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2024年3月28日 (木)

曾我泰久『50th Anniversary Special Live』Thank You Dear Friend<前編>


去る3月3日、曾我泰久の「芸能生活50周年」を記念するコンサートが開催された。10v会場はヤッチンの「ホーム」とも呼ぶべき、過去に何度も年明けのバースデイ・コンサートを開催したおなじみの日本橋三井ホール。
20この記念すべき機会に寄せられた夥しい数の祝い花。30開場前には記念グッズを求めるファンの方の長い行列ができていた。40入り口に展示されたヤッチンの「50年の歩み」ポスター。
一番左の「今のヤッチン」は私が撮った1枚。
ご採用ありがとうございます!
しかし…「50年」ってアータ、簡単に言いますけどスゴイですよ。
半世紀(half century)が1回、10年(decade)が5回、干支が4回と1/6回って来ちゃうんだから。
チョットやソットの時の流れではござんせん。
その50年の間、生き馬の目を抜くようなエンターテインメント界で休むことなく活動を続けて来たてぇんだからそのヤッチンの努力と意欲は並大抵のモノではなかったハズ。
よって今回のコンサートはヤッチンの50年の充実した活動を振り返る極めて特別なプログラムとなった。
そこでMarshall Blogではコンサートを内容を仔細に記録すべく、3本立てでレポートをお送りすることとした。
ヤッチン初のMarshall Blog3本立て!
50さて、レポートを始める前に1回目の脱線をしておきましょう。
 
Marshall Blogで時折触れているように私はヤッチンと同じ学年なのね。
私は11月20日の生まれなので翌1月7日生まれのヤッチンとは48日しか生年月日が違わない。
育った場所は近くはないにしても、東京にあってはかなり庶民的なエリアでコレも同じ。
そこで50年前のことを覗いてみよう!という趣向。
下はまさに50年前の1974年、すなわち昭和49年に「移動教室」で日光へ行った時の写真。
ヤッチンも日光へ行ってココで記念写真を撮ったんじゃないかな?…それとも早くも仕事で行けなかったかな?
私は最後列の右から2番目にいるわ。
ずいぶん先生に叱られたけど楽しかった。
しかしこの写真、いくら陽明門が写っているとはいえヒドいロケーションだな。
Sd ココから先のことはこの記事をご覧の多くのヤッチン・ファンの方々の記憶に残っているかも知れない。
では…この当時の国鉄の初乗り運賃っていくらだったか覚えていますか?
30円だった。
今は150円だから5倍になった。
あの頃は切符が厚紙で出来ていて、まだ自動改札なんか想像すらしたことのなかった時代。
駅員さんが切符バサミをカンカラカンカラ鳴らしていたのが懐かしい。
国鉄の運賃も高くはなったけど、まだ日本はカワイイものでしてね。
今、ロンドンの地下鉄の初乗り運賃は6.70ポンドだっていうからナント約1,300円!
東京から有楽町まで乗っても、上野から御徒町まで乗っても、新宿から大久保まで乗っても1,300円!
私が20年チョット前に初めてロンドンに行った時は2.70ポンドだったから20年チョットで2.5倍。
ロンドンの地下鉄は世界で一番古く、そして一番高い。
んんん?日本は50年で5倍、ロンドンの地下鉄は20年で2.5倍…ということは運賃の上昇率としては大して差がないんだな~。
ちなみに当時の東京の地下鉄の初乗り運賃は60円だった。
国鉄の倍もしていたんだね。
Ss 銭湯はどうか?
今、東京の銭湯は520円だって?
50年前は75円だった。
約7倍。
もっとも銭湯は「値段」云々よりも「存続」云々の問題の方がはるかに深刻だからナァ。
下は秋葉原のど真ん中にある「燕湯」…まだやっているのかな?
