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2017年10月31日 (火)

Kelly SIMONZ'S BLIND FAITH:Tokyo Kinema Club the 14th~OVERTURE OF DESTRUCTION 2017~ <後編>

  
10月31日、今日は待ちに待った…感が以前に比べてスッカリ縮小してしまった感じがするハロウィン。
そうでもないのかな?
まさか日本にも定着して、当たり前の光景になったがゆえ目につかなくなったとか?
でも、とにかくマスコミの取り上げ方は2、3年前より絶対に熱が冷めたようには見える。
ハロウィン・ファンの皆さんにはゴメンなさいなんだけど、私はコレは最も日本に必要のない外国の風習だと思ているから。
でも、もし自分が若い時に日本に入って来ていたらどうなんだろう?
先頭切ってフランク・ザッパの仮装かナンカしてたりして。
イヤ、やらんな。
流行りモノが何しろ苦手なアマノジャクなもんスから。
    
さて、ニュー・アルバム『Overture of Destruction』からの新曲と既存の人気曲を絶妙に絡み合わせて展開している14回目のKelly SIMONZ'S BLIND BAITHの東京キネマ倶楽部公演も早くも後半に突入する。

05ステージには再びYAMA-Bが登場。
Kellyさんは「ギターに専念=思う存分弾きまくれる」状態。

10_2曲はニュー・アルバムから「Regeneration」。
YAMA-Bの伸びやかな声が会場に響き渡る。
「regeneration」は「再生」とか「改心」とかいう意味。
元は「generate」。
「generate」という言葉は「何もないところから何かがボコッと生まれて来る感覚」って誰かが言っていたな。
「gen-」というのはギリシャ語で「生む」という意味。
「創始」みたいな意味を持つ「genesis」も当然同じ語源。
そこで、よく「ジェネレーション・ギャップ」とかいうでしょ?「世代間の相違」ってヤツ。
で、不思議なのは「generation」がどうして「世代」という意味になっちゃうか?
コレは調べた。
わかったのは「generation」という言葉には「生命が発生して、成長し、死に至る過程」という意味があるんだって。
この言葉を「世代」と翻訳した人は天才だね。
何語でも最初に辞書を作った人たちって本当に尊敬するわ。
だって、これこそ「generate」でしょう。
何もないところから作り出したんだから。
そして、辞書といえばOED。
最も権威ある英語の辞書、Oxford English Dictionary。
コレの編纂の物語の本を読んだ。
また、別の機会に触れたいと思う。
本としてはおもしろくなかった。

20v「♪There's no fear, thre's no break」のところがすごくいいな~。
比較的短めな曲だが密度はかなり濃い。

30v『At the Gates of New World』から「Boud for Glory」。
この辺りは誰も手を付けられませんナァ。
蒸気機関車に石炭を過剰にくべたかのような爆走状態!
中間部のバロック・パートがカッコいいんだよね。
私は今は時代を問わず幅広く聴いてクラシック全般の勉強をしているが、バロックだけはチト…。
でもね、Kellyさんがこうして曲に取り入れてくれるので、コレだけでOK!

40v_bfgどんなにステージが興奮状態にあったても冷静にかつ的確にバンドを低域を支えてバンドを全身させるKAZさん。
しっかしEDENの音ってのは驚異的に音ヌケがいいナァ。

50v華やかなドラミングでKellyさんとその音楽を徹底的に鼓舞するYosuke Yamada。

60v_2後半も超絶好調のBLIND FAITH!

70_nisYAMA-Bと一緒にもう一曲。
コレも『At the Gates of a New World』から「Nobody is the Same」。

80v_2いいわ~。
完全にオールド・スクールのハード・ロック状態。
Kellyさんはこういうのもウマいんだよな。
ちなみに「Nobody's Perfect」というのはハリウッド映画の中で最も有名なセリフ。
作品は『Some Like it Hot』。
お熱いのが好きな人にとっては、この紫色の一編が完璧なものに響くだろう。

