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2015年3月26日 (木)

三文役者なわたし <前編>

まさかね~。
まさか、こんな日が来るとは思わなかったよ。
人間、生きていると本当に驚くべきことが起こる。そして、つくづく思い返したのは歳を取るのも決して悪いことばかりではないということだ。
「時間の経過が与えてくれる感動」とでも言おうか…歳を取っていくと若いうちには絶対に味わうことのできない大きな感動に遭遇できることがあるということがわかった。
長い間生きてる分、もちろん苦労も多いワケだが…。

ずっと以前はMarshall Blogに私的なことを書くのをなるべく控えてきたが、最近はそうでもなくて、私が若い頃に体験した音楽をはじめとしたあらゆるエンターテインメントについて触れて、忘れ去られようとしているよき時代を伝承しようと努めている。
決してジジイの自慢話しでも思い出話しではないつもりなのだ。

しかし、今日はタップリ公私混同させて頂いて、私的な思い出話しを書かせて頂きたい。タマにはいいでしょ?
いわゆる「カミング・アウト」ってヤツ?

私はゲームの類は一切やらないが、それでも高校1年ぐらいの時は夢中になったものである。
スペースインベーダーの登場だ。
あのブームは本当にスゴかった。ゲームセンターがそこら中にポコポコと現れ、どこも賑わいを見せていた。
その時住んでいた東京の東のはずれも例外ではなく、ごく普通の商店街にもゲームセンターがある日出現し、さっそく入ってみた。
それは何の飾りもないただの部屋にズラリとテーブル型のゲーム機が設置してあるだけのお店だった。例えて言うなら温泉場の射的場をさらに簡素にした感じか?
奥には長髪でヒゲをはやしたお兄さんが店番をしている。
フトその奥を見やると、ピックガードにヘビ革を貼った国産のストラトキャスター・モデルが壁に立てかけてある。
そのお兄さんはチョット怖い感じだったので勇気を出してこう訊いてみた…「お兄さん、ギターやってるんですか?」
するとお兄さんは実にやさしく、「やってるってほどじゃないんだ。あ、このギター?コレは僕の友達のギターだよ」と答えてくれた。
何でもその友達の方と住み込みでゲームセンターで働いているとのこと。その時はその友達がいなかったので、店番をしている日を教えてもらってインベーダーを1~2ゲーム楽しんでその場を離れた。

数日後、その友達がいるという日にゲームセンターに再び出向くと、店の奥には先日とは違う兄さんが座っていた。長髪で色白でチョー細身の人だった。何日も太陽の光に当たっていないのは明らかだった。
やはりストラトはその人の持ち物で、名前を大竹亨さんといい、私より4つほど年が上だった。
ナニを話したのか、後の細かいことは忘れてしまったが、とにかくすごく気が合ってたちまち仲良くして頂いた。正確には可愛がって頂いたということになろうか?

その頃の私は洋楽一辺倒で、学校で最もロックに詳しい一人である自信はあったが、国内のロックは全くと言っていいほど聴いていなかったので無知に等しい状態だった。
1978年頃、大竹さんはすでにプロとして渋谷屋根裏や新宿ロフトに出演していて、日本のロックについて色んなことを教えてくれた。

この真ん中の青い看板のお店がそのゲームセンターだった。
今はお好み焼き屋さんになっている。
10
時折Marshall Blogに書いているが、その当時は自分たちで音源を作って販売するなんて構想は無いに等しく、自分たちの音源を世に出すにはレコード会社に認められてレコードを出すしかなかった。
こんなことはホントに奇跡のような話で、ライブハウスに出演できるだけでもバンドにとってはひとつの大きな大きなステップだった時代だ。
今みたいにスターバックスよりライブハウスの方が多いのではないか?というような時代ではないからね。
加えて、ミュージシャンたちも洋楽の黄金期のエキスをタップリと吸収したロックの権化のような連中ばかりで、楽器の演奏技術は高くて当たり前。どれだけ人と違うことをやるかに心血を注いでいるオリジナリティあふれる連中ばかりだった。