私が住むエリアはとても古い町ゆえ10年ぐらい前までは銭湯が7、8軒あったが、今ではたった1軒を残すのみとなってしまった。
そういう意味で最近すごく心配なのは町の豆腐屋さん。
そんなエリアだからおかげさまでウチの周囲には古くからやっている豆腐屋がまだいくつか営業していて助かっているが、後継者不足を理由にそれらが消滅してしまう日もそう遠くないであろう。
何時間煮込んでも「鬆(す)」が入らないようなスーパーで売っている豆腐なんてコワくて喰えたもんじゃない。
50年チョット前ぐらいは鍋を持って豆腐屋へお使いに行かされたものだった。
ヤッチンもやらされたんじゃないかしらん?
私はその豆腐屋のオジさんの顔を覚えているわ。
328さんまやいわしが高級魚になったりして、食べ物の様相もずいぶん変化を遂げた。
そして、食べ物に関してこの50年で一番大きく変わったのはラーメンの地位ではなかろうか?
昔、ラーメンは「貧しい家庭の常食」というイメージだった。
「お父さんの給料日がまだ先だから今日もラーメンよ」…ウチは父が職人だったのでこうしたことは一切なかったが、1950年代の映画を見ると貧乏を表現する小道具として頻繁にラーメンが登場する。
それが今は何だ?…ミシュランだぁ?
私はそうした昔のことを知っているので、今でも800円以上のラーメンを食べることにはどうしようもないほどの抵抗感を抱く。
何しろ50年よりチョット前…近所の「つばめ軒」という(今でいう)町中華のラーメンの値段が80円だったことを覚えているのからね。
チャーハンはもうチョット高くて100円ぐらいだったかな?
…とか言ってますけどラーメンは大好きです。
でも最近は年のせいかどこで食べてもしょっぱくてネェ。
コレが実にツラくてお店でラーメンを食べる時には必ず「薄味でお願いします」と注文している。
すると時折フザけて「ハイ、コチラのお客さん高血圧!」なんて言われるわ。
ほっとけ!
10_rm オモシロイなぁ…でもコレで最後ね。
コンサートの値段。
今はスゴイね…外タレのコンサートは2万、3万が当たり前だもんね。
ビリー・ジョエルが100,000円、ロッド・スチュアートが35,000円だって?
「イヤ~、あの内容なら安い」なんて言いたくなる気持ちはわからないでもないけど、それは「意地」というモノでしょう。
高すぎるよ。
50年前ドンズバでなくて恐縮だけど、下はその48年前の1976年末から1977年の春にかけて武道館で観たコンサートのプログラム。
私は中学2年生でココから私の「ロック人生」が始まった。
レインボウもエアロスミスもS席でチケット代は3,000円だった。
キッスだけは高くて4,500円だったかな?
このようにコンサート・チケットが高額になってしまった理由として「CDが売れないから」と喧伝されているけれど、それはそうなるわな。
でも、私はそれだけではないと思っている。
もうひとつの大きな理由のひとつは「過度な一極集中」ではなかろうか?
アノ手コノ手でマスコミが作ったスターにあまりにも多くの民衆が群がりすぎているのでは?
簡単に言えば「みつ豆と林長二郎」…すなわち音楽の受け取り手の姿勢があまりにもミーハーに過ぎるということ(「林長二郎」というのは後の「長谷川一夫」ね)。
ごく少数のバンドが音楽マーケットを寡占しているのもコンサート・チケットを高額にしている原因なのではなかろうか?
その状態ではチケット購入の競争は激しくなるものの音楽の質に関する競争が起こらない。
コレは大きな悲劇ですよ。
まだ何とかライブハウスにはいいバンドが残っているので、そうしたグラスルーツの音楽シーンにも光を当てて「アレもあるけどコレもある」という状態にしておかないと音楽が腐りきってしまう。
では、その反対にこの50年で徹底的に安くなったものがあります。
それはナニかご存知か?
答えは「音楽」。
アラ不思議…「安くなった」どころか50年の間にほとんどタダ同然になっちゃった!
色んなことがあったけど、「50年」はやっぱり長いね。
最後にヤッチンがデビューした昭和49年のレコード大賞受賞曲は「襟裳岬」だったそうです。
寅さんのマドンナは、お盆が吉永小百合、暮れが十朱久雄のお嬢さん、十朱幸代だった。
0r4a9122 さて、さてさて!