90ココでYAMA-Bが再びステージを降りて3人の演奏となる。
曲はガラリと変わってインスト・バラード、「The End of the Beginning」。
私はこの曲を初めて聴いた時、テレサ・テンの「つぐない」を連想して、一発で覚えてしまった。
霊長類史に永久に名を残すであろう2人の天才作曲家、George Gershwinの「Someone to Watch Over me」とDuKe Ellingtonの「In a Sentimental Mood」の出だしがソックリ同じように、いいメロディってのは似通っても気にならないものだ。
やはり誰の耳に入り込みやすい印象の強い旋律ということなのだろう。
そもそも「メタルと演歌」、「パンクと童謡」は紙一重だと思っている。
日本人のDNAが疼くのだ。
つまり人の心にまず入り込む、ということなんでしょうな。
それを手伝っているのがコーラスの最後の方に出て来る減5度の「D」の音(実音)。
Roy Buchananの「The Mesiah will Come Again」にも同じ手法が出て来るが、この音にハッとしないリスナーはいないだろう。
しかし、「名曲」ってのはナニがそうキメるんだと思う?
売り上げ?
私が思うに、名曲かどうかをキメるのは「時間」ではないか?
いくら売れても忘れ去られている曲なんていくらでもある。
つまりその曲は「時間に負けた」ということ。
売れたかどうかもわからないけど、それこそ「世代」を超えて歌える歌ってあるじゃない?
そういうのが「名曲」なんだろうナァ。
いつかね、若いバンドのメンバーと食事をした時、「今は支持されていても、ボクらの曲は世の中には残らないでしょうね」と言った子がいた。
私は「残念ながら無理でしょう」と正直に答え、自分なりの理論でその理由を説明した。
でも、その子たちは応援してあげたいと思った。
少しでも自分たちだけの音楽を作ろうともがき苦しんでいる姿勢が感動的だったからだ。

100v_eob前半で演奏した「Sea of Tears」同様、私にはこの曲もGary Mooreへのオマージュに聴こえるが、またかなりテイストが違うところがおもしろい。
しかし、全身全霊を傾けて一音一音ヒットする姿勢は全く変わらない。

120キタキタキタキタキタ~!
Kellyワールド前回の「Allegro Maestoso」。

130_am演っている方は大変だろうけど、面白いほどに弾きまくる!
気分爽快!
Kellyさんにはコレに似た写真をお気に召して頂いて最近方々でお使い頂いている。
うれしいね!
一生懸命シャッターを切っている甲斐があるってものです。
しからばてーんで、Marshall Blogは別バージョンを!
140v_2この曲も「Opus」のように続編を期待しております。
もちろん、タイトルは「Prestissimo Virtuoso」。

135同期のピアノをバックに熱唱するKellyさん。
ニュー・アルバムからのバラード「You're my Love」。

150_ymlYosukeさんのドンガラガッタで始まるのは"The Wrath of Gaia" suite N0.1-3」。
タイトルが示すように、10分にも及ぶインストゥルメンタルの組曲。

160v_wog「wrath」とは「激怒」の意味。
ジョン・スタインベックがピューリッツァー賞を獲得し、ノーベル文学賞受賞の主な対象となった名作「怒りの葡萄」の原題は「Wrath of Grapes」という。
原作も映画も見たけど、イヤな話だわね、アリャ。
「Gaia」は今では「地球」を意味するが、元はギリシャ神話の最古の大地の女神のこと。
Kellyさんは「みんなが地球を大切にしないから大地の神様が怒ってるんだよ!」とこの雄大な曲を通じてメッセージを送っているのだ。
ホント、温暖化はマズイって!

170このパートは組曲の「No.2」になってくるのかな?
曲が静かになってアコースティック・ギターが旋律を奏でるところ。
ココの演出がすごくいいな。

190目まぐるしくシーンが変わっていく長尺な曲も何のその。
3人のアンサンブルは完璧!

