【姉妹ブログ】
【Marshall Official Web Site】
Marshall Blogに掲載されている写真並びに記事の転載・転用はご遠慮ください。

« レガシーは生きている | メイン | KRUBERABLINKA ~ 秋の大演奏会 »

2017年12月 4日 (月)

さよならマット・ユマノフ!~私とニューヨーク

 
実際には既に金曜日の時点で12月に入っちゃってるんだけど、改めて時の早さに驚きますナァ。
2017年ももう終わりだもん。
モダン・ジャズ・ピアノの開祖として知られるバド・パウエルに『Jazz Giant』というアルバムがある。
『ジャズの名盤』に数え上げられることもあって、私も20台の頃はよく聴いた。
このアルバムの1曲目を「Tempus Fugue-It」という。
凄まじくドライブするマイナーのバップ・チューン。録音は1949年。
穐吉敏子もソロ・アルバムで取り上げているが、ピアニストの他にもマイルス・デイヴィスなんかも録音している。
それだけカッコいい曲…マイルスはカッコいいこと以外は絶対やらないから。
で、そのタイトル。
コレはチョットしたシャレになってる。
クラシックが好きな人は「Fugue」が「フーガ」であることはすぐ読み解けると思う。
元は「Tempus Fugit(テンパス・フュージット)」というラテン語。
意味は「光陰矢の如し」。
英語で言えば「Time flies like an arrow」…と教えるのは日本の学校。
ネイティブの人はこんなこと言わない。
「Time flies!」だ。
そんな「Tempus Gugue-It」のテンポのようにブッ早い時の流れの中で世の中がガンガン変わり、それによって色んなことが起こるネェ。
良いことももちろんあるけれど、音楽業界に目をやると、ITテクノロジーの進化でソフトもハードもズタズタにされているように見える。
CDの開発までで止めておけばヨカッタんですよ。
そして…。  
コレはちょっとショックだったナァ…。

T_3img_5346 マンハッタンはグリニッジ・ヴィレッジにある老舗の楽器店、Matt Umanov(マット・ユマノフ、「ウーマノヴ」が正しい発音かな?)が昨日閉店した。
リペア部門は今後も継続するらしいが、かつてはボブ・ディランも通ったという1965年開店のニューヨークの名物楽器店のひとつがなくなってしまうのはとても寂しいことだ。
いつも「ロンドン、ロンドン」と騒いでいるのは、色んなことを知るにつれて、若い時あれほど憧れていたアメリカが「チョット、チョットチョット」の国であると思うようになった背景もあるんだけど、ニューヨークだけは別。
今でも、いつでも行きたい街であることに変わりはない。
この楽器店のことをからめてたまにはニューヨークの思い出なぞを…。

10私が初めてニューヨークに行ったのは1995年のことだから、22年も前のことになる。
ナニをしに行ったのかというと、デヘヘ、遊びに…。
ジャズとミュージカルと美術館の旅だ。

15まだ、前の前の会社に勤めていた時のことで、その会社のニューヨーク支店の方々に大層お世話になった。
コレは3rdアヴェニューにあるその会社の事務所で撮った一枚。
ね~、窓からクライスラー・ビルが見えるんだよ。
東京じゃどうガンバってもスカイツリーが関の山だもんな~。
以前はパーク・アヴェニューにあるあの有名なパンナム・ビル(現メットライフ・ビル)に事務所を構えていたが、アホほど家賃が高いとかで何年か前にこの3rdアヴェニューに引っ越してきていた。
残念!
この頃のマンハッタンは、128丁目以北や8thアヴェニュー以西、そしてアルファベット・アヴェニュー以外であれば安全と聞いていたが、駐在の方から「先週も1stアヴェニューで追いはぎがあったんだよ」という話を聞されてビックリした。
その方は、移動の際にはどんなに近距離でもタクシーを使うとのこと。
「だって、相手は銃を持ってるんですよ。ズドンで終わりですから」と言っていたのがとても印象的だった。
そんなことを聞かされてはいたものの、着いたその日の晩にひとりでグリニッジ・ヴィレッジのブルーノートに繰り出し、パット・マルティーノとジョー・ロヴァーノのダブルヘッドライナーを観た。
久しぶりの海外旅行で興奮していたのか、身体はクタクタのハズなのに全く眠くならなかった。
次の日も、またその次の日も夜になると目が冴えて、寝付いたかと思うとすぐに目が覚めてしまう。
この時、人生で初めて時差ボケのツラさを知った
しかし、この頃は毛があったな~。
今は「お怪我(毛が)なくてヨカッタ」ってか?「大山」じゃねぇ「ミューヨーク」詣りしてんだよ。