『50th Anniversary Special Live~Thank You Dear Friend』と銘打ったヤッチンの芸能生活50周年を記念するコンサート。
ステージ奥のスクリーンにコンサートのロゴが映える。60そして客電が落ち、メンバーがステージに現れる中、そのスクリーンに次々とイメージ・スライドが映し出される。70お客さんは一人残らず「Ready!」。80始まった~!
♪ジャカジャ~ン!
まずは盛大なかき回し。
90「みなさま、ようこそいらっしゃいました!」100「本日、めでたく芸能生活50周年を迎えることが出来ました。
今日は最後まで思いっきり楽しんでいってね~!」110vそしてドラムス!
この記念すべきコンサートのために久しぶりに「あのメンバー」が集結した。

ファンキー末吉120v和佐田達彦130v田川ヒロアキ140vsourcesから野津永恒。150v1曲目は「UP BEAT」。160さっそく総立ちの観客を前にいつものポーズを交えて歌うヤッチン。170のっつのエキサイティングなソロ。S41a0718 その間、ヤッチンは上手でヒロアキくんに接近。190そしてヒロアキくんのソロ。
このシャープなサウンドはもちろん…210vマーシャル!
ヘッド「JVM210H」とスピーカー・キャビネット「1960BV」。
ヤッチンの記念すべきショウに大輪の花を添えるにふさわしいサウンドだ!
いつもコレだけど。220v続けざまに「21st Century」。
230vもちろんヤッチンもMarshall。
1月のバースデイ・ライブで使用してスッカリ味をしめてしまった…あ、失敬…スッカリ気に入ってしまった世界中で大人気のSTUDIO CLASSICシリーズから「SC20H」と2x12"キャビネットの「SC212」。205v22世紀までスッ飛んで行きそうなドライビング・チューン!0r4a00642曲目にして客席炎上。
あたかも神田明神のクライマックスの熱狂がそのまま継続しているかのような盛り上がりようだ。0r4a0077 ファンキーさんのドラム・イントロをバックに右手を高々と上げるヤッチン。
立てた指が示す先は「月」。240v_adとなると、曲は「アポロでドライヴ」。250人気曲の連続にお客さんは大喜び。260vこの曲のサビはホントに好き。
私が一番よろこんでいるかも!
とにかく、アポロだけにロケット・スタート大成功!
270「改めましてこんにちは。
ようこそいらっしゃいました!
皆さま、熱い熱い声援を本当にありがとうございます。
今日3月3日…私が芸能界に入ってちょうど50年。
『50年』だって!…ネェ~。
今日は感謝の気持ちを込めて1曲1曲を大切に大切に歌っていこうと思っております。
最後まで楽しんでいってください」
280ココでメンバー紹介と恒例のひと言コーナー。
まずはこの日のために4年ぶりに中国からお帰りになったファンキーさん。
「ホントに今日のライブはかなり前からブッキングされていましてね、コレに合わせて帰って来たというのは本当なんですよ。
他にもブッキングが色々とありましてね、何を考えたのか昨日機材を車から降ろしちゃったんですよ!
で、今日はスティックも持たずに来てしまい娘に取りに帰ってもらったんです。
私は今日、ナニをしにココへ来たのか…お祝いしに来たんでしょうか?っていう感じですね。
今日は余計にドラムスを叩きたいと思いますのでよろしくお願いします!」
300v「曾我さん、おめでとうございます。
去年ボクらも10周年を迎えました。
豪華なメンバーに囲まれての今日の演奏を本当に楽しみにしていました。
今回も曾我さんに鍛えて頂いたコーラスもガンバります!」

そのsourcesの10周年を記念するコンサートのレポートはコチラ
  ↓   ↓   ↓
sources~10th Anniversary LIVE<前編>
sources~10th Anniversary LIVE<後編>

310v「日高です。よろしくお願いします。おめでとうございます!」
ヤッチン曰く「考えてるようで考えてない…でもハートはすごく熱い男。それが日高隼人」
320v「綾太郎です、よろしくお願いします。
曾我さん、50周年本当におめでとうございます。
今日も全力でバックアップさせて頂きますので気持ちよく歌って頂けたらと思います。
よろしくお願いします!」
330v「ヤッチン、50周年おめでとうございます!