180v_2後半はガイアが怒っているところ?
大地の神様よりコワいぐらい弾きまくるKellyさん。
こうしたインストのストーリーものってのはおもしろいな。
秋吉敏子にも「Minamata」という曲があった。
静かな村に企業が入り込み、村は大いに繁栄を謳歌する。
しかし、その企業がタレ流す有機水銀を摂取した魚を村人が口にし、公害病が蔓延。
村は不幸のどん底に突き落とされる。
企業の名前は「チッソ」、病名は「水俣病」。
敏子はこの悲劇を「平和な村」、「繁栄とその結果」、「終章」という3つのパートからなる組曲に仕立て、村の平和をフルートで静謐に、そして繁栄を凄まじいジャズ・オーケストラ・アンサンブルで、更に病気が蔓延する恐怖を能楽を使って表現した。
興味のある方は1976年の『Insights』というアルバム、そのライブ・バージョンが1977年の『Live at Newport II』というアルバムに入っているので是非聴いてみてくだされ。

200v_2Yosukeファンの皆さん、お待たせしました!
本編、最後の最後でドラム・ソロ!

210_dsまさに燃え尽きんばかりの熱演!
「ヨースケ~!」
客席からは盛んに歓声が飛ばされていた。

220v_2三度ステージにYAMA-Bが上がり「N.W.O」で本編を締めくくった。

230_nwoコレはシングルっていうことになるのかな?
教則本や全国各地で開催しているクリニックを通じて後進の育成にも積極的に取り組んでいるKellyさん。
「Future Destination」と「Twilight of a Life」というギター誌やコンテストでおなじみの2曲とそのバッキング・トラックを収録した一作がコレ。
収録曲がそのままタイトルになっている…ということは、昔で言えば「両A面シングル」ってヤツやね。
何でも昔風に通訳してもらわないとようわからへんがな、年寄りは。
しかしね~、kellyさんってエライと思うんだよね。
曲を作って、定期的に音源を作って世に送り出してるでしょ?
仕事だから当たり前と言えば当たり前なんだけど、本来ミュージシャンの生業はコレだから。
ライブ演奏もツアーも重要な仕事には間違いないけれど、元来はそれが本業ではない。
ましてや、Tシャツを作るワケでも、チェキを撮るワケでもない、音楽を作ることこそがミュージシャンの仕事だからね。
「音楽を作る」ということは、すなわち「音源を形にして出す」ということ。
ある20年を超すキャリアを持つバンドの人も言っていた。
「活動を続けるコツは音源を出し続けること」って。
「でもCDが売れないから」って言うんでしょ?
世の中狂ってるんだって。
CDが売れないからってミュージシャンがTシャツ屋になっちゃう世の中なんておかしいにキマってる。
本当に才能があるミュージシャンを音楽で食べさせてやらないとドンドンつまらないモノばかりになってしまう。
いい音楽がジャンジャン出てきてくれないと楽器が売れないのよ!
ま、かと言って適当なモノを出せばファンは逃げちゃうし…ステージでは華やかに見える「ミュージシャン」と呼ばれる仕事も実に過酷な仕事ですよ。
David Bowieじゃないけど、お客さんにウケるのはキマって新しい曲ではなくて古い曲だし…。
やっぱりラクな仕事なんてものはこの世にないね。
Kellyさんの場合、音源制作に加えて教則本の制作やらMVの編集やら…一体Kellyさんっていつ寝てるんだろう。
「おやすみなサイモン」なんてサングラスをかけたままベッドに入るところをfacebookに投稿したりしているけど、ナンカKellyさんって寝ているところが想像できないんだよな。
もしかして、「Kelly SIMON2」とかいうクローンが存在していて年中無休の24時間体制になっていたりして?!

240cdさて、アンコールだよ!
まずはBLIND FAITHで登場。
律儀なKellyさん、「At the Gates of a New World」をキチンとアルバム通りにその前の「The Journey to the Gates」から演奏した。
ナンカもう1回コンサートが始まるような演出!

250_jtgこの黒いギターは今回初めて導入した一本ですな。
いかにも「シングルコイル~」という感じのジャリっとしたトーンがKellyさんの1959にマッチして、とても気持ちのいいサウンドだった。
やっぱりこういう音は真空管のアンプじゃないと出ないね。
サウンドだけでなく見た目も含めて、Kellyさんは真空管アンプの伝統を守り、シュレッド村に住む次の世代に若者にそれを伝承してくれることだろう。
すごく不思議なんだけど、あんなに「Marshall」だの「1959」だのと言ってくれていたギタリストがコロっとデジタル製品に鞍替えしちゃうのってどうしてなんだろう。
「ホンモノと変わらない」ということは「変わっている」いるから比べているワケだし、そのトーンにしたってコピーなワケであってオリジナルの音ではない。
ケーブルについては言うに及ばず、コンデンサーやブリッジのコマ一個まであんなに神経質になっているのにアンプになるとコロっと変わっちゃう。
Kellyさんには最後の最後まで1959の真空管トーンで突っ走ってもらいたい。
そうでなきゃKellyさんの音楽は成り立たない!