17vちょうどこの時、フランク・ザッパのベスト盤がリリースされた時で、HMVの店頭にザッパの顔がズラリと並んでいてうれしかった。
昼は美術館や名所めぐり、夜はミュージカルやコンサートを観て、それからヴィレッジのライブハウスにジャズを聴きに行くということを繰り返した。
そう、丸っきり『踊るニューヨーク』のフランク・シナトラ状態だった。
楽しかったな~。
でも、このために1年近く前から、ニューヨークに関する本や映画に目を通し、丹念に下調べをした。
行く頃には郵便配達ができるぐらいの知識を蓄えていたんよ。
ところが!
英語にはかなり難渋した。
ナメていたのね。
向こうに行ってすぐに気がついたのは、現地の連中は「英語ができないヤツは相手にしない」ということだった。
とにかく現地の皆さんの態度が冷たい。
ホームの連中は日本に来ている外人と違ってやたらと愛想が悪い。
こっちは完全アウェイで、まったくのオマケなし。
反対に気がついたことは、「コレ、英語ができたらこの何倍も楽しいんじゃないの?」ということだった。
そして、その場で英語を勉強し直そうと決心したのであった。

16とにかくガッカリしたのは楽器屋だった。
ニューヨークにはロンドンのデンマーク・ストリートやお茶ノ水のようなところが西48丁目にあって、サム・アッシュやマニーズのような店がズラリと軒を連ねていた。
この頃はまだギターに夢中で、希望に胸を膨らませてイの一番に訪れたのだが、ゼンゼン期待はずれだった。
チョット程度のいいストラトキャスターを見つけると日本製だったり、汚い割には値段が破天荒に高かったり…。
「ダメだ、コリャ…」と諦め、事前に調べて置いたグリニッジ・ヴィレッジにある楽器店に期待をかけた。
その店がマット・ユマノフだった。
 
グリニッジ・ヴィレッジに行った時、11時の開店を待って店に飛び込んだ。
その時のことが「旅日記」に記してある。
アタシャ、元来こういうことをするのが好きでしてね。
昔からマーシャル・ブログをやっているようなもんでさ。
でも、こうして書いておくと絶対に忘れてしまうような些細なことも後に思い出すことができてすごく楽しいね。
ナニナニ…フムフム…なるほど、この頃はホントに一生懸命ギターをやっていたんだな~。
長野市のパブでハコバンをやってたからね。
ギョエ!途中でヤバいことが書いてある!
ま、この時はマーシャルに勤めるなんてことは夢にも思っていなかったのでご愛敬ね。

50上のメモにあるように、お店ではウィットという日本人の奥さんがいる若い店員が相手をしてくれた。
日本語なんてゼンゼンできないのよ。
にもかかわらずアンケートに答えてくれっていうワケ。
質問は「どうしてこの店に来たのか」ということなんだけど、もちろんこっちは英語で説明なんてできるワケがない。
何とか知っている単語で「日本にいる時に、前もって調べて来た」と伝えたいのだが、どうもうまくいかない。
すると彼は「Come across?  Come acorss?」ってしきりに訊いてくるんだよね。
何とかして私の答えを「I came acorss your store」にしたいようなのだが、何しろコッチは「come across」の意味がわからない。
面倒だから「ハイハイ、『かむあくろす』って答えればいいんでしょ」と心で思い、最終的に「Yes」と答えた。
彼は「ほおらね!」と言わんばかりにニコリとしてくれたが、コレは「タマタマ出くわした」という意味で、私の本意ではなかった…ということが大分後になってわかった。
おかげで「come across」は一生忘れない英語表現のひとつに昇格した。
  
