事でまたカリフォルニアを訪れた。
オフにはサンタモニカに在住する家内の友人(これがまたものすごい美人!)に周辺を案内してもらい、アパートを訪れ、夜にはご主人がハリウッドのジャズ・クラブに連れて行ってくれた。
その日、ステージに上がっていたのはトロンボーンの名手、Bill Watorusだった。
休憩時間にはBillと直接話しをすることができ、彼はたくさんの日本語の単語を知っていて驚かされた。それもそのハズ、お嬢さんが宮崎出身の方とご結婚されていて、日本にも頻繁に訪れていたのだ。

サンタモニカ・ビーチの陽光は明るく健康的すぎて、自分にはどうも似合わなかった。何となく引け目を感じてしまうのだ。でも、映画『ハリーとトント』の最後のシーン辺りを見るとカリフォルニアもイイ感じがするんだけどね。

一方…

夏でも朝晩には暖房が必要な寒冷な気候、毎日数回必ず降り注ぐ雨、産業革命にマズイ食い物、ひと吸いずつチビチビ飲む重いエールにマーマイト(正直、コレは食べれません)…ああ、いいナァ、ロンドン。やっぱりロックはブリティッシュに尽きるナァ。

でも、The Beach Boysはよい。音楽的によい。…といってもそんなこと思うようになったのはごく最近のことでしてな。
ま、始終聴いているワケでは決してないが、なんとなく「ボーっと気持ちいい曲が聴きたいナ…」なんて時に引っ張り出してくる。

でも、聴くのは『Pet Sounds』ばかりなんだけどさ。
よくBoxセットで未発表テイクだのなんとかミックスだのを突っ込んで4枚組とかで売っているのあるでしょ?Miles Davisによくある『コンプリートなんとか』ってヤツ。
アレ、せっかく買っても全部聴くことって私はほとんどないんだよね。
でも、試験の前に資料が揃っていないとやたら不安になってしまい、読みもしないクセに友達のノートを山ほどコピーさせてもらう…みたいな感覚でつい買ってしまう。

『The Pet Sounds Sessions』ってのはナゼかペロッと聴いちゃったな。すごくおもしろかった。特に私なんかはあのギターのパートをBarney Kesselが弾いているのかと思っただけで興奮しちゃったりしてね。

他にもひと通りThe Beach Boysのアルバムは揃っているけど、初期のはもうあんまり聴かないナァ。

それにしても魅力的なジャケットですナァ。素晴らしい構図だ。
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これは83年に発表されたレア音源集。当時は今みたいに未発表音源やらレアトラックだのが出回っていなかったのでファンの人たちは大層喜んだそうな。

そういえば、30年以上前、サーフィンというか、サーフィン・ファッションってのが流行ったね~。サーフィンというのは日本人にもっとも似合わない西洋の遊びという感じがするけど、ファッションは結構お世話になったな。
高校の時、学校のひとつ上の学年の人が、サーフィンをしていて倒れた瞬間にサーフボードの先が目に当たり片目を失明するという事件が起こった。
このことは多くのサーファーに注意を喚起するため、若者のファッション誌で報道されていたのを覚えている。
たまたまその先輩を知っていてので、その時のこと聴いたことがあったが、ボードが眼窩にはいり目玉が身体から出て行くのがハッキリとわかったそうだ。そして、次の瞬間、「目玉、オレの目玉!」と海水の中を手でまさぐったらしい。

すいません、ノッケから物騒な話しで…。

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ね、やっぱりThe Beach Boysはコレだよね~。見るからにゴールデンベスト!新橋の地下コンコースでよく見かけるような…。
『Sunshaine Days  Surfin' with The Beach Boys』だって。
そうは言ってもメンバーの中でサーフィンを実際にやっていたのは末弟のDennisだけだったとか…。

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こっちは車。『Summer Cruisin'  Hot Rod with The Beach Boys』だ。
ジャケット的には…ま、夏?それ以外ナニもないな~。