260vそして、OvertureからFinaleへ。
YAMA-Bがジョインして「At the Gates of a New World」へと移行した。
これが今回のキネマのBLIND FAITHの最後の姿だ。

270

280v_2

290v

300v

310v何のギミックもないストレートなステージ。
お客さんもすごく喜んでいたよ。
前述したが、実にいい具合に新旧のレパートリーを入り組ませたセットリストもウマかった。

2_s41a0986最後にチョット書かせてもらいます。
ここのところ、CDに収録されている演奏とライブのナマ演奏があまりにも違いすぎるバンドが多い…ということを書いているけど、そう思っているのは昔のロックで育った私のような年寄りだけかと思っていた。
ところが、先日あるライブ会場で若い女性にこのことを話すと、困ったような表情で「そうなんです。CDとライブがゼンゼン違うバンドが結構あるんですよ」と言うではないか!
ナンダ、若い人もそう思っているんかいな。
自分だけが気が付いたイイ気になっていたのに~!
しかし…そんなんでいいのかね?
ま、こう言っちゃ失礼だけど、この現象って、お見合い写真はすごい美人だったなのに、イザお見合いの段になって、目の間に現れた相手に目をやると、「ハ?どちらさまですか?」というのと似ているような気がするんだよね。
もちろんCDがお見合い写真だ。
スタジオで丹精込めて作り込んだサウンドとワイルドで迫力のあるライブのサウンドとは別モノである…ということも十分に承知している。
だから昔は、あれだけ複雑な曲を「スタジオ録音と寸分たがわずに再現するYesは驚異とされた。
ところが、最近ではスタジオでのデジタル・レコーディングの技術が進歩しすぎて、小さな部屋で演奏しているにもかかわらず、ライブ・レコーディングの迫力で録音するワザを手にいれてしまった。
ご存知の通り、スタジオでは録り直しでも修正でも、何でもやりたい放題だ。
となれば、一発勝負のライブ演奏と大きな隔たりできてしまうのは当然のこと。
ライブでガッカリ…なんてことは往々にして起こってしまう。
こんなことをやっていると、ヘタをすれば、ライブにもお客さんが行かなくなって来ちゃうのではないか?
だって家でCD、イヤ、ダウンロードされた音源を聴いていればいいんだもん。
というか、実はもう世の中はそうなっちゃってるみたいよ。
つまり普通のコンサートでは味わえない雰囲気を持つロック・フェスティバルにしか行かない若い子がグングン増えているそうだ。
で、ナニが言いたかったというと、反対にCDとライブの演奏が異なってもそれぞれが魅力的というバンドもあるということ。
スタジオで作り込んだサウンドもよし。
それをワイルドに演奏するナマ演奏もよし。
そういうバンドはやはりアナログを経験しているベテラン勢に多いようだ。
Kellyさんもそのウチのひとりだと思う。
何でも「昔はヨカッタ」というつもりは毛頭ない。
ただ、ステージ用のアンプにしてもそうだけど、音楽に関して言えば、人類は少し「アナログ」を取り戻した方がいいのではなかろうか?
人間は「0」と「1」ではできていないのだから。

1_0r4a1533さて、Kelly SIMONZ'S BLIND FAITHは来る11月9日に新宿ReNYで開催される『RYUMEI Presents ULTIMATE Vol.3』というイベントに出演する。
出番はトリ。
コレも見逃せなさそうだ!

171109 Kelly SIMONZの詳しい情報はコチラ⇒Kelly SIMONZ Official Website

320(一部敬称略 2017年8月26日 東京キネマ倶楽部にて撮影)