【訃報】 さよならジョン・ウェットン
中学から高校の頃、好きだったJohn Wetton。
先日、チョットRoxy Musicの調べごとをしていたらファースト・アルバムのLPからこんなものが出て来た。
1974年秋のコンサート・プログラム。
中学生の頃、どこかで私が買ったものだ。
中身はメンバーの紹介だけで、コンサートのことには一切触れていないため、どこで使われたものかはわからないが、イギリスの住所を記したファンクラブの案内が書いてあるのでイギリスでのコンサートなのだろう。
前座はJess Rodenだった。
数年前にはここにSadisic Mika Bandが紹介されていたハズだ。
そのメンバー紹介の最後のページ。
『Viva! Roxy Music』にもJohn Wettonのクレジットがあるが、他にBryanの『Another Time, Another Place』への参加等、Roxy人脈とは関係が深かったようだ。
下は1975年のRoxyのアメリカ・ツアーの海賊盤。
この「Re-Make/Re-Model」のベースがスゴイ!
昔の海賊盤にしては音がすこぶるよく、昔はよく聴いたものだが、残念ながらベーシストのクレジットがない。
何か所かの録音なので、わからなくなってしまったのかもあしれないが、この「Re-Make/Re-Model」は間違いなくJohn Wettonだろう。
カッコよすぎるもん。
初めて本物のJohn Wettonを見たのは1977年6月、中野サンプラザでのこと。
Bryan Ferryのバンドで来日した時だ。
先に触れた通りRoxy Musicのつながりでメンバーに選ばれたのであろう。
ギターはChris Spedding。
他にPhil ManzaneraやAndy McKayやPaul Thompsonがバンドにいて、Roxy Musicが好きだった私は、『Viva!』を出した後活動を停止していたRoxy Musicの変形が見れるとあって大喜びしたものだった。
しかも、ベースは大好きなKing CrimsonのJohn Wetton!
二階席だったけどすごくうれしかった。
この時はひたすらベーシストに徹していたっけ。
その後、Uriah Heepに入った時は「金の亡者」ぐらいのことを言われて気の毒だった。
Bryan Ferry での来日から2年、またJohn Wettonを観た。
場所は日本青年館、U.K.での来日だった。
中学の頃からAlan Holdsworthが好きだったので、U.K.がトリオ編成になってしまいとても残念だったが、コンサートを観てビックリの連続だった。
まずは毎朝電車で一緒になるカワイ子ちゃんが会場に来ていたこと。
そして、Trry Bozzioのドラム・ソロ。
コレはホントにスゴかった。
もうその頃にはFrank Zappaを聴いていて、『Bongo Fury』はすでに耳にしていたものの、そこはまだ子供のこと、ギターばっかりでドラムにあまり意識がなかったのでこのソロには腰を抜かすほど驚いた。
Jack DeJohnetteとSantanaの誰か(多分77年の来日時)と並んで、今のところの私の人生の中のドラム・ソロ・ベスト3に入ってる。
Littel cuteなTerry Ted Bpzzioのソロと同じぐらい驚いたのがJohn Wettonのベース・ソロだった。
もうフレーズがどんなだったかは覚えていないが、何やら右手の指すべてを使ってバリバリ弾いていたように記憶している。
Gordon Haskellは70歳でまだ元気なようだが、King CrimsonはGreg Lake、Boz Burrell、John Wettonと70年代に活躍したベーシストを軒並み失ってしまったことになる。
ベース・プレイもさることながら、やっぱりあの男性的な声と、チョット変わった発音が魅力的だった。
ああいう歌い手ってホントに少なくなった。
パンクやテクノ、ニュー・ウェイブを経て80年代に入ると、素っ頓狂な声を出すボーカルズばっかりになってしまい、ロックのカッコよさのひとつが完全に葬られてしまった。
そんな80年代に登場したAsiaには完璧なまでに興味が湧かなかった。
自分自身がジャズに興味が移っていった時期と言うこともあったが、Steve HoweにCarl PalmerにJohn Wettonといった大好きなプログレの立役者が集まったバンドだったにも関わらず、商業主義丸出しのポップ・ミュージックには何の刺激も感じなかったのだ。
だから80年代は私にとってはロックの「暗黒時代」なのだ。
2010年にロンドンのフェスティバルにAsiaが出演していたが、観る気はまったく起こらなかった。
楽屋村では、Carl PalmerはAsiaでは演りたがっているが、その時一度限り再結成したELPでの演奏は乗り気ではないようだ…という噂が流れていた。
「なんでやねん!」と思った。
Asiaのおかげで、John Wettonとはスッカリ疎遠になってしまっていたので、今回あまりショックが大きくなくて助かった。
facebookなどでは「AsiaのJohn Wettonが逝ってしまった」と騒いでいるが、私にはそんな感覚はツユほどもない。
Asiaファンには失礼かもしれないが、私が思うにはKing Crimsonで見せたクリエイティビティこそがJohnの偉業であり遺産なのだ。
Sundown dazzling day
Gold through my eyes
But my eyes turned within
Only see
Starless and bible black
私の心にひたすら流れているのは、「Starless」の悲しく美しい旋律。
ロックの偉大なイノベーターの逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。