ところでマクドナルドをはじめとした海外のファストフード店って有色人種の店員ばかりでやたら不愛想じゃない?
ロンドンなんかはそうでもないけど、ニューヨークなんかはヒドイというか、もはやコワイというか。
小声で注文などしようもんなら「ハアアアア?」と、まるでテレビドラマに出てくる殺人事件の取調べの刑事のような迫力で攻めて来やがる。
で、「Here or to go?」なんて眼光鋭くドスのきいた声で聴かれると完全にビビってしまって、そこで食べて行くつもりだったのに、つい「トトト、トゥ、ゴウ」と答えてしまったりして。
それでワザワザ袋に入れてくれたハンバーガーを店内で食べる時の後めたさと恐ろしさね。
その店員の死角の席に座って隠れて食べたりして…。
さすがに今はこんなことはないけど、以前は「コーヒー」を頼んで普通に「コーラ」が出て来たこともあった。
「コー」しか聞いていない。確認もしない。
もちろん何の文句も言わずにそのコーラをおいしく頂戴しました…とさ。
やっぱり日本が一番いいわ。

40で、その時買ったレス・ポールがコレ。
セス・ラバーが巻いたピックアップが乗ってるんだって。
翌年、イリジウムに行った時、レス・ポールご本人にこのギターの写真を見せたところ、「ああ、キレイなギターだね~」と言ってくれた。

20vね、「MATT UMANOV GUITARS」というステッカーが貼ってあるでしょ?
私がこのギターを買ったようすを見ていて他の店員がやたらと「いい買い物だ!」みたいなことをうれしそうに言っている。
私も実際気に入って買ったものなのでそう言ってもらえると悪い気がしない。
しかし、よくよく聞いてみると、このレスポールはその店員の委託品だったの。
道理でホメるワケだわ。
コレに立派なリユニオン・ブルースのケースが付いていた。
 
結局、48丁目の楽器店よりは魅力的な品ぞろえではあったが、それでもヒックリ返って驚くようなモノがズラリと並んでいるようなことはなかった。
ところが…。
途中でトイレに行きたくなって貸してもらうように頼んだ。
「ああ、どうぞ。アッチだよ」と店に裏に連れて行ってもらった。
すると、そこには大きなガラスのショウ・ケースが置いてあって、あるわあるわ!
中に収まっていたのは、ビンテージのL5、L7、L6S、ピッカピカのTal FarlowやJohnny SmithやBarney Kessel…この時はフルアコしか興味がなかったのでフェンダー系のギターは記憶にないが、きっとスゴイものがあったのだろう。
そういうことです。