明るく楽しいビーチ・ボーイズ。でも、いくつかの関係書籍に目を通すと、「西のファニカン、東のキャロル」のようにThe Beatlesの向こうを張った単なる能天気なスター・グループではないことがわかる。
Willson兄弟の生い立ちやBrianの健康、『Pet Sounds』以降の大不振、CarlやDennisの死等々、知れば知るほど暗い雰囲気が漂っているように見えて来る。

にぎやかに楽しく「♪一切合財USA」や「♪ヘッミロンダ、ヘッヘッミロンダ」もいいが、こうした暗い部分を読み説きながら彼らの美しいハーモニーに耳を傾けるのもひねくれた私のThe Beach Boysの楽しみ方だ。

それと、初期においてかなり多数の作品が3コードで書かれていることも今となっては注目すべきだ。ここでいう3コードというのは、「ブルース形式」だけに限っているワケではない。単純にトニック、サブドミナント、ドミナント・コードの組み合わせにメロディを乗せ素晴らしく味わい深い曲を作るのだ。ロックは本来こういうものだと思うよね。

私的にこの手法で書かれた日本のロック曲の最高峰はサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシーン」におねがい」だ。ブルース形式ではないが、A(トニック)とD(サブドミナント)とE(ドミナント)の組み合わせだけであれほどカッコいい曲が出来上がる。シンプルだからこそカッコいいとも言える。

今、世の中に流れているロック調の曲は、こうした感覚が極端に希薄だと思う。我々世代にはいくらバンドの形態を採っていてもロックに聞こえない理由のひとつなのかもしれない。

ダイアトニック・コード(ひとつのスケールから派生するコード群)というものは必ず機能的にトニック、サブドミナント、ドミナントに分類されるので、最後にはどんな曲でも基本的には3つのコードで作られているといえるが(例外もあり)、ここで言っていることとはワケが違う。

ロックの曲が持つパワーのようなものは、こういうシンプル性(simplisity)から生まれるもので、その礎はまぎれもなくブルースだ。先に書いた「ブギやシャッフルが絶滅する」という話しとからめて、テレビから流れて来る音楽に耳を傾けながら、楽器を演る人もそうでない人も皆さんで考えてみるといいと思う。

The Beach Boysでもうひとつ…『Live in London』という1969年のライブ盤は実にハツラツとした演奏で私の愛聴盤のひとつなんだけど、60年代の後半にはアメリカでは悲惨な状態だったこのバンドがイギリスでは王様状態だったのだからおもしろい。
アメリカでは酷評された『Pet Sounds』がイギリスのチャートの2位をマークしている。確かにこのアルバムを聴くとその熱狂ぶりがわかる。
いつもはアメリカ人のこと色々と悪く言うクセに…やっぱりカリフォルニアの陽光がいいんだね?イギリス人には家の中でジッとしながら聴くプログレとハード・ロックが一番お似合いだっつーの!

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The Beach Boysをさらにもう一枚。1979年の『L.A.(Light Album)』。

レコード会社を移籍したThe Beach Boysが前会社との契約を解消するためのアルバムにストックしていた曲を使い果たしてしまったために、このアルバム用の曲が足りなくなってしまった。スタジオに入りレコーディング作業を進めたがよい結果が出ず、Bruce Johnstonをプロデューサーとして呼び戻して七転八倒の末作り上げたものの、セールスも思わしくなく評価も低かったというアルバム。

そーかなー。ま、私なんか特段深い思い入れがこのバンドにないせいか、別に「ヒドイ」とは思わないナァ。どの曲もなかなかいいと思うんだけど…。
ただ、大活躍しているDennisの声が気になりがちかな?MikeとCarlの声こそが私にとってはThe Beach Boysのイメージなのでちょっと違和感が…。例えて言うなら円楽(先代)の落語みたいな…要するに立派過ぎちゃうのね。そこへ行くとCarlの声は小朝だ。

それより気になるのはタイトル。「Light Album」というところではなく、カッコ。カッコのことは英語でParenthesis(パレンセシス)、もしくはRound Bracketsというが、私が知っている限り、西洋の人はあまり使わない。イギリス人はちょっとした注意書きを添える場合に使うこともままあるが、それでも日本人ほどではない。
特にアメリカの人との文通でカッコを使っているのをほとんど見たことがない。
それがこのアルバムのタイトルにガッツリ入っているのが個人的におもしろい。