話しは反れるが、そんな連中でも持っている機材といえば、極めて貧弱なもので、ギターは国産が普通で、MarshallやFenderやGibsonが当たり前のような今とは全然ワケが違った。
しかし、みんないい音を出していたよ。腕は一流、機材はなにせ全部アナログのホンマもんのロック機材だからね。
今でもいいMarshallの音を出している人に出くわすと思わず、「昔、屋根裏やロフトで聞いた音だ…」と形容してしまう。

そんなライブハウスに出ている人がこんな場末のゲームセンターにいることも信じがたいことであったが、4つ年上の大竹さんにはロックに関する色んなことをたくさん教えて頂いた。

大竹さんがギターを弾いていたバンドは「三文役者」といった。
彼の影響で日本のロックに大きな魅力を発見した私は、三文役者のライブのテープを借りて聴き、いっぺんに好きになった。曲のよさがハンパじゃなかったのだ!

「それなら今度の屋根裏に遊びにおいでよ」と大竹さんはライブに誘ってくれたのだが、当時はライブハウスに行く高校1年生などは周囲にまったくおらず、親に相談して許可を得て渋谷に行った記憶がある。親は当然心配していた。
行ってみると、さほど大きくないスペースにホールと同じような大音響で演奏する様に腰を抜かしたが、とても楽しかった。
当時三文役者は屋根裏と新宿のロフトに月替わりで出演している感じで、すっかり魅せられた私は毎月そのどちらかに友達を連れて遊びに行くようになった。
そうこうしているうちに「ボウヤ」として三文役者のライブに出入りさせてもらえるようになった。
何せ金のない高校生の時分だったのでうれしかった。
イヤ、何よりも好きなバンドのメンバーの傍にいられて、ギターのチューニングをしたり、弦を張り替えたり…こんなことが最高にうれしく楽しかった。
自分が高校の友達と組んでいたバンドも完全に三文役者のコピーバンドになってしまった。当時のレパートリーなら今でも弾ける。

この人が大竹亨さん。
20v
その後、ほどなくして大竹さんはゲームセンターのアルバイトを辞め引っ越してしまったが、付き合いは当然続いた。
コレは引っ越す前に記念に…とお願いして作ってもらったサイン入り色紙…のようなもの。
大竹さんは手先が大変に器用でこの程度のステンシルはいつも簡単に作ることができるのだ。
しかし…「女学生」だって…死語だな。
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この色紙と一緒にこんなのが出てきた。下敷き。今下敷きなんて持っている子なんているのかな?
時代を表すアイテムとして本文とは関係ないが掲載しておこう。
こういう時代だ。若いってはヤッパリいいな。野村さんワッケ~!
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ある時、スゴイことが起こった。
大竹さんではない方のギターの人が高熱を出して屋根裏に出れそうもないので、私に代演してくれというのである。コピーバンドやっていたので全曲弾けたからね。
コレはうれしかったナァ。
高校生の分際で当時のライブハウスに出ることなど、昨日デビューしたバンドがいきなり武道館に出るようなものだ(←今なら十分あり得るか?…)。
この話しをもらって、家に帰った時、寝ていた両親を叩き起こして報告したことを覚えている。
結局、そのギターの人は無理を押して出演されたので、私の出番は2曲となったが、あの感動は一生忘れんよ。
今を時めく国民的バンドがまだ屋根裏の昼の部に出てた頃の話しだからね。
このロフトの創設者、平野悠さんの著書『ライブハウス「ロフト」青春期(講談社刊)』にも、スケジュールのページにRCサクセションやカシオペアやシーナ&ロケッツと並んで「三文役者」の名前が出ている。

S_img_0029 その後、私は大学に入り大竹さんの友人が手放すというMarshallを手に入れた。JMPの1959と1960AXだった。
コレがおっそろしく音がデカくて、とうとう歪んだところを聞いたことがないうちに手放した。
私は国産のストラトとOD-1、CE-1、それにSpace Echoをつないで1959を使うのが好きだった。
そして、時を同じくして、大竹さんではない方のギターの方が三文役者をお辞めになるのを受け、バンド参加の誘いを頂戴した。
これも当然うれしかった。まだ18の時だ。私はプロのギタリストになりたかったのだ!