50周年ってスゴイと思います…半世紀ですよね。
私も生まれていたかどうかも知らないぐらいの時期ですね。
今日は久しぶりにこのメンバーというのがまたいいと思いますし、次はまた同じこのメンバーで50年後びゼヒ演りましょう!」
340「タテ線の服を着ると細く見えると聞いたので、色のことなんて全く気にせず家にあるタテ縞の服を持って来たんですけどチョットこの場にふさわしくない感じもするんですが…。
本番前に自分の姿を見たらあまり変わらなかったですねネェ…ヤセて見えへんやん!
マァ、ベースで大分隠れてるから大丈夫かなと。
それはそうと、50周年おめでとうございます。
人間、年齢は重なっていきますのからね、やっぱり老いとの闘いでございます。
私の立ち位置から見るとボーカルズの方はいつも後ろ姿なんですね。
ヤッチンは後ろ姿も全然老けていなくてカッコいいんですよ。
コレは良い見本が目の前にいるな…と思って私もチョット姿勢を良くして歩いてたんですけど、先日駅でPASMOを落としたんですよ。
そしたら床がツルンツルンで拾えなかったんですね。
そのかがんだ時の姿!…絶対に不細工やわ~って思ったんですわ!」
わかります!
チョットした段差を下りる時なんかにハッと自分で気づくんだよね。
「アレ?今、ものすごくおジイさんみたいな動きだったナ」って。
ナニをするにも「よっこらしょ!」と言ってしまうとかね。
無理して若ぶって怪我をするよりよっぽどいい…と考えましょう。
350v「今日はこの最高のメンバーでお送りしますのでどうか大いに楽しんでいらしてください!
今日は50周年ということで過去を振り返っての曲もお届けしようと思っております。
さて、50年の間にはやっぱり色んな節目、節目がありました。
そうした中でやっぱりソロ活動を始めた時というのはとても大きな節目でした。
そこでソロ活動始めた時には既に歌っていた曲を2曲お届けします」360まずは…作った時には航空会社の沖縄便のコマーシャルになったらいいなと思ったという「Just summer for you」。
そういえば昔、沖縄旅行のTVコマーシャルってしょっちゅうやっていたもんね。
沖縄が日本に戻ったのはヤッチンがデビューする2年前のこと。
我々が小学校4年生の時。
それまで沖縄は「日本」ではなく「アメリカ」で現地の通貨がドルだということを聞いて驚いた記憶がある。
我々は沖縄の歴史についてもっと知っておく必要があると常々思っているんだけど、詳しいことは他日を期すことにする。
370_jsfyこの曲から加わったsourcesのヴァイオリン・チーム。
 
加賀谷綾太郎380v日高隼人390v美しいヴァイオリンのアンサンブルに包まれてヤッチンが歌うこの曲…「沖縄」というより「カリフォルニア」?
ナゼなら歌い出しのメロディを耳にすると「Darlin'」を連想しちゃうから。
さわやかでヤッチンの声がベストマッチするとてもいい曲だ。400v「ギター、田川ヒロアキ!」とヤッチンがコール。
モジュレーションを効かせたメローなソロ。
でも内容はソロの間に2回も転調する厄介なシロモノ。
410vもう1曲はファンキーさんが叩き出す軽快なリズムが楽しい「Steppin' Out」。440vソロになってこれから何かが起きるんだ!というワクワクした気持ちを曲に詰め込んだという。
まさにそんなイメージの曲。
だからタイトルも「step out」なのね?
ヤッチンはこの曲でソロ活動の第一歩を踏み出したのだ。
S41a0132 デモテープを作っている時、カウベルがなかったので鍋の蓋で代用して夜中に録音したそうだ。
それゆえこの曲の仮タイトルは「午前3時の鍋」だったとか。
あら、そんなタイトルもオツなものですよ!
450v今回いつになくバッキング・コーラスの活躍が目立った。
ヒロアキくんはこれまでにも随所でヤッチンの歌にハーモニーを付けてきたけど…460v_choやっぱりコレはヤッチンに鍛えられて「コーラスの愉しみ」を覚えたというのっつの効果なのかしら?