Paul McCartneyのベスト盤なんかもそうだけど、ジャケットは収録曲のイメージをイラスト化したものが並んでいる。楽しいイラストだ。で、左下に日本髪を結った女性のイラストがあるでしょう。右にはタテにこの曲のタイトルが記してある。何て書いてあるのかというと「SUMAHAMA」。
「砂浜」じゃないの?「砂浜」。実際にこの曲には日本語で歌われているパートがある。

しかし、1979年にもなって「砂浜」で「芸者」だよ。ん?、待てよ、コレってまさか『金色夜叉』か?
(歌詞を確認…)
違った。でも「♪Sumahama In the autumn as the leaves are falling」という箇所が出て来て思わせぶりだったりして…紅葉だもん。
これはMike Loveの作曲なんだけど、我々の感覚では「砂浜」に「落葉」っていうイメージは絶対に重ならないよね?

…とココまで書いて気がついた!これは「砂浜」の誤謬ではなくて、神戸の「須磨」の浜、すなわち「須磨浜」だということね!アブねーアブねー。一気にロマンが去ってしまった…。なぜ須磨なのかはわかりません。
まだ上の子が小さい時、須磨の水族館って行ったナァ~。

歌詞の内容はちょっぴり悲しい恋の歌なんだけど、この芸者のイラストはないでしょうよ!1979年でも日本のイメージといえばコレだよ。このステレオタイプは何とかならんもんかね?恥ずかしいわ。
この歌でおすもうさんのイラストよりはまだいいか?
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「ジャケット名作選」的な企画では必ずと言っていいほど上位に選ばれる名ジャケット。

It's a Beautiful Dayは1967年デビューのサンフランシスコ出身のサイケロックバンド。もう名前からしてこの時代のサイケ精神を象徴している。
これは1969年のファースト・アルバム。やはりこの時代の作品らしく、一番有名な「White Bird」なんて曲はJefferson Airplaneみたいに響く。
でもこちらはヴァイオリンがガッチリ入っちゃってこっちの方が全然いいな。(Jeffersonも後年、Papa John Creachという黒人のフィドラーがカッコよかったけど…)

でもマーブロ読者の皆さんが注目すべきはこの曲ではない。このアルバムに収録されている「Bombay Calling」という曲だ。
これははDeep Purpleの「Child in Time」の原曲。ま、ハッキリ言ってまったく同じと言っていいでしょう。結果的には両方カッコいいだけどね。
どこかの国の国民的バンドと呼ばれているグループと違ってこういう改作は大歓迎だ。

さて、ジャケット。
この絵は家事に関する雑誌のためにkent Holisterという人が1900年頃に描いたもの。
コレ完全やられちゃってるよね…最近のジブリに。

本当に素敵な絵なんだけど、以前掲載したマーブロのインタビューの中で、森園勝敏さんから聞いた話では、この絵はMaxfield Parishというアメリカの画家の絵が元になっている。そして、そのMaxfield Parishの作品に出て来る女性が「Lady Violetta」という。
もちろん森さんはこの絵にインスピレーションを受けて、歴史に残る名曲「レディ・ヴィオレッタ」を作曲した。この曲は一般に「レディ・ヴァイオレッタ」と呼ばれることが多いが、正しくは「レディ・ヴィオレッタ」だ。

ついでに言うと、Boz Scaggsの1971年のアルバム『Boz Scaggs & Band』の中の「Here to Stay」という曲。コレ、キーとコード進行が森さんの「Lady Violetta」と同じなのだ。
キーはD。IIm7-I△7を繰り返して4度進行。GからGmとサブドミナント・マイナーに突入。IIIm7からIV7に入りIIm7にドミナント・モーションして頭に戻る…みたいな。まったく同じ。
「Lady Violetta」が収録されている『ゴールデン・ピクニックス』の発表は1976年なので、四人囃子の方が後追いになってしまうのだが、森さんはこの曲を全然知らなかったそうだ。
イヤ、仮に森さんが知っていたとしても、このコード進行にあの美しいメロディを乗せることがスゴイ。こっちの方がスゴイかも知れない。何しろ大名曲だからね。
私はもうギターを根詰めて弾いてはいないが、この曲だけはいつか人前で弾いてみたいナ~。森さんが相手じゃあまりにも図々しいので、相棒はお弟子さんの関ちゃんがいいな~。

