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2019年3月18日 (月)

【訃報】内田裕也さんのこと


内田裕也さんがご逝去されたことを今朝テレビのニュースで知った。
まさに「ロックの巨星」墜つ。

今月の初めにあるイベントで加納秀人さんとご一緒させて頂いて、楽屋でたまたま外道の「ロックンロール・バカ」の話をした矢先のことであった。
仕方のないことなのかも知れないが、ニュースを見ていて「樹木希林さんの配偶者」や「ロケンローラー」としての「内田裕也」ばかりが喧伝されていることが気になった。
もちろんそうしたプロフィールに間違いはないのであろうが、私としては裕也さんの「日本におけるロックのパイオニア」的な側面に触れてもらいたいのである。

50vたとえば1974年8月に郡山で開催された「ワン・ステップ・フェスティバル」。
「和製ウッドストック」として今でも年配のロック・ファンの口に上ることが少なくない。
私がまだ小学校6年生時分のことなので、残念ながら当時は開催したことすら知らなかったが、コレも裕也さんのご尽力によるもの。
開催から1か月後に出版された『ミュージック・マガジン』に裕也さんの回想録が掲載されていて、今読むとコレがすこぶる面白い。
親身になって協力してくれた出演者やスタッフに対する丁寧なお礼が綴られている反面、ロックに理解を示しているとは到底思えないマスコミや役所や業者に対する不満や怒りを実名で斬りまくっちゃうのだ。
それをそのまま掲載する中村とうようさんがまたスゴイ。
ロックが市民権を得る前の、「ロック」が「ロックだった」時代の話である。
下の写真は『ミュージック・マガジン』のクロニクルで、私もコレで記事を読んだのだが、ページをめくると、とうようさんの連載エッセイ『とうようズトーク』が続いていて、とうようさんもワン・ステップ・フェスティバルについて怒っていらっしゃる。
とうようさんが怒っている相手はそこに来たお客さん。
ゴミを盛大に捨てて帰ってしまったのだ。
フェスティバルが終了した翌朝、とうようさんと裕也さんでゴミ拾いを手伝った…という。
裕也さんもツラかったと思う。
日本でロックを普及させたい一心でやっているのに、ロックを楽しむ連中がそうした不道徳なことをしていたら面目丸つぶれだもんね。
今のロック・フェスはこんなことはないだろう。45年前の話である。

20その翌年の1975年にはジェフ・ベックやニューヨーク・ドールズ、フェリックス・パッパラルディらを招聘し、後楽園球場で『第1回ワールド・ロック・フェスティバル』を開催。

340v 続いて1976年2月の『YUYA PRESENTS 浅草最大のROCK SHOW』。
2年前からコンタクトを取っていたというフランク・ザッパを今はなき浅草国際劇場に呼んでしまった。
サポート・アクトは裕也さんのバンドの他に麻生レミと井上堯之ウォーターバンド、コスモス・ファクトリー、そして四人囃子。
大二さんがエレベーターでフランク・ザッパと2人っきりになってしまって「とてもコワかった」というのは私の好きな話。

150v_2 コレはその時のコンサート・プログラム。
「大入り袋」を模しているのでホンモノは赤い装丁なんだけど、コピーしか持っていない。
袋の宛名が「内田裕也様」になっている。
30年チョット前に京都の「Joe's Garage」というレコード屋さんでコピーしてもらったヤツ。

30「ワールド・ロックが終わってホッと一息という感じでもなくて、ジッとしていては何も残らないんで…」と企画したのだそうだ。
"内田裕也 こんどは浅草に殴り込み"…やっぱりこの公演がニュー・イヤー・ロック・フェスにつながったんだろうね。
昔のロック・ファンにとっては「国際=ニューイヤー」だったからね。
何度か自転車に乗って楽屋口を見に行ったナァ。
ニューイヤーは46回も開催したそうだ。偉業だよね。

40v_2そして裕也さんはザッパの記者会見を国際劇場にほど近い吉原の松葉屋で行った。
やることがイキじゃないか~。
松葉屋はかつては妓楼だったようだが、引手茶屋(お客さんと妓楼の仲介役)として名高く、売春防止法が施行された後、「花魁ショウ」を考案し、それが「はとバス」の見学コースに組み込まれて大当たりした。
下の写真に写っている真ん中のマンションは松葉屋がかつてあった場所。
裕也さんとザッパがココにいたのだ。 

100v_2 「裕也さん」などと馴れ馴れしく書いているが、私はご本人とお話したことすらない。
何度もお行き会いはしているんだけど…。
しかし、1度だけお写真を撮らせて頂いたことがあった。
それが一番最初と下の写真。
2013年8月に渋谷のDUOで開催された『桑名正博さんを偲ぶ会』の時のこと。
カッコよかった。
 
80年代に入りロックという音楽が完全にビジネスと化し、急速に普及した反面、オリジナルのロックが持っていた魅力が薄まって行くのを裕也さんはどうお感じになられていたのか。
今の「ありがとロック」はどうだったんだろう?
そして、アニメーションの女の子たちがバンドをやっている姿をどう思っていらしのだろうか?
やっぱり「俺にはコミック雑誌なんかいらない」かな?
 
偉大なる日本のロックのパイオニアのご冥福を心からお祈り申し上げます。

10v(一部敬称略)
 

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