ずいぶん歌っていたね。
コーラスってオモシロイもんね。470v「さて、ここからは私が芸能界に入った頃のお話をしたいと思います。
今からちょうど50年前の3月の3日…当時『プラチナゴールデンショー』というなんとも輝かしい名前の日本テレビのテレビ番組がありました(タイトルは「プラチナ万年筆」が一社提供していたことから。そんな時代があったのね)。
その番組のレギュラーがフォーリーブス、郷ひろみさん、そして当時のジャニーズ・ジュニアの方々でした。
その番組の中でジュニアのオーディションをやったことがあったんですね…もうこのことは何万回もしゃべって来たのでココにいらっしゃる皆様はもうご存知だと思います。
郷ひろみさんの大ファンだった2つ年上のボクの姉が、弟の履歴書をそのオーディションに送ればもしかしたら郷ひろみさんに会える機会があるんじゃないか?と思ったみたいなんですね。
でも姉もボクもまさかオーディションに合格するなんて思っていませんでした。
当時は今みたいに証明写真のボックスがなかったので、履歴書の写真なんてそう簡単に撮れる物ではなく町の写真館に行く必要があったんです。
なのでその写真を撮るためにおバアちゃんにお小遣いをお願いしたんですね」
290v「ボクは『ジャニーズ・ジュニア』がどういうものなのかも知らなくて『好きな体操が出来るところ』と聞いて体操クラブみたいなものかと思っていたの。
で、コレが50年前にオーデイションに応募した時の写真です。
これで合格したんだよ!」
510「この写真、もう光で飛んじゃって目と鼻の穴しかわからないじゃない?
コレでよく最初の書類選考を通過したナァと…。
しかもまだ芸能界に入ったワケでもないのに勝手に自分でサインなんか考えちゃって!」520v「見たこともないワケのわからないサイン。
多分ボクが書いたんだと思うけど全然覚えてないの」
イヤイヤ、確かに我々が小学生の頃、サインを考えるのが流行りましたよ。
しかし、スゴいサインだな。
コレは二度と同じ風に書けないでしょう…それじゃサインの意味がない!
子供のやることってのは全くカワイイもんだ。
530「そうしたらナントこのオーディションの予選会の結果を知らせる通知ハガキが届いたんです。
書類審査を通過したので、この通知状を持参のうえ3月3日の日曜日に初台の日本テレビの分室にお集り下さいっていう内容。
『3月3日の日曜日』…今日と一緒じゃん!
13時、今日は外で東京マラソンをやっていましたね」
540「その分室のリハーサル・ルームに何百人っていう方々が来ていて、フォーリーブス、郷ひろみさん、ジャニーズ・ジュニアが審査をしているところに10人ぐらいずつ送られていくわけですね。
ボクはその中の75番だった。
コレ見て!もうこんなにビリビリになってる。
50年経つとこんなになるんだね…オレ61だけど。
(客席から笑い声)…滋さんがウケてくれた」
失敬!
イヤ、いつも自分が言っているようなことをヤッチンが言ったので思わず吹き出してしまったのです。
550v「ココには歌を歌える人は譜面を持参のこと…と書いてあるんです。
当時、ボクはフィンガー5のアキラくんが大好きでした。
特に歌手になりたいとか、芸能人になりたいとかっていう考えは全くなかったんですが、アキラくんみたいに歌えたらいいな~と思って、フィンガー5のファースト・アルバムを聴きまくってレコードと一緒に歌っていたんです。
それがキッカケでオーディションの時に『この中で歌える人?』って言われた時にボクは『ハイ!』と手を上げました。
『キミは何を歌えるんですか?』と訊かれて『"ベンのテーマ"が歌えます』って言ったんですね。
そしたら『こんなチビがあのマイケル・ジャクソンの曲を歌うのか?』と周囲の人に驚かれて『じゃあ、歌ってみてください』と言われた、
それでア・カペラで『♪ベン~』って歌ったの。
歌詞が日本語だったので皆さんズッコケちゃったんですが、最後まで歌い切ったらホントにその場がすごく盛り上がったんですね。
このオーディションの受験資格は12歳からで、その時ボクは11歳だったから年齢的にはNGだったんですがジャニーさんが『ボクが彼の面倒をみますから』ということで合格したんです」
【ヤッチンへの業務連絡:この日、話そうと思って忘れてしまったんだけど、私の同級生でスゴいヤツがいるんですよ。ジャニーズ事務所がらみの話。アタシャ腰を抜かして驚いた。今度ご一緒した時にお話しましょう。ヤッチンもきっと驚くよ】
490v「歌える人は譜面(メロディー譜)を持参…」とハガキに書いてある。
ヤッチンの話によれば伴奏してくれるわけでもなし、メロディを記しただけの譜面なんて一体ナニに必要だったのであろう?