え、ところで囃子とボズ、どっちの方がいいかって?訊くだけヤボヤボ!「Violetta」に決まってる!だって「Violetta」はいつだって私の好きな日本のロックの曲の上位に君臨してるんだもん!

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Judas Priestは中学の時、NHK FMの渋谷陽一の『ヤング・ジョッキー』という番組で初めて聴いた。「The Ripper」だった。ショックだったね~。『Sad Wings of Destiny(運命の翼)』が新譜として紹介されていたから1976~77年ぐらいのことか…。
こっちはThe BeatlesとかよくてTodd Rundgrenぐらいしか知らなかったので「こんなんあるのかよ?」って腰を抜かした。
その2年前のJudas Priestのデビュー・アルバムがこの『Rocka Rolla』。

やっぱ暑いときはコーラか?そういえば昔はビンのフタを「王冠」なんて呼んでたな。「王冠いくつ送れば抽選で○○プレゼント!」なんて言ってた。アレ、言わなくなったね。

JudasはMarshallの大切なアーティストだ。でも、4枚目の『Stained Class』までしか聴かなかったな~。何か、この頃には「Exciter」あたりのRob Halfordの声がコミカル聴こえちゃって…。「『夜の女王』じゃあるまいし、ナニもそこまで高い声出さなくても…」みたいな。
それでしばらくロックから離れている間にすっかりメタル・ゴッドになっちゃって!このバンドにも「継続は力なり」を感じるな~。素晴らしいことです。

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Free Beerというグループ。これはまったく知らないナァ。名前はありがたいんだけど…。カナダに同名のコメディ・ユニットがあるようだ。
ジャケットはソフトでいい感じ。
クレジットを見ると、ドラムがBernard Burdieで、サックスではBob Mintzerなんかが参加していておもしろいので取り上げてみた。
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ホルヘ・サンタナ。「サンタナ」って言うぐらいのギタリストだからカルロスの兄弟に決まってる。
この人は「麿」じゃない、「Malo」というサンフランシスコのグループで活躍した人。ちょっとゴメンナサイ、アタシャこのへんは門外漢。

ま、夏なんでしょうね、パンツ一丁で涼しそう!これにもうちょっと気合を入れると…

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HipgnosisのMontroseになる。
ん~、確かにこっちは「夏」というイメージは皆無だな。

Jump Isotopeはイギリスのジャズ・ロック・グループ。
コレ持ってたんだけど見つからなかったナ…ということで他のアルバムを久しぶりに聴いてみる。

ギターのGary Boyleという人が中心人物なんだけど、この人インド人なんだよね。インド音楽系の人、つまりラヴィ・シャンカールとかトリロク・グルトゥとかザキール・フセインとかパンカジ・ウダースとか、そういう人以外でポピュラー・ミュージックのフィールドで活動していた人と言えば、このゲイリー・ボイルと「インド人チャダ」ぐらいしか知らんもんね。ゲイリーは後年、山岸潤史さんのソロ・アルバムで客演してたりした。

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これは裏ジャケ。左上の人がGary Boyle。
とにかくギターの音が…。「何でこんなに歪ませてんの?」と思わず驚かざるを得ないぐらいコシのない音。今時、高校生でももっといい音出しまっせ。
それに意味のない上辺だけの速弾き。初めて聴いた高校の時は「お!」と思ったけどな。McLaughlin気取りなのかも知れないが、全然違う。ちょうどジャズとロックの間の中途半端なところにハマっちゃってる感じ?