当時メンバーの入れ替えを機に「三文役者」もボーカルの哲さんをフィーチュアしたバンド名に変えようということになり、一時期「哲&ATOMS」と名乗っていた。口にすればわかる通り、「鉄腕アトム」に聞こえるというのが由来。
しばらくしてまた「三文役者」に戻ったが、私は18~19歳の2年間お世話になった。
その間、毎月屋根裏かロフトに出演し、吉祥寺に新しいライブハウスが出来たというのでシルバー・エレファントにも何回か出たかな?埼玉大学や慶応大学医学部の学祭に出てビートたけしの前座をやったこともあった。
二度ほど関西方面へツアーにも出かけた。名古屋のElectric Lady Land(もちろん昔の方ね)、京都のフレンチマーケットや磔磔、大阪の寺田町にあったスタジオあひる、千日前にあった夢屋などに出演した。
当時はインターネットなど当然なく、宣伝することすらままならないので、見知らぬ土地で集客なんかできるワケがない。動員は予想通り苦しい展開となったが、個人的には「ツアーする」ということが実にカッコよく思えてウキウキだった。
京都で肩をハチに刺されてストラップが付けられなくなったり、大阪では大好きななぞなぞ商会と対バンしたり、ELLや磔磔のような名門のライブハウスのステージに上がれたり、と思い出に尽きない楽旅となった。

その後、徐々にロック熱が冷めてきたり、自分の才能のなさを思い知ったり…と将来への不安も大きくなり、学校へ戻る決心をして、無理を承知でバンドを退団させて頂いた。
時代はパンク/ニューウェーヴのムーブメントを経て80年代に入っていて、ロックは急速にポップ化の道をたどり、大衆におもねる姿勢を示したことに幻滅を感じたことも大きな理由だった。
以降私の音楽の嗜好の中心はジャズに移行した。

後悔はまったくない。
こうして縁の下の力持ちとしてミュージシャンをサポートしたり、写真を撮ったり、文章を書いたりして、文句を言いながら側面的に音楽の魅力を伝える方が性に合っている。
だいたいね、ミュージシャンになる第一の条件は…食べ物に好き嫌いが全くなく、どこでもすぐに平気で寝ることができて、世間のことには少し鈍感なぐらいでなければとても持たん!私には音楽的才能の欠落の前にそうした難関もあったのだ。
そして、バンドを辞めた後は、学業に専念し(コレはウソ。とにかく大学を卒業しただけ)、ジャズのビッグバンドでギターを弾いた。
その関係でバンドを辞めた後もブラスのアレンジをして、ビッグバンドの管楽器の連中と一緒に新宿ロフトに出させてもらったことが一回あった。あれも楽しかった。
その後、就職して地方に赴任してしまったため完全に大竹さんとも哲さんとも疎遠になってしまった。

こんな青春を過ごしてきて、振り返ってみるに、今の斯界の音楽の状況があまりにもイビツな恰好をしていることに驚きを感じ得ない。
それに同感する諸兄も多いのではなかろうか?
最近、この三文役者が活躍していた時代のご同輩たちが集まり、次々と音楽活動を再開している傾向がある。
ドンドンやるがいい。大人が聴けるロックを演るのだ!
ロックは若者のモノであると同時に元来大人のものだったのだから!大人のロックはもうジジイが演るしかない!
そんなムーブメントが感じられる中、とうとうやらかしてしまったのだ。
いい大人が最後の悪あがきを見せてくれるというのだ。
三文役者の復活である。

そこで、Marshall Blogはその三文役者のワンマン・ライブを公私混同で2本立てでお送りするワケだが、その前に少しだけこのバンドの説明をしておきたいと思う。

三文役者はPANTAさんの芝居の仲間であった花之木哲という人のバンドだ。
哲さんが曲を作り、歌っている。
優れた作詞家でもある哲さんは、PANTAさんの『PANTAX'S WORLD』の中の「三文役者」と「EXCUSE YOU」という曲の詩を提供している。
もちろん、この「三文役者」という曲がバンド名にスライドしていることは言うまでもない。ちなみにこのレコーディングではCharさんがギターを弾いている。
大分前にこのことをCharさんに言ったら「オマエ、何でそんなの知ってんだ!」と笑っていらした。さすがCharさん、日本人離れした分厚いギターがカッコいい。