30翌年、リターンマッチをやった。
再度ニューヨークを訪れたのだ。
この時に備えて1年間、ミッチリ英語の勉強をした。
朝から晩までやった。
まず「出る単」の内容を1冊頭に入れて、NHKの英会話のプログラムは初級からビジネス英語まですべて録音。買って来た教本と首っ引きで取り組んだ。
ブックオフで良さそうな英語関連の書籍を見つけると片っ端から買い込んだ。
営業でひとりで車に乗っている時はズ~っと英語のテープをかけて耳を鍛えた。
英字新聞のスクラップもやった。
当時は長野に住んでいたのだが、家内が近くに住んでいる外人を探して来て個人レッスンをしてもらった。
ま、コレだけやっても所詮は付け焼刃。
とても完璧というワケにはいかなかったが、それでも英語の勉強が楽しくなったし、さほど英語がコワくなくなった。
ポイントは語彙と文法ということもわかった。
そして、もうひとつ。
よく「アタシって~、外人の言ってることは~、だいたいわかるんだけど~、しゃべれないんだよね~、ウケる~」みたな話を耳にするが、コレは絶対ウソ。
「わかっている」ような気になっているだけ。
相手の英語が聴き取れる能力がある人は、その前にしゃべることができるって!
ナゼかというと、しゃべる時に適切な単語が見つからないことはあるにしても、「ナニを相手に伝えたいか」を見失うことはない。自分のことなんだから。
それに相手は世界中のヘタクソな英語に慣れているので、何とかそのヘタな英語を理解してくれようと歩み寄ってくれるのが普通だ。
つまり助け船を出してくれる。
中にはものすごく勘のいいのがいて、60%ぐらいしか英語で説明できていないのに120%以上理解するヤツがいるんだよね。
一方、外国語を聞きとるのは本当に大変なことだ。
ナゼなら、ナニが出て来るかわからないし、頼れるのは自分の聴き取り能力だけだから。
聞くことのない単語が出てきたら、もう理解のしようがないでしょ?
「辞書を引かなくても単語の意味がわかるようになる」なんて言うけど、コレもウソ。
「意味が分からなくでもごまかせるようになる」だけの話。
もちろん何度も聞き返すことも構わないのだが、人によっては3回目はNGになることもある。
だからまず気を付けるべきは、少なくとも肯定文か疑問文の区別をつけられないとかなり恥をかくことになる。
「What....」と訊かれて「Yes」と答えたところ、「'What'に'Yes'の答えはない!」と注意されている人を目の前で見たこともある。
  
「『聞く』は『言う』よりムズカシイ」、すなわち、「攻撃は最大の防御なり」…ということもわかって意気揚々と再度ニューヨークに乗り込んだのであった。
その結果…恥ずかしがらずに色々な局面でこちらから積極的に話をすると、なるほど前回とは大違い。
どこでもみんなニコニコしてとても親身になって応対してくれるではないか!
とてもうれしかったね~。
そして、再度マット・ユマノフを訪れた。
今回はオーナーのマットに会うことを前提にお土産を持参した。
海苔だ。
首尾よくマットに会ってそのお土産を渡したところ大いによろこんでくれて、お店の黒いオリジナルTシャツをお返しにとプレゼントしてくれた。
さっそく昨年私の面倒をみてくれたウィットに面会を申し入れると既に辞めてしまったという。
代わりに私の応対をしてくれたのは…アレッ?!
去年もお店で会った私のレスポールの前の持ち主じゃないの!
彼の名前をズィークといった。
向こうも私のことを覚えてくれていて「ヨォ!どうだい、オレのレスポールの調子は?」ってなもん。
「オレのレスポール」だっての。キミのじゃない。
「今回はどうするんだい?」と訊かれて、「安いSGかテレキャスターがあれば買って行こうかと思っているんだ」…コレぐらいのことはもう英語でラクラク言える。
予算を告げると、さすがにSGはムリだという。
じゃ、ということで下のテレキャスターのアメリカン・スタンダードを買うことにした。
約60,000円だった。

60vおしゃべりをしている時に当時私が大好きだったピックをズィークに見せた。
「ジョン・スコフィールドだね?」と、すぐさま言い当てた。
「でもね、本物はこのサインが金色なんだよ」と付け加え、「彼はこの店に来るの?」と私が尋ねると、「ウン、時々来るよ」と答えた。
本場やな~。
そうしている合間も店内の電話がジャンジャン鳴る。
すると、電話を取り次いだ店員が呼び出された人に受話器を渡しながら「ジョン!ギブソンから!」とか「フェンダーからだぞ、ポール!」とか言うワケよ。
MarshallからSkypeがかかってくる今なら何とも思わないけど、当時はコレがメッチャカッコよくてね~。
本場ならではの光景でしょう。
日本だと「〇×楽器さんから」とか「△□商会からお電話です」ということになる。

70その後、数年して私は楽器業界に転職し、楽器の輸入販売の仕事に就いた。
さっそく何か最新の海外のヒット商品を輸入できないものか?と考えた私はズィークに連絡を取ってみた。
メールなんてまだ普及していない時代だったのでファックスだ。
自分が楽器業界に転職したことと、彼が持っていたレスポールを愛用していることを伝え、「今、ニューヨークで最も流行しているグッズを教えてくれ」と頼んでみた。
すると、すぐに返事が来た。
「It makes me happy that my Les Paul is being enjoyed by a fine guitar player」だって。
もちろん社交辞令である。
そして、1998年当時、ニューヨークで猛烈に流行しているアイテムとして…

T_img_5319このホンモノのタバコの空き箱で作ったアンプを紹介してくれた。
すぐに買って送ってもらったが、その会社で取り扱うことはなかった。
コレ、どこ行っちゃったかな?
  