さて、ここらへんでソロソロ褒めてあげないといかんな…。

ん~、しかしつまらん。問答無用で曲のクォリティが低い。時代的にいってもマハビシュヌを狙っていたんだろうな。The Mahavishunu Orchestraは今聴いても何ら文句はないが、このIsotopeときたら…古い。
でも、ナゼか何枚か持ってるんだ~。

ちなみにIsotopeにはSoft Machineのベーシスト、High Hopperも一時参加していた。

インド人ついでにチョット書くと、大分前に安かったもんで『インド古典パーカッション―超絶のリズム』とかいうCDを買った。「南北インド音楽のマエストロ達が繰り広げる興奮のリズム・バトル」っていうんだけど、特にバトルのところは興奮せなんだ。
ところが巻末にザキール・フセインによる、タブラのデモン ストレーションっていうのが収録されていて、これが滅法カッコいい。とても人様にはオススメできないが、何の情報もなく捨て身で勝ったCDにこういう演奏 を発見するとうれしくなる。


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Elephants Memoryは他の機会でもかつて取り上げたことがあったが、60年代後半に活躍したニューヨークのバンド。

見るからにヒッピーですナァ。夏でなきゃこんな恰好はできまい。象も気の毒に…。

このバンド、ジョン・シュレシンジャーの『真夜中のカウボーイ』のサウンドトラック盤に「Jungle Gym at the Zoo」と「Old Man Willow」という曲を送りこんでおりゴールド・ディスクをゲットしちゃってる。

さらに、JohnとYokoのバックを務めたことで知られている。『Some Time in New York City』というJohnの2枚組のアルバムあるでしょ、新聞のジャケットのヤツ。あれの1枚目で演奏しているのがこのバンド。演奏はフツーにうまい。ま、John Lennonのバックを務めるぐらいですから。
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ちなみにこの『Some Time in New York』のC面はロンドンはコヴェント・ガーデンのはずれ、フリー・メイソン本拠地近くののライセウム・シアター(Lyceum Theatre)でのライブ(全然ニューヨークじゃない)。収録は1969年12月15日、ユニセフのチャリティコンサートだった。

そして、D面は1971年6月6日、The Mothers(この時分はMothers名義) とのFillmore Eastでの演奏が収録されている。

一方、The Mothersはこの時の演奏を『Fillmore East -June 1971』と題するライブ・アルバムで1971年8月にリリースしている。コレ、収録してからたった2か月でレコードにしちゃってる!

以前にも書いたが。私は基本的にジャケ買いをしないが、この『Fillmore East -June 1971』はCal Schenkelの鉛筆書きのジャケット・デザインが妙におもしろくてつい買ってしまった。
今から36年前のこと。初めてのZappaのレコード。そこから私のZappa道が始まった…ま、コレは余談。

で、この写真を見ていただきたい。
後ろはさっきから何回も出て来ているJohn Lennonの『Some Time in New York City』。
それで向かって右は私が惹かれたCal Schenkelによる鉛筆書きの『Fillmore East -June 1971』。
向かって左は『Some Time in New York City』の内袋。インナースリーヴっての?そう、『Fillmore East -June 1971』のパロディになってる。

赤字で書いてあるのは、上から…
John and Yoko presents.....'live jam'
PLASTIC ONO BAND! & John and Yoko with→The MOTHERS

と来て、

Lyceum London Dec 1969と記されている。
つまり、
『Fillmore East -June 1971』のデザインを借りて、ちゃっかりLyceum Theatreのライブ盤のジャケットを作っちゃっているワケですな。

まだ話しは終わらない。Zappaにはファンなら誰でも知っている『We're Only in it for the Money(1968年)』というアルバムがある。このアルバムのジャケットは『Sgt. Peppers Lonly Hearts Club Band(1967年)』の悪趣味なパロディなのだ。
そう、ジョンはこの『Some Time in New York City』でふざけて仕返しをしたに違いない。

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これがLyceum Theatre。
もうずいぶん長いこと『Lion King』がかかっている。
この劇場は数々の名演を生んでいるが、名盤の誉れ高いBob Marleyの『Live!』もそのうちのひとつだ。詳しくはそのうち『名所めぐり』でやります。