30さらに『走れ熱いなら』では「ガラスの都会」、「あやつり人形」、「走れ熱いなら」、「追憶のスーパースター」等の詩を提供。
「三文役者」、「ガラスの都会」、「あやつり人形」、「走れ熱いなら」あたりは私もよく演奏させてもらった。
そんな関係で、一度新宿ロフトの時にPANTAさんが飛び入りで出演してくれたことがあって、ファンだった私は興奮しまくった。
「Cadillac」というブルースだった。The Kinksの「Cadillac」ではない。
ちなみにこのジャケット写真、双方鋤田正義さんの撮影。この後の『マラッカ』も『1980X』もそう。PANTAさんの写真はいつも鋤田さんだ。

40そしてコレは三文役者の12"シングル。LPサイズ、45回転の4曲入り。当時はまだ珍しかった自主制作盤だ。
新宿ロフトの昼間を借り切って録音機材を持ち込み一発録音した。
コレが思い出せない…。高校生だった私は一部始終を見ているのだが、日曜日だったのかな?昼間に録音したことは間違いない。それとも平日で学校を休んで行ったのかな?
…と思ってインターネットで調べてみたら、案の定日曜日だった。

「三文役者」、「北斗星」、「サド書簡」、そして当時新曲だった「東京デストロイシティ」の4曲が収められている。

80その中から出てきたのがこの「ロッキンf」誌1980年5月号の記事のコピーを使った宣材物。このレコードについて書かれている。
どれどれ…
「彼らには3原則がある…
1. ファンには絶対に手を出すな。破れば即クビである。
2. ステージの前及びステージ上での禁酒禁煙。
3. 時間厳守。
ま、そういうバンドだった。

70

そしてこれは名曲「怒雨降り」と「風」を収録した10"シングル。
これは目黒のスタジオで録ったような…。これも私が高校の時。
夜中の録音で、終了後、大竹さんの家に泊めてもらってそこから直接学校へ行った。
この後にも音源を制作しているが、ここでは自分に特にかかわりの深い作品を紹介した。我がセイシュンなのだ!

90そんな思い出がたくさん詰まった三文役者。
とうとう我々の前に再び姿を現したのだ!

…といってもコレが初めてではなくてPANTAさんといっしょに昨年の暮れにも舞台に上がっていたのだが、私はインフルエンザで行けなかったのよ。
これまただいぶ前の話しだが、頭脳警察のトシさんが「哲がまた三文やるって言ってたよ」とおっしゃっていた。
その時から、ずいぶん時間が経ってしまって、はたしてコレがそうなのかはわからないが、とにかく哲さんが帰ってきたのだ!
120
この人が花之木哲。
実は私の結婚式にもご参列頂いている!
100v
ベースは石井正夫。
130_2正夫さんは三文役者のオリジナルメンバーというより創設者のひとり。
元頭脳警察のメンバーで日本のロック史に残る必殺的超スーパーウルトラ名盤『悪たれ小僧』のレコーディング・メンバーでもある。
アタシャ、このアルバム、高校の時に大竹さんから教わって聴いて好きでネェ。今でも聴いてる。
そのレコーディングメンバーの正夫さんと一緒に演奏できるってんでものすごくうれしかった。
ちなみにこの日、同じくレコーディング・メンバーの勝呂和夫さんも会場にいらしていて正夫さんにご紹介頂いた。
すごく腰の低い方で、この方があの狂気の「戦慄のプレリュード」や「真夜中のマリア」なんかを弾かれていたとはチョット信じがたかったが、とにかくうれしかった~!

140cdドラムはさとっちょ。
さとっちょは元是夢(ゼム)というバンドのメンバー。
このバンド名に聞き覚えのある方もいらっしゃるだろう。昔、某楽器メーカーの広告に出ていたバンドだ。
「俺たち浦和のツェッペリンじゃなく、世界の是夢になりたいんだ」
これが広告のキャッチ・コピーだった。
是夢というバンドも凝った曲作りが魅力的ですごくいいバンドだった。

150vそして大竹亨。いわゆる「ちぇり~」。
ヘタすると私をこの世界に引きずり込んだ犯人。
コレがまた不思議で、何でまた大竹さんと再会したかというと、SHOW-YAのsun-goさんのおかげだったのよ!
最後に会ったのは22歳ぐらいの時だから30年ぶりの再会だ。ゼンゼン変わっていない!
ステージ・ネームは「ちぇり~」ということになっているけど、私はいまだに「大竹さん」と呼んでいる。
だって子供の時に知り合った大竹さんは、私にとっては永久に「大竹さん」なんだもん。今更とても恥かしくて「ちぇり~」とは呼べん!