知りたいナァ。
しかし、このハガキをよく50年もの間保存しておきましたね~。
ね~、何でもかんでも安易に捨ててしまうのは決して良いことではないんですよ。
私はアンチ断捨離派なのです。
560「ボクの初舞台の時の写真。
3月3日に『ベンのテーマ』を歌ってオーディションに受かって、その2週間後ぐらいに春休みの郷ひろみさんのツアーに一緒に連れて行ってもらいました。
郷ひろみさんと『ベンのテーマ』をデュエットするシーンをショウの中に作ってもらったんですね。
それがボクの初舞台でした」
570「その初日が山口県の防府で、確か飛行機で行ったと思うんですが当時はまだボクは小学校5年生でしょ?
しかも、とても5年生にも見えないぐらい幼かったんですよ。
だからみんなが本当に可愛がってくれて、飛行機乗る時に『ヤッチン、パスポート持ってきた?』とか『ヤッチンね、飛行機乗る時は靴を脱ぐんだよ』って言われて本当に靴を脱いだらみんなに笑われました」
そのチョット前ぐらいまでは飛行機の中は土足厳禁だったからね。580vということでその思い出の「ベンのテーマ」を。
 
のっつのピアノに導かれて…590_bn50年前のオーディションの時のことを思い出しているのであろうか、ヤッチンが思い入れたっぷりにその魅力的なメロディを綴る。600vヴァイオリンの伴奏に…610のっつとヒロアキくんのコーラスが何とも美しい!S41a0453 曲のバックグラウンドもあいまって実に聴きごたえのあるシーンだった。620v芸能生活48周年の時ほか、ヤッチンはこの「ベンのテーマ」を何度か取り上げて来た。
その度にこの曲に関する似たようなことを書いてきて恐縮だが今回も書く。
50周年だから。
 
ヤッチンが働き始めた頃、同じ学年の私はナニをやっていたのかというと、一応中学受験の準備。
おぼっちゃんだったから。
それとモデルガンに夢中だったかな?
そして映画。
映画狂いの父の影響で、その父が薦めるテレビの洋画劇場で放映される作品を全て観た。
だから私は小学校5、6年生の頃にはかなりの量の監督、俳優、作曲家に関する知識を持っていた。
だって淀川長治のラジオ番組を楽しみにしていたんだから。
映画に関しては同じ年頃の子には絶対に誰にも負けなかった…というより、クラスの男の子たちは百恵ちゃんや淳子ちゃん、女の子はそれこそひろみくんや秀樹さんに夢中でロバート・アルドリッチだのウィリアム・ワイラーなんて知っている子は1人もいなかった。
ヤッチンはこの曲をフィンガー5のレコードで知ったと自分の経験を話してくれたが、私は『ウイラード』の続編である映画の『ベン』を観て知った。
この曲は元々はダニー・オズモンドのために書かれた曲で、作曲したのがジョージ・ガーシュインやアル・ジョルソンと仕事をしていたというウォルター・シャーフという人…。
そして作詞が007の主題歌やアンドリュー・ロイド・ウェッバーに詞を提供したドン・ブラックという人…。
こうしたことはヤッチンがこの曲を取り上げていたことで最近知った。
Benで今回、このドン・ブラックという人のキャリアの中にアンドリュー・ロイド・ウェッバーのミュージカル『サンセット大通り(Sunset Boulevard)』が挙がっているのを発見して大いに恥ずかしくなってしまった。
というのは、1996年にブロードウェイの「ミンスコフ劇場」まで観に行ったほど私はこのミュージカルが大好きだったのだ。
今でも好きで時々CDを引っ張り出しては聴いている。
にもかかわらずこの「ドン・ブラック」という名前が頭の外にあったのだ。
それで今回ヤッチンのおかげで「ドンブラ」に対する認識を新たにした…というワケ。
下は私のコレクション。