コレが最後のマット・ユマノフとの交流だった。
この後、一度だけNAMMの直前にニューヨークに行ったが、マット・ユマノフを訪ねることはなかった。
代わりにすごい光景を目にした。
その日は信じられないほどの大雪で、人っ子ひとりいないタイムズスクエアを目撃したのだ!
写真を撮っておけばヨカッタな~。
後で知ったことなのだが、実はそれは雪のせいだけではなくて、スーパー・ボウルの試合が重なっていたからだったらしい。
冬季にニューヨークを訪れたのは初めてのことだったので、『真夜中のカウボーイ』のあの道路から吹き出る湯気を見て興奮したっけ。

80vそれから数年して、ギターセンターがニューヨークに進出したことにより48丁目の楽器店街は壊滅状態に陥ったと聞いた。
その情報を耳にした時、マット・ユマノフがヴィレッジにあってヨカッタと思った。
そして、そのギターセンターも経営が苦しいという話を最近耳にした。
通販の隆盛である。
「実際に弾いて試さないでギターを買うのかね~」なんて台詞をもう日本でもスッカリ聞かなくなった。
アメリカはシアーズをはじめとして元々通販の盛んな国なので、ひとたびギターが通販で普通に流通し出せば小売店はひとたまりもないのであろう。
そして、とうとうマット・ユマノフも斃れた。
少し前にスタテン島のマンドリン・ブラザーズも終わったとか…。
さらに世界でも一、二を争うギター・メーカーも今や苦しい経営を強いられているとウェブサイトのニュースが報じていた。
あと数年したらギターを楽しむ人がこの世からいなくなってしまうのではなかろうか?
冒頭でも触れたが、この原因はもちろん流通の変化によるものではなく、ITの普及により音楽が無料になってしまったことが根本的な原因だろう。
おかげで音楽の質が低下して、ギター・ヒーローもいなくなってしまった。
一体どこまで変わっていくのやら…。
日本でこの現象を歓迎しているのはTシャツ屋とチェキ屋、それに今治の方々か…。
そういえば、私がニューヨークに行った時にはワールド・トレード・センターがあったんだよな~。
  
最後に得意の「三大」でこの記事を〆てみると…。
「自分の人生を変えた三大出来事」は…まず、家内に出会ったこと。
それからジャズを知ったこと。ココから音楽の愉しみが飛躍的に広がった。
そして、英語を覚えたこと…と言っても、まだまだゼンゼン使い物にはならないが、結論としてこうしてMarshallで働き、毎日のように英語を使っているのは驚き以外の何物でもない。
それもこれも、この2度のニューヨークの旅があったからなのだ。
Tempus Fugit…今日はちょっとセンチな気分でマット・ユマノフの個人的な思い出をつづらせて頂いた。
   
ちなみに、1回目の渡航にはカメラだけ。
そして2回目の時はビデオを持って行った。
もちろん私のことなので、微に入り細に穿ちテープを回したが、帰って来て1度はそのビデオを見たが以降2度と見ることはなかった。
ビデオはテレビなりパソコンの前で構える必要があるし、どうしても一定の時間がかかってしまう。規格もすぐに変わっちゃうし。
動きもしなければ音も出ないけど、写真はこうして気軽に引っ張り出して好きなところだけ見れるのがいいし、思い出を書き込んでおくこともできる。
2回目も写真にしておけばヨカッタ…と少々後悔している。
やっぱり私は写真派だ。

90