110

G→D→B…何回弾いたことか…。オープニングは当然「三文役者」!

160「♪待ち続ける朝の光…歌い続ける人の愛…演じ続ける三文オペラ」…一生忘れないわ。

170v大竹さん、昔はMUSIC MANのコンボを使っていたんだけど…

180今日は1962 Bluesbreaker。

190ああ~、哲さんの声だ!
ナンカ30年前よりパワーが増してる感じ!

2002曲目は「あやつり人形」。
PANTAさんはコレをレゲエで演ったが、三文役者はストレートな8ビートでヘヴィに聴かせる。

210また正夫さんのベースが堅実かつ剛健でいいんだ~。ベースらいしいベース。低音以外は何もいらない!って感じ。
昔はね、1992SUPER BASSを使ってたんだよ。ステージの上で私の1959と並べていたんだ。

230v「♪あやつり人形さ、人間なんて…」
しっかしいい曲だナァ。
300
さとっちょのヘヴィなビートがバッチリとマッチする。是夢のころからカッコいいドラムだな~って思ってた。

250ここでビックリするMCが…。
次の曲は「聖羅」というロッカバラード。昔からある曲で、ずっとバンド・アレンジで演奏してきたが、『主役だけじゃつまらない』というアルバムの中で哲さんはピアノをバックに録音した。
今回のコンサートではそれを再現すべく、ピアノを弾いた「タコ」こと高島田裕之というキーボード・プレイヤーを呼ぼうとしたが、それはかなわなかった。
私も最後期に一緒に演奏させてもらっていたので、久しぶりに会いたかったが、この哲さんのMCでもう二度とお会いできないことを知った。
このコンサートの数日前に亡くなったというのである。
タコさんは底抜けに明るい人で、腕も確か。後にマキさんのバンドでも活躍したと聞いた。
この場をお借りしてご冥福をお祈り申し上げます。

260この「聖羅」という曲は昔「おまえ」というタイトルだったのかな?

240v

古式ゆかしいロッカバラードの典型のような曲。そう、ロックのバラードはコレでいい。
情感豊かに絞り出すように熱唱する哲さんの姿が印象的だ。
310v
第一部最後。
「今日は特別よ!」と私に言っていた哲さんが最後に選んだのは「コルト63」。
270v
うれしいわ~。
哲さんが自作ミュージカルのために作った曲のひとつ。
この楽しく、ハードな曲が大好きだった。

290元々この曲のタイトルは「コルト●●」の●●にその時の年を入れることになっていた。
一番古いところで記憶に残っているのは「コルト'77」ぐらいかナァ。つまり40年以上前の曲ということだ。
今年は1963年でも2063年でもない。
「63」とは哲さんの齢というワケだ。若い!
ホント、身体を悪くされたと聞いていたが何のことはない、昔よりよっぽどパワー・アップしているし、声もよく出ている。何よりも歌がうまくなった!(失敬!)
昔から根性とエネルギーが服を着ているような人だった。

330その鉄人を支える鉄壁のバンド陣!

340シンプルにしてタイト。

350vハードにしてロマンチック!ああ、やっぱりいいナァ、三文役者!
320v
…と、コレだけ読んだらMarshall Blogをご愛読頂いている方は三文役者を見たくなったでしょう?
4月18日、新宿URGAに出演するので是非この日本のロックの生きる化石のようなバンドを体験してもらいたい。

三文役者の詳しい情報はコチラ⇒三文役者オフィシャルサイト

360v【特報!!】
チョット、これはスゴイよ!
大人のフジロックかサマソニか、はたまたHigh Voltageか?!
外道、頭脳警察、めんたんぴん、THE 卍、そして三文役者が一堂に会するスペシャル・コンサートが決定した。
おやじニンマリ。
6月28日、場所は新宿のスペースゼロ。
ここは2000年にJim Marshallを呼んで「マーシャル祭り」を開催した会場だ。
ん~、運命を感じるネェ~!

June あ~、今日はタップリ書いた!
<後編>はもっとサッパリいきます!

(一部敬称略 2015年2月21日 荻窪ルースターズ・ノースサイドにて撮影)