劇場ではプログラムを販売していなかったので代わりに買ったソングブックとロンドンとブロードウェイのオリジナル・キャストによるCDが2枚。
それと何と言ってもこの作品を観たという証である「PLAYBILL」…コレが一番の宝物。
ブロードウェイの初演では主役のノーマ・デズモンドをナント、グレン・クローズが演じた。
もちろん私はそれを観ることはできなかったが、私がミンスコフで観た時はエレイン・ペイジがノーマを演じた。
エレイン・ペイジはウエスト・エンドの『キャッツ』でグリザベラを演じ、最初に「Memory」をヒットさせたウエスト・エンドの大物。
だからブロードウェイでもスゴい喝采を浴びていた。
『キャッツ』、『エビータ』、『オペラ座の怪人』等々、メガ・ヒット作をたくさん生み出したウェッバーのキャリアにあってこの『サンセット大通り』は失敗作の部類に入るのかも知れない。
私は元々ビリー・ワイルダーが作った映画がトコトン好きでこのミュージカルに興味を持ったんだけど、ジャズ色の濃いこのミュージカルが本当に好き。
リード・チューンの「As If We Never Said Goodbye」なんて聴いてごらん。
いい曲すぎて涙が出ちゃうよ。Img_0243もうひとつネズミの「ベン」にちなんで…。
緒形拳と夏目雅子の主演で映画にもなった吉村昭先生の『魚影の群れ(新潮文庫刊)』という短編集に収録されている「海の鼠」という話。
1950年に愛媛の日振島という離島で異常発生したネズミと住民の戦いを描いた作品。
昔、『ガンバの冒険』というTVアニメがあったでしょう?
この作品を読めば主人のガンバがなぜあれほどまでに「ノロイ」というイタチを怖がっていたかの理由がわかるよ。
ネズミ好きの人にはタマらない一作。
反対にネズミがキライな人は絶対に読まないようにしましょう。
脱線終わり。Unヤッチンのやさしい歌声と郷ひろみさんの歌声がどう絡み合っていたんだろう…聴いてみたかったな。
あの声で「ベンで~す」ってやったのかな?
ちなみにYouTubeをチェックしたけど見つかりませんでした。630_knokもうひとつヤッチンがフィンガー5のレコードに合わせて歌っていたという「気になる女の子」。
最近もTVコマーシャルに使われていたね。640フィンガー5がこの曲を焼き直したのが1973年。
私は当時はゼンゼン知らなかった。
その後何となくはこの曲を知るようになったけど、それを確実にしてくれたのはいつかライブにお邪魔したThe Paisleys(ザ・ペイズリーズ)なんだよね。
元はアメリカのメッセンジャーズ(Messangers)というチームの1971年のヒット曲なんだけど、そんなだから私にはコレがヤッチンが作った曲に聞えて仕方ない。
また雰囲気がすごくマッチしているからね。
650v今日もこの曲を軽快に楽しくキメて見せてくれたヤッチンなのであった!
しかし、フィンガー5ってのは衝撃的だったよね。
クラスの子たちはみんな「♪恋のテレフォン・ナンバー」って歌っていたもんね。
その前の「個人授業」が1973年。
幼かった我々には考えが及ばなかったけど、前掲したようにその前年の1972年に沖縄が日本に返還され、沖縄出身のフィンガー5は世情の象徴みたいな存在でもあったんだろうね。
そしてフィンガー5は本土に進出する沖縄のミュージシャンたちの嚆矢となったことは間違いない。
何しろいまだにそこらじゅうで「♪ヘ~イヘイヘイヘ~イヘイ」ってやっているんだからスゴイ。
0r4a0083 <つづく>
 

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200 (一部敬称略 2024年3月3日 日本橋三井ホールにて撮影)