Mjg_img_0475_1これがそれぞれの裏ジャケ。
おもしろいのは徹底して元の表記を利用しているところで、メンバーのクレジットはもちろん、スタッフのクレジットもEngineerやRoad Manager等の担当職名はそのままに、固有名詞だけバンバン赤ペンで書き変えている。

それとJohnらしいのは、下のところ。Zappaが色々な出版刊行物に刷り込んでいた「Don't forget to register to vote」という選挙権登録のための標語の上に丸々「War is over if you want it J.L. Y.O.」と上書きしてしまった。
これは文字通りの意味なんだろうけど、「if you want」というところから、「もしよかったら、もうこれでジャケットのパクリ戦争は止めよう」と言っているように想像するのはどうだろうか?

加えて、当時の国内版配給会社であったワーナー・パイオニアのクレジットまで鉛筆書きになっているところがうれしい。ただし、「¥2,300」という定価表示は活字だ。

ジャケットはおもしろいね~!見たか音楽配信!キミにこんな芸当ができますか?ってんだ!!

Mjg_img_0581Fleetwood Macの1987年の『Tango in the Night』。大ヒット作『Rumours』の黄金メンバーによる最後のアルバム。1,200万枚も売れたんだって!
Macも統一感は皆無にしても、ブルース時代からなかなかにいいジャケットが揃ってる。
それにしても、ブルースやめてヨカッタね~、このバンドは。
Mick FleetwoodはMarshallのドラム・ブランド、NATAL(ナタール)のパーカッションを愛用していた。

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Pabro Cruiseは思い出があるよ。
もちろん私はPablo Cruiseなんてガラではない。
でも彼らのレコードは買ったことがある。『Reflector』とかいう81年のアルバム。今の家内にプレゼントしたのだ。「今の」って言ったって、今も昔も変わらないのだが…。32年前か?

アレは誕生日だったのかな?彼女はレコードを袋から取り出すと大喜びしながら、「アッ!」と小声を出す私に気づかず、私の見ている前で人差し指を帯に引っかけ、何のためらいもなくブチっと引きちぎってしまった。

「え、帯要らないの?」

「うん、だってジャケット全部見えないジャン?」ハマ生まれハマ育ちの彼女はピュアな横浜弁でそう答えた。

別にこっちもいつも帯欲しさにLPやCDを買ってるワケじゃないけど、やっぱり最初っから付いているものはそのままにしておきたいジャン?
もし中古レコードで帯のあるのと帯のないの、同じ値段だったらどっち買うよ?帯でしょ。

一時期、帯の付いていない中古レコードは買わないことにしていた。しかし、値段は張るし、聴きたいアイテムは買えないしですぐにギブアップしたっけ。
その点、CDはサイズが小さいせいか帯があろうとなかろうと最初っから気にならなかったナァ。
こんなところからもやっぱりLPジャケットの方が魅力的だ。

これフリチンか?(「フルチン」、「フリチン」どちらでもいいらしい)
これも「夏」としか言えないようなきもするけど、なんか寒そうだな。カメラのこっちに焚き木が用意してありそうな…。

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これは夏というかただの熱帯地方だね。つまり一年中「夏」か。
ロンドンで1969年に結成されたガーナのロック・バンド、Osibisaの1974年の6枚目(ベスト除く)のスタジオアルバム。
ジャケットはルソーのようだが違う。アンリ・ルソーの絵をまんま使ったのはThelonious Monkの『Thelonious Monk Plays the Music of Duke Ellington』。Monkはキリコの絵もジャケットに使っていることは前回書いた

象が飛んでいるOsibisaの最初の2枚のジャケット・デザインはYesやGreensladeでおなじみのRoger Deanが担当した。バンドのロゴがモロにYesっぽいのはそのせい。

ワールド・ミュージックが流行った時、サリフ・ケイタやユッスー・ンドゥールなんてのはひと通り聴いたが、正直言ってアフリカ系の音楽は得意ではなく、キング・サニー・アデだとかフェラ・クティとかどちらかというと「勉強聴き」の域を出ない。ちょっと聴くにはいいんだけどね。

で、このOsibisaってのはワールド・ミュージック・ブームのはるか昔から知っていた。1975年ぐらいのことだと思う。というのは、当時学校へ行くのに毎日朝6時ぐらいに起きて時報がわりにすぐにテレビをつけていた。
たしかNETテレビ(現テレビ朝日)だったと思うが、当時は今みたいにアナウンサーやゲストがゾロゾロ出て来るような早朝番組などなく、今でいうPVのようなものをただ流しているような簡素な音楽番組ぐらいしかやってなかった…ような気がする。

しばらくの間、その音楽番組にOsibisaのフィルムが流れていたのだ。ロックなど全然わからなかった年頃のことで「ナンダこれは?」と驚いているうちにOsibisaの名前が刷り込まれてしまったというワケ。それ以降、現在に至るまでただの一回も聴いたことがない。

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Stan Getzか…。あまり聴いている方ではないが、好きな盤は結構あるな。Jimmy Raneyがカッコいい『Stan Getz at stryvillle』の2枚とか『Stan Getz at The Shirine』とか『Sweet Rain』とか『Captain Marvel』とか…。つい2週間前も『Pure Getz』というConcord盤を買ったばかり。
ボサノバで有名なGetzだが私はまったく聴かないの。

ジャケットにGetzの顔は見れないが、かなりのハンサムで、無造作に彼の顔を撮影したカメラマンに「オレの顔をこっちから撮るな!」と怒ったとか…。フリオ・イグレシアスでもこんなような話しを聞いたことがあるが、Getzの方が先輩だろう。

『Cool Sounds』は1957年の発表のVerve盤。ジャズの名ジャケットというとBlue Noteばかりがもてはやされてしまう傾向が強いが、この時代はどこのレーベルでも素晴らしいジャケット・デザインに素晴らしいジャズを包んで世に送り出していた。

この時代のジャズのレコードのジャケットってVerveに限らず、内容とはおおよそ関係のない美人女性が登場するデザインが多かった。今はこんなこと絶対にしないよね。
それでも50年代のアメリカのパワーがアートにまで十二分に及んでいるかのようにそのどれもが魅力的だ。
Verveだったらロミー・シュナイダーを起用したOscar Petersonの『My Fair Lady』とナント言ってもBud Powellの『Blues in the Closet』だな。これは完全にジャケ買いした。
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「Mar y Sol」というのは1972年4月、3日間にわたってプエルト・リコで開催されたウッドストック・タイプのロック・フェスティバル。
1971年から計画されたが、厄介を恐れたプエルト・リコ政府の妨害により頓挫しかけたものの、紆余曲折の末、当事者が変わって何とか開催にこぎつけた。ところが、そうした不安定な運営状態を察知したミュージシャンが出演をキャンセル。ナント開催の前日になってようやく出演者の名前が出揃ったという。

とはいうものの、出演者は今からしたら涙が出るほどゴージャスだぜ。
Emerson Lake & Palmer、Dr. John、Long John Baldry(Elton Johnの「John」はこの人の「John」だからね)、The Allman Brothers Band、The Mahavishnu Orchestra、さっそくOsibisa、Cactus、The J Giles Band、B.B. King、Herbie Mann、John Nitzinger、Jonathan Edwards…。
以上が下のライブ盤に音源が収録されている人たち。

まだいい?

その他、無名時代のBilly Joel、Alice Cooper、Dave Brubeck(なんでやねん!)、Rod Stewartなどなど。

ところがフェスティバルの方は問題だらけだった。死亡事故、殺人、数々の強姦事件が発生したのだ。プエルト・リコ政府からプロモーターに逮捕状が出たが、国外へ脱出して逮捕から逃れたという。ずいぶんゆるいな。

1969年のウッドストックの成功以来、こうした巨大屋外ロックフェスティバルがいくつも開催されたんだね。うまくいくものあったが、この「Mar y Sol」やストーンズのオルタモントのように失敗に終わった物も数多くあったようだ。

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こっちもつくづくスゴイ出演者だよね。
「Isle of Wight Festival」は元々1968年から1970年まで3年、3回にわたって開催されたロック・フェスティバルだ。

初回、1968年のヘッドライナーはJefferson Airplaneで、他の出演者はArthur Brown、The Move(いいな~)、T-Rex(Micky FinnのパーカッションもNATAL製だ)、The Pretty Things等。10,000人程度が集まる小ぢんまりしたフェスティバルだった。

それが2回目の1969年には一気に150,000人が集う巨大フェスティバルに膨れ上がる。
出演はThe Band、The Who、Free、The Moody Bluesといったメジャーどころの他に、Bonzo Dog、Blodwyn Pig、Edgar Broughton Band、Aynsley Dumbar、Fat matless(Jimi Hendrix ExperienceのNoel Reddingが参加していたバンド)、Family、デビューしたてのKing Crimson、Pentangle、Third Ear Bandなどいかにもブリティッシュな顔ぶれがそろっていた。
しかし、前年の15倍にも膨れ上がった観客のお目当てはBob Dylanだったという。
8月30日のDylanのステージの前には会場のVIP席に数々の有名人の姿があった。John LennonやRingo Starrとそれぞれの細君、Keith Richards、Bill Wyman、Charlie Watts といったThe Rolling Stones勢、Eric ClaptonやSyd Barrett、Elton Johnも…。他にもLiz TaylorとRichard Burton夫妻、Jane FondaとRoger Vadim夫妻(『バーバレラ』のコンビね)もいたそうだ。

そして1970年、5日間にわたって開催されたこのフェスはますます巨大化し、Woodstockをしのいで当時最大の動員数を記録し、ギネスブックに登録された。その数は60万人とも70万人とも言われている。
その時の模様を捉えたのが下のライブ・アルバムだ。
前年までの出演者の数々に加え。Chicago、The Doors、Miles Davis、Joan Baez、Joni Mitchell、Jethro Tull、Sly & the Family Stone、Ten Years After、Emerson Lake & Palmerなどが出演した。
しかし、こういうものはデカくなればなるほど問題も起こりやすく、そもそも10万人にも満たない人口の島に60万人もの人が押し寄せちゃったもんだからさあ大変!交通機関がスタボロになってしまった。
また、チケットは前売りされていたが、Woodstockのように結果フリーコンサートの形を呈してしまい、主催者側は全然儲からなかったそうだ。そうしてこのフェスは3年で幕を下ろした。

そしてその後、2002年に復活し現在に至っている。

開催は8月で、昼間はさぞかし心地よかったろう。
イギリスの夏はとても涼しく、ロンドン市内でも古い建物には今でもエアコンが付いていない。そりゃ昼間は暑いですよ。でも、夏は短いし、ちょっと我慢すればアットいう間に涼しくなっちゃう。
実際Marshallの工場でも窓が付いている部屋にはエアコンが全くついていないもんね。
だから、こうした夏の野外フェスティバルに適している。今でも盛んにやってるでしょ?ああいうことをしてもそんなに暑くないんですよ。
ただし、夜はキツイ。真夏でも暖房をつける時があるからね。このフェスの参加者もさぞかし辛かったと思う。
しかも、開催した日は風が滅法強く、音が風に持って行かれてしまうほどだったらしい。

Woodstockもそう。8月だというのにTen Years AfterのシーンなんかではAlvin Leeの吐く息が真っ白だ。

そこへ行くと日本の夏フェスはあまりにも過酷だと思う。アレ、なんで春か秋に開催しないんだろう?
やっぱりさ、カッコいいジャケット眺めながら、家でゴロしてステレオでいい音楽を聴くのが一番だな~。
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<中編>につづく

ミュージック・ジャケット・ギャラリーはどなたでもご見学が可能です。

詳しい情報はコチラ⇒金羊社MJG常設展

※本項の展示は2012年9月に終了しています。現在の展示内容は上記の金羊社ウェブサイトでご確認ください。

(敬称略 ※協力:植村和紀氏、金羊社・奥平周一氏 )